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学校運営協議会制度の検討(1) -諸外国での学校参加・学校選択制度とわが国の学校運営協議会を巡る当初の議論-

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(1)Title. 学校運営協議会制度の検討(1) -諸外国での学校参加・学校選択制度とわ が国の学校運営協議会を巡る当初の議論-. Author(s). 大坂, 治. Citation. 北海道教育大学紀要. 教育科学編, 57(2): 69-82. Issue Date. 2007-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/448. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 北海道教育大学紀要(教育科学編)第57巻 第2号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol.57,No.2. 平成19年2月 February,2007. 学校運営協議会制度の検討(1) 一諸外国での学校参加・学校選択制皮とわが国の学校運営協議会を巡る当初の議論−. 大 坂. 治. 北海道教育大学函館枚数青学教室. ExaminationontheSystemofSchooIAdministrativeCouncil(1) −ParticipationonSchooIManagementorSelectionofSchooIsinForelgnCountries andDiscussionontheOriginalPlanofSchooIAdministrativeCouncilinJapan−. OSAKA Osamu. DepartmentofEducation,HakodateCampus,HokkaidoUniversityofEducation. 概 要 親や地域住民の学校運営参加論は,学校運営を親や地域に開いている国々では,「当然の法理」として教 育パートナーシップ論や教育の民主化論に基づいて位置づけられている.教育選択と結合した学校設置の自 由はアメリカのチャータースクールにその典型を見ることができる.このような教育改革の潮流の中で,わ が国で導入されることとなった「学校運営協議会」の導入の端緒を成した「教育改革国民会議」での議論を 検討した.地方教育委員会の裁量事項となることで,選択的導入という性格を持つものとなり,親や地域住 民の位置があいまいとなることが危惧される.この制度の採用される地域と採用されない地域との親・住民 の教育的な発意の扱われ方に差異が生まれる可能性があることが課題として残っている.. はじめに∼「開かれた学校」の制度的な基盤に関連して 学校運営への親・地域住民の参加は,その教育論および教育法制論の意義からみれば,戦後の教育基本法 に起点を求めることができる.教育基本法第10条(教育行政)は「教育は,不当な支配に服することなく, 国民全体に対して直接責任を負って行われるべきものである.」(第1項)この自覚の元に,教育行政は,条 件整備の責務を負うものとされた.教育と国民の関係性を定めたこの規定を背景に,戦後国民教育論は興隆 を見せたが,最高裁学テ判決を契機に,国民教育論,そのもととでの国民の教育権論は国の教育政策に対抗 する理論的な主催であることを喪失したかに見える.しかし,教育と国民の関係性の一体的な把握が不要に なったことにはならない.親や地域住民という相で,国民の姿を具体的に捉えることはなお必要であり,こ. 69.

(3) 大 坂. 治. の論理から,「国民に対して直接責任を負う」教育に対して,次のような専門的資質をもつ教員の教育的働 きかけ,その総体としての学校教育活動に対して,広義の自己教育としての発言権を認める必要がある.こ れこそ,国民の学習権の具体的な姿であろう.(注1). 義務教育における就学行為は,子どもの学習生活を一定に保障するものであり,意図的・組織的な教育の システムを通して子どもは学習を進展させることができる.そこでは教師の「専門性」を背景としてその教 育的な影響力のもとで学習が促進されることとなる.教師の「専門性」とは,免許状によりその知的・技術 的な知識とスキルの修得が一定程度担保されたものであり,教師はその適格性が認められた学校教育の専門 家である.. 子どもの学びは学校のうちと外にともに浸透しあう.それを意図的に支援する教育の主体は多様に存在す る.子どもが有効な学習をなしえるためには,学習の多面性を見つめ,見守り,それを踏まえて支援する学 校の外のさまざまな教育的影響力をもつ教育主体者の意見や考えや振る舞いを知らなければならない.学校 教師にその教育行為を付託した国民自身は,その具体的な様相で付託した教育を吟味することができなけれ ばならない.国民はこの吟味の観点から教師とともに子どもの教育のパートナーとして位置づけられ,その パートナー間での対話が成立するときに,子どもの有効な学習が成立する.ここに学校の教育運営に対する 親や地域住民の参加を必要とする教育論的な条理があるのである.子どもの学習が十全に成り立つためには 親や住民の「学校への発言」という方向だけではなく,「学校から親や住民への発信」という双務的な方向 性をもつことが必要である.. ところで,わが国での親・住民の学校参加論は,戦後の教育基本法を法的根拠にしている議論されている というよりも,教育政策論としてその必要性が唱えられてきた.その端緒は,たとえば昭和62年4月1日の 臨時教育審議会第3次答申において,「開かれた学校と管理・運営の確立」と題して,「学校は地域社会の共 同財産としての観点から見直し,学校・家庭・地域社会の協力関係を確立する.(イ)学校は,地域社会な どに対して努めて開かれたものとし,その教育について理解を得るようにするともに,家庭・地域社会の建 設的な意見をその道常に反映させるなどしてそれらとの連携を密にし,その教育力の向上にさらに努力す る.」と提言された.しかしこの答申は,「開かれた学校」イメージを語たり,学校運営に地域社会の声を反. 映させるという一般的な方向性を示唆してはいるが,そのための制度的な仕組みや装置についての具体的な 提言にまでにはいたらなかった.この方向性にひとつの具体的な政策的回答を与えたのが,学校長に対する 意見具申組織である学校評議員制度であり,親や地域住民のレベルでの学校参加を組織化した「学校運営協 議会」制度である.特に,後者の学校運営協議会は,地方教育行政の組織及び運営に関する法律の改正(平 成16年6月改正,同年9月施行)により,教育委員会の判断でその設置が適切であると認められる公立学校 を指定して,その学校運営に親や地域住民が参加する途をひらく制度である.. 本研究は,この学校運営協議会制度の法制化過程に立ち入って分析し,諸外国の類似制度との比較でわが 国における親・地域住民などが学校運営に参加する「学校運営協議会」の制度設計の特質を明らかにし,こ の制度が「学校を開く」ことになるための諸条件を検討するものである.. 学校運営協議会はどのような文脈で導入されたのであろうか.その議論の当初より,諸外国の類似制度が 参考にされたといわれる.そこで,本稿では諸外国における類似制度との関係でわが国の制度の特色を見る ために,. フランスの学校評議会,イギリスの学校理事会,およびアメリカのチャータースクールを事例とし. て取り上げ,それらの制度理念を明らかにしておきたい.次にわが国の「学校運営参加制度」の法制化過程 の研究の一部として,教育改革国民会議における「学校運営協議会」の提案の骨子と議論を分析し,政策文 書としての構想の制度設計を明らかにしたい(ここまでが本号).次に,教育改革国民会議の「17の提案」 で取り上げられた「学校運営協議会」を教育政策としてまとめた中教審の審議と答申,およびその答申を法. 70.

