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平城宮第一次大極殿院の 地形復原

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Academic year: 2021

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平城宮第一次大極殿院の 地形復原

遺構の解釈第一次大極殿院では東半部のほとんどの調 査を終え、西半部については要所で施設の位置やバラス 面の標高等をおさえることにより、噂積擁壁の南側では 施設や地形が概ね左右対称となることを確認している。

埠積擁壁北側の西而回廊の調査( 第2 9 5 次)ではその東雨 落溝( S D 1 7 8 6 0 ) の底石と東側石、その束に広がる下屑バ ラス敷(S X l 7 8 6 5 ) 、さらにこれらを覆う上層バラス敷 ( S X 1 7 8 6 6 )を検出した。ところが、第一次大極殿院の時 期(1−1期)の地表面を示すと考えた下屑バラス敷の標 高( 7 1 . 6 3 m)は、東側対称位置のバラス敷( S X 8 3 5 1 )の標 高( 7 2 . 5 4 m)より約0 . 9 m低いことがわかった。このこと から博稜擁壁の北側では、西而築地I I i I 廊付近の地盤は東 側に比べ下がっていたと素直に解釈した。ところが、下 層バラス敷と雨落満はⅡ期の西宮に伴うのものであり、

1期の大極殿院の地盤面はもっと高い位置にあって、西 宮建設時に削平されたのではないかとの疑念が一部で生 じた。これは復原像を描くのに、複数の遺構の実態から 類推する帰納的な方法論と、博積擁壁の北側の地盤はあ くまで左右対称とするイメージを優先させて遺櫛を解釈 する減鐸的な方法論の違いであった。そこで問題を解決 すべく第2 9 5 次の南で第3 0 5 次調査を実施したが、遺構の 時期を確定する出土遺物など直接的な資料は得られなか った。しかし、北面築地回廊の部分的再発掘や、これま での調査で検出した遺構の検討により、第2 9 5 次調査での 遺構解釈を裏付ける成果を得たのでこれを報告する。な お、遺構の時期区分は『平城報告X I 』による。

傍証①北面築地回│ 郎南雨洛溝1期の北而築地' ' ' 1 廊はⅡ 期、Ⅲ期の北面施設の位置とは異なり検出遺構は重複せ ず、確実に1期のものになる。北面築地回廊の南雨落溝 の再発掘によって、この溝は南側側石沿いに底石より一 段高く玉石を並べる特異な断而をもち、S D1 7 8 6 0 と同じ 仕様であることが確認できた。

傍証②北面築地回廊南雨落溝南側石の勾配北面築地回 廊南雨落溝南側石とそれにつづくバラス敷が断続的に検 出されており、中央部が最も高く東西に振り分けた地形 となっている。東半部では0 . 1 〜0 . 3 %で、全体では0 . 2 5 % の勾配で束へ下る。一方、西半部では中央から西半部の

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2 / 3 付近まで0 . 7 %で下がり、そこから1 . 8 %で西へ下がり、

全体では1 . 0 %の勾配である。両端は削平されているが、

東端で標高7 2 . 8 3 m、西端で7 2 . 2 1 mと推定でき、西而の築 地回廊北端は東而のそれに比べて0 . 6 2 m低くなっている。

傍証③対になる掘立柱施設の柱底の標高掘立柱建物お よび掘立柱塀の柱の深さは、同時期、同規模の施設であ れば同様の地下構造をもち、当時の地表而からほぼ同程 度掘り込んでいたと考えられる。そこで断ち割り調査で 得られた柱根や柱痕跡、柱抜き取り穴の底の標高を施設 毎に平均し、東西で対になる施設のそれを比較した。

1−3期の掘立柱塀(図l)この時期の掘立柱塀は回廊 撤去後の基城位置に設けられ、東側で平均標高7 1 . 3 0 mに 対し、西側は7 0 . 4 5 mと0 . 8 5 m低くなっている。

Ⅱ期の掘立柱建物群(図2)西宮では北半部の高台に、

掘立柱建物群が南北に7列整然と並び建つ。中央と北寄 りの建物群を除き対になる建物を比べたところ、西側建 物群は東側に比べて0 . 0 2 〜0 . 7 1 m低くなっており、回廊寄

りほどこの差が大きい。

Ⅲ期の掘立柱建物群と掘立柱塀(図3)東側に比べて西 側建物群は0 . 4 8 〜0 . 5 1 m、塀は1間分位慨が異なるが 1 . 0 0 m低くなっている。

このように3期を通じて西側地盤、とりわけ西而築地 回廊近くが東側に比べ下がっていると推測され、1期地 盤面は尚かつたが1 1 期に削られたとは考えにくく、前述 下肘バラス敷が1期の遺構であることは疑いない。

さて、この傍証③は地盤の強弱に拘わらず、同規模の 施設であれば同程度の基礎椛造を持つという前提に立つ ものである。ところが、第3 0 5 次調査区東部で、地山が西 側に落ち込み大極殿院造成時に粗い盛土をして、西面築 地凹廊部分では盛土が少なくとも2 . 3 mあることが判明し た。『平城報告X I 』は大極殿院造成前の後殿西側の地盤 の落ち込みをS G1 4 9 とするが、これはこの北側の対応す る部分であろう。このため西側施設については地盤造成 不良のために、掘立柱を深く据えていた可能性があるこ とも考慮する必要性を生じた。そこで平城宮造営時に前 方部が削平され、周濠が埋め立てられた市庭古墳( 平城 天皇陵) で、周濠跡に建つ掘立柱建物遺構と、周濠から 外れたそれについて抜き取り穴の深さを比べたが、地盤 の悪い周濠上の建物が柱を深くしているという事実は、

確認できなかったことを追記しておく。

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図 2 Ⅱ 期 の 掘 立 柱 建 物 群 図 1 1 − 3 朔 の 掘 立 柱 塀

1300年の間の地盤沈下か以上のように西而築地1 1 1 廊 付近の1期の地盤面は、現在東側に比べて約0 . 9 m低くな っていると言えるが、これを傾斜地( S G 1 4 9 )に盛土した 結果、西側にズレ落ちた結果と見れなくもない。このと き北面築地同廊西半部に勾配が急になる部分があること と、西而築地回廊が斜路起点付近で折れ、これ以北で西 にやや大きく振れることが傍証となる。しかし、暗渠や 掘立柱の底に不等沈下の形跡はなく、地割れなどの痕跡 もないことから、造成後幾分かの圧密沈下をみても、地 盤が0 . 9 mも沈下したとするのは不自然であろう。

計画意図の解釈施設だけでなく地形についても対称を 目指したとする、計画意図の解釈には異論はない。i1m 築地回廊では2 . 3 m以上、その西側の段下では2 . 8 m以上も 盛土しているのに、なぜ、あと0 . 9 mの盛土をしなかった のかという疑問が残るが、実際に地形を東側と対称にす れば、西而築地回廊の西側には検出遺構の倍の2mもの 段差を生じ、その処理が問題となる。そこで実際の見え 方の対称性を確保しつつも、大極殿院造成地盤を周辺造 成地盤に擦り付け地盤の安定を図るとともに、役民の逃 亡が続く中で土工堂を削減した施工上の工夫の結果とみ たい。遺構解釈には歴史観も関わり、現時点ではこの問 題の結論は出ていない。(内田和伸/平城宮跡発掘洲壷部)

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図 3 Ⅲ 期 の 掘 壷 杵 建 物 群 と 掘 立 柱 塀

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