九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
本名宣言…在日朝鮮人の民族的アイデンティティ形 成に関する一考察
浜本, まり子
福岡女学院短期大学
https://doi.org/10.15017/2244532
出版情報:九州人類学会報. 22, pp.1-15, 1994-12-01. 九州人類学研究会 バージョン:
権利関係:
本名宣言・・ •在日朝鮮人の民族的アイデンティティ形成に関する一考察
浜 本 まり子
1. 民族的自覚はなにを意味しているのか。
9
月1 6
日のニュースステーションというテレピ番組は「チマ・チョゴリ嫌がらせ事件の残したも の・在日と日本人」という特集を組んでいた。番維では、朝鮮学校に通学する子供たちと日本人の子 供たちの交流風泉を取りあげ、それに参加した生徒たちの声を紹介していた。子供たちの意見はどれ も一様で、これまで日本人の友達(日本人にとっては朝鮮人の友達)がいなかった。直接話をしてみ れば、お互い良い友達になれることがわかったというものであった。全体としては、朝鮮人に対する 嫌がらせは、日本人の異なるもの(この場合はチマ,チョゴリに象徴される)に対する排他性と相互 不理解から生じたというとらえられかたをしていた。そこにはおのずから取るべき方向が示されてい る。日本人はもっと異質なものに対する許容度を高めるべきであり、それと同時にお互いを良く知る べきである。そして、これは今盛んに主張される 「異質との共存、共生」が意味していることでもある。
異質を受入れ、もっと良く知る。そのこと自体に反論の余地はない。しかし、それをそのまま在日 朝鮮人 (注1)に適用しようとする時、そこに問題がないわけではない。なぜならば、在日朝鮮人の 子供たちの八割り以上が日本の学校に通っている (1, 2)、すなわち日本人の子供たちと同じ教室 で机を並べている子供たちだからである。おそらくある一つのことを除けば、彼らだけをとりわけ他 の日本人の子供たちとを区別するものはない。しかしまた、朝鮮学校に通っている子供たちを殊更異 なったものとしてとらえるのもまちがっているのだろう。番維の司会者は、日本に住んでいながら、
日本の友達を持っていないことにいくぶん驚きを表明したが、それに対する朝鮮学校の子供たちの答 えは、「小学校の頃は近所の日本人の友人たちと遊ぶこともあったが、中学生になってからは部活動 などで忙しくとても近所の友人たちと遊ぶ時間が持てない」というものであった。このことに関して は、私の知る日本人の子供たちと何等変わるところはない。
前述の番紺では、最後に日本の学校に通った在日朝鮮人からの手紙を取上げた。それは、「朝鮮学 校に行っている人はそれでも羨ましい。自分はずっと日本の学校に行っていた。最近では本名宣言を する人々もいるが、民族的自覚のない私は一体どうしたら良いのだろう」というものである。この手 紙の主は、おそらく日本の学校に通い、いわゆる「通名」(注 2) を用い、他の日本人と変わらない 生活を送ってきたことにより、あからさまな差別を受けることはなかっただろう。それにも関わらず、
チマ ・チョゴリを切りつけられたり、石を投げ付けられたりする方がまだ良いと感じているのである。
「チマ ・チョゴリを着て朝鮮人として堂々と生きて」石を投げ付けられるのと 「差別を恐れて通名」 で生きているのを比べれば、後者の方が明らかに部が悪い。ただ、石を投げる付けられたりというあ からさまな差別とは途った在日の苦悩があることをその手紙の主は言っていることに注目したい。そ
して、それは「民族的自覚がない」ことと関わっている。
おそらく多くの在日朝鮮人は、腎年期に必ずこの民族的自覚という問題に直面する (3)。在日朝 鮮人にとって、民族的自覚を持つことは肯定すべきことであるというのが少なくともこれまでの趨勢 であった。民族的自覚の喪失を嘆くこと、民族的自党を高めるべきであるという主張は、在日朝鮮人 の間では、どれだけ訴える力を持つかは別として、抵抗なく受入れられるだろうという予測は現在で も可能である。また、民族的自覚への言及は、在日朝鮮人自身に限ったことではない。日本人研究者 の間でも、在日朝鮮人を調査研究の対象とするとき、民族的自覚は研究者の関心を方向づける際の重 要な要素となっている(注3)。
民族的自覚もしくは民族意識は、 「ある」または「無い」というように、在日朝鮮人自身によって も、また在日朝鮮人に関心を持つ研究者の間でもそれが意味することが自明のことのように語られる が、具体的にそれによってなにを意味していているのかは漠然としている。「民族的自覚」の「在る 無し」を判断するために用いられる基準そのものが、母国の習慣をどれだけ保持しているか、民族学 校の子供を就学させているか、「本名」を用いているか、帰化しているか、どの民族団体に所属して いるか等、研究者によって実に多様である。そして、その基準そのものが有効であるかどうかも定か ではない。
例えば、民族学校に子供を就学させている親は、日本の学校に子供を就学させている親よりも民族 意識が強いと判断されやすい。しかし、日本の学校に子供を就学させている理由は、子供に高度な教 育を受けさせたい、将来の就職を考えて、日本に住むのだから日本の教育がよいといった便宜的なも のであり (4)、民族意識とは関わりがない。もし、就職や民族学校では得られない専門教育を求め て、日本の学校に就学させることが民族意識の希薄さを表わしているというのであれば、アメリカ合 衆国やヨーロッパ諸国へ留学する日本人の民族意識をも同時に問題にすべきであろう。
