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佛教学研究 第66号 011天野, 信「大本経成立をめぐる諸問題」

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(1)

大本経成立をめぐる諸IHI凶

大本経成立をめぐる諸問題

天 野

はじめに

初期仏教文献(阿合・ニカーヤ,律蔵等)には,釈尊以前の時代に存在し たとされる過去仏の事蹟が多数合まれているが,それらを体系的にまとめた もののーっとして,大本経と呼ばれる一連の経典が挙げられる。本経は,冒 頭にある七仏の事蹟と呼ばれる箇所と,それにつづくヴィパッシン仏伝とに よって構成されている。そして,大本経における七仏の事蹟によって,本経 が編纂される以前から存在した過去仏思想は,いわゆる過去七仏思想として, 完全に体系化されたものと考えられる。また,七仏の事蹟につづいて記され るヴイパッシン仏伝は,

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呈繋記事こそ存在しないものの,阿合聖典の中にあ って,極めてまとまった仏伝の体裁をもっ内容となっている。 さて,大本経の大半を占める七仏の事蹟とヴィパッシン仏伝とであるが,こ れらは,それぞれ成立の基盤を異にする。しかし,いずれも仏伝の発展に関 連する要素を持つ。本稿では,これら二つの編纂過程を別個に考察し,最終 的に両記事が結合して,単独の経典として成立するに至った背景にある問題 点を指摘する。

1.大本経における七仏の事蹟の成立

仏教における過去仏,過去七仏の思想は,仏教以前から存在したウ'ェーダ 文献に現れる「古仙人Jr七人の仙人」といった用語などからの影響がある

-

(2)

72-ものと考えられている。しかしながら,初期仏典に登場する「古仙人」につ いては,バラモン系のものと非バラモン系の要素があることも指摘されてい る戸いずれにしても,こういった用語は,後に過去仏,さらには過去七仏へ と展開していく前段階のものであろう。このような過去仏思想を軸とした仏 陀観の展開のうえで,

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偶 な ど に あ る 「 第 七 の 仙 人 (isi -saUama)Jという用語については,以前から重視されてきた。 また,古仙人との関係同様,時支仏と過去仏との関連も深いようであり, その顕著な例として,畔支仏を主題とした経典である

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III, pp.68-71)では,八十余名の降支仏の名をあげるのだが,そのうちの七人 の名が,

Buddhavamsa

に登場する過去仏と名前が一致することなどが指摘 されている。 一方で、,過去七仏のうち,賢劫の世に出現したとされる四仏を一つのグル ープとする形式も存在する。このことと関連して,『高僧法顕伝』に,デー ヴァダッタの徒が釈尊を除く賢劫の三仏を信仰していることについての記述 があることは広く知られている。過去七仏とは別に,賢劫の四仏,あるいは 三仏という概念があったのであろう。 さらに,過去仏の仏塔についても複数の文献が伝えるところであるが,ア ショーカ王がコーナーガマナ仏の仏塔を増築したというアショーカ碑文にあ る記述は特に有名である。 こういった情報は,過去仏が,仏典に現れる理念上のみの存在であったの か,あるいは歴史的に実在した人物であったのかという問題をも想起させる。 美術作品においても,過去仏はかなり早い時期に登場しており,前二世紀 末のパールフット・ストゥーパの浮彫には,聖樹によって過去仏を表した作 例が六つあり,紀元前後のサーンチ一大塔(第一塔)の浮彫には,聖樹やス トゥーパを七つ並べて過去七仏を表したと考えられるものも存在する。 このように,過去仏の概念は,早い段階から存在し,仏典にも現れていた ようである。しかし,大本経における七仏の事蹟は,その形式化された内容 から,過去七仏思想、が,ある程度形成された後に確立されたものと考えるべ n J 弓 t

(3)

きである。つまり,ある時期に,初期仏典における「古仙人」や「過去にお ける正等覚者」といった記述が混同して用いられていた段階が終了し,過去 仏に具体的な情報を付加する段階へと移行する。そして,徐々に過去七仏の 概念が明確化されていったのであろう。本稿では,大本経における七仏の事 蹟成立の経緯を以下のように想定する。 ①仏教以前から存在する「古仙人」等の概念が,仏教にも取り入れられる。 ②現存する初期仏典には,過去仏に関する記事が多数存在するのだが,例え ばパーリ聖典で「過去における正等覚者」であるものが,対応漢訳等では 「古仙人」となっているといったように,その表現には,諸本間で異同が ある。畔支仏との区別も明確化されていない。また,早い時期から「七

1

lUJ という言葉が用いられていたとはいえ,それと同時に過去七仏の概念 が確立されていたわけでもないようである。次第に七人に固定されていっ たものと考えられる。 (※過去四仏の形式が,七仏の形式から派生したものであるのか,あるい は七仏が形成される途上で発生したものであるのかは定かではない。) ③漠然とした過去仏の記述に具体的な情報を付加し,過去仏の存在を明確化。 過去七仏の概念が完全に確立される。=七仏の事蹟の完成 さて,大本経諸本には共通して,七仏の事蹟が定型化した文体で伝承され ている。

MAP

における七仏の事蹟 (D

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には,七仏について以下の 項目の内容が記されている。 (1)出現した劫 (2)出自 (3) 姓 (4)寿命 (5)菩提樹 (6)二大弟 子 (7)サンガの構成 (8)侍者 (9)父母および王都の名称 『大本経』における七仏の事蹟(大正

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)

では,七仏について以 下の内容が記される。 (1)出現した劫 (2) それぞれの過去仏の時代における人の寿命 (3) 出 自 (4)姓 (5)菩 提 樹 (6)サンカ、、の構成 (7)二 大 弟 子 (8)侍 者 (9)子 (10)父母および王都の名称 -

(4)

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における七仏の事蹟

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)

は,写本の欠損から,完 全な復元はなされていないが,章末のウッダーナの内容から,七仏について 以下の項目が伝承されていたことが確認出来る。 (1)出現した劫 (2)寿命 (3)出自 (4)姓 (5)菩提樹 (6)サンガ の構成 (7)二大弟子 (8)侍者 (9)息子 (10)父母および王都の名称 以上,諸本が伝える七仏の事蹟の内容から,過去仏,および釈尊自身に, 具体的な情報が付加されたことによって,その存在が明確化されることにな 官曲 るのだが,このことについては,初期仏教における解脱知として広く知られ る三明(宿命智,生死智,漏尽智)のうち,第一知である宿命智が大きな役 割を果たしている。

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などには,四 禅三明説による釈尊の成道記事が伝承されているが,そこでは,宿命智を得 た釈尊が,過去世の生存について想起するという行為が描かれ,その過去世 は最終的に,壊劫,そして成劫にまで至っている。釈尊が想起する内容は, (1)名

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3

)

[皮膚の]色

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4

)

食べ物

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)

楽と苦の経験

(

6

)

