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―中心人物の心情の変化をどう読むか―

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Academic year: 2021

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(1)

1 小学校国語科授業の課題

2020

年度から小学校では新学習指導要領が全面実施される。ここでは新たな学びの型として「主 体的・対話的で深い学び」が示されている。AIをはじめとした科学技術の更なる進展,情報化社会,

グローバル社会の一層の進化など,急激に変化していく社会においては,これまでの知識や技能が必 ずしも有効に働くわけではない。新しい課題に次々に直面することになる。その時にその課題に対し て受け身でいてはならない。これから求められる人間像は,新たな課題が出てきた時に,主体的に立 ち向かい,周囲の人たちと協働的に課題解決に向けて取り組んでいく人間である。

そこで次世代の人間を育成するという観点から,学校教育でこれからの時代の学びの在り方として 位置づけられたのがこの「主体的・対話的で深い学び」である。年間で数十回を数える国語研究会講 師を務めて指導を行っているが,どこの学校でも,これまでよりも,子どもたちがより主体的に学習 課題に取り組み,より多くの対話的な活動を行い,より深い学びの授業となるよう教師たちが熱心に 研究を進めている姿に触れる。

これらの多くの授業を見てきている中で,小学校国語科授業,特に物語文指導の問題点を,今,次 のように捉えている。それはその教材文での人物の気持ちの読み取りだけに終始してしまい,他の教 材文の読み取りに生かすことができる汎用的な力が見えにくい授業が多いことである。算数ならば低 学年で学習する整数の乗法が,中学年で学習する図形の面積の求め方につながり,中学年で学習する

「伴って変わる二つの数量の関係」が,高学年で学習する比例,反比例の学習に生かされることにな る。既に学んだことが次への学習につながることがわかり,汎用的な力が明らかになるのである。

しかし物語文の授業では,登場人物がかわいそうだった,楽しそうだった,幸せになってよかった などの情緒的,感覚的な言葉で,教師と子どもとのやり取りに終始してしまうものが少なくない。こ れでは感想を述べ合うだけのことになってしまう。その物語の中の場面を情緒的に味合うことも,確 かに物語にふれる喜びではある。だが,その教材文の読み取りで学んだことが力となり,次に出会う

「対話的な学び」を生かして読み深める 小学校国語科物語教材の指導方法

―中心人物の心情の変化をどう読むか―

遠 藤 真 司

実践報告

(2)

教材の読みを進めるようにしていかなければならない。正しい読みのためには,何に気をつけて読む と,確かな読みの力がつくかを明らかにすることが大事なのである。

白石範孝(2009)は,「中心人物の心が,何によって,どう変化したのかを一文で書いてみる」こ とが,物語の読みの原理原則であると言っている。これを正確に理解できると,その物語を通じて作 者が読者に伝えたいこと,つまり主題を受け止めることができるからである。決してその物語のあら すじを知ることが物語文の読みを学ぶことではない。

物語文の指導で付けるべき汎用的な力は,その教材文から「中心人物の心情の変化」を正しく捉え ることである。その読み取りの学習方法を教師が明確に子どもに指導をして,次に学習する教材文の 読みにつなげることである。教科書「を」教えるのではなく,教科書「で」教えるのである。

この汎用的な力をつけるためには,対話的な活動が効果的となる。教師がただ一方的に説明をする だけでは,子どもたちの学びが受け身になってしまい,力は定着しない。教師に指示され,やらされ ているという意識が強いと,思考する力も育ちにくい。対話活動は,教師の一方的な説明の場と違い,

子どもたち自身が主体的に学ぶ場となるのである。子どもたち自身が主体的になってこそ学びは定着 する。

「主体的・対話的で深い学び」が学習指導要領で示されて以来,子どもたちの対話活動を授業で位 置づけることは増えている。しかしこの「対話的な学び」を具体的にどのように指導をしていくこと が効果的なのかが,明らかになっていない授業が多いことも課題である。

これまでの指導経験をもとに,本稿では,小学校国語科の物語教材において,「中心人物の心情の 変化」を「対話的な学び」で,どのように読み深めていくかという視点で,2つの実践校の取り組み を通して論考する。

2 「対話的な学び」とは

子どもたちの対話活動では,まず話し合いのテーマを設定することが必要である。そのテーマに基 づいて

2

人組(ペアトーク),あるいは

3

人組や

4

人組などの少人数グループによる対話を行い,そ こで出てきた疑問や考えなどを,その後の学級全体での対話で解決したり,交流をしたりして,自分 の考えをより確かなものにしていくのである。

