中国辺境諸民族の文化と居住地 : エーバーハルト 説の紹介と評価 : そのI. 概観
著者 大林 太良
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 20
号 2
ページ 313‑356
発行年 1995‑11‑10
URL http://doi.org/10.15021/00004187
中 国 辺 境 諸 民 族 の 文 化 と居 住 地 工一バーハル ト説の紹介 と評価
その1.概 観
大 林 太 良
Ethnic Groups in Border Regions of China in Historical Times:
An Appraisal of "Kultur und Siedlung der Randvolker Chinas"
by Wolfram Eberhard.
Part I: General Considerations
Taryo OBAYASH1
Wolfram Eberhard (1909-1989), the German born sinologist and ethnologist, published his two major contributions to the ethnology and cultural history of China in 1942: Kultur und Siedlung der Randvolker Chinas (Culture and Settlement of Peoples in the Border Regions of China) and Lokalkulturen im alten China (Local Cultures in Ancient China) . These two works are companion volumes; Kultur und Siedlung classifies and describes non-Han Chinese peoples on the outskirts of China Proper in historical times, while Lokalkulturen formulates local cultures which are supposed to have contributed to the formation of Chinese civilization, using data from the cultural history and folklore of the Han-Chinese. Both aim at the reconstruction of ethnic components of Chinese civilization and contain stimulating insights and suggestions.
Kultur und Siedlung classifies about 800 non-Chinese peoples into 5 major categories: (1) Peoples in northern border regions, (2) peoples in western border regions, (3) peoples in southern border regions, (4) legendary peoples, and (5) peoples recorded only for ages before the Han dynasty. Categories 1 to 3 are subdivided further into some local groups of peoples respectively. Each local group represents a culture
*東 京女子大学,国 立民族学博物館共同研究員
Key Words : China, border regions, ethnic groups, history, Eberhard キ ー ワ ー ド:中 国,辺 境,民 族,歴 史,エ ー バ ー ハ ル ト
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complex and belongs to a linguistic family.
In the present paper I have tried to evaluate Eberhard's results from three view points: ecological background, linguistic affiliation and prehistoric foundation. Eberhard's groupings fit quite well with the physiographic areas proposed by G.B. Cressey. This implies that each group probably developed in a specific ecological area, although Eberhard paid only scanty attention to the ecological conditions of his groups. The study of dialects of the Chinese language by M. Hashimoto indicates that most of the southern dialects developed on non-Chinese substrata. This lends support to the cardinal idea of Eberhard that Chinese civilization contains a series of non-Han components. Yet in some points his theory is weakly founded; he supposed, for example, that both the Yao and the ancient Yiieh were Austronesian speakers, and the Liao Austroasiatic speakers. These are very dubious attributions in the light of recent studies by P. Benedict and E.G. Pulleyblank. Con- temporary archaeological investigations by Chinese scholars, among others Su Bing Qi, have revealed the existence of some local cultures in the neolithic age which eventually contributed to the formation of Chinese civilization. Eberhard's pioneer attempt to classify non-Han peoples and to establish local ethnic cultures anticipated in a sense the re- cent movement by Chinese archaeologists. Eberhard was right in the main in his classification of peoples and cultures. Yet his theory has a shortcoming in that he failed to recognize the cultural and linguistic local unit which made up the core of the Chinese and their civilization, located in the Middle Yellow River area.
1.は じめ に
2.エ ーパ ー ハ ル トの 『中 国 辺 境 諸 民 族 の 文 化 と居 住 地 』 の 内 容
3.『 辺 境 諸 民 族 』 と 『地 方 諸 文 化』 との対 応
a.辺 境 諸 民 族 の 生態 学 的 基 盤 a.地 勢 区 分
b.作 物 領 域
5.民 族 群 と語 族 橋 本,ベ ネ デ ィ ク ト, プ ー リ ー ブ ラ ン ク
a.マ ス ペ ロ,プ ル ー シ ェ クの 立 場 b.橋 本 万 太 郎
