学校選択の理論
黒崎 勲
序説 公立学校の危機と学校選択問題の動向
わが国においても公立学校離れが進行している。臨時教育審議会の最終報告 は私立中学校の勧めを説いていたから,この現象を「教育の自由化」政策の具 体化とみ,臨教審路線の貫徹とみるという見方が生まれることは当然であろう。
事実,この夏の教育科学研究会の世話人グループをつとめた久冨善之,三上和 夫氏など(講座「私立ブームを考える」及び「政治と教育」分科会の世話人)
の報告はそのようなものであった。
1
ここではまず,私学ブームと呼ばれるものの実態について紹介しよう。学校 基本調査によれば1991年の中学校1年生の場合,全国168万0758人のうち私学 在籍者は7万3696人で,約4.4%の生徒が私学に進学していることになる。
これを1983年と比べてみれば,同じく全国205万1853人の生徒のうち私学在籍 者は6万3876人で,約3.1%となる。4割以上の伸びとでもいえようか。し かし,この数字は今日問題となっている事態を必ずしも十分に表わしてはいな い。問題は大都市に集中的に現れているからである。教育科学研究会の講座の 主たる報告者となった長谷川元昭氏は,杉並区の小学校を対象とした実態の報 告を行っている。それによれば杉並区の全小学校44校の6年生4478人のうち私 学入学者は847人である。約18.9%の生徒が私学に進学したことになる。さら
に,受験者でみれば42校から回答があり,その数は1363人,該当する42校の総 生徒(6年生)数に対して約31.8%ということになる。
私立学校受験者の動向を本格的に調査し,いち早く問題を提起したのは東京 都教組であった。都教組では1987年3月と1991年3月に東京の公立・』・学校から 私立中学校を受験し,進学した子どもたちについての実態を調査している。そ
れによれば,公立小学校を卒業して私立あるいは国立の中学校を受験した児童 の割合は1991年には22.7%(男子20.2%,女子25.3%),実際にそれらに 進学した児童の割合は14.2%(男子11.0%,女子17.5%)であった。この 数字は4年前に比べて,受験率で8.1ポイント,進学率で5.3ポイントの上 昇である。この調査は東京都を12の地域に分けて分析しているが,それぞれの 地域における受験率,進学率は次のようになっている(もちろんここでいう地 域とは小学生の居住する地域を指している)。
(単位%)
受験率 進学率 受験率 進学率
都 心 26.80 17.50 西 多 摩 9.60 7.90
山 の 手 37.00 26.10 南 多 摩 19.40 10.90
下 町 33.70 22.20 北多摩西部 12.90 6.00
南 部 30.60 19.60 北多摩南部 17.00 9.20
西 部 32.60 19.20 北多摩北部 9.60 5.70
北 部 15.30 10.40
東 部 19.70 13.30 全 都 22.70 14.20
山の手,下町,南部,西部の4地域において進学率が20%あるいはそれを越 え,受験率では30%を越えている。地域によっては受験者が半数を越え,進学 者が3割を越える行政区もあるとされる。この数は私立学校と公立学校とが経 済的人種的に分離し,公立学校の衰退が深刻な話題になっているアメリカ合衆
国の大都市のそれにも匹敵するほどである。
全米知事協議会の報告(1987)によれば,アメリカの大都市における私立学 校への就学率は次のようになっている。
(単位%)
アルバカーキー 14 ロスアンゼルス 17
アトランタ 14 サンフランシスコ 14
メンフィス 21 シカゴ 23
私学進学者の増加といわれるなかで,男子と女子の場合を比較してみると一 貫して女子の私学進学志向のほうが男子を上回っていることが分かる。これは 東京都においてもそうであるし,全国的な傾向としてもそうである。この結果,
公立中学校では男子と女子の生徒の比率が 著しく偏ったものとなってきている。こっ
した観点から東京都港区の3つの中学校を 任意に抽出してみた結果を桜田栄一氏が分 科会で報告している。公立中学校において
男子と女子の生徒の比率が2対1に近いところまで開いている例があるという
のは驚かされる。
A校 B校 C校
男子 67 46 87
女子 41 42 73
女子/男子 0.61 0.91 0.84
I I
ところで,教科研の世話人グループが提起したのは公立学校の危機という問 題ではなかった。そこで提起されたのは「公教育の危機」であった。世話人グ ループが用意した分科会の基調報告は,次のように問題を整理してみせるので
ある。
「大都市圏を中心に,私立中学校受験のブームが高まり,少しつつ確実に全 国各地にひろがっています。……そこにある『公立中学校に対する見限り』と いう,国民の一部の層に生まれて広がっている意識と行動とは,決して東京区 部だけの問題ではなく,全国民的なテーマであるからです。より広く見れば,
階層分化が拡大し,その学校システムを通じての再生産が強まる中で,地域の 公立学校が,地域の諸階層の協同の基盤の上に成立し得るかどうかという問題 であります。しかし,私立中学受験という選択も決して『バラ色の道』ではあ りません。それは,日本教育の最大の病根である『競争の教育』に親子ともど もより深くとらわれ,自らの行動でそれを更に強めてしまう道です。……まさ に,公立学校だけではない,『公教育全体の危機と変質』の進行であります。」
私学ブームを「公立中学校への見限り」とみるのは問題の綾小化した見方な のだというのがここでのポイントである。教育制度問題は複合的で,社会のあ
り方に結び付いているから,一つのポイントに固執する議論はいつもより広い
見方によってかわされることになる。しかし,それは現実の課題を具体的に解 決しようとする問題把握の方法ではないのではないか。そこには教育政策の動 向および教育制度の現状と教育の実践とを対比的に論じるという前提がある。
しかし,制度状況の分析と実践の検討を対比的なものとすることが教育制度の 研究をどれほど不毛にしてきたことだろうか。
私立中学受験ブームを検討するに当っては,まず,これを公立中学校の危機 と把握し,その意味内容を検討することから始めなければならない。私立中学 への受験が「バラ色の道」などでないことはいうまでもない。しかし,だから
