学習障害の様相を持つ発達障害児の遊戯療法過程
椎 名 幸由紀*・相 馬 壽 明**
(1995年10月13日受理)
The Process of Play Therapy for a Child with DDs and LDs
Sayuki SHIINA and Toshiaki SouMA (Received October 13,1995)
1.問題および目的
学習障害児の主たる障害は,認知や学習面での障害や行動特徴であるが,二次的な問題として社 会的不適応や自己概念の悪さなどが挙げられる。また,このような学習障害児・者の情緒的問題に 対しては心理療法の有用性が指摘されている(上村他;1988)。それゆえ,学習障害児・者に対する 心理療法においては,学習障害の改善そのものよりも,学習障害に伴う情緒面の問題や症状の改善 が主たる治療目標とされる。
学習障害の基本的な障害は認知や学習面での障害であるから,学習障害そのものへの教育・訓練 的なアプローチが必須である。しかし,学習障害の改善は困難で,繰り返し訓練を行うことによっ て自信を失い,ますます自己概念が悪くなるということも考えられる。したがって,学習障害児に 対しては教育・訓練的アプローチと心理療法との併用が重要であると指摘されている(西;1989)。心 理的なアプローチを行うことによって学習障害そのものを改善することはできないが,自尊心を高 め,心的な成長を促し,情緒的な安定を得ることは可能である。さらにこうしたアプローチが学習 障害改善の動機づけにもなり得る。
学習障害児に遊戯療法を行った事例は,これまであまり報告されていないが,西(1989)は注意欠 陥障害・学習能力障害と思われる9歳男児のクライエントに対し,環境要因による情緒的な問題とし ての多動や,無気力を改善することを目標とした遊戯療法を行っている。西(1989)の研究では,約 1年間のセラピーによって,クライエントの多動が減少し,学習への意欲が高まるという結果が示さ れた。
以上のことから,学習障害児の二次的な問題である社会的不適応や自己概念の悪さなどを改善す る手立てとして遊戯療法を行うことは有効であると思われる。筆者は,学習障害の様相を持つ,あ
*茨城大学教育学部大学院教育学研究科障害児教育専攻(〒310茨城県水戸市文京2丁目1−1)
**茨城大学教育学部障害児教育講座(〒310茨城県水戸市文京2丁目1−1)
る発達障害児の心理的な問題である「障害に対する疑念(ここでいう「疑念」とは,自分はなぜ読 み書き等ができないのか,なぜそれらが改善できないのだろうかという対象児の気持ちを意味する)」,
「低い自己評価」の解決を目的とした,遊戯療法的アプローチを約2年間試みた。対象児が遊戯場面 で受容され,自由に活動することによって,これらの心理的問題を改善することを治療の目的とし て,現在も継続している。
遊戯場面の研究方法は,治療者が治療過程に見られる複雑で重要なストーリーを読み取り,各回 の記録をもとに治療理論に基づいて意味を明確化していくことが主である。しかし,このような 事例研究は,臨床場面では重要な視点ではあるが,常に主観的な見解に偏る危険性をはらんでいる。
そこで本研究では,事例研究の方法論的短所を補うために,遊戯場面におけるストーリーを読み取 る臨床事例的アプローチと並行して,チェックリスト法を用いて客観的に治療過程を分析すること を目的とする。
ll.方法
1.対象児(以下,本児とする)の概要
A・1:女児。筆者による遊戯療法的アプローチ開始時11歳10ヵ月,小学6年生。現在,13歳3ヵ月,
中学1年生。発達の遅れがあるため特殊学級に在籍し,普通学級に通級している。
本児は小学校中学年のころ,母親と外出したときに自分より小さな子どもを見かけると,「あの子 は字が読めるの?字が書けるの?」と尋ねたことからも,自分の能力について強い劣等感を抱いて いることがうかがえる。また,本児は,慣れない場や人の前では緊張度が高く,動きが堅くなり,自 己表現が思うようにできない。例えば,普通学級の中では,自分から他の子どもたちにはたらきか けることができず,「お客さん」のようにしている。さらに,年齢が上がるにしたがい,対人関係の 問題も生じてきた。自分より年齢の低い子どもにからかわれたり,泣かされたりすることもある。帰 宅した本児の髪が砂で汚れていたり,服にガムがつけられていたこともあり,仲間からでいじめら れていることが予想された。
