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『国富論』における合本会社論の構造

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(1)

『国富論』における合本会社論の構造

著者 舛谷 謙二

雑誌名 東北学院大学論集. 経済学

号 121

ページ 81‑101

発行年 1992‑12‑15

URL http://id.nii.ac.jp/1204/00024492/

(2)

『国富論」における合本会社論の構造

舛谷謙二

目次 1.序論

Ⅱ. スミスの合本会社批判論 l .合本会社の基本的特徴

2.排他的特権一永続的独占と一時的独占 3.組織の非自律性一怠惰と浪費

Ⅲ、 スミスの合本会社限定付受容論 1 ̲ 「主権者の第3の義務」と合本会社 2.受容基準

Ⅳ、結語

I.序論

『国富論』第3版(AnlnquiryintotheNatureandCausesofthe WealthofNations・ 1776, 1778, 1784, 1786, 1789)の改訂にあたり,

アダム・スミス(AdamSmith, 1723‑90)は出版元であるWilliam Strahan(1715‑85)宛の書簡(1783年5月22日付)で, 「わが国の特許貿 易会社の馬鹿らしさと有害さにつ↓、ての短い歴史と全面的な記述」が,第 3版増補部分の主要な議論の1つになることを明らかにしてし、る ) 。また,

l )E.C,MoSsnerandI S・Ross (eds.), #TheCorrespondenceofAdam Smith',Oxford,1977,p.266,その他の主要増補部分としてスミスは,① 殻物奨励金(cornbounty)に関する議論②ニシン漁用横帆船奨励金(Her‑

ringbussbounty)に関する議論,及び③重商主義に関する1つの新LL締 めくくりの章を加えることを挙げている。

(3)

同様の記述はThomasCadell宛の書簡(1782年12月7日付)において も, 「大英帝国の全通商会社の,短いが,心ひそかに完全と信じる歴史」

という表現で見られる2も予告通り,その議論は第3版における第5篇第 1章第3節第1項<2>「商業の特定部門を助成するために必要な公共事 業猫よび公共施設について」として結実する。この第3版への序文に描い てスミスは,増補部分を指摘した後, 「これらの増補部分のなかで,現状 といっているのは,つねに1783年中と,本年1784年初頭の状態のことであ る」と述べ,増補部分に含まれる議論がすぐ・れて時事問題的性格をもつも のであることを強調している3も

このように,東インド会社を中心とする英国の通商会社に関するスミス の記述は時論的観点が強く意識されているようにも見えるのであるが, ス ミスの伝記作家JohnRea iXThoroldRogersからの伝聞として次のよ うな話を記している。すなわち, スミスが第3版の増補部分で取扱った大 英帝国通商会社史に含まれる東インド会社史は,その10年以前に書かれて 机の中に仕舞われていたものであるということである4ももしそうだとす れば,この議論ば単に時論的性格を有するのみ、ならず,スミスによって『国 富論』の他の部分との整合性を保ちながら,かなり周到に準備されたもの であって, 当時の時事問題に触発されて増補部分に組糸入れられた可能性

もあるように思われる。

2) Ibid. , p 263.

3)R.H、CampbeU,A.S,SkinnerandW.B・Todd (eds.), ,Anlnquirym‑

totheNatureandCausesoftheWealthofNations',Oxford,1976, p.8.大河内一男監訳『国富論』,中央公論社, 1976年,第Ⅲ巻447ページ。

本稿では以下,WN, p.8.邦訳Ⅲ, 447ページのように略記する。田添氏ば この議論が当時の政治問題に対するスミスの認識を表わすものとして,次の ように述べておられる。この部分の「増補は, スミス自身がきわめて麓視し ていたところで,当時,議会で激論が闘わされていた,東インド会社のイン ド統治問題にたいするスミスー流の透徹した理解を示したものと考えられ る」。田添京二「『国富論』各版の異同について」,大河内一男監訳『国富論』

Ⅲ所収, 448ページ。

4) JohnRea, $LifeofAdamSmith' , Keny, 1965, pp、361‑62.大内兵衛

・大内節子訳『アダム・スミス伝』,岩波爵店, 1972年, 455ページ。

2 −82−

(4)

r国富論』における合本会社論の構造

以上のような意味からして,本稿では, 「すべての人がたえず自分の暮 しをよくしようとする自然の努力」に信頼を置き,管理能力が優れた中流

・下屑階級に属する企業欲の旺盛な「個人」 (manOfenterprise)の経済 活動も,慎慮と正義の範囲内に存する限り公平な観察者の同感を獲得し是 認されうることを示唆したスミスが5), 『国富論』第3版の大幅な増補部

分において主櫓者の義務との関連で取り上げた,合本会社なる「組織」に

対して如何なる位置と役割とを賦与したかを明らかにするための予備的考 察として, 『国富論』における合本会社論の基本構造をスミスに即して考 察する。

その順序として,第Ⅱ章では, イギリス東インド会社を典型とする合本 会社の特徴としての独占的性格と自律性の欠如を中心として, スミスが合 本会社を批判する論拠を検討する。それに続く第Ⅲ章では,それにも拘ら ずスミスが,合本会社に限定を付してな垢かつ受容しようとする論拠と背 景に関して若干の検討を加える。

Ⅱ. スミスの合本会社批判論

われわれば本章で, スミスが合本会社を批判する論拠を考察する。第1 節では,合本会社の特徴を制規会社および合名会社との比較において述べ

るスミスの論点を概観する。それに続く2つの節ではそれぞれ,合本会社 のもつ独占的性格と組織としての自律性の欠如という観点からなされる批 判点を検討する。

5)WN, p、343邦訳1, 536ページ,同様に,WN, p.674、邦訳Ⅱ, 491ペー ジ。D.D.RaphaelandA.L.Macfie (eds.), $TheTheoryofMoral Sentiments' , Oxford, 1976, p.56.米林富男訳『道徳情操論』 (上),未来 社, 1969年, 140ページ。本稿では以下,TMS, p.56,邦訳(上), 140ペー ジのように略記する。TMS, p.63.邦訳(上), 151ページ。TMS, p・ 173.

