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日本感性工学会論文誌

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(1)

1.

は じ め に

1.1

 研究の背景

21

世紀は水の世紀」と言われて久しい.この言葉は,

1995

年に当時世界銀行副総裁であった

Ismail Serageldin

の 発した警告,すなわち“

Many of the wars this century were

about oil, but those of the next century will be over water

.

20

世紀は石油をめぐる争いの世紀であったが,

21

世紀は水 をめぐる争いの世紀になるだろう)とするインタビューに遡 ることが出来よう[注

1

].彼の予言は見事に的中し,「水」 は国家間・地域間を問わず一つの争いの火種となっている. 一人当たりの水資源量を鑑みれば必ずしも「豊か」ではな いにしても,日本は比較的水に恵まれた国であると認識され ている.それ故「蛇口をひねれば得られるもの」「コンビニエ ンスストア等で簡単かつ安価に購入できるもの」との考えを もつ者も少なくない[注

2

].しかし日本の水利史を紐解けば, 例えば江戸時代から明治時代にかけて各地で水争い(水論) が頻発しており,それは往々にして殺傷を伴うものであっ た.水の有無や状態は直接生死に結びつく問題であるため, 一滴も逃すまいと用水路やため池などの整備・維持・管理に 常に注意が払われ,仮に他村が不正を働けば村総出でこれを 排除したのである.また壊滅的な豪雨や洪水,日照り,旱魃 など水に異常が発生すれば,その回避・正常化を神仏に求め た.今に伝えられる雨乞いの神事やため池の畔に祀られる弁 財天などからは,水の正常な状態を切望する当時の人々の息 吹が感じられよう.そのような彼らの水に対する感性は, 例え平常時という条件を設けたとしても,水へのアクセスが 比較的安定した或いは容易となった現在を生きる我々のそれ よりも高いものであったことがうかがえる. この「水に対する感性」は,地域環境(社会環境,自然環 境,文化環境などを含む)と密接に関わり合うものであり, 同じ空間であっても時間軸によって,すなわち物事の移ろい に伴って変化をみせる.また,その身を置く空間における水 との距離(その水量や降雨量の多少を含む),その空間に在 る水の形態(沼,湧水,霧,雨,洪水,海等),更にその空 間において水に関連付けられる意味(恩恵・災い,聖・邪, 生・死等)などによってもそれは多様性をみせる.本稿では この「水に対する感性」を,多様な様相をみせる水を介して 感情や情緒を発現させ,水の意味を判断する能力とする. インドネシア・バリ島では,そのような感性がまさに変化 の最中にある.

2012

7

月に伝統的灌漑システム“

Subak

” が

UNESCO

により世界遺産に登録された[注

3

].しかし 観光業等の成長・拡大に伴い,この

Subak

の技術・知恵が, ひいては水に対する意識そのものが低下しつつある[注

4

]. バリ島の文化は,例えばバリ・ヒンドゥ教が

Agama Tirtha

, すなわち聖水の宗教と称されることからも分かるように, 水と密接な関係にある.そのような水に対する意識を低下さ せれば,例えば

I.G.Pitana

が現状を憂い「このような現象が継 続すれば,バリ島のスバック組織は,危機に瀕するであろう. スバック組織が危機に陥った時,バリ島の伝統文化の存続も 危機に瀕するだろう」と警鐘を鳴らすように,バリ社会は 重 大 な 問 題 に 陥 る 可 能 性 が あ る[

1

]. 否,

H. A. Gany

が 「スバック社会の基本哲学であるトリ・ヒタ・カラナの意味

「水」に対する感性

̶ バリ島

Pura Tirtha Empul

寺院を対象として ̶

神頭 成禎

佛教大学

KANSEI to the Water

– In the Case of Pura Tirtha Empul in Bali, Indonesia –

Yoshitada KANTO

Bukkyo University, 96, Kitahananobo-cho, Murasakino, Kita-ku, Kyoto 603-8301, Japan

Abstract : Bali’s culture is closely connected with water as seen in the convention in which Balinese Hinduism is referred to as Agama Tirtha (religion of holy water). However, even Subak, the traditional irrigation system lays heavy emphasis on the importance of water, is facing the threat of elimination or abandonment, which leads to concerns regarding the diminishing respect for water. This article examines ways in which “Kansei to the water” has been developed, focusing on the Pura Tirtha Empul temple. The spring in the temple compound supplies highly sacred Tirtha, and it is a source of the River Pakerisan, which has many Subak systems in its course. This article analyzes the legend about Indra, which describes the origin of the spring, the arrangement of the temple complex, and narratives of water in order to investigate Kansei to the water.

(2)

合いも,徐々に崩壊しつつある」と述べるように,文化面に おいてその兆候は既に現れはじめている[

2

]. 同島において「水」は,単に物質的意味合いでのみ捉えき れるものではなく,文化的・宗教的意味合いも十分に理解さ れなければならない.既往研究では,例えば

Subak

研究にみ られるように,その技術やシステム体系,管理・運営の在り 方などが主に対象とされてきた.また農業や治水などの 維持・管理,その機能の向上や近代化においても,管見だが 科学的見地から対処されている.しかし先述のように,水に 対する意識は薄れつつあり,その伝統文化の存続も危惧され る状況にある.そのような中にあって,人々が水に如何なる 意味を見出しているのか,或いは見出してきたのかなど 「水に対する感性」にいま注目する必要があるのではないだ ろうか.

1.2

 研究の目的と方法 本稿の目的は,同島に数多と存在する寺院の中でも

Pura

Tirtha Empul

に焦点をあて,それが「水に対する感性」を醸 成する上で如何に機能してきたのか或いはしているのかを明 らかにすることである.本寺院は

Pakerisan

川の水源と位置 づけられ,その流域では数多くの

Subak

システムを,また水 田を潤し続けており,水に対する感性を探る上で重要な空間 であると考える[注

5

].そのような空間に語り継がれる伝承 や寺院関係者らの声などから,同島或いは同地域に継承され る「水に対する感性」を導き出したい. そこでまず,従来の水研究史を紐解き,「水に対する感性」 研究の位置を確認する.ただし,水に関係する研究は,古く から数多の分野で行われており,その業績も挙げればキリが ない.ここでは,あくまで本稿の位置を確認するにとどめる. 次に

Pura Tirtha Empul

に湧く泉の創生神話である

Indra

の 伝承を取り上げ,伝承と水との関連性,及び寺院境内にみる 空間的配置との関連性を明らかにする.その後,関係者らが 語る「水」に関するナラティブの分析を行い,彼らが「水」 を如何に捉えているのかを見出していく.

1.3

 調査対象者について 本稿にて分析の対象とするナラティブは,

2010

9

23

日 から翌月

2

日に渡るバリ島での調査の中で得たものである. スノーボール・サンプリング法にて得たインフォーマントへ の聞き取りは,現地の通訳者(バリ語‐日本語・英語・イン ドネシア語)を介して行った.これは,例えば

Brahmana

階 級の聖職者である

Peranda

との会話において,バリ語の敬体 を用いることが要求されることによる. 本稿で取り上げるインフォーマントは,

1

)寺院を対象とす る

Undagi

(大工/職人)であり高位の

Dalang

(影絵劇の語部)

でもある

I Wayan Contok

氏(以下,

Contok

氏[

Pura Tirtha

Empul

及び氏宅にて]),

2

Pura Tirtha Empul

Pemangku

(祭司)である

Dewa Aji Mangku

氏(以下,

Mangku

氏[同寺 院にて]),及び

3

)バリ・ヒンドゥ教の

Peranda

Brahmana

階 級の聖職者)である

Ida Peranda Gede Putra Tegeh

氏(以下,

Tegeh

氏[氏宅にて])であり,氏名等の掲載については事前 及び事後に承認を得た.

