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アダム・ スミスにおける「価値」と「所得」:再論

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Ⅰ はじめに(視点)

 本稿は旧稿(『茨城大学人文学部紀要(社 会科学編)』第47号)に対する反省である(1)。 反省点を一言で表現するならば、アダ ム・ス ミスの「価値」と「所得」に関する私の前稿 における記述は「盲人、象を撫ぜる」の類で あった、ということになる。言い換えれば、

このテーマに関してスミスだけでなくリカー ド ウを包摂し、リカード ウとの違いに焦点を 当てることとなった結果、事実上リカード ウ の立場からスミスを捕らえると言う視点を取 ることとなった。そのため多様に解釈可能な スミスの価値論を見る視点を初めから狭い限 定的なものにしていた(2)。そうではなく、よ り広い地平から、このテーマをスミスに対し て設定する必要があった。では、どうすべき であろうか。

 われわれは、次の2つの視点からアプロー

チする必要があると考える。

 第1に、『グラスゴー大学講義』(以下『講 義』と略称する)における価値と所得に関す る記述と『諸国民の富』(以下、『国富論』と 呼ぶ)におけるこれらに関する分析内容とを 比較し、そこにおける共通点と相違点を明ら かにすること。1763~64年の『講義』は法学 体系(Jurisprudence)についての講義 ノー ト で あ る(3)が、そ こ の 第 二 部「治 政」(Po lice)の第2章「低廉または豊富」が『国富 論』へと発展したと考えられるからである(4)。  第2に、フラン ス・フィジ オクラット、と くにF.ケ ネーの「経済表」(5)の影響を考慮 し つつ、『国富論』におけ る「価値」と「所 得」の理論的展開に光をあてること。それに よ っ て、『講 義』か ら『国 富 論』へ、ま た

『国富論』第1編から第2編への理論展開の意 義を一層明らかに出来ると考える。

抄録

 本稿は、狭隘な視点から述べられた前拙稿(当『紀要』第47号)への反省のため、2つの視点 を設定し、スミスの「価値と所得」理論を発生史的に明らかにする。第1に、『グラスゴ ー大学 講義』(1763~4)と『国富論』(1776)との比較、第2に、F.ケ ネー「経済表」の『国富論』

への影響という2点からアプローチする。検討対象は、富、ストック、自然価格、労働価値、生 産的労働、賃金・利潤・地代、資本蓄積などの諸概念である。検討結果を要約すると、スミスにお けるこれら諸概念や諸範疇の相互関連付けには、2つの思想的流れ、2つの分析視点が混在し、

多様な説明や対立する解釈を与えることを可能とするものとなっているのである。労働価値論に おける投下労働説と支配労働説、地主階級の社会的役割に関する対立的な評価などは代表的なも のである。

アダム・ スミスにおける「価値」と「所得」:再論

― A.スミスとD.リカード ウにおける    「価値」と「所得」:試論(その2) ―

“ Va l ue ” a nd “ I nc ome ” by A. Smi t h: A Re c ons i de r a t i on

― An Es s a y on A. Smi t h a nd D. Ri c a r do: Pa r t 2 ―

徳 江 和 雄

(2)

 われわれは、このような視点を設定するこ とで、より広い地平から主題に迫ることが出 来ると考えるが、それによる結果はなお、暫 定的な試論としての性格から大きく抜け出す ことが難し いと考える。第1に、『講義』が スミス自身の手による著作では ないこと(6)、 第2に、私のケネー「経済表」研究は、スミ ス自身の「経済表」研究(『国富論』第4編、

第9章)とケ ネー「経済表の分析」(1766)(7) の検討にとど まっているからである。

Ⅱ 『グ ラスゴ ー 大 学 講 義』か ら『国 富 論』

<両者の共通点>

茨 豊富、富に ついて。『講義』は その第二 部「治政」論において、社会が目指す秩序 と安寧について述べている(8)。即ち、貴族 に依存して生きている「お抱え者」が貴族 社会の行詰りによって解雇されることが犯 罪の温床となっているが、他方、商・工業 者は他に依存せずに独立自営で生活を維持 しており、彼らの富を追及する行動の中に こそ秩序と安寧が実現されている。彼らに よる「低廉 または 豊富」を 目指す行動に よって「治政」が目指す目的が達成されて いること、それ故、「治政」(統治)論から

「豊富」論が 展開 され ることが 示 され る。

『国富論』では、「諸国民の富の性質と原因 の研究」というタイトルが示すように、ま さに、その「豊富」論が直接の課題となっ ているのである。

芋 富の内容。『講義』では、人間の自然的 欲求の発展に対応して、富も衣食住にかか わる第1次的な欲求を満たす生活必需品か らアート(技術)の発展によって加工され た生活便宜品(製造業品)へと発展すると され る(9)が、『国 富 論』では、冒 頭 の 叙 述 に示されるように、人間の欲求の発展視点 は省略され、一先ず「生活の必需品と便宜 品」が富であると一括される。しかし富内

