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ドキュメント内 真宗研究22号全 (ページ 50-78)

多 行 陀 阿 及 ピ

7

皆如

一品

川難

﹁多

聞第

一︑

不可

思議

﹃ と

論註

﹄に

は︑

て二種を出すが故に︑故︵このゆえ︶に︿応知﹀と一士一口えり﹂とある︒また器世間清浄と衆生世間清浄とについても︑ ﹁上の転入の句の中に一法に通じて清浄に入る︑清浄に通じて法身に入る︒今︑将に清浄を別ち

﹁是の如く一法句に二種の清浄の義を摂す︑知る可し﹂とし︑﹁夫れ衆生は別報の体と為す︑国土は共報の用と為す︒

体・用一ならず︑所以に知る応し︒然るに諸法は︑心を以て成じ︑余の境界なし︒衆生及び器︑復た異なることを得 ず ︑

一ならば︑則ち義を以て分つ︒異ならず︑同じく清浄なり︒器は用なり︒調く︑彼の浄土は︑

是れ

彼の

清浄

の衆

生の

受用

する

所な

るが

故に

︑名

づけ

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器﹀

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す︒

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一か

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T

骨わ

かト

ル ての故に︑食亦不浄なト︒不浄食に浄器を用ゆれゆ︑食不浄なるが故b︑器亦不浄なるが如い︒要らず二︑倶に潔く

一な

るこ

とを

得ず

して︑乃し﹁浄﹂と称することを得︒是を以て一の︿清浄﹀の名︑必らず二種を摂す﹂と︒

この食と器の浄・不浄の警除も︑維摩経に︑﹁誓如諸天︑共宝器食︑随其福徳︑飯色有異︒如是︑舎利弗︑若人心

浄︑便見此土︑功徳荘厳﹂

︵仏

国品

﹀と

か︑

﹁無

積以

食︑

置於

宝器

︵弟

子品

︶と

か等

と出

るも

のを

連想

させ

る︒

さら

に問

答が

あり

︿衆生清浄というは︑仏と菩薩とである︒彼の人天は此の清浄の数に入ることを得るや不︵い

︿清浄と名事つくることを得るも︑実の清浄に非ず︒警えば出家の聖人は︑煩悩の賊を殺すを以ての

な︶

や﹀

と聞

い︑

故に名づけて比丘︵喜子忘ると為す︒

凡夫

の出

家の

者も

︑亦

比丘

と名

守つ

くる

が如

し︒

︵中略︶彼の諸ろの人天も亦 復是の如し︒皆大乗正定之楽に入りて︑畢寛じて当に清浄法身を得ベし︒当に得ベきを以ての故に︑

︿清

浄﹀

と名

づ くることを得るなり﹂という︒この︿煩悩の賊﹀の語も︑維摩経に︑

﹁擢滅煩悩賊︑勇健無能蹴︑降伏四種魔︑勝幡

︵仏道口問︶と出ているものを思わしめる︒またそのあと︑菩薩の﹁善巧摂化﹂について︑

く広略の止観︑相順し︑修行して︑不二の心を成せるなり︒睦言えば水を以て影を取るに︑清と静と相資けて成就する 建

道場

﹁柔

頼心

とは

︑調

が如し﹂とあるうちの﹁不一ごは︑維摩経が説く入不二︵国

L 5

3

S 2

2

の趣

意︵

入不

二法

門口

問︶

を想

わせ

る︒

四 いずれにしても曇驚は︑直接には可浄土論﹄の研究と理解を目的とし︑その歩を進めながらも︑自身には中国に訳

出後一世紀余にして︑漸く諸方盛行を見た羅什訳叶維摩﹄︵維摩詰所説経︒三巻﹀を自家薬寵中のものとして︑縦横にそ の所説を﹁論註﹄の上にも反映させたものであることがわかる︒そしてその由来するところは︑

