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第3章 阮朝の宮殿建築の概要

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Academic year: 2022

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(1)序論第3章. 第3章 第1節. 阮朝の宮殿建築の概要. 【Nguyễn Hoàng, 阮 皇 】 将 軍(1558-1613) が. フエの建造物群の建築史的背景. 第 1 項 フエ歴史の概要. 順 州 と 化 州 に 着 任 し た 頃 か ら, こ の 領 土 が 段 々 と 豊 か に な り, グ エ ン・ ホ ア ン 将 軍 が. は,地域的には古. トゥアン・ホア【Thuận Hóa,順化】府の祖主. 代 ド ン・ ソ ン【Đông Sơn】 文 化 と サ ー フ ィ ン. と な っ た. そ の 後, グ エ ン・ フ ッ ク・ グ エ ン. ベトナム北中部のフエ. 1). 【Sa Huỳnh】文化の隣接区域に位置し,自然の 【Nguyễn Phúc Nguyên,阮副原】主(1613-1635) 障壁である北のデオ・グァン【Đèo Ngang】か. の 時 代 か ら 順 化 が ダ ン・ チ ォ ン【Đàng Trong】. ら 南 の デ オ・ ハ イ・ ヴ ァ ン【Đèo Hải Vân】 に (中部一帯を指す歴史用語)の都とされ,阮氏が よって地域が区別された.中国古代史におい. 1777 年代までに 9 世代にわたって在位した(図. て は, フ エ は 漢 代 に お け る ニ ァ ッ ト・ ナ ム. 3)3). グ エ ン・ フ エ【Nguyễn Huệ, 阮 惠 】 が. 【Nhật Nam ,日南】府の五県の 1 つであった. タイ・ソン【Tây Sơn,西山】朝(1788-1802)の ベトナム史においては,元はチャン・パに属し. 皇帝になった際も順化にフ・スアン【Phú Xuân,. たオ・チャウ【Ô Châu】とオ・リー【Ô Lý】と. 富 春 】 城 が 置 か れ た.1802 年 に, 阮 氏 の 子 孫. 呼ばれた地域であり,1306 年に大越国のチャ. のグエン・フック・アィン【Nguyễn Phúc Ánh,. ン【Trần,陳】朝(1225-1400)がその地方を割. 阮福暎】が全国を統一し,嘉隆皇帝(1802-1820). 譲し,大越国の地域となったことが知られてい. と し て 阮 朝 を 成 立 し た( 図 4,5)4). 阮 朝 は. る.その後,オ・チャウとオ・リーはそれぞれ. 13 世代にわたって在位した(表 1) .. チャウ・トゥアン【Châu Thuận,順州】とチャ. 嘉隆皇帝もフエを首都とした.嘉隆皇帝は中. ウ・ホア【Châu Hóa,化州】へと名称が変更さ. 国の風水学に基づいてフエの建設を計画した.. れた(図 1,2) .「ホア」【Hóa,化】の現地で. その都は御屏山【Ngự Bình Sơn】(前 / 朱雀),コ. の訛りが現在の地名である「フエ」【Huế】の語. ン・ヘン【Cồn Hến】(左 / 青龍),コン・ジャー・. 源であるとも言われる.. ヴィエン【Cồn Dã Viên】 (右 / 白虎) ,横山【Hoành. 2). レ【Lê, 黎 】 朝 期 の グ エ ン・ ホ ア ン. フエ. 図 1.. フエの位置(650 年). Sơn】 (後 / 玄亀),京城【Kinh Thành】 (中央 / 黄土). フエ. フエ. 図 2.. フエの位置(14 世紀前半). 図 3.. フエの位置(17 〜 18 世紀) 7.

(2) 序論第3章. 表 1. 阮朝皇帝の世代表. �� 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13. �� ���Gia Long� ���Minh M�ng� ���Thi�u Tr�� ���T� ��c� ���D�c ��c� ���Hi�p Hòa� ���Ki�n Phúc� ���Hàm Nghi� �����ng Khánh� ���Thành Thái� ���Duy Tân� ���Kh�i ��nh� ���B�o ��i�. ����� 1802 - 1820 1820 - 1840 1841 - 1847 1847 - 1883 1883 1883 1884 1884 - 1885 1885 - 1889 1889 - 1907 1907 - 1916 1916 - 1925 1925 - 1945. ��� 1762 - 1820 1791 - 1840 1807 - 1847 1829 - 1883 1853 - 1883 1847 - 1883 1869 - 1884 1871 - 1943 1864 - 1889 1879 - 1954 1900 - 1945 1885 - 1925 1913 - 1997. ��������� Nguy�n Phúc Ánh Nguy�n Phúc ��m Nguy�n Phúc Miên Tông Nguy�n Phúc H�ng Nh�m Nguy�n Phúc �ng Chân Nguy�n Phúc H��ng D�t Nguy�n Phúc �ng ��ng Nguy�n Phúc �ng L�ch Nguy�n Phúc Chánh Mông Nguy�n Phúc B�u Lân Nguy�n Phúc V�nh San Nguy�n Phúc B�u ��o Nguy�n Phúc V�nh Th�y. 写真 5.. 嘉隆皇帝(1802-1820). フエ地方 図 4.. フエの位置(1834 年の阮朝工部の地図). が風水の五要素と見立てられた.また,西南に. 推進の影響を強く受けた.駅・郵便局・博物館・. ある 金鳳山【Kim Phụng Sơn】を主山(極陽)と. 病院・事務所・学校・教会などの大量の建物が. し,香江【Hương Giang】を明堂(極陰)とした. 建造されたが,伝統的な都市の外見は基本的に これらの「陰陽・五行」学の要素は現在のフエ. 変わらなかった.. には明らかに見える. 19 世紀の後半からフランスの植民地化が始ま り,越南を北部(保護領,東京) ・中部(保護国,. 第 2 項 建造物群の建築史的背景 阮朝の史料によるとフエの京都を建設するの. 安南)・南部(直轄領,交趾支那)の 3 つの地域. は 嘉隆期の初期から段階的に進められた.初期. に分けられた.安南保護国の行政上の都として. には主に阮朝の内閣や皇帝に関わる箇所や 壇廟. の存続を許されたフエは,フランスの都市建設. などに集中し,皇城・紫禁城・太和殿・勤政殿・. 8.

