柳詩注訳(其十四)
著者 小池 一郎
雑誌名 GR‑同志社大学グローバル地域文化学会紀要
号 1
ページ 155‑189
発行年 2013‑10‑25
権利 同志社大学グローバル地域文化学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013318
柳 詩 注 訳 (其十四)
小 池 一 郎
まえがき
このたび本誌創刊号に、『言語文化』(同志社大学言語文化学会)に十三回に わたって連載してきた「柳詩注訳」を引き続き掲載するに当たって、以下に
「柳詩注訳(其一)」(『言語文化』第8巻2号、2005年12月)の「まえがき」を再 録する。
柳宗元は、中唐大暦八年(773)長安郊外で、下級官僚の長子として生ま れた。字は子厚。貞元九年(793)二十一歳の時に進士の試験に合格し、服 喪の期間の後、官界に入った。以後改革派官僚のグループに属したが、貞元 二十一年(805)三十三歳の時に政変に遭遇し、南方永州(現湖南省)の地に 左遷された。以後当地で、閑職である司馬(州副知事)の身分で十年間を過 ごした。元和十年(815)には一度都に呼び戻されたものの、宗元の期待に 反して、さらに遠地の柳州(現広西壮族自治区)に、ただし今度は刺史(州知事)
として赴任することとなった。柳州では、その地位を利用して政治改革に取 り組くみ、その成果は今なお高く評価されている。赴任後四年にして、元和 十四年(819)現地で病没した。没後、友人の劉禹錫がその詩文を編集して「河 東先生集三十巻」を世に出した。(河東は宗元の本籍地―小池補)
柳宗元は、唐宋八大家の一人として名高く、その古文が世によく読まれて いる。一方、彼は詩人としても中唐において傑出した存在であった。小川環 樹はその著『唐詩概説』(中国詩人選集別巻、岩波書店、昭和三十三年)で次の ように述べている。
「私は元和期の詩人として名の高い韓(愈)・白(居易)二人にくらべても、
柳宗元の到達した境地はいっそう深く、つきつめた鋭さにおいて、二人に
『GR―同志社大学グローバル地域文化学会 紀要―』1, 2013, 155−189頁.
同志社大学グローバル地域文化学会 ©小池一郎
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まさるであろうと思う。」(72・73頁)
しかしながら、柳宗元の詩については、幾つかのよく読まれている作品を除 いては、従来必ずしもその全体像が明らかにされてはいなかった。
私は今回、いままで折りに触れ読んできた柳宗元の詩を、できるだけ正確 に読み解くことを目ざして、その一部の注釈と現代語訳を作ることにした。
この仕事を今後さらに継続できれば幸いである。
唐詩は一般に典拠を十分に理解して鑑賞する必要がある。柳宗元の詩を読 む際には特にそのことが重要であると言えよう。そこで私は、まず注釈で典 拠について説明を尽くして、その後で、現代語訳を付すことにした。「訳注」
ではなく、ことさら「注訳」とした所以である。典拠の全てを現代語訳に盛 り込むのは、ほとんど不可能である。読者諸氏にはまず注釈を読まれて、典 拠や語法についてのだいたいの見当をつけられた上で、訳文を見ていただく ようにお願いしたい。 (以上、「柳詩注訳(其一)」まえがきの再録)
今回読解する「巽公院五詠」五首は、柳宗元の仏教思想を理解する上で、
また、彼の詩作と仏教との関係を問う上で、極めて重要な連作であるにも関 わらず、日本では、『柳文抄』に各詩に対する若干の評釈が加えられている のと、最近下定雅弘が詩一首に訳注を施したのを除いて、ほとんど読解がな されて来なかったものである。
目 次
46~50 巽公院五詠 ………158頁 46 淨土堂 (巽公院五詠 其一)………159頁 47 曲講堂 (巽公院五詠 其二)………166頁 48 禪堂 (巽公院五詠 其三)………171頁 49 芙蓉亭 (巽公院五詠 其四)………177頁 50 苦竹橋 (巽公院五詠 其五)………182頁
凡 例
1.本注訳に当たっては、「新刊増廣百家詳補註 唐柳先生文」(拠北京図書 館蔵宋蜀刻本影印、上海古籍出版社、
1994年)
を底本(百家注本)とする。なお、同刊本を底本とする校点本『柳宗元集』(中華書局、1979年。以下「柳集」と
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略記する)を参照した。2.本文の校定に当たっては、次の諸本を校勘に用いた。
(1)「重校添注音辯唐柳先生文集」(鄭定本)南宋嘉定年間刊本。台湾国立 中央図書館蔵本。
(2)「世綵堂本河東先生集」(世綵堂本)南宋末年、廖りょう瑩えい中ちゅう刻。1923年蝉せん隠いん 廬ろ影印本。
(3)「増廣注釋音辯唐柳先生集」(音辯本)南宋刻本佚、四部叢刊元刻麻沙 本による。金沢文庫旧蔵本(正和元年1312、現蓬左文庫所蔵、蓬左本)お よび内閣文庫蔵二十巻本(明刊、二十巻本)をも参照する。
(4)「新刊詁訓唐柳先生文集」(詁訓本)南宋刻本佚、文淵閣四庫全書本に よる。文津閣四庫全書本をも参照する。
(5)「明刻蔣之翹輯注本柳河東集」(蒋しょう之しぎょう翹本)
a四部備要本、b和刻韓柳全集本(鵜飼石斎訓点)。
(6)「新刊五百家註音辯唐柳先生文集」(五百家注本)内閣文庫蔵林羅山手 沢本、嘉慶元年1387。
(7)「全唐詩」中華書局点校本、1960年。
(8)「全唐詩稿本」(稿本)清の銭謙益・季振宜遞輯。屈万里・劉兆祐主編。
聯経出版事業公司、1979年。
3.押韻は周祖謨著『広韻校本』(中華書局、1960年)による。この書は「張 士俊沢存堂本広韻」(張氏重刊宋本)を底本にしている。
4.注訳に当たっては、多くの注釈書、研究書および関連文献を参考にして いるが、今回は本稿末尾に一括して示した注釈書以外は、文中で引用した 時にその旨記すに止める。後日、まとめて参考文献を提示したい。
5.検索に当たっては、既存の各種索引の他、電子情報機器による検索も利 用した。
6.注訳に際しては、原文、訓読、押韻・詩形、校定、注釈、訳の順に記す。
原文のみ繁体字(旧漢字)を使用し、その他の部分は常用漢字を用いている。
