本稿は、森新之介と鈴木英之が企画運営し、早稲田大学高等研究所がWIAS Top Runners’ Lecture Collection として開催したシンポジウム「日本中世思想史研究に明日はあるか」(2018年10月27日(土)、早稲田大学 早稲田キャンパス9号館5階第1会議室)の記録である。当日は森と大塚紀弘、野上潤一がそれぞれ報告し、
舩田淳一が論評し、鈴木が司会した。
開催趣旨
日本中世の思想は、宗教・政治・芸能など多岐に渡る。そのどれもが重要な意義を有しているが、近年の思 想史学界における中世研究は低調で、研究者人口も減少し続けている。こうした状況を招いた理由はいくつか 考えられるが、新たな研究者の参入を促すための中世思想の魅力発信が不足していること、他時代の研究者と の連携に乏しいこと、仮託文献などの名も無い思想家たちの書籍に対する学界における関心の低さなどが、大 きな理由として挙げられよう。
こうした中世思想史をめぐる思想史学界の危機的な状況に対して、昨今、中世思想に強い関心を抱き、新た な地平を切り開いてきたのは、文学や史学を専門とする研究者たちであった。これまで等閑視されてきたテキ ストや言説に注目し、一次資料を調査・発掘することで、新たな視点や解釈を見出していったのである。
シンポジウム「日本中世思想史研究に明日はあるか」開催記録
森 新之介・大塚 紀弘・野上 潤一・舩田 淳一・鈴木 英之
⽇時 2018年10⽉27⽇(⼟) 13:30開会 - 18:00閉会 場所 早稲⽥⼤学 早稲⽥キャンパス (東京都新宿区) 9号館5階 第1会議室 (80⼈収容可) 懇親会 ⾼⽥牧舎 (会場すぐそば、定員40⼈)
◀ http://20181027.jp に詳細情報あり
日本中世思想史研究に は
報告者
森 新之介(思想史)
「今⽇の⽇本中世思想史研究」
⼤塚 紀弘(⽇本史)
「思想史研究とコスモロジー論」
野上 潤⼀(国⽂学)
「中世後期学問史研究の可能性
―思想史研究と⽂学研究のあいだ―」 論評者
舩⽥ 淳⼀(思想史)
司会
鈴⽊ 英之(思想史)
・事前申し込み不要
・参加費無料(除く懇親会)
・平服でのお越しを歓迎いたします 主催 早稲⽥⼤学⾼等研究所 WIAS Top Runnersʼ Lecture Collection
開催趣旨
⽇本中世の思想は、宗教・政治・芸能など多岐に渡る。そのどれもが重要な意義を 有しているが、近年の思想史学界における中世研究は低調で、研究者⼈⼝も減少し 続けている。こうした状況を招いた理由はいくつか考えられるが、新たな研究者の 参⼊を促すための中世思想の魅⼒発信が不⾜していること、他時代の研究者との連 携に乏しいこと、仮託⽂献などの名も無い思想家たちの書籍に対する学界における 関⼼の低さなどが、⼤きな理由として挙げられよう。
こうした中世思想史をめぐる思想史学界の危機的な状況に対して、昨今、中世思 想に強い関⼼を抱き、新たな地平を切り開いてきたのは、⽂学や史学を専⾨とする 研究者たちであった。これまで等閑視されてきたテキストや⾔説に注⽬し、⼀次資 料を調査・発掘することで、新たな視点や解釈を⾒出していったのである。
そこで本シンポジウムでは、⽇本中世思想史における現状と課題を考えるため、
思想史に加えて⽇本史と国⽂学から気鋭の中堅・若⼿研究者を壇上に招き、各々の 最新研究を紹介して頂いた上で中世思想史研究に対する問題提起を⾏って頂く。そ れを踏まえた全体討論では、聴衆も交えて中世思想史研究の可能性について忌憚な く議論したい。
進⾏表 13:00 - 開場
13:30 - 13:45 開会の辞と全体説明(森)
13:45 - 14:00 趣旨説明と登壇者紹介(鈴⽊)
14:00 - 14:30 報告1(森「今⽇の⽇本中世思想史研究」)
14:30 - 15:00 報告2(⼤塚「思想史研究とコスモロジー論」)
15:00 - 15:15 コーヒーブレイク
15:15 - 15:45 報告3(野上「中世後期学問史研究の可能性」)
15:45 - 16:05 論評(舩⽥)
16:05 - 16:20 コーヒーブレイク 16:20 - 17:50 全体討論(鈴⽊司会)
17:50 ‒ 18:00 総括と閉会の辞(鈴⽊)
ポスター / ビラ表 ビラ裏
そこで本シンポジウムでは、日本中世思想史における現状と課題を考えるため、思想史に加えて日本史と国 文学から気鋭の中堅・若手研究者を壇上に招き、各々の最新研究を紹介して頂いた上で中世思想史研究に対す る問題提起を行って頂く。それを踏まえた全体討論では、聴衆も交えて中世思想史研究の可能性について忌憚 なく議論したい。
報告 1「今日の日本中世思想史研究」
森 新之介(思想史)
問題の所在
報告者は2015年、日本思想史学会の大会シンポジウム「思想史学の問い方──二つの日本思想史講座をふ まえて──」にコメンテーターとして登壇し、日本中世思想史学界⑴における研究者人口の減少などについて 問題提起した。このコメントと、翌年刊行の同学会誌『日本思想史学』第48号に掲載されたコメント記録「両 講座における中世思想史研究の課題」は、幾らかの反響を呼んだ。ただし、当時は報告者でなくコメンテーター だったということもあり、微意を尽くし得なかった。
そこで本報告では、先年の問題提起を拡充して同学界の窮状や通弊を整理紹介し、明日についての提言とし たい。
第 1 項 日本思想史学会の内と外
ある学界の状況を論じようとする時、研究者個人の経験や感覚だけに依拠すると、他者から賛同を得難く なったり水掛け論に発展し易くなったりする。そのため本項では、日本思想史学会という特定の学会と検証可 能な幾つかの数値に着目して、日本中世思想史学界の現状を分析する。
他学界の研究者にはあまり認知されていないようだが、日本思想史学会は日本思想史学界における唯一の全 国学会である。規模の大きい歴史学界や国文学界には複数の全国学会が並存しており、例えば中世文学に限っ ても、中世文学会と説話文学会、和歌文学会、仏教文学会などがある。しかし日本思想史学界は規模が小さい ため、日本思想史学会が唯一の全国学会となっている。
