D ・ヒュームの経験論的人間学の研究︵十五︶
一︹中間考察︺ヴィーコとヒュームーー
序文第一章ヒュームのキリスト教神学批判
︵第四十︸・二号︶
第二章ヒューム体系の哲学的基礎 第一節ヒュームの知覚論︵第四十三号︶
第二節 ヒュームの因果論︵第四十四・五号V
第三章 ヒュームの方法論
第一節 懐疑主義と自然主義︵第四十六号︶
第二節ヒュームの道徳哲学方法論
︵i︶ 近代自然科学の方法論
︵り11︶ ヒュームの実験的・経験的方法論
︵以上第四十七号︶
︵⁝m︶ ヒュームの歴史的方法論︵第四十八号︶
︵9W︶﹁存在﹂と﹁当為﹂の問題
第四章購念について
古賀 勝次郎
第
第第五第 第第第第第 Oつ 7ニー章六喬ひ↑五四三ニー 節導↓↓節節節節節 巴巴↓節節
ヒ
饗lllll ll争議係
同︸性の関係
﹁知覚の束﹂としての心︵第四十九号︶
情念の分類
間接的情念と直接的情念
必然と自由について
自由意志論争
両立説︵ooヨづ讐重言ωヨ︶︵以上第五十号﹀
必然と自由と人間の責任
情念と理性
ヒュームの先駆者達︵以上第五十一号︶
ヒュームの道徳論
合理主義道徳論批判
利己主義と利他主義︵以上第五十二号︶
ヒュームの道徳感覚論
早稲田社会科学研究 第55号 97(H.9).10
1
(1>
︹中間考察︺
はじめに ︵i︶
︵11︶ ﹁自然﹂概念の転換㈲ 古代・中世の自然概念㈲ 近代の自然概念 ω 合理主義の自然概念 ︵以上第五十三号︶ ◎ 理神論とケンブリッジ・プラトン 主義 の 経験主義の自然概念 ㈲ ロック︑バークリの自然概念 ︵以上第五十四号︶
ヴィーコとヒューム
ヴィーコの基本命題一くΦ﹁¢ヨ日︷鋤︒叶¢ヨ
ヴィーコの学問体系 ︵揃︶ ヴィーコのデカルト主義批判 ㈲ デカルトの幾何学的方法論 ㈲ ヴィーコのデカルト主義批判 ︵.W︶ ﹃新しい学﹄におけるくΦ毎ヨー1冨Oεヨ と冒○≦α①暮冨 ︵以上本号︑以下続く︶ ㈲ 道徳感覚学派の自然概念 ㈲ ヒュームの自然概念 ②ヒュームの道徳感覚論 ㈹ スミスの道徳感情論第六章共感︵︒︒鴫ヨ℃讐ξ︶について第七章 ヒュームの正義論第八章 統治論
第九章 近代の経済社会
2
︹中間考察︺ヴィーコとヒューム
はじめに
ヒュームの自然概念に辿り着くには︑まだかなりの時間が掛かりそうなので︑いわば中間考察ということで︑こ
こで少しG・ヴィーコの思想について触れておこう︒理由はいうまでもなく︑ヴィーコは恐らくヒューム以前の思
D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十五)
想家の中で︑ヒュームに最も近い思想家だったといってよいからである︒そのデカルト主義批判︑歴史的方法︑発
展論的社会理論の展開︑常識・慣習の尊重︑近代的自然法批判︑社会契約論批判などの諸点において︑ヴィーコと
ヒュームの間には著しい親近性が見られる︒だが︑ヴィーコとヒュームの間にどういう接点があったのか︑いまだ
明らかでない現状では︑ヴィーコがヒュームに与えた影響などといった議論をすることはできない︒ただ私は︑こ
の二人の思想家が︑多くの領域で非常に近い結論を導いていることにある種の不思議さを感じているのである︒そ
して︑ヴィーコとヒュームが︑思想の出発点を全く異にしていることを考えると︑その感をいよいよ深くする︒
周知のように︑ヴィーコは熱心なカトリック教徒で︑中世の神学を肯定しそれを出発点として︑デカルト主義批
判などを行った.のである︒これに対しヒュームは︑中世のキリスト教神学に見られる形而上学的・必然主義的因果
論批判から出発し︑それからデカルトの自然科学的・必然主義的因果論の批判に向かった︒ヒュームは︑信仰とし
てのキリスト教に対してはともかく︑その知的体系であるキリスト教神学には極めて批判的だった︒こうした出発
点の違いは︑多くの点で親近性が窺えるとはいえ︑両者の思想体系に大きな影響を与えざるを得ず︑従って両者の
違いもまた見られる︒即ち︑ヒューム体系にはキリスト教神学の影響が殆ど見られないのに対して︑ヴィーコ体系
にはキリスト教神学の影響が色濃く残っている︒例えば︑︵神の︶﹁摂理﹂︵嘆︒<乙①poΦ︶は︑ヒューム体系には否
定的に用いられる以外︑殆ど出てこないけれども︑ヴィーコの体系では︑非常に︑特に決定的に重要なところで︑
大きな役割を演じている︒かかる意味で︑ヴィーコの摂理は︑A・スミス体系における︵神の︶﹁見えざる手﹂
(一Rく圃ωまδげ⇔a︶と同様な役割を担っている︑といわれよう︒スミス体系も︑ヴィーコのそれ程でないにしても︑
神学的影響を色濃く残している︒もっとも︑キリスト教神学の影響といっても︑そこには大きな違いが見られ︑両
3
体系の色調はかなり違う︒ヴィーコにおいては︑神の創造という行為が注視され︑従って︑﹁真理目作られたもの﹂
︵︿Φ﹁=bP巨h四〇け偉∋﹀がその認識論的出発点になっている︒他方︑スミスにおいては︑神が創造された後の世界が問
題にされていて︑そこに﹁予定調和﹂︵℃冨−Φω冨σ剛δゴΦ創げ鶏ヨ○昌︶ということが暗黙裡に想定されていた︒しか
し︑ヴィーコの社会理論は設計主義にはならなかったし︑スミスもレッセ・フェール主義者一まだこう解釈する
人も多いが一ではなかった︒
近代初期の道徳哲学︵人文・社会科学︶者達は︑キリスト教圏のだけでなく︑非キリスト教圏の歴史や社会にも
妥当する思想や理論を打ち立てようとした︒ある意味で︑彼等の偉大さはそこにあったといえるだろう︒しかし彼
等の大半は︑その思想や理論の一部あるいは多くを︑キリスト教神学の概念でもって説明している︒だがそのた
め︑その偉大な思想や理論が非キリスト教圏で理解されなかったり︵ヴィーコの場合のように︶︑キリスト悪霊に
おいても誤解を受けることになった︵スミスの場合のように︶︒この点で︑世界の歴史や社会をキリスト教神学の
概念を全く用いずに説明しているヒュームは︑特異な存在だったといわねばならない︒ヒュームは︑ヴィーコやス
ミスなどが神の摂理とか神の見えざる手といった概念で解明しようとしたことを︑今日的言葉でいえば︑社会科学
的概念を使って説明した︒それ故︑ヒュームの思想は︑その細部はともかく︑非キリスト教圏においても理解を妨
げるものはないし︑キリスト教圏においても誤解の可能性も小さくなろう︒
もっとも︑例えばヴィーコの神の摂理も︑それによって説明されている結論的部分が持っている意味は︑東洋の
︵儒教でいう︶﹁天理﹂に近いのだが︑しかしヴィーコの出発点にあった神︑ヴィーコ体系を貫いている神は︑明ら
かに中世的な神であった︒また︑スミスの神の見えざる手の神も︑﹁天﹂と言い替えてもよいもので1事実︑幕
4
末・明治初期︑我が国では︑Ooユが天と訳されたこともあった一︑必ずしも全知全能のものではないが︑しか
し︑スミスが信じていたこの宇宙を創造した神は︑疑いなく全知全能の神であった︒ということは︑ヴィーコにも
スミスにも︑中世的な神の概念と︑そうでない緩やかな︑言わば近代的な神の概念があったということになろう︒
実際︑ヴィーコやスミスの思想の理解を難しくし︑従って誤解を生んでいる最も大きな要因はそこにあると思われ
る︒スミスについては後に述べることにして︑ここではヴィーコについて簡単に見ておこう︒