2.

「水」に関する研究 ヒトが生きる上で,水の存在や状態の良し悪しは,地域を 問わず常に付きまとう問題であり関心事である.水の在り様 によって,ヒトの生存それ自体が左右されてきたと言っても 過言ではあるまい.今村が「自然の恐怖から逃れ,水の恵み をいかに享受できるかという課題に向かって,人間は有史以 来,自然との闘いをつづけてきた」とするように,治水の在 り方は文明が興るその初期の頃より現代に至るまで絶えず熟 考されてきた[

3

].それ故,治水工学や土木工学,水文学な どにみられるように,自然科学・応用科学の分野において数 多くの研究が確認できる. 同様に,人文・社会科学的視点からの水に関する研究もま た古今東西を問わず数多と存在する.それは「水の管理」が, 社会の形成や発展と密接な関係にある故であろう.また先に みた

Serageldin

の警告以降においては,紛争或いは貧困と水 との関連性を明らかにしようとする研究やルポタージュも多 くみられるようになる.

2.1

 バリ島にみる人文・社会科学的「水」研究 インドネシアはバリ島に焦点を絞れば,水について最も精 力的に研究されているのは水管理,すなわち灌漑システム

Subak

についてであろう.例えば

R.Goris

M.M. Soekarto

らは,古ジャワ語で記される碑文を紐解き,その形成時期を 明らかにしている[

4

5

].また

C.Geertz

19

世紀のバリ島 を取り上げ,島民が

Subak

を如何に捉えていたのか,その管 理の在り方や運営方法を明らかにしている[

6

]. 榧根は,現在の状況や管理・運営手法などを示しており, なぜそこに

Subak

や灌漑施設が構築されたのかを文化的・ 社会的,或いは工学的視点から明らかにしている[

7

]. 早稲田大学水稲文化研究所では,同島の「水田農耕と村落 文化の研究」が行われており,

2006

年には『バリ島水稲文 化と儀礼‐カランガセム県バサンアラス村を中心として』を, また

2008

年には『バリ島研究の新たな展開』を刊行してい る[

8, 9

].これらの報告書では,バリ島各地の村落及び

Subak

の状況や管理手法(村落慣習法の全文を含む),現況 などが多様な視点から分析されている.また既に上述したよ うに,

2006

年発刊の報告書において掲載される

Pitana

論文 は,灌漑施設が現在置かれる状況を克明に描き出し,それが 直面する危機について警鐘を鳴らすものである. 環境との関連性に視点を移せば,例えば

J.S.Lansing

は,

11

世紀以降に

Subak

内に設けられる水に関する寺院が棚田 の生態系を管理するため拡大したことを述べている[

10

]. また

S.Susanto

らは,

Subak

の特性を分析し,それが環境の 持続可能性に向けて果たす役割や影響について明らかにして いる[

11

].永野も,バリ島を彩る棚田が如何にして保全さ れてきたのか,その諸要因や諸条件を分析している[

12

].

(3)

2.2

 「水」研究と感性的視点 しかし一方で,水を感性の視点から直接的に捉える研究は どうであろうか.「水」は文化の発祥・発展にとって極めて 重要な要因であるだけでなく,文化的形成において多くの インスピレーションを与えてきたし,またそれは絵画や文学 の中で多様な姿を確認することができる[注

6

]. 「水」は,例えば

S.Freud

C.G.Jung

らにみられるように, 心理学の側面においても重視されてきた[注

7

].晩年には錬 金術研究も行った

Jung

においては,水の変容を心理学的側 面から分析している.田熊によれば,「錬金術の作業過程に おける『水』の重要性やその役割を

Jung

が抽出したことに より,水が単に『無意識』『母性』の象徴であったところから, 多様な役割や特性が明らか」となり,そこから「『混沌』 『生命の根源』『性(エロス)』『浄化』『情動・感情』『癒し』 『死・崩壊』『ダイナミズム』などといった多様な特性が抽出 されるようになっていき,様々に『水』のイメージが研究さ れ,解釈されていった」という[

13

].

G.Bachelard

は,詩や神話など文学作品に表現される「水」 のイメージを「物質的想像力(視覚や触覚など物質性に注目 し,その物質がもつイメージを生み出す能力)」を以て詳細 にかつ丹念に分析する.その作業は,まさに感性の探求といっ て良いのではないだろうか.彼は,「水は,もはや移り気な 熟視とか,断続的,瞬間的夢想の連続において知られるイマー ジュの単なる一グループではなく,イマージュを支えるもの であり,やがてはイマージュの供給源となり,イマージュを 基礎づける成分なのである」とする[

14

]. 水は,古来より感性を絶えず刺激してきた.そのような 「水に対する感性」の働きについて,西洋文明(キリスト教 文明)を素地に

A.Corbin

が明らかにしている[

15

].彼は, 井戸や泉,暴力性や聖性,エロティシズム或いは官能性など にみられる「水」から派生する象徴性や感性的機能について 論じる.多くの水に関する研究が化学や物理或いは治水や 管理の側面であるのに対し,彼の研究は水が人に齎すまさに 表象の歴史を探るものである.その水をめぐる事実や文学, 美術などを通して感性を読み解く彼の手法は,西洋に限ら ず,他地域においても適用可能なものであろう.他地域との 比較は,水に対する感性の差異を見出すことにもつながる. 筆者もまた,インドネシアに語り継がれる伝承と天候(とく に,異常気象)との関係性について論じた[

16

17

].これは, 同国において雷雨を司る神

Indra

が登場する

10

世紀から

15

世紀に,旱魃や飢饉など,水に関連する何らかの出来事が あったであろうその可能性を示唆したものである.しかし管 見するところ,宗教的側面からも水を重視するバリ島におい ては,いまだ如何なる水に対する感性が存在するのか(或い は,したのか)についての研究を確認することはできない. 本稿にて取り扱う伝承,すなわち

Indra

の登場する伝承は,

バリ史

Usana Bali

である.

Usana Bali

については,古代バリ

史を研究する

H. I. R. Hinzler

によって散文する原典が収集さ れ,比較分析が行われている[

18

19

].散在する

Usana Bali

, 或いは

Indra

Maya Danawa

の戦いを表す伝承(

Pura Tirtha

Empul

に湧き出る泉の創生神話)が収集・分析されたことの 意義は大きい.その研究から,本伝承,すなわち水に関連す る伝承への人々の関心が一過性のものでなく,長きに渡り受 け入れられてきたことが分かる.しかし彼の対象は「伝承」 それ自体であり,そこに描かれる地に生きる人々の「水に対 する感性」を探求するものではない.

3.

伝承の語られる空間

Pura Tirtha Empul

本稿は,多くの

Subak

をその流域に抱える

Pakerisan

川の

水源

Pura Tirtha Empul

に焦点をあて,伝承やその空間的配

置,関係者のナラティブから「水に対する感性」を読み解こ うとするものである.

バリ島中部に位置する

Gianyar

Tampak Siring

に,

Indra

に関する伝承の残る

Pura Tirtha Empul

がある.

Manukaya

村 にて発見された碑文には,この寺院の由来が記されていると

いう.

W.F.Stutterheim

によって紐解かれた碑文によれば,

寺 院 の 沐 浴 場 は,

Warmadewa

王 朝 の 王

Sri Candrabhaya

Singha Warmadewa

により

962

年に建立されたとされる[

20

].

