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運送人の損害賠償責任限度額制度の合理性

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(1)

運送人の損害賠償責任限度額制度の合理性

その他のタイトル Sul limite del risarcimento del vettore

著者 栗田 和彦

雑誌名 關西大學法學論集

45

2‑3

ページ 371‑410

発行年 1995‑08‑27

URL http://hdl.handle.net/10112/00024604

(2)

(3)

ー は し が き

二イタリア判例・学説の展開

三合憲性の支点︵価額通告制度︶

三ー一憲法裁判所の方向性

三ーニ価額通告制度の意義・実効性

(4)

いささか旧聞に属するが︑最高裁昭和六三年三月二五日判決︵判例時報︱二九六号五二頁︶は︑鉄道運輸規程にみ

られる要償額表示制度について︑判断を下した︒要償額表示制度は︑鉄道運送人に固有の制度︑というよりも︑たと

えば︑国際海上物品運送法第一三条五項とも類似する側面を有しており︑その意味において︑同判決は︑運送人の損

ろう︒たしかに︑同判決は︑当時︑相当の社会的反響を呼び︑そして︑ 害賠償責任限度額︵以下︑限度額︶制度の全般について再検討をするための絶好の機会でもあった︑というべきであ

( l )  

いくつかの判例批評がなされた︒しかし︑そ

の後︑同種の判例は︑現れていないようであり︑学説も︑要償額表示制度ないし限度額制度に対する興味を︑ほとん

ど︑失ってしまったようである︒

ところで︑目下︑異常なほどの円高が進行しており︑本稿執筆中の平成七年四月一九日の

SDR

相場

( I

M F

)

は ︑

︱二七・九一四円のようである︒平成四年の国際海上物品運送法の改正当時︑

‑ S D R

は︑一八

0

( 2)  

同法の改正の趣旨のひとつは︑立法担当官が明示しているように︑限度額の引き上げであった︒すなわち︑同第一三

条一項の限度額を一包あたり一

0

万円から︑固定限度額で︑二割程度の引き上げが意図されていたのである︒しかし︑

‑ S D R

が︱二七・九一四円であれば︑六六六・六七

SDR

は︑八五二七六円強になる︒国際海上物品運送法の改正

当時に比べ︑三割程度の限度額の引き下げ︵名目だけかもしれないが︶が生じている︒また︑立法担当官は︑こうも

いっている︒﹁円高がさらに進み︑仮に一

SDR

が一五

0

円を割れば︑固定限度額が一

0

万円を下回ることもありう

( 3)  

る︒ただ︑そのような場合には︑

SDR

に占める円のウェイトが見直される可能性もあろう︒﹂と︒立法担当官がい

(5)

限度額に関する規定の改正がなされている︒ 第四五巻第ニ・三合併号

品運送法の限度額制度︑さらには︑運送人の限度額制度一般の在り方を︑

~

う﹁仮に﹂の状況が現実のものになってしまったのである︒このような状況をまえにして︑われわれは︑国際海上物

いま一度︑再検討するべきではなかろうか︒

改めて指摘するまでもないが︑要償額表示制度ないし限度額制度は︑運送人と荷主︵荷送人︑荷受人︑運送証券所

持人またはそれらに代位した保険者︶との利害の対立がもっとも明白に現れる場所でもある︒したがって︑本来であ

れば︑これらの制度の妥当性について︑活発な議論がなされても不思議はないはずである︒事実︑たとえば︑イタリ

一九八二年五月︱二日判決・九

0

( 4)  

けに︑各種の限度額に関する規定の合憲性についての判断を下しているのである︒そして︑憲法裁判所は︑同国の限

一九八五年五月六日判決・一三二番である︒同判決は︑国際航空旅客

一部︑イタリア憲法第二条などに違反している︑と判断した︒同判決は︑立法

者を国際航空旅客運送人の対人限度額に関する規定の改正に導いただけではなく︑その後の物品運送人の限度額に関

する判例にも︑少なからず︑影響を及ぽした︒そして︑憲法裁判所は︑

いて︑道路物品運送人の限度額に関する規定の一部違憲判決を下している︒同判決が契機となり︑道路物品運送人の

イタリアの運送人の︑とりわけ︑物品運送人の限度額に関する規定は︑区々であり︑統一性に欠けている︒それら

の規定の合憲性について︑イタリアの憲法裁判所は︑判断を求められたのである︒結論的にいうと︑いくつかの判断

( 5)  