本児については,すでに北脇(1992)が,「低い自己評価」,「貧しい自己概念」等の修正を目標とし た遊戯療法的アプローチを約2年間行った。その結果,遊戯場面で感情表出,緊張解消を示し,積極 的になったが,本児の深刻な心理的問題(障害に対する疑念,低い自己評価等)を解決するまでは 至らなかったことが認められている。このような心理的問題は,本児の長年の生活経験に基づいた ものであり,短期に解決できるものではなく,さらに時間をかけたケアが必要であると思われる。
2.実施方法 (1)実施手続き
本児に対する,筆者による遊戯療法的アプローチは,X年4月10日から茨城大学教育学部治療教室 にて始められ,現在(X+1年9月)も継続中である。1セッションは約1時間半で,2週間に1度 の割合で行っている。
② 本研究で用いる遊戯療法的アプローチ
本研究の遊戯療法的アプローチは,「個人遊戯療法」であり,「自由遊戯療法」および「非指示的 療法」の立場から行っている。なお,本事例では,並行母親面接も行われている。
(3)記録の方法
プレイ・セッションは,各セッションごとに治療教室における本児と筆者の遊戯場面をすべてVTR に録画した。また,VTR録画を用いて各セッションを要約し,それをケース記録とした。
本論文での分析資料は,これらの手続きによって収集された治療教室における遊戯場面のVTR録 画資料とケース記録である。
(4)分析方法
まず,全25回プレイセッションのVTR資料およびケース記録を用いて,治療過程の変化をみてい った。そして治療過程の中で治療的に意味があると思われる主要な項目を抽出して,チェックリス
トを作成した。チェックリストの項目は以下のとおりである。
A.攻撃性
a.身体的攻撃 b.口頭的攻撃 c.対物的攻撃 d.象徴的攻撃 B.治療者への直接的指示
C.治療者を模倣する D.遊戯場面における対話
a,治療者に関する話題 b.自分や家族に関する話題
ここで,チェックリストの項目について若干の説明を加えておく。rA.攻撃性」のra.身体的 攻撃」とは治療者に対する身体的な攻撃であり,その他の身体的ではない治療者への攻撃はrb.口頭 的攻撃」とした。また,本児は遊戯場面の中で治療者に対し,「…って言って」,「… やって」と いうような発言が多くみられた。それらはrB.治療者への直接的指示」とした。各セッションの中 で,「お化けごっこ」,「学校ごっこ」,「病院ごっこ」などのテーマが出現している。それぞれのテー マの特徴を理解するため,各セッションごとにそれぞれのテーマについて記録した。上記の項目に 示す特徴がとくに観察されなかった場合:無記入,目についた場合:○印,著しく目立った場合:◎
印で記録した。なお,観察者は筆者1名である。
皿.結果及び考察
全25回の治療過程は以下の5期に分けることができる。
〈第1期〉本児と治療者(筆者)がプレイセラピィの状況になじむまで。(#1〜#5)
〈第2期〉攻撃性と治療者の模倣が現れる。(#6〜#12)
〈第3期〉仲間はずれの「ひろし君」が登場する。(#13〜#17)
〈第4期〉中学校入学。自分自身のことを話すようになる。(#18〜#22)
〈第5期〉お互いにおしゃべりを楽しむ。(#23〜#25)
本ケース全体の流れを見て,治療的に意味があると思われる主要な変化は次のものである。
A.攻撃性が身体的なものから象徴的なものへと変化している。
B.治療者に対する直接的な命令が減ってきている。
C.治療者の模倣が増えてきている。
D.本人自身や治療者自身に関する話題が増えてきている。
この4点についてチェックリストを作成し,観察した結果を図式化したものが図1である。
第1期 第2期 第3期 第4期 第5期 期
?レ 回 1〜5 6〜12 13〜17 18〜22 23〜25
a身体的攻撃 b口頭的攻撃 A攻撃性
c対物的攻撃 d象徴的攻撃 B治療者への直接的命令 C治療者を模倣する D対話 a治療者に関する
b自分・家族に関する
図1 チェックリスト結果の図式
治療経過について,チェックリストの結果をふまえながら考察する。
