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外国語としての英語教育における翻訳の位置

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

外国語としての英語教育における翻訳の位置

著者 田島 穆

雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要

巻 25

ページ 35‑43

発行年 1989‑03‑01

その他のタイトル Translation in the teaching of English as a foreign language

URL http://hdl.handle.net/10105/6677

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外国語としての英語教育における翻訳の位置

田 島   穆

要約 翻訳は本来翻訳される言語の理解を前提として行われるものであるのに、

外国語学習においては広く教授法として用いられてきており、その功罪が問題 とされてきたこと、外国語としての英語学習では翻訳は意味理解の手段として 用いることに留めるべきこと、翻訳の英語学習上の弊害は主として日本語にお

きかえての学習にあり、それは音声言語としての英語の基礎造りには極めて効 率の悪いものであることなどを論じた。

キーワード 翻訳と外国語教授法、翻訳の目的、翻訳の弊害

1.翻訳と外国語教授法  翻訳とは通常 Trans1ati㎝is a procedure which leads from SLT

(=S㎝r㏄Language Text筆者)to an optima11y equiva1ent TLT(=Targθt La㎎uage Text 筆者)and requlres the syntactlc,semantIc and text−pragmat1c comprehens1㎝by the trans−

      1〕

1ator of the origina1text. と言われるように、一つの言語で書かれたものを別の言語に移し かえることを指し、その目的によって多少異なるであろうが、SLで表現されている意味内容は

もちろん文体上もTLでできるだけ近似的に表現することがねらいである。従って翻訳はSLの 理解が前提であり、理解ないし解釈した意味内容をどのように訳出するかが作業の中心になる。

従って、未知の言語を学習しようとする外国語学習においては、少なくとも習得の対象となるよ うな技能であるとは言い難い。Lado(1964)もtransiaionをhearing,speaking,reading,wri七一       2〕ingとは独立した技能と称している。しかし実際の外国語学習においては、今述べたような内容 の翻訳でなくても、語・句・節・父あるいはパラグラフの単位で学習者の母語に置きかえて表現 することを中心とする作業は極めて広く行われてきたし、現在でもそうであると言える。また同 時に、外国語教育法の中の一つの大きな問題点は歴史的にもまさに学習者の母語を教授法の中で どう用いるかにあったし・現在でもそれに解答が与えられたとは言えない。Pra圭。r(1976)が

...the use of mother tongue in the foreign1anguage c1assroom has been su㏄essively

       3〕emphasized,ba㎜ed,required,and bare1y tolora七ed. と述べている如く、歴史上の外国語教

授法はまさにその軌跡であったと言ってよい。すなわち、外国語教授法としては十分に組織化さ れているとは言えないが、教授法として最初に用いられた文法訳読法(Grammar−Trans1ation Method)では文法の知識を頼りに外国語の文を学習者の母語に翻訳することが学習の第一目標

(overriding1eaming target)であったし・翻訳すること自体が目的化していたと言ってよい。

・ Trans1ation in七he teaching of English as a.foreign language  Nara University of Education

TAJIMA,Kiyoshi

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この反動として現れたのが、学習者の母語を媒介としないで直接外国語を教えようとする、直接 教授法として一括して呼ばれるr連の方法であり、母語の使用を禁止するという極端な立場をと

ることにおいて共通である。その後提唱されたAudio−Lingua1Methodも母語の扱いにおいて は直接教授法に近いと言ってよい。しかし、そのA−LMを批判する形で提唱されたCognitive−

Code Leaming TheoryはG−TMの現代版とも呼ばれるもので、翻訳を禁止するものではない。

このように、学習に翻訳を中心とする母語使用を認めるかどうかについて教授法は許容と否認の 間をゆれ動いてきた。しかし、学習においては未知の言語を習得しようとするものであるから翻 訳はできない筈であり、翻訳が目標であっても、それは学習対象の外国語を理解して翻訳できる ようになることがねらいで、学習過程における翻訳はその大部分が通常の翻訳には程遠い、SL からTLへの逐語的直訳的な置きかえ作業であると言ってよい。それは外国語習得の一手段で

