• 検索結果がありません。

「自敬表現」研究史 ; 2

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "「自敬表現」研究史 ; 2"

Copied!
67
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)(35). ﹁ 自 敬 表 現﹂研 究 史 国. 田. 直. 敏. 一年 二月 ︶ の続 稿 で、前 稿 に引 き. 西 和 ` フ ‐ 寸. ま   え   が   去・ 2号 本 稿 は 、 ﹁自 敬表 現研 究 史   0 ﹂ ︵ 甲南 女 子 大 学 研 究 紀 要   第 2. 第 四 期   昭和 時代 前 期. 続 き 、 昭 和期 の ﹁自 敬 表 現 ﹂ 研 究 の推移 を扱 う も の であ る。. 早。. H召. 。 こ の事 に象 徴 され るよ う に昭和前期 にお け る時 枝 誠 記氏 の敬 論 論 のみ を 取 り 上 げ て いる︵ 第 一編 第 五章 ︶ 語 出現 の. 治 郎 等 の敬 語 論 の紹 介 を 江 湖 山 恒 明 ﹁敬 語 法 ﹄ ︵昭 和 一八年 ︶ に譲 り 、 現代 の敬 語 学 説 と し て、 時 枝 誠 記氏 の敬 語. 石坂 正蔵 氏 は 、 ﹁昭和 に入 って敬語研究 は愈 々多 彩 活 発 であ って﹂ と 評 し つ つ、金 田 一京 助 、佐 久 間 鼎 、松 尾捨. 想 等 が敗 戦 を 機 に 一変 し た こと は 、敬語研 究 の視 点 をも 大 き く変 え た。従 って、前 期 と 後期 は別章 と す る。. 昭和 時 代 は 、 昭和 二十 年 八月 十 五 日の敗 戦 を も って、前 期 と 後 期 と に分 けら れ る。 政 治体 制 、社 会 制度 、国 民 思. 第 五.

(2) 意 義 は極 め て大 き なも の であ った 。 こ の こと は 、 ﹁自 敬 表 現 ﹂論 史 にお いても言 え る こと であ る が 、 こ の期 には 、 そ のほ か に注 目 す べき 論 考 が 発表 され 、研究 と し て の色 彩 も 明 確 にな ってきた。. こ の時 期 の最初 を飾 る業 績 は 、湯 澤幸 吉 郎 氏 が 、 昭 和 五年 五月 に ﹃国 語と国文 学﹂ に発表 し た ﹁自 己 に敬 語 を 用. ひ た古 代 歌 謡 等 に つい て﹂ であ る。 これ に次 い では 、 昭和 十 一年 に 、松 尾捨 治郎 氏 が ﹃国 語法 論致 ﹄に ﹁自 己敬 語﹂. と 名 づけ た 一章 を 設 け た こと であ り 、更 に、 昭 和 十 七年 に、金 田 一京 助 氏 が、敬 語 発達 の段階 と し て、第 一期 タブ. ー の時 代 、第 二期 絶 対 敬 語 の時 代 、第 三期 相 対 的 敬 語 の時 代 と し 、 ﹁自 敬表 現﹂ を絶 対 敬 語 の特 色 と し た こと は 、. 極 め て注 目 す べき業 績 であ った 。 な お 、 この間 に、簡 潔 な 言 及 では あ る が、時 枝 誠 記氏 が そ の敬 語 論 の中 で、 ﹁自 敬 表 現 ﹂ の本 質 に迫 る立 言 を 行 って いる。. 敬 語 論 、特 に天 皇 の こと ば に関 す る ﹁自 敬 表 現 ﹂ 論 は 、時 代 思 潮 を敏 感 に反映 す ると ころがあ り 、軍 国 化 の潮流. の中 で、国 体 明 徴 と 不 敬 罪 の圧 力 下 に、国体 の根 源 と され た天 照 大 神 の神勅 を は じ めと す る神 や天 皇 の発言 にお け. る ﹁自 敬 表 現 ﹂ は客 観 的 科 学 的 に解 明 され る こと は 困 難 な時 代 であ った。太 平洋 戦 争 下 にお い ては 、 ﹁敬 語 の国体. 的 意 味 ﹂と し て、 ﹁皇 位 の神 聖 、 国体 の尊 厳 ﹂ のあ ら わ れ と説 か れ 、学 術書 であ っても 、石 坂 氏 の ﹁敬 語 史 論 考﹂ では 、 ﹁天 皇 ﹂ の語 の前 に開 字 が 用 いら れ て いると いう 状 況 にな って いる。. 以 下 、 昭 和 前 期 にお け る研 究 の展 開 を 主要 な 研 究 を中 心 に、具 体 的 に、やや詳 細 に見 て いく こと にし よ う 。 湯 澤 幸 吉 郎 氏 の説. な用例を示し て検討し、湯澤氏自身 の解釈や疑間を提示し て、以後 の論議 に決定的とも言 える影響を与 えた。以後. によ って始ま ると言 ってよ い。 この湯澤論文 は、それま での ﹁自敬表 現﹂論 の集大成的意義を持 つと同時 に、豊富. 昭和前期 は、前述 の如 く 、湯 澤幸吉郎氏が昭和 五年 に発表 した論文 ﹁自己に敬語を用 ひた古代歌謡等 に ついて﹂. 一】 【. (36) 「 自敬表現」研究史 い.

(3) 田 直 敏 西. (37). の論 は 、 こ の湯 澤 論 文 から 出 発 す る こと にな ったと いう意 味 で、研 究史 に 一時 期 を劃 し た と 見 る こと が でき る。. 湯 澤氏 は 、 ﹁わ れ 等 が 記 紀 万 葉 を読 ん で、 これ を 現 に見 聞 す る所 に比 し て、不 思 議 に思 ふ事 の少 な から ざ る中 に、. 敬 語 の 一用 法 に特 に現 代 人 の耳 目 を刺戟 し 、不 審 を 起 さ せ るも のあ るを知 り 得 る。﹂ と 、  そ の論 文 を書 き起 こし て いる。 そ し て、. 敬 語 は 、 現 代 語 では自 己方 に用 ひぬ のが 一人 特 質 を な す の であ る。 然 る に古 い歌 文 には 、往 々にし て これ を裏 切 る例 が散 見 す る の であ る。. と し て、 そ の代 表 的 な 例 と し て 、 万葉 集 巻 六 の ﹁天 皇 賜 二 酒 節度使卿 等 一 御 歌 ﹂を 挙 げ 、 ﹁我者 将御 在﹂、 ﹁天皇 朕. 宇 頭 乃御 手 ﹂ は 、 天皇 が ﹁御 自 ら に ついて仰 せら れ た事 が明 か であ る。 されば 今 日 のわ れ 等 の言 語 上 の習慣 と は痛.   こ の奇 異 な 用例 に ついて、 く 違 つて居 て、甚 だ奇 異 の感 を 抱 か せられ る の であ る。﹂ と 疑 間 を提 起 す る。 そ し て、 次 のよう に述 べ、解 釈 と し ては 、鹿持雅 澄 の ﹃萬 葉 集 古 義 ﹄ の説 を支 持 し て いる。. 天皇 御 自 ら を 尊 び宣 ふ例 は 、 記紀 のは別 にし ても 、宣 命 な ど にも 現れ 、殊 に聖 武 天 皇 が 天 平 勝 宝 元年 四月 橘 諸. 兄を 遣 し給 う て、東 大 寺 慮 舎 那 仏 に対 し て御 自 ら ﹁三宝 の奴 と 仕 奉 る天皇 ﹂ と 宣 う た中 にさえ 、 ﹁聞看 食 国 ﹂ メ ﹁聞 し食 し驚 き ﹂ な ど 仰 せ給 ふ 編︶を拝 す る の で、か か る表 現法 のあ つた事 は 、否 定 し得 な いと 知 ら れ る の で あ る。. さ て右 の事 実 を 認 め ると す れば 、そ の解 釈 も ま た人 体 鹿 持 翁 の説 に聴 く べき であ ると 思 ふ。再 言 すれば 、わ. が代 々 の天 皇 は 、 天 照 大 神 の詔 によ つて、当 然 天 皇 と あ が めら れ 給 ふ べき大 御 身 であ つて、他 国 の 一般 民衆 に. 推 し 上 げ ら れ 、ま た は 力 を 以 て位 に即か れ た君 主 と は 、全 然趣 を 異 にす る。随 つて 一般 臣 民 から は言 ふま でも︶. なく 、 天 皇 御 自 ら に於 か せ ら れ ても 、必 ら ず ﹁至 尊 ﹂ と いふ御自 覚 を持 た せ給 ひ 、 そ れ が仰 せ言 に反映 し て、. 御自 ら に就 い て の尊 ん だ表 現法 とな る の であ る。 果 し て然 り と す れば 、 こ の事 実 は 、 わ が国家 の成 立 、国体 の.

(4) (38). 0 「 自敬表現」研究史. 淵 源を 如 実 に顕 現 し て居 る語 法 と し て、最 も 重 要 視 す べきも のた るを断言 す る に弾 ら な いも の であ る。. 湯 澤 氏 は 、 ﹁自 敬 表 現 ﹂ が 現 実 に行 わ れ た こと を 肯 定 し た上 で、 天 皇 の ﹁至尊 ﹂ と し て の自 党 に基 づく表 現法 と. し 、 日本 国 家 の国 体 の顕 現 し た語 法 にほ かなら な いと 断 じ て いる の であ る。 これ だ け の こと であ れば 、本 居 宣 長 、. 鹿 持 雅 澄等 の跡 を 追 った に過 ぎ な い。 が 、湯 澤 氏 は 、 ﹁自 己を 尊 敬 し た形 で言 い表 し たも の﹂ に、 こ のほ か 、 他 人 の歌 つた のを 、歌 は れ て居 る本 人 が歌 つたも のと 誤 り 伝 へて居 るも の。. 書 の作 者 が 、書 中 の人物 の言 を さ な がら 写 さず に 、 そ の人 物 を 尊 敬 す る作者 の立 場 か ら 、敬 語 や謙 語 に言 ひ換 へたも の。. が あ る こと を 、実 例 を も って示 し た 。 更 に、宣 長 、雅 澄 が ﹁常 な り ﹂ ﹁定 まり た る常 の こと な り ﹂と 言 って いる の. に対 し て、古 事 記 、万 葉 集 か ら 例 を 挙 げ て、天 皇 の御 製 等 に 、必 ず ﹁自 敬表 現﹂ が 用 いら れ て いるわ け ではな い こ. と を 示 し た。 これ ら の点 に 、湯 澤 氏 の論 文 の持 つ独 自 性 と実 証 的 な 説 得 性 が認 めら れ る。. 湯 澤 氏 が 、所 伝 の誤 と し て いる のは 、古 事 記 神 代 巻 の八千 矛 神 の沼 河 比売求婚 の歌 で注⑭﹁夜 知 富 許 能   迦 微 能美 許 登 ﹂ ﹁和 何 多 々勢 礼 婆 ﹂ に つい て 、. 中 略 ︶ こ の歌 は後 の詩 人 の作 な るを 、八千 矛 の神 御 自 身 の歌 と し て伝 へ わ れ 等 は 用 語 の上 か ら で はあ る が 、 ︵. たも の であ ると 断 ず る の であ る。 随 つて本 居 翁 の疑 つた ﹁夜 知 富 許 能迦微 能 美許 登 ﹂ は 、 これ を 歌 つた詩 人 が. この神 を 尊 び称 し た語 と な つて 、普 通 の用 法 と な り 、 ﹁和 何多 々勢 礼 婆 ﹂ の和 は普 通 の自 称 では な く て、詩 人 が神自 身 を 指 し奉 つた語 であ る と 解 され る の であ る。. と 説 いて いる。 同 様 に、古 事 記 の雄 略 天皇 が葛 城 山 で大 猪 に襲 わ れ た時 の ﹁故 天皇 畏 二 宇多岐 ↓ 登二 雨 歌 日﹂ 坐榛上 ↓ ァ ヾ ヮガ ォ ホ ノシ シ と いう ﹁安 見 し ゝ  和賀 意 富 嚇 井 の阿 砕 婆 志斯 ﹂ の歌 の は 、 日本 書 紀 の記すよう に② 舎 人 の歌 であ る し 、古 事 記雄 ヮガ ホ キ ミ 略 天 皇 の吉 野 に狩 し た時 に、 天 皇 の腕 に止 った 虻 を 蜻 蛉 が喰 い去 った ﹁於 是作御 歌﹂、の ﹁安 見 し ゝ和賀 好富 岐 美 の.