﹁浄

土論

﹄の

原作

者︑

世親︵天親菩薩﹀そのひとが︑深く維摩経を読みとった心で︑

﹁願

生傷

﹂を

成し

またそれに対する﹁解義﹂の論述

をしていたことにあるのである︒

いまそれが散逸して伝わらないのはまことに惜しいが︑真諦訳﹃婆薮梁豆法師伝﹄

によると︑世親に﹁維摩経註﹂があったということである︒

それにしても︑世親の﹃無量寿経優婆提舎願生偏﹄は︑題名において﹁無量寿経﹂を標出しながらも︑それは﹁優

壮観

の浄

土観

試論

四五

世親

の浄

土観

試論

四六

婆提

舎﹂

ロ宮

r g

︵論議︶であり︑実質は﹁願生傷﹂とこれに付した﹁解義説﹂であった︒曇驚も﹃論註﹄において︑

﹁王

舎城

所説

の﹃

無量

寿経

﹄﹂

つま

﹃観

無量

寿経

﹄に

つい

て一

二輩

生を

案じ

たり

また﹁法華経﹄の普門一示現に言及

したりしているのであるが︑仏教というものはいな仏法の真理は︑元来︑四依の説にもあるごとく︑

﹁依

於義

︑不

依語︒依於智︑不依識︒依了義経︑不依不了義経︒依於法︑不依人︒﹂︵維摩経︑法供養口問︶の立場で︑義に依り︑智に

依り︑了義に依り︑法に依ってこそその真発揮がなされ得たのではないか︒

親鷺がどれだけの興味と関心をもって維摩経に向かったか︑その資料は全くないが︑在山二十年の期間中には天台

の学

問と

して

一連の智顕︵五三八五九七︶の維摩疏︵広・略︶にも眼を通したことであろう︒そうでなくても曇驚

教学の一大基盤であり得た維摩経の思想的影響は︑直接にせよ間接にせよ︑うけとめていたはずである︒親驚作﹁入

出二億碩﹄は﹃往還偽﹄ともいい︑その初めに︑世親と曇驚によって︑入出の二門︑全く阿弥陀仏の廻向なることを

示し

︑そ

の中

に︑

波泥華者経説言高原陸地

不 生 蓮 卑 湿 淡 泥 生 蓮 華 此 聡 凡 夫 在 煩 悩 泥 中 生 仏 正 覚 華 斯 示 如 来 本 弘 誓 不 可 思 議 力 即 是 入 出 二 門 名 他 力 と歌ひおわっているが︑これ全く﹃教行信証﹄﹁証巻﹂所引の﹃論註Lの文によったものと見られる︒

﹁高

原陸

地・

卑湿

淡泥

﹂の

警除

は︑

維摩

経︑

仏道品第八に﹁諸悪即仏種︵如来種︶﹂の理を説明する語として出て

おり︑それは維摩居士の聞いに対する文殊師利菩薩の答言の中である︒文殊は︑

﹁有

身︑

無明

有愛

︑三

毒︑

回顧

倒︑

五蓋

︑六

入︑

七識

住︑

八邪法︑九悩処︑十不善道︒以要言之︑六十二見︑一切煩悩がこれみな仏種である﹂と示し︑

その

理由

を説

明し

て︑

﹁若し無為を見て正位に入るようであれば︑とても阿蒋多羅三窺三菩提心をおこしえない︒た

とえば高原陸地には蓮華を生ぜず︒卑湿の齢泥にこそ︑この花を生ずるようなものだ︒そのような︑無為の法を見て

正位

に入

る者

には

︑ る ﹂

ついにまた仏法を生ずることができない︒煩悩の泥中にこそ︑衆生があって︑仏法を起すのであ

︵取

意﹀

との

べた

ので

ある

︒ 維摩経はある時期以後︑中国および日本では禅経として扱われてきた︒またこの経にはそうした扱いにたえるだけ

序品

︶一

章を

眺め

ても

の教理面をふかく蔵していることも事実である︒けれども︑

﹂の

経の

巻頭

に出

た仏

国品

︵支

謙︑

町議

什両

訳︒

玄英

訳で

は 浄土教の立場でこそ真に深く理解され得るものとしてよいことばかりである︒世親の﹃浄土 論﹄は浄土の法義として五念門を掲げていること既述のとおりであるが︑維摩経仏国品の文脈も全く五念門の次第で

構成されていると見てよい︒

両者の対比表を掲げてみよう︒

︹維

摩経

仏在

毘耶

︑寄

羅因

︒ 五 百 長 者 子 来

供 蓋

、ーー‑v‑一ーー

仏令

合蓋

︑現

三千

宝積

︑讃

仏徳

五百

己発

菩提

心︒

願聞

得仏

土浄

仏号

一円

衆生

是土

直心

是土

︑不

詰来

生︒

方便是土︑無碍衆生来生︒

世親の浄土観試論

︹浄

土論

︺ 礼 拝 門

..

讃嘆門

...

