タイ人の価値観に関する一考察 : 仏教と「個人主 義」の関係をめぐって

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タイ人の価値観に関する一考察 : 仏教と「個人主 義」の関係をめぐって

小野沢, 正喜

九州大学

https://doi.org/10.15017/2231575

出版情報:九州人類学会報. 4, pp.30-33, 1976-12-10. 九州人類学研究会 バージョン:

権利関係:

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タ イ 人 の 価 値 観 に 関 す る 一 考 察

一 仏教と「個 人主義」 の関係をめ ぐって

九 州 大 学

小野 沢 正 喜

タイ社会の「弛緩した構造Jが

J

.F .FI油reeによって指摘(1)されて以来、タイ社会の文化人類学的 研究は、この点の検証をめぐって展開されてきた感がある。タイ社会の「弛緩した構造Jの存在を主張

する論考の 一 部は、社会の弛緩構造と関係するタイ人の「個人主義的J 傾向を仏教の教義に求めている ~2)

仏教では「個人の心理的自由、彼立、責任Jが強調され、輪廻界における「カルマJ(業)の達成がす ぐれて個人による事業としてとらえられているだけでなく、その究綴目標である「曲面麹界からの解l悦=

( nirvana )の達成」は、個人の努力による、l闘人中心的な営みとされている。以上のことをも って、 「タイ社会にみられる個人主義的傾向」の説明をしようとするものであるが、来してそれがタイ の村洛共同体の現実に照らして妥当であるかどうか、以下若干の考察を加えたい。

中総タイの村洛住民の生活において、個人的願望の達成と直接関係した宗教的実践は、animistic なものということができる。生得の生魂(クワン)の強化、保持は個人の一生を貫く諜題である。クワ

ンの遊離、弱化は疾病、環境の急激な変化、共同体外の世界との接触、社会的位置の変化等によって引 き起こされるが、その度にクワンの呪術者(モークワン)が呼ばれ、クワンを人体につなぎとめるた

めの儀礼が行われる。叉、 タ イ 人の信仰体系の中には種々の精 ~ (ピ

)群(3)が認められるが、その多

くは人に病気、不幸をもたらす力を持ち、その直接的な予防、治療はピーの呪術者(モー ・ピー)の統 御する精霊の力を借りなければならない。この他、恋愛の成功のために使われるl見交、銅楽、危響から の防衛、筋力の地強等を目的とした文身、お守り(人形動物の骨、 、特殊な金属毒事)、個人的な。恨 みをはらすための呪力による復讐、袋綴祈頑と関係した殺母神への儀礼(個人レベル)等にみられるよ

うに、様々な呪物への崇拝が広範に認められる。

もし「個人主義的な行為」を、 共肉体的規11,~Jに対する否定的態度、利己的な行為と解釈するなら、 タ イ人の「個人主義的態度」は、第一義的にanimisticな信仰と結びついてレると言わなければならな L。、

それに対して倒人を私的な鎖威からひき出して、共同体的領戚に移行、位置づけさせる社会化の機 能は、主に仏教の信仰体系によって担われている。

仏誕日(ウィサーカブチャー)をはじめとする仏教の記念日、雨安居期(パンサー)(4)の前後の行事、

仏日(ワン、 プラ )の僧の説教、俗人集団による仏僧への寄進の行事(カチィン)等々の仏教行事は共 同体の行事の中心を占めている。村滋生活では、男子は20才になった段階で得度をうけることが社会

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規範になっているが、このWJ間若者逮は共同体の製紙である寺の疑内に隔縦されて仏教の法礎知識、

経文の暗記、敬語表現、儀礼の手続き等についての知殺を身につけ、共肉体の規範を内面化する。この 経験の後、人ははじめて共同体によって一人前の成人として迎え入れられ、結婚をする資絡も得る。叉、

