本 の 民 法 解 釈 学
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(2) 三〇六. 研究と︑制度や規定の社会的作用の研究の三つということにな. 早法五八巻三号︵一九八三︶. こと﹂︑と言われております︒第二は判例研究でして︑﹁判例を. てどのように行なわれてきたかということになります︒第三の. のと︑解釈のためになすべきこととが︑それぞれの時代におい. そこで︑今日の主題を扱う視点の第一︑第二は︑解釈そのも. るわけです︒. 研究でして︑﹁社会生活の実際に即して法規の作用を検討し︑. というふうに書かれてあります︒第三は︑法規の社会的作用の. 明かにして条規の文字の実際に有する活きた意味を知ること﹂. 人類文化の発達に対して現行法の営む促進的或は阻止的な作用. 視点としては︑民法学の方法論を取り上げます︒そして第四. しいことを考えずに︑民法学の内容ないし対象としてどのよう. 第三︑第四の視点について一言しますと︑第三は︑あまり難. ︵3︶ に︑法学の基本的立場を取り上げたいと思います︒. を理解し︑進んでその批判を努むべきこと﹂と書かれておりま. れています︒第四は︑﹁社会生活の変遷に順応した︑しかも現. なものを含めるか︑ということです︒第四は︑法は国家法に尽. す︒第四︑第五には右の三点と少し次元の違ったことが挙げら. す︒実は︑この部分はちょっとわかりにくい所です︒つまり︑. きるのであるという考え方をとり︑もっばら国家の制定法を研. 行法の体系として矛盾なき統一的解釈理論を構成すること﹂で 一般的には︑解釈と︑統一的解釈理論の構成とは︑同じことの. す︒このように考える考え方は︑制定法︵法律︶実証主義︑ド. イツのある学者によりO①ωΦ寅①超8窪註ωe毒といわれるもの. 究することが法学の目的であると考えるかどうかということで. です︒この考え方に対して︑社会学的実証主義とでもいうべき. 全体と一部のようにも思われるのですが︑ここでは﹁統一的解 れているからです︒ただ︑これは我妻先生の方法論の問題にな. ものがあります︒それは︑法とは国家の制定法に尽きるものだ. 釈理論の構成﹂とは﹁解釈のためになすべきこと﹂の中に含ま. の場合にも先進の学者の説に学ぶべきこと﹂という︑いわばあ. とは考えず︑社会における﹁生ける法﹂があるとし︑生ける. りますので︑ここでは立入らないことにします︒第五に︑﹁ど たり前のことが書かれてあります︒このようにして︑五つのう. し︑それだけを民法ないし民法学の対象と考え︑それを超える. 法をも含んだものを民法と考え︑それを研究するのです︒しか. 価値判断の基準を求めないとする立場です︒法律の解釈が価値. ち後の二つは︑あたり前のことか︑わかりにくい道とですので ソトとしておられると考えておきたいと思います︒繰り返して. 判断であるということは︑わが国では今日ほぼ定説となってい. 省略し︑始めの三つを解釈のためになすべきことの重要なポイ 申しますと︑制度や規定の沿革的・比較法的な研究と︑判例の.
(3) 問題があります︒実証主義とは︑実証できるものの中に価値判. ますが︑その価値判断の基準をどこに求めるかという哲学的な. 方がわが国の民法学者に残っているように感じられます︒. しますが︑ドイッ法学の影響を受けて︑学間的実証主義の考え. 証主義が成立する基盤は無かったわけです︒しかし︑後にも申. そこでつぎに日本民法学史の時代区分を考えてみたいと思い. 三 目本民法学史の時代区分. 至ろうというわけであります︒. 以上の三つの視点から︑民法学史をごく簡単に眺めて現代に. 断の根拠を求めようという哲学的な立場をとっていることにな ります︒制定法実証主義とは︑言うまでもなく国家法だけを問 題にするもので︑それを超える法理念を認めないものです︒こ れに対して︑社会学的実証主義は︑法は社会的現実にすぎない に対立する立場として︑自然法論があります︒それは実証でき. とし︑同じくこれを超える法理念を認めない立場です︒これら. ます︒私は現在のところ︑これを四期に分かったらどうかと考. 第一期は明治民法制定以来明治四三年までです︒明治四三年. ︵5︶. るものを超えた社会倫理に照して法律や法理論を検証しようと. えております︒. に支配的であったかということが︑ヨーロッパの法学を見る場. する立場であります︒この三つの立場のどれがそれぞれの時代. というのはどういう年かと申しますと︑民法の編纂者の一人で. いたと思われるのです︒第二期は︑この明治四三年から大正一. 合の基本的な視点になりますが︑我国の法学についてもこれを. 〇年までです︒大正一〇年と申しますのは︑先程六本教授から. が︑日本の民法学のその後の発展に非常に重要な意昧を持って. 主義︵£ωの臼ω9錬岳畠震℃8獣くδ9垢︶と呼ばれるものです︒. ある梅謙次郎先生が亡くなられた年であります︒梅先生の急逝. ドイツ十九世紀のパソデクテン法学がこれにあたるわけでし. もお話がありました末弘厳太郎先生に関連する二つのことがあ. 一つの視点とする必要があると思います︒ついでに︑実証主義. て︑﹁もっばら法学説の承認された結論特に学説によって構築 ︵4︶ された法体系が法である﹂とするものです︒この学問的実証主. ことであり︑もう一つは︑同じ末弘先生の提唱によって東京大. につきましては︑もう一つのものが挙げられます︒学問的実証. 義は︑ドイッの十九世紀に盛んになったほか︑他の国にはあま. ましたが︑その判例研究会が活動を開始した年であります︒第. 学の判例研究会︑当時は東京大学民法判例研究会と呼んでおり. 三〇七. った年です︒一つは末弘先生の﹃物権法﹄の上巻が出版された. の場合には︑民法典制定以来制定法がありますので︑学問的実. り見られないようです︒しかし非常に強力でありました︒日本. 日本の民法解釈学︵星野︶.
(4) 今後の問題点について一言したいと思います︒. 日本民法学史を通ずる全体の傾向について簡単に触れ. 三〇八 を述べ︑. 早法五八巻三号︵一九八三︶. 三期は︑大正一〇年から昭和二〇年の敗戦までです︒第四期は た後に︑. 四 第一期. い部分が戦後初めて発刊されたからです︒﹃債権各論上﹄が昭. らに﹃民法原理﹄と題する詳しい教科書が総則の一部について. ﹃民法要義﹄つまり民法全体にわたる簡単なコメンタール︑さ. 釈の時代ということになります︒この時期には例の梅先生の. これは︑言うまでもなく︑公布された民法典の解説や注. 和三〇年に出ました︒﹃民法講義﹄のその前の部分である﹃債. 出ており︑和仏法律学校︑後の法政大学の講義録もあり︑同じ. 一. 敗戦以後現在までを一まとめに考えています︒ただこの第四期 をさらに分けて︑昭和二〇年から昭和三〇年までを前期︑それ 以後を後期としたいと思います︒昭和三〇年を境目にしました. 権総論﹄は︑昭和一五年に出ており︑その後一五年間︑戦争. く起草者の一人富井政章先生の体系書である﹃民法原論﹄が第. のは︑一つにはこの年に︑我妻先生の﹃民法講義﹄のいう新し. たのです︒もう一つは川島武宜先生の方法論の中で︑法社会学. 二巻﹃物権﹄まで出ている時期です︒他に︑法典調査会の民法. 終了後も一〇年間は﹃民法講義﹄の新しい部分が出ていなかっ. に関するものは二次大戦後たくさん出ましたが︑いわゆる﹁実. 一郎︑仁保亀松︑仁井田益太郎の三先生の共著である﹃帝国民. 法正解﹄というコメンタールが出ております︒第三編債権まで. 起草委員の補助︑当時の東京大学を卒業したばかりの︑松波仁. する論文が︑単行本として出版されたのです︒﹃科学としての. です︒これもやはり︑起草者の考え方を知る助けになるもので. 用法学﹂︑つまり解釈法学と立法学を含むもので︑末弘先生が. 法律学﹄で︑もとの論文は︑昭和二八年に︑﹃新しく学ぶため. ことが非常に重要なことです︒民法の制度や規定がどのような. す︒この三つを通して︑起草者の考え方が示されているという. お使いになった言葉のようですが︑この実用法学の方法論に関. に﹄︵弘文堂︶という本の一部として公表されたものですが︑. 趣旨で︑どのような外国法を参考にし︑あるいはどのような日. これが一冊にまとめられて昭和三〇年に出版され︑手に入れや. 本の慣習を考慮して作られたかということが︑これからかなり. いますが︑日本の現行民法の起草は︑ボアソナードにより起草. わかるのです︒ちなみに︑これももはや常識となっていると思. まりと見るわけです︒. 以下では︑この四つの時期についてそれぞれの特色を簡単に. すくなったのです︒そこで︑この時期をこの第四期の後期の初. 眺め︑現在︑つまり右の時代区分によれば第四期の後半の状況.