のなかから同裁判所の一貫した考えを汲み取ることは︑困難な作業である︒むしろ︑それらの判断のなかには︑区々 運送人の対人限度額に関する規定が︑ 度額制度に関する画期的な判決をなしている︒ イタリアの憲法裁判所は︑

0

年代に入って以降︵最初は︑ アや米国においては︑その種の議論が活発のようである︒

一九九一年―一月二二日判決•四二

0

番にお

(6)

は︑筆者の判断の能力を超えている︒ の規定の合憲性を論証するための論理のリストが呈示されている︑といったほうが適切かもしれない︒

ひるがえって︑わが国の限度額に関する規定をみると︑やはり︑区々であり︑統一性に欠けている︑といわざるを

えない︒したがって︑わが国の限度額制度一般について︑その妥当性を問われた場合︑一貫性・整合性のある論理を

もって論証することが可能か︑そのための論理をイタリア憲法裁判所の判決のなかから発見することが可能か︑それ

本稿において︑われわれは︑限度額に関する規定の合憲性についてのイタリア憲法裁判所の判決と︑それに対する

学説の反応を︑時代順に︑概観してみたい︒そうすることによって︑自ずから︑少なくとも︑わが国の個々の限度額 ( 6)  

制度の妥当性︵またはその限界︶を論証するためにもっとも適当な論理が発見されることになるもの︑と思われる︒

(1

)

谷川久﹁鉄道営業法︱一条ノニ第二項・鉄道運輸規程七三条二号と商法五七八条との関係﹂私法判例リマークス一号一六

0

頁および落合誠一﹁商法五七八条と鉄道営業法︱一条ノニとの関係﹂商法︵総則・商行為︶判例百選︵第三版︶一六四頁

(2

)

(3) 菊池•前掲八一頁注九゜

(4

)

それ以前より︑とりわけ︑一九七

0

年代においては︑運送人に限度額の抗弁を持ち出された被害者が︑運送人・乗組員の不法行為責任を追及しえないか︑すなわち︑請求権競合説により全額の損害賠償責任を追求しえないかが問われていた︒

(5

) 

Gu st av o  R o ma n e ll i L,   a  l i mi t a zi o n e  n el l a   giurisprudenza

  co s t it u z io n a le , i n    

A A V V , I I    

l im i t e  r is a r ci t o ri o  n e l l' o r di n a me n t o  d ei   t ra s p or t i ,  M il an o  19 94 , p a g . 

32

(6

)

船舶の所有者等の責任の制限に関する法律第三条四項は︑国内海上旅客運送人の対旅客の損害賠償責任を制限不能としており︑また︑航空運送人も︑自ら︑旅客の人的損害につき無限責任を負うものとしていることもあり︑本稿においては︑わが国の限度額制度について検討する場合︑主として︑運送人の物的損害に関する限度額制度を対象とすることになる︒

運送人の損害賠償責任限度額制度の合理性

~

(7)

① 

民事紛争の詳細は︑報告されていないことが多い︒ れなかったような疑問も呈示されており︑種々の論理が展開されている︒これらの判例を︑運送のなされる領域 いて︑たてつづけに︑判断を下している︒多様な制度につき判断がなされているため︑かつてわが国において唱えら

(陸•海・空)ごとに分けて、分析を試みるべきかもしれないが、そうするには、判例の数はかぎられているし、ま

た︑ある領域の判例が他の領域の制度に関する判断に影響を及ぽしているのも事実である︒したがって︑本稿におい

ては︑領域にこだわらず︑時代順に︑判例を概観してみたい︒なお︑憲法裁判所の判例としての性質上︑判例集には︑

憲法裁判所一九八二年五月︱二日判決・九0

(F

or

oi t

a l i a

n o ,  

1982 

I, 

1 7 9 9 )  