邦訳(上), 373ページ。な諦, スミスの企業者観に関しては拙稿を参照され たい。 「UndeltakerとProjector‑アダム・スミスの企業者観一」,

『東北学院大学輪集経済学』第110号,平成元年。

(5)

1 .合本会社の基本的特徴

合本会社6) (jointstockcompany)が制規会社(regulatedcompany) とも合名会社(privatecompany)とも異なるものとして, スミスは次の 点を指摘している。

第1に, 「どの社員も, 自分の持分の払戻しを会社に請求できない。そ の代り各社員は,会社の承認なしで, 自分の持分を他人に誤渡し,それに

よって新しい社員を加入させることができる」こと7も

第2に, 「会社が契約した債務にたいして, ・ ・…。 (中略) ..…・各社員は,

自分の持分を限度とする債務を負うだけである」こと8もすなわち, 「各 社員は,総資本に占める各々の出資持分に比例して共同の損益にあずかる」

こと9も

この2つの特徴ゆえに合本会社にば大規模な資本が集まり,その結果と して第3に, 「こういう会社の取締役ば, 自分の金というより,むしろ他 6)WilliamR.Scottは合本会社発生の契機として,@16世紀初頭の海上での 諸発見による外国貿易の機運高揚,及び②1563年のイギリス国教会成立にゑ られるイギリスの宗教改革によって教会から資本が解放され結果として,そ の資本を以て会社組織を運営することが可能になった点を挙げている。W、

R.Scott, ,TheConstitutionandFinanceofEnglish、 Scottishand IrishJoint‑StockCompaniestol720',Vol.1 ( ,TheGeneralDevelop‑

mentofTheJoint‑StockSystemto l720' ) , originallypublishedin 1912, reprinted. 1968, PeterSmith, p, 15、 また,合本会社発生史に関 する大塚氏の綿密な考察によれば,制規組合(regulatedcompany)と合本 会社(joint‑stockcompany)とはともに特殊イギリス的制度である「カンパ ニー」であって,前者は外国貿易商人のギルド的組合であって,独立商業資 本を包括し規制するにすぎない団体であり,後者はその団体規模に一致する 結合資本(会社資本)をもって経営にあたる,同時に会社企業でもある組合 であるとされる。このように,大塚氏ば合本会社の発生経路を「ギルド→カ ンパニー→合本会社」と見ておられる。大塚久男「JointStockCompany と株式会社」, 『株式会社発生史論』 (著作集第1巻)前購第2章.岩波書店,

1969年, 184‑185<‑ジ。このギルドに起源をもつ初期合本会社の特質につ いてScottは,①財産の永久的継承,及び②部外者の排斥という否定的側 面も合わせもつ強力な結束, を挙げている。 Cf. Scott, op. cit. , Vol. 1 , pp.2‑3.

7)WN, p.740.邦訳Ⅲ, 82ページ。

8)WN, pp.740̲41.邦訳Ⅲ, 83=‑<‑ジ。

9)WN, p.733.邦訳Ⅲ, 71ページ。

4 −84−

(6)

『国富識』に鈴ける合本会社論の構造

人の金の管理人であるわけだから, ・・・…(中略) ・…こういう会社の業務 運営にば,多かれ少なかれ怠惰と浪費がつねにはびこること必定である」

ことIo%

われわれは以上の引用から, スミスにおける合本会社の特徴として,第 1に持株の転売が可能なこと,第2に持株に応じての利益分配と有限責任,

第3に所有者とは異なる取締役による事業運営,を指摘することができ る''も

この第1と第2の特徴によって,株主が経営業務に腐心する必要もなく 無制限な危険負担を免れる結果として合本会社には巨大な資本が集まって くることをスミスは認識し'2),外国貿易に従事する合本会社の例として王 立アフリカ会社(TheRoyalAfricanCompany)・ハドソン湾会社 (TheHudson'sBayCompany)・南海会社(TheSouthSeaCompany)

・旧東インド会社(TheoldEngEshEastlndiaCompany)を挙げる。そ の際スミスは,合本会社が制度的には「排他的特徴をもっている場合もあ れば, もたない場合もある'3)」と述べて,排他的特権を背景とした独占が 合本会社にとって不可欠の特徴ではないことを指摘しているものの,各合 本会社の歴史と現状とを観察するに,両者間に緊密な関係を認め, 「排他 的な独占会社なるものは,いかなる点から象ても,迷惑で荷厄介なもので ある。独占会社を設立した当の国にとっては,つねに,多少とも不都合な 存在であり, また,不幸にして独占会社の統治下におかれた植民地の国々

にとっては.破壊的なものであるl4uと結論付けたのである。第4篇第8 章が重商主義に関する第3版の増補部分であることからすれば,第4聴第

10)WN, p.741.邦訳Ⅲ, 83‑84ページ。

ll)E.Cannanが『国富論』の小見出しで,合本会社の特徴を第1と第2の2 つとしているのに対し (E・Cannan, $TheWealthofNationsby AdamSmith' ,Tuttle, reprinted. 1979, p,699. ),上田氏は第3の点の 意義を強調して3つに見ておられる。上田光人「古典派経済学における株式 会社像一スチュアート, スミス, ミル, マルクスの見解一」, 『中京 商学論鰻』第23巻第1号, 1976年, 71‑73ページ。

12)WN, p、741.邦訳Ⅲ, 83ページ。

13)WN, p.733.邦訳Ⅲ, 71ページ。

(7)

7章の最後に位置するこの引用部分は,重商主義と不可分に結びついた合 本会社に対する,少なくとも第2版までのスミスの基本的認識を示すもの といえよう。われわればこの点をスミスの合本会社批判論のひとつめの論 拠と位置付け,本章第2節において検討する。

