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『宗教研究』122号 日本宗教学会第8大会紀要

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(1)

――目次――

1,

人間存在の構造における宗教の根拠,石津照璽,Teruji ISHIDSU,pp.1-13.

2,

神学における人間のロゴスの問題,北森嘉蔵,Kazō KITAMORI,pp.14-22.

3,

未開人における人間観の諸相,棚瀬襄爾,Zyōji TANASE,pp.23-36.

4,

古代インド思想における人間観,生けるものとしての自覚,中村元,Hajime NAKAMURA,pp.37-53.

5,

民間信仰における「人神」の観念と実修,堀一郎,Ichirō HORI,pp.54-77.

6,

現代宗教の問題,赤岩栄,Sakae AKAISHI,pp.78-85.

7,

内村鑑三,亀井勝一郎,Katsuichirō KAMEI,pp.86-97.

8,

宗教的および科学的人間観,佐木秋夫,Akio SAKI,pp.98-108.

研究報告

9,

ユダヤ教における来世観発生の要因,赤司道雄,Michio AKASHI,pp.109-110.

10,

母神と父神,石田英一郎,Eiichirō ISHIDA,pp.111-112.

11,

神名帳標記について,岩本徳一,Tokuichi IWAMOTO,pp.112-114.

12,

後期ユダヤ教とヘレニズムとの関係,特にヨハネ伝1・1-3を中心とせる,大畠清,Kiyoshi

ŌHATA,pp.114-115.

13,

宗門の宗教々育について,加藤章一,Shōichi KATŌ,pp.115-117.

14,

新約聖書における奇蹟,菅円吉,Enkichi KAN,pp.117-118.

15,

仏教の智慧,神林隆浄,Ryūzyō KANBAYASHI,pp.119-120.

16,

宗教意識の構造,岸本英夫,Hideo KISHIMOTO,pp.120-122.

17,

事々無碍観への一階梯,因の六義について,田中順照,Zyunshō TANAKA,pp.123-125.

18,

本地垂迹説について,竹園賢了,Kenryō TAKEZONO,pp.125-126.

19,

物忌の意味,竹中信常,Shinzyō TAKENAKA,pp.126-128.

20,

呪術概念の問題,築島謙三,Kenzō TSUKIJIMA,pp.128-129.

21,

卜部について,野田幸三郎,Kōzaburō NODA,pp.129-130.

22,

近世初期における東洋ジェスイット伝道,宗教伝播現象研究の一部として,野村暢清,Nobukiyo

NOMURA,pp.131-133.

23,

タントラ仏教におけるカーラチャクラ(時輪)の位置,羽田野伯猷,Hakuyū HATANO,pp.133-135.

24,

比丘僧伽の組織について,平川彰,Akira HIRAKAWA,pp.135-136.

25,

宗教々育今日の問題,藤本一雄,Kazuo FUJIMOTO,pp.136-138.

26,

伝道の心理,梵天勧請説話を中心として,増谷文雄,Humio MASUTANI,pp.139-140.

27,

増上心学(adhicittasikkhā)の問題,増永霊鳳,Reihō MASUNAGA,pp.140-142.

28,

宗教的融合体験の基盤,神秘主義とシャマニズムの対比,諸井慶徳,Yoshinori MOROI,pp.142-144.

29,

祖先崇拝の宗教性,諸戸素純,Sozyun MOROTO,pp.144-146.

30,

教行信証の信巻別撰についての私見,結城令聞,Reimon YŪKI,pp.146-148.

Posted in 1949

(昭和24)年

(2)
(3)

今日では宗教の事吾をみるのに、封象そのものとか.或は構成的な意味に於ける謀歓心モのものを取り⊥げるのではな/\、

完教の機能性を問題にする、鼓敢のはたらく首の腸面を冊怨にすると息はれる。

で、私もそのやうな場所で、先づ状況という問題から咄つて参りたい。づまり吾々の世渡りの上で、菖面の事態をSり抄け て行く際の、特殊な、LかL、先払的な部面をそ毎つ、勒殊な異舘的な働きとして考へて行きたい。 ‡開的な︵即ち取り簸へ得ない自己、とくに自覚的自己の領域を中心として、自己並に各自相應の領分、匪埠を保ち晒げ上 ぅとLてをる謂︶硯嘗り生活β場面に於て、私共は世渡りをするのに、様々の藩閥や刷.杓或は要求をもつて富面の事態に廃 し、これを﹁切り接け﹂てゆ′\、﹁けすませ﹂て地/\のであえ㌔この際の切り拷ける仕方としては、普通の湯合には村単的或

は常識的な東屋や手段をとろのであろ。衝く申すと、こり場合、自然的とか酢曾的とか、また、政治的とか拝所的とか、或は

人それぞれの群胚とか.信念や主義といつたやうな事怖にょつて/ての都度の切り抜け方は色々と制限せられるであらう。が、 ともか/\、普通には∵てれらの事情の捕り′ざはさつた制約のもとに、常識や科単の教へる度器や手技を用ひて切り抜けて︰〓\

人間存在の構造に於りろ宗教の根摸

津 照

(4)

のである。

しかし、生きて行く上には、これらの條件や手段を、どれだけ整へても如何にもならぬとか、或はその時その場では如何に

も川意が黎はない、間に合はない、というやうな﹁行きつま=二がある。﹁限界的な状況﹂というものがある。生理的にも・枇

介的にも、或は席史的にも日然的にも、また心珊的にもあるであらう。

その時如何するか。その帖でも何とか切り抜けなければならない。しかし普通の手段は轟きて、進退谷まつて手の打ちやう

がない。たとへば瀕死の場合を考へてみてもよいC手の零しやうはな℃が何とかしなけれぼという蒜で、溺れんとナる牙

は藁をも掴むというやうに、條かな依りどころや弼りでも、それに和らうとナる。諾左懸命で、その折りがどう空車

かうだとかいふ批判や分別の入る併間もないー従って普通の控験と輿つた一概撒であらう。

完づ、このような迫ひつめられた場合が大まかに小して宗教的那決を必要とナる状況でもあらう宣状況的、境遇的に巾す

と宗教の世界に近づくやうになる人々とは、案外、行き悩んでゐる場合の人々かも知れない。

しかし、このやうな切端つまつた場介の心の有様は、宗教の境地に入り易い横合でもあらうし、又宗教の心境に近いとも− 應いへるかも知れない。けれども、こ1に注意すべきことがある。との場合の心持は宗教の心境と竺訳で、そこへのチャン