また

11

世紀初期には,バリ島を一時支配下に治めていたジャ

ワ島

Kediri

王朝の王

Airlangga

により装飾されたとされる.

しかし既往研究において,

Airlangga

によって増築・装飾

さ れ た エ リ ア は 明 ら か に さ れ て い な い. 寺 院 に 関 わ る

Undagi

であり,また高位の

Dalang

でもある

Contok

氏によ

れば,寺院境内の最深部にありかつ丘陵の頂に建つ

Pura

Pucak

は,バリ様式ではなく古ジャワ様式であることから,

一時期この島を支配下に治めていた

Airlangga

によって増築

された可能性が高いという[注

8

].

なぜ彼がこの空間に寺院を設けたのかは定かではない.

しかしその理由の一端を,

Pura Tirtha Empul

の空間的配置

Indra

伝承との関係性の中に求めることができる.

3.1

 伝承とその概要

まず,

Indra

伝承を紐解いておく.バリ島の

Babad

(歴史書)

9

世紀後半より紡ぎだされており,

Pura Tirtha Empul

が建

立された

10

世紀,それが装飾された

11

世紀には既に存在する.

その内容は,

16

世紀頃にバリ島の王

Batu Renggong

らに仕え た宮廷人により,

Kakawin Usana Bali

として編纂された.

Hinzler

によれば,

Usana Bali

は,

1

Kakawin

(古ジャワ語 韻文)版,

2

Geguritan

(現代ジャワ語韻文)版,及び

3

)“

Usana

Bali

”を冠する散文版の

3

種類が存在している.これらのうち

Kakawin

版,すなわち

16

世紀に

Karya Danghyang Nirartha

によって著されたものと,“

Usana Bali

”をその題目に冠する散文

版には,

Pura Tirtha Empul

に今なお滾滾と湧く泉の創生が描

かれている.それは,雷雨を司る神

Indra

と悪魔

Maya Danawa

との戦いである.

Hinzler

は散文版の写本を

4

種類に分類しそれ

らのコンテクストを分析しているが,いずれにもその戦いの様子 が描かれている.戦いが描かれる散文版の最終部には,バリ島 の王

Raja Sri Jaya Kasunu

の名とサカ歴

1135

年(西暦

1213

年)

(4)

すなわち

13

世紀頃には既に泉の創生神話が存在していたものと

考えられる[

21

].以下に,伝承内容の概略を示す.

バリ島の支配者

Maya Danawa

は,魔族の子であったと

さ れ る( 湖 の 女 神

Dewi Danu

の 子 ). か れ は, 民 衆 に

Tolangkir

山の神(或いは,

Pura Besakih

寺院の神)を信仰 することを禁止し,自身を神として崇めるよう強要する. 更にかれは,民衆から金銀財宝を搾取し殺害する.

Tolangkir

山の神は脅威を感じ,

Indra

に援助を求める.

Indra

は神軍を率いて島に降臨し,

Maya Danawa

との戦闘

を開始する.当初

Maya Danawa

が優勢であったが,次第

にその様は逆転する.やがて

Maya Danawa

は,様々なも

の(巨石[

Sawuh Watu

]や巨大な鳥[

Manuk Aya

]など)

に変化しながら,

Indra

率いる神軍の追撃から逃れ,最後

Manukaya

村の南に位置する密林に逃げ込む.

森へと辿り着いたかれらは,そこで喉に渇きをおぼえ る.

Maya Danawa

の臣下

Kara Wong

は瞑想し,一つの泉 を創造する.かれらは喉を潤した後,これに呪文をかけ 毒水の湧く泉へと変える.かれらを追撃する

Indra

の神軍 はこの泉で喉を潤すが,毒水であったためその大半が死 亡する.これを受け

Indra

は杖を地面に突き刺し,新たな 泉を創造する.その泉水により神軍は蘇り,やがて

Maya

Danawa

とその臣下を打ち負かすことに成功する. その死に母

Dewi Danu

は大いに怒り,災いが齎される.

その後

Indra

の力によって

Maya Danawa

は転生を果た

し,蛇神の子

Malini

の化身と結婚する.後にかれらの子

孫は,王としてバリ島を治めるに至る.

語りに少なからずの違いはあるものの,以上が共通してみ

られるコンテクストである[注

9

].しかし散文版の中には,

なぜ

Maya Danawa

がそのような行為を働いたかを示すもの

や,

Indra

の力によって

Maya Danawa

が復活を成し遂げら

れないものもあることを付け加えておきたい.

3.2

Pura Tirtha Empul

に見る空間的配置

次に,

Pura Tirtha Empul

寺院境内の空間的配置について

みていく.図

1

は,寺院境内を目測にて調査し図化したもの であり,比率やそこに配置される建物などの角度に誤差があ ることを特記しておく.しかし,伝承と空間的配置から水に 対する感性に迫る上では有効であろう. 伝承に登場する水に関する要素を抽出すれば,以下のよう になる.すなわち,

1

Maya Danawa

によって齎される混沌,

2

Indra

の降臨,

3

Maya Danawa

の臣下

Kara Wong

による

泉(後に毒水の湧く泉へ変化)の創造,

4

Indra

による泉

(聖水の湧く泉)の創造,

5-a

Maya Danawa

の母

Dewi Danu

の赫怒(

Batur

湖の沸騰/枯渇),或いは

5-b

Maya Danawa

の遺体からの流血による

Petanu

川の出現である[注

10

].

寺院境内の空間的配置をみるに,伝承に描かれる世界観と の緊密な関係性,すなわちその舞台であることが確認できる. ここでは,伝承内容と空間的配置の関係性についてみていく.

①Pura Pucak ②Penengan Tepesana ③Bale Pacanangan

④Linga-Yoni ⑤Taman Suci ⑥Kara Wongの像 ⑦沐浴場 ⑧病人に用いる聖水の水汲み場(沐浴行為は禁止) ⑨Wisnuの像

図1 Pura Tirtha Empul寺院境内配置図

3.2.1

Indra

降臨の場所に配置される

Pura Pucak

図内①に建つ

Pura Pucak

は,上述したように

11

世紀初頭 にジャワ島の王

Airlangga

によって建立されたと考えられて いる.では,なぜ彼はこの位置に寺院を建立したのか. 伝承には

Indra

の降臨に関する詳細な描写はない.しかし ジャワ島にて語り継がれるもう一つの

Indra

の登場する伝承

Arjunawiw

ā

ha

から読み取ることができる[注

11

].これ は,

Kederi

国宮廷人

Mpu Kaņwa

により,

Airlangga

の業績

を賛美すべく

1035

年に著されたものである[注

12

].本伝承 で

Indra

は,

Indrokilo

山の真上,すなわちその頂に叩きつけ られるように降臨したことが描かれている.そのような世界 観をもつ

Airlangga

が,寺院境内の「最も高い位置」に

Indra

が降臨したとして,そこに建立した可能性は否定できない.

Arjunawiw

ā

ha

と天候との関連性についての詳細は拙著 に譲るが,彼の業績や気候データから当時の天候が不安定に あったと推察でき,そのような中で記された

Arjunawiw

ā

ha

Pura Tirtha Empul

の増築は雷雨の発生頻度の正常化を祈

願するものと捉えることが出来るのである.

