博士論文(論文博士) 審査要旨
論文題目
弥生人と鳥
―農耕のはじまりと鳥霊信仰―
論文提出者 白石 哲也
審査委員
主査:谷口 央(首都大学大学院人文科学研究科 教授)
副査:山田 昌久
(首都大学東京大学院人文科学研究科 客員教授)副査:石川 日出志(明治大学文学部 教授)
1.本論文の目的
本論文では、弥生時代における鳥への信仰・崇拝(鳥霊信仰)を明らかにすることを目的 としている。具体的には、その系譜や列島内での展開過程などを鳥に焦点を当てて、体系的 な整理をする。
鳥霊信仰とは、つまり神もしくは神の代理と見立てた鳥に対する信仰である。このように 鳥や稲などに対する神観念の発現は、それまでの縄文時代には見られず、弥生時代なってか ら生じると考えられている。当然ながら、これら新たな価値体系は、日本列島で自律的に生 成したものではなく、稲作農耕文化に含まれた新たな価値観念として移入されたものであ る。だが、鳥霊信仰と水稲耕作の関係性の根拠は、1)弥生時代に鳥形木製品や土製品が出 現すること、2)銅鐸絵画などに描かれること、の2点につきる。
もちろん、既存研究を踏まえる限り、稲作農耕と鳥霊信仰に関係があることは否定できな い。だが、近年では生業の多様性が明らかにされつつあり、単純に鳥と水稲耕作を関係づけ るだけでは、弥生文化の多面性のなかで鳥霊信仰を位置付けていくは不十分である。ゆえに、
改めて現状の弥生文化研究のなかで、弥生時代の鳥について、検討する余地は十分にあろう。
そこで、既存の資料を体系的に整理し、現在の弥生時代研究の成果と結合することで、弥生 時代の鳥霊信仰の具体像について考察する。
2.本論文の構成
第 1章から第 4章では、日本列島で出土した弥生時代の鳥形製品について、具体的な遺 物資料に基づいた考古学的分析を行い、それらの使用目的や役割などを明らかにしていく。
手順としては、基礎情報の整理(形態分類、出土状況、分布など)を行い、それらを踏まえ て鳥形製品の類型化と時期別変遷および分布変化などの分析を行う。従来、鳥形木製品や弥 生絵画の研究は、それぞれ個別的に行われてきたが、本論文では鳥霊信仰をテーマとして総 合的に体系化していくことを意図している。
第 5 章では、東アジアおける鳥霊信仰の系譜を検討し、弥生時代の鳥霊信仰の位置づけ を行う。佐原真は、弥生文化を3つの文化要素にまとめ、「A 大陸から伝来した要素」、「B 縄文文化から伝統としてうけついだ要素」、「C弥生文化独自に発達した要素」として、鳥霊 信仰に関しては、「A3思想・習俗」の①各種の農耕儀礼と④木の鳥とした(佐原1975)。つ まり、佐原は、鳥に関しては大陸からの要素と理解する。同様に、金関恕も鳥霊信仰につい て、中国の古典中に記述される鳥装習俗に関する記事などを踏まえ、中国にその起源を求め ている(金関1984)。これら既存研究より、その系譜については、稲作文化の起点とされる 河姆渡文化(新石器時代中期)や良渚文化(新石器時代後期)、そして、殷・周、漢代まで の鳥と人との関わりを概観することで、系譜を探る。そのうえで、日本列島の弥生文化にみ る鳥霊信仰を相対的に捉えていく。
終章では、これらの成果を踏まえ、縄文社会から稲作農耕を中心とした弥生社会へと変容 していく過程のなかで、鳥霊信仰が日本列島のなかで、どのように展開・受容されていった のかを考察する。
3.本論文の要旨
本論文では、鳥形製品と描かれた鳥のモチーフについて個々別々に分析を行った。
まず、第1章では鳥形木製品を対象とした。鳥形木製品が弥生社会のなかで、どのような 位置づけにあり、それを用いて、どのような儀礼行為が行われてきたのかということを探る ことを目的としている。本章では、日本列島で出土した鳥形木製品を集成し、その起源と展 開過程および出土状況の詳細な分析を行った。その結果、鳥形木製品は、弥生時代前期の畿 内周辺で出現することが明らかとなった。こうした事実は、これまでの従来の北部九州の弥 生文化とともに鳥霊信仰は波及・展開する説とは異なるものであった。これは、鳥形木製品 の起源を朝鮮半島の蘇塗に求めることにあったが、それほど単純ではない様相が見えてき た。また、鳥形木製品の役割についても多様であったことを考古学的に追認できた。この多 様な役割を保持しているなかでも、重要なことは、それが導入当初より確認できることであ る。このことは、鳥形木製品を用いる文化は、日本列島で自律的に形成されたものではなく、
大陸から移入されるなかで受容した文化要素であることを示していることを明らかにした。