スだとはいひ絹る。或は現教的には普通の経験のノ仕方と嬉ふ鮎で、相似的ともいひ得るし、宗教的なものも其鹿に同時的に春

木するといひ得るかも知れない。しかし、溺れんとして葦をも掴む態度や心は、−たとへ藁を‡としてではなく、謂抽る超 n然的な言s−ica−な力あるものとして向つてをるとしてもー、蜜は宗教の態度や心のナがたとは本質的には掠ってをる。

前の場合は、自分の持ち合はせの能力や考への上に、何か特別な或る力を接ぎ足して何とかしょうとするのである。しかし、

宗教の態度は本ぽ的にいへぼさうではない。宗教の切枝け方に於ける態度や心の姿は、自分に接ぎ足すのでなく自己なるもの

を根本から推てたところにあ畠と息はれる。ああずればこれがかうなりはせ監、これがかうなら何がどうといつた具合に、

我他彼此やる悟性的情執的な毒性盲超えるところにあると考へられる。信仰とか鐸依とか、それぞれの宗教の態度といはれる

(5)

ものも、解いてみると根本は此虚にあると思はれる。

そこで問題を出してみる。

一、自己を抱てるとか自己に死すとか申したが、それは根本的には何虚へ向けて行くのか。

二、自己を捨てるとは本衆的にはどういうことか。

三、自己を捨てるという磯命は本営は何時何麗にあるか。

で、託の順序から先づ第三の問額からみてみょう。

今までは、或る人が或る時は逢ひ或る時は逢はぬかも知れぬという状況的な謂はば偶然的な横倉をあげたが、果してさうか、

嘗はかうではあるまいか。即ち人間が何時如何なる場合でも、生きてをるという、その成り立ちの基本に破れ目があり、破綻

があつて、上のやうな時折りの行詰少とは、苦にこの破れ目が、それぞれの場合に視れた姿ではないか、とかういう様に考へ

られる。

かうなると第三の問題は第二に移される。自己を捨てるとか、・自己に死するとは、本釆どういうことかということになつて

凍る。

次に第一の間頼であるが、これも第二の開囁にをさめられるであらうっ宗教の研究鱒宗教の事苦衷は事皆の前揉より出馨し

なければならないが、直接的な宗教の事賛は必ず如何やうかの規定性柿極性をもつてをる。プラクシスの形態でも勧念の形態

でもさうである。そこでは色々な形で自己を捨てる状態が示されてをるとみられるが、つきつ竺﹂みると、本釆は何虚へ向け

て自己を棺てることなのか。

直接的な宗教の事賃としては、相伴その他櫛々の宗教的封象に向けて自己・を超え、辟依し、信仰するのであるが、そのやう

な成立的構造を根瀬的に解きほどく、仕組みを上から取欄外してゆく、destruktiereコし、究極の底を求めてゆく、といふ単

(6)

閏的操作を搾ろとどうたりりか、私は∴小研的に早けrろこと∵−いふ場面の底ん匪りし止㍉′に道して、ここをみてみょうと思ふ。

かうなろと、第一の開場はやはり昭二ハ関頭にー∴∵∵し氷ろ

八宗■り存れ胱什を、︰■小数の外から・右∴∵∵しみ︰りことも州準りし∵木酢の内川から索禦ご﹂とも〓凍ろ。子た八一ポ教ゎ舵準γ

構成心理箪でいふやうな意味の心理隼的左ものや、或は誹ゆるへ川聾的−左も〃、或け軒曾的な兆描にも求めることが⋮李㌔ しかし、人の人たろ桝‖咋H密約不伸しlにありりといはれる†う止、八川存在の硯︰宵の場面む心の場面にとつてみることも七串で あ、hう。と小して・も、H布的な点昧でい一㌫ではな/\、L=〓ハ心の行キ宣言∵霊軍師、即ち心なろものの内▼在を甲乙〓でて川手 とかかはつて現に存〃すろ趨眩的な、∴ム廿⋮の■ふかけりLい場両、満ル︺宮存の場面吏とり上げるのである、内面的な性質 ◆−ごもつ号ぷ離の本質的謹富むみろ上では、都人‖のょい、ヰた根本的な問題場面であろとm心はれモ この香存の餓域を根本的に考へたのは・∵⊥ルヶ守−几とL﹂くにハープ′′−である。−i・†スパースは山先づ今の論如から はふれないでおくー。ハイデソカーはL﹂くに現存在を、驚喜rぎJ2rEコtWuュとして、亨﹂の基標的な行リカを﹁負目﹂の 構造に於て見出したJ即ちnich︷ige加Gruコds2in2・Nicht啓2itな′り作り方に於てあろことを明らかにLたのである。賞存哲 尊の勝れた薬指のちは/茶目の規底の存在の場面が.可能性の箱哀であろ、しかも、制酸せられ、花、即ち N首妄gkejt の キ、配する可能性の銅坑であるとみた壬﹂1にあろ。Ni︹−一t隻eitとい、㌫、それはわれわれの現在の場面即ち心のゆきわたる 範拉1、EコtWur叶の軋囲が、あーれであ▼れば.それではない、という制約のあろ可能性の領域、この﹁ない﹂ということで呼隕に

制約せられる可能性の・硝域、の什りカのことである。打つその可能件の徹叫、告

存の減域ほ、何艇までも不決りノであり、不確

貨なAb票undの領域であるといふのであ毛しかも、てこに於て、儀介の主鰭たろ各自濠、それを解制約なやうには川東な い0眞に自由には什1束ない︹−コi2m㌍hti箭なGrundseinであろとい∴ことを明らかにトた。