(5) 田 直 敏 西. (39).  日本書 紀 には 、 ﹁天皇 ⋮ ⋮詔 二 能敢 賦者 、 日 、為 / 朕讃 二 歌賦 之 、 群 臣莫 二 猪 鹿 待 つと 呉 床 に御 在 し ﹂ は 、 群臣 一 蜻蛉 一 一 天 皇 乃 口号 日﹂ と あ るの こと か ら 、天皇 が臣 下 の立場 で詠 じ た歌 であ ると す る。 そ し て、. 紀 の御 製 にあ る ﹁我 が 御 在 せば ﹂ ﹁我 が立 た せれ ば ﹂ の ﹁我 ﹂ は 、歌 ひ給 ふ天 皇 が御 自 身 を意 味 す る に非 ず 、. 歌 はれ て御 出 な さ る ﹁大 君 ﹂ を 指 す の であ つて、第 二節 に引 いた 八千矛神 の歌 の中 の用 法 と 全 く 同様 であ る。 と 説 いた。 湯 澤氏 は 、次 に 、. わ れ 等 が今 日実 際 口 にし 耳 にし て居 る国語 に就 い て見 る に、 たと へば甲 が 乙 の言 葉 を丙 に伝 へる場 合 に、必. ら ず しも 乙 の言 つた通 り を 繰 返 さず 、甲 自 身 の立 場 から 言 い替 へる こと が珍 し く な い。 今 父 親 が妹 娘 に向 つて、. ﹁太 郎も 此 処 に居 る方 が い ゝと 、私 が言 つて居 る か つてね 、お 前 行 つて呼 ん で来 な さ い﹂ と命 ず ると 、娘 は子. たり妹 た る立 場 から 、兄太 郎 に向 つて、 ﹁御 父 さ ん が 、兄 さ んも 御 出 にな る方 が い ゝと 仰 し や るか ら 、あ ちら. に入 ら つし や いま せ ん か ﹂ な ど言 ふ のであ る。 こ の習 慣 は 、今 日 に始 ま つたも の でな く 、古 く から 存 在 し たも. のと 考 へら れ る。 随 つて古 文 学 に、人 の語 つた こと な ど の、直 接 説 話 の形 で記 し てあ るも のも 、著 者 の立場 か ら 、言 葉 を 変 へて紹 介 し てあ るも のが 、少 な か ら ざ るを 思 ふも の であ る。. と し て、鎌 倉 時 代 の保 元物 語 、平 治 物 語 、平 家物 語 な ど の軍 記物 に見 え る ﹁敬 語 及 び謙 語 ﹂ を ﹁著 者 の言 い変 へた 文 句 ま た は書 き 添 へた語 ﹂ と し 、多 く の用例 を 示 し た。 そ の中 で、. ○重 成 も 讃 岐 ま で御 供 仕 る べかり しを 固 く辞 し申 し て罷 帰 れ ば 、感型 ﹁汝 が此 程 情 あ り つる に、即 ち 罷留 れば 、. 今 日より いよ ノヽ 御 心 細 く こそ思召 せ⋮ ⋮返 す ハヽ 此 程 の情 こそ忘 れ難 く 思 召 せ ﹂ と 御 謎 あ り け る こそ恭 な け 国 民文 庫 本 保 元物 語 、 三巻 、新 院 御 遷 幸 ︶ れ ︵. ○法 皇 も ﹁さ れ ば 汝 は阿波 の内 侍 に こそあ ん な れ 。 今 更 御 覧 じ忘 れ け る。 唯 夢 と のみ こそ思 食 せ﹂ と て御 涙 せ.

(6) (40). 0 「 自敬表現」研究史. き あ へさ せ 不給 舗 和 謙平 家 物 語 、大 原 御 幸︶. ○ 此 君 飛磐 近 習 の女 房 臣 下 に内 々仰 の有 け るは 、 ﹁率 土皆 皇 民 な り 遠 民何疎 、近 民 何親 、仁 を 施 ば やと 思召 せ. ど も 一人 の耳 に は 四海 の こと を 不 聞 、⋮ ⋮ お のノヽ 聞 及 ぶ こと あ ら ば 、穴賢 告知 ら せ参 ら せよ ﹂ と 仰 せ置 かれ たり ければ ︵長 門 本 平 家 、  〓 一 巻︶. 等 の天 皇 、上 皇 の発 言 に つい ては 、 ﹁こ のま ゝ仰 せら れ た と 、強 ひ て見 れ ば 見ら れ な い事 も な い﹂ と し つ つ、話手. が臣 下 であ る場 合 には 、次 のよ う な 例 を 挙 げ て、 ﹁臣 下 た る者 、殊 に重 衡 o義 朝 の輩 が 、自 ら に つい て右 の如 き敬. ﹂ 語 及 び謙 語 を 用 ひ る と は 、到 底 信 じ 得 な い事 であ る。 故 にわ れ 等 は是 等 を 以 て著 者 の言 ひ か へと 断 ず る のであ る。 と し た。. ○ 摂 政 殿 ⋮ ⋮ ﹁こは如 何 に、北 国 の凶 徒 か と 思 召 た れ ば 、神 妙 に参 り たり 、近 う 候 て守 護 仕 れ ﹂ と 仰 せ ければ ︵平 家 、 八 、法 住 寺 合 戦 ︶. ○ 歳 六十 余 の僧 ⋮ ⋮参 り たり 。 ﹁あ はれ僧 かな 。  一人 と 思 召 つる に神 妙 にも 参 り給 へり 、 は や入給 へ﹂ と て中 盛 衰 記 、 四 五巻 ︶ 将 辞J は本 の道 よ り帰 り て⋮ ⋮ ︵. 〇 三位 中 将 は 、 ﹁如 何 に守 長 其 馬 進 ら せよ ﹂ と 仰 け れ 共 、空 間 かず し て馳行 き けり 。 ﹁穴 心憂 や年 来 は角 やは. 盛衰 契 り し 、重 衡 を 見 棄 て ゝいか に守 長 何 く へ行 ぞ 、留 ま れ守 長 、其 馬 進 ら せよ ﹂と宣 へど も 耳 にも 不 聞 入 ︵ 記 、 三 七巻 ︶. ○ 諷J 同 じ き 二十 九 日 に尾 張 の国 知 多 郡野 間 の内 海 に着 き給 ふ。 長 田荘 司忠 致 請 取 り 奉 り て様 々にも てな し申. ひけれ ば 、 せ め て三 日 の御 祝 過 ぎ て こそ御 立 ち 候 ふ べけ せ ども ﹁御 馬 を 進 ら せよ 、急 ぎ 御 通 り あ る べし ﹂ と 官一 れ と て頻 り に留 め奉 れ ば ︵平 治 、 二、義 朝 野 間 下 向 ︶. 湯 澤 氏 は 、 こう し た ﹁言 ひ変 への習 慣 ﹂ が記紀 編 纂 当 時 に既 にあ ったと す る。古 事 記 神 代 巻 の須 佐 之 男命 が ﹁吾.

(7) 於吾 一 哉 L の ﹁奉 ﹂ を ﹁た てま が御 心須 賀 須賀 斯 ﹂ と 言 い、ま た 、 ﹁雨 速 須佐 之 男命 詔 下其 老 夫 、是 汝 之 女 者 、奉 二. つら む や ﹂ と本 居宣 長 流 に読 む のが 正し いと し て、 これ ら は 、 こ の物 語 の紹 介 者 の換 言 であ ると 見 る の であ る。 即 ち、. 説 話法 ︶ には 、英 独 語等 に於 け る が如 き厳 重 な約束 はな く 、 た と へ直 接 説 話 の形 を 結 局 国 語 に於 け る引 用 法 ︵. 取 り ても 、必ら ず し も 本 人 の言 つた通 り を 述 べる では な く 、間 接 説 話 の言 方 を用 ひ るか 、ま た は そ れを 混 用す. る こと があ る、と 言 ふ こと にな る。 し かも こ の習慣 は記 紀 編 纂 当 時 既 に存 し て居 た 、と 見 よ う と す る のが 、本 節 の主 眼 であ る。.  一応 も つと も な論 であ るが 、 間 接 説 話と 見 る べき であ ると の説 も 出 づ べく 、事実 さ う 取扱 つて居 る書 も あ つて、. わ が国 に於 け る引 用 法 は右 の如 く であ るが 、 これ に対 し て、本 人 が言 つた通り のも の でな いな ら 、始 め から. こ の後 に、湯 澤氏 は 、次 の ﹁附 言 ﹂を 記 し て、 そ の論 旨 を 補 足 し て いる。 敏. あ る。. ま では御 製 な ど にも 見 え る にも拘 ら ず 、 そ の後次 第 にす た れ て平安 朝 以 後 には全 く 現れ な い様 に思 はれ る事 で. こ ゝにわ れ等 の不 思 議 に堪 へな い のは 、天皇 御自 ら を 尊 み宣 ふ こと が 、 たと へ常 例 でな い にし ても 、奈 良 朝. 最 後 に、湯 澤氏 は 、 ﹁自 敬表 現 ﹂ のそ の後 に ついて、. 性 格 を 論 じ て いて、 以 後 の ﹁自 敬表 現 ﹂ 研 究 に大 き く影響 す る こと にな る。. 湯 澤 氏 の こ の部 分 の、著 者 書 き かえ説 は 、江 戸時 代 の富 士 谷 御 杖 の説 と 呼 応 す るも の であ る が 、国 語 の引 用法 の. は 、前 述 の通り 説 く のが穏 当 だと信 ず る の であ る。. 女 を 指 す是 は それ の意 、汝 も 吾も 他 称 の代 名 詞と解 せ ね ば な ら な く な る の であ る。 か ゝる点 か ら 国 語 の引 用法. さう す ると第 一に代 名 詞 が説 けな く な る。今 前 に引 いた古 事 記 須 佐 之 男命 が老夫 に宣 う た仰 言 に ついて言 ふと 、. 田 直 西. (41).

