日本近代体育 の思想 と実践
(10)
保健体育科教育教室 入 I `ま じbに
西山哲治の帝国小学校,中
村春二の成瞑実務学校,な
らびに成 睡Jヽ学校 における鍛練的体育の実 践,及
川平治の明石女子師範学校 附小 における「善 き日本人」の唱導 と活動主義体育の実践,さ
ら には成城小学校 にお ける島田正蔵 を中心 とする自然主義体育の実践 など,明
治後期か ら大正期 にか けての新学校や師範附属小学校 における自由体育 の実践 は,そ
れぞれ認識の相違 はあって も,基
本 的に は,日
露戦争以後 の切迫 した危機意識の表現 にほかな らなか った。それ らの鍛練的,活
動主義 的な体育実践 は,い
ずれ も苛烈 を極めてい く欧米列強 との軍事 的,経
済的競争 に打ち勝つための能 動的 で,し
か も自治的な人物の養成 と,そ
うした人物 を根底か ら支 える柔軟な身体 の洵冶をいかに 合理 化するか,そ
の方法論 を実践的に模索 してい く過程で もあ り,永
井 と可児の論争 は,あ
る意味 で,
それを象徴 していると言えよう。 こうした危機感 は,第
一次大戦 を迎 え,さ
らにその深刻の度 を加 え,第
一次大戦前後の大正6年
か ら戦後 における国家理念 のみな らず,教
育,体
育の経営問題 として議論 され るに至 る。 したがって,本
稿では建部逝吾,沢
柳政太郎,井
上哲次郎,高
島平二郎等の国家理念 とともに, 長谷川乙彦 の個性主義教育論,森
岡常蔵の国民教育論,河
野清丸等の立憲的国民教育論 に検討 を加 え,さ
らに,そ
れ らの思想 と戦後体育経営論 とのかかわ りを分析することに したい。5.第
一 次 世 界 大 戦 前 後 に お け る立 憲 的 人 物 の養 成 論 と体 育 改 造 論1.戦
後 の国家理念 と体育経営論(1)建
部逐吾の帝国主義論 と訓育論 大正6年
に教育学術研究会 は,『戦後 における我が国の教育』を刊行 しているが,そ
のなかで教育 学術界編集同人会 は,戦
後 におけるわが国民 としてあるべ き姿 を「絶 えず非常 に備へのある国民」 であると,次
のように描 いている。すなわち,第
一次世界大戦 は戦争の様相 を一変 させ,国
家総力 戦 という規模 に押 し上 げることになった。 その結果,戦
争 は武器 と武器,科
学 と科学,産
業 と産業 の戦 とな り,そ
れ までの 「熱心 と勇気 との戦 いザ といった心情的,情
緒的次元では戦争 とい うもの を捉 えることが不可能 とな り,ま
た戦争の悲惨 さは,想
像 を絶す るもの となった。 したが って,あ
くまで も戦争 は,回
避 されな くてはな らないが,同
時 に非常時への対策 を常 に立 ててお くべ きでぁ 己 克 江る としている。 さらに「吾々 は此覚悟 をもって
,将
来 もで き得 るだけ戦争 を避 くるや うな方策 を執 らなけれ ばな らぬ。戦争 は非常 な出来事である。尋常の間に非常の準備 をして置 くことは我々の義 務であるが,非 常のために尋常 を忘れる国民 は,決して之れを文明的の雄 国 と見 ることは出来ぬ?と 述べている。 こうした危機意識 の底流 には,社
会 ダーウィニズム的なそれが脈々 と流れている。 例 えば建部逐吾 (東京帝大)は
,「世界の大勢 と我国今後の教育」と題 し,世
界 的現実 を社会 ダー ウィニズムの原理か ら捉 え,「国際競争 は,人
間生活が発展すればす る程,益
々猛烈 に赴 かねばな ら ぬ所の,必至の運命 に船 てあるPと
述べ るとともに,この現実 は,必然的に平和的競争か戦争的競争 のいずれかのかたちをとらざるを得 ない と言 う。こうした認識か ら建部 は,「故 に戦争 を防 ぐ所以のもあは
,幸
れた非らすじ宅
,市
し宅戦争必あな。進義拿あ楽捨銀 戦争を防き
,戦
争あ楽稿を急進
チお嵩あ幸れ圭裏は
,是
れ基差掌美生残拿あ嵐ん↓
と
起ることを穐手嘉政あ遣訪とあ乞。幸れ主義は
即ち戦争臭崩美にして
,戦争島差楕主義は即ち戦争防追乗でぁるΥと述べ
,戦争の抑止力として軍備
の拡充を強調し
,戦
争奨励策が
,究
極的には平和を招来することになるとしている。
この観点か ら建部 は,日
本 はいわゆる強国主義 に立つべ きであることを力説する一方,
この強国 主義 とは「曰 く自国におて,自
国存立の保障を具有す る国 を名づけて強国 と云 ひ,強
国た らん こと を以て,最大究党の抱負 目的 とするP主
義である と規定 し,そ れは,また帝国主義 とは別の ものであ る と言 う。 すなわち「帝国主義 は,自
国 を以て世界 を包挙す ることを目的 とする。強国主義 を徹底的に実現 しや うとすれば,時
として丁度帝国主義 と道づれになって,暫
くの間同 じ実現 をせぬ とも限 らぬ。 併 し帝国主義のや うな実現 をして も,そ
れが究党の目的ではない。乃ち強国主義 も,帝
国主義 と同 じく,他
国 を制す ることが無論屋々優勝である,け
れ ども,制
す るが 目的ではな く,制
せ られ ざら んが為めに制す るのである。此点 に船て帝国主義 と強国主義 とは,観
念上ハ ッキ リと区別せ られな ければな らぬf)と。 こうした強国主義の立場か ら建部 は,「我が国従来の教育家 は,如
何 なればか,教
育 を相成 るべ く 社会 と絶縁す ることを以て理想 として,監
督 し指導 したのである。其結果教育 は之 を社会の目より 見れば,全然去勢せ られたる教育 となったのである甲と,それまでの教育が現実社会 と没交渉であった と批判するとともに,「我 日本帝国臣民の教育 は,天
壌無窮の皇運 を扶翼 し奉 るの,重
責 を完 とうす るた堪 心ああ香萱 を真た与 るもあ墓養浅チ乞ことか,美tと真棲未義請9で
ぁ り,「尊皇護国の至誠 を 振作 し,献
身的殉国の大節 を洵冶 し,規
律 を守 り,秩
序 を重ん じ,協
同 を尊ぶの習性 を養成 し,体
躯 を鍛へ,武
技 を練 り,態
度動作 を厳正 にし,堅
忍持久,進
取果敢の気力 を作輿す るPと
い う皇国主 義 的な教育論 を鼓吹 している。(2)沢
柳政太郎のアジア主義 と人道的国家主義 こうした建部の強国主義 に対 して,沢
柳 は,人
道主義 と国家主義 を結合 した「東洋主義」,「亜細 亜主義」 を鼓吹 し,人
道主義的国家主義 とも言 える教育論 を標傍 している。 まず沢柳 は,戦
後の国 家理念 として強国主義 を唱 えるものがあるが,そ
れは,決
して新たな理念で もな く,従
来の軍国主 義,な
い しは国家主義 と何 ら異 なるものではない と批判する。 「例へば社会学院の調査 に依 ってみると,今
日本 の執 るべ き主義 は所謂軍国主義で もな く,勿
論世 界平和主義で も無い,其
の所謂強国主義 と云ふの は,従
来の国家主義 と同様 の もの と見 ることも出 来,又
一種の軍国主義 と見て も差支 えない ものである。新たに強国主義 と云 う名称 を用いているけ れ共,其
実におては国家主義 と余 り異なることがな く,軍
国主義 と大 なる区別がないや うである。鳥取大学教育学部研 究報告 教育科学 第 29巻 第
2号
(1987) 要す るに強国主義 といふ新名 目に全 く新 しき主張 を述べてあるや うであるが,其