訓読は石斎訓点を尊重したが、私の考えで読みを改めた所も少なくない。
注釈での引用文は訓読文で示し、各々出処を明示した。訓読は現代仮名遣 いによる。
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7.今回は『柳宗元集』巻四十三の第46首〜第50首、仏教に関する連作全5 首を読解する。
46 ~ 50 巽公院五詠 (巽
そんこう公の院の五詠)
【題注】
柳宗元以前の題詠連作詩に、梁の沈しんやく約の「八詠」詩(『玉台新詠』巻九にそ のうち二首を載せる)、杜甫の「江頭四詠」詩(『全唐詩』巻二百二十七)、劉長 卿の「龍門八詠」詩(『全唐詩』巻一百四十八)がある。
百家注に「(韓曰く)巽公は重巽なり。永州の龍興寺に居れり。集に『巽上 人の中丞叔父の召きに赴くを送る序』(柳集巻二十五)有り。(補注)曾そう吉甫の『筆 墨閒録』に云わく、退之(韓愈)の『虢かくしゅう州三堂の二十一詠』(『全唐詩』巻 三百四十三)、(柳)子厚の『巽公の院の五詠』、韻を取ること各おの精切にして、
復た縱ほしいまま肆にして作るに非ず。其の題に随いてこれを観るに、其の工たくみなるこ
と知る可きなり」。柳詩に「巽上人以竹間自採新茶見贈酬之以詩」(巽上人竹 間に自ら新茶を採りて贈らるを以て之れに酬ゆるに詩を以てす)がある(柳集巻 四十二)。
柳宗元の「永州龍興寺にて浄土院を修する記」(柳集巻二十八)に以下のよ うに言う。
「晋の時に廬ろ ざ ん山の(慧え)遠おん法師、『念仏三昧の詠』(『広こうぐみょう弘明集』巻三十上に 慧遠の「念仏三昧詩集序」がある)を作りて、大いに時に勧めたり。其の後 天台(智ち)顗ぎ大師「浄土の十疑を釈する論」(『大正新脩大蔵経』第四十七冊
No.1961「浄土十疑論」)
を著わして、弘く其の教を宣べたり。永州の龍興寺にて、前の刺史李承しょうしつ晊及び僧法林、浄土堂を寺の東偏に置 いて、常に斯この事を奉りたり。今に逮およぶこと二十年に余り、廉れんぐう隅(角っこ)
毀こぼ
ち頓やぶれ、図像崩れ墜つ。会たまたま巽上人其の宇のきの下に居して、始めて復た 理おさ
めり。
信士の図えがいて仏像を為つくるもの有り、法ほっそう相甚だ具えたり。今の刺史馮ふう公は 大門を作りて以て其の位を表す。予われ遂に四阿を周延し、環めぐらすに廊ろ う ぶ廡(回 廊)を以てして、二大士の像を絵えがき、絵は幢とうはん幡(仏堂の旗)を蓋おおいて、以 てこれを成就したり。
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遂に『天台十疑論』を以て牆しょうう宇(壁と軒)に書して、観る者をして信を 起こさ使む。」王昶ちょうの『金石萃編』巻一百五に「永州刺史馮叙及び柳宗元、柳宗直等華厳 岩題名、元和元年(806)三月八日」とある(王国安引)。
洪淑苓は「五詠の詩は当に浄土院修竣の初めに作りたるべし、元和一、二 年の間に当たる」という。
以下に参考のために、この時期前後の永州刺史の任官表を記す。
・徳宗興元年間(784)李承晊、浄土堂を建てる(二十余年前)
・憲宗元和元年(806)正月、韋某(「代韋中丞賀元和大赦表」柳集巻三十七)
・元和元年三月、馮叙「今刺史馮公、大門を作る」(金石萃編)
重巽上人、元和元年・二年(807)浄土堂を重修する ・元和三年(808)、崔敏(君敏)
元和五年九月卒「唐故朝散大夫永州刺史崔公墓誌」(柳集巻九)
「崔君敏を祭る文」(柳集巻四十)に「令に出でて三歳」
46 淨土堂 (浄
じょうどどう土堂)
【原文と訓読】
01 結習自無始 結けつじゅう習 無始自よりす 02 淪溺窮苦源 淪りんでき溺 苦源を窮む
03 流形及茲世 形を流しきて 茲この世に及び 04 始悟三空門 始めて悟る 三さんくう空の門を 05 華堂開淨域 華堂 浄じょういき域を開き 06 圖像煥且繁 図像 煥かがやきて且つ繁し 07 清冷焚衆香 清せいれい冷として 衆香を焚たき 08 微妙歌法言 微びみょう妙 法ほうげん言を歌う 09 稽首媿導師 稽けいしゅ首して 導師に媿はず 10 超遙謝塵昏 超ちょうよう遥として 塵じん昏こんを謝さる
【押韻・詩形】
「源・繁・言」上平二十二元の韻、「門・昏」上平二十三魂の韻。元魂同用。五 言古詩。
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【校定】
02「淪溺」…鄭本、世綵堂本、義門読書記は「一に論極に作る」と注す。05
「華堂」…鄭本、世綵堂本、義門読書記は「一に龍華に作る」と注す。07「冷」
…鄭本、詁訓本、音辯本、世綵堂本、二十巻本および全唐詩は「泠」に作る。
08「微」…百家注本は「徽」に作る。いま、各本「微」に作るのに従う。09
「媿」…詁訓本、稿本、全唐詩は「愧」に、二十巻本は「魏」に作る。
【注釈】
詩題「淨土堂」
蒋之翹本注に「釈典に仏土は浄土と名づく、清浄自然にして、一切の雑穢 無し」。王国安「今、元和二年の秋に繋す」。
01「結習自無始」
〇「結習」…煩悩。五官の欲望。後秦の三蔵鳩く ま ら じ ゅ う
摩羅什訳『維ゆ い ま き つ摩詰所説経』(『大 正新脩大蔵経』第十四冊No.475。以下『維摩経』と略す)巻中「観かんしゅじょうぼん衆生品」に「時 に維摩詰の室に一天女有り、諸大人の所説の法を聞くを見て、便ち其の身を 現わし、即ちに天華を以て諸菩薩大弟子の上に散じたり。華はなは諸菩薩に至れ ば、即ちに皆堕ち落つるも、大弟子に至りては便ち著ちゃく(着)して堕ちず。(中 略)観るに諸菩薩の華の著せざるは者、已に一切の分別想を断ちし故なり。
譬た如とえば人の時を畏るるは、人其の便(利益)を得るに非ざればなり。是の 如く弟子は生死を畏るるが故に、色、声、香、味、触其の便を得るなり。已 に畏るるを離れたる者は、一切の五欲為なす能あたうこと無きなり。結けつじゅう習未だ尽き ざれば、華はな身に著するのみ。結習尽くる者は、華著せざるなり」とある。沈 約の「内典序」に「結習は紛ふんりん綸として、一に理に随いて悟る」(『広弘明集』
巻十九)、また李白の「崔さい相に 上たてまつる百憂の章(時に潯じんよう陽の獄に在り)」詩に