Indra

の降臨が最も高い位置であったとする思想は今なお

生きており,

Pura Tirtha Empul

で執り行われる儀式におい

て,この空間は

Indra

を含む神々を降ろす場所或いは装置と

(5)

3.2.2

Indra

によって創造された泉と沐浴場

伝承において

Indra

は,

Maya Danawa

の臣下

Kara Wong

により死した神軍を蘇らせるべく,その力を以て一つの泉を 創る.その泉は,図内⑤において現在なお滾滾と湧き出る泉

Taman Suci

であると見做されている.

a

Indra

由来の泉について

Taman Suci

内に,

4

つの石が立つ.

Contok

氏によれば,

その起源は定かでなく,今ではその内側に記される神々の 文字の意味を理解する者はいないという.しかしそれらは 四大神(

Mahadéwa

Wisnu

Siwa

Brahma

)の力を秘め, そこに湧き出る水に聖性を齎しているとされる. すなわち水の聖性は,湧き出る水それ自体にあるとされて いるのではなく,そこに配置される神々の表象によって齎さ れているとされているのである.これは杖を大地に突き刺し た

Indra

の力によって,地中ではなく地上において水に聖性 が齎されたことを意味するものと理解できる. しかしここに泉の創造者

Indra

の聖石はなく,かれの持つ 効力もまた働いていない.寺院にて

Mangku

氏及び

Contok

氏は,神々の命を受けて

Indra

が降臨しなければ泉は存在せ ず,かれがその力を以て泉を創造したことに意味があるとい う.すなわち,儀式の際に必要不可欠なこの泉水は天界の神々 の力によって聖性が齎されているが,それは

Indra

がその力 (特性である雷雨)を以て泉を生み出さなければ存在しえな かったというのである.このように,そこに湧き出る水は確 かに四大神を表象する聖石によって聖性が齎されるのである が,泉それ自体が神々によって与えられた「聖性を帯びてい るもの」(聖性物)と考えられているのである.

b

)泉から発見される聖性物について

Indra

由来の泉からは,水以外にも,いくつかの聖性物が齎 されている.詳細については後述するが,それは

Gong

(ガム ラン楽器の一種)や

Mirah

(白濁透明の宝石)などであり, いずれも

Pemangku

である

Mangku

氏により発見されてい る.普段これらは村に保管され,儀式の際に

Mangku

氏によっ

Pura Tirtha Empul

に運ばれる.

Contok

氏によれば,それら

の中でも

Mirah

は,

Pemangku

のみ立ち入ることが許される 聖域

Penengan Tepesana

(図内②)に祀られるという[注

13

].

c

)沐浴場について 聖性が付加された泉の水は,

Taman Suci

よりやや南に設 けられた沐浴場(図内⑦)に注ぎ込まれている.沐浴場は, 単に身体を清め邪気を払うため だ け に 存 在 す る の で は な く, 大小様々な儀式に使用する聖水 を汲む空間ともなっている. 水に求める意味によって,図

2

の石造りの吐水口(

Pancoran

) が決定される.では,如何なる 意味によってそれが決定される のか.図内⑦の沐浴場は

4

つに区 切られており,またその左側(図 内⑧)にも別に一ヶ所存在する. 図内⑧の空間には

5

個の吐水口が設けられているが,これ は病人に飲ませたり振りかけたりするための水を汲むことの み許されたものであり,そこでの沐浴行為は禁止されている. その右側に位置する沐浴場は,通路を挟んで

2

つに区切ら れる.ここでは便宜上,左側(図内⑦

-

ⓐ及びⓑ)と右側 (図内ⓒ及びⓓ)に区分する.左側の沐浴場ⓐには,

13

個の 吐水口が設けられている.いずれも自由に使うことが許され るのではなく,左端の吐水口は神々のためのものとして使用 が禁止されている.人間に使用が許されているのは,その右 側(

2

番目)からとなる.

10

番目までの吐水口及び

13

番目 の吐水口は,沐浴や飲用が許されている.ただし

13

番目は, 悪夢に魘される或いは魘された者のみ使用することができる のであって,それ以外の者が使用することはできない.

11

番目及び

12

番目の吐水口は,「死に纏わる儀式」すなわ ち葬儀の際に使用する聖水を汲むためのものである.具体的 に言えば,順序が異なるが,

12

番目から排出される水は火 葬する前に行われる死者の身体に振りかける儀式に用いら れ,

11

番目のそれはその後盛大に執り行われる葬儀の際に 用いられている. 沐浴場ⓐと煉瓦壁で区切られる沐浴場ⓑには,

2

つの吐水 口が設けられており,悪行を犯した者が沐浴する場とされる. その

1

番目の吐水口は「悪い言葉」を発した者が使用し, それを発したが故に生まれる邪気を聖水に溶かす.これによ り邪気が払われ,身体が清められるという.

2

番目の吐水口は, 神々に対する誓いを破った者が許しを請うために使用する. 次に,右側(ⓒ及びⓓ)についてみていく.沐浴場ⓒには

6

個の吐水口が設けられており,沐浴及び水汲みが許されて いる.これらは主に「生に纏わる儀式」に用いられる.左端

1

番目の吐水口から排出される水は,神々と人間に関係 する儀式であれば特に用途は定められておらず,どのような ケースにおいても効力をもつものと認識されている.

2

番目 及び

3

番目も同様であるが,

1

番目のそれと比べ聖性はやや劣 るとされる.

4

番目の吐水口は,新築の家屋や購入したばか りの自動車,三ヶ月目の乳児などに聖水を振りかける儀式に 使用される.一般的にそのような儀式では,

Brahmana

階級 の聖職者である

Peranda

の生成する聖水が振りかけられる. それだけでも有効ではあるが,聖性をより確実なものとする ため,或いはそれを高めるために,参拝者はこれらの吐水口 から排出される水を持ち帰り再度対象物に振りかけるという. その右側ⓓに位置する

4

個の吐水口が設けられた空間は, 隣接する先の沐浴場(ⓐ,ⓑ,ⓒ)とは異なり,

Pemangku

のみが使用を許された聖域と見做されている.それ故参拝者 らは,煉瓦壁で囲われたその空間に立ち入ることも,また水 に触れることさえも許されていない.

d

Kara Wong

由来の泉と像について 図内⑥には,かつて水が湧き出ていた.これは,関係者ら の体験や先祖からの口承により,伝承にいう

Maya Danawa

の臣下

Kara Wong

の創り出した泉であったと認識される. 現在その場所には,一体の像が祀られ,供物が捧げられる.

これを

Maya Danawa

と認識する参拝者もいるが,真は

Kara

(6)

Wong

であると制作者の

Contok

氏はいう.このような認識

の相違は,境内入口の

Wisnu

像においてもみられる.

4.

伝承の語られる地に身を置く人々のナラティブ 以上のように,

Pura Tirtha Empul

寺院境内の空間的配置 と伝承内容の間には,密接な関連性を確認することができ

る.すなわち境内の随所に配置されるモノ,例えば

Indra

降 臨・ 討 伐 を 指 揮 し た 丘( 或 い は, そ の 頂 に 建 つ

Pura

Pucak

)やかれが創造したとされる泉

Taman Suci

などに,

伝承に語られる

Indra

の存在を感じ取り,信仰の対象とする

のである.

しかし伝承内容を彩る主たる登場物であるはずの

Indra

Maya Danawa

を象るものは,境内に確認することはできない.

ここでは,人々の

Indra

Maya Danawa

,そして

Indra

由 来の泉に対する意識について「水」を中心にみていく.

4.1

Indra

に対する禁忌 バリ族を含む参拝者の中には,境内入口に立つ

Wisnu

の 像(図内⑨)を

Indra

と認識する者も少なくない.それは, この寺院に“

Tirtha Empul

”(聖なる泉)があり,伝承にお いて

Indra

がそれを創り出したと認識する故である. なぜ

Indra

ではなく

Wisnu

でなければならなかったのか,

Contok

氏は次のように述べる.