といって,主たる問題が公立学校に突き付けられているという事実を避けるわ けにはいかない。すでに述べたが,東京都における私立中学校進学者の比率は,
公立学校の危機が深刻化しているアメリカ合衆国の大都市のそれに近づくほど の水準にあるのである。
私立中学受験ブームを分析する公立学校教師の視点は明快である。中学受験 の競争からくる小学校生徒の学級における生活の問題点の指摘と塾で身に付け
る学力への軽蔑,進学競争に巻き込まれた親の学校に対する態度への非難,競 争を煽る企業社会と国家に対する不信。その分析の全体を通して語られる問題 点は私学ブームが公立学校における教育を困難にさせているという視点からの ものに終始している。では,なにが問題として意識されていないのか。それは 公立学校の見限りという意識の原因としての公立学校の制度である。あえてい
えば公立学校の制度の具体的姿としての公立学校教職員の活動の実態である。
競争は企業社会と文部省によって誘導されているという見方と,塾などの受験 産業の巧みな宣伝と,親の教育への見識のなさによって子どもが競争に駆り立 てられているという見方が,そこにはあり,こうしたものの犠牲者としての子 どもたちの深刻な姿がそこに描き出されているのである。こうした分析にあっ ては,一貫して公立中学校は私学ブームの犠牲者として存在する。これは今日,
アメリカ社会において学校選択の理念をめぐって学校の再建に真剣に取り組ん でいる公立学校の関係者の問題意識とはまったく対照的なものである。アメリ カにおいては公立学校制度はその社会のもっとも根幹をなす制度ともいうべき ものであった。学校は,富裕なものと貧困なもの,優秀なものと学習進度の遅
いもの,白人と黒人,などなどといったあらゆるタイプの子どもに共通に教育 を行うことが目指されるべき理想とされていた。それは「総合的な学校の理想」
と呼ばれて,公立学校制度はそれを実現する使命を担ってきた。教育機会の階 層による分断が顕著になり,実際の公立学校への不満が高まり,学校選択の理 念が力を持ち始めたとき,それをこれまで唯一最善の方法(one best system)
とされてきたこの総合的な公立学校制度への批判と受け止め,公立学校制度の 原理自体の再構築のための取組が始まった。それがアメリカ社会における学校 選択の理念による学校改革のための取組であった。これと比べるならば,日本 における私学受験ブームを論じる公立学校関係者の感受性は鋭いとはいえない。
公立学校の教師はしばしば塾の教育は受験に一面化しているから簡単であり,
公立学校の真の授業は多面的なものであって困難が多いと主張する。また,子 どもは表面的な学力にはひきつけられるが,本当に考えるということをいやが るから,公立学校の授業は塾のようには容易ではないという。しかし,本当に そうなのであろうか。公立小学校にしろ,中学校にしろ,すべての生徒の必要 に応ずる教育活動が出来ているのだろうか。教師自身が,公立学校の教師とし て,学習指導要領に固く限定され,教科書検定の制度に縛られ,公立学校であ るからということで有形無形の制約を被ってはいないだろうか。もし,このよ うな理由ですべての生徒にとって必要に応ずる教育活動を行い得ないでいると したら,要求を満たされない生徒が公立学校を離れていくことは当然のことで ある。教師に第一の責任があるというのではない。しかし,現行の公立学校が
もつ制約を自明の前提とし,そこに私学ブームの原因としての公立学校制度の 問題を自覚できないとすれば,そうした教師の意識に対しては責任が問われる べきだといえよう。
私学ブームのなかで公立中学校はリーダーを失った生徒集団をもつことにな るという指摘が多かった。アメリカにおいて,マグネット・スクールは優秀な 生徒を「掬いとってしまう」という批判がされるが,それと同じ問題であろう。
公立中学校が「合格できなかった子」が行く場所になるという指摘も,地域の 公立学校は子どもたちの「最後の選択」となっているというアメリカ都市中心 部の公立学校の抱える問題に共通する。これらの問題に直面して,公立学校の
制度的制約を批判の対象として検討することが必要になっているのではないか。
学校選択の理念が問題となるのはこうした課題意識と文脈においてである。
III
すでに述べたが,私学ブームの検討において,競争は企業社会と文部省によ って誘導されているという見方がある。これは私学ブームが個々の公立学校に とっては如何ともしがたいことであるとする意識を肯定する。しかし,こうし た見方は解決不可能なところに問題の原因を見出そうとする誤りを含んでいる だけでなく,私学ブームが公立学校の現状の批判としても引き起こされている という事態を見据えることを避けさせることになるという,より深刻な誤りを もっている。ニューヨークのようなアメリカの大都市で公立学校の危機が叫ば れる場合,公立学校を離れた生徒が行く先は日本で想像するような進学優先の 私立学校というものだけではない。教区学校と訳される教会に付属する形でつ くられてきた比較的小規模な学校がある。多くは目だった教育活動を行ってい るというわけでもない。それでは親がなぜ公立学校を選ばずに教区学校を選ぶ のかという質問に,多くの人が「そこには安心がある」と答えていたのが印象 的であった。こうした親は公立学校の荒れた現状に不信と不安とを抱いてそこ
を離れているのである。教科研の分科会でも親の公立学校への不信について論 じられなかったわけではない。しかし,それはなぜか「何年か前に公立学校が 荒れた時の印象が親にあって」という過去型で語られた。しかし,親の公立学 校への印象は過去の一時的な状況にのみ依拠しているのではない。わが子の教 育に問題を感じたとき,公立学校にはその親の気持ちを受け入れる柔軟さと寛 容さがあるようには見えない。公立学校が忌避される最大の問題はそこにある のではないか。公立学校である以上はそれに伴う一定の規範があるという管理 者の意識とともに,最善の教育を行っているという教師の信念もまた,時には 親に対して学校の壁を作ることになっている。イーストハーレムの公立学校の 改革に取り組むデビー・マイヤーは,自分の学校の性格を一言で言えば「すぐ れた私立学校がもっているような親と子に対して敬意をもって丁寧に迎えるあ たたかさだ」と述べている。この言葉は,私学ブームと呼ばれる日本の現状の
