羽山好作の科外教育論に関する教育方法史研究
著者 船越 勝
雑誌名 教育実践研究指導センター研究紀要
巻 5
ページ 103‑115
発行年 1996‑03‑31
その他のタイトル A Methodological‑historical Study on
Extra‑curricular Education by Kosaku Hayama
URL http://hdl.handle.net/10105/4380
船 越 勝
(教育実践研究指導センター)
A Methodologicaトhistorical Study on Extra−Curricular Education by Kosaku Hayama
Masaru FUNAGOSHI
(Center for EducationalResearch and Training)
要旨:羽Ll而:作は、教科以外のさまざまな取り組みの総体を科外教育とし、それを旅行教育、会 合教育、儀式教育、鍛錬教育、作業教育、修養教育、補充教育、養護教育、特別教育、連絡教育 から構成することを試みた。このように、羽山は、今日でいう教科外活動の原像を創り上げるこ とによって、明治期訓育論の形成過程に大きな役割をはたした。
I 問題の所在
筆者は、わが国の学校における管理主義をどう断ち切るかという基本的な問題意識から、これ まで今日の管理主義発生のもとになったとされる明治期訓育論の形成過程の検討を行ってきた1)。
本論文は、こうしたこれまでの研究の一環として、明治期における訓育論の形成過程、とりわけ 教科外の領域の成立を見る場合に、重要な位置を占める羽山好作の科外教育論について、教育方 法史の立場から考察を行うものである。羽山は、明治から大正にかけて訓導および校長として活 躍した教師であり、科外教育論や講堂訓話に関する多くの著書を著すとともに、『日本之小学教 師』などの教育雑誌に多数の論文を執筆した研究的実践家である。とりわけ、その主著の一つ
『小学校に於ける科外教育の理論及実際』(明治44年)は、明治期における教科外の領域におけ る最も初期の著作の一つとして、研究史上も非常に重要な位置を占めるものである。
ところが、こうした重要な意義を持っている羽山好作の科外教育論について、これまで、明治 期訓育論の研究においては、必ずしも十分検討されてきたわけではない。たとえば、宮坂哲文2)、
藤田呂士3)の研究は、明治期訓育論の発展のなかに羽山の科外教育論を位置づけた。また、山本 信良・今野敏彦4)の研究は、遠足、修学旅行、展覧会、学芸会、運動会などの明治期の学校行事 の分析とのかかわりで羽山の科外教育論を取り上げている。しかし、それらは彼の科外教育論の 特質を全体として解明したということはできない。そのような研究状況のなかで、川合章5)の研 究は、地方史料をも用いて、羽山の科外教育論に関する研究を飛躍的に発展させた。本論文も、
こうした川合の研究に負うところが多い。けれども、川合の研究においても、羽山における科外 教育論における異体的な活動論のレベルでの全体的な内容、および羽山のもう一万の研究の柱で ある講堂訓話と科外教育論との関係などが必ずしも十分検討されているわけではない。
そこで、本論文では、羽山の科外教育論の基本的性格と構造を解明することを目的とするとと
もに、明治期訓育論の形成過程において果たした意義についても明らかにしたい。
Ⅱ 羽山好作の科外教育論の基本的性格 1.経歴と著作
(1)経歴
羽山好作の科外教育論の基本的性格の検討に入る前に、彼の経歴と著作について簡単に見てみ ることにしよう。羽山好作は、1872(明治5)年5月に、埼玉県当忍藩士羽山造次の三男として 藩地で生まれた。1890(明治23)年埼玉県尋常師範学校に入学した。1894(明治27)年埼玉県 尋常師範学校を卒業後、埼玉県秩父郡小鹿野小学校に着任した。その後、長年にわたって埼玉県 内の小学校で訓導および校長を務めた。1907(明治40)年埼玉県北葛飾郡栗橋尋常高等小学校 を校長兼訓導で病気退職した後は、1910(明治43)年に、東京市二葉小学校校長となり、1921 年に退職するまで学校経営を中心に活躍した6)。