ある。

        4〕

 それでは、翻訳が外国語教授法によって異なる扱いを受けたのは何故であろうか。極めてお おざっぱに言えば・翻訳できることによって表わされる学習者の読解力が学習の目標であったり・

聞くカを含めて話す力を養うことが目標になるに従って翻訳がその目標にどれだけ貢献するのか についての考え方が変わったからであると言えよ㌔そしてそれは目標の変化に呼応しての変化 であるからその目標を是認する限り当然のこととして認めてよい筈である。しかし問題が残る。

学習・の目標が読む力の養成である場合は翻訳が全面的に許され・聞き話す技能の養成が学習の目 標である場合は翻訳は障害となるものであろうかという問題である。さらに、単に聞く話す技能 だけでなく読む書くことも含めた4技能全体を調和的に発達させることが目標の場合はどうなの かの問題である。これらの問題に対する正しい答えはそう容易には得られないであろうが、日本 における外国語としての英語学習の多くの部分を翻訳作業が占めていることを考えると、英語の 教育・学習の手段としての翻訳の意義と位置を明確にすることは重要なことと考えられる。

2.翻訳の目的  すべての手段が目的を達成するためにあることは言うまでもないが、その手 段も用い方によっては有効に働加ないことがある。外国語学習では翻訳の目的は何であろうか。

また、翻訳はその目的に達するための有効な手段であるのか。外国語の教授の際教師が翻訳をす るのは学習対象の言語材料の内容・意味をわからせることが目的である。この場合教師はその言 語材料の意味内容を理解していて、それを学習者の母語に移しかえてわからせようとするのが最 も普通である。未知の外国語を習得するということは、根本的にはその言語の特定の形と意味を 結びつけることであるから、先ず、特定の形がどんな意味を表すかを知る必要がある。そのよう な意味を知る手段としては、母語獲得の場合のようにその言語が使用される自然環境がそれに近 い環境でその言語に直接触れながら意味を知るのが最も自然で理想的であろうが、そのような環 境に身を置くことが不可能であったり、時間的制約などの要因がある場合などは翻訳はやむをえ ないぱかりでなく、ことばの意味次第ではより有効な手段であることは言うまでもなかろう。特 に具象的なものを表わす単語の場合はそうである。視覚でとらえられる事物や動作・現象の名称 などは学習者の母語を媒介にしなくても、その外国語を母語として獲得して行く子供がそれらの

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単語をおぼえて行くのと同じ過程をある程度再現してわからせることができる。ことぱでなくて は表わせない抽象的意味や、視覚的な対象でもそれについて叙述するような場合は、同 言語内 のほかのことぱか、学習者のよく知っている母語を通してわからせるのが、唯一の良い方法では ないとしても、極めて手っ取り早い、誤解の少ない効果的な方法と言えよう二同一言語内の他の ことぱでの説明は、説明に使われることばの知識も必要なのでその段階まで進んでいない学習者 には使えない、また、同一言語での説明は確かにその意味の輪郭を明確にする働きがあるが、そ の言語になじみが少ないほど意味がとらえにくく、従って記憶にも留まりにくいめではないかと 考えられ孔それは・その語のイメージが形成されにくいからであろ㌔

 翻訳が望ましくないとされる理由として、語句のレベルでは、外国語(以下英語に限る)と学 習者の母語(以下日本語に限る)の相対応する語句の間の意味領域のずれがあげられるが、この

ずれを正しく認識するためには、先ず、訳語を与えて元の英語の語句の中核的意味をつかむ手掛 りにさせ、その後は日本語による説明を加えたり、英語のそれぞれの語句が現れる文脈にできる だけ多く触れさせ、徐々にそれぞれの語句の意味の輪郭をっかませるようにするほかないのであっ て訳語を与えることは学習者が意味の正しい理解に至るための補助の役割を果すようにするのが その目的であると言えよう。外国語学習の初めにおいては、ことばの意味を理解し記憶するには、

