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社会科教育における意思決定能力の育成―高等学校公民科の授業を事例として―

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―高等学校公民科の授業を事例として―

The Development of Decision-Making Capacity in the Social Studies Education

―In Case the Class of Civics of High School―

井上 剛男

Takeo INOUE

滋賀大学教育学部 1 はじめに そもそも社会科は、戦後の教育改革において新しく 導入された改革の目玉であった。1947年に開始され た社会科の指針になったのが、同年に発行された「学 習指導要領社会科編Ⅰ(試案)」と「学習指導要領社 会科編Ⅱ(試案)」である(1)。その内容は、アメリカ 経験主義に理論的支柱を求めるものだったこともあ り、多くの学校で、J.デューイが提唱した問題解決学 習による授業が展開された(2)。それは、教師が教え る知識を「覚えさせる」ことを学習の中心に据えるの ではなく、児童・生徒が「問題」を見つけ、解決に向 けて「考える」ことを重視する学習への転換を図るも のであった。こうした児童・生徒の活動を学習の中心 に位置づける当時の社会科教育は、戦前の国家主義的 な教育が民主主義的な教育に移行してきたことを象徴 していた。 ところが、このような問題解決学習に基づく社会科 教育に対して、主に2つの観点から批判が向けられる。 1つは、「はいまわる社会科」だという批判である。 児童・生徒による活動を重視するあまり、活動させる こと自体が目的化し、活動を通して何が学べるのか不 明だとされた。児童・生徒の活動だけでは、荒唐無稽 か予定調和な解決策しか見いだせず、問題の背後にあ る社会構造などを踏まえた、考え抜かれた解決策を見 いだす方向に向かわないので、意味がないのでないか ということである。もう1つは、学力低下を招くとい う批判である。もともと戦前の詰め込み教育を批判す る形で誕生したのが社会科だった。詰め込み教育をや めた社会科で学んだ児童・生徒は、戦前とは異なる教 育内容(生活経験に基づく気づき)を学ぶことになる ので、戦前の児童・生徒であればたいてい知っている 抽象的な社会科の知識をあまり知らない。そのため、 児童・生徒の学力が低下しているという見方にリアリ ティがでてきたのである。1955年、これらの批判を 受け、小学校と中学校の学習指導要領のうち、社会科 のみ改訂され、従来の問題解決学習から、地理、歴史、 政治、経済、社会といった諸科学の知識を分野別・段 階的に学ぶ、系統学習への転換が進められる(3) このような社会科教育における授業内容や社会科教 育で育成する学力内容をめぐる揺らぎは、社会科教育 の実践者の間での論争へと発展していく。その典型が、 1952年に始まる勝田・梅根論争である。教育科学研 究会(以下、教科研と表記)の雑誌『教育』(1952年 1月号)で勝田守一が「提案 社会科をどうするか」 という論文で、児童・生徒が自らの知識や思考を発展 させるには、それに必要な概念を習得させなければな らないので、小学5年では主に日本地理、小学6年では 主に日本史を学ぶというように、学年に応じて、地理、 歴史などの単元構成による学習を導入したほうが望ま しいと提案したことから始まる。勝田の提案に対して、 コアカリキュラム連盟(以下、コア連と表記)の梅根 悟は、勝田の先の論文が掲載された雑誌『教育』(1952 年1月号)に、「社会科解体論に反対する」という論文 を発表した。その論文では、社会科を地理、歴史など の教科に分割し、解体するものだと強く反発する(4) 社会科は、さまざまな科学を教える教科ではなく、児 童・生徒が気づいていない問題を自覚させ、その解決 の道を探求することを通して、反省的思考を有する人 間の形成を目的とするものだと、梅根は考えていたか らである。したがって、児童・生徒に問題探求を行わ せる社会科が、歴史や地理といった教科とは別に、小 学校、中学校、高等学校を通して中核的な課程として 位置づけるべきだと主張する。このような社会科教育 のあり方をめぐる論争のなかで、コア連は三層四領域 論を提起し、系統学習を排除しない問題解決学習を提 唱するなど、論争の成果も現れる(5) しかし、社会科教育において系統学習が重視される 流れは、暗記主義や詰め込み教育との批判があったも のの、1989年の学習指導要領で、生涯学習体系への 移行を目指すために、「自ら学ぶ意欲と社会の変化に 主体的に対応できる能力の育成を図る」(文部省編  <キーワード> 意思決定能力、価値学習、公民的資質