(5) された旧民法の修正という形で行われております︒もちろん修. 満足のためにするものではなく︑理論のための理論を作るもの. えるわけですが︑立法というのは言うまでもなく立法者の自己. でもないわけでありまして︑各時代の社会関係をどのように秩. 徴的であります︒立法というものを考えるとあたりまえとも言. てはフランス民法︑若干は︵ベルギ1民法や︶イタリア民法な. 序づけ︑規律するか︑その社会において紛争が起こった場合に. 正の際には︑かなり徹底した修正が志されております︒主とし. をかなり参考にしていることは︑よく知られているところで. どを考慮して作られた旧民法に対して︑此度はドイッ民法草案. らかといいますと抽象的な学説法的な傾向が強いといわれてお. もそうだったかは若干問題でして︑ドイッ民法の場合にはどち. す︒民法の編別に関しては︑フラγス民法式体系にボアソナー. につき旧民法から現行民法にどのように変わっているかが大事. 体系をとっているのは言うまでもありません︒ただ︑一条一条. り︑読んでみてそういう感じを強く受けます︒これは︑一九世. られるものであります︒もっとも︑どの民法典の編纂において. な問題ですが︑﹃民法要義﹄には︑各条文ごとにその系譜が書い. 体系と︑その頂点にあるヴィントシャイト︵ゑぼ房9①箆︶の影. 紀のパンデクテン法学による緻密だがきわめて抽象的な概念の. どのようにこれを解決するかという︑実践的な目的のために作. てあります︒富井先生の﹃民法原論﹄のほうには︑民法編纂の. ドのオリジナルな考え方を加えた旧民法に対し︑ドイッ民法式. 際に参考にした外国法が︑かなり詳細に説明されております︒. 品にもかかわらず︑起草者達の考え方に基づいて︑そういった. 響によるもののようです︒日本民法典は︑外国の民法典の輸入. わめてプラクティカルにできております︒これに対応して︑こ. ことはなく︑フランス民法典やスイス民法典などと同様に︑き. たかについては︑﹃民法修正案理由書﹄や︑﹃法典調査会議事速. 記録﹄からわかりますが︑このお二人の著作はそういう意味か. なお︑民法の起草に際してどういうことが考えられ︑議論され. らも重要な意味を持っているということになるわけです︒しか. の理由から︑最近では︑民法について論ずる場合には︑梅先. の二人の著書もきわめて現実的・実践的なものです︒この両面. 生︑富井先生の著作を引用しないわけにはゆかないと言われる. う意味ばかりでなくて︑内容においても学問的レベルが非常に. 高いということに留意する必要があります︒その一つの特色. して引用されることはあっても︑特に重要視されてはいなかっ. ぐらいになりました︒長い間︑これらの薯作は︑学説の一つと. も︑このお二人のものは︑単に起草者の考え方を知らせるとい. は︑徒に抽象論に流れることなく︑きわめて現実的・実践的で. 三〇九. あることです︒これは︑その次の第二期の著書と比較すると特 日本の民法解釈学︵星野︶.
(6) ます︒そういう意味では︑起草者の考え方をよりよく知るため. 三一〇. た感があるのとは対照的です︒個人的な体験を申しますと︑私. ものです︒. に大変有益ですが︑現在の判例研究の方法とは違ったやり方の. 早法五八巻三号︵一九八三︶. 梅先生︑富井先生のものを見る必要がある︑ということは言わ. 第二に︑解釈のためになすべきことと︑法学方法論につ. が大学を卒業した昭和二六年頃には︑物を書くにさいしてまず 三. いてまとめて申しますと︑これらの方々におきましては︑法学. れていなかったように思います︒しかし︑最近ではまずこの二 人のものを見なければ問題にならないということがほぽ常識に. に︑周辺の学問との関係に考慮を払い︑広い視野を持って民法. を眺めようとしていることに大きな特色があります︒梅先生に. 方法論に対する関心が強かったこと︑および法律解釈学の他. ついては﹃民法原論﹄や法政大学の講義録に︑非常に興味があ. なっているかと思います︒このことは︑また現代のところで触. なお︑他にこの時代に︑岡松参太郎先生ーあの有名な﹃無. る叙述があります︒特に民法総則の講義録では︑三〇〇ぺー. れることになります︒. 過失損害賠償責任論﹄を書かれた先生でありますーの書かれ. ジも費やして民法の総論的な説明がなされています︒たとえば. ﹁法律ハ学ナリヤ術ナリヤ﹂と題された章があり︑法学における. これは先生が大学を卒業されてすぐに一人で書かれたコメンタ. ールですが︑レベルの高いもので︑現在でも引用されます︒起. 見るか︑端的に言いますと自然法の問題についての相当つっこ. 科学と技術との関係や︑法における理想的な要素をどのように. ました﹃注釈民法理由﹄︵上・中・下︶︑債権までが出ています︒. 学をかなり参考にしておられます︒すでにここにドイッ法学の. んだ論述がなされております︒また︑法律と道徳︑政治︑経済. 草者が書いたのではないものとしてユニークですが︑ドイッ法 影響が入っていることが注目されます︒. ﹁広く法律的現象の原理を究明すること﹂が法学の対象である. の問題がそれぞれ一章をなしています︒富井先生の著書にも︑. と︑されております︒このように︑視野が広く︑民法解釈の方. なお︑この時期には︑判例研究もかなり見られます︒例えぽ 梅先生は︑相当たくさんの判例研究を書いておられまして︑こ ︵6︶ れは後二冊の本にまとめられておりますが︑それらは︑起草者. うことが第一期の学者たちの特色です︒. 法論だけでなく︑民法学の方法論に対する関心が深かったとい. 最後に︑これらの学者の基本的な立場に関しては︑富井. の立場から判決に賛成しあるいはこれを批判したものでして︑. 四. この判決の態度は︑当該条文の起草の趣旨に即して考えると正. しいとかあるいはまちがっているといったやり方のものといえ.
