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社会科研究室満井隆行 (1969年11月6日受理) 序 言

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1

英国模礼藤著「古今万国綱鑑録」について

社会科研究室満井隆行

 (1969年11月6日受理)

序 言

1.概観

2.来 歴

 (1)著者模礼蔭について  (2)本書の来歴

 (3)この書は果してモリソン原著か 3.本書をめぐる人々

 (1)本書をめぐる人々  (2)中村正直とその序文 4.本書の性格

 (1)キリスト教的(新教主義)摂理史観  (2)自主の理,即ち自由主義的論調  (3)中国思想との調和

付記  「万国綱鑑録和解」について 結 語

 幕末から明治初年にかけての万国史は,西洋の原書のほかに,西村茂樹の「校正万国史 略」,寺内彰明の「五州紀事」,牧山耕平の「巴来万国史」のように,日本人の訳編にな るものと,中国在住のキリスト教宣師による漢文の原書が,中国から日本に流伝したもの とがある。本書は後者の型に属する。英人ウィリアムの「英国誌」,米人ブリッジマンの

「聯邦史略」などもこの型である。

 凡そ明治20年代になると,日本人独自(国粋主義的色彩)の万国史の編著があらわれて くる。本書は,中国を経由した西洋文化の流伝という性格のもので,幕末期におけるそう       らいう特色を物語る一例でもある。

 本書の原著者,本書流伝の来歴,本書をめぐる人々,本書の性格などについて検討し,

(2)

 2      茨城大学教育学部紀要 第十九号

あわせて本書の歴史的意義について考えてみたい。(註D

 1 概   観

 「英国模礼蔭著 古今万国綱鑑録」(茨城大学付属 図書館蔵)は本書の題名である。大槻誠之訓点,柳

  もと      やすつぐ

沢信大校正,塚本明毅,重野安繹同閲,1874(明治        まさなお

7)年5月刊,和本,3巻3冊,巻頭に中村正直の 序文,柳沢信大の撰文,巻尾に大槻誠之の序文があ

る。柳沢の撰文以外はすべて漢文。目次は次の通り

である。

 巻一

 イズレイル      ジユデア

 以色列民ノ史, 猫太国史, 以色列国史,

  メー一スル      ユジプト    ギiJシヤ      ェィユゥ

  麦西国史一名埃及国, 希騰国史, 英雄期,

  スパ タ       アテネ   士巴太国史, 雅典国史一一名亜地掌国,

    リユデア      バビロン

居魯士王呂底亜国ヲ服ス, 巴庇倫城ヲ囲ミ降ス,

   マキドン       ローマ

国, 馬基頓国史, 羅馬国史,

 巻ニ

 イヱ−xユス       ヨハン

 耶蘇世二降ル, 約翰道ヲ宣ル, 耶蘇門生ヲ択フ,

 ハリツケニカカル

ケ十字架二釘セ被レテ死ス, 耶蘇復生シテ天二升ル,

羅馬国史皇帝紀, 羅馬国西方ノ史,

  ホルランド

ェギリス      イタリー      ゼルマン      スペイン

英吉利国史, 以太利国史, 阿理曼国史,

       キ−リユス      波斯国史或ハ比耳西亜, 居魯士ノ史,

        希臆列国波斯国ノ軍ヲ拒播ス, 戦 羅馬国民外国ヲ攻ム, 長者羅馬国二覇タリ,

       耶蘇霊蹟ヲ行フ, 耶蘇死ヲ受        耶蘇ノ門生耶蘇ノ教ヲ伝フ,

      マホメタソ

       羅馬国東方ノ史, 回教族類ノ史, 異族類遷徒   荷蘭西国ノ史(筆者註,ホルランドは誤記,フランスが正しい,本文にはフランスとある)

      西班牙国史, 邪ヲ改メ正二帰スルノ史,

新法子(筆者註,ルネサンスをいう),新地ヲ尋ネ見ハス,

 巻三

        プロシヤ      フランス

 阿理曼国史, 破魯西国史或普魯士, 法蘭西国史或仏蘭西, 英吉利国史, 西班牙

    ポルチユガル       ズウイス       ズウイデン

       瑞典国史,国史, 葡萄駕国史, 以太利国史, 瑞西国史, 荷蘭国史或ハ和蘭,

突転史燕菌1簾菌史或繭,勲舳史或脳,纏畑史或揖塞,

アメリカ         メリケン

亜墨理駕列国史一名米利堅,

      アブラハム      カナン

 計55章から成る。即ち「亜伯位孕天命二順ヒ,本国ヲ離レテ迦南ノ地二往ク」の記事か        ポルチnガル

      イスパニヤら,19世紀の前期,南米における「西班牙列省」の独立,「葡萄駕国ノ藩属国」の動遙の 記事まで。キリスト教的摂理史観に立つ列国史型西洋史である。単なる西洋史でもなく,

(3)

満井:英国模礼蔭著「古今万国綱鑑録」について 3

エジプトや西アジアを含む。列国史型といっても,時代の推移を追って叙述され,万国史 の大勢が理解できるような構成である。但し,キリスト教の教義についての記述が多いこ とはいうまでもない。

2 来

 (1)著者模礼蔭について

 本書の内容,性質,大槻誠之の序文などから推して,模礼菰(一般には,馬礼遜,瑞礼 遜と記されている)とは,新教宣教師として,初めて中国に来住したスコットランド生れの Morrison, Robert(1782−1834)と推定される。彼は年少にして長老教会(Presbiterian)

に入り,1805年,ロンドンに移り,そこで医学,天文学,さらにChinese Language(中 国語)を学んだ。それこそが,ロンドンのMissionary Sosietyが彼を中国に派遣すること を決定した動機であった。彼は幸にも,Yong Samtakという中国人から中国語の課程を 教わることができたのであった。1807年,アメリカ経由で広東に上陸,マカオに住む。そ の後,東インド会社の通訳,1817年には,アマースト卿の北京訪問の通訳をつとめ,同年 グラスゴー大学から神学博士の称号をおくられた。1818年,マラッカに英華学院を創立,

これは極東に宣教活動を行うためのものであった。また「英華辞典」を出版したが(1821 年),これはヨーロッパ語で著わされた最良の中国語辞典と評価され,王立協会の会員に 選ばれた。彼が中国でしとげた最も重要な仕事は聖書の漢訳で,1823年,マラッカで21巻 として出版された。これには,Wi11iam Milne(ウィリァムミルン)の助力が伴なった。

彼はまた讃美歌や祈薦書をも漢訳している。1824年,英国に帰り,2年後にまた広東に帰 り,1834年に没するまで広東に住んだ。(Dictionary of National Biography, P.・1008による)

 モリソンが中国で最初の伝道活動をした頃は,清朝によるキリスト教禁止が励行されr その活動はすこぶる困難で,中国人の信徒の数は微々たるものであった。ただし,彼によ る聖書の漢訳完成は,それ以後における宣教活動の進展に大きな基盤を提供した。キリス

ト教布教の自由がみとめられたのは,1858(威豊8)年,天津条約の諦結からである。

 モリソンを初めとして,それ以後中国に渡来した新教宣教師によるキリスト教関係の諸 文献の漢訳は,それらの日本訳の成立に大きな貢献をした。

 モリソン自らは直接関係しないが,モリソンと幕末史の関係では,所謂モリソン号事件

(天保8年,モリソン没後3年),その翌年の蛮社の獄がある。(註2)

 なお,佐伯好郎著,昭和24年刊,「支那基督教の研究,第4巻」には,「馬礼遜とその次 男のジョン・ロバート。モリソンの在中国数十年問に蒐集した図書数万冊が東洋文庫の根

(4)

4 茨城大学教育学部紀要 第十九号

幹をなす」とあり,一般にもそう思われているらしいが,東洋文庫に現存するCatalogue of the Asiatic Libraryの序文によると,東洋文庫と関係のあるのはオーストラリア人の G.E. Morrison(1・862−・1・920)で,彼が中国で蒐集した中国関係の図書は最も広般にわた