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1989:1)ことが宣言されるまで続いた。1989年の 小学校学習指導要領では、基礎的な知識の理解ととも に、観察や調査などを用いる能力やそれらを用いた社 会科としての学び方をどのように育てるのかが課題だ として、系統学習だけでなく、問題解決的な学習の両 方を行っていくことが示される。そして、2008年に 告示された現行の小学校学習指導要領と現行の中学校 学習指導要領、2009年に告示された現行の高等学校 学習指導要領では、「基礎的・基本的な知識及び技能 を確実に習得させ、これらを活用して課題を解決する ために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力を は ぐ く む 」( 文 部 科 学 省 編 2008a:1、2008b:1、 2009:1)ことが、学校の教育活動が目指すところと して位置づけられる。つまり、1989年の学習指導要 領が示した、系統学習と問題解決的な学習の両立を目 指す方向は維持されたのである。このことは、社会科 教育において永く続いた、系統学習を重視するか、問 題解決学習を重視するかをめぐる論争を解消させる糸 口になったと言われる(6)。というのは、今回の学習 指導要領で示されたのは、基礎・基本の知識・技能を 確実に習得するという系統学習を踏まえながら、課題 を解決する力を育むという問題解決学習を行うという ように、どちらの学習も行うとされたからである。し かし、言うは易く行うは難しなのである。 そこで本論では、系統学習と問題解決学習の両立を 図ることで生じる課題や可能性を探ることにする。ま ず、現行の学習指導要領では、社会科教育において、 系統学習と問題解決学習の両立を図ることで、どのよ うな力をはぐくむことを想定しているか確認する。そ の上で、高等学校公民科の授業を遡上に挙げ、本論の テーマに接近することを試みる。 2 現行学習指導要領における社会科教育 2-1 小学校の社会科の場合 現行の小学校学習指導要領によれば、小学校の社会 科は、「国際社会に生きる平和で民主的な国家・社会 の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う」(文 部科学省編 2008a:22)ことを目標とする教科とさ れる。ここでいう公民的資質とは、現行の『小学校学 習指導要領解説』によると、「平和で民主的な国家・ 社会の形成者としての自覚をもち、自他の人格を互い に尊重し合うこと、社会的義務や責任を果たそうとす ること、社会生活の様々な場面で多面的に考えたり、 公正に判断したりすることなどの態度や能力」(文部 科学省編 2008c:14)を意味する。 では、どのようにしてそうした公民的資質の基礎を 育てるのか。「社会生活について理解を図り、我が国 の国土と歴史に対する理解と愛情を育て」(文部科学 省編 2008a:22)ることで実現できるとされる(7) 現行の『小学校学習指導要領解説』をたどると、「社 会生活についての理解とは、人々が相互に様々なかか わりをもちながら生活を営んでいることを理解すると ともに、自らが社会生活に適応し、地域社会や国家の 発展に貢献しようとする態度を育てること」(文部科 学省編 2008c:13)だとされる。また、「我が国の 国土に対する理解と愛情」とは「身近な地域や市(区、 町、村)、県(都、道、府)の様子についての指導を 踏まえて、我が国の国土の地理的環境とそこで営まれ ている産業の様子などの理解を図り、我が国の国土に 対する愛情を育てること」(文部科学省編 2008c: 13-4)であり、「我が国の歴史に対する理解と愛情」 とは、「市を中心とした地域の人々の生活の変化や地 域の発展に尽くした先人の働きの指導を踏まえ、我が 国の歴史に対する理解を深めるとともに、我が国の歴 史 に 対 す る 愛 情 を 育 て る こ と 」( 文 部 科 学 省 編  2008c:14)であるという。 