中で,多くの親が学校に真に期待しているものなのではないだろうか。
臨教審によって教育の自由化が提唱されたとき,学校に不満を抱いていた親 たちからは支持する声があがったが,熱心に学校改革に取り組んでいた教師か らは公教育の解体であるという強い反対があった。そこには無意識のうちにも 公立学校制度をのみ教育の正系と観念する傾向がなかったとはいえないだろう。
それが学校に対する親と子どもの期待と教師の努力との間にスレ違いを引き起 こしている。私学ブームとはこのような事態を指しているのではないか。とす ればそれが教育制度全体の危機の中での現象だとしても,まずは公立学校のあ り方について真剣な反省をせまるものと受け止めるべきであろう。少なくとも,
公立学校の関係者にとってはそれは疑う余地のないところではないか。くりか えすが,問われているのは単純に公立学校教師の無力さなのではない。教師の 効果的な教育活動を妨げている公立学校制度の伝統的な想定ないし規範である。
そして,こうした制約となっている公立学校制度の前提に対する批判意識の欠 如が教師に対して問われている問題だといえよう。
公立学校制度の現状に対する批判意識が希薄であるなどということはないと 多くの教師は反論するかもしれない。しかし,批判的に問われているのは,文 部省による「反動的な教育行政・教育政策」に限定されるものではないという
ことである。反省を迫られているのは,すべての子どもに唯一最善の教育の道 があり,それは専門家によって見極められるとする観念である。公立学校制度 の前提が問い直されているといったのはこういう意味である。また,批判され るべきものは教育行政であり,教師はその被害者であるという批判の態度もま た問い直されているのである。教師が被害者として公立学校制度の下に閉塞さ せられているとき,親からみれば,教師個人への信頼と公立学校への不信とを
区別することは意味を持たない。教師が公立学校の体制に対する批判を,子ど もの教育の活動に生きる場面で実践するとき,はじめて公立学校制度に対する 見限りという意識を転換する契機が生まれる。すぐれた教師の実践の報告とす
ぐれた実践家教師の制度に対する現状批判とは,別々の事柄であってはならな
いだろう。分科会の報告に対する批判に応えて,与えられた報告の課題が現状 批判であったからそれに終始する報告を行ったまでだという反論があったが,
そこには教師の活動もまた公立学校制度の想定という枠組みのなかにあり,そ の枠組み自身が問い直されているときには,制度の現状の批判から教師の実践 を区別することはできないということが自覚されていない。この自覚がないた めに,教師の努力はともすれば,親に対して公立学校制度への不満はそれとし て,そこで頑張っている教師にはもっと協力して欲しいというグチに終わるか,
教育の場である公立学校の意味を理解せず,進学競争に手を貸す親の意識をゆ がんだものとして軽蔑するところに行き着くことになる。求められているのは,
公立学校が実際に子どもたちの教育の場として安心の出来るものとなることで ある。カリキュラムの内容から時間割まで標準化を要請されるような公立学校 制度の現行の枠組みの下ではたしてそうした課題を追求できるのかどうか。マ イヤーがハーレムのただ中で目指したような,家族のような雰囲気をもった温 かな学習の場としての公立学校というものがはたして日本の中央統制的な公立 学校制度の枠組みの下で可能なのかどうか,もし,それが不可能であるとすれ ば新たな公立学校制度の枠組みとはどのように再構築されなければならないの か。この問題に真剣に取り組むことこそ,私学ブームとよばれる事態が公立学 校関係者に突き付ける問題なのではないか。私学ブームを公立学校の危機とは せずに,公教育の危機と把握するという世話人グループの問題提起は,こうし た公立学校へ厳しく突き付けられた問題から目をそらせる役割を果たした。そ のことによって,公立学校制度の枠組みを理論的に再構築する可能性を自ら閉
ざすことになったといえよう。
アメリカ大都市における私学志向と数量的に匹敵する規模に達したとはいえ,
日本の公立学校とアメリカの公立学校が抱える危機の程度が同じだというので はない。アメリカ社会では,居住地域が厳しく経済的に階層化され,人種的統 合教育のためにマイノリティが多数派となっている学校への通学を指定された 白人の子どもの半数は直ちに公立学校を離れてしまうという事態もある。また,
そこでは英語を母語としない子どもたちの教育活動に多くの時間が割かれてい る。加えて,連邦からの特別教育補助金でさえ,その多くを人件費に費消して
しまうような,官僚化された膨大な教育行政機構と圧倒的な政治力をもって教 職員の利益にのみ奉仕する組合が獲得している労働協約による制約。大学の最 底辺にランクされる教員養成プログラムと教職への極めて低い社会的評価,そ の結果特に大都市における慢性的な教職員不足。こうした様々な困難の結果,
公立学校の生徒の目を覆いたくなるような学力の低下。たとえばニューヨーク 市の公立高校の卒業率は50%に達しないのである。われわれの公立学校をとり まく事態はこのようなものではない。しかし,それでも今日の私学ブームと呼 ばれる事態の中では,アメリカ社会において学校選択の理念をめぐって活発に 展開されてきている公教育の再構築とでもいえる努力から示唆を受けるべきも のが極めて多いといえるのである。
(調査結果等はすべて1992年8月水上で開催された教育科学研究会全国大会
で報告されたものである。)
学校選択の理論
1 学校選択の歴史と現状 A GALLUP 1986
「いくつかの国々では政府が一人一人の子どもに対して(直接的に)教育の ための一定の額の金を分配している。(これを使って)親は公立学校,教区 学校,私立学校のいずれでも選択して,子どもを通学させることが出来る。
この制度は『ヴァウチャー制度』と呼ばれる。あなたはこうしたアイデァを アメリカにおいても実行したいと思いますか?」(1)
これはギャラップの世論調査の質問項目である。1970年に最初にこの質問が 行われたときには,反対が46%,賛成が43%であった。賛成と反対の比率は19 81年の調査で逆転し,1986年の調査においては46%が賛成,41%が反対となっ ている。1970年から始まるギャラップ調査の同じ項目への回答の結果は次のよ