(3) 序論第3章. を修理改築し維持に努めた.嗣徳期の修理改築 の密度は高い.代表的なのは嘉壽宮を延壽宮に 改築し,紫禁城と延壽宮を繋ぐ長廊を築いたこ と,また嗣徳皇帝の陵を築いたことであった. 皇城・紫禁城内の一連の建物の屋根を修理し, 庭の床を上げ,建築の外見を改築した.成泰期 にヨ - ロッパから輸入されたセメントや洋式花. フエ. 塼などの材料はフエでの建設行為に大きな影響 を与えた.セメント・モルタルが伝統的接合剤 を代わりに使われた.太和殿・勤政殿・午門な どの宮殿の床面が伝統的北方塼を洋式花塼に替 えられた.材料の影響で建設技術も段々変わっ てきた.フランスの植民地化を許した嗣徳期以 降,建築形式と建設技術に大きな変化があった と思われる 8). 成泰期以後から同慶期までは政治や経済の条 件が変わったため,新たに建設することはあま. 図 5.. 越南国・フエの位置(1802 〜 1945 年). りなく,小さな改築ばかりであった.また壊さ. 乾成殿・肇祖廟・南郊壇などが建設された.ま. れた建物または移築され別の機能で使われた建. た都市の西南に皇帝一族の陵墓を配置した . 物があった. 5). これらは阮朝の建築の規格または陵寝の規制 ベースとなった(図 6).. 更に啓定期から阮朝末期にかけて,宮殿建築 に大きな変化があった.ヨーロッパの建築形式. 明命期に京都の建設が大規模に拡大した.京. や材料・建設技術を導入することによってフエ. 城を再計画し,金龍川や白燕川などの自然の川. の宮殿建築が大きく変化した.伝統的な建設材. を利用した.また京城内にある 10 つの村を城外. 料の木材の代わりにコンクリートが使用され,. に遷し,池を掘り,城を築き,金龍川の流れを. 中高層の立派な建物が建設された.例えば,建. 変え,運河等の水利設備を整備した.また皇城. 中樓(紫禁城)・安定宮・啓定皇帝の陵などで. と一連の宮殿 ・廟殿・楼閣の建築も引き続き建. .建中樓の前庭(元坤泰殿の ある(写真 6 〜 9). 設や整備が進められた.例えば勤政殿・太和殿・. 位置)は幾何学配置を利用した西洋的な庭園と. 太祖廟・世祖廟・奉先殿・顯臨閣などであった. して整備された.皇城内の伝統的北方塼で造ら 紫禁城区域を再計画し,太和殿を前方へ移動し, れた道路が,車のための道路に切り替えられた. 南闕臺を午門 に改築,外朝と宮禁の体制を成立 し,紫禁城を乾成宮と坤泰宮の 2 つ宮に分けた. これらの変更によって京都フエの外見と構成が 大きく変更した 6). 続く紹治期に京都の建築が完成した.この時 期は,主に保定宮・隆安殿などの必要な建物を 新築すること,皇城内にある長寧宮・紹芳園な どを改築すること,建築装飾の様式を改善しつ つ完成することなどが行われた 7). 嗣徳期から成泰期までは主に宮殿や城臺など. 写真 6.. 紫禁城の建中楼(啓定期の白黒写真) 9.