(4) 学枚運営協議会制度の検討(1). 制上認知するための法制化作業を行った衆参両議院における文部科学委員会での法案審議の論議の整理を行 う.最後に,学校を開くための制度としてスタートした「学校運営協議会」(この協議会を持つ公立学校を「地. 域運営学校」と呼称され,それがコミュニティ・スクールともされてきた)が機能するための諸条件を検討 することとする.(次号以降). Ⅰ.諸外国での学校運営への参加・選択制度の諸特徴 学校運営への教育関係者の参加という視点からみるなら,中央集権的な教育行政・教育管理を行ってきた 土壌の中で1970年代半ばに成立したフランスの学校評議会制度は比較的長い歴史を持っている.また,フラ ンスとは対照的に各地方教育当局が教育事項に責任を持つイギリスでは,従来より教員人事権は学校ごとに 執行されてきたが,その人事権を持つ学校の運営の母体として,1944年法により「学校理事会制度」が導入 され,その後の法修正を経て,親や地域住民の参加により学校運営が進められている.さらに任意のものが 教育委員会に申請して学校の設置認可状を取得するアメリカのチャータースクールも1990年代に一時期急速 にアメリカ全土に普及した.比較教育的な視点で諸外国の親や地域住民の教育参加論,教育選択論の動向の 特徴をまず整理しておこう.. 1.フランスの学校評議会制度∼市民育成の教育共同体∼ フランスでは,19世紀の早い時期より,教育の利害関係者による「教育政策への参加・関与」を制度化し, 利害関係者による集権的な教育政策意思形成とその執行を特徴としてきた.. しかし1968年の学生による「大学革命」を大きな契機として,フランスの教育改革は教育の現場と学ぶも のの意思の尊重を基軸に集権的教育行政制度,上意下達の学校管理制度から「教育の身近なところでの意思 決定」へ転換させ,学校単位での学校運営の方法に生徒代表や親団体,地域住民代表,地域行政機関代表な どが運営に参加する「教育参加制度」を法制化させたのである.. 1975年教育法は,国の教育政策意思形成過程への利害関係者の参加に加えて,学校レベルでの学校運営に 「学校評議会」を設け,小学校では親や地域住民代表が,また中等教育施設であるコレージュ(中学校相当). や,リセ(高校レベル)ではそれらに加えて,生徒代表が学校運営に参加することを保障する仕組みを取り 入れた.教育民主化論の制度的表現である民主的教育参加論の実現である.. このフランスの教育改革の特質は,学校それ自体の役割認識を従前の「知識伝達型学校」から,子どもの 学校以外での教育にも相応の教育責任を有する教育当事者が学校教育に参与することで,水平的な次元での 「生活重視型学校」への転換を目指すものであった.「学校」は「学校共同体」,「教育共同体」と捉えられ ていた.学校の門の内側(教師の専門的事項)と外側(親や社会の教育事業の事項)を厳密に峻別しつつも,. 親も地域住民,地域行政当局も学校が子どもの育ちとともに地域社会の基盤整備に資するものとして注目し た.そのため学校の内と外の垣根を可能な限り低くすることが目指されたものである.. 加えて,学則や生徒の懲戒,進路指導に関して,生徒代表が発言する場が保障されることで,発言に責任 をもつ建設的な市民の育成が期待されていた.この種の生徒や親,住民の教育参加は,ドイツやイタリアな どでもこの時期に導入され,「学校と家庭・地域の連携」の内実を構成していたのであり,フランスでは爾後,. その実践が継承されてきたのである.このフランスの法制化過程は,単に教育政策として上から出されたと いうのではなく,すでに述べたように「教育の当事者」を自認する教育団体活動が活発に行われ,教育参加 要求が各種団体の要求として位置づけられていたという教育運動的な地平からも捉えられるべきものであろ う.ここで留意すべきことの一つは,「教授事項」は教師の固有の専門職的な事項として把握されている一. 71.

(5) 大 坂. 治. 方で,学校参加制度の対象には,学則(校則),生徒の懲戒,生徒の進路指導なども協議の対象となること である. このなかでも近年重視されてきているのが,各学校が作成する「学校教育計画」(到達目標・内容・方法・. 評価)への参与である.わが国で言えば,学校経営計画書に相当するものである.学校評議会では,この学 校教育計画(プロジェクト)を重要な審議事項としている.. また法定された参加主体は,親団体の代表,行政代表,生徒代表などと明確に区分立て,定率で参加者の 割合が保障されている.わが国のPTAをもってしては想像できないほどに,フランスでは学校の親団体に はさまざまな考え方を持つ団体が複数存在しており,そうした団代を基盤にして選挙により代表者が選出さ れている.. 教授的伝統の強いフランスでも,学校の役割を見直し,変動の激しい社会における学校の果たすべき役割 期待の議論を踏まえ,ある意味で,子どもの教育に第一に責任を有する家庭と連携して学校教育を推進する 必要性が自覚された.1975年教育法は,学校が家庭教育を補完し連携するものであることを法定したのであ る.子どもの育ちと学習が家庭・学校という間仕切りのなかでそれぞれ完結するものではないとの認識に 立っている点で注目すべきことである.それに加え,変化の激しい社会の中での学校のあり方は,単に若い 世代である子どもの学習機会の提供の場であることにとどまらず,地域社会の将来を担う市民を育てるとい う教育認識がその底流にある.親や地域代表,子どもは,自ら相互に学習を重ねあい,学校の在り方を教授 の専門職者たる教師とともに担うものと期待されているのである.. フランスで特に自覚的に取り入れられた「生徒の参加」は有意な事例でもあると考える.視野を国連のレ ベルに移すと,「子どもの権利条約」が採択されたのは1989年のことである.この条約で注目される条文の 一つが第12条の「意見表明権」であることは良く知られていることであろう.その条文は次のように定めて いる.「1.締約国は,自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項につ いて自由に自己の意見を表明する権利を確保する.この場合において,児童の意見は,その児童の年齢及び 成熟度に従って相応に考慮されるものとする」(2項は省略)とある.フランスでは,これをいち早く取り 入れ,中等教育レベルの生徒に対しては,市民性の育成の視点から「権利と義務」の執行能力を付与したの である.フランスでは日本の高校に相当するリセの生徒が教育問題で街頭デモ行進を行う風景は特殊なもの ではない.異なるものの存在という他者を意識しながら,むしろそれを意識すればこそ,学校運営の共同参 画制度は新しい公共空間を創出するものである.自己責任・他者との共同決定による公共空間の創出という 一連の意味づけが与えられるのである.. 2.イギリスの学校理事会制度∼教育パートナー論∼(注2) 現在のイギリスの学校法制の原型を定めたのは1944年法である.学校運営は学校理事会で行うものとする 法制が明文化されたが,親の教育権(具体的には教育選択権)を当然の法理とするイギリスでも,この学校 理事会への親の参加を当初より認めていたわけではない.1944年法は単に地方当局が学校理事会の参加する 理事の比率を定めただけであった.当初は親の参加について特別の規定を持つ地方当局はごく少数であった という.. しかし1960年代のプラウデン報告による学校教育への親の関与を推奨する勧告,学生達動に代表される学 校の意思決定過程への構成員の参加要求などを背景に,地方教育当局が,父母代表を理事として任命するよ うになった.その背景には分岐型中等学校の競争選抜入学試験制度(イレブンプラス)を廃止して,これを 総合制学校へと転換させる総合制学校創設運動という国民的な教育要求運動があり,この道動が学校に対す る親の関心を高めるという相乗効果を持った.. 72.