(7) 穂積・富井の両先生は︑法学は科学につきるとする考え方︑い. ける基本的立場の分布を見事に示していることを書きました︒. は︑このお三方の基本的な立場の分布が︑その後の民法学にお. 開講座で話し︑後に本の一部となったものがあります︒そこで. と︑そこには︑象徴的なものが示されます︒前に東京大学の公. 先生・梅先生の他に︑三人の民法典起草者のもうお一人である ︵7︶ 穂積陳重先生を合わせて考えるのが適当と思います︒そうする. を認めざるを得なくなったのです︒そこで自然法論を相当高く. 本的立場からすると︑自然法論が法律の進歩に対して持つ意味. ぽれる自然法論が勃興してきましたが︑そうなると︑先生の基. 生の晩年のころには︑ヨーロッパにおいて再び新自然法論と呼. の社会進化論の影響を受けたものです︒ただ皮肉なことに︑先. した︒これはイギリス留学中に︑当時盛んであったスペンサー. 種の制度を説明したり︑その進化の法則を探究しようとされま. 承知の通り︑法律進化論という方法を主張されました︒実は︑. る︑ということを繰り返して説いておられます︒穂積先生はご. え方はまた違い︑穂積先生は︑法学は自然科学と同じものであ. だということ︑もう一つは﹁世界史上空前の大惨劇を演出する. あり︑一つはそれが事実から帰納されたものでないから﹁空理﹂. おります︒もともと︑先生の反自然法論の根拠は大別して二点. てこれがどういう関係に立つかははっきりしないままになって. 評価するようになられたのですが︑先生の根本的な立場に対し. 論だといわれ︑法律は進化するとして︑その立場から法律の種. わば科学主義の立場をとっておられます︒しかし︑お二人の考. においては歴史法学が全盛期であり︑イギリスにも似た傾向の. いうことです︒ちなみに︑歴史法学派の祖であるサビニー︵<8. に至った﹂フランス革命は自然法論の空前的大実験だから︑と. 先生はイギリスとドイッで勉強されたのですが︑当時のドイッ. 対して︑フラソスの法学者の多くは自然法論の立場をとってい. 学者がいました︒どちらにも優れた学者がおりました︒これに. 学者の影響があるといわれると共に︑他方では︑フランス革命. に対して強く否定的な立場をとっていた人でしたが︑その影響. 留く蒔填︶は︑一方ではカントつまりルソーの影響を受けた法哲. もあったのでしょうか︒とにかく穂積先生は︑フラソス民法は︑. で︑梅先生以外のお二人は︑ドイッ法学が世界で最も優れてお とっている︑とされます︒穂積先生は︑ドイッ法学に学べとい. り︑現在発展しつつある︑そのドイッ法学は歴史法学の立場を. の法律における果実であるとし︑フランス法の基礎をなす社会. 自然法理論の政治における果実であるフランス革命と並んでそ. ましたが︑あまり優れた学者がおりませんでした︒そんなこと. うことを盛んにおっしゃったのです︒しかし︑穂積先生自身の. 一三一. 立場は︑歴史法学よりもさらに進んだもので︑それが法律進化 日本の民法解釈学︵星野︶.
(8) 早法五八巻三号︵一九八三︶. 三一二. 場に立たれ︑先程の論争では穂積先生に組みして︑富井先生に. 含ませるわけです︒そして梅先生は︑慣習をかなり尊重する立. ︵8︶. なる観念﹂は︑目本の﹁国体に適せざる﹂法理であるというこ. 法学は自然科学と違った﹁精神科学﹂であるとされます︒ディ. これが日本の社会によくあてはまるか疑問だとしております︒ 制定法実証主義をとる学者が一人︑社会学的実証主義をとる学. で︑西欧の学問を土台として法典を作っているから︑はたして. られたものだが︑目本では慣習を調べたがよくわからないの. 反対されたわけです︒すなわち︑西欧の法典は慣習に依って作. とを述べておられます︒その見方が新自然法の勃興に対しどう 変ったかは興味ある問題ですが︑わからないところです︒. ルタイ︵U津﹃昌︶の影響があるのではないかとも見受けられ. 者が一人︑自然法論者が一人であったということは︑その後の. これに対して富井先生は︑同じく科学主義と申しましても︑. ますが︑これも未だ十分つきとめておりません︒富井先生のも. 学者の基本的立場の分布を前触れしております︒. この時代は︑ドイッ法学全盛時代ということになります︒. 五第二期. おられ︑六本教授のいわれたように法社会学のある意味での元. 一. う一つの違いとして︑穂積先生は社会学的な立場を強くとって. 祖ともいうべぎ方ですが︑そのことは︑先生が制定法実証主義 の立場をとっておられないことを示しています︒先程の分類に. よれぽ︑社会学的実証主義の立場です︒これに対して富井先生. の制度や規定を理解し︑解釈し︑体系化しようとした時代です︒. その結果きわめて抽象的・論理的な傾向が強いのです︒川名兼. ドイッ民法学︑あるいはドイッ民法の体系に従って日本民法典. 四郎先生︑そして後に述べる石坂︑鳩山先生などが代表的学者. っきり示しているのが︑例の民法九二条と法例二条をめぐる起. 草委員三人の間の大議論です︒そこでは穂積︑梅両先生が︑目. 立法者・起草者の考え方をあまり考慮しておりません︒梅先. は︑制定法実証主義の立場をとっておられます︒このことをは. 本民法典は慣習を尊重する立場をとるべきだとされたのに対. 生︑富井先生のものも引用されておりますが︑学説の一つとし. 立場としては科学主義を斥けられます︒﹁理想ヲ探グル﹂こと. にさいして︑立法者︑起草者の考え方を十分考慮するという立. てであって︑起草者の考え方を知るためではありません︒解釈. です︒これを分析しますと︑第一に︑民法典の文言であるとか. これらに対し︑梅先生は︑自然法論の立場をとられ︑法学の. し︑富井先生は︑法典を作る以上は︑慣習の地位を低める必要 ︵9︶ がある︑という立場をとっておられます︒. も法学の内容であるとされますから︑いわば哲学も法学の中に.
(9) 式に解釈し体系化しようとしたわけであります︒その結果︑日. を目本民法学の解釈のために持ち込んで︑日本民法典をドイツ. います︒このさい︑ドイッ民法典ないし民法学上の概念や体系. 場をとらず︑民法典を客観的に解釈するという立場がとられて. す︒私はあまりこの時代を評価しない考え方を持っているわけ. どう評価するかという問題で︑根本的な立場に関係いたしま. 力に存在する目本の民法解釈学のある種の考え方ないし体系を. 評価されるようですが︑結局これは基本的には現代にもなお有. れております︒京都大学の北川善太郎教授などは︑この時期を. するものなのに︑ドイッ民法式に解釈し︑説明することが行わ. ︵10︶. 本民法典上の制度であって︑フランス民法ないし英米法に由来. かし︑その評価はともかくとして︑事実の問題としましては︑. に眺めることを妨げたのはこの時代だと思っているのです︒し. この時代にわが民法典の解釈︑体系化の一応のパターンが築か. です︒つまり︑私などは︑日本民法典をありのままの姿で素直. のがかなりあるわけです︒たとえば︑法律行為のところで︑法. れました︒それらの中で今日の民法の教科書にも残っているも 律要件を分類して︑﹁容態﹂と﹁事件﹂に分け︑容態をさらに. の中で比較的抽象的な制度や規定の多い部分︑たとえば民法総. 内部的なものと外部的なものに分け︑さらに細かく分類する︑. 則とか債権総論のあたりに見られることが多いのです︒もちろ. いと思います︒具体例はいたる所に見られますが︑特に民法典. ん︑そこにはよい結果もあったわけです︒民法にない制度︑つ. れ︑今日に至るまでその影響は絶大であると言っても過言でな. どもがわからないが覚えたものが今でも本にのっているとい. 山秀夫先生の本あたりから始まったものでして︑三〇年前に私. まりフランス民法になかったから日本民法にもない制度で︑ド. といったやり方は︑この頃にこの時代の代表的な学者である鳩. うことなのです︒それから第二に︑このような方法をとります. イッ民法にあるものを︑解釈論上あるいは判例によって取り入. いても後に判例によって認められたものですが︑日本にはドイ. ので︑民法典なりその解釈が社会において持つ意味︑作用を考. ツ民法から持ち込まれました︒そういう意味で︑この時代に目. れたものがあります︒たとえば債務引受などは︑フランスにお. が︑いわば一つの学説のようにして︑賛否の対象にされていま. 本民法典の穴を埋める仕事がなされたのです︒しかし︑若干混. ん︒第三に︑判例についても︑そこにおける抽象的な法律論 す︒このような判例研究がたくさんあります︒鳩山先生や石坂. 乱をもたらしたものとしては︑例えぽ︑債務不履行を︑履行不. 慮したり︑まして社会の実態を探ろうという態度は見られませ. ような態度でやっておられます︒この時期に対する評価は分か. 三一三. 音四郎先生にはそれぞれ何冊もの判例研究がありますが︑その. 日本の民法解釈学︵星野︶.