このやうな謂で・存有本の存在とくに現存准の存・群が舛に於てあるといはれるのである。簸は香にの契機といふやうなもの

ではなく、存希書を存在者たらしめる存在の板牒であるといはれるのは、存在者の牌在が、貰宥ゐ領域であり、そこの成り立

(7)

ちが上のやうに仕組まれてをることをいふのである。勿論、無なるものの⊥に存在者が膳え患かれてゐるといふ詣ではなく、 存在者の存在の場面、宮存の場面が、燕の析作なる頼みするコic−吉−−するはたらきに於て・支配されてをるといふ謂であろ。 もつとも、その箕は、やはりハイデッガーに於ては関越を建してをるが︵柵遺、∴奉照︶、ともかく、嘗仔か負目に於てあ るといふ所以の基礎的純造をハイデッ、・リー−はかくみろのネある。キ⊥ルケゴールでも、ニしの所論を撃淵的に解きほどいて抽く

..

未然五形ではあぇが、や、はり、そのヤう鱒見地が出て来ろ︵補選、二垂豊丁−旬、調、智存の珂念がちがふL、ハイデ

と・

ッガーのいふやうな無や死は問題にされ㌦い・しかト、寅んの碩妓が謂はば解さり椎能的士上靴のもとにみるといふ見地が〓て 来る ー。

ハイチッ㍉−りい、ふ.この■存在論的な渦・什在の什査の場面、畜存の場扁に、彼自身は十小故の問抱性を闘いてゎない ー ここ では彼の方法上の問題・革存の理念の曲調1撃bに′†の問題としては、投企の基乍的性情に醸すろ問題ヤ、非本来性、本釆件 の問題、また、宮存的な決意り在り・んヤ、謁ふLごこり・り仔在者の性格について、論じたけれげなら・ぃが、挨の時間にゆするへ補 遺、一二、今田ニー ⊥しれで⋮私共とし︹は、ハイプヅサーの明らかにした場面む碓保し∵這いて二伸てりに波の所論を超えた問 粒性をみてみ∫う.そこから、憲敢へ一り閑地場面が開かわて来ると忠良れ∴γ・−・但し.ハイチッ■カーの所論を由主に紳堕め鶴 城に接結せしめ∫うとLた硝化る#許一赫的柵噂のやり方は・冨を椙てゎない。われわれほ/てのやうな意描や仕方をとろのでほな い ︵補遺.四、奇嘩︺∼。 さきに申したやうに、この可能性の領域ほ、何鹿までも不敦りである■りたとへば、・、1、い私は可能的にほ病嘉でもあわ得ろ、. 病気でなくもあり得る。死ぬことも在り由ろ、死なねこともあり得る!、勿論究極的には死の在り得るヤうに存在してゐな い准り方をLてはゐないっしかし、′丁はそのやうには見ないっ ハイデッガーではなくチェルケゴール的にーI全く反封の二つ の乃至純痕の可能性は常に何時でも各自の現在に突きかかつて棄てをる。離合的な事柄でも同枝で、自分に迫って塞てをろ或

(8)

ろ事か起ら♂lこともあ・り〃ろし、龍三ご﹂ともあり得る。さういふ場面であろ?或や華甲作り得ろとい、ご﹂土は∵てぃ衷で在り 得ないといふ寧■∴豊根山可能什、しかし、﹁ない﹂と∴∵・㍍刷り叫罷竹に土りまかれて.を∴て で、希望の方に手を穀すであらうが、しかも、÷の可罷廿わーつふ品二て他〃可能什箪い沌てろといふこ土は、構適上如何し ても川東ないり魯にここは思ひのままになりたさ、足りなさり支涙下にあろわけで/てれを舟何とも諒Lかたい。科隼め沌本 をもつてしても.たとへプロ.∵ノル■Lは〓埜しも.”つの可能什たけ牢必然的にもつト∴いふこ土lほH*ない∫〓雅た土すれ ば、rl両の硝埴は無′、な一ヤーーー き﹂で.小示教的に生キ▼′㌣キ申しても∵﹂こを光正〓∵ごとほ出席ない、︰また、こ・〃やうな描法ウリ一冊を壊すこL﹂も〓平㌦い︹▼ しかし、此庖には問榊かもろパままに、ならなさ、足りなさに於てあろ現賞の場南で、謹まにしJうと巌ひ、足‖七、うに・か りたいと用ふこしの菖のl訣ひ榊ひ・り月面に問栴があろのでほなからうか。 ≠轟的には、ままにし†う批√・1†うに計りたいとい∴上こうにけ、目#かあ‖⋮手が吾†▲れれこれ自他なろものを拍揖 にをいて、言明ひ他を頼ま・1として、そ∪に欲ひ醐ひをかけるりであー勺.上に申tた蛸息の場高L蓬・正し′\、この訣一ひ吊 ひのゆきわたつて且つてむろ描亙で︸?㌫、てこは十︰やうな摘草りり何で︸ヤ∵⊥、三↓が、÷り巧盃に於て在〓ながら、へ一ノ や問揮町高城がこりやうな僻に︻閃けて塞−んであらう 訣ひ無げの一場・而に臣ては∴八一ひ手柄ひ手と拭ひ瑚はれろ相手とが柏里に 束かれ、しかも、フでの相手があれそれと〓封にゎかれ∵を七それ巌、・i餞があかむ朗′竺しれを頼むヤーリに往りてを′りのであ ろ。しかL捷じてままにならなさの・支配し、R在でほありきれぬ右のやうな臨長の場面に於てあ7完であるから、思ひのまま

なら担逼迫に逐はれるのではなからうかっ

かうなると、常に九ハ虚に於て硯嘗の薄まれ一心Lこころの、その奥庭の稲造をご・′つしJうといふの■ではなく、その場面に於ける

十概と相手とのかかはり方のところ隼問題の額域が適って来る。

(9)