実 にお ては従前の 考 と余 り違ふ処 はない,此
の如 く新 たに何々主義 と称す るのは,他
に一つ もない と思ふが,仮
令新 しき主張の もとに新主義 を唱へざる迄 も,其
実質 にお て従来 と大 に異なったることであるな らば, 勿論之 を新 しき主張 として考ふべ きであるが,幾
十編の多 き戦後教育策 を通覧 して見て も,全
く新 たなる主義,主
張 を其処 に見出す ことは難 しい凹 しか も,「今 日までに世間 に現 はれた戦後教育策の多 くは,国家主義 を一層鼓吹 しなければな らぬ と言ふ者 も多 くある,義
勇公の精神 を徹底せ しめなければならぬ と論ずる者の如 きは,殆
ど衆説が 一致 しているや うである。又海外発展の思想 を涵養すべ しと言ぶが如 きも,是
非多 くの人が大体 に 同意す る所 であるや うである。此の如 きは大戦の結果 として全然新たに生 まれた思想 ではない,従
来 よ り既 に相 当に主張せ られたるもの とな らざるはない。国家主義 も,忠
孝主義 も,義
勇公主義 も 科学の尊重 も,海
外思想の鼓吹 も,戦
争以前 よ り相 当に教育上の主張 として説かれた処である。 戦争の教育 として此等 を挙 ぐるのは唯,従
来主張来 った所 に一層重 きを置 くといぶに過 ぎないの であって,数
に戦後 におて教育の主義方針が全 く新 たになるといふや うな事 は,少
な くとも従来の 議論の上 には発見することは出来 ないよJ 強国主義 をこの ように批判する沢柳 は,戦
後 の新 たな国家理念 としていわゆる日本主義 と世界主 義の中間に位置 し,か
つ人道主義 と国家主義 を折哀 させた東洋主義,亜
細亜主義 を提唱 している。 「我が教育社会 に勢力 を有 している説 は所謂国家主義 である。微弱なが らこれに対抗する人道主義 世界主義 と云ふ もの も全 く無いでは無い。若 し其勢力 を以 て比較 して行 ったな らば,後
者 は到底前 者の比では無 い。頗 る微 たるものである。元来 自分 は国家主義 も人道主義 と大体 に船 て一致 して居 るものであると思ぶのである。 けれ共亦,考
へ様 によれば人道主義 と国家主義 との間に大 なる隔た りがあるとも考へ られるのである。従来国家主義 よ り如何 して人道主義 に進 む可 きか といぶ ことが 考へ られたのであるが,簸に此両者の間 に更 に一つの思想がなければな らぬ と自分 は思ふのである。 それは勉 に名 つけて東洋主義,若
くは亜細亜主義 と言 ったならば宜 ろしか らうと思ふのである。或 は之れを広義 に民族主義 と言 って も差支 えない。我々 日本の立場 に船て国家主義 を主張す るといふ 事 は所謂 日本主義 に外 な らぬのである,人
道主義,即
ち世界主義である。 日本 主義 よ りして直 ちに 世界主義 に進み行 くことは其間に大なる隔 りが有 るのである。 長 き将来 を考へたな らば我々 日本人 は世界の人 となることも出来 るのであ らうが,日
本人 よ りし て一足飛 に世界 の人 となることは甚だ難 い と言 はなければならぬ。そこで日本主義 と世界主義の間 に亜細亜主義,又
は東洋主義 といぶ事 を考へ る必要があ ると思ふのであるよ? こうした世界認識の もとに沢柳 は,国
家主義 とアジア主義の相違について次 の ような見解 を示 し ている。 すなわち「国家主義 は唯,日
本 と云ふ二千有余年の歴史 を有 って居 る,此
国上国民の独立 を維持 し,其
光栄 を発揚せん とす る主義であって,若
し日本の維持,日
本の光栄,日
本 の拡張 と云ふ点か ら考へれば,或
は亜細亜の一部分 を我が勢力範囲に帰せ しめ,若
くは其利害 を犠牲 に して我が拡大 光栄 を増す といふ ことであるか も知れない。然 るに,若
し東洋又 は亜細亜 と云ふ観念か ら考へ る時 には日本の独立,日
本の光栄 を目的 とすると共 に,東
洋の独立,東
洋の光栄,東
洋 の発展,東
洋の 勢力 といふ もの を目的 としなければな らぬ事 になるのである。 日本帝国の使命 は単 に我が大八州の 光栄の為 に努力するのみな らず,我
が亜細亜の為 に我が東洋の為 に努力 しなければな らぬ使命 を有 していると思ふ『 」したがって,「国家主義 を力説せず とも自から国家主義の実現 とな り,極端なる個 人主義を排するまでもな く,個
人主義は自か ら跡 を没するに至るのである。此の如 く亜細亜主義,束洋主義 を以 て我が国民の主義 とす ることの精神上 に及 ぼす影響
,至
大なるものが あると思ふので ある」°と,ア
ジア主義が国家主義 と個人主義 を包摂す る理念 であると力説 している。国家理念 とし ての東洋主義,ア
ジア主義のその後の運命 については,こ
こで指摘するまで もないが,
ここに沢柳 に象徴 され る自由教育論の限界があった とみ ることがで きる。(3)井
上哲次郎の人道主義的国家主義 沢初lと同様 に,井
上 も人道主義 に立 った国家主義 を唱導 している。井上 は,「日本国民 は将来列国 に対 して活動す るに当 り,正
義人道の世界 に十分実現せ られるや うに努力すべ きである。此精神 を 以て高国の為 に謀 り,世
界文明 を統一す る。世界 を侵略主義 によって統一すると云ふや うな ことで はな くして,精
神的に世界文明を統一 して,世
界的文運 の発展 を予期する次第である」°と侵略主義 を批判 し,人
道主義 に もとづ く国家主義 を鼓吹す る。 では,人
道主義的国家 とは,具
体 的には何 をさすのか。 その点 に関 して井上 は,こ
う説明 してい る。 「 日本 は何処 まで も国家主義 を取 ってい くべ きであるけれ ども,唯
の国家主義ではな く,殊
に侵略 的の国家主義 ではな くして,人
道的の国家主義 を取 って進 んで行 くべ きである。即 ち今後列国 に対 して如何 なる国民的活動 をするにして も,畢
党国家 と云ふ機関 を通 じて人道 を世界 に布 くと云ふ考 でなければな らぬ,尚
ほ勉に注意すべ きことは,帝
国主義 と云 はないで,国
家主義 と云ふ ことであ る。帝国主義 は羅馬帝国の主義 を運想す る言葉で,侵
略主義 と見 らる ゝ恐れがあるよ9(4)高
島平二郎の世界主義 明治後期 に人格主義,も
しくは活動主義体育論 を唱導 した高島は,国
家主義,世
界主義 と個人主 義 とは決 して対立 し,矛
盾するものではない と述べ るとともに,個
人主義 を縫合 した国家主義,世
界主義の確立 を説 いている。 「現代の傾 向が個人的であるといふ ことに就て,従
来の道徳 を以て養成 された老人連 は,非
常 に現 代の青年 を非難 して,個
人主義 と云ふ ものを蛇娼の如 く厭ふて,人
間をして動物 た らしめ るや うに 言ふ者 さへあるが,そ
れは誤解 にあらざれば,偏
見 と言 はねばな らぬ。勿論今 日我国の青年流の間 間に主我主義或 は瞬間満足主義 と云 うや うに,極
めて浅薄なる,又
極 めて卑 しきものに囚われて居 る傾向 も見 るのであるか らして,其
非難 を受 けるの も尤 もであるが,併
し個人主義 と云ふ ものは必 ず しも作様 に卑 しむべ きものではな くして,寧
ろ国家の為 に蓋 し,或