毎朝、仏僧が共同体の各戸をまわって行う托鉢に対する寄与は、僧集団を経済的に支持するということ 以上に、人々の共同体成員としての不断の自己確認の意味を持っている。

以上みたように、仏教はまず第ーに共同体成員を一つの共通の精神的世界の中に一体化させる機能を 持っている。

第二に、仏教的実践はanimismゃBrahmanismの体系をも意識的に統合する傾向を持っている。

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タイ人の信仰体系にみられる仏教−Brahmanism ‑animismのこ層構趨 は、三つの鴻抑世界の位 階的秩序として存在しているだけでなく 、倒々の宗教的行事の中で統合していることが認められる。

(6)  例えば、得度式の直前に僧志、閥者に対して施されるタム ・クワン儀礼(クワンを強化する儀礼) は、

元来animisti cな、クワンに関係した行事であるが、 Brahmanism、仏教の霊山であるメル一山を 擬した祭場で、バラモン師によって、パラモンの神々を呼びよせて行われる。儀礼自体は仏教儀礼であ ることを示す経交の一郎を唱えることではじまり、叉、それで終る。バラモン師による詠唱の中では、

仏陀、{ム法の電要性が強調され、仏教Brahmanism ‑animismの上下の秩序唄係が示される。

このように、正統の仏教教義が密定叉は、等閑祝している他宗教の体系を、タイの土着仏教は

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栂的 にとりこみ、秩序づけている。これを共同体的領成と私的領妓の関係としてみるなら、私的な方向に流 れる{間人の宗教笑践に、務既の枠組を与え、社会的統合の方向にむかわせようとする努力とみることが できる。結果として、 animism=私的な系列が反社会的なものとして、負の価値を付与されることに なるが、これは仏教と個人主義の関係を考える上で重視される点である。

以上みてきたように、仏教が共同体成員を団結させ、共底意、議を喚起する機能を持っとすれば、その 機能は為政者による行政的利用、叉は、村港内政治の機力斗争における利用に供される可能性を持つこ

とになる。

行政的な大きな行事、例えば国家の祝日の行事国王誕生日建国記念日害事)、行政官、教師の任命 式等では、仏僧による経交詠唱をもって式がはじまり、式典全体が仏教的整奴の中でくりひろげられる。

これによって、本来、上級の意志である 公的なJ 「行政レベノレの」課題が、共同体成員によって内 生的必婆と意議されていくことになる。

タイ社会では、仏教に対する財政的社会的支持行為は、非常にi笥く評価される。その際、どのような 形で得られた金銭、物品であるかという点は厳密に問われることはないので、政治的、経済的な力を得 た者がその力を、威信の体系に転換させようとする場合、仏教は転轍機の役割を来す。特に小規模な村 港内政治において、政治的影響力を増そうとする人聞にとって、寺委員会の中での活動寺、僧への寄 進行為は決定的に重要である。

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以上みてきたように、社会的機能としてはタイ仏教は、個人主義的方向と闘係するどころか、かなり な強度で個人を共肉体的叉は、公的な方向に統合していることを認めることができる。

次に、仏教教義のもつ個人主義的な志向に関して検討を加えよう。

まず、仏教のもつ解脱と業の思想、のめざす方向は、彼岸的なものである。現実の実践において業を良 くすることによって来世での栄途をはかろうとしたり、更には、現世での関連を願望したりする、目標 の此斧化、達成時期の短縮などの現象もみられるが、究極の目標は、彼岸的なものであり、精神的なも のである点は、土着仏教のレベルでも徹底している。出家者レベルでは、22 7戒の遊守による全ての 欲望の滅却、精神的な悟りの追求がめざされ、俗人レベルでも、 5戒の遵守、積善行為による業の改善、

