富士山における溶岩洞穴の形成過程(続)
著者 藤村 郁雄
雑誌名 静岡地学
巻 40
ページ 7‑10
発行年 1979‑11‑11
出版者 静岡県地学会
URL http://doi.org/10.14945/00025604
40号 (1979)
におけ 洞穴の形 (続)
藤 村 郁 雄 *
は じ め に
39号 (1979年S月)において ない洞穴"について述べる。
を したがその しなかった明子し口の
~ 1 孔 口 の な い 洞 穴 1)
の平面スケッチである〈一 ) 0 この澗穴は
K K 穴に し、留の命点
A →Eを少 してから北方へ曲がる に曲がる本澗であるo B D EとB C
に巾広くなり Pが天
井まで達しており、島のような、叉は
のような している
(図の斜線部〉。こ の横断
面は楕円形で長箆が20m 、短符は 8 m 、但し天井部はこれよりもやや細 自になっているO これと同様の杵が Pよりは綿いが Cの近くのp'にもあ りEその長径は10mミ は6 mであ るO 孔道の は底の平らなレン ズ形で、概して天井が低い。
は⑫の付近と Pの A俄jの所が高く 3 m 、その他はせいぜい2 m前後が い方で大人が辛うじて立って歩けるo
B付近では落盤や:溶i岩 屑 ( 石 炭 殻 状の小岩塊)が堆積し、どうにか這 って潜れる。 AとPの間も堆石で孔 道が僅かな線開をつくっている。 A Bの 澗 床 は ほ ぼ 平 担 で A、B両 方 から溶岩が流入しているように床面 に縄状溶岩が出来ているo E →Dも 本長泉町(元事士山測候所長)
の梯子を{云し を8 m った所で洞 にある
は ように引く"の字形に曲がり、 Bには B D Eがつく o B →Aは北東、 B→Cは でほ さはほ しく 70m 、BAは 90mで、この中央部は孔道が特
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¥ 路
国 1 三 島 溶 岩 洞 穴 の 年 麗 ス ケ ッ チ (圏中の数字はその付近の天井高m )
B→Cも僅かながら下手Cへ向かい傾斜している。 B C及 びD Eの 床 に は 天 井 の 岩 盤 崩 落 が 所 々 に 見 られる。 B Cの洞内は黒色鮫肌の内装が美しく、天井には溶岩鐘乳、床には溶岩石筏が出来ている。
いものでは 10cmぐらいもあるが大方は数cmの鐘乳及び石笥である。 A、C及 びBの澗輿は何れも 行止まりで天然の孔口は無い。 B付 近 の 地 表 は 市 道 に 当 た るO この辺りの天井の岩盤の淳さは 1"‑' 2 mの 所 も あ り 、 昔 道 路 が 舗 装 さ れ て い な か っ た こ ろ に 、 筆 者 は こ の 付 近 で 荷 馬 車 の 轡 櫨 ( れ き ろ く ) の 弔 潤 に 反 響 す る 音 を 聴 い たo Bの付近の洞内では天井から木(あるいは草)の細い根が下がり、
とミズも見られているO 向 、 図 の 天 井 高 の 数 字 の 単 位 は 当 時 ( 昭 34)の測量担当者が逝くなってい る の で 確 認 さ れ ず 、 筆 者 の 想 録 で 尺 と し 、 そ れ をm単位に換算したものである。
次 に 、 こ の 図 1は 昭 和 例 年7月の測量によるものであるが、最近刊行されたh早 稲 田 大 学 探 検 部 の に よ っ て 昭 和46年 に 作 成 さ れ た 図 ( 友 野 博 1979)によると、 図1のD点 か ら 新 た に 大 小2本 の南下する支洞が発見され記入されているO 大きい方はB Cよりも少し短いが、孔道の巾はB Cと似 た よ う な も の でB Cに並行する洞穴であり、小さい方はこの大きいのとお Cの関に有りE 細く短かく、
間もなく B Cへ合流しているO
2) 厚 原 風 穴
(標高 100m前後)に見出された風穴 の地下6 mで 洞 穴 に 際 会 し たO 富 士 山
(1979)の中からこ Lに (1978) 9丹、富士山の講側、
)であるO 同市が防災用水槽工事に当たって、
々員小川賢之輔氏、同小111孝徳氏らによる 及 び そ の 概 要 を 引 用 さ せ て 買 い た 。 ( 図2 )
これは
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摩 原 麗 穴 の 平 蔀 国 @ 額 面 関現荘、人口孔口があるが、 に は 、天 然孔 口に つい てそ の の 確 認 が 得 ら れ て い な い と い う べ
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きであろうO 留 に お い て 孔 道A Bの長さは 88mである。人工孔口E点 が 潟 穴A Bの中央部にあり、 B
→Aは東北東、 E→Bは 西 の 方 向 で こ れ は こ の 地 域 を 薦 状 地 的 に 展 開 し て 流 れ た
に沿うものと説暁されている。孔道はA Bの本調に長さ 10m足 ら ず の 安 調S個がついて居りそのうち 4 f聞は上方向きに、 2個 は 下 方 向 き に 分 岐 す るO 本j間はAからBへ 一 見 単 調 に 下 降 す る が 、 よ く 見 る と 所 々 緩 い 乍 ら も 階 段 状 下 隆 が 示 さ れ て い る 。 孔 道 の 嶺 断 面 は 患 の 平 ら な レ ン ズ 形 で 、 令 体 に 天 井 が {尽く 2 mに 達 す る の は 右 端 ( 上 手 )A付近と、 Aの少し下方の支潤分岐点だけくらいで、あとは高く