日本語を母語とする者は日本語の概念でそれを記憶せざるを得ない部分が多いであろうし、母語 はいわば代替物であっても、それによって未知の言語の世界へ入り込むための橋頭墨を築き、そ れを足掛りとしてその世界での地歩を固めるために用いるようなものであると言えよう。そして その代替物はその目的を果たしたらなるべく用いないようにすぺきものである。

 文のレベルでも語句のレベルの翻訳と同じく、少なくとも文の意味を学習者に理解させる手助 けとなる限りにおいて翻訳は有効である。安井(1981)のことばを借りれば、「本来訳読という        5〕のは直読直解に至りっくための補助線であるべき性質のものである。」というように、学習者が 教師の翻訳を聞いて自ら正しい理解に達すればその翻訳はまさに補助線の役目を果たしたといえ よう。しかし、そのような補助線はその当座だけ役に立つものであってはあまり意味がない、つ まり、特定の文を理解する際に与えられて補助線がその文の理解を助けるだけでなく、その補助 線は、同じような文構造に出会った場合にもその文を理解するのに役立つような、構造に関する 情報を含んでいることが望ましい。いいかえれば、文の構造のr般性を把握できるような補助線 である。

 英語の文を直読直解できるということは、技術的には、読む内容の難しさによって違いがあろ うが、一応英語の語順通りに後戻りをしないで、また、一々日本語に英文の語句をおきかえたり しないで内容を理解して行けることを指すと言ってよかろう。このような直読直解力をつけるこ とと翻訳は矛盾するのであろうか。通常の英語の学習で教師が文を翻訳する場合は、逐語的なも の、それより少し進んだ直訳的なものから文構造にとらわれることなく文全体の意味を自由に訳 する意訳まで場合に応じていろいろあろうが、この中で、語句を一つずつ取り上げ、それぞれに 意味上近似的に対応する日本語に置きかえながらさらに大きな意味にまとめ、次にそれらの意味 と文の構成要素の関係をできるだけ反映する形で日本語の文にする逐語的な直訳は、文の構成要

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素の意味がどう関連し合って文全体の意味が構成されているかを示そうとするので、英語の構造 をできるだけ日本語訳に保持しようとすることになり、日本語と英語のように構造上の踊りが大 きい言語では、そのような翻訳は更に日本語の語順に直したり調整を加えない限りほとんど日本 語とは言えないものになるのが普通であるが、英文の構造を分析して得られた構成単位をできる 限り日本語の構造上それに相当する単位を対応させて文の意味を理解させる方法は、未知の外国 語の学習法としてこれまた唯一の適切な方法とは言えないとしても、文の成分と文意を関連づけ て理解させようとすることに限れば有害な方法とは言えないであろう。問題はむしろ直訳的な訳 を無理に自然な日本語に移しかえさせたり、与えた訳を頼りに直接理解させることを怠ることに あると考えられる。

3.翻訳の弊害  翻訳が有効な手段として働くか弊害となり樽るかはまさに紙一重の違いで あろうことは既に明らかであろうが・さらにもう少し考察してみよう。

 英語の文を 語語日本語の単語や句に置きかえる逐語訳を行っていると英語の語句と日本語 の語句の意味領域が全く一致するものと考え、その知識が固定するだけでなく、読む過程で個々 の語句に固執するあまり文全体の意味をとらえる力が生まれにくい。個々の語句の意味の総和が 文全体の意味に近いか容易に割り出せる場合ならよいが、そうならない場合が多い。もっと根本 的に重要なことは、英語の語句を常に日本語に置きかえていると、英語の語句の音像とその意味 との連合を強固なものにするのと逆のことをしていることになり、それが習慣的にな一るとある英 語の語句を見た場合にその意味を思い出すのに常に日本語を介して行うようになる。このような 状態は英語を聞いてすぐその意味を思い出せる程両者が融合していることが求められる聴解の場 合に役立たないことは言うに及ばず、読解の場合も同じである。

 英語の語句の意味を日本語訳で覚えていると両者の意味領域は等しいと思いがちで、それ以上 英語独自の意味領域を知ろうとしない限り、日本語訳に含まれている意味なら元の英語の語句に