は世界人道の為 めに蓋す所 の 根底 をなす ものである。今 日及び今後の人類 として,自
覚 な くして如可に国家の為 に蓋 す ことが出 来 るか,真
に人 に自覚 を興へると云ふ ことは個人主義の長所である。(中略)真の個人主義 を徹底 さ して行 けば,国
家の為 に一身を犠牲 にす る,或
は世界全体 の人類の為 に蓋す と云ぶ ことを しなけれ ば,詰
まり全我が徹底 して発展することが出来 ない。個人 は到底世界 を離れて十分 に発展 す ること は出来ないのであると云ふ ことが認識 されるや うになって来 るであらう留 高島の言 う個人主義の内実は,言
うまで もな く国家有機体説 にほかならない。(5)長
谷川乙彦の自学主義 と個性主義教育論 これ ら第一次世界大戦前後の人道主義的国家主義,世
界主義,ア
ジア主義等の新 しい国家理念が 提起 されてい くなかで,立
憲的国民 を軸 とする新教育理念が よ リー層唱導 されていった。明治20年 代 に早 くも明治教育 の形式主義,画
一主義的な体 質 を見抜 き,個
性教育 を主唱 した長谷川 は『戦後鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 29巻 第
2号 (1987) 159
に船 ける教育思想及方法の革新』(大正9年
)のなかで教育改造がよ リー層急務であることを主張 し ている。長谷川 は,冒
頭明治以来「五十星霜 に近 き其の間 には、英,伊
、佛、米等諸国の教育制度 や教育学説が直接,間
接 に波動影響 を及 ば し,我
が教育界 では,そ
の応接 に遵 な していふ有様 で, 今 日まで も過 して きて,根
本的に,我
が国情 に合 し,国
民性 に適ひ,ま
たは国家の大本 を擁立すべ き研究には,猶
未だ達 していない といふ現状であるJと教育学研究の立 ち遅れ を批判 し,「教育,教
授の全般 に亘 りて,世
界的に革新すべ き事が多々 あるJ働が,改
造すべ き諸問題 は次の点 にあるとし ている。 「一、形式過重の弊 を打破せ ざるべか らず。(中略)明治の初年 に,庶
物指数や,心
性開発主義の教 育で,漸
く教育教授の何たるかを知 った我が教育界 は,早
くもスペ ンサー流の実利主義,個
人主義 の教育 を模 し,更
に一転 してヘルバル トの品性淘治主義 を採用 して,盛
に之 を謳歌 した。而 も数年 な らず してデ社会的教育学,実
験教育学の形骸 ばか りを納れ,未
だ其の効果 を見 ざるに,又
も『モ ンテ ッソリー』や『ケルシェンシュタイナー』 にあこがれ,是
れか ら彼へ と,韓
々 として,真
に我 が国情 に適切 な る教育法の内容的研究 を遂 ぐるの暇 を得なかった次第である。(中略)当局 の方針 も 或時 は保守主義,或
時 は欧化主義 に傾 き,或
は盛んに実業教育 を奨励 し,或
は極端 なる経済的施設 を鼓吹せ るな ど,短
きは一二年,長
きも二五年毎 にその主義方針の変動 を見 ることにな り,甚
だ し きは朝令暮改 に近 い ことさへあって,実
際教育家 を常 に疑惑の街 に街径せ しめた。此等の事実 は明 に、従来我が教育 を謳 って,外
面的,形
式的方面 にのみ腐心せ しめ,更
に根本的,徹
底的発展 を見 るに至 らしめなかった一病根 と認 むべ き理由がある?攣 「二、 自学 自習 を基礎 とせ る教授法 を採用すべ し、(中略)教授 にお ける詰込主義や、注入主義 を根 本的に改革 して,教
授 の方法 を輔導主義 に改めたい と思ふ,委
しく言へば,従
来の如 く,教
授中心 に教室に置かず して,寧
ろ之れ を生徒の自習室 にお き,活
動の本位 を教師に置かず して,生
徒 に置 くことに したいま〕 「二、教育 の根本的研究 に努力すべ し。」 「四、忍耐持久 の国民性 を養ふべ し、(中略)実に、今後の国家的成敗 は,単
に其の武力や財力の上 にあるばか りでな く,千
難高苦 に当たって,能
く堅忍,持
重,執
擁,包
容等の胆力 を,度
量 とを精 神の奥底 に有す るか,否
かに多大の関係 を有することを深 く自覚せねばな らぬ。J こうした教育改造の方向を提示する長谷川 は,イ
ギ リスの ラグビー,イ
ー トン、ハーロー等のパ ブ リック・ スクールにおける訓育主義的なスポーツ教育,
ドイツの理科教育 を紹介 し,そ
の自発主 義,自
学主義ぅ な らびに個性主義の観点か ら従来の教育 を批判 している。すなわち,こ
れ までの教 育 は,詰
込主義,記
憶主義の弊害 に陥っているが,そ
の原因は,進
学受験の準備教育 にある。 その 結果,「学力 中以下の ものは日々何事 も、真の理会な しに、素通 りにするばか りで、遂 に尋常小学校 を卒業 して も二桁の加減算か ら出来ず、受取 り状一つ書 けない といぶ様 なものが近来増加 して居 る。 此れ実 に小数 の為 に犠牲 にするものであって、此れ即 ち準備教育の輿へた一大弊害である。教育上 か らは勿論、人道上か ら見 て も許すべか らざる罪悪 といはねばならぬV」 こうした批判 を とお して長谷川 は,教
育制度の改革 (高等教育機関の増設 と推薦制度 の導入)と
ともに,「真 に普通教育 の目的 を徹底せ しめる為 には、必教授 の方法上 に一大革新 を施 さねばな らぬ、 即 ち従前の詰込主義 を廃 して此れ に代ぶるに、大 に児童生徒の自学 自習に依 る教授 を奨励 しなけれ ばな らぬ。従来の如 く教師が独 り活動 して、生徒 は唯比れ を見聞 しているに過 ぎない様 な教授 を改 めて、教授 は寧 ろ生徒の活動 を主 とする様 な方法 に依 るべ きであるYDと 教授法の改造 を主張 し,な かで も個性教育 と方法 としての自学主義の確立 をあげ、「個性教育の目的 を達す る為 には如上 の 自学主義た族乞外に良法
,ま蕪∴と
宿チ之。巷虚嵩主義は教昔エネ苛芥あ柱費あもあとあら
=其
上を搭ご
ゝ
セ
花
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二
誌
ど
堪
伊
彗
盈
議
瑾
客
長 谷川の個性教育論 は,自
らが「戦争 は一方 にお 作 らえ と共 た,支
狭義あ個人主義,支
良主主義 よ う起 お善毒 を隻蓉とん としららあお。象昔上基注 意 を要す 之とと こ患虫Y。 と言 っているように,彼
の個人主義 は,民
主主義の否定の上 に成立 してお り,
ここに長谷川の個性教育論の本質的な限界が露呈 されている。(6)森
岡の有機体論的国民教育論 一方森岡は,「戦後 にお ける国民教育」のなかで こう書 いている。 まず森 岡は,国
民教育 の概念 を 「国民的た らしむる教育Jで
あると規定 し,そ
の「国民」の概念 とは(1)政治的に統一 されている団 体である,(2)文化的に統一 されている団体 である,偲)血縁関係 によって結合 し,同
一祖先 をもって いる団体であるととらえている。 この概念規定か ら森 岡は,国
民教育 とは「政治的統一 の中に生活 して,適
当なる一員 とな り,文
化上の特色 を維持 し,尚
ほ益々之 を発揮す るや うに子供 を教育する ことである」 と再規定 し,人
間の自由 と平等 は,国
