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機会費用の教育性・再々考

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Academic year: 2021

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要旨  機会費用概念のアメリカでの普及のキーパーソンと推定されていたサムエルソンは,その著『経済学』で は機会費用概念をストレートに登場させていなかった。また,日本におけるその普及は 1980 年代であり, 経済教育への普及は未だ十分ではない。 キーワード:機会費用,サムエルソン,JCEE,経済教育

Ⅰ.問題関心

 筆者はこれまで機会費用に関しては二度本学会誌に 論考を掲載している。それが新井(2000)と新井 (2006)である。二つの論考では次の知見を紹介した。  ヴィーザーの手によりオーストリアで定式化された 機会費用概念が英米圏に進出する媒介となったのはロ ンドン・スクール・オブ・エコノミクスであり,その キーパーソンはロビンズである。ほかに,ハーバラー, ハイエク,ミーゼスなどを経由してアメリカにもわ たってゆく。  アメリカに渡ったオーストリア学派はケインズ理論 の後塵を拝することになり,当初は影響力を持たな かったが,機会費用概念はサムエルソンを通して新古 典派の経済学のなかに浸透してゆく。経済教育に関し ても,アメリカの JCEE を通して経済の基本概念とし て K-12 の学校段階に浸透してゆく。  しかし,機会費用概念の正確な定義は理解されてお らず,ごく常識的な範囲での理解にとどまってしまっ ていた。それを指摘したのは新井他(2007)の刊行に よる。  以上の知見を踏まえて,今回の学会での発表では,  (1)機会費用概念の出発点の確認,LSEのロビンズ と機会費用の関連の確認,オーストリア学派関係者の 動きの確認を行う。  (2)アメリカでのキーパーソンであろうと推定した サムエルソンの『経済学』の精査による機会費用概念 の普及を跡付ける。  (3)JCEE の機会費用採用の経過のプロセスを検討 する。あわせて,日本におけるその導入を大学向け教 科書における変化をたどることで跡付ける。  (4)機会費用概念の有効性を経済学の観点および経 済教育から見直す。の 4 点をおこなった。  本稿では紙数の関係から,報告のなかの(2)サム エルソン『経済学』での機会費用の扱いと(3)日本 における機会費用の導入の部分に絞って紹介する。残 り部分に関しては別の機会での発表を予定している。

Ⅱ.機会費用概念のアメリカ経済教育への

普及とサムエルソン

1.サムエルソンがとらえた機会費用概念  アメリカにおける機会費用概念の定着に決定的な影 響を与えたのはサムエルソンであると前稿では推定し た。それはおそらく間違いないであろうが,実はそう 簡単にこれは論証されるものではなかった。その意味 では,前稿での推論は訂正しなければならない。その 顛末も含めて,ここではその軌跡を彼の『経済学』の 記述をたどりながら確認したい。  サムエルソンは,学部をシカゴ大学で過ごし,大学 院はハーバード大学である。シカゴ大学時代をサムエ

機会費用の教育性・再々考

アメリカにおける広がりと

日本への波及

The Journal of Economic Education No.37, September, 2018

Further consideration on the idea of opportunity cost from the educational viewpoint