(8) (42) 的 「 自敬表現」研究史. と 、 そ の消 滅 を 示唆 し 、 そ の理由 を 次 のよ う に推 察 し た。. 推 察 し奉 る に、天 皇 は 日常 の御 生 活 にお い てさ へ、 そ の大 御 身 に関 す る限 り 、周 囲 から敬 語 を 以 て表 現 され る. は ず であ る。 朝夕 さ う し た言 語 のみ を 御 聞 き 取り 遊 ば す 事 故 、以 前 に習 は し にな つて居 な く ても 、御 歴 代新 に. そ の例 が 開 け る恣 然 性 が多 分 にあ る様 に思 はれ る の であ る。 然 る に表 面 に現 れ た事実 は全 然 反 対 であ る やう に 見 え る のは何 故 だ ら う か 。. 試 に言 へば 、上 古 にお いては 天 皇 の ﹁至 尊 ﹂ た る御 自 党 が極 め て強 く 、随 つて御製 な ど にも 反映 し 、況 し て. 表 立 つて臣 下等 に何 事 か宣 ら せ給 ふ際 には 、 それ が顕 然 と 現 れ た の であ る。 され ど上 古 と い へど も 、公 な ら ぬ. 場 合 、打 寛 ぎ給 う た際 な ど には 、 至 尊 の御 身 な がら至 尊 と し て ゞな く 、 たと へば 高 位 の公 卿 な ど の、他 に接 し. 他 を 見 ると 同 じ様 な 御 心 理 にあ ら せら れ る事 も あ つた であ ら う と 拝 察 され る の であ る。 ︵ 中 略 ︶ 然 る に世 が進. む に従 つて、御 生 活 も 次 第 に複 雑 にな り 、 天皇 と し て公 に官一 ふ場 合 と 、  一詩 人 と し て御 心中 を 述 べさ せら れ る. 場 合 と に 、判 然 た る 区 別 が生 じ たと 推 し奉 る の であ る。 し か のみ な らず 、表 立 つた場 合 には宣 命 があ って、上. 古 以 来 の つぎ ノヽ の習 は じ を 正確 に保 存 し て居 た が 、 それ さ へ何 時 し か漢 文 や漢 文 調 の文 章 が採 用 され る様 に. な つた為 に、 こ の特 別 な表 現法 が 何 時 し か 見 えな くな つたも の ではな から う か 、と推 察 し参 ら す る の であ る。. 湯 澤 氏 の論 述 は 、 ﹁自 敬 表 現 ﹂ に つい て の多 面 的 な検 討 を 含 ん で い て、 そ の見 解 は 、以 後 の古 典 注 釈 等 にお け る. ﹁自 敬 表 現 ﹂ の説 明 な ど に利 用 され て いく の であ る が 、 こ の論 文 の最 後 を次 のよ う に結 ん でいる のは 、当 時 の時 代 色 が あ ら わ に出 て いて、敬 語 を 取扱 えば 、国 体 論 へ走 った時 代 を 如 実 に示 し て いる。. 最 後 に 一言 添 へた いが 、世 には自 己を 上 位 に置 く こと と 、他 を あ が め尊 ぶ こと と は、 両 立 せ ぬ性 質 の様 に説 く. 者 も あ る が 、 これ を 国 語 の上 に現れ た 所 か ら 見れ ば 、 そ の誤 た る事 は 、御 歴 代 の天皇 が 、  一般 人 民を ﹁大 御 宝 ﹂. と 仰 せ ら れ る事 だ け に依 つても 明 か であ る。 ︵ 中 略︶ 表 立 つた宣 命 にさ へ ﹁現御 神 と人 八島 国 所知 天 皇 ﹂ と 自.

(9) 田 直 敏 西. (43). ら 宣 ひな が ら 、群 臣 に対 し ては 、 ﹁諸   聞 食 せ ﹂ とあ が め給 ふ例 であ る。 こ の御 心情 は我 が国 な れば こそ で、. これ に対 し て心命 を顧 み ず し て朝廷 に尽 さ んと す る義 勇奉 公 心 の生 れ る のは 、強 ひ てあ やしま う と し ても 、豪. も 怪 し み得 な い程自 然 であ る。 即ち われ 等 の取扱 ふ所 は言 語 の用 法 に過 ぎ な いが 、右 敬 語 は 、わ が 国 家 の成 立. を物 語 り 、 や が て ﹁義 は 君 臣 、親 は父 子 ﹂ の由 つて来 る根 原 を 明 確 に示 すも のと し て、最 も注 意 す べき も のた る を疾 呼 し た いの であ る 。. 対者 ︶ ︵乙︶ 聴 者 又 は読 者 ︵. 自 己︶ ︵ 甲 ︶ 話 者 又 は記者 ︵. 松 尾氏 は 、談 話 、記 述 の三要 素 と し て 、. ら く 、湯 澤 氏 の論 文 を 通 し て知 ったも の であ ろう 。 ﹁自 己敬 語 ﹂論 の末 尾 に、湯 澤論 文 の結 論 が紹 介 さ れ て いる。. る こと を 発 見 し た者 も あ る ﹂ と し て、 そ の 一に ﹁自 己敬 語 に関 す る こと ﹂ を挙 げ 、鹿持 雅 澄 の名 を 記 し て いる。 恐. 己敬 語 ﹂ を 挙 げ 、次 に ﹁浅 学 寡 分 の為 に、論 纂 公 刊 の頃 ま で長 い間 創 見 と 信 じ た のが 、実 は先 人 の説 破 し た 所 であ. 松 尾氏 は 、 ﹁国 語法 論 破 ﹄ の ﹁緒 言 ﹂ にお い て、 ﹁創 見 乃 至先 人 の説 に 一歩 を進 め得 たと信 ず る﹂説 の 一に ﹁自. 説 を 詳 論 し た。. 語 法 の特 殊 相   第 一節 敬 語 法 の 二と し て ﹁自 己尊 敬 ﹂ を 立 て、古 代 か ら 近 世 の コイヤ ー ドに至 る用例 を 挙 げ て、自.   そ の第 七章 国 に、用 例 を 二例 追 加 し て、 ほ ぼ同 文 を収 録 し て いる“ が 、昭和 十 一年 の ﹃国 語法 論 孜﹂“ にお いて、. 松 尾 氏 は 、大 正十 五年 十 月 の ﹃國 學院 雑 誌﹄ に ﹁給 ふ﹂を論 じ て ﹁自 敬 表 現﹂ に及 びの 昭和 三年 の﹃国 文 法 論 纂 ﹄. 湯 澤氏 よ り 早 く 、 ﹁自 敬 表 現 ﹂ への関 心 と考察 を 発表 し た のは 、松 尾捨 治郎 氏 であ った。. 松 尾 捨 治 郎 氏 の説. 三 二】 【.

(10) 丙︶ 談話 ︵ 記 述 の材料. 敬. 名 詞  代 名 詞 ︱︱︲ ︱︱︱︱只が︶︲ こ の方    お れ. やし き  あ の方. 殿  あ な た. ︵を ︶   ︵に︶. それハヽ 右 に同じ. 動 詞 形容 詞 助 動 詞. 給 ふ 思す る ら る 遊 ば す. 同右   お早 い. 同右. 奉る ︵ 我 に奉ら む や。︶. 奉 る  お ⋮申 す   上ぐ. 同右. ○. 同右. ぬかす   やが る. 給 ふる  仕 る. 雑 人ば ら ど も 豚 児. お前 な ど 奴   せ が れ   ざま. て遣 す   てく れ る. て下 さる. ︵を ︶   ︵に︶. 相成. それハヽ 右 に同 じ. 私 ど も   私 など. お   お ん  み 尊  止 貝. それハヽ 右 に同じ. 妄 1藝 墓. 私   お のれ. 自 o対 o他. ガ 1見 1語. それハヽ 右 に同じ. それハヽ 右 に同じ ○. ○. 候 ふ 侍り ま す です. ○. ]到. │. 汝   お のれ   お前. 右 に 同 じの 今 日︵け ふ に比 し て︶. 也 イ. 尊. 敬. 卑 下. 尊. 卑 下. ○. ○. 他 対 自 他 対 自 称 称 称 称 称 称 自 称. 接 頭 ○ ○ ○. 主 │. 同 御 │お 右 イ 曽 と う │. お 菓. 主 (6). 他 対 称 称. 自 他 対 自 称 称 称 対. 客 語 所 有. (2) (3). 主 語. 客 語. (4). (5). 自 所 己 有. 自 対 己 者 対 者. 敬 成. り語分. Ξ 曇 弗. (44). 0 「 自敬表現」研究史. 敬.

(11) 田 直 敏 西. (45). 丙 ︶の内 部 を 、主 語 、客 語 、述 語 甲 × 乙︶は 、 必ず しも 談 話 記述 の材 料 と な って現わ れ て いな い、 と し 、 ︵ を挙 げ 、 ︵ 従 属 分 に区分 し た 。 そ し て、前 頁 の表 のよう に、敬 語 の分 類 を示 し た 。の. ﹁成 分 敬 語 ﹂ と ﹁非 成分 敬 語 ﹂ に 三分 し た点 と 、 ﹁反敬 語 法 ﹂ と も称 す べき 対 称 、他 称 にお け る ﹁卑 下 ﹂ を 設 け. た点 、 そ し て、 ﹁自 己尊 敬 ﹂ 即 ち ﹁自 敬表 現 ﹂ を 敬 語 の体 系 の中 に位 置 づ け た点 に、松 尾氏 の敬 語法 体 系 の評 価 す べき と ころ があ る。 これ に続 け て 、松 尾氏 は 、 そ の ﹁自 己尊 敬 ﹂論 を 次 のよう に展 開 す る。. 古 来 君 臣 の大 義 が明 か であ ると同時 に、上 下尊 卑 の礼 儀 の正 し い我 が国 に於 ては 、敬 語 の用 ゐ 方 が厳 然 と し. 中 略 ︶ 本 節 冒 頭 の表 に示 し た如 く 、自 称 主 語 又 は自 称 客 語 に対 し て、尊 敬 の意 の語 の用 ゐ ら れ て乱 れ な い。 ︵. 所有 主 た る自 称. 御魂  御 前  と. る こと は 、之 を怪 む 人も 多 いが 、 こ の方   お れ   の如 き は 、明 か に自 己尊 敬 であ り 、書 いて遣 はす の如 き は 、 対称 卑 下 であ って、同時 に自 己尊 敬 であ る。 古 事 記︶ 此 の葦 原 の中 つ国 は我 が御 子 の知 ら さむ 国 と言 依 所賜之 国 也 。 ︵ 此 の鏡 は専 ら 我 が御 魂 と し て吾 が御 前 を斎 く がご と斎 き奉 れ 。 ︵同   右 ︶. 此 は 天 照 人 神 の御 言 であ る が 、御自 身 の動 作 を 、言 依 さ し賜 ふと 仰 せら れ 、御 自 身 のも のを. 仰 せら→ こ御 自 身 同様 の御 鏡 を斎 く ことを斎 き奉 れ と仰 せら れ て居 る 。 即 ち 主 語 た る自称 客 語 た る自 称 を 尊 敬 され た自 己尊 敬 であ る。の. 次 に、松 尾 氏 は 、 天 皇 の ﹁自 己尊 敬 ﹂表 現 の例 を 、宣 命 、法 隆 寺 薬 師 仏光 背 銘 、長 門 本 平家 から 七例 、法 皇 の例 を 平家 物 語 か ら 一例 掲 出 し て いる。 そ の中 の三例 を 次 に記す 。. 皇 朕 が御 世 に当 り ては 、皇 と坐 す 朕 も 聞 持 る事 乏 しく 、見持 てる行 少 み 、 ︵詔 詞解 第 六詔 ︶. 此 の王 は 弱 き 時 より 朝 夕 と 朕 に随 ひ て、今 に至 るま で怠 る こと な く 、仕 奉 るを 見 れば 、仁 幸 厚 き 王 にあ り と.