(4) 序論第3章. 写真 8. 天定宮の立面(啓定皇帝陵). 写真 7. 啓定皇帝(1916-1925). 写真 9. 天定宮の内観(啓定皇帝陵). また,静明楼(嘉壽宮の通明堂を改築したもの) ・. 的な建築である.啓定期から阮朝末までは基本. 左右廡(勤政殿前)・顕仁門・彰徳門・四方無事. 的にはヨーロッパの建築からの影響を受けた建. 楼(北闕臺)などの建物がヨーロッパの建築形. 築である.. 式で改築され,新たに造られた.この時の建築 装飾は東洋と西洋の双方の装飾意匠が用いられ. 第2節. 宮殿建築の木造架構の特徴. た.四霊や八宝のような伝統的な装飾意匠が多. 第1項. 宮殿建築の分類. く用いられ,ヨーロッパの装飾意匠も宮殿の内. 阮朝工部の欽定「大南會典事例正編」(後述). 観装飾でよく使われていた .最も代表的なの. においてはフエの宮殿建築は機能によって分類. は啓定皇帝の陵の内観である.. されている 10).「宮殿」(京城と皇城にある内政. 9). フエ京都の建築史的背景は次のように 4 つの. を執り行う重要な建物)・「壇廟」(宗教と先祖. 時期に分かれる.第 1 時期は嘉隆期から明命期. 崇拝のための建物)・「行宮」(皇帝の地方訪問. までの計画を成立し京都を建設した時期.第 2. のため京都と各直省に設置された応急的建物)・. 時期は紹治期から嗣徳期の前半までの既に建設 「城臺」(防衛上の建物)・「營署」(京都と各直省 した建物を修理したり改築したりした時期.第. に設置された行政のための建物)・「府弟」(皇帝. 3 時期は嗣徳期の後半から同慶期までの宮殿を. 親族の邸宅)・「陵寝」(皇帝陵と親族の陵)など. 維持し規模を縮小した時期.第 4 時期は啓定期. である.. から保大期までの政権の親仏政策の影響で建築 形式や建設技術が大きく変化した時期.. 更に各建物はその重要度などによって階層化 される.「殿」 ・ 「廟」 ・ 「堂」 ・ 「廡」 ・ 「院」 ・ 「楼」 ・. 建築設計技術の面では大きく 2 つの時期に分 「閣」 ・「門」・「房」 ・「亭」 ・「榭」 ・「廳」などの区 けられる.嘉隆期から同慶期までは東方の伝統. 別がそれである.「殿」と「廟」は重要な宮殿区. 的な建築であり,中国や他の文化からの影響も. 域の主殿とする殿舎であり,例えば,勤政殿(乾. 多少認められるが,基本的にはベトナムの伝統. 成宮)・世祖廟(世廟区)・寝殿(皇帝陵の寝殿. 10.

(5) 序論第3章. 図 6. フエの建造物群の配置図. 区),崇拝のための独立的殿舎である隆徳殿(太. 比較的重要でない建物である.各の直省の公堂. 廟区)あるいは庭園にある皇副殿(紹芳園)で. あるいは京都にある各の部(六部)の正堂がそ. ある.「堂」は「殿」と似た役割を持ちながら. れであり,また京城内や皇城内に設定されてい 11.

(6) 序論第3章. るある種の機能に特化した区域の正堂,例えば, 両二廂,前殿を 5 〜 13 間と左右両一廂とし,8 閲是堂(紫禁城)・五代同堂(長生宮)・彝倫堂. 〜 14 柱 筋. 梁 行 規 模 は 7 間,8 柱 筋( 軒 を 除. ・「閣」は基本的に記念 (国子監)がある.「楼」. く)である.梁行架構は正殿・前殿・承霤・裳. 塔を意図する 2 〜 3 層の建物である.例えば, 階・ 屋 根 の 5 つ の 部 分 か ら 構 成 さ れ る. 正 殿 顯臨閣(世廟区)・明楼(孝陵)・明遠楼(紫禁. 架構は基本的に天井付きであり,天井裏には. 城)がある.「門」は皇城の正門として午門,紫. ヴ ィ・ ジ ァ オ・ グ エ ン【Vì Giao Nguyên, 交. 禁城の正門として大宮門,皇帝陵の寝殿区の正. 架】と呼ばれる棟木下架構を設け,板壁で裳階. 門として門楼などがある.「廡」・「院」は主殿の. 部を区分する.前殿架構は天井が無く,棟木. 左右配殿とする殿舎であり,左右廡(勤政殿区), 下 架 構 は ヴ ィ・ チ ョ ン・ ル ォ ン・ ジ ァ・ ト ゥ 左右従院・左右配殿(孝陵・昌陵)がある.特 【Vì Chồng Rường Giả Thủ,重花柱架】と呼ばれ に「院」は特別な機能を用いる独立区域の意味. る束梁や板材で母屋桁を支承し,化粧として豪. があり,例えば機密院(京城内)・商毫院(京城. 華な彫刻が施される.承霤は前殿・正殿の屋根. 外) ・太醫院(閲是堂区)などがある.「亭」 ・ 「榭」 が谷間を構成する部分であり,曲面の天井を は,基本的に庭園に属する建物であり,代表的. 設置,その裏に雨樋を設ける.裳階には前殿・. な建物は迎良亭(旗台の前)・沖謙榭(謙陵)が. 正殿の前後左右の 4 面にビワ壁を確保し下屋根. あるが,全く庭園とは関係の無い碑亭(皇帝陵) ・. が架けられる.屋根は登梁に直接母屋桁が載り,. 香願亭(天姥寺)などもある.「廳」と言うもの. 垂木を支えて瓦を葺く.屋根は上屋根と下屋根. は兵士の止まる場所或いは軍隊に属する建物な. . とに分かれる(図 7,写真 10 〜 12). どである. フエの宮殿建築は木造架構の型式によってお. 連棟式は,フエの宮殿建築の代表的な特徴 のひとつである.現存している連棟式建築は,. およそ以下の 4 つの種類に分類できる.. 太和殿・世祖廟・肇祖廟・延壽正殿(皇城内),. 1.連棟式建築. 隆安殿(京城内),各の皇帝陵の寝殿,例えば明. 各建築区域の主殿は複数の建築を接して並. ・ 成殿(天授陵) ・崇恩殿(孝陵) ・表徳殿(昌陵). べ立てて規模を確保する連棟式をその特徴と. 和謙殿・良謙殿(謙陵)・凝禧殿(応陵)・隆恩. す る. 二 棟 連 棟 式 は 前 殿・ 正 殿 の 二 棟, 三 棟. 殿(安陵)などである.. 連棟式は前殿・正殿・後殿の三棟によって構. 2.単棟式建築. 成される.桁行規模は正殿が 3 〜 11 間に左右. 図 7. 宮殿建築・二棟連棟式の梁行断面構成部の説明図 12. 独立殿舎或いは主殿の配殿は単棟式である.