(6) 学枚運営協議会制度の検討(1). フランスの教育関係者の学校評議会への参加を法制化した1975年教育法の成立とほぼ時を同じくして,イ ギリスでも1975年に発足したテーラー委員会は,学校関係者の学校運営への参加の問題を検討し,1977年に 報告書を出した.テーラー報告では理事会の構成は地方当局・教職員・親(可能な場合生徒を含む)・地域 住民の四者を教育のパートナーと位置づけ,その四者の同数参加を求めるものであった.この同数参加が妥 当か否かを巡る議論が教員組合,地方当局で活発に起こり.教育関係者の学校参加は,サッチャー政権の下 でテーラー報告より後退した形で1980年教育法として成立する.ここでの論点は,親の学校理事会参加問題 に関する条項審議では理事会多数派を地方教育当局が握ることを許すかどうか,換言すれば理事会は誰に対 して応答責任(アカウンタビリティー)を有し,誰が理事になることがアカウンタブルであるかということ であった.. 1980年法により親・教員代表が理事会に参加することが立法化された(親は最低2名)のであるが,しか し当時政府は親代表理事が学校理事会の多数を占めるという方向で法改正をめざし,1984年に教育科学省政 策文書(いわゆる緑書)「学校における親の影響」を発表した.1985年に発表された自書「よりよき学校」 では理事会の構成は地方当局・教員・親代表のいずれもが単独で多数を占めないことが原則であるとしてい る.結局,1986年教育法でこの白書で示された構成の方向で法制化された.これにより親は地方教育当局の 代表と同数の理事を理事会構成員として選出することができた.学校理事会の構成比率は,学校規模による ものとされている.この表で「他」とあるのは,父母,地方教育当局,校長,教員の各理事が協議して選出 する理事=共同選出理事である.具体的には地域代表者である.. 次に,学校理事会の権限を見ておこう.第1に財政事項で,児童生徒数200人以上の初等・中等学校では 地方教育当局から配分された品目内での自由裁量を有する.これにより何人の教員を採用・配置するかを理 事会で決めることができる.第2に施設・設備の管理に関する事項で,時間外使用は理事会の権限である. 第3に教職員の任免に関する事項であり,校長の任免について地方教育当局と理事会代表者の選考委員会で 決め,一般教員の任免は理事会の専決事項である.第4に構内組織や教育課程に関する事項は従前校長の権 限であるが,理事会はその基本に関して関与することができる.. かくして,イギリスの学校理事会制度は,学校運営に関する基本的な権限をもち,親と地方当局との同数 参加を原則として,教育関係者による学校参加の途を開き続けてきたのである. 表 理事会の構成 学校規模 親代表 地方教育当局 教員代表(含む校長) 他 計 600人以上. 5. 5. 3. 6 19. 300∼599. 4. 4. 3. 6 16. 100∼299. 3. 3. 2. 4 12. 2. 2. 2. 3. 100人未満. 9. (出典:窪田眞二『父母の教育権の研究−イギリスの父母の学校選択権と学校参加−』p181.). 3.アメリカのチャータースクール∼教育選択制∼. チャータースクールは,1990年代に入ってから,アメリカ各州でその設置が認められ始めたものである. 特色ある教育を行う意思のある者(主として教師,他には地域団体や企業)が手を挙げて,その趣旨に賛同 する教師の有志を募り,その教師集団が学区の認可を得て設立される契約制公費運営学校である.公立であ るから授業料は徴収せず,教育目的・内容は一般の公立校のような規制を受けない.しかしその教育成果が あげられない場合には,廃校という措置が採られこともある.2000年時点では全米に2,150校設けられており,. 73.