都内における多くの国語研究会において,研究授業づくりに際して,「どのような授業がやる気が 出るか」を子どもたちに聞くことが多い。そこで必ず多く出て来る反応は「対話活動」がある授業で ある。その理由は「先生の話だけだと飽きてきてしまうが,授業の中で友達との対話があると,自分 たちが進んで学習をしようという気持ちになる」というものである。田村学(2016)は「対話的な学 びが行われることで,主体的な学ぶに向かう姿が生まれる」と言う。教師の説明時間が長く,板書し たものを子どもたちがただ書き写していくような授業は,子どもたちにとって苦痛であり,主体性は 決して育たない。深く考える時間も場も持てない。対話活動があると,子どもたちは自分の意見を言 い,友達の考えを聞き,そこからさらに話し合いが進んで行く。

(3)

これまで

400

回近くの国語研究会講師の中で,授業記録をすべてとりながら授業を観察している。

教師の発問と指示,子どもの発話数,発話の内容,学習の様子を逐語記録していくのである。この記 録をもとに振り返ってみても,対話活動があると,子どもたちの学習意識が高まり,それまでに比べ て積極的に学習課題に取り組むようになるのがわかる。対話が子どもたちを主体的な学習態度にして いくことは,多くの小学校の授業を見ていてもこのように実感するところである。

しかし,教師が子どもたちに課題を提示して,対話活動を設定し,あとは対話の様子を近くで見て いるだけという授業がある。適切な指導がないと,子どもたちはそれぞれの考えを発表し合うだけで,

互いの関わりがあまり見られないことになる。自分たちの対話内容がどのように学習に生きてくるの かが,子どもたちにわからないまま,授業が進んでいくのである。対話活動を取り入れると,子ども たちの学習態度は主体的にはなる。だが,子どもたちにただ対話をさせておけばいいというものでは ない。「主体的な学び」「対話的な学び」「深い学び」の

3

つはそれぞれ離れているものではなく,一 体化して行われるものだからである。つまりただ話し合っていても,それが単なるおしゃべりに終わ り,深く読み取ることにつながっていかなければ意味がないのである。

「何のために,どんなことを話し合うのか」「それが今後,どう学びに生かされるのか」という目的 意識,課題意識を子どもたちに自覚させることが大事である。そしてそのために,子どもたち一人一 人が,「なぜだろう」「ここをもっと知りたい」「友達の考えを聞きたい」と思うような「問い」を教 師が子どもたちに発することである。その解決に向けて,子ども同士が互いの考えや思いを伝え合い,

自分自身の考えを明らかにする,この思考過程を大事にする指導が求められてくるのである。教師に も子どもにも,対話を通して学ぶべきことが明らかになっていてこそ,対話活動の意味がある。対話 をして,そこから何を生み出すかという学習価値が大事であり,対話から次のような学びを見出すこ とが「対話的な学び」であると考える。

対話をすることにより

① 自分一人ではわからなかったことがわかる。(疑問解決)

② 自分の考えが整理できる。(思考の整理)

③ 自分の考えに自信を持つ。(思考の確立)

④ 自分の考えが広がる。(思考の広がり)

⑤ 自分の考えが深まる。(思考の深まり)

⑥ 新たな考えがつくられる。(新たな考えの創造)

このように教師は,疑問解決,思考の整理,確立,広がり,深まり,創造という学習価値を対話活 動によって生み出すような指導を行い,その過程を通じてこれまでよりも深く読み取り,理解したこ とを実感する学びにしていくこと,これが「対話的な学び」と考える。

(4)

3 「中心人物の心情の変化」とは

白石(2013)は物語の中で心情や行動が大きく変わる登場人物を中心人物,中心人物に最も大きな 影響を与えた人物を対人物と言っている。小学校国語教科書の物語教材は,さまざまな事件や出来事 を通して,中心人物の心情の変化を描く。この心情の変化を読み取ることが物語の読みの中心であり,

ここから読者である子どもの心に最も強く語りかけている主題を受け止めるのである。物語文教材で は,中心人物は誰か,どんな事件・出来事が起きたか,対人物は誰か,中心人物の心情はどのように 変化したかを読み取るのである。

「モチモチの木」(光村図書

3

年生)では,子どもたちはしばしば次のように読み誤る。初めの場面 では,豆太は一人でせっちんにも行けない臆病な子だった。その後,じさまの具合が悪くなり,一人 で真夜中,山道を駆け下りて医者を呼びに行く。勇気のある子どもだけが見ることができる「モチモ チの木に灯がともる」のを見ることができた。だが終わわりの場面では,またじさまに抱かれ,一人 でせっちんに行けなくなってしまう。結局は豆太は勇気のある子どもにはならなかった,臆病なまま で終わってしまったという読みである。