の使用人の重過失による運送品の滅失に関する損害賠償請求訴訟の過程で︑鉄道運送人の限度額に関する規定︑すな

一九六一年三月三0日大統領令一九七号︵国有鉄道による物品運送の条件の改正︶第五0条および第五二条の

合憲性が疑問とされた︵コゼンツァ法務裁一九七五年︱一月一七日決定︶︒

同大統領令第五

0

条は︑運送人︵運輸省︶の責に帰すべき運送品の滅失損害につき︑

リラを限度として︑運輸省に損害賠償責任を負わせる趣旨の規定であり︑同第五二条は︑滅失が運送人の故意または

重大な過失による場合︑限度額を二倍︑すなわち︑三万リラとする旨の規定であった︒とりわけ︑第五二条の合憲性 先にものべたように︑イタリア憲法裁判所は︑

第四五巻第ニ・三合併号

一九八

0

年代に入って以降、陸•海・空の運送人の限度額制度につ

一キログラムあたり一万五千

︱ 二 四

鉄道運送人︵国有鉄道︶

(8)

が疑問とされた︒同条が鉄道利用者に対して民法の規定に比べてずっと厳しい条件を一方的に課している点が指摘さ れた︒すなわち︑民法一六九一二条︑第一六七九条および第︱ニニ九条には︑他の定期サービスの提供者の責任の類似

の制限は規定されていない︒運送品の滅失損害につき︑

一キログラムあたり三万リラの限度額を認めると︑国有鉄道の利用者と︑そのような限 度額制度を持っていない運送人の利用者とのあいだで︑大きな不平等が生じる︒三万リラの限度額が︑

来︑経済的情勢の変化に対応して改正されていないので︑その不平等は一層のものとなっている

⁝⁝運送品の損害賠償責任に関する限度額の存在は︑鉄道運送人に課せられた厳しい責任制度に根拠があるのでもなく︑

専有業者としての本来の地位に根拠があるのでもない︒立法者は︑大量運送・鉄道運送が引き受ける規模を前にして︑公社を耐

え難い財政的負担に曝さない必要性を考慮に入れたのである︒他方で︑鉄道によってなされる公共サービスの社会的任務と性質

が適用科金のレベルに過度に影響を及ぼさないよう規定するべく配慮したのである︒

⁝⁝一九六一年大統領令一九七号に基づく鉄道運送の法制度は︑民法により一般的に定められた運送契約の規定に対して︑

民法第一六八

0

条にいう特別法にあたるものである︒本法または特別法の規定は︑それ故︑民法の規定の枠組みを排除する︒し

かし︑その排除︑本件の場合︑運送人の責任に関する排除は︑恣意的ではなく︑また︑憲法第三条の規定を害しない︒何故なら︑

鉄道交通の特殊な要求と条件が︑民法の採用した法制度とは異なる法制度を正当化するからであり︑そして︑当該規定は︑その

サービスのすべての利用者に対して扱いの平等性を保証する鉄道運送のための規範態勢の文脈中に︑合理的に︑配置されている

運送人の損害賠償責任限度額制度の合理性 3

省略

2 憲法裁判所は︑一九六一年大統領令一九七号第五二条の合憲性を承認した︒ たは重大な過失による場合︑

︵主として︑憲法第 一九六一年以

一キログラムあたり一万五千リラ︑さらに︑運送人の故意ま

(9)

理由3

第四五巻第ニ・三合併号

一 見

一九六一年大統 本判決は︑国有鉄道の限度額制度の存在に︑ほとんど︑疑問を感じていないようにみえる︒まず︑理由2にみるよ

うに︑国有鉄道の経営の健全性を考慮した︑

し︑そこに︑利用者の利益に対する配慮を読み採ることは困難︑というほかない︒また︑本判決は︑

領令一九七号の立法者の立法姿勢︵とその結果・同第五二条︶

4)