(7) 大 坂. 治. 全公立学校の2%程度に過ぎないというが,このチャータースタルーの存在が他の公立校によい影響を与え ことが期待されているという.(この「良き影響」効果こそ,わが国でも注目された点である.悉皆導入で はなく選択的導入という最近のわが国の教育改革の手法は,その発想の一つにこのアメリカ型創造・選択的 制度に基礎を置いているように思われる.). それではこのチャータースクールとは,どのような背景から生成したものであろうか.チャータースクー ル創設のリーダーの一人であるジョー・ネイサンは,その著書『チャータースクール』の「はじめに」の序 文で以下のようなチャータースクール運動のメッセージを読者に投じている.長文をいとわずに引用しよう.. 本書は,学校というものが子どもたちを助けることができると信じる−あるいは信じたいと願っている読者に向けられ て善かれました.ありとあらゆる子どもたちを救う学校.困難を抱えた家庭の子を,そして怒りと疎外感でいっぱいの子 どもたちを救う学校‥.教師や父母,地域社会の指導者,政策立案者ら,「学校」がなお子どもを救いうると信じている 人々は,本書の中に活動の支えを見つけることができるはずです.(中略) チャータースクールとは,子どもたちに対する教育の成果に,より人きな責任を持つ公立学校を創ろうというものです. 教育委員会による学校開設特権の『独占』を打ち破ろうというものです.チャータースクールは,どれも公立学校ですので, 私立学校のように選抜テストで入学者をふるいにかけたりしません.地元の教育委員会,あるいは州の教育委員会その他 の公的機関から出された「チャーター」(特許状,または特認の許可状の意),すなわち明文化された契約書をもとに運営 される学校です.契約のなかで,子どもたちの学力向上に学校としてどんな形で責任をもつのか,具体的に明記します. それと引き換えに,公立学校の運営規則の大半から逃れる自由を手に入れるのです.契約通り学力を向上させることがで きれば,契約が更新されます.(中略) しかしながら「チャータースクール」は,教育結果により責任を持つ公立学校の創造,さらには既存の学校の転換にと どまるものではありません.公平で,なおかつ慎重に配慮された「競争」を,公教育のなかに導きいれるものなのです.. ここで引用したテキストにチャータースクール運動の教育理念が明確に描かれている.わが国の教育改革 の議論のベースにこのアメリカのチャータースクール運動がおかれるときに語られるチャータースクールの 特徴が,ここに凝縮されて素描されているものだといっても良いであろう.. ジョー・ネイサンの著書では,さらに「チャータースクール運動は,公教育史上初めて,次の4つのアイ デアをひとつに結びつけ」として次の4点を挙げている.. ・家族や子どもたちが,公立学校群のなかから自分の行きたい学校を決めることができる選択権 ・教師や父母たちが,自分たちにとってベストな学校を自分たちの事業として創造していく機会 ・標準テストその他の方法による,子どもたちの学力向上に対する責任の明確化 ・公教育における慎重に配慮された競争. ここにチャータースクールとは,公教育事業の機能(ここでは学力向上戦略)を志のある教員資格をもつ 有志が学区教育委員会の責任の下で運営されている公立学校と並び立って機能し,かつ父母や子どもの教育 選択にも適うような選択機能も果たし,その運営成果を挙げることで周辺の公立学校への影響力を果たすも のである,と言えよう.. この選択機会の複数化,創造と共同,自己責任と固有の権限の付与,目標設定と目標に基づく評価システ ムによる事業連営などがこのチャータースクールのキーワードとなる.このような評価軸を別な形で評価し ているのが元図愛実氏である.元図氏の次のような説明は,チャータースクールの理解を促すものである.. 「CS(チャータースクール)拡大の最も大きな要因は,そのしくみがもつ参加の可能性である.つまり. 74.

(8) 学枚運営協議会制度の検討(1). CS制は,学習者やその親にとって,学校を選ぶという参加を可能とし,さまざまな個人と機関にとっては, 親でなくとも設立者あるいは教師としてCS運営に参加することを可能にすることである.このような参加 の成立に大きな意味をもつのが,各CS制構成者が「交換」の系に置かれていることである.それにより各々 の権限や活動の調和が保たれているのである.行政とCSを構成する教師集団の間では,教育達成と学校認 可が交換され,教育サービスと教育費が交換されている.こうしたしくみが公教育制度の中で機能している ことの意義は大きい.」(注3)この視点は,制度の機能がプラスに機能するための概念装置として「交換」. 概念を設けて説明している.もしそうであれば,これはインプット(投資)=アウトプット(成果)が等価 で成立するための市場経済原理の延長上に教育改革を位置づけるものである.アメリカ型の市場原理を教育 改革の実質であると捉える立場からすると,チャータースクールの生成は納税者民主主義(納税者は発言し, 参加する)の制度表現に他ならないものである.. 以上のフランス,イギリスの学校運営に関わる参加制度,アメリカの公立学校の枠の中で教員有志による 特色のある学校設置の選択の可能性のほかにも,管理への参加は欧米では広く広がりつつある動向(ドイツ やイタリア)があり,またアジアにおいては隣国韓国に学校管理委員会の親・住民の参加制度を導入してい る.それぞれ観点には共通性と当該国の固有の背景があるようである.. フランスでは家庭と学校の分離という長い伝統を背景に,高学歴化の教育文化の積み重ねのうえに,社会 階級的な選別機能を果たすと批判される学校における学力形成問題を解決するためにも,学校は現にある階 級的障壁を越えて市民道徳上での連帯という市民道徳育成の中核的機能を果たすことが求められた.文化の 再生産の場であるがゆえに学校は社会的階級意識を含めて多様な国からの移民も市民社会の秩序に統合する 必要があった.このような社会的背景をもちながらフランスでは,親と成熟しつつある生徒たちに,住民の 代表者とともに学校運営への参加権を付与してきた.公教育の自律的な市民形成という目標は,大革命以来 の共和国フランスの教育理想でもあった.学校評議会への学校参加論は,親が教師と共通の教育情報を持つ という点で参加内容論的意味がある. イギリスでは学校と親は,親権の法理に加えて,親権の共同行使という点で参加論が位置づけられている.. これにより教師と協働する親(代表)の学校参加という法理を見出す.これを背景に,子どもの親は,学校 事業の運営は地方教育当局や学校教師,住民代表とともにパートナーシップの関係にあるものと捉えられて いる.. アメリカではわが国で「選択機会の複数化」と称されている制度の多様化により,利用者(消費者)主義 の運営に徹している.その場合,利用する,あるいは利用しないという選択肢を多様に組み合わせ,利用す る場合のメリット デメリットの理解とともにそれに伴う自己責任の原則を貫徹させている.そしてチャー タースクールの場合であれば,学力向上に見合う公共的投資と成果を等価に評価するシステムがあってはじ めて成立しているものでもあった.このような経済原則の理解が背景にあってはじめて,「学校バウチャー」. 制度も機能していると理解できる.そしてチャータースクールとして存続しうるのか否かは,ひとえに学校 利用者が掌握しているのである.学校利用者としての親は,その学校目標との関係で満足度を表明する.そ のために当該学校の教帥は満足度の指標となるべき学校目標・目標達成の方法,内容などの学校情報を提供 しなければならない.的確な学校情報の碇供こそ,学校存続の生命線となるのである.. Ⅰ.戦後日本の学校と臨教審答申以前と以後 上記Ⅰのように諸外国の動向を承知していた者から見ると,日本社会の教育特質が明瞭に浮かび上がっで. 75.