容は、両者で同一であり、これは、当時支 配的であった重商主義の富概念、金・銀貨 幣とその蓄積こそが富とその発展であると 言う考えに真っ向から 対置 されたのであ る。

鰯 富の原因。「労働の分割」(分業)が富の 発展の原因であるというのも共通である(10)。 両者に共通する分業は、狭義のピン製造工 程に おけ る作業分割であると同時に、農 業、製造業、商業、さらに哲学者や弁護士 などにいたる広範な職業間における「社会 的分業」、商品交換によって結ばれる「交 換社会」でもある。

允 「事物の自然的行程」という思想も両者 で共有されている。ただし、この思想は2 つ に 区 分 さ れ る と 考 えら れ る。第1は、

「自然的自由の状態」と言 う思想で ある。

これは、交換社会における人々に職業選択 の自由と移動の自由が保障されるならば、

さまざまに変動する諸商品の市場価格は一 つの中心価格である「自然価格」に収斂す るという自然価格論に表されている(11)。自 然価格によって商品が売れるときには、生 産に要した勤労(industry)は需要に一致 し ている。『国富論』でも、第1編第7章が

「自然価格と市場価格」とし て同じ 内容が 十分に展開されている。第2は、「社会の 自然的進歩」という歴史的視点である。上 記芋でのべた、人間の欲求の発展に対応す る生活必需品から生活便宜品への富の発展 過程は、同時に農業から製造業と商業への 産業の発展過程であり、より理論的に言え ば、初期未開の社会から文明化された社会 への発展という「啓蒙主義的歴史観」であ り、これも共有されている(12)

印 「ストック(資材)」概念も共有されてい る。農業から製造業へ、未開社会から分業 の発展した社会への発展は、ストックの蓄 積が不可欠である。製造業で完成品を生産 するまでの間は、労働を維持するための食

(3)

料と原料、道具などのストックが蓄積され ていなければならないこと、これが分業の 前提になること、という理解も共有されて いる(12)

<相違点>

茨 諸商品の自然価格

①『講義』では、自然価格については、商 品生産者が彼の「労働の自然価格」(生活 維持費、教育訓練費、事業成功の不確実性 によるリスク・プレ ミアムなどの合計)を 受取ったときに、商品は需要に対応してお り、「自然価格で売られる」(但し、これは キャナンの註)と述べられているだけであ り、利潤や地代については何も語られてい ない(13)

②『国富論』では、賃金だけでな く賃金、

利潤、地代の3大階級の所得が自然価格論 として、また自然価格の構成要素として展 開 さ れ て い る(第1編、第6章 と 第8、

9、10、11章)。但し、自然率の賃金、利 潤は「自然的自由の状態」の観点から展開 され ているのに 対し、地代の発展過程は

「自然的進歩」の視点から展開されている と思われる(自然率の地代の定義そのもの は、一方で旺盛な食料需要を前提し、他方 で土地の私的所有によって自由な食糧供給 が制限されるから、借地人(ファーマー)

が支払わなければなら ない最高額、「独占 価格」として与えられている。直ぐ後述さ れる)。

 今、前者、自然率の賃金、利潤について 主な論点を要約すると、苑平均的あるいは 平常的な賃金率と利潤率は、社会の富(ス トック)が増加・停滞・衰退の如何によって 変化するが、賃金率は富の変動に対して順 相関的に変動するが、利潤率は逆相関的に 変動する(第8,9章)。薗し かし 富の変 動如何にかかわらず、「自然的自由の状態」

に加え、オープンな職業情報や平常的事業

状態の下では、賃金も利潤も雇用部門間に おけ る金銭上の格差の存在にも かかわら ず、これらは、現実的あるいは想像上の理 由によって全体としては均等化される。た だし この点は、賃金率に おいて顕著であ り、利潤率では雇用部門間における格差よ りも、むしろストックに対する量的比例関 係が明示されている(第10章)。遠さらに、

賃金率に関し ては、労働需要(スト ック)

の変動によって人口供給が調整されると言 う人口法則が前提されている。ここには、

「最低賃金水準」が存在し ているが、労働 供給に対して労働需要(ストック)が減少 する富の衰退過程では、賃金は最低水準を 超えて低落し、幼児や病弱者などの死亡率 が増大すると言う人口調整過程が進行する

(第8章)。鉛スミスは、この最低水準の賃 金に対してではなく、独立生産者が自己労 働によって手にする生産物こそが「労働の 自 然 的 報 酬」だ と 述 べ て い る(第8章 冒 頭)。

 さて地代の主な論点は次の通りである。

鴛まず、地代の定義であるが、食料を含む ストックの大きさが人口を調整するから、

生産された食料には常に需要が存在し、食 料価格は、全ての土地が私有されている下 では、専ら需要の大きさによって規定され る「独占価格」となる。そこでは、利潤と 賃金は通常の最低水準に抑えられ、地代は 借地人が 支払い うる「最高価格」と なる

