謡曲のことわざ
著者 古保 勲
雑誌名 金沢大学語学・文学研究
巻 2
ページ 33‑40
発行年 1971‑10‑20
URL http://hdl.handle.net/2297/23690
能楽の詞章としての謡曲と科白劇としての狂一旨の間には、舞台の芸能であるという点で共通する。又「わらんべ草」三、四十八段(大蔵虎明著岩波文庫)には狂言〈能のくづし。真と草也。能〈連歌、狂一一一一貝はいかいのことく、はいどんをいる人。されば狂言の躰〈能也。躰、用、色とたて人躰を用て色どる也。其證擦〈能をくづしたる狂言おほし。能の仕舞は詞をさきか、あとにして、文句にさくらず、狂言〈詞にあて上する此かくリ也(下略)と記してあるように、狂言は能のくずしであって、狂言の本体は能であることがうかがえる。しかし、思想の面からは、「能狂言が世相を認刺して人情の機微を穿ち、道徳の欠陥を暴露してゐるのに対し、謡曲は理想派の文芸として典雅な貴族的趣味の極養に力め堅固な国民道徳の向上を計っ性1てゐる」という違いがある。また、謡曲と狂一一一一口の違いを一一一一口語位相
『はじめに 一謡曲のことわざ
謡曲中に見られることわざを抜き出すにあたって、古謡本として光悦本謡曲百番日本古典全集(日本古典全集刊行会)を使用し観世流の不足を補うものとして謡曲大観佐成謙太郎著(明治書院)を使用して作業にあたった。ことわざを抜き出す基本方針については狂言のことわざを抜き出す基準(拙稿「室町時代のことわざ」密田良二教授退官記念論集 という面から把えてふると、謡曲は文章語であり「候」体が用いられ、修辞としては能の歌舞性に応じて当然ほとんどすべてが韻文的注2である。これに対して狂一一一口は喜劇的構成を持つ科白劇であるのである程度改まった言葉ではあるが、ほぼ当時の日常語に近いものと言え、「ござる」体が用いられている。
一一、謡曲のテキストおよび ことわざの基準について 古保
動
55
一五九ページ)を踏襲した。謡曲でことわざを使用する際には、「げにやI」Tといふことのあれば」「Iとて」「lなれば」「l如く」「それI」「lと申」「lと聞くものを」という一一一一口葉にあるように狂言と比べて、ややことわざの引用にあたっての言葉を省略して、直接ことわざを出す場合が多かった。これらのことわざを、ことわざ集で確かめるために毛吹草松江重頼選正保二年刊(岩波文庫)世話尽僧空願編明暦二年刊(更生閣書店)警瞼尺松葉軒東井編天明六年刊(国語学資料第扣輯)諺苑太田全斉稿寛政九年刊(新生社)を使用したのは前回の作業と同じである。記載に当っては、謡曲のことわざ(曲名、テキスト略号、八光悦Ⅱ光悦本・謡曲百番、大観Ⅱ謡曲大観V)ことわざ集の略号八毛吹草Ⅱ毛世話尺Ⅱ世臂嚥尽Ⅱ臂諺苑Ⅱ諺Vとし、さらに参考として上げている狂言のことわざについては狂一一一一口のことわざ(曲名、テキスト略号八能Ⅱ能狂言・岩波文庫集Ⅱ狂言集・日本古典全書、’一一百Ⅱ狂言一一一百番集・富山一房百科文庫V)の順序・略号を用いた。
前述の観点、基準をもとにして謡曲のことわざと狂言のことわざを比較してふると、次のような特色がある。⑪狂言の場合は直接攻撃的ことわざでもって相手を攻撃している
三、謡曲のことわざの特色