第1期は,お互いの自己紹介,そして本児と治療者によるプレイセッションのスタートをお互いに 確認している時期といえる。チェックリストの結果で,第1期のどのセツションにも,「遊戯場面に おける対話」(D)が見られる。本児と治療者は,直接向き合って自己紹介をするのではなく,まま ごとの中で電話を通して自己紹介をしている。本児の誕生日が近かったため,そのことも治療者に 伝えたかったらしい。#1で,本児は家からたくさんおもちゃを持ってやってくる。しかし,これら のおもちゃは25回のセッションの中で1度も使われていない。したがって,これらのおもちゃは遊ぶ ために持って来たというよりも,治療者に「これからよろしく」という意味のプレゼントだったの ではないか。これらのおもちゃは,今でもプレイルームの遊具棚に置いてある。本児はそれらにつ いて何の反応も示さないが,治療者にはそれらが,プレイの始まりの記念のように思える。また,こ のセッションで,本児は治療者に電話を通して「明日は入学式です」と言っている。この言葉が「学 校ごっこ」のスタートとなり,次のセッションから本格的に「学校ごっこ」が始まる。#2で,本児
はたまたま絵本棚に置いてあったカメラで本児と治療者を写真に撮った。これは,まさしく入学式 の記念写真だったのだろう。#4から,学校でかぜをひいている子どもたちが病院に行くという形で
「病院ごっこ」が始まる。#5で,「病院ごっこ」をしているときにハプニングが起こる。本児は小自 動車に乗って,治療者が人形を診察しているところをじっと見ていたが,誤って車を後方に滑らせ,
机の端に口をぶつけてしまい,泣きだす。やっと落ち着いたところに外の救急車の音が聞こえてく
る。不安な表情で救急車の音を追い,聞こえなくなってから,自分が転んで歯を折り,救急車に乗 った経験を治療者に話しだす。その後,トイレに行くために治療者と廊下に出たところで,偶然に 白衣を着た学生とすれ違う。治療者がその人たちはお医者さんではないことを説明するが,プレイ ルームに戻ってからも黙ってうつむいたままであった。このハプニングから,本児にとって病院や お医者さんは,「行きたくない所」,「怖い」というイメージが強いことがわかる。それにもかかわら ず,「病院ごっこ」は全25回のセッションのうち,15回のセッションで出現している。その理由につ いて,本児の「病院ごっこ」における治療者の考えを述べたいと思う。本児は,実際に病院に通い,
薬(抗けいれん剤)を服用している。本児は,その薬を「字が書けるようになる薬」と思って飲ん でいるという。このことから,プレイの中で出現する病気(かぜ)は,本児が無意識に感じ取って いる自分自身の「障害」であると考えることができる。また,#4でrAちゃん(本児)はね, Mク リニックでお薬もらっているからインフルエンザにならないの。」と言っていることから,本児にと っての「薬」は「字が書ける」だけではなく,何にでも効くような「万能薬」であることも考えら れる。プレイの中で注射をしたり,薬を飲んだりして,病気は最後には必ず治るのだが,次のセッ ションでも病院が必要になり,何度も同じ病院ごっこを繰り返している。これは,なかなか取り除 くことのできない,治ることのない「障害」をプレイの中で表現しているのではないかと思われる。
第2期の特徴は,身体的攻撃,口頭的攻撃が現われるようになったこと,治療者を模倣することが 見られるようになったことである。攻撃性については,身体的攻撃は「お化けごっこ」の際に,口 頭的攻撃がプレイ全般に見られる。本児の攻撃性には,ラポールの形成につながるもの,ストレス を解消していると思われるもの,感情コントロールの困難さによるものの3つの要素があると考えら れる。身体的,口頭的攻撃は社会的には受け入れられないものであるが,治療者がそれらを受け入 れたことによってラポールが形成され,本児が遊戯場面で攻撃性を表出できるようになったと思わ れる。また,日常生活の中で,先生やクラスメートに世話をしてもらうなど受動的な立場になるこ とが多い本児のストレスを,治療者に攻撃性を示すことによって解消していたように思われる。さ らに,プレイ全体に見られる口頭的攻撃には,自己の感情を上手くコントロールができない様子が 感じられた。治療者を模倣することに関しては,本児が治療者に同じ体験をさせているものと,治 療者をモデルとしているものの2つのタイプに分けられる。「お化けごっこ」の中の治療者の模倣は 前者であると言える。「お化けごっこ」では,まず治療者が髪の毛を前にたらし本児に近づく。する と本児は「キャー」と言いながら治療者をたたく。本児が「戻れ」と言うと治療者は髪の毛を直し,