D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十五)
︵i︶ヴィーコの基本命題くΦ﹁⊆∋11訂9⊂∋
ヴィーコの出発点であり︑またヴィーコ体系の基底にある命題は︑既に述べたように︑﹁真理一−作られたもの﹂
である︒ヴィーコはこの命題を︑デカルト主義の本質を衝き︑デカルト主義を批判する武器としてだけでなく︑自
らの人文・社会科学を展開するための根本原理として用いた︒
ヴィーコが︑﹁真理11作られたもの﹂という命題をはじめて明示的に定式化したのは︑﹃学問の方法﹄︵b鳴ミ8ミ
討§︒補いミミミミミミ︑帖§鴨嵩O㊤︶においてであった︒その第四章において︑ヴィーコは︑﹁われわれが幾何学的
なことがらを証明するのは︑われわれが︹それらを︺作っているからである︒もしかりに︑われわれが自然学的こ ︵1︶とがらを証明できるとしたら︑われわれは︹それらを︺作っていることになってしまうであろう﹂と述べている︒
つまりヴィーコは︑幾何学と自然︵科︶学との違いを︑<雨量ヨー1貯︒εヨを持ち出して論じているのである︒即ち︑
幾何学が論証的知識︑従って真理であるのは︑それが人間によって作られたからで︑自然科学がそういえないの
は︑人間によって作られたものでないからだ︑と︒しかし︑これについては同書ではそれ以上は論じられていな
5
い︒
6
<Φ凄目11猷︒εヨが︑ヴィーコ体系の根本原理として︑明瞭に且つ詳しく論じられるのは﹃イタリア人の太古の
知恵﹄︵b僑§§ミの鴇ミ畠§ご§ミω愚§§§ミミ偽§Q登︑§禽︒譜篤ミ篭彫琢ミ§§し謡O︶︑特にその第一章におい
てであった︒第︸章の冒頭でヴィーコは︑﹁ラティウムの人々にとってはく<Φ﹁ニヨ﹀とく融09筥﹀とは相互に取り
スコラ ︵2︶替えられる︑あるいは学校で一般に行われている言い方に従うならば︑置換される﹂と述べ︑これを自らの根本原
理として受け容れる︒<Φ讐脱け融︒εヨとは要するに︑真理の規準を当の真理自体を作ったということに求めると
いうことである︒そしてヴィーコは︑<Φヨヨー1賦︒εヨについて︑以下に述べるように︑さまざまな視点から検討
を加えている︒
︿Φ毎ヨー1鐡︒εヨは︑主著でヴィーコ体系を余すところなく展開している﹃新しい学﹄︵9軌§ミミ§§℃初版は一
七二五年に︑第二版は一七三〇年に︑第三版は一七四四年に︑それぞれ刊行されている︶においても︑ヴィーコの
根本原理として貫かれている︒
さて︑ヴィーコのく①毎ヨー1貯︒ξ営の中味については後に詳しく述べることにし︑その前にその来歴について簡
単に見ておこう︒先に引用した﹃イタリア人の太古の知恵﹄第一章冒頭の文章からも窺えるように︑<Φ讐ヨ駐
富9工法という考えは︑ヴィーコ自ら新しく打ち出したものではなく︑古代ローマ思想︑キリスト教神学に由来す
るものとされる︒しかし︑古代ローマの思想家あるいは中世の神学者の中に︑ヴィーコが定式化していたのと全く
同じ形で説いている者を見い出すことは難しい︒だがくΦ≡ヨーー壁︒ε日も︑大きくいえば古代ギリシア以来︑西洋
思想の骨格を形成してきた自然と作為という二分法的思考様式から生まれてきたものであって︑﹁設計課的証明﹂
D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十五)
︵3︶︵α①臨讐碧ひq¢ヨΦ葺︶や﹁作者の知識﹂︵ヨ騨屏臼︑ω評8註Φ畠αqΦ︶などと同じく︑あるいはそれら以上の鋭利な形で︑
表現されたものと考えられるのである︒従って︑ヴィーコのくΦ毎ヨ貯6巳9に似た考えは︑過去の多くの思想家
の中に見い出される︒以下︑その中のいくつかを拾ってみよう︒ へ4︶ 古いところがら言えば︑先ずアレキサンドリアのフィロが挙げられよう︒フィロはギリシア哲学とユダヤ教との
融合を試みた神学者であった︒ユダヤ教i従ってキリスト教iの神︵Oo魁︶の属性の一つは︑全世界の創造者と
しての全知全能ということである︒フィロによれば︑このような神は︑極めて優れた知者︵ざ︒ぞ興︶であり作者
︵ヨ評Φ﹁︶である︒そこでは知ることは作ることを意味している︒またフィロとは︑神を父と認識することの必要
性を強調する︒フィロ曰く︑親は子供について︑工芸家は手細工物について︑家令は管理を委ねられたことについ
て︑それぞれよく知っているに違いない︑神はまさしく真実︑天と宇宙と万物の父であり︑工芸家であり︑家令で
ある︑と︒またフィロは︑神の存在を設計論的証明を用いて証明している︒もっともフィロのその証明はひどく神
秘的であった︒ ︵5︶ 次に挙げられてよいのは︑新プラトン主義の哲学者で数学者でもあったプロクロスである︒プロクロスの
く①耐乏貯︒ε琶の考えが明確に出ているのは︑﹃ユークリッド原理第一巻への注釈﹄︵9ミ§§ミ藁§ミQ古塁
切◎暮ミ肉§Nミ︑吻肉ド§§登①P四五窪p口ω一●即幻.ζo﹃﹁o毛︶においてである︒ギリシアの数学君達は︑﹁構成﹂︵11
設計︒oo霧#9賦8︶を言い表わす時︑﹁為す﹂︵8ロ︒︶︑﹁産出する﹂︵8寓○畠二〇Φ︶︑﹁生み出す﹂︵8ひQΦづΦ碁器︶︑
といった用語を使っていた︒そしてこれらの用語は︑ギリシア以来︑幾何学の持つ著しい特徴を示すものと考えら
れてきた︒プロクロスは︑数学・幾何学における構成について色々あった考えを統合しようとした︒その結果︑プ
7
ロクロスは幾何学における特徴的考え方としてくΦ歪ヨー−富︒εヨを明らかにするのである︒この場合の作者あるい
は知者は︑神や工芸家や職人ではなくして︑幾何学者であった︒
プロクロスは︑デミウルゴスが魂に数学的形相を与える話の出てくる﹃ティマイオス﹄︵§.§ミ§︶からヒント
を得て︑その数学論を展開する︒数学的知識が正確で絶対的に確実なのは︑魂自身が作った構成物だからである︒
そして数学者が数学的知識を真理だと知り得るのは︑数学者自身がそれを作ったからである︒しかしプロクロス
は︑プラトンと違って︑その対象を産出・投影することにおいて知性が果たす積極的な役割を強調する︒何故な
ら︑数学的知識は︑想像力の中で設定された空間において︑知性が構成したものだからである︒
プロクロスは以下のようにいう︒﹁われわれは魂を数学の式と観念の母量と措定しなくてはならない︒もし魂が︑
それらのパターンをそれ自身の本質において持ったことによって︑それらを産出するならば︑また︑そこから生み
出される結果が︑以前魂の中に存在していた形相の投影であるならば︑われわれは数学的知識の真の本質を見出す
ことになろう︒⁝⁝それ故︑数学式が魂の産物で︑また魂が産出した事物についての観念が感覚対象に由来するも
のでないとすれば︑数学的知識はその投影ということになる︒⁝⁝知性は︑数学的知識を放出し開示することによ
って︑すべての数学を生み出すのである︒⁝⁝この英知的なものを提出し形成することにおいて︑われわれの観念
は正しく産出行為と似ているといえる︒それ自身の観念を投影する場合のわれわれの思惟の動きというのは︑われ
われの想像力の中で︑図形とその性質を産出している︑ということだからである︒実にこの想像力において︑構