同学会の会誌『日本思想史学』では、中世の論文が明らかに減ってきている。2006年に刊行された第38号 の「編集後記」では、古代と中世の投稿論文について「減少傾向に歯止めがかからない」と警鐘が鳴らされて おり、その傾向は以後も変わっていない。この2006年から2018年までを対象に、『日本思想史学』における 中世論文と日本思想史学会大会における中世個別発表を一覧にすれば、次の如くである。
表1
『日本思想史学』の中世論文 日本思想史学会大会の中世個別発表
2006年 1/2 2
2007年 0/4 2
2008年 1/1 5
2009年 3/? 4
2010年 0/1 1
2011年 1/? 1
2012年 1/? 5
2013年 0/1 3
2014年 3/3 3
2015年 2/3 4
2016年 0/4 3
2017年 0/1 6
2018年 0/? 0
※論文の分子は掲載本数、分母は投稿本数。「?」は不記載。古代から中世に跨るものも算入した。
投稿論文があったものの査読を通過しなかったため掲載論文がないとか少ないとかいうことであれば、それは 大きな問題でない。勝敗は兵家の常である。深刻なのは、2018年度大会で中世の個別発表がなかったという ことである。また、2018年刊行の会誌第50号では、中世の掲載論文がなかったという以前に、そもそも投稿 論文がなかったということも有り得る。
このように、日本思想史学会における中世研究の衰退は明らかである。そしてこの原因は、規模の小さな日 本思想史学界で研究者人口が減っているというだけでなく、他学界からの新規加入者が少ないということも影 響している。
日本思想史学会では会誌が年1回しか刊行されず、年1回の大会以外に公募式の例会なども開催されない。
そのため中世に限らず、日本思想史研究者が同学会だけで研究活動していくことは不可能だと言ってよい。歴 史学や国文学、東洋哲学、仏教学など隣接分野の学会でも活動する必要あり、思想史研究者の他分野学会への 進出は非常に多い。しかし隣接諸学の研究者、殊に中世の研究者が日本思想史学会に加入することは少ない。
そもそも研究者がある学会に加入する理由は、その大会で研究発表すれば多くの研究者が聴くと期待できる とか、その会誌に論文が掲載されれば多くの研究者が読むと期待できるとかいうことであろう。だが、日本思 想史学会の会誌は中世思想史研究者の読者がさほど期待できず、大会に参加する中世思想史研究者に至っては 毎年数人ほどである。すなわち多くの日本中世思想史研究者にとって、日本思想史学会は加入して毎年会費を 納入するに足る学会でない⑵。
大会の聴衆や会誌の読者に中世思想史研究者が少ないため、中世思想史研究者が殆んど加入せず、中世思想 史研究者が殆んど加入しないため、大会の聴衆や会誌の読者に中世思想史研究者が少ない。これが日本思想史 学会の有する悪循環だと考えられる。
殆んど閉塞した日本思想史学会の外では、大きく異なった質と量の中世研究が展開している。一例として、
2016年に竹林舎から刊行された福島金治編『学芸と文芸』(『生活と文化の歴史学』9)の目次は次の如くであ る。
表2 福島 金治「序「学芸と文芸」編集にあたって」
Ⅰ国家と家学
井原今朝男「中世国家の官人と学問──中世大学寮官人と釈奠儀礼──」
永井 晋「鎌倉時代の文章道大業の家──勤める官職と活躍の場──」
菅原 正子「朝廷・公家の文庫──諸家本の所蔵と三条西家文庫──」
渡辺 滋「中世公家の「家学」の継承──九条家から一条家へ──」
Ⅱ和漢書の伝来と集積
久保木秀夫「『本朝書籍目録』の伝本と分類」
陳 翀「慧萼鈔南禅院本白氏文集の巻数とその正統性について──日本伝来漢籍旧鈔 本による原典籍の復元に関する一考察──」
高田 宗平「『令集解』所引漢籍の性格に関する一断面──『論語義疏』を中心に──」
松本 大「『原中最秘抄』の性格──行阿説への再検討を基点として──」
Ⅲ寺院と僧の学びの形
蓑輪 顕量「中世南都の教学と問答・談義」
武井 和人「室町期南都寺院における和書のひろがり」
鈴木 英之「中世における僧の外典学習──仮託文献の内典化と修学──」
住吉 朋彦「韻類書をめぐる断章──五山僧習学の一面──」
Ⅳ伝授と新たな法の創生
西 弥生「真言密教の伝授・口伝と抄物・聞書」
館野 文昭「中世歌学秘伝と歌学書の創出と伝授──『和歌古今灌頂巻』『悦目抄』を中 心に──」
西岡 芳文「式盤を用いる密教修法の成立と展開」
福島 金治「戦国期における兵法書の伝授と密教僧・修験者」
Ⅴ知識伝授の場と学習技法
渡辺麻里子「談義所における聖教と談義書の形成」
高橋 悠介「称名寺の神祇書形成の一端」
高津 孝「琉球における漢籍受容と漢文の学習」
白井 純「キリシタン版の刊行と日本語学習」
これら20本の論文は、古代や近世を対象とした若干を例外として、すべて日本中世思想史についての研究成 果と見得るものである。しかし報告者が日本思想史学会の会員名簿などにより照合したところ、編者福島と同 書への寄稿者20人の凡そ21人において、同学会の会員は当シンポの司会でもある鈴木英之だけだったよう である。同書の陣容は公募でなく人脈によるものであるため、当然ながらこれを学界の縮図と見ることは慎む べきであるが、日本思想史学会の内外における研究状況の格差を物語っている。
では、このような研究状況の格差は何が問題か。日本思想史学会に加入している日本中世思想史研究者は少 数だから、同学会で中世研究が停滞しても大勢に影響はない、という理解も有り得よう。
しかし、日本思想史学会の影響力や存在意義は侮り難い。その会員が中心となって近年編集された講座や事 典としては、苅部直・黒住真・佐藤弘夫・末木文美士・田尻祐一郎編集委員『日本思想史講座』5巻(ぺりか
ん社、2012-15年)や苅部・黒住・佐藤・末木編集委員『岩波講座日本の思想』8巻(岩波書店、2013-14年)、
そして日本思想史事典編集委員会編『日本思想史事典』(丸善出版、印刷中)などが挙げられる。これら企画 が学界内外の研究者や初学者、一般読者に波及し得ることは言うまでもない⑶。
