書 評 オリエント 60–2(2017):208–213 川本智史著
『オスマン朝宮殿の建築史』
東京大学出版会,2016
年8
月,265
+25
頁,定価6
,
600
円(税別) 深 見 奈緒子* FUKAMI Naoko 本書は東京大学建築学科の博士論文をもとに,オスマン朝の形成期から16世紀までを対象に,多 様に展開する宮殿群の起源と性格を提示・復元した研究論文である。オスマン朝が世界帝国へと成 長を遂げる中,王朝が政治システムを構築するとともに,宮殿儀礼と宮殿建築群を生み出す様相を 分析する。以下,前半で章構成に沿って内容を紹介し,後半で若干の感想を述べたい。 序章では,トプカプ宮殿のみに基づく前近代オスマン朝の宮殿像を見直すには,群として存在し た諸宮殿に注目する必要があるとし,宮殿建築は当時の政治・外交・社会的状況を如実に投影する ので,建築史においても建築的分析にとどまらず,社会の諸状況を見極めながら,考察せねばなら ないと述べる。 オスマン朝宮殿の既往研究は限られ,トプカプ宮殿を焦点とする研究が大半を占める。オスマン 朝宮殿をイスラーム世界の宮殿類型の中に位置付けるために,バカラックの研究にネジプオールが 修正を加えた類型が検討される。その類型とは,1)イスラーム初期の,都市内部に位置し中庭を 中心とし「ドーム」をもつ宮殿で,大モスクを隣接するもの,2)9世紀以後の,既存都市から離れ た新市街に築かれた巨大な複合宮殿建築で,大中庭に続く謁見室が中心となるもの,3)12世紀以 後の,都市に隣接あるいは内包された城塞内に建設された宮殿や行政施設,4)13世紀後半以後の,「遊 牧王権的」な都市内宮殿と郊外庭園,の4つである。ネジプオールはバカラックの3類型に第4の類 型を追加し,そこにオスマン朝宮殿を当てはめるが,不十分である。トプカプ宮殿のように都市内 にあり儀礼中庭を核とした政治的な主宮殿はオスマン朝宮殿群の一類型にすぎず,それ以外の機能 と形態を有した宮殿がオスマン領各地に存在した。 第1章では,15世紀第一四半期に形を整えたエディルネ旧宮殿を主題とする。エディルネ旧宮殿 以前のアナトリアの宮殿建築には,1)都市内の小規模敷地に配された高層楼閣と,2)都市外の広 大な庭園や牧地に点在する中小建物の2つのタイプがあり,14世紀末ブルサのオスマン朝宮殿は前 者であった。1402年から1413年の空位時代を契機に首都はブルサからエディルネへ移動,エディ ルネ旧宮殿は,1420年頃までに,敷地周辺に壁をもつ宮殿として拡張された。その様相を15世紀 前半に宮殿を訪問したヨーロッパ人たちの記述から復元すれば,宮殿は外壁に囲まれ主門をもつ。 スルタンは宮殿内の居室から回廊を備えた中庭に移動,中庭に面する回廊に玉座を据え,中庭で謁 見儀礼と饗宴を行った。 すなわちトプカプ宮殿に先んじ,エディルネ旧宮殿で中庭が閣議や謁見に用いられた。この変化 の要因を探るため,影響関係の大きいほぼ同時期の諸宮殿と比較考察すると,ティムールのケシュ * 日本学術振興会カイロ研究連絡センター・センター長の「白の宮殿」が該当し,これは先の4類型のうち第2の系譜を引く。エディルネ旧宮殿は,メフ メト1世,ムラト2世治世期の中央集権化を目指した政治・軍事機構の変革と呼応し,ティムール 朝に学び中庭を宮廷儀礼の中心とするという変容を遂げた。 第2章では,エディルネ旧宮殿を祖型とするトプカプ宮殿に注目し,儀礼中庭を保持しつつ,儀 礼行為を司る空間が整備・再編される過程を明らかにする。従来メフメト2世の創意とされるトプ カプ宮殿を正しく理解するためには,宮殿建築の継続性と,漸次変化する宮廷儀礼に対応して増改 築を続ける両側面に注目すべきである。 