これらの方法論から、授業では、児童にとって身近 な場所や人々などを取り上げ、それらとの結びつきを 児童に意識させることで、社会生活、地域、歴史への 理解や愛情を育てようとしていることが考えられる。 2-2 中学校の社会科の場合 中学校の社会科の目標について現行の中学校学習指 導要領で確認すると、「国際社会に生きる平和で民主 的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基 礎を養う」(文部科学省編 2008b:17)教科とされる。 つまり、小学校の社会科と全く同じ目標なのである(8) しかし、どのようにしてその目標を実現させるかとい う部分について、小学校とは大きく異なる。 現行の中学校学習指導要領では、先の目標を実現さ せる方法が2つ挙げられている。1つは、「広い視野 に立って、社会に対する関心を高め,諸資料に基づい て多面的・多角的に考察」(文部科学省編 2008b: 17)することである。現行の『中学校学習指導要領解 説 社会編』に従えば、「広い視野」とは、「社会科の 学習が目指している多面的・多角的な見方や考え方に かかわる意味と、国際的な視野という空間的な広がり にかかわる意味」の2つの意味があるという。さらに、 「社会に対する関心を高め」とは、「社会科の特質を踏 まえて学習の過程を大切にし、生徒自ら社会的事象を 見いだし、それについて課題を設定し追究する学習を 重視するとともに、学習を通してさらに関心が高まる ことなどを目指す意味」(文部科学省編 2008d:20) だとされる。また、「諸資料に基づいて多面的・多角 的に考察」するとは、「社会的事象はそれをとらえる 観点によって大きく見え方が変化することから、資料 を適切に収集、選択、処理、活用し、それらの資料に 基づいて多面的・多角的に考察し公正に判断する態度 を身に付けさせること」(文部科学省編 2008d:20)

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である(9) もう1つは、「我が国の国土と歴史に対する理解と 愛情を深め、公民としての基礎的教養を培」(文部科 学省編 2008b:17)うことである。これは、現行の 『中学校学習指導要領解説 社会編』によると、「地理 的分野及び歴史的分野の基礎の上に公民的分野の学習 を展開するという中学校社会科の基本的な構造に留意 して,公民としての基礎的教養を培うこと」(文部科 学省編 2008d:21)を意図したものだとされる。 これらの方法論から、授業では、資料などを用いて、 生徒にとって身近ではない地域や人々も取り上げ、資 料の読み取りなどを通して、生徒自らが社会の課題を 見つけ探求することで、身近ではない地域や人々との つながりに気づき、社会的な責任や正義を意識するよ うにしようとしていることが考えられる。 2-3 高等学校の地理歴史科の場合 現行の高等学校学習指導要領によると、「国際社会 に主体的に生き平和で民主的な国家・社会を形成する 日本国民として必要な自覚と資質を養う」(文部科学 省編 2009:18)ことが地理歴史科の目標とされて いる。ここで注目すべき文言は、「主体的に生き」る という部分である。現行の『高等学校学習指導要領解 説 地理歴史編』には、「『主体的に生き』るとは、自 らが国際社会の中で価値ある国家・社会を形成してい く責任を自覚し行動することを意味」(文部科学省編  2010a:10)と説明されているように、問題や責任を 自覚するだけでなく、問題や責任を踏まえて実際に行 動することを促すものになっている。 では、どのようにして生徒に責任を自覚し行動させ ようとしているのか。「我が国及び世界の形成の歴史 的過程と生活・文化の地域的特色についての理解と認 識を深め」(文部科学省編 2009:18)ることで、実 現させたいと考えているようである。現行の『高等学 校学習指導要領解説 地理歴史編』では、この内容を 次の2つの観点から説明している。まず、「我が国及び 世界の形成の歴史的過程…についての理解と認識を深 め」させるとは、「我が国の形成の歴史的過程につい ては、世界史的視野に立って、我が国を取り巻く国際 環境(世界の歴史)との関連で理解させ、また世界の 形成の歴史的過程については、諸地域世界の歴史と相 互の交流・結合の歴史を通じて大きな流れを理解させ るとともに、それと我が国の歴史との結び付きを考え させ、これらを通して歴史的思考力を培」(文部科学 省編 2010a:10)うという意味だという。