成︑区分︑位置の確定︑比較︑足し算︑引き算が起るのである︒一方︑われわれの知性の中味は固定されたまま ︵6︶で︑どんな発生も変化もない︒﹂要するに︑プロクロスは︑数学的知識が真理であるのは︑数学者自身がそれを作
8
D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十五)
つたからだ︑というのである︒
く①遷二目壁∩εヨという考えは中世の神学者においても見られた︒ヴィーコは︑﹃イタリア人の太古の知恵﹄の第 ︵7︶一章の冒頭で︑中世スコラ哲学において︑﹁<<Φ﹁¢ヨ﹀とく審︒ε鑓﹀とは︑⁝⁝置換される﹂といわれていたとい
っているが︑しかしスコラ哲学の中にそれと正確に対応する文句は見出せないということである︒しかし︑K・レ ︵8︶ーヴイットもいうように︑知ることと作ることと同一であるという考えは︑何ら新しい原理ではなくスコラ哲学の
トポスの一つであった︒
T・アクィナスは︑﹃神学大全﹄︵⑦ミミ§黛ミ鴨ミ薦甘魯お刈︒︒︶の中で︑﹁神の知は諸事物の原因である︒そもそも ︵9︶神の知はすべての被造物に対して︑作者の知がその作品に対する関係にある﹂と述べている︒そしてこうした考え
は︑トマス自身いっているように︑アウグスティヌスの﹃三位一体論﹄︵b鳴竈ミミ身障①︶の中の﹁霊的と物体
的とを含めた被造物の全体は︑それらが存在するが故に神が知るのではなく︑逆に︑神がそれらを知り給うがゆえ ︵10Vに︑それらは存在する﹂︑という考えに対応する︒アウグスティヌスも﹃告自﹄︵9ミ婆篤§塁おO︶の中で次のよ
うに述べている︒﹁私たちがあなたのお造りになったものを見るのは︑まさしくそれらのものがそのように存在す ︵11︶るからですが︑それらのものが存在するのは︑じつはあなたがそれらのものを見たもうからなのです︒﹂要するに︑ ︵12︶アウグスティヌスもトマスも次のように考えていた︒先ずはじめに神のロゴスがあって︑それが存在するものすべ
てを創造した︒それは神は知ることによって創造するということであり︑従って神にとっては知ることと創造する
ことは同一である︒神だけが︑万物を創造したのだから︑万物を知ることができる︒人間が限定されているとはい
え創造の能力を有するのは︑神の姿に似せて作られたからである︒しかしそれ故に人聞は万物を完全に知ることは
9
できない︒そうした考えは︑ヴィ!コのく①窓筥口賦︒露∋と殆ど違わない︒
ルネッサンス時代のキリスト教は︑中世のそれから次第に離れ︑汎神論的色彩を帯びてきて︑その意味ではギリ
シアの復興ということであるが︑しかしそこには近代への新しい展開が見られた︒この時代の代表的な思想家であ
ったニコラウス・クザーヌスは︑宇宙を﹁神の展開﹂として理解する一方︑神を﹁反対の一致﹂︵ooヨ︒鼠①導冨 ︵13︶o薯︒の帥8毎日︶︑つまり︑宇宙のすべての反対・矛盾を一に帰している﹁包括﹂として捉えた︒そこには明らかに︑
古代ギリシアや中世の思想とは違って︑相対的な考え方が見られる︒例えば︑古代ギリシア以来の宇宙観では︑上
と中心と下という絶対的な区別があったのであって︑地球中心的な天動説が受け入れられてきたのもそのためであ
った︒しかしクザーヌスの﹁反対の一致﹂においては︑.宇宙においては対立も結局は一に帰してなくなってしま
う︒実にここにコペルニクスの地動説が生まれる一つの素地ができたのである︒
さて︑クザーヌスの哲学の中でくΦ≡ヨ貯9二Bといってよい考えが出てくるのは︑やはり数学の領域において
である︒クザーヌスは︑知性が知る過程で果たす役割を強調する︒またクザーヌスは︑人間の中に︽鋤一叶O﹁ 鎚Φβω︾
を見る︒何故なら人間は︑合理的実体や人工的なものの世界を産出することができるからである︒つまり︑人間の
知性は︑創造の過程においては神の知性に似ていると考えるのである︒しかし人間の知性は︑神の作品たる自然に
近づくことはできない︒神の作品はただその作者たる神によってのみ知られ得る︒但し︑数学のみは例外で︑それ
は人心の知性の産物であって︑知ることが作ることと等しい特権的領域である︑とクザーヌスは言う︒このように
クザーヌスは︑その知識論においてアペルもいうように︑ヴィーコの先駆者ということができよう︒
10
D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十五)
︵一11︶ヴィーコの学問体系
さて︑ヴィーコ体系は大きく言えば︑神の知識︵科学︑ω鼠①葺す︶と人間の知識︵科学︶の二つから成ってい
る︒そして神の知識の中で︑人間の知識を除いたところに啓示神学と形而上学︵自然神学︶があり︑さらに人間の
知識の中に数学︵算術︑幾何学︶と︵実験的︶自然学と精神科学︵歴史学︑倫理学︑法学︑政治学など今日いう人
文・社会科学︶が含まれている︒言うまでもなく︑之れらのすべての知識を貫いているのがくΦ毎ヨー1貯︒9ヨ原理
である︒しかしながら︑この原理はこれらすべての知識に同じ確実性をもって貫かれている訳ではない︒
勿論︑<Φ毎ヨー1融9ニヨ原理において重要なのは︑作る者︑つまり作為の主体であって︑ヴィーコ体系において
もそれまでと同じように︑神と人間が作為の主体である︒従って︑くΦ霊ヨー1鼠︒εヨ原理は︑具体的には︑神が作
っ︵創造し︶たものであるから真理であるということと︑人間が作ったものであるから真理である︑ということを
その内容としている︒そして前者が神の知識であり︑後者が人間の知識ということになる︒しかしながら︑神の知
識と人聞の知識とはその確実性においてかなり異なるのである︒ ︵14V ヴィ;コによれば︑﹁知る﹂ことは︑﹁事物の諸要素を組み立て上げる﹂ことで︑従って﹁知識﹂とは︑﹁事物が ︵15V作り出される際の様式の認識﹂ということになる︒神や人間はそれぞれの知性によって︑その様式を認識しつつ事
物の諸要素を組み立て上げようとするのである︒ところが︑神の知性と人間の知性とはその能力において著しく異
なる︒思考が人間の知性の本性であり︑理解が神の知性の本性である︒何故なら︑神は︑外的なものも内的なもの
も含め事物の全要素をすべて自身のうちに含み︑それらのすべてを読み取ることができるのに対して︑人間の知性
は有限であり︑自分以外のすべての事物に対し外的であるため︑事物の全要素を収集し尽すことはできないからで
11
ある︒つまり︑人間の知性は事物について思考することはできても︑それを理解することはできないのである︒ヴ
ィーコはこのことを比喩を用いて以下のように説明する︒﹁神における真理は事物の主体的な像︑あたかも彫塑の
ようなものであり︑人間におけるそれは輪郭だけを描いたもの︑もしくは平面的な像︑あたかも絵画のようなもの
︵照︶である﹂と︒要するに︑神の真理は無限でありこの上なく精密なのに対し︑人間の真理はそこまでいかない︑とい
うのである︒そうした違いが︑究極的には︑神が創造者で人間がその被造物であることから来ていることは明らか
である︒ ところでヒュームは︑既述のように︑︿①≡ヨー1審︒ε8の真偽はともかく︑そのような考えを道徳哲学︵一1精神
科学11人文・社会科学︶に適用することを強く拒否した︒︿Φ毎ヨー1富9¢ヨは︑神学的・形而上学的なのであれ︑