(2)著作
羽山好作は、教育実践家としては非常に多くの著作を物しているが、主な著書は、次のような ものがある。科外教育関係では、『小学校に於ける科外教育の理論及実際』(明誠館、明治44年)、
講堂訓話関係では、『戊申詔書を中心としたる講堂訓話』(賓文館、明治42年)、『学年暦体講堂 訓話』(明誠館、明治43年)、『続学年暦体講堂訓話』(明誠館、明治43年)、『教科書準拠学年別 配列人物訓話』(明誠館、明治44年)、『伝記本位循環式講堂訓話』(明誠館、明治45年)、『新時 代に適する講堂訓話』(明誠館、大正10年)、操行査定関係では、『実験児童操行査定の理論及実 際』(明誠館、明治44年)などがある。
また、明治から大正にかけての中央・地方の教育雑誌、とりわけ『日本之小学教師』、『教育時 論』、『教育実験界』、『埼玉教育雑誌』などに、数多くの論文を発表している。
2.従来の教育研究への批判と科外教育論の基本的性格
(1)これまでの教育の実際的研究への批判
羽山好作は、自らの科外教育論を展開する前に、従来の教育の研究のあり方に対して、厳しい 批判を展開している。すなわち、羽山は次のように述べる7)。
今や教育の実際的研究は、郡部を通じて教育者の注意を喚起し、空論は漸く其の跡を絶ち、特別 研究の到る所に勃興しつゝあるは、実に斯道の為め快心に耐へぬ現象である。されど其の研究た
るや、多くは、余は斯の如く教授せりとか、斯の如き方法に依りて訓練せりとか、或は斯く々々 の方案に依れりとかなど、何れも断片的零禅的であって、一として教育全般に関し、系統的に然 も連絡的に施設研究されたものゝ少なきは、実に我が教育界の一大欠陥と言わねばならぬ。
ここでいう実際的研究とは、いうまでもないが澤柳政太郎が主張した教育の実際面に関する研 究を指しているのであるが、こうした学校現場に近いレベルでの研究においては、非常に断片的
な研究が主であって、教育全体を対象にし、系統的に関連づけて行われた研究がほとんどないと いうのである。
(2)科外教育の研究の必要性
羽山の批判は、こうした研究の方法論上の問題だけでなく、さらに研究の内容的な問題へも進
められる。すなわち、羽山は次のようにいう鋸。
現時の教育界は、唯教授・管理・訓練の形式的事項のみに苦慮して、之が実質的方面を忘却した るの感なきにあらずである。即ち教科以外の教育法に対しては、その全般に渉りて反省的整理的 に研究するものは、蓼々たるの嘆を免れぬのである。故に今後に於ける教育の実地的研究事項は、
如何にせば科外教育を施設して、優良なる学校を経営し得べきかの問題である。
つまり、羽山は、まず第一に、研究が教授や管理や訓練の形式的側面にばかり向けられていて、
その実質的側面を忘れているというのである。また、そのなかでも、とりわけ教科以外の領域、
すなわち科外教育に関する研究が立ち後れていると指摘しているのである。そして、まさにこの ような科外教育に関する研究は、「実に教育上の重要問題であ」9)るというのである。
(3)科外教育論の性格
羽山は、科外教育とは何かについて、その著作のなかで明確に論じているわけではないが、先 に見たような従来の教育研究に対する批判の中身から、羽山の考える科外教育論の基本的な性格 がおぼろげながら見えてくる。それは、まず第一に、科外教育論とは、教科以外の教育の全般を 対象としたものであるということである。第二に、科外教育論は、教科以外の教育の形式的な面 ではなく、実質的な面を明らかにするものである。そして、第三は、科外教育論は、断片的なも のではなく、系統的に関連づけて展開されたものだということである。羽山は、少なくとも科外 教育論を論ずるにあたって、こうした点を意識しながら展開していることは間違いないであろう。
Ⅲ 羽山好作の料外教育論の構造 1.科外教育論の全体構成
羽山好作は、科外教育全体をテーマとした著書『小学校に於ける科外教育の理論及実際』を 10章で構成している。それは、旅行教育、会合教育、儀式教育、鍛錬教育、作業教育、修養教育、
