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七戸町 町史 1巻 民族

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民話は以前には昔話といった。 必ず﹁語る﹂といった。 民話・伝説 、 っ -o h uv J I 聞く方では 、

話 この地方では一般にムガシとかムガシコといい 、 昔話を話

L

てきか せ ることを ムガシカダルとかムガシコカダルといい 、 これを語ることまた語る人をムガシ カ ダリと ﹁ムガシコオへデ﹂とか ﹁ムガシシラセデ ﹂ とかいってせがんだ 。 語って聞かせる人は多く婆様や爺様で 、 夕飯のあと寝るまでの閥 、 第一章 時折語って聞かせたが 、 何かあって子ども 達が沢山集まる場合にもその機会はあった。 ただし 、 ﹁昼マムガシ語レバ鼠-一笑ワレル ﹂ と い っ て 、 必ず暗くな ってからでなければならないとされた。 時には 、 学 校で欠勤した先生の補充時間な ど に代りの先生から教えても

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らうこともあ っ た 。 テレビもラジオも絵本もなか っ た時代には 、 これを聞くことに大きな期待と満足感をもったもので 、 同じこと 民 を何度聞いてもなぜかこれで十分という気持がおこらなかった 。 語る人それぞれのニュアンスのせいもあったか もしれないが 、 勧善懲悪の思想や人格形成に必要な情緒が知らず知らず涌養されていたためかも知れない。 科学 の進歩と教育課程の全面改正により 、 一時神話や昔話が否定される様相を示したが 、 最近はある程度の落ちつき を見せ 、 よくテレビにも取り上げられるに至ったが 、 子どもからすれば 、 より動的で科学的な漫画の方が魅力的 であるようである 。 ともあれ当地方の場合 、 民話の数が八戸や五 戸 などに比べそれ程多くはない。最近七戸高校生徒の有志により ﹃ 七戸地方の民話 ﹄ が編纂されたが 、 我々が幼少の頃聞いたものの五分の一にも充たない数しか採録されていな いことには驚きを感じた。 ムガシカダリの冒頭のことばは所によって色々であるが 、 ﹁ ム ガ シ ァ ア 当地方の場合﹁ムガシァアッタズ﹂ 、 ッタズオン ﹂ 、 ﹁ ムガシァアッタズオンナ ﹂ な 。 というのが一般で﹁ムガシァアッタド﹂というのも時には聞かれ る ﹁ズ﹂も﹁ド﹂も﹁という﹂の怠味で 、 ﹁ オ ン ﹂ は ﹁ もの ﹂ の転靴音であるが 、 この中﹁ズオ γ ナ ﹂ の語り方 が一番丁寧な語り方であった。 最後の結びのことばはこの地方では一様に﹁ドットハラェ﹂であるが 、 これを﹁どっと笑い﹂の靴であるとす

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る 人 も い る 。 遠く九戸地方その他でもいわれたようである。 ﹁ドットハラェ﹂は三戸地方でも聞かれるが 、 昔話の分類は人によって様々であるが 、 今 は川合勇太郎著 ﹃ 青 森懸の昔話 ﹄ に よ っ て分類し 、 簡単な解説を -記 したあと最後に代表例を二 、 三あげること と す る 。 動 物 辻量三 日 話 動物昔話には先ず ﹁ 動物の争い﹂に属するものに ﹁ カネゴと狐 ﹂ の話があった 。 カネゴは川獄の意でその顔つ きが猫に似ている所から川猫と呼んだのを託ったものである 。 ふだん快よく思 っ ていない狐に魚のとり方を聞か れた川瀬が 、 寒夜川中にし っ ぽを垂れていると魚がくいつくと教えたので 、 狐はその通りやっているうちにしっ ぼを氷にはさまれてしまいなきわめきながらもがいている所を人間に見つかり 、 生どりにされるか殺されるとい う筋の話である。 ﹁餅争い﹂の話は猿と蟹との聞で行われるのが普通で 、 よくばりの猿が餅をつくか盗むかして 、 臼ごと持出し 民話・伝説 一人じめしようと坂をころがして先に追いつき食べようとしたが 、 餅は転がる途中臼から飛出し何かにひ っ か か ったのをあとから来た蟹のため食われてしまうという内容で 、 津軽地方にはそこから猿蟹合戦の話がはじまる所 も あ る 。 第一章 当地方に於ても猿蟹合戦の出だしは様々で 、 登場してくるものもまたいろいろである。蜂のかわりに針 、 栗 の かわりに卵 、臼 のほかにベゴノベッタ即ち牛の糞が出たりする。猿が逃げようとして飛出した所 、 牛の糞にすべ

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って転んだところを臼がおさえつけるという筋である。 ﹁かちかち山﹂の発端もふつうと少しかわっており 、 畑で爺様が﹁一粒ァ千粒よ﹂と豊作を祈り期待しながら 民 何ベんも繰りかえしとなえながら豆をまいているところに 、 山のいたずら狸が出て来て 二粒ァ一粒よ﹂とあく たい口をたたいて爺様に捕えられるところからはじまる。 ﹁古屋の漏り﹂は﹁とんどの虎﹂ともいわれる昔話で 、 爺様と婆様が雨の夜 、 雨漏りを嘆きながら﹁とんどの 虎より古屋のむりァおっかなェ﹂と話し合っていたのを 、 たまたま馬をねらって既にしのびこんでいた 、 唐土の 虎が開いて 、 自分よりこわいという古屋のむりとはどんなものかと恐れていたところ 、 これまたしのびこんで来 た泥棒が暗いものだから虎につまずいたはずみに虎の背中にのっかつてしまった。 虎はてっきりそれをむりと信 じこみ 、 一目散に逃げ辛うじてそれをふりおとしたという話。 ﹁動物社会﹂の部門には 、 由来語ともいうべき﹁くらげ﹂に骨のなくなったいわれについての話がある 。

も何処にもある話で内容も特に変ったところがなく 、 竜宮様が病気になって困った時 、 猿の生きぎもが よ い と い うことで 、 はるばるくらげがその使命をおびて来たのであったが 、 猿を見つけ背中に乗せて帰る途中うっかり真 突を話したばかりに 、 生きぎもは岩に乾しておき忘れて来たとだまされ 、 まんまと猿の術中におちいってとりに がし骨を抜かれる罰をうけて今にいたったという話である 。 ﹁小鳥の前生﹂に属するものには 、 ほ と と ぎすにまつわる話が伝わっている。ある所に兄弟があったが 、 兄は カ ラ ヤ キ のぐうだらであった。弟は兄おもいの働き者で 、 自分では 山 い も のガンクピの部分をたべながら兄には

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何時もうまい所を食べさせていたのであったが 、 務疑心の強い兄は 、 弟のそうした配慮を疑つである日弟を殺し て腹を調べたところ 、 ガ γ クピばかり出て来たのではじめて驚き 、 後悔のあまり時鳥になって﹁アッチャトッテ ッ タ カ 、 コチャトッテタカ 、 オトトトトト﹂ と 鳴き叫びながら 、 血を吐く思いで弟をさがし求めているというの で あ る 。 ﹁あっちへ飛んで行ったか 、 こっちへ飛んで行ったか 、 弟よ弟よ﹂と呼んでいるという 、 あわれにも悲 しい物語である。 なおこの部 ・ 門にはもう一つ ﹁ 雀 とケラ ツツキ﹂の話がある。 この二鳥はもと姉妹であったが 、 親の臨終にあた り雀はおはぐろをつけてかけて飛んで行ったのに 、 きつつきは紅や白粉をつけ美しく着飾って行ったので間に合 つ 工 、 ‘ っ こ 0 1 才 4 / ふ μ 4 φ J そこで神様が雀には米などの穀物を食べることを許し 、 きつつきには木の皮をつついて虫をさがさ なければならない罰を与えたという筋の話である。 ケラツツキはきつつきの方言で 、 テラツツキともいった。 ﹁動物の由来語 ﹂には 、 烏の黒いわけなどの話がある。 川合の分類には﹁植物由来語﹂が集録されていないが 、 当地方にはこれに関するこ 、 三の昔話を伝えている 9 民話・伝説 その一つは 、 そばの根の赤い理由を語る話であり 、 そのこつはみずきの赤いいわれをとく話であるが後述するミ ととする 。 第一章

格 オ土 日 話 本 田園の水かけに蛇の協力を得て 本格昔話に属するものには﹁異類婿諒﹂として先ず﹁蛇の婿入﹂の話がある。

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娘を嫁にやることを約束した爺様が 、 家に帰っ て心配のあまり寝こんでしま ったところ 姉二人は事情を聞いて嫁 ぐことをことわったのに対し 、 末の妹が進んで嫁ぐといって 、 真綿やひょうたんや針を千宛用意してもらい 、迎 民 えに来た蛇と一緒に沼まで出かける。 先ず 、 用意の真綿やひょうたんを沼にまいて蛇の自由を拘束し 、 次に針を のどに投げ込んで殺し 、 無事家に帰るという筋であるが 、 五戸には帰らずにそのまま 、蛇 のところに嫁入した話 が伝わっている。 ﹁ オ γ パの皮﹂というのはこの話の後段の話ともいうべきもので 、 蛇を退治した娘は今更家に も帰れずどんどん行くうち一人のオ γ パ即ち姥があらわれて 、 自分はひき蛙であるが 、 あの大蛇のため一日も安 心して暮せなかったといって厚く礼を述ベ 、 一人旅は危険だからといって被れば婆の姿に見えるオ γ パの皮をく れた。それを着て長者の家に奉公することになったが 、 ある夜オ γ パの皮をぬいで い る所を 、 家のアェナ様に見 られ 、 やがて恋の病にとりつかれたアェナ様の前で 、 家中の女達が首実検をされた結果 、 その娘が幸運をかち得 て長者の家の嫁となり 、 仕合せに暮したという話であった。 この話の前段の蛇のかわりに猿が出てくるのが﹁猿の婿入﹂であるが 、 この場合にも三番目娘が猿の所にいく といって親の難儀を救い 、 うまく猿をだましでもちのはいった臼をしょったまま木にの しゅうど礼にいくとき 、 ぼら せ 、 土産の花を折ってくれと頼んで枝から転落させて殺すという内容であった。 次に﹁異類女 一 房 一 部 ﹂ で あ る が 、 これには先ず蛇女房の話がある。 これは男に助けられた蛇が 、 人聞にばけて嫁 にしてくれといって来て 、 終に子をもうけるが 、 ふとしたことから蛇体を見られ泣く泣く別れて行く。別れぎわ に子どもが泣いたら 祇 めさせてくれと玉を渡す。 子どもがどんなに泣いているときでも 、 それをなめさ せ ると不