精神の安定の追求がみられるが、そのいずれも目標とするところは、物質的富の放棄、否定による精神 的価値の達成である。こうした精神主義の帰結として、現実の政治的、経済的行動に対する深いレベル での無関心が紹楽される。従って精神的に個人主義なものがめさ されるとしても、それが直接、現実行 動における個人主義に結びつかなし、。例えば、解脱をめざして修業にはけ む僧は、社会的行動の次元で は最も積極的な共同体の統合者である。彼らは仏教教義の解釈、説法、儀礼の施行を通じて村務の社会 規範の守護表、創造者の役割を担っている。

次に、仏教の体系とタイの全体社会における社会移動の関係をみてみよう。タイ仏教は、廃代の箇家 権力による強力な支持と統制

l

を数百年にわたってうけてきており、全閥的な獲備された教団組織(サン ガ〉を持っている。この教団組織は、内都的には hierarchical t.r.秩序をもち、能力のある者はその位 階をのぼっていくこ とができる。ところが社会全体の中で、教団組織は政治、行政や経済の体系とは厳 格にきりはなされているため、社会的上昇の通路になることはない。 19世紀までの!日体制下では、全

国に分布する村務共肉体と、それを結んで中央にそびえたつ王昔話

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徳力の関係は、もっぱら上からの意志、

命令の一方的下達の闘係であり、下からの社会的上昇や、意志の伝達が行われたことはなかった。この 機構下での仏教の役割は、上意下達されたものを共同体成員の中に内面化させるとし、う消緩的、受身的 なものであり、政治的決定機構に反作用を与えるものではなかった。叉、19世紀末以来のチャクリ改 革、19 3 2年の政治革命によって、政治、行政機構の近代化がすすみ、近代的学校制度によって、一 般庶民のエリート層への登飽の道が聞け、政党政治が確立してきても、その過程に仏教が直接関与する

ことはなく、一貫して「受け身」の立場を守っている。

このようなタイの社会構造内部における仏教の受動的位置からして、タイの歴史において、政治的権 力斗争や、下からの改革要求運動が仏教的な形をとった例は、ほとんどみられない。こうした点からも、 現実行動における個人主義が仏教の体系の中にはぐくまれる義礎はなかった。

以上みられるように、仏教はその教義上の個人主義的傾向にもかかわらず、その精神主義と、現実の 社会過程からの隔離によって、現実行動の上での倒人主義をもたらしていないことが結論づけられる。

前半でみた仏教の共同体的、公的統合機能と合せ考える時、タイ人の個人主義的傾向の説明を仏教に求

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めることは不適当であるといえる。もし、タイ社会に個 人主義的な傾向がみられるとするなら、Jt々は 仏教の統合的機能にもかかわらず、有効な社会的統合を達成できないできたタイ社会の特妹性、政治、

経済的等々の側凶の分析にむかうという方向で問題を設定したおす必要があろう。

(註 )

(1)  Ez巾ree,

.F., "Thai land ‑A Loosely Stuctured Social System," 

American Anthropologist "Vol .52,  1950 

(2)  Phi I I i p s , H. , 

η1ai Peasant Personality" Berkeley and Los Angeles: 

Univ. of California Press,  1965,  Evers,H. (ed),  "Loosely Stru‑ ctured Social  System: Thailand  in  Comparative Perspective

1969の中のS. Piker sの論文等参照。

(3)  ピー信仰についての詳細は、綾郷恒雄「タイ族J弘文堂、 19 7 1年第7'ftを参照。

(4)  6月から 10月までの雨期、僧は寺にこもって修業にはげむものとされるが、この期聞をパン サーと呼ぶ。パンサーの一単位を僧として過すと 1年分の修業をつんだものとみなされる。

(5)  タイ人の信仰体系の三層構造に闘する分析は、Kirsch,A.T.

Phuη1ai Religious  Syncretism. "Harvard Univ.,  1967を参照。

(6)  タム ・ク ワン儀礼の詳細は、小野沢正喜『タイ鈴村における信仰体系伝達の様式一得度式の分 析』「九大比研紀要第26号」 9 7 6年を参照。

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