しかし,じさまを助けることを通して豆太は勇気のある子に成長したのである。これからまた,じ さまの具合が悪くなったとしたら,勇気のある行動に出られるようになるはずである。その心の成長 まで読みとれないのである。これは教師の教材研究と分析が十分でなく,指導が行き届かないという 面もある。

「ごんぎつね」(光村図書

4

年生)では,中心人物と対人物の特定で戸惑う子が続出する。最も大き な心の変化をするのは,「ごん,おまいだったのか」と言って,栗や松たけなどを持ってきてくれた ごんを銃で撃ってしまい,激しく後悔をする兵十と捉えることになる。しかしこの作品の題名は「ご んぎつね」である。物語の初めから終わりまで,ごんの行動と心情が中心として叙述されている。ご んが中心人物でないとおかしい。だが最も大きな心の変化は兵十となってしまうという矛盾である。

教師も戸惑ってしまい,この「ごんぎつね」では中心人物と対人物の特定があいまいなまま授業を終 えることが多い。

「ごんぎつね」では,中心人物の心の変化が,対人物の心の変化によって起きるという,「心の変化」

が二重構造になっていることがその理由であり,これを理解することにより中心人物と対人物の特定 ができることをわかりやすく指導する必要がある。

4 実践校の取り組み 1

―「対話的な学び」を生かして「中心人物の心情の変化」を読み深める指導例―

4-1 実践校 東京都 A

市立

B

小学校(3年生担任

C

教諭)

4-2  経緯 校内研究会で年間講師として指導を行っている B

小学校で,教師経験

10

年の

C

教諭が

「対話的な学び」について大きな関心を持っているので,丁寧に指導をしてほしいという校長の

(5)

依頼を受けて,一つの単元について集中して指導を行った。(2019年

1

月〜3月)

4-3 教材「モチモチの木」

4-4 C

教諭に対する指導

これまで見てきた「モチモチの木」の授業実践では,子どもたちは「勇気が出てきたと見えた豆太 だけど,最後の場面でまた元に戻ってしまった」と捉えることが多かった。教師の中でもこのように 考える者が少なくない。C教諭もまた同じで,「豆太は最後にはまた,じさまに抱かれてしまって一 人でせっちんに行けなかったんだね。やはり最後は臆病な豆太に戻ってしまったね。」とまとめ,こ れまでこの教材の授業をしていたということであった。

豆太は,真っ暗な道を,じさまを助けたい一心で,怖さや寒さを感じながらも,気持ちをふり絞っ て一人で山を駆け下りて行ったのである。これは勇気がなければできないことである。そして勇気の ある子どもだけが見ることができる「モチモチの木に灯がともる」のを豆太は見たのである。この時 点で間違いなく豆太は勇気がある子どもに成長したのである。子どもたちもここではみな,豆太は勇 気のある子どもになったと理解する。

問題は終わりの場面である。豆太は一人でせっちんに行けなくて臆病な子どもに戻ってしまう。結 局は「勇気がある子どもとは言えない」と子どもたちは結論づけるのである。

この読み誤りの原因は,どちらも「勇気」という言葉でくくられているところにある。じさまを助 けるために,真夜中に一人で山道を下りて医者を呼びに行くことと,一人で真夜中にせっちんに行く こととは,「真夜中に一人で外に出る」という点では同じであるが,その中身は違う。一人でせっち んに行くことができなくても,今後またじさまが具合悪くなれば,怖さを恐れず豆太は一人で真夜中 に外に飛び出し医者を呼びに行くことができるだろう。じさまを助ける経験を通して,豆太は勇気を 持つ子に成長したのである。この物語は豆太の心の成長の物語である。

終わりの場面での叙述は,「本当は勇気のある子だった豆太は,それでも真夜中になると,また一 人でせっちんに行くのは怖くて,じさまに抱っこされたんだとさ」という微笑ましい語りのエピロー グなのである。しかし,そこを「勇気」という言葉から,じさまを助ける場面と,せっちんに行く場 面とを,同じ質の「勇気」と捉えてしまうと主題を読み誤ることになる。

優しさがあり,じさまを助けることで勇気を持つ子に成長したという,この物語の主題を教師が しっかり捉え,それを子どもたちが対話を通して,気づいていく指導方法を具体的に指導した。