補充教育、養護教育、特別教育、連絡教育の10章である。このことから、羽山が、彼の科外教 育論をこの10の構成要素から考えていたことは明らかであろう。そこで、以下では、明治期の 訓練論の形成過程を検討するうえで重要な意味を持っであろう旅行教育、会合教育、儀式教育、
作業教育などを中心としつつ、全体を順々に検討していきたい。
2.旅行教育
(1)旅行教育の意義と価値
科外教育論の第一の構成要素は、旅行教育である。旅の教育的意義については、洋の東西を問 わず、古来から主張されてきていることであるが、こうした旅行を学校のカリキュラムのなかに 位置づけ始めたのは、わが国の場合、明治中期以降であった。羽山は、こうした教育の一環とし て旅行を行うことを旅行教育と呼んでいたが、それは次のような意義を持っているという10)。
単に旅行といへば、何事もないやうであるが、能く其実質を考ふれば、非常に廣大なる教育的内 容が含有せられ居るのである。彼の教室に於て、器械的に教科書の教授のみ日を暮らす様な死し たる教育は、殆ど其効果の大半を没却して居るのである。……而して学校に於て旅行教育をなす は、教授の為と身体の為と、一般に見聞を廣むる為に行ふものであって、其教育上に於ける価値
は甚だ少なからぬのである。
羽山は、これにもとづいて、さらに、旅行教育がどのようなの教育的価値を持っているかにつ いて、次のように3つに整理している11)。
一二 三
其 其 其
旅行教育は共同の精神を養成せしむ
旅行教育は困難に討ち勝たしめ身体を鍛錬せしむ 旅行教育は社会其ものに対する知識を得しむる
すなわち、これは、旅行教育の訓練、養護、教授上の意義である。このような価値を持った旅 行教育には、貝体的には、修学旅行、校外教授、遠足の3つがあるので、次に概観してみよう。
(2)修学旅行
羽山は、修学旅行を実施するにあたって、2つの問題があると指摘している。一つは、子ども の発達段階の問題で、あまり学年が低いと観察の効果があがらないので、5年生以上が良いとい う。もう一つは、旅行の費用などの経済面の問題で、少なくとも3分の2以上の子どもがいけな いと実施すべきではないとしている。そして、何よりも「修学旅行は、児童をして実地の観察を 遂げしめ、以て教授及訓練上に補益せんことを要す」12)ということが重要になるのである。
(3)郊外(校外)教授
次は、郊外教授である。羽山は、郊外教授について、次のように述べている13)。
教授上一定の計画を立てゝ、可成一学級で之を行ひ、一二時間より半日又は終日にて、往復し得 る迄の範囲内に於て、然も其の土地は、平素教授せし教科中の事項に富む所を選定して、之に向 はねばならぬ。
このように、羽山は、郊外教授を日常の教授の発展としてとらえなければならないとしており、
したがって、羽山が別の所で意図のある「郊外教授と郊外散歩は混同すべからず」14)と主張して いる点は注目される。
(4)遠足
最後は、遠足である。羽山は、遠足について規定を試みたうえで、その意義についても、次の ように説明している15)。
遠足は名の如く、遠路を求むるの意であって、その目的とする所は、主として精神の保養並に身 体の鍛錬にあるのである。されば、之が方法宜しきを得ば、歩行に馴れしめ、清浄なる空気を呼 吸して血液の循環を善くし、消化を助け、食欲を増進し、兼て耳目を楽しましむる為に娯楽とな り、保養となるなどの利益がある。
そのうえで、彼は、遠足の教育的価値を次のように5つに整理している16)。
甲 観察の能力を養ひ、自然及び人事に関する知識を豊富にす 乙 自治共同の精神に富ましむる好機会を与ふ
丙 規律秩序を重んずる習慣を養成し、同情の念に富ましむ
丁 個性観察の好機会を与へ、師弟間の情誼を厚うす
戊 困難に堪へしむる習慣を養成す
このように、羽山は、遠足の教育的価値を能力の形成や知識の習得という教授上においてだけ でなく、自治共同の精神や規律、さらには教師と子どもの人間関係の育成という訓育上において
も兄い出しているのである。
3.会合教育
(1)会合教育の概念と価値