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思議に泣きやむという話が殿様にきこえ 、 それを献上するよう命令をうける。 玉をとりあげられどうしても泣き やまない子を抱き途方にくれた男が 、 沼に行くと大蛇が出て来てあれは自分の眼玉だがやむを得ない。 もう一つ の限玉を抜くとめくらになるが子のためにはかえ難いといって残る眼玉をくれたというあわれな話で 、 子ども心 にも悲しさに眼をうるませながら聞いたものであった 。 これが狐に代ると安倍保名の話になって信太の森を尋ね て行くことになった。狐から宝珠をもらって成人し 、 有名な陰陽師となった話は 、 室町時代既に形が整えられて いたらしい。竹田出雲作浄瑠璃﹁芦屋道満大内 ' 鑑 ﹂ もこの伝説を定着せしめるに預って力があった。 ﹁ 難 題 婿 ﹂ の話は様々な難題を解決することによって仕合せな結婚 、 豊かな生活をおくるという筋の話であっ た 。 ﹁異常誕生 ﹂ は異常の物から人間の生れる話で 、 すでに古く﹁かぐや姫 ﹂ にその発端を見るが 、 当 地方では専 ら﹁すねこたんぽこ﹂ ﹁ 瓜姫こ﹂などが語られて来た。 ﹁すねこたんぽこ﹂は爺様の腔から生まれた . 桃 太 郎 ﹂ 小さな子で 、 いうまでもなく室町時代のお伽草子に出てくる一寸法師と同類の昔話であるが 、 ある機会を得て立 民話・伝説 派な若者となり長者の娘の婿になる話である。 脚の短い人を今でも﹁すねこたんぼこのよんた﹂というのはこの 話から出たものである。 ﹁ 桃 太 郎 ﹂ の筋は特に一般とかわった所はなかったが 、 瓜から生まれた瓜姫こには二つ の型があった。あまのじゃくに殺される型と殺されずに最後は幸福をかち得る型とであった。 いずれの場合も鷺 第一章 の鳴声によってかごの中のあまのじゃくが捕えられるのであるが 、 ﹁ 瓜 姫 こ l ば乗 l せなェであ l まのじゃくば おやおがしーじゃほっけっちょ﹂と知らせてくれた党もあった。 り乗 1 せiで 、

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﹁ 致 富 諒 ﹂ は幸運をつかんで長者になる話で 、 一本のわらしべから長者になる側の ﹁ わ ら し べ長者﹂がその代 表的なものであるが 、 ほかには﹁おぼさりたェ﹂と い う黄金の精を勇気をもっておぶって帰りそれを手にすると い う話がある 。 一 , 坊様が金になった話﹂ 、 ﹁ 笠地蔵﹂なども一種の致富諌には相違ないが 、 それは﹁大蔵(おお みそか﹀の客 ﹂ の項で触れることにする 。 ﹁ 宗教諒 ﹂ としては ﹁ おぼこになった爺さま ﹂ の話がある 。 貧乏な 一 人の爺様が神様か観音様に祈願して頂い た護符を飲みすぎておぼこになったという筋であった 。 ﹁ 呪 宝 欝 ﹂ は児力をもった宝物にまつわる話で 、 一般的には﹁打出の 小 槌 ﹂ が代表的なものといえるが 、 当地 方にはこの槌で 、 銭や米を出した後 、 ﹁ 米倉出はれ ﹂ と振ったら小さい盲人が無数に出て来たという笑話も語ら れてきた 。 ﹁ 三人兄弟諒 ﹂ は兄弟の優劣に関する話であるが 、 男の場合でも女の場合でも多くは第 三 子が仕合せになる形 が多く 、 次 には余りばっとしない長子が成功をおさめることになっていた。 ﹁ 隣の爺諒 ﹂ に属する 昔 話は一番多く語られたが 、 それには ﹁ 花 咲 爺 ﹂ ﹁ 舌 切 雀 ﹂ ﹁ 癒 取 り ﹂ というような 全 国共通のものの外 、 ﹁ 団子どの団子どの何処まで行くけァ ﹂ と転がる団子のあとを追って鼠の浄土に行き 宝 を得 主人公にもなり 、 雁取爺の主人公にもなっていた 。 マデ︿ゃな)にかかった犬の子の白は花咲爺の 雁取爺のまいた灰は下の爺が殺した自の墓に生えた木をたい る話 、 握飯を追 っ て地蔵様の所に行き同様 金 を得る話があ っ た 。 たもので花咲爺と全く同じであ っ た 。

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小犬の白が茶碗で食わせると茶碗程に 、 井で食わせると井程にどんどん大きくなったのも桃太郎の犬と同じで あった。白は下の爺の場合﹁あっちの山のししますこ、 こっちの山のししますこ﹂と呼び 、 上の爺の場合﹁あっ ちの山のばじすがり、こ っ ちの山のばじすがり、爺のきんたまさし ぐらえ﹂と呼んで子ども等を喜ば せた。この 話には﹁火こたもれ﹂といって 、 上の爺の家の婆が来るくだりがある。 ﹁たもれ﹂は﹁賜われ﹂ の義で ﹁ 下 さ い ﹂にあたる語であるが 、 昔は火種をきらすとこのようにして貰って歩かなければならなかった。 火種をまもる ことは 主婦の何より大事な勤めであった。爺の分といって貰って帰ったしし汁を婆がマヤのすみでくってしま い 、 文雁取爺の話に出てくる隣の婆が同様マヤのすみで爺の分もくってしまって 、 かわりに小使や大便などを入 れて持って帰り爺にくわせたという話は極端であるが 、 子ども等を喜ばす効果はできめんであった。 ﹁ 猿 地 蔵 ﹂ は 、 猿どもから地蔵様と思われた爺様が饗銭をたむけられて富み 、 ﹁まいまいの庇ふり爺﹂は上手 に鹿をひって沢山のほうびをもらう話であるが 、 これとコンビの悪役の爺はいつもきまって気の毒な罰をうける 形で話が構成されていた。 たまたま大歳の夜を中心としたもので 、 全国的に ﹁大歳の客﹂は致富諒ではあるが 、 民話・伝説 は﹁笠地蔵﹂の話などで知られているものである 。年越 の米などを買いに出た貧乏で信仰深い爺様が 、 途中で雨 にうたれて寒そうにしている地蔵様を見て 、 米を買わずに笠を買って被せて帰ったが 、 婆 様 に も 納 得 し て も ら い 、 何とかかんとか年越をしたところ 、 その夜中ヤェホエヤェホエという声がして爺様の家にどっさと何かをお 第一章 くような音がしたが 、 翌朝起きて見るとそれは大判小判で 、 地蔵様のおくりものであったというのが 、 この辺で 語られる﹁笠地蔵﹂である。そしてまたこれは 、 大蔵の夜気の毒に思ってとめてもてなしをした座頭が 、 元朝に

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見たら黄金になっていたという形でも語られて来た。 ﹁継子欝﹂は洋の東西を関わず広く分布しているが 、 我々郷土のそれには﹁粟子と米子﹂ 、 ﹁ 米 子 と 糠 子 ﹂ 、 ﹁おりん子とたりん子﹂と名前は違うが同じ内容の昔話が古くから語られて来た。継母のため様々の難題を課さ れつらくあたられた先妻の子が 、 友達やいろいろな動物の援助をうけてそれを突破し 、 山うばから貰った美しい 着物をきて祭見物に出かけ 、 ょいところのアンサマに見そめられて玉のこしにのる 、 これに反し後妻の子は母の 懸命のとりなしも効を奏せず 、 母が嫁に行きたいという娘を臼に入れて回のくろを転して行くうち 、 何かにつま づいて臼もろとも田の中に落ち 、 (田螺﹀になったという筋である。 田ツ γ プカェ ﹁継子諒﹂のなかにも珍しく後妻の子が 、 先妻の子をいたわり助ける話があって我々をほっとさせてくれるの は嬉しいことである。 ﹁ 人 と 水 神 ﹂の話は浦島太郎型の異郷諦と思えばよい。 沼の主から沼の主ヘ手紙を届けることを頼まれそれを 果して財宝を手に入れる話は県内各地にあるようであるが 、 ﹁ 動物報恩諜 ﹂ はこれまで述べた話の中にも出て来たが 、 この地方のものは確認していない 。 ここには長年飼ってもらった犬や猫が主人のため命 をなげうって危難を救うという内容の昔話で 、 ﹁文福茶釜﹂などがこれに属することになるがその他では 、 毎日 猫の絵ばかりかいている小坊が破れ寺に泊った夜 、 絵に描いた猫のおかげで大鼠を退治する話とか 、 大事に飼っ ていた犬が主人の制止をきかずに吠え続けるので怒った主人がさつと斬りすてたら 、 その首が飛び上って樹上の 大蛇にかみつき 、 主人の命を救った昔話などがある。