(10) 早法五八巻三号︵一九八三︶. =二四. る学間的実証主義の成果を持ち込んでいることです︒ドイッで. ら︑法規の解釈の内容と︑その体系化の原理は︑ドイッにおけ. 民法典がでぎた一九〇〇年以降における民法の解釈学がどのよ. 能︑履行遅滞︑不完全履行と三つに分けるやり方が日本民法典. うなものであったかは︑十分勉強していませんが︑一方では一. の本来のやり方ではないことは︑四一五条なり五四一条・五四. 三条をごらんになれば分かるとおりですが︑これはドイッ民法. 九世紀のパンデクテン法学的な学問体系がかなり残っていたよ. ものにもそれがあります︒法人理論ーもっともこれは後にフ. すが︑目本民法四一六条は︑英米法に由来するもので︑そのさ ︵12︶ らに源はフランスの学者です︒そのほか︑何々理論と呼ばれる. 果関係﹂の規定であるとしたことです︒これはドイッの観念で. 摘されたように︑損害賠償の範囲に関する四一六条を﹁相当因. るものはドイッ民法典の注釈書が主ですが︑もっと古いものも. 古い傾向の民法学であったように思われます︒引用されてい. とりわけ比較法的な研究が不十分であったと言う学者もありま. 出ています︒一九一四年頃までは民法学は若干衰退していた︑. うで︑ヴィントシャイトのパンデクテンもキップによる新版が. ︵11︶. す︒間違って持ち込んだ例としては︑平井宜雄教授によって指. 典・民法学を持ち込んだから︑その問題点まで持ち込んだので. ランスにも輸入され︑そこで新しい学説ができて︑それが日本. のような民法典以前からあったものもかなり引用されておりま. 引用されております︒例えぽヴィントシャイトのパンデクテン. す︒どちらにしても︑日本に輸入されたドイッ民法学は︑若干. ︵15︶. の有力説になっています︒いわゆる﹁組織体説﹂ですーまた. ︵16︶. 代理における本人行為説・代理人行為説といったものです︒. れたのでしょうが︒このようにして︑この時代の学者の多くは. 法施行後に新しい版が出ているくらいですから︑向うでも読ま. 法学方法論. 通論﹄といった著書はありますが︑民法の有名な学者で法学方. その貧困であるということが特色であると言えます︒﹃法学. 三. 法律実証主義の立場をとっていました︒. す︒前述したように︑ヴィントシャイトのパンデクテンは︑民. そんなわけで北川教授は︑日本の民法学の﹁生成期﹂ないし ︵R︶ その﹁原型﹂をこの時期に求められます︒しかし︑私はやはり ︵4 1︶. 日本民法学の生成期は梅︑富井の第一期であると考えておりま. すが︑その理由は先にお話しした︑あの時代の重要性からおわ かり頂けると思います︒. 法論について書いた人はほとんどありません︒例外は石坂音四. 法学方法論と基本的立場. この時代の学者は︑制定法実証主義的な立場をとっていまし. 二. た︒しかし︑興味深いことは︑一方で法律実証主義をとりなが.
(11) です︒この方は若く亡くなりましたために︑学説が十分に完成. 冊にまとめられた論文や︑多くの判例批評を書いておられる方. と題する︑三冊にわたる大変な教科書を書かれ︑また論文集二. 郎博士であります︒博士はご承知の通り﹃日本民法︵債権総論︶﹄. 化科学﹂に属するとされます︒法律学の対象が驚くほど狭いと. で︑規範科学であり︑その対象は精神的な実在であるから︑﹁文. つまり︑これは法律を存在としてではなく規範として扱うもの. 派の影響を受けて︑法律学を文化科学だと言っておられます︒. るわけです︒ただし︑奇異に感じられるのは︑博士は新カント. するに︑﹁法律学ノ研究方法ハ即法律ノ解釈方法ナリ﹂とされ. いってよいでしよう︒ケルゼン︵狽国Φ一の①口︶を思わせるところ. ︵18︶. ますが︑実に興味深いことを述べておられる学者です︒博士に. していないので︑それだけから判断して批判するのは酷になり は民法学の方法論についての論文が数編あります︒その中には. 額昌︶なども紹介されていま. 六. 第三期. 法律﹂につき﹁法律其モノ﹂を対象にする﹁法律解釈学﹂であ. の時期と言うことがでぎます︒そして︑その成果が集大成され. するに第二期に対する強烈な批判とこれを受けた民法学の転向. ります︒これも先ほど六本教授がおっしゃいましたように︑要. この時期は︑民法学の展開をもたらした大正十年に始ま. ると言われます︒したがって︑まず自然法も︑社会における. た時期です︒学者としては︑末弘先生に始まり我妻先生によっ. 一. 点で非常に重要な意味を持っていた時代です︒. 以上が第二期で︑短いのですが︑後の民法学に対する影響の. もあります︒. ︵探︶. 当時の新しい学説を紹介した﹁独逸近時二於ケル私法学界ノ趨 ヒ︵国国﹃島畠︶︑ジェニー︵即. 向﹂という論文があります︒そこでは利益法学や︑エールリッ. す︒しかし︑博士自身の﹁法律学﹂の観念は非常に狭いもので す︒博士によりますと︑﹁法律学﹂は︑﹁成法﹂つまり成文法と. ﹁法律的現象﹂も︑慣習法の発展も︑その対象からはずされま. 慣習法だけを対象にするとされます︒それは︑﹁現二存在スル. す︒さっぎ慣習法が対象だと言いましたが︑それは成文法によ. つきましては先ほども六本教授から紹介されたとおりです︒民. て集大成されたと言ってよいでしょう︒その社会的背景などに. 法の解釈学と申しますか︑いわゆる実用法学について︑その転. って取り入れるとされている範囲の慣習法だけが対象になるの. 向をもたらしたのが末弘厳太郎博士であります︒この大正一〇. であって︑それ以外の︑社会に自然に出来てきた慣習法はその. ままでは取り上げられません︒別の面から言いますと︑立法. 三一五. 論︑外国法︑比較法︑法制史︑法哲学も対象になりません︒要 日本の民法解釈学︵星野︶.