次いで,先に挙げた合本会社の基本的特徴の中で注目すべきは,第1と 第2の特徴によって可能になる大規模資本の集積の結果として現われる,

端緒的な所有と経営の分離現象から生ずる第3の特徴が,合本会社が必然 的に内包する問題とてスミスによって認識されている点である。スミスは 南海会社に言及した箇所でも, 「この会社(南海会社一引用者)の使用 人の怠惰,浪費,汚職から生ずる損失は,思うにこれらすべての関税より もはるかに重い税であった。個人の投機家(privateadventurers)がなん らかの形で自由公平な競争を挑みうる場合でも,合本会社(jointstock company)が外国貿易のどの部門にせよ, うまくやれるなどということは,

およそ経験に反するように思われ為'5)」と述べ,排他的独占が存在しない 場合でさえも,合本会社なる「組織」の事業運営に必然的に伴う怠惰や浪 費といった経営上の非効率性が,利潤動機に誘発されて自律的になされる

「個人」投機家との競争の敗因になったとの認識を示している。われわれ ばこの点を, スミスの合本会社批判論のふたつめの論拠と位置付け,本章 第3節において検討することとする。

2..排他的特栢一永続的独占と一時的独占

スミスは貿易を営む合本会社の日常業務を次のように分析する'6もすな わち,その種の会社は競争者が多数存在する市場に諦いて,絶えず変化す る需要とそれに対する競争者の行動を読んで,熟練と判断とをもって財貨 の数量や品質を対応させるという, 「まさにたえず作戦変更を要する一種 の戦争」に従事しているのであって, 「ねばり強くふだんの警戒と注意を

14)WN, p 641 ,邦訳Ⅱ, 432ページ。

15)WN, p.746 邦訳Ⅲ, 91ページ。

16)WN, p、755‑邦訳Ⅲ, 104‑105ページ。

6 −86−

(8)

『国富強』における合本会社論の構造

払う」ことを要する業務である, と。 このようにスミスは,その日常業務 が画一化しえない仕事であることに注目して,排他的特権の期間が満了し た東インド会社17)が「個人の投機商人の警戒と注意にはとてもかなわな い」ことを見通し, 「合本会社というものは,経験上明らかだと思うが,

独占権なしでは, どんな部門の外国貿易にせよ,長くは営んでいくことが できない」と述べて,排他的独占権が外国貿易を営む際の合本会社の要件 であることを,経験的に見て取ったのである。それでは, このような排他 的独占権を有する合本会社が営む外国貿易の効果を, スミスはどのように 見ていたのであろうか。

東インド諸国の顕ならず中国, インド, 日本にも及ぶ東インド貿易を例 にして言えば, 「ヨーロッパがこれまで東インドとの通商から得た利益は,

アメリカとの通商から得た利益よりもはるかに少ない'8)」と, スミスは結 論付けている。それは, オランダ, イングランド, フランスなどのヨーロ

ッパ諸国が東インド貿易を各国の排他的独占会社に委ねた結果であるとさ れるのであるが,その弊害は2つの方向から指摘されている。すなわち,

「永久的な独占を認めると,国家のほかの臣民のすべてが,つぎの2つの 違った方法で,はなはだ馬鹿げたことに,いわば税を課せられることにな る。その第1は, 自由貿易の場合ならばずっと安く買えるはずの財貨の高 価格によってである。第2は,臣民の多くにとって,それを営めば便宜で もあれば有利でありえたばずのその事業部門から,完全に締め出されるこ 17)正式名称は, TheGovernor&CopmanyofMerchantsofLondon

tmdmgmtotheEastlndies (東インド貿易を目的とするロンドン商人の,

総裁鈴よび社員より成る会社)であって, それは唾史的にみ、ると次の3穂類 の会社の総称である。 (1) 「ロンドン東インド会社TheGovernor&C●p‐

manyofMerchantsofLondontradingmtotheEastlndies」(1600/12/

31‑1709), (2)「イギリス東インド会社TheEnglishCompanyTrading intotheEastlndies」(1698/9/5‑1709),1709年に(1)と合同, (3) 「合同東イ

ンド会社TheUnitedCompanyofMerchantsTradingtotheEast ln・

dies」(1709‑1856)。 cf‑W.R,Scott, 0pcit. ,Vol、2 (#Companiesfor ForeignTrade,Colonization,FishingandMining'),p.92,p・ 169.

18)WN, pp.44849.邦訳Ⅱ, 110ページ。

(9)

とによってである'9)」と。このように,排他的特権を内容とする永久的な 独占に対するスミスの批判は,第1に価格論の観点から,そして第2に資 本配分の観点からなされているといえる。

まずわれわれば価格論の観点を検討する。 『国富論』第1篇第7章で明 らかにされているように, スミスは競争を撹乱する要因が現実の社会には 数多く存在することを認識し,その結果として発生する独占価格を, 「ど んな場合でも買手からしぼりとることのできる最高価格20j」と見た。すな わち,独占価格は市場価格(marketprice)を自然価格(naturalprice)J:

り高い水準に固定化することによって,本来ならば自然価格へ収散すべき ものを阻害することによって実現されていると見て取ったのである。スミ スは自然価格と市場価格を永続的に乖離させる要因として,個々の偶然の 出来事(paIticularaccidents)及び自然的原因(naturalcauses)と並んで,

個々の行政上の法規(particularregulationsofpoUce)を挙げ,同業組合 の排他的特権(exclusiveprivilegesofcorporati0ns)や徒弟条令 (statutesofapprenticeship)を含む独占を, 「重商主義の唯一の武器 (thesoleengine)21」と喝破したのであった。

永久的独占に対する第2の批判は資本配分の観点からのものであって,

「資本の自然的配分を撹乱するのは,いかなる場合でも,その社会にとっ て有害である。なぜなら, この撹乱は,それがなければある特定の事業へ 向かうはずの資本を,そこから疎外し,あるいは,本来そこへ来ないはず の資本を引き寄せることになる22)」と,スミスは述べる。またさらに, 「植 民地貿易の独占は,おのずと植民地貿易へ流れ込むよりも,はるかに大豊 の大ブリテンの資本を,強L、て植民地貿易へ向かわせるのであるから,独