4-5 C

教諭の指導実践

C

教諭は私からの指導を受けて教材を丁寧に読み込み,その後,10時間の指導計画を立てた。1時 間めの授業で全文通読を行い,子どもたちから疑問や読み深めたい課題などを出させた。その上で単 元全体を通して子どもたちに考えさせたい問いを「一貫した問い」として子どもたちに提示した。「豆 太は結局,勇気のある子どもになったのか,それとも臆病な子どもだったのか」という問いである。

毎時間,叙述に即して,豆太の心情を考えさせ,ノートに子どもたちの考えを書かせ,グループで 対話活動を行わせた。そして

9

時間めと

10

時間めの授業で,この一貫した問いを対話活動の課題と

(6)

した。32人の子どもたちの初めの反応は次のようであった。

① 勇気のある子どもになった ……

7

② 結局は臆病な子どもだった ……

23

③ どちらとも言えない ………

2

その理由は①では,「豆太はたった一人で山道を降りて医者を呼びに行くことができたのだから,

とても勇気のある子どもになった」というものが多かった。②では「一人でせっちんに行けないので は,結局,勇気がないということになる」がほとんどであった。①も②もあり得るということで,考 えがまとまらない子の反応が③であった。

そこで

C

教諭は次のような発問をした。「じさまを助けるために真夜中一人で医者を呼びに行く『勇 気』と,一人でせっちんに行くことができる『勇気』とは,同じなのか,それとも違うのか」という 問いであった。この問いは子どもたちの考えを大きく揺さぶった。子どもたちは勇気とは同じものと 思っていて,勇気に違いがあるかどうかは考えてもいなかったからである。この課題に対して,子ど もたちはノートに自分の考えを書き,それをもとにグループで対話をしていった。自分の考えを整理 して,表現をして,その対話の内容を深めていった。

4-6 子どもたちの変容

「そもそも勇気って何だと思う?」この教師の問いに,子どもたちはさまざまな考えを表現した。

「恐いものでも向かっていくこと」「不安なことでも負けずに立ち向かうこと」「すぐに逃げないこと」

などが出てきた。この「モチモチの木」の場面で見ると,「一人でも暗闇を怖がらずにせっちんに行 けるのは勇気があること」であり,また「じさまを助けるために,真夜中,一人で真っ暗な山道を降 りて医者を呼びに行くことも勇気があること」は全員共通した思いであった。しかし「じさまを助け る勇気と,一人でせっちんに行けない勇気は同じなのか?」と勇気の質を問うと,同じ勇気でも違い があるのではないかと子どもたちは考えるようになった。

今まで,じさまを助ける勇気と一人でせっちんに行く勇気とは同じだと思っていたけれど,この

問いが出て,違うんじゃないかと思い始めた。

本当の勇気とは,優しい気持ちを持って,自分の大切な人を怖さを恐れずに助けることだと思う。

勇気にもレベルがある。この物語の本当の勇気は,モチモチの木に灯がともるのを見ることがで

きた時だと思う。

教師の発問に対して,子どもたちからはこのような意見が出てきて,グループでの対話活動を通し て内容を深めていった。

豆太は勇気がある子になった。でも真っ暗な中,一人でせっちんに行きたくないのはきっと大人

だって同じだと思う。これを勇気がないと決めつけるのはおかしい。

人を助けることができるのが本当の勇気であって,一人でせっちんに行けないのは,本当の勇気

(7)

がないとは違うことだと思う。

これからもいざとなれば勇気がある行動ができるので,せっちんに行けないことは,決して臆病

だというわけではない。

せっちんに行けないところもあるけれど,豆太は勇気のある男の子だ。

子どもたちはグループで,それぞれの勇気に対する考えを交流し合う対話を通して,このような考 えを表現するようになってきた。改めて,子どもたちに単元全体を通して考えさせる問いである「豆 太は結局,勇気のある子どもになったのか,それとも臆病な子どもだったのか」に対しては次のよう になった。

①勇気のある子どもになった ……

32

② 結局は臆病な子どもだった ……

0

③ どちらとも言えない ………

0

本時の学習前と学習後とでは,①と②の数字が逆転をした。対話を通して,本当の勇気とは何かを 考えられるようになったからである。

では最後の場面で,「また一人でせっちんに行けずに,じさまに抱かれている豆太をどう思うか」

と問いかけると,「また,じさまの体の具合が悪くなった時,いつでも医者のところに行けるという 自信があるはず。」「一度できたことは次もできると自信を深め,初めの場面とは明らかに違う」と,