︑同第五二条による民法の一般原則の排除の合理性・非恣意性を︑説得力あることばで︑説明してくれて

はいない︒たとえば︑﹁鉄道交通の特殊な要求と条件が︑民法の採用した法制度とは異なる法制度を正当化する﹂と

いっても︑鉄道交通が他の交通手段に対してどのように異なっているのかは︑まったく︑語られていない︒省略した

︵傍論にあたる︑と思われる︶において︑同第五二条の限度額が一九五二年一

0

月二五日ベルン鉄道物品運送

条約の規定する額に一致することを指摘するだけである︒限度額が国際条約の定めに一致している旨の論理は︑

( l )  

合理性を有するだけではなく︑他の限度額制度へも応用が効きやすくみえる︒しかし︑国際条約の定め自体が時代遅

れ・陳腐化している場合︑その論理は︑ほとんど︑意味を持たない︒

本判決は︑限度額に関する規定の合憲性について︑のちに続発する憲法裁判のさきがけになった︑というに留まり︑

( 2)  

当時︑それ以上の理論的興味をひかなかったようである︒しかし︑われわれとすれば︑イタリアにおいて︑限度額制

( 3)  

度について︑どのような視点から︑問題が呈示されるのか︑興味を覚えるところである︒

(1

) 

En zo   Fo g l ia n i ,  La   li mi ta zi on e  d e ll a   res po ns ab il it a  d e !  ve tt or e  a er eo n  i te rn az io na le   di   pe rs on e  n e l giudizio

e l  d l a  C or te   Co s t i t uz i o na l e ,  D ir i t to   ma ri tt im o,

 1985

pa g.

753 

s eg .

 

UR4

関法

いわば︑現実感覚に溢れた判決︑と評することができるであろう︒しか

の正当性を擁護することには熱心のようにみえるが

(10)

日︑トルコにおいて︑航空機の隊落事故が発生した︒その事故の犠牲者の遺族が航空会社に対して提起した損害賠償

請求訴訟の過程で︑航空旅客運送人の限度額を定めた規定︑すなわち︑

によって改正された一九二九年一0月︱二日ワルシャワ条約第二二条︵ならぴにそれを発効させるための一九三二年

五月一九日法律八四一号および一九六二年︱二月三日法律一八三二号︶

三年一月一七日決定︶︒

条約第二二条は︑航空運送人の人身損害に対する限度額を旅客ひとりあたり二五万金フランとするものであった︒

ながら限度額が設けられていない陸上運送の利用者との関係で差別を受けている︒さらに︑被害者の異なった社会

的・経済的事情を考慮せずに限度額が定められてあるため︑その規定は︑客観的に異なる状況を︑画一的に︑規律す

ることになっている︒これらの点が︑平等原則︵憲法第一二条︶に違反する︒そして低すぎる限度額は︑人間の生命お

よび尊厳の尊重︵憲法第二条および第三二条︶に違反する︒

② 

(2

) 

Fo ro   it a l ia n

0 は︑重要な判例については︑署名のある詳細な批評を載せるが︑本件の報告には︑脚注に無記名のごく簡単

(3

)

憲法裁判所一九八五年五月六日判決・一三二番

( Di r i tt o ma ri tt im o,

 1985, pag. 

751) 

一九五五年九月二八日ヘーグ議定書第一一条

の合憲性が疑問とされた︵ローマ地裁一九八

つぎのような疑問が生じたのである︒すなわち︑航空運送の旅客は︑同様の帰責基準が課せられてい

一九七六年九月二〇

(11)

第四五巻第ニ・三合併号

一九三二年法律八四一号第一条および一九六二年法律一八︱︱︱二号第二条を違憲とした︒

0 )