自然科学的なのであれ︑結局︑必然主義的因果関係を示しているのであって︑従ってそれを必然主義的因果関係が
見出せない人文・社会科学の領域に適用するのは誤りである︑という理由からであった︒つまりヒュームにあって
は︑先ず因果論が問題とされ︑認識様式あるいは思考様式はそれとの関連で論じられる︒これに対し︑ヴィーコは
先ず認識様式を問題にし︑その後で因果論を取り挙げる︒だがヴィーコにおいても認識様式と因果論とは密接に関
連している︒
ヴィーコの因果論は︑﹃イタリア人の太古の知恵﹄の第三章で論じられている︒ヴィーコによれば︑古代ローマ
においては︑原因を意味する︽$¢ωω四︾が︽8①轟口︒︾︵11操作︑製作︑作為︶を意味する倉①σqooξヨ︾と取り替
えることができた︒また︑原因から生じるもの︑即ち結果を︽ΦhhΦOゴ﹄ω︾︑つまり完全に作り上げられたものと言
っている︒ヴィーコは︑このこととく①歪ヨー1︷碧εヨは一致しているという︒何故なら︑もしくΦ毎ヨー1︷臼︒9ロヨで
12
D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十五)
︵17︶あるならば︑﹁原因によって証明するというのは︑完全に作り上げること﹇①塗8お﹈と同じであるから﹂である︒
そして︑︽①団h①Oコ﹂ω︾とは︑作られたものと置き換えた真理のことである︒以上がヴィーコの因果に関する基本的
な考えである︒ヴィーコはそこから︑形而上学︑数学︑自然学︑倫理学などの領域における因果論を論じている
が︑それについては後に触れることにする︒要するに︑ヴィーコの因果論は﹁産出論的因果論﹂であって︑それは ︵18︶中世キリスト教神学の因果論に近いものだったし︑近代においても︑例えば︑キリスト教神学のそれよりも緩い形
ではあったが︑ロックやバークリなどにも見られたもので︑既にヒュームの﹁経験論的因果論﹂を扱ったところで
述べておいたように︑ヒュームは産出論的因果論を受け容れなかった︒
以上のように︑神の知識と人間の知識とはその確実性において異なっているのであり︑前者が完全なのに対して
後者はそこまでには至らない︒その完全な神の知識において最も確実な知識が啓示神学である︒ヴィーコは言う︒
﹁真理はまさしくひとり神のうちにのみ存在するのであるから︑われわれは神からわれわれに啓示されたるものは ︵19︶全的に真なるものとして認めるべき﹂である︒だが人間はそれを完全に把握することはできない︒それ故人間は︑ ︵20︶﹁それがどのようにして真であるのかを問うてはならない﹂のである︒従って︑入間が問い始めてよいのは︑啓示
神学の次に確実な知識である形而上学からである︒そしてこの形而上学は︑ヴィーコ体系においては︑神の創造し
た自然と︑人間の作った事物の世界とを結び付けるものであった︒ ︵21︶ ヴィーコは︑形而上学は﹁永遠の作用力について論じる学﹂であるという︒この永遠の作用力は分割不可能であ
って﹁本質﹂︵ΦωωΦ導凶蝉︶と同じであり︑スコラ哲学のいう本質は︑実際古代ローマにおいては︽≦ω︾とか
含9Φω冨ω︾と呼ばれていたのである︒ヴィーコによれば︑このような﹁形而上学がすべての真なるものの源泉で
13
あり・そこからそれがすべての他の諸学のなかに導き入れら菱﹂ということになる・つま峨永遠の作用力が数
や図形あるいは自然の領域に導き入れられて︑数学や自然学などといった知識が形成されるというのである︒数や
図の領域に導き入れられるのが﹁数︵幾何︶学的点﹂であり︑自然の領域に導き入れられるのが﹁コナトゥス﹂︑
﹁形而上学的点﹂である︒
さてヴィーコによれば︑形而上学に次いでは数学が最も真理に近い︒形而上学において与えられている作用力
は︑﹁点﹂という狭い出入り口を通して数学の中に導き入れられる︒この数学的点は延長しているものより以前に
存在していて︑延長しているものに働いている作用力である︒この数学的点としての作用力が数学の領域に導き入
れられると︑人間は自らの前に数や図形からなる数学の世界を仮構する︒ここから人間の知性が働く︒そして人間
は真理を得ようとする︒既に述べたように︑人間における真理は︑人間が認識を獲得しつつ組み立て上げ作り出す
もののことである︒それを遂行するのが人間の知性である︒だが入間の知性は制約されている︒にも拘らず︑数学 ︵23︶の世界は人間が仮構したものであるから︑この世界では人間は﹁それなりに神﹂と同じ位置を占める︒というの
は︑この数学の世界では︑この世界の全要素を人間の知性が自らのうちに含み持っていて︑それらを正しく完全に
配列し作り上げることができるからである︒そしてそこから人間の知性が証明する真理が現出する︒つまり数学の
世界では﹁証明とは作為﹇当のことがらを実際に生じさせること﹈と同じ﹂になるのである︒要するに︑数学の世
界では︑<Φ雲母目配︒εヨの原理が完全に貫かれ︑﹁原因からの証明﹂が行われている︑というのである︒かくし
て︑数学は形而上学に次ぐ確実な真理をもつことになる︒ヒュームは数学的知識は論証的知識︵畠㊦§o昌︒︒嘗飯野①
写︒乱Φ匹mqΦVだといったが︑この点ではヴィーコと同じだったといえる︒だが︑ヴィーコの数学的点や 以下に
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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十五)
述べる−形而上学的点といった形而上学的観念は︑ヒュームの懐疑主義よりすれば︑当然受け容れ難いものであ
った︒ <①毎ヨー1融︒εヨの原理が最もユニークな形で適用されているのが自然の領域である︒自然は︑物体11延長して
いるものと運動からなっているといってよい︒自然が存在する前には︑自然は神のうちに静止している︒自然はコ
ナトゥスを持つことによって存在し始める︒コナトゥスは形而上学の領域にあって静止と運動とを媒介するもので
ある︒また︑神と延長しているものとの間には︑自らは延長を持たぬが延長を生む力を持つ媒介者︑つまり形而上
学的点が存在する︒つまり︑コナトゥスは運動の無際限の作用力で︑形而上学的点が延長の無際限の作用力であ
る︒コナトゥスと形而上学的点が︑数学的点が数学の領域において行うのと同じような働きを︑自然の領域におい
て行う︒しかし自然学においては︑数学におけるような絶対確実な論証的知識は得られない︒何故であろうか︒
上述したように︑人間の知性は制約されているものの︑人間が仮構した数学の世界の全要素が人間の知性のうち
に含まれているからである︒これに対して︑自然は神が作っ︵創造し︶たものであって︑自然のすべての要素は神
の知性のうちに含まれていて︑人間の外部に存在している︒だから人間は︑自然を原因から証明することができな
い︒自然を完全に理解できるのは神だけであって︑人間にはできないのである︒よって自然学が数学におけるごと
く絶対確実な知識を得ることは不可能である︒それでも自然学は︑ある程度確実な知識を獲得することができる︒
それは﹁実験﹂を通してである︒ヴィーコは次のようにいう︒﹁自然学においては︑考想はなにかそれに類似した