一方、「我 が国及び世界の…生活・文化の地域的特色についての 理解と認識を深め」させるとは、「世界の人々の生活・ 文化に関する地域的特色と共通の課題、自然環境及び 社会環境の関連、諸地域相互の関連を理解させ、これ らを通して地理的な見方や考え方を培」(文部科学省 編 2010a:10)うという意味とされる。 これらの方法論から、歴史的、地理的な見方や考え 方を深めることで、「価値ある国家・社会を形成して いく責任を自覚し行動する」ことにつなげようとして いると考えられる(10) 2-4 高等学校の公民科の場合 それに対して、公民科の目標はどんなものなのか。 「平和で民主的な国家・社会の有為な形成者として必 要 な 公 民 と し て の 資 質 を 養 う 」( 文 部 科 学 省 編  2009:31)ことだと、現行の高等学校学習指導要領 は指摘する。ここで示した公民科の目標について、現 行の『高等学校学習指導要領解説 公民編』でさらに 確認すると、「公民としての資質」について、以下の ような説明がなされている。 現代の社会について探究しようとする意欲や態度、 平和で民主的な国家・社会の有為な形成者として、社 会についての広く深い理解力と健全な批判力とによっ て政治的教養を高めるとともに物心両面にわたる豊か な社会生活を築こうとする自主的な精神、真理と平和 を希求する人間としての在り方生き方についての自 覚、個人の尊厳を重んじ各人の個性を尊重しつつ自己 の人格の完成に向かおうとする実践的意欲を、基盤と したものである。また、これらの上に立って、広く、 自らの個性を伸長、発揮しつつ文化と福祉の向上、発 展に貢献する能力と、平和で民主的な社会生活の実現、 推進に向けて主体的に参加、協力する態度とを含むも のである。 (文部科学省編 2010b:4) つまり、社会探究の意欲や態度、社会形成者(人間) としての自覚、自他を尊重する実践的意欲の3点を基 盤にしつつ、文化と福祉の向上に貢献する能力や、平 和で民主的な社会構築に主体的に参加する態度を有す ることを「公民としての資質」と想定していることが 分かる。 では、こうした「公民としての資質」をいかに育も うとしているのか。「広い視野に立って、現代の社会 について主体的に考察させ、理解を深めさせるととも に、人間としての在り方生き方についての自覚」(文 部科学省編 2009:31)をさせることによってだと いう。現行の『高等学校学習指導要領解説 公民編』 で詳しく見ていくと、ここで示された方法が大きく2 つに分けられるという。1つは、「現代の社会について 主体的に考察させ,理解を深めさせる」ことである。 これは、「これからの社会は少子高齢化、高度情報化、 グローバル化の進展や、環境問題など地球規模で対応 しなければならない課題が山積し、異なる文化・文明 との共存や国際協力の必要性が増大することが予想さ れており、『知識基盤社会』の時代などと言われる社 会の構造的な変化の中で、生徒の現代社会に対する関

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心を高め主体的に課題を設け意欲的に探究し考察させ る学習の充実を図ること」(文部科学省編 2010b:4) を意味すると指摘している。もう1つは、「人間とし ての在り方生き方についての自覚を育て」ることであ る。これは、「現代社会についての理解を踏まえ、生 徒が人間としての望ましい在り方について学び自己の 生き方を主体的に選び取り、意義ある人生を送れるよ うになることを目指すものである」(文部科学省編  2010b:4)とされる。 これらの方法論から、社会について関心を持ち、責 任や正義を自覚するだけでなく、自ら課題を探し、社 会の課題を解決しようとする意欲をもたせることや、 現代社会について学ぶことを通して、自らの生き方や あり方を反省し、これからの生き方を考えさせること を通して、公民としての資質を育てようとしているこ とが分かる。 2-5 現行学習指導要領から分かること 小学校と中学校では、公民的資質の基礎を育てるこ とが社会科の目的であるのに対して、高等学校では、 「基礎」という言葉がなくなり、地理歴史科では「日 本国民として必要な資質や自覚」、公民科では「公民 としての資質」を育てることを目指すことになる。