(第11章)(14)。塩地代論の具体的展開は富の

「自然的進歩」の視点から な され てい る。

契食料(穀物など)を生産する土地は「い つでも地代を生む」が、木材、石炭、貴金 属などを生産する土地は「時には地代を生 むが、時には生まない」というように地代 は、2つに区分される。形それは、前者に おける生産性の増大によって増大した食料 が地主を経由して製造業生産物への需要を 増大させ、又増出した食料が雇用を拡大す

(4)

るから、製造業における分業を 展させ、

そこでの生産 大が、木 、 、 金属 など原料への需要を するため、後者を 生産する森 や においても2 的に地 代を生産することになる。 このような地 代形成の 展 は、農業から製造業への 富の自然的進 の に他ならず、ここで は 地 主は、 の 媒 介 者 で あ り、 って

「地主の利 は社会一般の利 に ったり 一 する」と される(第11章結論)(1)。 芋 労働価値論。

 これも、『講義』では極めて簡単に述べ られているだけである。即ち、分業と交換 による制約・促進⇒商品の自然価格論⇒貨 幣論と展開 され、貨幣に つい て「価値尺 度」(と「交 換 の 媒 介 物」)を 説 明し た 後 で、だが「真の価値尺度は労働である」と いう一文(16)が与えられているだけである。

 『国富論』では、「労働」は全体的に強調 され る。先 ず、序 文 の 冒 頭 で「年々の 労 働」は生活必需品・便宜品の供給ファンド であると宣言されるだけでなく、第1編第5 章で「労働価値」が商品の「交換価値の真 実の尺度」、「商品の実質価格」として展開 される。それ故貨幣の「価値尺度」論はこ こでは「名目価格」論へと後退し ている。

だが、『国富論』で与えられる「労働価値」

は2つの解釈が可能であると考えられる。

図1-a 諸所得の労働価値的基礎付け

①第一に、生産に 投下 された労働が所得

(賃 金、利 潤)の 価 値を 形 成 す ると い う、

所得の価値論的基礎付け で ある。『講義』

に おけ る自然価格論では 所得は「自然賃 金」だけ であったが、『国富論』では、上 記のように自然率の3大所得全ての考察へ と広がる。それと同時に労働価値論が積極 的に展開されたことに注意すべきである。

スミスは その展開に よって3大所得の源 泉・基礎として労働価値を設定したのであ る。製造業生産物の場合、「製造業労働者 の労働は、原料の価値に、彼の維持の価値

(賃金の価値-引用者)と彼の雇主の利潤 の価値を付加する」(『国富論』第2編第3 章、また第1編第6章)(17)。図1-aを参 照されたい。土地と労働の生産物の場合、

地代に対しても、スミスは農業労働者によ る価値的基礎付けを類推できるようにして いると解釈できるが、地代の労働価値論的 基礎付けを明示的には与えていない。土地 が 共 有 制 から 私 的 所 有 制 へ と 変 わ る と、

「森の木、野の草、大地の全ての果実」な ど「労働者が収集あるいは生産したものの 一 部 を 地 主 に 手 渡 さ なけ れば なら な い」

(『国 富 論』第1編 第6章)(18)。一 般に、自 然地代は、借地人(ファーマー)がストッ ク(種子、賃金、家畜と農具の維持費)を 回収し、そのストックへの通常の利潤を手 にした後で、支払いうる最高額であり、需 要によってのみ制約される「独占価格」で ある(『国富論』第11章)(19)と言うように、

地代は賃金や利潤と異なり、労働価値によ る基礎付けが明示的に与えら れていない

(Ⅳ「結び」で後述される)。

②第二点は、生産に用いられた労働は所得 を価値的に基礎付けるのではなく、反対に 所得が市場で支配する労働量によって所得 の価値が決定される、と言う解釈である。

 「事物のこの段階(スト ックが蓄積され た段階―引用者)では、労働の全生産物は ᴥႆႇᤈሌᴦǽ  ƣ  ǽᴥףֿΙϏᴦ

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(5)

常に労働者に属し ない。多くの場合彼は、

彼を雇うストックの所有者とそれをシ ェア しなければならない。また、何らかの商品 を獲得あるいは生産するために普通に用い られた労働の量(thequantity oflabour

commonly employed)は商品が普通に購 買、支配、あるいは交換する量を規制する 唯一の事情ではない。」(20)

 この一文が投下労働価値の放棄説をもた らした理由は、引用文中の「生産に用いら れた労働」をスミスが独立生産者の労働と 混同したからであると考える。 

 即ち、『講義』では生産者が自然賃金を 支払われるならば商品の自然価格が成立し た。ここの生産者は独立商品生産者と考え られるから、彼の生産物は全て彼のものと なり、同時にこれが彼の「自然賃金」に他 なら ない。一方、『国富論』では自然賃金 だけではなく、自然率の利潤と地代も支払 われなければ自然価格は成立しない。そし てこの『国富論』での労働者は「被用者」