寿命となっている。 大本経における七仏の事蹟は,この形式を踏襲していると考えられる。本 経では,釈尊は宿命智を備えているが故に,過去仏たちの事蹟を記憶してい るという概念が確立されている。そして,宿命智によって想起する項目の増 加によって,過去仏たちに明確な性格を与えることに成功している。最終的 に大本経は,特にパーリ伝承において,釈尊が,宿命智の完成を示すために 語られたものと佐置づけされるようになるのである。 きて,大本経諸本が伝承する七仏の事績の内容は,編纂当時,それぞれの 部派において知られていた釈尊の事蹟に基づいて作成されたものと考えられ ている。このことは,仏伝の発展に大きく関与する。つまり,宿命智によっ て釈草自身が過去六仏の事蹟を想起するという設定で,過去仏の事蹟が形成 されることと並行して,経典編纂当時,仏教徒に知られていた釈尊の事蹟を 整理するという作業が行われるからである。このことは,仏伝が体系化され ていくことと無関係ではない。七仏の事蹟成立の背後には,釈尊の事蹟と,

-

(5)

75-過去仏の事蹟とを同時に編纂するという作業が存在したことになるのである。

2

.

avadana

に つ い て 一 一 大 本 経 と 関 連 す る 事 柄 を 中 心 に 一 一 ここでは,大本経の経典名に用いられる用語でもある

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について,従来の説を確認しておく。この用語につ いては,その意味の変遷があまりに複雑であるため,未だ定説が得られてい ない。しかし,経典名に

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を用いる大本経を研究の対象とする場合,

avadana

に関する考察は不可欠となる。

avadana

について,その用例を古典党語に求めると,「偉大なる行為,英 担由 雄的行為」などと理解するのが妥当の様である。しかし仏教文献における

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の意味については,古典党語の用例からだけでは決定できない。 そのため,仏教文献に用いられるこの用語については,多くの学者によって 考察されてきた。 仏教文献における

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の新古については,

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氏が,以下の 如く三段階に分けて説明している。 第一段階 経典(阿合経)や律蔵に属する

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第二段階 経典や律蔵が固定された後の聖典に含まれる

avadana

第三段階 文学作品としての

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文学) 第一段階に属する

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ま,阿合経や律蔵に含まれるものであるとする。 これは阿合経や律蔵において

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が,教義や戒の制定に関わる因縁謂な どに用いられていることを示す。つまり,経・律に挿入されている

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である。これらを抜き出して編纂されたものが

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vytivadtinaであるという。 第二段階の

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は,経・律が固定してしまった後につくられたもので, なおかつ聖典としての権威が認められているものであるものとする。 AvadanaSatakaやKarmaSataka

および、ノ守ーリ小部の

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adtinaなどはこの 段階であるという。第三段階のものは,さらにその後のものであり,文学作 品としての

avadana

,例えばJatakamalaなどであるという。 -

(6)

76-上記の説については,さらに細かく分析していけば,様々な問題点はある

ω

であろうが,岩本裕氏は,最終的に完成されたavadana説話の形式・内容を 仰) 以下のように定義している。 形式的には次の五項目を挙げる。 (1)現在物語

(

2

)

業の威力を讃える詩碩 (3)過去物語 (4)過去仏の登場 (5)業に関する教説 内容的には,以下の3項目を挙げる。 1.現在物語の主人公はコーテイカルナとかプールナのごとき仏弟子,ま たはスマーガダーのごとき敬虞な信者であること。

2

.

過去物語に登場する過去仏は,いわゆる過去七仏のいずれかであり, 仰) 特にヴィパッシンまたはカーシャパであること。 3.r連結」において「過去世の何某は現世の何某(現在物語の主人公) である」というプッダの言葉はあるが,ブッダが「過去物語」における 敬鹿な,得行のある人物を自分に比定することのないこと。 上記の形式・内容を述べたうえで,以下の結論を提示している。 ジャータカの連結箇所における『そのときの何某 (r過去物語」におけ る登場人物の一人)は,すなわち余であった』と,ブッ夕、が過去物語に おける得行の高い人物を自分自身に比定しているのに対し,アウ'アダー ナ説話においては,『スマ-")ゲダーアゥ・ァダーナ』の場合のように,連 結においてブッダは必ず過去物語における得行ある敬慶な人物を,現在 物語の主人公に比定している。こうしてアヴァダーナ説話とは“ブッダ 以外の人物を主人公とし,その「過去物語」に過去仏のいずれかが登場 し,主人公の前世の因縁を説明する説話"であると結論されよう。 さて,仏教文献における avadanaの意味を考える時,その古い用例を求 めるとなると,当然,阿合経や律蔵の用例を考える必要があろう。そこで着

-

(7)

77-目されてきたことは,十二分教のー支としての

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である。十二分教 の

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とともに,九分教には含まれていない。ま た,

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などの他の十二分教の支分と 意 味 の 上 で 重 複 す る 点 が あ る こ と は 以 前 か ら 指 摘 さ れ て い る 。 例 え ば

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は,現世における出来事の原因を説明するものであるが,そこには 過去の出来事と結び付けて示す性質があり,これは

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と共通する。

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は九分教にも合まれているため,十二分教の中に意味の 重複する

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を新たに加えた意図も問題となる。この様に十二分教の 一支としての

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の意味もなかなか決定できない状態である。 以上述べた事柄は,大本経の経典名にも関わってくる。 『大本経』の中に,以下の記述が存在する。 {資料

1

]

亦説諸仰因縁本末。(大正1, p.10b) 例説此大因縁経巳。諸比丘聞仰所説歓喜奉行。(大正1,p.l0c) この記述から,『大本経』は,本来『大因縁経』と呼ばれていた可能性を 指摘することができる。この事は,先述した

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(因縁)と

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との 関係を想起させる。一方で、『大本経』の「本」については

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(本 事),

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(本生)との関係を推測させる。また,かつて党本を刊行した

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氏は,写本からでは題名が不明で・ある経典を,パーリとの対 照作業から,その経典名については,

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を用いて

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自 由 としている。 さて,漢訳文献で

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を音訳すると「阿波陀那」となる場合が多い のだが,意訳である場合には「聾喰」とされることが多い。

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のも つ嘗轍の意味については,西洋の学者よりも漢訳文献の扱いになれた日本の 学者によって,古くから検討されてきた。漢訳文献を重視すれば「警轍」と いう意味で十二分教の

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が理解されていた可能性のある事は,十分 担 時 に考えられることである。 平川彰氏は,

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のもつ警日前の意味を考察するには,諸論書にある

-

(8)

78-十二分教の注釈を重視すべきであるとし,『大智度論』巻33を挙げ

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。 [資料

2

]

阿波陀那者輿世間相似柔軟浅語。如中阿合中長阿波陀那経。長阿合中大 阿波陀那。毘尼中億耳阿波陀那。二十億阿波陀那解。二百五十戒経中欲 阿波陀那一部。菩薩阿波陀那出一部。知是等無量阿波陀那。 (大正25

p. 307b) 『大智度論』はここで六種の阿波陀那を出すが,このうち,第二の「長阿 合中の大阿波陀那」が,大本経に相当するということは,既に指摘されてい る。また平川氏は,ここで挙げられる阿波陀那が,いずれも教訓的な曹喰で あることを指摘する。 また,『大昆婆沙論』巻126には以下の記述がある。 [資料

3

]

警官食云何。謂諸経中所説種種衆多嘗験。知長警轍大警喰等。如大

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里繋持 律者説。(大正27,p.660a) ここでの「大警喰」が[資料2]r長阿合中の大阿波陀那J,つまり大本経 であると想定される。そして,これらに加えて『大乗浬繋経~ Ir十住毘婆沙 論』等の記述からも,阿波陀那と律蔵との密接な関係が指摘されている。つ まり, avadanaは,経や律の中で発生した醤轍物語のことを指したものと考 えられるのである。 以上のことは,仏伝を描く文献として知られるMahavastuの冒頭と末尾に ある以下の記述とも関わることである。 [資料