も同じ意味が含まれていると考え、両者の意味領域の違いに気付くことなくその英語を使ってし まうことがよく起る。これは日本人が英作文をする場合によく見られることである。例えば、英 語の narroWIの意味を日本語の「狭い」を当てておぼえ、「この部屋は狭い」を英語で表わす のに This room is narrow. とするような場合である。よく、日本人が類義語と考える語が英 語のネイティブスピーカーには類義語と見倣されないことがあるのも同じ理由によるものと考え

られ私語句以上のレベルでも同じことが起る。例えば、 p1ease の使い方は日本語で「どうぞ」

が使える場合ならいつでも可能と思い、講演会などで司会者が「では、山田先生とうぞ」という 場合の「どうぞ」を直訳して、 Professor Yamada,p1ease! のように言うのは誤りであると   o〕いう。 You are we1come. も同じように誤用されることがある。ホテルで日本人がバスにつかっ

ているとメードが不意にドアを開けて..、 Oh,rmawfu11ysorry,sir! と言ったので、それに 対して、「どういたしまして」と言うつもりで Youarewelcome. と応えたと言う話がある。

いずれも日本人が間違いそうな表現である。文法の面でも、英語のある文法形式に対応する日本 語の文法形式がある場合、その形が日本語で使える場合なら英語でもその対応する形が使えると

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考えて誤った表現をすることがある。例えば、受身の表現で「ぼくは自転車を盗まれた」を I was sto1en my bicyc1e. とするような場合である。また、英語の進行形を「〜しつつある」と か「〜している」と訳し。「バスが侍っている」を Abusisstopping. とするなども同じで

ある。

 単語の文法的な側面を見てみよう。今、上で学習の際の翻訳は文を構成単位に分析してそれぞ れの単位に意味上機能上できる限り近い日本語訳を当てて理解しようとすることであると述べた が、その場合文中の機能語はもちろん内容語にも統語構造の指標となる意味が含まれていると考 えることができる。R1chards(i985)は単語の知識内容に関する仮説の一つとして know1㎎a        一〕word means㎞owi㎎the syntacticbehaviorassociated with that word. を示しているが、

これは英語の単語が替在的に持っている英語独自の統語的特性を指しており、英文を理解する際 にはこの面での知識をそのまま働かせる必壌があ乱翻訳はこの英語独自の統語特性を日本語の 統語特性におきかえて表わすことになり、これらの特性に慣れることを妨げることになる。英文

を遡及しないで理解できることは、これから読む部分について、構文上もある程度予測ができる ことでもある。このような予測力は、構文上はこれらの語の特性によって形成されるっながりの パターンに慣れることによって生まれてくるが、翻訳はそのような構造パターンに慣れることに 殆んど貢献しない、また、読解のためにはテクストの文を、通常単語以上の語群からなる意味単 位(meani㎎ful divisions)に分けながら、同時にそれらの間の意味関係をつかむ必要があり、

語の文法的特性についての知識があれぱこれらの意味単位をつかむ助けとなる。

 意味単位でとらえることは、また、文全体の意味をまとめて理解するまでそれらの単位を短期 記憶に留めておく必要からも重要である。 語 語でなく、「名詞句(節)、形容詞句(節)、副        8〕詞句(節)などの統語上の区分をまとめて識別し早く意味化すれば記憶の負担は軽くなる」とい        o〕う。このような語群の意味の塊りである。h㎜kをとらえてもそれを一々日本語に訳していては、

その形と意味の結合がなかなか形成されず、英語として記憶されにくいと考えられる。母語に訳 すことなく読む力を伸ばすにはこれらの。h㎜kの大きさを大きくしていかなけれぱならないが、