日常わ加われは﹁斯々で﹂あり庇い、﹁期々でない﹂のでは困ろとやつてをる︺ああだ、かうだと立てて、一つの尊皇止てて

ニ妄竿ハで、他ル方が疎ましい、凍ては困るといふ

他の事と区別し、あれといって、あれでないものとの什切りをつけて、

具合にやつてをる。ところが、そのやうにやってをる場面が、巾Lたやうな可能件の鍋底で、何虎までも不沈りで、何方の可 能什が乗るのかわからない。それだから、きしに不安や心舵が⋮て棄る。今1心配や不安の根本はこのやうなところにあるの

である。

Lかし、此虎をよく妃てみろと加由であらうか。事態を引き受けろ各自にとつて、どゃ㌧の可能性が空しも拍はみのなら心

配はない。が、貴際は一が誓ましノ\他が疎ましいし空しは

困ろっそこで心批したり、無理をしたりすることになる∴けれども

叫を鵬ひ佃を願はれといふ川芸nの、叫とか他とかといふのは如何なろ者であらうかノ草通には、見たり手にとれるJb、うな莞悪 や貨物のことと仙心っ∵▼わ′1

しかし、きうであらうか。あれであり度い、これであり度くないといふょれ﹂とか﹁とれ﹂と

いはれろものは、たはあり度い1京J昔年、ないL﹂いふ慾望や明■付、危仰の向ふに丹㌫れた昌侵であつて貨物ではない。朗念 的にせてられたものであら√ノ.既に認識論的にも批証せられき﹂とであ二か、芭際われわれは﹁あれ﹂﹁それ.妄巾し一て、薔拍 の事物を考へて警よ・訊はそれは悟什聖子−たもCであるっそのやうに悟什約分別的に重しられた﹁あ、竺しれ﹂を相手にし て・それを官物と思ひ違へてー清朝的な愛替、輌㌍を運んで¥?二てーし・し欲しいから手を出すとい÷其合にして、飛′宣もな いことを旺m如かす1﹂いゝ.でしL﹂に存ス㌔ しかしそれは取り違ひではないかし鴎ひ昔−一ひがありはしないか∴でれこそ.井小栗的な生き方ではないか■∪本来的とは私が

規優に壮麗に五止してをるーその在ってをり匂とほりに生きることであろが、自﹂なろもの州手なろものといふ、モのやうな存

在者が﹁ちやん﹂と在る〃ではない一り自他一切のものが端的に存在してをろ何れは貧行わ領域である。そこは我他といひ彼此

といふ、そのものーー素朴的な謂に於ても、惰性的に指定せられたものの謂に於てもー!の領域を超えてをる。硯嘗の揚南の

所在は、たとへば、歳にうつった俊の領域のやうなものであえて映る盲物があこふでもあらう、か、性は蜜物そのものではない。

(10)

銃の面には明暗壊淡があるが、像はこの面の色合ひに於て潤色せられてをる、硯資の場面に於て、相手のものとは常に各自に

とつてのものなので、たと∼てい.へば.この像の弛園を出るわけにはゆかない。、ものそのものが在る甘あらうが、そこに直接

するわけにはゆかない∵心についても、▲心なるものがあるのでほない。鏡の面は傾がなくても在り得るが、心の場面は、それ

だけとじ守、それ自身として在るのではない。常北何かにかかはつての限りに於て硯嘗なのである。現蜜の場面は常に心のか

かは惹灘て誓ので笠るが、溜るものの中にあぇで甘い。

普通忙考へられてをるやうな自己なるもβの領域む難一とし、他なるもののそれを琴一の領域としようっところが硯蜜の場

面とは、ものが童髄の各自にとつて、どのやうにかに在ってを各場面であろ。二この領域を第三としよう、との.領域は第一撃γ の領域灯内在するのサはない。.また、それらの俄械に抗いてをるのでもない。既に性質を異にし鹿位を掛にしガ侃城である。

ところで、これらの第一第二の領域は、素朴的にむのや心の蜜在する領域であると考へられてをる。そのつもりでや・つてむ

る。しかし、現蜜に凡そ赤るものが存在する場面が、それらの二つの領域を超えた閉域であるとしたならば、これらり領域と

は一組如何なるものの研臆する錦城であらうか。それは、規蜜にものや心が存在する場面では克くして、悟性や分別に於て、

それと立てられ、これといはれる立場の椴構する餌挽に外ならない。それ故、∴ゎれわれの日常に相手どるところの物暴は、を

の在つてをる所在を二韮の意味でと軒違へられてをQことになる。即ち、そのものとして考へられる事物は、聾は、あれそれ と立てられたものに外ならず、しかも、そのやうに立てられたあれそれは、1その准りのままの所在を、あれそれなるもののも

と把於てはもつてをるのではない、、といふことになるのである。

しかし、田つたこと甘は、ものなり心なり、自なり他なりの、如恋の所在なる如上﹄聖石領域が、見て参ったやうに可能

他の領域であり、〓仙ひのままにならなさ、足りなさの仕組みに於てある憐城で應牒。それだから、そこを抜け粧した憩二姉竺一

の領域灯あれそれと立て、自といひ他といって、叫を願ひ庵を拒むJ。如蟹の常麗を逸して、あら氾ところに欲ひ廟ひをかけて

拙仰ぎあぐねること・㌢蒜釣ナノのである。

(11)