元に戻る。その後,本児が,治療者がやったとおりにお化けになり,治療者に近づく。#7で,「学 園祭のお化け屋敷は,怖いから絶対に行きたくない」と言っていることから,本児にとって,お化 けは実際にはとても不安で怖いものであることがわかる。しかし,治療者が自分に襲いかかる直前 で,「戻れ」と言って止めることによってある程度のスリルを楽しんでいるように思える。本児は,
治療者と同じようにお化け役をやることで,自分が感じている恐怖を治療者にも体験させているの ではないか。また,治療者によるお化けから逃げ回るだけではなく,怖いはずのお化けを本児自身 がやるようになったことにも大きな意味があると思う。本児は自分の障害に対し,不安や恐怖を持 ちつづけていると思われる。その不安や恐怖から逃げることなく,それらに対処できるようになっ たことが,本児がお化けをすることとつながっているのではないだろうか。一方,病院ごっこで治 療者がやった通りに本児が人形を診察したり,学校ごっこの中の国語の時間に治療者の書いた文字
を見ながら書くといった模倣は,治療者をモデルとしているものである。第2期から,文字や絵をた くさんかくようになる。最初のうちは治療者に見せないようにかいているが,間違って書いても治 療者には受け入れられるので,治療者の目の前でも,積極的にかけるようになったと思われる。さ
らに,文字を書くことの困難さを本児自身が受け入れ,治療者の力を借りながらも,書こうとする 意欲が感じられる。
第3期以降でも,治療者の模倣は断続的に見られる。しかし,第3期で最も特徴的なのは,「ひろ し君」の出現による象徴的攻撃の増加である。#13から5人の登場人物が固定化する。そのうち4人 は,体が弱く,すぐにかぜをひいてしまうが仲が良く,お互いを気遣う。そして勉強ができ,テス トはいつも満点である。一方「ひろし君」は,元気が良く,かぜをひいたりすることはまったく無 いが,勉強ができず,先生から「もっと勉強しなさい」としかられ,いつも仲間はずれになる。治 療者は「ひろし君」と先生の役をかねている。治療者は「ひろし君」の役をやりながら,かぜをひ かず元気であることが逆に寂しくなってしまう。また,何度テストをしてもできない「ひろし君」に 治療者は,「どうしてだめなのだろう,どうしてできないのだろう」という気持ちになる。そのよう な「ひろし君」に対し,本児は,先生が「もっと勉強しなさい」としかることを治療者に要求する。
治療者は,この「ひろし君」に本児自身が投影されているように思え,とても心苦しくなる。「ひろ し君」の役を通して治療者が感じた気持ちは,本児の「なぜかわからないけど書けない」という障 害に対する疑念と重なると思える。また,母親の話によると,小学1年生のときの担任の先生が本児 の障害に対して理解がなく,本児は今でもその先生が嫌いだと言っていることから,「もっと勉強し なさい」としかられるような経験をしていることが考えられる。治療者が「ひろし君」になること で,自分と同じ体験をさせ,自分の苦しみを知ってもらいたかったのではないか。
第4期,第5期は,これまでとプレイの形態が大きく変化している。これは,現実生活での,本児 自身の変化によるところが大きい。そのきっかけの1つが,祖母の死であろう。このことを境に,病 院で1人で診察できるようになったり,プレイ中でも落ち着きが見られるようになった。大好きだっ た祖母の死によって,本児は大きなショックを受けたようだが,その死を受けとめ,さらに本児自 身が生まれ変わることができたのだろう。このようなことがあってまもなく,本児は中学校に入学 し,特殊学級に在籍する。この学校では,オープンなシステムとして特殊学級を運営していく方針 で,他のクラスの先生や生徒たちもよく声をかけてくれるらしい。また,仲の良い友達と一緒に演 劇部に入部し,練習に励んでいる。毎日,学校に行くのを楽しみにしているようである。夏休みに は7月の時点から,母親にいつ休みが終わるのかときいて学校の再開を心待ちにしていた。本児自身,