4

]

aryamahasarpghikanarp lokottaravadinarp madhyadesikanarp pat -hena vinayapitakasya mahavastuye adi. (Mahavastu, ed. E. Senart

vol.1, p.2)

〈訳〉聖なる大衆部の中園地方の説出世部の聖典による律蔵に属する 『大事』の始まり。

iti aryamahasarpghikanarp lokottaravadinarp pathena iti srima

-- -

(9)

79-大本経成立をめぐる諸問題

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461) 〈訳〉以上,聖なる大衆部の説出世部の聖典による r大事警喰』が終了 した。 このように,官頭で

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は説出世部の律蔵の一部」であること が記され,末尾では

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と,

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が付けられる。これに ついては,大衆部の律蔵に保存される

avadana

が大量となり,それを抽出 して再編したものが

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の原型であり,一方,残りの律本来の部分 を再整理したものが,『摩詞僧砥律』の原型であるという仮説が提示されて いる。

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の形成過程における問題点,あるいは

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と『根本有 部律』との関連性などから,タイトルに

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の用語が含まれると想定 される文献と,律蔵との関係が深いことは明白である。以上のことは,

avadana

の発生母胎として,経典と並んで,律蔵が重要な住置を占めてい たことを示唆する。これは,ヴィパッシン仏伝の編纂方法を考察するうえで も重要となる。

3

.

ヴィパッシン仏伝の編纂方法

ここでは,大本経におけるヴィパッシン仏伝の編纂過程について検討する。 本経において,七仏の事蹟に続いて記されるのはヴイパッシン仏伝のみで あり,それ以外の六仏の伝記は伝承されていない。そのことについて,パー リ注釈書は以下のように説明する。 【資料5]

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(Sumajzgalavilasini,

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〈訳〉ここで,諦唱分についてまとめておかなければならない。この経 では,実にヴィパッシン世尊のアパダーナのために,三諦唱分が説かれ ている。また,シキンなどのアパダーナのためにもヴィパッシンと同様 に説かれているが,パーリ(聖典)には省略されているのである。この ように,七仏の〔アパダーナの〕ために,われわれの世尊は,二十ーの 諦唱分を説かれているのである。同様にアヴイノ、天の神々も,アタッパ 天の神々も,スダッサ天の神々も,スダッシ一天の神々も,アカニッタ 天の神々も[説いているから],全体で百二十六の諦唱分になる。仏語 である三蔵において,百二十六の量となる諦唱分の経は他に存在しない。 実にこの経こそ経王であると知られるべきである。 このように,本来は,釈尊および五浄居天たちによって,七仏すべてのア パダーナが語られていたが,聖典では省略されていると説明されている。 さて,筆者はすでに数編の論考において,ヴィパッシン仏伝に含まれる事 蹟のなかから,誕生記事・成道記事・党天勧請記事・初天法輪記事・波羅提 木叉制定記事を取り上げて検討した。その結果,波羅提木叉制定記事を除く すべての記事については,他の典籍に内容が一致する記事があることを確認 した。また

j皮羅提木叉制定記事は,他典籍に一致する記事はないのだが, 深く関連する記事が律蔵経分別に存在する。その調査の結果を表にして示す と以下のようになる。(※ここでは

MAPに対応するパーリ聖典について のみ示しておく。)

。 。

(11)

MAP 他典籍に含まれる内容が一致する記事 Acchariyabbhutadhammasutta (MN. III, pp. 誕 生 言己 事 118-124)の菩薩誕生記事と一致。 ※Aカ

:

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uttaranikiiyaに一部一致箇所有り Sarrzyut加zikiiyaX II. 65 N agara (SN. II, pp.104-107)に お け る ブ ッ ダ 成 道 場 面 の 十 成 道 言己 事 支縁起説観察記事が一致。 ※ 十 二 支 縁 起 説 に 発 展 し た 形 態 に Sarrzyuttanikめla. X II 4Vipassi-10Maha Sakyamuni gotamo (SN. II, pp.5-11) Vinayapitakar大品JMahal王handhaka (Vinaya. 1 , pp.4-7) 党 天 勧 請 言己 事 SN. 1 , pp.136-138. MN. 1, pp.167-169. MN. II, p.93.以上,すべて釈尊への説法勧 請。 Vinayapitakar大品JMahakhandhaka (Vinaya.1, pp. 15-16) Udiina

p.49

AN.IV

p.186, p.209, p. キ 刀 天 法 輪 ~c 事 2山 町 II,p

.

4

1. DN. 1 山 ー 川

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DN. 1, p.148, MN. II, p.145, MN. 1, pp.379-380に あ る 釈 尊 の 「 次 第 説 法 」 と 説 法内容が一致。 一致記事なし ※Vinay

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ita加に,

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皮羅提木叉を制定した 波 羅 提 木 叉 制 定 記 事 過去仏(カクサンダ,コーナーガマナ,カッ サパ)と,制定しなかった過去仏(ヴィパッ シン,シキン,ヴェッサブー)の記事あり。 ( Vinaya.III, pp. 8-9) このように .MAPには,他の経や律にも伝承されている記事が多数含ま れている。上記のうち,誕生記事については,七仏の事蹟と一連のものであ り,元々,過去仏の誕生記事として成立したこと,成道記事についても過去 仏思想を前提としている要素があることを指摘した。また,初転法輪記事に ついては,「転法輪経」にある釈尊の初転法輪記事とは,内容・形式がまっ ワ 白 0 0

(12)

たく一致せず,「次第説法」と呼ばれる,釈尊が在家者や異教徒などにたい して行う説法と内容が一致することを指摘した。党天勧請については,他典 籍で確立したものを抽出して,ヴイパッシン仏への説法勧請としたことを述 べた。波羅提木叉制定記事については,律蔵経分別の官頭にある過去七仏そ れぞれの波羅提木叉制定の有無についての記事に着目し,この記事と内容が 一致しないヴイパッシン仏による波羅提木叉制定記事は,律蔵には収めるこ とができなかったため,波羅提木叉制定を最後に記すヴィパッシン仏伝が成 立し,律蔵以外の文献に収められたことを指摘した。 先述したように

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のlavadanaやMahav邸tuは,律蔵と密接に関わるので あるが,大本経にも同様の要素があるものと考えられる。つまり大本経は, 律や,他の経典で発生した事蹟を抽出して編纂されている可能性が極めて高 い。大本経の場合は,釈尊の事蹟を他典籍より抽出した場合には,過去仏の 伝記として再編成していることが大きな特徴となる。このことに関連するこ ととして,以下に挙げる金倉園照氏の指摘は重要となる。これは,本稿の立 場に最も近い視点である。 之(大本経)は,既に釈迦に関して出来上がっていた前半生の伝記を, そのまま毘婆戸仏に投影したと見るべきではない。寧ろ,釈迦の事蹟と 若干の伝説を材料に用い,種々なる奇蹟を追加して制作されたのが,見 婆戸仏の伝記だと思う。毘婆戸伝全部を既成釈迦伝の投影と見ることも, 単に理論としては許されないこともないが,事実上原始経典には模型と なるべき奇蹟の釈迦伝は存在しない。〈中略〉そして,多くの奇蹟を, 直接釈迦に属せしめず,太古の毘婆戸に附託し,以て之を釈尊にも暗示 しようとした作者の手法は,未だ現実釈迦の入滅を甚だ遠く隔てざる時 代においては,却って効果的であったと認めねばならぬ。そこで若し右 の私見が許されるならば,『大本経』は後の仏伝文学に対して,甚だ重 要な位置を占めている物だといえよう。 一方,平川彰氏は, [資料