初めの場面の豆太と終わりの場面の豆太は同じではなく,心が大きくなっているなどの声が出てき た。勇気を持つことが出てきた自信を,豆太は自分自身でも感じ取ることができた,成長したと子ど もたちは捉えたのである。

子どもたちは対話をすることにより,勇気に対しての自分の考えを広げ,深め,自分の考えを確か なものにしていった。対話をすることにより,勇気の質を考えるという,今までにない考えをつくり 出していったのである。

「人を助けることが本当の勇気であって,それを作者は伝えたかったんだと思う。一人でせっちん に行けないことは大きな問題ではない。こんなにも勇気を持てるようになった子が,結局一人でせっ ちんにはまだ行けないんだとなって,偉い子だけど親しみがわく」と言った子がいて,学級のみんな から賛同の拍手を浴びていた。

この授業の後の子どもたちの学習感想で主なものは次のような反応である。

対話活動をして,自分の考えがしっかりと持てるようになった。人と対話することは楽しいし,

学習するうえで大事だと思う。

豆太の心の変化は,自分だけではわからなかった。対話をしてみて,先生の話を聞いて,何回も

教科書を読み返してわかってきた。

今まで中心人物の心の変化ということを学習してきたけれど,対話をしてみて,その心の変化は,

(8)

行動だけでは探れないことがわかった。

対話を重ねて意見を交流して,その結果,この物語の主題に表れている本当の勇気とは何かについ て,子どもたち一人一人が自分の考えを深めることができるようになったことが読み取れる実践で あった。

5 実践校の取り組み 2

―「対話的な学び」を生かして「中心人物と対人物を捉える」読みの指導例―

5-1 実践校 東京都 D

区立

E

小学校(4年生担任

F

教諭)

5-2  経緯 校内研究会で年間講師として指導を行っている E

小学校で,教師経験

6

年の

F

教諭が,

「主体的・対話的で深い学び」の授業を積極的に行っているが,「ごんぎつね」の教材研究で疑 問が出てきているので指導をしてほしいという校長の依頼を受けて,この単元について集中し て指導を行った。(2019年

1

月〜3月)

5-3 教材名「ごんぎつね」(光村図書 4

年生)

5-4 F

教諭に対する指導

E

小学校の校内研究は,中心人物と対人物を明らかにして,心の変化を考えていくことを取り組み の基としていた。この考えを研究の基本として位置づけているところに,この学校の研究姿勢の積極 性をうかがうことができた。F教諭もこれまでの研究を生かして,中心人物の心の変化を捉える授業 をつくってきていた。

図1 中心人物の心の変化

そこで

F

教諭は,この考えをもとに物語文の指導で最も大きな心の変化があった者を中心人物と していったのだが,「ごんぎつね」ではわからなくなってしまった。子どもとともに授業を進めてい るうちに,以下のような話の流れとなり

F

教諭もうまく答えられなかった。

物語の最後の場面で,ごんの気持ちがわかり兵十は銃を取り落してしまう。

持っていた銃を落とすくらい,気持ちが動揺した。

物語の中心人物とは,「最も心の変化が大きい人」である

↓ だから中心人物は兵十となる。

(9)

しかし「ごんぎつね」は,どう見ても,ごんが主役の物語だ

↓ ごんが中心人物でないとおかしい。

これまで扱った物語教材では,どれも最も心の変化が大きい者が中心人物として特定できた。クラ イマックスの場面で最も大きな心の変化があった者が中心人物である。この「ごんぎつね」では,こ の定義通りでいくと,どう見ても主役でない兵十が中心人物となってしまうのである。そして主役の はずである,ごんが対人物となってしまうのである。

国語物語教材の教材研究,解釈の本はいくつもあり,「ごんぎつね」も非常に多く扱われているが,

中心人物と対人物の特定とその理由について明確に語られているものはない。「国語物語有名教材の 教材研究と研究授業の組み立て方」(2013学芸みらい社)の中でも,主役はごんであり,対役は兵十 と子どもたちは答えるはずであり,理由を言わせることが大事だと書かれているだけで,その理由に ついては記されていない。F教諭も自分自身,矛盾を感じてしまう教材の捉え方であった。

この教材解釈の問題点は,最も大きな心の変化を,表面だけの読みで捉えてしまっているところで ある。確かに兵十は最後の場面で,栗や松たけを持って来てくれたのがごんだと知る。それも銃で 撃った直後である。愕然とし,衝撃のあまり銃をばたりと取り落としてしまう。この銃を落としてし まうところは,非常に大きな動きであり,最も大きな心の変化と考えられやすい叙述である。では兵 十に比べて,ごんには心の変化がないのだろうか。あるとしたら,どこの場面であり,そしてその変 化は大きくないのかを考えなければならない。

