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U 引

ドキュメント内 真宗研究22号全 (ページ 84-110)

恵信

尼文

書﹁

大事

L

大風

?﹂

につ

いて

七八

ん 神 ひ ふ ・ ふ・し

つ よ こ う

く 58 

72 ふρ

え ち ふ・ち く ふ ・ お ん し き

 

ふ〉

~

四 十 例

日まくふわくもんふんしゃ

臼 ふ く ほ う 臼 ふ き め し ゃ う 町 ふ く し ほ う 叩 あ な

事字用例なしH以上の用例を略表にすると次のようになります︒

一 件 旦 三

R J

E 門川町

2 1 7 1 j H

凶 一

三 同

一 ふ 一

0一9

一日

一 3一0一2一3一0一1一0一2一

477

一2一1一2一3

一位

一目

司 ﹄

1 山

川 引

L −

て大事﹂︑同四の日行上部の﹁かぜ大事﹂︑図版第十二の本文3

行中

ほど

の﹁

八十

と申

侯し

とし

大事

の﹂

四初行に︑すこし消耗しているが﹁たふし大事﹂とでており︑以上回か所以外には︑﹁だい事﹂または﹁大事﹂の用例 同図版第十

しかも︑﹁大事﹂と書かれた時の筆法は︑ほかの﹁事﹂の字形とはいちじるしく相違しており︑

書かれる時は︑事の字は漢字の略字形﹁予﹂を用いられており︑四か所とも同じ筆勢字形を示していますが︑ は

なく

﹁大

事﹂

m

− ︑

J

Lr

h v

事﹂という用例はひとつも見当らない︒この点から見ても︑﹁ふるにもてるにもいかなるだい事﹂という読み方は否

定ぜられる︑第一の理由となると思われます︒

また︑図版第十六の9行目下部に﹁きんたちの御事﹂の﹁事﹂の字が少し異形に見えるが︑これは紙幅の関係で小

さく書かれただけで﹁事﹂の字であることは︑他の﹁事﹂の字と比較したら﹁事﹂であることは明らかです︒

その

他の

﹁事

﹂の

字形

は︑

﹁力

﹂の

如く

まづ

上辺

左か

ら右

へ短

かく

または少し長く横線を引いて︑右肩から︑

下に引いて︑左上の方向にはね︑次の上横線の左下か︑時には上から︑左斜めに力強い線が引かれるというのが︑宙山

信尼文書﹁事しの字の基本的な筆跡となっており︑﹁予﹂の字形をしたさきの﹁大事しの字も︑縦の下に降す最後の

線は︑中央から右にはみ出した線は一つもなく︑これが﹁ふ﹂とっ事﹂を見わける一つの基準となる︑といってよか

ろう

と思

いま

す︒

これ

に対

し︑

右に行って与にしておくか︑この最後の点は︑必ず中心の線の右がわにはみ出して︑点または曲って下方に下る︒っ

まり四つの力点が基本となる関係上︑必ず左の力点から右に向け︑右の力点のあと︑次の字へうつるため︑右の与は

﹁ ふ

L

の字

は︑

LAから下にすこしゆがめて下におり︑結点で左にはね︑次に左のドをかいてそこから

曲線となって右から中心線へ曲ってくる形になっており︑﹁事﹂の字は︑中心から右へはみ出して由らないのに対し

﹁ふ﹂の字は必ず中心の線をふみこえて右に膏曲して下る︑これが恵信尼文書の﹁ふ﹂と﹁事﹂の判別基準となると

怠信

尼文

書﹁

大事

?﹂

﹁大

風?

﹂に

つい

九七

吉山

信尼

文書

﹁大

事?

﹂﹁

大風

?﹂

につ

いて

思わ

れま

す︒

とく

に︑

﹁ふ﹂とっ事﹂を比較する基準にせよ︑と恵信

尼公が私共に教えて下さった︑と見られるように︑

﹁ 事 ﹂

と﹁ふ﹂の文字が並べて書かれである文字が︑図版第三︑

寛一

喜の

内省

のこ

とを

記さ

れた

もの

が︑

上段十七行十八行に

次 の

「 如く

事 し 大 か た き れ ま よ て く う あ を り め よ ま を む す ふ 。 事 。 さ ひ げ ま ば も き な

ょう

のも

んじ

の一

時も

::