(9) 大 坂. 治. くるのではなかろうか.日本ではフランスの学校の内(知識の教授)と外(宗教教育を含め訓育的資質の陶 冶)の峻別論ほどには厳密な線引きは存在せず,戦前より日本の学校社会は訓育的な資質の陶冶の上にはじ めて知育を構成する場として把握されてきた.この点は,第2次大戦後の戦後民主主義教育の導入にあって も,戦前の徳目主義的価値観教育を排除しつつも,それに替わるべき新たな民主的な実践道徳を基礎にして 生徒の全面的にして調和的な発達という至上の教育価値を建前としても実践的にも押し出してきた. 学校はかくして日本社会にあっては「教科の指導,道徳の指導,自己実現や集団的な社会の陶冶のための 生徒指導」などを一手に担う総合教育棟関となった.しかしこのことは同時に,本来,一人ひとりの人間の 育ちのなかで有機的に分担すべき家庭,学校,地域社会のそれぞれの教育的役割をいっそう不鮮明なものと させた.教育機会の普及にともない,社会の高学歴化が進展する中で,学校の「教育独占状態」が出現した.. 家庭教育も学校の教育流儀に歩調をあわせるかのように「学校化」され,その相対的な独自性を喪失する にいたる.本来であれば,家庭の学校化の防波堤となるべき地域社会も,昭和50年代以降は,その教育的な 役割を展開できずに,昭和30年代,40年代の頃に比較して,はるかに地域での子どもネットワークを組織で きずに後退し続けた.学校の教育独占状態は家庭と地域社会の教育機能を解体したばかりではなく,高学歴 化社会にいっそう拍車をかけるものとなる.受験競争の過熱化のなかで,戦後日本の学校教育がひたすら教 育の機会の量的拡充を目指してきたことに,受けるべき教育の質的な吟味という反省的な思考を求めるにい たる.この反省的思考の先鞭をつけたのが本稿の冒頭で指摘した中曽根内閣時代に発足した臨時教育審議会 (以後臨教審)であったのである.. 1.教育改革の受け止め方∼臨教審以前と以後∼ 臨教審以前の教育改革の議論のしかたと,臨教審答申以後の教育改革の議論のしかたに大きな転換が見ら れることを指摘しておかなければならない.. ひとつは,臨教審スタート以前には教育事項は教師の仕事,それを司る文部省の仕事という認識枠組みが 黙示的に理解されていたように思える.たとえば教育と経済は本来密接不可分の関係にありながらも,教育 界と経済界が相互にプランを出し合って競い合うという場面を想定することすらタブー視されてきた.教育 界と経済界は相互に不信感を抱き,教育界は教育界で教育の理想を語り,教育の足場でもある経済環境を考 慮する視点を欠落させてきた.経済に従属する教育のあり方は大いに批判もされてきた.もとよりこの批判 にも理由のないことではなかった.経済団体が独自の教育改革を提案しても,その内容は能力主義的エリー ト排出の機能を担う教育機関イメージが具体的に碇案もされ,そのために学校の選抜機能をいっそう顕在化 させることで,子どものなかに「差別・選別」意識を持ち込むものとして理解された.教育関係者が経済界 に接近するモメントは職業・専門学科を持つ高等学校や,「ものづくり」を推進する大学の工学部などごく 一部に限られていたのである.臨教審以前の中教審も,その委員構成には各界の著名人を並べ,しかるべき 答申を出すが,当時の文教政策への不信感の表れとして,学校現場からは背を向けられ続けた.. この点で,わが国の教育改革の進め方に重大な転換点を与えたのが臨教審である.「第3の教育改革」と 銘打って登場したこの臨教審は,戦後教育の総決算とし第4次にわたる答申を出すが,この答申はこれまで の経済界との関係性を超えて,政治主導の卜で教育改革の基礎文書として,あるいは教育政策文書機能を遺 憾なく発揮する.近年の一連の教育改革を見るとき,「臨教審にまずは戻るという原点」の位置を与えている.. 昭和の40年代であれば,政治の教育支配として当然のごとく排除の動きをいっそう強めたであろうことが, 政治の55年体制の終焉とともに,教育界からの政治や経済への批判勢力の後退を見ることになった.この後 退を余儀なくさせたもののひとつが,政治世界から戦後の教育管理体制に対する批判があったことも大きく 与っている.政府与党が文教政策を擁護することはあっても,批判するという構図は想像することができな. 76.