ARAI, Akira

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ルソン自身は次のように書いている。以下いずれも邦 訳サムエルソン(1972)による。  「あのフランク・ナイトとジェイコブ・ヴァイナー とヘンリー・シュルツの,そしてすぐ角を曲がったと ころにオスカー・ランゲがいたシカゴ大学の偉大な 日々に,私は学部の学生としての時を過ごした。」 (p.88)  大学院時代を次のように書く。  「活動がハーバードの黄金時代に移ったとき,…ヨー ゼフ・シュンペータ,アルヴィン・ハンセン,ワシ リー・レオンチェフ,そしてエドウィン・ウイルソン が私の先生だった。」(p.89)  さらに,国際貿易の分野に関連してサムエルソン (1972)では次のように述べる。  「ヴァイナーとハーバラーはともに私の恩師であり, …私はシュンペータの息子であるがゆえに,ベーム・ バベルクとメンガーの孫である。私はレオンチェフの 息子であるがゆえに,ボルトキヴィッチの孫であり, したがってワルラスの曾孫である。」(p.89)  機会費用に関してここから読み取れるのは,サムエ ルソンが学部段階から,ナイトなどアメリカの経済学 者から,機会費用の考え方をある種自然に受け止めて いたであろうという推定である。さらに,国際貿易に 関する実質費用説にたつヴァイナーと機会費用説に立 つハーバラーとの論争から,両者の立場が両立できる ものとの見解を導いて,サムエルソン(1983)では次 のように述べている。  「機会費用の原理は,適切に展開されれば,いわゆ る苦痛・費用価値説とけっして矛盾しないことがわか るであろう。実際,機会費用原理は,十分に注釈をつ けて述べられれば,必然的に一般均衡の諸条件に戻ら ざるを得ないのである。」(p.6)  以上の記述からは,オーストリア生まれの機会費用 がロンドン経由もしくは直接にアメリカに導入され, 用語こそ用いないが同種の考え方を持って準備をして いたアメリカの経済学者のなかに取り入れられてきた と見ることができる。そうして,その受け入れ人物の なかにサムエルソンがいるように見えるのである。 2.サムエルソン『経済学』の変遷から見る機 会費用概念の扱い方  第二次世界大戦後の 1948 年に初版が刊行されたサ ムエルソンの『経済学』はたちまち世界的なベストセ ラーとなり,その後の標準経済学のテキストはほぼこ の本に依拠して書かれるようになったとされている。 経済学の制度化という点での重要著作である。ところ が,機会費用という用語をサムエルソンは『経済学』 のなかにすぐには取り入れてはいなかったのである。 その経過をすこし詳細に見てゆこう。  1948 年に刊行された Samuelson(1948)初版には, 1930 年代の論争で使われた生産可能性曲線が紹介さ れ,大砲とバターの代替生産が説明されている。そこ には「完全雇用経済の下では,一つの財を生産する時 にはそのほかの多くの財の生産をあきらめる(give up)ことは根本的な経済的事実である」(原本 p.20) という表現はされているが,機会費用という用語を用 いて説明しているわけではない。索引には機会費用は 登場しない。同じ扱いは第 4 版まで続く。  機会費用が『経済学』に登場し,索引にも掲載され るのは1961年刊行の第5版からである。現在,経済の 基本概念として通常この種のテキストの冒頭に記述さ れる機会費用であるが,サムエルソンでは,第 5 版の 生産可能性曲線の説明の個所で費用逓増の説明の脚注 としてやっと登場するのである。そして,同じ第 5 版 第 22 章「費用と供給」ではじめて本文中にも登場し, 索引にもはじめて掲載されるのである。  第 5 版 Samuelson(1961)の冒頭部分の註の個所を 訳出しておこう。  「何人かの著者(some writers)は,生産可能性曲 線を『機会費用曲線』と呼び,『限界機会費用逓増』 と呼んでいる。この詳細は後に 22 章で議論されるで あろう。」(原本 p.24)  ここで注目したいのは,「何人かの著者」としてい て,「私が」とは書かないことである。この段階で, サムエルソンは機会費用という言葉を使うのを躊躇し ているように見える。  それを反映したのか,第 6 版 Samuelson(1964)で は,冒頭の生産可能曲線の個所から機会費用の言葉が 消えてしまう。ただし,「費用と供給」の個所での扱 いと機会費用という概念の使用は変化していない。  それ以降第7版から第11版までのサムエルソンが単 独で書いていた時代は,第 6 版と同じ扱いがされて, 生産可能曲線の個所での記述はなく,機会費用は,ミ クロ経済分野のコストと供給の個所で供給におけるコ スト問題との関連で説かれているだけである。  それはノードハウスが共著者となった第 12 版でも 同じである。  冒頭部分で,機会費用が再登場するのはやっと 13 版 Samuelson-Nordhaus (1985)からなのである。  第13版では,第5版の脚注で登場した機会費用が今

