交通事故は増えたのか、減ったのか : 統計にみる 交通安全史(第6回)1970年代の事故減少
著者 吉田 信彌
雑誌名 人と車
巻 52
号 9
ページ 12‑15
発行年 2016‑09‑01
URL http://id.nii.ac.jp/1204/00023898/
東北学院大学
教養学部
教授
吉 田 信 彌 交通事故 は 増 え た の か 、 減 っ た の か
統計にみる 交通安全史
ハ ー ド 重 視 の 信 仰
交通安全対策は3つのE(工学
E ngineering
、規制E nforcement
、教育E ducation
)からなる、と言われる。そのうちの工学のE、つまり信号や歩道の設置などの交通環境の整備が1970年代の交通事故の減少に貢献したとの見方が根強い。死の人口当りた者数が減少した す恩恵をもたら。図1でも全年齢層 すなる。それは齢べての年の人にく な少が牲犠の者行歩み進は離分車歩 回避れが突衝さる。歩道が増えれば 通が増えれば交制流が統信され、号 1)。
70
年代の減少は環境整備、3Eのうちの工学によるハード面改良によるとの説明は通りが良いように思える。
しかしそうだろうか。その考えには留保がつく。道路などの設備は予算の関係で、年々一定の比率で増える。それが原因で死者を減らすなら、減る死者のほうも一定の割合になるはずである。ところがそうならない箇所がある。
第一は、図1では
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19
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80
増が者死は代年 一般にわが国では環境整備などのハード面の改善が安全に資するとの信仰が強い。それが一時的にだが揺らいだのは1990年代に入ったばかりの頃であった。80
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年間第6回
1970年代の事故減少
東北学院大学
教養学部
教授
吉 田 信 彌 交通事故 は 増 え た の か 、 減 っ た の か
統計にみる 交通安全史
はびこるようになった。それが誤った論だというのが私の主張
。うましてじ感をさ ド強の仰信ーハに化変の論たしうそ だ、が2)
3 E へ の 疑 問
そもそも3Eと3つに分ける思考が問題ではないか。3Eは工学、警察、心理学と専門を3つに切り分け、分業化してしまった。そのためモノを改良する
Engineering
の効果を工学面に限って論じるようになってしまった。しかし現実にはモノは情報としても作用する。先に言ってしまえば、にしえゆ果効報情、し用作てと果
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年で効用が切れた、というのが、今回紹介する私の説である。
モノが情報として作用する例をあげよう。信号の新設はその地点が信号が必要なほどの危険交差点であったことを伝える情報でもある。その信号が電子計算機(コンピュータの
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年方て時の呼び当でる)によっあ 報るす供提を信情の頼ういと。当時の関係者は、予算がつきその額が大きかったという
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3Eという枠ではなく、私はかねてより情報がどう行動を動かし、行動の結果として全体の統計が動き、それがまた情報となる、情報・行動・社会統計の3項枠組み
きた(図2)。 2)を提唱して
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人口
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15歳以下 16-19歳 20-29歳
30-39歳 40-49歳 50-59歳
60-69歳 70歳以上 60歳以上
図1 年齢層別人口10万人当たり死者数の年次推移(1956年〜2010年)
(5月号・図1、6月号・図1を再掲載)
わった。エアバッグなどの安全装置が
ががハード面の良改貢献したとの論 降は少減者死の以2991かにま年
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及ごろから普年すると、つのい図2 3Eから情報・行動・社会統計
3 E よ り こ ち ら は い か が ?
情報 行動 社会
統計
交通事故 は 増 えたのか、 減 ったのか
統計にみる交通安全史特徴の一つは中高年の減少である。
40
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19
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組織防衛のためにも各職場で交通 通安全である。いっぽうで
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れる労年安全衛さ行施らか働 労働法によって雇用者が労働者の安全と健康を守る義務を果たすことは約束されていたが、新しい労働安全衛生法はそのために会社の中に安全管理者を置き、会社が継続的に安全活動を行うように組織を組み直しての対応を促したのである。労働災害防止もあるが、その射程には交通安全も入る。通勤も労働の一部であるからマイカー通勤の事故も労働災害となる。マイカー通勤者からすると、カーはマイ(自分)のことと思っていたら、会社の事柄で会社の知るところとなる。実際には個人の保険で処理した例もあっただろうが、会社の目が光るということだけで事故には気をつけるようになる。なにしろ
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交通安全対策の国家予算は地方自治体に流れ、それが組織を活性化する工夫があったとの話も聞くが、ともかくそれは公共機関が主導する交
イラスト・本田牧子
交通事故 は 増 えたのか、 減 ったのか
統計にみる交通安全史待ちの時にフットブレーキをかけない運転者も少なくなかった)、そしてバックミラーを見て追突してこないか監視せよ、くらいだ。こうした知恵=情報が広まる。
職場でも議論されるようになった交通安全は、いよいよ「みんな」の願いとなり、それを防ぐ知恵が結集されていく。
組 織 を 通 し て の 交 通 安 全 運 動
時代を点検すると、
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70
織組は代年代告の化は時化を変げ。情報であるる モノ組織が変やるの。変わ境のそ環 に織という実体う伴情報あった。で組 は、いるあノモ、算予は改変された 伝報情のはでで報の達こそ。いな情 し「気をけまつょううべわうと」い し的な組織を通展て開し。それはた
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年や公には国代会社などの せうよげあつ一を例る。 ないと思わらなばなし意留に全安れ追突事故などでむち打ち症になる人は今もいるが
。だ介厄もれこ 仕訴えがきて、の事にも差し障る。 になったら、いつまでも被害者から 、職場でも困るし。と介だ加害者厄 者くもなる被害。に情もするが、同 はと続く。周囲と仮病か疑いた何年 が話がえい、と電くる。そうした訴 高日い勤の度首はなが痛くて出でき たいてい働くにの、如雨の降る湿突 にとその被害遭う、普段は変わりな かれが治りにくもった。従業員がそ
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かし、く多は代年かくもむち打ち症は厄介だ。これを逃れるには結局のところ事故に遭わないようにするしかない。交通安全は個人のことと思われがちだが、会社のため、職場のためにも事故を起こさないことが第一だ。そして追突されないことだ。とはいえ追突を防ぐことは無理だから、せめて被害を軽くするためにできることは、停車中はサイドブレーキだけでなくフットブレーキも怠るな(当時はオートマチック車ではないから信号 それは人々に行動の変容を迫る情報となる。
しかし情報は飽きられる。
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者死と故事の代年文 献 年告と知〜報見書2011 貢験経の本日るうし献に上途〜み組国 1会際交通安全学国「交通争への取り戦
年6002章7第、章6 2新吉公第中』理心と故事『彌信田書