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真宗研究22号全

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(1)

民宗連合墜舎研究紀要

昭 和 52年 12月

星雲§誇示事モヤ辱喜重ヨ「

(2)
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仁竺吾参

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t土石, 刀"" 第 二 十 二 輯

〈 第 部 会

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信因称報説の成立をめぐって:

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||人間における虚妄性の否定||

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・ 橋

1 1 1 ﹁教行信証﹄﹁証巻﹂所出の維摩経説について||

行巻における諸仏についての一考察・

崎 龍 本 芳 妻 道 明 ︵ ニ ニ ︶ 契 ︵ 一 ニ 一 ニ ︶ 生 ︵ 五 一 ︶

(5)

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・ 霊

||西暦表記における錯誤について|| 山 勝 海 ︵ 六 一 ︶

恵信尼文書﹁大事?﹂

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和讃の構成上の諸問題:::

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ー!宝物展観の問題点|| 学 会 葉 報 田 智 尾 京

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行 松 令 証 ︵ 七 二 ︶ 龍 ︵ 八 一 ニ ︶ 雄 ︵ 一 O 一 ニ ︶ 信 ︵ 二 回 ︶ 〆F、、 三E主 、、./

( 巨耳 、、,,

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信因称報説の成立をめぐって

願実5

円E

派 '-' 信心正困、称名報恩という対日をもって本願の信行の分済を定め、真宗教義の綱格とされたのは覚如上人であり、 それを普及されたのは蓮如上人であった。覚如上人の﹁口伝紗﹂ ︵ 真 聖 三 ・ 沼 ︶ に は 次 の よ う に い わ れ て い る 。 ﹁しかれども下至一念は本願をたもつ往生決定の時刻なり。上尽一形は往生即得のうへの仏思報謝のっとめなり。 そのこ与ろ経釈顕然なるを、 一念も多念もともに往生のための正因たるやうにこ L ろえみだす条、すこぶる経釈に 違せるもの敗。さればいくたびも先達よりうけたまはりったへしがごとくに、他力の信をば一念に即得往生ととり さだめて、そのときいのちをはらざらん機は、 いのちあらむほどは念仏すベし。これすなわち上尽一形の釈にかな へ り 。 しかるに世の人つねにおもへらく、上尽一形の多念も宗の本意とおもひて、 それにかなはざらん機のすてが てらの一念とこ与ろうる敗。これすでに弥陀の本願に違し、釈尊の言説にそむけり。そのゆへは如来の大悲短命の 根機を本としたまへり。:::されば真宗の肝要一念往生をもて淵源とす。﹂ 信 因 称 報 説 の 成 立 を め ぐ っ て

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信 因 称 報 説 の 成 立 を め ぐ っ て このような信因称報説は﹁最要鈴﹂ ﹁ 本 願 紗 ﹂ ﹁ 改 邪 紗 ﹂ 等 、 上 人 の 著 作 の 随 所 に 見 ら れ る が 、 その論旨は次のよ う に 要 約 で き よ う 。 まず本願の信心と称名は、一二心乃至十念とあるように時間的に前後次第し、正因決定の時をいえば、名号を聞き、 摂取不拾のことわりを信受する一念である。その時一戸の称名もまたずに往因満足し、摂取不捨の利益にあづかり正 定緊に入らしめられる。この間信一念業成を、臨終業成に簡んで平生業成と名づけられた。 乃至十念の称名は他力催促の大行であるが、すでに往因決定後のいとなみであるから、自身往生の業因に擬すべき ものではなく、摂取不捨の仏恩を報謝する報思行である。 かくて信心が正因であることは、称名が非因の報思行であ ることを顕はし、称名が報恩行であることは、正因は信心の一法であることを反顕している。即ち信因と称報は互顕 するが、その主とするところは信一念の平生業成という信因をあらわす為の法円であるといえよう。 覚如上人はこの説を確立することによって宗祖の信心による現生正定緊説を徹底し、対内的には親驚門流の安心の 統一をはかり、対外的には浄土宗鎮西派など多念義系の臨終業成説を破って、真宗を浄土教の正嫡として位置づけよ う と さ れ た の で あ ろ う 。 ﹂ の よ う な 信 因 称 報 説 は ﹁ 信 巻 ﹂ 末 の 本 願 成 就 文 の 釈 に 準 拠 し 、 ﹁正信偽﹂の﹁憶念弥陀仏本願、自然即時入必 定、唯能常称如来号、応報大悲弘誓恩﹂を証文とし、先達の口伝によって立てた説であると覚如上人は強調されてい る。しかしそれと同時に次のような人間観に裏づけられていることを忘れてはならない。即ち重い宿業をかかえた罪 体の凡夫にとって死の縁は無量であり、臨終のありさまはわが力の及ぶところではなく、死ねるようにしか死ねない ものである。また無常迅速は、臨終正念に住するひまも与えず、 一瞬に死をもたらすこともある。こうした凡夫の生 命の現実を無視して、念仏し修善すれば思いのままに正念の臨終をむかえ、仏の来迎も感得できるように考えている

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のは、白づからをたのむ自力によって虚構された甘い人間観でしかない。そんな甘い信仰はきびしい宿業の現実の前 で は く づ れ 去 る し か な い 。 臨終正念を期することさえできない罪業深重の凡夫を正機とするが故に、如来は摂取不捨の光益をもって平生に摂 取 し 、 一声の称名さえ称えるいとまのない至極短命の機を本とするが故に名号を聞信する一念に救いが成就するよう に誓願されているのである。下機を救うところに弥陀の大悲の至極をみるのが浄土教の伝統ならば、その真実義は信 ① 一 念 の 平 生 業 成 に あ る と い う の で あ る 。 ﹁口伝紗﹂に﹁一念も多念もともに往生のための正因たるやうにこ L ろえみだす条、すこぶる経釈に違せるもの殿、 : ・ ざ れ ば 真 宗 の 肝 要 一 念 往 生 を も て 淵 源 と す ﹂ と い わ れ た も の を 、 宗 祖 の ﹁ 一 念 多 念 文 意 ﹂ ハ 真 里 了 合 唱 ︶ に 一 念 往生も多念往生もいずれもがひがごとではないとして﹁浄土真宗のならひには、念仏往生とまふすなり、 またく一念 往生、多念往生とまふすことなし﹂といわれたものと対照すると、前者は明らかに一 A 忽 義 的 な 発 想 と い え よ う 。 信心正因を強調される宗祖に一念義的傾向はあったにしても、本願の信行を﹁若不生者﹂の証果に向う生因法とみ、 ② 信心が正因であるように、念仏を﹁安養浄土の往生の正因﹂と云われる宗祖は少くとも一念義ではなかった。 ﹁教行信証﹂でいえば、本願の三心はっ信巻﹂で明して三心即一の信心とし、それは大菩提心、金剛心であるから 浬撲の真因であるとされるが ﹁乃至十念﹂は﹁行巻﹂に明して正定業とされている。 ﹁行巻﹂の大行を法体名号と するか、称名とみるかに異説はあっても、 そこに乃至十念の義意が釈顕してあるとみることに異論はない。そこでは 称名とは破満の徳をもっ最勝真妙の正業であり、 一戸に無上功徳を具して万機を念仏成仏させる一乗無上の行法で、 信 因 称 報 説 の 成 立 を め ぐ っ て

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信 因 称 報 説 の 成 立 を め ぐ っ て 四 ﹁化巻﹂に簡非される自力諸善に超異した真の成仏道であるといわれている。 かかる行法を選択回向して一切群生海を救わんと思しめす如来の願心に感応し、行法をわが道と信受することを信 心というのである。それゆえ称名を所信所就の行法とすれば、信は能信能就の機受であるから、行信とは能所、機法 @ の 一 体 関 係 を あ ら わ し て い る 。 行法は信受されてはじめて私の救われる成仏道となるのだから、私の救われる時をいえば信の一念であるにちがい ない。また同じ念仏であっても摂取不捨の本願を疑うものには、僑慢と不安が交錯して真の救いはない。 た だ 信 じ て 称うるところに破満の現成があるのだから、行の如実不如実、救いの成不成は信と疑で決判さるべきである。だから @ 信心を機受の極要とするのである。 ﹁ 末 灯 紗 ﹂ ︵ 真 堅 二 ・ ミ ω︶ に ﹁信心ありとも、名号をとなへざらんは詮なく候。 また一向名号をとなふとも信心あ さくば往生しがたくさふらふ。ざれば念仏往生とふかく信じて、 しかも名号をとなへんずるは、うたがひなき報士の 往生にてあるべくさふらふなり﹂といわれている。信心とは、 いずれの行も及びがたき身に至極の易行を成仏道とし て選択回向したもうた本願を信受し名号を領受したことであるから、それは念仏もうさんと思いたつ心でもあり、煩 悩する人生の現実に念仏という浬架道の実践となって具現しなければならない。即ち称名とならない信心は空虚な抽 象 的 観 念 に す ぎ ず 、 また信心のない称名は如来を見失った不安の叫びでしかありえないのである。 ところで信心とは、過去の追憶でも、未来の予想でもなく、つねに現前の仏勅に信順する心であるとすれば、信の いつでもただ今の一念でなければならない。その信をあらしめる現前の仏勅とは、ただ今きこえてくる本願 の名号でなければならない。それは位をいえば第十七願の諸仏讃嘆の名号であるが、現実には私が今称えて聞く念仏 念 は 、 の戸である。宗祖が所称の名号を釈して本願招喚の勅命なりと領解されたように、本願の名号を称えることは、名号