家 と無関係 には存在 し得ず,「国家或 るが故 に, 又国家に月叉従するが故 に自由が成立 ち,平等 も認 め られ る訳であるY° と述べ る一方,国 民教育 とは, 「その根本義 を教へて過誤 なか らしむるyoょ ぅ教育す ることであ り,そ
れが「国民教育 の真髄であ るV分 と言っている。ここにも明治後期の国家理念,言
い換 えれば国家有機体説 と国家 に対 する自由 な服従 を説 く谷本 の論理が反映 されている。 以上のように国民教育 をとらえる森岡は,日
露戦争後「漸次溺漫 し来 った懐疑的精神や利己的, 物質的の思想が社会の一部 に跛這 して居 るのであるか ら,戦
後 におて痛烈に国家 を自覚 したる他の 国民 と平和の戦争 を為す に当って,脆
くも敗北する恐れがあると思 はれ るY° と言 い,し
たがって, 「国家の事 を以て自己の責任 を感 じ,積
極的に,能
動的に国家の維持発展 に努力せ しめるや うに導 かなければな らぬΥ9と 活動的人物の養成 を国民教育 の主眼 においている。そ して,こ の活動的人物 の養成 をめざす国民教育 の課題 として,(1)国体の尊厳 と卓越性の理解,(2)自立 自営の精神,偲)協同 一致の精神の涵養 をあげている。(7)河
野清丸の立憲的国民の養成 また後 に八大教育 の主張者の一人で,自 動主義教育論を唱導す る河野 は,「戦後 にお け教育教授の 革新」 と題 し,独
立 自営の人物の養成 を戦後教育経営の 目標の第一 に掲 げ,そ
の観点か ら教育方法 の改造 を主張 してい る。河野 は,「教育の目的は独立 自営の人 を造 るにあ り『°と述べ,具
体的に次の ように言っている。 「教育の目的は,余
の考へ るところでは,国
民教育 の徹底 といふ ことでなければな らない。而 して 日本の将来 は益々憲政 の美 を発揮 しなければならない。而 して教育 の大任 は健全 な る国民の養成で ある以上 は,教
育 の目的は結局,国
家の 目的 と一致 しなければな らない。故 に,余
は立憲国民の養 成 を以て,教
育の 目的 としなければな らぬ と考へ るのである。然 らば,立
憲国民 とは何 ぞや といヘ ば,畢
党 自ら国家の色的 を定めて,自
か ら,そ
れを実現する人間 を指すに外な らぬ。即 ち,自
か ら 目的を立て,自
ら其の方法 を講 じ,其
の目的 を実現 して,自
か ら,其
の効果 を収 める人 をいふので ある。換言すれば,独
立独行の人 を造 るに所以であるよ」 独立,独
行 を内実 とする立憲的国民の養成 を鼓吹す る河野 は,「兎 に角,立
憲政治が布かれ,君
民 共治の実を挙 ぐることが,吾
が国の理想たる以上 は,将
来の国民た るものは,自
か ら最善 を信ず る鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 29巻 第
2号
(1987) 国是 を立て ゝ互 いに相論議 し,世
論 を作 りて,これが実現 に努力 しなければな らない。少 な くとも, 廟堂諸公 を計 り,政
府 を後援,鞭
撻 して,間
接 に国家の理想 を実現 していかなければな らない と思 ふよりと立憲政治体制の確立 を力説 し,そ
の立場 か ら「自動的の人物」の養成 をもって教育の第一義 の目的 とし,そ
の 目的 を実現するためには自動主義,反
東縛主義 を方法原則 とする教育方法の改造 を主張す るとともに,従
来の伝統的な教育 を教育上の帝国主義であると厳 しく批判 している。 「教師は児童の活動範囲内に一歩 も踏み込んではな らない筈である。然 るに,従
来の良 くいへば親 切すぎた,悪
く言へば干渉,束
縛の教育 は,児
童の活動範囲内に教師が侵入す るものであって,余
は之れを称 して教育上 の領土侵入主義 (即ち,教
育上の帝国主義)と
名づ けている∫〕 さらに河野 は,「従来,教
師 は子供 は非常 に無能力のや うに思 っている。けれ ども,子
供 はさう無 能力の ものではない。従来 は,子
供が観察する力 もなければ,思
考力 も有たず,新
しい工夫や創作 する力 もない もの ゝ如 く考へて居 った。少な くとも,そ
れ らの力が非常 に少量 な ものである考へて 居 ったす。が,「吾々 は子供 を発見せねばな らぬ『0と 近代の教育原則に対する自覚を訴 えている。 このほか成城学園の理論的指導者であ り,か
つ願 間で もある小西重直 は,戦
後教育 の方向を「同 化性の教育 と創造性の教育」°に求 め,「同化性」と「創造性」の教育 は,国
家の維持,発
展のみな ら ず,個
人の人格的な立場か らも要求 される。したが って,「教授訓練の目的方法 にお て も此精神が一 貫 されねばな らないよつと述べている。2.戦
後体育経営論 これ ら新たな国家理念 と戦後教育経営理念 という思想的動向は,当
然の ことなが ら戦後の体育経 営論 にも影響 を与 えずにはおかなかった。例 えば佐々木吉二郎 は,「大正の国是 の第一 として大和民 族の海外発展 といふ ことが是非 とも起 らねばな らぬ!0と 言い,戦
後教育経営の第一 に海外 に雄飛す る人物の洵冶をお き,そ
の観点か ら従来の教育 を批判 し,か
つ体育 の重要性 を力説 している。 すなわち佐々木 は,「刻下の世界的戦局 は,最
早,吾
人の惰民 を許 さな くなった。皇国の前途 に対 し,真
執 なる考慮 を要望 し来 りつつある。我が大正維新 は,頗
る徹底 した規模 の雄大 なる方針 を確 立 して,真
剣に驀進奪闘することを要する。せめて,未
来 ある第二 の日本国民 に対 して丈 な りとも, 堅実なる人生観 を持た して,世
界の舞台凛々 して出馬せねばな らぬ。 これが,吾
人教育者の双肩 に か ゝつて居 る責任 である」9と述べ るとともに,自
発的に祖国を守 る心構 えが要求 され ると言 う 「我が国民が,自
発的に祖国の為 に戦ふ といふ念が,勿
論大 にあると思ふが,十
分 自発的に,こ
の 心が普及 しているか否か は,疑
間 とせ ざるを得 ない と思ふ。欧州諸国 と日本 とを比較 して,教
育上 著 しく目立つ もの は,教
育 の普及 と否 との点である。欧州 は,各
人民間 に,余
り知識 の懸隔が甚 し くな くして,よ
く普及 して居 る。之 に反 して,我
が国は,知
識の高い人 もあるが,一
方 には低 い人 間 もあって,普
及 といふ点 に欠 けて居 る。義務教育 の如 きも,我
が国は六年であるが,欧
州 は八年 で尚不足 を感 じて居 る。欧州 に船 ては,国
語が比較的平易であるか ら,新
聞雑誌 な どに依 って,学
校以外 に教育 を受 けることが行届 いて居 る。然 るに,わ
が国は,斯
かる便宜 を欠いて居 るか ら,国
家の難局 に際 して,今
日欧羅巴に見 られ るや うな,感
服すべ き自発的の愛国心が,限
か ら隅 まで行 き亘か どうかは,余
程気 を付 けて考へねばな らぬ点である側 佐々木 は,海
外への発展 をめざすには自立,自
治的人物が必要であ り,そ
うした人物 を養成する ためには,従
来の教育が余 りに抽象的で,非
実際的であった と批判 している。 「従来の教育 は,形
式的 目的の詮議密にして,実
質的目的に疎であった。教育 とは,人
を人 にまで なす ことな りとか,人
を立派な人格,道