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﹁呪術逃走諌﹂では﹁小僧エンコァええが﹂で知られる小坊の話があげられる。寺を勘当された小坊が和尚様 から三枚の守札をもらって山の中に迷いこむと 、 あかりのついた一軒家があったので一夜の宿を請うたが 、 夜中 にふと眼を覚して庖丁をとぐ老婆に危険を感じ 、 何とかのがれようとして便所に行きたいという。婆は早くもそ れを察して小坊の腰に縄をまきつけなおも逃げられることをおそれで 、 し き り に ﹁ 小 僧 ァ エ ン コ え え が ﹂ と 開 く。万事休した小坊は縄に一枚の札をはさみ、 呼ばれたら ﹁ ま だ ﹂ と返事してくれるよう頼んで逃げる 。それを 知った婆は鬼になって後を追う。 小坊はもう一枚の札を出して大きな山を出し 、 更 に 追 い す が る 鬼 に 大 川 を 出 し 、 ょうようのことで寺ににげこんで和尚様に助けられる筋であるが 、 これにはまた別の型もあったが 、 それは 逃げて逃げて漸くある人のいない一軒家にたどりついた小坊がマゲに上って隠れているところに 、 鬼が来て餅を 焼いて食おうとするのを 、 上からそっと釣上げて食い 、 鬼を気味悪がらせたあげく 、 釜に入って寝入ったところ を焼き殺して寺に帰るという筋であった。 次はいわゆる﹁食わず女房﹂といわれる話で 、 五月五日に菖蒲 ・ 蓬をふくことについての由来諒である。 人 民話・伝説 のけちな男があって飯を食わない嫁がほしいといっていたところ早速に嫁にしてくれという女が現われた。如何 にも飯を食わないが不思議にも米びつの米が目に見えてへるので 、 不思議に思った男がある日マゲに隠れて様子 を見ていると 、 大きな釜にどんどん米を入れて飯をたき 、 握り飯をつくったかと思うと 、 結 ん で い た 髪 を ほ ど 第一章 き 、 ぽかっと開いた頭のてっぺんの大きな口にお手玉をとるようにほうりあげではつめこみほうりあげてはつめ こんで 、 あっという聞に食ベつくした。男はあまりの恐しさに気を失う思いをしたが 、 何くわぬ顔をして帰り 、

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体よく女を追い出そうとした。ところがそれを察した女は 、 忽ち正体を現したので男は一散に逃げた。逃げても 逃げても追って来るので今はこれまでと 、 かたわらの菖蒲と蓬のしげみに隠れたところ 、 鬼はそれに触ると体が とけるとじだんだを踏んでくやしがりながら諦めて帰った。それで五月の節句にこれを葺くのだという話であ る ﹁化物退治誇﹂には﹁動物報恩諒﹂と重なり合うものもある。 このことについては重点のおき,ところによって 分け方にも相違が出てくる訳であるからあまりこだわる必要がなかろう。 同著にはこれを﹁年経た動物、猫や猿 や 、 その他の古いものに精霊が宿り神通力を得て活動し 、 人聞に征服されるということを主要な中心としている 昔話﹂として取扱ったとことわっている。岩見重太郎のひひ退治と同じ内容の話 、 古寺で化物を退治する話など がこれである。 ﹁人と狐狸諒﹂は狐や狸にだまされた話 、 逆にだまして退治した話があった。 狐にだまされた話は伝説の節で 触れることとするが 、 だました話には﹁メッコ爺﹂とよばれる話がある。 メッコ爺にばけて婆さまをだまそうと した狐が 、 メッコの右左をとりちがえて見破られ 、 終に退治される内容で面向い。 別に m m の中に入れられて退治 される話もあった。 笑 話 笑話のうち﹁愚人爵﹂に属する昔話として﹁芋ころばし﹂がある。村中のものが且那の家に呼ばれたはいい

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が 、 てんでに坐ったことのない座敷に坐り 、 食べたこともない立派な膳につくことに恐れを抱き村の物しりを訪 ねて相談におよぶ。 物しりは万事自分に見ならって事をはこベと安心させ 、 当日芋に箸をつけ誤って弾きハジキ イモとなる。 一同もそれにならってイモを弾きころがし大騒ぎとなる話である。 上 ﹁朱塗の膳椀﹂というのは 、 方に出かけて物をおぼえて来ようと思った男が 、 折角新しい言葉をメモして来たものの真赤な血のことを朱塗り の膳椀などと勘ちがいしたため 、 説明が全く通じなかったという筋の話であった。 ﹁松山鏡﹂と同じ内容の昔話 も あ っ た 。 一つ覚の婿が輿礼などに行って様々の失態をくりかえす話が ﹁愚か婿﹂で 、 妻の実家で因子の馳走にあずかっ た婿が家にかえったら早速つくらせようと思い 、 忘れては大変と道々﹁団子々々﹂と唱えながら来るうち流れに さしかかり﹁どっこいしょ﹂と掛声してとぶ。 それからは﹁どっこいしょ 、 どっこいしょ﹂と復唱しながらょう ゃく家につく。 ﹁どっこいしょ﹂をつくってくれというが一向に通じない。怒った婿が妻をなぐりつけると大き なこぶが出来る。妻が﹁だんご L のようなこぶが出来たとしかめつらをする。婿はは ・ じめて﹁団子﹂だったこと 民話・伝説 に気づくという誰もが聞いた話もこれに属するものであった。 ﹁愚か嫁﹂の話には鴛言葉を使った馬鹿嫁の話がある。嫁にいったら鴛のようにやさしい言葉を使うものだと しばらくこらえたが我慢ならず 、 聞かされた娘が 、 祝儀の席で小用に立ちたくなり 、 ここぞとばかり﹁ナガドl 第一章 仲人がびっくりすると﹁シコガlデタェ 、 デ タ ェ 、 デタヱ 、 デタェ﹂といって皆を唖然と カガサマ﹂といった。 させたという話。鴬の谷渡りの鳴き声で訴えたのであった。

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また乱暴な言葉づかいをつつしむよういわれた娘が嫁に行って 、 ﹁お烏ァおえんがわがらオハェラッテお坊様 おふりァったお糞おぼきりおぼきりとおずずぎァッてます﹂と丁寧語を使ってたしなめられたので 、 次には﹁か カッチカッチ﹂といったという話もこれである。 んみァとんげサめつつぶァついでらじゃ 、 ﹁おかみさんのおと がいに飯粒がついてる。 おかしいおかしい﹂というのを﹁お﹂をとっていったわけであった。 ﹁ 誇 張 諌 ﹂ としては一発の銃弾で数々のえ物を得た鉄砲打の話があげられよう 。 沼におりている鴨をねらって うった弾が次々と数羽のからだを貫通する。 喜んだ鉄砲 打がそれを拾おうとはいってゆくと股引やふところなど に雑魚が沢山はいる。 行って見るとムジナか何かが鴨を射った強にあた ふと見ると対岸で何かがもがいている。 っており苦しまぎれに地面をほったと見え 、 山のいもまでごろごろ転っている。 鉄砲打ちは思わぬ大猟にほくほ くして帰るという筋。 聞く方も楽しくなってくる話である 。 ﹁巧知諒﹂には﹁力くらべ﹂ 、 ﹁ 法 螺 く ら べ ﹂ 、 ﹁和尚と小僧﹂などの話がある。 ﹁うそつきわらし﹂の話は どこにもある。 ﹁和尚と小僧﹂の話は我が国に古くから伝わる笑話で 、 物語集にも早くから採録されているが 、 ﹁ ぶ つ ぶ ば た ば た ﹂ 、 ﹁ぐみ漬﹂の話などは誰でも知っている当地のそれである。もう一つ代表的なものに仏様 がボタ餅をくったとごまかそうとした小坊が終に自分が食ったことを白状する話がある。ある寺の小坊が仏様に あげられたボタ餅が食いたく一計を案じて仏様の口にあんこをなすりつけて食ってしまった。和尚様に見つかっ て問いただされてもきかず 、 それでは仏様を煮て見たらと和尚様にいう。 仏様を煮たら﹁クタクタ﹂と煮立つ た 。 ﹁食ったといっているぞ﹂といわれた小坊はそれでは叩いて見るよう申し入れる。 和尚様が叩くと﹁クワン