ものをわれわれが作り出した場合に承認されるのであり︑それゆえ︑自然のことがらについての思索がことに明晰
であると見なされて万人の最高度の賛同を得るのは︑われわれがその思索を実験に付し︑それによってなにか自然
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︵24︶に類似するものを作り出す場合なのである﹂︒
このように自然学は︑実験を通してかなり確実な知識を得ることができるが︑それでも数学のように絶対確実な
論証的知識を獲得することはできないのである︒しかしヒュームもまた︑自然学は論証的な知識ではあり得ず︑だ
いたい立証的知識︵℃﹃oo脇︶に止まるとした︒ヴィーコと違ってヒュームは︑専ら因果論の観点から論じてそうし
た結論に達したのである︒ヴイーコが自然学で得られるとした知識がヒュームのいう立証的知識かどうか判然とし
ないけれども︑重要なことは︑自然は神が作っ︵創造し︶たものではないから︑人間はそれを完全に知ることはで
きない︑ということである︒
﹃イタリア人の太古の知恵﹄では︑ヴィーコは道徳科学目人文・社会科学については殆ど論じていないので︑そ
れについては後に述べるとして︑同書における結論は︑神の知識と人間の知識とでは︑確実性は前者の方がはるか
に高く︑人間の知識においては︑数学の方が自然学より︑確実性が高い︑ということであった︒
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︵⁝川︶ ヴィーコのデカルト主義批判
デカルトの学問体系は︑十六世紀以来︑キリスト教神学が動揺する中で現れてきた懐疑主義−例えばモンテー
ニュのそれ⁝に対する一つの回答として築かれたものである︒懐疑主義は認識論としてはそれなりに積極的役割
を演ずるけれども︑具体的な面では建設的なものを生み出し得ない︒デカルトはそうした懐疑主義に対して苛立ち
を覚え︑建設的な学問体系を打ち樹てようとした︒さてデカルトは︑自らの学問体系を一本の木に讐え︑形而上学
を根︑自然学を幹︑医学︑機械学︑道徳を枝としている︒しかし︑根も幹も枝もそれぞれ同じ一本の木の部分であ
D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十五)
るように︑形而上学も自然学もそして医学なども同じ方法によって貫かれ全学問体系を形成している︒その方法論
というのが幾何学的方法であって︑それは自然学にも貫かれている︒ヴィーコのデカルト批判は︑主に︑デカルト
が幾何学的方法を自然学に適用したことに向けられるが︑ヴィーコの批判はヒュームとは違った形で行われてい
る︒即ち︑ヒュームのデカルト批判は︑専らその合理主義的・必然主義的因果論批判に向けられているが︑ヴイー
コのそれは︑<①歪ヨーー冨︒ε目の原理によってなされているのである︒
㈲デカルトの幾何学的方法論
上述のごとく︑デカルトは︑十六世紀以来流行のようになっていた懐疑主義に応えるべく建設的な学問体系を打
ち樹てようとした︒しかしデカルトは︑それを遂行するに当って︑その懐疑主義を逆手に取り︑懐疑主義を一層徹
底させるという方法︑即ち﹁方法的懐疑﹂という方法を取った︒その目的は︑﹁われわれをあらゆる先入見から解
放してくれ︑精神を感覚から引き離すための最もたやすい道をひらいてくれるから﹂で︑究極的には︑﹁われわれ ︵25︶が真であると見きわめるものについては︑もはや疑いえないようにしてくれる﹂からである︒こうしてデカルトは
この方法的懐疑をつきつめていって終に次のような結論に達した︒﹁私は︑すべてのことを存分に︑あますところ
なく考えつくしたあげく︑ついに結論せざるをえない︒﹃私はある︑私は存在する﹄というこの命題は︑私がこれ ︵26︶をいいあらわすたびごとに︑あるいは︑精神によってとらえるたびごとに必然的に真である﹂と︒これは別のとこ
ろ︵﹃方法序説﹄︶では︑﹁我思う︑故に我あり﹂︵冨OΦコωρ傷opo一Φω巳ω一8ひqぎ臼σqoωo目︶と表現されているが︑
デカルトは︑この真理を哲学の第一原理として︑そこから絶対確実な学問体系を構築しようとしたのである︒
そしてそこから得られたのが﹁四つの規則﹂であって︑ω 明証性︑回 分析︑㈲ 総合︵演繹︶︑口 枚挙
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︵帰納︶︑から成る︒これらの規則は︑形式論理学︑古代人の解析︑近代人の代数学︑をそれぞれ批判し︑それらを
乗り超えようとして得られたものである︒明証性︵明晰・判明性︶が真理の規準である︒明証的に真理であると認
められないものは︑いかなるものであれ︑真理として受け容れてはならない︒回以下が手続きとしての方法であっ
て︑分析と総合がわれわれを真理の発見に導くもので︑枚挙はそれを検証するに役立つものとされる︒これら四つ
の規則が最もよく具体化されているのが幾何学である︒
デカルトがスコラ哲学の形式論理学︑アリストテレス流の三段論法︵昌=oひqδヨ︶を批判するのは︑それらが既
に知られているものを説明するだけで︑真理を探求するものではないからである︒事物の真理を探求するには方法
︵日①90虫ω︶が必要である︒この場合の方法とは︑﹁確実な容易な規則︑⁝⁝真の認識に到達するであろうような︑
︵27>規則﹂である︒われわれはそうした方法によって︑具体的には﹁直観﹂︵耳岳εω︶と﹁演繹﹂︵α①α9凱︒︶によっ
て︑確実で明白な知識を手にすることができる︒直観とは︑﹁ただ理性の光からのみ生まれ︑⁝⁝純粋なかつ注意 ︵28∀せる精神の不可疑の把握﹂である︒また︑演繹とは︑﹁確実に認識された或る他の事柄から必然的に帰結するすべ ︵29︶てを理解するところのもの﹂である︒つまり︑現前する対象は﹁直観﹂のみによって知られるが︑﹁遠く離れた結 ︵30∀論は︑演繹によってでなければ知られない﹂︑ということになる︒
さて︑﹁方法﹂において決定的に重要なのは順序である︒われわれは正しい順序に従う場合のみ真理を発見する
ことができる︒即ち︑先ず初めに︑﹁複雑な不明瞭な命題を︑段階を追うて一層単純なものに還元﹂し︑そしてそ ︵31︶の後に︑﹁すべての中里も単純なものの直観から始めて︑同じ段階を経つつ︑他のすべてのもの﹂を演繹する︑と
いうことが方法の正しい順序である︒言うまでもなく前者が﹁分析の方法﹂︵これが﹁発見の方法ご︑後者が﹁総
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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十五)
合の方法﹂である︒ところで︑﹁解析﹂︵p口巴協邑と﹁分析﹂︵g︒昌巴器一ω︶とは直ちに同じではない︒﹁古代人の解
析﹂は︑与えられた問題がすでに解かれたと仮定し︑補助線を使って予め作図を完成する方法で︑それは分析の方
法でなくて総合の方法であり︑デカルトはこの方法を慎重に避けた︒また︑﹁近代の代数学﹂も︑その狙いは︑﹁古
代人が図形についてなしたことを数について実行すること﹂であって︑﹁ある種の規則とある種の記号とにひどく