のに対して、謡曲では典雅な貴族的趣味を特色とするので攻撃的なことわざを用いず、間接的な表現で攻撃する。それも聖人、智者の例を引用して説得している。狂言では二十例近くあったが謡曲ではわづか四例しか見当らない。智者はまとわす勇者はおそれず(八島光悦)②親子の間に関することわざが多く、親と子の契りの深さを感じさせられる。おやこは二界のくひかせ(天鼓光悦)親と子の一世の契り(仲光大観)親は千里を行けども子忘れぬ(木賊大観)③神、仏等宗教に関することわざが多い神仏の信仰の深さをあらわしている。これは、能楽源流の猿楽座がもと寺社に付属していた関係上使われているのだと思われる。神は正直のかうへにやとりたまふ(吉野静光悦)神は人の敬ふによって威を増す(巻絹大観)一樹の陰や一河の水糸な是他生の縁(千手光悦)中には、諸行無常(芭蕉光悦)老少不定(藤戸光悦)など漢訳仏典からとられたものもあるが、狭義のことわざの条件としての教訓性を含むこと、庶民の間に伝承していることを考えたとぎ少しずれるのでことわざの周辺のものとして別に考えたい。凶恋愛否定のことわざがある。狂言で聟女狂言に出てくるおおらかな愛情に比して、謡曲では道徳的にとらえ、恋愛を恐るべきもとしている。恋はくせ物(花月光悦)恋の重荷(恋重荷大観)⑤漢籍の故事や詩句をそのまま切りとったものが見られる。このことは謡曲作者たち、特に世阿弥の漢文学の素養の深さを語って謡曲中に見られることわざについて機能別に大藤時彦氏のあげて
注4いる分類にしたがって、百二千余句のことわざを列記したい。○印 は狂言のことわざと共通するものである。また同と書いてあるのは 全く同じもので重複を避けたものである。 『攻撃的ことわざ」簡潔な文句で人間の愚劣弱点をあざけること わざであるが、謡曲は性格上そのような例はなく、聖人、智者の例
をもってきて理想像をあげて説得している。1敵の前のたふれ(調伏曾我大観)ワキの箱根別当のことばで「言語道断かかる柳爾なる御事 にて候。さやうの御心中あらぱ敵の前のたふれ、ただまず御
帰り給亡と相手に説得している。いるものといえるが、庶民の間の伝承性を考えたとき狭義のこと わざと言えないので、③の仏教の経文と同様にして別にしたい。 郡郵の仮枕(鉢木大観)秋@局(班女光悦) 一一千里の外の故人のこころ(三井寺光悦) 春宵一刻値千金(小塩光悦)橦花一日の栄(千手光悦) 軽漂激して影唇を動かせば花もの言はい色(雲林院大観) 能が主として歴史や伝説物語の中の有名人をシテにして、シープー
注3人にスポットをあてて、謡でその心情を表現している性格上、こと わざの使用はほとんどシープであるものも狂言の場合と同じである。 また、世阿弥十六部集能作書(吉田東伍校註能楽会)の中に 「其外よき一」と葉名句などをぱ為手の云事に書へし」と書いてい るのもシテにすべてを集中しようとする態度のあらわれである。
四、謡曲のことわざ ②言葉おほき者はしなすくなし(吉野静光悦) 言葉多き者は品少なし(二千石l集)
ことばおほきはしなすくなし(毛)③せいしむ人にまみえず歳陽宮光悦)
聖人ひとにま設えず(岩橋’三百)4智者はまとはす勇者はおそれず(八島光悦)同(毛)同 (世)知者不し惑仁者不レ憂勇者不し催(誉) 『経験的ことわざ』長年の経験の伝達のために用いられることわ ざ。年長者が生活態度に関するものや実生活の全面の知識を伝える