るものの一つであり,その彼の図書館は岩崎男爵に売られ,1917年,東京に運ばれたと記

してある。 (註5)

 (2) 本書の来歴

 モリソンの宣教活動以来,多くのプロテスタント宣教師が中国に来航したが,彼等は中 国文だけでも凡そ800種の著訳書を出版している。1854(安政元)年の神奈川条約,つい で1858(安政5)年の日米修好通商条約の調印が行われ,在中国プロテスタント宣教師の 著作がキリシタン禁制下の日本に移入密行した。明治政府となり,キリシタン禁制の高札 が撤廃されたのは,1873(明治6)年2月である。

 1859(安政6)年,日本へもプロテスタント宣教師が来朝したから,彼等の手を通じて 移入するものも現れた。高杉晋作は,1862(文久2)年,幕船の千歳丸に乗って上海に渡 り,宣教師ミュルヘットW.Mulrheadに会い,彼から「聯邦史略」その他の書籍を買って

いる。

 排キリスト教の立場にある仏教側の記録によると,文久3年,香山院竜温の「關邪護法 策」 (明治仏教全集第8巻所収)に,「両三年以来,万国綱鑑録,地球説略,地理全誌,

談天ナド云ヘル書オビタ・シク密行スル……専ラ耶蘇教ヲ明シタルニ非ザレバ,禁制トナ ラネドモ其安心ガミナ耶蘇ナリ」と。(傍線筆者,以下同じ)(註4)

 慶応元年,霊遊の「閑邪存誠」に,「西洋ノ夷賊…皇国ヲ蔑如シ…妄二切支丹耶蘇教ヲ 以テ吾国内二押弘ントス ソノ鉾先西洋舶来ノ諸書二見ヘタリ 聯邦志略,地理全志,地 球説略,天工造物論,談天,中外雑誌,万国綱鑑録,全体新論,博物新篇等ノ書類 ソノ 兆スル所コトコトク耶蘇教ナリ……ソノ所業言語同断ト謂ツベシ」と。

 慶応2年,香山院竜温の「総斥排仏弁」に,今より8年位前までの頃は,耶蘇を弁じた 書類は世に行われなかったが,此頃追々流行するよし…また専ら耶蘇宗を明した書のみで なく,「万国ノ事ヲ書キ著シタルモノ数多アリ近クハ万国綱鑑録ト云ヘルモノニ十巻,又 亜墨利加ノコトヲ書タル聯邦志略,又彼ガ五大洲ト云ヘル者ヲ略シテ著シタルガ 地球説 略,地理全志等ナリ ソノ宗トスル処 ミナ耶蘇ナルガ故二 各々其義ヲ出シテ讃美シテ

アリ」と。

 以上,本書の来歴についての記述は,主として小沢三郎著「幕末明治耶蘇教史の研究」

によるものである。

 以上によって,「万国綱鑑録」が我国に流入したのは,少くとも1863(文久3)年以前

(5)

満井:英国模礼藤著「古今万国綱鑑録」について 5

であり,20巻であったことがわかる。「古今万国綱鑑録」との題名は,大槻誠之がつけた ものである。

 柳沢信大の撰文に,「巻首原洪水前記帝尭帝舜紀有リ。然レトモ其事漢史已二具載スル 所。吾輩ノ熟知スル所ニシテ。而シテ近時ノ要事二及フモノナシ。故二之ヲ略シ簡二縦フ ナリ。洪水前紀ヨリ亜墨利駕列国史二至ルマデ。分ツテニ十巻トナセリ。而シテ今約シテ 三巻トナス者ハ。展覧二便スルナリ」(原文のまま)とある。もと20巻であったことは,

この撰文によって明らかである。

       わげ

 明治7年8月に,「万国綱鑑録和解」が刊行されているが,この書については改めて後 述する。

 (5)この書は果してモリソンの原著か        も

 大槻誠之の序文に,海外万国の繁きこと,星羅棋布するなり,各国の治乱興廃は気運の 盛衰にかかり人力の能くするところにあらず,此書の記載するところは,紀元前1900余年        イサ−ク

の頃,アブラハム真神の約を奉じて一子を生む,以撒という,その族エジプト,カナーン,

ジュデヤ諸国に散布し,救世主の世に出て,その徳化あまねく西洋諸国に行きわたり,そ の教法の厳明なるや,遵法の民に福し,背逆の民に禍す,ここを以て諸国欣仰せざるはな

し,その後自主の理おこり,今日開化の各国となる。万世沿革の蹟詳細で,西史の主壁と いうべし,ただ憾むらくは撰者の名を知らず,たまたま友人の岸田吟香はかつて海外に遊        フエリ−

学し,外国人に知己多く,なかにも美国の宝利度と親交あり,自分を伴ってその家を訪れ

「万国綱鋼録」について語る,フエリー曰く「彼書ノ作者吾之ヲ知ル,往昔英国模礼蔽,

中国二来リ,蟹ヲ香港二開キ,万国史ヲ纂輯ス,察スルニ当時華人之ヲ訳シテ万国綱鑑録 ト日フ,即チ是ナリ」と。自分はこれを聞いて宿憾始めて解くるに至ったとある。

 モリソンの英文を中国人が訳したとする点,校を香港に開くとする点など疑問であるが

「日本キリスト教文献目録 明治篇」(国際基督教大学アジア文化研究委員会編)に,

「新遺詔書」Robert Morrison, Wi1liam Milne訳,香港英華書院(n. d),唐4冊 注:最初の漢訳聖書(1823)の重版とある。モリソンの子のジョン・モリソンは,阿片戦 争のあと香港政庁の役員として香港に住んだことなどから,香港に英華書院が移されたと

も考へられる。

    フエリ−

 ここに宝利度とあるのは誰であろうか,岸田吟香伝(平凡社刊,世界大百科辞典所収)

によると,岸田吟香(1833−1905)は,J. Cヘボンに従ってからジャーナリストとして 活躍,ヘボンが和英辞書の編纂を企てた際,その助手となり,1864(元治元)年,辞書印 刷のために上海に赴き,在留2年。1868(明治元)年,ハワイ領事ウエンリード(ヴァン

リード)Eugene M. Van Reedとはかり,横浜新聞もしほ草を創刊している,大槻の序

(6)

6 茨城大学教育学部紀要 第十九号

文に見える美国宝利度とは,このVan Reedではあるまいか。(註5)

 以上によって考へると,万国綱鑑録の原著者はモリソンであると確言できる。

この書が,亜片戦争の後,香港の英華学院で刊行されたことも,敢て否定はできない。中 国人の訳かどうかは,確言できぬ。彼には聖書の漢訳があるほどだから,モリソン自らの 漢文で書くこともあり得る。

3 本書をめぐる人々

 (1)本書をめぐる人々

 大槻誠之は,東陽と号し,東京小石川に住む,修文塾という私塾を開いていた(柳沢の 撰文,大槻の序文による)。また前述の如く,彼には渡辺との共編による「万国綱鑑録和解」

がある。また「大槻東陽和解 啓蒙国史略」(前i編1−5,後編6−10)(東書文庫蔵)があ る。これには,東陽大槻誠之解,益軒渡辺約郎校,明治6年2月官許,何不成社蔵とあり 神代より後陽成天皇の聚楽第行幸までの記事で,編年体,和文,和本,儒教流の政治・軍 事史である。わかり易く述べている。この書の題詞に,磐漢迂蔓の名で,「東陽山人啓蒙 又成,復来請題 ……時紀元二千五百三十四年甲戊夏五月三日也」とある。この磐漢とは 幕末,明治初期の儒者で,また蘭学発達史上の功労者である大槻磐渓(1810−78)であ る。(万国綱鑑録和解の項参照)誠之は磐漢の同族であったかと想像される。