とらわれていて︑⁝⁝混乱した不明瞭な技術﹂になってしまっている︒デカルトの﹁解析幾何学﹂は︑古代人の解
析と近代人の代数学を批判的に発展させて生まれたものである︒それはともかく︑重要なことは︑総合は分析を前
提としてのみ可能であること︑分析は総合を目指してのみ本当の意昧を持つことができる︑ということである︒
しかし︑分析と総合によってだけでは知識は完成しない︒というのは︑演繹は︑時として極めて長い推論によっ
てなされるので︑その全体を想起することが難しいからである︒従ってそれを補充するため﹁枚挙﹂︵Φ毒ヨΦ学
四月︒︶つまり﹁帰納﹂︵ヨ含︒寓○︶を必要とする︒この帰納は︑非常に細心な正確な探求であって︑われわれはこ
こに確実で明白な結論に達することができる︒
デカルトは以上のような幾何学的方法を自然にも適用した︒そしてそこから︑精神と物質の二元論︑機械論的自
然観︑動物機械論などが導かれた︒
しかしながら忘れてならないことは︑デカルトの学問体系の土台︑即ち形而上学には︑神の存在がコギトと共に
自明のこととされていた︵デカルトの神の存在証明については︑既に合理論的因果論を扱ったところで述べてい
る︶ということ︑そしてデカルトの学問体系の絶対確実性を保証していたのは神の誠実であったということであ
る︒神は誠実であるから︑神がわれわれを欺くとか誤りの原因であることは矛盾である︒それ故︑われわれの理性
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が対象を明晰・判明に認識する限り︑真実でない対象を把捉することはあり得ないのである︒要するに︑デカルト
は︑神の存在によって︑あらゆる確実な認識の条件は既に十分備っている︑というのである︒
㈲ ヴィーコのデカルト・王義批判
ヴィーコが生まれたナポリは︑当時イタリアのデカルト主義の中心地だったといわれる︒従って︑ヴィーコも当
時の多くの知識人と同じく︑デカルト主義の洗礼を受けて︑学問研究の道を歩むことになった︒だがヴィーコは
﹃学問の方法﹄以後︑デカルト主義に対し痛烈に批判するようになる︒ここでは︑ヴィーコの︑コギト批判︑代数
解析批判︑数学的自然学批判︑人文・社会科学軽視批判などを簡単に見ることにする︒
既述のようにデカルトにおける哲学の第一原理はコギトであった︒しかしヴィーコは︑コギトは意識︵09
ωo剛Φ葺冨︶であって知識︵ωO一Φ昌け三瀬︶には到達できないとして︑デカルトのコギトを批判する︒ヴィーコによれば︑
コギトは懐疑論者を説得できない︒﹁懐疑論者とて︑自分が思考していることは疑っていないのである︒・⁝:また︑ ︵32︶かれは自分が存在することも疑ってない﹂のである︒しかし︑﹁思考していることが確実であるというのは意識で ︵33︶あって知識ではな﹂いのである︒知識とは︑﹁事物が作り出される際の類型または形相をとらえること﹂であり︑
それに対して︑﹁論拠や証拠の提示されていないことがらについて﹂︑﹁証人﹂として立てるのが意識なのである︒
つまり意識は知識にはなり得ずその﹁証人﹂に過ぎない︒またヴィーコは次のようにいう︒﹁思考しているという
ことはわたしが知性であるということの原因ではなくして徴候である︒が︑徴候は原因ではない︒そして︑徴候の
確実性までをも思慮深い懐疑論者ならば否定はしないであろうし︑かれが否定するのはただ原因の確実性なので
︵34︶ある︒﹂要するに︑われわれの思考についての確実性は︑存在の知識を提供することはない︑とヴィーコはいうの
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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十五)
である︒従ってヴィーコは︑懐疑主義を根絶するには︑<興二∋腫貯︒巳ヨという真理の規準しかない︑という︒
しかし︑数学については︑デカルトもヴィーコも︑数学を論証的知識︵山Φヨ︒ロω再鉾凶くΦζo乱Φ畠ひqΦVとし︑数学
をすべての学問の範型と見倣していた点では︑同様の考えをしていた︒また︑デカルトにおける数学の確実性は︑
専ら直観による﹁構成﹂によって獲得されていた︒それは︑方法論的に﹁構成主義﹂といってよいものであって︑
ヴィーコのくΦ毎ヨ鼠︒ε日とも部分的に重なり合っている︒つまり︑数学の領域では︑デカルトとヴィーコの考
えは基本的には一致していたのである︒ ︵35︶ だが︑ヴィーコは近代の代数解析には懐疑的であった︒デカルトの解析幾何学はその一部である︒ヴィーコは︑
近代の代数解析に古代のユークリッド的総合幾何学を対置させる︒古代ギリシアの幾何学は︑図形や作図によって
証明するという総合的方法を採った︒近代の代数解析はそれとは反対の方法を採り︑近代数学を開拓したF・ヴイ
エトは解析に記号代数学を用いた︒そして代数解析を近代数学の代表となしたのが外ならぬデカルトであった︒も
とよりヴィーコは代数解析そのものを否定したのではない︒その解析的方法に安易に頼ることのマイナスに警告を
発するのである︒即ち︑ヴィ:コは解析的方法を用いるとさまざまな問題が実に機械的に処理されていくことに惑
わされてはいけない︑というのである︒
ヴィーコは﹃学問の方法﹄の中で次のように言っている︒ヴィーコの警告.注意は専ら︑青年の数学教育のあり
方に向けられている︒﹁数学においては︑いわゆる記号によってではなく︑図形によって︑青年は教育されること
がくれぐれも必要なのである︒また︑解析はある種の神的技法であるように思われるから︑そこへ逃げこむこと ︵36∀は︑あたかも機械︹仕掛けの神︺に逃げこむことになってしまうであろう︒﹂こうした考えは︑﹃イタリア人の太古
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の知恵﹄や﹃自叙伝﹄︵嵩ミミO皆ミ趣ミ駐ミミ8零露§§総§Q§鴇§食易い︒㌣ω一︶においても繰り返し述べられ
ている︒ ヴィーコのデカルト主義批判の中で︑今日最も大きなレリヴァンスを持っているのは︑その数学的自然学批判で
あろう︒というのは︑ヴィーコの数学的自然学批判は︑現在の環境破壊の背景にある思想的問題を考える上で重要
な思想を提供しているからである︒
数学的自然学とは︑数学︵幾何学︶的方法を自然の領域に適用したものである︒このような方法は︑何もデカル
トだけでなく︑ガリレオをはじめ近代初期の多くの自然学者が採用したものであった︒しかしこの方法を哲学的に
正当化したのはデカルトだった︒既述のごとくデカルトは︑精神と物質︵体︶の二つを実体とし︑前者の属性を思
惟︵考︶︑後者のそれを延長とした︒この延長こそが幾何学の考察対象であった︒デカルトは︑﹃哲学の原理﹄第二
部命題四において︑次のようにいう︒﹁物体の本性は︑重さ︑堅さ︑色などといったものに存するのではなく︑た ︵37︶だ延長にのみ存す﹂︑と︒
ヴィーコは勿論︑自然学の中に幾何学的方法を導入することを全面的に否定している訳ではない︑その限界に注
意を促しているのである︒﹃学問の方法﹄の中でヴィーコは次のように言っている︒このような幾何学的﹁方法に