科外教育論における第二の構成要素は、会合教育である。会合教育とは、あまり一般的な名称 ではないが、羽山は、まず、会合教育の概念について、次のように規定している17)0
会合教育は、全校若くはその一部の児童が、日課以外の或る目的の為に会合するものであって、
これに依り或は知識を交換し、或は芸術技能を闘はし、或は運動遊戯をなす等、その目的は一様 でないが、執れも多少訓練的の意味を有せぬものはない
すなわち、日課以外の目的で会合を行うことの総称を意味しているのであるが、何れにしても、
それが大きな訓育的意義を持っていることはいうまでもない。こうした認識を踏まえたうえで、
さらに、羽山は、会合教育には次のような教育的価値があるとしている18)。
一二 三
共 其 其
会合教育は教師と児童、児童相互の間を親密ならしむる 会合教育は自治心養成上必要なるものである
会合教育は児童を勤勉ならしむる
ここで羽山が、会合教育の意義を教師と子ども、子どもと子どもの交わりの問題としてだけで なく、子どもの自治の問題としてとらえていることに注目したい。というのは、自治は、それが 子どもたちの会合、すなわち討議にもとづいているかいないかによって、形式的なものになるか、
本物になるかが区分されるからである。その意味で、子どもの自治を子どもの会合と結び付けて 理解している羽山の会合教育の見解は、きわめて重要な意義を持っている。
このような会合教育には、集合(校庭)訓話、朝会訓話、話方演習会、学芸会、運動会、学級 会、教員誕辰祝賀会、会食の8つがあると羽山はしているが、以下簡単に見ていくことにする。
(2)集合訓話(校庭訓話)
集合訓話とは聞き慣れない言葉であるが、それはどのようなことを指しているのか。羽山は、
集合訓話について次のように述べている19)。
集合訓話は、画一の品性を作り、共同意識を養成するに必須なる力を有するものである。即ち全
校児童を一個所に集めて、校長より学校全般に関する根本的方針を与へて、職員児童が協力合体
して、之を実行に表はす様勉めしむるものであるから、其協同意識が輿論となり、遂に校風を形
成するに至るものである。言を換れば、集合訓話は学校の主義綱領を立っるものであって、師弟
一致して之を遵奉すべき生きたる機会を与ふるものである。
すなわち、学校の基本的な教育方針を全校の子どもたちに対して一斉に訓話することなのであ る。また、集合訓話は、毎月第一月曜日の第一時間に行うとされており、それだけ羽山がこれを 重視していることがわかる。
(3)朝会訓話
次に、朝会訓話であるが、それは次のようなものである20)。
学校に於ては、各担任教師が各教室に於て、各児童を訓話すれば充分なのであるが、学校として 児童全般に捗り、同時に同一様の事項に就き、同一教師より同時に訓話する方が、各教室に於て 各教師が別々に之を行ふよりも、その訓話の寛厳の度を同一にすることを得て、児童の統率及び 管理上に区々たるに陥る弊を免るゝのである。…訓育上の統一を保ち得らるゝに至るのである。
この朝会訓話は、集合訓話で行うような学校の基本方針ではないが、全校の子どもたちの関係 する問題について訓育上の統一を保っために、全校朝会を開いて訓話するということであり、し たがって、毎週月曜Hの朝行うというように、これも非常に重視されているのである。
(4)話方演習会
話方演習会とは、まさに話し方を練習するための活動であるが、それは次のような理由から行 われている21)。
学校児童に談話の練習をなさしむることは、現在及び将来の国民教育に取りて、頗る必要なるこ とであるから、学校に於ては、須らくこの点に意を用ひねばならぬ。……されば、手や足の働き を十分ならしむると同時に、又口の働きを十分に、自由自在に活動せしめねばならぬのである。
従って、児童期より之が練習を怠ることなく、他日発展の素地を養成すべきである。
そのために、毎月二回この会を開くとし、定められた演習事項に代表が取り組み、学級主任が 評価の観点にもとづき批評を加えるのである。
(5)学芸会