であるが、彼の自然賃金を独立生産者の自 然賃金と読み替えれば、彼の労働はすべて 支払われることになる。事実、スミスはし ばし ば「賃 金」と 言 うべ き と こ ろ を「労 働」と述べ、賃金と労働を同一視している

(第6、7章)(21)。すると、生産に用いられ た労働は全て支払われることになり、利潤 や地代の価値基盤が見失われるだけ でな く、支払われた賃金を「投下労働」とみな せば、これは、商品が市場で支配する「支 配労働」より小さくなり、それ故、等価交 換は成立しなくなる。スミスは、生産に用 いられた労働(実は賃金のこと)はもはや 商品の交換価値を規制する唯一の事情では なくなった、と述べ、賃金、利潤、地代の 価値はそれらが市場で購入できる支配労働 量によって測られるとし ている(22)(図1-

bを参照されたい)。

図1-b 諸所得による商品価格構成と支配労働説

 このような2通りの解釈を許す理由は、

独立商品生産者に対するスミスの特別な関 心が影響し ているからだと推測できる(23)。 しかし、労働価値論の2つの解釈を可能と するこの問題は、スミスが労働価値論を自 然率の3大所得論の基礎理論としていると いう意味と同時に、所得論が競争を通ずる

「目に見える」自然価格論であるのに対し、

労働価値論が商品に含まれる「目に見えな い」抽象概念だという、「価値と価格」の ギャップ問題にスミスが直面していたこと を示唆していると考えられる。

Ⅲ F.ケネーの影響

 Ⅱ章では、『講義』と『国富論』との相違 点として、一方で『国富論』では3大階級の 所得が自然価格論として、また自然価格の構 成理論として述べられたこと、他方では労働 価値論が「価値尺度」論及び所得の価値的基 礎付け理論として述べられていることを見て きた。これは、スミスがF.ケネーから受け た影響によるところが大きいと考えられる。

われわれは その影響を確定し たいと考える が、そのために富概念と階級概念、再生産視 点、生産的労働と資本蓄積の概念を検討す る。 そ こ で、周 知 の こ と で は あ る が、ケ ネー「経済表」の主要論点を要約しよう。

1.農業生産者から なる「生産階級」、主権 者と十分の一税収納者を含む地主階級、

そし て商工業者から なる「不生産階級」

の3大階級の経済的基礎が、経済表(原

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(6)

表 表 範式)に示される生産物の流 通を通して再生産されることを明らかに した。

2.農業関係者の労働や前払い(投資)だけ が地代となる「純生産」をうむ。即ち、

耕作者 あるいは ファーマー(農業資本 家)の原前払い、年前払いと労働、農業 労働者の労働、地主の土地前払いのみが 純生産を生むが、商・工業者(雇主、労 働者)は前払いを再生産するだけで純生 産を生み出さない、言い換えれば、消費 した価値を更新するだけで新しい価値を 付加しない。

3.このメカニズムは、完全な自由取引とそ こで成立する国際価格を前提して成り立 つ。地主階級の支出が製造業の加工品よ りも農産物により多く向けられれば向け られるほど農業は増大し、純生産は増加 し、国の富は増大する。

 このようなケネー「経済表」がスミスに及 ぼした影響は何か。以下、主な要点をまとめ よう。

茨 富概念と階級概念。『講義』以来、スミ スの富概念が 単に「農産物」だけ で な く

「製 造 業 品」で あ る こ とは 明ら か で あ る

(生活の必需品と便宜品)。即ち、農業だけ でなく、商、工業を含めた産業労働一般が 富を生産する「生産的労働」と位置づけら れる。従って、階級の区分は、ケネーにお いては農業と商・工業という産業間区分で あるが、スミスにおいては、農・工・商業を 通した所得の区分、即ち賃金、利潤、地代 の区分に階級区分が置かれることになる。

すると3大階級は、ケネーにおいては、農 業関係者(生産階級)、地主階級、商・工 業関係者(不生産階級)の3大階級である が、地主階級を別にすれば農業と商・工業 における雇主と労働者の区分は重要な意味 を持たない。スミスにおいては、これが明 確に区分され、3大階級は労働者階級、ス

ト ックの所有者階級(資本家階級)、地主 階級となる。3大階級の経済的基礎の理論 が、自然価格論として、それを構成する賃 金論、利潤論、地代論として展開された理 由は、スミスが富概念と生産的労働概念を 確 立し た から だ と 考 えら れ る。そ れ 故、

『講義』では富の原因とし て分業が語られ るだけであったが、『国富論』においては 分業論に加えて、分業で増産された富の3 大階級への分配論がケネー批判をふまえて 展開されることになったと考えられる。

芋 ストック概念と年生産物概念。ここでは 反対に、スミ スは ケ ネーから 学習し、ス トック概念と年生産物概念を拡大したと思 われ る。即 ち、『講義』から『国富論』第 1編までは、ストックは、製造業を創造す るため、また製造過程での労働を維持する た め に 蓄 えら れ る べ き 資 材 で あ っ た が、