Pura Tirtha Empul

において,

Indra

Maya Danawa

の 伝承を語ることも演じることも,また像を作ることもタ ブー視されている.もし

Indra

伝承の影絵劇を寺院内で演 じたならば,ガムラン隊も影絵劇の語部も倒れることと なる.かつてそのようなことが実際にあった4 4 4 4 4 4 . もう一つの事実がある.以前,

Pratima

(神々を象る 物/記号)を乗せる神輿を作る話が

Manukaya

村であっ た.その時に別の

Undagi

Indra

の彫刻を施した神輿を 作ることを提案し,私は別の彫刻を施した神輿を作るこ ととなった.しかし,いまだ

Indra

の彫刻を施した神輿 は完成していない.それは,それを彫っている時に何ら4 4 かの問題が必ずおき,仕事を終えることができない4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 ため である.それ故,現在寺院で使用されている神輿は私が 作ったものだ.このことからも,

Indra

の像を作ること は

Indra

4 4 4 4 4や神々に許されていないことが分かる4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 . その寺院境内においては,それが具現化されることだけで なく,その伝承を口にすることさえも

Indra

や神々によって 許されていない行為であると認識されていることが分かる. また隣席する

Mangku

氏も同様の認識を示す. しかし,例えば影絵劇において

Indra

の人形が用いられ るように,必ずしもそれが具現化されたものが存在しない わ け で は な い. ま た

Indra

を 示 す 絵 は, 例 え ば

Penulis

Prasasti

( 歴 史 記 述 者 )で あ り

Undagi

で も あ る

I Wayan

Turun

氏によって描かれている.この禁忌は,彼らの実生 活での体験に基づき形成されたものであり,

Pura Tirtha

Empul

寺院境内においてのみその効力が働いているものと 考えられる. 現在境内入口に立つ

Wisnu

の像は,

Indra

に代わるもの として配置されたという.伝承において

Wisnu

は,他の三

大神である

Siwa

Brahma

とともに

Indra

を荒れた地上界

に送っている.インドネシアにおいて水を司る神

Wisnu

も また,聖なる泉を創る上で欠かせない要素とするのである.

4.2

Maya Danawa

に対する禁忌

Maya Danawa

の像もまた作ることがタブー視されてい る.それ故,かつて泉のあった場所には,

Maya Danawa

の 臣下である

Kara Wong

の像が配置された.これについて

Contok

氏は次のように述べる. かつてはここに,

Maya Danawa

の臣下によって湧き出 た泉(毒水の泉)があった.私が子供の頃,大人たちは4 4 4 4 4 その近くに行くなと警告4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 した.しかし今から

10

年ほど前 に,その泉は枯れてしまった.それがあったことが忘れ られないように,魔族の王である

Maya Danawa

ではな く,その臣下であった

Kara Wong

の像を祀った. 「泉に近づいてはならない」とする禁忌がいつ発生したか は定かではない.しかしこれは,かつてそこで起きた事実に 基づくという.ここに,伝承に語られる「負の身体的現象」 の体現が確認できる. 既に泉は枯れ「負の身体的現象」の可能性は取り除かれた と思われるが,その空間にかつての戒めが忘れられぬよう一 体の像が配置された.では,なぜそれが

Kara Wong

でなけ ればならなかったのか.伝承を再度確認すれば,泉の創造者

Maya Danawa

ではなく

Kara Wong

であり,それは至極当

然の結果といえる.しかし参拝者らの中には,伝承において

混乱を齎すのは

Maya Danawa

であり,それは

Indra

に対峙

する主要な登場物であるため,かれと認識する者も少なくな い.伝承に描写される「混乱」を取り上げるのであれば, より認識度の高い

Maya Danawa

も選択肢の一つと考えられ よう.しかし前節のナラティブからも明らかなように,

Contok

氏や

Mangku

氏らは,かれを具現化することによっ て「負の身体的現象」が引き起こされるとする認識をもつ.

Kara Wong

である一つの理由は,まさにそれを回避するた めといえよう.

4.3

Pemangku

によって泉より発見される聖性物 伝承において

Besakih

の地で掃除を行う

Pemangku

は,

Indra

が数度に渡って落とす鞘/椰子の実を発見し手にする.

このコンテクストは,実世界において

Pura Tirtha Empul

Pemangku

である

Mangku

氏の身体的配置を決定している.

すなわち,

Indra

由来の泉における聖性物の発見である.

その出来事及び聖性物について,

Contok

氏は次のように述

(7)

Mirah

は,

Pemangku

(同氏)が

Taman Suci

を掃除し4 4 4 ている時にその中から見つけたもの4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 だ.それは小雨の降 る朝のことだった.掃除をしている

Pemangku

が泉の中 に光るものを見つけ,それを引き上げた.この石は白濁 の透明色で,中には何かの絵がある.この石は誰が作っ たものなのかは分からない.恐らく神々が与えたもの4 4 4 4 4 4 4 4 で, それ故に今でも名前はつけられていない.この石は, 普段は村の

Pura Agung

(正式には

Pura Bale Agung

:神々 の集う所を意味する寺院)に保管されている.儀式の時 にのみ,

Pura Tirtha Empul

に運ばれ

Penengan Tepesana

の頂に祀られる.

それより以前にも,

Pemangku

は泉から

2

つの

Gong

見つけている.この

Gong

は,現在

Pura Agung

での儀式

の際に神々を呼ぶ/降ろすために用いられている. 伝承に共通するキーワードは,「掃除」「聖性物」「発見」 で あ る.

Pemangku

で あ る

Mangku

氏 は, 伝 承 に 同 じ く,

Indra

に関係するその空間で「正の身体的現象」を発動して おり,聖性物を発見する「発見者」たる役目を担っているの である.

4.4

 「水」の邪性からの転換

Usana Bali

に,

Maya Danawa

の 身 体 か ら 血 が 噴 き 出 し

Petanu

川が形作られたことが描かれる.

Kakawin

版ではそれ

自体が毒水であるとされるが,散文原典版では

Indra

の関与が

描かれている.すなわち,

Indra

Mahadéwa

(=

Putrajaya

) がマントラを唱え水に邪性を齎し,飲用や引水など人々にそ の水の使用を禁じたとする場面である.いずれにせよ,この 水を飲用した者は毒され,またその水によって育てられた稲 からは血が流れ,或いはその米を炊くと死臭がするなど何か しら「悪い事」が発生するとされている. 仮に

Kara Wong

由来の泉のように伝承から禁忌が発生 しているとするならば,

Petanu

川の使用にも禁忌が設けられ てしかるべきであろう.しかし現在,

Petanu

川に設けられた 堰からは水が引かれ,豊かな穀倉地帯を生んでいる[注

14

]. なぜ水は,邪性を消失させたのか.

Contok

氏によれば,次の ような言い伝えが残されているという.

Maya Danawa

の死から)約

100

年の後,

Manukaya

村 の

Gusti Pasek

という名の男が,竹筒に

Pura Tirtha Empul

の聖水を入れて持ち帰った.普段は頭に載せなければな らない聖水を,彼は手に提げ

Petanu

川に向かった.それ は(4 川を4 4 )4 浄化4 4 するためだ.その後,土地に水が齎される ようになった. ここに,

Indra

由来の水により,邪性を持つ川の水が清めら れた或いは浄化されたことがみてとれる.このような転換が 行われる以前には,伝承に語られる「悪い事」が発生すると して,それが灌漑に用いられることはなかったという.この 邪性から聖性への水の転換について,

Mangku

氏も同意する.