また日本思想史学会とその会員には、日本思想史の通史を叙述することへの使命感が見出される。古代から 現代までにせよ中世だけにせよ、良質な通史叙述には複数の研究者が協同する必要があるため、そのような一 大事業は同学会とその会員たちにのみ可能なことかも知れない。日本思想史学会の外部での日本中世思想史研 究には優れた個別研究も多いが、通史叙述に結実するとは考え難い。
今日、日本中世思想史学界において日本思想史学会の存在意義は低下しているが、消滅しておらず、また低 下していてよいということもない。たかが日本思想史学会、されど日本思想史学会である。
第 2 項 認知の歪みと言路不通
前項で紹介したように、2006年には日本思想史学会の会誌編集後記で、古代と中世の投稿論文について「減 少傾向に歯止めがかからない」と警鐘が鳴らされていた。この年は報告者が大学院に進学し、日本思想史研究 に着手した年でもあったため、少なくとも報告者にとって、日本中世思想史研究が危険な状況にあることは余 りに自明であった。
しかし、このような窮状は日本思想史学会で必ずしも正しく認識されていない。報告者が2015年の同学会 大会シンポジウムで
中世〔思想史…引用者註〕研究などは現在、極めて危険な状況にあると考えられるが、両講座〔ぺりかん 講座と岩波講座…同前〕にそのような危機意識は見出されない。
研究状況の停滞は、両講座の構成にも影を落としていないか。〔…〕隣接諸学からの寄稿が多い両講座は 華やかである。しかしこれは、思想史学での中世研究が停滞しているため自給率が低下し、隣接諸学から の輸入に依存して成り立っているとも見得る。⑷
と問題提起したところ、同シンポジウムの報告者であった末木文美士からこのような応答があった。
森氏は「中世思想史研究は活発か」という問題を提起し、それに否定的な見方を示している。氏は、「日 本思想史」という領域を閉じた自立的な領域と見ているようだが、私はその見方には反対で、日本思想史 はもともと複合的な分野であり、単一の学会ですべてを網羅できず、多分野の成果を総合的に見るべきと 考える。⑸
末木は長年、日本思想史学会の評議員を務めてきた。その末木が、同学会で中世研究が停滞しているという問 題提起について、本学会ですべてを網羅できなくてもよいと応答したことに、報告者は愕然とした。譬えて言 えば日本の国会議員が、日本は少子化かも知れないが世界全体としては少子化でないから問題ない、と主張し たようなものとして報告者には感じられた。末木の主張では、たとえ日本思想史学会大会で中世の個別発表が なくなっても、会誌に中世論文の投稿がなくなっても、極論すれば会員に中世研究者がいなくなっても、学会 外部の学界全体で中世研究が活発であれば問題ないということになってしまおう。
日本中世思想史研究が他学会で活発であれば、日本思想史学会で活発でなくてよいのか。他学会でだけ活発 である原因を省察すべきでないのか。このような問題意識が末木には欠けているように見えてならなかった。
危機意識の欠如は何に由来しているのであろうか。報告者は佐藤弘夫や末木が、黒田俊雄の顕密体制論によ り中世仏教研究が活発になった、という誤解を20年以上も説き広めてきたこと⑹が大きいと考えている。
佐藤や末木による誤解の喧伝は、少なくとも3つの弊害を生じた。第1に、中世思想史研究が活発になっ たという誤解を信じて疑わなくなり、実状分析の目を曇らせてしまった。報告者は、2013年刊行の拙著『摂 関院政期思想史研究』(思文閣出版)で「同論〔顕密体制論…引用者註〕の提唱によってその後の研究が如何 に一変したかは、必ずしも判然としない」(32頁)と判断を留保していたが、翌年刊行の拙稿では
従来、黒田俊雄が昭和50年に顕密体制論を提唱したことで、それまで全く顧みられていなかった旧仏教 の研究が勃興した、と語られることが多かった。しかし、このような通念は顕密体制論を過大評価したも のだと考えられる。〔…〕顕密体制論への過大評価は、中世思想研究の減少や旧仏教研究の遅滞が隠蔽さ れるなどの弊害を生じた。同論によって研究が縦横無尽に展開したと高唱されれば、その恩恵に浴してい ない研究課題があるとは想像されず、不足を補おうとする問題意識も生じ難くなる。⑺
と批判した。
しかし末木は、2016年に「この時代〔中世…引用者註〕の仏教思想に関しては、従来、いわゆる「鎌倉新 仏教」を中心とする鎌倉新仏教中心史観が支配的であったが、1970年代の顕密体制論を転機に、大きく転換 してきたことはすでに常識となっている」と述べ、この箇所への後註で「研究史として、森新之介『摂関院政 期思想史研究』(思文閣出版、2013)第一章など」と記した⑻。報告者の、顕密体制論によって研究史は一変 していないという主張が、末木により、顕密体制論によって研究史は一変したという主張に援用されてしまっ ている。これは認知が歪んでいると言わざるを得ない⑼。
第2に、顕密体制論に依拠すれば他分野との交流が活発になるという誤解も生じ、広まった。歴史学界や国 文学界における中世研究の盛況は、理論よりも文献を調査分析する技術や経験によるものである。また、それ を促進した理論も顕密体制論でなく、黒田の寺社勢力論や伊藤正義の中世日本紀論であった。思想史学界は顕 密体制論を過大評価することで、技術や経験を軽んじ、隣接諸学での中世研究から孤立することになったと考 えられる。
富島義幸は2009年に、
求められるのは、それぞれの学問分野の自立である。学問の自立とは、研究対象を限定的・独占的にあつ かうことではなく、また自らの問題意識に固執することでもない。それは自立でなく、孤立を生む。だか らといって、それぞれの分野で見出された事象を、既存の有力な理論に無批判に当てはめればよいわけで はない。今、諸学で共有すべきは理論ではなく事象である。個別の事象を、新たに描かれる全体史の一部 として、真摯に受け止めることが求められよう。⑽
と提言した。この提言はその後も顧みられていないように見えるが、報告者は大いに賛同する。例えば、報告 者の「興福寺奏状」研究が諸学界横断の論争を惹起できたこと⑾は、これが理論でなく「興福寺奏状」という
文書を対象としたものだったからだと自負している。