小学校よりもおもしろいと言っている。これらのことが,プレイの中の「学校ごっこ」の終結につ ながっていると思われる。#22の「学校ごっこ」でお別れ会をし,それ以降,仲間はずれだった「ひ ろし君」も出現していない。また,それまではテストという形で,空想上の人物を通して文字や絵 をかいていたが,#25で,昨日の出来事をホワイトボードに書いたように,治療者に書けない文字 をたずねながら,本児自身が積極的に文字や絵をかくようになってきている。さらに,治療者を手 本に靴ひもを結んだり,髪の毛を編んだりすることが多くなっている。「お姉さんのようにできるよ うになりたい」という意志が見られ,自分なりに上手くできたときには,ささいなことでも喜びを 感じている様子である。本児は,自分の障害に対する疑念は持ち続けているが,そこから一歩踏み 越え,小さなことでもそれを喜びとしながら生活を送ることができるようになったのではないだろ
うか。このことがプレイの大きな変化につながっていると考える。
これまでは本ケースの治療経過を述べてきた。そこで次に,チェックリストの結果をもとに,本 ケース全体の変化について考察してみたいと思う。
A.攻撃性について
身体的攻撃から,象徴的攻撃に変化している。このことは,次に述べるロジャースによって提唱 されたクライエント中心療法(非指示的療法)の基本的仮説と照合することができる。①分離不安 の顕著な段階。②攻撃的な感情表現と自己主張の段階。③自己信頼と安定した行動が見られる段階
(東・村山;1966)。本児の治療者に対する身体的攻撃は,上記の仮説に従うと「②攻撃的な感情表現 と自己主張の段階」であり,「お化けごっこ」が出現する#6以降であると思われる。この段階の攻 撃行動で,治療者とのラポールがある程度形成された。その結果,「学校ごっこ」,「病院ごっこ」で,
より自由に活動することができるようになり,象徴的攻撃が増加する。象徴的攻撃が見られる#13 以降は「②攻撃的な感情表現と自己主張の段階」から「③自己信頼と安定した行動が見られる段階」
への移行期であると考えられる。そして,攻撃性がほとんど見られなくなる#23以降が③の段階と 言えるだろう。
B,治療者への直接的命令について
ここで言う「直接的命令」とは,本児が治療者に対して発する「…って言って」,または「…
やって」という表現のことである。これは第1期,第2期で特に目立って観察されている。本児のこ の表現に治療者が従うことによって,プレイが展開されている。したがって,この表現が頻繁に見 られるということは,プレイの中に表現されている本児の内的世界に,治療者がうまく入り込めて いないということが考えられる。第3期以降,全体的に見てこの表現は減っている。このことから,
セッションを重ねるにつれ,治療者が本児の内的世界に入り込むことができるようになったためで あると思われる。しかし,第3期の中でも,#13,#14で「治療者への直接的命令」が著しく見られ るのは,「ひろし君」の出現により,本児が「ひろし君バカだねって言って」などと言うことに対し,
治療者にとまどいがあったためである。
C.治療者を模倣することについて
模倣は第2期あたりから見られるようになり,それ以降だんだんと増えてきている。この模倣は,
「お化け」や「お医者さん」といった象徴的なものから,「文字を書く」,「靴ひもを結ぶ」などとい った実際的な生活経験まで幅広い。模倣が見られるようになった初期の段階では象徴的な遊びの模 倣が多く,また,模倣をする際に,治療者に見られないよう背を向けて行っていた。徐々に治療者 が見ている中で行うようになり,本児にとっては苦手なことであるはずの「文字を書く」ことや「靴 ひもを結ぶ」といったことを,治療者をモデルとして積極的に行うようになってきている。本児は,
自分が指導されるとわかっている場合(家庭教師など)には,決して文字や数字を書こうとしない。
しかし,遊戯場面において,治療者に自分の失敗も含めすべて受容されることを知り,積極的に文 字や数字を書いたり,靴ひもを結ぶ練習などをするようになったと考えられる。