『国富論』第2編でストックは、消費財と資 本財(固定資本財、流動資本財)と定義さ れ る こ と に な る。後 者 の「流 動 資 本 財」

は、さまざまな商店にある消費財、工場の 生産工程にある仕掛け品や原料、そしてま だ 売却 され てない完成品で あ り、『講義』

以来のストックがこれに当ることが明らか となる。そして重要な点は、生産的労働者 から生産されたばかりの年生産物(ストッ ク)は、「資本の更新部分」と「収入部分」

に区分されることであり、これは、ケネー

「経 済 表」の「再 生 産」部 分 と「純 生 産」

部分に 対応する区分であり、スミスがケ ネーから摂取した点であると言える(24)。 鰯 「生産的労働」と「資本の蓄積」。しかし

最大のポイントはスミスが独自の「生産的 労働」概念を打ち出したことである。第一 に、『国富論』冒頭の「年々の労働」は 生 産的労働のことであり、生産的労働こそが

「生活の必需品と便宜品」の供給ファンド であるが、これが同時に原料の価値を回収 し、新し く賃金と利潤の価値を付加するの

(7)

である。このような新価値創造機能を有す る生産的労働概念の確立によって、賃金と 利潤の価値論的基礎付けが与えられたので ある。第二に、「生産的労働」は、新価値 を付加すると共に自らを更新(再生産)す るという2重の意義を与えられている。生 産的労働によって付加された新価値のうち の賃金部分は、対象に固定され、それと同 等量の労働の雇用に用いられ、かくてその 価値を再生産する。これは、「生産的労働」

と「再生産」視点の結合である。労働者が 受取った賃金は彼の収入として消費財に支 出されるが、労働者が生産した価値の賃金 部分は雇主によって雇用を継続するために 再び投下される、即ち「資本の蓄積」が行 なわれる。言い換えれば、生産的労働者が 創造した新価値の賃金部分は流動資本の一 部として自己を維持するが、賃金を受取っ た労働者の下で収入とし て消費支出され る。こうして新価値の賃金部分は資本とし ての流れと、収入支出としての流れに2重 化する。賃金も、利潤も生産的労働者が生 み出した新価値であるが、賃金は同時に労 働を維持するストック、流動資本の一部で あり、資本として再生産される(資本とし て蓄積される)と言う側面を併せ持つので ある。これは、収入がどのように支出され るかという収入の流れと併せると、スミス は 一 つの資本循環の範式を、マル クスの タームを用いれば、ケネーの「商品資本循 環」に対して、独自の「生産資本の循環範 式」の領域を切り開いたことを意味すると 言える(図2を参照されたい)。

允 節倹と浪費あるいは生産的支出と不生産 的支出。

  雇主は利潤を不生産的人々(召使、公務 員 や 軍 人、宗 教 家、作 家、音 楽 家、ダ ン サーなど)の雇用に 用い ることは、浪費

(不生産的支出)である。が、反対に生産 的人々(生活の必需品と便宜品を生産する

図2  生産的労働と資本の蓄積

 労働者)の雇用に用いることが節倹による 蓄積であり、生産的支出である。図2は、

これを大まかに示したものである。しかし これは、地主階級の地代支出にも 主権者

(行政府)による公的収入の支出にも当て はまる。そして、スミスは、歴史上、地主 貴族による大量の従者、召使の抱え込みと 言う浪費があり、また幾多の騒乱や度重な る戦争による公的収入の膨張とその浪費が 行われて来たことを確認するが、それにも かかわらず、イギリスではその期間を通し て資本と国民の真実の富が着実に増大して 来たことを確認する。これは、好戦家たち や地主貴族たちの浪費癖にもかかわらず、

商工業者たちの注意深い、日常的な改善志 向の力がこの浪費癖の力を上回ったからで ある。生産的労働概念と資本蓄積論、それ に基づく「生産資本循環」視点からの歴史 解釈は、『国富論』第1編第11章とその結 論で与えられた地主階級の階級的役割とそ の意義に対し修正を迫ることが明らかとな る。同時に、そこで商人と親方製造業者に 与えられた否定的評価に対しても修正を迫 るものであると言える。

Ⅳ 結び

 われわれは、スミスの「所得と価値」理論 に 対し「発生史的」アプ ロー チを 取ってき た。即ち、『講義』から『国富論』への視点 と、ケネーからの影響(学習と批判)と言う 視点からスミス理論の成立を把握しようとし

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(8)

た。しかし、前者についても更に『 徳 論』(1759)にさかの る 要があり、後者 のケネー についてはマルクスの 理を含 め一層の掘り下げが 要とされる。それにも かかわら 、この2つの「 」がスミス理論 の全 的性格を形成し ているように われ る。第1に、『講 義』から『国 富 論』へ かけ て示 され る「独立生産者」と彼ら 間の