 また加藤桜老,大槻東陽校訂,渡辺約郎,桜井命順補訂の「校刻 漢書評林」 (30冊,

三行社,明治15年刊)(茨城大学付属図書館蔵)がある。巻末に,常陸 加藤桜老,相陽 大槻東陽とある。大槻は相模の出身であろう。

         まさなお

 柳沢信大は,中村正直が開いた義塾同人社の人で,本書の各巻末に,同人社 柳沢信大 とある。明治6年5月,同人社の開業願が東京府に提出されている。開業願の第3条教員 履歴に,「英学 柏崎県貫属士族小林門蔵厄介 柳沢信大明治六年五月 三十六才五ケ月

    しんゆう      いつちゆう

文久元年辛酉四月ヨリ慶応元年乙丑十月迄都合五ケ年静岡県貫属士族中村一吉父中村正直        じんしん

え漢学英学共従学,明治五年壬申正月東京府管下第四大区湯島西門町一番地講安寺借家          ぎゆう

英学教授開業同六年癸酉五月当社合併」とあり,中村正直の門人であり,また同人社の英 語教師でもあった。(註6)

 中国在住のプロテスタント宣教師,衛三畏Samue1 Wells Williams(1812−84)著の

「英華韻府歴階(Arl English and Chinese Vocabulary, in the Court Dialect, Macao 1844)」 は,柳沢信大校正訓点, 「英華字彙」と題し,明治2年に出版されているp

(小沢三郎著,「幕末明治耶蘇教史研究」)

(7)

満井:英国模礼藤著「古今万国綱鑑録」について 7

 中村正直と岸田吟香との関係については,明治8年5月,彼等は同志とともに楽善会を 組織し,訓育院設立を決議し,東京府知事に請願,同9年3月設立許可,剛3年1月,訓

育院の事務を開始した。 (高橋昌郎「中村正直」)

 柳沢信大と中村正直,岸田吟香等との関係は以上の如くである。大槻誠之は,柳沢信 大,岸田吟香と親交あり,「古今万国綱鑑録」の序文も柳沢を介して中村正直に執筆を依 頼したものであろうか。

 重野安繹(1827−1910)は,もと薩摩藩士,世に抹殺博士と称された実証主義の修史 家,漢学者,明治4年,文部八等出仕,5年太政官に転じ,編修局掛,左院三等書記官,

地誌編輯掛をへて,翌年編輯課長となり,8年修史局副長となった(大人名辞典)。彼が この書を閲したのは編輯課長の頃であったであろうか。

 塚本明毅(1833−85)は,もと幕府の海軍々人,王政復古の後,静岡藩の沼津兵学校の 教官となる。明治5年3月,陸軍兵学大教授,9月権大外史に転じて太政官地誌課長とな り,改暦のことに参画して功あり,その後内務省に出仕し,地理寮五等出仕,権大内史,

法制課長,一等修撰等をへて,10年一等編修官となった。(大人名辞典)。彼がこの書を 閲したのは,太政官地誌課長の頃であったであろうか。

 彼には「筆算訓蒙」(明治2年刊)という著もある。これにはワシントン,ペー一トル大 1世,ナポレオンなどを例にして,年数の計算を出題しているなど,文明開化期の数学教 科書の特色が濃い。(拙著「外国史の教育一その史的研究」参照)

 中村正直も旧幕臣で,静岡学問所の教授もしていたから,両者の間には交遊があったと 考えられる。

 (2) 中村正直とその序文

 本書の性格を考えるに当っては,中村正直のこと を先ずあげねばならない。中村正直(1832−91)は 旧幕臣,敬宇はその号,1848(嘉永元)年,昌平坂 学問所に入り,主として佐藤一斎について儒学を学 ぶ,朱子学の系統ではあったが,陽明学を重視し,

また考証学を中心とする清代の学風をも認め,その 当時の非現実的な学問を排している。禅譲放伐を是 認した。昌平校に入る以前から桂川甫周について蘭 学を学んでもいる。さらに1855(安政2)年には英        モリソン

語に接していたことが「穆理宋韻府紗叙」 (敬宇文 集巻5)によって知られる。これによると,彼はイ

(8)

8 茨城大学教育学部紀要 第十九号

ギリス人モリソンが著わした英漢対訳辞書に,オランダ人が蘭語を副えた英・蘭・漢三語 対照の辞書を友人から借りて筆写している。1865(慶応元)年には,勝安芳から英華辞典

を借りて筆写している。彼がモリソン原著の「古今万国綱鑑録」に序文を寄せた因縁はこ こにもあると思われる。

 幕末,中国在住のプロテスタント宣教師による漢文の著訳書が日本に舶来し,密行して いたことは前述の通りである。敬宇がこれらの一部を読み,キリスト教について幾分かの 知識をもっていたとして不自然ではない。開国論者でもあった。開国した場合,キリスト 教に対する不安についても,前進を主張して反駁している。

 慶応2年10月,彼は幕府遣英留学生の取締として12名の留学生を率いてロンドンに出向,

同年12月末ロンドン着。彼はイギリス留学中に,「自由の権,公平の法,上帝の道,天下 と公享して共に用いんことを期す」そういう理想的な人間を観,とくに,彼の理想国イギ リスの根底をなすものとしてのキリスト教に魅せられたのであった。王政復古のことがあ り,1868(明治元)年6月,帰国した。

 明治元年10月,静岡学問所教授,同4年,「西国立志編」の刊行,同5年,「自由の理」

刊行,大蔵省醗訳御用仰付けらる,同6年,同人社を設立,同志とともに明六社を結成,

同7年12月,カナダ。メソジスト宣教師G.カックランより受洗,同8年,訓育院設立の        そげん

運動を始む,同年11月,「訓点 天道湖原」の刊行,その後は東京大学教授,元老院議官,

東京市会議員,女子高等師範学校長,貴族院議員等を歴任した。 (註7)

 以上,中村正直の伝については,主として高橋昌雄著「中村敬宇」による。

 彼が「古今万国綱鑑録」の序文を書いたのは,明治7年5月で,受洗の凡そ半年前であ

る。

 筆i者が,「古今万国綱鑑録」をめぐる人々と題して記述した所以は,当時この書の成立 をめぐって,進歩的な漢学者,英学者,ジャーナリスト,キリスト教信者,アメリカ人な どの交遊があり,これを辿ることによって明治初年の風潮を認識したいということにあっ

た。

 つぎに,綱鑑録によせた敬宇の序文を摘記しよう。

      ツクリ

 「無所争子之ガ序ヲ為テ日ク,鳴乎,人類ノ自ラ天良二違ヒ,罪戻二陥イルヲ致ス,何      ヨゾ其レ誰昔自リシテ然ルヤ,亦何ゾ其レ万国一轍二出ヅルガ如キヤ」と,(註8) ついで 漢土の史を批判して,「巻ヲ開ケバ則チ戦闘殺獄ノ史ナリ……人ヲ殺ス飴ノ如キ者,好賊 鬼鍼ノ如キ者,淫虐荒乱ナル者,歴歴巻冊二相望ム」と, ついで「我邦ノ史ヲ観ルニ…

…巻ヲ開ケバ則チ戦闘殺獄ノ史ナリ……兄弟位ヲ争ソヒ,臣僕主二抗シ……刑賞乱レ,善       カ

悪渚シ,人民塗炭ノ苦ヲ受ケテ,始メテ肩ヲ徳川氏ノ禍乱二戴チ太平ヲ致スニ憩フ」と,

(9)

満井:英国模礼稼著「古今万国綱鑑録」について 9

ついで西方破を論じて,「糠ノ故ヲ孜ルニ,神範艇ヲ造ル_謁醜リテ其弟

       ナ

      ノアヲ殺ス・ソノ後世人悪ヲ作ス貫盈・…・・神洪水ヲ地二汎濫セシメ億兆ヲ蕩滅シテ,独リ椰亜        グリ クロ マノー族ヲ赦ス,然ルニ人民ナホ天良二遵カハズ自ラ罪過ヲ躇ム,希縢羅馬以下ノ史ヲ観