それには実際に英文を多く読むことによるしか方法はない。さらに、文以上のものを一つの

。hunkとしてとらえるようになることが文の意味を正しくとらえるためにも必要なことは言う までもない。

 ことばの理解過程を考えてみると、読解も聴解も根本的には同じ理解過程をとるものと考えら れるが、聴解の場合にはすぐに消えて行くことぱをある時間意味十聴覚像として記憶に留めてお かなけれぱならないのに対し、読解は固定された文字を読むので後戻りしながら読めるという違 いがある。この遡及読みができるということがことぱの習得上有利にも不利にも働くものと考え られる。遡及読みができることは十分時間をかけて分析的に読むことには適していても、決し一で それは読む作業として正常な読み方ではない。英語の語順のままに読むためには、聴解の場合と 同じく、読んだ部分を次々に記憶に留めて行く必要があろう。その点ではことぱの信号が音声か 文字かの違いだけである。文字に頼れることは消えてなくなった音声を思い出す手段に使えるの でそのことぱの知識を確実にするなどのことぱの訓練には有益であるが、確実な知識が最小限土

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台として要求される読〔聴〕解のレベルでは文字に頼れるということは有利な点として生きてこ ない。語句の確実な知識は遡及読みをしないための十分条件ではないにしても必要条件の一つで ある。遡及読みを許すことはその条件を満たそうとする方向に逆行するもので、いつまでも文字 に依存したままになろう。文字を利用することと文字に依存することは内容的に異なる。前者は 進歩発展に利用するのであり、後者はそれを頼りに作業や課題を何とか果たそうとするだけであ る。同じ文字でもその使い方には二通りある。また、遡及読みは日本語の語順に直して英文を理 解することであり、英語を直接理解することから離れてしまう作業をしていることになる。それ が習慣化すると常に日本語に直さないと理解できなくなる恐れがある。これを防ぐには音読によ り文字を音声化して直接文字と意味の連合をはかり文字から直接文の意味がとれるようにするの        lo〕が有効な方法の一つであろう。

 本稿の初めに翻訳は初めて学習する語句や文の意味を理解させるための手段として用いること にその本来の目的があり、できる限りその目的に限って用いるべきである旨のことを述べたが、

学習において翻訳がよく用いられることがもう一つある。それは学習者の理解を調べるために学 習者に行わせる翻訳である。学習においては、学習者が学習していることを理解しているかどう か調べることは重要なことで、ことばの学習では翻訳はその有効な方法の一つであろう。このテ ストのための翻訳はそのほとんどが教師の求めに応じて学習者が行うもので、日本語に記させて 理解させようとしているのではない筈である。もちろん場合によっては記させることによって理 解が進む場合もあろう。教師も翻訳を与えるのは補助線として理解を助けるためであって翻訳技 術を教えているのではないことば既に述べた通りである。従って、学習者が読んで理解する過程 ではできるだけ母語におきかえないで理解して行くように、翻訳を最小限度に留め、学習者にも できるだけ少なくさせるべきである。しかし、現実には教師の側からも記させることが目的であ るかの如く訳読が行なわれ、学習者が個人で行う読解作業も文法の知識と辞書を頼りに日本語に おきかえながら理解しようとする暗号解読的なもので、それはまさに羅針板なしに暗闇の海を航 海するような、目的地に行きつく可能性の少ない無駄な骨折である。また、翻訳することには理 解すること以上の難しさがあることを教師は忘れてはならないであろう。理解はしてもそれをた とえ母語であっても表現することは、丁度理解できる語彙の数より表現に使える語彙の数の方が 少ないのと同じく、理解することより難しいと考えられる。書かれている内容が容易に理解でき 読者の日本語の表現力で処理できる範囲のことなら翻訳もできようが、それ以上のことになると、

内容をおおまかにっかむことはできても、翻訳になると学習者にとってかなり困難な作業になる ことが容易に想像できる。つまり、翻訳はどの段階でも理解プラスアルファの作業になると言え よう。また、翻訳は部分から全体に進む作業になるのが普通で、この部分から全体への過程も翻 訳を難しいものにしている原因と考えられる。つまり、部分から全体の意味をつかむことはその 逆の場合より難しく、それを日本語に表わすことは一そう難しくなろう。この部分から全体への 学習過程と母語の獲得過程を比較してみよう。子供が母語を覚えて行く過程で周囲から聞く発話 は単語の場合も二語以上の場合もあろうが、いずれも一つの文として機能する発話であろう。す なわち、子供はそれぞれの発話をその構成要素に分析してそれぞれの意味を一っ一っ吟味して発