「商品流通」を重視する視点である。第2は、

ケネー批判を通し て確立し た「生産的労働」

と「資本蓄積」の視点である。次の諸点は、

このような2つの視点の交 から説明できる と考えられる。

茨 商品価値の賃金、利潤(更に地代)への

「分解」論は、労働による賃金、利潤の価 値的基礎付けを与える「生産的労働」概念 から も たら され ると考える。だが他方で は、『講義』から『国富論』への自然価格 論の発展は、「自然賃金としての自然価格」

論から 自然賃金、自然利潤、自然地代の

「3大所得を全て包括する自然価格論」へ の発展であり、これは諸所得による価格構 成論に他ならない。後者は、諸所得による 商品価値の構成論とし ても 述べら れてい る。これは、発生史的に見たスミス理論に おける2つの流れの混在を示している(図 1-a、図1-bを再読されたい)。

芋 スミス「労働価値」説が一方で投下労働 に よる交換価値の規制とい う「投下労働 説」、他方で投下労働説の放棄と従って支 配労働による交換価値規制という「支配労 働説」という2つの解釈を可能ならしめて いることはⅡ章でみたところである。しか し、この理由は、「諸収入による自然価格 構成論」に、製造工労働を独立生産者労働 と同一視する視点が加わることによって、

即ち労働と自然賃金とを同一視する視点が 加わることによってもたらされたからと考 えられる。

鰯 「生産的労働」と「資本蓄積」論、そこ

から 展開される「貯蓄」や「節倹」論は、

地主階級や主権者たちの浪費、不生産的支 出への断固たる批判を展開させている。他 方、『講義』から『国富論』へかけ て保持 されている「富裕の自然的進歩」視点では 地主階級は富裕の歴史的展開の意図せざる 媒介者であり、従って彼らの階級的利害は 社会一般の利害とピ ッタリ一致するもので あ っ た(第1編 第11章 の 結 論)。こ れ も、

発生史的に見たスミス理論における2つの 流れの混在を表していると考えられる。

允 地代論も2通りの説明が与えられている と考えられる。第1に、土地の私有に基づ く「独占価格」論であり、地代の根拠は独 占によって吸い上げられた他産業の剰余価 値の一部や社会一般の所得の一部分である

(Ⅱ章の註蔭を参照)。従って、生産的労働 視点に立つ場合、スミスは賃金、利潤に対 して労働価値の基礎付けを明示的に述べる ことが出来るが、地代については労働価値 的基礎付けを明示的に述べることが出来な い。敢えて、生産的労働論の立場を貫き、

労働価値論的な説明を与えようとすると、

「自然も また人間と並んで労働する」とい う、「 富 裕 の 自 然 的 進 歩 」に 見ら れ る 農  業偏重視点があら わに示されることにな  る(25)

 以上の諸点は、2つの流れ、『講義』から

『国富論』へかけての視点とケネー批判の視 点から見たスミス理論のおおまかな特徴付け であるが、これは スミス理論の矛盾でも あ り、多様性を示すものでもある。しかし、2 つの視点は一層掘り下げられねばならない。

特に、ケネーに内在した上で改めてスミスと の対比が求められる。そこでは、マルクスか らみたケネーとスミスの検討が併せて行なわ れなければならない(26)。「スミスとリカード ウ」というわれわれのテーマがもつ課題はき わめて大きく、含まれる問題性は極めて深い のである。(2009年5月12日脱稿)

(9)

<註>

茨 旧 拙 稿[2009](『茨 城 大 学 人 文 学 部 紀 要

(社会科学編)』第47号)では、A.スミス の「価 値」と「所 得」を 述べ、D.リ カー ド ウの「所得」を述べて終了し、リカード ウの「価値」とそれを含む総括を本稿での 課題としていた。しかし、本稿でわれわれ は、本文で述べる理由によって旧稿におけ るスミス理解を批判的に再検討することを課 題とする。

芋 旧拙稿は2008年10月初頭に脱稿したが、翌 11月の一橋大での星野彰男氏の報告と討論、

そし て氏の著作、星野彰男[2002]から得 た反省点が大きい。

鰯 A.スミス[1763~64]。

允 A.スミス[1763~64]の第2部「治政」で は第1章の「清潔と安寧」の短い叙述に続 いて、第2章「低廉または豊富」がこの課 題を果たすものとして述べられている。即 ち、社会の秩序と安寧は、今まで貴族に依 存して生きていた召使や従者たちが貴族社会 の行詰りによって解雇され、それによって 多発する犯罪によって脅かされるが、誰に も依存することなく独立自営する商・工業 者の活動によって確保される、と述べて、

第2章の「豊富」論が展開される。この内 容こそ『国富論』の第1、第2編の内容と 比較されるべきものである。

印 F.ケネー[1758~1766]坂田太郎訳。

咽 A.ス ミ ス[1763~64](キ ャ ナン 版)は、

「ミ ー ク 他 版」(Lectures on Jurisprudence, Oxford,1978)では、“Reportdated 1766” と 命 名 され てい るも ので あ る。こ の 講 義 ノート は、キャ ナン に よ ると 受 講 学 生に よ っ て 筆 記 され た も の と され て い る が、