(12) (46). 0 「 自敬表現」研究史. な も 神 な が ら 知 じ めす ︵同 五十 九 詔 ︶. 池 の辺 の大 宮 に天 の下 治 じ め し ゝ天 皇 ⋮ ⋮大 王 天 皇 と太 子 とを 召 し誓 ひ願 ひ賜 ひし く 、我 大 御病 太 平 ︵た ひ. ら に︶ 欲 坐 故 に寺 を造 り 、薬 師 の像 作 り 仕 へ奉 ら む と す と詔 り た ま ひき。 ︵ 法 隆 寺 薬 師 仏光 背銘 ︶. 松 尾氏 は 、 こ の ﹁自 己尊 敬 の語 法 ﹂ を 時 代 の下 った ﹁八幡 愚童 訓 ﹂ や ﹁御湯 殿 上 目記 ﹂ にも 見出 し 、 これ ら の表. 現 を 記者 が尊 敬 表 現 に改 め たも のと す る説 ︵たと え ば 三矢 重 松説 ︶ に反 論 し て、次 のよ う に自 説 を 主張 し て いる。 昨 日 の に四条 申 を あ そば し た る にか さ ね て書 く う つ ゝな し。 ︵ 御 湯 殿上 日記 ︶. 此 は後 土 御 門 天 皇 が御 自 身 の動 作 を あ そば し と 記 さ れ た の で、常 例 であ る。 学 者 によ つては 、此 等 の 敬 語 を. ﹁御 自 身 さ う 仰 し や つた の では な く 、敬 語 を 用 ゐ ず に仰 し や つた のを 、後 に記者 が之 を 記 す に当 つて、湖 つて. 尊 敬 の語 に改 め た の であ る。 宣 命 の如 き は 、其 の性 質 上 宣 命 読 が 天 皇 の御 語 を 改 め た の であ る。御 湯 殿 上 日記. も 、天 皇 御 自 身 に之 を 記 され た の ではあ る が 、 女 房 が 記 し た様 を 擬 す る為 に、 故 ら に敬 語 を 用ゐ たも の であ る。﹂.  其 の説 が可 な り 広 く 認 めら れ て居 る やう であ る。然 しな がら若 し此 の説 の如 くば 、第 一に と説 く者 が あ り 御、. 前 掲第 五十 九 詔 の例 な ど は 、 王 の方 を も 尊 敬 し て仕 へ奉 り給 ふと い ふ べき であ る。第 二に建 国 の大 本 た る神 勅. をも 記者 が 改 貧 し た こと にな る。 第 二 には次 の如 く 天 皇  法 皇 のみ に限ら ず 、至 って貴 い人 には此 の敬 語 が 用 ゐ ら れ る のを 何 と 解 す べき か 。. ︵和泉 式 部 日記 ︶. と ⋮ ⋮ 聞 え た れ ば 、 ﹁物 も いは でやみ な ま し か ば か け てだ に思 ひ出 でま し や。猶 か く は 思 し つ。﹂ と ぞあ る。 此 は宮 の御 文 に宮 御 自 身 の こと を お ぼし つと書 か れ た の であ る。. 昔 は家 門 主 従 の例 たり し か ど も 、今 は菩 提 の善 知 識 と こそ思 召 せ。                    ︵ 盛衰 記 ︶. 此 は維盛 が時 頼 入 道 に向 つて い つた語 であ る が 、維 盛 の語 を 、後 にな つて記者 が丼 き 改 め る必 要 は断 じ てな い。.

(13) 第 四 には 和 歌 に次 の如 き敬 語法 の用 ゐ ら れ て居 る のを説 明 し得 な い。. 鳴 す や板 戸 を お そ ぶら ひ我 が立 た せれ ば 、                      ︵ 古 事 記︶. と ほハヽ し 越 の国 にさ か し女 をあ り と き か し て、 同 右 ︶                   ︵ ︵用例 三例 略 ︶. そら 見 つ  や ま と の国 は  お しな べて  吾 こそ居 れ 。 しきな べて  五口己曽 座 。          ︵ 万 葉 一︶. 手 抱 き て  我 は御 座 さむ  天皇朕 が  珍 の御 手 も ち   かき撫 でぞ  ね ぎ たま ふ   ︵ 万 葉 六  聖 武 天 皇 御 製 ︶. 青 によ し奈 良 の山 な る黒木 も て作 れ る室 は雖 居 座 飽 か ぬかも                   ︵ 万 葉 八  聖 武 天 皇 御 製 ︶. 吾 己曽 座 に関 し て古 義 に説 く 所 は 、大 体 に於 て当 を 得 て居 る。第 五 には 、外 国 人 が 日本 語学 習 に当 つて困 難 を. と いふ こと は あ る べき 理がな い。御 自 身 の こと に敬 語 を 用ゐ ら れ た こと疑 ふ べ く も な い。 ︵ 中 略 ︶万 葉 一の. 此 等 は 八 千 矛 神   大 国 主 神   応神 天 皇   雄 略 天 皇   聖 武 天皇  等 の御 製 であ る が 、和 歌 を後 の記者 が改 め 記 す 敏. ゐ る のが 、決 し て不自 然 でな く 、深 い親 和 の情 の籠 つて居 る のと 、同様 に見 る べき であ る。此 が コイ ヤ ー ド の. であ る。 恰 も 親 が 子 供 に対 し て、 自 身 の こと を ﹁お父 さ ん ︵ お 母 さ ん︶ が 御 帰 り だ よ 。 ﹂ と いふ やう な 語 を 用. 謂 父 子 の情 ︵む し ろ父 子 の実 ︶ で結 ば れ て居 る から 、天 皇 が臣 下 に対 し て虚 礼 的 に卑 下 す る こと な ど は 不自 然. 然 ら ば 如 何 な る関 係 で、か ゝる語 法 が存 す る のか と いふ に、我 が国 は 開 闘 以 来 君 臣 の分 が定 ま つて居 り 、 所. て、 ﹁国体 ﹂ の 一つのあ ら われ と説 く の であ る。⑫. 松 尾 氏 は 、最 後 に 、 こ の ﹁自 己尊 敬﹂ の語 法 が存 在 す る 理由 を 、山 田孝 雄 氏 と 同 じ く 、 ﹁君 臣 は父 子 の情 ﹂ と し. と い つて居 る のを 見 ると 、自 己尊 敬 の此 の語法 が 、後 世 ま で案 外 広 く 行 は れ て居 た こと明 か であ る。詢. 王者 は自 分 の こと を次 の如 く いふ。 ﹁喜 に思 召 す ﹂ ︵予 は甚 だ喜 ぶ。︶. 感 ず ると 同時 に 、注 意 を惹 くも のの 一つは 、敬 語 法 であ る筈 だが 、 コイ ヤ ー ド の日本 語 文典 に. 直 田 西. (47).

(14) 所謂 王者 と い ふ範 囲 に広 めら れ て、皇族   将 軍   諸 侯 等 に及 んだも のであ ら う が 、我 が国 語 に自 己尊 敬 の語 法 が存 在 す る のは 、確 か に我 が国体 の 一つのあ ら はれ であ る。. 松 尾 氏 は 、 こ の後 に 、湯 澤幸 吉 郎 氏 の論 文 の結 論 を ﹁田 実 際 其 の通 り自 己尊 敬 に用 ゐ ら れ た  ② 他 人 の歌 つた者 ︵マ マ︶. を 誤 り 伝 へた者 閣 其 の書 の作者 が敬 語 に いひ か へた者 ﹂ の 三種 があ ると紹 介 し 、. ﹁成 程 田 ② も あ り 得 よ う が 、田 の相 当 に多 い こと は争 は れ な いと信 ず る。﹂ と結 ん で いる。. ﹁自 己 敬 語 ﹂ ﹁自 己尊 敬 ﹂ と いう命 名 は 、 こ の敬 語表 現 を 指 す 用語 と し て、以 後 の研 究者 に用 いら れ たが 、 こ の. ﹁自 己敬 語 ﹂ が上 代 に限 ら ず 後 代 ま で用 いら れ 、 そ の範 囲 も 、神 、天皇 から拡 大 され たも の にな って い った こと を 指 摘 し た 点 も 見落 せ ぬ松 尾 氏 の功績 であ る。. 豊 員女 に差 上 げ ま す。. 右 の場 合 に、 ﹁差 上 ぐ ﹂ ﹁上 る﹂ が 、 話 手 の聴 手 に対 す る敬 意 の表 現 の如 く 考 へる のは 、実 は 誤 認 であ つて、. ︵私 は︶  お 宅 に明 日上 りま す 。. 私 は︶ ︵. 把 握 の表 現﹂ は 、敬 意 そ のも の の直 接 的 表 現 ではな い。 た と えば 、時 枝氏 は、次 のよう に説 い て いる。. も の﹂ と 、言 語 主体 の ﹁敬 意 の直 接 的 表 現﹂ 即ち ﹁辞 に属 す るも の﹂ と の区別 に始 ま る。 ﹁敬 意 に基 く事物 の概 念. 時 枝 氏 の敬 語 論 は 、 ﹁敬 意 の表 現﹂ に関 し て 、言 語 主 体 の ﹁敬 意 に基 く事物 の概 念 把 握 の表 現 ﹂ 即 ち ﹁詞 に属 す る. の論 文 ﹁敬 語 法 及 び敬 辞 法 の研 究 ﹂③ に既 に発表 され て いる。. 年 の、 同 氏 の主著 ﹃国 語 学 原 論 ﹂ ﹁第 五章   敬 語論 ﹂ に見 る こと が でき る。 そ の主 要 な部 分 は 、昭 和十 四年 の同 氏. 昭 和期 即 ち 現代 の代 表 的 敬 語 論 と し て 、 それ のみ を 石 坂 正 蔵 氏 がとり あげ た 、時 枝 誠 記氏 の敬 語 論 は 、昭和十 六. 時 枝 誠 記氏 の説. 正 三】 【. (48). 0 「 自敬表現」研究史.