ヘーグ議定書第一一条によって改正されたワルシャワ条約第二二条一号を発効させる部分につき︑

当裁判所は︑結局︑運送人と被害者の対立する要求が調和しているかの検討を求められている︒いずれにせよ︑運

送人の責任に限度額を設けたことは︑損害の全額賠償の原則︑すなわち︑運送契約の款のもと︑民法第一六八一条の一般規定が

過失責任の原則と密接に関連して形成している原則を排除することになるが︑指摘されたような違憲のケースにあたらない︑と

明言しうる︒しかし︑それを明らかにしたことで︑当裁判所に託された検討を尽くしたことにはならない︒疑問視された条約の

規定が︑運送人の利益を憲法の規定に反しない損害回復のシステムと調和させえているか︑という意味で︑損害賠償責任の制限

が︑それが置かれている同じ規定の文脈によって︑正当化されているかを検討する必要がある︒ここで考察されている被害者保

護の要求は︑世界的な場の責任の法制度に着想を与え︑そして︑その発展を促進した論拠を考慮して︑明確にされるべきである︒

どのような損害賠償責任の制限の態勢が憲法第二条との適合性の条件を充たしうるかが明らかになるのは︑このような観点にお

いてである︒当裁判所の見解によると︑対立する利害の釣り合いのとれた調整を保証するにふさわしい法的な解決︑すなわち︑

一方において運送人の経済活動の領域を不当に圧迫しない必要性により支持され︑他方︑責任の負荷ないし限度額の実質の決定

に関して︑被害者の権利の適正かつ格別の保護をもたらす基準にしたがって考え出された解決であるべきである︒⁝⁝

⁝⁝運送人の責任の制限は︑損害の回復のための確かさまたは適正さの適正な保証が︑同時に︑用意されているかぎりに

おいてのみ︑正当化される︒この要件は︑航空運送の統一規定作りに参画している者たちのあいだでは︑すでに放棄不能なもの︑

と考えられている︒それは︑本判決のためにも︑先に定めた基準にしたがい

( 4 .

3参照︶︑充たされるべきである︒よりその

目的に適した手段の選択は︑当然︑関連法令の決定に委ねられる︒しかし︑本件においては︑いずれにせよ規定されえた︑そし

て︑べきであった被害者の保護が︑まったく︑欠けている︒疑問とされた規定は︑すでにのべたように︑ワルシャワ条約の最初

43

憲法裁判所は︑ 関法

(12)

運送人の損害賠償責任限度額制度の合理性 が明らかになる︒

の態勢に服する論拠によっては︑もはや︑支持されないし︑また︑損害賠償請求の保護の点において︑少しまえにみたタイプの

尺度のいかなるものによっても︑あがなわれ︑または︑釣り合いが採られていない︒⁝⁝それ故︑同条は︑人間の不可侵の尊厳

のために憲法第二条により設けられた保証を侵害している︑と結論づけるべきである︒疑問のすべての残りの部分は︑この結論

本判決は︑航空旅客運送人の限度額の規定に関するものであるが︑

1

おそらく︑憲法裁判所の意図するところと

は異なりー—|物品運送人の限度額の規定の合憲性の判断にも影響を及ぽしている。その意味で、本判決は、運送人の

限度額制度の合憲性を論じる場合︑避けてとおることができないのである︒

まず最初にわれわれの注意をひくのは︑本判決が︑その一部についてではあるが︑航空旅客運送人の限度額を定め

た規定について︑違憲の判決を下したことである︒この結論は︑実務的にも︑理論的にも︑大きな衝撃をもたらした

もの︑と思われる︒しかし︑それに至るまでの論理を辿ってみると︑それほど衝撃的な内容の持つものではないこと

むしろ︑理由

4 .