c.ポ ー ル ・ベ ネ デ ィ ク ト d. プ ー リー ブランク 6.先 史 時 代 に お け る民 族 分 布 7.結 語
1.は じ め に
中 国 文 明 の 形 成 に は,さ ま ざ ま な 系 統 の 文 化 複 合 が か か わ っ て い た と い う構 想 の 先 駆 者 の 一 人 は,別 稿 で 論 じた よ うに ウ ィ ー ソの コ ッパ ー ス だ っ た 【大 林 19651。 し か し,コ ッパ ー ス は 中 国 研 究 の 専 門 家 で な か っ た し,ま た そ の 説 も ヴ ィ ル ヘ ル ム ・シ ュ ミ ッ トの 文 化 圏 説 の 応 用 と い う色 彩 が 濃 か っ た の で,い ろ い ろ の 創 見 や 問 題 点 の 指 摘 とい う功 績 は あ っ た も の の,全 体 と し て み て,そ の 寄 与 は 限 ら れ た も の で あ り,ま た 後 の 研 究 者 へ の 影 響 は 事 実 上 な か っ た と言 っ て も よ い 。
こ れ に 対 し て,本 格 的 な 中 国 研 究 者 で あ り,中 国 語 資 料 を 駆 使 し,資 料 の な か か ら さ ま ざ ま な 文 化 複 合 を 仮 説 的 に 検 出 し よ う と努 力 し,大 き な 成 果 を あ げ た の は,ベ ル リ ソの ヴ ォ ル フ ラ ム ・エ ー バ ー ハ ル ト(1909‑1989)だ っ た1)0エ ー バ ー ハ ル トは 本 格 的 な 中 国 研 究 者 と して の 訓 練 を 受 け る と と も に,ベ ル リ ン の ト ゥル ソ ヴ ァル トの 弟 子 と して 民 族 学,社 会 学 を 学 び,ま た 一 時 は ベ ル リ ンの 民 族 学 博 物 館 に 関 係 し て い た こ とが あ っ た 。 第 二 次 大 戦 前 に 中 国 内 部 で 調 査 し,ま た 大 学 で 教 え て い た が,ト ル コ の ア ソ カ ラ大 学 に うつ り,戦 後 は ア メ リ カ に 行 き,カ リ フ ォ ル ニ ア 大 学 教 授 と な った 。 エ ー バ ー ハ ル トの 人 と 学 問 に つ い て は 語 る べ き こ と T論 ず る べ き こ と は 多 い が
【AF.Lax and Comex 1979:xix‑xxiv,225‑266;COHEN 1990;大 林 1992,1995】,こ こ で は 彼 の 中 国 文 化 形 成 論 と そ れ に 関 連 した 中 国 地 方 文 化 論 に 話 を 限 る こ と に し よ う。
エ ー ・ミー ハ ル トは1930年 代 後 半 か ら1940年 代 前 半 に か け て,中 国 の 伝 統 的 文 化 や 民 俗,周 囲 民 族 に つ い て の 彪 大 な 資 料 を 独 力 で 集 成 整 理 し体 系 化 す る三 つ の 大 き な 仕 事 を 行 った 。 第 一 は1937年 に 刊 行 され た 『中 国 民 諌 の 諸 形 式 』[$BERNARD 1937a]で あ っ て,中 国 の 神 話,伝 説,昔 話 の 資 料 を,中 国 資 料 に 則 した 独 自 の 分 類 法 で 整 理 し た も の で あ り,今 日 も価 値 を 失 わ な い 名 著 で あ る 。 こ の 本 に お い て も,個hの 形 式 の 分 布 状 態 に 注 意 が 注 が れ て い る 。 そ し て1942年 に は 二 つ の 大 き な 試 み が 公 刊 さ れ た 。 一 つ は こ の 『中 国 辺 境 諸 民 族 の 文 化 と居 住 地 』 で あ っ て,中 国 周 辺 の800種 に 上 る 古 今 の 民 族 を 分 類 記 述 し,体 系 化 した も の で あ り[EBERHARD 1942a],も う一 つ は 『古 代 中 国 の 諸 地 方 文 化 』 で,こ ち ら は 主 に 漢 民 族 の 民 俗 の 分 析 を 通 じて,中 国 文 明 形 成 に 参 与 した い く つ か の 地 方 文 化 を 取 り出 す 試 み で あ っ た 。 原 稿 は す で に1940年 に 完 成 し て い た がIEBERHARD 1942a:499】,戦 時 中 と い う 時 代 的 状 況 の た め,1942年 に な っ 1)彼 の 姓 の 発音 は,ち ょっ と した ドイ ツ語 の辞 書 に も 出 てい る よ うに,e:bar‑hartで あ る。
語 頭 の エ に ア クセ ン トが あ り,伸 ば さな くて は な ら な い。
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国立民族学博物館研究報告 20巻2号 て 第1巻 つ ま り北 と西 の地 方 文 化 の 巻 は ライ デ ソで,南 と東 の地 方 文 化 を と りあつ か
った 第2巻 は北 京 で刊 行 され た[EBERHARD l942b,1942c]。 『中 国民 諌 の 諸 形 式 』 が 刊 行 され た時 は エ ーバ ーハ ル トは まだ28才 で あ り,r中 国辺 境 諸 民 族 の文 化 と居 住 地』
とr古 代 中 国 の諸 地 方 文 化』 が刊 行 され た の は33才 の時 で あ った。 ま さ に早 熟 の天 才 で あ った 。 それ と ともに,ド イ ツ国 籍 を もち な が らナ チ スか ら逃 れ,放 湶 を 重 ね 縄 涙 りの よ うな危 い生 活 を 送 るな か で,明 日は ど うな るか 知 れ ぬ 状 況 の も とで,早 く成 果 を ま とめ,公 表 して お きた か った彼 の気 持 が 私 に は察 せ られ るの で あ る。 これ らの著 作 には 拙 速 の仕 事 の結 果 とみ られ る欠 点 も散 見す る が,そ れ は この よ うな状 況 を 背景
に も って い る こ とを理 解 して評 価 され るべ きで あ ろ う。
エ ーバ ーハ ル トの 中国 文 化形 成 論 の大 きい 特徴 は,彼 の中 国 に お け る実 地 調 査 の経 験 が 背 景Y'あ る 【EBERHARD 1937b】。 そ の こ とを 別 と して,彼 の 研 究 は まず 中 国 内 部 や 周 囲 の諸 民族Y'つ いて の彪 大 な資 料 を 整 理 し,い くつ か の 民 族群 を検 出 した こ と で あ る 。 こ の 作 業 が,こ れ か ら 紹 介 す るr中 国 辺 境 諸 民 族 の 文 化 と居 住 地 』
【EBERHARD 1942a】で あ って,こ の よ うな作 業 が あ ったか ら こそ,彼 のr古 代 中 国 の 諸 地 方 文 化 』 【EBERHARD 1942b,1942c】 に お い て は,漢 民 族 の 民俗 や伝 承 を 分 析 し た結 果 をた とえ ば 《タイ文 化 》 とか 《ヤ オ文 化 》 とい うよ うな民 族 名 の つ い た 文 化 複 合 と して ま とめ る こ とが で きた の で あ った 。 エ ーバ ーハ ル トの再 構 成 の 具 体 的 な 結 果 に つ い て は,い ろ い ろ 問題 は あ るに して も,彼 が この よ うに諸 民 族 に つ い て の 資 料 の 整 理 と,系 統 的 分 類 とい う作 業 を 行 って いた こ とは,た とえば ほ ぼ 同 時 代 の 岡 正 雄 の 日本 民 族 文 化 形 成 論 【岡 1994】 に は 見 られ な い,重 要 な長 所 だ った の で あ る1大 林 1977]o
それ は ともか くと して,辺 境 文 化 の研 究 を うけ て 行 われ た地 方 文 化 の 分 析 は,時 間 的 に も空 間的 に も一 歩 を進 め る こ とに な った。 一 つ の 地方 文 化 は対 応 す る辺 境 文 化 よ りも広 い分 布 を も ち,ま た時 間 的 深 度 に お い て,し ば しば一 千 年 あ るい は そ れ 以 上 も 深 く遡 る こ とが 可 能 とな った 。 地 方文 化 同士 が接 触 した場 合,地 方 文 化 全 体 が そ れ に 参 与 した の で は な く,む しろ 《境 界 過 程 》Grenzprozessと して 行 わ れ,摩 擦 し合 っ て い る双 方 の部 分 が 一 つ に融 合 し,新 しい単 位 が生 じる よ うに な った 。 そ の 場 合,地 方文 化 は地 方 文 化 で あ る こ とを 止 め,辺 境 文 化,つ ま り新 た に生 じた 中 核 の 辺 境 部 に あ る文 化 に変 化 して 行 った ので あ る[EBERHAR])1942b:9‑11】 。