(10) 学枚運営協議会制度の検討(1). いものであった.政治主導で教育改革を進展させる土壌を創出した点で,臨教審の位置は,戦後の教育改革 のターニングポイントであるには違いない.教員団体(教員組合)が文部省と対決する姿勢から対話と相互 理解を求めることが特殊なことではなくなったのである.教育改革は国民各層の総力戦でこれを行う,とい うモットーが広く共有されつつあるようにも見えるが,しかし,改革の軸足は効率性や利便性という教育の 利用者(教育の直接的な利用者である子どもや親,地域社会や産業界)の意向の多様さに応える教育体制の 創出にあるように思われる.. 2.臨教審以後の教育改革の展開. 本稿で分析する学校運営協議会制度は,教育政策の創出過程のなかで提案されてきた.そのため,臨時教 育審議会答申以降の教育政策碇言文書や各種答申,制度諸改革のなかでそれを位置づけて捉える必要があろ う.まず臨教審答申以降の諸改革をプロットすると以下のような政策碇言,答申,制度改革などが挙げられ る.. ①学習指導要領の改訂(平成元年)∼生活科の導入,②学校週5日制の試行的導入(平成4年)とその拡 大∼学力観の転換(学校で学習した力を地域社会で確かめられることで自己実現を図ることのできる力), ③業者テストの追放,いじめ対策緊急会議(平成5年),④子どもの権利条約(平成6年),指導要録の開示 請求訴訟(同),⑤教育指導情報の開示の動きが顕在化,⑥中教審答申「21世紀を展望したわが国の教育の あり方について」(平成8年)∼生きる力の育成,⑦教養審答申「新たな時代に向けた教員養成の改善方策」 (平成9年)∼得意分野づくりのための「教科又は教職」科目の選択履修制度の導入,⑧中教審答申「今後 の地方教育行政のあり方について」(平成10年),中等教育学校制度(同)∼地方教育委員会による選択制導 入,⑨東京都教委「教員人事考課制度」の導入決定(平成11年),社会経済生産本部「選択,責任,連帯の 教育改革」(同),⑲職員会議設置の法定化(平成12年),校長の学校経営権と職員会議の補助機関化,経団 連「グロー バル化の時代の人材育成」(同),学校選択制の導入(東京都品川区教委),教育国民会議最終報 告「教育を支える17の提案」(同),⑪新学習指導要領の実施(平成14年),小中学校設置基準の制定(自己 評価の導入),⑫構造改革特区法(平成15年)で株式会社の学校経営参加を可能とし教育特区の開設,⑬中 教審「今後の学校の管理運営のあり方について」(平成16年)∼教育委員会による学校運営協議会の選択的 導入の法制化.. これらの諸改革を義務教育学校のあり方としてみた場合,その従前の統一的なイメージからの脱却現象が みられる.それは一方で,グローバル化のもと,成熟した社会における教育の充実策としての地方分権の実 現であり,地域に責任と権限を付与しながら多様な意思決定を尊重する方策である.他方で社会資源の効率 的な利活用による目標管理,自己評価管理システムの導入によって,評価に基づく資源の再配分という競争 的な環境を構築することで優れた教育体制の創出を目指した教育政策の表現とも見て取れよう. 一般にはこれまで全国一律に教育の平準化を進めるために依存してきた一元的官僚統制システム(上位機 関へ伺いをたてる,前例踏襲主義,横並びに揃えるなど)から教育のより身近なところでの意思形成(地方 分権,現場主義)を推進し,もって多彩に展開されうる教育運営の可能性に期待しているとみることができ る.. 確かに,これら一連の教育政策・改革基調に多くの期待感を抱くことはできるが,しかしその反面で,後 戻りができないほどに,戦後に不十分ながらも維持されてきた公教育保障体制を瓦解させる多くの契機を含 むものであることも十分に理解しておかなければならない.教育機会の複数化の議論などが典型的に示すよ うに,「教育機会の提供」自体が複数存在しうる空間の創Hをもって「複数化の下で選択の可能性」の議論 がはじめて可能である.複数の選択機会のある空間と単一の選択しかない空間では,公平性そのものが損な. 77.

(11) 大 坂. 拾. われているといわなければならない.現在進行中の選択的導入制による教育改革事項はある意味では地方教 育委員会(都道府県教委,市町村教委)への権限委譲の象徴でもあるが,同時に同一の公共団体内を構成す る当事者構成員の裁量により,行政裁量の格差を生み出すこともあるのである.裁量はそのような性格を内 在させているのである.. Ⅱ.学校運営協議会制度の導入の議論∼教育改革国民会議での提案と議論 1.教育改革国民会議での「新しい学校づくり」の提案. 「開かれた学校」政策に関連して,その直接的な端緒は,平成12年の教育改革国民会議での「教育を変え る17の提案」である.その提案のひとつが次の「新しいタイプの学校」づくりである.. 「教育改革国民会議報告(抄)新しい時代に新しい学校作りを:地域独自のニーズに基づき,地域が運営 に参画する新しいタイプの公立学校(“コミュニティ・スクール”)を市町村が設置することの可能性を検討. する.これは,市町村が校長を募集するとともに,有志による碇案を市町村が審査して学校を設置するもの である.校長はマネジメント・チームを任命し,教員採用権を持って学校経営を行う.学校経営とその成果 のチェックは,市町村が学校ごとに設置する地域学校協議会が定期的に行う.」. それでは上記のようにまとめられた「地域運営学校」(コミュニティ・スクール)とそれをサポートする「学 校運営協議会」の構想がどのようなモチーフ(意図,. ねらい)と内容(制度設計)のもとに提案され,議論. されたのかを見ておこう. コミュニティ・スクールの横森(勤宮改革国民台怯第=分科会へ提案). 2.当初の金子提案. 国民会議は全体会と3つの分科会から構成され て審議を進めた.学校教育のあり方に関わる第二 分科会は,金子郁容氏(慶應義塾大学教授)を主 査とし,全体で7名の委員から構成されていた.. 2仙8年7月別]金子郁密. コミュニティ・スクール. ・■地域独自のニーズに基づいて.地域が運営す石地域のための市町村丑苧櫻. ・巾町村が,学校と「地境学校協議会一の両方を野虚す古 ・地政有志のイ=シアティナ.脚心.中毒昇を受け止めろ. ・単校逗留チームが自律的に運営計両署作成する ・地域学較協鍍金帆団の基調lこ基づ琶.敵背・運用の成果をモニタし評価値する. ▼準習内容の基準卜学習指導辞親〕は包括的に充足 ・学校協議会の偶成粋や協脱会による学校評価の基判ま訂が定める コミュニティ・スクールはどんな学校l=なるか. この中には,近年の規制横和政策のもとで進めら れている教育改革に批判的な藤田英典氏(当時東 京大学教育学部長)も委員として入っていた.第. 二分科会は,第5回の会議(平成12年7月3日) で主査である金子氏が新しい学校づくりの碇案を 「コミュニティ・スクールの碇案」(別掲資料) として提出し,これを叩き台として審議した.. 主査金子氏の発言内容を箇条書きにすると次の ようになるであろう.. ① 当初は「ミュニテイ・スクール」という名 称で提案されたものであること.(この表現. 法が金子氏の独特な使い方であることは,後 の藤田氏との議論の中で明らかになる.). ② 地域独自のニーズに基づいて,地域が運営. 78. ・乱立や公立でほ十分扱えないS叩i河畔血のある児1・生徒を念頭に串山た草控. ・成合緯滑や「地味に開かれた学校」など先端的な軌育アプローチをもコ学校.