基づいて教えるこの自然学は自然自身と同一であり︑あなたが宇宙の観想に向かうところではどこでもこの自然学 ︵38︶を眺めることになる﹂と主張している︑と︒つまりヴィーコは︑数学的自然学が︑自然学と自然そのものを同一視
していて︑そこに限界があることに気付いていないところにその危険性がある︑というのである︒何故ならば
くΦ霊ヨn賦︒εヨだからである︒﹃学問の方法﹄でも次のようにある︒﹁幾何学的方法の力によって真理として引き
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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十五)
出された自然学のことがらは単に真らしいだけのことであり︑また幾何学から確かに方法は得ているにしても︑証
明を得ているわけではないのである︒われわれが幾何学的なことがらを証明するのは︑われわれが︹それらを︺作
っているからである︒もしかりに︑われわれが自然学的なことがらを証明できるとしたら︑われわれは︹それら
を︺作っていることになってしまうであろう︒というのも︑事物の本性を形づくる真の形相はただ至善至口同の神の ︵39︶中にのみ存在しているからである︒﹂要するに︑自然自身︑自然そのものを理解し得るのは︑自然を創︵作︶つた
神のみで︑自然を作っていない人間は︑自然自身︑自然そのものを理解することはできず︑実験その他によって︑
間接的に自然の一部の理解に与かることができるだけである︑とヴィーコはいうのである︒
恐らく︑キリスト教神学を受け容れれば︑ヴィーコの数学的自然学批判は正しいであろう︒ただ︑デカルトの学
問体系においても︑その土台︑即ち形而上学にはコギトと一緒に神が存在しているのであって︑知識の明証性は︑
神の誠実さによって保証されていた︑ということを忘れてはならない︒しかしデカルトにおいては︑神と自然︑精
神と物質の間が︑裁然と切り離されていたため︑神の誠実ということが実際に︑どのようにまたどれ程︑自然や精
神や物質に作用していると考えられていたかハッキリしない︒デカルトがこのような弱点を持っていたため︑ヴイ
ーコはあのように大胆にデカルトの数学的自然学を批判し得たのだった︒しかし︑キリスト教神学を前提としてい
ない近代の自然科学では︑ヴィーコの以上のような議論はかなり制約されることになろう︒にも拘らず︑近代の自
然科学が対象とする自然は︑自然自身︑自然そのものとは違うとしたヴィーコの主張は︑近代自然科学が抱える問
題の核心を衝いたものとして生き続けるのではないか︒
知識の明証性を求めたデカルトが︑数学︑自然科学以外の学問に冷淡︑懐疑的︑固定的であったことは当然のこ
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とであろう︒数学︑自然科学以外の学問において得られるのはせいぜい蓋然的知識だからである︒デカルトは小さ
い頃︑明晰・判明な知識を求めて︑語学や物語︑詩学や雄弁学︑修辞学や道徳学などを学んだ︒しかし期待は裏切
られ︑成人になるとそれらを放棄した︒歴史の研究は時間の浪費であり︑法律学や医学なども名誉と富をもたらす
だけだ︑とした︒要するに︑デカルトは︑数学と自然学以外の学問は明晰・判明な知識を得られないとして軽視し
たのである︒これに対しヴィーコは︑デカルトの数学・自然学偏重を批判し︑道徳学や雄弁学︑政治学など今日人
文.社会科学と呼ばれている学問の重要性を説く︒例えば︑﹃学問の方法﹄七の冒頭でヴィーコは次のように言っ
ている︒﹁われわれの学問方法の最も大きな不都合は︑自然の諸学にはきわめて熱心でありながら︑道徳の学︑と
くに︑そのなかでも︑人間の精神の本性と政治生活および雄弁にふさわしいその情念︑徳と悪徳に固有の兆候︑善
と悪の衛︑:−:国家に応じた気風の特性︑そしてすべてのうちで最もむずかしいあの品位ある適切なふるまいの術
について論じる部門に︑同じだけの熱意を注いでいないということである︒:⁝・今日では︑真理が学問の唯一の目
的であるので︑われわれは︑自然については確実であるように見えるという理由で探求に努め︑人間の本性につい ︵40︶ては自由意志がはたらくために不確実きわまりないという理由で探求しようとしない︒﹂と︒
かくてヴィーコは︑数学や自然学にも並々ならぬ関心を有してはいたけれども︑言語学︑歴史学︑法律学など︑
今日人文・社会科学と呼ばれている領域において新しい道を切り拓き﹁新しい学﹂を築こうと企てたのであった︒
その成果が大著﹃新しい学﹄である︒
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︵〜︶ ﹃新しい学﹄におけるくΦ﹁⊆ヨ⊥8εヨと只︒≦αΦコ一冨
D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十五)
ヴィーコが﹃新しい学﹄で扱っているのは今日いう人文・社会科学の領域だが︑しかしこの領域でも︑<Φ二日11
猷︒葺ヨという原理が貫かれているのである︒そしてヴィーコが同著において得た結論は︑上述したように︑常
識・慣習の重視︑発展論的社会理論の展開︑近代的自然法批判︑社会契約論批判などであって︑ヒュームの主張と
極めて似たものであった︒しかし既に述べたごとく︑ヒュームの人間学はく臼ニヨー1︷曽9ロヨの原理︑というよりそ
こに見られる思考様式の批判から出発していた︒少なくとも︑︿90ヨぽ鍵︒εヨといった思考様式を社会科学の領
域に持ち込むことを︑ヒュームは拒否したのである︒<Φ遷ヨー1貯︒ε管も﹂種の﹁構成主義﹂︵o§ω母9鉱≦ω目︶
で︑それが数学の領域に適用されても︑その領域がたとえ仮構であっても︑論証的知識を得ることができて︑真理
の基準として有効なのであるけれども︑それが社会科学に適用されるとなると︑合理主義的な社会理論︑ハイエク
の用語でいえば﹁設計主義﹂︵oo霧窪二〇餓くhのヨ︶を導く︑という理由からである︒合理主義的な社会理論において
は︑社会科学の領域でも論証的知識が得られ︑従って︑社会を合理的に設計できる︑と説かれる︒だがヒュームや
ハイエクはそうした考えを批判したのである︒
ところで問題は︑ヴィーコの場合︑そういった危険性はなかったかということである︒実際︑その先例としてホ
ッブズがいたからである︒ホッブズにおいても︑数学︑自然学における真理基準は一種の構成主義で︑ホッブズは
その基準をそのまま社会科学の領域に適用し︑合理主義的な社会理論︑即ち設計主義を導いたのだった︒ホッブズ
は次のように述べている︒﹁諸技芸の中で︑あるものは論証可能であるが︑あるものは論証不可能である︒そして︑
論証可能であるのは︑その対象を構成︵oo塗け毎︒江︒づ11設計︶したのが技芸家自身である技芸で︑彼の論証におい
て︑自己の構成の結果を演繹すること以上のことをなしてはいないのである︒その理由は︑すべての対象の知識
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は︑その当のものの原因︑産出︑そして構成について予め認識していることに由来する︒⁝⁝それ故︑幾何学は論.