(15) 話 手 の聴 手 に対 す る敬 意 は 、 ﹁ます ﹂ と い ふ語 によ つて表 現 され てゐ る の で あ る。 それ な ら ば 、 ﹁差 上 ぐ ﹂. ﹁上 る﹂ と い ふ語 は何 を 表 現 し てゐ る か と いふな らば 、 これ ら の語 は 、客 体 化 さ れ 、素 材 化 され た主体 と聴 手. と の上 下尊 卑 の関 係 の認 識 から 、 これ ら の動 作 を特 別 の概 念 に於 いて把 握 し た こと を表 現 し てゐ る の であ る。. 或 る者 に対 す る敬 意 の表 現 と いふよ り も 、或 る者 と或 る者 と の貴 賎 上 下 の 関 係 の表 現 と い ふ 方 が 適 切 で あ る。鋤 時 枝 氏 は 、 ﹁自 敬表 現 ﹂ の例 を挙 げ ても 説 い て いる。 汝 は︶ 近 う 参 れ 。 ︵. る の であ る か 。 待 遇 の概 念 を 以 てす る な ら ば 、主体 が 、動 作 の客 体 に対 す る敬 意 を表 現 し たも のと いふ こと に. れ ﹂ の客 体 は ﹁我 ﹂ であ つて言 語主体 自 身 であ る。主 体 が自 分 自 ら を敬 ふと い ふ こと は如 何 な る こと を意 味 す. 右 の ﹁参 れ ﹂ に つい て若 し敬 意 の対 象 を い ふな ら ば 、 それ は動 作 の客体 に対 す る敬 語 であ つて、 この場 合 ﹁参 敏. の素 材 の表 現 ︵詞 ︶ に現 れ た敬 語 法     口  素 材 と素 材 と の関 係 の規 定﹂ に示 され て いる。. ︲ t 国 語学 原 論 ﹄ ﹁第 五章   敬 語論 ﹂  一一 ﹂⑪ と す る時 枝氏 の ﹁自 敬 表 現 ﹂ に ついて の見 解 は 、﹁ のの表 現 であ る 。  一 一 一 塁旧. 敬 語 を ﹁上 下尊 卑 の識 別 に基 く事物 の特 殊 な るあ り か た の表 現 であ り 、も っと厳 密 に い へば 、 か ゝる識 別 そ のも. のであると思ふのである。⑮. 敬 意 に基 く事 物 の概 念 把 握 の表 現を 、敬 意 そ のも の の表 現 の如 く考 へて、敬 意 の対 象 を詮索 す る処 から 生 ず る. 母 が 母 自 身 に、或 は食 事 に対 し て敬意 を表 現 し てゐ ると 考 へる のも 不合 理 であ る。 か く の如 き 不合 理 は 、畢党 、. 御 飯 を いた ゞき な さ い。 ︵話手 は母 、聴 手 は子 ︶. て、. な つて 、話 手 は自 分 自 ら に対 し て敬 語 を 用 ゐ てゐ ると いふ こと になら な け れ ば な ら な い。 又次 の様 な 例 に於 い. 直 田 西. (49).

(16) (50). 0 「 自敬表現」研究史. 甲 は話 手 、 乙 は聴 手 、丙 ︱ ︱ 丁 は素 材 的事 実 、丙 及 び 丁 は 、素 材 的 事 実 の成 立. に関与 す る 人 と す る 。 ︵ 中 略 ︶ 敬 語 の成立 と いふ こと は 、話 手 甲 が 、丁或 は丙. を尊 敬 す ると か 、謙 譲 であ ると か いふ問題 では な く 、話手 によ る丙 丁 の上 下尊. 卑 の関 係 の認 識 に共 く の であ つて 、か ゝる関 係 を 顧 慮 し 、適 当 に表 現す る処 に. 国 語 の敬 語 法 の目的 が存 在 す る と 考 へられ る。 従 つて、敬 語 的表 現 を 通 し て我. 々 の了 解 し得 る こと は 、話 手 の尊 敬謙 譲 の美 徳 の有 無 と いふ こと ではな く し て、. 話手 が か ゝる相 互 関 係 を排 別 す るわ きま への程度 如 何 の問 題 であ る。 こ の様 に. ﹁申 す ﹂ と いふ事 実 が 、偶 々上 位 に在 る第 一人称 者 を素 材 的 要 素 と し て成 立 し たも の であ ると 考 へれば 、他 の. 氏 記 機の 四 舞 疋 慟 鴫 舛幣 精 鋼 鑓弱oこれも、﹁ 獅 参る﹂ い。そこで尊大語と称して敬語の特例と考へるのである場聯 助動 2 工. の話 手 に対 す る動 作 を ﹁参 る﹂ ﹁申 す ﹂ と い ふ の であ る から 、 これ を尊敬 と も 謙 譲 と も 説 明 す る こと が出来 な. く中 せ ﹂ の如 き表 現 に於 い て 、 ﹁参 る﹂ ﹁申 す ﹂ は普 通 敬 語 と いはれ てゐ る の であ るが 、右 の場 合 には 、他者. でも 問 題 ではな い。 それ は 次 の如 き表 現 を 見 れ ば 一層 明白 にな る であ らう と 思 ふ。 例 へば 、 ﹁近 う参 れ ﹂ ﹁早. と丙 或 は 丁 と の関 係 であ つて、話手 と 丙 或 は 丁 と の関 係 では な い。 従 つて、話手 の尊 敬 謙 譲 と いふ こと は こ ゝ. が合 致 し た為 に起 こる錯 覚 であ る。 こ の場 合 にも これ ら の語 が表 す 処 のも のは 、客 体 化 され た第 一人称者 ﹁私 ﹂. いた﹂ ﹁私 は差 上 げ る ﹂ 等 と い ふ場 合 であ つて 、 それ はか ゝる敬 語 を使用す る話 手 と 、 か ゝる動 作 の主体 ﹁私﹂. けれ ば な ら な い。 それ は偶 々丙 或 は丁 が 、第 一人称 者 と し て話 手 甲 と 同 一人 であ る場 合 であ る。 ﹁私 は いた ゞ. な が ら 、敬 語 に於 い て 、 そ れ が 話手 の尊 敬 謙 譲 の表 現 の如 く 誤 ら れ 易 い事 情 の存 在 す る こと も注 意 し て置 かな. 様 であ る が 、先 づ これ ら の考 を打 破 し な く て は 、敬 語 の真 の面 目 は発揮す る こと が出 来 な い の であ る。 しかし. いふ こと は 、敬 語 を 以 て 日本 人 の推 譲 の美 徳 の顕 現 であ るか の如 き説 をな す も の に対 し て、殊 更 に異 を 立 てる. 甲.

(17) 敬 語 と 何 等 異 るも の でな い こと を知 る こと が出 来 る の であ る。③ 又震 々問 題 にされ る処 の古 代 敬 語法 の特 例 即. ち 至 尊 が御 自 ら の事 を 述 べら れ る時 敬 語 を 用 ゐ ら れ ると いふ こと も 、③ 話手 であ ら れ る至 尊 が 、第 一人称 者 御. 自 身 の位 置 を 他 と の関 係 に於 いて認識 せら れ た結 果 御 使 用 にな る処 のも の であ つて、 いは ゞ湯 澤氏 の所謂 尊 大. 語 に入 る べき も の であ る が 、厳 密 に い へば 尊 人 語 でも な く 、 正 し く敬 語法 の正当 な 用法 と 認 め て差 支 へな いの. であ る。 又 ﹁話 し く さ る﹂ ﹁見 て居 やが る﹂ 等 の表 現も 、尊 大 語 に対 し ては卑 詈 語 と でも いふ べき範 疇 を 立 て. な け れ ば な ら な い の であ る が 、既 に述 べたあ り か た の表 現 を 敬 語 と す る見地 に従 へば 、 これも 亦 敬 語法 以外 の. も の では な い の であ る。 敬 語 はかく素 材 間 乃 至 話 手 と素 材 と の関 係 の認識 に基 くも の であ るから し て、 そ の把. 母 が自 己 に用 ゐ る敬 語 の如 き は 、子供 の世 界 に於 け る把 握 の仕 方 を 母 が そ のま ゝ用 ゐ た の であ つて、 そ こに母. 現 と も な り 、 又友 人 に向 つて ﹁御覧 にな ら う か ね ﹂ と い へば 、滑 稽 或 は皮 肉 の表 現 とも な り得 る の であ る。⑩. 握 の仕 方 によ り或 は厳 粛 な表 現とも なり 、母 が 子 に対 し て ﹁お 母 様 が読 ん で上 げ ま せう ﹂ と いふ様 な親 愛 の表 敏. 奏者 ﹁両 国 の百 姓是 へ参 れ ︵ 筑紫奥 ︶. な ど にお い ては 、 話 手 が自 己を特 に高 き に置 いて 、従 つて動 作 主 を引 下げ て言 ふ意 味 があ る様 に解 され易 いが 、. 殿 ︵冠者 二︶  ﹁汝 、供 を 仕 れ ︵ 狂 、釣 女 ︶. 等 は何 事 を 仕 る ︵ 狂 、長 光 。 日代 ガ 田舎 者 卜掏 摸 ト ニ向 テ言 フ︶. いら ぬお のれ の古 歌 だ て ゞはあ るま いか 、去 り な がら 有 ら ば 申 せ ︵ 狂 、舟 ふな ︶  お う 目代 に てあ るが 、汝. にお け る次 の説 明 の こと であ る。. いる。 な お 、湯 澤氏 の所 謂 尊 人 語 と いう のは 、右 の文 中 に引 用 され て いる湯 澤氏 の ﹁狂 言 記 の敬譲 の動 詞 と助 動 詞 ﹂. な り 、 そ の敬 語 論 の立 場 か ら の説 明 で、説 得 力 を持 って いる。 ま た 、当時 の時 代 思 潮 に流 され ていな い論 にな って. 引 用 が長 文 にな った が 、以 上 が時 枝氏 の ﹁自 敬表 現﹂ に関 す る見解 の全 て であ る。時 枝 氏 以 前 の説 明 の仕 方 と異. 子 一体 の気 持 ち が表 現 さ れ てゐ る ので、決 し て敬 語 の特 例 と は い ふ こと が出 来 な いも の であ る。⑩. 直 田 西. (51).

