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Vol.50 , No.1(2001)052金 相鉉「新羅中代初期の仏教政治の理念 -元暁と憬興を中心として-」

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Academic year: 2021

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(273) 印 度 學 佛 教 學 研 究 第50巻 第1号 平 成13年12月

新羅 中代初期 の仏教政 治 の理念

― 元 暁 と憬 興 を 中心 と し―て

1.新 羅 史 で は武 烈 王 代(654∼660)か ら恵 恭 王 代(702∼780)ま で を 中代 とい う.中 代 初 期 の7世 紀 後 半 は三 国統 一 の 前 後 期 で,も っ とも注 目 され る時 期 で あ る.本 発 表 で は この 時 期 の仏 教 政 治 理 念 を探 り,三 国統 一 に及 ぼ した仏 教 思 想 の 影 響 を検 討 した い と思 う. 新 羅 中 代 の王 室 は積 極 的 に仏 教 を信 仰 し,国 王 は皆 篤 実 な信 仰 者 た ち で あ っ た. 文 武 王 は仏 法 を恭 敬 し,遺 言 で 火 葬 を頼 み,死 ん で も仏 法 を 奉 じ,崇 尚 す る こ と を願 っ た.孝 昭 王 は望 徳 寺 の 落 成 法 会 に参 加 して 供 養 を施 し,聖 徳 王 は 王 位 に就 く前 に,五 台 山 で修 行 した こ とが あ り,殺 生 や 屠 殺 を禁 じ る よ う下 教 し,景 徳 王 は真 表 か ら菩 薩 戒 を 受 け た.宮 中 に は 内院 が あ り,国 王 は そ こ に高 僧 を招 請 した り,寺 院 の法 会 に 参 席 して 信 仰 霊験 に感 動 した り,仏 事 を行 っ た り した .新 羅 の 三 国統 一 に大 き く寄 与 した金 庚 信,金 良 図,金 天 尊 竹 旨郎 等 は仏 教 を信 奉 した. この よ う に新 羅 中代 の 王 室 と貴 族 た ち は積 極 的 に 仏 教 を信 仰 し,後 援 した.だ か ら,仏 教 は統 一 直 後 の 三 国 民 の融 合 に寄 与 した ば か りで な く,当 時 の政 治 に及 ぼ した 思想 的 な 影 響 も ま た少 な くな い. 2.新 羅 中 代 の王 室 で は高 僧 を 国 師 に 冊 封 し,他 の諸 高 僧 とも親 し く した.中 代 初 期 の 諸 高 僧 た ち の 中 で も,元 暁 と憬 興 の活 動 は もっ とも 目覚 ま しか っ た の で, 注 目 す る必 要 が あ る.元 暁 は80余 部 の著 書 を,そ して 憬 興 は47部 の 著 書 を残 し た 代 表 的 な 学 僧 だ け で は な く,彼 らが新 羅 王 室 に与 え た 影 響 も ま た 少 な くな い か らで あ る.元 暁 は武 烈 王 の 時 謡 石 公 主 と結 婚 す る こ と に よ り,王 室 とは特 別 な 因 縁 を結 ぶ こ とに な っ た.彼 は皇 竜 寺 で 『金 剛 三 昧経 論 』 を講 義 した こ とが あ る が,そ の 際 王 妃 の酷 い病 気 が 直 る こ とを祈 願 す るた め,王 と臣 下 と道 俗 た ち が 一 緒 に参 加 して 講 経 法 会 を 行 っ た.憬 興 は百済 出身 の高僧 で ある.文 武王 は憬興 を 国 師 に す る こ とを遺 言 に願 った.神 文 王 は彼 を 国老 と した.統 一 直後 の 新 羅 の 国老 とな っ た憬 興 は宮 中 を 出 入 り しな が ら,朝 廷 の様 々 な 諮 問 に応 じた.こ の よ うな 事 実 に留 意 す れ ば,仏 教 政 治 理 念 に対 す る新 羅 王 室 の理 解 とそ の活 用 も また 256