また、「本名」を隠して「通名」を用いている場合も、「朝鮮人であることを隠している」という理 由で、民族意識が希薄であると判断されやすい。しかし、朝鮮人であることを意識するからこそ隠す 場合もある。前述の番線に寄せた手紙の主が、自分が民族的自覚がないと判断する際に比較した、朝 鮮学校に通う生徒たちが実はそれほど 「民族」を意識していないことを表明している。彼らにとって、
自分が朝鮮人であることは当たり前のことであって、ことさらに意識することではないのである。 (5 : 162)
このように民族的自覚は、それがなにを意味するのか、どうすることが民族的自覚をもつことにな るのかがはっきり示されないまま、それが「在る」とか「無い」とかだけが語られ、その 「無さ」を あるものは悩み、あるものは嘆いたりまた他者を非難する材科にするという不思議かつ不可解な観念 なのである。
バース (6)は、民族のカテゴリーとジェンダー・カテゴリーとの対応を指摘するが、ジェンダー との比較は、在日朝鮮人の民族的自覚、民族意識という観念を理解する上で役立つと思われる。日本 社会ではすべての人間は、生まれ落ちると同時に女か男のどちらかのカテゴリーに分類される。おそ らく 、すべての人は、 自分がそのどちらかのカテゴリーに所属するかを知っている。その意味で、す べての人は自分を女か男のどちらかにアイデンティファイする。在日朝鮮人に関して、 「自分は一体 朝鮮人なのか日本人なのか」というアイデンテイティの危機が指摘される。これは、決して在日朝鮮 人が自分がどのカテゴリーに属しているのかわからなくなっていることを意味している訳ではない。
朝鮮人という言薬の意味のまだわからない幼い子供でないかぎり、自分が朝鮮人というカテゴリーに 属していることを知らない在日朝鮮人はいない。在日朝鮮人のアイデンテイティの危機とは、これと は異なったレペルの問題である。それは、自分は朝鮮人として分類されるにも関わらず、自らを積極 的に朝鮮人としてアイデンティファイすることができない、ということを意味しているのである。そ して、これが、いわゆる 「民族的主体性」、 「民族的自覚」、「民族意識」の欠如の意味していることな のである。
再び、ジェンダー ・カテゴリ ーと比較してみよう。「主体的に女 (男)であること」、「女(男)と いうカテゴリ ーヘの帰属意識を持つ」、 「女 (男)としての自覚」とは一体何を意味するのだろうか。
そもそも女(男)として自覚的に生きていないことを悩む人がどれだけいるだろうか。女 (男)とし て主体的に生きているかと自らに問うた時、一体どれだけの人が、自分は女(男)として主体的に生 きているといいきれるだろうか。おそらく、ある少数の人々を除いて、ほとんどの人は自覚的に女
(男)として生きることなく、また、そうかといってアイデンテイティの危機に陥ったりすることも なく、生活しているのではないだろうか。
自分が日本人であることの自明性、自分が朝鮮人であることの自明性は、自分が周囲の人間と共有 する共同性の自明性、別の表現を用いれば、自分が自分の属している共同体の成員であることの自明 性に他ならない。ある人にとって自分が日本人であることが当たり前なのは、自分は、自分の属して いる共同体の紛れもない一員であり、そこがたまたま、福岡であったり、日本であったりするだけの ことである。在日朝鮮人にとってのアイデンテイティの危機とは、自分が共同性を共有していると思 っている人々から排除されることによって、自分がその成員であることが自明である共同体を持たな いことから生じているのである。在日朝鮮人が自分が生れ育った共同体から排除されている限り、在 日朝鮮人は、朝鮮学校のような日本社会からある種隔絶された共同体に立てこもるのでなければ、自 分にとっての自明な共同体を獲得することはできない。そうでない場合、在日朝鮮人にとっての民族 的アイデンテイティは自分が意識的に獲得する以外にはないのである。
民族意識や民族的自覚は、特定のカテゴリーヘの帰属を自明のこととしてではなく、意識的、自覚 的に選択しなければならないものとして自らが抱え込んでしまった時、その意識的な決断を促す何か としてとらえることができると言えるだろう。「日本に住むのならば日本人になればよい、そうでな いなら朝鮮に帰ればよい」ということが悪意のない日本人からも在日朝鮮人に向けられる。もし、国 藉と 「本名」以外に日本人と変わるところがないと言われる二世三世四世の在日朝鮮人を日本人と異 なったものとして特徴づけるものがあるとするならば、まさに常にこのような選択を迫られているも のとして自らを意識せざるを得ないという点なのである。様々な考えを持ち様々な生き方をしている 在日朝鮮人を一般的に論じたりすることは不可能であろう。しかし、すべての在日朝鮮人に共通して いることは、少なくとも一度は、民族に関して決断しなければならない自己というものを経験し、そ のなかから様々な生き方を選び取っていることである。
民族意識や民族的自覚が在日自身にとって、真に訴えかける力を持っていた時期はすぎたように思 われる (3)。「ごく普通に」、「ありのままに」という主張が次第に在日朝鮮人内部でも受入れられつ つある。その一方で、それは日本の学校で息を吹き替えした。以下の節は、民族的自覚という観念を、
それがまさに生きているそのコテクストのなかで検討してみたい。
2 .