ために、口調のよいことわざを使用した。5悪人の友を振り捨てて善人の敵を招け(敦盛大観) ⑥かみすむときはしももにこらぬ(養老光悦)
上澄ぬ時は流れの末までしにぎノーと賑はひ(止動方角l集)7神や仏とは唯是水波のへたて(道明寺光悦)
か承とほとげとはすいはのへだて(毛)神と仏とは水波の隔てなり(響)8僧俗にあらず(松虫大観)⑨筑紫人虚言する(藍染川大観)同(蛸’三百)
相花に三春の約あり(鞍馬天狗大観)はなに三しゅんのやくあり(毛)同(世)花一二一一春ノ約アリ(諺)Ⅲ水至って情けれは魚住まず(放生川大観)水いたりてきよければうをすまず(毛)水漬ければ魚不レ生(醤)水清ケレパ魚スマズ(諺)
枢雪は豊年の糸つきもの(難波光悦)55
曲中のシテである老翁が「その年つきしきはまればはまの真砂のかす積りて、雪は豊年の承つきものゆるす故にや」と経験を伝えている。雪は豊年の表示(警)雪〈豊年ノ瑞(諺)
『教訓的ことわざ』 実生活の知恵をあらわしていたことわざが教訓性を帯びたものに 変化している.「げにや」「lということのあれば」「1-とて」 「然るに」と知識を自分のものとでてそのことわざをとり入れてい る。謡曲の思想として堅固な国民道徳の向上を計っているが、こと わざの中にもそれがあらわれ、特に神仏に対する崇拝、親子愛、忠 君、友愛等道徳的なものが多い。謡曲のことわざ百二十余句のうち
六十余句と約半数を占めている。旧明日をも知らぬこの身(大原大観) 明日知らぬ我身と思へど暮ぬ間の今日は人こそ悲しかりけり
紀貫之(臂)⑭あふは別成くし(班女光悦)(揚貴妃光悦) 逢ふは別れの始め(墨塗l能)同(臂) あふはわかれ(毛)逢〈別生〈死ノ本(諺) 伯、藍より出て藍よりふかし(檜垣光悦)
あゐよりいで上あゐよりあおし(毛)把石に精あり水に音あり(殺生石光悦) 〃一樹の陰や一河のゑな是他生の縁(千手光悦)(山姥光 悦)(経政光悦)(住吉詣大観)(定家大観)(知章
大観)(錦木大観)一樹のかげ―河のながれ(毛)|樹一河も他生の縁(世) |樹の陰に宿り一河の流れを汲むも他生の縁(薯)
一樹ノ陰一河ノ流(諺)函中では「lという白拍子をぞ謡ひける」と白拍子として取り上げているがことわざとしたい。旧打たれても親の杖(小袖曾我光悦) 仰うつればはかるならひ(揚貴妃光悦)
⑳公の私(俊寛大観)公の私(米市I集)同(善)公ノ私(諺)⑳思ひうちにあれは色は外にそ見えつらん(松浦物狂光悦)
(松風光悦)(熊野光悦)恩ひ内にあれば色外に現はる上(花子l能)思上中ニァレハ色外ニアラハル(諺)⑳おもひたっ日を吉日(唐船光悦)思ひ立つ日を吉日(素襖藩l集)同(響)思上立日ガ吉日(諺)函おやこは三界のくひかせ(天鼓光悦)子は一一一がいのくびかせ(毛)親子は三界の頸械(臂)凹親と子の一世の契り(仲光大観)親子は一世の契り(臂)曲中では「七世の孫に逢ふことしたとへならずや、親と子の一世の契りの二度逢ふぞ嬉しき」と用いている。班親子は一世のなか(熊野光悦)親子二世(諺)出親は千里を行けども子を忘れぬ(木賊大観)親は千里を往けども子を不し忘(臂)親〈千里一一往トモ子ヲ忘レヌ(諺)刀恩愛愛執の涙は四大海より深し(身延大観)⑳好事門をいてず悪事千里をゆげ共子をは忘れぬ(藤戸大観)