19) 20)

WN, p.755.邦訳Ⅲ, 104<‑ジ。

WN, pp 784.邦訳1, 104ページ。な輻, スミスの価格論に関しては拙稿 を参照されたい。 「アダム・スミスの均衡概念について−『国富論』第 1繍第7章を中心として−」, 『東北学院大学論集経済学』第107号,昭 和63年。

WN, p.630.邦訳Ⅱ, 410‑11=‑q‑ジ。

WN, pP、632‑33.邦訳Ⅱ, 417ページ。

−88−

21)

ー=ノ

8

(10)

『国富論』に描ける合本会社論の櫛造

占さえなければ,大ブリテンの各種産業部門のあいだに成立したはずの自 然的均衡を全面的に破壊してしまったように思われる23)」とも指摘して,

スミスは,植民地貿易が資本配分を撹乱する結果として, 「産業の自然的 均衡」が破壊されることを批判し,排他的独占権を賦与してL、る法律の撤 廃がその均衡の回復の唯一の方策であると示唆している24も

スミスの独占批判は,排他的特権保持を主要内容とする永続的独占に向 けられているのであるが,以上の点から明らかなように,合本会社の独占 的貿易が価格上昇と産業の自然的均衡破壊を招来することを理論的に解明 したスミスにとって, 「貿易は国家のすべての臣民に公開されるべきであ 23)スミスぱこれに焼けて次のように述べる。 「大プリテンにたいして植民地貿 易の排他的独占を許している諸々の法律を,適度に,漸次的に,緩和し,や がて,それを全く自由にしてしまうことは, ・ ・ ・ ・完全なる自由だけが保持し うるところの, かの自然的な,健全な,かつ適正な均衡(natural, healthful, andproperproportion)を,すべての産業部門を通じて回復させ うる唯一の策であるように思われる」と。WN, p、604‑6.邦訳Ⅱ, 368‑70 ページ。

24)産業の自然的均衡に関して, 『草稿』の中では次のように述べている。 「人々 のあいだには,その仕事にたいする需要に正確に比例して,各種の仕事iこ従 事する傾向があるということ。 この均衡を破壊する傾向があるものは,すべ て,国民のあるいは社会の富裕を害する傾向があり,それは,ある種の産業 に,異常な妨害か異常な奨励のいずれかをあたえることによってであろうと,

同じであるということ。」 (A. Smith, "EarlyDraftofpartofThe WealthofNations", inR.L.Meek,D.D.RaphaelandP.G、Stein (eds.), #LecmresonJurisprudence',Oxford,1978,p.575.水田洋訳

『国富論草稿』, 日本評論社, 105ページ)。価格の調整過程によって人鞠が 需要に応じて職業に就くことの結果が自然的均衡をもたらすとの認識力f見ら れる。この点に関してホランダーは, 「一国の発展のなんらかの段階で採用 される投資のパターンは・ ・ ・ ・ ・ ・なんらかのあらかじめ設定された優先順位によ ってア・プリオリに規定されるようなものではないと↓、うのが, スミスの立 場なのである。 ・ ・ ・…要するに発展についてのスミスの分析は……配分理論の 諸原則にはっきりと基礎づけられてL、る」 (S.HOllander, ,The EconomicsofAdamSmith' , UniversityofTorontoPress, 1973, p.

278.小林昇監修/大野忠男・岡田純一・加藤一夫・斎藤謹造・杉山忠平訳

『アダム・スミスの経済学』,東洋経済新報社, 1976年, 403ページ) と述べ て,価格論に基礎付けられた原理が,産業の自然的均衡論に基づく投資順位 論に結びつL,ていることを指摘している。 この意味からすれば,永続的独占 に対するスミスの2つの批判点は, ともに価格論に基礎を瞳<ものと見るこ

とができるように思われる。

(11)

る25)」という公開性要求の主張ば, 自明のことであった。しかしながらス ミスは,無条件に即時的な独占権の剥奪と貿易の公開を求めた訳ではない。

すなわち,われわれが注目すべきことに,スミスば最終的には独占の撤廃 を志向しつつも,一時的独占の正当性を十分に認識していたのであった。

一時的独占容認論を, スミスは次のような順序で述べる。すなわち,①

「商人たちの会社が, み、ずからの危険負担と費用で, どこか遠方の未開の 国民と新しく貿易を開こうと企てた場合,かれらを合本会社の形で法人化 し,成功の暁には,一定年数のあいだ,その貿易の独占権を与えてやると いうのは不合理ではあるまい」として,一時的独占が合本会社の危険負担 に対する報償であると位置付け ②「この種の一時的な独占権は,新しい 機械のそれとよく似た独占権が,その発明者に授けられ 新しい書物のそ れが著者に授けられるのと同じ考え方から弁護することができる」と述べ て,合本会社の一時的独占権を特許権との類比でとらえ ③「しかし, こ の期間が満了すれば,むろん独占権も終結すべきなのであって,躍塁や守 備隊は, もし置いておく必要があるとわかったなら その価値を会社に払 ってやったうえで,政府の手に移すべきである」と述べて,合本会社によ って設置された施設の一時的独占権終結時における処置について指摘して L、る26も以上3点について,われわれは以下で若干の検討を加えることと する。

第1の論点について。一時的独占は合本会社の危険負担への報償として 容認されることが指摘されているが, スミスは合本会社が主体的に自らの 利益を目指して外国貿易に乗り出す場合である,いわば「能動的危険負担」

の観点のゑならず,国家政策によって独占権を賦与されて遠隔地貿易に方 向づけられる,いわば「受動的危険負担」をも含めていると見ることがで きるように思われる。すなわち, 「スウェーデンやデンマークのような貧 しい国では, もし東インド貿易のようなものが1つの排他的な独占会社の

25)WN, p.755.邦訳Ⅲ, 104=‑R‑ジ。

26)WN, pp.754‑55.邦訳Ⅲ, 103‑104ページ。

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(12)