そして第3に、佐藤や末木など日本思想史学界の有力研究者たちが中世研究の活況なるものを喧伝したた め、同学界の若手研究者たちは中世研究の窮状を訴え難くなった。危険な現状の最大の原因は、危険な現状が 広く認識されず、それを訴えることも憚られるという言路不通にあると考えられる。
第 3 項 中世は宗教の時代か
前項までは日本中世思想史学界の窮状について整理した。本項と次項では、同学界の通弊について指摘する。
末木は2012年、ぺりかん社版『日本思想史講座』の第2巻『中世』の「総論」で次のように述べていた。
中世像は時代とともにさまざまな転変を示してきた。そこには、新しい史料による情報の増加ということ もあるとともに、時代の変化に伴う見る側の意識や理想が託されていることが知られるであろう。中世研 究は決して単純な客観研究ではなく、むしろ中世と現代という隔絶した時代の間の緊張であり、対話であ
る。 (17頁)
蓑輪顕量「中世の仏教思想」は、中世思想のもっとも中核を形成する仏教を取り上げる。 (23頁)
近年の中世思想研究はきわめて進展が著しく、従来の常識はほぼ完全に転覆している。中世は黴臭い過去 の遺物ではなく、生き生きとした思想がダイナミックに展開している時代である。近代が行き詰った今日、
改めて中世を読み直すことは、喫緊の課題である。 (25-26頁)
中世研究とは単純な客観研究でなく、中世と現代という隔絶した時代間の緊張であり、対話だ。近代が行き詰っ ている現在、改めて中世を読み直すことは喫緊の課題になっている。仏教が中核を形成していた中世思想は、
黴臭い過去の遺物でない。そして近年の中世思想研究の進展により、従来の常識はほぼ完全に転覆した、とい う。
近代が行き詰った今日、改めて中世を読み直すというこの問題意識は、報告者には黴臭く感じられてならな い。また、中世思想史についての通念が刷新されたとも見難い。そのため、拙文「両講座における中世思想史 研究の課題」では次のように述べた。
末木は、ぺりかん講座中世巻の「総論」で「近年の中世思想研究はきわめて進展が著しく、従来の常識は ほぼ完全に転覆している」(25-26頁)と述べた。しかし〔…〕同巻「総論」には、「中世思想のもっとも 中核を形成する仏教」(23頁)や「中世は武士の時代である」(24頁)など、「従来の常識」を襲った表 現も散見される。中世思想史で仏教や武士が重要であることは言うまでもないが、それらを中核や代表と
するような通念は懐疑されるべきであろう。 (25頁)
思想史研究を今日に役立たせるという問題意識は、研究の幅を狭めることにもなりかねない。世俗の時代 である近代を克服すべきだという問題意識で中世を研究すれば、宗教の時代としての一面だけが切り取ら れてしまう。研究者の問題意識は他人に言われて変えるようなものでないであろうが、そういった危険に
も注意すべきである。 (27頁)
また、従来の中世研究での問題意識投影と宗教過大評価については、藤巻和宏も2017年に次の如く批判して いる。
中世は宗教の時代──。これは、中世という時代を「わかりやすく」説明する際の常套句でもある。動乱 の時代、人々は救いを宗教に求め、現世をはかなむ無常観が浸透する。また、貴族文化が衰退し、新たに 武士や僧侶が文化の担い手となり、そこから幽玄という美意識が興る。──このような紋切り型の言い回 しで、なんとなく中世という時代がわかったような気になるのである。しかし、これは本当に中世という 時代を言い当てているのだろうか。むしろ、現代に生きる我々の「中世とはかくあるべし」という願望が 投影されているだけではないだろうか。⑿
「中世は宗教の時代」という常套句は、中世について分かったような気にさせるが、実際には現代人の願望が 投影されているだけでないか、という。
当シンポの論評者となった船田淳一も2017年、説話文学会の大会シンポジウム「神仏の儀礼と宗教空間を 担うもの──唱導・仏像・仮面──」にコメンテーターとして登壇し、拙文「両講座における中世思想史研究
の課題」を取り上げつつこう論評したという。
中世儀礼研究が宗教に傾斜するのは、近代的な世俗化論に対して近代に回収されない中世を見出すという 志向性に起因している。1980年代後半以降、殊に顕著となったポストモダン的状況下の知は、「宗教の時 代としての中世」の価値を発見したのであり、30年近く「中世ルネサンス」的な学界の空気が持続して きたと言えよう。
〔森の…引用者註〕こうした発言は、ここ30年程続いてきた「中世ルネサンス」や「宗教儀礼研究」の 成果が、審議される段階に至ったことを意味していると思われる〔…〕。中世宗教儀礼研究が、この辺り で役割を終え知のアリーナを去るのではなく、セカンドステージの扉を開くためには、いま改めて中世宗 教儀礼研究の総括が行われなくてはならないのだと感じている。⒀
世俗化した近代に回収されない中世を見出すという志向は、中世儀礼研究を宗教に傾斜させてきた。30年ほ ど継続していた「中世ルネサンス」による中世宗教儀礼研究は、これまでの成果が審議されるべき段階にある、
という。
これまでの中世思想史学界は宗教を過大評価し、世俗を過小評価してきたと考えられる。黒田や平雅行の顕 密体制論も佐藤のコスモロジー論も、中世の国家宗教史や宗教史についての学説であり、漢学など非宗教の思 想を顧慮していないと言ってよい。世俗やそれと宗教との関係などは今なお研究の余地が大きい。殊に漢学へ の低い関心は、顕密体制論やコスモロジー論だけの問題でなく、国文学界をやや例外として、日本史や思想史 など諸学界共通の問題でもある。
また、世俗思想の研究は開拓の余地が大きいというだけでなく、以前より後退しつつあるかも知れない。一 例として、嘗て玉懸博之が鎌倉幕府の政治思想などについて研究を積み重ねていたが、今その欠を補っている 思想史研究者は見出し難い。たとえ玉懸の研究とは逆の結論になろうとも、誰かがそれを積み重ねていくべき である⒁。
第 4 項 粗雑な社会評論
近年刊行されたぺりかん社版『日本思想史講座』と岩波書店版『岩波講座日本の思想』では、ともに未来志 向の編集方針が打ち出されていた。