「万ばんぷん憤結習、憂いは中なか従より催す」(『全唐詩』巻一百八十三)とみえる。〇「無始」
…この世の始まる前。沈約の「懺ざ ん げ悔文」に「弟子沈約は稽首して諸仏衆聖に 白もう
し上る。約は今こんじょう生の已い ぜ ん前自より、無始に至るまで、罪ざいごう業は参し ん し差にして、固もとよ り詞象(言語と数字)の筭かぞうる所には非ず」(『広弘明集』巻二十八下)とみえる。
隋の智顗の「浄土十疑論」の第八疑に「衆生は無始已来、無量の業を造れり」
とある。陳ち ん す ご う子昂の「感遇詩」三十八首その七には「茫茫として吾何をか思う、
林に臥して無始を観る」(『全唐詩』巻八十三)と詠っている。
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02「淪溺窮苦源」〇「淪溺」…沈みおぼれる。晋の葛かつこう洪の『抱朴子』内篇明本に「精神の淵を 渉わた
れば、則ち淪溺して而して自みずから失うなり」とある。智顗の「浄土十疑論」
第十疑に「我今無力にして、悪世に在るが若し、煩悩は境強く、自ら業の縛 るところと為なる。三さ ん ず塗(三途)に淪溺して、劫数を動経し、此の如く輪転して、
無始已来、未だ曾て休息せず、何いつの時か能く苦しみより衆生を救い得る」と みえる。〇「苦源」…晋の三蔵竺じ く ほ う ご法護訳の『普ふようきょう曜経』(『大正新脩大蔵経』第三 冊No.186)巻七「梵天勧助説法品」に「我最も十方第一に、魔兵を降伏して 衆苦源を尽くし、仏樹の下に在るを尊ぶと為す」とみえる。
03「流形及茲世」
〇「流形」…形を現す。『周易』乾け ん か卦に「彖たん曰く、大いなるかな乾元や。万 物資とりて始め、乃ち天を統べ、雲行き雨施して、品物形を流しく」とあり、
孔く よ う だ つ頴達の疏に「言うこころは、乾は能よく天の徳を用て、雲気をして流行せ使し め、雨沢施し布しく。故に品類の物、流布して形を成す」という。晋の郭かくはく璞の
「江賦」(『文選』巻十二)には「神使の羅を嬰まとうを愍あわれみ、大塊の形を流しくを煥あきら かにす」とみえる。この一句の解に当たっては、柳宗元が「李吉甫相公の手 札を示さるるに謝する啓」で「形を流き骨を委ねて、永えに魑ち魅みの群に淪しずむ」
(柳集巻三十六)と述べているのを考慮すべきであろう。〇「茲世」…隋の
李り が く諤の「上書して文体を正さんとす」文に「先王の令典を択び、大道を茲この
世に行う」(『隋書』李諤伝。『文苑英華』巻六百七十九は「隋の高祖に上りて文華を 革あらた
めんとする書」に作る)とある。
04「始悟三空門」
〇「始悟」…沈し ん せ ん き佺期の「驩かんしゅう州(現ベトナム中部)の南亭にて夜望む」詩に「昨 夜南亭にて望み、分明(はっきりと)洛中を夢む。室家誰か別れを道いわん、
児女案んずること嘗つねに同じ。忽ち覚むれば猶お是れを言うがごとし、沈思し て始めて空しきを悟る。肝腸余ること幾寸ぞ、涙を拭いて春風に坐す」(『全 唐詩』巻九十六)とみえる。〇「三空」…仏教の「空」「無む そ う相」「無む作さ」(すべ て空であり、実体がなく、作為を離れている)をいう。陳の江総の「攝せつさん山の栖せ い か霞 寺に遊ぶ」詩に「三空豁かつとして已に悟り、万有一に何ぞ小さき」(『広弘明集』
巻三十上。『文苑英華』巻二百三十三は「栖霞寺に遊べば新たに雨ふる」詩に作る)
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とある。駱らくひんのう賓王の「王記室の趙王に従いて春日陀た ざ ん山寺に遊ぶに和す」詩に「四 禅(定)は明らかにして業を静め、三空(門)は広くして因に勝つ」(『全唐詩』
巻七十九)とある。〇「三空門」…龍りゅうじゅ樹著、鳩摩羅什訳『大智度論』(『大正新 脩大蔵経』第二十五冊No.1509)巻二十「釈初品中三三昧義」【経】に「空三昧、
無相三昧、無作三昧」とあり、その【論】に「涅槃城に三門有り、所いわゆる謂空、
無相、無作なり」という。
05「華堂開淨域」
〇「華堂」…ここでは寺院をいう。蘇そ か ん渙(嘗て杜甫を江浦に訪ねた)の「零陵 の僧に贈る」詩に「今日華堂看ること灑しゃらく落にして、四座喧呼して佳作を歎ず」
(『全唐詩』巻二百五十五)とみえる。〇「淨域」…神聖な区域。梁の簡文帝の「神 山寺碑」に「荘そうごん厳の妙みょうど土、吉祥の福地に非ざる自よりは、何をか以て茲この浄域 を標しるさん。此の伽が ら ん藍を置く」(『芸文類聚』巻七十六)とある。李りきょう嶠(則天武后 の時の人)の「沙門弘景・道俊・玄奘の荊州に還るを送る応制」詩に「三乗は 浄域に帰り、万騎は通荘(大通り)に餞(別)す」(『全唐詩』巻五十八)とみえ る。
06「圖像煥且繁」
〇「圖像」…『三国志』魏書臧ぞうこう洪伝に「身は図象に著わし、名は後世に垂る」
とある。後漢の牟ぼ う し子の『理惑論』に「(漢の明帝)南宮の清涼台及び開陽城の 門上に仏像を作り、明帝存する時に、預あらかじめ寿陵を修造し、陵は顕節と曰い、
亦その上に仏の図像を作る」(『弘明集』巻一)と記す。晋の孫そんしゃく綽の「天台山 に遊ぶ賦」(『文選』巻十一)の序に「然れども図像の興おこるや、豈に虚なるや。
夫れ世を遺すて道を翫がんずるに非ざれば、粒を絶ち芝を茹くらう者、烏いずくんぞ能く軽 挙して而してこれを宅とせん」とある。〇「煥且繁」…沈約の「内典序」(『広 弘明集』巻十九)に「聖迹は彪ひょうへい炳として、日は閻え ん ぶ浮(この世)に煥かがやき、神光は 陸離として、星は浄じょうさつ刹に繁しげし」を踏まえるか。杜甫の「木皮嶺」(嶺は同谷に 在り、河池二県の間なり。黄巣乱せしとき、王鐸関を此に置けり、路極めて険阻なり)
詩に「西崖は特に秀発にして、煥くこと霊芝の繁きが若し」(『全唐詩』巻 二百十八)とある。
07「清冷焚衆香」
〇「清冷」…梁・江淹の「罪を江南に待ち、北に帰らんことを思う」賦に「雲
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は清冷として而して緒多く、風は蕭条として而して端無し」(『芸文類聚』巻 二十七)と詠う。陳ち ん す ご う子昂の「春夜に友人と別る」詩二首その二に「清冷とし て花露満ち、滴てきれき瀝として檐え ん う宇虚し」(『全唐詩』巻八十四)とみえる。次に「清 泠」の例を挙げる。後漢の嵇けいこう康の「高士伝」に「許由は悵ちょうぜん然として自得せず。乃ち清泠の水に遇いて、その耳を洗い、その目を拭う」(『芸文類聚』巻