かうじ門を出でず(柑子I能)かうじもんをいでずあくじ千里をはしる(毛)好事不し出し門悪事行二千里一(臂)好事門ヲイデズ悪事千里ヲユク(諺)⑳壁に耳岩物いふ世の中(小鍛治大観)壁に耳(薩摩守’三百)同(世)壁に耳垣に目口(毛)壁に耳あり(誉)壁二耳(諺)釦神ならで三熱の苦しゑ(葛城大観)⑪神は正直のかうへにやとりたまふ(吉野静光悦)(代主大観)神は正直の頭に宿る(宮廻り’三百)同(毛)同(臂)神〈正直ノヵウベーーヤドル(諺)⑫神は人の敬ふによって威を増す(巻絹大観)(白髭大観)神は敬ふ仁威を主す(世)神は人の敬ふに依って威を増し(薯)⑬鬼神に横道なし(鐘埴光悦)(大江山大観)(野守大観)鬼神はわうだうなし(毛)鬼神に横道無し(臂)則昨日は人の上今日はわれをも知らぬ身(知章大観)けふは人のみのうへあすはわが身のうへ(毛)お騏鱗も老いぬれば鷲馬に劣る(景清大観)(大仏供養大観)麟鱗も老ぬれば駕馬におとる(毛)同(世)同(響)騏鱗モ老ヌレベ駕馬二劣ル(諺)発くれないは園生にうへてもかくれなし(安宅大観)(頼政大観)くれないはそのふにかくれなし(毛)暮藍は園生に植えても隠れ無し(臂)紅〈園一一ウエテモカクレナシ(諺)
⑪5049 484746 ⑮ 4445 4241 4059 5857
現在の果を見て過去未来をしる(安宅光悦)同(響)賢人二君に仕へず(錦戸)けんじんは二君につかへず(毛)賢臣二君につかえず(世)賢人二君二事ヘズ(諺)巧成名とけて身退くは天の道(船弁慶光悦)心の師とはなり心を師とせざれ(熊坂大観)こころの師とはなれこころをしとせざれ(毛)心を師とする事なかれ(世)心の師とはなれ心を師と不し為(響)心ノ師トハナレ心ヲ師トセザレ(諺)子は親に似るなるもの(松山鏡大観)恋には上下をわかぬ習ひ(綾鼓大観)恋の道には上下は無し(警)恋はくせ物(花月光悦)恋は曲物(諺)子ゆへにまよふ親の身(三井寺光悦)子ゆへの闇にまよふ(世)士故に迷ふ親心(響)子ユヘノ闇二迷う(響)酒は百薬の長(大瓶猩々大観)同(餅酒l能)酒は百薬の長たり(臂)定めなき世のならひ(善知鳥光悦)三世の機縁(橋弁慶大観)同(世)鹿ををふ猟師は山を見ず(善知鳥光悦)同(世)同(響)しかをおふれうしは山をふす(毛)鹿ヲ追猟師〈山ヲ見ズ(諺)師弟三世(雷電大観)しなぱ一所(松虫大観)
慈悲は上より下り(藤栄大観)慈悲は上より降る(牛盗人
-57
⑰ ⑳
⑳ ⑫
646562 61 5958
65 5554 55
’三百)慈悲はかふょりくたる(毛)慈悲は上から情は下から(臂)積善の餘慶(松虫光悦)同(金藤左衛門’三百)積善家有一一餘慶【臂)住めば宿(百万大観)ぢこくもすゑか(毛)すめば糸や一」(世)住ぱ部(誉)スメ.〈都(諺)聖人に夢なし(清経光悦)同(毛)栴檀は二葉より香ぱし(蝉丸大観)(摂取大観)同(善)せんだんは二ぱよりかうばし(毛)同(世)栴檀〈二葉ヨリ香シ(諺)千里の行も一歩より起る(六浦大観)同(入間川l能)同(臂)多勢に無勢(朝長大観)同(髭櫓I集)多勢二無勢カナハヌ(諺)千里を行も親心子をわすれぬ(隅田川光悦)塵積って山となる(高砂大観)同(響)塵積りて山と成る(毛)塵積リテ山トナル(諺)貞女両夫に見えず(錦戸大観)同(鈍太郎’三百)同(毛)同(世)貞女両夫一二ミエズ(諺)時人