16世紀後半から17世紀に完成した宮廷儀礼では,御前会議は外廷(第2中庭)の新閣議の間,上 奏は内廷(第3中庭)の上奏の間で行われ,即位式と祝祭は至福門(第2中庭と第3中庭の境界に位 置)下に玉座をおき,外廷を舞台とした。御前会議と上奏は,エディルネ旧宮殿で儀式中庭に移さ れるまで,アナトリアでは都市内宮殿の高楼で行われた。トプカプ宮殿では当初エディルネ旧宮殿 同様に外廷を舞台としたが,メフメト2世晩年に御前会議は外廷の旧閣議の間,上奏は内廷の上奏 の間に分化した。第2中庭で行われる即位式と祝祭は,エディルネ旧宮殿の謁見儀礼の名残を見せる。 1470年代末に成立したカーヌーン・ナーメの分析から,創建直後に上奏の間はなく,第2中庭, ハスオダ,旧閣議の間が存在し,上奏の間建設は1470年代末以後である。トプカプ宮殿創建直後か らメフメト2世治世末まで,第2中庭では,謁見,饗宴,御前会議,上奏,外国使節謁見等が行われた。 なお,エディルネ新宮殿における内廷の望界の楼は,オスマン朝初期からの楼閣建築の伝統を引き 継いでいるが,ここから派生したのがトプカプ宮殿の上奏の間とハスオダであり,オスマン朝宮廷 の連続性がみられる。 第3章では,オスマン宮廷の移動に注目する。西アジアの遊牧系王朝では,1)主要都市間の移動, 2)宮殿を主要都市に建設するが滞在地は郊外の庭園や牧地とすること,3)冬営地と夏営地の移動 の繰返しという点が共通する。 メフメト2世,バヤジト2世,セリム1世の滞在先を検討すると,メフメト2世以来,トプカプ宮 殿は即位儀礼の地として意味をもち首都化志向をあらわすが,バヤジト2世とセリム1世は長期に わたってエディルネに滞在した。都市間移動の多くは二都間の移動で,副都でも外交交渉が行われ た。郊外の庭園・牧地の利用も頻繁で,滞在時には儀礼も行われた。ただし夏営地・冬営地の移動 という毎年定められた場所に移る慣習はない。 メフメト2世の台所支出帳を分析すると,牧地を移動しながら各地で大きな宴席を設けており, 年代記に残る二都滞在期間と相違する。1453年以降も,スルタンは首都と副都を往復し,都市外の 牧地・庭園での滞在は長期におよび,遊興にとどまらず重要儀礼を行った。 第4章では,メフメト2世が征服直後1454年に着手し1458年に完成したイスタンブル旧宮殿が,ルー ム・セルジューク朝以来のアナトリアの都市内の小宮殿の系譜にあり,主要都市の宮殿同様,スル タンと家族の滞在用であったことを証明する。 宮殿敷地の変遷を辿ると,1480年までは内廓のみで周囲に庭園,南側に広場があり,ビザンツ時 代の街区が境界だった。1490年までに既存の街区壁が更新され2重壁を備える。1500年以後バヤジ ト2世複合体,スレイマニエ施設群建設に伴い宮殿域は縮小した。 旧宮殿に外廷や儀礼用中庭は存在せず,南側広場を望む高層建造物があり,内廷の空間と機能の みを備えた宮殿であった。バルカン半島地方都市の宮殿には,ハレムとスルタンの一時的滞在地と
なる内廷だけの宮殿がある。旧宮殿もその一例で,スルタンの居住施設として,高層建造物の上で スルタンが接見や御前会議を行う古い形式を踏襲した。 第5章では,16世紀以降のイスタンブル郊外の離宮は,周辺の都市儀礼の拠点となったことを明 らかにし,首都における都市儀礼と宮殿群,都市統治との関わりを考察する。 ユスキュダル宮殿とダウト・パシャ宮殿に注目すると,都市外部の広大な庭園や牧地に中小建造 物が点在するタイプを起源とし,郊外の庭園に小規模な建物を点在させていた。 16世紀末,スルタンはユスキュダル宮殿を「住居」とし,「職場」であるトプカプ宮殿に上奏の ために通った。