ごんは,自分が行ったいたずらで兵十を傷つけ迷惑をかけたことを知る。しかも兵十の母親が死に,

後悔の念が高まる。兵十は自分と同じひとりぼっちであることが共通の境遇と感じ,ひとりぼっちに してしまったのが自分のいたずらであり,何とか償いをしたいと行動をするのである。栗や松たけを その償いの印として持って行っても,それはごんのおかげということは兵十にはわからない。何とか 知ってほしいと思い,加助との会話まで聞こうとして後をつけるのである。償いを続け,純粋なまで に自分の思いを届けたい気持ちでいっぱいになる。しかし,小屋を訪れたのを見つけられたごんは兵 十に撃たれてしまう。だが固められた栗を見て「ごん,おまいだったのか,いつもくりをくれたのは」

という問いに対して,もう答える気力,体力はほとんど残されていなかった。死にゆく直前にその問 いに対して,やっと「こっくりうなずいて」死んでいくのである。

これは大きな心の変化である。もうすぐ心臓が止まりそうな弱り切った体である時に,自分の償い を兵十が気付いてくれたことを知る。安心感,安堵感,そのうれしさで,最後に力を振り絞ってうな ずいたと読み取れるのである。兵十とは違って,死にゆく弱った体でうなずいた心の内は,それまで 自分のことが理解されていない苦しさ,つらさ,もどかしさに比べて,非常に大きな心の変化である と言ってよい。またそのように読まなければならない。

(10)

この場合の兵十の及ぼす影響は「兵十の心の変化が,ごんの心を大きく変化させた」ことである。

つまりこの「ごんぎつね」では,中心人物の心の変化に及ぼす出来事が,「兵十の心の変化」であり,

「心の変化」が二重構造になっているのである。これがこの教材文の「中心人物と対人物の位置づけ」

の解釈が難しくなってしまう最大の理由である。「中心人物はごんである。ごんは自分の行った行為 が兵十に通じたことで,喜びの心に変わった。それに影響を与えたのが,兵十の心の変化である」こ のように読むと,この物語の構造が明確になる。このような教材解釈を

F

教諭に説明し,それを子 どもたちの対話で明らかにしていく学習の展開を指導した。

5-5 F

教諭の指導実践

F

教諭はこれまで物語の読みでは,いつも中心人物を明らかにし,その心の変化はどういうものか,

それに影響を与えた出来事は何か,それに関わった対人物はだれか」を考えさせていた。その過程を 通して,物語の読みを深めていく授業を展開していったのである。しかし前述のようにこの「ごんぎ つね」だけはその定義通りにはいかない矛盾を感じていたので,私の教材観を聞いて,その教材観に 基づいた指導に意欲を見せた。

子どもたちにこの「ごんぎつね」の中心人物,対人物を問う投げかけをした。その結果は次のよう であった。

① 中心人物は兵十で対人物はごん ……

18

② 中心人物はごんで対人物は兵十 ……

9

③ よくわからない ………

7

①の理由は,「最も大きな心の変化を見せたのは,銃をばたりと取り落とした兵十だから。この場 合,その対人物はごん」というものであった。②の理由は「物語の叙述がほとんどごんのことであ り,題名も『ごんぎつね』であり,どう見ても中心人物はごん。対人物は兵十」というものであった。

③は「物語の中心はごんであると思う。でも最も大きな心の変化がある者が中心人物ということにな ると,兵十になってしまう。よくわからない」という反応であった。

そこで,「最も大きな心の変化がある者が中心人物」という今までの定義をとりあえず置いておき,

「最も記述が多く,物語の中心として描かれているのは誰か」という観点で子どもたちに対話をさせ た。そしてごんの心の変化を考えさせ,その変化に影響を与えた出来事と対人物についてもう一度,

考え直そうと問いかけた。

5-6 子どもたちの変容

「物語の題名が『ごんぎつね』だから,ずっとごんが中心に書かれている」「穴からはい出てきた時 から,最後の死ぬまで,ごんが主役の物語」「例えばこの物語を劇として行うとすると,主役はやは りごんぎつねということになる。兵十ではない」という子どもたちの意見が大きかった。この対話か らは,物語の中心になっているのはごんである。ごんが中心人物という考えに落ち着いた。すると問

(11)