:﹂

︵写

真参

照︶

ここに並べ記された﹁事しと﹁ふ﹂の字は恵信尼文書全体の﹁事﹂と﹁ふ﹂の基本的検証例となるように私には見 られるのであります︒なぜかと申せば︑ここに書かれた﹁ふ﹂の字は文書全体の﹁ふ﹂の字と基本的に一致しており︑

﹁事しの字についても同じことが言えると思われるからであります︒

きらかに﹁事﹂の字形の文字ではなく︑

この基本的字体の検証例をもって︑問題の﹁ふるにもてるにもいかなるだい事にも﹂と︑判読せられた文字は︑あ

﹁ふ﹂の字であることがわかるようであります︒

なぜかといえば﹁事﹂の字は︑中心線から右にはみ出して曲って下る線はひとつもないのが︑恵信尼公の﹁事﹂の 字の筆法であるのに︑ここの﹁ふるにもてるにもいかなるたい事Lは明らかに中心の線を左から右に横切ってはみだ

し︑右から中央下の方に曲線をえがいて︑

さが

って

いる

から

︑ す ︒

﹁ ふ

L

の字

の草

体で

ある

といわねばならないからで

したがって︑さきの字画の考証から見てもまた︑図版第三の並記の字固から見ても︑この文字は︑

﹁ふるにもてるにもいかなるたいふにも﹂

と読んだ︑真宗聖教全書の方が正確である︑

とすべきでは︑ないでありましょうか?

恵信尼公の書かれた﹁事﹂の字は︑必ずまづ左上から右へ︑時に短かく︑時にすこし長く横線があり︑右肩から下

fすく

に︑時に真直に︑ときに中央から左に向いて下り︑左上の方向にはね︑そして中央上から下に線を引く筆法であるが︑

中央から右へ出て曲る線は全くなく︑そうした筆法は﹁ふ﹂の字の場合に限っているようであり︑この﹁たいふ﹂の

﹁ふ﹂に似た筆跡は︑図版第二の

7行の﹁てもふるへてLのふ︑図版第三上段目行の﹁ふして二日﹂のふ︑同第四ロ 行の﹁あの御えい一ふく﹂のふ︑同第十五のロ行﹁たふしLのふ︑同図版廿の沼行﹁ふかい五上﹂のふなどと共通の 筆跡を残しているように見えるのであります︒

恵信

尼文

書﹁

大事

?﹂

﹁大

風?

L

につ

いて

以上︑恵信尼文書ぜんたいに出る﹁ふ﹂と﹁事L

の文

を検証し︑また﹁大事しと﹁だい事﹂の用法を考証し︑図

版第三にならび記された﹁ふ﹂と﹁事しの字形を基準に比

較対

照し

︑ また﹁事﹂と﹁ふLの筆法のちがいを考証した

結果︑従来﹁ふるにもてるにもいかなる大事にも﹂と読ま

れた文字は︑真宗聖教全書五拾遺部が判読したように

﹁ふるにもてるにもいかなるたいふにも﹂

と読むことが︑正しいのではないか︑

という結論を得まし

f

︵写

真参

照︶

恵信

尼文

書﹁

大事

?﹂

﹁大

風?

﹂に

つい

しかし︑私は歴史学者でもなく︑文字の研究家でもありませんので︑検証上の方法のあやまりや︑考証上にもまち

がいをおかしていることをおそれていますので︑あやまりがありましたら︑御指摘︑御教示をたまわることをお願い

申上げて︑研究発表を終らせて頂きます︒

p. 

和 讃 の 構 成 上 の 諸 問 題

田 た

誠 照 智 ち 寺

き 龍 j

教義とか宗教思想を発表する際に︑人間の理性に訴える哲学的︑論理的論説も大切であるが︑また一面直接人の情

感に訴える音楽的︑韻文的詩歌の重要性も無視してはならない︒宗教は単なる学問理窟ではなく︑生命を一幽養する至

高の情操である︒親驚聖人御製作の和讃は後者に属するものであウて︑七五調の二首一連を基本とする洗練された讃 仏歌である︒謂うまでもなく詩歌というものは思想内容も大切であるが︑文字や語句の使い方︵表現︶も軽視できな

いの

であ

って

その文字や言葉使いによって作者の性格なり︑思想︵考え︶が端的に表現せられるからである︒特に

宗祖の和讃にありては注意ぶかくその文字の選び方︑その言葉の使い方を見きわめる必要があると考える︒今︑蓮如 上人が文明五年に吉崎で初めて開服された現行の三帖和讃の綜合研究の一環として︑その構成上の諸問題を考究する