エ ーパ ーハ ル トの 『中 国辺 境 諸 民 族 の文 化 と居 住 地 』 で論 ぜ られ た 辺 境 諸 民 族 とそ の 文 化 とは,そ の よ うな 性格 の もの な の で あ る。 中国 高文 化 の形 成 に 参 与 した 諸 地方 文 化 の うち,中 国 高 文 化 の 内部 に は と り込 ま れ な いで,変 化 しつ つ も周 辺 に 残 った 部
分,そ れ が 辺 境 民族 で あ り,辺 境 諸 民 族 文 化 だ った の であ る。
2.エ ーバ ーハ ル トの 『中 国辺 境 諸民 族 の文 化 と居 住 地 』 の 内 容
エ ーバ ーハ ル トのr中 国 辺 境 諸 民 族 の 文 化 と居住 地』IEBERHARD 1942a】 は, r通 報 』36巻 別 冊 と して1942年 に オ ラ ン ダの ライ デ ソで刊 行 され た,506ペ ー ジの 大 冊 で あ る。 同 書 に お い て エ ーバ ーハ ル トは ほ ぼ800種 に 上 る古 今 の 中 国 周 辺 の 諸 民 族 を, 地 域 的 ・文 化 類 型 的 に分 類 し}中 国文 献,こ とに 史 書 に現 わ れ た そ の 民族 誌 的 な特 徴 を要 約 し記 述 した 。 た だ彼 の主 な 関 心 は 中国 文 明 発 生 を基 層 的 な諸 地方 文 化 か ら解 明 し よ う とい う点 に あ るの で,こ れ に 関係 しない 西 北 部 の テ ユル ク系 諸 族(ウ イ グル, キ ル ギ ス な ど)は 取 り扱 われ てい な い。 また 取 り上 げ る年 代 も地 域 や 群 に よ って さ ま
ざ ま で あ っ て た と え ば 北 方 諸 民 族 の 資 料 は ほ ぼ 唐 代 ま で の も の で あ る が
【EBERHARI)1942a:67】,南 方 諸 民族 の場 合 は近 代 の資 料 も用 い て い る。 そ れ は,こ の 地 域 で は 比較 的 後 に な って諸 民 族 が 知 られ る よ うに な った た め で あ り,ま た 古 い 時代 の記 述 が 断片 的 で近 代 の 記録 と合 せ て は じめ て理 解 で き る よ うに な る場 合 が あ るか ら だ[EBERHARD 1942a:371j。 そ して エ ーバ ーハ ル トは あ らた め て 明記 して いな いが,
これ ら比 較 的新 しい資 料 も併 せ用 い な い と,彼 が 中 国文 明形 成 に参 与 した と考 え る《タ イ文 化 》 や 《ヤ オ文 化 》 とい った地 方 文 化 な い し文 化 複 合 が う ま く再 構 成 で きな か っ た か らで もあ ろ う。
エ ーバ ーハ ル トは これ ら辺 境諸 民 族 を 大 き く 1北 方 辺 境 諸 民 族
2 西 方辺 境 諸 民 族 3 南方 辺 境 諸 民 族
ファ ペル
4伝 説 諸 民 族 5古 代諸 民 族
の5大 群 に分 ち,1か ら3ま で は,そ れ ぞ れ6,5,11の 小 群 に 分 け て論 じて い る。 こ の よ うな小 群 は さ らに さま ざ まな 歴 史上 の諸 民 族 な い し諸 種 族 に 分 れ て い る。 た とえ ぽ2の 西方 辺 境 諸 民 族 の第1小 群 は 莞諸 族 であ って,阿 鈎,沈 種 な ど62民 族 な い し種 族 を 含 ん で い る。 これ らを莞 諸 族 とい う小群 に ま とめ た のは,主 と して そ れ らが 中 国 人 に よ って 禿 だ と認 め られ て い るか らで あ る 【EBERHARD 1942a:83】。 この よ うに 中 国 人 自身 が どの よ うに諸民 族 を分 類 して い たか を手 が か りにす る とい うの は,本 書 を
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通 じて 見 られ る原 則 で あ って,あ とで述 べ る よ うに,エ ーバ ーハ ル トは この方 法 は有 効 であ った と評 価 してい る。 この原 則 の 少 数 の例 外 の一 つ は南 方 辺 境 諸民 族 の な か の チ ワ ン諸 族 とい う小 群 で あ って,こ れ は 中 国人 自身 が そ う分 類 して い る とい うの で は な く,言 語 学 的 に 見 て タ イ 語 族 に 属 す る 諸 族 を ま と め た も の な の で あ る [EBERxAxn 1942a:192]0 ̲ 彼 は 各 小群 に お い ては,そ こに属 す る各 民 族 を,居 住 地 域(略 号V),文 化(K), 主 要 資 料 以 外 の 資 料(ヨ ー ロ ッパ語 文 献 を含 む)の 指 示(W),註 記(B),そ の 民 族 が資 料 上 最初 に 現 わ れ た 時 代(主 と して王 朝 名)(Z)の 順 で記 し,V, K, Bに
つ い ては そ れ ぞれ 出典 を 記 して い る。 した が って大 変 よ く整 理 され て い て 見や す い形 式 を と って い る。
そ してそ の 小群 の諸 民 族 の記 述 が終 る と,そ の小 群 に つ い て の考 察 が 行 われ,そ の あ と次 の 小 群 に移 る。 こ うして一 つ の大 群 の な か のす べ て の小 群 を 論 じ終 る と,そ の 大群 につ い て の一 般 的 要 約 が行 われ る。 巻 末 に は本 書 の 成果 と結 論 が ま とめ られ,最 後 に民 族 別,氏 族 名(姓)別,地 名別,事 項別 の索 引が つ き,さ らに 文 献 目録 が つ い
て い る。
それ では これ か ら具 体 的 な 成 果 の紹 介 に 移 る こ とに しよ う。
A 北 方 の辺 境 諸 民 族
この 大 群 は,(a)朝 鮮 諸 民 族,(b)粛 慎 諸 民 族,(c)東 胡 諸 民 族,(d)室 章 諸 民族,(e)句 奴 諸 民 族,(f)そ の他 の北 方 諸 民 族 に分 れ る。
この大 群 の合 計70民 族 が つ くる上記 の5小 群 は,そ れ ぞ れ 漢代 に は まだ きち ん と構 成 され て いた 群 で あ った。 例 外 はf小 群 の うち の3民 族 で,こ れ らは 中 国 か らあ ま り に 遠 くに住 ん でい た の で あ る。
5小 群 の うちの 三 つ,つ ま り旬 奴,室 章,東 胡 は遊 牧 民 で あ り,粛 慎 小 群 は,少 し は 農耕 を行 っ ては い る が,主 と して狩 猟 民=豚 飼 育民 で あ る。 朝 鮮 諸 民 族 群 は農 耕 民 的 傾 向 が強 い。
エ ーバ ー ハ ル トに よ る と,何 奴 諸 民族 は馬 牧 畜 民文 化 を特 徴 とす るテsル ク系 民族 で あ り,室 章 諸 民 族 は 牛e馬 飼 育 民文 化 を もつ 古 モ ン ゴル系 民 族 で あ り,東 胡 諸民 族 は 完 全 に単 一 的 で は な い 牛飼 育 民 文 化 の古 モ ン ゴル 系 民族 だ った。 粛 慎 諸 民 族 は ツ ン グ ース系 だ っ たに 相 違 な い。 朝 鮮 諸 民 族 は単 一 的 で な く,ツ ング ース(粛 慎)系 要 素 や テ ユル ク系 要 素 に並 ん で,中 国高文 化 要 素 と華 南 諸文 化(こ とに越 文 化)の 要 素 も 含 ん で い る。
これ ら北 方 の5文 化 は,原 基文 化Grundkulturで は な く,す で に部 分 的 に他 文 化 と 混合 した もの で あ る。 た とえ ぽ,室 章 文 化 と東胡 文 化 は,と もに よ り古 い狩猟 民文 化 か ら発 生 した 馬飼 育 民 文 化(原 テ ユル ク文 化)と よ り古 い豚 飼 育狩 猟 民 文 化(原 ツ ソ
グ ース文 化)の 接 触 の結 果 生 じた もの な ので あ る。 奇 妙 な こ とに これ ら北 方 諸文 化 中 に は古 ア ジ ア(語 族)的 要 素 の 痕 跡 が見 られ ない が,粛 慎 諸 民 族 の な か に は古 ア ジア 的 な文 化 を も った 民族 が潜 ん で い るの か も知 れ な い 。朝 鮮 文 化 の 固 有 の構 成 要 素 は古