(7) 序論第3章. 写真 10. 連棟式建築の立面(太和殿). 写真 13.. 一畳の屋根の単棟式建築(昌陵の右従院). 写真 11. 連棟式建築の側面(太和殿). 写真 14. 二畳の屋根の単棟式建築(勤政殿区の左廡). 写真 12. 連棟式建築の立面(世祖廟). 写真 15. 二畳の屋根の単棟式建築(太廟区の隆徳殿). ことが多い.屋根が一層の殿舎と上屋根と下屋. 3.楼閣建築. 根に分かれる屋根が二層の殿舎がある.屋根が. 木 造 架 構 の 2 〜 3 層 の 建 物 で, 原 則 と し て. 一層の殿舎は重要ではない配殿で,現存してい. 1 つ の 宮 域 に「 楼 」 か「 閣 」 が 1 つ 配 置 さ れ. るものは左右配殿(孝陵)・左右従院(昌陵)な. る.宮域内で象徴性の高い建物である.現存. どを一例とする.屋根が二層の殿舎は重要な. しているものは,顯臨閣(世廟区)・明楼(孝. 配殿か独立殿舎であり,現存しているものは左. 陵 )・ 静 明 楼( 延 壽 宮 ) な ど で あ る. 長 方 形. 右廡(勤政殿の配殿)・隆徳殿(太廟区)などで. 平 面 の 他 に 正 方 形 平 面 も あ り, 桁 行 規 模 は 1. ある.長方形平面のほかに正方形平面も多く, 〜 3 間 に 左 右 両 廂,4 〜 6 柱 筋. 梁 行 規 模 は 桁 行 規 模 は 1 〜 5 間 に 左 右 両 廂,4 〜 8 柱 筋. 3 〜 5 間,4 〜 6 柱 筋 で あ る. 各 層 に は 板 が 梁行規模は 3 〜 5 間,4 〜 6 柱筋である.梁行架. 設けられ,その延長に各層の屋根が設けられ. 構は,2 〜 4 柱筋のヴィ・ジァオ・グィエンを. る.梁行架構はヴィ・ジァオ・グィエン架構か. 基本とする.一層の殿舎は,単純な型式ながら. ヴィ・チョン・ルォン・ジァ・トゥ架構が設け. 中部の伝統家屋等と類似した特徴を有している. られるのが一般であり,礎石上から上層の屋. (写真 13 〜 15) .. 根まで一本の通し柱で建てるのが原則である 13.

(8) 序論第3章. 陵,寝殿区の正門)・謙宮門(謙陵,寝殿区の 正門)・宮門(応陵,寝殿区の正門)などであ る.その中で特に午門は特別な様式を持ち,皇 城の南闕臺の上に五鳳楼がコの字型に左右翼楼 を配置し,楼と臺の 2 部から構成される門楼で ある.他の門楼の型式は,長方形平面,桁行・ 梁行規模は 3 間,4 柱筋.桁行の 3 間を開口し 3 門とし中央間の上に楼を設けるのが一般的で 写真 16. 楼閣建築(孝陵の明楼). ある.梁行架構については,基本的に楼閣建築 とほぼ似かよっているが,規模は比較的小さい (写真 18,19). 第2項. 木造架構の特徴. 第 1 の 特 徴 は, 基 礎 的 架 構 と す る 柱・ 登 梁・ 大 貫・ 大 梁 の 4 つ の 部 材 か ら 構 成 さ れ た クォン・クィ【Khuôn Cụi】と呼ばれる大梁柱 間架構である.柱・登梁・大梁の連結はボー・ 写真 17. 楼閣建築(世廟区の顯臨閣). ヴィ【Bộ Vì】と呼ばれる梁行架構によって構成 され,柱・登梁の連結が屋根勾配を決定する.柱・. 写真 18. 門楼建築(皇城の午門). 写真 19. 門楼建築(謙陵の謙宮門). (写真 16,17). 4.門楼建築 各宮域の正門とする建物であり,現存して い る も の は 午 門( 皇 城 の 正 門 )・ 顕 徳 門( 孝 14. 図 8. 大梁柱間の架構の様式.

(9) 図 9. 連棟式建築の正殿架構の構造の説明図. 序論第3章. 15.