三十六)、唐の慧え り ん琳の『一切経音義』巻十八に「清泠、顧野王曰く、泠然と
して解寤する意なりと。経(典)氷に従うは非なり」と注す。『楚辞』東方 朔の「七諫」怨世に「清泠泠として而して殲滅す」とあり、後漢・王逸注に「清 泠泠は、以て潔白に喩う」という。晋の張協の「七命」(『文選』巻三十五)に は「天は清泠にして霞無く、野は曠朗として塵無し」、また宋玉の「風賦」(『文 選』巻十三)には「清清泠泠として、病を愈なおし酲わるよいを析とく」とあり、李善注に「清 涼の貌なり。析は解くなり」という。柳詩注訳(其十一)33「茅ぼうえん檐の下に始 めて竹を栽うう」詩の第19・20句に「清泠として濃露を集め、枕ちんたん簟は淒たるこ と已に知る」(柳集巻四十三)とあった。その「清泠」の注参照のこと。〇「焚 香」…宋之問の「衡陽自より韶しょう州に至りて能禅師に謁えつす」詩に「慮りを洗いて 空寂に賓したがい、香を焚いて精誓を結ぶ」(『全唐詩』巻五十一)と詠う。〇「衆香」
…前漢の司馬相如の「上林賦」(『文選』巻八)に「郁い く い く ひ ひ
郁菲菲として、衆香発 越す」とある。孫綽の「天台山に遊ぶ賦」(『文選』巻十一)に「法ほ う こ ろ う鼓琅とし て以て響きを振い、衆香馥ふくとして以て煙を揚ぐ」とあり、李善注に「法華経 に曰く、衆おおくの名香を燒く」という。『維摩経』巻下「香積仏品」に「その 界は一切皆香を以て楼閣を作り、香地を経行すれば、苑園は皆香る。菩薩飲 食すれば則ち皆衆香し、其の香は無量世界を周流す」とみえる。綦き ぼ せ ん毋潜(開 元十四年進士)の「霊隠寺の山頂の禅院に題す」詩に「空を観して静室掩い、
行道衆香焚く」(『全唐詩』巻一百三十五)と詠う。
08「微妙歌法言」
〇「微妙」…この上なく美しい声、音楽。語は『老子』第十五章に「古の善 く士為たる者は、微妙玄通、深くして識しる可からず」とみえる。前漢の王おうほう襃の
「洞どうしょう簫賦」(『文選』巻十七)では「其の妙声は、則ち清静にして厭えんえいたり」と あり、李善注に「声の微妙なるなり。厭は安静の貌。えいは深しんすい邃なり。音は翳」
と記す。魏の文帝曹丕の「善ぜんさい哉行」二首その二(『楽府詩集』巻三十六)には「哀
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弦微妙なり。清気は芳かおりを含む」とみえる。呉の支謙訳の『法句経』(『大正 新脩大蔵経』第四冊No.210)巻上「惟念品」には「常に当に微妙を聴き、自ら 其の意を覚悟すべし」、また梁の釈慧え こ う皎の「経師」論には「経言は微妙なる 音歌を以て仏徳を歎ず」(慧皎編『高僧伝』巻十三)とある。崔さいしょ曙(開元二十六 年738進士)の「大通和尚の塔に宿りて、敬いて如上人に贈り、兼ねて常孫二 山人に呈しめす」詩に「一たび微妙の法を承けて、清浄の土に寓宿す」(『全唐詩』
巻一百五十五)と詠んでいる。〇「歌法言」…支謙訳『法句経』巻下「忿怒品」
に「口に悪言を除き、誦して法言を習う。常に守りて心を慎しみ、以て瞋し ん い恚 より護る」とある。宋・謝霊運の「曇どんりゅう隆法師の誄るい」序に「芝しじゅつ朮を茹くらいて餌じを 共にし、法言を披ひらいて巻を同ともにする者こと、再び寒暑を歴へたり」(『広弘明集』巻 二十三)、また慧皎の「高僧伝序」に「法言を歌誦すれば、則ち幽顕慶びを 含む」とみえる。
09「稽首媿導師」
〇「稽首」…頭を地に着けてお辞儀をする。『詩経』大雅江漢に「虎(召の穆 公)拜稽首す、天子万年」とあり、鄭箋に「拜して稽首すとは、王命策書を 受くるなり。臣は恩を受けて以て報謝す可き者無し、稱えて君が寿をして考なが から使しめよと言うのみ」とある。『荀子』大略には「平衡するを拜と曰い、
下衡するを稽首と曰い、地に至るを稽けいそう顙と曰う」とある。沈約の「懺悔文」
に「弟子沈約は稽首して諸仏衆聖に白し上る。約今生の已前自より、無始に至 るまで、罪業は参差にして、固より詞象の筭かぞうる所に非ず」(『広弘明集』巻 二十八下)とある(本稿01「無始」の注に既出)。李白の「泰山に遊ぶ」詩六首 その一に「稽首して再びこれに拜し、自ら仙才に非ざるを愧ず。曠然たる小 宇宙、世を棄つること何ぞ悠たる哉かな」(『全唐詩』巻一百七十九)と詠っている。
〇「導師」…斉の天竺三藏求ぐ那な毘ひ地じ訳『百喩経』(『大正新脩大蔵経』第四冊
No.209)
巻一「商主を殺して天を祀まつる喩え」に「法ほっかい海に入りてその珍宝を取らんと欲すれば、当に善法行を修めて以て導師と為なすべし」とある。王維の
「璿えい上人に謁えつす」詩に「夙つとに大導師に承け、香を焚いて此に瞻せんぎょう仰す」(『全唐詩』
巻一百二十五)とみえる。
10「超遙謝塵昏」
〇「超遙」…阮籍の「清思賦」に「超遥茫渺として、其の在る所を究むるこ
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と能わず」(『阮嗣宗集』巻上)とある。宋の顔延之の「秋胡詩」(『文選』巻 二十一)に「超遥として行人遠く、宛転として年は運り徂ゆく」とあり、李善 注に『楚辞』「九辯」その二の「超として逍遥として今焉いずくにか薄とまる」を引く。高適の「群公の中山寺に題すに同ず」詩に「超遥として巘けんがく崿を尽くし、逼ひっそく側 として嶇く き ん嶔に仍よる。吾世事を休やめんと欲す、焉ここに於いて聊か自ら任ぜん」(『全 唐詩』巻二百十二)と詠う。〇「謝塵昏」…柳詩注訳(其一)1「法華寺の石 門精舍三十韻」の第41・42句に「躯を潜めて韁きょうさ鎖に委ね、高歩して塵じんおう坱(埃)
を謝る」(柳集巻四十三)とあった。〇「塵昏」…晋の左思の「呉都賦」に「紅 塵昼昏くらし」(『文選』巻五)、梁の簡文帝綱の「金きんしゅん錞賦」に「野は曠くして塵は 昏く、星は流れて電は掣はやし」(『文苑英華』巻七十一)とみえる。韋応物の「慈 恩伽藍清会」詩に「蔬食して道侶に遵い、懐を泊はくにして滞想を遺すつ。何ぞ彼 の塵昏の人、区区として天壌に在る」(『全唐詩』巻一百八十六)と詠っている。