日本人教師にとっての在日朝鮮人大阪や兵庫を中心にして全国に広がった日本人教師による日本の学校に在籍する外国人児童生徒
(主として在日朝鮮人を対象としている)にたいする教育の実践については、多文化教育へむけての 一つの試みとして期待を向ける研究者もいる (7、 8)。この教育実践をここで取上げるのは、この 実践においては、とりわけ「民族的自覚」ということが重視されているからである。本題に入る前に、
この教育実践が生れることになった歴史的背景に簡単に触れておきたい。
第二次世界大戦終了後、日本人教師が日本の学校に在藉する在日朝鮮人の子供たちを初めて教育の 対象として見出し始めたのは、開放教育の取り組みの中で、差別されている子供たちとしてであった。 この教育実践が生れる母体となった 「日本の学校に在籍する在日朝鮮人児童生徒の教育を考える会」
の初代代表である稲富進氏によれば、氏は長年同和教育にかかわっていながら、つまり、差別はいけ ないと教室で教えていながら、朝鮮人差別に気がつかなかった。朝鮮人は受験させない私立裔校や採 用しない企業があることは知っていてもそれが差別であるとは思わなかった。「朝鮮人に対する差別 はどうなんですか」と朝鮮人児童生徒に告発されて初めて、それが差別であることに気づき、そのこ とのよって、差別される朝鮮人児筵の姿が見えてきたという (9)。
第二次世界大戦が終結を迎え朝鮮が開放される以前、朝鮮人の子供たちは皇民化教育の対象であり、
朝鮮人を日本人らしくすることが日本人教師の努めであった。日本の敗戦後、 日本の植民地支配から 開放された在日朝鮮人は、奪われた言葉、文化、歴史を取り戻すために日本全国で朝鮮人自身による 民族学校を次々と設立する。わずか一年の間に設立された民族学校は、初等
5 2 5
校(児童ー4 2 1 8 2 )
、 中学4
校(生徒一l l 8 0 )
、青年学校1 0
校(生徒ー7 1 4 )
に達する( 1 0
、1 1 )
。しかし、東西対立の深刻 化のなかで、民族学校設立の運動は日本政府および占領軍により弾圧されることになる。1 9 4 8
年、文 部省は「朝鮮人の子弟であっても学齢に相当する者は、日本人同様、市町村立または私立の小学校ま たは中学校に就学させなければならない」とする日本人学校への就学を義務づけ、民族学校に関して は、借用校舎の明け渡しと、日本語を用い日本の教科にのっとって行なわない限り私立学校として認 下しない方針をうちだした。兵庫県および大阪府での、民族学校を閉鎖するために実力行使に訴えた 占領箪および日本政府とそれに抵抗する朝鮮人の衝突では、数千名の警察官が動員され、朝鮮人の大 屈検挙、さらには、当時1 6
歳の少年が警察官によって射殺されるという惨劇まで引き起こされる。占 領下唯一の占領軍の非常事態宣言が発令されたのはこの時である( 1 1 )
。1 9 5 2
年、日本政府は、日本国は朝鮮に対するすべての権利、権限および諧求権を放棄するとするサ ンフランシスコ講和条約の規定に基づいて、朝鮮に属すべき朝鮮人は日本国籍を喪失するという通達 を出す。この一方的な通達により、朝鮮人の子供たちは、日本の学校への就学義務を失うが、それと 同時に権利をも失うことになる。日本政府は、民族学校設立の運動を弾圧すると同時に日本の学校に 就学する権利を奪うという矛盾した事態を、日本の教育方針に従う場合にのみ朝鮮人の子供たちの日 本の学校への就学を恩恵的に認めるという形で収拾する。1 9 4 5
年の日本の敗戦から1 9 6 0
年代の後半に日本人教師が教室の朝鮮人児童生徒を教育の対象として 見出し始めるまでの2 0
年間は、日本の学校における朝鮮人教育の空白の期間であったと言える。朝鮮 人の子供たちは、教室に居ることは居たが、そこは本来彼らの場所では無かった。ある教師にとって は、仕方なく受入れざるを得ない御荷物であり、またある教師にとっては、民族教師に委ねるまでの一時的な預りものであった。「朝鮮人の教育は日本人教師にはできない。日本人教師の勤めは朝鮮人 の子供たちを民族学校の門まで送り届けること」が日教組の方針であった。
こういった状況の中で、 50年代から60年代にかけて、在日朝鮮人の子弟たちの中から日本社会にと っての「問題児」が多く出たようである。「教育を考える会」は、 1970年の大阪市立中学校校長会の 文書への抗議がきっかけになって1971年に発足したが、その文書は在日朝鮮人子弟の実態を次のよう にとらえている (12: 30)。
・・・ 一般に利己的、打算的、せつな的、衝動的な言動多く、それが情緒不安定、わがま ま 勝手、ふしだらな傾向、 実行の伴わないみせかけの言動となってあらわれる。 ・ ・・罪悪感に欠
き、性的早熟、 自己防えい的で、その場限りのウソも平然とし、 同じあやまちゃ不注意もく りか えす。 • ・・ 暴力には屈するが理づめの話は容易に理解できない。 ・ ・・能力のある児窟、生徒 ほど高学年になるにつれて民族意識がたかまり、他の児童、 生徒、教師を批判的に見る。 ...