『国富鵠』における合本会社論の構造

手に支配されていなかったら,東インドへのたったl聾の貿易船をも送り 得なかったであろう27uとスミスは述べて,国家が合本会社に独占という 奨励を与えることによって,彼等をして不安定な遠隔地貿易に向かわせる

ことが可能になるケースを指摘するのである。

第2の論点について。 『法学講義』第3篇「私法」第8節「排他的特権 について」においてスミスは, 「あたらしい書物とかあたらしい機械を14 年間売る特権は,それほど悪L傾向をもたない。それは功績に対する適切 な報償である28)」ことから, 「その期間中 彼はその著作を印刷したり その機械を複製したりする如何なる人に対しても損害倍賞を請求しう る29)」ことを認めている。すなわち,特許権が功績に対する報償として,

一定期間独占的使用を容認されることの適切さを指摘しているのである。

第3の論点について。外国貿易を行なう合本会社は植民地における墜塁 や守備隊を設置し維持運営したのであるが, Scottは合本会社が冒険商人 との競争に敗退した理由を, まさにその点に求めている。Scottによれば,

「個人の貿易商人は,その会社によるこの支出の恩恵を受けた。ゆえに . . .、彼は少ない支出でその事業を遂行することができたのである。 …合 本会社と競争している個人の貿易商人憾 他人の果実を盗用することによ って,確かに有利性をもっていたのである )」と。すなわち,個人貿易商 人がフリーライダーとして行動した結果として,合本会社との競争に勝利 したとの主張である。必要な塗塁などの公共施設は,それを作った独占会 社に減価償却のための一時的独占を認めた後,政府による供給に切替える べきことをスミスは示唆する。従って,合本会社の危険負担を補償する期 限が切れた後も,なお独占権が消滅していないとするならば,それはその 施設を公共化せずに合本会社に任せておく,政府の政策的失敗といえよ

27)WN, p、632,邦訳Ⅱ, 416ページ。

28)R.L.Meek, D D,RaphaelandP.G Stein (eds.), $LeCtureson Jurisprudence',Oxford,1978,p、472,高島善哉・水田洋訳『グラスゴウ 大学猫壌』, 日本評議社, 1947年, 278ページ。

29) Ibid.,p.ll,

30) Scott,op.cit.,V0l.1,pp,452‑3.

(13)

う31もスミスは外国貿易における公共財の必要性を認識しつつも,それを 理由にする如何なる独占にも反対したのであった。

これまでわれわれは,スミスの合本会社批判論のひとつめの論拠として,

その独占的性格について考察してきたのであるが,そのような排他的独占 力&存在しない場合でさえも, 「組織」としての合本会社には経営上の怠惰 や浪饗が不可避とするスミスの批判が存在する。 よって,われわれは節を 改めて,このスミスの合本会社批判論のふたつめの論拠を検討しようと思う。

3.組織の非自律性一怠惰と浪費

合本会社に対するスミスの批判は,その内部組織にも向けられている。

いささか長文にわたるが引用して諦こう。スミスば言う。

「合本会社の事業は,つねに取締役会によって運営される。確かに 取締役会は,多くの点で株主総会の統制を受けることがよくあるけれ ども,株主の大部分は,会社の業務について,あえてなにごとかを知 ろうなどと張り切ることはめったにない。たまたま株主の間に派閥的 な風潮でもひろがっていないかぎり,会社の業務に頭を突込んで心を 労したりはせず,取締役がこのくらい渡すのが適当だと考える半期分 もしくは一年分の配当をもらうことに甘んじている。 .…… (中略)…

…ところが, こういう会社の取締役は, 自分の金というより,むしろ 他人の金の管理人であるわけだから,合名会社の社員が, 自分自身の 金を見張る時にしばしば見せるのと同じ鵜の目鷹の目でひとの金を見 張るとは, とても期待できない。 ・ ・…。 (中略) ・…・ ・だから, こういう 会社の業務運営には,多かれ少なかれ怠惰と浪費がつねにはびこるこ 31)Anderson&Tomsonば「東インド会社に関する分析において, スミスは

市場の失敗ではなく、政府の失敗と診断したのであった」と述べて, スミス の東インド会社批判は合本会社としての東インド会社批判というより,むし ろ政府が適切な処置に失敗した極端な例として位瞳付けてし、る。cf@Ander‑

son,GaryM.andToUison,RobertD, "AdamSmith'sAnalysisof Joint‑StockCompanies",〃押姉""PD""cIzJE""0"りj,Vol.90, 1h6, 1982, p、 1249

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(14)

『国富論』に拓ける合本会社論の構造

と必定である。外国貿易を営む合本会社が,個人の投機家との競争に 億とんど耐えてゆけなかったのは, まさにこのためである32も」

このように,所有者とは異なる管理人による合本会社という「組織」の経 営にば,所有者たる株主の繁雑な業務を忌避し適当な配当の受領で事足れ りとする態度を背景とした,経営管理者たる取締役が採る「他人の金の管 理人」としての行動の結果として,怠惰と浪費という非効率が発生し,事 業の所有者であると同時に管理人である「個人」投機家との競争に敗退す るという構造が見られるのであって掴), スミスは合本会社が本来的ヤこ有す る,組織としての自律性の欠如に強い不信を持っていたといえる。別言す れば,慎慮の徳に依拠しつつ自らの生活を改善する不断の努力を行なう「個 人」の集合体であるはずの「組織」に関して, スミスはその自律性の欠如 が,必ずや怠惰と浪費とを結果すると見たのである。

このスミスの不信は合本会社に固有のものではなく,合本会社を含めた

「組織」一般に共通する疑念でもある。すなわちスミスは, 「君主の代理 人は,主人の富は無尽蔵とこころえ,いくらで買拓うが売ろうが,君主の 財貨を,ある場所から侭かの場所へ送るのにいくらかかろうが,ちっとも 気にしない」と述べ, 「君主の仕事の処理にいつもつきまとう浪費」が,