(18) (52). 0 「 自敬表現」研究史. それ は是 等 の文 の真 意 では な い。 若 し 又 こ ゝに上 下 関 係 が 示 さ れ て居 ると言 ふな ら 、 それ は既 に謙 譲 の意 を失. つて居 る と 言 は ねば な ら ぬ。 謙 語 の謙 語 た る 所 は 、関 係 者 を 敬 し 、 又 は之 に対 す る謹 み を表 す 為 に 、動 作者 を. 卑 き に置 く 意 を表 す点 にあ る。 然 る に是 等 の文 では 、話手 が 関 係 者 た る自 己を高 き に置 くと 解 せざ る べからず 、 従 つて是 等 の丁寧 語 は 、 いは ゆ る尊 大 語 と も 言 は ねば な ら ぬ の であ る。 江湖 山 恒 明 氏 の説. れ ても 、臣 下 の世 界 に於 け る把 握 表 現 の仕 方 を そ のま ゝ採 り 用 ひ さ せ給 ふ に至 つたも の ではあ るま いか と拝察. 見 ら れ る やう に 、あ た か も 父 や 母 が子供 の世 界 に於 け る把 握 の仕 方 を そ のま ゝ用 ひる やう に、陛 下 にお か せら. げ る と 、 恐 れ 多 い想 像 ではあ る が 、 ﹁お 母 様 が読 ん で上 げ ま せう ﹂ と か ﹁お父 さ ん が お 帰 り だ よ ﹂ な ど の例 に. ら君 臣 の大 義 、上 下 の別 を 十 分 に認識 し て居 る の であ り 、此 の体 認 を 以 て尊 崇 の意 識 を盛 つた尊 敬 語 を 申 し上. 私 は 、自 己敬 語 の基 底 と な るも のは いは ゆ る ﹁親 愛 の情 ﹂ だ ら う と考 へる。 即 ち 、臣 下 の方 では幼 少 の時 か. 之 に対 し て他 の諸 家 は 上 下尊 早を排 別 し給 ふ ﹁理性﹂に基 くも のであ る と考 へて居 ら れ る やう であ る。 のであ り 、. 以 上 の中 で、山 田博 士 と 松 尾 氏 と は 、自 己敬 語 は ﹁親 愛 の情 ﹂ を あ らはし たま ふも の であ ると せら れ て居 る. 誠 記 の諸 氏 の説 を 紹介 し た後 に、 次 の如 く述 べて いる。. く も のと 見 る こと には反対 と いう わ け であ る。 江湖 山 氏 は 、鹿 持 雅 澄 、山 田孝 雄 、松 尾捨 治 郎 、湯 洋 幸吉 郎 、時 枝. ﹁自 敬表 現 ﹂ を 特 異 な 敬 語 の用 法 では な く 、 正常 な 用 法 と 見 る こと に は賛 成 であ る が 、 ﹁上 下尊 卑 の認識 ﹂ に基 づ. ﹂の と 述 べ た。 即 ち 、 及 び 尊 大 語 ﹂ で 、 ﹁時 枝 氏 の推 論 過 程 と は人 い に異 る が 、 そ の結 論 には賛 成 し た いと 思 ふ。. 省 堂 ︶ の第 二章 の ﹁︵口︶自 己敬 語  江 湖 山 恒 明氏 は 、 昭 和 十 八年 に、 ﹃敬 語 法 L T 一 法 であ る と し た こと に対 し て 、. 時 枝 氏 が ﹁自 敬 表 現﹂ を ﹁尊 人 語 ﹂ の 一種 であ る と し 、上 下尊 卑 の認識 に来 づ い て用 いる限 り 、 正当 な 敬 語 の用. 四】 【.

(19) せら れ る。 か う 考 へて見 れ ば 、臣下 の方 で君 臣 の別 を 認識 す る のは 、上 下尊 卑 の関 係 を排 別 す る わき ま へ︱︱. 即 ち 理性 によ る判 断 であ ると 云 ふ事 が出来 るが 、 これ を 、陛 下 が採 り 用 ひさ せ給 ふ場 合 には 、臣 下 のさう し た. 意 識 は全 然 問 題 にす べき でな く 、さう し た臣 下 の認識 に基 い て表 現 され た言 葉 を 、 そ のま ゝ御嘉 納 にな り 、そ. れ を御 使 用 遊 ば さ れ る叡 慮 の程 を拝 察致 す べき であ る。 さ う 考 へれ ば 、父 や母 が子 供 の世 界 に於 け る把 握 の仕. 方 を そ つく り 採 り 用 ひる のは 、 そ こに父 子渾 融 、母 子 一体 の親 愛 の気 持 が表 現 され る と いふと ころ に絶 対 の目. 標 があ ると 考 へら れ る やう に 、至尊 の ﹁自 己敬 語 ﹂ にも 、同 様 に、国 民を大 御宝 と し て愛 撫 し給 ふ広 大 無 辺 の. 御 愛 情 を う か ゞ ひ奉 る事 が出 来 る の であ り 、そ こに こそ義 は君 臣 な れ ど情 は父 子 と い ふ 、万 国 にそ の比 を 見 な. て居 る の で、   一旦 それ ら の特 性 を喪 失 す れば忽 ち にし て有 力者 によ つて、臣 下 の階 級 にま で蹴 落 され る恐怖 に. り がな いも のと す れ ば 、外 国 に於 ては 、君主 や帝 王 は 、自 己 の武 力 の卓 抜 さ や人徳 の優 秀 さ の為 に、位 に即 い. い君 民 一体 のう る は し い媛 々た る和気 が 、実 感 と し て身 に ひ ゞ い て来 るわ け であ る。若 し 、此 の推 察 にし て謬 敏. であ ると云 へよ う 。 従 つて、湯 洋氏 が ﹁上古 にお い ては 天 皇 の ﹁至尊 ﹂ た る御 自 覚 が極 め て強 く ﹂ ﹁況 し て表. 国 古 代 に於 て見 ら れ る自 己敬 語 は、特 に、皇室 と 国 民 と の融 合 を 最 も端 的 に示 す 具 体 例 と し て注 目す べきも の. あ る が 、外 国 人 に は 恐ら く 不 可 解 極 ま る であ ら う 現実 を体 験 し てゐ る のであ る。 こ ゝに想 ひを いたす時 に、我. 忠 君愛 国 の至 情 を 堅 く す ると いふ、ま こと に我 々大 和 民族 と し ては 、生 れ乍 ら にし て身 に具 へてゐ る特 性 では. 皇 室 から 垂れ さ せ給 ふ御 仁 愛 が深 ければ 深 いほ ど 、ま す ノヽ 恭 敬 の念 を強 く し 、君 臣 の別 を は つきり体 認 し 、. な く 、ど こノヽ ま でも 臣 民 に対 し て御 仁 慈 と御 愛 撫 と を 垂 れ さ せ給 ふ のであ る。 し か し 、下 人 民 に於 ては 、上. のも のにな つてゐ る の であ る から 、些 かも外 国 に見 ら れ る やう な 虚勢 を張 ると か空威 張 り を す る と か の必 要 は. ら ゆ る面 で示 さ ね ば な ら な い のに比 べて、我 国 の至尊 は 天 照 大 神 の神 勅 によ つて、万 世 一系 の皇 統 は確 平 不抜. さら され ねば な ら な い危 険 が た えず つき ま と つてゐ る為 に、 よ そ 目 には こけ お ど じ と 思 はれ るま で の威 厳 をあ. 直 田 西. (53).

(20) (54). 0 「 自敬表現」研究史. 立 つて臣 下等 に何 事 か宣 ら せ給 ふ際 には 、 それ が 顕 然 と 現 れ た の であ る﹂ と云 つて居 ら れ る事 や 、 時 枝 氏 が. ﹁話 手 であ ら れ る 至 尊 が第 一人称 者 御 自 身 の位 置 を 他 と の関 係 に於 いて認識 せら れ た結 果 御 使 用 にな る処 のも. の﹂ と 云 つて居 ら れ る事 には 、賛 意 を表 し かね る。 即 ち 、既 に述 べた と ほり 最初 に ﹁至 尊 ﹂ の意 識 を 明 確 に持. つた のは 、寧 ろ却 つて臣 下 であ り 、 ﹁天 皇 の御自 党 ﹂ であ つた と申 し上げ るわ け には行 か な い の であ る。②. 江 湖 山 氏 は 、実 に千 六 百字 を 連 ね て 、時 枝説 に反対 であ る 理由 を 説 い て いる のであ るが 、 そ の反対 論 の根 拠 は 、. 神 聖 不 可 侵 の万 世 一系 の皇 統 によ る人 日本 帝 国 の国体 の尊 厳 と いう も の であ って、今 日 の日 で見 ると 、全 く時 枝説. を 論 破 し た こと に は な って いな い。 戦 争 下 と いう時 局 と時 代 思 潮 を如 実 に示 し て いるだ け であ る から であ る。. 更 に 、江湖 山氏 は 、時 枝 氏 が ﹁自 敬 表 現 ﹂ を ﹁尊 大 語 ﹂ の 一種 と 見 た のに対 し て、 ﹁尊 大 語 ﹂ を 天 皇 の ﹁自 己敬. 語 ﹂ の ﹁親 愛 ﹂ の要素 の忘 れ ら れ た崎 形 的 、変 態 的 な も のと 説 いて両 者 を 区別 しよ う と し た。. 唯 こ ゝで注 意 し てお き た い事 は 、 至 尊 が ﹁自 己敬 語 ﹂ を 御 用 ひ にな ら れ る際 には 、親 愛 の情 を こめ て仰 せ出. さ れ る事 は 、右 の推 察 のと ほり であ る が 、 それを 受 け と る側︱ ︱ 即 ち 臣 下 の側 に於 ては 、君 臣 の別 を は つきり. 認 識 し てゐ る の であ る から 、上 か ら 下 し給 ふ通 り の親 愛 の御 言 葉 と し ては殆 ん どう け と ら ず 、厳 粛 な 仰 せご と. と し て受 けと つた であ ろう と 考 へら れ る事 であ る。 こ ゝに我 国 の独 自 性 があ る のであ り 、 そ のた め に、後 には. 段 々と自 己敬 語 のも つてゐ た ﹁親 愛 の情 ﹂ と いふも のが 、 それ を う け と る側 の理解 の領 域 から 影 を う す く し て. 行 く やう にな つた と 云 ふ事 も 、亦 推 察 可 能 であ り 、 平安 朝 文 学 から 鎌 倉 時 代 の戦 記文 学 にお け る用 例 を経 て、. コイ ヤ ー ド の引 用 し た用 例 の ﹁王者 ﹂ が 将 軍 や諸 侯 を さ す に至 る事 は 、 ロドリゲ スが 同様 の例 を あ げ てゐ る所. で ﹁関 白 ﹂及 び ﹁公 方 ﹂ と 云 ってゐ る のからも う な づ く 事 が出 来 る が 、 こ ゝに至 つては 、ま さ し く自 己敬 語本. 来 の面 目を喪 失 し てしま ひ 、外 国 の帝 王者 流 に見 ら れ る 空 威 張 り の尊 大 語 に堕 し たと 云 ふ事 が出 来 よう 。. 従 つて、尊 大 語 は 、自 己敬 語 のも つ本 質 的 な ﹁親 愛 ﹂ の要素 が忘 れ ら れ て、自 己 の上 位 と 話 相 手 の下 位 とを 、.