五 それ故、あれそれ眉他の如琶のナがた、とくに自己なるもの、現存在の、木次の告期を猫るのには、その構造のとほりに身 を托する外はない。在りのままに麗ナることである。在りのままとは、第三の領域、可能性勿領域に於て、不決りなままに、 然もとくに、ものがそのものとして在ってはゐない在り方をいふ。さうならぼ、在りの£まに廃するためには、自己なり相手 なりをそのものとして相手どつて払いけない。そのものとして相手どるといふことは悟性の事とするところである。そして悟 性の立てた自己や相手を官物と取造へて情執や驚燃を運ぶのは在りのま渡の常州を逸することになる。それ敢、悟拙的摘軌的 な墓場を恋えよ、この寅雄を超える戊宜が、在りの染渡のと つかしいことではない。わが身をも心をも放ち忘れて、といふ具合に由れぼよいといふことになるであらう・・︼・七 約めていへば人間が現蜜に存在してをる、その皆の存在の場面はその基礎的な構造上、根さ、‖心ひのままにならなさ、の支 配Lてをる領域である。とくに、ものがそのもわとして在ることなき在万方に於て在ってをる餌域である。それで、lそこに、 その通りに解ら遮るとと、即・ち、普通に非本来的な変慾の主鰻、悟性的義経たるととを遇えるやうに生きること、それが、本 釆の遮り方であ少、且つ、それが、上のやうな構造の▼上に出て来る取り違へから、本来のところを得る仕方であづ、逼迫を超 える生き方であらうと思はれる、生計で行く根本に存する、どうにもならぬ行きつまりの切.り抜け方の不服ではなからうかと 考へられるのでぁる。そして、これが人間存尭の基柑的な桃迭にきかれる宗教の根擾であり、また、宗教の本質的な事雄雌の 所在であらうと考へられる。 もつとも、以上のことは、葦際の宗教がそのやうに行はれるとか、行はれなければならぬとか、と申すのでは決してない。 ′ 群際の宗教の仕組みを政b外し、ポジティブなるものを仰いてゆくと、かかる底が見られる、骨組みがあるのではないか、ト︸ いふのサある。驚際の宗教は皮がつき肉がついてゐて、血が通ふのであらう。.従って形態的には封象的存在者が捷てられ、主 嘩彗これを目指して行柴を運び、且つ、宗教的世界像の構想もさうなつて衆るであらうと思はれる。 ︳▼ 九

(12)

一〇 大 ︵抑逝、一、︶ ハイプッけーはこの㌣うに存在者とくに硯打・仰の行在の場面が無のほたらさに㌍てんヱ配しはかわてむること を明らかにした、、ところで、一髄無とけ何なのか。咋は凡キ何者かてはない、無け存在抒のナ、へてにわたろ紹射的嘉÷ ︵く︹rいJ︹ぎーr色とせら・れ・ろ﹂もつとも、このテーゼは輝い植木木簡をh■ひ表したもので往なく、情性に準じて帰京したものに† ぎ嗅か、一倍C辛がかりとし字つ︹苦ハ凡とけ〓什かサl十りご′工なので為ろが、爪什け存在首ハリ二′にわたつて係ほ”ごLと弘 、 、 て把握ナラ;−鱒椚来なぃ。‖つ舞

田架たいてあ′らう。ましてナ二しの・仁比布ではなく∵り作者の手酷﹂与三Jのもの⊥しや

飯川の一打弄するけたらきは、情仰の∴〓手許鑓より一も杷湘的てちり塔柱か捏なスご︹ 無の所在.直しくいへげ、押かそのけたらきたろ N互Jl喜乃 に於﹁n.Lを撃小し、そか〃和露に,〃ろ場巾け、常﹁金牌石 場面である︹従って無にかか仕ろL√いふことは、この全惜に於てでなけれげた・トない、ト√こL一︰が、現付合ボ堀に存在†る、ュ の〃在の場面は常に全惜としてのまとそりに堅・■ある。こかが行在の場面の什隋であろ。÷Lで、咋ほ無みすろし′−い÷での一打 香のはたら考に於て、こや筆硯の領域㌢諭し、或はこの呑料慧∵神棉の壕のない蜃をなL﹁一㌃︸リ■のてあーろ。そかれ、無は存作の 本質に帰するL∴・はれるのであろかーそれけ存在者の仔在の領域を、塵の嫌み′ナス痛糀什が淫藩−し、符適Lてハ立と∵言⊥■ である︵一 このやうなわけで鱒は悟性の領排のことではない。悟性が尊とすろ存在者に帰†ろこLネほない。それらケ紅えたl存在者 がそこに於て存在するところの仝鰐のノ甥耐に於て問題である∩それで按、われわれはぎ℃﹁う仁兄住ん〓に無にカ、かはることが〓 来るかといふと、右の場面に於ける無のはたらきに出潮ふこ1た竺′わかられる.ュしのやつな〓東鶉は粧祈的な不安に橙て起 る ー 勿論、無は常に間断な︿その︼Jichl昌のはたらきをなしてをる︰日常的にほそのこと告知㍉れないまでである∼。不 安にょつて、また、不安に於て無は額嘉する︵○宕コbar2n︶、不安が軒を琴不するのであ︰ヤ開示といつても無なるものモのも のが出て来るといふのではない。その︰首︼Jteコのはたらきが、不安に於て顆繹になるー 不安が和諸にすろ︵昌こJ茎eエー⋮

(13)

といふ仕方で、露はになるのである。 このやうに、随は凡そ何者かで揉ない、存元老ではないごそれ都、封泉Lししても姐ハへられないし.不安といへども無をつか 空へること、把握すろことは桐兼ないq簸ではなく、その軽みナるといふ一女にはたらけろーーーはたらきポ不安に於て顆罪 といふ仕方であらはれるのである。 無の本抒をこのやうなニヒテンの樽柿性に於てみるといふこL良、ハイデ∵カーの規簸嘩的存仕論の立場からいつても営を 得てをろー以上のことはー幸と一三形而上撃とは何か﹄にーろた?じゃっか∵ての薫はと′\に触のけたらきの浮び⋮る望= を・即ち﹁寒仔的﹂な問題吐を由つたものでぁるか一っそ㌧.蒜在と時叩冒は、この∵一ビ一;のはたらIキた昔油せらか 〓あるL∴ふ作り′方に於↑ろる鮎川け、卜

。、

た存布の首昧を、とノ\に時冊けり構牽から明らかにした就中硯−仔・作のわ在が負 に見て東たとけりであるが、そ針甥∴、二そわ∴からニヒ†ソの汗たらき1ノ来る、ュしの﹁/でれ﹂け如何であらうか。勿論、存在