先の見えないこの危機と閉塞の時代に、この列島でなされてきた知の営みを集約し、未来への希望を託し たささやかなメッセージとして国内外に発信したいというのが私たちの強い希望である。⒂
本講座では、過去の思想と今日とが切り結ぶ問題を設定し、テーマごとにそれぞれの執筆者が論じる。思 想の転変について精密に点検し、批判の篩にかけることで、新たな角度からの光をあてたいと考えたから である。思想の蓄積を貴重な財産とし、未来にむけた思想を創りだすことができるだろう。⒃
本講座は未来への希望を託したささやかなメッセージとして国内外に発信するものであり、未来に向けた思想 を創り出したい、と5人の編者たちは主張する。前項で引用したように、拙文「両講座における中世思想史研 究の課題」でも、このような「思想史研究を今日に役立たせるという問題意識は、研究の幅を狭めることにも なりかねない」ということを指摘した。
しかも、両講座の編集委員を務めた末木と佐藤は、未来志向という問題意識を実践しているのであろうか、
社会評論にも踏み出している。末木は2011年、『中外日報』4月26日号で、東日本大震災を「天罰」として 受け止め、謙虚に反省しなければならないと主張した。これが高橋哲哉『犠牲のシステム──福島・沖縄
──』(集英社、2012年)などで批判されると、末木は『現代仏教論』(新潮社、2012年)などで反論すると ともに、天罰論を再論した。
そして末木は、2015年に『草木成仏の思想──安然と日本人の自然観──』(サンガ)で斯く述べた。
自然の奥の「冥」なるものへの畏れを取り戻すことの必要を説く私に対して、自然はあくまで自然として 科学の問題であり、それを超えた力を認めるのはおかしいという批判ばかりが集中した。これはきわめて 奇怪であるとともに、危険なことである。そのような思いから、拙著〔『現代仏教論』…引用者註〕を出 版した。世間はもはや震災のことなど関心をなくしてしまったようで、拙著へもどこからも批判が出な
かった。原発問題を除けば、震災はもう過去のこととされてしまったようだ。「絆」というような口当り のよい言葉だけが闊歩し、本質に触れる問題を避け、言葉を統制し、それどころか言葉狩りが横行し、被 災地はできるだけそっと閉じ込めて語らないようにして、早く忘れようというのが、今日の日本の社会の やり方らしい。それは、戦争期に日本軍の大勝利ばかりが喧伝され、それへの危倶を表明することが許さ れなかった時代に似ている。「日本を取り戻す」「強い日本を作る」という幻想が嘘であることをみんなが 知りながら、それを口にすると圧殺される。そんな時代がよい時代であるわけがない。戦争と自然破壊へ 向けて、一直線に進んでいるようだ。〔…〕預言者の言葉は世に容れられることはないが、言うべきこと
は言わなければならない。 (167-68頁)
日本人は、自然の奥にある「冥」なるものへの畏れを取り戻すべきだ。そう訴える自説に批判が集中したこと は奇怪であり、危険でもある。自著『現代仏教論』が批判されなかったのは、震災がすでに過去のこととされ てしまっているからだろう。今日の日本社会は戦争と自然破壊へ驀進しており、預言者は世に容れられなくて も言うべきことを言わなければならない、という。
自然の強さ大きさを畏れ、人間の弱さ小ささを忘れるな、という末木の主張は報告者にも理解できる。しか し、その主張に「冥」「天罰」などの語を用いることは理解できない。末木の天罰論は不健全なものに見えて ならないが、報告者の知る限り、日本思想史研究者からの批判は一つも公表されなかった。報告者は末木の天 罰論が撲滅されるべきだと考えていないが、全く批判せず黙認してきた日本思想史学界はより不健全であった ろう。
佐藤も2018年、『「神国」日本──記紀から中世、そしてナショナリズムへ──』(講談社、初刊2006年)
の「文庫版刊行にあたって」(書き下ろし)で、次のように述べた。
科学技術の暴走に加えて、近代社会が生み出したもう一つの産物が、排他的なウルトラ・ナショナリズム やヘイトスピーチにみられるような「心の劣化」ともいうべき現象である。文明化の成熟は人間の理性の 全面的な開花をもたらすものと考えられ、高いモラルを土台とする理想社会の誕生を予感させた。だが、
現実がその方向に進むことはなかった。現在、日本と韓国・中国の間では、それぞれの境界に位置する小 島の領有をめぐって激しい応酬が繰り広げられている。近代に入る前の時代では、経済的価値のない無人 島を「固有の領土」とした上で、その所有の正当性が主張されることはなかった。まして、為政者だけで なく国民を巻き込んだ激しい誹誇中傷合戦は皆無だった。いまわたしたちは、みずからが生み出した巨大 にして醜悪な暗黒面の深淵を目の当たりにして、なすすべもなく呆然と佇んでいるのである。
(205-06頁)
人文科学の究極の目的は、人間というこの不可解な存在の本質を解き明かすところにある。哲学・歴史学・
文学といった学問分野は、いずれもこの課題に解答を提示することを最終的な目的としていたはずであ る。しかし、学問の本来の目標は忘れられ、個々の学問分野の維持そのものが目的化しているのが学界の 現状である。こうした状況に対する問題意識が、人文学の存在意義を問う声の背景にはある。21世紀に 生きるわたしたちは、かつて近代の草創期に思想家たちが思い描いたような、直線的な進化の果てに生み 出された理想社会にいるのではない。近代化は人類にかつてない物質的な繁栄をもたらす一方で、人間の 心に、昔の人が想像もしえなかったような無機質な領域を創り出した。いま世界中で問題になっているウ ルトラ・ナショナリズムや民族差別もそこから生まれた。原子力発電所の事故や環境汚染も、根本的な要 因は人間の心の劣化にあると私は考えている。 (222頁)
人文学の究極の目的は、人間という存在の本質の解明にある。そして、人の心は劣化しており、ウルトラ・ナ ショナリズムや民族差別、原子力発電所の事故や環境汚染の原因にもなっている、という。