(12) 学枚運営協議会制度の検討(1). する,地域のための市町村立学校という位置づけであること.(地域独自の要求に基づく点でロカ. ,. ー. ルコミュニティの意味を強く含んでいる). ③ 市町村が学校と「地域学校協議会」をつくる.イメージとしてイギリスの学校理事会やオランダの評 議員会であり,地域の代表が入るものであること.学校が何をするのかということに関して地域協議会 との緊張関係のなかでやっていくものであること.. ④ 従前の公立学校との違いは,「やりたいという意思を表明した校長及び運営スタッフが手を挙げる, あるいは公募に応ずるというような形です」とあること.(これはアメリカのチャータースクール型に 類似した内容であり,金子氏自身それを認めている). ⑤ 教員に関しては,校長と運営スタッフがリクルートして自分で選べるものとすること.(これは教員 有志を募るという点でイギリス型学校理事会やアメリカ型チャータースクールと類似した教員採用方式 である.). ⑥ 毎年,学校の運営計画を地域学校協議会へ提出し,同協議会がその計画をモニタリングすること.地 域学校協議会の構成は,たとえば校長と教員2名ほどと地域代表や教育委員会委員の全部又は一部が 入っても良い.この協議会が責任を持って学校評価を行うものであること.(この点はフランス型学校 評議会の学校教育計画の審議・評価権,改善意見表明権と類似する). ⑦ 学校の特徴づけとして,地域のスペシャルニーズに応じるものであること.たとえば,「いじめられ ている子とか,ゆっくりやりたいというような子とか,茶髪の子ばっかり集めてもいいのかもしれませ んけれど」,私立ではやりきれないものでもよいこと.ほかにITや英語でも「先進的なことをひとつ やろうというところも出てくるかもしれない」,というように地域の発意次第で特色付けができるもの であること.ただし,私立学校での学習指導要領の扱いと同様に,国の定める学習指導要領の基準性は 尊重されるが,包括的にそれを充足するものであればよいこと,すなわち卒業までに指導事項の指導が 行われることで十分であること.(地域をテーマとするコミュニティであると同時に,ある種のカテゴ リの教育課題を集約的に学校目標とするテーマコミュニティでもある). 3.金子提案に対する質疑. これらの金子氏の説明内容に対して,以下のような質疑と応答が出されたことを記しておきたい.(下線 は強調の意味で引用者によるものである). ① 「1県に1つは必ず設置のことなんて話だと最悪だから.」(大宅委員)に対して「地域によってはできない可能性も 大いにある」(金子主査)と回答. ② 「イメージとして,コミュニティスクールと書いてあるけれど,アメリカのチャーター・スクールに近いように思う のですが」(藤田委員)に対して「チャータースクールも参考になる」(金子)と回答. ③ 「実際にどんな学校になるのかという点では,スペシャルニーズのある児童生徒を念頭においた競合教育や地域ニー ズに基づいた学校ならありうると思う.学校協議会の方は,これと違うといえば違うんですが,実質的に問題ではない.. 現在の延長線上にあるものと言えますし,私も,現行のシステムにそうものを付け加える方が良いと言っていま す.‥問題はこういう学校をつくるとして,さっき言ったように,この学校が飛び地のように,ほかの学校への括 力,活性化の刺激になるようなものというふうに位置づけられたんですけれども,私はスペシャルニーズのあるような 子どもの学校だったら,むしろこういう方式でやるよりも,県単位,都道府県単位でもっと積極的に,そういった適切 な学校をつくることを考えた方がよいような気がするんです」(藤田委員)に対して「そこが違うのです.県に任せるの ではなく自分たちがやるんです.基本的に違う.」(金子)と回答.. 79.

(13) 大 坂. 治. ① 「競合教育や開かれた学校というようなものであれば,今の公立学校でもできないことはない」(藤田)に対して「や りたいという人に何年か保証して,その人がいいという教員を選んできてもよい.その結果はちゃんと地域でチェック するのか,県からのあてがいぶちの教員で,校長もいつ来るかわからないようなところでやるのか.ぜんぜん違うと思 います.」(金子)と回答. ⑤ 「そうなるとますます矛盾をはらんでいる可能性があるように思います.学校運営チームはある種,チャータースクー ルと同じような有志の集まりなわけです.ところが地域学校協議会は有志ではなく,その地域単位,しかもこれは市単 位の大きいな地域ですね.そういったところで,学校教育のあり方,子どもの教育のあり方をトータルに考えようとす. る団体ですね.その間の矛盾が表面化する叶能性があるんじゃないのですか.‥・内容的な目的を重視するなら,こ ういう制度をつくることで,有志が自分たちなりの学校をつくれるようにすることが重要なことになる.そうすると, これは実質的にアメリカのチャータースクールと同じものにならざるを待ない.‥・チャータースクールが持ってい る問題性がある」(藤田)に対して,「問題がない学校はないんですから.少しでもやる気を受け止めるようにしたい.. 人事については自分でできるということでだいぶ違うと思います.もちろん地域によって要らないという地域はコミュ ニティスクールはできないですよ.それはしょうがないじゃないですか.全国でやれというのではない.やりたい, ニーズがある,やりたい人がいる,じゃやってみてくださいということで,その可能性をつくっておくか,つくってお かないかでは違うのではないかな」(金子)と回答. ⑥ 「新しいものをつくって活性化していこうという考え方には大賛成なんですが,ただこれがチャータースクール的な 諸になっていくとなると,ちょっと問題が大きくなるんじゃないかという気がするですね.アメリカでチャータースクー ルがうまくいって,口本ではうまくいかないという最大の理由は,口本には ▲定量の私立学校がすでにあったというこ と.アメリカではほとんど公立でやっているわけです.私立はほとんど無かった.日本の場合には一定量の私立が現存 しており,新しい教育について私立はかなり取り組んでいるという実態があるんですね.それを前提とするとこの形で チャータースクール的に運営していくということになりますと,自分たちのやりたい教育を税金を使ってやるという話. になってきますと,私立学校がいままでやってきたことは何だったのかという諸になりますね.‥・一方,自分たち の好きなことを税金でやろうというと,どういう整合性があるのかという諸になっちゃうんですね.‥・ただ先生が 新しい提案をしたいと,学校を活性化するために,その気持ちは私も大賛成なので,何か生かせないのかのかなとは思 いますが,チャータースクールは絶対,今のままでは受け入れられないんですね.アメリカと違うわけですから」(田村 哲夫委員)に対して「両方ないといけないと思います.私立の方は今のままにしておいて,コミュニティスクールを進 めれば,公費を使って私立をつくるのかということになる.私立も条件さえあえばできるようにする.」(金子)と回答. ⑦ 「市町村というか,各学校の裁量の範囲を現状よりもさらに拡大する方向で,各学校が意欲的な試みをどんどんやれ るようにしたらよいんじゃないかということは,私もそのとおりだと思います」(藤田)に対して「チャータースクール. はもともと地方分権の強いアメリカの制度ですから,そのままだと唐突です.‥やる気のある人がちゃんと審査され て経営を任されるということと,あてがいぶちじゃないといこと,運営スタッフを自分で持っている,教員は自分で選 ベる.そういうムーブメントをどこかでつくりたい.」(金子)と回答. ⑧ 「学校の場合に難しいのは,既存のスタッフを奪い合うことになる.どこかの学校の先生を引き抜っこ抜くというの じゃなく,全く違うプールから先生が採用されるというのであれば,それはある期間うまくいくかもしれないという気 はするんですが,学校というのはどうしても,その学校1つがよくなったからといって,ほかの学校もよくなるという 性質のものではないですね.」(藤田)に対して,田村委員が「でもそりゃ刺激にはなるんじゃないですか」と発言し,「学 校はゼロサムですか.ずい分と悲観的ですね.」(金子)と回答.これをうけ藤田は「自由裁量の範囲をもう少し拡大して, 意欲のある校長さんや先生方がもっと積極的にできるようにしたらどうかということなんです.1つの学校,あるいは 少数の学校をそういうふうにつくるという発想じゃなくて,どの学校でもその気になればできるという条件整備をすべ きだと.」発言.. 80.