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クワン﹂となる。 やりこめられた和尚様が仏様を池に投げると﹁コンボコンボ﹂と沈んでいったので 、 小坊もど うにもならず白状におよんだという話である。 ﹁とんどの虎﹂に似たしくみの話で﹁鼠経﹂として知られる話もある。 お経を知らない小坊が寺を追われてあ る老夫婦の家に泊めてもらいお経を所望されて困った挙旬 、 たまたま出て来た鼠の動作にふしをつけて読み上げ 何とかごまかしたところ中の様子をうかがっていた泥棒が行動を起した途端ずばりとお経でそれを指摘されるの で何にもとらずに逃げ去ったというものであった。 ﹁絞猪諒﹂はあまりこのあたりで関かないように思うが 、 よそのそれを見るとその徹底したずるさ 、 あくらつ ぶりに嫌悪の念さえ抱かされる程である。あまり子ども達に聞かせたくない話である。 ﹁形式諒﹂は﹁語りを興味の中心としたもの﹂と川合はいって、 長い名の話 、 果なし昔をあげているが 、 短 い 話 、 早物語りもまたこれといえよう 。 長い名の話は広く﹁じゅげむ﹂の話として知られているものと同類のもの であるが 、 名前はそれぞれ変っている。 ﹁果なし昔﹂は昔話が好きで好きでたまらない殿様とか長者に極めて単 民話 ・伝説 調な話を繰り返し語ってあきたといわせその娘をもらう内容のものと 、 金扉風にかけたふんどしが長いといった り 、 天井から下った鬼の樟が長いとかいう形式のものがあった。 短い話には﹁昔ァむんつけで話ァはんつけた ず﹂といって打切るもの 、 またこちらを向いた姉様に一本も歯がなかったので ﹁ はなし﹂だといって終ろうとす 第一章 ﹁はいはいの物語そうろう﹂で終るいわゆる﹁早物語り﹂もあった。 るものなどがあった。最後に 切 雀 舌

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昔あるどどに爺様と婆様どあったズオン。 爺様ァある時山サ行って雀のコッコめつけだズオン。それを家サ持 っ て き ﹄ て 、 めどがって育ででいだズ。 ある日爺様ァ山サ行ぐごどになって 、 雀に 、 ﹁山サ行って来るスカェ 、 お どなしぐしていろよ﹂ っていいづげで出がげで行ったズ。 雀コァだんだん腹へってきであだり見だキァ 、 糊桶に糊ァはェッていだズ。 なめってみだキャとってもうまか ったどごで皆なめってしまったズ。 そごサ婆様帰ってきて 、 ﹁ダェンダ糊なめった奴ァ 、 雀 だ べ ﹂ っ て 、 雀っか まえで﹁よくなェ舌だ﹂ っ て 、 欽で舌ちょきんと切って ﹁ ど こ サ で も 行 げ ﹂ つてはなしてやったズ。雀コア -, し、 z -ェ 、 ょ -エ J I L T L つてなきながら飛んで行ってしまったズ。 ソヤシテいだどごサ爺様もどって来 て ﹁雀コどこサゃったエ﹂と聞いだズ。 ワァ糊ガェ 婆様﹁雀だパ何だパ 、 すベどとっておいだ糊なめってしまったスカェ 、 舌切って飛ばしてやった﹂ っ て へ っ た ズ 。 爺様 、 ﹁そりゃかわいそンだどどした。 ワ行ってへで来るァ﹂ っ て 、杖 ついで出がげでいったズ。 ﹁雀どの雀 どのお宿は何処だ﹂と呼ばりながら 、 何処までも何処までも行ったズ。 ソヤッテるうじに竹やぶァ見えだズ。爺 様ここらだべがなと思って ﹁雀どの雀どのお宿はどごだ﹂と呼ばったズ。 シタキャ 、 竹やぶの中がら﹁チリンチ リンここだ﹂という声がして 、 めどがっていだ雀コァ出はって来たズ。 扶の長いきれいだ着物きて 、 ﹁爺さま爺さまよぐおだェりました。﹂って爺様を中サ入れだズ。うじのものもみ んな出はってきて 、 爺様の機嫌をとり 、 いっぱェご馳走出しだズ 、 爺様も喜んでいっぱェご馳走になってから 、 ﹁ 雀 コ 雀 コ 、 まだ来るスカェ 、 今日ァこれでもどるァネ﹂ っ て へ っ た ズ 。

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シタキャ雀コァ 、 ﹁ へ γ ダラ爺様 、 お土産につづら上げたェども 、 大きつづらょがすか小さェつづらょがす か L. って閲いだズ。爺様ァ 、 ハァ年いって大きつづらしよれなェスカェ 、 っ て ヘ ッ た ﹁ ワ ァ 、 小さェのけろ﹂ ズ 。 きれいだ着物だの宝物ァいっばェ出はって ソヤッテ小さェつづらもらって家サもどって中あげで見だキャ 、 き た ズ 。 それ見だ婆様自分もほしぐなって 、 っ て 、 雀を尋ねで行ったズ。 ﹁雀どの雀どのお宿 ﹁おらも行ってくるベ﹂ は ど ご だ ﹂ ってヘッたキャ 婆 様 に も ご 馳 走 し た ﹁チリンチリンここだ﹂ って舌切られだ雀コァ出はってきて 、 ズ 。 婆ァ﹁もどる﹂ 小さェつづらいいが﹂ って聞いだズ。婆ァよ ってへッたキャ 、 雀ァまだ﹁大きつづらいいが 、 ぐたけで 、 小さェのサでもアッタニ 宝物 ァはェっていだんだオノ。 大き方サだらもっともっとはェってるべど思 っ て 、 ﹁ 大 き方けろ﹂ っ た ズ 。 大きつづらもらったのァいいども重くて重くて 、 どうにもならなぐなったどごで 、 婆様ア途中であげで見るご 民話 ・伝説 どにしたズ。中あげだキャ 、 一つ目小僧だの抜げ首だの傘の化物だの 、 、ノ 蛇だのがまだのいっぱェ出はったズ。 タスカェ意地わるぐしたり 、 よぐたげるも γ でなェズ。ドットハラヱ O 雁 り 爺 と 第一章 昔々上の爺ど下の爺どあったズオンナ。 上の爺ァとっても根性わりィ爺で 、 下の爺ァとってもひとのいい爺で あ っ た ズ 。

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ある時二人して川サ 、 ( ゃ な ﹀ イ ン コ ア 流 か さ が れ .つ ( 小 犬 ) そしたキャ上の爺のマデサ白いコッコインコア マ J ア か げ だ ズ 。 た ズ 。 そのインコをまだ川の中サぶんなげだズ。 上の爺ァ 、 魚かがなェで犬かがってと思って 、 ﹁シlンシlン﹂ つてなェでいだズ。 下 の 爺 ァ そ れ 見 つ け で流されで下の爺のマデサかがったズ。 ソヤッテ 、 ︿ 懐 ) で 、 サ入れで家サもどったズ。 かわいそうだと思ってふとご 爺ァインコ拾って来たわげ婆サ話し 、 (可愛がって)育でだズ。 白ァ一杯食 白ど呼ぶごどにして 、 メゴガッて べれば一杯分大ッきぐなり 、 (ちょっとの聞に﹀大きだ ニ杯食べれば二杯分大ッきぐなって 、 イットゴマの中に 犬になったズ。 ある時 、 ﹁ ン ガ 、 まだチャッコインダスカェ行 ﹁爺様爺様 、 山サシシとりに行ぐベシ﹂ っ た ズ 。 爺ァ 、 白ァ 、 げなェンだ ﹂ ってヘッたズ。 ワェサ鞍置いで下さェ﹂ ﹁ ン ガ ま ヘンデモ白ァ ﹁イエイエ爺様 、 ってきかなェズ。 だ無理だ γ だ ﹂ って何ベんしゃべっても 、 ( 是 非 々 々 ﹀ 鞍おがへで 、 爺 ば ﹁ナンタカ γ タ 置いで下さェ﹂ っ て 、 乗せで 、 コダシだの何だのまでつけさせで山サ行ったズ。 山サついだキャ 、 大ぎだ声で こッちの山のシシマシコ﹂ っ て 白ァ爺ばおろして 、 ﹁あっちの山のシシマシコ 、 呼ばたズ c シタキャあっちがらもこっちがらもいっぱェシシマシコァ飛んで来たズ。白ど爺さまそれをいっぱい とってコダシサ入れ 、 家サもどったズ。 家サもどって ﹁婆々白のおかげで今日ァシシマシコいっぱェとって来たじゃシシ汁煮で食ベシ﹂ っ て 、 シ シ 仲 川 煮で 、 白も一緒に ﹁ λ ノ キ AF ェ λ ノ念品エ﹂ って食ってだズ。

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ソヤッテだどごサ 、 上の家の婆ァ ﹁ 火 コ た も れ ﹂ っ て 来 た ズ 。 ソヤッテ﹁おまェだじでァシシ汁食ってだど 、 うまそンだナ。﹂ってヘッたズ。下の爺ど婆ァ﹁火もたもるし 、 ァいっぱェどっちょになったあとで 、 シシ汁もあがれ﹂ ﹁これば爺様サもってって食ヘベ ﹂ って少し残す γ だ ズ 。 って何ばェも食へだズ。 爺 っ て 、 ごっちよしたズ。上の婆 下の婆ァ 、 さまサば別にあげるスカェ 、 たんとあがっとらェ﹂ 火種と爺様の土産をもらって 、 上の婆ァ 、 ﹁ありがとがした﹂と い って帰ったども 、 すぐまだシシ汁食ったぐ なって 、 マヤサはェって食ったズ。 ソヤッテ馬のくそど小便少し入れで家サ持って行ったズ。 ソヤッテ 、 ﹁下の家サ行ってシシ汁どっちょになって来た。 こりやおまえの分だ。くっとらェって出したズ。 爺 ァ ﹁こぐさェどもうまェ ヤ ネ ﹂といってそれ食ったズ。 次の日上の家の婆ァ 、 爺をシシとりにやるべど思って 、 下の家サ犬借れるにや っ た ズ 。 ソヤッテ来たがらなェ 自をせっかんして連れで来て 、 鞍置いで山サ行ったズ。 白 ァ 、 爺をおろして 、 大ぎた声で 、 ﹁ あ っ ち の 山の土す がり 、 こっちの山の土すがり 、 爺のきんたまさしぐらェ﹂て叫んだズ。 シタキャあっちがらもこっちがらも土す 民話 ・伝説 がりァ真暗くなるほど飛んで来て 、 爺のきんたまもどごもジッカモッカどきしたズ。 上の爺ァきもやいで白を殺 してしまったズ。 コメノキ (あせび﹀をしるしに植えでもどって来たズ。 ソヤッテそのあだりさいげで 、 いづまでたっても白を返しに来なェどごで 、 下の爺ァ上の爺のどごサ閲ぎに行ったズ。 シタキャ上の爺ァ怒 っ 第一章 シシば呼ばなェで 、 土すがりば呼ばったスカェ殺してしまった﹂ ﹁ 白 も な も 、 っ て ヘ ッ た ズ 。 て