(10) 序論第3章. 大貫の連結がハン・コット【Hàng Cột】と呼ば れる桁行間を構成する.またそれぞれの柱頭に. 思われる. 第 3 の特徴は,ケオと呼ばれる登梁【Kèo,架】. は頭貫を設けるが,柱元には建具の地覆等の他. である.登梁と柱の連結によって屋根勾配が固. に柱間を固定する部材が無く,建具の無い柱ま. 定される(写真 24).この部材の起源はいまだ不. では礎石上に独立して柱が建てられる(図 8,9) . 明な部分が多いが,北部の伝統木造架構には見 「交架」(正殿の棟木下架構) られず,中南部に広く分布することが知られて 第 2 の特徴は, と「重花柱架」(前殿の棟木下架構)であり,こ. いる.梁行き方向に上の登梁の木鼻の上に,下. れはフエの宮殿建築の代表的な特徴のひとつと. の登梁の上端を載せることで柱間を連続し,梁. 考えられる. 「交架」(写真 22)の方がより一般. 行架構の「第一架」・「第二架」・「第三架」を構. 的であり,宮殿建築の他にも民間の建築(住宅・. 成する.柱間寸法によって登梁の長さが決定さ. (写 亭・寺)にもよく使用されている.「重花柱架」. れ,棟木から中柱頭まで登梁は 1 本か 2 本の様. 真 23)は連棟式建築の前殿・楼閣・門楼建築に 見られるが,「交架」との関係の上で存在すると. 式がある. 第 4 の特徴は,宮殿建築の連棟式建築でしか. 写真 20. 宮殿建築の木造架構(隆徳殿の修理中). 写真 21. 中部の住宅の木造架構(解体中). 写真 22. 交架(延壽正殿の正殿). 写真 23. 重花柱架(太和殿の正殿). 写真 24. 登り梁(太和殿の前殿). 写真 25. 承霤架(延壽正殿). 16.

(11) 序論第3章. 写真 26. 中部の住宅の立面. 写真 28.. 中部の亭の立面. 写真 27. 中部の住宅の木造架構. 写真 29. 中部の亭の木造架構(ヴアン・シャー亭). 使用されないトゥア・リュウ【Thừa Lưu,承霤】 第 3 節 文献に見る建築用語 である.前殿・正殿の 2 棟を繋ぎ,内部空間を. 第 1 項 資料の概要. 統一する.承霤は大梁・承霤架・承霤天井板の. 本論文では,フエの宮殿建築の創建年代・機能・. 3 つの部材から構成され,その上に雨樋を設置. 修理履歴や平面配置方法・建築の空間的概念な. する空間である.この連結の様式は内部空間を. どを整理するために,主に阮朝の漢喃資料から. 拡大するための独特の方法と言われるが,使用. 5 点の資料(欽定「大南會典事例正編」 ・欽定「大. 期間が短く,適した処理が施されていないため, 南會典事例続編」・大南寔録正編・大南一統志・ . 構造的に弱点となる場合が多い(写真 25). 殿堂名號圖式)を参照した.特に勤政殿の復原. 以 上, 第 1 〜 第 3 特 徴 は フ エ の 宮 殿 建 築. 研究のためには,宮殿建築の木造架構の構成部. の 木 造 架 構 だ け の 特 徴 で は な く, 中 部 の そ. 材・建築理念と用語を整理することが必要とな. の他の伝統木造架構も同様の特徴を持つ. る.それらの資料のほとんどは文字資料であり,. .フエの宮殿建築と民間建築の 「殿堂名號圖式」のみが木造架構の形状と部材名 (写真 26 〜 29) 設計方法や建築理念に関しては深い関係性が認. 称を絵図で図示,「大南一統志」の一部に地図と. められる.宮殿建築の設計方法に関しては技術 「京師」・「皇城内」の配置図などの絵図資料が確 的な資料や建設に参加した技術者は見つかって. 認できる.以下,資料毎に本論文で参照した箇所,. いない.宮殿以外の民間建築に関しては,現在. 内容を整理する.. も技術者が活躍しており,その技術について調. < 欽定「大南會典事例正編」>. 査が可能である.宮殿建築と民間建築の設計. 阮朝成立年(1802)から明命末年(1840)ま. 方法が全く同じとは断言できないが,手がか. での事例を,官僚機構ごとに記述を分け,年代. りのひとつとして民間建築の設計方法の研究. 順 に 分 類・ 整 理 し 編 纂 さ れ た. 後 に 嗣 徳 5 年. から把握した知識に基づいて宮殿建築の設計 (1852)までの事例を補填.本論文で参照した箇 方法を分析することも重要な手段のひとつと 考えられる.. 所は主に「工部」の数巻である. 巻 205 は主に京城・皇城の宮殿に関する記述 17.