(14) 学枚運営協議会制度の検討(1) ⑨ 「運営のところ,校長なり運営スタッフ,また自由裁量,この幅を自由に,できるだけキチットというのは私は賛成. です.‥専門的なこと判りませんが運営という部分は賛成です.国際競争にさらされてないと,変化を嫌うんだろう なと思うんです.私たちの産業界というのは国際競争にさらされているところは相当変わっているんです.」(上島一泰 委員)の所感披露.. 金子座長提案に対して,主として,藤田委員が既存の公立学校の枠の中で裁量を図るべきであって,ごく 少数の特殊な目的をもつ学校をつるべきではないと反論したこと,また私学経営者の田村委員から特色のあ る教育は私立学校でこそ積み重ねられてきた努力の成果であり,やりたい教育をするために公費で投資して 特色ある公立学校をつくるというのはいかにも公私の整合性を欠くものであるとの指摘が特に目を引く. 国民会議では,. この分科会での議論の座長提案と異論を併記して報告し,全体会議に諮った.そこでも県. の教育長を務める委員から設置者管理主義および条例設置主義の観点から,任意ないし選択制設置との整合 性が取らないのではないかとの異論が出されたが,結局,「教育改革国民会議」が設置された経緯や意義を 考えると,これくらいの提案がなされないと意味がないとの金子氏の発言に後押しされて,最終案が起案さ れたのである.. 先の下線部で強調した個所を注意深く読めば,わが国での「教育改革国民会議」での金子提案による「コ ミュニティー・スクール」の理念は,かつてヨーロッパで要求された「教育の民主化」の制度表現の系譜に 属するものとは異なるものである.学校運営協議会は,当該地域の親や住民の教育意向反映装置として機能 を有するものであり,その限りでの結果としての「教育民主化」の成果をもたらすものではあっても,一義 的にこの点から制度設計がなされているわけではなかった.なぜなら,この制度がすべての公立学校単位で 教育意向反映装置として機能することが望ましいのであるとすれば,「学校設置者による選択的導入」とい う論理に委ねることには疑問が残るからである.地方教育委員会の判断で設置・非設置の判断が下されると するなら,学校単位での親や住民の教育意向の交換・相互理解は必ずしも保障されているわけではない.こ の点にこそ規制媛和としての教育改革の性格が如実に現れている.一律主義という制度を柔軟に運用するた めに,教育改革国民会議では,参加の系としての父母,住民の学校参加制度と,評価に基づく選択の系とし ての「チャーター・スクール」との混合形態をとるという提案をしたといえようか.次稿では,国民会議報 告以降の中教審審議,および国会審議の過程から法制化された「学校運営協議会」の特質とこれが「開かれ た学校」の制度的装置として機能するための諸条件に検討したい.. (本稿は,本学の中期目標の研究課題38「『開かれた学校』実現の基盤に関する制度論的研究」に関わる,2005. 年度の学術研究推進経費(共同研究推進書)によるプロジェクト研究「『開かれた学校』の基盤整備に関す る総合研究」の研究成果の一つである). 「注1)本研究は,共同研究「「学校をひらく」制度的な基盤に関する総合的な研究」のプロジェクト研究会で報告したもの である.研究会のメンバーの一人である,本学旭川校,大崎功教授は,研究会の席上で,教育参加論の法的な根拠は, 教育基本法第10条の「教育の国民に対する直接責任」論にあると指摘した.この論拠は,かつて「国民の教育権論」の 論拠ともされたが,筆者は行論でも明らかなように,教育業務の国民からの一方的な委託として教師,学校が受任して いるのではなく,学校数育と家庭や地域社会の教育責任との双務性・補完性により,学校参加論が論理化されることが 必要であるとの立場に立つ.この双務性・補完性は,これを学習する主体である児童・生徒から見れば,自らの教育的 な措置に対する意見表明権としても位置づくことを指摘しておきたい. (注2)イギリスの学校参加制度の記述は,窪田眞二氏の文献の記述に負う所が多い. (注3)元図愛実「チャータースクール」『最新教育キーワード137』(江川,高橋,葉養,望月編,時事通信社,p.20.1999年). 81.

(15) 大 坂. 治. 参考文献 ・海老原治善編『世界の教育改革』(三省堂,1983年) ・窪田眞二『父母の教育権の研究−イギリスの父母の学校選択権と学校参加−¶(亜紀書房,1993) ・ジョー・ネイサン(大沼安史訳)『チャータースクール』(一光社,1996年) ・葉義正明編『学校評議員読本』(教育開発研究所,2000年) ・川上亮一『教育改革国民会議で何が論じられたか』(草思社,2000年) ・浦野東洋一編『学校評議員制度の新たな展開』(学事出版,2001年) ・佐伯俊彦『教育改革に挑む∼開かれた学校をめざして∼』(海鳥社,1996年) ・藤田英典『義務教育を問い直す』(筑摩書房,2005年) ・平原春好『教育行政学』(東京大学出版会). ・葉義正明ほか編『教育キーワード137』(時事通信社,1999年) ・日高和美「学校運営協議会の制度化に関する一考察」(2005年度目本教育制度学会個人研究発表資料) ・金子郁容他『コミュニティー・スクール構想』(岩波書店,2000年) ・教育改革国民会議報告書(内閣府ホームページ). (函館校教授). 82.

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