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度は希少性の原則のあとに単独で取り上げられる。そ して,経済の基本概念に昇格している。これ以降の版 では,同様な形での扱いがされてゆく。  この間に,費用論の個所では機会費用は概念として しっかり説明されているし,索引にも入っているので あるが,教科書の冒頭の「経済組織の基礎的な諸問 題」の個所の扱いがこのように違っていたのがなぜな のかは,残念ながら今回調査しきれていない。サムエ ルソン自身,機会費用概念を受容し,その重要性は理 解しつつも基本的概念とすることに躊躇する何かが あったとしか考えられない。それは何か。機会費用概 念を使うことに対する経済学説としての使用とは違っ た何かがあったとも考えられる。これには,サムエル ソンの『経済学』が発行当時から,ケインズ理論を導 入したことによって右派から攻撃されていたこと,ハ イエクやミーゼスのようなオーストリアン原理主義者 からの批判に対抗する心理的な機制が働いていたこと などが仮説として考えられるが,これに関してはさら なる調査が必要となる問題である1) 3.機会費用概念の経済教育への波及  サムエルソンの『経済学』に機会費用概念が登場し た 1961 年には,経済教育でも大きな動きがあった。 それは,JCEE(1961)が刊行されたことである。そこ にサムエルソンは経済学者として参加しており,『経 済学』第 5 版での扱いと並行するような形で,機会費 用が主要概念の一つとして登場している。  サムエルソンの『経済学』での機会費用の概念の扱 いがジグザグの経路をたどったのに対して,JCEE で の 扱 い は 一 貫 し て い た。JCEE は, そ の 後,JCEE (1964),さらに JCEE(1977)と 70 年代に入っても, 改訂のなかで機会費用は重要な位置を占めて,経済概 念として市民権を獲得してゆく。また,その後も NCEE(1997)のなかで重要な地位を占めているので ある。

Ⅲ.日本の経済学界および経済教育におけ

る機会費用の波及

1.経済学のテキストからみる波及の様子  日本の経済学界に機会費用の考え方そのものは,す でに 1930 年代に紹介されていた。しかし,日本の大 学レベルでの経済学教育において機会費用概念の普及 は遅れた。  例えば,1933 年に初版が刊行された中山(1933) では,生産費の個所で帰属理論を解説する中で,次の ような指摘がすでになされている。  「生産費とは一般に生産物の獲得に於いて費やされ たる犠牲であるが,この場合犠牲にせられたるものは 何であるか。吾々が若し生産財に直接の価値を認めな いとすれば,その場合犠牲にせられたるものは生産財 それ自らではなく,生産財が他の用途に於て生産すべ かりし生産物の価値でなければならぬ。生産費の法則 とはかくて生産財のこの用途に於ける生産物の価値に 等しいと云ふ関係を示すものに他ならない。吾々は生 産物の価値と生産財の価値との二つの対立物をみるの ではなくて常に生産物の価値を通じて与えられたる一 つの関係をみるのである」(p.87)  そして,その註に,「生産財の価値に関するかくの 如き考へ方を一般に価値の帰属学説と云ふ。それは価 値についての主観説をとる必然的な結果である。けれ ども,通常メンガー,ボエーム・バヴェルク,ヴィー ザー等の所謂墺太利学派と結びつけて考へられる帰属 学説は以上の広義の帰属学説の一つをなすにすぎぬ。 そうしてその一つとして欠点のないものではない。」 (p.91)と書き込み,ヴィーザーの『自然価値論』を 参考文献に指摘するのである。  ロビンズ(1932)の発刊直後もしくは同時並行でこ れだけの記述が日本でされているのは驚きであるが, この指摘が機会費用の概念として戦前日本で受け入れ られていたとは到底思えない。ちなみに,中山のこの 本ではすでにロビンズ(1932)が註の参考文献として 登場している。  残念ながら,機会費用を最初に登場させた,大学向 けのテキストが何かは発見できなかったが,近代経済 学と名称をつけた本や入門レベルの経済学のテキスト を見ても,1960 年代までのものには登場していない と言ってよいだろう。  いわゆる近代経済学のなかで,この概念の導入と普 及は,1970 年年代から 1980 年代になってからと言え るだろう。ちなみに,1970 年代はまだマルクス経済 学が元気であり,近代経済学かマルクス経済かという 選択が,経済学部の学生の大きな課題だった時代であ る。例えば,その問題に一つの回答を与えたと称した 正村(1976)では,希少性と選択が冒頭にでてくるが, 機会費用の言葉はなく,その指摘もない2)  機会費用概念が本格的に登場するのは 1980 年代で ある。  例えば,宮沢(1985)では第一講の「経済原則と経 済体制」の個所で,経済原則としての希少性が述べら