だが、人の心が低劣でない時期は未だ嘗て存在していないのでないか。「人間の心の劣化」という理解その ものが、思想史研究者として注意を喚起すべき、一つの歴史観でしかないのでないか。佐藤の文章は、かえっ て人文学の存在意義を疑わせるもののように見えてならない。
近現代思想史の研究者であればともかく、中世思想史の研究者にとって、現代社会を評論するなどというこ とは研究者の本分でない。また、社会もそのような評論を中世思想史の研究者に期待していないであろう。中
世思想史研究者による社会評論がもし妥当で蒙を啓くようなものであれば、需要を掘り起こして中世思想史研 究の新たな意義を知らしめることにもなるが、もし荒唐無稽なものであれば、中世思想史研究の意義を疑わせ ることにもなり得る⒄。
率直に言って、報告者には末木や佐藤の社会評論は粗雑で黴臭いものに見えてならない。これが若い世代に 日本中世思想史研究を嫌厭させ、一般読者や納税者から人文科学への支持を失わせる原因になり得ることにも 注意すべきである。
結語
以上、本報告では日本中世思想史学界の窮状や通弊を整理紹介し、問題提起した。
この学界は、顕密体制論により思想史学界の内外で中世研究が活発になったという神話から脱却し、日本中 世思想史研究が現在窮地にあるという危機意識を共有すべきである。理想としては日本思想史や日本中世思想 史の通史が叙述されるべきであるが、現状ではそれどころでない。
思想史研究者は、日本史や国文学に学び、取り入れるべきものを取り入れるべきであるが、他学界に盲従す べきでない。すでに研究し尽くされたと思われている対象にも研究の余地はある。報告者の「興福寺奏状」研 究などは、そのような実例と言ってよいであろう。
日本中世が宗教の時代であり、そのため日本中世思想史研究もまた日本中世宗教史研究であるべきだ、とい う通念も修正されるべきである。漢学など世俗思想の研究は開拓や拡充が必要であり、世俗思想と宗教思想の 研究も融合されるべきである。
そして、思想史研究者による粗雑な社会評論は逆効果にもなる。他の思想史研究者は適宜それを批判すべき であろう。
注
⑴ なお、報告者は「中世」などの時代区分は好ましくないと考えているが、本報告では便宜のため用いることとした。
⑵ 報告者は日本思想史学会について、2011年5月、ある若手日本中世史研究者から「あそこは日本近代思想史学会でしょ」
と言われ、また2015年8月、ある中堅中世国文学研究者から「たまに必要な論文が会誌に載ったらそこを複写すればよいだけ」
と言われたことがある。なお、この2人はその後も同学会に加入していない。
⑶ ただし、近年刊行の両講座は日本思想史学界においてもさほど波及しなかった。両講座の編集委員の一人であった末木文美 士も岩波講座について、「残念なことに、〔…〕あまり大きな話題とならないままに日が過ぎている」と述べている(「思想史 の構想」、『岩波講座日本歴史月報』12、2014年、1-2頁)。
⑷ 拙稿「両講座における中世思想史研究の課題」、『日本思想史学』48、2016年、25-26頁。
⑸ 末木文美士「第四八号特集コメント記事への応答」、『日本思想史学』49、2017年、52頁。
⑹ 拙稿「拙著『摂関院政期思想史研究』翼増三章──再び平雅行「破綻論」などに答う──」(『論叢アジアの文化と思想』
23、2014年、第3章「研究史における顕密体制論」)参照。なお、首唱者は平雅行だが、同学会の会員でないためここでは除 外する。
⑺ 拙稿「拙著『摂関院政期思想史研究』翼増三章」(前掲)、519-20頁。
⑻ 末木文美士「思想/思想史/思想史学──二つの日本思想史講座と日本思想史の問い方──」、『日本思想史学』48、2016年、
16頁、後註2。
⑼ なお報告者は、拙稿「拙著『摂関院政期思想史研究』翼増三章」(前掲)の刊行直後に抜き刷りを末木に郵送しており、こ の「思想/思想史/思想史学」(前掲)の刊行直後、末木に電子メールを送って誤解を指摘した。
⑽ 富島義幸「浄土教と密教──平安仏教の理解をめぐって──」、『日本歴史』728、2009年、64頁。
⑾ 最新の成果としては、拙稿「読『鎌倉仏教と専修念仏』──五たび平雅行に答う──」(『早稲田大学高等研究所紀要』11、 2019年)参照。2019年6月には、中近世宗教史研究会で拡大例会シンポジウム「後鳥羽院政期の事件としての建永の「法難」
──歴史と思想から考える──」が開催され、報告者も登壇報告した。
⑿ 藤巻和宏「古典教育と宗教思想──中世は「宗教の時代」なのか?──」、松尾葦江編『ともに読む古典──中世文学編──』、
笠間書院、2017年、249-50頁。
⒀ 船田淳一「中世宗教儀礼研究の現在」、『説話文学研究』53、2018年、30、32頁。
⒁ 報告者は2017年、日本思想史事典編集委員会から『日本思想史事典』(本論前掲)の「鎌倉幕府の政治思想」を担当するよ う依頼され、同項の執筆過程でこの思いを強くした。
⒂ 苅部直・黒住真・佐藤弘夫・末木文美士・田尻祐一郎「刊行にあたって」、同編『古代』(『日本思想史講座』1)、ぺりかん社、
2012年、3頁。
⒃ 苅部直・黒住真・佐藤弘夫・末木文美士「編集にあたって」、同編『「日本」と日本思想』(『岩波講座日本の思想』1)、岩波 書店、2013年、ⅴ頁。
⒄ なお報告者は、自分もまた2012年に「摂関院政期と「民衆仏教史観」」(『鴨東通信』88)で現代社会を評論したことを忘れ ていない。
追記
当日は論評者の船田から幾つかの論評があり、報告者は全体討論の冒頭でそれに応答した。ここでは当日の応酬をそのまま再 現するのでなく、船田の論評記録「日本中世思想史の「明日」のために」の「1.森新之介氏の報告を受けて」を読んで得た、
本稿執筆時現在の卑見を述べることにする。
船田は中世思想史の研究状況についてこう観察する。
最近の日本思想史学会(特に古代・中世部会)の危機状況は、稿者も強く共有するものである。ただし中世思想史研究総体 が停滞し、そのプレゼンスは凋落しているのだろうか。仏教学を専門とする末木文美士氏は中世思想史を活発であると見て いる。日本思想史学会ではなく、中世文学研究者の阿部泰郎氏らが牽引している中世思想研究の動向などを見れば、確かに そう言える。特に中世宗教思想の領域では、従来的な禅宗イメージが大きく修正されつつあり誠に注目すべきものがある。