義的品性 にまでなす ことな りとかいふ類 で,現
在の世界の形勢 に基 き
,特
殊 の開花情態 を有せ る,我
が 日本が,将
来如何 なる具体的の主義,主
張 を採 つて進 むべ きかに就 いては,論
及する所甚だ少 なか った。従 つて,抽
象,架
空の論議徒 に多 くして,実
社 会 を指導す る力の無い ことは,争
ひ難 き欠陥であつた!」 そして,佐
々木 は,教
育が経済 とよ り深い関係 を保 つべ きであると言 う。 「従来,日
本 の教育 は,心
身の修養 を説 くにお て詳 なる割合 に,経
済 との交渉 を説 くこと,甚
だ し く冷淡であった。上の修飾 に忙 しくて,生
きんがための覚悟 に迂遠であった。貧乏国の 日本 にか ゝ る呑気至極 な教育 のみを加へて居 つたな ら,教
育 によって国が減びはす まいか とも考へ られ る。著 者 は,年
来,教
育の目的を以て開花労働力の増進 を謀 るにあ りと断言 して居 るものであるが今 日の 教育 は,心
身両つなが ら,国
民の労働力 を減退せ しめつ ゝあるではなか らうか。著者 は,何
人か ゞ 大声疾呼 して,一
大覚醒 を促 し,教
育 の立て方の『新規撒 き直 し』 をや り,着
実 なる道程 に上 らし むる様 にして貰ひたい と切望 して止 まない一人であるよ] ここにも明 らかに経済教育論が反映 されているが,一
方佐々木 は,教
育 を社会 な らびに国家の改 良手段 として とらえ,「社会国家の悠久に渉 る改良計画 を立てるもの としての今後の教育 は,十
分国 際間にお ける我が 日本の地位 を自覚 し,此
の帝国 をして,隆
々乎 として盛んな らしめんが為 に,万
全 なる改良計画 を立 てなけれ ばな らない」°と述べ,国家,社
会の改良のためには(1)徳の力,(2)智力, (3)体力,他)財力が要求 され,し
たがつて,日
本 の教育 は,日
本国民の徳育,智
育,富
育 を考慮 にい れ るべ きであると言 う。 さらに,日
本国民の徳育 の 目標 として,具
体的には(1)尊皇護国の精神の鼓 舞,磁)敬神崇祖の実の発揚,(3)斉家治村主義の教育,他)勤労 を愛 し,質
実を尊ぶの美風 の作奥,(5)実 業道徳の樹立,脩
)雄大剛健 の気風 の養成 を掲 げ,第
7と して「立憲 自治の真義 を聞明 し,之
に相応 す る性格 を訓練すべ し」°とするとともに,次
のように述べている。 「我国は,立
憲制度が布かれて,一
国 として も,或
る程度 まで,国
勢に参興す る所 の権利 を興へ ら れた国民である。従 って国民 として も,国
権国法の何た るものであるか,公
議輿論 といふ ものは, 如何 なる性質の ものであるか,是
等に付 て正確 なる思想 を持 って居 らなければなるまい と思 う。(中 略)又
論理的に,立
憲の何 たるか,自
治の何たるかを覚 らせ るばか りでな く,第
自ら之 を体得 して 実行 するや うになって居 らねばな らぬ盟 また知育 の目標 には(1)観察実験の学風,(2)独創的才能の養成,(3)実際生活の応用,は
y固性 の観察 と各児童の長所の発揮 をあげてい る。 以上のように佐々木 は,立
憲 自治教育 の実際化 を主張す るとともに,国
民の体力養成の重大 さを 説 いている。すなわち「我国に船ては,近
来体育 の勃興 を見ん とす る状況 に到達 しつ ゝある。是れ は誠 に喜ば しい ことである。戦争勃発以前 に も,我
国の体育 は決 して世界 に誇 るべ きものではなか った といふ ことは明 らかであるが,戦
争後,列
国の劇烈な競争 の下 に立 って,平
和 の戦争 に船て世 界 を舞台 として活動せん とする者,乃
至,一
朝事有 る時 にお いて,一
歩で もヒケを取 らない覚悟 を しや うと思 えば,先
づ風雨寒暑 を厭 はざる剛健 なる肉体 でなければならぬζ°と述べ る一方,日本人 の体格の欠陥 として(1)短小,(2)力量貧弱,(9姿
勢不足,は
)持久性の欠如 を指摘 し,
この欠陥を是正 す るためには(1)労働 に耐 え得 る強堅な体力の鍛練,鬱
)尚武の気風の作興,(3)積極 的,鍛
練的衛生, 141社会体育 の拡充等をめざした学校体育 の近代化 を強調 してい る。 このように戦後の体育経営 をめ ぐる争点 は,明
治以来低迷 を続 ける国民体力の向上 とい う課題 を いかに合理的に解決 す るか,そ
の方策 をめ ぐる問題であつた。熊谷主膳 も,「今次の欧州戦争 に囚 つ て,世
界地 図が如何 に変化するかは逆賭す るに難 い。 しか し戦後 にお いて列強が鋭意 国民の教育 に 力 を注 ぎ,殖
産工 業 を盛んに し,軍
備 を充実 して,国
威宣揚せん とすることは明 らかな ところであ鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 29巻 第
2号 (1987) 163
る。(中略)来
る可 き世界的経済の大戦争 とにお て,優
者の地位 を得 るには,今
日に船て普通教育 と 殖産工業 に関す る専門教育並びに軍事教育 に努 むるよ り他 ない。而 して如上の教育 に共通 なる事項 は,被
教育者の脳 力,体
力 を旺盛 ならしむることである。然 るに若 もこの緊切 なる体育問題 を等閑 にすれば,千
百の施設,効
なきに終 るとも限 らない。 自分 は,民
族上駅立無帰の境界 にある我が国 民の教育 については,大
に脳力,体
力の増進 を奨 め,然
して極度 の勉強に耐へ しむるのが,其
の要 請 である と信ずる。脳力,体
力の増進,
これ独立独行す可 き運命 に立てる国民の教育上,殊
に留意 す可 き点であると云 はなければな らぬ留 また宮島幹之助 は,「体育励励論」と題 し,壮
丁体位 の低下 に対する危機意識 を次の ように表 して いる。 「国家の進運 は国民の強堅 に存 し,国
民の強堅 は体育 の奨励 に基 く。然 るに現下の状況 を見 るに, 樽た吾人の寒心せ ざる可 らざる事実各種の方面 に現れつ々あ り,殊
に近来に到 りて最 も注 目すべ き 現象 は国民の中堅 たる青年壮年の死亡率漸 く高 ま り,壮
丁検査の成績亦歳 を逐ふて劣悪 をカロぶ るの 傾 向あ り。(中略)即ち陸軍当局の調査報告 に拠れば,明
治二十九年 より二十六年 までの壮丁検査百 に対 し甲種三九,八
三 なるもの,明
治二十九年 よ り四十三年 に至 る平均率 は三八,九
六 を示 し,更
に明治四十四年 よ り大正三年に至 る合格率 は甚だ しく減少 を示せ り。要するに極 めて短縮 なる約二 十年間にお て甲種合格斯 くの如 くの減退せ るは国家の前途 に対 して断 じて看過すべか らざる事実 と 云ぶべ し子」 それ故 に,戦
後経営 に とって国民体力問題 の解決が,そ
の根幹 をなしていると言 う。 「今 日は戦後経営の方針 を樹立すべ き非常の秋 にあ らずや。此の国民の強堅なる体力 は実 に吾が国 家 を泰山の安 きに置 く基礎 にあらずや。今頻 りに論議せ られつ ゝある戦後経営問題 の如 き何れ皆枝 葉 に属するもの と云ふべ く国家永遠の基礎たる国民健康問題の余 りに閉却 されつ ゝあるは余輩の痛 嘆措 く能 はざるところな り側 一方,第
一次世界大戦前後 における帝国主義諸国間の軍事的,経