(21) 敏 直 田 西. (55). は つき り 高 位 に立 つて区 別 す る に至 つた の で、 いは ゞ自 己敬 語 の崎 形 的 な 形 のも のであ る と云 ふ事 が出来 よ う 。. そ し て、自 己 の優 位 と 相 手 の下 位 と を特 に強 調す る手 段 と し て、述 語 に於 ても 、 い は ゆ る 横 柄 でぞ んざ いな. ﹁遣 はす ﹂ と か ﹁と ら す ﹂ と か ﹁参 れ ﹂ と か ﹁仕 れ ﹂ と か のやう なも のが 用 ひら れ る やう にな つた と 考 へら れ. る。 右 の中 で、例 へば ﹁参 る﹂ とか ﹁仕 る﹂ と か は 、 元来 話 手 が自 己 の動 作 を謙 遜 し て云 ふ言 葉 であ る のを 、. 聴 手 であ り 同時 に尊 大 語 を 用 ひる際 には 話手 にな つてゐ る者 が命 令 形 を 以 て原 の場 合 の話 手 であ り 尊 大 語 を 用. ひ た場 合 の聴 手 であ る者 の動 作 に つい て用 ひた場 合 に は 、非 常 な軽 侮 意 識 を伴 ふ語 と な つて来 る事 は 、第 一人. 称 の謙 語 であ る ﹁お のれ ﹂ を第 二人称 と し て用 ひた場 合 に生 じ る罵普 意 識 の強 さから も首 肯 出 来 る。 要 す る に、. こ の程 度 の品 位 を 持 つ語 であ るから 、 いはゆ る成 り 上 り 的 な 印象 を お ほ ふ べくも な い の で、 それ は敬 譲 の助 動. 詞 を 添 加 せず に動 詞 だ け の命 令 法 は最 も 身 分 の低 い者 に対 し て用 ひら れ ると 、 ロドリゲ スが述 べて居 るが 、尊. 大 語 には動 詞 だ け の命 令 法 ︱︱ しかも それ が元来 は謙 語 であ る べき動 詞 が多 い︱︱ が 目 立 つと いふ事 と関 連 さ. せ て見 ても 、 これ が ど ん な地 位 を敬 語 の中 にとり得 る かと いふ事 も 、お のづから 想 像 出 来 よ う 。. 従 つて、尊 大 語 の大 部 分 は 、自 己敬 語 のも つ本 質 的 なも のを 忘 れ てし ま ひ、 それ から 派生 し て来 た変 態 的 な. 語 であ ると いふ事 が 出 来 る やう であ り 、明 治維 新 以後 、我 国 の社 会 組 織 が本 然 の姿 に立 ち 帰 つてから は 、 か う. し た崎 形 的 な 、封 建 制 度 の歪 み から 生 れ 出 たも のは 、 影 を 潜 め る に至 つたと いふ事 は当 然 の帰 趨 であ ると 云 ひ. 得るわけである。①. 江湖 山 氏 が尊 大 語 と 自 己敬 語 を質 的 な差 のあ る表 現 であ る か の如 く に論 じ て いる こと は 、実 は歴 史 的 事 実 に基 づ. くも の では な い。∽ 歴 史 的 認識 にお いても 時 代 的 制約 の厳 し か った当 時 と し ては い江湖 山 氏 の解 釈 も やむ を え な い も の であ ったと言 え よ う 。.

(22) (56). 0 「 自敬表現」研究史. 金 田 一京 助 氏 の説. づ の御 手 も ち 、掻 き 撫 で ぞ 、祢 宜 賜 ふ云 々﹄ と あ る類 であ る。絶 対 敬 語 と は かう いふ類 を言 ふ の であ る。. ん自 ら へ ﹃吾 が立 た せ れ ば ﹂ と 敬 語 を お 用 ひ になら れ る 。万 葉 集 六 巻 にも 、聖 武 天皇 の御 製 に、 ﹃天皇 朕 、 う. 此 に就 て思 ひ合 は さ れ る こと は 、古 事 記 の八千 矛 の歌 では 、大 国 主 の神 が 、高 志 国 の沼河 比 売 に向 つて、お. つま り 物 語 る英雄 神 自 身 が自 分 へ敬 語 を 使 つて言 つてゐ る の であ る。. ア イ ヌ叙 事 詩 ユー カ ラ は 、 ヒー ロー の自 叙 体 に語 ら れ るも の であ るが、 ﹁我 ﹂ でよ い所 を ﹁我 々﹂ と 云 つて、. そ れ であ る。. 絶 対 敬 語 の特 色 に は 、 第 一人称 にも 敬 語 形 が 用 ひら れ る こと であ る。父 や夫 が 、子 や妻 に対 し て いふ場 合 が. 但 し   ア イ ヌ語 動 詞 の敬 語 法 は 、一人 に対 し て複 数 形 を 用 ひ る のが それ であ る。︶ り にな り ま せ ん﹄の類 であ る。 ︵. あ る。 即 ち アイ ヌ の婦 人 へ、﹃お 父 さ ん御 出 でか﹄ と 聞 く と 、 そ の返 事 、﹃今 日浜 へ御 下り にな つて、ま だお 戻. は 、夫 に は 必 ず 敬 語 を 用 ひ、蔭 で云 ふ場 合 でも 、又 、 目 上 の他 人 に対 し て夫 の こと を 云 ふ場 合 でも 同様 な の で. 絶 対 敬 語 は 、敬 語 と し ては初 期 の発達 で、例 へば 、今 日 のア イ ヌ語 の敬 語 な ど が それ であ る。 ア イ ヌ の婦 人. 第 二期 が 、 それ か ら 発 達 し た絶 対 敬 語 の時 代 であ る。. う に思 は れ る。第 一期 は 即 ち タブ ー の時 代 で、上掲 の自 然 民族 の生 活 にそ の面 影 を偲 ん で想 像 す る のであ る が 、. さ て、我 が国 の敬 語 の語 法 を 通 し て、す べて の敬 語 法 発 達 の過 程 を考 へて見 ると 、大体 三 つの段 階 があ る や. 論 考 の ﹁三  敬 語 発達 の三 段 階 ﹂ であ る。 比 較 的 短 い文章 な の で、 そ の全 文 を 次 に掲 げ る。.  それ は 、  昭 和 十 七年 刊 の同 氏 の著 書 ﹃国 語 研 究 ﹄ ︵八雲 書 林 ︶ に ﹁女 性 語 と 敬 語 ﹂ と し て収 録 され た の論 であ る 。. 最 後 に 、 昭 和前 期 の ﹁自 敬 表 現﹂ 論 の中 で、後 期 の論 に大 き な 影響 を与 えた のは 、金 田 一京 助 氏 の ﹁絶 対 敬 語 ﹂. I】 【.

(23) 田 直 敏 西. (57). 雄 略 紀 には ﹃天皇 乃 口号 日﹄ の御 製 に ﹃猪 待 つと 、我 が御 在 せば 、真 猪 待 つと 、我 が立 た せば ﹄ な ど 仰 せ に. な る こと も 、 かう いふ敬 語 の時期 にあ る こと を 考 へ合 せれば 不 思 議 が無 く な る の であ る。 この類 、主 上 ま た は. 法 皇 上 皇 の御 詞 には勿 論 、主 人対 従 者 の間 にも 、同様 で、平 家 な ど戦 記物 語 の頃 ま でも 例 証 があ り 、後 世 から. 見 ると 不 思 議 のやう でも 、敬 語 発達 の過 程 から 見 ると 、少 しも 不 思 議 な く解 け る こと な の であ る。. 次 は 、第 二期 の相対 的 敬 語 の時 代 が 、 即 ち 今 の時 代 の敬 語 であ る。 此 は 、 日本 語独 特 のも の で、 ア イ ヌ語 な. ど敬 語 が あ つても 、此 処 ま では来 ず に留 ま つてゐ る のであ る。 欧 羅 巴 の敬 語 も 、口″ 目︼ ∞r電 協 と か 〓 い と. か 〓H P な ど いふ類 では 、相 手 の如 何 に関 せず 云 へる敬 称 であ る か ら 、此 は絶 対 敬 語 の程度 のと ころ であ る。. 即 ち 個 人 の社 会 的身 分 を 表 す 称 呼 だ から 、客 観 的 には常 に 一様 であ る故 、誰 に向 つてでも 同様 にさ う 呼 べる の であ る。. 然 る に、 日本 語 の今 日 の敬 語 は それ では無 い。﹃父様﹄ ﹃母 様 ﹄ も 、 云 ふ相 手 に由 ては単 に ﹃父 が﹄ ﹃母 が﹄、. J 若 し く は 、却 て ﹃ 愚父 ﹄ ﹃愚 母﹄ と さ へも 云 ふ こと があ つて、 全 く相 手 に由 つて 相 対 的 に用 ひ る敬 語 であ る。 相 対 的 敬 語 と 呼 ぶ所 以 であ る。. 即 ち 、妻 が 、自 分 の夫 を言 ふ のに、話 す 相 手 に由 ては 、 ︵日 下 、 即 ち雇 人女 中 な ど に向 つてな ら ば ︶ ﹃檀 那.   釜 日通 の他 人 の前 にな ど は︶﹃主 人﹄と か ﹃宅﹄ と かと な る の であ る。 様 ﹄、ま た相 手 に由 つて、. 絶 対 的 敬 語 時 代 は 、敬 語 を 用 ふ べき 人 には常 に用 ひさ へす れ ば よ いから 、単 純 だ つた のに相 対 的 敬 語 に於 て. は 、 そ の場 で、附 け たり 、 取 つたり 、附 け る にも 相 応 の形 を 附 け な く ては なら な いから 、 そ の言 ひ様 と い ふも. のは 、 微 妙 を 極 め 、き ち ん ノヽ と 其 が適 度 に行 はれ る時 に、何 と も い へな い善 さ を 発揮 す る の であ る。 が 、 そ. れだけむつかしいことになつてしまつたのである。⑮. 敬 語 に発 達 段 階 があ ると いう 視 点 を 導 入 し て、 日本 語 の敬 語 に、絶 対 敬 語時 代 の敬 語 と相 対 敬 語 時 代 の敬 語 のあ.

(24) (58). 0 「 自敬表現」研究史. る こと を説 いた 金 田 一氏 の論 は鮮 か であ り 、山 田 孝 雄 氏 等 の論 に比 べて、言 語学 的 視 野 の広 がりも 持 って い て、説. 得 力 を持 って いる。 ﹁自 敬 表 現 ﹂ を絶 対 敬 語 と し て説 く こと は 、 石 坂 正蔵氏 、辻 村 敏 樹 氏 な ど に支 持 され の 現在 に お いても 有 力 な 説 と な って いる 。. 第 六章  第 四 期 昭 和 時代 後 期. 昭 和 二十 年 八月 十 五 日 の敗 戦 を も って、 昭和 後 期 の始 期 と す る が 、 昭 和 二十 年 代 前 半 は 旧秩 序 即 ち人 日本 帝 国 の. 崩 壊 と 連 合 国 占 領 下 の混 乱時 代 であ って 、敬 語 研 究 にお いても 見 る べき成果 は提 出 され な か った。 日 々 の生 活 に追. わ れ 、 研 究 に専 念 す る余 裕 のな か った時 代 であ る。 し か し 、 こ の時 期 の初 め 、即 ち 、 昭 和 二十 一年 一月 一日 に 、 い. わ ゆ る天 皇 の人 間 宣 言 と し て知 ら れ る詔 書 が出 さ れ た こと は 、 そ の後 の敬 語 研 究 に大 き な意 味 を持 つも の であ った。 特 に 、 こ の詔 書 の. 朕 卜画 等 国 民 ト ノ間 ノ紐 帯 ハ、終 始 相 互 ノ信 頼 卜敬 愛 ト ニ依 リ テ結 バ レ、単 ナ ル神 話 卜伝説 ト ニ依 リ テ生 ゼ ル. モノ ニ非 ズ 。 天 皇 ヲ以 テ現 御 神 ト シ、且 日本 国 民 ヲ以 テ他 ノ民族 二優越 セ ル民族 ニシ テ、延 テ世 界 ヲ支 配 ス ベ キ 運 命 ヲ有 スト ノ架 空 ナ ル観 念 二基 ク モノ ニ非 ズ 。. の部 分 は 、 天 皇 の神 格 の否定 と 神 話 、伝 説 、具 体 的 には 、天 照大 神 の神 勅 によ る そ の子孫 の日本 国支 配 に国 体 の渕. 源 を 置 い てき た こと の否 定 であ って、 ﹁自 敬 表 現 ﹂ の考 え方 に 一人 転 換 をも たら す こと にな った。. 昭 和 三十 年 二月 、 ﹁名 古 屋大 学 文 学 部 研 究論 集 X  文 学 4﹄ に発表 さ れ た尾崎 知 光 氏 の論 文 ﹁所謂 自 敬 表 現 に つ. い て﹂ は 、 天 皇 の こと ば には 元 来 ﹁自 敬 表 現﹂ は な く 、 ﹁自 敬表 現 ﹂ と 見ら れ るも のは 、尊者 の動 作 を 語 り 伝 え る. 者 の立場 か ら の敬 意 の介 入 し た も の で、 話法 の混 滑 によ る現象 であ ると 説 いた。 そ し て、古 代 から中 世 に至 る数多.