(12) 序論第3章. である.柳下修論により,これらの記述におけ. より詳しい記述もあるため,適宜相互補完のた. る傾向が 3 つの部分に大別されている.これに. め参照した.. 倣えば,最初に京城内の各施設を示し,次に各. < 大南一統志 >. 宮殿の規模や互いの位置関係に関する記述がな. 1882 年( 嗣 徳 35 年 ) に 稿 本 が 完 成 さ れ,. され,続いて年代ごとの各宮殿造営経過が示さ. 1909 年(維新 3 年)に版本が刊行されたといわ. れる.柳下修論においては,嗣徳期の補填は. れる.紫禁城内の宮殿に関しては,それらの配. 3 番目の部分のみとしているが,紹治六年に建. 置が記述され,おおよその位置関係が把握でき. てられた宮殿が二番目の部分の記述にも現れる. る.また若干ではあるが,宮殿の営造年代・修 よって前段の記述は少なくとも紹治末期までの. 理年代・撤回年代・宮殿名称の変更などの記述. 状況を伝えるものであると考えられる.. もみられる.建物規模・建物機能などに関して. 巻 209 は 城 臺 に 関 す る 記 述 で, 紫 禁 城 の 城. はごく少量の情報のみ散見される.紫禁城内に. 壁・門の記述がなされ,巻 210 には京署の記述. 関する記述内容に,成泰期(1889 〜 1906)の. がある.また移築という営為が他の木造文化圏. 出来事が記載される事から,稿本から版本に至. と同様に散見され,巻 207・巻 208 の壇廟の記. るまでに増補されていることが明らかである.. 述なども合わせて「工部」全体を注意して読解. 主に上記文献が網羅しない阮朝後期の宮殿配置. する必要がある.また巻 222 は,「工政」と題し. に関する情報を把握した.. 「工作規程」・「修補通例」など修理や建築材料に. < 殿堂名號圖式 >. ついて記述があるため,適宜参照した.記述内. 入 手 し た「 殿 堂 名 號 圖 式 」11) は 墨 書 と 思. 容の濃淡はあるにせよ,この資料により阮朝初. わ れ る 10 枚 の 資 料 で あ る が, 内 容 は 5 枚. 期から中初期までにおける各宮殿の営造年代・. の 絵 図 と な っ て お り, 梁 行 断 面 の 構 成 部 材. 配置・構造形式・装飾様式が判明する. < 欽定「大南會典事例続編」>. (図 10)・桁行断面の構成部材(図 11)・屋根の 構成部材(図 12)・建具の構成部材(図 13),他. 啓 定 四 年(1917) に 公 刊 さ れ た. 阮 朝 中 期. は家具についての絵図である.資料の詳細は不. (嗣徳 5 年〜同慶末)の主に修理・改造の記述が. 明であるが,阮朝の漢喃資料に比して大部分の. あり,「事例」に比べてその内容が詳しく記述. 用語が同じものが使用されており,阮朝期に作. される.記述のある期間に比べて記述量が少な. 成されたものと考えられる.. いため,この時期の全てを網羅しているか多少. 本論文では,漢喃資料から把握した建築理念. の疑問が残る.周知の通り,この時期はフラン. と建築専門用語に加え,「殿堂名號圖式」の絵図. スによる占領や文紳の反乱など国内外において. を検討することが必要と思われる.以下,勤政. 動乱の起こった時代である.. 殿の復原的研究に関連する重要な建築用語を表. < 大南寔録正編 >. 2 〜 4 に整理し,建築と空間的概念・木造架構. 歴代皇帝の帝位期間ごとに纏められた阮朝. などの関連する用語を説明する.. の 正 史 で あ る. 現 在 発 見 さ れ て い る も の は, 第 1 紀(嘉隆帝)から第六紀(同慶帝)までの. 第 2 項 建築規模・空間的概念に関する用語. ものである.本論で扱ったのは「事例」が記述. 漢喃資料に記述されている建築規模と建築空. する期間,則ち嗣徳 5 年までである.全体の記. 間に関する概念の名称,特に連棟式建築に関連. 述内容に比して宮殿造営に関わる記述が多いと. する名称は,統一されていない用語もあるよう. は言えないが,主要な宮殿に関しては,着工か. で,例えば「殿」 ・ 「堂」,「脊」 ・ 「楹」,「廂」 ・ 「厦」 ・. ら竣工までの年月,担当官吏,工人数,宮殿の 「軒」などは,それぞれ同じ対象を指すと考え 機能や使用形態などが記述される.基本的には. られる.二棟連棟式建築は前殿と正殿から構成. 他の文献の信憑性を確認するために用いるが, される.例えば「前脊と正脊」,「前堂と正堂」, 18.