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し く 信 知 せ し め ら れ る と 同 時 に 、 に於て大悲の本願を聞くことであった。愛憎に翻弄されながらも念仏するとき、愛憎に狂うている自身の虚妄をきび 不実の身を限りなく大悲し痛みたまう如来に値遇するのである。 こうして信因称報説が、正因決定の時を受法の初際の信一念とし、 その後の称名は非因の報思行とみる直線的な信 行観に立って正因決定の時を裁断するのに対して、 宗 祖 の 行 信 説 は 、 正因決定の時魁を信一念とレながらも、それ を行をはなさない動的な主体的な永遠の今とし、生きであるどの今も称名となって招喚したまう如来に値遇し、自力 虚仮を否定されつつ、本願海に帰入する時とみ、信じて称え、称えて聞信するという円環的な信行観であった。 ー寸 ,一手 fJ 巻﹂に念仏即南無阿弥陀仏即正念と、称名、名号、信心の融即が語られるのも、三法の円環的なあり方を示されてい た と み る べ き で あ ろ う 。 かくて煩悩し、如来に背きつキつける現実に、念仏となって限りなく現成する如来に喚びさまされながら浬繋道を歩 んでいくことが、行に奉え、信を崇める往相であるならば、称名を非因の報恩行に限定してしまうことはできないと い わ ね ば な ら ぬ 。 かくいえばとて宗祖が称名に報恩の意義を認められなかったというのではない。すでに﹁正信備﹂には﹁憶念弥陀 仏本願、自然即時入必定、唯能常称如来号、応報大悲弘誓思﹂といわれている。 しかし称名して仏恩に報いよという ことと、称名が報恩行だということとは同じではない。それは念仏を選択回向したまう本願を信楽する即時に必定に 入らしめられるから、常に称名してかかる行道を与えたまうた大悲の仏恩に報いよといわれたものとみるべきであろ う 信 因 称 報 説 の 成 立 を め ぐ っ て 五

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信 因 称 報 説 の 成 立 を め ぐ っ て ノ 、 その報思について宗祖は﹁和讃﹂に﹁他力の信をえんひとは、仏思報ぜんためにとて、如来二種の回向を、十方に ひとしくひろむべし﹂といわれているように、単に自己の救われたことを感謝するということに止まらず、自己の救 われた本願念仏の教法を、十方の有縁に伝え、もろともに念仏の大道を歩むことが真の報恩であると見られていた。 それは善導大師の﹁自信教人信、難中転更難、大悲弘︵伝︶並日化、真成報仏思﹂の教語にしたがって念仏をもって自 信教入信することのほかに仏祖への報思はないというのが宗祖の生涯を貫ぬく姿勢だったことは、すでに﹁恵信尼文 書 しー ︵ 真 聖 五 − HCH ︶も伝えている通りである。 尽十方無碍光如来の御名を称え、仏徳をたたえるとき、 われも人も怨親平等に大悲されていることを信知せしめら れる。だからたとえ迫害者であっても、我と同じく大悲されている仏子であることに気づけば、彼等の﹁この世、 の ちの世までのことをいのりあわせ、:::た立ひがふたる世の人々をいのり、弥陀の御ちかひにいれ﹂と思念し行動す ることがっ仏の御息を報じまひらせたまふになりさふらふベし﹂ ︵ 御 消 息 集 ・ 真 聖 二 ・ 3 0 ︶ と い わ れ る の で あ る 。 こ の ように仏を念ずることが仏子を念ずることになり、 そこに自行化他という仏化助成の実践がなされることを報思とい うとするのは、大乗菩薩道の報恩に通ずるものであった。 このような観点から念仏の対人的、対社会的意味での報思性をあらわされているのが、﹁御消息集﹂第二通︵真聖二 −

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由 ︶ 、 第 八 通 ︵

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︶ 、 第 三 通 ︵ 自 由 ∞ ︶ で あ る 。 前 二 通 は 性 信 房 宛 で あ り 、 第 三 一 通 は 教 忍 房 宛 に な っ て い る 。 性 信 一 房 宛 の 御 消 息 は 、 いずれも建長八年ごろ、性信房が鎌倉での念仏訴訟事件を無事におさめた報告に対する返信 である。事件のくわしい内容はわからないが、念仏者が反社会的、反倫理的行動をとるという話告に対して性信房は、 念仏は朝家の御ため、国民のために、世の中安隠なれ、仏法ひろまれとの念願をこめて申すのだから、決して反社会 的でも反倫理的でもないと申しひらきをしたようである。宗祖はそれを全面的に支持し、すべての念仏者の心得るベ

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きこととして一般化されているのである。即ち日く ﹁ 御 身 に か ぎ ら ず 念 仏 ま ふ さ ん ひ と 人 \ は 、 わが御身の料はおぼしめさずとも朝家の御ため国民のために念仏をま ふしあはせたまひさふらはばめでたふさふらふベし。往生を不定におぼしめさんひとは、 まづわが身の往生をおぼ しめして御念仏さふらふベし。わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御思をおぼしめさんに、御報思のた めに御念仏こ tふろにいれてまふして、世のなか安隠なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞおぼえさふ,らふ﹂ 自身の住生を一定してのうえの念仏は、教人信の意義をもっところから拡大して社会性をもった報恩のいとなみと み な さ れ て い る の で あ る 。 ところで往生一定のうえの称名を報恩として意味守つけることは、元来一念義系の思想なので、誤解のないように注 意することばが教忍房宛の御消息に見うけられる。 ﹁なほ/\一念のほかにあまるところの御念仏を法界衆生に回向すとさふらふは、釈迦・弥陀如来の御思を報じま いらせんとて、十方衆生に回向せられさふらふらんは、 さるべくさふらへども、二念・三念まふして往生せんひと を、ひがごとムはさふらふべからず﹂ 称名報恩説はもと一念義の人たちが主張していたらしいことは ﹁ 西 方 指 南 紗 ﹂ 下 本 ︵ 真 聖 四 − NHH ︶所収の兵部卿基 親の消息によっても知られる。基親は、 一念義のものは一念の称名で業成するから多念は報思に過ぎないといって軽 視する傾向があると非難しているのである。また ﹁ 西 方 指 南 紗 ﹂ 中 末 ︵ 真 聖 四 ・

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に収められて法然聖人の法語と されている﹁決定往生の三機﹂のなかにも、行の一念に往生が決定すと信じたのちの称名は、仏思報謝のいとなみと 思うてはげむべきであるとして ﹁ 一 戸 に 決 定 し ぬ と 、 こ L ろのそこより真実に、うら/\と一念も疑心なくして、決定心をえてのうへに、 二 戸 に 信 因 称 報 説 の 成 立 を め ぐ っ て 七

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信 因 称 報 説 の 成 立 を め ぐ っ て 八 不足なしとおもへども、仏恩を報ぜむとおもひて、精進に念仏のせらる与なり﹂ といわれている。それは信一念業成、称名報思説ほどすっきりしたものではないが、同じ系列の思想であることは明 ら か で あ る 。 四 ﹁ 最 須 敬 重 絵 詞 L ︵真聖三・望。︶によれば、覚如上人は辛西系の一念義を勝縁上人から伝授されており、 ﹁ 口 伝 紗 ﹂ などでも多念義批判はあっても一念義を非難することはなかった。むしろ﹁真宗の肝要、 一 念 往 生 を も て 淵 源 と す ﹂ といって、宗祖よりももっと一念義寄りの境位におられたといえよう。それゆえ信因称報説をずばり云い切られたの で あ ろ う 。 しかし信因称報説そのものは幸西大徳を承けたとは考えられず、 やはり宗祖の思想を先達より伝承された と み る べ き で あ る 。 ﹁ 口 伝 紗 ﹂ ︵ 真 聖 三 ・ M m ︶下の﹁信のうへの称名のこと﹂という一章に、高田の覚信房︵一二五八寂︶の臨終の故事を 引いて信因称報が宗祖や直弟たちの信条だったことを証明されている。 ﹁よろこびすでにちかづけり、存ぜんこと一瞬にせまる。利那のあひだたりといふとも、 いきのかよはんほどは往 生の大益をえたる仏恩を報謝せずんばあるべからずと存ずるについて、 かくのごとく報謝のために称名つかまつる も の な り ﹂ ③ 覚信房のこの言葉を直接傍証する文献はないが、恐らく門弟たちの語りぐさになっていたらしく、 ﹁ 歎 具 紗 ﹂ 第 十 四条︵真聖二・叶思︶の終りにもそれと推定される文章がみられる。この覚信房の子の慶信房の上書が﹁末灯紗﹂ ︵ 真 聖 二 − 雪 印 ︶ に 収 録 さ れ て い る が そ こ に