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話全体の意味をとらえるのではなく、発話をまるごと(who1es)聞き、その意味も当然まとまっ た意味としてとらえるものと考えられる。母語の発話の意味を理解する場合も分析作業は必要で あろうし、実際に行われるものと考えられるが、少なくとも発話をまるごと聞き、その意味も全 体的に先ずとらえようとすることは確かであろう。これが母語獲得の過程では自然に行なわれ、

徐々に他の発話との対比から個々の発話の内部分析に注意が向くようになり、その構成要素を発       1i〕

見し・その言語の大系的知識を少しずつ広げて行くものと考えられ孔

 これに対し母語に翻訳する形で読んで行く場合は、文全体の意味をその構成要素の意味から構 成するという、母語の場合とは逆の過程を踏むものと言えよう。全体から部分へ進む過程は、こ

とばの意味は文脈から決まるということから考えて自然でもあり、全体像をとらえてからその構 成要素を発見する方が構成要素から全体像をつかむことより容易ではないかと考えられる。後者 には部分を総合してその総和とは異なる全体像を構成することに創造的な作業を要求される部分 が含まれているからである。従って学習の場合も教師が文全体の意味を先ず示してやり部分との 関連をつかませるようにすれぱ理解が逆の場合より容易になろう。

 最後に、翻訳では音声面の情報が与えられないことが翻訳を一層限られた学習手段にすること をっけ加えておきたい。これは翻訳の弊害と言うより学習法として極めて一面的なものであるこ とを示している。昔声上の違いによって伝えられる意味の違いが文字言語では表わされないので 翻訳自体が不十分なものになるぱかりでなく、ことばを聞いたり話したりする力が全く養われな いこと、音声言語としての言葉の知識・能力が基礎になければ読む力自体も発達させることがで きないことなどは今更くり返す必要もあるまいが、根本的に考えて見ると、ことばを音声として 知らなくても、それを視覚像プラス意味として絵画的に記憶することはできるかもしれないが、

聴覚像プラス意味として記憶するよりはるかに難しいに違いないのであるから、読解を、まして や翻訳をことぱの学習法の中心に据えることは大変効率の悪い方法で学習を行なうことになる。

4.翻訳の利点  翻訳あるいは訳読があらゆる学習の段階で不適切であるとは言えない。英語 の基礎を養う段階では、音声言語を中心にして文字言語はその音声言語の導入を補助する形で用 いる点にその価値があると考えられる。つまり、学習している英語の意味を明瞭にし、記憶を助 けるからである。また、学習が進んで学習者が独力で英文を読解できる程度が高くなるにつれて、

翻訳は原文の語句や文の意味と日本語の訳語の意味との間の差異を認識できるようになり、英語・

日本語それぞれ独自の意味区分に気付くようになるであろう。一般的た言えば、日本語と英語を 翻訳的作業を通じて対照的に見ることにより両者の相違に気付きそれぞれの言語についてより深 い認識に至るということである。また、翻訳には英語を単に理解することのほかに日本語に表現 する作業が加わるので、英文を日本語に訳す場合なら、原文の英文の意味に最も近くなるように 日本語の構文・語彙・文体を選択して日本語文を構成する作業をすることになる。これは、表現 という点では、自分の力で創作的にある事柄を表現するのと違って、与えられた意味を表現する のであるから容易に思われるが、かなり思考を要する作業である。これは学習者が自らの精神を 働かせる学習の側面であり、学習の進歩という点から重要な意味を持つ。文法規則の発見は言語

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習得上重要な要因として働くと考えられるが、意味の細かい差異に気付くこともそれに劣らず学 習上重要な因子であると言ってよい。単に外部から教えられることなく自らそれらの違いに気付

くことに意義があり、翻訳はそのような精神を活性化させる場である。

5.結  論  翻訳は語句の構文がどのように関連し合って文全体の意味を形成するのかを理 解させる補助線としての役割と原文を理解しているかどうかを調べる手段として用いることに限