小 学校の社会科では、児童にとって身近な場所や人々な どを題材に、地域とのつながりを意識させるものであ ったのに対して、中学校の社会では、資料等を用いる ことで、生徒にとって身近ではない場所や人々を取り 上げ、いわゆる問題解決的な学習によって、社会や世 界とのつながりを意識させるものであった。さらに、 高等学校公民科になると、問題解決的な学習によって、 社会や世界とのつながりをより深く意識させると同時 に、善悪を適切に判断し、その判断に基づき、問題に 対して行動する意欲をもたせることを志向している(11) 小学校社会科、中学校社会科、高等学校地理歴史科、 高等学校公民科では、校種や科目によって若干の違い はあるが、社会とのつながりに気づき、問題の善悪を 適切に判断し、社会の課題を自ら見つける力や、課題 を解決する力を身につけさせようとしていることが分 かる。そこで、意思決定能力に着目したいと思う。意 思決定能力とは、良識による価値判断に基づき合理的 な選択を行う能力であり、社会の課題を自分で見つけ、 自分で解決するために欠かせない能力だと言える。そ こで、意思決定能力が、基礎的な知識の習得をはかり ながら、どのように育成されているのだろうか。1つ の授業事例を通して見ていくことにしよう。 3 大杉昭英の高等学校公民科の授業モデルの検討 3-1 大杉論文の概要 ここで取り上げる授業モデルは、大杉昭英が2011 年に『社会科研究』で提案した高等学校現代社会の授 業案である。この授業モデルは、「市民的資質の育成 に重点を置き、社会的論争問題を学習内容とすること で『価値』注入を回避し、自主的・自律的な価値認識 の 育 成 を め ざ す『 意 思 決 定 』 主 義 社 会 科 」( 大 杉  2011:1)を構想」したものであり、意思決定能力を 育む授業について検討する事例としてふさわしいから である。まず、大杉は従来の2つの価値学習モデルを 批判する。1つは、「合意形成」社会科で、個々の生 徒の価値観に基づき議論を行い、相互承認可能な価値 形成をめざすモデルである。このモデルに対して、必 ず合意形成につながるとは限らない点と、たとえ合意 形成ができてもその価値の質が保証されているわけで はない点という問題点を挙げている。もう1つは、「開 かれた価値観形成」社会科である。これは、「生徒が 自分自身のより良き生を構想する視点から、過去に制 度化された選択・判断としての法律を対象化し批判的 に吟味させる。そして、自らの選択・判断の基準を考 察させることで開かれた価値観形成を目指している」 (大杉 2011:1)モデルとされる。しかし、「価値認 識成長の手がかりとなる『価値』の吟味が法律の含意 する保護法益となって」おり、「一般に、法益の解釈 は時代や状況に依存し、限定的で適用範囲が狭い」の で問題だとされる(大杉 2011:1)。だから「抗状 況 的 な 立 脚 点 と な る『 価 値 』 に す べ き 」( 大 杉  2011:2)だという。 では、大杉自身が、それらの課題を踏まえて、社会 科どのように構想したかを確認していくことにする。 授業構想の基本的な考え方として考慮したのは、次の 2点である。1つは、「最大の問題である『価値』注入 を排し、自主的・自律的に価値認識を成長させる」(大 杉 2001:3)ことである。そのために、「他の倫理 的価値に基づく異なる制度と比較対照させ、それまで 無自覚であった倫理的価値を明らかにし批判的に吟味 させること」と、「自分はさておき、皆にとってどの ようなものが適切か」を検討させることで、「他者の 存在と全体の在り方に配慮する『公共的理性』を持っ て、あらためて社会の在り方を考察」させるとした(大 杉 2001:4)。2つめは、「価値認識の質の保証を図る」 (大杉 2001:4)ことである。根本的な倫理的価値 として、功利主義、社会契約主義、自由至上主義、共 同体主義の4つの思想を挙げ、これらの思想を手がか りに考察させるとした。 それでは、大杉が考案した高等学校現代社会の授業 案の概要を見ていこう。授業の単元は「少子高齢社会 と社会保障」で、授業のテーマは「医療保険制度の比 較」、指導目標は、①「保険の原理」、②「2010年以 前のアメリカの医療保険制度」と「自由至上主義」を 判断基準とする医療保険制度であること、③「日本の 公的医療保険制度」と「社会契約主義」を判断基準と