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﹁一向に金剛の信心ばかりにて、仏思のふかさ師主の恩徳のうれしさ、報謝のためにたど御名をとなふるばかりに て日の所作とす。このやうひがさまにやさふらふらん﹂ と信因称報とみられる領解の是非を問い、宗祖はそれを認可されているから、覚信房親子は同じ信条をもっていたこ と が わ か る の で あ る 。 ところで覚如上人が信因称報を宗祖教学の真髄であると云い切られたのは﹁いくたびも先達よりうけたまわりった え し L 教義だったからである。その先達とは如信上人にちがいなかろうがそれをたしかめるすべはない。それにひき かえ覚如上人が十九才のとき法門上の疑義を問いただしたと ﹁ 慕 帰 絵 詞 ﹂ 一 ︵ 真 聖 三 −

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︶ に し る さ れ て い る 唯 円 一 房 の ﹁ 歎 異 紗 ﹂ 第 十 四 条 ︵ 真 聖 二 ・ 認 印 ︶ 、 第 十 六 条 ︵ 同 −

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に は 、 たしかに﹁口伝紗﹂と共通する信因称報説が見られ る。第十四条は、念仏して滅罪しようとする異義を宗祖の信一念入正定家説によって批判し ﹁ 弥 陀 の 光 明 に て ら さ れ ま ひ ら す る ゆ へ に 、 一念発起するとき金剛の信心をたまはりぬれば、すでに定棄のくらゐ さ ず ば 、 におさめしめたまひで、命終すればもろ/\の煩悩悪障を転じて無生忍をさとらしめたまふなり。この悲願ましま いかでか生死を解脱すべきとおもひて、 か kふ る あ さ ま し き 罪 人 、 一 生 の あ ひ だ ま ふ す と こ ろ の 念 仏 は 、 み なこと人\く如来大悲の思を報じ徳を謝すとおもふべきなり﹂ といって信因称報説がのべられている。 この第十四条で滅罪念仏の異義を、また第十六条で回心滅罪の異義を論破するにあたって、唯円一房は臨終というぎ りノ\の状況を設定する。そしてもしこと

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\に回心し念仏して罪を滅しなければ往生できないのならば、すべての 思いが罪障であるような凡夫は、臨終まで回心し、称名しつづけなければならない。 しかし﹁いかなる不思議のこと にもあい、病悩苦痛をせめて正念に住せずしておわ﹂るかもしれない業報の身であり、 ま た ﹁ い づ る い き 、 い る ほ ど 信 因 称 報 説 の 成 立 を め ぐ っ て 九

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信 因 称 報 説 の 成 立 を め ぐ っ て

をまたずしてをはる﹂無常迅速の生命をかかえているものにとって、 それは不可能ではないか。それに臨終まで回心 し念仏しなければ救われないのならば、 ﹁ひとたびとりてながくすてぬ﹂と誓われた摂取不捨の願力が無意味になる ではないかと批判している。 これは明らかに宗祖が﹁末灯紗﹂第一条︵真聖二・自由﹀に臨終正念を祈り、 来迎を期する従来の浄土教信仰を批判 し て ﹁真実信心の行人は、摂取不捨のゆへに正定緊のくらゐに住す。このゆへに臨終まつことなし、来迎たのむことな し、信心のさだまるとき往生またさだまるなり﹂ といわれたものを忠実に相伝したものであるが、この﹁信心のさだまるときしという救済成立の時射をつきつめ、 た だ一度の回心の時である初帰の一念とし、そのとき摂取不捨にあづかって正定家に住し現生の救いが成就するから、 それ以後の称名は摂取不捨の仏思を念報するいとなみと受けとるべきであるというのである。この説が覚如上人に伝 承されていることは﹁口伝紗﹂の論法が﹁歎異紗﹂のそれとそっくりであることによってわかる。 ところで﹁歎異紗﹂の信行論は、信因称報に限るものではなく、むしろ基本的には第十二条︵真聖二−

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︶に﹁他 力真実のむねをあかせるもろ/\の正教は、本願を信じ念仏をまふさば仏になる:::﹂という本願の信行を往生成仏 の因とみるものであった。それを第二条のように﹁た

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念仏して弥陀にたすけられまひらすべし﹂と行に信を摂めて 専修念仏であらわすこともあれば、第一条のように、行を信に摂めて﹁たいふ信心を要とすとしるべし﹂と唯信為要と 云われることもあった。そして多念義的、自力的な異端を批判するために宗祖の他力信心による現生正定褒説を尖鋭 にあらわす時には、信因称報という一念義的立場を表に出してこられる。 ﹁歎異紗﹂自身、第十五条に﹁浄土真宗には今生に本願を信じて、 かの土にしてさとりをばひらくとならひさふら

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う ぞ ﹂ と い い 、 また信心一異の詩論をのべられているように、信心に重点をおく立場にたってはいる。それにしても ﹁歎異紗﹂に準拠しながら、専修念仏や信行ともに往因とみる立場をさしおいて、信因称報が宗祖教学の核心である と洞察し相承されたのは覚如上人の択法眼によるといわねばならぬ。 かくて信因称報説は、宗祖の代表的な著作にはあらわに見られない、どちらかといえば一念義的な傾向をもっ信条 であるが、覚信、慶信、如信、唯円など晩年の有力な門弟たちが宗祖から伝承しており、 また報思の意味に少し異つ たところがあるが性信、教忍などにも教示されているから、宗祖にこのような考え方があったことは疑えない。 h

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JjJJ それを明白に教義化されていないところに一念義的発想と一線を画する宗祖の思想的境位があった。そして覚如上人 が ﹁ 口 伝 紗 ﹂ を 著 し て 、 口伝によって信因称報の教義を樹立しなければならなかった所以もそこにあったといえよう。 ③ ② ① 註 ④ ﹁ 信 文 類 L 木 ︵ 真 聖 二 −

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︶ ・ ﹁ 高 僧 和 讃 ﹂ ︵ 真 聖 二 ・

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・ ﹁ 冠 導 讃 L ︵ 同 − A g 印 ︶ 参 照 ﹁ 末 灯 紗 ﹂ ︿ 真 聖 二 −

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由 ︶ 所 収 の 慶 信 房 あ て の 蓮 位 一 房 の 添 状 参 照 ﹁ 口 伝 紗 ﹂ 下 ︵ 真 聖 ・ コ 一 − N 3 ・ ﹁ 同 ﹂ 下 ︵ 同 −

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︶ 参 照 ﹁ 銘 文 L ︵ 真 聖 ・ 二 ・ 呂 町 ︶ ﹁ 六 要 紗 ﹂ 一 一 ︵ 真 聖 ・ 二 − N a − N 品 。 参 照 ⑤ 信 因 称 報 説 の 成 立 を め ぐ っ て

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親 驚 聖 人 の 如 来 観

試 論 | |

話2

︵ 高 ー~じ 回~

~麿E

聖人の著作を拝読していると||今の場合、主として﹃教行証文類﹄についてであるが

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﹁ 如 来 ﹂ と い う 表 現 が 非 常 に 多 く 、 しかも、重要な箇所において用いられていることに注意を呼びおこされる。ここにその主なものを挙げ る な ら ば 、 川町大行とは則ち無碍光如来の名を称するなれゆ ② ﹁発願回向﹂と言ふは、如来己に発願して衆生の行を団施したまふの心なり。 料、他力と言ふは、如来の本願力なヤ ( ロ) 伸 、 如 来 : : : 中 略 : : : 菩 薩 の 行 を 行 じ た ま ふ し 時 、 三 業 の 所 修 、 ④ る こ と な し 。 一念一利那も清浄ならざることなし、真心ならざ 刷、謹で真仏土を按ずれば、仏は則ち是れ不可思議光如来なり。土はまた是れ無量光明土なし川 o

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等 が 挙 げ ら れ る で あ ろ う 。 刊は、行文類の始めで、浄土真宗における行を規定しているものである。これは、もと、 @ とは、謂わく無碍光如来の名を称するなり﹂によったものであろう。なお、法然上人では﹁正定の業とは、即ち是れ、 ⑦ 仏の名を称するなり﹂といわれている。 ﹃論註﹄の﹁称彼如来名 付は、善導大師の﹃玄義分﹄六字釈の文を釈したものである。善導大師の﹃観経疏﹄の場合、 ﹁ 如 来 ﹂ は 諸 仏 如 来 あるいは釈迦如来をさしており、弥陀は主として﹁仏﹂で呼ばれている。その善導大師の文を釈する時、聖人が﹁如 来﹂という表現を用いておられることに注意したい。 そこに﹁如来﹂といわれている。なお、これは ③ 曇驚大師の﹁阿弥陀如来の本願力﹂といういい方によられたものであろう。 付は、浄土真宗における根本語ともいうべき他力を釈したもので、 ﹁至心釈﹂の文である。これは、後に詳しくとりあげるつもりであるが、善導大師の﹁彼の阿弥陀仏の因中 ⑨ に菩薩の行を行じたまふし時云々﹂によられたものと思われる。 付 は 、 善導大師で﹁仏﹂といわれているところが聖人の場 合﹁如来﹂と言い改められているのである。 そこに﹁如来﹂といわれている。これは、化仏について﹁謹で化身 ⑩ 土を顕さば、仏は無量寿仏観経の説の如し。真身観の仏是れなり﹂と﹁仏﹂という表現でもって言われているのに対 制は、真仏を明らかにしているものであるが、 し て 注 目 す べ き で あ る 。 以 上 の よ う に 、 ﹁教行証文類﹄においてその核をなしているようなところで﹁如来しという表現が用いられている の で あ る 。 ﹁如来﹂という言い方が多くなされているということは、 ﹁教行証文類﹄に限ったことではなく、聖人の 一 般 的 な 傾 向 と い え よ う 。 い ま 一例をあげるならば、同朋舎刊の寸真宗資料集成﹄第一巻には名号本尊として六幅 親 驚 聖 人 の 如 来 観