(13) 序論第3章. からは,フエの宮殿建築の寸法計画の把握の基. 表2. 建築規模と空間的概念に関する用語 No 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26. ����� ����� �� ����� � �� �� �� � �� �� � �� �� � �� �� � �� ��� �� ��� �� �� � �� � � �� �� � ��. ��� �i�n Chính �i�n Ti�n �i�n Ph�i �i�n Tích Chính Tích Ti�n Tích Doanh Chính Doanh Ti�n Doanh ���ng Chính ���ng Ti�n ���ng Gian Trung Gian Chính Trung Gian Th� Gian T� H�u Gian L��ng Tâm Ch�n Tâm S��ng L��ng S��ng H� L��ng H� Hiên L��ng Hiên. �������� �� �� �� �� ���� �� �� �� �� �� �� �� �� � ��� ��� �� ���� ������ ����� �� ���� �� ���� � ���. 表註: 事例は欽定「大南會典事例正編」・続編は欽定「大南會典事例続編」・ ・統志は「大南一統志」 ・圖式は「殿堂名號圖式」 寔録は「大南寔録正編」. 「前楹と正楹」という用語は全て二棟連棟式建築 を構成する前殿と正殿を指すと考えられる.類 似した空間的概念の「廂」・「厦」は日本建築の 概念「裳階」に近い概念でと考えられ,「軒」は 日本建築用語と同じである(表 2). 文献記述に見られる建築の空間的概念の用語 で代表的なものは,「間と廂」・「正中間」・「梁心 と振心」である.「間と廂」は建築の規模に関す る用語であり,文献記述の一例は「勤政殿... 正脊五間前脊七間東西兩廂」12)または「工部以 次而東毎部堂五座毎座三間二厦」13) を見れば, 建築の規模を表す際の桁行の間数・庇数である と判断できる.「正中間」は桁行方向の中央間を 指す用語であり,これに対して各「左右間」が 「正中間」の左右に対称的に設置される.例えば 「追思殿前脊 ... 正中間竝左右一左右二左右三共 七間 ... 正脊左右厦竝後靣簷柱行後靣正中間竝左 右一共三間」14)などがそれである.「梁心と振心」 は平面計画上,桁行の基準柱間と梁行のそれを 指す用語と考えられ,文献上の「尚書堂梁心振 心各七尺三寸大柱高十三尺六寸」15)または「梁 心各七尺八寸振心各八尺大柱高十一尺五寸」16). 本には「梁心」・「振心」・「大柱高」の三つを代 表させる指向があったと考えられる.本研究で は,この「梁心」 ・ 「振心」の相互関係を注視して, 本論第 3 章 2 〜 3 節にて各殿舎の平面・断面寸 法計画の分析を行う. 第 3 項 木造架構に関する用語 文献記述から確認できる宮殿建築の木造架構 に関する建築用語は,主に架構の種類・屋根形 式・木造架構の構成部材の用語である.架構の 種類に関する用語は「重梁」 ・ 「交架」 ・ 「翼交架」 ・ ・ 「承霤架」など,屋根形式に関する用語は「重簷」 「古閻」・「飛閻」など,木造架構の構成部材に 関する用語は「柱」・「穿」・「貞」・「架」・「棟」 などがある(表 3). 表3. 木造架構に関する用語 ����� ����� ����� 1 � � 2 �� 3 �� 4 �� �� 5 �� �� 6 �� �� 7 �� ���� ���� ���� 8 �� 9 ���� 10 ���� 11 �� 12 �� 13 ��� �� 14 �� 15 �� 16 �� 17 � 18 �� 19 �� �� 20 � 21 �� �� 22 � � 23 � 24 �� 25 �� 26 �� 27 � 28 � �/� 29 ��� 30 ��� ��� 31 ��� ��� 32 �� �� 33 ��� 34 �� �� 35 ��� ��� 36 ��� ��� 37 �� �� 38 � � 39 �� 40 � � 41 ��. No. ��. ��� Tr� Tr� S� T�ng Th�ch ��i Tr� Trung Tr� Ti�u Tr� Chi Tr� �� Nh�t Tr� Hàng �� Nh� Tr� Hàng �� Tam Tr� Hàng Diêm Tr� Chính ���ng ��i Tr� Ti�n ���ng ��i Tr� �� Tr� Tr� ��u Lan Tr� Chuyên Tr� Th�ch Tr� ��ng Tr� Chuy�t Th�a Chuy�t Tr�ng L��ng ��ng ��ng Kiên Diêm Diêm Phi Diêm C� Diêm Tr�ng Diêm Xuyên L��ng / Trinh �� Nh�t Giá �� Nh� Giá �� Tam Giá Trùng Hoa Tr� Giao Giá D�c Giao Giá Th�a L�u Th�a L�u Giá Th�a L�u B�n Th�a Vinh Suy Suy B�n Hành Hành Suy. �������� � �� �� �� �� �� �� ���� ���� ���� �� ���� ���� �� �� �� ���� �� �� �� �� �� �� ������� � �� ���� ��� ����� �� �� ���������� ���������� ���������� �������� ���������� ����� �� �������� ������ ������� �� ��� � ����. などの記述を見ると,寸法計画上,代表させる. 表註:. べき長さを指していると考えられる.この記述. ・統志は「大南一統志」 ・圖式は「殿堂名號圖式」 寔録は「大南寔録正編」. 事例は欽定「大南會典事例正編」・続編は欽定「大南會典事例続編」・. 19.