同軍にけたらない。・かし∵前存在論的に′け在がわ 論的にぼ、﹁存在的﹂な、 そのニヒ /すÅ㌻やゃ州㌻∴粋が∴のものとLr ,かられ、打つ、そのわかられ苫を珂豆トて㌻曳1とろの鞍仔ハ理念に軒∴しは、吾存・71穀緩たり︰牡ポ=︵ト這なつ二十;二﹀子して、 その所懐を存在論的にキヘ抜いを右つか、自分の存#論であ∴主粧ほいつてをる︹ それで、音存諭的な榊桝場面に竺しも.各存の︰肘早暁いこし∴症㌣作わ不可純粋、つまゎ死のこLふ、最後ハ法什である声い ふ8そこから、二ヒテンつはたらそは、存・拝㍗場面を盈に妬みしコ享−首に染畑山し了賢∵それが香通にほわからないっ拶 企に於て、その二部向ふのノ、=肘榊市ハ一可撞廿の端にまで行き苦り一、そこから▲攣∵冒陳r−tJ塗隠に於て暗闇牲の耕一が得らか. 存在の意味が得られるといふいであ†旬。 以上のことから、基礎的〃在論の問題琴曲に於て直接には問顆にならぬとしても、ハイデリガ一に於てはやはり背雷的に鰊 のこと死の一ことが考へられてをると思はれき。そして、いひ方のちかふ両苫に於ける撫のこと死のことの関係を一往考へろこ とも出来な′、はないかも知れ拉が今は省かう︹そして、詫は#査論的な場面に存査的な死や舞︰い過菖に報を糾して衆て⊥警:− 一l

(14)

叫 二

もいひ得る忘心はれる。年賀㈹的な叙述は死や無なる右のに寄せなくても出場るであらう1行・圧の場面はその骨呵のとこ・りに衿

て無みする聯能性に於てそれ白身仕組まれてをる。ヘイノアりガーの情諭にも尤にこぃことは軋られろ。勿彗ユご昌もあげた

ヤうにーハイ⊥丁︰ガーとしては死から氷るニヒテンの暁熊什に竺し■け−作の一領域が染め拉かれて㌻恵といふことが叫論の肌色を なし、且つ彼のいふ嬰的撲件のわらひでもあろけかどJ半 <。rd・呵w打方ietの薄行を.諜くキュ几ケゴールの#在・論を十わ世紀的といつた披ほ、ノ占r︵rT文二?賢存を挽くことに拾丁■、 帥の代わに軽㌣枕を、やは−︶何・、前に宣‡てゆく岬向什け損ゝ与われい。恰もシー7・け瑚㌔甲的な問也場所に立ち上がらー そこから折一組抒を透槻して行った。ハイ.テリガ一抹JJろは=かたい。けれど軋、向、ふにチつ軋のか立てられて、ハせられ、勘

くとも贈って㌢ると許しうろであらう。

論革、∴一﹀ ヘーゲル美びアりスト一′レストー︹津田に於てl†L;ゴールも行在キ隼成√竺し圧、Hつその存〃とけ瑚 既に存在すろ誹舶←したりそして、用夜の存在に於けろ隼昧C締在誓=的紺謹法的でホモ㌧い∴。即⊥完成の︰攣什は厳密れ薯昧 に於て、冊有の胃的飛膵にれてなされキけれげ・∵ら∴︹・けが■し、ナうトンの∵几メ二′・﹄て示されるや・1に・轡化の簡 裏には不⋮小藩なエソ止ソイフネスがあるのである。それで、i▼芸な意味に於て、㌔戒の攣化け町中に於て行はれるいで計ろが、 かかる轡化のHはれる場面は、厳密た‖磋に於ては、個照?鱒行に於てであろご﹂れは脚鰐の鞍存に於て、或る′−との吋締約 な在り方から硯寄附な確少方への状態の欒化といふこL﹂であろっ この際、吉ハ蒜撤疾した雷撃∪なる。熊密な意味に於→−払戒け﹁瞳問﹂の平成に於てのみHはれる︵匪問とは畔問の小に於 ける硯布の確立であり、それには、諾左るもの■が柿間の巾に牢はろといふことが要件であろ、キT■刀ケゴー・ルによれげ・この

ことなしには顧密な襲化や移行は行はれない。従つて、そ亡では時間的なるものから永格差ろものへの状態の欒化が課せられ

る。けれども、時間の中に賓存する個甥は、茸存するかぎり永遠なるものに沖有らない。ここに葦存に於ける才慣と箪諒とが

存ナる。時間の中に於て賛存する個鰐按、饉存ナワ㌫ぎりの自己の否定に於てでなけれげ、隋密な意味に於けるヰ■戌の変化把

(15)

輿かれない。 ここに常忙如何なる場合に於ても、嘗存の否定せられなければならぬ所以の、いひかへれば、宵存の無なる所以の、l・オント ロギーがある筈である。それは永遠性を内在的に自己白身の中に蝿してをらぬ在存が、E且ste記VO−・Ew首keitに於て、永藻 性を自﹁一にみ丁がってみて、永遠什め挟除について、蜜存の無をいふこケも出華ろ。男鹿、キL 71ゲゴ▼−几はかかろ主題のも とに自己の一無を知り自己を無みすることを主張し措いたり しかし、また彼の所論を溌/\見てみノると、か∴つて/水操作との沖繭に於てではな′、、常在することそのことの内部的構遵 が、鞭の或は無さの、支酎‡にあることが明らかにされようとしてをろ。﹃不安の概念﹄等に於て、常在を﹁負目一の構造に於て 軋、賓存することは、可能件の領域に於て境の左い深淵の上に研在し、あれといへばそれでないRつ不沈まりな閉域におかれ、 無に臨んでをる所以を指摘したのでぁつた︵拙稿、キL几ケゴー・汀の宗教論の吟性、哲翠維訟、∵昭和十八鹿、十日、、.十︰月募昭∵し。 ︵神速、三、﹂ とくに今の連関とLては、彼の牌企冷や存在者の什由無から鈴繁lセみなければならないが、別の轡曾を得 よう。⊥にあげたそれ.ぞれのことについては、近く﹁∵敬哲軍の問額と方向∴宥鞭研究、∵∴諏︵昭和二十≡隼九月し囚六軍 以†証参照、 ︵補遺、四、︶ 神童、二、所指、拙稿奉照︹