4.5

Indra

由来の泉の効力 バリ・ヒンドゥ教の聖職者(

Peranda

)である

Tegeh

氏は, その水の効力について次のような体験談を語る. 私の息子が

5

歳の時,病のためにデンパサールの病院で 亡くなった.その時はまだ,私は聖職者

Peranda

ではなかっ た.彼は点滴をしていたが,医師が死亡を確認した後, 看護師によって点滴がはずされた.急ぎ親戚などに知ら

せた.病室で彼と二人になった時に,

Pura Tirtha Empul

の聖水を彼の口に注いだ4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 .そして,冷たくなった亡骸を 抱いた.するとクーっと息をする音が聞こえた.彼は聖4 水によって蘇った4 4 4 4 4 4 4 4 のだ.彼が息をふきかえしたのに驚い た人々は,私の体から炎が出ているのを見た.やがて聖 職者を育成・決定する師が

Peranda

として私を選んだ.そ して私の息子は,いまもここで暮らしている. このナラティブについて彼は,伝承内容に語られる神軍の 蘇りに酷似するという.病とはすなわち「悪いもの」を意味 し,それは悪魔(例えば,伝承上の

Maya Danawa

)によっ て齎される.伝承上の神軍は魔族の力によって死に至るが,

Indra

が生み出した泉の水が口に注がれることによって蘇 る.彼の息子もまた悪魔(「悪いもの」)によって死を迎える が,やはりその泉の水を口に含み蘇る.まさに「正の身体的 現象」が体現されたといえよう.彼によればこの体験は, 彼自身やその家族,また村の人々にとって,伝承が単なる 「物語」ではなく,

Indra

によって泉が確かに創生されたとい う伝承の真実性/正当性が与えられるものとなったとする.

5.

伝承の語られる地に身を置く人々の感性

これまで,

Pura Tirtha Empul

という伝承と密接に関連す る空間と,そこに宗教的側面から日常的に関係をもつ人々の ナラティブについてみてきた.そこからは,伝承の語られる 地に身を置く人々の感性を垣間見ることが出来よう.

5.1

 伝承により育まれる感性

Pura Tirtha Empul

に位置する泉の創生神話は,バリ島の

歴史書

Usana Bali

の記述から,その散文版の原本が既に

13

世紀頃には描かれていたと考えられている[

21

].しかし

Indra

の登場するこの伝承が,いつの頃より語られ始めたの かについては明らかにされていない. 同寺院は,

Manukaya

村に残される碑文から,

962

年にバリ 島の支配者によって建立された沐浴場に始まると考えられて いる.この沐浴場は「身を清める」行為のための空間であり, 聖性を伴うものである.この碑文のコンテクストが史実であ るとするならば,この空間の聖性は

10

世紀半ばに確立したも のと考えられよう.聖性はその後も定着し,

11

世紀には水を 司る神

Wisnu

と同一視される

Airlangga

が境内にある丘陵の頂 に

Pura Pucak

を建立した可能性が推察されている.彼の行為 は,この空間の聖性を更に高めるものであったであろう.

(8)

上述するように,

Pura Tirtha Empul

寺院境内の配置は, 伝承の世界観を忠実に再現する.例えば

Pura Pucak

は南側 に向けられて建てられ,その南側にはかつて

Manukaya

村 の人々が近づくことさえ許されなかった泉が湧いていた. そしてその泉の東側には,人々が沐浴し聖水を汲みとる 沐浴場の源泉

Taman Suci

がある.伝承のコンテクストと重

ねてみれば,

Indra

Pura Pucak

のある位置で神軍を指揮

し,対峙する

Maya Danawa

軍はその南側に陣を張る.そし

Maya Danawa

の臣下

Kara Wong

は,その地で泉を出現

させる.この泉の水を口にした神軍は死に至ることとなる

が,降臨した

Indra

によって創り出された泉の水が口に含ま

れ 蘇 る. こ の

Indra

由 来 の 泉 が,

Taman Suci

と さ れ る.

このような空間の配置は,

Taman Suci

の「正当なる聖性」 を示す根拠とされ,その空間に身を置く人々の感性を大い に刺激する. ある「空間」に身を置くということは如何なることであ るのか.桑子はこれを「身体的配置」及び「空間の履歴」 という言葉で説明する.桑子によれば,「自己の身体の配置 は,その身体のもつ履歴から切り離すことができない. この履歴は,自己の配置が時間のなかにあることによって蓄 積されてゆく.と同時に,履歴が蓄積されるとき,わたしを 含む空間もまた履歴を蓄積していくであろう.じつは,その 空間の履歴のなかでこそ,自己の履歴が蓄積されるのである」 とし[

22

],この「空間の履歴」とは「ある空間でどんなこ とが起こったか,そしてどんなものとして考えられたかとい うことの蓄積,いわば空間の意味の蓄積」とする[

23

].

Pura Tirtha Empul

は,その名に“

Tirtha

”と冠するように, 「聖水」が湧くことを意味する寺院である.バリ・ヒンドゥ教 は“

Agama Tirtha

”(聖なる水の宗教)と呼ばれ,沐浴や大 小様々な儀式など如何なる場面においても「聖水」は不可欠 なものである.

10

世紀以降,すなわち

Warmadewa

による 沐浴場築造以降の「現在(いま)」を生きる人々において, そこに湧き出る水の「聖性」は最も注意が向けられる関心事 であったであろう.

13

世紀頃には成立していたと考えられ る「

Indra

がその力を以て泉を創った」とするコンテクスト は,その水に高い聖性を求める(或いは,水の恵みを求める) 人々が時を超えて紡ぎ出してきたものであり,それはその 空間において最初の履歴として刻み込まれていくこととなる. 現在この地で沐浴し,その水を日々の儀式で用いる人々 は,この最初の履歴を通して泉の聖性を認識する.その認識 は,その空間に直接的に係わる人々の身体的配置を決定して いる.例えば上述の

Tegeh

氏は,医師により死亡が確認され た息子の口に

Indra

由来の泉の水を含ませた後,その蘇りを 体験している.この出来事がきっかけとなり,彼は師から

Peranda

に選ばれることとなる.また彼の経験や認識は, 彼の家族や彼のもとに集うバリ・ヒンドゥ教徒らのもつ寺院 の聖性(或いは,

Indra

がその力を以て泉を創り出したとす る伝承)に対する正当性を強化し,その認識を更新している. すなわちこの出来事は,彼の身体的配置を決定するととも に,その空間に新たな履歴を付け加えたのである. その空間の履歴は,

Indra

を含む神々によって許されない 行為という形でも蓄積される.これもまた身体的現象を伴 う.例えば,

Indra

の彫刻が施された神輿を制作しようと 試みる

Undagi

は,制作過程で体調不良や怪我など何らかの 身体的現象が起きている.またその境内で

Indra

Maya

Danawa

に関する影絵劇を行ったガムラン隊及び影絵劇の語 部も,やはり同様に何らかの身体的現象が引き起こされてい る.これらの経験により,「

Indra

の像は作ってはいけないし, またその物語を口にしてはいけない」とする新たな禁忌が生 まれ,新たな履歴として刻み込まれることとなる. 伝承の語られる地に身を置く人々は,単に

Indra

の登場す る伝承を「言い伝え」として認識するものではない.伝承は,

Pura Tirtha Empul

という空間を形成するものであり,その

地に「正当なる聖性」を与えるものである.人々はその 「正当なる聖性」を様々な身体的現象を以て認識し,その体 験は新たな履歴としてその空間に刻み込まれることとなる. 換言すれば,

10

世紀以降より始まるその空間の履歴は, そこに参拝し沐浴し,そしてその水を聖水として使用する 「現在(いま)」を生きる人々の身体的現象を伴う生の体験/ 経験によって常に更新されているのである.