3

にみるように︑航空旅客運送人の責任に限度額を設けたこと自体は︑違憲性を帯ぴるものでは

ない︑としている︒そして︑航空旅客運送人の限度額の合憲性の判断を︑憲法第二条との関係で議論している︒人間

の不可侵の権利・尊厳を保証した憲法第二条との関係で議論することは︑物的損害に関する限度額制度への理論の適

用拡大を避ける意図を持つ︑といわなければならない︒もし︑平等原則を定めた憲法第三条との関係で議論すれば︑

その議論は︑物的損害に関する限度額制度への理論の適用拡大を避けることが困難になるであろう︒そして︑憲法裁

一九三二年法律八四一号第一条およぴ一九六二年法律一八︳二二号第二条の一部を憲法第二条に違反する︑と

︵ ︳ ︱ ‑

八 一

(13)

第四五巻第ニ・三合併号

( 1 )  

結論づけることにより︑憲法第三条に関する議論を避けることができたのである︒

また︑運送人の利益と利用者︵被害者︶

1 0

の利益の均衡する点をみる目も︑きわめて現実的︑というべきであろう︒

すなわち︑理由5︵いわゆる傍論にあたる︑と思われる︒本稿では省略︶においては︑

よびそれに関連するいくつかの議定書︑とりわけ︑いわゆる航空旅客運送人の絶対責任を定めた一九七一年三月八日

︵国内航空旅客運送人の︶限度額の定期的改定を定めた一九八三

年五月一三日法律ニ︱三号に言及しつつ︑憲法裁判所は︑あるべき限度額制度を示唆しているのである︒

しかし︑このような視点︑すなわち︑航空運送の経済的現実と国際条約の動向を考慮に入れつつ︑利用者の利益の

保護を計る考えは︑現実的ではあるが︑少し冷ややかにいうと︑人間の尊厳の保護に確たる基準点を与えるものでは

ない︑といえなくはない︒すなわち︑

pr iv at a)

を合わせる︑というのではなく︑逆に︑私的企業活動の社会的有用性の基準に人間の尊厳の保護を合わせ

る考えである︑と評することが可能だからである︒このような視点からすると︑とくに発展が望まれる企業活動に対

( 2 )  

しては︑人間の尊厳の保護を後退させることも正当︑と判断されることになるのであろう︒

もちろん︑本判決に対してみぎのような批判が成立しうる︑としても︑本判決が運送人の限度額制度の合憲性の限

界ないし条件を呈示した功績は︑

その定点に︑私的企業活動の社会的有用性

( ut i l it a so ci al e  d el l ' in i z ia t i va  

いささかも︑揺ぐものではない︒立法者は︑本判決ののち︑憲法裁判所の示唆をす

べて消化したかたちのものではないが︑国際航空旅客運送人の限度額制度を改正するため︑

( 3)  

二七四号を制定した

1 0

SDR

に相当する額に増額されたが︑その定期的改定のメカニズムは︑規定 グアテマラ議定書︑ならぴに︑航行法第九四三条の

一九八八年七月七日法律 一九二九年ワルシャワ条約お

(14)

憲法裁判所は︑航行法第四二三条の合憲性を認めた︒ 二条違反︶︒さらに︑限度額は︑

③ 

つぎのような疑問が生じたのである︒

ヽラッツォとリ

(1

) 

F o g l i a n i

,  

p .   c i t . ,   p a g .  

765 

s e g .

がいうように︑本件の場合︑航空旅客運送人の限度額の違憲性を認める︵被害者を保護

 

する︶のに︑憲法第三条違反を理由としたほうが︑簡単であったかもしれない︒しかし︑そうすれば︑やがて︑物品運送人 の限度額についても︑憲法第三条違反の判断が避けられなくなる可能性が生じたであろう︒憲法裁判所が物品運送人の限度 額の違憲性を認める意思を持っていなかったことは︑①判例だけではなく︑③以降の判例からも︑明らかである︒

(2

) 

F o g l i a n i

,  

p .   c i t . ,   p a g .  

67

8.

 

(3

)

D i r i t t o m a r i t t i m o ,

 

1988

p a g .  

1289

憲法裁判所一九八七年―一月一九日判決•四

0

一番(Diritto

m a r i t t i m o ,

 

1988, 

p a g .