レバ戦闘殺鐵ノ事ヲ除ケバ其ノ記スベキ者,蓋シ鮮ナシ」と,つぎに彼の信仰について,

「人ハ神ノ造ル所タリ,而シテ人ハ自カラ本善ヲ失ヒ,愈々久シク愈々迷フ,来リ救フ者

     ヨ      イツクンゾ

有ルニ非ル自リハ・其レ烏能ク義罰ヲ免ル・ヲ得ンヤ……明神招竪ノ下,志行完全,毫髪 ノ議ス可キ無キ者,古今実二是ノ人有ル無シ,悔改シテ上主二仰頼スルニ非ル自リハ,其

 イツクンゾ

レ烏能ク罪過ヲ購ナツテ公義ト称セラレ,以テ生命ノ道二進ムコトヲ得ンヤ」と述べてい る。ついでこの書の読後感に及ぶ,「ソレ試ミニ此書ヲ読ミテ古今万国既往ノ事ヲ察スレ ハ・古昔人民多ク不良ヲ行ナビ殺獄ヲ好ム,教道日二盛ナルニ及デ,人民学問二進ミ,器 芸二精シク,本末叙有リ,先後倫有リ,得テ紫ル可カラザルヲ知ル,但此書往古二詳シク テ・近今ヲ略ス」と。当を得た批評で,この一語によって本書の性格の根本が明示されて いる。キリスト教を以て人類の進歩幸福の根基とするもので,前述の彼の信仰と一致して いる。彼がこの書に序文を寄せた所以であろう。ついで近今について,彼の見解を記して        ママいる,「西国翰近ノ史ヲ察スレバ,間戦闘殺獄ノ事有ルヲ免カレズト難モ……学問器芸日

二進ミ日二新タニ,青年業ヲ勉メ白首道ヲ楽ミ,風俗粋美,比屋封ズ可シ……英徳ノニ国       ノゾ(筆者註,英独と同じ), 老人ノ寿命年ヲ逐ヒ長キヲ加フ,教道ノ人心ヲ安慰シ,憂愁ヲ:怯      アタ

キ,快楽ヲ予フルノ功致二由ルニ非ルハ無キヲ知ル」と。近今は完全とは言えないが,教 道の行われることによって幸福になったとしている。

       ヒト  更に将来を考察して,「年代ヲ経ルノ後,人類ノ天良復シテ,罪華除キ,万国均シク福

    イタ

祥ノ域二捧ル,其レ庶幾ス可キカ」と結ぶ。この結語は,本書第三巻の末尾の文と意を同

じくしている。 (註g)

4 本書の性格

 本書の性格の基本については,中村正直の序文で,これを観ることができたが,この章 では,本書の本文について考察したい。

 (1) キリスト教的(新教主義)摂理史観

 本書を一貫して流れる最も大きな性格は,そのキリスト教的摂理史観であり,とくに新 教伝道の色彩が強いことである。従来のキリスト教(旧教)を天主教として排し,その僧 を愚僧とし,新教(天主教に対して耶蘇教とよぶ)を正教,真神の道としている。綱鑑録 という題名も,儒教流の表現ではあるが,その真神の道を以て綱鑑としたものである。

(10)

 10      茨城大学教育学部紀要 第十九号

     イヅレイル      イエ−コブ      ヨゼプ

 巻一 「以色列民ノ史」に,「耶寄伯十二子有リ……約色弗甚ダ聡明,故二兄輩之ヲ恨

      メ−スル      キゾク

ミ,之ヲ売テ奴トナシ,麦西国二至ル,約色弗憲ノ家二住ス…主母邪淫…約色弗惟々真神ヲ

       タスク       ヨゼフ

敬畏シ肯テ姦ヲ行ハズ,真神保祐シ慧智利達ヲ賜フ,約色弗麦西王ノ之ヲ召スヲ蒙ル…

バ  カ  セ       ヨウシヤシ

国柱大学士ト為ス…約色弗寛貸…親族ヲ招テ麦西国二寓セシム,天道善二福シ淫二禍ス…

真神ハ天ヲ治メ地ヲ理ムルモ亦是二由テ之ヲ言フ」と。

   モーゼス      tノノキ   ツツシミシタコフ

 また摩西の十戒を記したつぎに,「夫ノ民律令ヲ奉スルノ時,心驚キ肉跳り,肯テ凛遵ス,

バカラズ   ヲシヘニソムク

期セズシテ背逆シテ像塑ヲ造ル,此二因テ真神厳二刑罰ヲ行フ…民中ノ悪徒党ヲ結テ摩西       アクF  タチホロボス

ヲ珠セント欲ス,其人ト為リ理ヲ窮メ心ヲ正シ己ヲ修ム,故二真神…匪徒ヲ珍滅ス」と。

 これらは聖書の話と相応ずるものである。

 メ−スル      ツヵサヤク

 「麦西国史」に,「五晶ノ魁ヲ僧トナス,権ヲ弄シ国ヲ治ム,天地神祇物類ノ管ヲ有ス,

      アザム        オキテ 迷ヲ執リ,牛猫鰯魚,卑キ物件ヲ崇ミ,以テ神明トナス…百姓ヲ誘キ真神ノ聖律令ヲ犯ス

      アヤeリタガフ

ニ及ンデハ,皆錯了ス」と。古代エジプトの多神教を排している。

 「英雄期」で,「希縢ノ人…其英雄天ヲ驚カシ地ヲ動カスノ情ヲ作ス,武功無数,後詩        アツ翁(筆者註ホーマー)之ヲ纂ム,古ヲ稽フル者信考シ難シ…英雄没後,人々之ヲ称シテ菩薩

ト為シ,後世之ヲ拝スルニ及ブ,量迂誕ナラズヤ」と。古代ギリシァの神話,多神教を否 定している。

  マセドン         アレキサンドル

 「馬基頓国史」に,「亜勒山大王…只心ヲ,名ヲ沽リ誉ヲ遽ルニ留ム,天下ヲ有スト難       マタタクウチニキエウセル

モ心猶未ダ足ラズ,但繁華ノ世界眼ヲ転シテ空ト為ス,真神之ヲ興シ,真神亦之ヲ廃ス,

王崩ス及ヒ王ノ栄威モ尽タリ」と。アレクサンダー大王の命運も真神の摂理によるとして

いる。

      ポ−ル

 巻二 「耶蘇門生耶蘇ノ教ヲ伝フ」に,「保羅…遂二羅馬ノ京二詣リ,久ク居テ耶蘇ノ 道ヲ伝フ,貴賎各々服信スル者有ルナリ」「此際二当テ諸門生四散シ,遍ク耶蘇ノ道理ヲ 宣ブ,耶蘇死後三百年,羅馬皇帝教二進ミ…其異端衰フ,此ヨリ以来民人菩薩ヲ拝セズ…

      ヲコラ

羅馬国ノ哀ルニ及テ,聖賢ノ教師作ズ…風俗頽敗シ正教廃セリ…聖神ノ偶像ヲ設ケ之ヲ崇       カシラ拝スルニ及ブ,及ヒ此異端ノ魁,羅馬京都二住メリ,故サラニ之ヲ羅馬教ト称ス,漢ヨリ        ナ元二至ルマテ,教師詞章ヲ記諦シ,一切以テ功名ヲ就スノ説ヲ習フ,此ノ如ク世ヲ惑ハシ