済的競争が激化す るにつれ,壮
丁体位な らびに全般的な国民体位低下の主たる要因である劣悪な工場労働の実態が,無
視 し得 ない もの として,具
体 的な社会問題化 してきた。例 えば,富
永たか子 は,此
の問題 を取 り上 げ,「労働 問 題 と体育 」のなかで社会的な不調和が,劣
悪な工場労働の原因になっていると指摘 している。 「迂回の大戦 は戦局 の発展 に伴 い益多大の兵力 を必要 と致 しまして,遂
に各国 は皆数百万 の男子 を 其の戦場 に送 りました。 それがその多 くは労働者であ ります処か ら,労
働力の不足 とな り,一
方戦 争の こととして軍需品製造の多忙 により,為
に生ず る労働力の一大不足 は悉 く女子 を以 て補充す る の途 に出な くてはな らないや うにな りました。且つ女子にあって も戦時の非常なる物価騰貴 と一家 にお ける男子出征 による生計の困難 とに余儀 な くせ られ,自
ら出でて労働 に従 ひ,家
計 を助 けざる べか らざるに至 って,内
外 自他の原因相綜合 して,以
て俄 に女子労働者 を増大せ しむるに至 ったJ が,「労働生活 は其れに随伴する悲惨 なる障害が之れ を追ふて逃が さばこそで,(中
略)其
の外工場 生活 に伴ぶ疾病 または失業等,寄
せては来 る非参事 を思ぶの時,其
の生活の不安定確実 なる,誰
か 一人 として泣かざるものがあ りましゃうか。か ゝる社会的不調和の凶兆 をいかに解決すべ きや剛 富永 は,こ
うした社会的不調和,あ
るいは労働問題 は「科学的体育法」による「国民能率の増進」 によって解決 され ると言 う。つまり,労働本来の 目的は,「経済的要求 を満たさんが為の働 きに して, 若 し労働 をな したる結果,体
育的に効果あ り,且
つ健康 をかち得た りとするも,そ
れ はただ労働が 身体 に影響 を及 ぼ し,其
の為 したる働 きが身体 に適応 したるためにして,其
れが労働 の 目的であ り, 且つ また主要な効果で もな く,只
だ副次的,第
二次的の結果 にすぎないのであ りますζうと述べ,労
働 賃金の値上 げ,あるいは労働時間の短縮 という要求 は,「我等労働者が人 らしい生活 を為 さん為 な るのみな らず
,国
民能率の増進上更 に今一つ熟考 を煩 したい為Jで
あ り,ま
た「如何 に して吾等の 能率 を増進せ しめるか と云ふ時間に対する利用法 を熟考j分 す るためであると言 う。 そして,「職業運動 による影響 を善良化雪°するために,「各工場 におて労働者が其の労働後,身
対 に適応す る体育的設備 と組織 を計画,実
行 され,之
れを奨励 す ると共に,労
働者 は自ら進んで之れ を活か し,各
己各 自体 に応ず る運動 を為 し,以
て自己 と工場の為 に其職務 を十三分 に蒸 し得 るの体 力 を練 られん ことを祈 って切 に止 まないのであ ります。若 しも斯 くして其の恐 るべ き疾病 を防 ぎ能 率 を一方向上 して賃金 を豊かにすることを得 ば,ま
た一面労働問題 の解決であ り,わ
が第二階級の 子孫の益々健全 なるの兆 にして,吾
人以て喜 ばざるべか らざる所であ ります『? 3。 地方 にお ける戦後体育経営論 これ ら戦後 の体育経営 をめ ぐる論議 は,なにも中央 に限 られた ものではな く,地方において もしき りに議論 されてい る。例 えば,宮城県では大正6年
2月 号の『宮城教育』(第234号 )は ,「体育 振興」 論 を特集 しているが,そ
こでは県教育課長渡辺豊 日子「体育振興の声 を聞いてJ,
陸軍戸山学校教 官林大尉,学
習院大学福島講師「請習並講演大要」,東
京女子高等師範学校教授三階堂 とくよ「スエー デン式体操 に関す る講習並講演大要」,県
師範学校教諭滝正善「学校体育振興論」,県
立高等女 学校 教諭堀江清次郎 「体操教授の新潮 と改善」,県
女子師範学校教諭青木千代作 「青年女子の覚醒 を需 む」,東
北帝国大学教授 日下部四郎太「国民皆兵論の意義」等が発表 されている。 それ らの主張のなかで例示すれば,渡
辺 は,体育振興すべ き論拠 として ヨーロッパ列強 と比較 し, 平均寿命の低下,国
民死亡率の増加,さ らに青年体力の低下 を指摘 してお り,一
方,日
下部 は,「今 日,独
逸が理化学,医
学その他の方面 に船て世界五大強国 と伍 して常に頭角 を現 し,な
お連合国を 相手に二年余半 になるも,未
だ困態の色 を現 さないのは実に教育の力であ り,(中
略)国民皆兵の意 義の充分発現せ られたる一人偉観であるξうと述べている。また大正5年
12月 24日か ら28日 まで仙台 市教育会主催 の体操講習会で三階堂の講習 を受講 した一人 は,「体操 は無骨一点張 りの もの,無 味乾 燥なるもの として男子 に一任せ られつ ゝあ りしが,今
回の講習 を受 け,元
来体操 は保護愛育 を主 と すべ きものにして女子の天性 に甚だ適当なることを知 り,且
つその巧妙なる指導 につ り込 まれ,大
いに体操 に対 す る趣味 を喚起 し,研
究心 を惹起す るに至れ りf° と感想 を記 している。 また同誌 は,大
正7年
2月 号で も「戦後教育号」 を特集 しているが,掲
載 された論説のほ とん ど が理科教育 と体育 の拡充 に関す るものであった。県師範学校長児崎為槌 は,「戦後経営の第一義 は人 を作 る」ことにあるとし,「戦後経営 に関 し殖産興業,産
業の独立,思
想学問の独立,軍
備拡張な ど の諸 問題が論 じられているが,そ
の第一義 は教育の振興 にある。 自覚的忠君愛国の精神 を養 うため の公 民教育 の必要,自
己教育力の涵養,体
育の振興 (特に女子体育 の向上),
作業的訓練等 を重視 すべ く,つ
まるところ戦後経営の大一義 は人 を作 るにある写うと述べている。 また県女子師範学校の千葉春夫 は,「戦後の体育 としての家庭体育 日課の提案とと題 し,深
呼吸法, 冷水摩擦法の励行 をあげるとともに,体
育的自覚のある国民の養成が急務であると強調 してい る伊9-方
香川県で も,同
様 に理科教育 と体育の充実が叫 ばれ,『香川県教育史』 には,「第一次大戦が 勃発するや,理
科教育 と体操教育が重視せ られ,理
科室実験室の設備か ら簡易なる器具機械 の教師 又は生徒の自作,実
験室の児童の実験が行われ,発
明発見の創作工作力の養成 と体育施設の完備 と を絶叫するに至 ったξ9と記述 されている。さらに新潟県で も,大
正8年
10月に県下の小学校教員協 議会が新潟師範学校 で 3日 間にわたって開催 され,席
上永井道明が,「今回の欧州大戦の結果如何,鳥取大学教育学部研究報 告 教育科学 第 29巻 第
2号
(1987) 欧米諸国における体育上の発奮 は実 に前古未曾有である。戦前 において も体格 を米人 に比較すれば 殆 ど問題 にな らぬ。故 に列国 よ リー層発奮 し,自
覚 し,熱
烈なる愛国の精神 をもって体格の向上 を はかることが今 日の急務である」のと演説 している。また同師範学校附小主事の中川秋坪 は,大正5年
10月 に発表 した論文のなかで「六週間現役兵の服務 をおえて帰 って来た一人が尋ねて来て,近
頃軍 隊のや り方がひ どく鍛練 的になって,な