また,ダウト・パシャ宮殿では高官との接見や宴会が開催され,上奏の間に相当す る石のキョシュクが整備された。同時に両宮殿は,周囲の平地を儀礼空間とし,出征前や凱旋の祝 祭の舞台にもなる。これは,オスマン朝初期の儀礼を行う牧地の伝統を受け継ぎ,宮殿とその周辺 の平地が秩序構築の一端を担っていた。 結びでは,エディルネ旧宮殿の儀礼空間としての中庭という新規性がトプカプ宮殿に継承される 一方,儀礼の変容に即して建物もまた変容したことが論じられる。トプカプ宮殿は16世紀前半まで はスルタン常駐の宮殿ではなく,副都での長期滞在や牧地での滞在も勘案せねばならない。加えて, スルタンの内廷(住まい)としてのイスタンブル旧宮殿も併存した。さらに時代は下るが,16世紀 末から17世紀初頭のイスタンブル近郊の郊外宮殿は,謁見の間を作るなど政治的性格を帯び,周辺 の平原では都市儀礼も行われた。 最後に,オスマン朝宮殿像再構築と今後の課題が語られ,補論として前近代オスマン朝期を対象 とした都市史,建築史の歴史がトルコ共和国を中心にまとめられる。 本書は,遺構が限られしかも使用状況が変化する宮殿建築という困難な課題に,史料と遺構に加 え,膨大な既往研究を駆使して立ち向かった研究である点で高く評価できる。特に,建築を単なる モノとしてみるのではなく,当時の政治や社会との関わりから宮殿建築の様相を復元する際の多様 な手法は卓越している。第1章では,現物の残らないエディルネ旧宮殿に関して,当時の著述をも とにその空間を復元し,その様相をイスラーム宮殿建築の系譜に位置付ける。第2章では,儀礼の 変容を追うことでトプカプ宮殿の使われ方の変遷を追う。第3章では,宮廷の移動について,西ア ジアの遊牧系王朝と比較し,台所支出帳から細かなスルタンの移動を確認する。第4章では都市図 を解析し,イスタンブル旧宮殿の変化の様相を披露する。第5章では,時代を転じ,16世紀後半の 郊外宮殿のあり方を,遺構と史料から都市に結びつける。 それぞれの章に関しては,非の打ち所のない著作ながら,著者は前途有望な若き研究者なので, 今後のさらなる研究発展のために,幾つかの注文をあえて提起したい。 まず,本書を一読すると,手際のよい解析方法と,丁寧な説得的な文体によって納得してしまう。 しかしながら,章構成の必然性に関する記述に欠けているように思う。『オスマン朝宮殿の建築史』 の表題に見合うように,多様な宮殿像を,たとえ15世紀から16世紀初頭に限った試論にせよ,社 会状況と政治状況の変化と合わせながら,もう少し構築的にまとめる必要があったのではないだろ うか。査読論文を集結・修整した博士論文を基盤とするという制限もあるが,この点は惜しまれる。 例えば,エディルネ新宮殿の分析を欠く点は,今後の課題に言及はあるものの,本著で扱わなかっ た理由に対する答えは提示されない。なぜ,トプカプ宮殿の祖型となるような新式の旧宮殿があっ たのに,同様に儀式中庭と望界の楼をもつエディルネ新宮殿を建設したのだろう。また,ダウト・
パシャ宮殿とユスキュダル宮殿に対しては,15世紀以前のアナトリアの宮殿2類型のうち,郊外の 庭園に小規模な建造物を点在させるタイプを起源とすると述べながら,前者はトプカプ宮殿完成前 のイスタンブル旧宮殿にちかいものであったとする。内廷と外廷という区別について,どのような 空間区分の変遷が読み取れるのであろうか。 高層建造物と儀式中庭については丁寧な記述があることから, ある程度,読者が整理して読みこ なすことが可能であるが,都市と郊外,外廷と内廷,謁見や御前会議などの国事行為と居住といっ た点については,時代的変化を加味しつつ図示する必要があったと思われる。 