孫月峯評点『唐柳先生集』(明刊)は「(巽公院五詠)五作倶に禅理に就きて 最精妙を発揮す。句句題に切にして、更に移い え き易するも動ぜず。詩は最も議論 を忌み、最も説理を忌む。此れ乃ち全て是れ議論にして、全て理を説くも、
却かえ
って円妙致す有り、腐せず俗せず。真に是れ高手なり」と評す。
【訳】
46 淨土堂 01 煩悩は、始りもない古くからのもの。
02 五官に溺れて、苦しみの源を窮め尽くした。
03 この世(永州)に身を寄せるに及んで、
04 始めて空、無相、無作の三空門を知らされた。
05 華やかな仏堂が清らかな空間を開き、
06 高士達のきらびやかな図像が勢い盛んに列ぶ。
07 あちこちから、涼やかな香の薫りがして、
08 妙なる歌声が、仏の教えを歌い上げている。
09 頭を垂れて、導師に恥じ入るばかりだ。
10 遥か彼方に、世俗の暗愚を遠ざけられている。
166
47 曲講堂 (曲
きょくこうどう講堂)
【原文と訓読】
01 寂滅本非斷 寂じゃくめつ滅 本と断つに非ず 02 文字安可離 文も ん じ字 安いずくんぞ離る可き 03 曲堂何爲設 曲堂 何な ん す為れぞ設くる 04 高士方在斯 高士 方まさに斯ここに在り 05 聖默寄言宣 聖せいもく黙 言げんせん宣を寄す 06 分別乃無知 分ふんべつ別 乃すなわち無知 07 趣中卽空假 中ちゅうに趣おもむくは 即すなわち空く う か仮 08 名相與誰期 名めいそう相 誰たれと与ともにか期せん 09 願言絕聞得 願おもいて言ここに 聞ぶんとく得を絶ち 10 忘意聊思惟 意を忘れて 聊いささか思し ゆ い惟せん
【押韻・詩形】
「離・斯・知」上平五支の韻、「期」上平七之の韻、「惟」上平六脂の韻。支 脂之同用。五言古詩。
【校定】
01「非」…文津閣詁訓本は「無」に作る。06「別」…羅山本は「明」に作り、
欄外注に「明は一に別に作る」とある。08「與誰」…鄭本に「重校は誰與に 作る」と注す。詁訓本、世綵堂本は「誰與」に作る。10「惟」…詁訓本は「維」
に作る。
【注釈】
詩題「曲講堂」
〇「講堂」…謝霊運の「山居賦」に「北阜ふに倚よりて、講堂を築き、危峯に傍そ いて、禅室を立つ」(『宋書』謝霊運伝)とある。また『南史』宋武帝紀に「嘗 て京けいこう口の竹林寺に游あそび、独り講堂の前に臥せば、上に五色の龍章有りき」と みえる。
洪淑苓は「曲は詳さに委曲(始末)を尽す意」と述べている。北宋の戒環
『法華経要解』(『新纂大日本続蔵経』第三十冊No.602)巻三の三に「疑惑の衆の 為ため
に曲つぶさに講ずる(曲講)なり」とみえる。
01「寂滅本非斷」
167
〇「寂滅」…『無量寿経』巻上に「誠に諦ていすること虚ならず、超えて世間を 出で、深く寂じゃくめつ滅を楽ねがう」とある。梁の劉りゅうきょう勰の「滅惑論」には「寂滅無心にし て、而して玄智弥いよいよ照らす」(『弘明集』巻八)とみえる。智顗の「天台智 者大師発願文」(『新纂大日本続蔵経』第五十五冊No.913)に「一切の諸法は、本 来寂滅たり」という。唐詩では、陳子昂の「感遇」詩三十八首その八に
「空くうしき色は皆寂滅たり、業ごうに縁よりて定めて何をか成さん」(『全唐詩』巻八十三)
と詠う。
02「文字安可離」
〇「文字」…後漢・許慎の『説文解字』敘に「蓋し類に依より形を象かたどる、故 にこれを文と謂う。其の後形けいせい声相益ます、即ちこれを字と謂う」と述べる。司 馬遷の『史記』秦始皇本紀に「法度衡石丈じょうしゃく尺を一にし、車は軌を同じくし、
書は文字を同じくす」とある。『維摩経』巻中「入不二法門品」に「文殊師利、
維摩詰に問うに、我等各自説くのみ。仁者当に説くべし。何等是れ菩薩不二 の法門に入るぞと。時に維摩詰黙然として言無し。文殊師利歎いて曰く、善 いかな善いかな。乃ち文字語言有る無きに至りて、是れ真に不二の法門に入 る」とみえる。『国清百録』巻三所収「皇太子霊れいかん龕を敬う(煬帝祭りて智顗に 告ぐ)文」には「如にょらいぞう来蔵を出だすは、文字を離れて以て解げ だ つ脱を求むること無し。
文字の性は、即ち解脱なり」(『大正新脩大蔵経』第四十六冊No.1934所収)という。
〇「安可離」…『礼記』中庸に「道なる者は、須し ゅ ゆ臾として離る可からざるな り。離る可きは道に非ざるなり」とある。
柳宗元の「巽上人の中丞叔父の召きに赴くを送る序」(柳集巻二十五)に「仏 の言は、吾得てこれを聞く可からず。其の世に存する者は、独り其の書を遺 すのみ。其の書に於いてしてこれを求めざれば、則ち以て其の言を得ること 無し。言すら且つ得る可からず。况んや其の意をや」と述べる。
03「曲堂何爲設」
〇「曲堂」…梁の元帝蕭しょうえき繹の「秋風揺落」に「水は曲堂を周めぐり、花は洞房に 交わる」(『文苑英華』巻三百五十八)とある。〇「何爲設」…宋玉の「招魂」
に(『楚辞』、『文選』巻三十三)「像かたどりて君が室を設け、静閑にして安らぐ」と あり、王逸注に「言うこころは、乃ち君が為に第室を造設するに、旧廬に法のっと り像かたどる。在る所の処ところは、清静寛閑にして、安らいでこれを楽しむ可し」とい
168
う。隋天台智者大師(智顗)説、門人灌頂記『摩訶止観』(『大正新脩大蔵経』
第四十六冊No.1911)巻四下に「蘭らんにゃ若(寺院)伽藍、閑静なる寺。独り一房に処お りて、事物に干かかわらず。門を閉じ静坐して、正ただしく諦ていし思し ゆ い惟す」とある。
04「高士方在斯」
〇「高士」…『墨子』兼愛下に「吾聞くならく、天下に高士為たる者は、必ず 其の友の身の為ためにすること、其の身の為ための若ごとくす。其の友の親おやの為にするこ と、其の親の為の若くす。然る後に以て天下に高士為る可し」とある。『後 漢書』列女伝序には「高士は清淳の風ふうを弘ひろくし、貞女は明白の節を亮あきらかに す」とみえる。〇「在斯」…『論語』衛霊公に「子しこれに告げて曰く、某は 斯ここ
に在り、某は斯に在り」とある。梁の范はんうん雲の「宗史(=夬)」詩には「眷けん として言ここに終に何にか託せん(文苑は「託す可し」に作る)、心寄するは方に斯ここ に在り」(『芸文類聚』巻二十九。『文苑英華』巻二百八十六は宗史「別れ」詩に作る)