この研究は学際的に展開しており、「思想史学」とか「日本思想史学会」といった個別の範疇に回収できない。よって「中 世思想史学が低調でも、中世(宗教)思想研究は盛況」という状況は観測し得るのである。換言すれば「狭義の思想史=低 調/広義の思想史=盛況」となろうか。
船田によれば、狭義の思想史である中世思想史学は低調だが、広義の思想史である中世(宗教)思想研究は盛況だという。しか し、当日の全体討論で報告者が指摘し船田も後註5で認めるように、何が狭義で何が広義かという異同は必ずしも明らかでない。
船田は「森氏は自覚的に「狭義の中世思想史」に立脚して発言しており、末木氏は「広義の思想史」の側から発言していると、
ひとまず受け取ることができよう」とも述べるが、船田本人にも説明できない概念に報告者が「自覚的に〔…〕立脚して発言し て」いるということは有り得ない。やはり当日の全体討論で指摘したように、報告者の幾つかの研究は船田の所謂「狭義」にも
「広義」にも分類できないものだと考えている。
より大きな問題として、船田のように中世思想史研究を狭義と広義に二分すると、後者が前者を包摂しているかのような印象 を与えるが、実際には必ずしもそうなっていない。両者の研究は交叉せず、平行しているように見えることも少なくない。船田 の分類法では、そのような現状が認識され難くなる虞もあろう。
船田が強調するように、近年の禅宗研究は目覚ましい成果を挙げつつある。それらの研究成果は十分に強調され慶賀されるべ きであるが、だからと言って目を奪われるべきでないと考えられる。譬えて言えば、荻生徂徠の蘐園学派が近世思想史において 非常に重要な存在だからと言って、蘐園学派研究さえ盛況であれば近世思想史研究が盛況だということにはならないであろう。
光の当たる研究にも当たらない研究にも目を向けていく必要がある。
なお、船田が当シンポの8箇月後に刊行した「中世宗教思想史の現在──「対話」にむけた研究史読解の一過程──」(『季刊 日本思想史』83、2019年)は必読。
報告 2「思想史研究とコスモロジー論」
大塚 紀弘(日本史)
はじめに
思想は今も昔も複雑かつ多様なため、ある時期(過去・現在)の思想像(思想に関する歴史像)を描くのは 非常に困難である。したがって、視座、視角の相違によって、複数の思想像が並存して何ら問題はない。とは いえ、「思想史」研究では、「大方の研究者が共有できるような「中世思想」というイメージ」〔佐藤 2006年〕
を構築するため、「浸透(流通)範囲」の広かった「時代精神(思潮)」〔丸山 1961年〕に注目するという方 向があり得る。日本中世の思想に関して、そうした方向で組み立てられた論としては、顕密体制論(黒田俊雄 氏・平雅行氏)、コスモロジー論(佐藤弘夫氏)が該当すると思われるが、どちらも根本的な問題点を抱えて いるように思える。以下、両論の特徴を整理し、それぞれの問題点を指摘した上で、目指すべき方向を提案し たい。
1.顕密体制論・コスモロジー論の特徴と問題点
顕密体制論の特徴として、顕密体制(中世宗教と国家の癒着関係)の根幹とされる「顕密主義」の定義が、
顕教と密教の関係に基づく論理から、顕密仏教(旧仏教)が共有する思想的要素へと拡大解釈的に変化したこ とが挙げられる。顕密体制論の前提には、権門体制論─荘園制に基づく分権的な領主が天皇によって〈統合〉
された国家と、その民衆支配による社会の〈統合〉─がある。その中で「顕密主義」は、体制思想(権門体制 思想、荘園制思想)の神仏宗教的な要素を指すに過ぎない。
顕密体制論では、体制思想には民衆的な基盤が不可欠とされるが、顕密仏教がそれを促進したといえるのだ ろうか。顕密仏教の思想が体制思想の全てではなく、しかもその根幹であったとも限らない。また、顕密体制 論では、法然、日蓮らの異端派(急進改革派)の思想について、顕密仏教や国家と共有できなかった要素(往 生論)を取り出して高く評価する。だが、法然、日蓮らと顕密仏教の思想的な共通点には目が向けられない。
体制思想の神仏宗教的要素によって、中世国家が民衆支配を試みたことは確かだろうが、民衆がそれを全面 的に受け入れていたとは考え難い。そもそも荘園制=権門体制による民衆支配の根幹に、宗教的な思想(イデ オロギー)があったかどうか疑問である。統治を委ねる権力に対する年貢の納入は、今に至る「納税の義務」
と大差ないのではないか。いずれにせよ、顕密体制論では、法然、日蓮らの思想の異端性、革新性(体制思想 との乖離)に喝采することを目的に、体制思想(理念)の一部を抽出して実態視し、過大評価しているように 見える。以下に述べるように、この点はコスモロジー論とも共通する。
コスモロジー論は顕密体制論に依拠しているが、その根幹には、中世の起請文から読み取った「神仏」の序 列がある。だが、定型的な文言のみを根拠として、当時の人々がそのように認識していたと実態視してよいの だろうか。仏像と神(神像)を「この世の神仏」として一括し、「あの世の仏」の「垂迹」とする視角は明快 だが、その他の神仏(「垂迹」とはみなされない「神仏」)が無視されている。二重構造による理解は、浄土信 仰の浸透に対応する枠組みで、現世(此岸)の「神仏」(寺社)と浄土(彼岸)の「仏」を峻別しているに過 ぎない。また、「コスモロジー」(実態)をうたいながら、実際には浄土思想に基づく理念(往生論)のみを抽 出している。
そもそも「この世の神仏」への帰依を通じてのみ往生が可能であるとする認識、「この世の神仏」の存在す る場所を「この世の浄土」とする認識は、どの程度社会に浸透していたのだろうか。寺社参詣を促す側の主張 のみを根拠として、当時の人々の認識であったと拡大解釈してよいのか。顕密仏教の理念のある一面に過ぎな いのではないか。