(16)

神輿における八 滴 審を護す - 。何 % 下 に孝 比 し 輻汗 , ゲ - 特に 吋塁 序説︵ , ⋮ ゆ ではな / 、、神の 下として解明 +,- ハ 、 念 ,命題等をば デ なすべくそれを 引 認識として語るこ きを 解窩し ・お明

諸 に奉伺し、

- かく祀の

題 でわり、

のミ ㍉,ものも

れ 書がれだ

" 明 ・ 撒

した下姓 と

- それ白身の

仰苦白は聖

九分とはされ

お森嘉

坤串

における人間

ロ コ

スの岡題

(17)

6 ハⅡばならない 0 ﹂︵ X. りリ笘目ゴ

肇 ではない。 耐 里は沖の二Ⅱ

MU Ⅰ・語られ @ , ︶︵

弓 ・ ハ, ・空士小は、 嬰 ・ 牽は 。 の 再生産や解明Ⅰ -- 月岡下れ・ て 、はなもた こ

技 に立つて 致、ァ ・億年 の 中にの

力 祀のロゴス と

が 沖の下・への不従順に 瑠 ㍉ ム

っ 坪の問題や・あ ん, 祀の・ @n

ひてけない。 ,ゲ ・ こて に 問授円

ぃ ・ ヰ、げ - ニ,く入 Ⅳ・の言葉でばあ

- 目が 邑 解説 計 となば 、

。分科 に 時じてⅢ 題什 の 汗憶が ゴエ

(18)

/. ︵ ,

@. 乙

%

ことであろ。

の外に立つて、而もこの

自じ

こキ

は、人間が

W

の言の舛に

意味する。而して人間が軸

から背離して

- わ

ろことこそ罪にぼかならない。

する

キぃふ

事は必然的となろ

一六

巳 0 ︵ 適 Ⅲしであるのに 附 して、

二 % 堅が甲 ・害の蝶 冊や適 Ⅲ で

岬 軽と智代 祀堅 との川越性は

を 以て始まる。﹁ 妖し甜 義甲 は

こしは出来ない。 11. 然り 下

の中において敬義里 が 仮も濃

・ ァ荻壷擢 の 現頒性 か解

川棚 性 ボニも 深キ - が 故、に 、こ

のエぁぢされ才 。は 穏 義甲におけ

ほ汁は数義 型にわけ り 如く 深

ら なを感謝 ナ ﹂と云った ハリサ

は ﹁ 我は呪 し生者 を招 かん ナニし あらで罪人をけ Ⅱ か Ⅰ 勺と一 - 舟木れり﹂と ハ ㌦ ィェ スの 言葉 た - 眞剣 に聴かれ ば ならない︶

(19)

る 八間は 、 祀に

0 才 @ 一 ﹂の 0 ∼ o 捺 mW 山口 より我々を 救ひ 出すものは何であらうか, Ⅰ 一

か へ っ て律法

の壬 とに従順をさ

めろ所に成り立

こ ⋮を明にせ れ

成り立つ , 従 っ

保ケ 祀の側かも になる 01 し @

への本役 淑に

愛 - の外に立つて

と かふ 罪は誘 接 たり、であ ヮっ ︵ 口 7% ゼ ・ 屯 参照で

ことは、軍に

音 づれである。

前提とした。 徒

誘 接せられるの

叫の儀への 徒

は、神 とへ 問

距離とを抹消し

朋 の不従順 は成

ぃふ事

祀 そして・ 神 だら

の死の機であ っ

ユ 距離・ ご 主張す

生き・ 我は 牡に

がり・力 め川頼 ,

しての非人、 ,ど

闇 のロゴス 、 ハ不

, 叫に従順なら 一じ

となる。かく

この死の肢

(20)

へ ら ろ に も 干 リ ら ハ が の く の し 叩 - 月 , ナ ュ だ 巾吋 ;

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勘六 ノガ Ⅰ | 出来 決 む 一 l) 白勺 ・ 案 ぷ - %:, は -l- 白 @ . , こ に ら す ん 与 。 J;" @" こ Ⅰ 入 れ 主 ) Ⅰ 7 二 二 と ぢ運 燵

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(21)

紳慶 序説︵フロレゴー メナ ︶ム目は 、神 ︵ レゴ しもめである。即ぢ 沖壊 た義 げ たことは、 神壌は ぶ つ で語らるべ き Ⅲ 宇架 の 苦は肺甲 の判教としてめ一れ 容 人は 、 幅百 としで 4%@ 円 言 によって 支 方ではなくして・彼の在り方であ。 - ∼ ぼ 問題は逆 縛 するりであ﹁ 父 。ブロ し 。 コ 迫帝 ﹂が一章として 仔 在するとし 一 ・ も の 言への従順 L といふ如 き 公理に ょつ に ﹁・伸二 二 はへの従順﹂を・ ぃ ふことは・ 語らるべき 封象 がかへ っ て主能的に 描造 である 俺 従って夫に重要なことは 現實 となると ぃ -- ビ ある。これ ば 帝を通ることによって始めて可能とな 申に 帯取し、 東 法の提出する 問 ひ た眞 なら、それは他者をあくまで愛し包む は幅 音の純粋性を守ることを以て本来 態度は里に目立排他性の態度ではあり で 化せしむる如き道に出な・けれ ば なら

ついて語ろ・者自身の・在り方についで語る

である,而して 以 ・上において明にせられ

めに、 ボみ 出て 釆た - と かふ 事である。 十

である:神の言への・奉仕者。 幅 音への 誇

咀入 、にとつ 一 - ゆ 九七極め問題は・此の話 り

えても,彼の什 り 方が太 禾 不従順であれ

める。語られる 内 去の中にはⅠ 廿 主菜 の

片 によ つ - ﹂決定主れて - と ら キ, 苧にⅠ 卸

嘘 荷主義的と補すること ぱ で キ ・ない 0 革 福音ではなくしてむしろ律法だからであろ。

征服 丁 ろと り ふことが・ 辞堅序 だめ 想 ・ 本

順 なる・者とせられ、紳の下への 従 仰が

りない。紳の言・ 令 敬への 礎噸は十 T 袈の

蹟陣昔と 対 ・ 立 ず ろ津 江 をも自己の愛の

止する律法の耳場を蜂に 拙 しょうとする とい ぷ % 昔の本質から 腕 落せることを意味し・ 自己 オ 憶の態, 度と 云はねばならⅦ。神輿

俺 するなら・ 封正 する他の正鵠に対する

愛の中に構 敏 し、これを 幅 昔の立場にま ない。 一九

(22)