2

]から,大本経の波羅提木叉制定記事と,律 蔵経分別における過去七仏それぞれの波羅提木叉制定の有無についての記事

。 。

(13)

大本経成立をめぐる諸問題 との関連性に着目し,この記事の成立過程から,大本経には,教訓的な警喰 経典としての要素があることを指摘する。そして,大本経に含まれるそれ以 外の事踊については,「型となった仏伝」と述べるのみで,具体的には取り 上げていない。しかし,この波羅提木叉制定記事を構築するためには,それ 以前のヴィパッシン仏の生涯における事蹟を描く必要が生じる。実は,この 波羅提木叉制定記事以前の事蹟の形成にも,本経のタイトルに用いられる

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の意味を探る鍵がある。大本経に含まれる事蹟は,七仏の事蹟以 外は,「型となった仏伝」の模倣とはいえない場合が多い。そして,誕生記 事は,大本経成立以前に過去仏の事蹟として確立していたものであり,それ 以外のヴイパッシン仏の事蹟は,既に別の文献において釈尊の事蹟として確 立されていたものを抽出している可能性が高い。これらの抽出された記事と は, ].

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氏が述べるところの,教義や戒を示すために,経・律の中 で発生した因縁謂としての

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であろう。 MAPが,そのタイトルに

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を用いる理由の一つはこの点にあると考える。 また,

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大本経』の経典名から,パーリ上座部で、

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に相当する概念 は,法蔵部においては

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(因縁)などと捉えていたとも考えられるが,このことは,別の視点を設定 して,多角的に考察しなければならない。 そして,ヴィパッシン仏伝は,波羅提木叉制定記事で終了し,その後のこ とは描かれないわけであるが,このことについては,律蔵受戒健度部仏伝の 構造を参照すべきである。この仏伝の内容は,パーリ律では,成道後の十二 支株起の順観・逆観の記事から始まり,党天勧請,初転法輪,サンガの成立, ヤサ親子等在家者への説法教化,カッサパ三兄弟の帰仏,マガダ国王ビンビ サーラの帰依および竹林精舎の寄進,最後にサーリプッタとモッガラーナの 帰依が記されている(Vinaya.

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。そして,サーリプッタとモッガ ラーナの帰依で終了する事に関しては,この仏伝が,釈尊の生涯の事蹟につ いて説明するのが目的ではなく,受戒健度部で具足戒作法が定められる以前 の比丘たちの具足戒(善来具足)を説明することが目的であるので,サーリ

-

(14)

84-ブッタとモッガラーナの帰依によって千二百五十人の大集団となったサンガ が完成し,現行の具足戒作法の制定が必要となった時点で,仏伝は,その役 割を終えることになるからであるとされている。受戒韓度部の仏伝において, 『四分律~

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五分律』のように,成道以前の事蹟が記される場合はあっても, サーリプッタとモッガラーナの帰依以降の物語が記きれないことが,そのこ とを物語る。 ヴィパッシン仏伝に, i.皮羅提木叉制定記事以降のことが記されなかった理 由についても,同様のことが想定できる。つまり,過去仏による波羅提木叉 制定記事を提示することよって,ヴィパッシン仏伝は,その役割を終えるこ とになる。このことは

Mahavastuや『仏本行集経』といった律蔵から派生 B目 したと想定される仏伝の構成と関連する可能性が高い。 以上の検討から,大本経編纂過程について,以下のような経緯が想定でき ょう。 ①過去七仏の第一仏とされるウeァパッシン仏による波羅提木叉制定記事作成 のため,律蔵経分別における過去七仏による

i

皮羅提木叉制定記事の内容を 変更・改作。 ②結果,律蔵には収録できない内容のヴィパッシン仏による波羅提木叉制定 記事となる。そして,律以外の文献,つまり経典に収録する必要性が生じる。 ※同一部派内におけるヴイノもyシン仏に関する異なる伝承について合理化 を図る動きは,パーリ律注釈書や,四分律に見出すことが出来る。 ③上記の理由から,

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皮羅提木叉制定を説示することが目的となる過去仏の伝 記が作成された。 ④七仏の事蹟と菩薩誕生記事とは一連のものであり,波羅提木叉制定記事と は発生基盤を別個にする。これらの成立の前後については即座に決定でき ないが,いずれにしても,七仏の事蹟と菩薩誕生記事とを一連のものとし て描く文献と,ヴィパッシン仏による波羅提木叉制定を描く文献とを結合 して,単一の経典とする編纂が図られた。 ※この段階で,

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争居天の神についての記事がどのような位置づけであった F 同 u o o

(15)

かは,直ちには決定できない。 ⑤一つの経典としての体系化が図られたため,七仏の事蹟・菩薩誕生記事と 波羅提木叉制定記事との聞の,ヴィパッシン仏の生涯に関わる事蹟を挿入 する必要が生じる。その結果,既存の他文献から記事を多数抽出。過去仏 の伝記として再編成(但し縁起成道記事は,大本経以前から,過去仏との 関連性あり )0 =大本経の完成

4

.

長 阿 含 経 に お け る 大 本 経 の 位 置 MAPと『大本経』は,それぞれ

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ghanik命。(以下「長部J)と『長阿 合経~ (以下「長阿合J)に収録される。長部(全34経),長阿合(全30経) は,その名が示すように,長い経典の集成である。しかし,MAPが,長部 における第14番目の経典であるのに対し,「大本経」は,長阿合における第 1番目の経典であることからもわかるように,収められている経典の配列に は異同がある。このことから,長部・長阿合全体の編纂方法は相違点もある ものと考えられている。 まず,その全体の構成について確認しておこう。現存の長部は,戒組品 (Silakkhandhavagga) 13経 , 大 品 (Mahavagga) 10経 , パ ー テ ィ カ 品 (Patikavagga) 11経の順に,三部から構成されている。この構成組織につ 白 骨 いて,赤沼智普氏は,長阿合と対応させ,以下のように論じている。 長音

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(全34経) 長阿合(全30経) I戒組品 (13経)修行道を明かす I分 (4経) 仏を明かす ※『大本経』を最初に配置

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1

大品(10経)仏を明かす II分(15経) ※MAPを最初に配置 仏の自覚内容として法を明かす IIIパーティカ品 (11経) III分 (10経) 修行道を明かす 仏の自覚内容として法を明かす (※長阿合には,『長阿合経』巻30r世紀経」が加わる。)

-

(16)

86-このように,両経には,編纂方針の共通性も窺えるが,経典の配列に関し ては,かなりの異同があるため,それぞれ,別個の成立過程も有しているも のと思われる。 さて

,MAP

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大品に,『大本経』は

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分に配当される。配列される位 置は異なるが,共に「仏を明かす」箇所の官頭に配置されている。このグル ープには,釈尊の最晩年の様子を描く

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およびその対応漢訳となる『遊行経.! (長阿合巻2)が含まれる。いずれも 大本経の後に配置されているが,このことが,大本経に浬繋記事がないこと と関連するかどうかは定かではない。 また,断片的に党本が伝えられている説一切有部系の長阿合経に関しでも, 目次等が記された新写本の発見により,近年その全貌が明らかになりつつあ る。