民ヲ謳ヒ,仁義ヲ充塞スル者,又紛然トシテ其間二雑出ス…而シテ壊乱極ル,人聖経ノ美 言ヲ学バズ,道二迷フテ而シテ亡フル哉」と。

 ここに初めて旧教を否定し,聖書中心の新教主義を打出している。

 「羅馬国史一皇帝紀」に,コンスタンスチヌス皇帝のキリスト教公認(A.D313)につ        コンスタンチ

いて,具体的に説述されている。「公膿廷,晋ノ永嘉元年二当テ位二登ル…名以テ義ヲ制 シ,義以テ礼ヲ出シ,礼以テ政二体シ,政以テ民ヲ成ス,是ヲ以テ政成テ而シテ民聴ク,

(11)

      満井:英国模礼藤著「古今万国綱鑑録」について         11        カララ

既二菩薩ノ理ヲ廃シ,耶蘇教門ノ師ヲ召シテ交接ス…此ノ時二当テ異端ノ魁甚タ国ヲ乱ル 皇帝議会二召シ(筆者註,ニケーア宗教会議か),許久争論シ道理ノ義ヲ定ム,耶蘇ノ徒等 難ヲ避ル後,隆興旺相ス,遍天下殿堂ヲ建ツ,義学ヲ開キ教フルモ妨ケナシ…庶民仮神菩 薩ヲ棄テ,真主真神二悦服スルニ及ブ」と。

 「巻ご」の未尾から「巻三」にかけての新教興起の記述は生彩に富む,以下これを摘記

すれば,

巻三 「英吉利国史」に,「一百年先二英吉利国二聖人有ル在リ,教テ日ク,聖録以テ信ス可     ミナ

シ…聖録一概二乃チ真神ノ黙示,用ヒテ以テ教訓シ,謎責シ善ヲ責メ義ヲ伝フル有リ,真

 ヒ}ヲシタテル        クニmトバ

神ノ人成ルヲ致ス,全ク万善ヲ備フ…故二之ヲ本話二訳シ,諸民二教へ謹テ之ヲ読シムル ナリ」と,さらに嫁聚を禁じ,食肉を戒しめているのは世俗教師の異端鬼迷の術であると 述べ,「蓋シ真神ノ造ル所ノ物若シ感恩ヲ以テ之ヲ享レバ則チ善ナラザルハ無シ」と説い

ている。

巻二 「邪ヲ改メ正二帰スルノ史」に,ルターの宗教改革が述べられている。「耶蘇人ノ 罪二代テ命ヲ禍ツ,人ノ罪ヲ滅シ,人ノ義ヲ推ス,真二耶蘇教ノ根基トナス,而シテ此道       カ−Sラ

ヲ信ゼザル者,実二教二進ムニ足ラズ…惟天主教ノ魁,已二此道理ヲ除キ,聖人ノ功ヲ設 ケ人ヲシテ各聖人ヲ拝セシム…故二此耶蘇ノ功績廃セリ,明朝武宗ノ正徳十年二当テ,天        フダ主教皇隠修道士ヲ差シ,票ヲ帯ヒ道ヲ宣ブ,各人ノ犯罪…此票ヲ質フテ以テ罪ノ赦ヲ獲ベ シト,愚民各人悦テ其救票ヲ買フ…善人憂へ君子悶ス,故二真神隠居修道ノ人ヲ発シ,名

 リユトル

ヲ路得ト日ウ,耶蘇ヲ敬畏ス,真実忠信ニシテ昼夜祈濤ス,且聖神其心ヲ臨照ス,遂二公 然ト宣ベテ日ク,人罪ヲ赦フ能ハズ,惟真神能クスルアリ…赦票皆無益ト為スト…教皇怒

   トホ

リ天二沖ル,下諭シテ之ヲ棄絶ス,路得諭帖(破門状のこと) ヲ将テ之ヲ澱キ,即チ書ヲ 纂シ教ヲ天下二敷ク…庶民之ヲ聴キ教師之ヲ怨ム,皇帝掩理号第五(チャールス5世のこと)

ナル者,阿理曼国(ドイツ帝国のこと)ノ列君ヲ召シ,諭シテ路得ヲ掌シ,其道如何ヲ訊問

  ココス…抑二救世主耶蘇謄ヲ加へ,明カニ其伝ル所ノ教ヲ説ク…衆皆之ヲ景仰ス…皇帝下諭シ テ云ク…此異端ノ魁ヲ殺ス可シト,惟・tz va得危ヲ避ク…隠テ衛内(サクソニヤ侯の城内をい う)二駐ル,聖経ヲ訳シ(聖書のドイツ語訳をいう)…恒二少年ヲ教訓ス…此ノ如ク耶蘇ノ 聖道復タ興ル,俗人醒悟シテ正二帰シ,天主ノ教二背ク,且聖経ノ伝ヲ奉ス,各国勇躍シ

テ邪ヲ改メ,速カニ文字学問ヲ興ス,学校風俗ノ盛ンナル,諸族二超越ス」と。 (註10)

 新教の興起によって,邪を改め正に帰し,新しい教育・文化が創造されることを説いた ものである。

 「新法子」の内容は,キリスト教の教旨に副うて,ルネサンスを叙したものである。

「人学ハザレバ器ヲ成サズ,文章広運ナレバ,則チ天下合和ス,故二真神蒸民ヲシテ之ヲ

(12)

12 茨城大学教育学部紀要 第十九号

教ユ,制作明カニ備バリ,礼楽ツブサニ挙ク,声教四達,万世欽仰ス」と。

巻三 「法蘭西国史」に,カルヴィンの宗教改革を述べている。「明ノ武宗正徳五年二当 テ,聖人生ル,幼年ヨリ学二進ミ成丁ス,学問人頭二出ツルナリ,一タヒ国ノ道理乃チ異端 ナルヲ看ル,士民党ヲ樹テ…義ヲ犯シ世ヲ惑ハシ民ヲ誕ユ,且ツ教主已二罪魁タリ…正ヲ融       ヨルトコロソケ邪ヲ崇ブ…此二聖人謹テ聖書ヲ読ミ,其異端ノ愚拠ヲ見ズ,故二此二力ヲ効シ其左道        フランス  スウイスヲ駁詰ス,自ラ善書ヲ撰ム,煙煙タル大訓世道タル所以ナリ,法蘭西,瑞西等ノ国民…遂

二異端ヲ拙ケ且ツ正学ヲ崇ブ」と。

 カルヴィンは1509(武宗の正徳6)年7月10日生,ここにいう聖人とはカルヴィンであ

る。

 ホルランド

 「荷蘭国史」に,オランダの独立,その新教主義がのべられている。「宋朝年間,荷蘭       ツグ帝君在リ,但士民堅ク自主ノ理ヲ執ル,阿理曼皇帝掩理号第五,此国ヲ嗣接ス…位ヲ譲

         ワタ       フイリツプ

テ此国ヲ以テ其世子二交ス,即チ西班牙王非立号第二(フィリップ2世のこと)ナリ,王…

其正教ノ徒ヲ絶サントシ…荷蘭国ヲ撃ツ…庶民抵揃セザルヲ得ズ,維ノ時国侯(オレンヂ

       キリヨウヒロクジヨウアツシ       スクナ

公ウィリァムをいう)有リ,大量隆情……恭謹ニシテ言フコト鮮シ,自ラ国軍ヲ領シ…真神       サイワイ        カギリ

ヲ仰キ藩テ日ク,真神此民ヲ輔翼シ,祉祐ヲ賜ヘバ感激涯無シト,遂二国家ヲ鎮撫シ,百        ガツペイ

姓ヲスス喋国ノ七鎌合シ泊主理ノ政ヲ為ス唄国ノ南省ノ居民湛ダ天主教ヲ執

テ荷蘭ノ民ト対頭スルナリ」と。ここには,新教と自主理の政(自由・民主々義)との結 びつきが説かれている。

        ア メ リ カ

 巻三 最後が「亜墨理駕列国ノ史」である。スペインの殖民,アメリカ合衆国の独立を 記述している。 「亜墨理駕ハ大地陸タリ,…西班牙始テ通ス,…其土番無道,故二西班牙