ア ジア 的 な もの か も知 れ な い 【EBERHARD 1942a: ・:,41b]。
この エ ーバ ー ハ ル トの分 類 は,近 年 の 中 国 の学 者 のそ れ とは ほぼ 一 致 す る。 た とえ ば 田継 周 は漢 代 の東 北 諸族 を次 の三 つ の 民族 集 団 に分 類 した。
第1の 民 族 集 団 は夫 余,朝 鮮,高 句 麗,沃 沮,稜 あ るい は種 潴 を 包 括 し,こ の集 団 は漢 代 の文 中 に は往 々 に して酪 あ る いは 額 と して総 称 され て い る。
第2の 集 団 は,烏 桓(ま た 烏 丸 と も書 く)と 鮮卑 で あ って,か つ て は ま とめ て東 胡 と呼ぼ れ た 。春 秋 時代 には 山 戎 に属 してい た 。
第3の 集 団 は 措 婁 な どであ る1田 1990:147‑148】。
つ ま り,田 の第1集 団 は エ ー・ミーハ ル トの(a)朝 鮮 諸 民族,第2集 団 は(c)東 胡 諸 民 族,第3集 団 は(b)粛 慎 諸 民 族 に 相 当 す る の で あ る。 この よ うな一 致 は, エ ーバ ー ハ ル トの分 類 が,も っ ともな もの で あ る こ とを 示 して い る。
B 西 方 の 辺境 諸 民族
この 大群 は,(g)莞 諸 族,(h)西 チ ベ ッ ト族,(i)烏 蛮諸 民 族,(j)番 諸 民 族, (k)そ の 他 の西 南 諸 民 族 の5小 群 に 分 れ る が,莞 諸 族 と西 チ ベ ッ ト族 は 一 つ に ま とめ る こ と もで き る。
この大 群 に ま とめ られ て い るの は西 方 と西 南 方 の合 計345民 族 で あ る。 この地 域 の 住 民 の うち 白蛮 諸 族 とい う大 きな 群 は,こ の大 群 か ら外 して,次 の 南 方辺 境 諸 民 族 で 取 り扱 わ れ る。
こ こで利 用 され た 資 料 の年 代 は,中 国文 献 の開 始 期 か ら,ほ とん ど近 代 に な る まで (1800年)に わ た って い る。J諸 族 は 北 方 に住 み,今 日の いわ ゆ る タ ング ー ト諸 族 が こ こに 入 る。 この莞 諸 族 の な か に は,タ ソ グ ー ト系 以外 の もの も少 しあ り,そ れ ら は 大体 南 や 西 に住 ん で い て,今 日の チベ ッ ト人(西 チ ベ ッ ト族)も こ こに入 る。タ ン グー ト族 とチベ ッ ト人 は外 来 の 影 響 を別 にす る と,文 化 的 に は 同様 で あ って,羊 牧 畜民 文 化 で あ る。
第2の 群 は 番 諸 民族 であ って,文 化 的 には 第1の 群 に近 い。 他 方 で は この群 は 南方
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諸 文 化 と も関係 を も って い る。 彼 らは 重層 され て 出来 た群 な の で あ る6こ の こ とは, こ の第2群 が第1群 の東 に位 置 し,南 方諸 文 化 が大 な り小 な り支 配 的 な地 域 の なか に も及 ん で い る こと と,う ま く合 って い る。 と りわ け の この文 化 の土 地,そ れ にそ の 他 の諸 族(第4群)の 土 地 に発 生 した のが,四 川 東 部 の 巴文 化 で あ る。
第3の 群 は 鳥蛮 諸 民 族 で あ ・2て,第1群 の南 に位 置 して い る。 そ の文 化 は また もや 莞 と多 くの 共通 性 を も って い る が,そ れ とは異 質 の要 素 を 含 む。 身体 形 質 の上 では 皮 膚 の色 が 黒 い こ とが 挙 げ られ,こ の点 か ら見 る と烏 蛮 群 は オ ース トロア ジ ア系 住 民 の 上 に重 層 した こ とが考 え られ る。 そ うす る と烏 蛮 の文 化 が 莞 文 化 か ら相 違 す る こ とも 説 明が つ く。
全 体 と して は この群 は チベ ヅ ト=ビ ル マ語族 の ロ ロ(舞)諸 族 で あ る。
第4群 は,中 国人 は別V'一一括 しな か った が,ヨmッ パ 人 の 民 族学 的研 究 の結 果 か ら見 て オ ー ス トロア ジ ア系 か と思 わ れ る若 干 の 種族 を含 んで い る。 これ ら諸 族 は一 方 で は烏 蛮,他 方 で は あ る意 味 で は 白蛮 に影 響 を 与 え,ま た 白蛮 か ら影 響 を受 け た ら し い 【EBERxaitn 1942a:173‑175]。
この西 方 大 群 の 諸 民族 は,気 候 的,地 理 的 条 件 に よっ て い くつ か の 小群 に分 れ て は い るが,互 いに 密 接 な 親縁 関 係 が あ る。 彼 らは 元 来 チ ベ ッ ト語 を 話 して い た が,そ れ が 多 くの親 縁 諸語 に 分 れ た の で あ ろ う[EBERHARI)1942a:416)。 こ の西 方 辺 境 諸 民 族 の うち,極 め て 問 題 な のは 第2群 の番 諸 民 族 で あ る。 それ は東 謝 蛮 や 《西南 七 蕃 》 な どで あ るが,は た して エ ーバ ー ハ ル トの考 え る よ うに,西 方 辺 境 諸 民 族 の枠 内 で取
り扱 うべ きか,そ れ と も,近 年 の 中 国 学 者 の 研 究1た とえ ぽ 尤 1985:216‑220]の よ うに,ブ イ族 な どの 前 身 と して,南 方辺 境 諸 民 族 の 一群 と して取 り扱 うべ きか,と い う問 題 が あ る。 しか し,こ こで は この よ うな個 別 的 問題 に は立 入 らな い 。
C 南 方 の 辺 境 諸 民 族
こ の 大 群 は,(1)チ ワ ソ諸 民 族,(m)ヤ オ 諸 民 族,(n)リ(黎)諸 民 族,(o) ケ ラ オ(4乞 倦)諸 民 族,(P)リ ャ オ諸 民 族2),(q)苗 諸 民 族,(r)巴 諸 民 族,(s) 白 蛮 諸 民 族,(t)蛋 諸 民 族,(u)越 諸 民 族,(v)そ の 他 の 諸 民 族 の11小 群 に 分 れ
る。
こ の 大 群 で は290民 族 が 取 り扱 わ れ て い る。11小 群 に 分 け ら れ て い る が,大 別 す れ
2)僚(僚)はlaoと 発 音 す べ き で あ る が1『 中 国 少 数 民 族 』 編 写 組 1981:490】,エ ー ・ミー ハ ル トがLiaoと 表 記 し て い る こ と と,ラ オ ス のLao族 と の 混 同 を 避 け る た め,こ こ で は リ ャ オ と表 記 す る 。
ぽ2群 に ま とま る。
つ ま り,第1の 群 は タ イ系 民 族 で あ るチ ワ ン諸 民族 を含 む 河 谷 居 住 の 水稲 耕 作 民 で あ る。 ゆ るや か な 父権 的組 織 を もつ が 多 くの母 権 的 混 入要 素 を含 み,元 来 の 中心 は広 西 だ った ら しい。 この文 化 は他 文 化 との 接触 を通 じて一 方 で は雲 南 で 白蛮 諸 民 族 と し て現 わ れ,東 で は ヤオ 諸 民族 と一 緒 にな って越 諸 民 族 を つ く り上 げ た 。
第2の 群 は ヤ オ 諸 民 族 と蛋 民 で あ って,ど ち ら も オ ー ス トロネ シ ア語 系 だ とエ ー バ ーハ ル トは考 えた 。 山 で 焼 畑耕 作 を営 み 犬 祖 神話 を もっ てい るが,一 部 は 水 上 で 特 殊 化 して船 上 生 活者 に な った 。古 代 の越 諸民 族 は オ ー ス トロネ シア系 の最 高 峯 だ った。
そ の ほか 南 方 辺境 諸 民 族 の な か に は リャオ諸 民 族 が代 表 す る ナ ース トロア ジ ア語 族 もあ る し,ま た 他方 で は チ ベ ッ ト文 化 の影 響 は 巴,ケ ラオ,ミ ャオ,リ ャオ の諸 民 族 に 及 ん で い た[EBExxaxD 1942a:371‑372】 。
これ まで は,漢 代 以 降 の歴 史 的 諸 民 族 を取 り扱 っ て きた 。一 般 的 に言 って 存在 も確 か で あ り,資 料 もか な りあ る。 そ して こ こ まで は分 類 の基 準 は 北,西,南 とい うよ う
