三島溶岩洞について
著者 鮫島 輝彦
雑誌名 地学しずはた
巻 9
ページ 18‑20
発行年 1956‑01‑10
出版者 静岡大学教育学部地学研究部
URL http://doi.org/10.14945/00005969
18
三 島 溶 岩 i 同 に つ い て
n 彦
R E
島官士山の溶岩流の中には数多〈の格岩洞が知ら札ていて具穴ぷ穴ム九胎内洞コタモリ穴等の をの内い〈っかは天然記定司自にも指定さ札ている。〈分弔図書照〉
名で呼ば抗、
三島博岩洞は、三島浴場流り末館近(!ζ 最近発昆さ札たもので、三島市の手によって盛描苫
¥
三山崎博岩トンネルの平面図
︿斜線の部分は柱となっている岩石) 札一哉の観覧に供さ札ょう,とレて
いる。
三島駅ホームの柑憐の現三共磁 薬工場敷地内の採水井戸を、数年 前富士製粉工場当時に拡大改修し た 様、地表から
8
幅約近でこの熔 岩澗町田区重を破ったために発見さ 札たのである。¥ 、、
叫 、、
也 、
地下川より軒
1 7 ) (
す る 目 的 で 掲 ら 札 、 叫 帥、 問、 、 一
、
、、この井戸は三島溶岩流中を流札る
︑ ︑
︑ ︑¥
︑
たもので、約
1 5
怖の採さで水面 に遣い電動ポムプで採水してい る。地下川はこの地点で相当の急 、々 ; 。 。
流を為すものL織で、下流は一部
楽寿調的近に湧県し大部分は吏に下って清次村泉附近で 濁泉となるものである。
三品溶岩洞は図の如<
N 2
(J'W
に伸びる主洞にN4
伊Eに伸びる大きな介役が交又していて、南半部は前記工 場敷地内にある松中央部の地訟を道路カ向調町
i L
内 北 東 介枝は元静大教育学部分校敷地内にある。洞の絵証長は.
約
210
明、 床函積約24 0
、空洞容積約2 . 500
叩匂l>って、横断国 は か ま ぼ こ 裂 を 呈 い 天 井 町アーチは力学的な突しい曲面である。床而出胃内V
明Ul
床面 I~札た二次浴塘流は分枝の北東輝 から抗孔込んだ有織が、表面の沌状紋によ
り明瞭に認められ、潤内を流下するに従っ て表面の冷却の為にスコリアを載せる線に
なる。澗の滋路下に当る部分は洛皇室が著る しし通行困雌な離である治三、天益出、厚
さ
50
間程度の滞叡にはがれ)(.ちていて、はが10た活岩片の上附にも制状紋が認めら
n
る。X
判。天井は地下4
冊乃孟8
1/'り1車 さと推定さ札るが、耐の上部の地三回it,tjQ)7
酔なりにF . i 1
闘よりもO.5‑1mj
盟主E
り上つτ
いるlIiがわかった.19
三島市.;1
i
ト ン ネ ル の4
恒置を示す断商図一 一 ー一 一 一一 円 一一一
以上の僚な観岳きから荷。事総宜を推定するム凶の如〈 ZE幼nl:JVf~下によ-:;て生じた荷局の亙な旬か
ら成る浴岩部己が、末1e可成均高温で幾分可量
1
主を有する持制民浴』苦から主主Ii¥さ札た;tiλが或石庖 r4111::県中して溜り.この為上部のJðは押し hげ ~).n.て満州i班、 モのI血後に(或凶制中に)上耐よりしぼり出さ札て来式ニ高温な浴岩料開内に注入
L
て湖町床面をu ;
;rn
たものと考えらn
る。 澗 内 山1 1 1
、散の品泊錦礼石及1J'右衛が見ら札る他、白色fi写慣の鎚礼石及び石筒が多数存在する。この鑓孔石は長いものは
1 5
岬 以 上 に 遣 い 等 方 貧 鉱 物 (u 宇1. 4 85)
よりh t } r
,紛塩績の為と 思はれる突m
な緑色を呈するものもある。成分は現在の所不明で、分好を仔っている。 ζの他壁面 に突しい石P
干の結晶の眠備が認められた.ー
ー
‑ , 富士洛岩中の溶岩洞
の 介 布 図
, ‑‑
芯
h訪
メ提拘也
、 ι 1
ヒD
II'l向調下町で
d
kコ ー を
1m."警官官
前 原
E3 熟知‑f.
II5t" . . . . . 阻止 句 4 棺河
EI血1J )く栴
t 20
術睡
1
震、
..,:大野晶冗
て 三 島
ι 1
氏 側健闘
ρ
富士山
伸八前六一或穴
R J
示︑人︐
ラ
く附F客相官圏 1.仰 障 担 周
己コ 沼、車
d
"
二~ミ回こ:
"
軍属山