かなかや りきれぬ位であるとの述懐談 をした。聞ければ欧 州戦争が開始 されて以来,軍
隊の方針が急 に変わ ったのであるそうな。 それ と経路 は違 うか も知 れ ぬが,近
頃小 。中学校共 に体育 について,随
分 と八釜 し くい ゝ出 して きた」うと状況の変化 を伝 えて いるが,同
県の古志,四
郎丸小学校長屋代新造 は,「戦後 における初等教育の改善」のなかで次の よ うに戦後教育 を論 じている。つ まり,第
一次世界大戦 は,5年
間の戦慄すべ き悲劇 を もた らした が, それだけに平和が待望 された。 この悲惨 な大戦争が教育 にいかなる影響 を与 えるかに世界の有 識者 は注 目し,か
つ研究すべ き重大 な問題 になっている。 しか し教育 は,従
来の もの と全 く新 しい もの になることはないにして も,国
家や社会の状況が変化 し,そ
れぞれの理想が異 なれば,時
代の要求 に適応 した教育 に改造 し,そ
の研究が不可欠になると。そ して屋代 は,特
に教育 の改造すべ き事項 として(1)優良なる人材 を教育界 に招致すべ きこと,磁)国民体力 は,国
家発展の基礎であ り,学
校教 育 において耐久的な持久力 を有する強健 な体格 と体力 を増進す ること,(3)犠牲的愛国心の徹底,に)科 学的教育の普及,(5)国家的観念 と国民的 自覚の涵養 をあげているP
さらに長 岡女子師範学校主事の大智剛三郎 は,「平和克服後の教育」のなかで国民精神 の洵冶 と国 民体力 の養成 を強調 し,県
視学 官 の岡正雄 も,「
戦 後 の国民教育 」 において(1)教 育 勅語 の実践,(動 国 運 の進 展 と時代 の要求 に応 ず る教 育,は)教員 の待遇 改善 と優 秀教 員の招致,14)体 力 の向 上 と体 育 の奨励 ,(5)科 学 的 知 識 の養成,(6)国 民思想 の 統 一 を掲 げてい る。 これ らの戦後経営論 の な か で古志郡 川崎小学校 長 中 村家邦 は,「タロ斯 体 操設 備 法 如何」(大正3年
2月)の な かで平行棒,肋
木 の設 備 に ついて「新 用具 の水平並行 棒 の如 き もの は場積 を要 す る もの故,大
な る運動場 な らい ざ しらず,た
い てい狭 修が ちの もので あ るにか ゝ わ らず,並
行棒 な ど据 え付 くる ときは都合 がわ るい。 小 学校 の体操場 は児童 の整 各 郡 施 設 状 況 ︵大 正 六 年 度 ︶ 本 士口 郡 牡 鹿 郡 桃 生 郡 登 米 郡 栗 原 郡 ︼込 田 郡 玉 造 郡 士 心 田 郡 加 美 郡 黒 ,II 郡 宮 城 郡 名 取 郡 百 一 理 郡 伊 具 郡 柴 田 郡 刈 田 郡 郡 就 学 出 席 督 励 、 補 習 学 校 設 置 、 青 年 補 習 教 育 、 自 治 民 育 体 育 奨 励 、 結 果 査 定 施 設 、 直 観 教 授 奨 励 、 教 員 の 研 究 修 養 敬 神 崇 祖 、 実 業 教 育 普 及 、 自 治 民 育 の 普 及 学 校 設 備 の 完 成 、 学 校 体 育 の 施 設 、 補 習 教 育 、 青 年 の 体 育 奨 励 自 学 主 義 奨 励 、 体 育 の 奨 励 、 体 操 器 械 の 設 備 、 直 観 教 授 の 施 設 、 公 民 教 育 施 設 、 実 業 教 育 奨 励 、 作 法 教 授 奨 励 、 国 民 思 想 涵 養 出 席 督 励 、 体 操 教 授 改 善 、 理 科 教 授 改 善 時 局 活 用 、 教 員 修 養 、 施 設 実 行 実 力 養 成 、 就 学 の 向 上 、 体 操 実 業 理 科 教 授 の 徹 底 、 国 民 精 神 の 涵 養 、 衛 生 改 善 、 教 員 の 修 養 、 社 会 教 育 の 普 及 、 学 校 家 庭 の 連 絡 学 校 体 育 の 奨 励 、 社 会 教 育 、 教 員 の 研 究 学 校 体 操 統 一、 青 年 団 指 導 統 一 校 務 統 一 改 善 、 出 席 督 励 、 ト ラ ホ ー ム 治 療 、 体 育 振 興 、 時 局 と 国 民 教 育 、 学 務 委 員 指 導 設 備 の 充 実 、 教 授 訓 練 の 徹 底 、 実 業 教 育 の 向 上 体 力 増 進 、 自 学 自 習 の 奨 励 、 教 員 の 研 究 、 設 備 の 充 実 、 内 容 充 実 、 郷 土 資 料 蒐 集 、 国 民 道 徳 振 興 、 体 育 衛 生 改 善 、 青 年 団 指 導 、 発 音 言 語 の 矯 正 敬 神 崇 祖 実 行 、 生 産 増 進 陶 冶 、 体 育 的 努 力 教 員 研 究 奨 励 、 体 操 教 授 改 善 、 理 科 教 授 改 善 、 実 業 教 育 の 奨 励 、 実 業 補 習 教 育 の 普 及 、 青 年 団 指 導 、 通 俗 教 育 施 設 結 果 査 定 敬 神 崇 祖 、 護 国 精 神 の 鼓 舞 、 教 員 の 実 力 養 成 、 体 操 教 授 徹 底 、 理 科 教 授 の 革 新 、 郷 土 研 究 、 実 業 思 想 涵 養 、 単 式 複 式 教 授 研 究 、 女 教 員 の 研 究 体 育 奨 励 、 実 業 科 実 習 の 奨 励 、 敬 神 観 念 養 成 概 目 (表 4)列場 ともし
,ま
た式場 ともし,そ
の他種々の芸 を演ず る教育舞台ある故 に,かか る並行棒があると, 誠 に邪魔 になる。肋木の如 きは据 え付 けの場所 によって甚だ光線の妨 げとなるザ°と指摘 している。 『宮城教育J(大
正7年
10月号 第24号)に
紹介 されている「各郡施設状況」(大正6年 )に
見 られ るように,た
んとこ「体育奨励」,「体操器械の設備」 等のかけ声のみな らず,あ
わせて「体操教授徹 底」,「体操教授改善」「 自学 自習の奨励」,「自学主義奨励」といった大正 前期 における教育改造運動 の機運が反映 されている伊° 一方鳥取県で も大正前期 には欧米の新教育思想が紹介 されている。例 えば『因伯教育』(大正3年
9月 号)に は鳥取中学の勝 島林造「 ケル シェンシュタイネルの作業学校論」,鳥
取高等女学校都 田忠 治郎「我が国の五大教育主義」等が発表 されてお り,都
田は,こ
のなかでモ ンテ ッソリーの自由教 育論 を紹介 している。 また鳥取師範附小主事の鶴 岡重治 は,や
は り同誌 (大正3年
3月 号)の
「今 後教育者の努力する方向」 において個性教育 の観点か ら現実の形式主義的な教育 に批判加 え,鳥
取 県における教育の在 り方 を論 じている。鳥取県における初期の自由教育運動の特徴の一つは,当
時 特権的な性格 を持 っていた鳥取師範付属小学校 の教育 に対 して向けられた批判であった。例 えば啓 成小学校 (米子)長
磯尾岩夫 は「天下の付属 と言 う君臨の しかたは,教
育者 の自由活動 を阻害する」 と厳 しく批 してお り,
こうした批判が自主的な研究組織の設立への基盤 とな り,大
正3年
6月 には 鳥取県初等教育研究会の創設 となって実現 した。その創設趣意書 は,「従来付属学校 エオイテ合同参 観 ヲ挙行」動してきたが,現
実には教育界 における模倣活動 を生 むとい う弊害 をもた らす とい う結果 をもた らしている。今 こそ教育者 は,「自発活動 ヲ促 ス ト同時二,地