学芸会は、現在においてもポピュラーな教科外の領域の活動であるが、羽山は、学芸会のあり 方について二次のように主張している22)。
学芸会は、児童が平素学習せる学芸を、公会の席に於て、表漬せしむるものであって、運動会が 平素の運動遊戯を演ずるのと、全く同趣旨のものである。それ放、この会に於て児童に演ぜしむ るものは、必ず平素の教授に於て、普通学習せしむるものに限り、之がため特別の練習をなさゞ る方針を採らねばならぬ。
つまり、日常の学習の発展として位置づけるというものである。羽山がこうした主張をせざる を得ないのは、現在においても往々にして見られるが、学芸会に向けて子どもの自主性を無視し
た特別な指導が行われることへの批判からであろう。
(6)運動会
運動会は、羽山の言葉を引用するまでもないが、「一学校若くは数学校の児童、及び児童と教
師と一定の場所に集まりて、運動競技等をなすをいふのである」23)が、複数の学校の連合による
運動会も含まれているところが、当時の学校状況をよく表している。こうした運動会について、
羽山は、次のような教育的価値を認めている24)。
甲 運動会は心身を健康ならしむ
乙 運動会は同情的、社交的の興味を喚起す 丙 運動会は、機敏、秩序、自治の精神を養う 丁 運動会は励精の美徳を鼓吹す
このなかで、心身の健康という養護上の意義だけではなく、子ども相互の交わりや自治という 訓練上の意義を置いているところに着目しておきたい。
(7)学級会
羽山は、学級会について次のように述べている。すなわち、「此の会は一学級全体の児童より なり、教師が適当の時日を選び、学校長の認許を得て開くべきものである」25)というのである。
学級会が許可制という点に非常に驚かされるが、彼によればそれは教師によって学級会は大変よ いものにもなれば、問題を引き起こすものにもなるからだという。しかし、だからといって、羽 山が学級会に対して消極的であったかというと、必ずしもそうではない。羽山は、別のところで 次のようにも述べている26)。
其学級の名誉を高め、気風を高尚にし併せて学芸を上進せしめんには、此の全を設けて時々遠足 会、談話会等をなし、叉学級全体の風紀を改良せんが為には、忠告建議等なりなさしむる様にし
て、児童の自治心を利用発展せしめねばならぬ。
つまり、学級を高めるには学級会が必要であるし、その場合子どもの自治が重要だと指摘して いることから、こうした方向での教師の指導のあり方を問うているのだといえる。
(8)教員誕辰祝賀会
教員誕辰祝賀会とは、教師の誕生日のお祝い会のことである。羽山によれば、それは次のよう な形で行うという27)。
教師が担任せる学級、又は数学級適合して行ふもので、当日の授業一二時を休み祝意を表する為 に、談話、朗読、唱歌、遊戯等を催し、教師よりは福引き茶菓等を与ふる如くしたならば、一層 の効果あらしむることを得るのである。
教師の誕生日だけで、子どもの誕生日のお祝い会を行わないところが、やはり明治期の時代の 制約を感じさせるところである。
(9)会食
会合教育の最後は、会食である。羽山は、会食について、次のように行わなければならないと 述べている祖)。
学校に於て食事を為さしむる際には、食堂に於てすると若くは教室に於てするとを問はず、一定
の時間に参集して、一定の時間内に於て一定の規律の下に、家庭に於て食事を為すと同様の礼儀
に則り、器物の配置、始終の敬礼、食事の仕方等、すべて作法に適せしめ、静粛にして而も、fi安 に食事せしめねばならぬ。
ここで、とりわけ作法ということが強調されていることが注目される。すなわち、会合教育は 子どもに作法の形式を教える作法教育という側面も持っているのである却)。
4.儀式教育
(1)儀式教育の価値
第三の科外教育論の構成要素は、儀式教育である。儀式については、明治24年の「小学校祝 日大祭日儀式規定」の制定以降、徐々に学校現場に定着し、発展していったものであるが卸)、羽 山の科外教育においては、まさに儀式教育という名称を与えて良いほどの広範な内容を持っに至っ ている。彼は、儀式の教育的価値について、次のように述べている31)。
一二 三