に地 理 的 で あ る。 とこ ろが この次 は 別 の基 準 で 民族 群 が ま とめ られ る。 つ ま り,エ ー パ ー ハル トは そ れ 以外 の諸 民 族 を,伝 説 上 の 諸 民 族 と古 代 諸 民 族 つ ま り漢 代 以 前 の諸
民族 の二 つ に 分 け た の で あ る。
D 古 代 諸 民 族
伝説 上 の諸 民 族 は,こ こで は立 入 らな い こ とに し よ う。 な か に は現 実 の もの の 伝説 化 した もの もあ ろ うが,辺 境 諸 民 族 と して取 り扱 うには,あ ま りに不 確 実 だ か らで あ る。
これ に 反 して,漢 代 以 前 に 現 わ れ,そ れ 以 降 に は漢 代 以 前 の 名 で は現 わ れ な くな る 古代 諸 民 族 は,辺 境 諸 民 族 の研 究 に と って 重 要 で あ る。 この場 合 も,エ ーバ ー ハ ル ト は 中 国人 自身 がい くつ か の民 族 を 一 群 に して ま とめ て分 類 して い た こ と と,そ の呼 称 が 研 究 の手 がか りに な る とい う立 場 を とる 【EBERHARD 1942a:378‑379】。
しか し,こ れ ら古 代 諸 民族 の文 化 内容 に つ い て は,ほ とん ど資 料 が ない 。 少 な くと もエ ーバ ーハ ル トは あ ま り記 して い ない 。 した が っ て彼 が そ れ ら諸 族 の所 属 に つ い て 下 した 結 論 は,そ の居 住 地 域,中 国人 の行 った 同定,そ れ に 僅 少 な文 化 的 手 が か りに
も とつ く推 測 で あ る。
エ ーバ ー ハル トが大 きな保 留 を 付 しつつ も提 出 した考え に よ る と, (a)戎 諸 民 族 は後 世 の莞 と 同定 で きる。
(b)秋 は 後世 の東 胡 と同定 で き る。
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国立民族 学博物館研究報告 20巻2号
(c)撮 抗 は 勾 奴 と同定 で き る。
(d)夷 は後 の越 諸 族 と同定 で き る。
こ の うち 夷 が 中 国高 文 化 に もっ とも早 く融 合 した 。 この過 程 は 全 体 と して は前 一 千 年 紀 の半 ば に は完 了 して い た。 そ の他 の民族 の とこ ろで は,融 合 過 程 は,部 分 的 には
もっ と長 くか か った 。
さ ら に二,三 の個 々 の古 代 民族(た とえ ぽ荊,九 黎 な ど)1は,後 世 の文 化群,こ と に南 方 諸 民 族 と結 びつ く点 を もつ もの も あ る。
最後 に,前 一 千 年 紀 の半 ば に は,(初 期 ツ ソ グ ース 的 な)粛 慎 が 山東 省 中央 部 に ま で 入 りこん で住 ん で い た可 能 性 が あ る。 しか し数 パ ー セ ソ トの蓋 然 性 以 上 に は,ど こ で も達 して いな い[EBExxAxD 1942a:386‑387,389‑390]。
エ ーバ ーハ ル トが(b)秋,(c)猿 抗 に つ い て考 え た こ とは,近 年 の 中 国 の学 者 の 分類 に近 い。 つ ま り,田 継 周 は 周代 の北 秋 は ほぼ2系 列 に 分 け る ことが で き る とい う。一 つ の系 統 は獄 貌,犬 戎,秋,こ れ を細 分す る と赤 秋,白 秋,長 独,戦 国 時代 に は 胡 お よび何 奴 と呼 ん だ もので あ る。 も う一 つ の系 列 は粛 慎,豹,潴,山 戎 で 戦 国時 代 に は東 胡 と呼 ん だ もの で あ る。 最初 の群 の分布 は西 に偏 り,後 者 は東 に偏 って い た
【田 1990:76】。
エ ーバ ー ハ ル トは 古 代諸 民 族 の な か で,夷 系 統 と して ま とめ られ る民 族 を12民 族挙 げ て い る。
エ ーバ ー一ハ ル トに よれ ば夷 の文 化 の 資 料 と して は 徐催 王 の神 話 以 外 は ほ とん ど何 も ない 。 この 神話 で の卵 や,犬 の役 割 は ヤオ群 と類 似 す る。
夷 諸 民 族 の分 布 は 南 山 東,北 江 蘇,北 安徽 であ るが,山 東 東 端 に も莱夷 が い た。 山 東 の邪 婁(後 に邪 に縮 め られ た)や そ の 他 の二 重 名 を もつ(大 部 分 は 両字 と も同 じか 類 似 した 語 尾 の音 を もつ)の は夷 の系 統 で あ る。
夷 諸 族 の 分 布地 は 後 の ヤオ諸 族 の分 布 地 のす ぐ北 に 接 して い る。 夷 諸族 はふ つ う周 代 以 前 に 消 滅 し,残 存 して い た もの も前3世 紀 に消 滅 す る。 侵 入 して 来 た漢 民 族 に吸 収 同化 され た ら しい。 夷 は 戎 や秋 とは 違 って,低 い土 地 や低 い丘 陵 地 に 居住 す る。 彼
らは呉 や 楚 と多 くの接 触 を もち,政 治 的 に は しば しぽ そ れ ら と合 同 した 。
エ ーバ ーハ ル トは暫 定 的 に夷 を越 民 族 の前 身 と見 る こ とを提 唱 す る。 そ の場 合,越 文 化 自体 が,ヤ オ文 化 要 素 と タイ文 化 要 素 に 分 かれ る こ とを指 摘 してい る。夷 は もは
や純 粋 な ヤ オで は な い ら しい 。 それ は夷 が 低 地 や低 い丘 陵地 に住 み,他 方 ヤ オ は いつ も山地 に好 んで 住 むか らだ 。 歴 史時 代 に おい て も,平 地 に も住 む越 人 の 地 域 は 山東 東 部 に ま で伸 び て い た の で あ るか ら,恐 ら く夷 は越 の古 い一 つ の分 岐 であ って,越 と同
様 に い く つ も の 要 素 が 混 合 し て い た が,そ の な か に は 強 力 な ヤ オ 要 素 が 入 っ て い た の で あ る 【EBERHARD 1942a:385‑3861。
以 上 が,エ ーバ ーハ ル トの 『中 国辺境 諸 民 族 の文 化 と居 住 地 』 の 概要 で あ る。 この 壮 大 な 試 みV'は,当 然 い ろ い ろ な問 題 点 が含 まれ てお り,す ぐれ た 創 見 も少 な くな い と ともに,今 日で は支 持 で きな い見 解 もい ろ い ろ見 られ る。本 稿 で は,細 か い個 別 的 問題 に 立 入 る こ とは で きな い が,若 千 の 一般 的 な問 題 に つ い て論 ず るに と どめ る こ と に した い 。
それ に 先 立 って エ ーパ ーハ ル トが民 族 分 類 に 当 って採 用 した 方針 につ い て一 言 して お きた い 。 上 に も述べ た よ うに,彼 は,民 族 分 類 に 当 って,中 国人 が同 類 と認 め た も の を一 つ の群 と して ま とめ る方 針 を とった 。 そ れ が大 体 にお い て成 功 だ った と 自 ら認 め て い る のは,あ る程 度 理 解 で きる。それ は 分 類 した 当時 の中 国 人 も,主 と して言 語, 文 化 な どを 手 が か りに分 類 してい た と思 わ れ るか らで あ る。 さ らに記 録 に の こ った 少 数 の文 化 特 徴 以 外 に も,そ の 当時 に は利 用 で きた そ の他 の情 報 が 多数 あ ったに 相 違 な く,そ れ も こ の よ うな分 類 の基 礎 に あ る こ とが 考 え られ るか ら であ る。 しか し,他 方 では,こ の よ うな分 類 は 立 入 った 研 究 の結 果 では な く,多 分 に皮 相 な 印 象 的 な もの で あ るの で,中 国人 に よ る分類 は必 ず しも常 に正 しい とは 限 らな い。 した が って,一 応 の 目安 な い し,本 格 的 な 分類 の た め の手 がか りであ る と言 った ほ うが よい で あ ろ う。
3.『 辺境 諸 民 族 』 と 『地 方 諸文 化 』 との対 応
上 述 の よ うに エ ーバ ーハ ル トはr辺 境 諸 民族 』 を ま とめ た 後,中 国 内部 の,漢 民 族 の文 化 に つ い て の資 料 を 大 幅 に使 って 『地 方諸 文 化 』 を 著 した 。 そ こ で設 定 され た諸 文 化 は,ほ ぼ そ の ま まそ の後 の 『中 国文 明史 』 に も現 わ れ る。 これ ら地 方 諸文 化 は,