を待たぬ(朝長大観)時不待二於人一(臂)時人ヲマタズ(諺)富んでは騎りを知らざる(敦盛大観)とみてはおこる(毛)長居はおそれあり(盛久光悦)ナヵイ(畏レァリ(諺)情は人のためならず(葵上光悦)同(世)同(善)情〈人ノ為ナラズ(諺)人間万事塞翁が馬(綾鼓大観)同(世)同(善)同(諺) にんげんばんじさいをうがむま(毛)品鳩に三枝の礼をなし(笛之巻大観)鳩に三枝の礼あり(臂)鳩一一一一一枝ノ礼アリ(諺)⑰仏法あれは世法あり(山姥光悦)(車僧大観)(舎利大観)同(世)同(譽)品煩悩あれは菩提あり(山姥光悦)煩悩即菩提(善)田仏あれば衆生あり(山姥光悦)刀勝ろをも羨まざれ劣るをも賎しむなかれ(志賀大観)同(臂)⑪身は一代名は末他(元服曾我大観)同(髭櫓’三百)同(毛)同(醤)身二代名〈末代(諺)⑫身を捨ててこそ名は久しげれ(箙大観)身を捨ててこそ浮ぶなれ(通円l能)身をすて上こそうかふせもあれ(毛)同(臂)身ヲ捨テコソウカム瀬モァレ(諺)刀落花枝にかへらす破鏡二たひてらさす(八島光悦)刈良薬口に苦く忠言耳に逆ふ(楠露大観)同(誉)らうやく口ににがし(毛)良薬口一一苦シ(諺)『遊戯的ことわざ』「たとえごと」とも言われる。謡曲中では教訓的ことわざに次いで多く五十句を数え、この二つで大半を占める。物事を直接に表現するのでなく比輸であって相手に伝えわからすために用いている.「嗽ふればl」「lといへり」「11の如く」ということばで引用している。
⑮あまの命を拾うた(夜討曾我大観)同(空腕l能)(名取川
’三百)天の命拾ふた(臂)乃石にも矢の立つ(放下僧大観)I孝心の深い職え 刀伊勢や日向の事(歌占大観)伊勢や日向の物語(臂)
908988 87 ⑮ 85 84 8582 8180 79 78
一字千金(雷電大観)l師恩の職え一宇千きん(毛)一宇千金に易へがたし(世)一宇千金に当り一点他生を助く(善)一宇千金(諺)一期の浮沈(安宅大観)義経が疑われて怪しまれたときに一行の者が生死の別れる危険な時のことばとして用いた。一念無量の鬼(恋重荷大観)
因果は車輪のめくるかことく(鉄輪光悦)
むんぐは車のわのことし(毛)因果は輪る車の如し(善)うきふししげぎ川竹(班女大観)(藤戸大観)優曇華の花(芭蕉光悦)(現在七面大観)同(臂)
「かくありがたき御法仁逢ふ事盲亀の浮木優曇華の花待ち得たる心地して」と用いられ待ちに待ったことの愉え。優曇華(毛)瓜を二つに割ったるやう(花月大観)うりをふたつにわりたることし(毛)瓜ニッに割ったるやうな(臂)瓜ヲ一一ツニワッタヤウ(諺)嬰児の銭を以って巨海を測り(木曾大観)lとうていできぬ愉え鬼も神も納受する和歌の道(放生川大観)歌には鬼神も納受ある(花盗人’三百)偕老同穴のかたらひ(楊貴妃光悦)(籠太鼓大観)偕老同穴のかたらひも縁次第(世)偕老同穴(臂)同(諺)風は吹けども山は動ぜず(淡路大観)同(世)l天下泰平肩を結んで裾に下げ裾を結びて肩にかけ(百万大観)か承ならぬ身を恨承かこち(富士太鼓光悦)106105104103102 0 00 999897 96 959495 9291