γ ダキャ一晩のうじにコメノキァ 下の爺ァかわいそ γ だごどしだど思って 、 いげだ場所聞で行って見だず。

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大きぐなっていだズ。それを切って薪にすべと思ってしよって来たズ。 それたいだキャ 、 アグ(灰) ア ハ つ ギ ι ェ

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たまったズ。 民 下の爺ァそのアグ飲サ入れで晩方屋根サ上っていだキャ 、 カランコロンカランコロンって唯が飛んできたズ。 爺ア 、 アグつかんで﹁艇のマナグサアグアハェレ﹂ ってまいだキャ 、 粧の眼ァ見えなぐなってボッタボッタと落 じ だ ズ 。 婆ァそれを棒きれでワッタワッタどただェで雁をいっぱェとったズ。 ソヤッテ雁汁煮で食っていだどごサ 、 ﹁おまェだじでァ雁汁食っ ﹁ 火 コ た も れ ﹂ まだ上の家の婆ァ って来て 、 てらってが﹂ さェッテまだ爺の分まで土産にもらってもどりしま 、 まだ半分食って馬の糞ど小便 ってへッたズ。 入れで持ってって爺にかへだズ。爺ァまだそれくって ﹁こぐさェどもうまェやね﹂ ってヘッたズ。 その晩かだ 、 屋根に上って待じでいだズ。 ソヤタキャまだカランコロ 上の爺ァ下の家からアグもらって来て 、 ンカランコ ロ ンてなぎながら飛んで来たズ。 とごろが爺ァ間違って﹁爺のマナグサアグァハェレ﹂てしゃべって しまったズ。 爺ァ屋根ごろごろど転んでボッタど落じだズ。下に へ γ ダキャ爺の限サアグァいっぱェはェって 、 いで雁が落じでくるのを待じでいだ婆ァ 、 大きだ雁が落じで来たど思ってワッタワッタど叩ェだっキャ 、 爺ァ死 んでしまったズ。ドットハラェ。 地 蔵 様 と 団 子 あるどごに爺様。と婆様どあったズオン。 二人 し て彼岸団子こサェでだッキャ 、 団子ァころっと手がら落じだズ オン。爺様おやおやど思っ て それとる気になったキャ 、 ころころと転んで 、 爺様まだそれ おもでサ出はったズ。 f

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拾う気にな?てあどぼって行ったキャ 、 何処までも何処までも転んで行ぐズオン。 爺様ァ 、 ﹁団子どの団子どの 何処までござる﹂ ﹁サンカミヤマのお堂まで﹂ って聞だキャ 、 っ て 、 転んで行ったズ。 因子ァ 行ったキャ行ったキャ 、 地蔵様立っていで 、 そのあだりで団子ァめなぐなったズ。 爺様ァ地蔵様のどごサ行っ て 、 ﹁地蔵様地蔵様 、 今こごサ団子ァ転んで来ま せんでしたベが ﹂ っ て 聞 い だ ズ 。 シタキャ l 地蔵様ァ ﹁ あ あ 来 ニ 廿 に こ 、 φ J 寸 唱 A J j ワァゴッチョになった﹂ っ て へ っ た ズ 。 地蔵様ァ 、 ﹁因子ゴッチョになった礼におまェサいいごどおへるァ ﹂ っ て 、 ﹁今こごサ鬼ァいっぱェ来てパグ ジ始めるスカェ 、 おまェャ鶏の真似して ワェの後サかぐれでろ。 銭ァいっぱェ集ったら 、 ワァ合図するスカェ 、 ﹁ カ ッ ケ ロ ! ﹂ ヘパ鬼 γ ドァ夜明げだがど思って 、 ピクタガッて逃げるスカェ﹂ っ て お へ だ ズ 。 って鳴げ 、 サェッテるうじ地蔵様ァおへだ通り 、 鬼ァあっちがらもこっちがらも集って来てバグジを始めだズ。銭も山の ように積まさったズ。 地蔵様の合図ァあったもンだどご ﹁、ァ乙:て: 、 え カ 戸 、 刀 ハァえがベが﹂ど思ってだどごサ 、 で 、 爺様ァきものの袖をばたばたさせてから﹁カッケロ 1 ﹂ っ て 叫 ん だ ズ 。 シタキャ鬼もなもピクタガッてしま 民話・伝説 っ て 、 爺様ァ地蔵様に礼を って銭もなにも皆おいでパタクタと逃げでってしまったズ。 ﹁ そ ら 、 カ ッ ケ ロ 虫 、 だ ﹂ の ベ 、 その銭をみんな持って家サもどり 、 婆様ど喜んでいだズ。 それ見だ欲たがり婆ァ 、 自分どごの爺にも銭もうげさせベと思って 、 転がりもしなェ団子を無理に転ばせて地 第一章 蔵様のどごまでやったズオン。 ヘンダドモ地蔵様団子ば食ねェどどで爺ァ無理に食せで地蔵様の後にかぐれて待 ソヤッテるうじまだ鬼ンどァ集って来てパグジ始めだズ。 銭コいっぱェ積まれだの見で 、 爺ァ じでいだズオン。

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﹁ カ ッ ケ ロ I ﹂ って叫んだズ。鬼 γ ドァまだパタクタど逃げだズドモ 、 一匹逃げおぐれだのァあって 、 爺を見で ﹁今なェだのァカッケロ虫でなェふて 、 人間だェ﹂ みんなを呼ばったズ。 っ て 、 鬼 y ドァ﹁どうもおがしと思っ 民 た。このくされ爺っこ﹂ ってワッタミッツどせっかんして血モドロカェ ( 血 み ど ろ ﹀ にさせだズ。 爺ァ体中から 血流してもどるのを見で 、 慾たがり婆ァ 、 ﹁おらほの爺ァ赤ェポッポ着てきた﹂ ってヘッたズ。ドットハラェ。 顔の赤く変った地蔵様 昔々ある島、不正直だ婆様あったズモナ。婆様の暮している村のはずれネ石の地蔵様あったズモナ。婆様その地 蔵様を拝むネ毎日々々行ったズモナ。 ソヤシテいるうじにある晩げ夢見だズモナ。枕元サ地蔵様ァ立って﹁あど 何回がヘパ 、 ワェの面ァ赤くなる筈だドモ 、 その時津浪ァ来てこの島沈むハンだ(筈だ﹀ シ カ ェ 、 村の皆サも知 らへで 、 舟でどごサが逃げろよ﹂ ってヘッたズモナ。 婆様ァその夢のごどヨ地蔵様の知らせだど思って 、 村の人達に教えで廻ったズ。 ヘンデモ誰もそれをほんに し なェがったズ。それどころが 、 馬鹿にして笑うものまで出で来たズモナ。 サ ェ ッ テ あ る 日 い だ ず ら 者 の 若 ェ 者 て あ る 真 暗 い 晩 げ 、 赤ェ色で地蔵様の面塗ってしまったズモナ。 そったごど何もしらなェ婆様 、 次の朝まおがみに行ったキャ 、 地蔵様の面ァ真赤になっていだズモナ。婆様動 転してしまって 、 急いでもどって来て 、 村の人達サ ﹁ 地蔵様の面ァ赤ぐなった 。 早ぐドッチャが逃げなェば 、 、, 」ー の島沈んでしまる L っておへで廻り 、 婆様ァ準備していだ舟さのってはなれだズモナ。 ソヤッテいるうじに婆様 し ゃべった通り 、 大ぎだ津浪ァきて 、 見でるうじに島も人も沈んでしまったズモナ。

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ドットハラェ。 米 子 と 粟 子 あるところに米子 と 粟子ってへル姉妹ァあったズ。 米子ァ先腹の子どもだった y だスカェ 、 後アッパ莱子ばり めどがったズ。ある時アッパァ 、 二人ば栗拾いにやったズ。 粟子にはちゃんとしたコダシを持だせ 、 米子にば大 き穴あェだコダシ下げさせでやったズ。 粟子の コ ダシには栗の実だのカッチャ何ぼでもたまるのに 、 米子のコダシにはいつまでたっても一つもたまな ェズ。米子ァ早ぐ拾わなェばと思って奥の方サ行ぐうじに迷ってしまったズ。 仕方なェど思ってもっともっと行 っ た キ ャ 、 一軒の家ァ見えだズ。 中サはェッて見だっキャ婆一人いで 、 っ て ヘ ッ た ズ 。 米子ァ ﹁栗拾いに来て迷ってしまった ﹁ 何 し に 来 た ェ ﹂ スカェ泊めで下さェ﹂ っ た ズ 。 婆 ヘ ダ キ ャ 、 ﹁ 頭 が ら 罰 則 と っ て け ろ 、 へ γ ダラ泊めるァ﹂たズ。米子ァ一生懸 命婆の一風とっていだキャ 、 外の方でおっかなェ声ァして鬼ソどァはェッて来たズ。 婆ア 、 ﹁早ぐワェの尻の下サ 民話 ・伝説 か ぐ れ ろ し 知らなェふりしていだズ。 って米子をかぐし 、 人ァ来なェがったが﹂ ってへるズオン。米子ァお 赤 ェ 鬼だの青い鬼だの鼻うごかしながら 、 ﹁ああ人くさェ 、 つかなェふっておっかなふてぶるぶるふるっていだキャ 、 婆 ァ ﹁さきた鳥の羽コァ飛んで来たスカェそのカマリ 第一章 鬼 γ ど ァ ﹁それにしても人くさェ﹂ジながら寝だど思ったら 、 すぐねってしまって次 だ ベ ネ ﹂ って返事したズ。 の朝ま 、 まだ出がげで行ったズオン。