非行グループ、非行生徒といえば、必ずその主役的な役割を果たし、日本人生徒は従的な存在と なってあらわれる。 ...一般に貧困家庭多く、生活におわれ、家庭教育にまで手がでない。ま た経済的に余裕のある家庭でも、放任され、 事実上家庭教育は能力的に不可能である。
(外国人子弟教育の実態と問題点、大阪市立中学校長研究部)
中学校校長会の文世は、このような本人およびその家庭に問題のある朝鮮人生徒を抱えた学校の困 難な状況を訴える、いわゆる「朝鮮人迷惑論」であった。
その一方で、在日朝鮮人の子供たちを教育の対象としてとらえ始めた、すなわち、「この子供たち をどうにかしなければならない」という視点でとらえ始めた 「考える会」の教師たちには、子供たち はまた違った姿で見えていた。「日本人化」した在日朝鮮人の子供たちは、皇民化教育のもとでは、 健気で模範的な生徒とみなされた。二十年後、同じ「日本人化
J
した在日朝鮮人の子供たちは、開放 教育の視点では、「本名を隠し、日本人になりすまして生きようとする子供たち。授業で朝鮮のこと を話すとうつむいてしまう子供たち」として日本人教師には映る (9)。朝鮮人子弟の低学力、非行、 家庭の往困といった様々な問題を、校長会は彼らやその親たちが朝鮮 人であるこ とに起因するとと らえたが、 「考える会」の教師たちは、逆に、彼らが朝鮮人と して生き
られないことに原因があるととらえた。子供たちは、 日本社会の朝鮮人にたいする差別のために、人 間としての誇り を失い、いじけて人間的な歪みを身につけてしまったのだと考えた。そして、それは 彼らが朝鮮人と してあたりまえに生きられない、朝鮮人であることを隠さなければならないことによ って生じているのであるが、また彼らにそのよう に生きることを強いることこそが日本社会の差別で あると考えたのである。そして、そのように追込まれている子供たちに自信をと りもどさせ、生き生
きと学校生活を送らせることこそ教師の使命であるとしたのである。
在日朝鮮人児童の抱える問題の原因を差別ととらえたとき、 「考える会」の教育実践の内容は、大 きく二つの方向を持つこ とになる。まず、朝鮮人に対する差別をなくすこと、そして、それと同時に 朝鮮人生徒自身を 「差別の輛」から開放させることである。前者には、在日朝鮮人子弟の進路を閉ざ すことになる制度上の差別を撤廃すること、そして、 日本人の朝鮮人に対する偏見をなくすために朝
鮮についての認識を改めさせる(朝鮮を好きにならせる)ことが含まれる。そして、後者には、在日 朝鮮人の子供たちが朝鮮人であることを隠さずに生きること、自身の朝鮮についての認識を改める
(朝鮮人としての誇りをもたせる)ことが含まれる。
「考える会」が母体となって
1 9 8 3
には全国的規模の 「全国在日朝鮮人教育研究協議会」が生れたが、以下に挙げる 「考える会」および「全朝教」による在日朝鮮人児童生徒を対象に据えた教育運動の実 践内容 (9)には、前述の二つ方向が、具体的に示されている。
l。本名を呼び名のる
2
。朝鮮学習の自主編成3
。朝鮮人生徒同士を結ぶ4。日本人生徒と在日朝鮮人生徒の間に自立と連帯の関係をつくる (学級集団づくり)
5
。地域とつなぐ6
。進路を保証する7。行政闘争 (教育指針を出させる)
「本名」を名のることが最も重要な位置付けを与えられている理由のひとつに、この運動が差別に 立ち向かうことによって差別に負けない強い児童を育む方法を採用したことがあげられる。日本で生 れ育った在日朝鮮人の子供たちの多くにとって「本名」を名のることこそが、自分が朝鮮人であるこ
とを表明するおそらく唯一の方法であり、また、それゆえあからさまな差別を引き受けることを意味 しているからである。またこの運動では「呼ぶ」ことも同様に重要視される。それは日本人の側が朝 鮮人の名前を尊重するということを意味している。「創氏改名」により朝鮮人の名前を奪い、現在も なお朝鮮人が「本名」を名のることを妨げているのは日本人であるという自党のもとに、「本名」を 名のり朝鮮人として生きようとする児童生徒を支えるための日本人の側の実践としてとらえられてい る。また、これまでマイナスのイメージでとらえられてきた朝鮮像を覆し、日本人生徒にとっては朝 鮮を好きになるための、朝鮮人生徒にとっては朝鮮人としての誇りをとりもどすための朝鮮学習も不 可欠とされる。
こういった実践を通じてこの教育運動が目指すところのものは、朝鮮人として堂々と生きる朝鮮人 児童生徒と、差別するのではなく彼らを支える日本人児童生徒の間に自立と連帯の関係を打ち立てる
ことである。
日本の学校に学ぶ在日朝鮮人児童生徒のことごとくが、本名で生き、学ぴ、それを日本人の 子らが敬愛するようになった時、日本の学校は民族共生の教育空間へ、生れ変る。(9: i)
行政闘争に関しては、「在日外国人教育指針・方針」を策定するよう地方自治体の教育委員会に働 きかけが成されている。その結果、例えば、大阪市教育委員会は「学校教育のあらゆる場で、朝鮮、
緯国の子供たちの民族的自覚をうながすとともに、日本人の子供達の正しい朝鮮、韓国への認識を深 め、育てる」という在日朝鮮人教育指針を制定している。
理想としての民族共生とは、 「区別をするが差別をしない」、すなわち異質性を保持したままの民族 を日本社会に受入れることを意味している。しかし、在日朝鮮人三世四世に当たる就学年齢の子供た ちは、異質性をすでに失い日本人と区別がつかなくなっている場合がほとんどである。それゆえこの 実践が朝鮮人児童生徒に対して実質的に行なっていることは、朝鮮人生徒に対する「文化的異化作業」、
「民族性の復元」である (8)。