(14) 序論第3章. 柱に関して,「殿堂名號圖式」(図 10)には 4 つの用語「大柱」・「中柱」・「小柱」・「枝柱」, または漢喃文書の資料に見られる「第一柱行」・ 「第二柱行」・「第三柱行」17) の記述が確認でき る.フエの宮殿建築の柱は,梁行方向に対して 内転びし且つ柱元に連結部材が少ないため,梁 行・桁行の柱間寸法計画に重要な部材は架構上 部に設定すると考えられる.「貞」とされる大梁 が「梁心」の寸法であり,「穿」とされる大貫 が「振心」の寸法である.これらの部材の長さ (柱心との交点の距離)とそれに対応する柱元 の柱間寸法は,殿舎の平面・断面寸法計画と柱 転びを分析する際に重要である.また「架」と 呼ばれる登梁が,中部の伝統的建築において特 徴のひとつである.漢喃文書の資料には「第一 架」・ 「第二架」・「第三架」18) などの記述が見え るが,「殿堂名號圖式」にそれがない.しかし, それに似た用語「交架」という用語が絵図に 確認できる(図 10).その用法からここでは仮. 表4. 建具・門・基壇・建設材料に関する用語 No 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38. ����� ����� ��� ����� �� �� Dung B�n �� �� Phúc B�n �� �� ��a B�n �� Bích B�n �� Bao B�n �� Diêm Kiên �� Xuyên Ba �� �� Liên Hoa ���� Nh�t B� Nh�t B�n ���� Th��ng Song H� B�n ��� ��� Tà Xuyên Ba � � Môn �� �� Môn Phi ��� Quách Bình Môn �� Hoành Tranh �� Tr�c Tranh �� M�c Qu�c � Giai � B� � T��ng � C� ��� Kim B�o Châu �� Thiên H� � Ngõa ���� Hoàng L�u Ly Ngõa ���� Thanh L�u Ly Ngõa ��� Âm D��ng Ngõa �� Bình Ngõa �� B�n Ngõa �� Ngõa Phi�n � Chuyên � Chuyên �� Ba Chuyên �� Thi�t Chuyên �� �i�u Chuyên ��� Bát Tràng Chuyên �� Thanh Th�ch. ��������. ��. ������� �� �� �� ���� ������� �� �� �� � ���� � �� ���� ������� �������� �� �� �� � �� ��� �� � ���� ���� ��� �� �� �� �� �� ����� ���� ���� ������ ���. に「架」は登梁ケオを指すと考えたい.以上,4. 表註:. つの部材はベトナム中部の伝統的建築の特徴的. ・統志は「大南一統志」 ・圖式は「殿堂名號圖式」 寔録は「大南寔録正編」. な「クォン・クィ」と呼ばれる大梁柱間架構を 構成する. 第 4 項 建具・門・基壇・建設材料に関する用語 表 4 に整理した建具・門・基壇・建設材料に 関する用語は,宮殿建築の設計方法にどの程度 関連するのかは不明であるが,文献上に頻出す る建築関連用語である.それらの記述は,ほと んどが殿舎の描写かあるいは修理に関する記録 であり,建設と修理工事に関わる重要な用語と 考えられる. 文献記述・絵図・平面と断面構成の方法・宮 殿建築の番付に加え,大工棟梁への聞き取り調 査結果を参照し,文献から集めた建築用語の基 本的概念と部材位置が把握された.本論文で重 要なフエの宮殿建築の用語を図 14 に整理した.. 事例は欽定「大南會典事例正編」・続編は欽定「大南會典事例続編」・. Lược, Nhà xuất bản Bộ Giáo Dục-Trung Tâm Học Liệu, 1919.. Trần Quốc Vượng, Việt nam-Cái nhìn địa văn hóa, Nhà xuất bản Văn Hóa Dân Tộc, 1998. Đại Việt Sử Ký Toàn Thư「大越. 史記全書」 , Nhà xuất bản Khoa học Xã hội, 1993 などによる.. 2) Jan M.Pluvier, Historical Atlas of South-East Asia, E.J.Brill, Leiden-New york-Koln, 1995, map 4, 12 (pp. 4, 12).. 3) Jan M.Pluvier, Historical Atlas of South-East Asia, E.J.Brill, Leiden-New york-Koln, 1995, map 28 (p.28).. 4) 阮朝工部の『大南一統全圖』,1834.. 5) Jan M.Pluvier, Historical Atlas of South-East Asia, E.J.Brill, Leiden-New york-Koln, 1995, map 29 (p. 29).. 5) 欽定『大南會典事例正編』工部,205 〜 210 巻 6) 同上. 7) 同上.. 8) 欽定『大南會典事例続編』工部,44 巻. 9) 20 世紀後半に撮影された白黒写真・現地調査から認め られたこと.. 10)欽定『大南會典事例正編』工部,巻 205 〜 223 の目次 11)ホチミン市の社会科学博物館,記号 HNV.139. 12)欽定『大南會典事例正編』工部,巻 205,葉 10 13)欽定『大南會典事例正編』工部,巻 210,葉 22 14)欽定『大南會典事例続編』工部,巻 44,葉 14. 序論の註. 15)欽定『大南會典事例正編』工部,巻 210,葉 22. 1) Phan Khoang, Việt Sử Xứ Đàng Trong, Nhà sách Khai Trí, 62. 17)欽定『大南會典事例続編』工部,巻 44,葉 15. Đại lộ Lê Lợi, Sài Sòn, 1969. Trần Trọng Kim, Việt Nam Sử. 20. 16)欽定『大南會典事例正編』工部,巻 210,葉 29 18)欽定『大南會典事例続編』工部,巻 44,葉 16.

(15) 序論第3章. 図 10.阮朝の「殿堂名號圖式」の図面(梁行断面の構成部材). 図 11.阮朝の「殿堂名號圖式」の図面(桁行断面の構成部材) 21.

(16) 序論第3章. 図 12.阮朝の「殿堂名號圖式」の図面(屋根の構成部材). 図 13.阮朝の「殿堂名號圖式」の図面(建具の構成部材) 22.

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参照

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