Jens-UweHartmann

氏の調査報告によると,説一切有部系の党文長阿 含経は,以下のような構成となる。

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経 このように,

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編全

4

7

経からなる構成となっている。パーリ上座部や法蔵 部の編纂方式と共通する要素もあるようである。そして,有部系の

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は,

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六経品の第

5

経に配置されている。ちなみに,続く第

6

経は,

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となっている。また,その前に配置される 4番目の経典は,

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Ii"四衆経.JJ)であり,律蔵から派生した仏伝を収める経典 と考えられている。本経は,長部・長阿合には伝承されていない。大本経と これらの経典との関係性は,別個に検討しなければならない課題だが,仏伝 を描く経典を,同じグループに入れていることは留意すべきであろう。 以上,長部・長阿含における大本経の位置を確認した。長部・長阿含全体 の編纂でみると,「仏を明かす」ために仏伝を記す経典が必要であった可能 性が想定できる。大本経もその一つであり,「仏を明かす」章では官頭に配 置されていることは,留意すべきであろう。先述した大本経の編纂方法と並 - 87

(17)

大本経成立をめぐる諸問題 行して,長部・長阿含の編纂方針も,大本経成立に何かしらの影響を与えた 可能性がある。それは,現存の大本経と,長部・長阿合の成立の先後関係に よっても事情は異なってくる。このことをまとめると以下のようになる。 【仮説1] 長部・長阿合成立以前に,現存の大本経が既に完成していて, それが長部・長阿合の「仏を明かす」章の官頭に配置された。 【仮説2】『七仏父母姓字経』のように七仏の事蹟のみを描く経典,あるい は 『七仏経』のように,七仏の事蹟と菩薩誕生とを一連のものとして描〈 経典や,ヴィパッシン仏による波羅提木叉制定を描く経典がそれぞれ別個に 存在し,それらを,長部・長阿合「仏を明かす」章の冒頭に配置する編纂が 図られたため,過去仏の伝記をより一層詳細に描く必要が生じ,他典籍から 記事を抽出し,新たな経典(現存の大本経)が編纂され,それを長部・長阿 合「仏を明かす」章の冒頭に配置した。 いずれにしても,大本経単経としての編纂過程と,長部・長阿合全体の編 纂過程とに互換性がある可能性は高い。このことについては,大本経と,長 部・長阿合所収の他経典との関連性についても詳細に検討する必要があろう。

ま と め

本稿で論じた内容を以下にまとめる。 ・大本経成立以前から初期仏典に散在した過去仏思想の体系化が,ある時期 に図られる。そして,過去七仏という概念が徐々に形成されていく。 ・宿命智を備えた釈尊が,過去世の生存を想起するという設定で,過去六仏 および釈尊の事蹟が具体化され,七仏の事蹟が完成する。これによって過 去七仏思想は確立される。その背景には,編纂当時,仏教徒に知られてい た釈尊の事蹟を項目的に整理するという作業がある。このことは,仏伝が 形式化されていくことと関係する。つまり七仏の事蹟成立の背後には,釈 尊の伝記と,過去仏の伝記とを同時に編纂するという作業が存在したこと になる。 -

(18)

88--ヴィパッシン仏伝には,タイトルにavadanaの用語を含むと想定される文 献に顕著な特徴となる,律蔵や他の経典で発生した記事を抽出して編纂さ れた要素が多分にあり,このことが,大本経の経典名にavadanaが用い られる理由の一つであると考えられる。 ・ヴィパッシン仏伝は, .1皮羅提木叉制定の説示が主な目的であったため

i

里 繋記事のような,それ以降の生涯の事蹟が付加されなかったことを述べた。 この編纂の在り方については,律蔵受戒瞳度部仏伝の編纂方法と同様で、あ ると考えられる。また,ヴィパッシン仏伝の構成には,律蔵から派生した とされる仏伝と共通の特徴も見出せる。 ・長部・長阿合の編纂方針と,その中での大本経の住置,特に長部・長阿合 「仏を明かす」章の官頭に配置されていることに着目すると,このことが, 七仏の事践とヴィパッシン仏伝とが結合して一つの経典となるに至ったこ とに大きく関与する可能性,さらには長部・長阿合の編纂方針に仏伝が発 達する要素があることが指摘出来る。 以上のことから,過去仏思想と仏伝との関連性は重要となる。今後は, Mahavastuや『仏本行集経』といった,各部派の律蔵から派生したと想定 される仏伝と,同じく律蔵から派生した要素を多く持つ大本経との関連性に ついて検討したい。この作業は,小乗

i

里襲類との関係も含めて,大本経にj里 繋記事が存在しない理由を明確にするうえでも重要となろう。 (パーリ語のテキストは

PTS

版を使用した) 註 (1)本稿では以下に挙げる諸経を総称する際,大本経と表記する0

・Maha

ρ

adanasuttantaWN.14, DN. 11, pp.1-54.)=MAP(パーリ上座部帰属)

TakamichiFukita, The Mahavadanasutra: A new edition based on manu-scripts discovered in Northern Turkestan(Vandenhoeck&Ruprecht, 2003)

=

MAV (説一切有部帰属) • w長阿合経』巻第1I大本経」後秦・仏陀耶合・竺仏念訳 (412-413年訳出) (大正1,N 0.1, pp. 1b-10c)= w大本経~ (法蔵部帰属) (2) 大本経の内容・構成は以下の通りである(ここではパーリ本の内容を示す)。 -

(19)

89-大本経成立をめぐる諸問題 <1>比丘たちの闘で過去の生存(宿命)に関する法話が起こる。

<

2

>

それに答 える形で釈尊が,比丘たちに,過去六仏(ヴィパッシン,シキン,ヴェッサブー, カクサンダ,コーナーガマナ,カッサパ)および自身の,生まれた時代,出自, 姓,寿命などについてを語る。 (r七仏の事蹟J)※ここで一度,釈尊は比丘たちの 前から去る。

<

3

>

再ぴ現れた釈尊は,第一仏であるヴィパッシン仏の伝記を,比 丘たちに語り始める。 (rヴィパッシン仏伝J)

<

4

>

浄居天の神が,ヴィパッシン仏 の事蹟を釈尊に報告する。 (3) ヴイパッシン仏伝には,ヴィパッシン菩薩の誕生・四門出遊・出家・成道・ 党天勧請・初転法輪・サンガの成立,

i

皮羅提木叉の議出・制定についてが記さ れている。また,仏伝の模倣であるか否かについては諸説ある。過去の研究に ついては,外薗幸一『ラリタヴィスタラの研究(上b (大東出版社, 1995) p. 57,註(1)参照。 (4) 金倉固照『印度古代精神史.!I (岩波書店, 1939) p. 325,註(4)参照。またこ のことは,大本経と部分的に一致する諸漢訳文献の内容・構成からみても明ら かであろう。以下にそれを示す。 -法天訳 (10世紀後半訳出)r七仏経.!I (大正1,N 0.2, pp. 150a -154a) ・法天訳 (10世紀後半訳出)~見婆戸仏経.!I (大正1,N 0.3, pp. 154b-159a) ・失訳『七仏父母姓字経.!I (大正1,N 0.4,pp.159a・160a) ・僧伽提婆訳 (397-398年訳出) r増 ー 阿 合 経 』 巻45, (大正2,No.125,pp. 790a-791b) これらの内容・構成には異同がある。 「七仏経』 七仏の事蹟,見婆戸菩穣誕生(三十二相記事含む) 『見婆戸仏経』 四門出遊・出家・成道・初転法輪・サンガの成立・