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親驚聖人の如来観 四 ⑪ が伝えられているが、その四幅までが﹁如来﹂となっている。このように、聖人において﹁如来﹂という表現が非常 に し ば し ば 、 しかも、重要な箇所において用いられているのである。 し か し 、 だからといって、直ちに聖人において ﹁如来﹂と﹁仏しとが何か別のものを意味していたといおうとするものではない。現に﹁仏﹂という表現も多く用い 為 ら す れ な て り⑫お 」 り と 、

述 例

べ え て ば お ら れ る よ う ﹃大経﹄の宗体を示して﹁如来の本願を説きて経の宗致と為す、即ち仏の名号を以て経の体と ﹁如来﹂と﹁仏﹂とは別のものではないのである。 たしかにそうなのではある が 、 し か し 、 同 時 に 、 上でみてきたこともまた、聖人においては、事実なのである。 このような事実は何を意味するのであろうか。それを解く一つの手がかりとして、当時、人々の聞で仏を﹁ほとを い け L と蔑称する風習のあったことがあげられるかと思われる。生桑完明師の研究によれば、 ﹃ 浄 土 和 讃 L 再稿の過 程で﹁仏﹂が﹁如来﹂と改められている箇所があり、 それは恐らく上述の理由によるものであろう、ということであ る。しかし、このことはあまり決定的なことと解することはできない。何故ならば、師も述べておられるように、仏 は一方でどこまでも大解脱身を意味し、決して蔑むべきものではなく、 その意味において他の箇所では﹁仏﹂という ⑬ また、先の箇所も後に再び﹁仏﹂に改められているからである。 表 現 が 用 い ら れ て お り 、 そうであるならば、私共は、聖人が﹁如来﹂という表現を好んで用いておられることに関して、もっと別な、聖人 御自身の内にあるところの理由を求めていかねばならない。その場合、 よ り 詳 し く は 、 ﹃浬繋経﹄等、聖人に深い影 響を与えた経典や、同じく﹁如来﹂という表現の多く用いられている天親菩薩や曇驚大師についてみていかねばなら ないが、それは課題として残しておき、今は聖人御自身の文についてみていくこととする。

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次の文は聖人が﹁至心﹂について釈しておられる文の一部であるが、私共の課題に対して多くの示唆を含んでいる も の と 思 わ れ る 。 ま ず 、 そ の 文 を 記 す 。 ・::一切の群生海、無始より己来、乃至今日今時に至るまで、積悪汚染にして清浄の心なし、虚仮詰偽にして真 実の心なし。是を以て、如来、 一切苦悩の衆生海を悲惜して、不可思議兆載永劫に於て菩薩の行を行じたまふし ⑭ 一 念 一 利 那 も 清 浄 な ら 守 さ る こ と な し 、 真 心 な ら ざ る こ と な し 。 時 、 一 二 業 の 所 修 、 この文は、前にも述べたように主主導大師の文によられたものと思われる。その大師の文は次のようである。 ::此の雑毒の行を回して、彼の仏の浄土に求生せんと欲せん者は、此れ必ず不可なり。何を以ての故に、 寺 出 え ﹂ しく彼の阿弥陀仏、因中に菩薩の行を行じたまふし時、乃至一念一利那も、一二業の所修、皆な是れ真実心の中に ⑮ 作したまひしに由てなり。 この文は、善導大師が﹁観経﹄の三心を注釈された文の一部であるが、 にー の ﹁ ゴ 一 心 釈 ﹂ は法然上人がその著 ﹃ 選 択 集﹂の中でそれによって一章を立てる程に重要視しておられたものであり、 また、その門流の間でもよく読まれた部 ⑮ 分である。聖人は、今挙げた文を﹁信文類﹂で二度にわたって引用しておられる。 さて、この共に衆生の行と法蔵菩薩の行について語られている二つの文を比較する時、一一つのことに気づく。

t土 ﹁ 仏 ﹂ が ﹁ 如 来 ﹂ に 一 一 一 日 い 改 め ら れ て い る こ と で あ り 、 も う 一 つ は 、 両 者 に お い て 仏 あ る い は 如 来 が 語 ら れ て い る 文脈が異なっているということである。この二つのことは互に関連しあっている。 まず、善導大師の文についてみていこう。そこにおいては、衆生が自ら修めた行をもってしては浄土に往生できな い旨を述べる第一文は、因位菩薩の行を述ベる第二文に﹁何を以ての故にしで結ばれており、第二文は、第一文に対 してその理由を明らかにしている。 つまり、仏の行う行の真実性は衆生の行う行の雑毒性に対して語られているので 親驚聖人の如来観 一 五

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親 驚 聖 入 の 如 来 観 一 六 ある。このことは、別の言い方をするならば、仏がその因位に行じたまうた行が、衆生が行うべき行の模範として語 ら れ て い る 、 ということである。仏の行は、衆生がそれを見ならい、 それへと近づきゆくべきものとして、どこまで も衆生の前に立てられている。それは衆生の行の目的としてある。﹁二河白道 L の 壁 画 に 明 ら か の よ う に ﹁ 裟 婆 の 火 宅 ﹂ と﹁極楽宝国﹂とが此彼相い対するものとして説かれ、此を捨て彼に去くことが求められている善導大師において、 ﹁ 西 岸 上 の 人 ﹂ で あ る 阿 弥 陀 仏 に つ い て は 、 ﹁ 仏 ﹂ と い う 、 より静的な表現がふさわしかったのではなかろうか。 方、群賊悪獣が逼め来り、責隈水火の焔や波の絶え止むことのない火宅の教主についてはっ如来﹂という、 より動的 な表現がふさわしかったのであろう。 これに対して、聖人の場合には、如来の為したまへる行は、衆生の行に対する単なる模範としてではなく、 一 切 苦 悩の衆生海という衆生の現実のあり方を深くみつめ、これに向って起こされてきた大悲の行として述べられている。 ⑫ 衆生の現実のあり方について語る第一文は、如来の行を語る第二文に﹁是を以て﹂という接続詞で結ばれており、第 つまり、それは、如来が菩薩の行を行じたまうに ⑮ 至る根拠を明らかにしているのである。聖人は﹁如来﹂を﹁如より来生したまへる﹂ものと領解しておられるが、そ 二の文で述べられることに対する根拠を示している。さらにまた、その第二文には、﹁一切苦悩の衆生海を悲闘して﹂ ⑬ という句が挿入されている。これは善導大師の文には見られない。 の 如 よ り 来 生 す る と い う 動 態 は 、 一切苦悩の衆生海を悲潤するという衆生の現実に対する現実的な係わりのなかでお こされてきたものである。衆生の清浄の心なく、真実の心なきあり方は、衆生自らがこれを断ち切ろうとして断ち切 ることのできる程度のものではなく、 たまたま起る善への意志をものみこみ、 おし流してしまう如き暴流的なものな のである。そうしたあり方の根深さが﹁海﹂といわれ、また、 ﹁無始より己来﹂のものとして語られているのである。 そ れ は ﹁為す|為さない﹂という﹁修﹂の次元のことではなく、その修を根元的に規定している﹁性﹂のことがら

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である。そうした性のものである衆生を悲潤して如より来生したまふたのが﹁如来しなのである。 以上、聖人が善導大師によりつつ述べられた文を手がかりとして、聖人において﹁如来﹂という表現が﹁一切苦悩 の衆生海﹂という衆生の現実のあり方と深く係わっているものであることをみてきた。如ー来という動的な領解は衆 生のあり方への自覚の深化と相即する。この後の面をより詳しくみるために、ここで、同じく善導大師の文に対する 聖人の領解をとりあげておきたい。 ﹁至誠心釈﹂の一節﹁不得外現賢善精進之相内懐虚仮﹂についてである。これは、普通、 @ @ の相を現じて内に虚仮を懐くことを得ざれ﹂と読まれ、虚仮を誠め、外と内とが偽りなく相応し、調うことを求めて そ れ は 、 ﹁ 外 に 賢 菩 精 進 いるものとして受けとられている。この当為の要求を意味する文を、聖人は、 @ ぎれ、内に虚仮を懐ければなり﹂と読みかえ、悲歎述懐のことばとしておられるのである。この聖人の領解は、法然 @ 上人が今の文について﹁外を献して内に蓄へる﹂と﹁内を訴して外に播す﹂の二つの場合を出しておられる後の場合 ﹁外に賢善精進の相を現ずることを得 を更に徹底していかれたものであろう。 ﹃観経﹂の説く﹁至誠心﹂は、﹁至とは真なり、誠とは実なり﹂で、真実心をいう。内に虚仮を懐くことなく、内外 相応して、賢善精進になることは真実心でなければならない。七仏通誠の偏にも﹁自浄其意﹂と示されているように、 仏 道 修 行 に お い て は 、 どこまでも内を清めていくのでなければならない。善は内に少しの毒をもまじえていてはなら ない。もし、そうであるならば、 それは雑毒の善であり、虚仮の行であって、真実の業とはいえないのである。先の 文は、衆生のもつべき真実心を誠めのかたちで述べているものに他ならない。こうした真実を求めていくことにおい 親 驚 聖 人 の 如 来 観 七