(12) 年のことにつきましては先に申し上げましたが︑末弘博士の. 判決と従来の判例との連絡を尋ねて当該の問題に関する具体的. に﹁評釈﹂をつけます︒評釈を加える主旨は︑﹁主としてその. 事実に対して如何なる裁判を与えたかを簡単に摘記﹂し︑最後. 三一六. ﹃物権法﹄の﹁自序﹂において非常に重要なことを言っておら. 早法五八巻三号︵一九八三︶. れます︒末弘博士は︑﹁目本の法律書には日本の慣ーカルカ. 在る﹂とされます︒﹁各担当者の見込みに依り多少の意見を附. することもあるが︑それすら成るべく具体的の事実を離れて抽. 法律の変遷及び其内容が漸次に充実して来る様子を説明するに. 象的に議論することのないやうにと心掛けて居る﹂とされま. ラーがなければならぬ︒﹂とし︑﹁法律学には﹃あるべぎ法律﹄. 雑誌の記事﹂によるほかない︑とされます︒﹁あるべき法律﹂. 法律を手近な材料によって求めるとすると︑﹁判例﹂と﹁新聞. ことばを使ったことです︒このようにして︑新しい時代の開始. す︒象徴的なのは判例﹁批評﹂ではなく︑判例﹁評釈﹂という. を説く部分と﹃ある法律﹄を説く部分とがある﹂として︑ある. を説くについても︑﹁﹃ある法律を﹄すなほに研究して︑そこに. られた方法が日本の民法学界にそのまま直ちに受け容れられた. が告げられたわけですが︑この時代には末弘博士によって述べ. 新らしきデータを得た上︑之に基いて在来の﹃概念﹄を審査す によって﹃概念﹄を洗へ﹂との名言を吐かれたわけです︒﹁あ. る必要がある﹂と言って︑後に大変有名になっている﹁﹃事実﹄. の影響を受けた注釈書︑体系書が出ております︒それらは︑そ. とは言えないようです︒この時期にも︑従来式の︑ドイッ法学. れなりに詳細な解釈論を展開しておりますので︑今から見て役. る法律﹂を求めるべき材料として︑そこには新聞雑誌の記事が. 日でいう実態調査が説かれていると言ってよいでしょう︒﹃物. に止まっていて︑新しいものを提示しているものはないと見て. にたつ点も多いものですが︑方法的には︑第二期の枠組みの中. 挙げられていますが︑六本教授のおっしゃいましたように︑今 権法﹄の中には︑入会権とか︑水に関する法律問題等について︑. れ﹁具体的法律﹂が創造されるというわけです︒﹁具体的法律﹂. 別して二つの仕事をされました︒博士自ら︑大学教授には二つ. 要素とを総合したのが我妻栄博士であります︒我妻博士は︑大. の研究をし︑第二期の頂点に立つ鳩山秀夫博士から受け継いだ. 末弘先生の問題提起を受けとめて︑これを実践し︑かつ独自. よいでしょう︒. 判例や調査記録を豊富に援用した叙述がなされております︒判 例研究の方法は︑﹁現行法の何たるかを知る﹂ためのものだと. を知るための判例研究の方法としては︑まず第一に︑﹁なるべ. いうことです︒つまり︑判例によって抽象的な法律が具体化さ. く詳細に事実関係を拾い集める﹂こと︑第二に︑裁判所が﹁此.
(13) 中すること﹂であります︒前者が﹃民法講義﹄であり︑後者. 興味を感じ重要と信ずるテーマを選んで終生の研究をそこに集. わたって講義案ないし教科書を作ること﹂︑もう一つは︑﹁最も. の任務があるとされました︒一つは︑﹁専攻する分野の全部に. 例が少ないのではないかと見ております︒第二の柱は︑博士の. とも当時において︑そして場合によっては今日でも︑世界にも. ことは日本で初めてであります︒実をいうと︑これは︑少なく. ずれにしても︑教科書にこれだけ判例を多く取り入れたという. 即しない判例の抽象論の引用が見られるわけです︒しかし︑い. 用とは少し違った引用の仕方がされております︒つまり事実に. ライフワークであります﹁資本主義の発達と私法﹂の研究であ. す︑﹁資本主義の発達に伴なう私法の変遷﹂の研究であります︒. ります︒それに基づいて︑たとえば担保物権法などは見事に体. が︑﹃近代法における債権の優越的地位﹄等に現われておりま. これが前者の基礎としてその中に生かされているといってよい. 後者はむしろ法社会学的な研究である面が強いと思いますが︑. ります︒実は︑このあたりは︑今の学生諸君は︑解釈論に直接. 系化されており︑また契約各論の序の部分の説明にも特色があ. 関係がないために読み飛ぽしたりすることが多い場所ですが︑. でしょう︒先ほど申しました︑博士のいう﹁真の解釈のために ﹃民法講義﹄の持っている意味を私なりにまとめてみますと︑. 為すべきこと﹂として挙げられているファクターに照らして︑. 阻止しこれが反流となる思想﹂の三つとの組合わせに求め︑そ. おける諸原理を︑﹁担保物権理論﹂の﹁近代的進展﹂と﹁これを. れをもととして個々の解釈論をも展開した見事なものが﹃担保. 学間的に見ますと非常に大事な部分だと思います︒その領域に. 例研究であろうと思います︒博士は三冊にまとめられた多くの. 物権法﹄でありまして︑私は﹃民法講義﹄の中では担保物権法. つぎのようになるかと思います︒私は︑﹃民法講義﹄は三本の. 判例研究を書いており︑その成果がここにまとめられていま. 柱の上に立っていると見ております︒最も基本的なものは︑判. す︒もっとも︑若干問題がないわけではありません︒﹃民法講. 来するところの︑日本民法典のドイッ民法流の説明や構成とい. が最も優れているものだと見ております︒第三は︑第二期に由. う遺産であります︒博士の解釈論そのものの中ではこれがかな. 義﹄のごく最近の部分を別としますと︑その中には︑先に第三 説のごとくにして引用するといった傾向が見られる部分があり. るものが多いということが言えます︒. り多くの部分を占めており︑特に鳩山博士の説が継承されてい. 期より前の時代のやり方と申しました︑判例の抽象的理論を学 ます︒そういう意味では︑﹃判例民事法﹄の方法といいますか︑. 三一七. 我妻先生が晩年のころに書かれました部分に見られる判例の引 日本の民法解釈学︵星野︶.
(14) る︑資本主義の発達と私法に関する研究に基づく部分は︑実に. 常に詳細に︑事実に即して引用されております︒第二の柱であ. 三噸八. ところで︑大ざっぽに申しまして︑民法典の中には︑二種の. 早法五八巻三号︵一九八三︶. 制度・規定が含まれていると考えております︒第一は︑物権法. りまして︑この部分を発展させた教科書はあまり見られませ. 見事なものでありますが︑他人にはまねのできないところであ. ん︒むしろ︑そのある一面が偏っておし進められた感のするも. や担保物権法あるいは契約各論に見られますような︑生産・分 定︑第二は︑民法総則や債権総論︑契約各論にあるような︑よ. 配といった社会・経済活動そのものを直接規律する制度や規. りますが︑むしろ︑来栖三郎教授の﹃契約法︵法律学全集︶﹄. ったところから演繹して各種の制度を説明したりするものがあ. は著者御自身の足で歩いた実態調査に基づいた興味深い叙述が. のもあります︒たとえば︑﹁商品交換﹂の法としての民法とい. おります︒後者の部分には︑今申しましたような第二期以来の. り抽象的な制度や規定であります︒そして︑前者におきまし. ドイッ法学的な構成や解釈論をそのまま持ち込んだところが多. て特筆すべきものです︒ここで︑北川善太郎教授が指摘された. 多く含まれたもので︑法社会学的傾向を発展させた体系書とし. て︑我妻先生の特色が非常によく発揮されていると私は考えて. 分に見られます︒したがって︑民法総則︑債権総論の部分には. 法の関係についての研究がなされております︒北川教授や六本. づくものはあまりないのです︒法社会学の中では︑近代社会と. ところに触れるのですが︑﹃民法講義﹄に取り入れられた社会. わかりにくいところがかなりあり︑実はそのもとは鳩山博士や. この三つの柱についてさらに検討しますと︑第一の柱の判例. 教授が指摘された︑﹁生きた法﹂である企業実務の研究は十分. 学的研究は︑先ほどの六本教授のおことばを使いますと︑﹁生. 研究は︑方法的になお不充分な所があるにしても︑それ自身と. になされておりません︒北川教授は︑生ぎた法といっても判例. 石坂博士である︑といったことがあります︒﹃民法構義﹄にお. しては︑つまり判例の説明を民法の教科書や体系書の重要部分. きた法﹂のうち判例が中心となっておりまして︑実態調査に基. とすることは︑もはや民法学の方法として常識となっていると. に示されているものは社会現象としてはごく例外的なものであ ︵鐙︶ って︑それだけでは足りないとされたわけです︒もっとも︑. いのであります︒. の体系や考え方一筋でおしているものもありますが︑例えぽ最. 思います︒もっとも︑意外とその点が重視されておらず︑自分. ﹃民法講義﹄の中には︑実体の説明がかなり詳細になされてい. ける第二期の影響は意外と大きいということを忘れてはならな. 近の奥田昌道教授による﹃債権総論上﹄などでは︑判例が非.
