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駒澤大学佛教学部論集 18 026池田 練太郎「『五事毘婆沙論』の成立について(上)」

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全文

(1)

事 毘 婆 沙 論

1

  

『五事 毘 婆 沙 論 』 (

P

覦 oα ”αs’幼 α ”ゴ勧 σ

5

D は , 世

Vasumitra

) の 作 と さ れ る 『五

事論

』 (

Paficavast

ka

をこ対 す註 釈 書 vibh

a

で ある。 こ の こ と はt 本 論

自身その

頭に

  

者 世 友,

有 情

を益せ んが為に 五 事 論を 製 す。 我

当に釈 す べ し。 (大正

28

    巻

989b2

と明記 して い る こ で 明 らか で ある。 こ の 『五

論 』は , 現

阿 毘 曇五 法 行 経2) 』, 『品類足 論』 (

Pralearapagrantha

)の 「弁五事品 s)

, その 旧 訳で あ る 『衆

事 分 阿毘曇論』 「

五法

4)

薩婆 多宗

事論

5)

とい う

4

種の

文 献

当 す る。 そ れ らは 同 一 源 泉か , 伝承 され た

派や ,

時代

に よ っ て , 次

に 幾 分 か の 相 違を生 じつ つ

え られ て来た もの え ら 6) 。

 

した がっ て

沙 論

が 『五

事論』

する

で ある とい っ て も, 厳 密な意 味で は , どの 『五

論 』 に対 す る もの な の か 明確で は な い の で ある。

 

し か し, い

れに せ よ, 『五

に説 一

有部

Sarvastivadin

)の みな らず, ア ビ ダル V 仏 教の 教 理 史 を考 察 する うえで, 極め て 重 要な論 書で ある とい え る。 『五

毘 婆 沙 論 』 もま た 同 様の 意

で ,

重な

料 とい うこ とが で き る。 これ ら二 つ

論 書

そ れ ぞれ

著 者

が世

Vasumitra

)・

救 (

Dharmatrata

) と伝え られる が , こ の 両 論 師は ア ビダル マ 仏 教 史 上 無 視 する こ と がで きな い 重 要 な 人 々 で あ り7) , その 点か ら もこ れ らの 論 書に つ い て の 考 究は 非

に 大 き な 意

を もつ の で る 。 け れ ども, 特 に 『五事 毘 婆 沙 論』 に関 し て は, 河 村 孝 照 博士 を 始めS) , い くつ かの 論 究 9) る もの の ,

日ま で 必 ず し も充 分な研 究が な されて きた と は言え ない 状 況に ある1°) 。

(2)

      『五 事 毘 婆 沙 論』 の成 立につ い てω (池田)          (

37

 

筆 者は, 先に 「

書」

と して 同

論 書

する メ モ を

わ した 11) が, それは

ま りに も雑 駁な もの で,

か の 問 題を提

し たに 止 ま っ た。 そ こ で 予

し た

間題

の う ち,

本稿

では, 「五

婆 沙論

』の

構 造

上 の 問

に つ い て の み

ずる こ とに した い 。 そ の

さ れ た

著者

問題

や ,

理 的な

内容

上の 問

な どは ,

稿

め て

ずるつ もりで

る。

  初

め に,

本論

に 入 い る に先立 っ て, 『五

婆 沙

論 』の

概を掲 げて お くこ と に しよ う。 こ の

概 は, 先の

拙稿

に お い て掲

し た 12) 大

巴な もの である が, 考 察の 便宜 上 こ こに再

する こ とに す る 。

梗  

   分

別色品

一      法 救 自身の 造 論の 理 由

     

世 友 (

Vasumitra

) の 造 論の 理 由       『五 事 論』 の 名 称由 来      色      五 根

     根

, 識

   分

別色 品

一一・之

     

色 ,声,香,味, 所 触, 無表      無 表 色… …律 儀

   分

別心品

     

心 ,

     六識 身

     

     

法智 忍等

との 相 応    分 別 心 所 法 品 第三      心 と心所

     