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俗 婆に助けでもらって 、 米子ァ身の上話して関がせだキャ 、 婆 土 産 に 首 相 篭 く れ だ ズ 。 家サ帰って誰もいなェどご でそれあげで見だキャ 、 締麗だ着物 ‘ァ.すっぽりはェっていたズオン。 米子ァそれを大事にしまっておいだズ。 民 アッパと粟子ァ締麗な着物着て祭見に行ったズオン。 サェッテ米子 サェッテるうじに村のお祭ァ来たズオン。 篇

第 サば﹁篭でトナガマサいっぱェ水くんでおげ﹂ の ﹁莱三駄掲いでおげ﹂ のって仕事いいづげだズオン。 米 f T 一人でドヤスベど思って泣いでいだキャ 、 イコ 隣の婆様それ聞で 、 ﹁ヘンダラボ ロ敷いで汲めばいいんだ ﹂ ておへ ( 教 え ) 粟三駄どやって崎市いだらえがベど思って 、 ま で け だ ズ 。 おへられだ通りにして水ば汲んだドモ 、 だ泣ェでいだず 。そごサ雀 コァいっぱェ飛んで 来 て 、 オラ γ ドァ手伝うスカェッて 、 イットゴマのうじにしらげ で け だ ズ 。 米子ァ雀コサ礼述べで 、 婆がらもらった着物着て祭見に行ったズ 。 莱子ァそれ見つけで 、 アッパサ 、 ﹁ 米 子 ど 同じおなごァ来てら ﹂ ってヘッたズ。 ﹁ 似だ奴ァどこにでもある γ だ L ほんにしながったズ。 っ て 、 r ッ 。 、 -J ノ 米子ァみんなより早ぐ家サもどって 、 まだもどのきたなェ着物きてかせでいだズ。そごサ二人ァもどって来た ズ。莱子ァ っ て 聞いだ ズ。米子ァ ﹁祭見だば何だば 、 仕 ﹁ 米 子 、 米子 、 今日おまェャ祭見に行がなェがったド﹂ 事いっぱェ しなェばな γ なェふて 、 それどどでなェがった L ってへッたズ。 ソヤッテいるうじにある所がら 、 米子こと嫁にもらいたェって来たズ。 って聞いだズ。 アッパァ ﹁ 粟 子 が ェ ﹂ シタキ ャ ﹁ そ ン で な ェ 、 米 子 だ ﹂ アッパァ ﹁菓子の髪ァピンポラチョンジャってへる し 、 米子 ってきかなェズ。 髪ァプッスラムシってへますタエ ﹂ ってヘッたズ。 ン J アモ ってへッたズ。 .r-... ﹁ナンタカンタ米子ほしい﹂

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米子ァ祭に着て行った着物きたキャ 、 ピクタガルよ y た美人になったズ。 ソヤッテ馬サ乗って嫁にいったズ。 粟子ァそれ見で﹁オラも嫁にいきたェ﹂ っ て 泣 ェ だ ズ 。 これサ乗れ﹂ っ て 、 臼ころばして アッパア ﹁ ヘ ン ダラ 、 来 た ズ 。 サェシテ粟子ば乗せでタノグロころばしてありつてるうじに 、 ごろつと転んで田の中サおじで 、 二人と もタツ γ プ カェになってしまったズ。 ドットハラェ。 鬼 菖 蒲 と 昔あるどごにたいしたけちくさェ男ァあったズオン。 何とがしてマンマ食なェ嫁コほしど思って神様おがんで い だ ズ 。 そやってるどごサ 、 あ る 時 締 麗 だ 女 ァ 来 て 、 ﹁ ワァマンマ食なェ女だスカェ 、 嫁にして下さェ ﹂ ってヘッた ズ。男ァあんまり締麗だ女だどごで 、 って嫁コにしたズ。 その嫁コァなるほど飯時になっても一粒も ﹁ え が ベ ﹂ 食なェズ。なんぼ食ェつでも食なェどごで 、 男ァ本当にいい嫁ァさずがったと思って喜んでいだズ。ところァそ のうじに 、 米びづの米ァどんどんなぐなっていぐのに気ァついたズ。 民話・伝説 不思議だごどもあるも y だと思って、

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ある時男ァ町サ行ぐふりして 、 マゲの上サあが っ て様子見でいだズ。 (そうしたら)女ァ米びつからいっぱェ米出してきでそれをとぎ 、 大きだ釜でた ェ だ ズ 。 ン ダキャ ソヤッテ握り マンマこさェで膳に盛り上げだがど思ったら、頭の髪をといだズ。 シタキャ大ぎだ口ァパカット開いでいだズ。 第一章 女ァ握りマンマをアヤコとるように投げあげ投げあ。けして 、 ﹁ニシ三把のただりだが 、 サ ン パ 三 把 の た だ り だ ってしゃべりながら 、 そのロサ入れ 、 イットゴマのうじにみんな食ってしまったズ。

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俗 それ見だ男ァおっかなふておっかなふてどうもこうもならなぐなってしまったズ。

y デモ家サもどなェわげ にもいがなヱで 、 つてはェっていったズ。 なん.ほしてもおっかなふて 、 声がふるえだり体がふ ﹁ 今 も ど っ た ェ L 民 るえるの女ァ見で 、 男ァ食れでしまうど思って家がら飛出し 、 ﹁ 見 だ べ ﹂ っておそろしなェ面でにらめだズ。 篇

第 クッコヤミ(一目散﹀ に 逃 げ だ ズ 。 女ァ鬼になって大き口あげでポ ッ て ( 追 っ て ﹀ 来 た ズ 。 だんだんだんだん鬼にかつがれ(追いつかれ) でっかまェられそになった時 、 そばにあ った菖蒲と蓬のくさやぶサ隠れだズ。 そごサすぐど鬼ァ来たズ。

y デモそのやぶサパはェって来なェで 、 まわ りまわりながら 、 ﹁菖蒲と蓬に隠れられればどうにもな y な ェ 、 っ て 、 諦めで行ってし ワェの体とげでしまる﹂ ま っ た ズ 。

y デ五月の節句に 、 菖蒲ど蓬 、 屋根サさすズ。ドットハラェ。 小 僧 と ぼ た 餅 昔あったズオン。ある所ネお寺あったズ。 そのお寺に和尚様ど小坊ッコァいだズ。ある日和尚ァ法事サ出がげ るごどになったズ。和尚様小坊ッコ呼んで﹁ヘ ン ダ ラ 行 っ て 来 る ス カ ェ 、 しっかりるすしてろよ﹂ ってヘッた ズ

小坊ッコァ和尚様のいうごど聞いで留守しているうじ、退屈にもなったし、腹もへってきたズ。

y デ本堂サ 行って見だズ。 シタキャ仏様の前ネうまそ y だボダ餅ァいっぱェ上っていだズ。 それ見だ小坊ッコァ 、 我慢出来 工 ん ¥ 工 っ て 、 手 I J ¥ 手 i マ 、 一つとってあぐっと食ったズ。 いやそのうまェごど 、 小坊ッコァどにもこにもならなぐなって 、 皆

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食ってしまったズ。 アンコいっぱェヌダゴッて ( 塗 り つ け て ﹀ 、 知らなェふりし ソヤッテ仏様の口のまわりサ 、 ていだズ 。 ソヤッテいる中に晩げになって和尚様帰って来たズ。 ﹁小坊小坊今もどったェ 、 ド L. って聞いだズ。 ってすましていだズ。 小坊ッコァ、 ﹁ は い 何 もなェがったェ﹂ 和尚様そりゃえがったど思って本堂サ行ったズ。 何も変ったどどァなェがった ソヤシテ (そして﹀仏様のボダ餅ァみんななぐなって 、