ノ提督コレヲ降服ス」と,ここにはヨーロッパ優先の筆致がうかがわれる。ついで,「英 国船ソノ北方二到リ,荒地ヲ開キ眠ヲ移ス,且ツ英吉利ノ良民,苦二遭フニ縁テ此野地二 逃レ,邑ヲ建テ田ヲ耕ス,此ノ如ク正教ノ徒数万,コノ地方二搬移ス,及ヒ新国基ヲ創立 ス…居民正教ヲ執テ真神ノ律例ヲ以テ終生ノ法トナス,耶蘇ヲ恭敬シ,制度二凛遵ス,此 制度ノ大略,聖経二載スルナリ」と記し,ついでキリストの教訓を詳述したあと,「乾隆

      ネン「f      ネング

三十七年,英吉利国家税敏ヲ加フ,庶民悦バズ,若シ自主シテ納餉ヲ定メザレバ肯テ財ヲ       ナヤマセル掲テザルナリト…英吉利王兵ヲ発シ国ヲ征シ,百姓ヲ磨難ス…民虐政二服セズ,国ノ尊貴 ナル者ヲ択ンデ公会ヲ為シテ国政ヲ摂ス,カニ乗ジテ英吉利ノ軍ヲ駆逐ス,乾隆四十年此 自リ以後,此国自主理ノ政ヲ操ル…国ノ各省兼ネ合フテ列省ノ統治トナル乾隆四十年…国       クライ

主民二選マ被ル,或ハ四年或ハ八年,大統ヲ承接ス,各省公会ヲ設ク,且此ノ公会ノ尊貴        タガ

人,国ノ大統会院二赴キ国事ヲ商量妥議ス…弁例毫モ差ハズ」と。アメリカ合衆国の独立 その民主政治を謳歌している,ここには,最も明白に,プロテスタンティズムと近代民主

(13)

満井:英国模礼藻著「古今万国綱鑑録」について 13

々義との結びつきが説かれている。

 「民ノ異国二過クル所以ハ其聖録ノ情ヲ聴キ行作ヲ遵服スル為ナリ,財ヲ摘テ聖書ヲ印          ツカハス…毎年耶蘇ノ教師ヲ差シ,天道ヲ以テ異族二伝フ,普天下ヲ教化スルヲ致ス」と。アメ

リカの新教宣教師の海外における伝道活動を掲げている。これはモリソン自身が中国にお いて米人宣教師の活動を知っていたからの体験を物語るものであろう。

 ついでスペイン属領の独立を記し,「西班国,法蘭西ノ管二帰ス,其民乱シ,忽然自主 ノ理ヲ好ミ,肯ヘテ遠主二服事セズ…是二由リ列新国興ル…此地方ノ居民皆天主教ヲ崇ブ  愚僧更二多シ」と。イスパニヤ属領の自主の理,独立には賛意を表する筆致であるが,

       o 天主教をきびしく折けている。

 「亜墨理駕列国ノ史」の結尾は,同時にこの書の結語でもある。 「昔地荒野,今民繁多 大清年間(清朝時代のこと),普天遍地改変セリ,異族教化シ新国創立ス,庶民学二進ミ新        アハレミ

  ツクル

物ヲ製造ス,真二諸国ノ大変ト謂ツ可キナリ…耶蘇諸族ヲ体憶シ,異族類ヲ教化シ,邪ヲ

       モシ       サイハイ

棄テ正二帰シ 篤ク天道ヲ信セシメントス,個万民教二進マバ,則チ池吉福履ナリ,万国 威寧シ」と。

 ここにはキリスト教,とくに新教主義的摂理史観が明白に表現され,「万民教二進マ バ」将来万国はみな幸福であろうと結んでいるのである。中村正直の序文の結語と相通ず るものがあることに注意したい。

 (2) 自主の理,即ち自由主義的論調

 本書の性格として,すでにωにもふれたように,自主の理,即ち自由主義的論調が強い ことである。

 つぎに,これを摘記したい。

ts_「糖 謙節軍繕蘇コに,「波斯族…灘自主ノ族ヲ征セント欲ス…希

      モノヲモツテマジハル騰ノ列国和ヲ講ジ,カヲ端シ送礼スレドモ免ルヲ得ズ,乃チ日ク我力列国自主ノ理有リ,

死ヲ籔シテ去ル勿レト,周ノ敬王二十四年二当ル」と。ここにギリシァの自由を掲げ・アジ アの専制をしりぞくるの筆致を見る。

  ロウム

 「羅馬国史」のローマ建国を述べたところに,「民自主ノ理ヲ好ミ,且ツ王ヲ怨ム,王 七位シ国ヲ治ムルノ後,民之ヲ逐フ,此ヨリ以来,王ソノ国ヲ治ムル無キナリ,…自主ノ       キゾク

民,自主ノ理ヲ亨ント欲シテ王ヲ逐ヒ自ラ権ヲ操ルニ及ヘリ,羅馬国両品アリ,一ヲ爵ト       カシラ日ヒ,一一一一・ ヲ良民ト日フ,毎年両位ヲ公択シ摂政ヲ致ス,マタ首領十位アリ,良民ヲ治メ,

       サカ及ヒ其自主ノ理ヲ保ツ…政ノ興ル所ハ民心二順フニ在り,政ノ廃スル所ハ民心二逆フニ在

リ,羅馬王民ノ心二逆ヒ,ソノ政廃スルニ及フ」と。ローマの共和制をたたえている。

      ラン末尾に,カルタゴについて,「其民甚ダ暴虐貧禁刻薄,願テ菩薩二服事シ」との記述があ

(14)

14 茨城大学教育学部紀要 第十九号

る。

  「長者羅馬国二覇タリ」には,ポンペイウスが,イスパニア,ユダヤ,エジプト等を征       ミ服して凱旋すると,「歓声道二載ツ,民…自主ノ理ヲ好ムト難モ,然レドモ之二悦服ス…

カイサル      フランス イギリス  ドミン       ポンペイ

榿撒ハ英雄豪傑…仏蘭西英吉利ノ土番ヲ征服…本国二返リ播浦将軍二対頭ス,良民日ク,

此ノ英傑ノ士来テ我ヲ救フト」,ついでシーザーがポンペイウスを倒し,「此レ自リ以来       キゾクノカイ

憧撒天下ヲ有ツ,大二権勢有リ…一日国ノ爵会二赴ク,人自主ノ理ヲ愛スル者アリ,之 ヲ刺ス」と。自主の理を推しているが,シーザーについて「治国ノ政法事トシテ通ゼザル       アフギノゾム

ナク…今世二連リテ之ヲ景仰シ,老幼之ヲ讃セリ」と記し,シーザーの治績をたたえ,つ       オクタビス

いでオクタヴィアヌスがアントニウスを敗って,「屋大唯天下ノ独主トナル,故二権ヲ操 リ,御位二登リ,羅馬国ノ皇帝トナル,是ヲ以テ自主ノ理廃ス,其民コレニ遵フ,及ヒ 国平安,蓋シ真神コレヲ挙グレバ則チ諸国コレヲ望ム漢ノ成帝建治二十年間二当ル」と。自 主の理を絶対とせず,真神の摂理を絶対視する神聖史観がでている。

      ヨハンワルサカシイ  巻二 「英吉利国史」に,ジョン欠地王(1167−1216)について,「約翰妊狡,強暴ノ        ナヤマス

気アリ…教師ヲ磨難ス,故二此ノ羅馬教皇帝,英吉利ノ民ヲ棄絶シテ,百姓真神ヲ拝ス可 カラズト,諸殿堂ヲ関閉ス…王奈何トモスル無シ,只曲従シテ貢ヲ進メ教皇二奉スルヲ得 ルナリ,五爵士民遂二強シ,王自主ノ理ヲ以テ百姓二賜フ,コレヨリ以後,英吉利ノ民薦