受 (

, 不

楽)

皿 (

989a26

989a27

989b10

989b21

989c15

990c29

991b20

992a7

992a8

992c4

993a27

993a27

993b10

993c10

993c19

994a18

994a19

994b17

訳 『五

』の

論 書

と しての

構造

が,

(rUpa

・心

citta )・心

570

 一

(3)

38

r

五事毘婆沙 論』 の成 立につ い て

0

⇒(池田)

(caitasika )・ 心不 相応

(cittaviprayukta )・

無為

(asamskrta )」

と い い わ ゆ る く五位 〉 を説い

事 論

対 す

て は , い か に も

妙な箇 所で

わ っ て い る とい うこ とは,

十分注意 す

る に

値す

る と

えられ る 13 ) 。 先 に

た よ うに こ の 論 書が, 世

の 『五

へ の 注 釈

で ある とい うこ と は

著者 自

っ て い るの で あ り, 加 えて その 章立 て が , 「分 別 色品第一」(「分別 色品

之 余」

分別

心 品

別 心

所 法

う よ うに な され る こ とを

れぽ, これ に続い て

心 不

行」

無為」

相 当

する

が 立て ら れ て い た と見做す の が 自然で ある と思わ れ る。 こ の 問 題は サ ソ ス ク リ ッ ト写 本が 完全 な

発見

され れ ば

解 決

す るは

で あ る が, 現 在

々 が 見 る こ との で きる写 本は,

ま り に も僅

な 断 片で あ り  i4) , 残

な が ら

明の 手

か りに はな らない 。 そ れ故,

日 まで こ の

に つ い て は種 々 の 見 解が表 明 されて い る。

 

雄 博士 は, 『品 類 足 論』 に対 す る解 題の 中 で 『五

事 毘婆 沙論

』に 関 す る こ の

に 触 れて,

  

… …

上 に と X“め て ,

心不

相応行 法

為 法に は 及     ぼ さ な か っ た こ と は 憾み無 量の 感な きを得な い 15)。 と述べ て お

者 法

が こ の

所 まで し か

執 筆

し なか っ た と

し て お ら れ る。 しか し, もしそ うで

る な らぽ, これは

め て

重 大

な こ とで

り,

何 故

が そ こ で

を止め たの か とい うこ と が問 題に さ れ な け れ ば な らない 。

 

また ,

Sastri

民 も

  

The

 commentary  ends  with  

the

 explanation  of ”θ

4

α觚

in

 

fuller

 

de

  

tails

. 

The

 remaining  mental  elements

, sσ

瘤 , cetandi  etc . are  

left

  

out

 

unexplained .

 

It

 

is

 

significant

 

that

 

the

 

Cittaviprayukta

 

and

  

Asainskrta

 elements  are  not  at all mentioned  

in

 

the

 commentary エ6)

と述べ , 同

論書

が心

所 法

の うち, 受 (vedana

解 説

まで で 了っ て し まい ,

(samjfia ) や 思 (cetana ) 等, 及び心 不 相 応 ・

為につ い て 全 く

れ られ なか っ

k

こ とを ‘ ‘ signi 丘cant ” で ある と捉えて いる。 

Sastri

氏の 場

,著 者の

執 筆

姿 勢に 関 して 云 々 し て い るの で は な く,

現存 す

訳 『五

沙 論 』 自

が その よ うな

所で 了 っ て い る こ とに つ い て何 らか の 重

意味

を認め て い る の で ろ う。 しか し な が ら, 氏 はそ れ以上 に は ,

が ‘ ‘ significant ” なの か語 ろ うと し な い 。

 筆者

もま た

玄 奘

訳の

事毘 婆沙論

』が こ の よ うな

箇所

で 了っ て い る こ と に ,

(4)

r

毘婆沙論』の成 立に つ い て  (池田) (

39

い に意

深 長な問 題が隠 さ れ てい る可 能 性 を 想 像 す るの で あ る。 そ こで以 下に

の 場 合を

げて

検 討

を加える こ とに した い 。 皿

 