(25) く の用 例 を挙 げ て 、 そ の説 の実 証 を 試 み た。 こ の尾崎 論 文 は 昭和 三十 年 代 に極 め て大 き な 影響 を及 ぼし た 。o. これ に対 し て ﹁話 法 の混清 ﹂ によ る結 果 と し て の ﹁自 敬表 現﹂ の存 在 は 否 定 し得 な いが 、文献 に記 され たと お り. の ﹁自 敬 表 現﹂ の存 在 も 認 めら れ るとす る説 も 塚 原鉄 雄 、桑 田明 、辻 村敏 樹 、春 田和 男 、穐 田定 樹 な ど の諸 氏 によ. って主 張 され た。の 筆 者 も 鎌 倉 時 代 の伏 見 天 皇 、花 園 天皇 の日記 に ﹁自 敬 表 現﹂ の確 実 な使 用例 のあ る こと を 報 告 し た。勁 尾崎 知 光 氏 の 説. 部 研 究 論 集 X  文 学 4﹄ 所収 の ﹁所謂自 敬表 現 に つい て﹂ であ る。. 二輯 ︵昭 和 二十 八年 七月 ︶ に掲 載 され て いる。 こ の要旨 を そ のま ま 巻 頭 に置 いて詳論 し た のが 、 ﹃名 古 屋大 学 文 学. 意 を 現 は し てゐ る の ではな く 元来 は尊者 の動 作 を 語 り 伝 へ言 ひ述 べる者 の立場 から の敬 意 の介 入 し たも の では. 今 私 は こ の自 敬 表 現 に つい て考察 し た結 果 、 これ は本 質 的 には 話法 の混清 によ る現象 であ り 、尊 者 自 ら の敬. が挿 ま れ てゐ る。. ゐ な い こと 、当 時 の敬 語 用 法 からも 特 異 的 であ る こと 、及び上 代 に於 い て のみ特 に著 し いこと 等 に つい て疑 問. はれ たも のと の観 方 が行 はれ てゐ る。 然 し こ の表 現 が必ず しも尊者 に常 用 さ れ て 逆 に天皇 がお 用 ゐ にな つて宙一. た め自 ら そ の気 持 が表 現 にあ ら はれ たも の  0 臣 下 の天皇 を御 う やま ひす る 心 が深 く 、 さう し た尊 敬 の表 現 を. つて、 か う し た 、表 現 の所拠 に つい ては諸 説 があ るが 、大体 、0 天 皇 の ﹁至 尊 ﹂ と し て の御自 覚 が極 め て強 い. 自 敬表 現 と は 、 天皇 又 は高 貴 な御 方 が自 ら の事 を 述 べら れ る際 に敬 語 を 用 ゐ ら れ ると み る現象 を さ す の であ. ま ず 、 尾 崎 論 文 の ﹁要旨 ﹂ の全 文 を掲 げ る。. 敏. 尾 崎 知 光 氏 の ﹁自 敬 表 現﹂ 論 は 、 昭和 二十 七年 十 月 の国 語学会 で発表 さ れ たも ので、 そ の要旨 は ﹃国 語 学 ﹄ 第 十. … …】 【 田 直 西. (59).

(26) ( 60 ). 0 「 自敬表現」研究史. な いか と 推 測 し た 。 又 この現象 を 触 発 さ せ たも のは時 代 により 言 語 の性 質 により 種 々に考 へら れ るが 、特 に語. り 手 の姿 が強 く 予 想 され る上 代 文 献 に こ の表 現 の顕著 な こと は注 目 す べきも のと 思 ふ。 そ し て 日本 書 紀 のや う. な 記録 性 の強 い文 献 には殆 ど 現 は れ な いが 、語 つた り 奏 し たり す る行為 と 密 接 に関 連 し てゐ る歌 謡 、祝 詞 、宣 命 には存 し 、 そ れ が遂 に 一定 の法 式 と し て定 着 し て行 つた。. か く て時 代 と 共 に書 く こと ば が 確 立 し 、 自 覚 的 記 述 態 度 が著 しく な ると こ の表 現も 姿 を消 す が、 中 古 の源氏 物. 語 等 では遥 に物 語 り の発想 を と り 入 れ 叙 述 を 立 体 化 せ んと す る技 巧 の影響 を う け て別 の姿 と な つて現 はれ 、 中. 世 の軍 記物 語 に至 つて語り 物 が復 活 す ると 共 に再 び 多 く 認 めら れ る やう にな つた。 而 し て室 町末 頃 から ﹁自 敬﹂. と いふ特 殊 な 言 語 認識 がみ ら れ る が 、そ れ はあ く ま で実 際 の国語 と し ては存 在 せず 、一種 の文章 語 の表 現と し て. 以 上 のやう な 事 実 が 認識 せら れ た と い ふ こと であ り 、自 敬表 現 への反省 も こ こに生 れ 出 たと 見 る べき であ ら う 。. 尾 崎 氏 の右 の要 旨 に は 示 され て いな いが 、尾 崎 氏 は 、本 居 宣 長 、鹿 持 雅 澄 、山 田孝 雄 、江 湖 山 恒 明 、松 尾捨 治 郎 等 々 の諸 氏 の自 敬 表 現 肯 定 説 に つい て 、次 のよ う に断 じ て いる。. と ころ で今 、諸 説 を 通覧 す る時 に感 ぜら れ る事 は 、 これ ら す べては或 る共 通 し た前 提 の上 に立 つてな され て. ゐ る論 では な いか と いふ こと であ る。 そ の第 一は 、尊 者 の ことば には 元来 何 か の特 殊 な威 厳 や愛 情 の表 現 が存. す ると い ふ国 学 の伝 統 的 な考 へ方 を 意 識 的 にせ よ 、 無 意 識 的 にせ よ 、継 承 し てゐ ると察 せら れ る点 であ る。 こ. の態 度 は宣 長 や雅 澄 に特 に著 し いが 、 と も か く 自 敬 と い ふ概 念 を 別 に怪 し む 所も な く 認 め よう と す る所 に問 題 があ る の では な か ら う か。. こ の考 え が 尾 崎 氏 の研 究 の モチー フ であ り 、 全 体 を貫 く姿 勢 であ る。 奈良 朝 以前 と し て、古 事 記 から H例 、古 代. 2例 、 源 歌 謡 か ら 7例 、奈 良 朝 のも のと し て、祝 詞 から 4例 、宣 命 か ら 2例 、平安 朝 の竹 取物 語 3例 、宇 津 保 物 語 1.

(27) 田 直 敏 西. (61). 4例 、枕 草 子 1例 、栄 花 物 語 6例 、大 鏡 2例 、狭 衣 物 語 4例 、更 に、中 世 の保 元物 語 から 2例 、平 治 物 語 か 氏物語 1. 、 ら 5例 、平 家 物 語 か ら 8 1例 の所謂 自 敬表 現 の用 例 を 挙 げ て 論 文 要旨 に示 され て いる解 釈 によ って 一貫 性 を持 った 説 明 を 試 み 、 尾崎 氏 は 、次 のよう に結論 し た。. 以 上 のやう に自 敬 表 現を通 観 す ると 、 それ は 所謂 自 ら を 敬 す る言 ひ方 では な く て、話法 の混清 のも たら し た. 特 殊 な表 現 であ り 、 話 され たま ま の 国語 に存 す る混清 と いふより はむ し ろ ﹁書 き ことば ﹂ 及 び これ に類 す る意. 味 を も つてゐ た ﹁語 り ことば ﹂ に於 け る 一種 の文 章 語 的表 現 であ つたと み ら れ る のであ る。 ︵ 中 略 ︶ 古 く自 敬. 中 略 ︶ 所 謂 自 敬 な る概 念 は、 たと へ以前 な ど と い ふ敬 語 用 法 が実 際 の国語 にあ つたと は考 へにく いと 思 ふ。 ︵. に そ の崩 芽 はあ ると し ても 、古 代を 理想 の時 代 と し 、古 典 の世 界 の尊 厳 を 信 じ 、古 典 の こと ば はす べて歴史 的. 事 実 の こと ば であ る と 考 へる近世 国 学 の素 朴 な世 界 観 の中 で特 に肯定 され た言 語 認識 であ り 、 それ が後 代 ま で. こ の表 現 の真 相 を 明 ら か にす る こと を妨 げ てき たも の では な か つた か と 思 ふ の であ る。. つま り 、尾 崎 論 文 は 、 近 世 国学 以来 の天 皇 の神 秘 性 、神 聖 視 を否 定 し 、 人 間 天 皇 の ことば と し て見 よう と し たも. の であ った。 それ 故 に 、 ﹁自 敬 ﹂ 乃至 天 皇 上 位 の表 現 の存 在 を 否定 し た の であ った 。 尾崎 氏 が敬 語 の理論 的 説 明 に. 時 枝 敬 語 論 を 用 いな が ら 、﹁自 敬表 現﹂ を 日本 語 の敬 語 の特 異 な用法 では な く 、詞 の敬 語 の正 し い用法 であ ると す る. 時 枝 説 に全 く 言 及 せず 、第 一人称 者 の尊 敬 用法 のみ を と り あ げ て、第 二人称 者 ︵ま た 、第 二人称者 ︶ に対 す る ﹁参. れ ﹂ ﹁奉 れ ﹂ の類 の所謂 謙 譲 表 現 の使 用 に ふれ て いな い のは問 題 であ るが 、 そ れ は 、 ﹁自 敬 ﹂説 の否定 を 主 眼 と し. た た め であ った から であ ろう か。 尾崎氏 は 、自 説 の先 樅 と し て、 三矢 重 松 、折 口信 夫 両 氏 の説 があ ると し て、次 の よ う に述 べた。.  これ らを 記者 より の敬 三矢 重 松 博 士 は夙 に ﹁高 等 日本文法 ﹂ の中 で ︵同書 増 訂 改 版 六九 〇︱ 六九 四 ペー ジ︶、. 語 であ ると説 明 せ ら れ 創 見を 示 され た が 、 同 書 の性 質 上 か詳論 せら れ ず 、 且 つそ の後 これ に注 目す る人も 割 合.

参照

関連したドキュメント

きも活発になってきております。そういう意味では、このカーボン・プライシングとい

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から

・私は小さい頃は人見知りの激しい子どもでした。しかし、当時の担任の先生が遊びを

大村 その場合に、なぜ成り立たなくなったのか ということ、つまりあの図式でいうと基本的には S1 という 場

現を教えても らい活用 したところ 、その子は すぐ動いた 。そういっ たことで非常 に役に立 っ た と い う 声 も いた だ い てい ま す 。 1 回の 派 遣 でも 十 分 だ っ た、 そ

これも、行政にしかできないようなことではあるかと思うのですが、公共インフラに

会社法規部は, 如何なる会社にとっても著しい有 いうまでもなくここでいう会社法規部とは,