基 本 的 に 辺 境 諸 民 族 に 対 応 す る も の で あ っ て,次 の 諸 文 化 で あ る。 ま ず 第1巻
【EBER肌RD 1942b】で は 北 方 諸 民 族 文 化 北 方 文 化 の後 期 形態 チ ベ ッ ト文 化 巴文 化
が論ぜ られ,第2巻 【EBERHARD l942c】で は ヤ オ文 化
323
国立民族学博物館研 究報告 20巻2号 タイ文 化
越文 化 リャオ文 化 ツ ソ グー ス文 化
が 取 り扱 わ れ て い る。 『中 国文 明史 』 で はr地 方 諸 文 化 』 とほ ぼ 同℃ で あ るが,ツ ン グ ース文 化 は 北 東 文化 と呼 ば れ,北 方 諸 民族 文 化 を モ ン ゴル系 の北 方 文化 とテ ユル ク 系 の 北西 文 化 とに 二分 して い る。 チ ベ ッ ト文 化 はそ の ま まで あ るが,巴 文 化 は 本 文 で は 出 て お らず,分 布 図 の説 明 では 東 チ ベ ッ ト文 化 と呼 ばれ て い る。 リャオ文 化,ヤ オ 文 化,タ イ 文 化,越 文 化 を 南 方 の4文 化 と呼 ん で い る 【EBERHARD 1977:4‑7;エ ー ノ、一 ノ、ノレト 1991:7‑11】。
これ か ら 『辺境 諸 民 族 』 と 『地方 諸 文 化 』 の 対応 を見 よ う。
ま ず北 方 辺 境 諸 民 族 につ い て。 こ の大 群 は(a)朝 鮮 諸 民 族,(b)粛 慎 諸 民 族, (c)東 胡 諸 民 r(d)室 章 諸 民 族,(e)旬 奴諸 民 族,(f)そ の 他,を 含 ん で い た。
こ の うち粛慎 諸 民 族 は ツ ソグ ース文 化(北 東文 化)に 対 応 し,東 胡 諸 民 族,室 章 諸 民 族,何 奴 諸 民 族 は 北 方 諸 民 族 文 化 に対 応 して い る。r中 国文 明 史』 で は,東 胡 諸 民 族
と室 章 諸 民族 が北 方 文 化,匂 奴諸 民 族 が 北 西文 化 に対 応 す る。
次 に西方 辺 境 諸 民 族 は(g)莞 諸 民族(h)西 チ ベ ッ ト族,(i)烏 蛮諸 民 族,(j) 番 諸 民 族,(k)そ の 他 を 含 ん で い た。r地 方 諸 文 化 』 で チ ベ ッ ト文 化 と呼 ん で い る の は 莞諸 民 族 に相 当 す る。
南 方 辺境 諸 民族 は,(1)チ ワソ諸民 族,(m)ヤ オ諸 民 族,(n)リ 諸 民 族,(o) ケ ラオ諸 民 族,(p)リ ャオ 諸 民族,(q)ミ ャオ諸 民族,(r)巴 諸 民 族,(s)白 蛮 諸 民族,(t)蛋 諸 民族,(u)越 諸 民 族,(v)そ の他,か ら成 って いた 。
この うち巴 諸 民 族 は 『地 方 諸 文 化 』 で は南 方 よ りむ しろ西 方 の一文 化 と して,チ ベ ッ ト文 化 に次 い で論 ぜ られ,『 中国 文 明史 』 で は 東 チ ベ ッ ト文 化 と呼 ぼ れ て い る。 次 に ヤ オ諸 民 族 は ヤ オ文 化 に相 当す るが,他 方,チ ワ ン諸 民 族 と白蛮諸 民 族,リ 諸 民 族 の三 つ は タイ 文 化 に対 応 して い る。越 諸 民 族 と リャオ諸 民 族 は そ れ ぞれ 越 文 化 と リ ャ オ文 化 に対 応 して い る。
この よ うに見 る と,『 辺 境 諸 民 族 』 の 分 類 は 『地 方 諸文 化』 の それ に大 幅 に対 応 し て い る こ とが認 め られ る。 た だ,北 方 辺 境 諸 民族 の うちの朝 鮮 諸 民 族 や,西 方 辺 境 諸 民 族 の うち の 西 チベ ッ ト族,烏 蛮 諸 民 族,番 諸民 族 は中 国 高文 化 の形 成 に 直接 参 加 し て いな か った か ら対 応 が な い の は 当然 で あ る。 南 方 諸 民 族 の うち,上 の 対 応 に は 出 て こな い ケ ラオ諸 民 族 は リャオ諸 民 族 を 基 礎 と した混 合 民族 で あ り,蛋 諸 民族 は古 代 の
越 諸 民 族 か ら 派 生 し た こ と は 『辺 境 諸 民 族 』 で も 認 め ら れ て い る 【EBERHARD l942a:236,331】 。 そ し て ミ ャ オ 諸 民 族 の 文 化 は エ ー バ ー ハ ル トに よ れ ば,チ ワ ソ,ヤ オ,チ ベ ッ ト の3文 化 の 混 合 に よ っ て 成 っ た も の で あ る 【EBERHARD 1942a:
271‑273】 。 つ ま り後 に 出 来 た 混 合 文 化 の 民 族 だ か ら,こ れ も 中 国 高 文 化 の 生 成 に は 参 与 して い な か っ た わ け で あ る。
こ の よ うに 対 応V'出 て こ な い も の に は そ れ な りの 理 由 が あ り,全 体 と してr辺 境 諸 民 族 』 の 分 類 は 『地 方 諸 文 化 』 で 確 認 さ れ た と い う見 方 を エ ー パ ー ハ ル トは と っ て い
る。
た だ そ の な か で 興 味 深 い の は 巴 文 化 の よ うに,所 属 上 あ る程 度 の 動 揺 の あ っ た 文 化 や 民 族 で あ る。
4.辺 境諸民族 の生態学的基盤
次 に エ ーバ ーハ ル トの体 系 を 生 態 学 的領 域,言 語 系統,先 史 文 化 とい う三 つ の観 点 か ら順 々に検 討 す る こ とに した い。
エ ーバ ーハ ル トの 研 究 で不 満 に感 じる こ との一 つ は,そ れ ぞれ の民 族 群 が い か な る 生 態 学 的環 境 の もとに 生活 して い て,独 自の文 化 を育 て て行 った か,と い う点 の考 察 が ほ とん どな され てい な い こ とで あ る。 断 片 的 な発 言 は あ って も,組 織 的 な 分析 は行 われ なか った。
したが って,エ ーバ ーハ ル トが設 定 した 民 族群 と中 国に お け る生 態 学 的 領 域 との対 応 を調 べ てみ る こ とは興 味 深 い こ とで あ ろ う。 これ に よ って 我 われ は,生 態 学 的領 域 との結 びつ きの 緊密 な民 族 群,複 数 の生 態 学 的 領域 に また が って分 布 す る民 族 群,歴 史 上一 つ の生 態 学 的領 域 か ら他 の 領域 に移 動 した 民族 群,同 一 の領 域 内 に並 存 し,棲 み 分 け た り混在 した りして い る複 数 の 民族 群 な どを 区別 す る こ とが で き る。 また そ れ に よ って彼 らの 歴 史 と文 化 につ い て,新 しい視 野 が 開 け て くる こ とが期 待 され るの で あ る。
中 国 に おけ る生 態学 的領 域 区 分 に つ い て は,私 は こ こで は二 つ の 手 が か りを使 うこ とにす る。一 つ は地 勢 区分 で あ り,も う一 つ は作 物 領 域 で あ る。
a.地 勢 区 分
地 勢 区 分 に 関 し て は,私 は こ こ で は ア メ リ カ の 地 理 学 者 ジ ョ ー ジ ・バ ブ コ ッ ク ●ク レ ッ シ ー の 古 典 的 な 区 分 を 採 用 した い 【CRESSEY l934】。 国 際 的 に 広 く知 ら れ て い る 325
国立民族学博物館研究報告 20巻2号 体 系 で あ るば か りでな く,そ の後 の研 究 で も基 本 的 に は 大 きな相 違 は な く,ま た か な
り詳 しい 区分 な ので,一 応 の大 ざ っぽ な検 討 に は,こ れ で充 分 だ か らで あ る。 これ か らエ ーバ ーハ ル トの 民 族 区分 を記 し,そ れ ぞれ が 占め て い た領 域 を 想定 す る こ とに す る。 な お ア ル フ ァベ ッ ト大 文 字 に よ る記 号 は ク レ ッシ ーの略 号 であ る。
A 北 方 辺 境 諸 民族 一
(a)朝 鮮 諸 民 族 一 中 国 の 領 域 外 の 朝 鮮 の ほ か,中 国 内 部 で は 東 部 満 州 山 地 (MEM)o
(b)粛 慎 諸 民 族 一 興 安 嶺(KM)と 東 部 満州 山地(MEM),そ れ に 中 国 の領 域 外 の沿 海 州 の 山地 。
(c)東 胡 諸 民 族 (d)室 章 諸 民 族 (e)旬 奴 諸 民 族
(f)そ の他 の諸 民 族 一 以 上cか らfま では,基 本 的 に は 中央 ア ジ ア草 原 お よび 沙 漠(CASD)に 居 住 して い た。