        ミツギ      ソウダン

神先生ヲ択テ国政餉ヲ納ルノ情ヲ商議ス,且ツ律令ヲ立テ以テ国ヲ治ムルナリ」と。これ は所謂大憲章成立の事を語ったものである。

 巻三 「法蘭西国史」に,フランス革命を叙している。

  ロイ       ヲゴル

      アメリカ

 「瑚義号第十六(ルイ16世)位二登ル,乾隆三十九年…皇后驕傲ナリ,亜墨理駕国二在ル      タミ

英吉利国ノ眠叛ス,法蘭西王兵ヲ起シコレヲ助クルナリ,国家既二奢修,国幣銭ナシ,其       ケツボウ倉虚シ…王国ノ尊貴ヲ召シ議会ス,如何ニシテ国ノ鉄ヲ補フ可キナリト,…其尊貴ノ者,

王ノ権ヲ減シ,王位ヲ易ント欲ス,王乃チ逃ケ去ル,民コレヲ引テ回ル,コレヲ監内二禁        オロカス…愚民自ラ顧惜セザルナリ,人君ハ愛養ヲ以テ政ヲ為ス…シカレドモ蚤蛋ノ衆,毎二生     スギサル

ヲ軽ンジ…夙昔ノ雛ヲ起スニ至ル,即チ禍一朝ノ愈二生ス……庶民党ヲ結ヒ,…王ヲ除ク ナリ,王ヲ審判スルノ後死罪ヲ定テ首ヲ斬ル…此等ノ暴虐ノ行ヒバ,異国ヲシテ安カラザ ラシム,…外民仏蘭西ヲ征服ス,此民甚ダ自主ノ理ヲ愛ス,勇敢ニシテ諸国敵二抵揃ス…

       ワルモノ

民ノ公会殺ヲ嗜シム,斬首ノ機関ヲ製造シ,毎日斬首…国政ヲ摂スルノ匪徒,血二厭カズ,

自ラ人ヲ殺スヲ嗜シム」と。

 革命の歴史的意義には論及していない。暴虐を悪むことは,キリスト教宣教師として当 然であろう。しかし,自主の理は推している。パーレーの「万国史」の記述と通ずるもの

がある。

(15)

      満井:英国模礼菰著「古今万国綱鑑録」について      15       モF  7月革命(1830)については,「掩理号第十(チャールズ10世)…民ノ誉レヲ干メズ,

  ツクル      ロイフイリツプ

…書ヲ撰ムヲ厳禁ス,故二此ノ庶民王二背叛ス,瑚義腓立(オルレアン家のルイ・フィリ ップのこと)ヲ置テ王ト為ス道光十年」と記す。

     イギリス       ジヨルジ

 巻三 「英吉利国史」に,アメリカ合衆国の独立について,「若耳治号第三(ジョージ 3世)乾隆二十三年二当テ位二登ル,仁ヲ以テ恩トナシ,義ヲ以テ理トナシ…国家興隆ス・

不幸ニシテ王民ノ自主ノ理ヲ知ラズ,亜美理駕列藩ノ属国二餉ヲ入レシム,是ヲ以テ其民       ト

反叛シテ新国ヲ立ツルナリ,民自主シテ権ヲ操ル」と。

 ついで,イギリスの印度統治を述べたあと,耶蘇の教を景仰する文をあげ,「英吉利ノ

シンコウノヒト

信士コノ道ヲ取テ之ヲ安ンジ承ク,志ヲ立テ広クコレヲ列国二伝へ,コレヲ異族二教ユル ナリ,故二集会シテ友ヲ結ヒ,教師ヲ遠国二差ハシ,訓ヘヲ異族二致ス,勧メテ偶像ヲ棄 絶シ,救世主耶蘇ヲ凛信セシム…毎年英吉利ノ民摘ツル所ノ財,共二計ルニ数十万金ナリ

      セン    シキツラネ      タコクノゴ

…勧世文ヲ撰著シ…マタ名籏題会ヲ排聯シ,聖経ノ本ヲ加増ス,聖録異話ヲ訳シ,コレヲ        ヨミ普天下ノ諸民二伝フ…此等ノ作行嘉ス可キナリ」と。モリソン自らを含めてイギリス人の 海外宣教活動をたたえている。

 フランスの神学者ボシュエ(Bossuet,1627−1707)が,歴史は神意の発現であり,神意 はキリストの神国の実現にありとしたが,彼のいう神国はカトリック教会であり,その結 果,アラビア人を野蛮人の集りとし,欧州のみを扱って東洋を無視したものとは性格を異 にする。 (牧健二「西洋人の見た日本史」参見)

 (5) 中国思想との調和

 この書は中国人を対象として書かれたものであるから,新教伝道の効果をあげるために は,中国思想との調和がはかられているのは自然であろう。このことは,明末,耶蘇会の 宣教士が採った態度と相通ずるものがある。

 すでに(1)及び(2)のところで,中国思想との調和について触れているが,改めてこれを概 言したい。

 万国綱鑑録という題名そのものが,儒教流(とくに朱子学系)である。 「資治通鑑」

(宋の司馬光撰),「通鑑綱目」(南宋の朱子の撰),綱鑑易知録(清の呉乗権,周之燗の撰)と同 じ系統の題名で,歴史を鑑戒とする儒教的な立場である。

 紀年について観ると,本文はすべて中国の王朝名,その年号年数を記し,上欄にこれを 西紀に直してあげている。

 例一 巻二 「新地ヲ尋ネ見ハス」に,コロンブスのアメリカ大陸発見を,本文で「明 ノ孝宗弘治五年」とあり,上欄に,「千四百九十二年」と註している。其他すべてこのよ うである。ただし,西紀を註することによって,本文の紀年を訂正した場合もある。

(16)

 16      茨城大学教育学部紀要 第十九号         トルキ−

 例一 巻三  「都耳基国史」に,本文でトルコ族が,「勇猛大着謄,羅馬国ノ京都ヲ降        モハメットス明ノ英宗七年」とあり・上欄に「千四百五十三年,穆吟黙二世王…君上但丁城(コンスタ

ンチノープルをさす)ヲ降ス・実二明ノ景奉四年ナリ,英宗七年大誤」とある。景奉は景泰 の誤植である。このやうな訂正は,このほかにも散見する。

 中国思想,とくに儒教との調和については,巻一 「英雄期」に,「兄弟五倫ヲ重ンゼ ズ,仇ヲ結ブ,紛々トシテ外兵ヲ召ス,尽ク相諌セント欲ス」と。

 巻二 「羅馬国史 皇帝紀」に,オクタヴィアヌスによる統一を叙するところに,「群        フルイツトメ臣天下ヲ呑マント欲シ…権ヲ弄シ乱世ヲナス,諸英傑奮勉,諸敵ヲ滅スノ業,天下一統タ

       アハ      ミナ

       ベンリリ,黄帝ノ賢アリト監,井スル能ハザルナリ,鳴呼其将軍威,所謂仁義ハ大便ノ便ナルヲ 忘ル」と。

       ニン

 同じこの章に,「後漢帝年間二当テ,国民混乱…三十位権ヲ弄シ,自ラ皇帝ト称ス…天 二二日無ク,民二二主無シトハ,天下以テニ君ナル可ラザルナリ,是世三十アルヲヤ 国 賊権ヲ操り,士民奈何トモスルナシ」と。これなどは,真神の道と儒教倫理との完全な一 致となる筆致である。本書のはじめに,モリソンの原著には,帝尭帝舜紀があったと記し ている(柳沢の撰文)。このことも両者の調和という観点からのものであろう。

 この点について,同じ新教の宣教師である謝衛楼の「万国通鑑」とは趣を異にするよう

である。 (註11)