現 存の 『五

沙 論

状 態か ら種々 の ケ ース を 想

し た 場 合,大

以下の

3

項に 集 約で きるの で は ない だ ろ うか。

 

1

 

著 者法 救が最 初か ら

心所 法 」の

関 す

釈 までで

し た。

  (

2

) 法救

無為法

」の

最 後

こ ろ ま で

註 釈

し た17)

に manu −

     

script の 「想 」箇 所以 下 が 失わ れ, 玄 奘は そ の 不完全 な manuscript を       中 国に し た。

 

3

) manuscript 完 全 形 (即 無 為 法 」註 釈 まで 中 国され

     

たが, 玄

が最 後 まで 訳 出せ ず, 「

」の 註 釈の 箇 所 まで で 翻訳 を 止 め た 。

 

た だ し, そ れ ぞれの ケ ース の うちに

かい 分 類 を 想 定 する こ とが 必

にな る と考え られ る。

 

例えば, (

1

)の 項 目に お い て は ,

法救

図 的に 上

所で 執

を 止め た場 合 (aと ,何 らか の む を得 ざる事 情で

を 中止 した 場合 (

b

)とが想 定さ れ る が, そ れに よ っ て ア ピ ダル マ 思 想史に お ける

味 合い は 全 く異な っ て くる。 もし 前 者の 場 合 な らば そ れは, 単に 不 相 応 行

に 関 する

の 註 釈を 見る こ と が で きない か ら 「憾み 無 量の な きを得ない , な ど と い う問 題 とは全 然 異 質な 意 味を 及 び て くる こ とに な る。 即 ち , そ れ だけ し か執 筆を しなか っ た こ と 自体が 大 きな問題 を提示 して い に な る わ けで る 。

 

2

の , manuscript が 途

散 佚

し た場

に お い て も, そ れ が

る 時 期に何 者か の に よ っ て 意 図 的に な され た場 合 (a) と ,単な る事 故で 論 書の 後 半が失われ た場 合 (

b

)とで は問 題の

は 全 く違 うは ずで ある。 こ こ で も前者の 場

に は, その 人

の 思 想 的な立 場や所 属 する部 派の 教理 が 反 映 されて い る こ とに なる の で あ る。   だが, 上掲の

3

項の うち , (

3

)の ケ ー て は , 訳 者 玄 奘が彼の 思 想 的立 場 か 翻 訳

業を

中で め た とい こ と は

えに くい 。 な ぜ な ら,

玄 奘

訳 出に際 し て も, 自らの

思 想

現 するの に 訳

体 裁

や 訳

, ある い は

分の 削 除 ・附 加 等の 改 変に よっ て そ れ を行なお う とし た こ とは あっ た と 考え られ るが, 論 書の 構 造 その もの に まで 手 を 入れて し ま う と い う よ うな こ とは あま 一 

568

 一

(5)

40

) 『五事毘婆沙論』の 立につ い て

an

(池 田) りみ られ な い か らで ある1s)。 加えて , 『五

沙 論 』は , 『五

事 論

』に

する

る か ら, すで に 『品 類 足

』の

品 』を

訳 出

して い る

が, そ の

釈 書の

訳 だけを 途 中で めた と して も, 全 く 意 味を もた な い か らで ある。 し たが っ て (

3

)の 場 合に考 えられる の は , 何 らか の 止 む を 得 ない 事 情の た め に , 玄 奘が翻 訳 を 途 中で 中 断し た か (a, または玄 奘が将 来 し た写 本が その 時 点で 既 に 「