うに変化してきた。
特に注目すべきことは,このプランがむしろ白人以外の層によって支持され ていると言うことである。1986年の調査結果については,次のような分析が加
えられている。 (単位%)
「この制度は非白人によって高い差を もって受け入れられている(賛成53 %対33%)。同じように,30歳以下の 人々,カトリックの人々,都市内部 に住んでいる人々,そして公立学校 の活動に不満をもっている人々(公 立学校にDあるいは不合格という評
価をしている人々)の間で,だいたい5対3の比率でヴァウチャー制度の導
入が支持されている」(2)。
アメリカ社会における教育改革の課題が主として都市中心部における公立学 校の質の改善にあり,貧困層あるいはマイノリティ層の教育の質の改善にある ことを考えるならば,この調査は,いわばそうした問題の当事者によって学校 選択の理念がより強く支持されていることを示しているといえるのである。
さらに質問を「地域における親がその地域のどの公立学校に通学させるかを 選択する権利をもつべきと考えるかどうか?」という形にした場合,結果は次 のようになっている。バウチャー制度と公立学校の選択の制度との対比的な検 討は後に詳しく行うが,いずれにしても,通学区を厳格に指定する現行の公立 学校制度が学校選択の自由の提唱によって激しい批判の的になっていることは 明らかであろう。
(単位%)
YES NO 無回答
1970 43 46 11
1971 38 44 18
1981 43 41 16
1983 51 38 11
1985 45 40 15
1986 46 41 13
1987 44 41 15
YES NO わから
ネい
1986年全国平均 68 25 7
1987年全国平均 71 20 9
学齢児をもたないもの 68 20 12
公立学校在学児をもつもの 76 21 3
私立学校在学児をもつもの 81 15 4
こうして,学校選択の理念は現代アメリカ合衆国の教育改革の中心的ともい える位置に席を占めるものとなってきた。「1980年には教育政策のステージの
マイナーな役者にすぎなかった学校選択の理念が80年代の終わりには,舞台の 主役になった」(3)とジョーンズは論じている。1970年代から住民運動によっ て学校選択の理念の実現を目指してきたクーンズも,「今や,突然,『選択』の ための闘いはほとんど勝利しつつあるようにみえてきた」(4)と述べている。
B成果をあげる時(TIME FOR RESULTS)
教育政策の潮流を変えたのはレーガンからブッシュへと3期連続してつづい た共和党政権による学校選択の理念の唱導と共和党,民主党を問わない州知事 主導の教育改革のキー政策としての採用であった。1989年1月にホワイトハウ スで開かれた学校選択のためのワークショップでレーガン大統領は,次のよう な演説をおこなった。
「証拠は圧倒的である。選択は働いている。それは非常によく働いている。
ハーレムの一学区では親は子どもをどこの学校へ通学させることも許される ようになって,成績が劇的に上昇したし,親や生徒にとって魅力あるものと なるように公立学校間の先例のない競争を促進するミネソタの素晴らしいプ ログラムでも,選択はアメリカで今日進行しているもっともエキサイティン
グな事柄である」(5)
同じ席で,次期大統領に選出されていたブッシュもまた,「証拠は感銘を与 え,無数にある。ほとんどの例外なしに,イーストハーレムでも,ミネソタで
も,サンフランシスコでも,ロスアンゼルスでも,そして百を越える場所にお いて,選択は機能してきている」と述べていた。アーカンソー州知事であった
ビル・クリントン(いうまでもなく現在の大統領である)もまた,「選択は学 校がよりよく活動することを奨励するだろう。競争は質を改善するだろう」(6)
と語っている。
全米各州の知事の政策的基礎となる全米州知事協議会報告書『Time for Results』(1987)は,学校選択の理念に州知事主導による教育改革政策の中心 的役割を与えることになった。この報告書の作成の中心的人物であり,ミネソ
タ州における学校選択制度の成立に深くかかわったネーザンは,1989年3月の 時点で全米各州の教育行政当局に対する電話インタビューを行った結果として,
18州において各種の学校選択プランが懸案となっているとしている。ここで懸 案となっているというのは単に話題にのぼっているというのではなく,具体的
に法制化の準備が進行しているという意味である(7)。
現在のところもっとも徹底した学校選択制度といわれるミネソタ州の場合,
それは次のようになっている。ここでは,1985年に州知事パーピッチ(民主党)
によっていわゆる学校選択制度が提案され,初めは後期中等教育において,19 87年からは初等中等教育において実施されている。初等中等教育においては,
両方の学区が合意した場合,居住する学区を越えた学校へ通学する自由が認め られている。1989年以降は,こうした学校の選択は人種的統合教育に否定的な 影響をもたない限り,自由に認められることなっており,学校は生徒を強制的
に確保する権限を失っている。1987年には137人の生徒がいわゆる通学区外の 学校を選択しており,翌年には通学区外の学校を選択した生徒の数は約400人 である。この数は学校選択制度に参加する学区の増大とともに大幅に増加して おり,最新の教育委員会の発表によれば8000人を越えるまでになっている。
SCHOOL DISTRICT ENROLLMENT OPTIONS
Year Enacted 1987 School Year Implemented Students Participating:
1987−88 140 1988−89 350 1989−90 3,200
1990−91 1991−92
5,940 8,314
1987−88 voluntary
95 participating districts (voluntary)
153 participating districts (voluntary)
345 participating districts 一 represents O.4%of eligible students
433 all districts participating
