近代職業教育訓練の光と陰一徒弟制度の衰額と労働保護立法の端緒-2 現場産業技術の指導と中等職業教育振興 (1)農商務省の施策 産業振興の面から農商務省は「巡回教師」を各地に 派遣し,近代産業技術と知識を身につけた職工の養成 を提案していた。また, 「勧工列品所」の設置も社会 教育的な職業教育の機関として構想されていた。学術 研究と生産活動の現場の距離を縮めるために,同所に 専門の技術者を配置するほか,工業の専門家も招碑 し,適切な講話を開催し,工場経営者,職工の啓発を 行うフランスの制度を参考にしたものであった(前田 正名『興業意見』 1884年)。 工部省が殖産興業政策のもと官営企業中心主義,外 来の近代工業主義であったのに対し,農商務省は民間 企業中心主義,伝統産業主義の見地から在地の民間企 業の指導に力を入れていた。これは職業教育の振興施 策の面においても,高等教育段階でのそれと,中等教 育段階でのものとに重点が分かれることになる。この 時期の農商務省による民間産業の現場での指導は,中 等段階での職業教育振興の基礎となった(斎藤182 頁)。 (2)平賀義美の工業中学 イギリスのマンチェスターに留学し最新の科学技術 を学んで1881年に帰国した平賀義美は,新設の東京 職工学校の教師となるが,第1回の同校卒業生は就職 口が皆無であったこともあり,技術者養成よりも現場 産業の指導が先決であると考え,在職のまま農商務省 技師となり現場産業指導の第一線に立つことになっ た。農商務省技官の多くは民間の産業技術の指導を任 務とした新しタイプの技術者達であった。平賀自身も イギリス留学の際には大学で学術研究の指導を受ける かたわら,民間工場に職工として入り工業の実際に通 暁していた。 平賀はイギリスに留学し染色学を研究するかたわ ら,染色技術習得のために職工として民間会社で就労 した。その経験を通じて労働における学術的基礎の重 要性を認識し,工業振興をはかるためには「工業中 学」を各地に設立することがもっとも効果的であると 論じた。この場合,ヨーロッパのように理論と技術の 教授だけでは足りず学校内に実習施設を設けることの 61 必要性を指摘した(平賀義美『日本工業教育論』 1887 午)。 (3)ワグネルの織物工業学校 お雇い外国人であるドイツ人ワグネル(Gottkied Wagner1831-1892)は,当時の産業の中心であった 織物業を確立し,その発展を助長する方策として理論 的および実際的教育を施す「織物工業学校」の必要性 を説き,その設置を勧奨する意見書を1888年に農商 務大臣の榎本武揚に提出した。その中で,織物工業の 機械化が遅れていることを指摘するとともに,科学的 原理にもとづいた設備の構成と,その操業が求められ るとしている。その科学原理に関する知識を授け,そ れを応用する修練を積むことのできる機関として「織 物工業学校」の設置を勧奨している。この学校では職 工だけでなく商人も対象とし,職工の場合は経験者に 限定している。学校には最新の外国製機械を導入し, 生産の全工程を生徒に教授できるオールラウンドの教 育を提案している(ワグネル「織物工業学校意見書」 1888年)。 3 ヨーロッパ職工教育の実情 イギリスのビクトリア女王は1881年に王立技術教
育委員会(Royal Commission on Technical Instruction)