5.2

 「水」に対する感性とその連続性

Contok

氏や

Tegeh

氏らのナラティブからも明らかなよう

に,

Pura Tirtha Empul

に湧き出る泉は,彼らの身体的現象

を背景に

Indra

伝承と密接に関連付けられている. 彼らの身体的現象は,

G.Bachelard

のいう「物質的想像力」 が如何なく発揮されることにより発現する.それには, そこに湧き出る「水」とは一体何であるのかを,五感を通 して感じ取ることが重要となる.そこに「水」という物質 が存在しなければ,彼らの身体的現象もまた存在しえない のである.しかしそれは,一つの要因に過ぎない.なぜなら, そこに語り継がれる「伝承」という要因もまた必要となる からである.伝承は,彼らの身体に起きた現象を,例えば

Indra

が創造した泉の齎す神秘的現象としてイメージさせ る.一方で直接的に水が齎す身体的現象を得ていない者ら

は,

Contok

氏や

Mangku

氏,

Tegeh

氏らの身に起きた身体

的現象の意味を,伝承に描写される「水」の働きと,発見さ れた聖性物や蘇生した子という確認可能な事実とを照らし 合わせ理解することとなる.そして彼らもまた,伝承に語 られるその空間で沐浴をし,或いはそこで汲まれた水を 飲用した後,正或いは負を問わず何かしらの身体的現象を 得れば,それは「水」が齎す神秘的現象として認識しよう. 例えば,沐浴場に設置される吐水口の一つに「悪夢からの 解放」に機能するものがある.悪夢に魘される者がその水を 浴びた後に解放されたならば,彼の「水」に対するイメージ 或いは聖性は事実として自身の中で正当化されよう.それ は,感性の更新といっても良い.しかしそのような経験は 彼自身にとどまらず,その事実を伝えられた周囲の者をも 巻き込む.つまり,彼の得た身体的現象は,それが伝えら れた周囲の者の「水」に対するイメージを補完するのであ

(9)

る.この「水」に対するイメージの連続性や補完性は, 上述したように

Tegeh

氏の身体的現象を認識する周囲の者 にもみられるものである. ここに,「水」という物質の存在が,主観性から客観性へ というイメージの転換或いはその連続性を生み,かつその空 間に身を置く人々の「水に対する感性」をより豊かなものと していることが了承される.

伝承に登場する

Maya Danawa

は,インドの聖典

gvedá

に描かれる水難を引き起こす悪龍

Vṛtra

,またインドの叙事

Mah

ā

bh

ā

rata

やジャワ島にて語り継がれる

Arjunawiw

ā

ha

に描かれる悪魔

Niw

ā

takawaca

と同様,その悪行によって 地上界を混乱に貶める[注

15

].伝承に語られる地に身を置 く人々は,

Maya Danawa

を「悪い事の象徴」であるとし, 地上界に荒廃を齎すものと認識している.しかし

Maya

Danawa

の力によってのみ地上界が荒廃するとはしない. 寺院にて

Contok

氏や

Mangku

氏は,伝承に描かれるコンテ クストから「(

Maya Danawa

の悪行によって)供物も捧げら れず祈りが絶えたことに対して怒った神々が,大地に雨を 降らせず地上界から水を消し,また植物(米や果物など)を 実らせないようにしたことは十分に考えられる」という. すなわち,祈りをささげないことや神々の意志に反する行為 (神々の許しが得られない行為)もまた「悪い事」と認識す るのである.

バリ・ヒンドゥ教の教義の一つ“

Tri Hita Karana

”は,

人間‐人間(

Pawongan

),人間‐環境(

Palemahan

),人間 ‐神性(

Parahyangan

),すなわち人間‐環境‐神性の相互間 の協調の重要性を説くものであり,

Subak

が灌漑システムを 維持・管理する上での原理ともなっている[

24

].しかし今, その関係性は大きな転換期を迎えている.これについて

Gany

は,「熟練技術に関する先人たちの知恵や能力および多 様な宗教的,伝統的祭式は,若い世代にとって,もはや魅力 的ではなくなって」おり,「スバック社会の基本哲学である トリ・ヒタ・カラナの意味合いも,徐々に崩壊しつつある」 と警鐘を鳴らす[

2

].ここに,既に現世代における「水に対 する感性」が揺らぎはじめていることが確認されよう. 寺院境内に湧き出ていた

Maya Danawa

Kara Wong

に由

来する泉は十数年前に枯れた.参拝者の中には,「水の恵み」 に対する不安を口にする者もいる.

Contok

氏や

Mangku

氏 は「(

Indra

由来の)泉が枯れることは考えていない」としな がらも,人々の行動次第では起きる可能性があると含みを持 たせ,それが起きないように祈りをささげること,また神々 の意志に反した行為をとらないことの重要性を説く.災いと 神々の怒りとを結びつける意識或いは認識は,彼らのみにみ られるものではなく,島民に広く受け入れられている[

25

].

Maya Danawa

Kara Wong

に由来する泉の枯渇は,人々

に「水の恵み」に対する不安を掻き立てるという意識面を含

めて,

Pura Tirtha Empul

の空間に新たな履歴として刻み込

まれた.すなわち,感性の更新が行われたのである.そのよ うな感性は,「現在(いま)」を生きる

Contok

氏の制作した

Kara Wong

像により後世に伝えられることとなろう. 謝 辞 本研究は,平成

22

年度(独)日本学術振興会異分野融合に よる方法的革新を目指した人文・社会科学研究推進事業「日本 の環境思想と地球環境問題−人文知からの未来への提言」 (代表:秋道智彌)の支援を受けました.ここに感謝の意を 表します.また儀式で多忙の中にも関らず情報を提供して頂 いた

I Wayan Contok

氏,

Dewa Aji Mangku

氏,

Ida Peranda

Gede Putra Tegeh

氏,

I Wayan Turun

氏,そしてバリ語の通

訳・翻訳をして頂いた

I Kadek Sudira

氏に深謝申し上げます.

[注1] New York Times, Aug 10, 1995. またNewsweek(Aug 24, 1998. vol.132, p.52)でも同様の警告を発している. [注2]筆者の担当講義にて,受講生に「水はどのような存在か」 と問うたところ,6割以上の学生から上記の意見が寄せ られた(2012年度及び2013年度,計4回). [注3] Jakarta Post( 掲 載 日:2012年7月3日 ).http://www. thebalidaily.com/2012-07-03/subak-inscribed-unesco-world-heritage-list.html[2014年3月確認].同記事によ れば,19,500haに及ぶ5つの棚田地域が「バリ州の文化 的景観:Tri Hita Karana哲学に基づくSubak灌漑システ ム」として登録されたという. [注4]島民(30代男性,Ubud)によれば,村民が用水路にゴミ を投棄することもあり,また慣習法が弱化・衰退した 地域では伝統的な水管理システムへの意識が失われよう としているという.またGany(2010, p.25)によれば, 「バリ州の灌漑農業の平均的な減少率は現在,毎年 1.01%,すなわち全州内の約870haが毎年消失している に等しい」とし,「既存の灌漑インフラの多くが手入れ もされず放置されて」いるという. [注5]湧水の水源は,Batur山に形成されたカルデラ湖(Batur湖) であると考えられている.しかし榧根(2002)によれば, 湧水に含まれる湖水の割合は7%に過ぎず,93%は雨水 が浸透したものだという. [注6]例えば,J.E.Millaisの「オフィーリア」は,水を以て生と死 の狭間或いはその瞬間を切り出し,その美しさの永遠性 を描き出している.日本文学に視点を移せば,例えば松 尾芭蕉によるいくつかの俳句は「水」というキーワードが 五感に訴えかける色彩をより豊かにしており,日本画や 水墨画においても滝や水面は主な題材の一つとなってい る.Corbin(2007, p.98)は,「雨は典型的に,はかないも のや不安定さを象徴しているだけに,芸術家たちは好んで 雨を描こうと努めてきた.とりわけ日本の画家たち(春信 や歌麿)は,雨に形がないという障害を克服し,風景に切 りつけるような雨や,若い女のさす傘で区切られる小宇 宙を出現させる雨を表現しようとした」という.文化的側 面をみれば,例えば「枯山水」は砂や石を用いて水面や 水流を表現し,猛暑であれ観る者に涼感を齎している. [注7]例えば,Freudは『フロイト著作集 第二巻』(人文書院, 1968)他を,Jungは『結合の神秘』(人文書院,1995)や 『変容の象徴』(筑摩書房,1985)他を参照されたい.