また,第1章はトプカプ宮殿の祖形を探るという意味で第2章と緊密な結びつきを読み取ること ができる。しかしながら第3章から第5章では宮殿の多様性を提示できてはいるが,宮殿間の相互 関係性や使われ方にまでは踏み込めていないように思う。儀式の分析には富んでいるが,「住む」 という機能の分析をもう少し充実させるとより包括的なオスマン朝の宮殿像が浮かび上がってくる のではないだろうか。史料や遺構の制限は大きいと思われるが,今後の課題として欲しい。 第2に,イスラーム宮殿建築史の流れに位置付けつつ,それを修正しようという意図は見られる ものの,「むすび」では分析したオスマン朝諸宮殿を,序章で提示したイスラーム宮殿の4類型に当 てはめている。しかしながらこの4類型は,あくまで主宮殿の歴史的区分とその形態的特徴で,都 市と宮殿の位置関係を基盤としている。この類型論の基本となる時代的変遷という要素を無視して オスマン朝宮殿を当てはめ直す点,都市との地理的関係を考慮せずに形態の当該性だけを問うこと の意図は理解できない。「多様で複雑な存在としての姿」を語るには,この類型自体を凌駕すべき ではないだろうか。 例えば,著者が第1章で「中庭を閣議や謁見に用いる点」で比較対象とするマムルーク朝城砦内 の「正義の家」の前面には広い空間があった 1 。また,デリーのトゥグルカーバード城砦内の宮殿(14 世紀初頭) 2 やスワヒリ地方のキルワの市域から離れた宮殿(14世紀から15世紀) 3 には,広い中庭があっ たことが発掘から明らかである。これらの中庭はドームやイーワーンなどの主室と深く結びついて いるが,どのように使われたのであろうか。あるいは,著者が指摘するようにムガル朝の大中庭は 謁見に使われた。城壁に囲まれた宮殿域とは異なるものの,サファヴィー朝のイスファハーンの王 の広場もこの系列に入れることが可能であろう。エディルネ旧宮殿に使われた大中庭という形態的 側面は,バカラックの類型の第2期にこだわることなく時代を超えた現象とも言えよう。 さらに付け加えれば,デリーの中世におけるイスラーム宮殿建築には,大中庭を用いる宮殿に加 え,多様な遺構がありその悉皆調査はなされているが 4 ,いまだ建築に関する研究はない。バカラッ クは第1の類型に対してヒルバット・アル・マフジャルのみを例示するが,ウマイヤ朝の砂漠の離 宮群あるいは北アフリカ沿岸部に点在するファーティマ朝の諸宮殿などをはじめ,発掘遺構に関し ては十分な位置付けがなされていない。単に主宮殿に留まらない包括的な研究の比較素材はそれほ ど限定的ではないと言えよう。
( 1 ) N. Rabbat, Mamluk History through Architecture: Monuments, Culture and Politics in Egypt and Syria, London: I. B. Tauris, 2010, 156.
( 2 ) M. Shokoohy and N. H. Shokoohy, Tughluqabad: A Paradigm for Indo-Islamic Urban Planning and Its
Architectural Components, London: Arax Books, 2007, 113–122.
( 3 ) N. Chittick, Kilwa: An Islamic Trading City on the East African Coast, Nairobi: British Institute in Eastern Africa, 1974.