(15) め. ち. っと科学的でなければならないとし︑法学の中心をなすものは. 末弘先生も︑﹁法学とは何か﹂という小品の中で︑法学はも. む. ように見えるけれども脆弱なものであると考えております︒む. 解釈法学と立法学を含む﹁実用法学﹂であるが︑両者を通ずる. ち. を伴はざる限り盲目であり︑﹃法律中心の実有的研究﹄を伴は. しろこの部分は︑一方で︑今日のことばを使えぽ目的論的な概. ﹁科学としての本質は法政策学﹂であるとしたうえ︑実用法学. ヤ. るところがあります︒担保物権や消費貸借・消費寄託に関する. る︒﹂との名言を吐かれたのです︒. ざる限り空虚であり︑﹃法律的構成﹄を伴はざる限り無力であ. 念構成であるとか利益考量の方法を使い︑他方においては︑旧. は︑一面で﹁法哲学﹂によって﹁政策定立の理念と指標﹂を与. ヤ. とは確かです︒第三の︑第二期に由来する部分は︑一見強固の. 部分です︒しかし︑とにかく︑この部分が今後の課題であるこ. 較法的研究をもって代える必要があると思っております︒な. ﹁社会原則によって政策実現の方法を教えられる﹂とされま. えられると同時に︑他面で﹁法社会学﹂によって発見された. 民法に棚り︑民法編纂の沿革を特に考慮しつつ行う沿革的・比 お︑先ほどの六本教授のおことばを使いますと︑日本人の法意. ります︒但し︑実際は︑社会学的研究が行われ︑哲学的な研究. 同じく幅の広い︑ごく常識的︑妥当なものにもどったわけであ. このように︑この時代の法学観は︑第二期と反し︑第一期と. す︒. 識という意味での生きた法の問題が残っておりますが︑それは 今後の問題でありましょう︒. 二 法学方法論 この時期には︑法学方法論への関心が強く なり︑優れた論稿が現われました︒. まず︑我妻先生は︑ごく初期に﹁私法の方法論に関する一考. 基本的立場. 全体としては︑法律実証主義から離れたと. いってよいでしょう︒これに代わる立場としては︑社会学的実. 三. はほとんど見られませんでした︒. とされて︑﹁裁判中心の考察方法﹂を説かれます︒そこには︑. 士などのように他の領域の学者には見られますが︑民法学者に. 証主義に近いものがとられており︑自然法論は︑田中耕太郎博. の生活関係を法律的に処理することとされ︑これを広義の裁判. 察﹂という論文を書かれ︑そこで︑私法の中心的職能は︑社会. ﹁法律の実現すべき理想﹂と﹁社会現象の法律を中心とする研. は見られないようです︒. 三一九. 究﹂と﹁法律的構成の技術﹂の三つの問題が含まれるとして︑. それぞれについて詳論したうえ︑法律学にはこの三つのどれも が不可欠であるとして︑﹁法律学は﹃実現すべき理想の考究﹄ 日本の民法解釈学︵星野︶.
(16) 一. 第四期 後 半. 早法五八巻三号︵一九八三︶. 七. 最後に︑第四期の後半つまり現代の状況について一言い. たします︒. 三二〇. いないところの︑ドイッ法学から直輸入された構成を洗い直し. もっとも︑いわゆる﹁利益考量論﹂をめぐりましてはいろい. ていこうという傾向が強く現われております︒. ろ議論がなされているところですが︑それらは結局は︑基本的. ないくつかの問題︑法学方法論や法哲学上の問題になってしま. うものです︒一つには︑﹁利益考量論﹂の主張する点として︑. まず︑我妻博士の言葉を借りると﹁解釈そのもの﹂につ. いての傾向ですが︑極めて柔軟で機能的であると言ってよいで. りますが︑そうなると︑価値判断は客観的なものかどうかが議. 法律の解釈は結局は価値判断によってなされるとすることがあ. 二. しょう︒私のことばを使えば︑多かれ少なかれいわゆる利益考. 論されます︒そのもう一つ手前の所では︑民法に内在する価値. 量の手法を用いないものはないと言ってよいかと思われます︒. 具体的に申しますと︑個々の問題を論ずるにさいして︑法律論. ードイツの﹁評価法学︵ミR9昌αqの旨器冥且o自︶﹂の立場と. 見られますー︑さらにもう一歩手前の所では︑いわゆる﹁理. 判断とか原理を尊重してそれに止まるべきだとする立場があり. 論構成﹂とか﹁理論﹂をどの程度重視するかの問題がありま. の外皮をまとって実際対立している利益がなんであるかを分析. 法律の解釈にあたりましては︑まずそれがどのような社会関係. し︑妥当な結果はなにかを考慮した上で判断がくだされます︒. を︑どのような価値判断に基づいてどのように規律しようとし. 理﹂や﹁理論構成﹂をどのように位置づけるかの問題が残って. す︒そこから先︑解釈の方法論として︑民法典に内在する﹁原. おります︒しかし︑実をいうと︑﹁原理﹂や︑法律における﹁理. ているかが分析されます︒そのさいに︑一方では沿革的比較法 に起こるであろう反作用︑つまりそれらの機能・効果などの検. のです︒これらは︑各自の用法で異なった意味に使われている. 論構成﹂とか﹁理論﹂とは何かということがはっきりしてない. 的見地からする把握と︑他方で︑考えられる解釈をとった場合. る実益論的な手法の浸透であるといってよいかと思われます︒. 討が行なわれたうえで解釈論が提示されます︒これは︑いわゆ. 言う批判がなされる場合︑そこで言う﹁理論構成﹂とはなにか. 感があります︒例えぽ︑ある人に対して理論構成を軽視すると. があまりはっきりしないままで議論されている感があります︒. この点で︑第二期とはすっかり変わっており︑先に第三期の特 期に対する批判が強いといってよいでしょう︒民法典に即して. 色とした方法の徹底化と言えようと思います︒このさい︑第二.
(17) ﹁理論﹂なり﹁原理﹂というものの意味をもう一度きちんと研. 調査は︑少しづつながら行なわれつつありますが︑こちらの方. 大な成果となっていることは周知のところです︒企業等の実態. す︒その他︑自動車事故に対する国民の対応についての研究な. はまだ今後の間題で︑従来不十分だったということができま. 究する必要がありますが︑そのためには︑この点についての蓄 ︵20︶. この方面の研究が盛. 積のあるフランスやドイッの︑特に最近著しく多い論著を調べ ﹁真の解釈のためになすべきこと﹂. か︑つまり日本人の法意識︑民法意識は何であるか︑といった. どもあります︒しかし︑なお︑もっとも基本的な問題として︑ 日本の社会において︑人間関係を規律している実際の規範は何. 三. るべきでありましよう︒. んに行なわれていることがこの時期の特色でありまして︑民法. 法国であるということから自然だとも言えますが︑母法でない. 国法の研究は驚くべきほど盛んであります︒これは日本が継受. 見地からの研究はまだあまりなされておりません︒第四に︑外. 学は︑現在のところきわめて盛んになってぎていると言えよう ごく大ざっぱに申しますと︑第一に︑民法上の制度や概念を. かと思います︒. 歴史的に追及するという方向が盛んです︒これにもいろいろあ. わが民法学の優れた特色だといってよいと思います︒. 国の法律の研究も多々ありますし︑これも世界的に見ましても. そのほかに︑やや特殊な方法といいますか︑立場のもの. 第一は︑これも先ほど六本教授が言われましたところの︑一. を二︑三あげておきたいと思います︒. 四. りまして︑たとえば民法典の制定過程から棚って母法に至る沿 ら︑あるいは社会的・経済的・政治的・思想的背景からとらえ. 革や︑ある制度の西欧以来の沿革を︑あるいは法学史の上か る︑といったものです︒第二に︑判例の研究は︑﹁ブーム﹂で. あると言われるほど盛んになっております︒第三に︑民法の規. ズム法学によって説かれているアプローチがあります︒﹁国家. ります︒これは↓方では︑﹁民主主義法学﹂ないしはマルクシ. 独占資本主義法としての現代法をトータルにつかむ﹂という仕. 言で言いますと民法の全体的把握の試みともいうべきものがあ. 事をしております︒﹃法の科学﹄という年報を出していること︑. 定の現在の社会における生きたあり方の研究としましては︑こ. おける民法典に直接規定のない制度︑例えぽ︑入会権︑水利権︑. ら︑そして戦争直後に︑日本の古いもの︑つまり農山漁村等に. 御承知のとおりです︒他方では︑マルクシズムの影響を受けて. れも六本教授のおっしゃいましたように︑既に第二次大戦中か. 先生などを中心とするグル!プによって精力的に進められ︑彪. 三二一. 漁業権︑温泉権についての実態調査が川島武宜先生︑福島正夫. 日本の民法解釈学︵星野︶.