(出典:MINNESOTA ENROLLMENT OPTIONS PARTICIPATION
FIGURES ミネソタ州教育局。本図愛実さんの提供によるもの。)
C 危機に立っ国家(NATION AT RISK)
この間の学校選択をめぐる政策動向を分析したジョーンズは,この理念が教
育改革の思考の主流となったきっかけを『危機に立つ国家』(8)の刊行に求め ている。周知のように1983年に連邦政府教育省長官のもとのタスクフォース
「教育における卓越性に関する全国委員会」によって著されたこの報告書は,
アメリカの教育の現状を「凡庸さのひろまり」ととらえ,これを社会的経済的 に深刻な危機として描き出した。ここには1960年代半ば以降開始された教育改 革が前提としてきたものに対する根本的な懐疑があった。教育機会の平等と公 正を目指す一連の政策の前提がそれである。いま,社会の各階層間に能力が平 等に分散しているとすれば,実際の学校においてマイノリティのグループが低 い学力しか獲得し得ていないのは,そうしたグループに属する子ども達の置か れた社会的経済的背景,環境の差異に起因したものと考えられることになる。
この格差を解消するためには社会的経済的背景を異にする各個人に対してそれ ぞれ,その置かれた環境条件に反比例して教育サービスを傾斜的に分配する必 要が起こる。こうして,マイノリティあるいは貧困な地域の子ども達のための 学校教育の条件の改善のために大規模な財政支出を行ったのが補償教育と呼ば れた一連の政策であった。ここでは,学校は,富裕なものと貧困なもの,優秀 なものと学習進度の遅いもの,白人と黒人といったあらゆるタイプの子どもに 共通に教育を行うことが目指されるべき理想とされていた。それは「総合的な 学校(complehensive school)の理想」と呼ばれてきたものである。教育の機 会の平等と公正を目標とするというのは,不平等な社会においてあらゆる階層
に対して共通に,この総合的な学校の理想を実現しようと試みるということで あった。アメリカ教育に卓越性を回復することを掲げた『危機に立つ国家』は,
こうしたこれまでの伝統的な教育改革が自明の前提としてきた総合的な学校の 機能と,資源と科学的技術を投入することによって教育問題を解決するという 学校改革の方法とについて挑戦するものとなった。
「総合的な学校(の理想)は,教育の性質および社会的,教育内容的な多様 性についての特定の想定ないし前提条件,科学的技術によって教育を改善し 得るという信念,そして学校の管理が一般社会における民主主義を再生産す るという見地に依存していた。1980年代になってこれらの信念が弱まるに従 って,政治的そして教育的指導者は新しいモデルと論理とを捜し始めるよう
になった」(9)。
この報告書は直接学校選択の理念による教育改革の提言を行っていたのでは ない。しかし,それはアメリカ教育の現状の抱える問題の原因を単に教育制度 の運用の中にみるのではなく,その制度自体の基本的枠組みの中にまで探ろう
とし,その結果,アメリカ教育制度の自明とされてきた前提に対する挑戦とな った。『危機に立つ国家』は,広い関心を獲得し,この年に発表された他の教 育改革提言とともに,1983年をアメリカ教育政策の転換の年と呼ばせることな
った(もっともネーザンは『危機に立つ国家』の発表直後に学校選択の理念を 提唱したが,ミネソタでの成功以前にはそれほど注目されなかった述べている)。
『危機に立つ国家(Nation at Risk)』とともにこの年に発表された政策提言 としては『大学への学問的準備』(Academic PreParation for College[The College Board]),『学年にふさわしい学力を』(Making the Grade[Twentieth Century Fund]),『21世紀のためのアメリカ人の教育』(Educating、4耀痂碑s for the 21st Century[National Science Foundation]),『卓越性のため行動』
(Action for Excellence[Education Commission of the States])などがあった。
それらの調査の中では,高校生の成績の低下が厳しく問題となっていた。SAT とよばれる大学入試のための全国的試験の成績は,1963年から一貫して低落し てきたとされ,とくに言語の分野の成績は50ポイント,数学の分野でも40ポイ ントという,大幅な成績の低下が指摘されていた。それまでの10年間におこな われた生徒の成績についての19の国際比較調査において,アメリカの生徒が一 位あるいは二位になったというようなことは決してなく,他の先進工業国と比 べた場合,7つのテストでアメリカが最下位であったということは非常に大き
な問題とされたのである。
アメリカ合衆国では,2300万人から2500万人もの成人が,日常的な読み書き 能力を欠いている,いわゆる機能的文盲であるといわれているが,17歳の全青 年のうち13%が相当な程度の機能的文盲であり,これをマイノリティの青年に 限定するならば,その比率は40%にも達するという調査結果が得られていた。
企業において,さらに軍隊への新規採用者の学力低下は深刻な問題となってお り,この時期,軍隊に志願する青年のうち,25%の青年の言語の能力は第9学
年(日本でいえば中学3年生)のレベルに達していないといわれていた。
大学においても,新入生の学力問題は深刻になっていた。学力不足の学生に 対する特別の補習的プログラムの必要が増大しており,例えば,1975年から80 年までの期間に,4年制大学における数学の補習的プログラムは72%もの増加
をみており,大学の数学の授業のうちの四分の一が,じつにこうした補習的プ ログラムになっているとさえ報告されている。こうした高校教育の結果につい ての深刻な現状の指摘は,アメリカ合衆国が,商業,工業,そして科学技術の 分野で,国際的競争において打ち負かされるかもしれないという危機憾ととも
に表明されたものであった。
高校生の成績の不振の原因として,さまざまな分析がおこなわれたが,学校 が卒業要件を引き下げていることが,特に問題として強調された。20年前には 卒業のために必須であった,外国語,数学,理科,英語,歴史といった,学術 的なコアとなるカリキュラムが,現在では必ずしも卒業要件としては生徒に要 求されておらず,これが生徒の学習の質を低下させることになっているという 議論である。全米科学財団(National Science Foundation)のレポートによれ