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皮 羅提木叉の繭出・備Jj定,

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争居天の神による過去仏の事 践の報告 ※究天勧請無し 『七仏父母姓字経』 七仏の事践のみ保存 『増ー阿合経』巻45 七仏の事践のみ保存 二つあわせると大本経に相当する内容となる「七仏経』と『見婆戸仏経』につ いては岡野潔「七仏経と見婆戸仏経Jr印度学仏教学研究.!I33-1 (1984) pp. 128-129参照。 (5) 中村元『ゴータマ・ブッダII[中村元選集決定版12b(春秋社, 1992) p. 454, pp.494-496参照。 (6) 阿合・二カーヤにおける「古仙人」に関する記述は,平野(村上)真完氏に よって詳しく調査されている。それによると第一に,十人のヴェーダ讃歌の作 n u n y

(20)

者であるというバラモンの古仙人などのことであるとする。これらはヴェーダ 文献にみられる名である。第こには,ヴェーダ文献にはみられない名前の,古 の外道師,或いは外道の仙人とよばれる六人,あるいは七人のことであるとい う。以上のことから,初期経典に現れる古仙人については,バラモンの聖者と, 非バラモンの聖者とが混在していると考えられる。平野(村上)真完「過去仏 についてJ r 印度学仏教学研究~ 9-2 (1961) pp.128-129参照。 他に,真柄和人「初期仏典にみるisi-sattamaについてJW印度学仏教学研究』 28-2 (1980) pp_ 122-123,村上真完・及川真介『仏のことば註ーパラマッタ・ ジョーティカー研究ー仏と聖典の伝承~ (春秋社, 1990) pp.336-346他参照。 (7) 宮坂宥勝氏は,過去七仏それぞれの呼称の分析,聖樹信仰と過去七仏との結 ぴつきについての検討などから,非バラモン,非アーリアンの要素が多分にあ ることを指摘している。一方で,アーリアン的要素があることも認め「いずれ にしても過去七仏の信仰形成の基盤にはインド・アーリアン民族文化と非アー リアン民族文化とが流れを一つにして綜合されたものがあるようにみてよいと 思 わ れ る 」 と 述 べ る 。 宮 坂 宥 勝 「 過 去 七 仏 の 系 譜Jr高野山大学論叢』 5 (1970) pp.1-24 ,宮坂宥勝『仏教の起源~ (山喜房偽書林, 1971) pp.291 -332参照。 (8) Esa sutva pasidami vaco te isisattama, amogha

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kira me putthal1l.na mal1lvanesi brahmal).o.(Sn.356) 〈訳〉第七の仙人さま。あなたのお言葉をきいて私は喜ぴます。私の問いは決 してむだではありませんでした。バラモンであるあなたは,私をだましません。 上記の翻訳は中村元『ブッダのこと~;f~ (岩波書底, 1984) p.75を使用した。 対応漢訳では, isisattamaに相当する語が「無上士」となっている。このこ とについて宮坂宥勝氏は,「釈尊を呼ぶときのバラモン教的な名称を敢えて避 けて訳したがためであると思われる」と述べる。宮坂宥勝 [1970J pp目10参照。 isisattamaについては,他にもその用例は確認されている。 Tha.1240.Tha. 1276(= Sn. 356)SN. 1 • pp. 192-193. SN.V. p.3420 r第七の仙人」につい てパーリ注釈蓄は「ヴイパッシンを始めとする仙人たちの中の第七の仙人」と 説明する (Paramatthajotika1 , p. 351, Saratthaj沙akasini1 • p. 278)。 (9)真柄和人「僻支仏と過去仏Jr仏教論議~ 23 (1975) pp.103-106参照。 (10)勝本華蓮「諸仏と跨支仏 Apadanaを中心にJr 印度哲学仏教学~ 16 (2001) p.91参照。 (11) これらのことに関しては熊谷進「過去七仏信仰についてJr印度学仏教学研 究~ 27-2 (1979) pp.180-181参照。竹本寿光「過去四仏についてJW印度学仏 教学研究~ 28-1 (1979)pp.297-299 ,杉本卓洲『インド仏塔の研究~ (平楽寺 書底, 1984) p.266参照。 ー i Q d

(21)

大本経成立をめぐる諸問題 (12) 過去仏の仏塔については杉本卓捌「過去仏塔についてJr東北福祉大学紀要』 2 (1977) pp.I-15,杉本卓洲 [1984] pp.262-280参照。 (13) 過去仏が歴史上実在した人物であるかどうかについては,渡辺照宏『新釈尊 1iJ(大法輪開, 1966) pp.411-417,中村元 [1992]pp.494-496で言及されて いる。 (14) 真柄和人「七仏七道樹の伝承についてーパールフット,サーンチーの遺跡を 手掛かりとしてーJr仏教史学研究J26-2 (1984) pp.I-13参照。 ( 15) 過去仏思想を含む仏陀観の展開を総合的に論じたものとしては,吉本信行・ 柏原信行・茨回通俊「原始仏教における過去仏・未来仏思想、の展開Jr真宗総 合研究所研究所紀要J7 (1989) pp. 1-36,村上真完・及川真介 [1990]pp.48 -100,梶山雄一「仏陀観の発展Jr偽教大学総合研究所紀要J3 (1996) pp. 5 -46等参照。 ( 16) 品rrtyuttan放のほ XII.65 Nagara (SN.11, pp.l04-107)とそれに対応す る諸漢訳,党本において相違が見られる。平野(村上)[1961]参照。 (

1司 T.W. Rhys Davids, DIALOGUES OF THE BUDDHA, Vol.2 (PTS,

1910) pp.6-7,平等通照『悌陀の死J(印度学研究所, 1961) p.356 (64)に,

七仏の事蹟の内容が図表で示されている。 (

18) kalpo百laayur jatiS ca gotrarp vrk:;;aS ca pancamab./

sarpnipato yugam upasth亘yakaputra mata pita tatha/ / (MA V, p.50) 劫,寿命,出自,姓,そして五番目が樹である。 衆会,一組,侍者,息子,父母のごとく。 (19) (4)姓 (5)菩提樹については,写本欠損のため記載なし。また,パーリ伝 承との相違点として (6)サンガの構成について第一仏 VipaSyinの第一集会 が620万人あるいは16万人(このことについてはM AV

pp.40-41,脚注6参 照),第三仏ViSvabhujは 二 集 会 (7万人, 6万人)となっている。他の項目 はパーリ伝承と大体一致する。 側 吹田隆道 rr大本経』に見る仏陀の共通化と法レベルイ包Jr渡法文麿博士追悼 記念論集・原始仏教と大乗仏教(上)J(永田文昌堂, 1993) pp.271-284参照。 また,『七仏経』における七仏の事蹟と大本経諸本との比較については,岡野 潔「正量部の伝承研究

(

2

)

第九劫の問題と『七働経』の部派所属JWインド学 諸思想とその周延ー北線賢三博士古稀記念論文集一J(2004) pp.166-189参照。

1

)