とあり、柳詩注訳(其七)13「連州凌りょう員外司馬を哭す」の第8句にも「英気 方に斯に在り」(柳集巻四十三)と詠む。
05「聖默寄言宣」
〇「聖默」…梁・僧祐撰『出三蔵記集』巻十の闕名「婆須蜜集序」に「茲の 四大士、一堂に集う。対むかいて権智を揚げ、賢聖黙然たり。洋洋として耳に盈 つ」、また陳の慧達の「肇ちょう論序」に「事つかうる所は玄虚なり、唯だ斯これ聖黙の 祖とする所に擬するのみ」(『大正新脩大蔵経』第四十五冊No.1858)とみえる。『摩 訶止観』巻一上に「(十章のうち)正観は聖黙、余の八章は聖説、旨帰は非説 非黙なり」という。〇「寄言」…魏の嵇康の『琴賦』(『文選』巻十八)序に「是 の故にこれを復して足りざれば、則ち吟詠して以て志を肆にす。これを吟詠 して足りざれば、則ち言を寄せて以て意を広うす」とある。謝霊運の「石壁 精舎より湖中に還りての作」詩(『文選』巻二十二)に「慮りょは澹たんとして物は自おのずか ら軽し、意は愜かないて理は違う無し。言を寄す攝生の客、試みに此の道を用っ て推せ」とみえる。〇「言宣」…言葉にして言う。張九齢の「当塗界より裴はい 宣州に寄す」詩に「行いを念いて祗ただ意は黙し、遠きを懐いて豈に言宣せん」
(『全唐詩』巻四十九)と詠う。鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』(『大正新脩大蔵経』
第九冊No.262)巻一に「諸法の寂滅の相は、以て言宣す可からず」とある。
06「分別乃無知」
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〇「分別」…『荀子』王制に「両者分ふんべつ別すれば、則ち賢不肖は雑まじわらず、是 非は乱れず」とある。北魏の菩ぼ だ い る し提留支訳『入にゅうりょうが楞伽経』(『大正新脩大蔵経』第 十六冊No.671)巻四に「愚ぐ癡ちの人は無智なり、因縁法を分別す」とある。梁
の武帝蕭しょうえん衍の「三教を述ぶ」詩には「示教は惟ただ平等にして、至理は無生に
帰す。分別は根こんいつ一なり難く、執著は性せい驚き易し」(『広弘明集』巻三十上)とみ える。『摩訶止観』巻一上に「説を離れて理無く、理を離れて説無し。説に 即して無説、無説にして即ち説なり。二無く別無し、事じに即して而も真なり」
と述べる(洪淑苓引)。〇「無知」…『論語』子し か ん罕に「子曰く、吾に知有らん か。知無きなり」とあり、朱熹集注に「孔子謙(遜)して己に知識無しと言う」
という。『史記』酷吏列伝張湯に「此の愚儒は知無し」とある。上の「分別」
の注に引いた『入楞伽経』巻四の「無智」をも参照のこと。
07「趣中即空假」
〇「 趣 中 」 … 漢 の 楊 雄 の「 秦 を 劇 し 新 を 美ほむ 」(『 文 選 』 巻 四 十 八 )に
「和か ら ん し か鸞肆夏を揚げて以てこれを節す」とあり、李善注に「大だ た い れ い戴礼に曰く、行 くに和鸞を以てし、中に趣くは肆夏もてすと。鄭玄周礼注に曰く、鸞と和は 皆金の鈴なりと。漢書音義に曰く、肆夏は、詩楽なり。歩めば則ちこれを歌 いて以て節を中す(リズムを整える)」という。〇「空假」…『南史』周しゅうぎょう顒伝 に「顒は音辞辯麗にして、仏理に長ず。三宗論を著して、空く う か仮の義を言えり」
とある。北斉の邢けいしょう劭の「文ぶんじょう襄王帝の金像銘」には「妙形は象かたどり難く、至理は 詮せん
(議)すること希なり。形の及ぶ所、理も亦た在り。茲この空仮を悟って、
此の蓋がいてん纏(煩悩)を労とす」(『芸文類聚』巻七十七)と述べる。龍樹著、鳩摩 羅什訳の『中論』(『大正新脩大蔵経』第三十冊No.1564)巻四に「衆因縁は法を 生ず、我が説は即ち是れ無なり。亦た是れ仮けみょう名と為す、亦た是れ中道の義な り。未だ曾て一法だに因いんねん縁に従よりて生ぜさるは有らず。是の故に一切の法は、
是れ空ならざる者無し」とある。『大智度論』巻六には「因縁は法を生ず、
是れ空くうそう相と名づく。亦た仮名と名づけ、亦中道と名づく」とみえ、『摩訶止観』
巻一下には、「即ち空、即ち仮、即ち中と謂うが若き者は、三と雖も而れど も一、一と雖も而れども三なり、相妨ぼうがい礙せず」と述べている。
08「名相與誰期」
〇「名相」…蒋之翹注に「相は去声なり」という。五官によって「名」とし
170
て感受される対象。菩提留支訳『入楞伽経』巻七に「大慧よ、何をか名と為 す。謂いえらく、眼識の前色等らの法相を見ること、声相、耳相、鼻相、舌相、
身相の如し。大慧よ、是れ等の相の如く、我われ名を説きて名相と為す」とある。
梁の昭明太子蕭統の「二諦の義を解く令りょうじ旨」(『広弘明集』巻二十一)に「(諮)
名相無き中に何ぞ名相有るを見得んや。(令答)名相無きに於いて名相有る を見るは、有を妄りにする所以なり」とみえる。〇「與誰」…司馬遷の「任 少卿に報こたうる書」(『文選』巻四十一)に「顧みて自ら以お為もえらく、身は残ざんして 穢きたな
きに処おり、動ややもすれば尤とがめ見らる。益まさんと欲して反って損す。是を以て独 り鬱うつゆう悒し、而して誰と与ともにか語らん」(『漢書』司馬遷伝は末二句を「是を以て抑 鬱し、而して誰の語る無し」に作る)と述べている。
09「願言絕聞得」
〇「願言」…『詩経』衛風伯はくけい兮に「願おもいて言ここに伯を思い、心を甘くして首疾や む」とあり、鄭玄の箋に「願は念うなり。我は念いて伯を思い、心は已やむこ と能あたわず」という。柳詩注訳(其一)1「法華寺の石門精室三十韻」の第 03・04句に「願おもいて言ここに名め い し緇を懐い、東峰旦夕に仰ぐ」(柳集巻四十三)と使っ ている。〇「聞得」…支謙訳『法句経』巻上「多聞品」に「信まことに能く道を得、
法は滅し度わたるを致す。聞ぶんに従よりて智を得、到る所に明有り」とある。謝霊運 の「石室山」詩に「郷村は聞見絶え、樵ぎょうそ蘇は風ふうしょう霄に限らる」(『古詩紀』巻 四十七)とみえる。隋の沙門灌かんちょう頂纂『国清百録』巻四に「経論を聴き歴へて、
但だ一たび聞けばこれを心に得、これを口に伝え使しむ」と記す。『摩訶止観』