に当

り︑

まず手始めとして各和讃に夫々番号をつけて見た︒処が教学上特に注意せねばならない語句に就いて︑頗る

興味ある事柄が判明した︒それは次の言葉が同じ場所にある事である︒

和讃

の構

成上

の諸

問題

i¥ 

和讃

の構

成上

の諸

問題

けゅう一︑法身の光輪:::﹁光輪﹂の和讃が三首ある中︑弥陀法王の法身の化用についてまず讃阿弥陀仏偽和讃と︑諸経

和讃の第一首に﹁法身の光輪﹂とあり︑他の一つは讃阿弥陀仏偏和讃の第三首に﹁解脱の光輪﹂と︑前を補足する如

く書

かれ

てあ

る︒

二︑念仏成仏:::これは元︑支那の法照禅師の五会法事讃に﹁念仏成仏是れ真宗﹂とあるに依られたものであるが︑

今は真宗教義の根本命題となっている︒この語は三帖和讃を通じて僅かに二首のみあり︑大経和讃と善導和讃に︑そ

れも各二十一首目に出ている︒

念仏

成仏

コレ

真宗

︵大

経讃

幻﹀

念仏

成仏

自然

ナリ

︵善

導讃

幻︶

三︑

本願

他力

::

:本

典の

行巻

︵四

O丁左︶に﹁他力というは如来の本願力也﹂とあって︑﹁本願他力﹂の語が二首あ

り︑高僧和讃に曇驚と道辞のいずれも二首目にある︒即ち

具 本0 

縛 願 ノ 他

衆・ヲ凡・力

ヲ ト

チ タ

ピ マ キ ヒ

2

五 本0 

渇 願ノ 他

群・力生・ヲ

ス 夕

、 ノ シ ツ ム 、

︵道

綜讃

2

尚お︑源空和讃の二首目には次の如くある︒

選、浄

択、土

本、真願、宗

ノ、ヲ ベ、ヒ 夕 、 ラ

マ、キフ、ッ

︵源空讃2

四︑信知:::この言葉は本典総序の﹁聞思﹂と同義語であって古来﹁聞思修﹂と調われ︑浬繋経の閣不具足の文

に出ている重要な言葉である︒

﹁信知﹂の語は全和讃を通じて僅か三首であるが︑

その

中夢

告和

讃︵

結讃

口出

︶の

一首

を 除けば曇驚と善導讃に夫々一首づっ︑何れも十二首目に出ている︒

逆悪摂スト信知シテ︵曇驚讃ロ|約法﹀ 煩悩具足ト信知シテ︵善導讃ロl

約機

︶ 更に注意すべきは源空讃の第十二首には﹁真ノ知識ニアフコトハ﹂と︑一往はよき師に値遇し得た慶びを歌われた和 讃となってはいるが︑その後半は﹁流転輪廻ノキハナキハ︑疑情ノサハリニシクゾナキ﹂と︑仏智疑惑より反顕して

﹁信知﹂すなわち明信仏智を勧誠されたものと云える︒また現世利益讃は十五首の中十二首まで﹁念仏﹂を表に立て

その中第十二首には﹁願力不思議ノ信心ハ︑大菩提心ナ て讃嘆せられてあるが︑終りの二首は信心の得益を歌われ︑

リケレパ﹂と︑他力信心の徳用を強調せられてある︑何れも十二首目であることに特に注目したい︒

五 昧:::正信備に逆詩斉入を受けて﹁如衆水入海一味﹂とあるは︑仏凡一体・生仏不二を顕わす部川﹂してそ の後に続く﹁不断煩悩得浬繋﹂と同じであると見られるが︑和讃においては是れ亦三首あって︑曇驚讃に二首と夢告

和讃に一首ある︒

曇驚の二首とは幻と泣であるが是は二首一連と見るべきであり論註の文に依る︒

の海水に我等煩悩の河水が流れ込み同一味となることを一詠まれたもので︑正像末和讃も同じく第二十二首に浄土の土

即ち

本願

︵名

号︶

徳を讃嘆されてある︒

功 衆0 

徳、悪 ノ ノ ウ 万

シ 川

ホ 帰

ニ シー、

味、レ

ナ ノ ミ

︿曇

驚讃

幻︶

智 煩0 

慧 悩 ノ ノ ウ 衆

シ 流

ホ 帰

ニ シ

ーー、 ヌ

味、レ

ナ ノ ミ

22 

、】ノ

和讃

の構

成上

の諸

問題

五八

ドキュメント内 真宗研究22号全 (ページ 84-110)

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