ミークらによると、ノート作成者のオリジ ナル講義ノートを書き直したものを専門のコ ピ イ業者が市販用にコピ イしたものであるこ と、そしてこのオリジ ナル講義 ノートの由

来に関しては、スミスがグラスゴ ー大学を 去った後に、後任の講師、ThomasYoung に自分の講義 ノートを残したこと、そして Youngがスミスのノートに十分に密着して いたと仮定するなら、学生が1763~64学期 に一組の講義ノートを書きとめたことは完璧 に可能となろうとされている。そして、オ リジ ナル講義 ノートの内容が、実際に講義 で話されたことの合理的に正確な筆記である か否かと言う問に対しては、かなり無条件 の断言(a fairly unqualified affirmative) を持って答えることが出来ると述べている

(上記ミーク他版、pp.6~9)

員 同 上、坂 田 訳、pp.125~162.な お、黒 木

[2006]は、ケネー「経済表」の原表第3版 に独自の解釈を与え、「範式」に線形計画論 を適用してその意義を確認している。

因 A.スミス[1763~64](ミーク他版)pp.486

~487.:高島・水田訳pp.313~315. 姻 A.スミス[1763~64](ミーク他版)pp.487

~489.:高島・水田訳pp.317~320. 引A.スミス[1763~64](ミーク他版)pp.490~

494.:高島・水田訳pp.322~338.

飲 A.スミス[1763~64](ミーク他版)pp.494

~499.:高島・水田訳pp.339~352. 淫 A.スミス[1776],Book Ⅱ,Introduction

& Ch.1,pp.259~262:松川他訳、上、445

~448頁。

胤 A.スミス[1763~64](ミーク他版)pp.494

~495.:高島・水田訳pp.339~343.

蔭 置塩信雄[1977](第1章)の議論を援用す れば、スミスの「地代」はマル クスの絶対 地代ではなく「独占地代」に当ることがわ かる。即ち、彼は次のように、生産財と農 産物(最劣等地)の2部門からなる価値方 程式①と生産価格式②を前提し、農産物価 格を基準価格(=1)とするが、農産物価 格1には「地代」εが含まれている。

 ①t1=a11t11 ②p=(a11p+τ1b)(1+r)   t2=a21t12  1=(a21p+τ2b)(1+r)+ε

(10)

   但し、(a11,τ1)とt1、(a21,τ2)とt2

は、それぞれ生産財部門及び農産物部門の 生産係数と価値、pは生産財価格、bは労働 1単位当り農産物(食料)の量、rは一般的 利潤率である。農産物部門は生産財部門に 比し て資本の有機的構成が低いことから、

(a11/ τ1b)>(a21/ τ2b)で あ る か ら、

生産財価格は「価値価格」を上回るが、農 産物価格(=1)は「価値価格」を下回る ことに なる。即ち、p>t1/t2、1<t1

/t2である。ε>0の場合の生産財価格と 一般利潤率は、ε=0の場合のそれよりも 低い。地代εが更に増大すると生産財価格 は更に低下するが、それが価値価格と等し くなるまで低下したときの地代をε0とする。

地代εが、0<ε≦ε0の範囲に ある場合、

農産物は価値価格以下で売られる。この範 囲の地代がマルクスの「絶対地代」であり、

これは有機的構成の低い自部門における剰余 労働価値に基づいている。ε>ε0の範囲に 地代が増大する場合、農産物価格は価値価 格を上回って売られ、地代は生産財部門の 剰余価値や社会的支出の増大によって支払わ れることになる。生産財価格は価値価格を 下回って低落することになる。このときの 地代をマルクスは「独占地代」と呼んだが、

スミスの地代はこれに対応するとみなすこと が出来る。

院 A.ス ミ ス[1759] pp.184-185. 米 林 訳、

下、pp.392-394. ここでは、土地貴族たちの 豪華、絢爛たる生活のための支出は、その ために働 く庶民に所得を施すことになり、

彼ら 土地貴族は「見えざ る手」に よって、

庶民が土地を平等に分割された場合獲得した であろう生活必需品と同じものを庶民たちに 意図することなく分配する、と述べられて いる。

陰 A.ス ミ ス [1763~64](ミ ー ク 他 編 集)

p503;高島・水田訳、364頁。

隠 A.スミス[1776]p.314&p48.:松川他訳、

上522頁及び上132頁。

韻 A.スミス[1776]p.49.:松川他訳、上134 頁。

吋 A.スミス[1776]pp.144-145.:松川他訳、

上279-281頁。

右 A.スミス[1776]p.49.:松川他訳、上134 頁。星野[2002]は、引用文中の「生産に用 い ら れ た 労 働」を(employed労 働)とし て、所得の価値的基礎付けを与える「投下 された労働」である(bestowed 労働)から はっきりと区別している(星野[2002]、第1 章、14頁)。