B 西方 辺 境 諸 民 族 (9)莞 諸 民 族 (h)西 チ ベ ッ ト族
(i)烏 蛮 諸 民%i 以 上gか らiま で は チ ベ ッ ト辺 境 地(TB)。
(j)番 諸 民 族一 西 南 台地(つ ま り雲 貴 高 原)(ST)。
(k)そ の他 の 西南 諸 民 族一 これ も西 南 台地(ST)か 。
C 南 方辺 境 諸 民 族
(1)チ ワン諸民i; 両広 丘 陵(HL)。 1 (m)ヤ オ 諸 民族 一 両広 丘 陵(HL)。
(n)リ 諸 民族 両広 丘 陵(HL)の うち,海 南 島。
(o)ケ ラオ諸 民 族一 西南 台地(ST)。
(p)リ ャオ 諸民 族 一 元来 四川 省 東 部 に 住 ん で い た が 山地 民 だ か ら,中 央 山 脈 地 帯(CMB)か 。
(q)ミ ャオ諸 民 族一 南 揚 子 江丘 陵(SYH)と 西 南 台地(ST)。
(r)巴 諸 民 族一 赤 盆 地(RB)。
(s)白 蛮 諸 民%i 西 南 台 地(ST)。
(t)蛋 諸 民族 東南 海 岸 地 帯(SC)。
(u)越 諸 民族 東 南 海 岸地 帯(SC)と,南 揚 子 江丘 陵(SYH)。
(v)そ の 他 の 諸 民族 中国 南部 の さま ざ まな 地 域 とイ ソ ドシナ に住 む 雑 多 な 民 族 で,特 定 の 生態 学 的 領 域 に 当 て はめ る こ とは で きな い。
図1 中 国 の 地 勢 地 図(1931年 現 在,カ ッ コ内 は 現 都 市 名)[CRESSEY 1934]
327
国立民族学博物館研究報告 20巻2号 そ の ほ か 古 代 諸 民 族 の う ち,
(a)戎 諸 民 族 は 後 世 の 莞 と 同 定 で き る が,秦 嶺 山 脈 を 中 心 地 と して も っ て い た と 考 え られ る か ら[EBERHARD 1942a:380],中 央 山 脈 地 帯(CMB)。
(b)秋 は 後 世 の 東 胡 だ と い う が,そ の 居 住 地 は 山 西 省 東 部 山 地 で あ る [EBERHARD 1942a:382]。 黄 土 高 原(LH)で あ ろ,う。
(c)猫 貌 は 旬 奴 と 同 定 で き る と い うが,そ の 居 住 地 は 陳 西 省 の 西 安 の 北 の 洛 水 流 域 で あ っ た[EBERHARD 1942a:384】 。 し て み る と,こ れ も 黄 土 高 原(LH) で あ った 。
(d)夷 は 越 と 同 系 と考 え られ た が,そ の 主 要 居 住 地 は 南 山 東,北 江 蘇,北 安 徽 で あ るrE朋RHARD 1942a:385]。 して み る と 基 本 的 に は 揚 子 江 平 野(YP)が 居 住 地 で あ っ て,一 部,山 東,遼 東,熱 河(SLJ)に か か っ て い る と い う程 度 で あ ろ う。
以 上 の極 め て 大 雑把 な対 応 の試 み に よって も,歴 史 時代 に は 中央 ア ジア草 原 お よび 沙 漠 の居 住 民 だ った北 方 の諸 民 族 が,か つ て は 黄 土 高原 に も伸 びて い た こ と,ま た 歴 史 時 代 には チ ベ ッ ト辺 境 地 の住 民 だ った 西 方 諸 民族 が 中央 山脈 地 帯 に も住 ん で いた こ と,ま た東 南 海 岸 地 帯 と南揚 子 江 丘 陵 を 本拠 と してい た 越 諸 民族 と親 縁 の 夷 諸民 族 は, 生 態 学 的 領 域 と して はそ の北 の揚 子 江 平 野 の 住 民 だ った と い う興 味深 い状 況 を 知 る こ とが で き る。
また 問 題 点 と して 出 て きた の は,中 央 ア ジア草 原 お よび 沙 漠 に住 んだ さ ま ざ まの北 方 諸 民 族 群 の,そ れ ぞ れ が,こ の大 領 域 内 の い か な る生 態 学 的下 位 領 域 に 分 れ 住 ん で い た か,ま た 西方 諸 民 族 の諸 群 が チベ ッ ト辺 境 地 の なか の い か な る下 位 領 域 に 対 応 し て い た か,否 か,と い う問題 で あ る。 両 広丘 陵,西 南 台 地 な どV'つ い て も同 様 な 問題 が 存在 して い る の で あ る。
b.作 物 領 域
生 態 学 的 背 景 を 考 え る の に 便 利 な も う一 つ の 手 が か りは,ロ ッ シ ン グ ・バ ッ ク が 区 分 し た 中 国 の 作 物 領 域 で あ る 【BucK 1937;SPENCER 1954:fig.103]。 そ の な か に は,
ト ウ モ ロ コ シ の よ うな 新 し い 栽 培 植 物 も含 ま れ て い る。 しか し,こ の トウ モ ロ コ シ の 場 合 は,そ れ 以 前 の 時 代 に お い て は 粟 な ど の 雑 穀 だ っ た こ とが 考 え ら れ る よ う に,近 代 の 作 物 領 域 で も,何 らか の 意 味 で よ り古 い 時 代 の 作 物 領 域 を 反 映 して い る こ とが 少
な く な い と思 わ れ る。 た とえ そ うで な い 場 合 で も,近 代 の 作 物 領 域 は,温 度,雨 量 そ
図2 中 国 の 作 物 領 域[SPENCER 1954]
の 他 の 自然 環 境 上 の 条 件 に よ って規 定 され て い る以 上,や は り一 種 の生 態 学 的領 域 を 表 わ して い るの で あ る。
とは 言 って も,バ ッ クの 資料 に も とつ い て ス ペ ンサ ーが作 図 した 中国 の 作物 領 域 は か な り大 まか な もの で あ り,こ とに少 数 民族 地 域 を充 分 留 意 して い る よ うに は 思 え な い。 た とえ ば歴 史 時 代 にお け る西南 の少 数 民族 の焼 畑 の 作物 体 系 につ いて は,佐 竹 靖 彦 が 若 干 の 資料 を提 示 して い る。 それ に よ る と,便 宜 上,番 号 を つけ る と① 南宋 の萢 成 大 のr萢 石 湖 集』 巻16に 記 され た 葵州 巫 山 県,つ ま り現 四 川 省東 端 で長 江 北 の平 山 県 で は,粟,麦,豆 の体 系 だ った 。② 清 代 のr同 治 増 修 施 南 府 志 』巻10Ỳよ る と,現 在 の湖 北 省 西 南 突 出部 の恩 施 県 で は,芋 類 を ま じえて 蕎麦,麦,豆 の 組 み 合 せだ った 。
329
国立民族学博物館研究報告 20巻2号 この例 は牛 耕 の 導 入後 の ものだ が,佐 竹 に よる と以前 の体 系 の残 った もの であ る。 ③ 明代 の 『徐 霞 客 游記 』 の 「演 游 日記」 巻7に よ る と雲 南 省 麗 江 で は 陸稲 と豆 の 定畑 で の 栽培 で あ った 。④ またr光 緒 叙 州府 志 』 巻22に よる と,四 川 省 西 南部 の涼 山 の イ族 の と ころで は,蜀 玉黍(+薯 類)か1稗,蕎 麦,燕 麦 な どの焼 畑 耕 作 が 行 わ れ て いた 。
⑤ さ らにr徐 霞 客游 記 』一の 「演 游 日記 」 巻11に は,雲 南 西 部 の怒 江上 流 枯 何,保 山 附 近 の イ族 は 燕 麦(こ れ は お そ ら く蔽麦)と 蕎 麦 を 作 って いた 【佐 竹 1968:45‑46】。 こ の よ うに作 物 構 成 は地 域 に よ りさ まざ ま で あ る。
そ して これ らの 例 の うち,① と② は パ ッ クの 《コ ムギ,サ ツマ イ モ,イ ネ》 領域 に, また③ か ら⑤ まで は 《イ ネ=ト ウモ ロ コシ》 領 域 に入 る地 理 的 位置 に あ る が,そ こで 作 られ て い る作 物 は バ ッ クが 指 標 的 な作 物 と して 挙 げ た もの と必 ず し も一 致 しな い。
た ん に時 代 の 差 ぼ か りで な く,作 物 は個 々 の地 点 で の地 味,気 候 な どの条 件 に よ って 相違 す る。 こ とに イ族 の よ うな 山 地 民 の とこ ろで は,高 度 に よって作 物 が異 な り,燕 麦 な どは 高 い と ころ に だけ 作 られ て い る。
したが って,こ こで私 が バ ック=ス ペ ソサ ーの作 物 領 域 を 使 うの は,あ くまで も大 きな 生態 学 的 領 域 の枠 組 を示 す た め で あ る。 イ ネeト ウモ ロ コシ領 域 に住 む民 族 群 が す べ て,か つ 昔 か ら,こ の二 つ の 作物 を主 に 栽培 して来 た とい う意 味 で は決 して な い