さらに、コスモロジー論では、法然、日蓮について「この世の神仏」を介在させず、「あの世の仏」を直接 信仰する救済論を提示したとして高く評価する。だが、その礼拝対象である文字(名号、題目)について十分 に説明できていない。また、神社、仏像と同じく礼拝対象だった仏画について、明確な位置づけがなされてい ない。仏画(メディア)を通じて「あの世の仏」を信仰するのは一般的だったのでないか。中世の人々は、仏 画の一種として、種子、名号(親鸞)、題目(日蓮)を描いた文字図を本尊として礼拝していた。実在感に富 む仏像(生身仏・霊験仏)に対して、実在感に乏しい文字図をメディアとして、浄土の仏に直接願いを伝える 方向性が生まれたのではないか。
このように、コスモロジー論では、往生論に焦点を絞り、法然、日蓮の理念を顕密仏教の一部の理念と対置 して浮かび上がる対照性を軸に構築された論といえる。したがって、両者の共通点を含めた実態は度外視され ている。法然、日蓮の思想の異端性、革新性に喝采することを目的に、一部の理念(往生論)を取り出して実 態視し、戦略的に虚構の「コスモロジー」を提示しているようにも見える。
2.宗教思想史から社会思想史へ
以上のような顕密仏教論、コスモロジー論の問題点を念頭に、今後どのような方向性によって日本中世の思 想史を再構築すべきだろうか。ここでは、神仏宗教思想史からの脱却を提案したい。これまでの研究では、日 本中世思想の独自性(前後の時代との相違点)を前面に出そうとする余り、神仏宗教思想が過大評価されてい るように思われる。そうであるならば、神仏宗教思想への偏重を改めて、社会思想全体に目を向けてはどうか。
神仏宗教思想史から社会思想史へという発想の転換である。こうした観点から、以下2点に絞って追究すべき 課題を挙げていこう。
第1に、中世の体制思想を総体的に考える場合、顕密仏教論のように神仏宗教的な要素のみを取り上げるの では不十分である。むしろ非神仏宗教的な分野(儒教的倫理などの社会規範)の影響力の方が大きかったので
はないか。礼的思想の受容と変容〔桃崎 2018年〕は、儀礼、礼楽思想(音楽、詩歌)や法との関わりのみな らず、社会規範(礼儀作法)としての受容という視点から追究すべきである。寺社の宗教的な「儀礼」と礼的 秩序に基づく儀礼の共通性や影響関係にも注目すべきである。また、統治理念としての徳政思想、撫民思想の 展開も重要だろう。
さらには、社会を〈統合〉したとされる体制思想に安住せず、多様な社会集団の思想(結合、行動の規範)
に目を向ける必要がある。〈上から目線〉の国家史の呪縛から逃れるためには、社会史(社会集団の歴史)の 視点を加えることが求められよう。国家は社会集団(「家」)によって初めて存立し、社会の構成要素の一つを 成すからである。
第2に、従来の「思想史」研究では宗教的規範に関する研究が個別分散的に行なわれがちで、それぞれの相 互関係について追究が不十分である。宗教的規範の相互関係(結合と葛藤)への着目は、分野横断的な社会思 想史の構築に資するはずである。特に注目すべきなのが、仏教、神祇信仰、陰陽道、儒教(倫理)など、複数 の宗教が重なり合う領域の思想(規範)である。
天皇制国家は、儒教的な天人相関思想、徳治思想に基づく責任追及を回避するため、神祇官・陰陽道の卜占
(災害・怪異←神・怨霊の祟り←穢れなど)を活用し、祭祀(神祇信仰、陰陽道)や祈禱(仏教)で対応した〔山
下 2010年〕〔片岡 2013年〕。ここに、宗教的規範の相互関係(結合)が典型的に表れている。
次に、神祇信仰と仏教をつなぐ重要な要素、すなわち本地垂迹説の前提として、〈清浄〉あるいは〈清浄化〉
の思想が挙げられる。〈清浄〉の神・仏と祭祀者・祭祀具の〈清浄化〉は対応する。戒律(持戒による〈清浄化〉)、
別時念仏(往生のための〈清浄化〉)とも密接な関係にあり、神仏習合、神仏共存を成り立たせる論理として 追究すべきである。神前読経(「浄行」)、如法経の埋納(経塚)による聖地(神社)の仏教化にも、この論理 が付随している。さらに殺生・肉食の禁断には、神祇信仰の禁忌と仏教の戒律がともに関係するが、〈清浄化〉
の思想が両者をつなぐ役割りを果たしたと考えらえる。
一方、戦国時代に広まった「天道」の観念(規範)は、神仏信仰をも包摂したとされる〔神田 2016年〕。
これは、天人相関思想を背景としており、儒教的な世俗的道徳論に基づく「コスモロジー」とも位置づけられ る。先述のコスモロジー論のように、仏教の往生論に限定されておらず、広く影響力を持った社会規範として 注目に値する。
儒教的な要素でいうと、「孝」の思想(倫理)は、仏教の出家思想と本質的に相容れない。そのため、家の 継承のために「孝」を優先し、出家を思いとどまる者もいたはずである。「不孝」は、仏教的な「恩」「孝」の 思想によって解消される余地があるが、両者のはざまでの葛藤も想定される。ただし、寺院での教育によって、
儒教的倫理が仏教思想と合わせて広まったことも忘れてはならない。親子・夫婦・主従関係での通俗的な倫理
(実践道徳)の展開もまた、仏教思想の社会的受容という側面からとらえることができる〔黒田 2017年〕。
おわりに
ここで上記の内容をふまえて、研究上避けて通れない桎梏として、理念、規範と実態との微妙な関係にも触 れておこう。史料に残された記述は理念(スローガン)や規範に過ぎないことが多く、実態とのズレに注意し ないと、虚構の歴史像を描くことになってしまう。これは、法や制度と現実との不一致とも共通する。ただし、
実態は複雑であるため、理念や規範によってしか明確に整理できないともいいうる。とはいえ、理念や規範が 実態を規定する部分も大きく、両者を視野に入れて総合的に考察する必要がある。
中世仏教を例にすると、「顕密」八宗共存の理念と「禅教律」十宗共存の理念に基づく顕密仏教、禅律仏教 の併存が挙げられる。顕密体制は、体制という概念に準拠するのならば、理念ではなく実態を重視して初めて 考察の対象にできよう。そのためには、顕教の「四箇大寺」と密教の「三門真言」を基盤とする顕密仏教と国 家の協調関係などと明確に再定義することが求められる。いずれにせよ、理念や規範を分析の基本としつつも、
実態から目をそらさず、それらがどの程度その時その時の社会で実現したかどうかを、考察の中心に据える必 要がある。
さて、歴史学で取り扱う過去の対象を〈人〉〈物〉〈知〉の三者に分けるとすると、〈人〉〈物〉や両者が織り