59) 

 

パリを結ぶフェリーボートの沈没により︑トラックが積荷とともに滅失した︒その損害賠償請求訴訟の過程で︑内国

海上物品運送人の限度額を定めた航行法第四二三条の合憲性が疑問とされた︵カターニャ控訴院一九八六年五月一五

航行法第四二三条は︑運送人の限度額を積荷一単位あたり二

0

万リラとしている︒なお︑この限度額は︑

年四月一六日法律二

0

二号第二条により改正されたものである︒これに対して︑

すなわち︑航行法第四二三条は︑運送給付の債権者の経済的状況のちがいに基づく異なった所得能力のことを考慮に

入れていない︒それは︑損害賠償請求のために債権者の扱いに正当化できない不平等をもたらすものである

一九五四年以来︑改正されておらず︑人を愚弄するほどの少額であり︑船積時の価

額通告の可能性も︑それに対する適当な解決策になっていない

運送人の損害賠償責任限度額制度の合理性

(15)

ほうの主体︵荷送人︶に︑有効な保護手段を与えている︒ 第四五巻第ニ・三合併号

I i

~

⁝⁝損害賠償責任限度額の決定にあたり︑運送給付の債権者の経済的状況のちがいに基づく異なった所得能力を考慮に

荷送人の範疇の扱いのいわれているような正当化できない不平等は︑実際には︑生じていない︒何故なら︑損害賠償責任の基 準は︑限度額がない場合も︑つねに客観的に定められており︑そして︑荷送人の経済的状況のちがいは︑決して︑問題にならな

いからである︒それは︑運送賃の策定および損害賠償責任の決定のメカニズムとは無関係である︒

さらに︑航行法第四二三条の定める損害賠償責任制度は︑利用者が船積前にその価額を明示して︑運送品につき有する︑と通 告する利益に関して︑広範囲の作用を利用者の自治に委ねている︒そして︑この観点からすると︑運送給付の債権者の経済的状

況のちがいに基づく異なった所得能力は︑

1

控訴院判事が考えるのとは逆に

1

無関係であるが︑同条は︑本件の関係の弱い

主張されている憲法第四二条違反に関しては︑私的財産の保護のため同条の定める保証は︑金銭債務まで適用拡大しない︑と いうべきである︵憲法裁判所一九七六年四月二八日判決・九九番︶︒ましてや︑その決定に︑自治行為によって給付債権者の意

思が寄与した海上運送人の損害賠償債務の場合︑適用拡大は︑正当化されないであろう︒﹂

②判決が国際航空旅客運送人の限度額を定めた規定の一部違憲の判決を下したことを考えると︑

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たろう︒

憲法裁判所は︑

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7 関法

ふたたび︑物品運

(16)

統一条約の限度額は︑英国ポンドを計算単位にする当初の制度から︑

の変更および限度額の引き上げ︵重量比例限度額の併用︶︑そして︑

変更と︑大きく︑変貌してきている︒しかし︑その間︑船荷証券統一条約は︑

る︒憲法裁判所は︑その事実をもって︑価額通告制度の合理性を論証する意図なのである︒すなわち︑価額通告制度

( 2)  

が限度額の存在を正当化する支点

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o ) ︑と考えているのである︒

本件においても︑憲法裁判所は︑①判例におけるのとは若干異なるにせよ︑自らの論理・論拠の正当性を論証する

一九二四年船荷証券統一条約第四条に由来する規定である 理は︑かならずしも︑咬み合ってはいないようにみえる︒前者の疑問は︑運送債権者・荷送人の経済的状況の差異を考慮に入れない限度額設定の在り方の当否を問うており︑憲法裁判所は︑むしろ︑それが平等に叶う︑という意識を持っているようにみえるからである︒しかし︑カターニア控訴院も︑おそらくは︑後者の疑問のほうに重点を置いて︑それに対する憲法裁判所の回答を期待していたもの︑と思われる︒なぜなら︑憲法第三条を主たる根拠とする同様の疑問が︑すでに︑①判決において︑退けられているからである︒