D.遊戯場面における対話について
遊戯場面における,治療者,自分自身,家族に関する対話は,主に第1期と第4期,第5期に観察 されている。第1期における対話は,「自己紹介」としての対話である。この場合,本児と治療者が お互いのことを直接的に話すというのではなく,ままごとの中で電話を通して話をしている。お互
いに手さぐりの状態である。一方,第4期,第5期では観察室で隣あって座り,身の周りで起こった 出来事や学校のことなどを話すようになる。本児が自分自身のことを話すだけではなく,治療者の 話を聞きたがるようになる。祖母の死や幼稚園,小学校時代のことなど,本児と治療者に共通した 苦い経験を話し合うこともあった。近頃のセッションでは,本児はこのような治療者との「おしゃ べり」を楽しみにしているようである。この「おしゃべり」の内容は日常のなにげないことがらで あるが,一般の女子中学生に見られる友人関係のような「おしゃべり」であり,これまでのセッシ
ョンを経て,安定期に入った結果であると考える。
IV.まとめ
1.対象児について
本事例では,対象児の深刻な心理的問題である「障害に対する疑念⊥「低い自己評価」の修正を 目的とした遊戯療法的アプローチを試みた。本児から「障害に対する疑念」,「低い自己評価」をす っかり取り除くということは,おそらく不可能であろう。しかし,約2年間のアプローチの結果,本 児は,「障害に対する疑念」等を持ちつづけながらも,それを一歩乗り越え,ささいなことでも,そ
こから喜びを見出すことができるようになっている。現在,中学校生活がとても楽しいと感じるこ とができるのは,本児が自ら喜び,楽しみを見出す力を身につけたためであろう。このような本児 の変化は,この2年間に本児が日常生活で経験したさまざまな出来事や本児自身の発達との関連が強 いことは否めない。しかし,それらの経験をもとに,本児が安定した方向に変化したのは,遊戯場 面で受容され,自由に活動し,成功体験を重ねることができた25回のセッションによるところが大 きいのではないだろうか。
本児はこれから思春期にさしかかる。学校生活の中で不安・緊張を持ちやすい学習障害児にとっ て,その欲求不満が,思春期に至って攻撃性や引きこもりへと転ずる危険性は十分に予測される。近 年,アメリカでは思春期の非行に学習障害児の頻度が高いという事実が教育の問題になってきてい る(上村;1988)。日本でも,登校拒否や家庭内暴力などの思春期の問題の中に,学習障害児の症例 が報告されている。本児も,思春期特有の問題が加わり,今まで以上の心理的な問題に直面しなけ ればならないことが考えられる。したがって,今後の課題は,思春期の問題も考えながら,本事例 で用いた遊戯療法的アプローチによってさらにケアを進めることであると思われる。
2.分析方法について
本研究では,主観的な見解に偏りがちであるという事例研究の方法論的短所を補い,客観的に治 療過程を分析する方法として,チェックリスト法を用いた。チェックリスト法を用いることによっ て,本事例の過程研究において,治療者自身の印象だけにとどまらず,若干ではあるが客観性を持 たせることができたのではないかと考えている。また,このような最小限の項目からなるチェック リストは実践の場で使用するには煩雑であるかもしれない。しかし,長期にわたる治療経過を分析 する場合,全体の流れをつかむという点では有効である。一方,この方法に関して,次のような問 題点がある。第一に,◎印,○印で記入するチェック方法は,完全に客観的であるとは言えない。第
二に,このチェックリストの項目は,もっぱらクライエント側の行動をとらえるもので,治療者側 の動きは無視されている。今後,さらに症例を重ね,以上に述べたことも含め,遊戯療法過程の研 究方法について検討していかなければならないと考える。
引用文献
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菊地明子.1991.r学習障害の様相を持つ発達障害児に対する治療教育の試み』(平成2年度茨城大学特殊 教育特別専攻科修了論文)
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