 尚この書は平和主義で,暴虐や権を弄するの徒を排しているのは,今更いうまでもない。

 付記 「万国綱鑑録和解」について

 英国模礼萩著,日本東陽大槻誠之,益軒渡約郎同訳 「万国綱鑑録和解」(内閣文庫 蔵)は,和本,4巻4冊,明治7年8月新刻,何不成社蔵梓である。これには,大槻磐漢 の題詞に,「明目達聡」と書かれ,大槻磐漢という印がおされている。

 同年同月付の大槻の例言に,此書は何人の記述か不明であったが,岸田氏日く,さきに        マ チ

余支那に遊遇し,この史書を坊問に得た,華人に質ねたところ,これは往年英国の学士モ リソン氏香港に来り,学舎を開き,学徒のためにこれを編成,門人輩これを訳して刊行し たとのことであったと。また自分は,岸田氏と共に米客ブエンリードのもとに行ったが,

ブエンリード氏の話すところは同じであった,さきに清本に訓点を旋し,翻刻施行したと

(これは大槻訓点の古今万国綱鑑のこと)。 したがって, 「古今万国綱鑑録」と「万国綱 鑑録和解」の原書は同一である。(註12)

 また,大槻の序文によれば,「古今万国綱鑑録」に標記した西暦紀元は塚本明毅による ものであり,和解にはこれを本文中に記載して,漢の年号を捌除したのは簡易を旨とした

(17)

満井:英国模礼蔭著「古今万国綱鑑録」について 17

からであると。

 両書を比較すると,和解の巻4は「西班牙国史」までで,以下は省略してある。その叙 述も両者ではニュアンスのちがいを見る。例一「羅馬国史,皇帝紀」に和解では「群臣天       フルイツトメ

  ヘイドン

下ヲ呑マント欲シ…権ヲ弄シテ乱世ヲナス…諸英傑奮勉シテ諸敵ヲ滅ス,業ヲ営ムコト天 下望タリ,a帝ノ賢アリ離モ之癖ス能ハザ・レナリ儲英傑ヲ鮪スルコ灘キヲ謂

フ〕」 とあり,訓点本よりも親切であり,わかりやすい。文章もややちがった点が見られ る(傍線の部分)。

 「日本キリスト教文献目録 明治篇」には,「外国史略」馬礼遜(R・Morrison)著・叢  書,小方壼斉輿地叢鋤ノ内,とあるが未見である。

 幕末キリスト教禁止のもので,伝道書としての性格の強い本書が日本に密行し,キリス ト教の解禁とともに,日本人の手によって,訓点本として,和解として刊行されたという ことは,近代日本におけるキリスト教,とくに新教発展史に点める歴史的意義がある。

 それとともに,ヨーロッパの自主の理を強調していることは,新教という性格から当然 ではあるが,当時の日本人に民主主義をより理解させる一役を荷ったものとしての意義が

ある。

 またこの書は,訓点本も和解も,自分の意見をぬきにして,原文とくに,キリスト教の 教義をそのまま記した(和解の大槻の序文)ことは,虚心に西洋文化を採り入れようとし た進取的態度を見ることが出来よう。

 本書の訓点本も和解も,正規な教科書として用いられたかどうか不明,しかし同人社,

修文塾其他で参考書として読まれたであろうことと推測される。

(註1)小沢栄一著「近代日本史学史の研究 幕末篇」,同「近代日本史学史の研究 明治篇」に万 国史関係の著書について論述してある。拙著「外国史の教育一一その史的研究」に明治初期から終戦

までの外国史教科書について述べている。

(註2)モリソン号事件とは,プロテスタント日本伝道の最初の試みであったモリソン号の来朝と同 船打払いに関する事件で,広東のアメリカ貿易会社オリファント会社は,日本漂流民7名を送還かた がた,日本開教の機を伺うため,1837(天保8)年,中国伝道の開拓者モリソンの名をつけた社船を 日本に派遣した。同船には宣教師P.Parker, S. W. Williamなどが居り,7月浦賀沖に至ったが砲撃 され,薩摩湾に入ったが,また砲撃され,むなしく引きあげた。翌年,渡辺華山,高野長英らはモリ ソンの来朝と誤聞し,幕府の外国船打払方策を批判,所謂蛮社の獄をおこした。華山らは,かねてよ

(18)

18 茨城大学教育学部紀要 第十九号

りキリスト教研究を行い,聖書回i涜をし,小関三英はキリスト伝の翻訳をはじめていたが,三英は手 入れ当夜自刃した。 (「キリスト教大辞典」P.1069)

(註5)ロバート。モリソンは,1824年,帰国の際彼があつめた数多くの中国の書籍をユニパー一シティ ーカレッジに寄贈している。John Robert Morrison(1814−43)は,モリソンの長男で,マカオに 生る。父の死後,東インド会社の特許権消滅後のイギリス政府による新組織のもとで,書記,通訳官 となり,アヘン戦争後は香港政庁に属して活動,香港で没した。(Dictionary of National Biography,

P.1008)

(註4)「地球説略」は,寧波在住のアメ・リカ人宣教師樟理哲Richard Quarterman Wayの漢文に よる編述,1856(安政3)年,寧波刊,「地理全誌」は,上海在住のイギリス人宣教師B.William Murihedの漢文の著述,1853(嘉永6)年,上海刊。(鮎沢信大郎「鎖国時代日本人の海外知識」)

(註5)1810(文化7)年,カメハメハー世によるハワイ全島の統一以来,合衆国人を主とする外人 居留者も増加し,1840(天保11)年には,ニューイングランドの宣教師たちの影響により憲法が発布 された。Van Reedはハワイに住むアメリカ人で,ハワイ政府から横浜領事に任ぜられたのではある まいか。

(註6) 同人社と柳沢信大との関係については,高橋昌雄著「中村敬宇」による。

(註7)「訓庶 天道湖原」は丁題良William A.P. Martin著である。「日本キリスト教文献目録 明治篇」

(註8)無所争子とは敬宇の別号である。「大人名辞典」中の井上哲次郎述に,敬宇はその名のよう に正直な人で,君子人であった。どういう人に対しても尊敬の念が深かったので,敬宇という号はそ の人に適切であった。また決して人と争う念がなかったので,無所争斎といったとある。

(註9)米人カッケンボス原著,岡千仮,河野通之共訳,明治6年刊のく米利堅志〉に寄せた中村正 直の序文に,アメリカ合衆国を以て現今唱道されているような世界連合の先駆とし,天下一国,億兆 の人民が一公法の下に統べられることは果して空想であろうかと述べられている。本文と共に,彼の 当時におけるキリスト教に立つ平和主義を伺うことができる。

(註10)佐伯好郎著「支那基督教の研究」(第4巻,P.・355)に,ローマ法王庁のキリスト教が,中 国で「天主教」又は「天主公教」と呼ばれているに対して,新教は南京条約(1842)の頃から「耶蘇 教」といわれている。そめ理由一天主教がラテン語のデウス(神又は上帝)を音訳して「斗撃爵」

とし,更に語音が「斗宇斯」に近い「天主」をデウスの訳語として公式的に決定し,「デウス」即ち 天主と強調した。そこでローマカトリック教は漢字使用の東亜諸国では「天主教」として明末清初か

ら広く呼称された。新教宣教師は彼等のキリスト教をこれと区別するために工夫した名が「耶蘇教」

で,彼等の伝へんとするところは耶蘇の福音であり,ローマ法王絶対主義でないことを明かにせんた めであったと思うとある。

(註11)「万国通鑑」(原書は国立国会図書館,訂点本は東書文庫蔵)は,美国謝衛楼著,清国 超 如光訳,日本 岡千偲訂点,1882(光緒8)年付の超如光の撰文がある。謝衛楼とはD.Z, Sheffield

(1841−1913)の漢名である。所属教会はAmerican Board of Commisoner for Foreign Missons

(美国公理会),超如光は北通州公理会に属し,同系統である。岡千假は宮城県士族,その訂点本は

参照

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