第2章では、鳥形土製品を対象とした。これまで鳥土製品に関する議論は、非常に少なか った。実際、鳥に関する弥生絵画や鳥形木製品と比べても、ほとんど議論の俎上に上ること はなかったと言ってよく、そのため、現在まで研究の進展が遅れている分野のひとつとなっ ている。それゆえ、資料の分類作業は行われても、機能や文化的意義を探求する試みは行わ れてこなかった。そこで本章では、鳥形土製品を体系的に整理することで、鳥形木製品と同 様にその起源と展開過程および出土状況の詳細な分析を行った。その結果、「農耕祭祀と関 わりがある遺物」という曖昧な解釈が行われてきた鳥形土製品にも、複数の類型があり、そ の付与される役割なども異なることが明らかになった。
出現時期は、弥生時代前期には畿内周辺で確認できた。その後は、畿内だけでなく北陸、
東海、中部、関東への波及・展開していることも明らかになった。この動きは、方形周溝墓 や環濠集落などの畿内的な弥生文化の伝播過程と概ね一致していた。これら鳥形土製品は、
多くはニワトリを模した鳥形土製品であることを明らかにした。その主な用途は犠牲禽と しての役割を担うべきニワトリが少なかったことから、土製品で代用したようである。また、
分布としては北部九州では下稗田遺跡を除きほぼ出土していない事実が見えてきた。これ は、稲作農耕の先端地域であるはずの北部九州では、このような習俗が定着していなかった とみられる。
第3章では、土器や銅鐸に描かれた鳥について検討を行った。銅鐸や土器の絵画は、弥生 時代中期に急速に盛行し、その後は記号化する。さらに、その出現地域はほぼ畿内に集中す るという特異性を持つ。しかし、この中期という時期は弥生時代において、その文化が列島 の各地に展開する時期であり、非常に重要な時期と言える。このような背景のなかで、描か れた鳥のモチーフがどのような意味を持っていたのかを明らかにすることを目的して検討 を行った。その結果、鳥の解釈は、銅鐸に描かれた鳥を対象に行われきた。そして、稲作農
耕との関わりのなかで穀霊を運ぶ鳥として解釈され、土器の絵画にも同様に適用されてき たのであるが、今回の整理によって、土器の絵画については、一概に稲作農耕と結びつけた 解釈を当てはめることは適切ではないことが明らかになった。また、銅鐸では長脚長頸の鳥 のみが描かれているが、土器絵画に目を向けてみると、そこには奈良県唐古・鍵遺跡第 93 次のようなシカとの交合儀礼のような描写も描かれており、もう少し鳥の意味することを 深く考察していくことで、描かれた鳥がどのような役割を持っていたのかを考えていく必 要があることが指摘した。つまり、描かれた鳥は確かに長脚長頸の鳥が多いことは事実であ るが、弥生時代の人々はそれらの鳥だけを見ていたのではなく、役割に応じて鳥を描き分け ていたと考えられる。これにより、すべての鳥が稲作農耕と関わっていたのではなく、もう 少し別の意味が付与されていたということが見えてきた。
第4章では、鳥装の人物を対象とした。土器や銅鐸に描かれる弥生絵画のなかには、鳥を はじめとしてシカやイノシシなど様々な動物、楼閣や高床建物などの建造物、そして人物画 が描かれる。そのなかには、人物が鳥の姿になる場面を描くこともあり、これは鳥霊信仰と の関連性が高いと思われる。現在まで、鳥以外の動物に似せた人物画は確認されておらず、
弥生時代においては鳥装することに、何らかの意味が含有されていたと考えることができ る。本章では、これら鳥装の人物がどのような人物であったのかについて検討を行った。
その結果、鳥装の人物の起源についてはまず鳥装の人物に関する起源は、少なくとも日本 列島では弥生時代中期には、その存在を確認することができた。また、鳥装の人物に関して は、3つの描き分けがなされており、①両手を挙げる人物、②武器(盾と戈)を持った人物、
③船を漕ぐ人物となる。これらを具体的に検討した結果、①両手を挙げる人物は、もっとも 多く描かれており、その姿は、農耕祭祀における舞踏の状況を示していると考えられ、性別 は女性であった可能性が高い。次に、②の武器を持った人物は、祭祀における武舞を示して おり、銅鐸に描かれる人物もまた同様に行っていたものと理解できる。性別については①の 人物とは異なり、男性であったと考えられる。③の舟に乗った人物は、船文自体が出土地域 などを鑑みると海や河、巨大な池の周辺から出土することも多く、農耕を含めつつも「水」
との結びつきも考えていく必要がある。鳥装の人物が、舞踏や武舞を通じて農耕に関わる祭 祀を行っていた場面を描いた可能性が高いことを明らかにした。