方的実際的研究 ヲ要スル曽°時期 である。 それにもかかわ らず,「初等教育者 ノ意見,研
究発表 ノ機会・ 機関二乏 シ」ういが故に,「教 授 訓練・養護等 ノ実際問題 ニツキ,自
発的平民的二意見・研究 ヲ交換」す る場 を持つべ きであると している。そして,大 正3年
7月 3・ 4日 に第1回初等教育研究会が鳥取師範学校 において開催 され, 鳥取市,岩
見郡,気
高郡等か ら92名の教員が参加 している。研究テーマは,(1)修 身教授 によって道 徳性 を高めるには,ど
のような配慮が必要か,修
1/」ヽ学校で児童 を自律的・ 自発的に活動 させ るため には,自
治訓練 をどう行 えばよいか,と
い うものであった。 この初等教育研究会 は,次
第 に県下に おける自由教育運動の中心的存在 を占めるに至 った。 こうしたなかで自由教育 に積極的に取 り組 んだ学校の一つに修立尋常小学校 があつた。大正7年
6月 に同校の校長 に就任 した岡沢盛造 は,自
働主義 を教育理念 に掲 げ「自発精神二基 ヅイテ修養セ シムベク,一
層 ノ進境 を拓 タイ,カ
クシテ児童 ノカ ヲ充分二伸長セシメタルタメ,方
法 ノ旧套 ヲ脱 シテぅ百尺竿頭,一
歩 ヲ進ルノ方法 ヲ成就 シタイ」と述べ るとともに,「教授ハカ ノ育成 デナケ レバ ナラヌ。コノ意味ニオイテ,従
来 ノ教授ハ革命的二改良 ヲ要スベキモノデアルザ働と教授方法の改造 を提起 し,同
校の教授方法 として(1)個人の学習能力 に応 じ,分
団的教育法 を とること (優勢の助長 と劣等の救済),(2)自覚 させ ることを指導の骨子 とす ること。●)自学 は周到で,教師の督励 を要す る, に)教授の効果 は結果 よ りも過程 にあること,低
〉い力鍛練 につ とめ,創
作応用の基礎 をつ くることを 掲 げている。 また「学級 自治会」 を組織 し,主
に第3学
年以上 において週一時間か,隔
週 に一時間 自治会 を開催 し,学
級生活 について自主的に討議す るとい「自律的 自治教育」が実践 されている。 この修立小学校 の教育改造 には,既
に及川の分団式動的教育法の論理が反映 されている。 このほか 鳥取市 を中心 に,岩
見郡美和尋常小学校で も谷 口恵五郎等が中心 にな り,「教育思潮の中核 は創造教 育 にある」ことを確認 し,「自律的修徳」,「自主的学習」,「自覚的保健 を重 んず る」教育 が実践 され ている。鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 29巻 第
2号 (1987) 167
まと
め 明治後期か ら大正前期 にかけて成立 し
,新
教育理念 として呼号 された「個性教育」,「自学主義」, 「自治教育J,「自主学習」等は,
しばしば指摘 したように,常
に日露戦争か ら第一次世界大戦前後 の新 しい国家理念,す
なわち「東洋主義」,「亜細亜主義J等
といった粉飾 された帝国主義国家の理 念 をひきづっていることが理解 される。 そこに「大正 自由教育」が,明
治教育 の断絶 の うえに成立 したのか,そ
れ とも連続 として全場 したのか とい う評価が問題 にされて くるが,そ
の点 については 別の機会 にふれてい るので,省
略 させて頂 く伊9 ただ,そ
うした問題性 を確認 しつつ も,明
治後期 における新体育論 とその実践 を継承 しなが ら, この小論で指摘 した体育改造論 は,地
方 にも次第 に浸透 し,次
の機会 に見 るように運動 としての体 育改造が各県の師範付属小 を中心 に繰 り広 げ られ ることになるのである。 この事実 は,近
代 の体育 の展開過程 を「国家主義」,「軍国主義」(勿論 それがイデオロギー的支柱 をな していた ことを否定す るものではない)の
それ としてのみ とらえて きた近代体育史研究では,十
分 に明 らか に されて来 な かった点である。それは,事
実の羅列 を,言
い換 えれば,た
んなる事実の時間的配列 を歴史 と見 る, 従来の体育史研究の欠陥 を示唆 している。補
註
(1)同 書 同文館p9
修)同
前p9
俗)同
前p31
傍点建部 14)同 前p33
傍点建部0
同 前 pp35∼38 (6)同 前p36
傍点建部 (7)同 前 p37 18)同 前 p52 (91 同 前p42
傍点建部10同
前 pp633∼ 634 1' 同 前 p634 はか 同 前 pp641∼64210
同 前 pp643∼64410
同 前 p6501)同
前 「戦後 にお ける国民思想の統一」pp620∼62110
同 前 p632Qp
同 前 「戦後 にお ける家庭教育」 pp335∼33610
同 書 松 邑三省堂 大正9年p28
傍点長谷川19
同 前 pp31∼3200
同 前 pp36∼37QO同
前 pp41∼42 9り 同 前 pp305∼306 傍点長谷川9)同
前p314
傍点長谷川90
同 前p316
傍点長谷川90
同 前p25
傍点長谷川1251 向 前
p486傍
点号1用者 1261 同 前 0436 1271 同 前 p436 1281 同 前 p4379,同
前 p437 1301 同 前 教育学術桝究会編 前掲書 ,507 130同 前 p507■598 1321 同 前 p510 1331 同 前 o512 1341同 前 p51300
同 前 西13 1361同 前lp報 │
働 同 前 p53800 F世
界の大勢 と大正教育の方針』 目黒書店 大正14年 o273 1391 同 前 pp4∼5 1401同 前 "511,
同 前 ppl∼2傍
点佐々木 “ 〕 同 前 pp3∼4
傍点体々木 側 「戦後における初等教育コ 教育学術研究会編 前掲書 p31 1441同 前 碑799
同 前 o98‐9910同
前 plll 1471『体育研究と 大正7年 甲 2号 p1610
同前誌 大正7年 第 3号pB
確0
同 前p9
硼 同前誌 大正つ年 1第3号 150 同 前 p12 1521同 前p12 .
6)同
前p13
1「o41 同 前 p1360
宮城県教育委員会編F宮
城県教育百年史ょ 第 2巻 昭和52年 p99460同
前 p394∼39560
日 前 p67 側 同 前 ,6860
香川大学学芸学部同窓会編 昭和28年 p26860
新潟県教育委員会編F新
潟県教育百年史 大正昭和編』 昭和48年 P56CO
同 前"6
6)同
前 pplo6∼107 163)同 前 p556,宮
城県教育委員会編 前掲書 弾筋4∼8556o
鳥取市教育委員会編 『鳥取市教育百年史』 昭和49年 p288 1661 同 前p躊
8 1671 同 前p誠
91-292 1681 同 前 p293 1691 この点については拙稿 '日本近代体育の思想 と実践(1)』 (鳥取大学教育学部研究報告教育科学 1第 26巻)を 参 照 されたい。鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 29巻 第
2号 (1987) 169
参
考
文
献
拙論 「大正期 にお ける自由主義体育思想の研究 (1)」 鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第18巻 第1号