(10)

[注8] Contok氏は,Pura Tirtha Empulや他の主なる寺院及び

その装飾物等の修繕・制作を担うUndagiである.彼は,

バリ寺院建立の年代を,そこに施された装飾や彫刻物等

から一定程度推定することができるという.なおUndagi

は,11世紀にMpu Kuturanにより著されたHasta Kosala Kosaliによれば,インド・ヒンドゥ教の神(万物の創造神・ 工匠神)Visvakarmanの弟子とされる.Visvakarmanの子 Tvastarは,Indraの武器Vajraを創り出している. [注9] Kakawin Usana Bali(canto42-44),Usana Bali

Māyadānawāntaka, 及 び そ の 散 文 原 典 に つ い て, Hinzler(1986)に詳しい.

[注10] 5-aはUsana Bali Māyadānawāntakaに登場,5-bはKakawin 版(canto42-44)及び散文原典に登場する. [注11] Arjunawiwāhaについては,拙著[16]を参照のこと [注12]古ジャワ語の叙事詩Arjunawiwāhaであるが,そのオリ ジンはMahābhārataの第3巻「森の章」である. [注13]同施設の頂に自生する草をPemangkuが採取し,儀式の 際に聖水をかけるための道具が作られる. [注14]榧根(2002, pp.163-167)によれば,その流域に少なく とも7つの取水堰が設けられているという.また同書に 掲載される図(p.165)からは,その流域に多くの集落と 分水嶺が確認できる.

[注15]悪魔Maya Danawaは,インドの聖典Ṛgvedáに登場する 旱魃を引き起こす悪龍VṛtraやMahābhārata(及び,これを 原典とするArjunawiwāha)に登場する悪魔Niwātakawaca と同じく,Dānu(Dewi Danu)を母とする.DānuがVṛtra の母であることについてはRg.I.32.12に,Niwātakawaca

の母であることについてはMbh.III.45にそれぞれ語られ ている.Dānavaは,Dānuの子である悪魔を意味する. 参 考 文 献 [1] Pitana, I.G.,三浦恵子訳:見捨てられた財産:バリ島の灌 漑組織の現状, 講座水稲文化研究II バリ島の水稲文化と 儀礼, 早稲田大学水稲文化研究所,pp.94-99,2006. [2] Gany, H.A.,(財)日本水土総合研究所訳:インドネシア・ バリ島の水田灌漑管理と灌漑用水の多面的役割,ARDEC 43,日本水土総合研究所海外農業農村開発技術センター, pp.22-26,2010. [3]今村奈良臣ら:(全集世界の食糧世界の農村10)水資源の枯 渇と配分‐開発から管理へ,農山漁村文化協会,p.17, 1996. [4] Goris, R.: Prasasti Bali - Inscripties voor Anak Wungsu,

Volume I and II, MasaBaru, 1954.

[5] Soekarto Karto Atmodjo, M.M.: Some short notes on agricultural data from ancient Balinese inscriptions, Papers of the Fourth Indonesian-Dutch History Conference [24-29 July 1983], Gadjah Mada University, pp.25-62. 1986. [6] Geertz, C.,小泉潤二訳:ヌガラ‐19 世紀バリの劇場国家, みすず書房,1990. [7]榧根勇:水と女神の風土,古今書院,pp.109-175,2002. [8]海老澤哀編:講座 水稲文化研究II バリ島の水稲文化と 儀礼,早稲田大学水稲文化研究所,2006. [9]海老澤哀編:講座 水稲文化研究IV バリ島研究の新たな 展開,早稲田大学水稲文化研究所,2008.

[10] Lansing, J.S.: Perfect order; recognizing complexity in Bali, Princeton studies in complexity, 2006.

[11] Susanto, S. (ed.): A study of the Subak as an indigenous cultural, social and technological system to establish a culturally based integrated water resources management, Volume I, II and III, Gadjah Mada University, 1999.

[12]永野由紀子:インドネシア・バリ島の水利組織(スバック)に おける人間と自然の共生システム:タバナン県ジャティルイ 村の事例,専修人間科学論集社会学篇 2,pp.81-98,2012. [13]田熊友紀子:水イメージからみた心理療法,日本評論社, p.25,2008. [14] Bachelard, G.,及川馥訳:水と夢‐物質的想像力試論, 法政大学出版局,p.17,2007. [15] Corbin, A.,小倉孝誠訳:空と海,藤原書店,2007. [16]神頭成禎,岡田真美子:インドネシアにおけるBatara Indraに関する伝承と気候変動,兵庫県立大学環境人間学 部研究報告,12,兵庫県立大学,pp.13-23,2010. [17]神頭成禎,岡田真美子:雷雨へのまなざし‐インドネシア にみる気候とインドラ神との関係,感性哲学,10,東信堂, pp.107-125,2010.

[18] Hinzler, H.I.R.: The Balinese Babad, in Profiles of Malay Culture; Historiography, Religion and Politics, Ministry of Education and Culture, 1976.

[19] Hinzler, H.I.R.: The Usana Bali as a Source of History, Papers of the Fourth Indonesian-Dutch History Conference [24-29 July 1983], Gadjah Mada University, pp.124-162. 1986.

[20] Stutterheim, W.F.: Tjandi Baraboedoer -Naam, vorm en beteekenis, Weltevreden, G. Kolff & Co, pp.68-69, 1929.

[21]豊田和規:『ウサナ・バリ』と『ウサナ・ジャワ』‐バリ島の

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[22]桑子敏雄:西行の風景,日本放送出版協会,p.235,1999. [23]桑子敏雄:西行の風景,日本放送出版協会,p.103,1999. [24] Sutawan, N.: TRI HITA KARANA AND SUBAK - In

Search for Alternative Concept of Sustainable Irrigated Rice Culture, Paper for INWEPF (International Network for Water and Ecosystem in Paddy Fields) Symposium, 2004.

[25]松村光典:ここはインドネシア,日本放送出版協会, pp.78-79,1983. 神頭 成禎(正会員) 2008年 兵庫県立大学大学院環境人間学研究 科修了.現在佛教大学非常勤講師,及び非営 利活動法人ハーモニー福祉会理事長.博士(環 境人間学).アジア圏を中心に,環境保全に おける社会文化的要因の果たす役割について 解明する研究に従事.専門は環境宗教学,及び環境社会学.

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