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親驚聖人の如来観 i¥ て、阿弥陀仏因位の行は衆生の行の模範なのである。 このように、内外相応して賢善精進であろうとすることは、 たしかに至誠心であり、真実心である。 しかし、現実 の 衆 生 に と っ て 、 それは、どこまでも当為の要求にとどまり、現実のものとなることは難しい。内外相応して真実で あ ろ う と す る 思 念 は 、 かえって、その奥底に深く虚仮の根ざしていることをあらわにする。聖人は﹁内に虚仮を懐け り ﹂ と 読 ん で お ら れ る が 、 それは、内なる虚仮の遠い過去よりつづいて断えることのなかった根深さを、改めて語つ ているものに他ならない。こうした内なる虚仮を深くみつめ悲しむことは、先の場合とは異った意味におけるもう一 つの真実心ということができよう。それは、道念当為の真実に対する悲歎述懐の真実である。 善導大師の文に対する聖人のこのような領解をみてくるならば、そこにわが身白らのあり方をとらえる自覚の深ま りを見ることができる。善導大師においては、真実が厳しく追求されており、聖人においては、内が深く内省されて いる。ここで注意しなければならないのは、聖人の領解が直接的に出されたものではなく、善導大師を介して聞かれ てきたものであるということである。善導大師においては、すでに多くの人々が指摘しておられるように、二つの面 @ が あ る 。 一つは今みてきたように内外相応して真実であろうとする面であり、もう一つは﹁機の深信﹂にみられるよ うな、真実であろうとして真実であり得ない自己自身に対する深い内省である。この二つは文字の上では矛盾撞着す それは単なる矛盾撞着と解すべきではなく、修道者の内なる事実と受けとるべきであろい第一の面が る 。 し か し 、 厳しければ厳しい程、第二の面の深さがあらわになる。聖人の領解は、 そうした善導大師を介して、ことにその第二 の面を徹底していかれたところに聞かれてきたものであろう。聖人は、晩年、善導大師の﹁宅一誠一心釈﹂の言葉によっ ていくつかの和讃をつくっておられるが、そこでは大師の言葉がより内化されて受けとめられているのである。

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四 以上、私共は、聖人において如来が如|来という如の活動態として領解されていること、そして、 そうした解領が 衆生というもののとらえ方と深く係わっていることをみてきた。衆生の悪なる現実は、遠い過去に根ざしているもの であり、これを克服しようとして克服しうるものではない。そうした理想主義は、聖人の場合、破られている。そし て、衆生の内面の事実が深く内省され悲歎されている。その悲歎の底において如来が如|来として領解され信受され ているのである。如来は真如一実が真如一実にとどまることなく己れを外にして衆生の側に働きいでている真如一実 @ の活動態に他ならない。それは、仏として静ではなく、如来として動なのである。 現は、善導大師や法然上人においてはみられない。善導大師の場合、 ⑮ @ 願故﹂、﹁望仏本願意﹂等と表現されている。法然上人の場合にも、例えば、 このようにみてくるならば、聖人における﹁如来の本願﹂という表現に改めて注意を呼びおこされる。こうした表 @ @ ﹁ 彼 阿 弥 陀 仏 四 十 八 願 ﹂ 、 ﹁ 随 順 仏 願 ﹂ 、 ﹁ 順 彼 仏 @ ﹁略選択﹂に﹁依仏本願故﹂とあるよう Vこ ﹁ 仏 願 ﹂ と い う 表 現 が 多 い 。 一 方 、 ﹁ 如 来 の 本 願 ﹂ に つ い て は 、 例 え ば 、 ﹁弥陀如来、法蔵比丘のむかし、平等 の慈悲に催されて、普く一切を摂せんがために造像起塔等の諸行をもって往生の本願と為たまはず、 @ 一行をもってその本願と為たまへるなり﹂というように、 ただ称名念仏の 文 章 と し て は 語 ら れ て い る が 、 し か し 未 だ ﹁ 如 来 の 本 願﹂という端的な表現はみられない。それは、聖人において熟してきたものであるといえよう。聖人においても、勿 ム 冊 、 2 4 4 ロ ﹁ 仏 願 し と い う 表 現 は み ら れ る 。 ﹁ 教 行 証 文 類 ﹄ に つ い て み る な ら ば 、 @ 一般には﹁如来の本願﹂およびそれに類した表現が多い。 し か し 、 それは主として偽文において用 い ら れ て お り 、 では、この﹁如来の本願﹂という表現において何が言われようとしているのであろうか。ここで言われている﹁願﹂ 親 驚 聖 人 の 如 来 観 九

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親 驚 聖 人 の 如 来 観 と は 、 いうまでもなく法蔵菩薩の願である。それは、国土人天の善悪を観見するという智慧にもとずいて発されてき

た衆生救済の願いであり誓いである。それは、迷いと悟りとの聞で、両者が接するところで発されたものであって、 願 ﹂ と い た だ か れ る 場 合 、 悟りに達していると共に衆生の迷いの奥底を摂めとっている。それが法蔵菩薩の願である。この法蔵菩薩の願が﹁仏 それは、法蔵菩薩の願が単なる一菩薩の発したまうた願というのではなく、深く衆生の迷 いの奥底を徹照する仏智より発されているものであることを言おうとしているのであろう。 し か し 、 ﹁ 仏 願 ﹂ と い わ れる場合、なお、彼岸的色彩を残している。それが﹁如来の本願﹂といただかれる場合、それは、法蔵菩薩の発願が、 動態であることを言おうとしているものである、 真如一実が真如一実にとどまることなく、衆生の現実の内に働き来り、その閣を根元的に破すという、真如一実の活 とうかがわれうる。仏願は﹁如来の本願﹂としてより内化され、現 実のわが身のこととして受けとめられているのである。 以上、聖人における﹁如来﹂という表現に注意しながら、それが衆生との係わりにおいていわれていることをみて 場 合 、 ﹁ 無 碍 光 如 来 ﹂ と 呼 ば れ て い る が 、 きた。聖人の如来観についてなお触れなければならない多くのことがら、例えば、聖人において﹁如来﹂は、多くの その﹁無碍光﹂とはどのように領解されていたか、等々が残されている。 それらについては別の機会に味っていきたい。 ① 註 ﹁ 行 文 類 L 一 七 頁 。 こ の 頁 数 は ﹃ 親 驚 聖 人 全 集 ﹂ ︵ 同 刊 行 会 ︶ の も の で あ る 。 以 下 同 様 。 な お 、 こ の 全 集 を 親 全 と 略 記 す る 。 問 、 四 八 真 。 向 、 七 一 頁 。 @ ② ④ ﹁ 信 文 類 ﹂ 、 参 照 。 ﹁ 真 仏 土 文 類 ﹂ 、 二 二 七 頁 。 ﹁ 信 文 類 L 、 九 九 頁 参 照 。 ﹁ 行 文 類 ﹂ 、 六 七 頁 参 照 。 ﹁ 行 文 類 L 、 七 三 頁 、 七 九 頁 、 一 一 七 頁 。 = 二 頁 、 な お 、 岡 、 一 二 七 頁 ⑧ ⑦ ⑥ ⑤ ﹁ 信 文 類 ﹂ 、 二 二 四 頁 参 照 。

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⑬ ⑫ ⑪ ⑫ ⑨ ⑫ ⑮ ⑬ ⑭ ﹃ 観 経 散 善 義 L、親全・加点篇 3 、 ﹁ 化 身 土 交 類 ﹂ 、 二 六 九 頁 。 同 書 、 四 六 六 頁 以 下 。 ﹁ 教 文 類 ﹂ 、 九 頁 。 生 桑 完 明 著 ﹃ 親 鰐 聖 人 撰 述 の 研 究 ﹄ 五 年 、 七 二 頁 以 下 ︶ 参 照 。 ﹁ 信 文 類 ﹂ 、 一 一 六 頁 以 下 。 註 ⑨ を 参 照 。 ﹁ 信 文 類 L 、 一