題になるのは,「最も大きな心の変化」である。

そこで「最後の場面では最も心の変化が大きいのが兵十と読み取っていたけれど,ごんはどうだろ う。ごんの心の変化はないだろうか。」「あるとしたらどこが,ごんの心の変化だろう」「その大きさ はどうだろう。兵十よりも心の変化が小さいだろうか。銃で撃たれたごんの体のことも考えながら,

もう一度読んでみよう」という

F

教諭の言葉に,子どもたちは丁寧に叙述を読み直し,友達と対話 を始めた。

そして「この場面では,ごんは死んでいくので,大きな体の動きはできなくて,うなずいただけで もやっとの思いだった。これは実は大きな心の変化だと思う」と言う意見が何人もの子どもから出て きた。それに続いて「自分がやったこと(償い)が理解されなくて,残念な思いをしていたごんだっ たけれど,最後の最後に兵十にわかってもらえて,とてもうれしくほっとしたはず。死にそうな体で うなずいたというのは,兵十の銃を落としたことよりも,もっと大きな心の変化だ」という言葉が子 どもたちから出てきた。この「ごんは,ぐったりと目をつぶったまま,うなずきました。」というわ ずか一文の言葉に,ごんが死んでいく直前の大きな安堵感が表現されていて,最も大きな心の変化だ と言う意見が大多数に変わっていった。ごんの心の変化は兵十以上に大きいものだということを言う 子が多く出てきた。それが今まで読み取れなかったのは,ごんはもうすぐ死にそうな体で,弱り切っ ているんだということが,わかっていたつもりだったけど,心の変化を考える時には弱り切った体の ことが頭になかったということであった。

すると,出来事と対人物は何になるのだろうという課題で,子どもたちは考えを整理して対話を 行った。影響を与えた出来事が,兵十が銃を取り落としたことであり,対人物が兵十という意見に なっていった。だが兵十が銃を取り落としたことを,心の変化と結びつける必要性を

F

教諭は感じ,

「兵十の『心の何か』が一番影響したと考えるとするとどうだろう」という問いをした。「兵十がごん のことを理解したことだ」と言った子がいた。するとみんながこれに賛同した。ここで,F教諭は,

ごんと兵十の絵を黒板に貼り,心の変化を板書していった。

心の変化が物語の読みのキーワードとなっているが,「兵十がごんのことを理解したこと」を「兵 十の心の変化」と言葉にしたことにより,「ごんの心は,『兵十の心の変化』を知って,ほっとし,う れしく変わっていった」と言えるのである。

つまり中心人物はごんであり,最も大きな心の変化に影響を与えた出来事は「兵十の心の変化であ り,対人物は兵十である。兵十が,栗や松たけを見て,「ごん,おまいだったのか,いつもくりをく れたのは。」と問い,銃をばたりと取り落としてしまうところで,兵十が自分を理解してくれたこと,

つまり心の変化が読み取れるのである。

子どもたちにこの「ごんぎつね」の中心人物,対人物を改めて問う投げかけをした。その結果は次 のようであった。

① 中心人物は兵十で対人物はごん ……

0

(12)

② 中心人物はごんで対人物は兵十 ……

30

③ よくわからない ………

4

大多数が「ごんぎつね」での中心人物と対人物との関係を理解した。このように子どもたちは,グ ループでの対話活動を通して,中心人物の心の変化についての考えを整理し,友達の意見を聞きなが ら,改めて一人一人が考えた。そして,兵十は銃を取り落とすという激しく動的な行動の姿があるこ とに対して,ごんの変化は穏やかで静かである。しかし,その心の中を想像すると,大きな変化だと 読み取れるのである。友達と対話をしながら,新たな考えとしてつくり出していった。対話的な学び の成果であると考える。

図2 ごんの心の変化

この授業後の子どもたちの学習感想で主なものは次のような反応である。

「ごんぎつね」では,中心人物と対人物がわからなくなってしまったけれど,今日の対話ですっ きりした。よくわかった。これまで学習してきたことが生かせてうれしい。

ごんの心の変化は,もうすぐ死んでいく体で反応していることを考える必要があることを対話が

あってわかった。

対話をすると自分の考えがふくらんできて,楽しくなってくる。課題について深く考えられるよ

うになる。

それまですっきりしない中心人物と対人物との関係が,F教諭のヒントの投げかけと対話活動にお いて,子どもたちが互いの考えを交流し合って,明らかになっていった。確かな対話的な学びが伝 わってくる質の高い実践であった。