巻四下に「学問する者は、経論を読誦す、問答勝負等是れなり。記憶を領持 すれば、心は労し志は倦む。言論往復すれば、水は濁り珠は昏し」という。「絕 聞得」を鵜飼石斎は「聞を絶ち得て」と訓読している。
10「忘意聊思惟」
〇「忘意」…『韓非子』解老に「物に先んじて行き、理に先んじて動く、こ れを前識と謂う。前識なる者は、縁る無くして而して意い た く度を忘るるなり」と ある。晋の闕名「尊婆須蜜菩薩所集論序」に「毎に上人の高韻を尋ぬるに、
未だ常に意味を忘れずんばあらざるなり」(『大正新脩大蔵経』第二十八冊
No.1549)
とみえ、また陳後主叔宝の「立春の日に舟を玄げ ん ぽ圃に汎うかべ、各おの一字六韻を賦して篇を成す」詩に「自ら欣よろこんで楽しみを為し得て、意を忘れて
171
濠に臨むが若し(『荘子』外篇秋水に「荘子は恵子と与ともに濠梁の上ほとりに遊ぶ」とある のを踏まえる)」(『古詩紀』巻九十八)。〇「思惟」…『漢書』張湯伝に「精神 を専らにせ使しめ、天下を憂い念い、得失を思し惟いす」、また『三国志』魏書 荀じゅんゆう攸伝に「我は毎つねに行う所有れば、反覆思惟して、自ら謂おもえらく、以て易やすき とする無からんと」とある。支謙訳『法句経』巻上「惟念品」に「起止に学
んで思し ゆ い惟し、坐臥に廃し忘れず」とみえる。『大智度論』巻二十二に「思惟
籌ちゅうりょう
量し、正見を発動して力を得令しむ、是れ正せ い し ゆ い思惟と名づく」という。『摩訶 止観』巻六上に「思惟と稱する者、解に従りて名を得たり。初めは真を観る こと浅く、猶お事じの障さわり有り。後に重ねて真を慮れば、此の惑い即ち除かる。
故に思惟の惑いと名づくるなり」と述べる。
【訳】
47 曲講堂 01 寂滅(涅槃)とは全てを断つことではない。
02 どうして文字を離れることができよう。
03 曲堂はなぜ設けられたのかといえば、
04 高い志のお方がここにいらっしゃるのだ。
05 聖なる沈黙のうちに教えの言葉を寄せられる。
06 ものを分かつのは、つまりは無知というもの。
07 中道に向かうことこそが空であり仮である。
08 名という形相に囚われては誰と心を共にできようか。
09 このことを顧みて学問を捨て去り、
10 作為の気持ちを忘れて、今しばらく思索を深めよう。
48 禪堂 (禅
ぜんどう堂)
【原文と訓読】
01 發地結菁茆 地を発ひらいて 菁せいぼう茆を結び 02 團團抱虛白 団団として 虚白を抱いだく 03 山花落幽戶 山花 幽ゆ う こ戸に落つ 04 中有忘機客 中に 機を忘るる客有り 05 涉有本非取 有ゆうに渉わたるは 本もとより取るに非ず
172
06 照空不待析 空を照して 析せきするを待もとめず 07 萬籟俱緣生 万ばんらい籟 倶に 縁えんしょう生す
08 窅然喧中寂 窅ようぜん然たり 喧けんちゅう中の寂じゃく 09 心境本同如 心境 本もと 同どうじょ如たり 10 鳥飛無遺跡 鳥飛びて 跡あとを遺のこす無し
【押韻・詩形】
「白・客」入声二十陌の韻、「析・寂」入声二十三錫の韻、「跡」入声二十二 昔の韻。陌昔同用、錫独用。鮑ほ う め い い明煒の『唐代詩文韻部研究』(江蘇古籍出版社、
1990年)
は「陌昔錫同用」の例として寒山の詩二首、孫そ ん し ば く思邈の「四言詩」他を挙げる。五言古詩。
【校定】
00「禪堂」…詁訓本、音辯本、蓬左本および二十巻本は「禪室」に作る。01
「茆」…全唐詩は「茅」に作る。06「析」…蒋之翹本と稿本が「柝」に作る のは、誤写であろう。09「境」…鄭本は「鏡」に作る。世綵堂本は「一に鏡 に作る」と注す。09「同」…全唐詩は「洞」に作り、「一に同に作る」と注す。
【注釈】
詩題「禪堂」…北魏の楊よ う げ ん し衒之の『洛陽伽藍記』巻二城東「秦太上君寺」に「誦 室禅堂は周流して重畳し、花林芳草は徧く階か い ち墀に満つ」とある。沈佺期の「峡 山寺の賦」に「忍殿は岸に臨み、禅堂は江を枕にす」(『全唐文』巻二百三十五)
と詠い、また張ちょうえつ説に「岳陽の石門と墨山の二山相連なる。禅堂有り、天下の 絶境を観る」詩がある(『全唐詩』巻八十六)。「禪室」の例としては、謝霊運「山 居賦」に「危峰に傍よりて、禅室を立つ」(『宋書』謝霊運伝)、また王勃の「梓し 州通泉県恵普寺の碑」に「禅室安閑たり」(『全唐文』巻一百八十五)とみえる。
01「發地結菁茆」
〇「發地」…『詩経』周頌噫い嘻きに「駿おおいに爾なんじの私わたくしを発ひらき、三十里を終う」と あり、鄭箋に「発は伐きるなり」、孔穎達疏に「伐は地を発ひらく」という。陶淵 明の「園田の居に帰る」詩五首その一に「荒を南野の際に開き、拙を守って 園田に帰る」(『陶淵明集』巻二)とある。〇「結菁茆」…「茆」は「茅かや」に同 じ。百家注に「孫曰く、(尚)書(夏書禹うこう貢)に、菁せいぼう茆を包ほ う き匭す。此れ菁茆を 結ぶを云う。菁茆を以て屋を茨ふくを謂う」と記す。宋の鮑照の「圃人の芸植
173
するを観る」詩に「鍤すきを抱いて壠上に餐し、茅を結んで野中に宿す」(『古詩紀』巻五十二)と詠う。韋応物の「義演法師の西斎」詩に「茅を結んで絶岸に臨み、
水を隔てて清せいけい磬を聞く」(『全唐詩』巻一百九十二)とある。韋応物詩には「結茅」
の表現が全九例見られる。柳詩注訳(其一)2「朝陽巌に遊び遂に西亭に登 る二十韻」詩の第13・14句に「惜しむらくは吾が郷土に非ざるを、以て菁茆 を蔭おおうことを得ん」(柳集巻四十三)と使っている。
02「團團抱虛白」
〇「團團」…漢の班はんしょうよ婕妤の「怨歌行」(『文選』巻二十七)に「新たに斉紈の素 を裂く、皎潔なること霜雪の如し。裁ちて合ごうかん歓の扇と為せば、団団として明 月に似たり」とみえる。李白の「古風」詩五十九首その二十三に「秋露は白 きこと玉の如し、団団として庭緑に下る」(『全唐詩』巻一百六十一)と詠う。
〇「抱虛」…曹丕の「玉ぎょくけつ玦賦」に「虚静を抱いて而して為すこと無し」(『芸 文類聚』巻六十七)とある。〇「虛白」…『荘子』内篇人間世に「彼の闋とざせる 者を瞻みれば、虚室に白きを生ず」とあり、郭象の注に「夫れ有るを視るも無 きが若し、虚室なる者なればなり。虚室にして而して純白独り生ずるなり」