とも大人が辛うじて立って歩ける軽度である。 E点 の 上 手 が 水 平 床 で 、 か つ 孔 道 が 広 巾 と な り (10
m x 10 m 、 洞 中 最 も 広 い 〉 そ こ へ 東 方 か ら 入 っ て 来 る 孔 道 が 中 段 の 仕 切 り を も っ 二 階 構 造 〈 )となっているo E点 の 下 方 の 孔 道 側 援 に は 搭 岩 槻 及 び 床 の 流 動 を 示 す 痕 が 見 ら れ る と い う 。 孔 道 に は 所 々 堆 石 が あ り 、 床 に は 縄 状 祷 岩 が 見 ら れ るO またイタチの骨やクモが見られている の で ど こ か で 外 気 に 通 じ て い る 、 或 る い は 通 じ て い た こ と も あ っ た と 推 察 さ れ て い るO 、病内至る所に
が天井から垂下しているO
S 2
孔口のないi問穴の成因 1)三島溶岩洞穴ここには天然の孔拝が無い、しかしながら洞内に て い る こ と に つ い て 考 え て みると、このP、p'はもと堅孔で、そこへ新たに地表を流れる溶岩流が襲来し堅孔を覆い標、してしま ったのではなし、かと推察されるO 柱P、p'はそのとき堅孔に蓋(ふた)をした溶岩流の垂一下したもの であろう。向もとの堅子LPは洞穴が出来るときのP破砕(前報にて記述)の役割を演じたもので、p' の方は堅孔が単にPと連通管となり、 Q流 出 ( 前 報 に て 記 述 ) に し た が っ て レ ベ ル 下 蜂 を し た Yけの も の で あ り 、 例 え ば 万 野 風 穴 の 丸 窓 式 の 、 或 る い は ま た 氷 穴 群 〈 精 進 口 登 山 道 二 合 呂 付 近 ) の 一 つ の ようになっていたものと
Rjg 46に新たに発見された るO
はBCとともに同じ洞穴の の分岐洞と考えられる。
2) 厚 原 風 穴
こLでは Aか ら 先 の 東 方 ( 天 然 孔 口 の あ る 洞 穴 の 下 手 洞 の たように、先ず一足洞穴が出来た れてしまったものであろう。
)がどのようになっているか判らないが、兎も角この洞穴は通例の で あ ろ う と 考 え ら れ る 。 こ の 場 合 も 、 前 節 三 島 溶 岩 沼 穴 で 述 べ の 上 に 新 た に 溶 岩 流 が 上 乗 せ し て 流 下 し 、 天 然 孔 口 が 蓋 を さ
お わ り に
三 島 市 管 財 課 長 栗 原 多 市 氏 、 同 社 会 教 育 課 長 金 田 豊 氏 、 同 商 工 課 長 遠 藤 正 己 氏 、 富 士 市 環 境 保 全 課 次 長 影 山 義 秀 氏 、 同 社 会 教 育 課 長 矢 崎 誠 次 郎 氏 に は 様 々 な 資 料 に つ い て ご 教 示 頂 い た 。 特 に 厚 原 風 穴 の調査に当たられた小)11賢之輔先生にはその報告書の引用について快いご承認を頂き、
を頂いた。各位のご親切に淳くお礼を申しあげる。
なご教示
文 献
(1956)三島溶岩洞について、地学しずはた 第 9 2. 小JII ‑小)11孝 徳 他(1979)摩原風穴調査報告(仮刷)、
(1959)景勝の地、溶岩洞、
4. 友野 (1979)自でみるZ コ。 緑星社
静岡地学第39号(昭.54. 6.)
における溶岩洞穴の形成 村 郁 雄 正 誤
頁 行 誤 正
21 はしがきの下から 2行自 選出 道出
府 図l の題 分布図 分布図(・印溶岩洞穴〉
22 2)横穴型のよから4行自 り立って り 立って
。 2)水平型の上から2行自 孔 が 図 の 孔が関及び後出写真の
庁 4)小丘型の上から2行自 30 cm 30m
〆
〆 庁 庁 下から2行自 7",‑,8cm 7"'‑'8m
23 図6 本栖第一甑穴の長さ 435 m 620 m
24 ~ 5の終りから8行自 山 梨 県 鳴 沢 村 足和田村
。 11 H l行自 な t" ¥ 云われない 25 S 8の4)言明離上から2行自 はiこIJ¥さt" ¥ lこは小さ~"\
H 下から8行自 竪 穴 の 場 撃孔の場
式f 一番下の行 S 11 竪 穴 堅子し
26 上から5行自 弘法穴 万野嵐穴
。 11 8行日 4"'‑'5cm 4"'‑'5m
ノγ 下から3行自 採 石 場 ) 採 石 場 ) (写真後出〉
28 上から2行自 小)11i恵‑‑ 小)11孝 徳
庁 下から4行日 される、 される(写真後出λ
29 2)の本文上から5行自 沿う上向き 拾う下向き
λ, 下から7行自 ( ‑J,下
庁 庁 2行毘 C →O C→O
30 上から2行自 (背〉に (背)の中央に
。 市 8行自 V は Vが
I! 庁 11行毘 P",‑,Oの 8‑‑0の
庁 I! 12行毘 底 地 域 正 庄 域
庁 点r 13行日 ととを、 こと、
。 庁 14行自 P",‑,O 8"'‑'0
。 庁 19行日 て嬢発 嬢 発
庁 下からl行自 鴎16 図15(V)
31 ~ 1の1) 本文初め 次第に 先凹ず負圧によって外殻の弱点部に みが出来、そこへ次第に、
H S 2の2)のよから 1行話 床は 下床B新)聞溶は孔口の下部で上苦闘と分岐しは
32 上から6行毘 3 )溶岸概 岩槻
33 。 刊 行 自 連i蚤営犠式 連i選管様式
H 結 び の 下 か ら2行自 渡辺吉見 渡辺吉日