様 の口のまわりにアンコァいっぱェぬられでいるの見でびっくりしたズ。 ヘ ン デ大きィ芦出して つ て呼んだズ。 和尚様﹁ボダ餅食ったのァおまェだべ﹂ ってヘッたズ。 小坊コア ﹁おら食いません。 が 、 あったに口のまわりサアンコァつでるスカェ﹂ ってヘッたズ。 和尚様ァ 、 ﹁シタラ仏様食ったが食なェが 仏様に聞でみるが ﹂ っ て 、 仏様叩ェだズ 。 ワ ン H と鳴ったズー和尚様ァ 、 ﹁ そ ら 、 仏様ァ食わん食わんってへってる ン でなェが﹂ 民話・伝説 小坊ァ 、 仏様ァ煮でみで下さェ ﹂ 和尚様ァ仏様を煮だキャ 、 ﹁ ヘ ン ダラ和尚様 、 っ た ズ 。 てヘッたズ 。 ﹁ それ和尚様 、 小坊コァ 、 食った食ったってヘッていましたェ﹂ っ た ズ 。 和 尚 様 て 小 坊ッコの頭のいいのに感心して 、 ﹁ へ y ダラ 、 コッタラ仏様ナゲルが ﹂ 第一章 ズ 。 へ y ダキャ 、 コ ン ボ コ y ボ H って沈んでいったズ。 シタドゴデ 、 仏様ァ H コ y ボ コ ン ボ 、 って詑びしたズ。 う﹁ワァ食いました﹂ ド ッ ト ハ ラ エ 。 ﹁ 小 坊 、 小 坊 ﹂ 仏 様 食 っ た で な ェ が べ へ y ダキャ 、 H クワンク ってへッたズ。 H クッタクッタ H つ っ て 、 庭 の 池 サ 投 げ だ 小坊ッコもとうと

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ブ!パタパタ 昔あるお寺に和尚様ど小坊ッコァ二人いだズ。和尚様よぐの深ェ人で 、 毎晩げ小坊ッコ達を早く寝せで 、 自分 ばり炉サあだりながら 、 もらった餅ホドサほっこんで焼、ぎ 、 うまそうに焼げだ頃ホドからあげで 、 プ l プ l っ て I ' 、 . z t

, 、

住厄ゐ μ 叫 り あ ん ハ ノ 司 パタパタどアグをおどして 、 うまェうまェって食う y だ ド 。 その音問げば 、 小坊ッコ達も食ったくて食ったくて眠れなェズオン。 小坊ッコ達ァ何とがして餅ごちそうにな る気なって 、 どうせばいいんだが考ェだズオン。 ﹁和尚様和尚様 、 これから ソヤッテ和尚様のどごサ行って 、 人をプ!プ l パタパタって呼んで下さェ﹂ って頼んだズオン。 和尚様おがし名だと思ったども﹁うんうん﹂ その晩げ小坊ッコ達ァ 、 和尚様きっと今夜も ってヘッたズオン。 餅焼ぐゴッタ (ことだろう)と思って 、 寝だふりして待じでいだズオン。 ソヤッテるうじに和尚様ァ餅出してき てホドにほっ こ んで焼ェだズオン。 小坊ッコ達ァ今呼ばれるが今呼ばれるがと思っているうじに 、 うまそ ン だカマリコァしてきたズオン。 ソ ヤ ッ テ和尚様ァ 、 小坊ッコ達は今だと思ってとび起ぎで 、 すぐ和尚様のどごサ行 プ l プ l パタパタを始めだズオン。 っ た ズ オ ン 。 ソヤッテ膝おって﹁和尚様何の用ですか﹂ ってヘッたズオン。 小坊ッコァ二人来たも ン だどごでびっくりしたども 、 今 朝 の 話 を 思 い 出 し て 、 ケ ﹁ちょうど餅ァ焼げだどどだ。さあお前達も食ェ﹂ 和尚様ァ呼びもしなェのに 、 ってヘッたズオン。 ドットハラェ。 ど っ こ い し ょ

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あるどごネ馬鹿聾ァあったズオン。ある時しゅうどの家サ行ぐごどになったズオン。 嫁コァ 、 家サ行ったらあ あせこうせっていろいろ知らせで出してやったズオン。 しゅうどの家でァ 、 といっていっばェゴッチョ (ご馳走﹀し 、 団 子 も 出 し て け だ ズ オ ﹁よく来たよぐ来た﹂ γ 。それ一 口食ったキャうまェふてうまェふてならなェがったどごで 、 家サもどったら嫁コがらこさェでもらう ベど思って 、 忘れなェょに﹁団子 、 団 子 ﹂ ってしゃべりながら歩いて来たズオン。 シタキャ小さい川流れでいだズ。聾ァ ﹁どっこいしょ﹂ って掛声してその川をはねだズオン。 ソヤッテこんど ア ﹁どっこいしょ 、 ってしゃべりながら家サもどったズ。 どっこいしょ﹂ いろいろチョ l ジャグされだ話を嫁コに聞かせながら 、 ﹁どっこいしょズのァ一番うまがったスカェ 、 お前も こ さェでけろ﹂ 嫁コァはじめで聞く食い物の名だどごで 、 何のごどだがさっぱりわげァわがなェが っ た ズ オ ン 。 っ た ズ オ ン 。 なんぼしゃべっても嫁コァわがなェどどで 、 製ァきもやェで 、 嫁コの頭思いきり叩ェだズオン。 シタキャ大き 民話・伝説 いこぶァ出来だズオン。嫁コも怒って ﹁叩がなェふてもえがベァ 、 これ団子のヨ ン タ癌ァ出来だ﹂ ってヘッたズ シタキャ饗ァはじめで ってヘッたズ。 オ ン 。 ﹁あァその団子だ﹂ ドットハラェ。 長い昔と短い昔 第一章 カグジに栗の木ァあったズオン。 それサ三味線持ったボサマズッパリなったズオン。風コァ吹げばチャエンコ まだ風ァ吹げばチャエンコチャエンコて鳴るズオンエ J チャエンコって鳴るズオン。

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俗 金扉風サ 、 ふんどしァかがってらズオン。 長ェズオンナ 、 長ェズオンナ J 民 篇

第 昔あったズ。昔ァムンツケで 、 話ァハンツケだズ。 ド ッ ト ハ ラ ェ 。

古い歴史をほ こ り 、 かつて政治の中心地として知られた町の割合には 、 伝説もそれ程多く諮ら れ ていな い 。 田 村麻呂の話にしても千曳神社にあってここにはなく 、 慈覚大師伝説にしても義経伝説にしてもこの辺りを素通り し て北上している。 長慶天皇の在位論が国中の問題となった時 、 青森県に於ても津軽 ・ 南部を問わず各地で陵墓のことが論ぜられ たが 、 七戸町に於ては小原第士ロ ・ 成田券治 ・ 和田藤太郎らによって徹底した調査が行なわれ申請書などまで提出 さ れ た 。 然し国の決定がなされてからはそれにちなむ話もいつか消え去ってしまった。 日本放送出版協会 ﹃ 日 本伝説名実 ﹄ で は 、 伝説を 、 木の部 、 石 ・ 岩の部 、 水の部 、 塚の部 、 坂 ・ 峠 ・ 山 の 部 、 桐堂の部に分けているが 、 今は必らずしもそれによらず 、 先ず神に関するものから記そうと思う。 神 社に関するもの

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七戸町の西方およそ八キロメートル位のところ 、 高田大岳の右手にあたり大きく横たわる八 幡岳の祭神は誉回 別尊であるが 、 この山は初め雄獄と呼んでいた。後醍醐天皇の御代 、 延元三年(一三三八)の春 、 東南方から一 筋の霊光がたなびいたが 、 以後もその光が光り輝きつ、つけて 、 七戸村から望まれたので 、 西野の孫左衛門という 剛の者が 、 斎戒体浴してこれを見届けようと出発した。頂上についてそこここ探索しているうち 、 白樺の幹の真 中に神鏑の鋲まりましましているのを発見 、 それを護って持帰り 、 自分の家に杷った。 ところが一五才になる子どもの孫四郎に託宣があり 、 ﹁我は八幡大神である。我を雄獄に奉犯せば国家泰平五 穀成就疑なし﹂ということであったから 、 雄 山 獄 の 頂 上 に 犯 り 、 それからは雄獄を八幡岳と呼ぶこととなった。 なおこのことについては 、 上川目神社縁起に 、 矢の射られた時を延元三年四月一四日の夜とし 、 多くのお告げ を得て一五日に山に登って新しい白真弓矢を発見し、そこに社を建てて杷った由記されている。 ( 七 戸 郷 土 誌 ﹀ 寺院に関するもの 民話 ・伝説 見町観音堂は応永三年(一三九六)南朝最後の忠臣南部政光が 、 長慶天皇の菩提を弔うために建てたも のと伝 えられるが 、 後世左甚五郎が一夜にして造った神社という伝説も生まれたようである。 それによれば甚五郎は千 曳神社と花松神社もその時造ったという。 第一章 昭和九年一二月二七日 、 七戸史蹟調査会(以下同会とする﹀から 、 時の宮内大臣湯浅倉平に提出した長慶天皇 通称見町観音堂と呼ぶこの住吉神社を金 鶏 山住吉御陵墓と拝察したことに基く 御陵墓御事蹟御調査方請願書は 、

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も の で あ る 。 山屋の薬師堂の縁起は明らかでないが 、 平安時代末期の地方作と目される薬師如来像の優品を本尊としている かなり古いものといわざるを得ない。 この薬師様は初め西野にあったが 、 転々と居をかえ ところから判断して 、 歩き廻っているうち疲労のため疲れ 、 草原に横になって昼寝をしたところ 、 野火にかこまれ 、 驚いて逃げる途中 トコロ (野老﹀の蔓に足をからまれ 、 ウド︿独活)で目を傷つけたといわれ 、 信者は今もそのこつを口にしな い。なお縁日の四月八日には二粒でも必らず雨が降るといわれ 、 昔から目くされ祭と呼ばれて来た。この雨は目 くされ流しといって薬師様が降らせると信じられている。 ( 上 北 新 聞 ﹀ 金剛寺についてはいろいろ考詮しなければならないことがあるが 、 伝説によれば応永二年(一三九五)寺下に 建立されたとなっている。 ﹃ 南 部 叢 書 ﹄ には永禄元年︿一五五八﹀ 四月舜桂和尚が寺下に建立したとなっている が 、 同寺はその後キリスト教を信じ 、 即翁明守和尚の時代 、 マリヤ子安観音を主仏としていたが 、 寛 永 五 年 ( 六二八﹀廃寺になったのを 、 七戸初代藩主七戸隼人正直時がこの和尚を七戸に呼んで瑞竜寺を建立して住まわせ た と い う 。 ところが現在金剛寺では即翁明守大和尚を関山としているのに対し 、 瑞竜寺では同和尚を瑞竜寺第四世とし 、 その関山を久山舜桂大和尚としている。 昭和二八年四月一一二日上北新報の報ずるところによれば、 同月五日寺下の唐松から重さ約七貫程の焚鐘が出土 し 、 金剛寺の文字が確認されたという。 ︿ 上 北 新 聞 ﹀