こ とを,お 断 り して お きた い。
これ か ら具 体 的 な対 応 関 係 に つ い て考 えて み る こ とに した い 。 A 北 方 辺 境諸 民族
これ につ いて は,あ ま り多 くを 引 き出す こ とは で き な い。 そ れ は一 つ はバ ックの 区 分 中 に,中 国 東 北 地方 や 朝 鮮 半 島 が 入 って いな い こ とで あ り,も う一 つ は北 方 諸 民 族 の うち遊 牧 民 に つ い て は,作 物 領 域 を 云 々す る のは 不 適 当 だ か らであ る。ただ,東 胡, 室章,何 奴 諸 民 族 は,部 分 的 に は 春 コム ギ=ミ レッ ト領 域 に 入 る こ とだ け指 摘 して お
きた い。
B 西 方 辺 境 諸 民 族
莞,西 チ ベ ッ ト,烏 蛮 の 諸 民 族 は バ ッ ク の 分 類 の 外 に あ る の で,不 明 で あ る 。 しか し,① 番 諸 民 族 と,(k)そ の 他 の 西 南 諸 民 族 は,バ ッ ク の 分 類 で は イ ネ=ト ウ モ ロ コ シ領 域 に 入 る 。
C 南方 辺 境 諸 民 族
(1)チ ワ ソ諸 民 族 イ ネニ 期 作 領域 。
(m)ヤ オ 諸 民 族 一 主 と し て イ ネ ニ 期 作 領 域 で あ る が,一 部 は イ ネ=茶 領 域 と イ ネ=ト ウ モ ロ コ シ 領 域 。
(n)リ 諸 民 族 一 イ ネ ニ 期 作 領 域(海 南 島)。
(o)ケ ラ オ 諸 民 族 イ ネ=ト ウ モ ロ ゴ シ 領 域 。 (p)リ ャオ 諸 民 族 一 コ ム ギ=サ ツ マ イ モ=イ ネ 領 域 。 (q)ミ ャ オ 諸 民li 主 と して イ ネ=ト ウ モ ロ コ シ領 域 。 (r)巴 諸 民 族 一 コ ム ギ=サ ツ マ イ モ=イ ネ 領 域 。 (s)白 蛮 諸 民 族 一 イ ネ=ト ウ モ ロ コ シ領 域 。 (t)蛋 諸 民 族 一 主 と し て イ ネ ニ 期 作 領 域 の 海 岸 。
(u)越 諸 民 族 一 イ ネ=茶 領 域 を 主 と し,コ ム ギ=オ オ ム ギeイ ネ 領 域 に か か る 。 (v)そ の 他 の 諸 民 族 一一 特 定 で き ず 。
古 代 諸 民 族 の う ち
(a)戎 諸 民 族 一 冬 コ ム ギ=ミ レ ッ ト領 域 。 (b)独 諸 民 族 一 冬 コ ム ギ=ミ レ ッ ト領 域 。
(c)猫 貌 一 春 コ ム ギ=ミ レ ッ ト領 域 あ る い は 冬 コ ム ギeミ レ ッ ト領 域 で は な い か 。
(d)夷 一 主 と し て コ ム ギ=オ オ ム ギ=イ ネ 領 域 に,ダ イ ズ=冬 コ ム ギ=コ ー リ ャ ン領 域 の 一 部 を 含 む 。
以上 二 つ の手 がか りか らエ ーバ ー ハル トの諸 民 族 群 と生 態 学 的領 域 とを 比 較 して み た結 果,い くつ か の重 要 な 結果 が 出 て きた。
(A)北 方 辺 境 諸 民 族 に関 して は,ま ず(a)朝 鮮 諸 民 族 の一 部 と(b)粛 慎 諸 民 族 は 山地 つ ま り森林 の民 族 であ って,(c)東 胡 諸 民 族,(d)室 章 諸 民 族,(e)旬 奴 諸 民 族,(f)そ の他 の 諸 民 族 が草 原 の民 族 だ った の とは,生 態 学 的 環境 を異 に して いた こ とが 注 目 され る。 い わ ゆ る北 方 辺境 諸 民 族 は 大 き くみ て,山 地 森 林 民 族 と草 原 民 族 に二 大 別 で きる の であ る。 また 草 原 諸 民族 の い くつ か は,古 代 にお い て は,草 原 ぽ か
りで な く,畑 作 可能 な地 域Y'も 深 く入 り込 ん で いた 。
(B)西 方 辺 境 諸 民 族 に 関 して は,チ ベ ッ ト辺 境 地 を 主 な 領 域 と して い るが,古 代 に は 中央 山 脈,こ とに秦 嶺 山脈 つ ま りコ ムギ=サ ツマ イ モ=イ ネ領 域Y'も 分 布 し, さ らに西 南 台 地 つ ま りイ ネeト ウモ ロ コシ領域 に 広 く展 開 した 。 この西 南 台 地 に 展 開
した諸 民 族 は,Cの 南 方 辺 境 諸 民 族 との移 行 型 な い し接 触 型 とみ る可 能 性 が で て く
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国立民族学博物館研究報告 20巻2号
る。
(C)南 方 辺 境 諸 民 族 は,さ ま ざ まな 生 態 学 的 領 域 にわ た って分 布 して い る。 主 と して 両広 丘 陵,つ ま りイ ネニ 期 作 領域 に住 む チ ワ ソ,ヤ オ,リ 諸 民 族,主 に西 南 台 地 つ ま りイ ネ=ト ウモ ロコ シ領 域 に住 む ケ ラオ,ミ ャオ,白 蛮 諸 民 族,地 勢 的Y'は 東 南 海 岸 地帯 だが,主 に イ ネニ 期 作 領 域 の 海岸 の蛋 諸 民 族,イ ネ=茶 領 域 を 主 とす る越 諸 民 族 とい った ぐあ い で あ る。
この よ うに,西 南 台 地 な どは,さ ま ざ まな系 統 の民 族 を 含 ん で い るが,彼 らは棲 み 分 け を し,あ る いは 混 在 して い る。 周 知 の よ うに,大 きな生 態 学 的 な一 つ の領 域 は,
しば しば さ ま ざま な生 態 学 的 ニ ッチを 含 み,そ れ に応 じて さ まざ ま な生 活 様 式 を もつ 民 族 が 棲 み 分 け をす る。 そ の 古典 的 な例 は ノル ウ ェイ の社会 人 類学 者 フ レデ リ ック ・
・ミル トが 研 究 した パ キ ス タ ン北部 の ス ワ ッ トSwat地 方 で あ る。 こ こで は,定 住 し灌 漸 農 耕 を 営 む パ タ ソPathan族,パ タ ン族 が 利用 で きない 荒地 を利 用 す る半 農 半 牧 民 の コ ヒス タ ニKohistani族,ま た パ タ ン族 の テ リ トリーの な か で,パ タ ン族 か ら 《牧 畜 民 カ ー ス ト》 と して 生 活 を許 され て い る遊 牧 民 の グ ジ ャー ルGujar族 の三 者 が 棲
み分 け てい るの で あ る 【BARTH 1956]。
中 国西 南 部 か らイ ン ドシ ナに 関 して は,生 業形 態 に よって 民 族 の 居住 の高 度 が 相 違 す る こ とは 広 く知 られ て い る。 水 稲耕 作 を営 む タイ系 統 の民 族 が 河 谷平 野 や盆 地 に住 み,焼 畑 耕 作 を 営 む チ ベ ッ ト=ビ ル マ系 そ の他 の 民族 が よ り高 い と ころ に住 む,と い う ぐあ い で あ る。 西 南 台地 が,西 方 辺境 諸 民 族,南 方 辺 境 諸 民 族 の さ まざ ま な群 に よ り,ま た 両 広 丘 陵 で は一 方 では タイ(チ ワ ソ)諸 民 族,他 方 で は ヤオ諸 民族 が住 ん で い るが,そ れ は 多 くの場 合 高 度 に よ る棲 み分 け が 行 われ てい るか らで あ る。
また 同一 系 統 の 民 族群 が,異 な った生 態 学 的 領 域 に また が っ て分 布 す る場 合,そ れ ぞ れ の領 域 にお いて,異 な った発 展 を とげ る こ とが 予想 され る。 大 体 チ ベ ッ ト=ビ ル マ語族 に属 す る西 方 辺 境諸 民 族 の うち,チ ベ ッ ト辺 境地 に住 む もの と,西 南 台地 に住 ん だ もの は,外 部 か ら の文 化 的,政 治 的 影 響 とい った 要 因 を 別 に して も,生 態 学 的 条 件 の 相違 だけ か らで も,異 な った 文 化 を発 展 させ た 可能 性 が 考 え られ る。 同様 な こ とは ミャオ=ヤ オ語 族 に つ い て も言 え る。西 南 台 地 を 中心 とす る ミ ャオ 諸族 と,両 広 丘 陵 を 中心 とす る ヤ オ諸族 は,言 語 系 統 は 同一 で あ って も,異 な った 生 態学 的 領 域 を 主 な 分布 領 域 と してい る こ とに も とつ い て,相 異 な る文 化 を 発 達 させ た こ とが考 え ら れ る。