O

二京、二九頁。 ﹁ 信 楽 釈 ﹂ で は 二 つ の 文 は ﹁ 何 を 以 て の 故 に L で 結 ば れ ており、善導大師の場合と同様な文脈となっている。 ︵問、二二頁参照︶ところが、﹁欲生釈﹂では二つの 文は﹁是の故に﹂で結ぼれており、﹁至心釈﹂と同じ文 脈 と な っ て い る 。 ︵ 同 、 一 一 一 七 頁 参 照 ﹀ こ れ は 、 本 文 で 後にみるように、聖人の領解が善導大師を介して聞かれ て き た こ と を 示 し て い る の で あ ろ う 。 同じ文脈で語られている﹁欲生釈﹂ではユ切苦悩の群 生 海 を 持 哀 し て し が 挿 入 さ れ て い る 。 同 、 二 一 七 頁 参 照 。 ﹁ 証 文 類 ﹂ 、 一 九 五 頁 。 例 え ば ﹁ 選 択 本 願 念 仏 集 ﹄ ︵ ﹃ 昭 和 新 修 ・ 法 然 上 人 全 集 L 平 楽 寺 書 店 、 昭 和 四 十 九 年 第 二 刷 、 コ 三 八 頁 ︶ 参 照 。 良 忠 、 ﹃ 選 択 伝 弘 決 疑 紗 ﹄ 巻 第 三 ︵ ﹃ 大 正 新 修 大 蔵 経 ﹄ 第 八 三 巻 、 七 一 頁 中 段 ︶ 参 照 。 一 七 一 真 。 ︵ 法 蔵 館 、 昭 和 四 イ ⑬ @ ⑬ @ 親鷲聖人の如来観 ② 親全・加点篇 3 、 一 七

O

頁 。 他 に 、 ﹁ 信 文 類 ﹂ ︵ 一

O

二 頁 ︶ 、 ﹃ 唯 信 一 証 文 音 ど ︵ 親 全 ・ 和 文 篇 、 一 七 八 頁 以 下 ︶ 、 ﹃ 愚 禿 紗 L 下 ︵ 同 ・ 漢 文 篇 、 二 一 頁 ︶ 、 ﹃ 西 方 指 南 抄 ﹄ 中 本 ︵ 同 ・ 輯 録 篇 、 一 二 六 一 良 ﹀ 等 参 照 。 ﹃ 選 択 本 願 念 仏 集 ﹄ 前 掲 全 集 、 三 一 一 一 一 一 一 頁 。 こ の こ と を 鋭 く 指 摘 し た の は 、 曾 我 量 深 ﹁ 七 祖 教 系 論 ﹂ ︵ 守 曾 我 量 深 選 集 ﹂ 第 一 巻 所 収 、 弥 生 害 一 房 、 昭 和 四 十 五 年 、 一 二 七 頁 以 下 ︶ で あ ろ う 。 より詳しくは、拙稿﹁宗教的真理としての他力﹂︵奈良 県立短期大学﹁研究季報﹄第二二巻第一号、昭和四十九 年 、 四 五 頁 ﹀ 参 照 。 ﹃ 一 念 多 念 文 意 ﹂ ︵ 親 全 ・ 和 文 篇 、 一 四 五 頁 以 下 ︶ 、 ﹃ 唯 信 紗 文 音 山 ﹄ ︵ 問 、 一 七

O

頁 以 下 ︶ 参 照 。 ﹃ 観 経 散 善 主 吾 、 親 全 ・ 加 点 篇 3 、 一 七 二 頁 。 同 、 一 七 三 頁 。 問 、 一 七 九 頁 。 問 、 二 一 ム ハ 頁 。 ﹃ 選 択 本 願 念 仏 集 ﹄ 、 前 掲 全 集 、 三 四 七 頁 。 同 、 三 二

O

頁 。 そ の い く つ か を 挙 げ る な ら ば っ 如 来 の 本 願 ﹂ ︵ 九 頁 、 一 一 五 頁 ︶ 、 ﹁ 如 来 の 弘 願 ﹂ ︵ 二 七 六 頁 ︶ 、 ﹁ 如 来 の 誓 願 ﹂ ︵ 一 三 二 頁 、 二 八 八 頁 ︶ 、 ﹁ 如 来 の 願 海 ﹂ ︵ 二 六 五 頁 ﹀ 、 ﹁ 如 来 選 択 の 願 心 ﹂ ︵ 九 五 頁 ︶ 等 で あ る 。 ⑧ ③ ③ ⑧ @ ② ⑧ ⑨ ⑧ ③ ②

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親 鷺 の 鬼 神 不 礼 に つ い て

親鷺の鬼神不礼について

||人聞における虚妄性の否定||

3

5

願 龍

j

啓明

i

﹃ 教 行 信 証 ﹄ 化 身 土 巻 に は 、 明 確 な 視 点 と し て 、 ﹁外教邪偽の異執﹂に対する否定がある。このことは、親驚自ら が化身土巻︵末巻︶の冒頭に述べる次の言葉に照して、明らかである。 夫 拠 一 一 諸 修 多 羅 一 勘 一 一 決 真 偽 ﹁ 教 一 一 誠 外 教 邪 偽 異 執 一 者 、 ﹃ 浬 繋 経 ﹄ 一 一 一 口 。 ﹁ 帰 一 一 依 於 v 者 、 終 不 一 − 一 更 帰 一 一 依 其 余 諸 天 神 こ ︵ ヱ 兵 聖 全 ﹂ 2 の ロ 印 頁 ︶ らずしも明確であるとはいえないが、 ここに示される﹁外教邪偽の異執﹂が、具体的にいかなるものを意味しているのか、ということについては、 それを教誠する基準が﹁諸の修多羅﹂であり、 カ ミ な ﹁仏への帰依﹂であることは明 白 で あ る 。 さて、ここでは特に問題を限定して、親驚における鬼神不礼の意義について、 い さ さ か の 考 察 を 試 み た い 。

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親 驚 の 著 述 に は 、 いくつか﹁鬼神 L の 語 を み る こ と が で き る 。 し か し 、 そ れ ら に よ る か ぎ り 、 ﹁鬼神﹂の概念を規 定することは困難であるように考えられる。以下、鬼神の語がみえる箇所と、その周辺についてみていきたい。 ﹃ 般 舟 三 味 奴 じ で 一 一 一 円 ﹁ 優 婆 夷 、 問 時 一 一 定 三 恥 一 仇 ハ 学 志 、 乃 至 自 帰 一 一

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﹁ 帰 一 一 私 法 一 帰 − 一 A 比 丘 位 吋 不 レ 得 レ 弘 一 フ ル コ ト ダ 道 ﹁ 不 レ 得 レ 拝 レ 於 レ 天 、 不 レ 得 レ 洞 ニ 鬼 神 ﹁ 不 レ 得 レ 視 ニ 吉 良 日 こ 又 言 ﹁ 優 婆 夷 、 欲 レ 学 一 二 二 昧 一 乃 至 不 レ 得 一 二 拝 レ 天 嗣 一 一 花 神 こ ︵ 守 真 聖 全 ﹄ 2 の

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去 、 以 下 い ず れ も 傍 点 筆 者 ︶ 四 方 四 維 皆 悉 擁 一 一 護 一 切 洲 渚 及 諸 城 邑 ﹁ 亦 置 ニ 鬼 神 一 而 守 一 一 護 之 一 ︵ 同 、

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芯 頁 ︶ 爾 時 世 尊 、 払 ル ジ 俳 誌 思 鬼 枠 批 点 一 一 説 レ 法 。 時 休 日 彼 諸 思 鬼 仲 衆 点 い づ 偽 思 鬼 椛 、 ム 問 料 一 一 仏 法 一 白 川 ペ シ 拘 ド そ 決 定 信 ﹁ 彼 於 − ゑ 即 時 一 近 一 一 悪 知 識 ﹁ 心 見 コ 他 過 吋 以 一 一 是 因 縁 ﹁ 生 一 一 悪 鬼 神 一 鳳 仏 於 一 一 此 閣 浮 提 一 切 国

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﹁ 彼 諸 鬼 神 分 布 安 置 け 為 一 一 護 持 一 恥 、 為 レ 護 二 切 諸 衆 生 一 故 、 我 等 於ィ コ テ 此 ( 説 同 欲フ 2 三』トの ドート q, 喜セ貰 我 今 為 一 一 此 所 集 大 衆 ﹁ 顕 二 示 甚 深 仏 法 吋 復 為 レ 護 一 一 世 間 一 故 、 以 ニ 此 閤 浮 提 所 集 鬼 神 ﹁ 分 布 安 置 、 護 百 持 rミ 養 2 育スの

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頁 多ヵ『 .=:!首 此 ザ 拐 魔 厳 民 桂 昌 一 、 』 多ヵ言タ 此ノ「 鬼・彼 神・等ノ 、 諸 魔 ︵ 問 、 2 の H ∞ 印 頁 ﹀ 彼 諸 鬼 神 、 彼 等 群 邪 、 亦 私 一 一 徒 衆 ﹁ 各 各 自 謂 、 島 一 一 無 上 道 一 我 滅 昆 後 末 法 之 恥 、 多 ニ 比 妖 邪 二 四 一 一 盛 世 間 凡 ﹁ 為 一 善 知 乱 一 A U U 諸衆