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(274) 新羅 中代 初期 の仏 教政 治 の理 念(金) 少 な くな か った も の と考 え られ る. 3.仏 教 の 政 治 理 念 に関 聯 した 内 容 は諸 経 論 に見 え るが ,特 に 『金光 明経 』『薩庶 尼 乾 子 経 』 『出愛 王 経 』(『瑜伽論』 に引用 され る)に は 国王 が守 るべ き道 理 に関 す る 内 容 を詳 細 に述 べ られ て い る. 『金 光 明経 』の正 論 品 に は 国王 の政 治 と教 化 につ い て叙 述 され て い る.新 羅 の学 僧 た ち は この経 を 重 視 し,元 暁,憬 興,勝 荘,道 倫 太 賢 た ち が この経 の 註 釈 書 を 残 し た.特 に この 経 に注 目 した 元 暁 は二 種 の,そ して憬 興 は五 種 の注 釈 書 を著 した が,今 は伝 わ っ て い な い. 元 暁 と憬 興 は王 の理 国事 を 論 ず る に あ た っ て,『 出 愛 王 経 』 に多 く依 拠 した とい う1).実 際 に元 暁 が彼 の 『金 光 明 経 疏 』 で 『出 愛 王 経 』 を 引 用 した こ とを確 認 で き る.『 金 光 明経 』 の正 論 品 に は 国 王 が 悪 に従 え ば,禍 を招 き,国 が 亡 び る こ とに な る とい う こ とを明 らか に し,国 王 が悪 を断 ち切 る こ とを勧 め る部 分 が あ る.元 暁 は この部 分 の註 釈 で 『出愛 王 経 』 を 次 の よ うに 引用 した . 暁云 如 仏為 愛王説経云 大王 当知 過失者 略有 十種 若王成就如是過失 雖有大府庫有大輔佐 有大軍衆 然不可 蹄仰 一種姓不高 二不得 自在 三 立性暴 悪 四猛利憤發 五思慧奢薄 六受邪佞言 七 所作不 志不修儀 則 、八不顧善法 九不知差別忘所作恩 十一向縦任專行放逸(荘 興及則 郎取此也)2) 憬 興 も 『出愛 王 経 』 の この 内 容 を取 り上 げて 国 王 の悪 を 警 戒 した とい う.こ の 経 に は あ らゆ る王 の過 失 と功 徳 につ い て詳 述 して い るが,元 暁 が 引用 した 内 容 は 王 の 十種 の 過 失 で あ る. 『薩 庶 尼 乾 子 経 』の 詣 厳 熾 王 品 及 び王 論 品 に も王 論 即 ち王 が 守 らな け れ ぼ な ら な い 道 理 につ い て 詳 細 に説 い て い た ので,新 羅 の 学 僧 た ち も注 目 した.元 暁 は こ の経 を彼 の 著 書 に何 ヵ所 も 引用 して い る し,憬 興 も 『金 光 明経 疏 』 に 『薩 庶 尼 乾 子 経 』 を 次 の よ うに 引用 した こ とが あ る. 興 云.薩 遮 尼乾子経 第四云.一 破塔壊寺 焚焼經象 盗三寳物.二 謗三 寳法言非聖 法障礙覆 藏.三 一切 出家人所.若 有戒若無戒.持 戒破戒.打 罵訶責.説 其過失.禁 閉牢獄.或 脱 袈 裟逼令 還俗.責 役騙使 責其獲調噺其命根.如 大集經説.一 破戒比丘過失 出万億佛 身血.四 殺父殺 母阿羅漢 出佛 身血 破和合曾.五 起 大邪見謗無 因果.長 夜常行十不 善業.此 之五種. 唯於大 乗名無間業3) 極 め て重 罪 を犯 した愕 人 を厳 し く治 め るべ き で あ る とい う こ とを 強 調 した 内容 で あ る. 皇 福 寺 塔 は孝 昭 王 と神 文 王 妃 が 神 文 王 の 冥 福 を祈 るた め,692年 に建 て た も の 255

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(275) 新羅 中代初 期 の仏教 政治 の理 念(金) で あ る.こ の 塔 に奉 安 さ れ た舎 利 含 記 に は聖 徳 王 に七 宝 と千 子 と長 寿 等 が具 足 さ れ る よ う祈 願 され た.こ れ は 聖 徳 王,転 輪 聖 王 の よ うな理 想 的 な 君 主 に な る こ と を希 望 した もの と して理 解 され る.七 宝 と千 子 の 具 足,そ して 長 寿 等 は転 輪 聖 王 が 備 え る威 徳 で あ るか らで あ る.『 薩 庶 尼 乾 子 経 』 に は,転 輪 聖 王 が 具 足 した 夫 人 宝,摩 尼 宝,輪 宝,象 宝,馬 宝,大 臣宝,主 蔵 宝 等 の七 宝 に つ い て 詳 し く説 明 さ れ て い る4).し か し,転 輪 聖 王 とは 異 な り,あ らゆ る小 王 た ち は王 論 法 に よ り道 を も って 国 を治 め る とい う. 『薩 庶 尼 乾 子 経 』 に も,王 は 民 の 父 母 とい い,「 大 王 当知 王 者 得 立 以 民 為 国 民 心 不 安 国 将 危   是 故 王 者 常 当憂 民 如 念 赤 子 不 離 於 心 」5)と い っ た.王 と は 民 を 国 とす る こ とに よ っ て位 を 得 る こ とが で き,民 心 が不 安 に な れ ば,国 は す ぐ に危 う くな る とい う この句 節 を 元 暁 も見 逃 さな か っ た は ず で あ ろ う.彼 は 『金 光 明 経 』 で は,王 は民 の父 母 で あ る とい う事 実 に留 意 した が,そ れ は 『哀 民如 子 教 善 示 報 如 教 一 子 故 名 父 母 』 で あ る と解 釈 した か らで あ る6). 『金 光 明 経 』 につ い て の元 暁 と憬 興 の 註釈 書 は現 存 して い な い が,他 の著 述 の 中 で 引用 され て い る断 片 的 な文 章 か ら,こ れ らは 『薩 庶 尼 乾 子 経 』 と 『出 愛 王 経 』 等 に よっ て,王 理 国事 を深 く理 解 して い た とい う事 実 を確 認 で き る.そ して,中 代 初 期 の新 羅 王 室 で も,こ の よ うな仏 教 の政 治 理 念 を理 解 して い た に違 い な い. 1)《 大 正 蔵 》 巻56,687頁 下. 2)《 大 正 蔵 》 巻56,689頁 上 中. 3)《 大 正 蔵 》 巻56,599頁 中. 4)《 大 正 蔵 》 巻9,330頁 上. 5)《 大 正 蔵 》 巻9,330頁 上. 6)《 大 正 蔵 》 巻56,688頁 下. 〈キ ー ワー ド〉 元 暁,憬 興,仏 教 の 政 治 理 念 (東国大学校教授) 254

参照

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