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することの、3点である(12)(大杉 2001:6)。 指導計画によると、導入部分で、日本の医療制度の 仕組みについて生徒に問い、国民皆保険なので、国民 は一律に保険料を徴収されるが、診療を受けるときは いつでも、誰でも、どの医療機関でも、一部の負担金 を払うだけで、自由に診療が受けられることを理解さ せるという。その上で、一律の保険料を徴収すること が不公平だという声があることをどう思うか質問し、 健康な人も、病院通いの人も、一律なのは不公平だと いうことに気づかせる。そして、一律の保険料は不公 平だという観点から2010年以前のアメリカの医療保 健制度が成立していたことを理解させ、なぜこのよう に医療保険制度が異なっているのかを問いかけ、それ ぞれの制度の成り立ちを探っていくことを予告する。 ここまでが導入部分で行うことだとされる。 次に、展開Ⅰでは、アメリカの医療保健制度の主な 特徴を確認した上で、この制度を善いと考える自由至 上主義という思想について説明し、理解させる。展開 Ⅱでは、日本の医療保険制度の主な特徴を確認した上 で、この制度を善いと考える社会契約主義という思想 について説明し、理解させる。ここまでが展開部分で 行うことだとされる。 最後の結論部分では、アメリカの医療保険制度と日 本の医療保険制度それぞれの課題について確認し、理 解させる。その上で、自分はともかく、皆にとって適 切な医療保険制度はどのようなものかを考えさせるこ とでこの授業は終わる。   5-2 大杉の授業案の検討 まず、「基礎的・基本的な知識及び技能を確実に習 得させ、これらを活用して課題を解決するために必要 な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくむ」(文 部科学省編 2009:1)流れができている点は評価で きる。アメリカの医療保険制度と日本の医療保険制度 について、それぞれの制度の概要を伝え、あとは生徒 たちの主観的な判断で適切さを選ばせるという形では なく、それぞれの制度を支える倫理的思想について説 明を加えることで、制度の性格や制度が及ぼす影響な どを理解したうえで、判断することを可能にしている。 また、こうした倫理的思想による関連づけは、アメリ カの医療保健制度と日本の医療保健制度を理解し、記 憶することを容易にしている。その意味では、アメリ カと日本の医療保険制度を説明し、暗記させようとす るよりも、基本的な知識も確実に習得させる可能性を 秘めていると言える。 しかし、どのような医療保険制度が皆にとって適切 かを生徒に考えることは難しいと思われる。医療保険 制度の違いを理解できることと、生徒が自らと異なる 立場に立って、医療保険制度の在り方について考える ことは、次元が異なるからである。大杉は、「価値認 識の質の保証を図る」(大杉 2001:4)として、倫 理的思想の指導を取り入れたが、「合意形成」社会科 が批判された価値認識の質とはむしろ、他者の立場や 社会構造などを踏まえた、考え抜かれた価値認識に至 らないことにあるのではないか。だとすれば、自分と は異なる立場になって考える指導やそうした立場にな って考える機会を提供するなどの工夫が必要だと考え られる。また、価値判断の基準は、「自分はともかく、 皆にとって適切なものはどのようなものか」(大杉  2011:9)でいいだろうか。皆が納得する制度という 意味であれば、「そんなものはない」という結論でな ってしまいそうだが。どの医療保険制度をどのように 改善をすれば、今より多くの人が賛同する医療保険制 度になるかといった水準にしなければ、なかなか思い つかないのではないだろうか。もしかしたら、こうし た問いの立て方自体も、生徒に問うべきものなのかも 知れない。 大杉の授業案は、大杉がもくろんだ価値学習という より、それぞれの医療保険制度の特徴について、理解 し、記憶させるという意味での効果がある程度見込め ると思われる。つまり、意思決定能力を育む社会科教 育は、基礎的な知識を理解することの助けになる側面 があり、系統学習と問題解決的な学習の両面を取り入 れることの可能性を示すものだと言える。しかし一方 で、価値認識について考えさせ、意思決定をさせる力 を育むこと自体がさらなる工夫が必要であることが明 らかになった。この点をどう担保していくのか。意思 決定能力を育む社会科教育を実現させるための課題で あると考えられる。 