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ジ テ 新 つ 愛 日 ル 北 ﹁ 九 − 一 菩 提 同 町 一 ︵ 向 、 2 の 5 0 頁 ︶ ﹃ 濯 頂 経 ﹄ 一 士 一 口 ﹁ 三 十 六 部 神 玉 、 万 億 恒 沙 鬼 神 為 一 春 属 ﹁ 陰 レ 相 番 代 、 護 下 受 ニ 三 帰 一 者 上 ︵ 岡 、 2 の H S 頁 ︶ 親 鷲 の 鬼 神 不 礼 に つ い て

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親 驚 の 鬼 神 不 礼 に つ い て 四 ﹃ 地 蔵 十 輪 払 ﹄ 呈 一 中 ﹁ 日 一

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タ 帰 仇 可 遠 一 一 札 主 ノ ハ 一 切 妄 執 古 川 町 ﹁ 札 札 U 帰 一 一 依 邪 神 外 道 こ 又 号 一 向 ﹁ 戎 執 一 一 種 往 若 少 若 多 、 吉 凶 之 私 ﹁ 第 一 一 鬼 神 ザ 乃 至 市

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ニ 極 重 大 罪 悪 品 ﹁ か 一 無 間 長 吋 除 一 一 一 札 払 い 是 大 罪 悪 業 ﹁ 一 台 号 令 一 一 一 出 札 テ 及 £ 一 一 具 乱 ﹁ 若 A そ 出 来 テ 或 免 ニ 具 乱 ﹁ 即 便 侍 い 卜 見 ﹃ 集 一 切 福 徳 三 味 経 ﹄ 中 言 ﹁ 不 レ 向 コ 余 乗 ﹁ 不 レ 礼 一 一 余 天 こ ﹃ 本 願 薬 師 住 ﹄ 弓 一 一 ﹁ 若 私 ニ 浄 住 善 男 子 ・ 善 女 人 等 ﹁ 乃 至 尽 払 ぞ 一 札 い 車 て 余 丸 一 ﹂ ズ テ ユ セ 。 ス テ 品 セ ﹃ 菩 薩 戒 経 ﹄ 言 ﹁ 出 家 人 法 、 不 下 向 三 国 王 一 礼 拝 日 不 下 向 ニ 父 母 一 礼 拝 凸 六 親 不 レ 務 、 鬼 神 不 レ 礼 ﹂ ﹃ 起 信 論 ﹄ 民 ﹁ 或 有 一 一 衆 生 ﹁ 札 言 ロ 根 力 ﹁ 剛 山 札 ニ 諸 魔 ・ 外 道 ・ 鬼 神 一 一 九 一 乱 ヮ ホ 一 ﹂ 大 智 律 航 品 ﹁ 体 調 和 鬼 神

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依 テ 一 郎 ム ト 四 趣 、 天 ・ 修 ・ 鬼 ・ 紘 一 ﹂ ツ カ ヘ ム カ ト ・ ・ 一 一 ノ ク ズ ツ カ フ ル ヨ ト イ ズ ﹃論語﹄云﹁季路問、事一一鬼神吋子日。不レ能レ事、ー人君:能事ニ鬼神一﹂ 如 レ 是 之 人 、 シ ダ 若 未 四 俄 一 一 悔 ︵ 同 、 2 の

S

H

頁 ︶ ︵ 同 、 2 の お H 頁 ︶ ︵ 同 、 2 の S N 頁 ︶ ︵ 向 、 2 の N S 頁 ︶ ︵ 問 、 2 の N O H 頁 ︶ 以 上 は ﹃教行信証﹄化身土巻︵末巻︶に見える﹁鬼神﹂の語である。管見のかぎりでは、 守 教 行 信 証 ﹄ に お け る ﹁鬼神﹂の語は以上の幾っかと、化身土巻本巻に示される 口 一 一 昨 加 川 、 聖 追 諸 札 、 み ニ 在 世 正 民 ﹁ 恥 テ 釘 タ 士 山 ニ 像 末 法 滅 之 時 機 ﹁ 早 川 九 レ 止 め 杭 勺 ⋮ 悦 也 。 浄 土 真 宗 主 、 在 世 正 法 、 像 末 法 滅 、 濁 悪 群 商 、 知 シ ク 悲 れ と フ ヲ 町 。 志 比 和 町 一 つ 経 恭 一 札 一 ニ 師 れ ﹁ 弁 一 一 払 ん 差 副 作 品 、 ん 諸 栓 起 説 あ レ 官 山 一 一 五 位 つ 一 五 仏 説 、 四者鬼神説、五者変化説。爾者四種所説不レ足二信用﹁斯三経者則大聖自説也 二 者 聖 弟 子 説 、 三 者 天 仙 説 、 ︵ 問 、 2 の

g

S

貝 ︶ と い う 用 例 で あ る 。 つ ダ ﹂ に ﹁教行信証﹄以外の著述に﹁鬼神﹂の語を探ると ﹃ 末 灯 紗 ﹂ ︵ 第 八 通 ︶ と 、 ﹃和讃﹄にみることができ る 。

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また五説といふは、よろづの経を説かれ候に、五種にはすぎず候なり。一には仏説、こには聖弟子の説、一二には 天仙の説、四には鬼神の説、五には変化の説といへり。この五のなかに、仏説をもちひてが恥か酌管トわかか小 からず候。このつ一部経は釈迦如来の自説にてましますとしるべしとなり。 ︵ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 2 の 虫 ∞ 頁 、 傍 点 筆 者 ︶ 善−天 鬼・神 神・地 と 祇

な は

っこ

け と た ご り と く これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり 願力不思議の信心は 大菩提心なりければ 天地にみてる悪鬼神 みなことごとくおそるなり ︵ 問 、 N の 怠 ∞ 頁 、 傍 点 筆 者 ︶ 外道・党土・尼乾志に こころはかはらぬものとして 一 如 切 来 鬼・の 神・法 を 衣 あ を が っ む ね め に り き て 親 鷲 の 鬼 神 不 礼 に つ い て 二 五

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親 驚 の 鬼 神 不 礼 に つ い て 一 一 六 かなしきかなやこのごろの 天 仏 和 地 教 国 の の の 鬼 ・ 威 道 神・儀r俗 を を み 尊 も な 敬 と と す と も し

t

こ て ︵ 向 、 N の 印 N ∞ 頁 、 傍 点 筆 者 ﹀ 親 臨 時 の 著 述 を 通 じ て ﹁ 鬼 神 ﹂ の 語 を み て き た が 、 およそ以上の通りである。煩をいとわずに著述から﹁鬼神﹂の語 を採りだした理由は、親驚自身が ﹁鬼神﹂というものに対していかなる概念規定を施しているか、ということを知 る た め で あ っ た 。 しかし、以上見てきたかぎりでは﹁鬼神﹂の概念を直接的に求めることは不可能である。今さら言うまでもなく、 化身土巻末巻は ﹁外教邪偽の異執を教誠﹂するものであるから、 ﹁鬼神﹂につかえる事、そのものを否定すること に主眼があり、ことさら﹁鬼神﹂の概念を規定する必要は、 な か っ た の か も 知 れ な い 。 ︵さきに見た引文中からいえ ば、大智律師の﹁神は謂く鬼神なり、惣て四趣、天修鬼獄に収む﹂という説示が、鬼神の内容を示しているものとみ る こ と が で き る ︶ 。 一般的に﹁鬼神﹂とはいかなる概念で使用されているのであろうか。 ﹁ 望 月 仏 教 大 辞 典 ﹄ に よ れ ば 、 ﹁ 変 化 自 在 の 力を有して、或は仏教を護持し、国界を守護し、又は凶悪を怒にして人畜等を悩害する怪物を云ふ。仏典中には主と して夜叉

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同の翻名として用ひられたるが如きも、亦羅利同島引田及び八部等を称し、時には印度及び支那等の諸

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外道等によりて仰信壮一らるる諸神をも称することあり﹂︵巻 1 の 日 早 頁 ﹀ と い う 。 ま た ﹁ 善 神 ﹂ と ﹁ 悪 神 ﹂ が あ る が 、 ﹁ 特 に害を与える低級な神々﹂ ︵ ﹃ 仏 教 語 解 説 大 事 典 ﹄ 上 巻 N C 叶 頁 、 中 村 一 冗 編 集 ︶ 、 ﹁ 威 あ る を 鬼 と 云 ひ 、 能 あ る を 神 と 云 ﹂ ︵ ﹃ 織 回 仏 教 大 辞 典 ﹄