仏教でもバラモン教と閉じく世界の運命を四期に分ける『倶舎論』などでは, 世界が成立と破壊とを繰り返して循環する四つの期間'として四劫(成劫,住劫, 壊劫,空劫)が確立される。木村泰賢 r小乗仏教思想論[木村泰賢全集第五 巻

b(

大法輪閣, 1968) pp.353-363参照。 仰 大本経と宿命智との関係、については,拙稿「大本経における七仏の事績と浄 -

(22)

92-居天の神J~印度学仏教学研究~ 58-2 (2010)で詳細に論じである。 制 金 倉 図 照 [1939Jp.296. p.325.誌(四).岡野潔 [2004Jp. 187参照。 刷 本稿では,サンスクリットのavadanaとパーリ語のapadanaの意味内容が 同じであるという前提で論を進める。その根拠については,平川彰『律蔵の研 究1[平川彰著作集9]~ (春秋社.1999) pp.338-340.松村恒「聖典分類形式 としてのアヴァダーナの語義Jr今西1)頂吉教授還暦記念論集インド思想と仏教 文化~ (春秋社.1996) p. 263他参照。 側 M.Winternitz,“Avadana, Apadana" Journal01 the Ta句10University, Vol.

V

ト刊 (1930) r荻 原 博 士 還 暦 記 念 祝 賀 論 文 集 [ 復 刻 版

b(

山 喜 房 偽 書 林,1972) pp.7-12に再収録。

過去の研究については,松村恒 [1996Jpp.257-287.回辺和子「パーリ聖 典に見られる物語文学の世界~ (山喜房偽書林.1997) pp. 76-82.平岡聡『説 話の考古学~ (大歳出版.2002) pp. 13-42において詳細に述べられている。 ノfーリのapadanaの意味についてRhysDavidsのPALI-ENGLISHDICTION

ARY (PTS)では,第一にremoving,breaking off等の意味であり,第二に advice, admonition, instruction, morals等の意味があるとする。さらに第三に legend, Iife historyの意味がありMAPの経典名に使用されるapadana(ま第三 義の用例にあげられている。 間

J

.

S. Speyer, A vadanaSataka: A Centuη101 Ed~乃ing Tales Belongiηig to the Hinayana, vol.II(St,Petersburg,1909, rep. MEICHO-FUKYU-KAI, 1977)のPreface (p. 14)にて述べられている 側 例 え ば 平 川 彰 氏 は.Divyavadanaを古層に入れることについて,根本有部 律 の 資 料 的 な 性 質 か ら 疑 義 を 提 示 し て い る 。 平 川 彰 [1999Jp.343参照。 Divyavadanaと根本有部律との比較検討については,平岡聡 [2002J参照。 ω) 岩本裕『仏教説話研究序説~ (1967.法蔵鎗)pp.29-31参照。 (30) 岩本氏は,この第二の内容的な特色と関連してMAPについて次のように説 明している。 rMAPにおいて,過去七仏とくにヴィパッシン仏の伝記が述べられているの であるが,この事実は,過去七仏に関する説話(結局,これは前世のことを物 語るものであるから,因縁物語となるのであるが,この悶縁物語)が本来の apadana (avadanaのノfーリ語形)と名付けられたことを意味すると考えられ る」岩本裕 [1967Jp.30参照。

)1岩本氏は,タイトルにavadanaを用いる文献に含まれる説話に,このよう な形式と内容をもったものが少ない場合があることを留意し,「アヴァダーナ 説話とアヴアダーナ文献とは峻別して考えられねばならない」と述べる。岩本 裕 [1967]p.31参照。 -

(23)

93-大本経成立をめぐる諸問題 (32) 九分教,十二分教に関しては,前田恵学『原始仏教聖典の成立史研究J(山 喜房備蓄林, 1964) pp.181-549に詳しい。一般的に九分教の分類形式の方が 十二分教より古いとされている。九分教はパーリ上座部で用いられ,その他で は大衆部系の『摩詞僧抵律』がパーリと同型の九分教を示す (r摩詞僧抵律』 巻1,大正22,p.227b) 。十二分教は,法蔵部の『四分律~ r長阿合経~,化地 部の『五分律』の他に『増ー阿合経』や説一切有部の文献にも出てくる。大乗 経典は原則的に十二分教を示す。 側 前 田 恵 学 口964Jpp. 449-472,岩本裕 [1967Jpp.26-36,平川彰 [1999J pp.345-347他参照。 itivrttaka( 本 事 ) と の 関 係 に つ い て は 高 見 寛 我 rAvadanaとItivuttakaJ r印度学仏教学研究J3-1 (1954) pp.333-336参照。 側 『大正新修大蔵経』の脚注には,「大本縁経J(大正1, p.1,脚注13)とある。 r大本経』経典名について,丘山新氏は,中国古典の用例と併せて検討すると, 「大本」の意味を広< r真実なるもの,真実なるあり方」と解釈できると指摘 する。その他にも,いくつかの解釈方法を提示している。また,この経典名で 用いられる「本」について rr本事(前世における事柄・由来・過去物語

b

や 『本生(過去世)Jのように使われる『本』と同じものである」とも述べる。 『現代語訳「阿合経典」長阿合経』第1巻(平河出版社, 1995) pp. 49-51参照。

倒E.Waldschmidt, Das Mahavad

伽asutra

Tei.11,2. (AKADEMIE-VERLAG

Berlin,1953 ,1956) 側 平 川 彰 [1999J p. 353参照。 側 荻 原 雲 来 『 荻 原 雲 来 文 集J(山喜房悌書林, 1972) p. 395他参照。また干潟 龍祥『本生経類の思想史的研究J(山喜房偽書林, 1954) p.20にはavaoIdaに 「解きほぐす」の意味があり, avadanaとは難解である法門を,寓話を用い て解きほぐす意であり,響町議話になると述べる。 (38) 仏教経典で「響喰」と訳される原語はavadana以外にも二種のものがあげ

られる。第ーはupama,upamana, aupamyaといわれる警喰,第二にdr宇t

-anta, dar平tantikaといわれる警I除,第三がavadana警喰である。これらはそ れぞれ異なった意味や伝統を持つと考えられる。山田龍城「大乗経典興起に関 するー視点Jr 日本仏教学協会年報~ 12 (1939) p. 12参照。 (39) 平 川 彰 「 大 智 度 論 に 於 け る 阿 波 陀 那 に つ い てJr日本仏教学会年報』 15 (1950) pp.84-125参照。 側赤沼智善『仏教経典史論[復刻版]J(法蔵館, 1981) p. 164,林屋友二郎 『イム教研究』第一巻(三省堂, 1936), p.748参照。他の「阿波陀那」は従来 次のように解釈される。中阿合中の長阿波陀那経は『中阿合経』巻17r長寿王 本起経J(大正1,p.532c),見尼中の億耳阿波陀那は律蔵の「億耳の前生因 縁J,二十億阿波陀那は仏に中道の教えを受ける首楼那二十億の物語,解二百 -