君主が商業部門で失敗する原因と見た34もこの構造は先の合本会社の場合 と同様であって, スミス自身もこの関係を東インド会社失敗のケースに結

32)WN, p、741.邦訳Ⅲ, 83‑84ページ。

33)スミスのこの観点を,Anderson&ToⅡisonは「エージェンシー(Agency) 関係」と関連づけている。Anderson&Tollison, op. cit. , p. 1242, この 場合, 「エージェンシー関係」とは, 「ひとりないしそれ以上の人(PrinCip‑

al)が他の人(agent)に対して, principalにあるサービスを遂行するように 依頼し, agentに何らかの意思決定の権限を委譲する契約」 (M、C.Jensen andW.HMeckling. 且TheoryoftheFirm:ManagerialBehavior, AgencyCostsandOwnershipStructure", ノ"""JofF""zc趣ノ EcO""cs, N(13, 1976, p、308.)である。 この場合,株主はprincipalで あり取締役はagentであるが, スミスはagentをしてprincipalの利害 に合致する行動を選択させるための「動機付け」力:欠如している点を指摘し たという意味で,現代的な視点を有していると見てよかろう。

34)WN, pp.81819.邦訳Ⅲ, 211ページ。

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びつけている。すなわち, 「商人の性格と主権者の性格と, これ以上に両 立しない2つの性格はなL、」とした上で, 「イングランドの東インド会社 の商人気質が, この会社をはなはだ悪しき主権者にしているとすれば,主 権者的な精神は,会社を同様に悪しき商人にしたようにみえる35)」と指摘 して,東インド会社が商人としての性格を離れて浪費的体質を内包する君 主の代理人としての性格を持ったことのうちに,同社の失敗を位置付けて いる。さらに,組織が怠惰を発生させる例として, スミスは組織としての 教育機関に言及して,次のような主張を展開する。すなわち, 「学校や学 寮の寄付財産は, どうしても,教師たちが精を出す必要を多かれ少なかれ 減らしてしまうことになった。かれの生計の資は,その棒給からくる分だ けは,明らかにかれらの特定の職業における成功や評判と全く無関係な基 金から出ているからである36j」と。

これまで考察してきたように, スミスにあっては合本会社,官吏機構,

猫よび寄付財産に基づく教育機関のL、ずれの「組織」の場合にも,怠惰や 浪費は不可避的なものと認識されている。それでは, これらの「組織」に 属する取締役や官吏や教師といった「個人」の勤勉を奨励して,組織の自 律性を回復する方策は何であろうか。

スミスは,①組織内競争の促進と②組織規模の適正化という2つの方向 から,組織の非自律性を回避する方策を求めていたように思われる。①の 点について言えば, 「どんな職業でも,……努力せざるをえない必要に比 例して努力するのがつれである。……(中略) …・対抗と競争は, 、…・他 に抜きん出ることを野心の目標たらしめ, しばしば,叢大限の努力を引き 起す37)」と述べて, スミスは,他者との対抗的競争関係が「個人の努力」

を刺激する効果を指摘している。その場合, 「他fこ抜きん出る」ことが競 争の目標となるのであるが,例えば教師においては「他に抜きん出る」べ き目標が生徒の評判であったとしても,結果的にばその評判に基づいて集

35)WN, p.819.邦訳Ⅲ, 212ページ。

36)WN, p.760.邦訳Ⅲ, 111‑12z、R‑ジ。

37)WN, p.760.邦訳Ⅲ, 111ページ。

14 −94−

(16)

『国富強』における合本会社論の構造

まる生徒の謝礼金あるいは授業料から報酬が支払われるべきことをスミス が考えていることからすれば38),究極的にば, スミスは努力に応じての利 益配分という制度に期待したといえよう。

先に挙げた②の点(組織規模の適正化)についていえば, スミスは合本 会社であるハドソン湾会社について次のように述べてL、る39もすなわち,

同社は「法律のうえでは排他的貿易の権利をもたなかったにもかかわら ず」, ハドソン湾貿易で成功した。さらに, 「この会社のたいした額でもな い資本は, ごく少人数の株主が分け持っている, といわれる」と。続けて,

「小数の株主から成っていて,あまり資本も多くない合本会社は,合名会 社の性格にごく近いものとなるから,ほとんど同程度の警戒心と注意を払 うことも可能である」と。ここで注目すべきことは, ハドソン湾会社が排 他的特権を有することなく順調に業務を遂行していることの要因を, スミ

スが, 「少人数の株主から成っていて, あまり資本も多くない」点に求め てL、ることである。この要因はまさに南海会社の場合とは対照的であって,

南海会社は, 「莫大な数の株主に分割された莫大な資本を擁して、、た。 し たがって,愚行と怠惰と浪費とが,会社の業務運営の全般にわたって,は びこぁものと予想されていたのも当然であった40)」と, スミスは指摘する のである。スミスの両社に対するこの対照的な評価は,資本と株主の多寡 によるものであるが,株主が少人数であるぽど業務運営全般への配慮が行 届きやすく,それが結果的には取締役の意思決定に対する株主の監督を可 能にするということを意味していることも考えられるのである。

Ⅲ. スミスの合本会社限定付的受容論

前章においてわれわれは,排他的特権の行使と事業運営上の非効率性を 論拠とする, スミスの合本会社に対する批判を考察したのであるが,そこ で明らかにされたことは, スミスが合本会社そのものの存在を否定したの

38)

39)

40)

p.760.邦訳Ⅲ, 112z、R‑ジ。

p.744,邦訳皿86‑87ページ。

pp.744‑45.邦訳Ⅲ 88ベージ。

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でばないということであった。すなわち, スミスは経験的事実に照らして 特定の合本会社を強く批判したのであって,合本会社なる「組織」がもつ 欠陥を強く意識しつつも,その意義を部分的ながらも認めていたといえる。

合本会社をこのように認識したスミスは,特定の事業に限定しつつ合本 会社を自らの体系に位置付けようとする。われわれは本章において,その 論拠と意味に関して若干の検討を試承る。