証可能である︒何故なら︑われわれが推論する線や図形はわれわれ自身が引き描いたものだからである︒また︑政
治哲学︵9乱℃罠︒ω8ξ︶も︑コモンウェルスをわれわれ自身が作った︵ヨ疑Φ︶のであるから︑論証可能なので
ある︒これに対して自然的物体については︑その論証を知らず︑それを諸々の結果から求めるので︑われわれが求 ︵41︶める原因についての論証はあり得ず︑ただそれらしきものについての論証が考えられるだけに過ぎない︒﹂
このように︑ホッブズの数学についての考えは︑殆どヴィーコのそれと同じである︒また︑ホッブズは︑自然自
身︑自然そのものは︑人間が作ったものではないので人間の経験によって理解できるものではなく︑自然を創った
自然の著者としての神によってのみ知られ得る︑とした︒従ってここでもホッブズはヴィーコに近い︒両者とも構
成主義を原理としているからである︒だが注意すべきは︑ホッブズの構成主義には︑神はそれほど関与していない
のに対し︑ヴィーコのそれには神が非常に大きく関与している︑ということである︒この違いが︑ホッブズとヴィ
ーコの社会理論を全く異なったものにした︑即ちホッブズは設計主義を︑ヴィーコはヒュームに近い社会理論を導
いた︑最も大きな理由と思われる︒
上の引用文でも明らかなように︑ホッブズは︑政治哲学陪社会科学の知識が論証可能なのは︑人間自身が社会を
作ったからだと説いている︒しかしヴィーコも同様のことを﹃新しい学﹄の中で主張している︒例えば︑﹁この社
会は確実に人間によって造られたものであるから︑その原理は我々の人間精神そのものの変化様態のなかに求める ︵42︶ことができ︑またそうでなければならない﹂︑と︒このように︑ホップズとヴィーコは同じような議論をしている
のだが︑先に言っておいたように︑両者は全く異なるのであって︑ホッブズの社会理論は設計主義であり︑ヴィー
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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十五)
コのそれはヒュームに近いものである︒ヴィーコは︑﹃イタリア人の太古の知恵﹄の中で︑倫理学などの知識は︑
その確実性において︑数学や自然学などのそれに及ばないと論じていた︒それが﹃新しい学﹄では︑人文.社会科
学も﹁幾何学と同じ進み方を菱﹂と書いていて︑議論が些かやや・し姦っているけれどもヴ・←が︑人
文・社会科学における知識が︑蓋然的なものであると考えていたことは間違いのないことである︒明らかに︑ホッ
ブズの08ω嘗二〇自≦ω∋とヴィーコのくΦ﹁ニヨー1富︒εヨとは違っているのである︒
では︑ヴィーコの社会理論が︑ヒュームのそれに近いものとなったのは何故であったろうか︒その理由としては
様々なものが考えられるが︑ここでは︑三つほど挙げておこう︒即ち︑ヴィーコは︑①人間の理性に限界がある
ことを強く意識していた︑②健全な懐疑主義的精神を持っていた︑③常識を尊重していた︑といった理由が考
えられる︒そしてその何れにおいてもヒュームの考えに近い︒ ︵44︶ ヴィーコがまとまった形で理性について論じているのは︑﹃新しい学﹄第四巻第九部である︒そこでヴィーコは︑
理性に三種類あるとして︑それぞれの適用領域が異なることを指摘している︒即ち︑神の理性︑国家の理性︑自然
の理性の三つで︑神の理性が適用されるのは形而上学と自然学︑国家の理性が政治学︑自然の理性が人間関係.社
会現象である︒詳しい説明は省くが︑このように理性を神の理性と人間の理性に分け︑全体的な最も価値ある重要
な領域は神の理性が適用され︑人間の理性はそうでない領域に限定されている︒人間の理性に大きな制約が課され
ていることが分かる︒ホッブズ体系には人間の理性を制約するものがない︒
またヴィーコは讐な難墨隈であ・遍・ヴ・←はギリシア時代のアカデ・イア吉事垂義に共感を寄せて
いたが︑このギリシアのアカデメイア派こそヒュームの適度な懐疑主義に近い懐疑主義を唱えたのであった︒そう
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した懐疑主義がデカルト主義の独断論を批判させたのであった︒デカルト主義が採った方法は﹁クリテイカ﹂
︵Oコロ∩O︶であって︑入間の実際の生活の理解には不十分な方法で︑それだけでなく︑現実の人間社会を真に理解
するには﹁トピカ﹂︵8宮$︶が重要であるとしたのもヴィーコの健全な懐疑主義からきたものである︒またヴィ
ーコが熱烈なキリスト教徒でありながら︑ギリシア哲学のみならず西欧以外の国々の異教に対しても客観的な分析
を行っているのもやはりそうした懐疑主義からきているといえるだろう︒キリスト教を流出論的に理解していると
ころも見られ︑ヴィーコのキリスト教神学は極めて柔軟であった︒
ヴィーコは﹃学問の方法﹄の中で︑クリテイカの不都合から逃れるためには常識︵︒︒Φコωロωoo∋筥⊆巳ω共通感 ︵46︶覚︶が育成されねばならない︑と述べている︒ヴィーコによると︑知識が真理から︑誤謬が虚偽から生じるよう
に︑常識は﹁真らしいもの﹂︵<臼巨ヨ象ω︶から生まれる︑この真らしいものが︑あたかも真理と虚偽の中間に存
在するものである︒またヴィーコは︑﹃新しい学﹄の中で︑常識とは︑﹁ある一つの集団全体が住民のすべて︑民族 ︵47︶のすべて︑人類のすべてが共通して感ずる判断﹂である︑と述べている︒ヴィーコはこのような﹁真らしいもの﹂︑
人類が理性によって反省するものではなく︑感情によって判断するものとしての常識を一貫して尊重したが︑ヒュ
ームもそうした常識を自らの体系の基点としていた︒
さて︑ヴィーコの社会契約説批判や近代自然批判などといった細い議論は後に触れる機会もあるだろうから︑こ
こではヴィーコの﹃新しい学﹄の最も中心的な議論である歴史論と︑それに関連する﹁神の摂理﹂の考えについて
簡単に述べるに止めたい︒
既に述べたように︑ヴィーコの﹁新しい学﹂の対象たる人文・社会科学︑即ち道徳科学の領域においても︑
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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十五)
︿Φ⊇§猷6貯日の原理が貫かれている︒では︑その作者の主体は何であったろうか︒言うまでもなくその一つは
人間である︒﹁諸民族の世界即ち文明社会を造ったものは人間なのだから︑この﹃学﹄を究めることができるのは
︵48︶人間なのである﹂︒だが︑道徳科学における作者は人間だけではない︒ヴィーコは次のようにいう︒この新しい学
は︑﹁摂理によって実現される歴史的事実を解明するものとならねばならない⁝⁝というのは︑この世界は︑たと
えある時期にある特殊な形で創造されたものであるにせよ︑摂理がそこに定める秩序は普遍にして永遠のものだか
︵49︶らである﹂と︒ここには確かに︑中世のキリスト教神学において重要な観念であワた神の摂理が説かれている︒だ
が上述したように︑ヴィーコのキリスト教神学の解釈はかなり柔軟であって︑ヴィーコのいう神の摂理もかなり世
俗化されたものであった︒それは人間や人間社会を超えたものではあったが︑人間や社会と切り離されたものでは
なく︑それらを通して作用するものであった︒
ヴィーコの自然学において︑自然そのものを創︵作﹀つた神と︑専ら観察や実験によって自然を知る人間と︑作
者が二人存在していたように︑道徳科学にも︑神と人間という二人の作者が存在していた︒そしてヴィ!コの道徳
科学においては︑神と人間との複雑で微妙な共働による社会の形成︑歴史の発展・展開が説かれている︒このよう
な神と人間との共働をヴィーコは神の摂理と呼んだのであって︑それは明らかに世俗化されている︒しかし︑結論
を先に言うようだが︑そのような世俗化された摂理という観念さえ︑ヒュームの人間学の中には︑少なくとも肯定
的に姿を現わすことは全くないのである︒実にここにヴィーコとヒュームとの決定的ともいえる違いがあったとい
ってよいであろう︒
周知のように︑ヴィーコは歴史を︑巨人や情人のいた時代から︑﹁神々の時代﹂︑﹁英雄の時代﹂︑﹁入間の時代﹂︑
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