「民族性の復元」のために民族学級が設けられており、そこで、在日朝鮮人の子供たちは、初歩の 朝鮮語を学んだり、朝鮮の伝統的な遊びを楽しんだり、料理を習ったりする。このように、 「民族性 の復元」といっても日本の学校で行なわれていることは、例えば、朝鮮学校で行なわれていることと 比較すれば、不完全であり、その復元のためのモデルも存在していない。しかし、それでもかまわな いとされる。それは、中島 (9)によれば、「文化はただ 「象徴」として、自己確立の 「核
J
として 据えられているのであり・・ ・文化の獲得そのものが目的なのではなく、その過程のなかで差別に立 ち向かい生きていく自己を形成することが目的とされている」 (9: 332)からである、さらに、中島 は、「ただし、この自己形成の回路は必ず 「民族J
を通過しなければならず、一般的普遍的方法と言 うのはありえない。民族文化はそのための重要な手段なのである。このように考えれば、日本の学校 において民族教育を十分に保障できなくとも、少なくとも動機づけの場を設定することで朝鮮人生徒 を覚醒し、また撹醒した生徒が民族性を核にして自己形成していく立ち上がりを支えていくことは可 能だといえよう」 (9)と主張する。この運動では(分析者の中島も含めて)、一人一人の人間としての朝鮮人生徒と民族は、個々の生 徒の自己形成は必ず民族を通過しなければならないという形で結びつけられている。これは、明らか に朝鮮人生徒だけに向けられた主張である。なぜならば、現在の日本社会で、日本人の子供の一人一 人が、日本人としての自己に目覚めることなくして、自己形成はできないなどという主張がまかりと おるとは思われないからである。それでは、なぜ朝鮮人生徒だけが、朝鮮人としての自己に目覚めな ければ自己を確立することができないとされるのか。それは、朝鮮人生徒が差別という状況におかれ ているからだという訳であろう。「今なぜ民族か?」 (13)ということが盛んに言われている。ここに その解答のひとつが見出される。民族の一員として生きるのでなければ、差別に立ち向かうことがで きないと考えられた時、すなわち差別をめぐる言説において民族以外に差別からの解放の回路が閉ざ されている時、自己の解放は民族の解放と重なり合わざるを得ない。
在日朝鮮人の一世二世は自己の経験と民族との接合点をもっていた。一世の多くにとっては、民族 の一員と して生きることは自分自身が奪われた言葉や名前を奪い返すことを意味していた。一方、
「ファシスト少年」であったことにより自分の民族を裏切っていたという「う しろめたさ」が、皇民 化教育のもとで成長した二世の多くを民族へと駈り立てた (3: 26)。しかし、戦後世代の多くの在 日朝鮮人にとって、民族と自己の経験との接合点は意識されていない。かれらは、どうして自分が戦 争中の日本人がしたことの責任を取らなければならないのかという日本人の子供たちの感覚と少しも 変わらないものを共有している。在日の子供たちにとっても、民族とは、排除されることによりまた は目党めよという形で、他からおしつけられるものとして経験される。
日本人教師もまた「民族に目覚めよ!」と自分に迫るものとして映ることに変わりはない。在日朝 鮮人を対象とした教育運動の最大の難関は、生徒たちとそしておそらく生徒達より手ごわいその父兄
を説得することであるのはそのためである。それでは、この教育運動へと日本人教師を駆り立てるの は、 一体何なのか。それは、朝鮮人に皇民化教育を施し、まさに目の前にいる子供たちを同化したの は日本人教師であったという、日本人としての 「うしろめたさ」である。おそらく日本人教師の思い を代弁しているからであろう、幾度も引用される次の稲富氏の言葉がそのことをよく物語っている。
わたしたちが、あなたがたを日本名でよんだり名前を日本読みにしてよいのでしょうか。そ れだったら、戦前にあなたがたの民族の言葉を奪い、名まえをむりやり変えさせた歴史を反省せ ず、現在の日本人の差別をみとめることになりませんか。日本人であるわたしが、日本民族の考 えのまちがいに気がついたら、正しくなおしていくのはあたりまえちがいますか。そうでないと、
わたしたちは教師として日本の子供を正しく教育できないと思うのです (14: 103)。
自己と民族との接合点が意識されていないにもかかわらず、 三世四世がなぜ教師の勧めに従って
「本名」を名乗り、朝鮮人と して生きることを選択するのか。彼らを駆り立てるのは何なの.だろうか。
これは、日本の学校における朝鮮人教育の空白期間であった1960年代に小・中学校生活を送った在日 朝鮮人としての私の疑問であった。私たちの世代は、日本人教師にとって意識的な同化教育の対象で も「異化作業」の対象でもなかった、いわば置き去りにされ、差別に直接さらされた世代である。そ して、現在学齢期の子供たちの親の多くは、この世代に属している。
朝鮮人生徒が教師の勧めに従って朝鮮人として生きることを選択する場合、両者が教師一生徒とい う関係にあることを見過ごすことはできない。すなわち、自分の意思を押し通すことにおいては両者 は対等ではないからである。しかし、そこに力関係だけを見て取ることも現象をとらえそこなうこ と になる。始めのうち教師の側からの働きかけを強制に近いものと感じていた生徒たちは、やがて自ら の意思で積極的に実践に関わっていくようになるからである。朝鮮の言葉や生活習慣を失い、外見は 日本人と変わらなくなってしま った子供たちが、朝鮮人として生きることを選択する。日本人教師は そのことを、子供たちが本来あるべき姿に戻ったのだととらえる。そして、彼らを立ち戻らせたもの こそが、民族としての自覚、民族の心だという訳である。
私は、在日朝鮮人の子供たちが実践へと次第に自らの意志で関わっていく理由を、子供たち自身に は意識されていないにもかかわらず、この実践が子供たち自身の日本社会での排除の経験とどのよう に接合しているかを明らかにする事により、示したいと思う。結論を先に言ってしまおう。この実践 は、実践そのものが、排除されることによって生じる苦しみまたはその原因を実際に取り除く効果を
もっているのである。
3 .