6 まとめ

「モチモチの木」の「豆太が最後には勇気ある子どもに変わったのか,それとも結局は変わらなかっ たのか」,また「ごんぎつね」の「中心人物と対人物は誰か,それはなぜか」これらは子どもたちに 投げかけると,必ず思考が揺さぶられる「問い」である。あらゆる物語は中心人物の心の変化ととら えて,その視点に沿って叙述を深く読むようにしていくと到達点が見つかる。それには教師が徹底し た教材研究を行うことが大前提となる。そして子どもたちに教師が一方的に説明をしていくのではな く,子ども同士の対話的な活動を通して,自ら理解させるようにすることが,これからの「主体的・

対話的で深い学び」の授業となるのである。

(13)

指導に熱心になればなるほど,その物語の世界に浸りきってしまい,その物語の中だけの人物の気 持ちを理解させるような指導になりがちである。大事なのは,その教材を通して付けた力を使って,

次の教材の読みにつなげることである。これが汎用的な力であり,その育成に教師は務めなければな らない。物語教材では「中心人物の心が,何によって,どう変化したか」を正しく読み取り,理解す ることである。そうすると主題を捉えることができるようになる。この力はどの物語教材の読みでも 生かされることになる。これが物語の読みにおける汎用的な力であると考える。

「モチモチの木」や「ごんぎつね」で学習した力が,次の物語教材の読みに生かされること。その 読み取りが対話活動を通して確かな力に変わっていくことが「対話的な学び」である。2つの実践校 の取り組みを通して,「対話的な学び」が物語教材をうわべだけなぞった学びではなく,叙述に沿っ て深く読み取ることができ,汎用的な力を培った学びになったことがわかるのである。

最後に,教師の教材研究と授業づくりについて次のように考えている。教科書で扱う物語教材は,

学校図書館にも備えてあることが多い。子どもたちが図書の時間にこれらの物語を手に取った時に,

短いものは

10

分程度,長いものでも

20

分程度で読み終えることができる。そのくらいの時間で子ど もたちは一通りの読みをするのである。

しかし授業では一つの教材について何時間もの時間をかけて計画をしていく。子どもの自由な読み だと数十分で読み終わるような物語を,授業でそれだけの時間をかけることにはどういう意味がある のだろうか。それは教師が介在して,子どもが自分の読みだけでは決して到達し得ない読みにまで,

高め,深めることである。自分一人の読みでは通り過ぎてしまうようなことを,教師の問いで思考が 揺さぶられ,友達との対話で自分の考えに深まりが出て来ることである。自分の考えが整理されてい き,新たな考えにたどり着くような学習過程そのものが,学級で友だちとともに物語を読む意味と なる。

そのためには,教師が教材研究に真剣に取り組まなければならない。子ども以上に教材文を読み込 み,子どもたちに何を考えさせたいかを明確にした教師の考えを確立させなければならない。「主体 的・対話的で深い学び」を実現させるためには,これまでよりもより一層,教師の深い教材研究が大 事になる。教師の明確な指導性が求められてくる。

教師の深い教材研究,物語の読みにおける汎用力の育成,対話的な学びの展開,これらが結びつい て,学習指導要領の趣旨に即した確かな学びを育てる授業となる。この実践報告が,これからの教師 の教材研究の向き合い方,「対話的な学び」の指導方法についての参考になればと考える。

【参考文献】

野口芳弘「子どもは授業で鍛える」(2005明治図書)

田中耕治「よくわかる授業論」(2007ミネルヴァ書房)

白石範孝「国語授業のつくり方」(2009東洋館出版)

白石範孝「国語授業を変える用語」(2013文渓堂)

向山洋一「国語有名物語教材の教材研究と研究授業の組み立て方」(2013学芸みらい社)

(14)

田村学「アクティブラーニングで目指す対話的な学びとは何か」(2016「月刊教職研究9月号」教育開発研究所)

田中博之「アクティブラーニングの実践の手引き」(2016教育開発研究所)

水戸部修治「新学習指導要領の展開」(2017明治図書)

白石範孝「汎用的な力をめざす! 対話的で深い学びの授業のつくり方」(2017学事出版)

全国国語授業研究会「国語授業における深い学びを考える」(2017東洋館出版)

阿部昇他「国語の授業で主体的・対話的で深い学ぶを実現する」(2017学文社)

青木伸生「フレームリーディングで文学の授業づくり」(2017明治図書)

遠藤真司「小学校国語教材の読み方〜文学と説明文の違いから」(2017開智国際大学研究紀要第17号)

遠藤真司 他編著「小学校国語科授業づくりガイドブック」(2018明治図書)

遠藤真司「国語科物語教材における新たな価値を見出す教材研究」(2018開智国際大学研究紀要第18号)

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