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土地に関するもの 十→ ケ 社 僧 正平二年(一三四七﹀南部六世信政の時 、 後村上天皇が八幡麿という皇子を陸奥北郡の王に任ぜられたが、そ の後護良親王の王子で 、 鎌倉渡船上人の法弟となった尊観上人がこの地におられ 、 亡くなられた後この山の頂に 奉葬して葺石塚を造ったという口碑がある。 ( 和 田 四 郎 ﹀ 一説には長慶天皇の御供奉僧遍浄院春浄の墓塚ともいう。 同会の説によれば 、 字上回の東北にある明思塚も供 奉僧明恩の墓塚という。 同 っ ち ま げ の 館 字西槻ノ木に現存する﹁つきの木館﹂と呼ばれるこ郭の館を﹁つじまげの館﹂に比定しているが 、 推定の域を 出ない。この館の西南に字都平があり 、 萩ノ沢川が両字地を割って流れている。 ﹁みやこだい﹂とこの館とを関 連づけて 、 ﹁つじまげ﹂を﹁しちまん﹂と呼び替えて七万の文字を当て七万の兵が陣を敷いたとか 、 ﹁ み や こ だ 民話・伝説 い ﹂に都人が相当数住んでいたとするのは 、 南北朝の終りごろという時代まで出ているが 、 にわかに信じがたい 話 し で あ る 。 ﹁つじ﹂は土の靴称である。 (福田正一郎) 国 天 子 代 キ土 第一章 同会の説によれば 、 長慶天皇の皇子寛光親王は現在の上北町新館の御仙洞で嘉ぜられたが 、 御遺骸は天皇の御 これがそれであると称した。社の高さはほぼ六メ l ト 陵すなわち住吉神社近くの回の中の杜に埋葬したといい 、

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俗 ルあったという。 個) コンニヤモリ 民 字左組の南方にある杜であるが 、 同会ではこれを皇女杜の靴称ではないかとして 、 寛光親王の御母王妃のお墓 篇

第 ではないかと見て来た。泉山家系譜に城西の森に葬ったとあるのに拠ったもののようである。 同 ヤ

リ ウ ジ 同会では藤杜と記し 、 フジヤモリは靴称と記しているが 、 長慶天皇の重臣達の墓塚と 見て来た 。

者 従 杜 従者杜と呼ばれる塚の群は新館の御仙洞 、 藤 社 、 洞内中学校などにあったが 、 同会ではこれを天皇の従者達の 墓と見てきた。これらの中御仙洞近くの箆からは蕨手の直万も出た。土地のものの中にはこれを従者杜と理解し ているものもあるが 、 これは十三杜即ち十三塚と考えて間違いあるまいと思う。 同 地 社 天子代杜の近くにある杜で 、 同会では地頭杜ともいい 、 南部政光の墓と見てきた。 明治一九年(一八八六﹀発 掘の厄にあったといわれ 、 遺骨は小田子不動堂に移したということである。 ﹃七戸郷土誌﹄草稿にもこのことに ついて触れているが 、 その人物については高貴の方であろうが 、 不明としている。 (刈 泉 宝 館 七戸町の西端に位する館で 、 宝泉坊がいた所といわれる。 同会に南部政光の嗣は代々宝泉坊を名乗り、見町の

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金鶏山長福寺と新館の七戸八幡宮に奉仕したと記録している。 この館の平坦な一隅にある御斎事と呼ぶ場所は長 慶天皇が御仙洞で崩御された時 、 御火葬の祭事を執行した場所といわれる。 。~ 鶴 児 平 その昔仙鶴が飛来してその子をはぐくんだという所で 、 倉岡の後 山にある番鳥峠とい うのは育雛にあたって警 戒した所といわれる。左組の字名に鶴打田とあるのはその名の通り鶴をうった場所といわれる。 ( 七 戸 郷 土 誌 ﹀ 昭和三八年五月二

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日の上北新聞には 、 ﹁洞内由之進ノ勧請-一因リ五庵ヲ出デ 、 馬ニ乗リテ洞内ニ移ル中 、 仔 民 話・伝説 第一章 奥羽種畜牧場の並木〈鶴児平〉 馬甚ダシク母馬-一遅レ悲シゲニ噺キシニ 、 禅師京レヲ催シ 、 馬ヲ留メ鞍ヲ下シ テ 路 傍 -一 憩 フ 、 後世ソノ鞍ヲ置キシ処ヨリ清水湧キ出デ小沼トナリ 、 沼ノ附近 ノ大ナル松樹ニハ年々鶴ノ巣能リセシヲ以テ 、 後人禅師ノ徳ヲ讃へテ鶴児平ト 称セシト云フ﹂と紹介されている。 的 鰐 ア j刻 銀南木の西南に南斗内がある。ここを流れる川の上流に測があって鰐がす み 、 時々あばれまわっては田に入り水の量をふやしたり 、 また全くかからない ようにして村人を困らせた。それで三人の若者が退治にのり出すことになっ て 、 よりより話し合い結局毒殺しかあるまいということになってそれを決行し 見事成功して村を救ったという。現在測はないが鰐ァ測の名は残っている。

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( 岡 村 佐 太 郎 ﹀ 同 壁 取

沸j 民 七戸橋の東一キロメートルたらずの所に深い碧揮があった。 そのあたり一帯を影津内というのは 、 その沼が深 くて影をうっさない程であったから 、 影不差といったのが靴ったものといわれた。 この沼に影を映すものは 、 人 畜といわず鳥獣といわず化石となって死なないものはなかった。都母の壷子の伝説の石はこの影不差から出たと も大池から出たともいわれている。 同 五 庵

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原 ﹃ 洞内村池福山法蓮寺略縁起 ﹄ によれば、真壁域主経明(時幹に比定される) に仕えた真壁平四郎すなわち法 身禅師が城主のはずかしめを受けて発憤渡宋し 、 修行すること九年仏道の纏奥を極めて帰朝し 、 松島の瑞蟻寺を 興し 、 名声とみに上ったが却ってこれを嫌い 、 草深い銀南木へ退き川原に庵室を営んでいたところ 、 経明が前非 を悔い 、 家来三人と後を慕ってこの地に来り 、 禅師に願って弟子となり、 五つの庵室を並べて仏道にはげんだと いう。その後禅師らは洞内由之進の勧請により、洞内の法蓮寺に移りすんだというが 、 七戸史蹟調査会の説によれ ば 、 五庵は御庵と書くべきでなかったのかとして 、 禅師のあとに北畠守親がここに住んだことを説いている。銀 南木には現在法身禅師之遺跡と刻んだ記念碑が立てられている。 岡村佐太郎によればなお五庵川原には禅師の結んだ庵の跡の礎石と井戸が残っていた。手植の銀南木は樹高二 六メートル 、 幹回二一メートル余の天を摩するばかりの大樹で 、 樹令七

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年を数えるというが一説には一

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年前後を経ているのではないかといわれる。 ちなみにこの銀南木は神木といわれ 、 決して刃物を立ててはならないとされて来た。ある年サルという若者が この禁を破って小正月すぎ木伐りに山へ上る途中 、 銭の切れ味をためすと根方に切りつけたところ雪崩にあい 、 一行の者が皆不思議と思われるような助かり方をしたのに一人のまれて死んでしまった 。 国

七戸の何代の城主の時か明らかでないが 、 作団地区に雌維の臨胤を田の畔の柳の木にとまらせて飼育していたも のがあった。それが城主の耳に入り 、 献上せよということになり 、 扶持をもらって前通り飼育を続けていた。と ころがある時所用のため夫婦の者が家を留守にした聞に 、 何者かによって鷹が殺されてしまった 。 そのため夫婦 は扶持を取り上げられ 、 糊口に困り 、 死期も迫った時 、 李の木の枝を逆さに挿して 、 こ の 木 が 成 長 し て い る 限 り 、 この土地に手をつけるものは天刑病で死ねと況いをかけて死んだ。 それ以来ここをげのろい谷地 H と呼んだ が 、 李の木はそのまま根を広げて育った。 その後この土地を入手したものに不幸がつきまとった。 民話・伝説 (七戸郷土誌 、 上北新聞 、 岡村佐太郎 、 阿部治三郎﹀ 上北郡伝説集 、 伺 ノ 平 池 大深内村が三本木町と合併するまでは池の平なども荒屋平開墾などのこともあって七戸町とは極めて近い関係 第一章 ここの用水池には南祖ノ坊にちなむ伝説があ にあり 、 小学校の遠足などにもここまで足を運ぶこともあったが 、 った。釈迦入滅後五六億七

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万年後 、 弥勅浄土から現世に下生して衆生を済度するといわれる弥勅菩薩の信

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