一 @--

第一に転げられろ 刀

ゑ いて、大略以下の

あ,っな,わの - ﹂︵﹂ コね ︵ 丘ユ, 。

しれを所有しである。

である。 か :して 祀

し 神が存在だも た ぬ﹂ @

るもの一ではなくな

打打におい 一 ・ サ u 什汗 - 丁 Ⅰ |

め唯 襄を意味する。

も 大なろもめは決し

ぃはゆろ Ⅰ 耐め存 ㎡ 勺ぷ月

八によ る反別 棚が 出さ

ぬのは・この講明 の

方 で士のる 0 批侶は円ブ口

において彼は㎜に 所 のである 0 ﹁され ば ・ 今 ・ 汝 主たる・ わが ・ 神よ、

汝 をた づぬ べきか。

らそ の存在を誇 明す

、う に願をささげて ゐ

るべ

のき

阿っ

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住容て木考

れので故を

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る暇

と岡目

め故コぎ

如 は ;

(23)

る 0 これはアッピル ノ、ス の神 堅の る 。八間がら 自 巳の存在を澄明し ば、 祀の存在を譚明しょうとする 事 は 。そめ内心においてよりも、 に祀甲と哲堅 との根本的な相違 が て晢 竪者となり終ったであら う : 興を倦む 祀申苦 白身を支へ 放 って おいて、沖の三一Ⅱを 掩明せ 九 % 然し 括 史的に史に正要な意味を て 形式原理 目 日日 コ 二︶。・一式 窩 ︶ L こ おコ,苫 ". Ⅰ Ⅱ 乙 卜あ

一せ

f 百ノⅠ ︶ 、 。・ 革 ,こ苦 ら L よりてのみ L 巴ゴ廿固

のであ

理 の - 相 Ⅰ 櫛係 である﹂この間 綬に は 内容 椋理で揖あ 。祀のてへの 従 我は内容原理乃優位を爪 認 せれば 締が砧斤 の 新 なる理解によって 始 イペリ の す のオ分 こ n 丁の二次 ゴ ∼ め幸 ﹁昌一・ , もしこの 開係 が明確にされてを 小的な性格において律法的である

て 波の紳豊の最も弼 力

な所以があるのであ

ではない 0 祀が眞に生きて存在すると ぃ ふ事

妨 めて 孫立 きれる,従ってアンセルムスの 仕

﹂ 庄力 に透 付 されたと 云は ねばならぬ, こ ,, 一

たならば・アンゼルムスはⅦ竪者ではな: し

"- 。が七の・ -- ぽ一機 論に ぬ るのであ

仙ハりと 経モ こを @ 十巳吋 ヒハⅡ - ⅠⅡりるこ ニ 二であスリ。

め る。周知の如く宗臣改革の 岬格 竹原理とし

形 、 式原押 とほ いば ゆる﹁ 回曲 まのみ﹂ と打

・ - とで 七 ㌣ ゎ 。 内俺椋理 とはいはゆる コ 信仰に

れろといふ 原

㎎であろ。Ⅲ題はこの榊原

典 へろ・であらう。 即 ㍉形式原理を支へるもの

容 たる十字架の而 帝 である。ここにおいて 我

つて規定きれろ とい 、ごしと、 取ャ 古への眞の復

1曲 京敢 改革の確信であった﹂︵円のむののの -

形式であろとさ ぺ云 ふことが出来よう,

。元来祀の吉への従順といふことは・その・ 根

に什 なら安いからである。 残サ 0 に宗教改革に

(24)

Ⅱ 、 法の外に、 輔 昔の中に 盟 れた紳の

ならない。元木仕法的な 刊格 をもっか

し 支配 十 れてを る 限りに於てである 9

者を支配 ず -U 力如 まことになるなら け

も 、その川 容 を支℡する 形ボが 仕法的

られてしまふからである。ブロ レゴ一

はな,。、、 内宅 そのものが形式であると 大問題があると考へられる。 一一一一 義を新に認 蒲 した立場である 0 従ってと 一 武臣 理が ・依然として 浦苫主轟 小原理た 、り 11然もにもしこの 窩係 が見失はれ、 形 それは -. 脩酋主糞 そのものの破棄に外な であれば、ここでは律法的なものこそ ホ メナ において 耐苫づ衷 的に徹底するだ め 云ふ ・べきでおる。ここに今日の沖 睾の ・ 根

(25)

﹂のもの ぱか 持な方、法に ょつ

宙 とモ目ぼれ ば

ならぬので

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のであって、臼茸

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敦 潮沫藩の示教 チ 鱗芽 ゆ 宗教 ア 一様なものと L- ﹂ フ 宗教的観念や何 % の 曲 民に閲 するマリノ,フス ヰ は たられと㌧てゐる・ - ニ 、 接能 主義的な方法ぺ ら 必要五 % い た・ 論 改の 取扱 ふ尺 ぎで・ないこ 寿が原綿三敏である 1- ボ ン守ヨさダぜ -" ︶︵ご 理解を T 宮に テ し た - ﹁ 、 - 由で・ まづ 原始・ ボ 敵の卸・充の必 ケを鱗 @ してみ る 。 ノ " クの一ヲロ L ニ % ⅠⅠはならないのであろ " の調 ・菅の幻:, 一 ,虔の干 滝入

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(26)

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(27)

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(28)

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(29)

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(30)

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(31)

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︵ 、ろと 、その

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Ⅰ雙を使 は 中に

歪髄キ して 捕 ない。

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(32)

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(33)

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Ⅰでは、そのうち特徴的なも

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参照

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