作願門

、、--..一一一ーー』~

観察門

世親

の浄

土観

試論

四八

足指

按地

︒皆

坐宝

蓮︒

M

回向門

五百

得忍

︒八

万発

心︒

狭義の浄土教は︑浄土真宗にいたるまで︑もとより阿弥陀仏信仰が中心である︒しかし弥陀信仰を歴史的︑社会的

に形成してきたものは︑単に﹁無量寿経﹄一経ではなかったはずである︒世親の﹃浄土論﹄はある意味では﹃大無量

寿経﹄を大きく読み破ったものである︒そしてそういうところに真に大きな宗教的世界が実現するのであろう︒親驚

の宗

教は

︑﹁

顕浄

土真

実教

行信

証文

類粟

﹂を

内容

とし

またその立場として構成し実現されたものである︒そして親驚

はと

くに

﹃浄

土論

Lの﹁出第五門﹂つまり回向門に着意した︒

﹁回

向﹂

︵宮

門戸

ロ問

自ら

は元

来︑

変化

︵口

宮口

ぬる

交替

︵ 出 −

5門

担昨

日︒

ロ︶

変形

︵件

片田

口出

向︒

円自

由民

︒と

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くは

発達

22

品﹁

︶七

日巾

己︶

開発

2

0

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昨日

︒ロ

︶等

を意

味す

るこ

とば

であ

る︒

もし回向ということが︑﹁ふりむける﹂ということを主とすれば︑﹁ふりむけられる﹂方が客であろう︒しかし︑

ふ〉

りむけられる﹂まま﹁ふりむくL

つま

﹁ふりむける﹂側の真意がうけとめられたならば︑主客はすでに一味であ

ろう︒われわれは世親の︑﹁世尊︑我一心︑帰命尽十方︑無碍光如来︑願生安楽園﹂の句において︑

ミ ぎ

− り

Eノ \

可 k e

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d

陀仏を仰ごうとする︑天親菩薩の願生心にふかく感動させられると同時に︑﹁我︑依修多羅︑真実功徳相︑説願倍総

持﹂

し︑

﹁与仏教相応﹂しようとした菩薩の姿に︑真の仏教学のあり方を学ばしめられるのである︒

﹁浄土論﹄は﹁往生浄土の論﹂なることから︑

﹃往

生論

﹄と

もよ

ばれ

したがって曇驚の﹁浄土論註﹄もしばしば

﹃往生論註﹂と称せられる︒浄土の義は︑国土︵器世間︶および仏・菩薩︵衆生世間︶のことわりとして﹃浄土論﹄

﹁解

義﹂

説に

おい

て明

確に

され

たが

﹁往生﹂そのことについては

﹁来

L

と一

体関

係に

ある

ので

そこ

に往

相・

還相

の別

論を

生じ

なが

らも

︑ 回向論の究極するところ︑他力廻向の一道が至心信楽の願生による念仏成仏の真宗の世 界にまで聞けたかと考える︒浄土に生ずるそのことについては︑維摩経にも八法を説いている︒それは呑積仏の衆香 固からこの裟婆世界に来現したかの土の菩薩がたが︑

Jズルヤ

菩薩

成一

一就

幾法

﹁於

一一

此世

界﹁

行無

ニ磨

庇﹁

生二

子浄

土吋

維摩

詰に

問う

て︑

とた

ずね

居士

はこ

れに

答え

て︑

菩薩

成一

一就

八法

﹁於

一一

此世

界﹁

行無

ニ磨

庇﹁

生一

一エ

J

土吋

何等

為レ

八︒

ω

闘一

一益

衆生

﹁而

不レ

望レ

︒報

生づ

受ニ

諸苦

﹁悩

所作

功徳

︑尽

以施

レ之

︒助

等一

一心

衆生

﹁謙

下無

レ碍

ω

於一

一諸

菩薩

づ視

レ之

如レ

仏︒

聞レ

之不

レ疑

︒帥

不下

与一

一声

聞﹁

市相

違背

ω

明不

レ嫉

一一

彼供

養﹁

不レ

高一

己利

﹁而

於一

一其

中﹁

調一

伏一

其心

不レ

訟一

一彼

短吋

恒以

二心

﹁求

ニ諸

功徳

吋是

為レ

八︒

(8)  (5) 

常 ェ 百 匹 (2) 

省、ミいノ代リ

己J

デ ダ 一

過ヲ開ヵ切ノ 一 、 経 衆

︵呑

積仏

日間

︶ というのである︒そこでいう﹁浄土﹂の意味は︑もとより浄土教におけるそれとは大いに異なるようであるが︑異の 面に着眼するばかりでなしに︑大乗経典がつねに具備し働きを完うしてきた普遍的真理を見おとさないようにしなけ

ればならない︒仏教ではそういう真理をこそ功徳︵

m S

?と

とい

うの

あで

る︒

世親の浄土観はその全仏教思想体系と一連のものとして見られなくてはならない︒

けれどもいまはその﹁浄土

論﹄と直接これによった曇鷺の﹃浄土論註﹄とを思想的背景とした親驚の司教行信証﹄第四巻﹁顕浄土真実証文類﹂

中所出の維摩経関係説に着目して︑インドにおける仏教の具体的信仰形態の実際を臆測し︑その間において維摩経の 占めさせられた思想史的地位を考察してみた︒

いまでは維摩経もそのチベット訳で学ぶ時代となったが︑例えば証悟

論に

つい

て弥

勤菩

薩段

に︑

ヴィマラキIルティ︵維摩詰︶のことばとして︑

﹁マ

イト

lヤ

よ︑

︵一

生補

処の

一生

と は︶如性︵真如︶としての生なのか︑それとも如性としての滅なのか︑どのように

︹仏はあなたに︺予言されたので

世親

の浄

土観

試論

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