るべきこと、翻訳の弊害はこれら本来の目的から逸脱してそれが学習の目的や中心的作業とされ ることから生じること、翻訳は日本語という代替物による代行経験的学習であり、特に音声言語 としての英語自体に触れて語彙上も構文上も形と意味の結合を固いものにする機会がほとんど与 えられず、おまけに英語の使用に自らをかかわらせてその使用過程に慣れることがないのである から、ことばを細胞にたとえれば、英語の細胞の組織形態と異なる独自の組織形態を持っ日本語 という細胞にその英語細胞を移植しようとしても無理であり、英語の細胞を増殖するには直接そ れを育てるほかないこと、などが言えよう。

       注

1)Wo1fram Wilss.1982.珊e3ci舳eoμm㎜伽此π:μoわ工e肌sα〃肌e肋。ゐ.Tubingen=

  Gunter Narr,p.118

2)Robert Lado.1964.〃昭吻8e吻。励㎎:ム8cゴe〃桝。ψ〃。αcん.NewYork:McGraw−

  Hi11,p.54

3) Clifford H,Prator. 1976. In search of a method.  肋gZえsん他αc〃ηgハ。rμ肌xiv,I,

  P.6

4)学習において教師や学習者が行なう逐語訳や直訳などの母語におきかえる作業を主に指し、

  通常の翻訳と区別する必要があるが、SLからTLに移しかえるという点においては共通部   分があるのでそのままこの語を用いることにする。

5)安井稔.1981.「直読直解と訳読」『英語教育』(大修館)1981年8月号p.9 6)      1988 『英語学と英語教育』(開拓社)p242

7) Jack C.Richards. 1985.肋e co耐e倣。〃α㎎1〃αge eαcん加g. Cambridge:Cambridge   University Press.P.179

8)伊藤元雄 1988 「認知力を生かす暗唱一文法知識を内在化する」ELEC,ELEC Bu11etm   Nα90,P.34

9)Aaron S.Carton.1976.0r三e械αioパ。 rθα凶賂 Mass:Newbury House,p.i45に    This term(=chunking筆者)refers to our tendency to attempt to estab1ish groups   of e1ements in our perceptino,or to form chunks.   Chunking he1ps us organize   and remember materia1in our perceptual fie1d. とある。

1O)音読の有効性については、国弘正雄著『英語を習うということ』ELEC1980などを参照 11)子供の母語獲得過程についてPeters(1983)はBo1mger(1975)の次のような見方を引用

(10)

している(p.40): Inthθbθg…mingstagesachjldapprehendsbo】isticany:肋esituation is n〇七broken down,and neither is the verba1expression that a㏄ompanies it.Tha七is

why the first1eaming is ho1ophrastic:each word is an utterance,each utterance is an undivided word,as far as the chi1d is concemed. It is only1ater that words are differ−

entia亡ed ou亡。f1arger wholes.

       上記以外の参考書目

Chastain,K.1971. 丁尻e由ひeZop肌例t oゲ肌。曲胴一王α昭!〃8es庖脆:肋。αωρrαα三。e.

       Phi1ade1phia:The Center for CurricuIum DeveIopment,Inc.

Givon,T. 1978.  Universa1grammar,lexical structure and trans1atabi1ity.

       F.Guenthner and M.Guenthner−Reut七er(eds.)1978.Mθαπ{㎎α〃腕㎜Zα此η        P舳。soψ三。αJα〃κ昭〃8地αρρmαcんεs.

       NewYork:NewYork University press.235−74 Peters,A.M. 1983. Zわeμη北80ゾ2α4g吻8eαcψ;5出。π        Cambridge:Cambridge University Press.

澤村寅二郎、1935.『訳読と翻訳』東京:研究社

Stevick,E.W.1976.μe肌。リm伽三㎎α泌m此d so㎜eρ8ツ。加Zog cαよρersρeαi脇        oπ虹㎎rωge王θαm=㎎.Mass.:Newbury House.

      1982. ク「eαcん三ηgαπd eαr冗{ηg〜αη9〃αgεs.

       Cambridge:Cambridge University Press.

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