在日朝鮮人自身によってとらえられた朝鮮人としての経験おそらく在日朝鮮人ひとりひとりの違いは、ひとりの在日朝鮮人とひとりの日本人との違いにより 小さいということはないだろうか。しかし、日本で生れ育ち、日本の学校に通った在日朝鮮人が自ら
の朝鮮人としての経験を語る時、それはある時点まで型にはまったものとなっている。
もの心がつくようになるとほとんどの在日朝鮮人は、自分が朝鮮人であると知るようになる。親が
「うちは朝鮮人だよ」と言う場合もあるし、家にかざってある人形や、法事のやり方が他の家とは違
うこと等により、うすうすと自分が朝鮮人である、または他の家とどこか違うなと感じるようになる。 しかし、そのことによって、朝鮮人であることが嫌だと感じたりはしない。むしろ、他の子供と違う ことを得意に感じたりする。
ちっちゃいころ、お花見に行ったんですね。チョゴリ着てチャング叩いて踊っている人がい て、ジィーっと見てたら、おじさんに 「どうだ、きれいだろう」って言われて、「あたしも朝鮮 人だもん」とか自慢げに答えちゃったとか。小学校にあがっても一、 二年ぐらいまでは、 差別さ れているというの全然わからないので、 「私、朝鮮人なんだ」って言いふらして歩いていたんで す (15: 37)
。
しかし、やがて、教師や友人の、朝鮮人にたいする侮蔑的な態度を観察したり、 自分自身に対する いじめや排除を経験することにより、次第に、朝鮮人についての 「マイナスのイメージ」を持つよう になり、自分が朝鮮人であることを、苦痛に感じるよう になる。
妹と二人して、 「朝鮮人なんか嫌だよぉ」って、泣いて 「帰化しろ」と父に迫った (15:
125)
。
夢に見るんですね。日本人になった夢とか。それとか、親が一人でもいいから日本人になり たい、とかね。片方の腕をあげるから日本人にして、とかね。あの頃がいちばん悩んだんじゃな いかな。(15: 151)。
悪意にもとづく嫌がらせばかりでなく、自分がより大きな何かによって排除されていることにも次 第に気がついていく 。
出席簿はこうなっていました。アイウエオ)順は今も変わり ないとおもいます。しかし、私た ち朝鮮人は日本人の児童が終わった後、 一行あいだを開けて、出席番号がつけられていました。
朝鮮人の子供たちは、すべて「通名」、植民地統治によって強制された 「日本名」を名乗ってい ました。それでは朝鮮人か日本人かわからないから意図的に分けたのでしょうか (16: 27)。
排除を経験するなかで、多くの在日朝鮮人の子供たちは、排除から逃れるために、まず自分の身辺 から朝鮮と関わりのあるものを追いはらおうとする。
自分が朝鮮人と関わりがあると思われたくない一心から、 自分の生活からすべてそういう朝 鮮というもの遠ざけ、感性までもが朝鮮にかかわるものを嫌うようになった。(15: 51)。
しかし、疑にもすがる思いで、本当に仲の良い友人にだけは、 自分が朝鮮人であることをうちあけ るが、紋切り型の友人の反応は、ますます自分をわからないものにする。
私はすごく悩んで、中学二年の時、仲のいい女の子に、「私、朝鮮人だっていうんで悩んで るんだ」って言ったんですね。そしたら「金さんは、名前が朝鮮の名前じゃなければ、日本人に 見える。」って。そう言われたのは、すごくショックでしたね。「日本人に見えるからいいんだよ」
という慰め方っていうのは、結局、朝鮮人であること自体には悩まなきゃならないということで しょ
( 1 5 : 1 4 0 ) 。
小学校の上級生以上になると、仲間外れにされたり、石をぶつけられたり、悪いことをしたときめ つけられて哀しかった、惨めだった、悔しかったという経験以外に、自分でもどうにもならない苦し い経験を訴える場合が多い。それは、学校の授業で、朝鮮という名前が出てくるだけで、顔が真っ赤 になるのを感じたり、皆に見られている、皆に噂されていると感じるというものである。
朝鮮のことを教えると朝鮮人の子供たちが恥かしがる (周囲の日本人の子供に気をつかう)。 彼らが恥かしがらないような日本人の子供に対する教育が必要である。
( 1 7 )
。歴史の授業中などに朝鮮のことが出てくるとなんか心臓がどきどきし、悪いことでもしたよ うな気持ちになったこともありました
( 1 8 )
。〈世界〉が彼を拒否するその仕方、その感触をとらえようとする情熱によって〈在日〉における極 めて重要な作家たりえている
( 3 : 1 2 5 )
と批評される在日朝鮮人作家の金鶴泳は、日本人の「まなざ し」に苦しめられる自己を執拗に書き続けた。この作家にいくぶん激しい形で見出される神経症的な 苦しみを、この作家のもつ感受性のみに負わせることはできない。なぜならばほとんどすべての在日 朝鮮人はこの神経症的な症状を抱え込む条件を共有しているからである。ベイトソン
( 1 9 : 2 0 1 ‑ 2 2 7 )
は、ある逃れられない関係性において、ひとつのメッセージが発せら れ、同時にそのメッセージを否定するメッセージが発せられている状況をダプルバインド状況と名付 け、その状況が反復されるとき分裂症的傾向が生じるとしている。日本人との関係において、「通名」で生活している在日朝鮮人を見た場合、まさにこのダプルパインド状況が当てはまる。「通名」で生 活している在日朝鮮人は、日本人と見分けることができないために、自分を朝鮮人だと気づかない親..
しい友人や恋人が自分の目の前で「朝鮮人は大嫌いだ」と言うのを開かされたり 、他の朝鮮人にたい する排除の共犯者にさせられたりする機会が多く、たくさんの人がその時の苦痛を表明している。さ
らに、すでに述べたように、自分が朝鮮人だと打ち明けた時の日本人の反応は「日本人と変わらない からいいよ」というのが最も多い。親しい人々の発する「朝鮮人は大嫌いだ」、「朝鮮人らしくないか らいい」というメッセージは相手が自分を受入れているのかそうでないのか判断することができない 状態、すなわち、ダプルバイン ドの状態に在日朝鮮人を追込む。