肝 A.スミス[1776]p.50,p56.:松川他訳、上 136頁、145頁。

艦 ここから、スミス労働価値論の解釈として、

投下労働放棄説、従って支配労働価値説が 現れる。マルサス[1823],[1820]がその 代 表 で あ る が、旧 拙 稿[2009]も そ う で あった。

莞 <相違点>敢自然価格論の鉛で述べたよう に、スミスにおいては生産者が生産し、我 がものとし うる生産物こそが彼の「自然的 報酬」である。その場合の生産者は、自ら 道具を所有する独立生産者であるが、『講 義』では、彼らの自立し た行動こそが「富 裕」と と も に、社 会 の「安 寧」と「秩 序」

をもたらす源泉であった。

観 K.マル クスは『資本論第2巻』第19章で スミスの固定資本・流動資本規定に対して 極めて厳し く批判し ている。第1に、スミ スは固定資本・流動資本の区別において流 動資本を商人が取り扱う「流通資本」(商品 資本、貨幣資本)と混同し たこと、それに よって第2に、ケネーが生産資本の内部で 行なっている「本源的前払い」と「年々の 前払い」の区分から大幅に後退しているだ けでなく、第3に、流動資本を商品資本と 混同し た結果、流動資本の中に「労働力」

を入れることが出来ず、「可変資本」は賃金 で購入する生活手段の形態で現れることにな

(11)

り、従って第4に、価値形成に関し て労働 力は原料や役畜の生活手段と同列視されるこ とになり、かくし て第5に、後続者たちが 労働力に投下された資本部分を「可変資本」

とし て 認 識 す るこ と を 不 可 能にし た、と

(『資本論第2巻』第19章「固定資本と流動 資本にかんする学説」)。

諌 A.スミス[1776],BookⅡ,Ch5:松川 他訳、上、565~566頁。農業では自然も生 産的労働をすると述べられるこの箇所では、

年々の全生産物に 占め る地代のシ ェアが

「しばしば 三分の一より多い」(松川他訳、

566頁)と述べられるが、生産的労働と資本 の蓄積論を確立した箇所では、「地主の分け 前が土地の全生産物の三分の一をこえること は め っ た に な い」(同、第2編、第3章、

528頁)と、正反対の特徴づけが行なわれて いる。

貫 われわれは、註観で、スミスの固定資本・流 動資本論がケネーを後退させるものであると いうマル クスの指摘を要約した。この、ス ミスが流動資本を商品資本と同一視した視点 を追跡するならば、図1-aに対比される 図1-bと同じものを、図2に対比される 図2-bとして掲げることが可能であろう。

<参照文献>

(A.スミス)

・[1759]TheTheoryofMoralSentiments(6thed.

1790):『道 徳 情 操 論』(上 ・下)米 林 富 男 訳、

未来社、1955

・[1763~64]Lectureson Jurisprudence,ed.by E.Cannan,1896:『グラスゴー大学講義』高 島善哉・水田洋訳、日本評論社、1947:この キャナン版は、R.L.ミーク他2名編集によ るLectureson Jurisprudence,Oxford,1978では、

“Reportdated 1766”と命名されているもので ある。

 (目次) 第一部正義について(第1章公法学 について、第2章家族法、第3章私法) 第二

部治政について(第1章清潔と安寧、第2章 低廉または豊富) 第三部国家収入について  第四部軍備について 第五部国際法について

・[1776]An Inquiryinto theNatureand Causes  of the Wealth of Nations, 5th ed. 1789 by

E.Cannan,theModern library 1937:『諸国 民 の 富』上 ・下、大 内・松 川 訳、岩 波 書 店、

1969 

 (目次) 第1編労働の生産諸力の改善の諸原 因また生産物がさまざまな階級に自然に分配さ れる秩序、第2編資材の性質、蓄積および用 途、第3編種々の国民における富裕の進歩の 差異に ついて、第4編政治経済学の諸体系、

第5編主権者または国家の収入について

(F.ケネー)

・[1758~1766]『ケネー経済表』、坂田太郎訳、

春秋社、1956 目次 経済表第一版(1758)、

経 済 表 第 二 版(1759)、農 業 哲 学 第7版

(1763)、経済表の分析(1766)

(T.マルサス)

・[1823]『価値尺度論』(玉野井芳郎訳、岩波文 庫、1949)

・[1820]『経済学原理』(小林時三郎訳、岩波文 庫、1967)

(星野彰男)

・[2002]『アダム・スミスの経済思想―付加価値 論と「見えざる手」―』、関東学院大学出版     

(黒木龍三)

・[2006]「ケネー『経済表』と現代経済学」『立 教経済学』第59巻第4号、3月。

(置塩信雄)

・[1977]『マルクス経済学』 第1章「価値と価 格」pp.47~

(12)

参照

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現代におけるように,生産物および生産要素の両市場が高度に非競争的であり,その結果とし