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94-五十戒経中の欲阿波陀那の一部については明確ではないが律蔵「経分別」中に 散説される食欲に関して説かれた醤喰を指すと考えられ,菩薩阿波陀那は仏陀 の前生の阿波陀那を意味すると考えられる。平川彰 [1950J参照。 ( 41) 平 川 彰 口999Jp.367以下に詳しく述べられている。 同 テ キ ス ト はE.Senart, Le Mahavastu. vol.1,3 (Paris:lmprimerie nationale, 1882, 1897)を使用した。 (43)平川彰『律蔵の研究II[平川彰著作集10b(春秋社, 2000) pp.111-122他 参照。 刷 それぞれの事践の成立,問題点については以下の論文を参照のこと。誕生記 事については,拙稿「希有未曾有法経における菩薩誕生記事の問題点Jr龍谷 大学大学院文学研究科紀要j27 (2005) pp.1-16,拙稿「ニカーヤにおける菩 薩 誕 生 記 事 の 問 題 点Jr印 度 学 仏 教 学 研 究J54-2 (2006) pp. 1052 (61) -1049 (64),拙稿 rr七仏経』成立をめぐる諸問題Jr印度学仏教学研究J57 -2 (2009) pp.912 (231) -908 (235)。初転法輪記事については,拙稿 rr大 本 経」類における過去仏の初転法輪記事Jr龍谷大学大学院文学研究科紀要』 28 (2006) pp. 1-15,拙稿「パーリ文献が記すanupubbikathaの意味Jr印度 学仏教学研究J55司2(2007) pp.866 (163) -862 (167)。成道記事については, 拙 稿 rMaha;

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danasut品antaにおける過去仏の成道記事Jr仏教学研究J62・ 63合併号 (2007)pp. 132-148.拙稿「ニカーヤが伝承する十支縁起成道記事 の問題点Jr印 度 学 仏 教 学 研 究J56-1 (2007) pp.323 (194) -319 (198)。先 天勧請については,拙稿「ニカーヤが伝承する党天勧請Jr龍谷大学大学院文 学研究科紀要J29 (2007) pp.24-380

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皮羅提木叉制定記事については,拙稿 rMaha

μ

danωuttantaとノfー リ 律 経 分 別 の 関 係Jrノfーリ学仏教文化学』 18 (2005) pp. 77-840 制 大本経の形成過程を考察するうえで,他典籍にあるパラレルとなる資料の検 討は不可欠となる。特にパーリ長部や r長阿含経』に収められる,比較的分量 がある長い経典は,編纂時点で既に存在したであろう別の文献の記述を付加す ることにより,増広されていった過程が想定できるからである。この研究手法 は,かつて増谷文雄氏が,Mahapaゆtibbanasuttanta(DN.16)等を中心とす る,初期仏教における仏伝文献の研究に用いたものである。増谷氏は,釈尊の 最晩年を語る重要経典である Maha

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'arinibbanωuttantaに含まれる記述が,主 にパーリ相応部等に保存される記事を中心とする三十箇所以上からの引用によ り編纂されたものであることを指摘した。これは,初期仏典を考察するうえで, 極めて重要な指摘となった。本稿の研究は,増谷氏が確立した研究方法に基づ くところが多くある。増谷文雄『仏陀の伝記ー資料の研究一[増谷文雄著作集 5 b (角川書J古, 1981)参照。 n u

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大本経成立をめぐる諸問題 側 金 倉 圃 照 [1939]pp.296-298参照。 開平川彰氏は「律蔵の序文には,どの仏が波羅提木叉を説き,どの仏は説かな かった,という点に七仏の名が挙げられている。故に,ここに型となった仏伝 を適用すれば,容易に過去七仏の伝記が成立する。かくして拡大されたものが 「大本経」類でありその逆であるとは考えがたい。「大本経」類が毘婆戸仏の 波羅提木叉諦出を強調することは仏伝の型からは導き出せないことである。そ こには明らかに律蔵からの影響があったと考えねばならない」と述べる。平川 彰 [1999]p.378参照。 側 河崎豊氏は,パーリ文献におけるapadanaの用語を検証した結果,「全体か ら切り分けられた〔ままの〕一部分」という意味から「ある総体から切り分け られた,総体を代表する一部」という解釈がなされ,そこから「特徴Jr行為」 の意味が派生したと指摘する。

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可崎豊 rapadana/avadanaについてJr待 兼 山論議哲学篇~ 34 (2000) p.37参照。 パーリ経典において,経典名にapadanaを用いるものは

MAPとパーリ小 部のApadanaのみとなる。高田修「南伝大蔵経』第26巻(大蔵出版, 1937) pp.1-3 r警喰経」解題参照。 同 以 下 の 箇 所 に 仏 伝 が 含 ま れ る 。 パ ー リ 律 「 大 品JMahakhandhaka (Vinaya.1 pp. 1-44) r四分律Jr受戒擁度」挑秦仏陀耶合・竺仏念等訳(大 正22,~o. 1428, pp.779a-799b), r五分律Jr受戒法」宋尉賓三歳仏陀什共竺 道生等訳(大正22 , ~o.1421,pp. 101a・110c)。これは,出家受戒作法について 記す箇所である。所謂健度部の呼称は律によって異なる。本稿では,この箇所 を「受戒健度部」と統一して呼ぶ。受戒健度部の仏伝については,平川彰 [2000] pp.97-178で詳細に検討されている。また,『キ艮本説一切有部律Jr破 僧事」に保存される仏伝については,佐々木閑

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根本説一切有部律』にみら れる仏伝の研究Jr西南アジア研究J24, pp. 16-34(1985)参照。 側平川彰氏は,各部派の律蔵から派生した仏伝として

Mahavastu

r方広大 荘厳経Jr普曜経JLalitavistara, r仏本行集経Jr太子瑞謄本起経』を挙げる。 平川彰「八相成道と八相示現Jr南都仏教J66 (1991) pp.12-14参照。ここで は,これらの仏伝が,釈尊の全生涯を記すものではないことについて述べられ ている。 ( 51) 大本経末尾にある浮居天の神による報告については,明らかに七仏の事蹟を 前提とした内容であるため,現形大本経成立以前にく七仏の事蹟+浮居天の神 の報告〉という構成の文献が存在したことも想定できる。一方で,七仏の事蹟 とヴィパッシン仏伝が結合した後に,物語の整合性を図るために付加された可 能性もある。詳しくは,拙稿 [2010]参照。 側主な研究については,前回恵学 [1964]pp.619-637参照。 p o n v

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附 赤 沼 智 普

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参照。また,戒慈品と律蔵の関連性については,山 極伸之「パーリ長部「戒趨品」と律蔵Jr仏教大学文学部論集J

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参照。 同岡野潔氏は,「大般i里繋経はKusinagari(Kusinara)の地が過去の諸仏に とっても般浬繋処であったことは説かない。過去においてはKusinagariは (釈迦牟尼仏の前世の姿である)大善見王の王都であったと説き,その地が昔 の転輪聖王の王都として古い由緒をもつことと,その土地への釈迦牟尼仏の個 人的な前世の繋がりが示されるだけである。この記述が妨げとなって,すべて の過去仏が, Kusinagariで般浬繋したという思想を後から付加することが出 来なくなったと思われる」と述べる。岡野潔「仏陀が永劫回帰する場所への信 仰ー古代インドの仏蹟巡礼の思想ーJr論集/印度学宗教学会J

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参照。 側 Jens-UweHartmann “Contens and Structure of the

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of the (Mula-) Sarvastivadins"~創価大学国際仏教学高等研究所年報~

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参照。この事柄に関連するものとして,松田和信「党文長阿含の

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こついてJr印度学仏教学研究J

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参照。 岡三枝充恵『縁起の思想J(法蔵館,

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参照。 キーワード 大本経,過去七仏,仏伝, avadana

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参照

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