【注】 (1)  学習指導要領社会科編(Ⅰ)は小学校1年(第 一学年)から6年(第六学年)、学習指導要 領社会科編(Ⅱ)は中学1年(第七学年) から高等学校1年(第十学年)の社会科の 指針を示したものである。 (2)  当時の社会科の授業は、問題解決学習を基本原 理としながらも、「小学校学習指導要領社 会科編(試案)」、「中学校・高等学校学習 指導要領社会科編Ⅰ(試案)」が示された 1951年の前後で、変化してきたと言われ る(小原 1998)。 (3)  系統学習への転換は、必ずしも戦前の詰め込み 教育への回帰を目指すものではないという 主張もある。たとえば、伊藤忠彦は、政府 が学ぶ内容を決め、学ぶ側はそれに従うと いう戦前の国家主義的な意味での系統性で はなく、知識の難易度といった教育的な系 統性や歴史の流れといった客観的な系統性

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を指し、あくまでも学ぶ側の視点に立った 系統性だとされる(伊藤 1962)。 (4)  コアカリキュラム連盟は1953年に、日本生活 教育連盟という名称に変更し、現在に至る。 (5)  三層四領域論とは、教科の代わりに、表現、社 会、経済(自然)、健康という4つの学習領 域を設定し、それらを学習する方法として、 知識や技能を学ぶ基礎課程、問題解決学習 を行う生活拡充過程、日常生活における課 題解決に取り組む日常生活課程の3つの段 階に分類したカリキュラムを指す。 (6) たとえば、平田・坂井(2012)など。 (7)  その他にも、ここで示された公民的資質が、「日 本人としての自覚をもって国際社会で主体 的に生きるとともに、持続可能な社会の実 現を目指すなど、よりよい社会の形成に参 画する資質や能力の基礎を含むもの」(文 部科学省編 2008c:14)だからという記 述もある。 (8)  そのため、小学校学習指導要領解説及び中学校 指導要領解説には、この部分を「究極的な ねらい」と表現している。 (9)  多面的とは、社会的事象が様々な面をもってい ることを指し、一方、多角的とは、そうし た社会的事象を様々な角度から考察し理解 することを指す。そして、これらを関連づ けることが重要だとされる。 (10)  国家・社会を形成していく責任を果たし、行動 するという側面をより積極的に捉えたも のとして、アメリカで行われているサービ スラーニングが注目されている。このよう な視点から検討することも可能だが、本論 では言及しない。サービスラーニングの詳 細については唐木(2012)を参照。 (11)  高等学校の地理歴史科では、教科の目標の中に は、問題解決的な学習に関する言及は直接 ないが、「自らが国際社会の中で価値ある 国家・社会を形成していく責任を自覚し行 動 す る こ と 」( 文 部 科 学 省 編 2010a: 10)を求めているように、よりよい社会 を築くために行動する人間を育てること を目指している。善悪を判断できるだけで なく、そうした判断に基づき行動すること を重視していると考えられる。 (12)  大杉によれば、この授業での指導目標の内容 は、知識に限定して示しているという。 【文献】 平田利文・坂井賢一 2012 「言語活動を生かした社会 科学習のあり方――確かな学力を育むための評価 と 工 夫 」『 大 分 大 学 教 育 福 祉 科 学 部 研 究 紀 要 』 34-2:167-82. 伊藤忠彦 1962『系統的教授論』明治図書. 唐木清志 2012『アメリカ公民教育におけるサービ スラーニング』東信堂. 小原友行 1998『初期社会科授業論の展開』風間書房. 文部科学省編 2008a『小学校学習指導要領』東京書 籍. 文部科学省編 2008b『中学校学習指導要領』東山書 房. 文部科学省編 2008c『小学校学習指導要領解説 社 会編』東洋館出版社. 文部科学省編 2008d『中学校学習指導要領解説 社 会編』日本文教出版. 文部科学省編 2009『高等学校学習指導要領』東山 書房. 文部科学省編 2010a『高等学校学習指導要領解説編  地理歴史編』教育出版. 文部科学省編 2010b『高等学校学習指導要領解説編  公民編』教育出版. 文部省編 1989『小学校学習指導要領』大蔵省印刷局. 大杉昭英 2011「社会科における価値学習の可能性」 『社会科研究』75:1-10.

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