ベイトソンの説を受入れるならば、在日朝鮮人の多くが「苦しみ」と表現し、日本人が時として被 害妄想と呼ぶ在日朝鮮人の経験は、在日朝鮮人と 日本人との関係のあり方にその原因があったという ことになる。在日朝鮮人の置かれているダプルバインド状況は、在日朝鮮人と日本人との外見上の違 いがなくなっていること、そして、日本人の朝鮮人に対する差別的な言動が続いていることが原因と
なっている。その双方の条件がそろわなければ、在日朝鮮人のダプルバインド状況は存在しない。一 世の被差別経験が、日本で生れ育った世代の被差別経験とは微妙に異なるのは、そのためである。
在日朝鮮人の集住地域に住んでいるかどうか、親子関係のあり方、どういった日本人とめぐりあっ たかによって、朝鮮人としての経験には違いがある。しかし、日本人教師が向い合うのは、多少とも 上述の経験を潜り抜けて来た子供たちであることは間違いない。
4. 割札としての本名宣言
在日朝鮮人と日本人の外見上の区別がなくなっていること、それにも関わらず差別が存在している こと、そして、日本人の個々の在日朝鮮人にたいする曖昧な対応。在日朝鮮人のダプルバインド状況 はこの三つの条件によって成立している。一方、教育運動の実践は、その照準をこの三つの条件にぴ ったりと合せているのである。すなわち、外見上の区別を設けるための「文化的異化作業」、排除を なくす取り組み、在日朝鮮人をあくまでも朝鮮人として受け入れるという日本人の側での在日朝鮮人 に対する対応の定式化。そして、これらは扇の要にたとえられる 「本名を呼び名乗る」実践に集約的 に現われる。
日本の学校に通う在日朝鮮人の多くは「通名」で入学するために (注 4)、本名を名乗る実践は、
その子供たちを説得して「本名」に変えることを意味する。この説得は子供たち、そして、あえて子 供を差別にさらしたくないという理由で、その親からの強い抵抗に出あう。「通名」から「本名」へ の変更は、「本名宣言」という 「世にも不思議な行事」
( 2 0 : 2 3 6 )
において行なわれるが、この宜誓 式は、 二璽の意義を付与されている。子供が説得されて「本名」を名乗ることに同意した場合、 子供がそのことによって差別されないた めに、その子の名乗りを受けとめ支えるクラスづくりをする必要があるとされる。教師は、 子供たち にまえもって朝鮮のこと、在日朝鮮人が日本に住むようになった経緯等を話しておく。そうすること によって受けとめる側の子供たちの心の準備ができた段階で名乗りが行われなければならない為に、
「本名宣言」 が必要とされるのである。第二の意義は、宣言そのこと自体にあるとされる。たとえ教 師によってあらかじめクラスの子供たちに働きかけが成されていようと、さらには、自分が朝鮮人で あることが友人の間で周知のことであろうと、「本名宜言」 はそれをする子供たちにとっては、非常 に勇気のいる行為である。子供たちは、悩み、迷い、必死の思いで宜言をするが、溢れる涙を抑えき れない場合が往往にしてある。この真剣な姿を見ることこそ、他の子供たちにとって大きな意義があ るとされる。まず、まだ 「本名宣言」をしていない子供たちは、本名を名乗る他の子供たちの勇気に 感動して、自らも本名を名乗ることを決意する。また、日本人生徒にとっては、身近な友人の真剣な 行為に強く心を打たれ、在日朝鮮人の気持ちを理解する機会となるという。
本名直言の感動を、ある教師は次のように記している。
三学期も終わりの
2
月2 4
日、在日朝鮮人生徒自らノートをよみあげ、朝鮮人宣言をする。ク ラスは感動のルッポ。「私にとって教師をやっていて本当によかった。子供に教えられ反省させ られた日だった。これが私の教育だと言える日だった ... 」教師は感動をこめて語る。この日 はまさに 「勇気の日」と呼ばれたのである。朝鮮人生徒三人が皆の前で本名を名乗り、一人は本名で卒業していったのである。(12: 33)。
本名直言が成功したか不成功に終わったかの判断の基準は、宣言を受け止める側の生徒の反応いか んによる。教師にとって最も満足のいく結果は、受け止める側が、宣言する生徒の勇気に心をうたれ、
感動のうちに彼または彼女を朝鮮人として受け入れることである。
・・・ 「本名を名のり」たちあがった朝鮮人の生徒をきびしく支え合う集団が形成できてい
るかということである。ある学校の報告は、そのようなことを次のように述べている。「朝鮮人 の子供たちが本名を名のり、 自分のことを積極的に発言するようになった。ところが、いま、そ の子どもは非常にいらだちを覚えている。いくら自分のことを語り、訴えても日本人の子どもた ちが共感しない。「お前が木村であった時も、李である時も、おれは友だちだ」という反応しか 返ってこない。ここにわたしの学校の教育の弱さを見る思いがする (21)。
また、子供自身は本命宣言の経験を次のように語る。
六年生の十二月十五日。ぼくの六年間の学校生活のなかで、いちばん緊張した一日だった。 その日、ぼくは全校児童の前で本名を名のって、朝鮮人であること、これからは本名で呼んでほ
しいことなどを話した。それまでずいぶんなやんできたけれど、終わってみると、気持ちがすっ きりした、こうしてみんなの前で話ができたのは、六年三紐のみんなと、担任の先生にはげまし があったからだ。五年生、六年生の学校生活は、一生忘れることのできないものとなるだろう (22 : 71‑72)
。
本名宣言をするまで子供たちは迷い悩む。しかし、宣言をした後、どの子も迷いから解放され、
「すっきりした」とその時の印象を作文に書く。そして、元気を取り戻していく。
私は、うれしい。明日から権恵里といって学校へかよえるのだ。やった!