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頁 ︶ 、 ﹁ 不 思 議 の 力 を 有 す る 神 々 の 意 で 、 仏法を外護するものを善鬼神と云ひ、仏法を妨げるものを 悪 鬼 神 と 云 ふ 。 四天王及び八部衆の如き前者に属し、夜叉羅刺の如き後者に属す。又支那日本にては群小の神祇がこ れ に 当 る ﹂ ︵ ﹃ 真 宗 辞 典 ﹄ に ∞ 京 、 法 蔵 館 刊 ︶ と い っ た よ う に 、 多 種 多 様 な 規 定 が あ り 、 経 論 に お い て も そ れ ぞ れ 呉 っ た 概 念で用いられているようである。 さきに一言したように、親驚にあっても﹁鬼神﹂の概念が不明確であり、 不明確なままにその語を使用、引文して いるということは否定することができない。 し か し 、 それは﹁鬼神﹂という語がきわめて多様性を帯びたものである、 ということに帰するのかも知れない。 四 親驚の﹁鬼神不礼﹂について、 いささかの考察を試みようとしたのには、 理由がある。その問題意識については前 号 令 真 宗 研 究 ﹂ 第 幻 輯 の 拙 稿 ﹁ 教 行 信 証 に お け る 菩 薩 戒 経 の 引 意 を め ぐ っ て し ︶ に 述 べ た 。 一 一 一 一 一 口 で い え ば 、 ﹁ 親 驚 が 化 身 土 巻 に菩薩戒経の文を引くのは、化身土巻末巻が鬼神不礼を説くことにあるからである。 不礼を説くためではない﹂といった正統的、支配的発言が、その契機であった。 したがって、国王、父母等への 鬼神不礼と国王・父母不礼とが、全く同一のことがらであるとは、毛頭考えない。しかし、全く無関係なことがら で あ る の だ ろ う か 。 親驚は、鬼神の概念について、自らなにも述べていないと、 さ き に 言 っ た 。 しかし、あらためて言うまでもなく、 親 驚 の 鬼 神 不 礼 に つ い て 二 七

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親 驚 の 鬼 神 不 礼 に つ い て 八 徹底して﹁鬼神不礼﹂を説示しているのである。 なぜ、親驚は鬼神不礼を説いたのであろうか。このような問題意識 に立っとき、私はあらためて、化身土巻本末二巻が、共通して説示しようとしたものはなにか、と考えずにはいられ な し 鬼神不礼の語に拘泥して、具体的に﹁鬼神﹂を問題とするのではなく、化身土巻全体の思想性といった点に目を移 しかえた中で﹁鬼神不礼﹂の意味を考えるべきではなかろうか。 端的にいえば、化身土巻の基本的精神とはなにか、といったことが、更めて問われなければならない、ということ である。化身土巻は、なによりも、真仏土巻との対照のもとに読まれなくてはならない。 謹 按 一 一 真 仏 土 一 者 、 仏 者 則 是 不 可 思 議 光 如 来 、 土 者 亦 是 無 量 光 明 土 也 。 然 則 酬 一 一 報 大 悲 誓 願 一 故 、 日 = 真 報 仏 士 一 ︵ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 2 の H N O 頁 ︶ 真仏土巻冒頭の文章である。それでは化身土巻はいかなる語ではじまっているであろうか。 謹 顕 一 一 化 身 士 一 者 、 仏 者 如 ﹁ 無 量 寿 仏 観 経 ﹄ 説 ﹁ 真 身 観 仏 是 也 。 土 者 ﹁ 観 経 ﹄ 浄 土 是 也 、 復 如 一 一 ﹁ 菩 薩 処 胎 経 ﹄ 等 説 ﹁ 即 陣 慢 界 是 也 。 亦 如 一 一 ﹃ 大 無 量 寿 経 ﹄ 説 ﹁ 即 疑 城 胎 宮 是 也 。 然 濁 世 室 蘭 、 積 悪 含 識 、 乃 出 一 一 九 十 五 種 之 邪 道 ﹁ 雄レふ牟満・権実之法門﹁真者甚以難、実者甚以希、偽者甚以多、虚者甚以法 ︵ 向 、 2 の 区 ω 頁 ﹀ この二つの文章を対置したときに、真仏土巻︵真︶と化身土巻︵化仮︶で説示されるものの相違性をみることがで き C レ 4 λ ノ 。 化身土巻では、人間の機執に基づく﹁偽﹂とっ虚﹂の実体が示されている。 野 北 町 民 肘 降 凡 愚 、 自 ニ 従 無 際 一 己 来 、 助 正 問 札 、 骨 骨 b 掛札、出離無ニ其期吋自膨て流転輪廻﹁超一一品 ν : 微 塵 劫 ﹁

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い 帰 − 一 仏 願 力 ﹁ 巨 い 入 ニ 大 信 海 吋 良 可 ニ 傷 瑳 ﹁ 乱 可 − 一 悲 歎 吋 凡 大 小 聖 人 、 一 切 善 人 、 以 二 本 願 嘉 号 一 為 一 己 善 根 一 札 、 不 レ

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能 レ 生 レ 信 、 不 レ 了 ニ 仏 智 ﹁ 不 レ 能 回 了 一 − 一 知 建 ニ 立 彼 因 ﹁ 故 無 レ 入 ニ 報 土 一 ︵ 同 、 2 の 広 間 頁 ︶ ﹁信巻﹂と、この箇処にみえる﹁悲哉﹂の語は、そのいずれもが人間の根源のさまを示している。 ﹁悲哉垢障凡愚﹂という語ほど人間存在の根源的な姿態をさし示しているものはない。この文章のあとに、 ﹁ 信 知 、 聖 道 諸 教 、 為 一 一 在 世 正 法 ﹁ 而 全 非 一 一 像 末 法 滅 之 時 機 ﹁ 己 失 レ 時 晴 レ 機 也 ﹂ ︵ 問 、 2 の H 品 目 頁 ︶ と い う 語 、 が み ら れ る が 、 そ れ は、親驚における蟻烈な人間批判であり、歴史批判でもあったのである。 親驚が鬼神不礼を説くということと、このこととは無関係ではないであろう。親驚における鬼神不礼の射程は、近 くは人閉そのものが内在している機執、自己の虚妄性に対する原理的否定であり、遠くは、自力聖道仏教といわれる 諸宗、諸教団を内から支えている、 いわゆる﹁鬼神﹂︵伝統的神々︶の否定にあったといえないであろうか。 五濁増のしるしには、この世の道俗ことごとく、外儀は仏教のすがたにて、内心外道を帰敬せり ︵ 同 、 2 の 印 N ∞ 頁 ﹀ かなしきかなや道俗の、良時吉日えらばしめ、天神地祇をあがめつつ、ト占祭租つとめとす ︵ 同 ﹀ と し し 、 ﹁ 一 切 鬼 神 を あ が む め り ﹂ ︿ 同 ﹀ ﹁ 天 地 の 鬼 神 を 尊 敬 す ﹂ ︵ 同 ﹀ とつけ加える親驚の悩裡にあったものはなん で あ ろ う か 。 ﹁巳上十六首、これは愚禿がかなしみなげきにして述懐としたり、この世の本寺本山のいみじき僧とまふすも法師 とまふすも、うきことなり﹂ ︵ 同 2 の切出頁傍点筆者︶という奥書は、否定しなければならないものを、決定的に示した ものであるといえよう。化身土巻撰述の意義は、人聞が否定しなければならないものはなにか、という点を明確に指 摘 し て い る と こ ろ に あ る 。 親 驚 の 鬼 神 不 礼 に つ い て 二 九

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親 踊 掃 の 鬼 神 不 礼 に つ い て

夫 拠 一 一 諸 修 多 羅 一 勘 一 一 決 真 偽 ﹁ 教 − 一 誠 外 教 邪 偽 異 執 一 者 、 ﹃ 浬 繋 経 ﹄ 言 。 ﹁ 帰 一 一 依 於 v 者 、 終 不 三 更 帰 コ 依 其 余 諸 天 神 乙 ︵ 岡 、 2 の ミ 印 頁 ︶ という文章から化身土巻末巻ははじまる。 これは化身土巻全体を貫く、基本姿勢の表明であるとみても差し支えあるまい。化身土巻本巻にも、 爾 者 、 末 代 道 俗 、 善 可 下 知 一 面 依 一 修 歩 法 也 。 とあることがこのことを示している。 然拠一一正真教意一披一一古徳伝説﹁顕一一開聖道・浄土真仮づ教一一札邪偽呉執外教﹁︵同、

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ミ 頁 ︶ ︵さきの文には﹁外教邪偽の異執﹂とあり、この文には﹁邪偽異執の外教﹂ とある。果して両者に質的相違があるのかどうかはわからない︶。 いままで、若干みてきたように、化身士巻の基本的精神は、人間の虚妄性と、そこからうみだされる、 さまざまな 俗性の否定であったということができよう。具体的には ﹁ 余 の 天 神 ﹂ ﹁ 余 道 ﹂ ﹁ 天 を 拝 す る ﹂ ユ切の妄執吉凶﹂ ﹁ 邪 神 外 道 ﹂ ﹁ 余 乗 ﹂ ﹁士口良日﹂ ﹁ 鬼 神 し ﹁国王父母六親﹂等々の否定であった。化身土巻では﹁外教邪偽の異執﹂ が問題となっているが、外教邪偽といわれているものの範囲は、きわめて多岐に亘るようである。 とくに私は﹁異執﹂という語に在目したい。外教邪偽の語だけでなく、異掛という言葉が、無限のひろがりを示し ているように考えられるからである。 ﹁外教邪偽しなるものを、内的外的に要請する人間の精神構造そのものを指し て﹁異執﹂という語で表現しているのではないか。 言葉をかえていえば、人間存在の根源に執劫にまつわる﹁迷妄心﹂がうみだし、 つくりだすところの、種々なる神

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