ば,一年間の物理学のコースをとっている高校生は,全体のわずか9%にすぎ ず,化学の場合にも,16%程度にとどまっている。高校の2年生以降に外国語
をとっているのは5%以下であり,とにもかくにもちゃんとした語学の科目を とっているのは15%にすぎないという。全体として,日本で言えば,進学コー スとでもよべそうな,厳格で学術的なコースに籍をおく生徒の数が減少してい
ることが,極めて大きな問題となっているのである。
卒業要件の低下とともに,日々の学習状況にも批判が集まっており,生徒が,
その学年にふさわしい学力を身につけていないことから,学年のインフレーシ ョンと言う言葉が使われている。75%の高校生が,一日にわずか1時間足らず しか宿題などの学習に費やしていないという批判までが,こうした全米的規模 での政策提言レポートに盛り込まれている。
すでにふれた『危機に立つ国家』は,基本的な教育改革のための提言として,
次のような提案を行なっていた。
1 英語,数学,理科,社会科,コンピュータサイエンスの5科目を「新し
い基礎科目」として重視し,卒業要件を高めること。
2 大学の入試要件の厳格化と外国語教育の重視。職業教育および芸術コー スにおいても,学術的に厳格なカリキュラムの提供。
3 一日7時間,一年200日の学校授業時間の確保。出席と規律の強化。定 期的な試験と年齢よりも成績による厳格な学年制。宿題を増やすこと。教 科書と教材の改善。
4 州および地方団体と協力しながら,貧困な家庭の生徒,マイノリティ,
バイリンガルというような,あるいはまた,障害児,特別な才能をもった 生徒といった,さまざまな特別の必要をもった生徒の要求に応えること,
そして,全米的な標準テストや,教育に関する全国的なレベルの関心を明 確にすることなどは連邦政府の任務であること。
こうした全米的なレベルで教育改革の必要を論じた政策提言レポートは,卒 業要件の引き上げ,あるいは,教師の資格要件の引き上げといったやり方で教 育の結果を引き上げようとするするものであった。これは,教育の実際の困難 さを詳しく知り,それと格闘している人々からは,「安易な」改革とも呼ばれ
ている(10)。
D バウチャープランの導入(FRIEI)MAN)
さて,『危機に立つ国家』が広範な関心を呼んだのは,その分析が的確であ ったという単純な理由によって説明されるものではない。その背景にはすでに 紹介したようなアメリカの教育のレベルの低下がこの国の経済力の低下と結び 付いているという意識がある。教育改革が州知事の政策問題として急速に浮上 してきたのも,産業の動向が雇用問題として直接選挙民との関係を左右するか らだと考えるならば,容易に理解できる。こうして急速に州のレベルで政治問 題化した学校改革が「資源志向型から(学校選択という)市場志向型」のもの
となった背景には1970年代までの補償教育政策の反省がある。1980年代には学 校の財政資源,教師の特性,学級規模,教育施設設備といったものの改善が生 徒の成績の改善にはそれほど効果をもっていないという「事実」はあまりにも 平凡なこととなっていた(11),とジョーンズ述べている。それはコールマン報
告の政治的効果ともいえるものであった。先に「科学的技術によって教育を改 善し得るという信念の低下」と呼んだものがそれである。
「もし,学校の改善が単に技術的な努力によるものではないとすれば,つま り,もはやより多くの人材,より多くの予算,あるいは科学主義と言ったも のに単純に依存しえないならば,政策と政府の活動にとっての別の前提が発
見されなければならなかった」(12)。
こうした別の前提,いいかえれば教育改革の新しいモデルが学校選択の理念 である。すでに広く知られているようにこのモデルは1955年にミルトン・ブリ ードマンによって提唱されたものである。それは彼の言葉を借りれば,次のよ
うに説明されるものであった。
「政府が次のようにいったと仮定しよう。『もしもあなたが自分の子弟のため の公立学校教育費を使わないようにしてくれるならば,その代わりに政府は あなたに授業料クーポン,すなわちこのクーポンを認可された学校で自分の 子弟の学校教育費用として支払うために使用するならば,そして使用する限 りにおいて,クーポンの額面に明示してある金額だけ支払われることを確約 する証明書を渡すことにしよう』と。
……親たちは私立学校だけでなく,どこか他の公立学校でもクーポンを使 用することを許可されることができるし,許可されるべきである。また,自 分が住んでいる学区や市や州の学校だけでなく,自分の子弟を喜んで受け入 れてくれるどんな学校でも,そのクーポンを使用できる自由が親に与えられ なければならない。こうすれば,すべての親はその子弟のために学校を選択 できる広範な機会を与えられることになり,また同時に公立学校に対しては その財政をまかなうために授業料を徴収するように要求することができる。
……このような制度になれば各公立学校はその他の公立学校とだけでなく,
私立の諸学校とも競争しなければならなくなる」(13)。
E アラムロック以後(ALUM ROCK)
この授業料クーポン制と呼ばれた改革プランはその後,教育バウチャー制度 という名前で一般化していく。ところで,フリードマンの最初の提唱が1955年
のものであったということから分かるように,その提唱は1960年代半ば以降に 展開された教育の新たな平等を求める政策に対する批判ないし反省としてのも のではない。それは社会の計画化を官僚制の問題として批判的に把握する,自 由主義の独特の展望に立つのものであった。しかし,このバウチャープランが ジェンクスによって連邦経済機会局の政策となり,アラム・ロックでの実験に 移されるようになったとき,それは明らかに補償教育政策の反省に基づく教育 改革案という性格をもつものとなっていた。[このことは,逆にいえば1970年 代以降展開される学校選択政策はミルトン・フリードマンのアイデアの具体化 とのみ見ることは出来ないということを意味していた。この点についてはすで に詳しい分析を行ったことがあるので,参照されたい(黒崎勲r教育と不平等』