一貫して︑価額通告制度を維持してい 一九七九年議定書による計算単位の

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一九六八年議定書による計算単位の金フランヘ 一九ニ︱年ヘーグ規則の大部分を受け継いだ 憲法裁判所は︑後者の疑問も受け入れなかった︒すなわち︑航行法第四二三条は︑限度額を排除し全額の損害賠償請求権を留保する方法として︑価額通告制度︵国際海上物品運送法第二二条五項に類似する︶を用意しており︑その制度が荷送人を保護するに充分の機能を有している︑という理由である︒これに至るまでに︑憲法裁判所は︑理由

4

︵傍論に属する︑と思われる︒訳出省略︶において︑航行法舘四二三条の機能範囲を明確にするため︑相当の長文を

費やしながら︑その生成と発展の跡を辿っている︒すなわち︑同条は︑

︵航行法立法理由書二五二番および二五三番︶︒船荷証券

(17)

たことを確認するだけではなく︑さらに︑ 第四五巻第ニ・三合併号

︵傍論︑と思われる︶において︑立法者に法

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‑ 四

ために︑国際条約を持ち出している︒すなわち︑①判例においては︑鉄道運送人の限度額につき︑国内法の定める額

一方︑本件においては︑限度額を排除する価額通告制度が︑船荷証

券統一条約によって︑絶えることなく︑維持されていることを強調している︒①判例に関する論評のなかで指摘した

とおり︑国内法の制度の合憲性を論証するために︑国際条約に依拠するのは︑

も富んでいる︒したがって︑本件において︑憲法裁判所が航行法第四二三条の合憲性を論証するために︑船荷証券統

一条約第四条五項を持ち出したことは︑充分に予想されたところである︒そして︑価額通告制度を限度額の正当化の

支点とする論理は︑以後の判定により︑基本的に維持されて行くことになるのである︒

しかし︑われわれは︑なお︑ふたつの点に注意を払っておくべきであろう︒まず︑憲法裁判所は︑理由7

航行法第四ニ︱︱一条の合憲性を認める結論に達したのち︑さらに︑理由

8

( 3)  

改正を促している点である︒そして︑憲法裁判所は︑②判決の理由

5

においても言及した︵国内︶航空物品運送人の

限度額に関する一九八三年法律ニ︱三号をモデルに︑法改正がなされるべきことを示唆している︒

規定している︵第一九条︶︒なお︑同法施行後の航空物品運送人の限度額の最初の改定は︑ 一九八三年法律二

一三号は︑航空旅客運送人の限度額の定期的改定だけではなく︑航空物品運送人の限度額についても︑定期的改定を

一九八七年三月七日大統

領令二0一号によるものであり︑航行法第九五二条一項に規定の限度額を一二倍︵運送品一キログラムあたり一万リラ

から三万リラ︶に引き上げた︒憲法裁判所は︑この事実を指摘するにあたり︑同大統領令が②判決のあとに施行され

一九八六年航行法改正要網三八番が同大統領令と同一方向を示しているこ

とにも︑言及しているのである︒このような憲法裁判所による明白にして詳細を極めた催促にもかかわらず︑立法者 が条約のそれと一致している旨を主張している︒ 関法

一見︑合理性を有しており︑汎用性に

(18)

運送人の損害賠償責任限度額制度の合理性 つぎに注意するべき点は︑本判決の採用した論理の適用範囲である︒すなわち︑価額通告制度をもって限度額制度

の合憲性を論証するための主たる論拠・支点とする論理は︑価額通告制度を準備していない限度額の規定の合憲性を

論証する場合には︑ほとんど機能しないことになるはずである︒そのような規定の合憲性を論証するためには︑別の

論理が必要となるが︑憲法裁判所は︑やがて⑥判例において︑その事態に遭遇することになる︒さらいえば︑価額通

告制度を伴う限度額制度についても︑事実上︑荷送人が価額通告できないような客観的事情がある場合︑運送人が限

度額の利益を享受しうるか︑という疑問を残すことになるであろう︒米国法にいうfair

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( 5)  

理論に類似の問題が生じうるのである︒カターニア控訴院の後者の疑問には︑その問題に対する意識があったかもし

れないが︑憲法裁判所は︑少なくとも判決理由をみるかぎりでは︑そのような問題意識を有してはいなかった︑と思

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参照