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れ,次いで機会費用が述べられてゆく。これは市民講 座の講義をまとめたもので,一般向けの講座でも機会 費用概念が普及し始めたことがわかる。  この講座のもとになった,同じく宮沢(1981)では, 冒頭の希少性に続いて登場し,「機会費用の大きさに よって A 財の価値や価格は決まる」(p.8)として,機 会費用は価値論,価格論の出発点に置かれている。  ほぼ同時期に刊行されている,熊谷(1983)では, 第一章の「経済社会の基本問題」で生産可能性曲線は 紹介されているが,そこでの機会費用は扱われていな い。機会費用が登場するのは,一つは「所得の分配」 の労働と賃金を扱う項目で,人的投資に関連して大学 進学のコストを説明するときに,機会費用を使ってコ ストを説明している。ほかには,「貨幣と国民所得」 で,「利子率は貨幣保有にともなう機会費用の大きさ を表す」という形で機会費用を登場させている。  宮沢も熊谷も,説明の仕方はちがっていても,主流 派経済学の立場からテキストを書くときには,機会費 用概念を登場させていて,サムエルソンの『経済学』 の記述の変化に影響されるような形で大学レベルの経 済学教育では,機会費用が日本でも波及,定着が始ま りつつあることがわかる。  また,大矢野(1986),ではタイトルそのものが「安 売り卵の経済学」と機会費用を示唆するものとなって いる。しかし,同じ近代経済学系でも,通説に批判的 な森嶋(1984)では,1980 年代の刊行でありながら, 機会費用のキの字も出てこないという事例もある。  一方,このような変化に合わせるような形で,市民 向けの啓蒙書でも機会費用が登場し始める。井原 (1983)が当時の代表的な啓蒙書で,勝海舟が現代に 登場したらアメリカに行く場合,飛行機と船のどちら でゆくかなどの議論をさせたりして機会費用の話をし ている。この時期は,経済学会では,1971 年から 『季刊現代経済』が定期的に発行され,それが単なる 学会誌の域をこえて経済学者,エコノミストに刺激を 与えていた。また,アメリカ留学帰りの若手経済学者 や数学から転向してきた非マルクス経済学者が,雑誌 『経済セミナー』で大学初級向けの講座を連載し,そ れが単行本化されて新鮮な教科書として受け入れられ てきたことも大きい。大学での経済学教育の風向きが 変わってきたのである。そのなかで機会費用の概念が 浸透していったといえよう。 2.高校までの経済教育と機会費用  高校経済教育界では大学レベルでの変化とは様相が 異なっている。  教科書でいえば,1960 年代には近代経済学立場に たった高校の「政治・経済」の教科書がかなり多く発 行されたのだが,それが現場の支持を得ずにほとんど 全滅に近い状態になった。そこでは機会費用の用語は 全くでてこない。1960 年代後半から 1970 年代は政治 の季節で,経済は公害問題をきっかけとして高度成長 批判のトーンの教育が多くなされていいた。そのよう な政治の季節のさなかに,矢島鈞次の監修で National Task Force Report の翻訳がされたのは 1969 年である が,その当時 JCEE の活動や矢島氏の翻訳に注目した のはごく少数であった。  ちなみに,1975 年の私の教員生活のスタート時点 で,そもそも経済学が希少性と選択の科学であるとい う発想をもっている高校の教員は本当に希少な存在で あった。  その流れが変わり始めたのが,JCEE が 1977 年に発 表したフレームワークの翻訳が岩田・山根(1988)と して出版された 1988 年ごろからである。この翻訳は 高校の教員にある種の衝撃を与えるものであった。つ まり,それまでのマルクス経済学の風土のなかで育っ てきた多くの社会科教員にアメリカの経済教育の姿が はじめてはっきりとした形で登場したのである。  この頃になりやっと機会費用が経済の基本概念とし て認知されはじめた。しかし,その後もその普及は 遅々たる歩みであり,現在もあまり事態は変化してい ないといえよう。  それでも,機会費用の前提となる希少性概念は,報 告者が編集者の一人として名を連ねた,経済教育研究 会(2007 年)の刊行がきっかけとなって,希少性と 選択こそが経済教育の出発点であるという認識がじわ じわとひろがってきている。しかし,新井(2014)で 指摘するように,現在でも高等学校の教科書で,希少 性や機会費用の概念が登場するケースは少ないのが現 状である。その教育性を考えるときに,課題はまだ多 いといえるだろう。 註 1) 前稿からの仮説で,サムエルソンがアメリカにおける機 会費用のキーパーソンであるとして論をすすめてきたが, 基本的な構図は間違えないとしても,調査をしてゆくな かで意外な事実が判明してきたというのが実際のところ である。この点は,経済学内部の問題であると同時に, アメリカの政治的な状況のなかで,シカゴ学派的右派お よびオーストリア学派的な保守派とサムエルソン的,民 主党的リベラル派の経済学のせめぎあいがあったのでは ないかという推定まで行く問題である。例えば,サムエ