第 5 章では、鳥霊信仰の起源に関して、初期農耕社会である河姆渡文化と良渚文化の状 況について概観した。河姆渡文化は鳥と太陽を中心としたモチーフがあり、良渚文化では鳥 と太陽に加え、鳥人(司祭者)が登場することが見えてきた。河姆渡文化における鳥霊信仰 は、まだ原初的色彩を強く感じるが、良渚文化ではモチーフが用いられる遺物が階級と結び ついており、かつ司祭者の存在から、その精神性は高度に発達していた様子が伺える。しか し、その後の中国では鳥に限らず、神霊化された動物の全体もしくはその一部は青銅器にお ける装飾美術の紋様として用いられるようになる。これは農耕文化のなかの信仰のひとつ に鳥霊信仰があったのであり、そのなかで鳥への信仰も発達していったのであろう。だが、
あまりにも多様化しすぎており、現状はそこへのアプローチの難しさも浮き彫りとなった。
終章では、第1章から第5章のまとめを行っている。弥生時代の人々は、鳥に対して様々 な関わり方をしていたことは明らかである。例えば、長脚長頸の鳥に対しては「稲魂を運ぶ 鳥」、ニワトリについては神に捧げる「犠牲禽」、鳥類については「死者の魂を運ぶ鳥」とい うような形で、役割に応じて異なる関わり方がある。そして、そこには人々の鳥に対する意 識が投影されているものと思われる。また弥生時代の鳥霊信仰は、当初より山陰・畿内を中 心として、畿内弥生文化の広がりとともに列島への展開をみせる。これは、北部九州弥生文 化をどう捉えるかということとも関わっており、今後の弥生時代研究において重要な問題 提起となると思われる。
4.審査結果
2020年1月23日(木)13時より、本学5号館436室にて公開審査を行った。本研究の
意義は、目的にもあるように、弥生時代における鳥への信仰・崇拝(鳥霊信仰)を明らかに すること、つまり、その系譜や列島内での展開過程などを鳥に焦点を当てて、体系的な整理 をすることにある。特に、弥生時代を考える場合、どうしても農耕文化の伝播との関係を意 識してしまう傾向にある。その様な状況の中で、鳥への信仰・崇拝については農耕文化の伝 播とは異なる事実を指摘した点は評価すべきと考える。
一方、公開審査では以下の問題点が指摘されることになった。第一は全体を通じての鳥形 遺物自体と直接つながらない文化的事実である信仰の関係である。白石は民族学・文献等を 導入することにより、その接合点を密接なものにしようと努力しているが、残念ながら論理 的に無理をしている点が残ることは否めない。第二には、平面的な木製品と立体的な土製品 を同等に扱っている問題が指摘された。これに加えて同じく研究対象について、「鳥」事態 の認識についての疑問も出された。すなわち、現在の認識で「鳥」と言えば、鳥類全般を指 すことに抵抗はないが、弥生人にとって果たして飛べない鳥である鶏は「鳥」として、例え ばサギ・カラスなど飛翔する鳥と同一範疇に収まっていたのかと言う疑問である。第三には、
本研究は考古学の遺物・遺跡研究なのか、もしくは民族学研究なのかという問題点も指摘さ れた。第四には、特に論文後半の3・4 章について、他社の研究データへの依存が強いが、
ここでまとめられたデータは悉皆と呼べるのか、また思い込みに基づく認識的な面はない のか、と言う解釈についての問題点も指摘された。第五には、弥生時代遺物の鳥がどこで、
どのように、そしてどの種類が利用されていたのかの認識不足、第六には、東アジア全体を 見据えようとするが、その意図はなにかと言った疑問も提出されることとなった。
以上のように、本研究は確かに従来とは異なる大きな課題を捉えているとは言え、個別に は粗い面も遺されることが指摘されることとなった。とは言え、総評としては、日本の初期 農耕文化を耕作技術や作物でとらえるだけでなく、社会の精神的背景に着目して鳥を素材 に挙げたことは、氏の研究構想の独自性として高く評価できる。また、鳥をかたどった遺物 を悉皆調査して、その分布・系統を提示したことで、従来の朝鮮半島⇒九州⇒近畿地方とい
う伝搬ルートを考えた研究に、新たな日本の近畿地方に発信地があるとする、白石の整理は、
その後の国家形成の動向と一致し、日本列島内の鳥に関する考え方の形成過程が、国家形成 集団と重なる点で意味がある。単純なアジア起源でない議論は、今後さらに深める必要があ るが、今後大きな研究の流れにつながる可能性が高いことは明らかである。
確かに、課題として、明らかになった鶏・鷺・鶴・猛禽類などの鳥が、個々に整理できて いない点や、弥生時代の人々の意識の違いが追及されていない点は今後の課題として残る 部分がある。特に、それぞれの鳥に関する意識は、決して同じであったとはいえず、その差 異を整理する必要があったことは課題として残される。しかし、それを、博士論文の次の段 階の課題としてしっかりと認識されていたことは,審査の際の応答で理解できていることは 確認できた。以上により、震災委員一同は、白石哲也に博士(考古学)の学位を授与するこ とが適当であると判断した。