(18) 早法五八巻 三 号 ︵ 一 九 八 三 ︶. 三二二. チで実定法を研究しようとするものもありました︒一時は勢い. は︑法社会学に連なるものですが︑この経験科学的なアプ・ー. が盛んでしたが︑その後の発展はほとんど見られません︒方法. れも川島先生が後になって唱えられたものです︒これは一方で. 法の具体的制度を把握しようとしております︒川島先生と山中. いると見られますが︑若干それとは異なった試みもあります︒. 康雄先生の影響が見られます︒いずれにしてもかなり抽象的な. が︑実定法の具体的な問題の研究のレベルまで十分に及ばない. 論的には︑現在四五歳前後の学者に相当影響を与えたものです. これは︑民法を﹁商品交換の法﹂という観点から分析して︑民. 議論がなされていて︑その立場の方も自ら実用法学との接合は. ままに立ち消えの感もあります︒具体的には東北大学の太田知. かなり困難であると言っておられます︒さらに︑九州大学の原. 究﹄︵昭和三八年︑勤草書房︶がありますが︑あの考え方そのも. 行教授が書かれた﹃当事者間における所有権移転に関する研. り易いように思われます︒しかし︑なお︑解釈論や立法論との. ンジナビア法のとっている考え方で︑実定法として存在してい. のは鈴木禄弥教授によって説かれており︑もっと棚ると︑スカ. みがあり︑こちらのほうが実定法に密着しておりますのでわか. 島重義教授による民法の﹁古典的体系﹂や﹁性格﹂の把握の試. 接合には問題があるように見られます︒この方面では︑近代民. るものということができましよう︒川島先生のものは︑やや経. れておりますけれども︑なにぶんアメリカにおける﹁法と経. す︒これも︑一つの重要な問題を提起し︑体系的方法が提示さ. 第三に︑平井宜雄教授による﹁法政策学﹂の提唱がありま. す︒. ︵23︶. ることが︑我妻先生によって戦前から紹介されていたもので. ︵22︶. 法の成立や性格について非常に重要な文献が出ました︒村上淳 一教授による﹃近代法の成立﹄︵昭和五四年︑岩波全書︶であ. ります︒これは︑私の見るところでは︑川島先生の﹃所有権法. 済中心的︑発展段階論的であったのに対しまして︑それぞれの. 応用としては︑不法行為に関する論稿が出ましたが︑まだ立法. 済﹂論の影響を受けた雄大な構想のもので︑具体的な問題への. の理論﹄の問題を継承しつつ︑これをある意味では凌駕してい. 社会の全体構造︑つまり経済のみならず政治構造や精神構造を. 論にも解釈論にも十分に接合しておりません︒今の所具体的成. ︵24︶. も考慮しようとするものでありまして︑より多面的なアプロー ︵21︶. チになっております︒民法学者が今後充分に検討すべきものと. 最後に︑この時期を法学史の先行する時期との関係でと. 果はなお未知数です︒. 第二に︑いわゆる﹁経験法学﹂というものがありました︒こ. 五. 考えております︒.
(19) らえてみますと︑つぎのようなことが言えると思います︒第一. る方法を実現した実作をあまり書いておられないために︑抽象. 開しているわけでありませんこと︑それらの方々が自ら提示す. しい特色というべきは︑北川教授のものと︑柳沢教授のものの. 的でわかりにくいこと︑などの問題があります︒全体として著. 期との関係では︑﹁第一期の復権﹂ということで︑民法典の起 けです︒富井政章︑梅謙次郎といった起草にあたった先生方の. 草・立法の時期を重視しこれを検討しようという動きが強いわ. て強いということができます︒甲斐道太郎教授は︑﹁戦後の法. うちのある部分を除きますと︑科学に対するあこがれがきわめ. 律学は科学性に対するせつないまでの憧憬を示している︒﹂と. このことは︑民法典のあるがままの姿の把握をしなかった︑そ. いう名言を吐かれましたが︑まことにそのとおりであります︒. 著作を再認識し︑これを参照することが盛んになっています︒. してその後のその方向での発展を妨げた第二期と対照的であ. いわぽ科学万能主義的な傾向が強いと言えます︒そして︑﹁純. は︑見解が分かれております︒先にお話ししたとおり︑北川教. の要素とをはっきり分け︑科学の要素を純粋に保っておこうと. 粋主義﹂とでもいいますか︑民法学における科学の要素と技術. ︵26︶. ということになるわけです︒もっとも︑第二期の評価について. り︑進んでは︑第二期に対するかなり強い否定が含まれている. 授と私とでは違った考え方をとっておりますけれども︑全体と. ては︑社会の進歩の方向であるとか︑近代法のあり方とかを解. する志向がうかがわれます︒もっとも︑法律の解釈の基準とし. 律解釈における価値判断と結びつける︑という傾向がわりあい. 釈の基準とするという考え方︑つまり歴史的な認識の結果を法. しては結局︑第四期は︑第三期から︑それが第二期を継承した. よう︒. 面を除いて︑その方向を発展させているということになりまし. 法学方法論としては︑この時期には若干のものが出てき. ますが︑それとこれとの関係は必ずしもはっきりしません︒最. 強く出てきており︑川島先生などにもかなりはっぎりと見られ. 六. ました︒私が前に書いたものには︑若干まとまったものを書い ︵25︶. た︑川島武宜︑渡辺洋三︑高島平蔵︑北川善太郎︑柳沢弘士の. は問題として︑法学における哲学特に価値論の軽視が見られま. 三二三. そこで︑この時代の学者の基本的立場につ. 後に︑この時期には科学を重視する反面といってよいかどうか. 基本的立場. 五人の方のものを取り上げました︒ここに詳しくお話しする時. 七. す︒. 間はありませんが︑それらは少しずつ傾向を異にしており︑そ れなりの収穫ということができましよう︒しかし︑それぞれは 先行する他の学説を正面から取り上げて批判しながら議論を展 日本の民法解釈学︵星野︶.