1 . 「主権者の第3の義務」と合本会社

『国富論』第4篇最終章において, スミスは自然的自由の体制(The SystemofNamralLiberty)の性質を明らかにした上で,そこfこおける 主權者の義務を3つに限定して,第5篇の内容を予告している41もすなわ ち, 「特恵あるいは制限を行なういっさいの制度が。…・完全に撤廃されれ ば,簡明な自然的自由の制度が漏のずとできあがってくる」[引用文l]

と述べて,その体制の出現に関して,あらゆる重商主義的政策の撤廃を条 件としている。さらに,その制度のもとで「主権者が配撤すべき義務」が,

「自分の国を他の独立社会の暴力と侵略にたいして防衛する謡務」 (国防)

及び「厳正な司法行政を確立する義務」 (司法)であることを指摘すると ともに,主権者の第3の義務をスミスは次のように規定する。

「第3は,ある種の公共土木事業を起し,公共施設をつくり,そし てこれを維持する義務であって,それらを実施することは,いかなる 個人にも,あるいは少人数の個人が集まってみても, とうてい採算の とれるものではない。なぜなら, これらはしばしば一大社会にとって こそ,その出費を償ったうえ,おおいに余りあるものだが, ld ,かなる 個人にとっても,あるいは少人数の個人の集団にとっても,そこから あがる利益では,かれらの出費をとうてい償うことはできないからで ある」[引用文2]。

41)WN, p.688 邦訳Ⅱ, 511‑512ページ。なお,合本会社が財政論たる第5鰯 に位世付けられていることの意味については,鈴木芳徳「アダム・スミスの 株式会社論」(『株式会社の経済学説』所収,新評翰1983年)を参照されたい。

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『国富論』における合本会社論の構造

第5簡第1章第3節において再度なされる主権者の第3の義務の規定は,

[引用文2]と若干の表現に違いはあるものの同一のものと見てよい。す なわち, [引用文2]にある「これらばしばしば一大社会にとってこそ,

その出費を償ったうえ,おおいに余りある」と,その有用性を示した箇所 を拡張して, 「規模の大きな社会にとっては最高度に有益たりうる」[引用 文3]と明確に再述したのである42もわれわれは上記3つの引用文から,

次のことを指摘することができる。第1に, スミスが自然的自由の体制の 中で主権者の義務を考察する場合には,合本会社に対する排他的独占権の 授与といった要素は排除されたモデルとなっていること,第2に,公共施 設と公共事業は,①社会にとって有益なものだが〔社会的有用性〕,②事 業収益で費用を補填しえないことから,個人(あるL、は少数の個人)によ っては供給も維持も不可能なものとされている〔大資本の必要性〕ことで ある。第1の点についていえば,われわれは前章で, スミスが排他的独占 を有する合本会社を批判したことを見たが,その排他的特権をもたない場 合でも,公共事業の場合には合本会社が機能しうるとの認識を示唆したも のと捉えることができる。換言すれば,排他的独占権なしに合本会社は事 業遂行しうるという意味で,合本会社にとって排他的特権は必要条件では ないとスミスが見なしていたと考えられる。第2の点に関しては,節を改 めて検討することにする。

2.受容基準

スミスは,排他的特権なしに合本会社が遂行しうるのは, 「いっさいの 仕事を,いわゆる型にはめる,つまりほとんど,あるいはぜんぜん調整の 要もないぼど,仕事のやり方を画一的なものに還元してしまえる事業だけ である」 [引用文4]とし,その具体例として, 「第1に銀行業,第2に,

火災,海難および戦時傘補の各保険業,第3に,航行できる堀割や運河を つくったり,維持したりする事業,そして第4に, これとよく似た,大都

42)WN, p.723.邦訳Ⅲ, 53‑54ページ。

(19)

市への給水事業」[引用文5]を挙げている43%

われわれは前節において,主権者が合本会社という形式を用いて遂行す べき公共事業に求められる性質として,①社会的有用性と②大資本の必要 性を指摘して鈴L、たのであるが,上の[引用文4]から明らかなように.

スミスはさらに条件を加えている。すなわち,③仕事のやり方を画一的な ものに還元してしまえること〔業務の画一性〕である。②の基準は前章第 1節で見たように合本会社の基本的特徴そのものであることからここでは 除外し44),以下では,③と①の基準に関して若干の検討を加えることとす る。

③業務の画一性について。 この基準は,前章に示した如く,外国貿易を 営む独占的合本会社が日常業務を画一化しえない「たえず作戦変更を要す る一種の戦争」に従事した結果,個人投機商人との競争に敗れたことを踏 まえ,排他的独占権なしに公共事業に従事する合本会社には,画一的業務 遂行の鍬が可能であるとの認識からであったといえよう。さらに, この議 論で興味深いことには, この業務の画一化が効率的運営を可能にするとい うヨリ積極的意味あいを示唆しており,それが『国富論』第1薦に示され た分業による生産力増進の事情を坊佛とさせることである45もスミス嘘分 43)WN, p.756.邦訳Ⅲ, 106"‑R‑ジ。Anderson&Tonisonは, スミスが列 挙したこれらの業種が『国富論』出版以前に設立されていた排他的特権を持 たなかった国内業穂だったにすぎなL、という見解を提示している。Ander‑

son&Tollison, 0pcit. , p. 1244. しかしながら, スミスの提示した問 題は,既存の公共事業の莱穂を正当化することにあるのではなく,新規に公 共事業化しうる業種に対する基準を提示することに向けられたものと考えら れる。

44)スミスは運河や水道の設腫・維持管理を例として挙げてL,るが, これらの業 穐は今日的表現からすれば規模の経済がはたらく費用逓減(収櫻逓増)的産 業であって, 自然独占を形成する可能性がある。

45)スミスは分業による生産力増進の事情として《顎人の技能増進》《作業間移 動時間の節約》《機械の発明》の3つを挙げたが, その第1の事情に関して 次のような説明を与えている。 「分業により,あらゆる人の仕事は単純な作 業に還元され, またこの作業がその人の生涯のただひとつの仕事になってし まうので,必然的に職人の技能は大いに増進する」 (WN, pp. 17J8.邦訳