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ルソンがマッカーシズムのなかでどのような攻撃を受け たのか,またそれに対してどのような対処をしたのかな ど,経済思想とその周辺問題への視野を広げないと解け ない問題かもしれない。もう一つ考えられるのは,文化 的対立である。機会費用を生んだオーストリアンは von のつく貴族たちである。それに対して,サムエルソンは ユダヤ系である。保守的ドイツ系オーストリアンが生み 出した概念をいくら普遍的要素があるといっても,ユダ ヤ系であるがゆえにハーバードのポストを得られなかっ たとされているサムエルソンがそう簡単にすんなり受け いれることができなかったという仮説もなりたつ。しか し,これも仮説の域を超えるものではない。 2) 正村公宏は,正統派マルクス経済学者として出発し,そ の後構造改革派となり,この本が出版された 1976 年の時 点 で は 所 謂 主 流 派 の 経 済 学 に シ フ ト し て い る。 正 村 (1976)前書きによる。 参考文献 [1] 新井明(1991)「経済概念を基底にすえた経済学習の一 例」『経済学教育』第 10 号 [2] 新井明(2004)「機会費用概念の教育性に関する覚書」 『経済教育』No.23 [3] 新井明(2006)「機会費用の教育性・再考」『経済教育』 No.25 [4] 新井明他(2007)『経済の考え方が分かる本』岩波書店 [5] 新井明(2014)「概念学習の可能性」『経済教育』No.33 [6] 岩田年浩・山根栄次訳(1988)『経済を学ぶ・経済を教え る』ミネルヴァ書房 [7] 井原哲夫(1983)『コスト感覚』筑摩書店 [8] 大矢野英次(1986)『安売り卵の経済学』同文館 [9] 熊谷尚夫(1983)『経済原論』岩波書店 [10] 中山伊知郎(1933,2008)『増補純粋経済学』岩波書店 [11] 正村公宏(1976)『経済学原理』東京大学出版会 [12] 森嶋通夫(1984)『無資源国の経済学』岩波書店 [13] サムエルソン(1966,1989)『経済学』原書第 6,10,13 版,(都留重人訳,岩波書店) [14] サムエルソン(1972)『経済学と現代』(福岡正夫訳,日 本経済新聞社) [15] サムエルソン(1983)『サムエルソン経済学体系』5,勁 草書房 [16] ロビンズ(1932)『経済学の本質と意義』(邦訳,小峰 敦・大槻忠史,京都大学出版会)

[17] JCEE(1961)“A Report Of the National Task Force on Economic Education”

[18] JCEE(1964)“Developmental Economic Educational Progress”

[19] JCEE(1977)“Master Curriculum Guide”

[20] NCEE(1997)“Voluntary National Contents in Econom-ics” [21] Samuelson(1948,1951,1955,1958,1961,1964,1967, 1970,1973,1976,1980,)“ECONOMICS” McGraw-Hill, Inc. [22] Samuelson-Nordhaus(1985)“ECONOMICS” McGraw-Hill, Inc.

参照

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