著者は宮殿の定義として,「宮殿とは君主が家族とともに住まう住居であるが,同時に機能面で は君主に付随する宮廷や政府が内政・外交・教育等を行い,物理的な建造物としては権力の象徴 となる多義的な建築」とする。すなわち,主宮殿のみでなくより包括的に宮殿施設に注目する点は, 従来の研究をより広範に拡大できる可能性を秘めている。イスラーム世界全体の事例を考察し,し かも広い意味での宮殿を対象とする難しさはあるが,包括的なイスラーム宮殿の類型化は,今後著 者に挑んで欲しい課題のひとつでもある。 第3に,建築的な分析に対する問題点を指摘したい。史料の言葉や文章を実際の空間として復元 する際,著者はさまざまな方面から論証することによって,深く検討している。とはいえ,大中庭, 高層建造物,回廊,広間,キョシュクなどの言葉で,その空間の実態を伝えることはかなり難しい。 建築史家として,どのような類例を考えればよいのかという点に配慮を払うことがのぞまれる。 そのひとつとして,著者は空間の起源をたどる考察を行っている。しかしながら,もうひとつ踏 み込みが足らないように思われる。 例えば,オスマン朝宮殿が,仮説のようにケシュの白の宮殿から儀礼中庭を取り入れたとするな らば,なぜ白の宮殿にあった「大きな謁見室」は取り入れなかったのだろう。そして,アナトリア の古いタイプの都市の宮殿にあった高層建造物の儀式広間はどこへいってしまったのだろうか。エ ディルネ旧宮殿にあったかもしれない高層建造物,エディルネ新宮殿の望界の楼,1470年以後のト プカプ宮殿の上奏の間の間に連続性が述べられるものの,エディルネ旧宮殿においては,有蓋の広 間空間から離れて,戸外空間(回廊という半戸外もあわせて)で儀礼が行われるようになったとい う点に注目すべきだとすれば,ケシュの白の宮殿から何を学んだのだろうか。また逆にアナトリア の宮殿の特徴として捉えられる儀式が行われた高層建造物について言えば,トプカプ宮殿では正義 の塔はあるものの,なぜ旧閣議の間や上奏の間では高層建造物が嗜好されなくなったのだろうか。 さらに宮殿建築を見渡すと,中軸線の重要視と特に中庭の中軸線に関する対称性は,アンダルシ アからインドまでかなり多くの宮殿で守られてきた鉄則とも言える。著者のいう「権力の象徴とな る」建築で,トプカプ宮殿の主たる第2中庭はなぜ不整形なのだろう。表敬門と至福門をつなぐ軸 線はなぜ斜行するのだろう。御前会議の行われた旧閣議の間は,なぜ隅部に配置されたのだろうか。 宮殿が長い期間にわたる増改築の賜物だとしても,トプカプ宮殿設立の際にこうした建築的構想と どのように対峙していたのだろうか。疑問は尽きない。 最後に,宮殿建築史研究という側面を考えると,従来のトプカプだけに代表されるオスマン宮殿 建築像を書き換え,オスマン朝宮殿建築の多様性を描き出したという点で評価できる。しかしなが らイスラーム宮殿建築史に関しては,『アルス・オリエンタリス』での特集 5 ,そしてヒレンブラン トの著作 6 などが刊行された1990年代初頭以後,包括的にイスラームの宮殿建築を扱った著作ある いは論文集は管見によれば見当たらない。その理由として地域時代を限った各王朝の宮殿建築に対 する研究の深化と,宮殿建築という世俗建築に関してイスラーム王朝だけにこだわる点への疑義を 提起できよう。しかしながら四半世紀の沈黙の後,宮殿建築に対して発掘遺構を駆使し包括的な議
(5 ) G. Necipoglu (ed.), “Pre-modern Islamic Palaces,” special issue, Ars Orientalis 23, 1993.
(6 ) R. Hillenbrand, Islamic Architecture: Form, Function, and Meaning, Edinburgh: Edinburgh University Press, 1994.
論を行う著作も現れ始めている 7 。2つの帝都と15世紀から16世紀初頭を対象とする本著作を基盤に, オスマン朝が支配を広げた地域と時代に研究を発展させることにより,第2の点にあげた新たな宮 殿建築類型論の構築も可能となると確信する。 日本では研究者数が少ないイスラーム建築史において,史料を駆使して空間を復元するという, 歴史学と建築史を結びつける最初の研究論考として,高く評価される研究であると同時に,今後の 展開が期待される論考である。
( 7 ) F. Arnold, Islamic Palace Architecture in the Western Mediterranean: A History, New York: Oxford University Press, 2017.