1, 16ページ) と。

18 −98−

(20)

『国窟論』における合本会社論の構造

業の原理との類比から,業務の画一化が効率化を促進すると見たように思 われる。

①社会的有用性について。スミスは銀行業など[引用文5]に掲げた各 業種それぞれに,一般的な効用を認めている46もしかしながら,あらかじ め列挙した業種に関して社会的有用性を読者に説く方法はトートロジーに 他ならず,新たな業種を社会的有用性という基準に照して判断する主体が 問題となろう。換言すれば,新規に公共事業を合本会社に委ねる場合に,

誰がその業種を「社会的に有用」と判断するのかということである。 この 問題意識からするとき,スミスにはある暗黙の前提があるように思われる。

それは,南海泡沫事件(SouthSeaBubble)を契機として,泡沫会社の設 立を防止する目的をもって,合本会社の設立を厳格に規制するために1720 年に制定された(その撤廃ば1825年) 「泡沫会社禁止条令」47) (Bubble Act)の存在である。同条令は,合法的な事業において公的な苦痛,損害,

不都合(commonGrievance, Prejidiceandlnconvenience)をもたらす,

すべての事業猫よび起業を禁じ,その設立には議会制定法または王室から の特許に基づく法的な認可を得ることを必要としていたのである。その意 味からすれば, スミスにおいて社会的有用性という基準で合本会社を判断 する主体は明らかであって,新たに設立されるであろう合本会社が社会的 有用性を有することは自明のこととされていたように思われる。

46)

47)

WN, p.745,邦訳Ⅲ, 108ページ。

正式名称は「航行中の船舶および輸送中の商品安全を保証するための,およ び船底抵当貸付のために,陛下が,二種の特許によって授与すると予定され る若干の権限と特権を,効果的に確保するための,ならびに本条令中に記戦 する数種の不当かつ正当と認め難い慣行を制限するための条令」。鈴木氏は 同条令を吹のように位置付け,それら2つの側面を統一的に解釈することを 試詮ておられる。 「同条令は前期的『非法人会社』を規制し,特許会社無よ び議会制定法に基づく会社を規制の対象外とした。このことは,一面におい ては,南海会社自体の保護政策であり,他面においては,特許会社および議 会制定会社がその支柱を形成している後期『重商主義』体制の動揺を防止し,

これを擁護する政策を表わす」と。鈴木俊夫「『泡沫会社禁止条令(Bub‑

bleAct)』に関する一考察」, 『三田商学研究』 (慶応装塾大学)第19巻4号,

1976年, 217ページ。

(21)

Ⅳ、結語

本稿の志したところは, 『国富論』第4篤と同5篇とに展開されている 合本会社(jointstockcompany)論の構造を, スミスに即して検討する

ことであった。

われわれは先ず第Ⅱ章において, スミスの合本会社批判論の根拠を概観 した。その内容を要約すれば次のようになろう。合本会社には,①持株の 可転売性,②持株に応じての有限責任性,及び③株主と異なる取締役によ る事業運営, とL、う基本的特徴が認められる。合本会社は制度的には排他 的独占を必要条件とはしないものの,外国貿易を営む合本会社は永続的独 占に向かう傾向がある。それは価格論と資本配分論からする「産業の自然 的均衡」撹乱の観点から批判された。 とはいえ, スミスは排他的独占の最 終的な完全撤廃を志向しつつも,合本会社の新貿易開拓に対する危険負担 を補償する目的での, また,小国がその国内資本をして新貿易開拓に向か わせる目的をもって行なわれる一定期間の独占を容認した。 この期間満了 後にな溌躍塁などの公共施設に対する社会的必要性が認められる場合に は,政府へ移管されるべきことが提唱された。従って,一定期間経過後も 公共施設が独占会社の手に残されたままであるとすれば,移管を行なわな い政府にも資力§あるのであって,その意味では,永続的独占の継続は政策 的失敗でもあった。一方,③より,合本会社にまつわる怠惰や浪費といっ た組織運営上の問題点が指摘された。それは官吏機構や教育期間など「組 織」一般に共通する批判でもある。この問題の解決は,組織内における努 力に応じた利益配分制度を活用して動機付けを湘こなうことによって組織 内競争を促進する方策と,組織の規模自体を適正なものにして業務運営全 般に対する監督を強化する方策との両面から考慮されていたといえる。

それに続く第Ⅲ章は,合本会社に制限を付して受容しようとするスミス の論点に関する若干の検討であった。自然的自由の制度というモデル中で,

合本会社ば主権者の第3の義務としての公共事業の執行主体として位置付 けられた。その際その種の事業は,①多額の資本を必要とし,②社会的

20 ‑100‑

(22)

『国富論』における合本会社論の構造

に有用であり,かつ③日常業務を画一化しうるもの, という慎重な制限が 付された。そのような基準から選択された業種をスミスば,銀行業,保険 業,水利事業等に局限した。必要とされる資本の多寡は客観的に明らかで あろうし,業務の画一化が分業論の類比として効率化を促進するものとす れば,画一性の基準もある程度客観的に示しうる。 しかしながら,その社 会的有用性基準は窓意的なものとなる可能性もある。社会的有用性を判断 する主体の問題を考えjる時, スミスは暗黙裡に「泡沫会社禁止条令」を仮 定していたと思われる。この意味からして,合本会社受容論は,すぐれて 制度的意味合いを有していたといえよう。

スミスは前期的商業資本の体系としての合本会社の欠陥を鋭く批判しつ つも,制限を付して,合本会社を自然的自由に基礎をおく経済機構の内部 に制度的に組象込むことを試みたのである。

参照

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2011 “Key Features of Dharmakīrtiʼs Apoha Theory.” In: Apoha: Buddhist Nominalism and Human Cognition, Mark Siderits, Tom Tillemans, Arindam Chakrabarti eds., Columbia

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