第8章)]。
1970年代の最初から選択の擁護者であるとともに,その理論の発達を時問と ともにみつめてきたというレイウィッドは,フリードマンとジェンクスのバウ チャープランの性格を対比的に論じた筆者の議論を肯定して,「ジェンクス(と クーンズ)はバウチャープランを貧しい人々のために構想した唯一の人物であ る」と評価した[パーソナル・コミュニケーション(1990.8)による]。
アラムロックの実験の終了後,80年代にかけて一時関心が薄らいだ感のあっ た学校選択の理念は80年代の半ばから,今度は連邦と州の教育改革のための実 際の戦略として,前にもまして注目を集めることになった。1987年に創刊され たアメリカ教育政治学会の年報が,創刊号のテーマを学校選択制度の検討にあ てていたことはこの間の事情をよく反映していたといえよう(14)。この年報の 編集に携わったボイドは,さらに3年後に全米教育学会の現代教育問題シリー ズの一冊として『教育における選択』を編集している。ボイドは,この著作の 序章を『危機iに立つ国家』についての記述から始めている。1989年5月に行わ れたウィスコンシンーマディソン大学で開催された2日間のカンファレンスは,
ジョイス,ブラッドリー,スペンサーの3財団の後援を受けるものであり,そ の報告書は2冊の単行本として出版されている。ラトガーズ,ミシガン州立,
スタンフォード,ウィスコンシンーマディソンの4大学の連合体である教育政 策研究センターは,一連の学校選択関係の論文を刊行している。こうして,19
80年代の後半には学校選択をめぐる議論は教育改革のための論議の中心的テー マとなっていた。
2 民主的統制と市場の統制
A 唯一最善の教育(ONE BEST SYSTEM)
学校選択の理念の理論的根拠としてネーザンは,次の3点をあげている。す なわち,第一に,親,生徒,教師の機会の拡大,第二に,生徒と教師のすべて にとって共通の唯一最善の教育活動(one best system)があるというわけでは ないという認識,第三に,学校間の改善を促すものとしての競争の利用であ
る(15)。
学校選択の理念の提唱者が一様に唯一最善の教育があるという前提に対して 強い批判の目を向けるのは,この前提が現行の公教育制度を官僚的で,閉鎖的 なものとさせていると考えるからである。かつて,クーンズは自らの学校選択 制度のプランにかかわって,教育の科学性と社会的価値観の共有とが公立学校 制度の成立の前提であるが,それはもはや自明のものとはしえない。教育の目 的・内容・方法のいずれもが科学的に一義的に決定できるものとは信じられな いし,また,一般の政治原理である多数決主義になじむほどの教育にかかわる 社会的な価値観のコンセンサスは存在していないと述べていた。
すべての人々にとって共通する最善の教育の内容と方法とがあるとすれば,
教育行政がそれを平等に保障することを自らの課題とするのは自然なことであ る。そして,教育がすぐれて専門的な知見を必要とする営みであるとするなら ば,その最善の内容と方法とは専門家の科学的判断によって決定されることに なろう。こうして,公教育は科学性と合理性を理念とする専門的な教育行政に よって担われることになる。「総合的な学校の理想」がそれである。批判を受 け,改革を問われているアメリカ社会の公教育の現実を支えてきた理念はこの
ようなものであった。
官僚化の進行が教育を子どもと親という教育の当事者から疎遠なものとして いるとの批判は,教育に対する民主的コントロールの強化ないし実質化という 要求を生み出してきた。シカゴにおける学校改革運動はそうしたものの典型で
あり,アメリカ公教育の歴史のなかでももっともラディカルな試みとさえ呼ば れるものであった。これに対して学校選択の理念の提唱者はまったく対照的と
もいえるアプローチをしている。すなわち,いわゆる民主主義的管理こそが教 育の官僚化の温床となっているというのである。
B 市場・政治・アメリカの学校(CHUBB&MOE)
こうした議論をもっとも大胆に展開したのはチャブとモー(John E. Chubb and Terry E. Moe)の『政治・市場・アメリカの学校(Politics, Markets,&
America s Schools)』であろう。それは1990年以降にアメリカ合衆国で出版さ れた教育学文献のなかで,おそらくもっとも大きな反響を得たといえるもので ある。それは,選択制度による学校の効率性を広範なデータに基づいて実証し たものとして,学校選択制度を擁護する強力な根拠となった。そのなかで,彼 らは,学校改革について,民主主義的な学校管理の方法と選択制度による学校 の運営とを対比的にとりあげ,選択制度が学校の自由を高め,教育活動の効果 を高めるのに対して,教育の民主主義的な管理は必然的に官僚的な手続を生み 出さざるをえないと指摘している。教育の民主主義的な管理という発想は,教 育行政の官僚化を阻止するものではなく,むしろ,教育行政の官僚化は,教育 の民主主義的管理の必然的な帰結なのだと主張したのである。
チャブとモーはすでに何回かの中間的な議論を発表していたが,この最終報 告というべき著作の刊行は非常に大きな反響をもって迎えられた。全米の教育 状況をもっとも良く伝える専門週刊紙EZ)UC、4 TIOI>1>VEEKは,その内容の 抜粋を含めて2度にわたってこれを伝える詳細な記事を掲載していた。ATEW
YORK㎜ESも,この著作を強いインパクトをもつものとして教育欄に大
きく扱っている。
この研究が注目を集め,激しい論争を呼び起こすことになったのは,そこに 学校選択制度の有効性を証明するとされる大規模な実証データが示されたから であった。学校選択の有効性はフリードマンの場合に典型的なように,官僚制 を批判する論理として観念的に議論されてきたのであり,アラムロックでの実 験以降はその有効性を証明する実証データが提供されることはなかった。学校
選択の理念の有効性を論じる多くの議論は,限定された経験に基づくか,現行 教育制度の画一性と硬直性の批判的アンチテーゼとして選択の自由の優越性を 理念的に論じるという方法をとっていた。こうした状況の中で,「われわれの 調査が行われるまでは,効果的な学校についての主要な一つの批判は,それが まったく寓話的な証拠や小さな規模の研究に基づいているということであった。