九牛が一毛(唐船光悦)同(毛)同(誉)九牛カー毛(諺)昨日の花はけふのゆめ(葵上光悦)きのふはけふのむかし(毛)昨日の淵は今日の瀬(飛鳥川大観)君はふれ臣は水(養老光悦)(国栖大観)狂人はしれは不狂人もはしるとかや(関寺小町光悦)同(毛)同(世)狂人狂へぱ不狂人も狂ふ(警)狂人走レバ不狂人モ走ル(諺)愚人夏のむしの火をけさんと飛入(経政光悦)愚人なつのむし(毛)愚人夏のむし飛んで火に入る(世)愚人夏ノ虫飛テ火二入(諺)蛛の家にあれたる駒はつなぐ(鉄輪光悦」蝸牛の角の争ひ(頼政光悦)同(世)蝸牛ノ角ノ争(諺)勧学院の雀は蒙求をさへづる(頼政光悦)同(毛)同(世)同(響)勧学院ノ雀〈蒙求ヲ噸ル(諺)外面は菩薩に似て内心は夜叉(現在七面大観)外面似菩薩内心加夜叉(譽)故郷へは錦をきて帰る(実盛光悦)かへるには仁しきてゆく(毛)古郷へは錦をきる(世)故郷へは錦着て帰れ(臂)故郷一一〈繍ヲキテヵヘル(諺)恋の重荷(恋重荷大観)氷は水より出て水よりもさむく(檜垣光悦)同(毛)子を思う闇の夜鶴(木賊大観)三界は水の上の泡(鐘埴光悦)鹿の角に蜂がさいた(車僧大観)し上のつのをはちのさしたることし(毛)
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123 ろうてうぐ屯をこふ(毛)籠鳥の雲左乞ふ(臂) 皿籠鳥は雲をこひ帰雁は友を忍ぶ(檜垣光悦) 倫言は加レ汗(臂) 倫言汗のごとく(一一一人夫I能)同(毛)同(世)
⑪倫言出でかへらねば(蝉丸大観)(小鑿大観)l帝の仰
120119118117116115114113 12111110109 08107
利光同塵結縁の始(蟻通光悦)(加茂光悦) し上の角を蜂のさせる(世)ししようなき手柄(熊坂大観)ししやうなきてがら(毛)四鳥の別(隅田川光悦)l親子の悲しい別れのたとえ四鳥のわかれ(世)同(臂)四鳥ノ別(諺)日目上に明らかなれど雲霧を覆ふ(楠露大観)生死長夜(隅田川光悦)(安毛大観)大悲の利剣(海士光悦)蟷螂が斧(善界光悦)(夜討曾我大観)同(世)蟷螂が斧を取て龍車に向(毛)蟷螂が斧を以て隆車に向ふが如し(臂)蟷螂ガ斧(諺)電光石火(柏崎大観)とふ鳥も地におち歳陽宮光悦)飛鳥も落つる勢ひ(臂)難波の蘆は伊勢の浜荻(蘆刈大観)同(能)似合はい僧の腕立て(熊坂大観)同(世)薄氷をふむ(立田光悦)(天鼓光悦)同(毛)羊の歩承隙の駒(砧大観)(百万大観)盲亀の浮木(実盛光悦)(鶴大観)やけ野の離子よるの鶴(唐船光悦)同(臂)
ろうてうぐ屯をこふ籠鳥ノ雲ヲ恋(諺) 焼野ノ雄子夜ノ鶴(諺) 以上、謡曲のことわざ百二十四例をあげたが、狂言のことわざと童復するのは二十五例である。それらのことわざは口調もよく、室町時代にはよく使われ、普遍的なものであったと考えてよいであろう。
紙数の関係上、ことわざに近い周辺のものとして、漢籍の故事や詩句、あるいは漢訳仏典からとられたものについて論を進めることができなかった。狂一一一一口、室町時代物語集、謡曲と室町期のことわざについて考えてきたが、次の作業として、謡曲とつながりの深い古浄瑠璃のことわざを抜き出しているので別の機会に発表したいと思う。
(石川県立松任農業高校教諭) (注4)国語学辞典(東京堂)「ことわざ」の項 (注5)謡曲、狂言、花伝書(日本古典鑑賞講座)三四ページ (注2)解釈と鑑賞、第二六九号一一ページ、安藤常次郎 (注1)日本文学大辞典「ようきよく」の項、藤村作編新潮社