という。隋の陸徳明の釈文に「司馬(彪)云く、室は心を比喩す、心能く空 虚なれば、則ち純白独り生ずるなり」という。陳の江総の「劉退太常に借り て文を説く」詩に「幽居して薬餌を服す、山宇に虚白生ず」(『初学記』巻 二十一)がある。隋の楊素の「山斎にて独坐し薛せつ内史に贈る」詩二首その一 に「蘭庭に幽気動き、竹室に虚白生ず。落花は戸に入りて飛び、細草は堦きざはしに 当たりて積もる」(『文苑英華』巻二百四十八)とみえる。杜甫の「帰る」詩に「虚 白にして高人は静かなり、喧卑にして俗累に牽かる」(『全唐詩』巻二百三十)
とある。
03「山花落幽戶」
〇「山花」…北周の庾ゆ し ん信の「趙王隠士に和し奉る」詩に「野鳥は繁弦のごと く囀り、山花は焔火のごとく然ゆ」(『芸文類聚』巻三十六、『文苑英華』巻 二百三十二)とみえる。また同じく庾信の「屏風を詠む」詩に「澗水は窓外 に遶めぐり、山花は即ち眼前たり」(『芸文類聚』巻六十九)と詠う。〇「山花落幽戶」
…王維の「輞もうせん川集・辛し ん い う夷塢」詩に「木末の芙蓉の花、山中に紅萼を発く。澗 戸寂として人無し、紛紛として開きて且つ落つ」(『全唐詩』巻一百二十八)と
174
ある。04「中有忘機客」
百家注に「補注に、(曾吉甫の)『筆墨閑録』に云く、此の聯は篇に名づく るを観ずして、是れ禅室なるを知るなり」と記す。
〇「中有〜客」…李白の「嵩山の焦錬師に贈る」詩に「中に蓬海の客有り、
宛として疑うらくは麻ま姑この仙かと」(『全唐詩』巻一百六十八)とみえる。〇「忘 機」…王勃の「江曲孤鳧ふ賦」に「去就に失する無く、浮沈は自おのずから然しかる爾のみ。乃 ち機を忘れ慮を絶ち、声を懐いて影を弄ろうす」(『全唐文』巻一百七十七)、また 李白の「終南山を下り斛こ く し斯山人の宿に過よぎりて置酒す」詩に「我酔いて君復た 楽しみ、陶然として共に機を忘る」(『全唐詩』巻一百七十九)と詠む。『荘子』
外篇天地に「吾これを吾が師に聞けり、機械有る者は必ず機事有り、機事有 る者は必ず機心有り。機心胸中に存すれば、則ち純白備わらず」とあり、成 玄英の疏に「機動の務め有る者は、必ず機変の心有り」という。
05「涉有本非取」
〇「涉有」…鳩摩羅什訳の『金剛般若波羅蜜経』(『大正新脩大蔵経』第八冊
No.235)
に「凡そ有する所の相は、皆是れ虚妄なり」とある。後秦の釈僧そうえい叡の「大品経序」(『出三蔵記集』巻八)に「義は有う流に渉わたると雖も、而れども 非ひ し ん心を得うるに詣いたる。跡は有用に寄せて、而れども功は実に待もとむるに非ず」と 述べる。後秦の僧そうちょう肇の『肇ちょうろん論』(『大正新脩大蔵経』第四十五冊No.1858)「宗本義」
には「漚お う わ和般若なる者は、大慧の稱なり。(中略)然れば則ち般若の門は空
を観、漚和の門は有に渉る。有に渉りて未だ始より虚に迷わず。故に常に有 に処りて而して染らず」と記す。〇「本非取」…陶淵明の「雑詩」十二首そ の八に「代耕(仕官)は本より望むに非ず、業ぎょうとする所は田桑に在り」(『陶 淵明集』巻四)とみえる。『維摩経』巻下「見阿あしゅく閦仏品」に「取るに非ず、捨 つるに非ず、相有るに非ず、相無きに非ず」とある。
06「照空不待析」
〇「照空」…隋の慧え お ん遠の『大だいじょうぎしょう乗義章』(『大正新脩大蔵経』第四十四冊No.1851)
巻二に「言う所の空なる者は、理の別目なり。理は衆相を絶つ、故に名づけ て空と為す」とある。隋の安徳王雄等の「舍利の感応するを慶ぶ表」に「臣 聞けらく、大覚は遠く円備し、理は空有を照す」(『広弘明集』巻十七)と述べ
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る。〇「不待」…『摩訶止観』巻六下に「因する所を待もとめて而して憂悔を懐 かず。若し此の義に依れば、但だ空に入ること有るのみ。便ち仮の事じに入る こと無きなり」、また「円教の初心は即ち三さんがん観を修め、二観を成すを待めず」とある。〇「不待析」…『史記』天官書に「天道の命ずるに至るや、伝えず。
その人に伝えて、告ぐるを待もとめず」とあり、張守節の正義に「待は須もとむるな り」という。『荘子』雑篇天下に「天地の美を判(定)し、万物の理を(分)
析す」とある。
柳宗元の「永州龍興寺にて浄土院を修する記」(柳集巻二十八)に「会たまたま巽 上人その宇の下に居し、始めて復たこれを(修)理す。上人は、最上乗を解し、
第一義を修め、空を体し色を折する跡無くして、而して真源に造いたる」と記し ている。
07「萬籟俱緣生」
〇「萬籟」…『荘子』内篇斉物論に「子游曰く、地ち ら い籟は則ち衆竅きょう(あな)是 れなるのみ、人じんらい籟は則ち比竹(管楽器)是れなるのみ。敢えて天てんらい籟を問う、と。
子し綦き曰く、夫れ万よろずを吹くこと同じからず、而して其れをして自己なら使むる なり。咸みな其れ自みずから取もとめて、怒る者は其れ誰ぞや」とみえる。斉の謝しゃちょう朓の「王 世子に答う」詩に「蒼雲は暗きこと九重、北風は万ばんらい籟を吹く」(『古詩紀』巻 五十九)と詠っている。杜甫の「玉華宮」詩には「万籟は真の笙しょうう竽なり、秋
色正に蕭しょうしゃ灑たり」(『全唐詩』巻二百十七)とある。〇「緣生」…南宋の沙門
志し け い磐撰『仏祖統紀』巻六に載せる北斉の慧え ぶ ん文の文に「諸法は因縁の生ずる所 に非ざるは無し」とある。梁の王巾の「頭ず陁だ寺じ碑文」(『文選』巻五十九)に
「以お も え為らく生を宅する者は縁にして、業ごう空しければ則ち縁えんすた廃る」とあり、李 善注に「身は縁に従よりて生じ、縁も亦た斯すなわち廃るるを言うなり」という。
08「窅然喧中寂」
〇「窅然」…『荘子』外篇知北遊に「夫れ道は、窅ようぜん然として言い難きかな。
将に汝が為ために其の崖略を言わんとす」とある。宋の傅ふりょう亮の「宋公の為に張良 の廟を修する教」(『文選』巻三十六)に「顕黙の際は、窅然として究め難し。
淵流浩こうよう瀁として、其の端を測るもの莫なし」とみえる。「窅」は、謝朓の「敬 亭山詩」(『文選』巻二十七)に「縁源は殊ことに未だ極めず、帰径は窅として迷う が如し」とあるのに対して、李善が「声類に曰く、窅は、遠く望むなり」と