今では,500の学校を対象とし,家庭的背景,生徒の能力,財政,その他のす べてのものについての相違を慎重にコントロールした後で,われわれは次のよ
うに言うことが出来る。学校の組織は,良い学校と悪い学校との間に真実,違 いがあり,(学校選択の理念は良い学校の特性を導き出す最良の方法である)」
というチャブの主張は極めて刺激的なものであったといえよう。
C 全米高校生調査(HIGH SCHOOL AND BEYOND SURVEY:HSB)
チャブとモーの研究が分析の対象としたのは全米400の学校の10000人の生徒 の成績と背景および各校25人から30人,総計12000人の教師に対するアンケー
トとインタビューである。彼らはこれが今日利用可能なもっとも大規模な,か つ総合的なデータであるとしている。チャブとモーは,ここで同一の生徒の10 学年と12学年の時の成績を比較するという方法を採用し,単に生徒の成績を問 題にするのではなく,学校における生徒の成績の向上を左右する要因を探り出 そうとしている。この研究は「効果的な学校」の理論と呼ばれる一連の研究の 成果を基礎として行われており,教師からの情報は,生徒が通っている学校の もつ特性を分析するためのものであった。こうして,まずこの研究は生徒の成 績の向上をもたらす要因を分析して,それが教育活動の目的についての明白な 感覚,学校運営における指導性の存在,教師の専門職としての仕事に対する高 い期待といった効果的な学校の備える特性こそが,その第一の要因であると結 論したのである。続いてこの研究は,そうした学校の特性を決定する要因の分 析を行い,もっとも重要な決定要因が学校が享受する外的な制約からの自由の 程度にあることを見出す。「(カリキュラム,教育方法,教員人事といったもの
の決定の)自由の程度が大きくなるほど学校組織の効果性は増大する」(16)と いうのがその結論である。さらにチャブとモーは学校が外的な制約から自由を
奪われる状況と程度を官僚化の名前で批判的に表現し,その原因を直接的な民 主主義的コントロールに求め,これとの対比で,市場的コントロールを学校を 効果的に組織する,より高い可能性をもつメカニズムと評価したのである。
TEACHERS COLLEGE RECORDのシンポジウムにおいて,チャブとモ
ーは様々な批判に応えて,次のように自らの研究を要約して見せた。
「生徒の成績は学校の組織の効率性 学校の目標の明晰性,指導力の強さ,
教師の専門性,学術的プログラムの強調一によって影響をうける。そして,
こうした影響,つまり学校それ自身の主要な影響だが,その度合は,生徒の 家庭および生徒の学術的レディネスの影響と匹敵する。われわれはこの影響 のパターンをすべての学校を通して,また,公立学校の中だけにおいても発
見した。
われわれの第二の主要な発見は,学校の組織が多くの要因一生徒と親の 多様な属性を含む によって影響されているとしても,もっとも強力な影 響は官僚制だということである。鍵的な職員の人事と政策決定が閉ざされて いればいるほど,学校は効率的に発展しそうにない。簡単にいえば,指導性,
専門性,そして明確で意欲的な学校の使命は,高度に官僚化された環境では 開花しそうにないということである。さらに,このことは,すべての学校を 対象にしたときでも,また,公立学校だけを対象にしたときでも,真実であ る。もし,われわれの研究が正しいのなら,官僚制は重要な問題である。そ れは効果的な学校組織の障害であるから。
では,官僚制の原因はなにか。われわれの分析の第三部はこの問題に向け られている。分析の他の部分と同じ様に,多くの答えがある。なかでも,貧 困な生徒の力,親の弱い参加,大きな,異質性の高い(たとえば都市の)学 校制度。しかし,これらのどれも,最大のものではない。すべての点が平等 ならば,公立部門の学校は実質的に私立部門の学校よりも官僚化されている。
この結果,私的部門の学校はより効率的に組織される可能性が高い。くりか えすが,すべての点がおなじならば,である。これらの結果の解釈は,公立 と私立のセクターでは学校をコントロールする仕方がまったく異なっている ということであると,われわれは考えている。一方は,政治を通して,他方
は,市場を通して。そして,政治と市場とは官僚制と組織とにとってまった
く違った含意をもっている」(17)。
こうして,チャブとモーの研究は「効果的な学校」の理論の成果を数量的な 統計的分析によって実証するとともに,効果的な学校特性の阻害要因を官僚制 に求め,アメリカ社会における学校管理の制度を直接的な民主主義によるコン
トロールと市場メカニズムによるコントロールに二分して,市場メカニズムに 官僚制からの自由を確保する点で優位1生を見出そうとするものであった。特に,
直接的な民主主義的コントロールを官僚制に帰結し,学校が効果的であること 妨げる主たる原因とした次のような分析は,この研究の大きな特徴となった。
「民主的なコントロールの存在意義は,学校に対して上位の価値を設定し,
それ自身の自由を制約するところにある」。「学校とその教職員は技術的な必 要性から自由を保障される。しかし,法的,行政的に要請される詳細な規定 があらゆる方面から課せられることになり,実際に学校が自由に活動しうる 余地というものは極めて狭いものになっている。さらに,そうしたわずかな 自由裁量の余地は,過度な行政事務,終身雇用制,名目的な専門職主義,お よび,その他の構造的な手段の適用によって政治的なコントロールから隔離
されている」(18)。
こうした教育に対する民主主義的コントロールの現状に対する批判からチャ ブとモーは学校選択の強力な擁護者となる。
「重要な決定 カリキュラムの決定,教授上の決定,人事の決定 は学 校の現場で行われるべきである。しかし,同時に, そして非常に重要な ことだが, 親は学校を選択する力を持つべきである。基礎的には,われ われが勧告することは,政治的そして官僚的な原理によってではなく市場の 原理によって基礎づけられる公教育のシステムである」(19)。
D チャブ論争(CHUBB S DEBATES)
1)−1 成績への効果
400の学校を対象とし,家庭的背景,生徒の能力,財政,その他のすべての ものについて慎重に科学的な検討によって効果的な学校の理論を証明したとす