うれしい。三月十七日からは私は権恵里なのだ。三月十七日の前は、それを思いだしてばっかし だった。みんなになんか言われたらどうしようと思った。
集金ぷくろをもらった時、小林に「おまえ、権恵里になおせよ
J
と言われた。あと、小島にも言 われた。ふじた先生に「安東さん」といわれて「はい」ってへんじした。そしたら「おまえ権だ ろ、なりきれよ」って言ってくれた。 !新西も 「よかったな一」って、 言ってくれた。みんな、ありがとう (9 : 93)。
今となってHと名乗ったからには、もうまよいはありません。(12: 11)
「きびしく支える」とは、承認すると同時に 「なりきる」ことを強いる圧力をも意味している。つ まり、「本名宣言」とは、二つの名前を持つ子供たちが、先生や友人たちの承認と圧力のもとに、日
本の名前を捨て去ることによって自らの日本的な部分を象徴的に切り捨て、朝鮮人になることを意味 しているのである。ここに見出されるのは、ひとつの典型的な割札の俄礼である。まさに、 「人間改 造」
( 2 0 : 2 2 9 )
である。女 (男) が、男性的な (女性的な)部分を切り取ることにより真の女性 (男性)としての身体を獲 得するように、在日朝鮮人の子供たちは、日本の名前を捨て去ることによって真の朝鮮人としての身 体を獲得する。民族教育とは、そのようにして獲得された身体に内容を与えることに他ならない。そ して、子供たちは名実共に朝鮮人になることにより、日本人を、朝鮮人としての自己を排除するもの としてとらえ、ダプルバインド状況から脱け出す。戦う主体としての自己の確立とは、まさにそのこ とを意味しているのである。。
・・・ 自分は小学校までは日本人だと信じていた。自分が朝鮮人であることを絶対にみとめた くなかった。 ... 朝文研に入るまえの朝鮮は、きたなく、暗く本当に悪いイメージだけだった。自 分が朝鮮人なのに。それが、朝文研にいって気がついた。「自分の国は日本じゃない。朝鮮なんや」
って。今まで日本人の目で世界を見ていたのが急に朝鮮人の目で世の中を見るようになりました。す ると 日本の社会には朝鮮人に対する差別があることが見えてきました
( 9 : 3 5 1 ‑ 3 5 2 )
。在日朝鮮人三世四世のアイデンテイティの危機とは、自分が属していると経験される共同体から排 除されることによって、 自己を日本人にとっての異質な存在としてアイデンテイティファイすること を余儀なくされていることによって生じている。自己を積極的に朝鮮人としてアイデンテイティファ イするこ とへのためらいは、差異を見出し得ないところに差異を持ち込むことへのためらいである。 自明の共同体をもたない在日朝鮮人三世四世の民族的自覚は、日本名を捨て去り日本的な部分を象徴 的に切り捨てることによって獲得されるが、それは、ちょうど日本人が、朝鮮人を排除することによ って、象徴的に非8本的な部分を切り捨て、日本人として自己を見出すのと同型である。日本社会か ら排除された三世四世が自ら民族的自覚を獲得するということは、日本社会にとっては象徴にすぎな い「朝鮮人」を自らが引き受け、名のりをあげ、自らを差異化することによってそこに実質を与える ことに他ならない。民族性の獲得が差別に戦う主体としての自己の確立としてとらえられているよう に、そのことによってもたらされるのは、生身の日本人に向き合う生身の朝鮮人の姿である。そこに 共生という関係を築くことが理想とされていても、それはいつ対立に転化するかもしれないという危 険性を卒んでいる。日本社会の差別性に戦いを挑むのであれば、まず象徴としての 「朝鮮人」の成立 そのものを問題にするのでなければならないであろう。
【注】
注 1.現在、朝鮮籍の人を朝鮮人、韓国籍の人を韓国人と呼ぶ場合もあるが、本樅では在日朝鮮人を、
戦前から引き続き 日本に居住する朝鮮半島出身者およびその子孫の意味で用いる。なお、日本におい て韓国および朝鮮国籍を有している人口は次のようになっている。
6 7
万7 9 5 9
人 (全国)1 8
万8 1 2 1
人 (大阪府)8
万2 2 7 9
人 (東京都)(以上1 9 8 6
年現在)3
万8 6 7 8
人 (大阪市生野区)4
人に一人は在日朝鮮人と言われる( 1 9 8 8
年現在)生野区の
M
小学校の場合、在日朝鮮人在藉率7 4 . 6 % ( 1 9 8 7
年現在)注
2 .
現在、在日朝鮮人のほとんどは、朝鮮名(本名)と日本名(通称名、通名)の二つの名を持っ ている。通名使用の経緯に関しては、本国の朝鮮人と日本に居住する朝鮮人では異なる。日本は、1 9 4 0
年の創氏改名により本国および日本に居住するすべての朝鮮人に日本名を強要したが、日本にお いては、すでに1 9 2 0
年ごろから、職場でまたは商売に差し障りがあるという理由で、通名が用いられ るようになっていた。1 9 3 0
年代には、子供はすでに通名で育てられていた。本国では、戦後本名が復 活されたが、日本では、 一方で日本で住む上での通名の便利さ、他方で通名の使用を迫る日本社会の 圧力のために通名使用が継続することとなり、現在に至っている。注
3 .
例えば、京都大学教育学部比較教育学研究室 「在日翰国・朝鮮人の民族教育意識」、明石書店、1 9 9 0
。原尻英樹 「在日朝鮮人の生活世界」、弘文堂、1 9 8 9
。福岡安則 「在日韓国・朝鮮人」中公新書1 1 6 4
、中央公論社、1 9 9 3
。注
4 .
京 都 大 学 教 育 学 部 比 較 教 育 学 研 究 室 の1 9 8 9
年のアンケート調査では、解答のあったうちの9 0 . 6%
(尼崎)、8 6 . 4%
(豊中)、4 9 . 9 %
(大阪)が通名を使用してた。大阪の通名使用率が低いのは、 本稿でとりあげた本名を呼び名乗る取り維みの結果であると思われる。1 9 7 9
年のアンケート調査では、大阪市の通名使用率は、
7 4 . 7 %
であった。【引用文献】
1. 奈良県外国人教育研究会 「在日を共に生きる」、奈良県外国人教育研究会、
1 9 8 8
。2 .
硯村英一他編 「講座差別と人権4
・民族J
、雄山閣、1 9 8 5
。3 .
竹田青嗣 「〈在日〉という根拠」、国文社、1 9 8 3
。4 .
京都大学教育学部比較教育学研究室 「在日韓国・朝鮮人の民族教育意識J
、明石書店、1 9 9 0
。5 .
福岡安則 「在日緯国・朝鮮人」中公新書1 1 6 4
、中央公論社、1 9 3 3
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、岩波書店、1 9 9 1
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1 2 .
「むくげ」2 2
周年記念特別号、日本の学校に在籍する朝鮮人児童生徒の教育を考える会、1 9 9 3
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1 4 .
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1 5 .
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京都大学教育学部比較教育学研究室 「在日緯国•朝鮮人の民族教育意識」、 明石書店、 1990。