(20) のさいは当然やっていることですが1手法の一つということ. 三二四. いて触れることになりますが︑社会学的実証主義がこの時代の. で︑それ自体はアメリカのリアリズム法学の影響を受けている. 早法五八巻三号︵一九八三︶. 特色であると言えましよう︒マルクシズムの影響もかなり見ら. にしても︑各条文につぎその効果から考え︑その機能を十分に. と思いますが︑かなり日本独特のものといえそうです︒いずれ. 分析して解釈しようとしている点で︑西欧に比べても劣らない. れます︒反対に︑いわゆる制定法実証主義はほとんど見られな しかし︑自然法論の立場をとる者は相変らずごく少ないのであ. くなっていると言ってよろしいのではないかと考えられます︒. 高いレベルの議論がなされていることも少なくありません︒. つぎに﹁真の解釈のためになすべぎこと﹂については︑その. ります︒わが民法学におきましては︑法社会学とかマルクシズ. 豊富なことが特色であります︒ここでも第二期を別にすると︑. ムが︑欧米における自然法論の代用物となっているというの. 視野を広く隣接諸学に広げ︑それらの学問の優れた成果が収め. ︵27︶. ていること︑が挙げられます︒具体的には︑第四期後半につい. られていること︑その成果を解釈論に採り入れる努力がなされ. が︑私も全くそのとおりだと考えております︒. 全体を通ずる特色. が︑北川教授や一橋大学の好美清光教授によって言われました 八. 以下に︑わが民法学の歴史を通ずる傾向というか︑特色を改. ということができます︒フラソスあたりでは︑民法の始めに法. あります︒この点は︑ドイッ特にフランスと異った傾向である. い関心を持ちながら︑法哲学に対する関心が弱いという弱点が. て述べたとおりです︒しかし︑わが民法学は︑隣接科学には深. して第三期以降にも若干引き継がれている傾向を除きますと︑. 学入門についての講義がなされますが︑そこでは︑法哲学的な. まず︑﹁解釈そのもの﹂につぎましては︑第二期の学者︑そ. めて簡単にまとめておくことにいたします︒. ます︒私はそう外国のものを勉強したわけではありませんが︑. 考察について詳細に述べられております︒これと対照的で︑そ. 全体としては︑柔軟で機能的であるということが特色だと思い. 僅かに知る限りでは︑フランスやドイッと比べましても︑これ. れらに劣っている点といえます︒. が︑他方で︑商法︑労働法︑民事訴訟法といった法律の他の領域. 成果を取り入れたり︑その方法を使おうとする面が強いのです. 最後に︑このようにして︑わが民法学には︑隣接科学領域の. ほど柔軟な解釈をする国はあまりないのではないかと思われま. まして理論化しようとされております︒利益考量論といって. す︒しかも第四期に至り︑それをさらに利益考量論などと申し. も︑別に厳密な理論体系ではなく︑解釈にさいしてのー立法.
(21) この点もヨーロッパなどに比べて劣っている点です︒西欧では. ︵28︶ を綜合的に研究の対象とする点が少いということが特色です︒. 傾向ともまさに一致しております︒. などが輸入されました︒これらは︑わが民法学者の進化主義的. れており︑第一期には歴史法学︑第三期以降にはマルクシズム. のがどうも日本人全般の傾向のようですが︑民法学者にも現わ. 最後に︑ある見地からまとめますと︑民法を外から︑つまり. 学者の養成の仕方が全然日本と違うということもありますが︑. 経済︑社会︑政治的背景から理解し説明する態度が強く︑内在. 始めから民法ばかり教えている教授というのはないので︑フラ ンスでは私法全部を教えることになっておりますし︑ドイッで. 九むすびー将来への示唆. 大きな特色ということができましよう︒. ︵29︶. 的に特に思想的背景へのアプほーチが不十分であったことが︑. は法哲学や法制史の先生が民法を教えたりすることはよくあり. なお︑全体として進化主義的な傾向が強いということが言え. ます︒. ったわけですが︑社会や法律なりは進化するのでその進歩の方. ます︒もともと穂積陳重先生の﹁法律進化論﹂という立場もあ. の志向が常にないと︑実定法を対象とする学問としては困ると. 第一に︑あたり前のことかもしれませんが︑やはり法実践へ. いうことであります︒つまり︑日本の社会から生まれた問題を. ︵30︶ 終りに︑今後の問題について一言だけ申したいと思います︒. ものだが︑日本の抵当権法は未だそうなっていない︑したがっ. きちんととらえて︑それを合理的に解決していくことです︒六. 向に向かって解釈しろという考え方は︑実は我妻先生などにも. て︑前者の方向に向って解釈すべきである︑といったことを言. かなりあるわけです︒たとえぽ︑近代抵当権の特質はこういう. われるわけです︒川島先生もそうです︒これが後に私達との間. たと言われます︒私は若干疑間を持ってはおりますが︑そうい. 本教授のおことばによりますと︑日本社会が非常に﹁法化﹂し. う面があることは確かですから︑少なくとも﹁法化﹂した部分. で議論になった広中教授などに典型的に現われるわけです︒こ ス・ウェーバーやマルクスの学説が︑あるいは抵当権について. のさい﹁近代法のあり方﹂を示すものとして︑あるいはマック. に︑﹁法化﹂していない部分についても︑そこにある種の社会. について学者が取り上げてゆくことは必要です︒しかしさら. 三二五. 規範があるのですから︑それをとらえて︑それを考慮に入れた. はドイッ法︑土地賃借権についてはイギリス法が援用されるわ. これを別の観点から申しますと︑﹁新らしもの好ぎ﹂という. けです︒. 日本の民法解釈学︵星野︶.
(22) う話をしましたところ︑それなら国家法における契約を教える. 三二六. 社会問題の解決をする必要があり︑これも民法学者の仕事と. いったのであります︒いずれにしても︑法学教育というぎわめ. ことにどういう意味があるのかという大変鋭い質問を受けてま. 早法五八巻 三 号 ︵ 一 九 八 三 ︶. 思われます︒いずれにしても︑実践︑つまり立法論︑解釈論へ. て大切な実践のために法学はいかにあるべきかを真剣に考える. ︵32︶. の意向が必要なことはいうまでもありませんが︑ここで特に 申したいのは︑法学教育という面です︒ここにおられるみなさ. 必要があります︒. 言いたします︒私共が民法を教えるにさいして︑何を教えたら. 志向する必要があると申しましたが︑法学者は教育を除いては. 必要だということを申し上げたいのです︒というのは︑実践を. そこで︑第二点として︑それらのためにも︑基礎的な研究が. んが教育者になられるわけではないでしようから︑ここで申し. いいのかということは︑よく考えると意外と難しいのです︒日. こで︑法学者の固有の仕事は︑実践を志向しつつ基礎的な研究. 通常は法実践をしておりません︒実務家とは違うわけです︒そ. 上げるのはどうかとは思われますが︑教える立場の者として一. 本の民法典は︑外国から持ち込んだものです︒これは︑訴訟に. を行うことにあると考えております︒具体的にその内容をいえ. さいして紛争解決の基準になり︑それゆえ社会でも紛争解決に さいして採用されることがあります︒また︑戸籍︑登記といっ. と︑﹁日本民法ないし日本民法学のアイデンティティ﹂を確立す. る必要がある︑ということであります︒目本の民法学の教科書. ば︑はやりことぽを使うのは私はきらいですが︑敢て申します. 民法典とあまり関係のないような所で︑というか関係のあるよ. を見ますと︑判例や規定の沿革や︑社会の実態を書いた部分は. た手続は︑法律によらなければ実行でぎません︒しかし︑それ. うなないような形で解決されています︒その上︑法学部卒業生. いようなものがあるのです︒民法総則あたりに特に多いようで. よいのですが︑所によっては一体どこの国の教科書か分からな. を除くと︑圧倒的多数のいわば民法的な問題は︑輸入物である. のように教えるべきかは大問題であります︒先年フランスで︑. す︒そこらを少し調べてみますと︑鳩山先生に由来するもので. のほとんどが︑狭義の法曹にはなりません︒そこで︑なにをど. 日本とフランスの契約観についてのシンポジウムが行われまし. から入っているといったことがわかったりするのですが︑一体. そのもとはドイッの教科書にあるとか︑たまにフランスの学説. ︵紐︶. のフランスの学者に質問されました︒私は︑日本においては国. それが日本民法典の規定という関係にあるのか︑といった日本. た︒そのとき私も報告者の一人になったのですが︑その折一人 家法としての契約と生きた契約法との二つの契約法があるとい.
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