受」

箇所

ま で し か ない もの で

っ た か (

b

), の い ずれ か で あろ う。

  初

め に

結 論

先 取

りす る形で

な ら, (

2

)の

b

), 即 ち ,

初は 完 全な 形で

わ されて い

の manuscript の

部分

が,

なる

故に よ っ て

散佚

し て し ま い , そ れ が玄

の 手に よ っ て

国へ

され, 訳 出さ れ た, とい う ケ ー

も妥 当な

で は な い か と

え られ るの で あ る。 その 理 由は ,前

し た

く, ま

ず何

よ りも 『五

事 毘婆 沙

論 』は 『五

事 論

』に対 する 註 釈

で あ り, そ の 『五

論 』 とは, 「色 ・ 心 ・ 心

・ 心 不相 応 行 ・ 無

」 とい う 〈五事 (

paficavastuka

)〉 の 法 体 系を その ま ま論 書の 構 造 と し てい る もの だか らで あ る 。 そ れ 故, 『五 事 毘 婆 沙 論』 も現 在 の 心所 」の 箇 所に 続 い て , 「心不 相 応 ・無 為」 の 解 説の 部

して い た と見るの が 自然 だか らで ある。

 

そ れ に , 本

書は数

くの 「問

と 「答 」を繰 り返 しつ つ

を 進め て お り, 元にな る論

し て逐 語 的に註 釈を施 し た もの で は な い が , それで も 『五 事 論 』 に示 され る

諸法

の 順に ほ ぼ

っ て

論 述

されて い る。 以 下に

rapa )」 に

する 箇 所だ け19) 対

を 示 して み よ う。 〔項   目〕 総     論 四 大

五    根 五

   境

識の

無 表 色 そ の 他 〔弁五

品〕

692cllt

12

692c12

16

692c16

・ 》

693a1

693a1

2

693a2

4

〔五

沙 論 〕

989c15

990a6

990a6

〜 c28

990c29

992c4

993a19

993a19

〜 a26   したが っ て, 「分 別心 所法 品 第三 」に お い て も, 「五事 論 』に お い て 説 示 されて い た 「

・想 ・思 。触 ・ 作 意 ・ 欲 ・ 勝 解 。 念 ・

・ 慧… …

諸 法全 体に註釈

(6)

      『五毘婆沙論』 の成 立につ い て(匂 (池田         

41

) が施 されて い た と見 做 すの が妥 当で る と 思 わ れ るの で あ る。

 

こ の よ うに

2

b

の 立場を一

応 穏 当

えるの で 。 し か しなが

は も う 一

い て

考慮

地 が っ て い るの で は ない か , とい

え を

筆者

る こ と が で きない の で あ る。 そ れ は , (

1

)の (a)の 立 場, 即ち,

者 法

意識

して

所 法

」の

」 の

箇 所

の とこ ろ で

執 筆

を 止め た とい う説。 以 下に その 可 能 性を

考 察

して み たい 。

IV

 

まず 初め に , 少な く とも

奘が 入 手し た段

で , 既に こ の 論

に は 「心 不相 応 行

法」

及 び 「

無為法

」に す る註 釈

部分

存 在

し て い なか っ た, とい う

を確 認 し て お く必

が あろ う。 な ぜ な ら,

々 が 知 りうる 「五

事毘婆 沙論

』の 構 成 は, 玄 奘に よっ て 提 供 され た もの が 唯 一 あっ て , 現 存 manuscript か らは本

書の原 形は 推測 し得ない か らで あ り, そ の

した manuscript に後 半の

分 に当た る

在 し て い た とい に な れ ば, (

1

)の 説は最 初か ら成 り立 た な くなるか らで ある。

 

と こ ろで , 玄 奘は 完 全な原

来し た が全 部の

訳を果 た さずに 終 っ た, と い う先に 掲 げた (

3

)に 該 当す る説が最 近 伴戸 昇 空氏に よっ て 提示 され た2Q)。 こ れ は

非 常

味深

で ある。

は ,

易行

法 海述

の 『五

婆沙論 聞書 』

に 見 られる 『閲 蔵知 津 』の 「五

沙 論,

者法 救 造 … …文

未尽」 とい う 一 手 掛 りに し て ,

    「

来 未

尽」 とは その

, イ ン ド

よ り

全な

典が もた らさ れて い

   

た もの を, 漢 土 に 於て

らか の

の 障 り

っ て全 部の 翻 訳を 果た さ

っ    た もの を言 う。 で は, こ の 場 合の 「事の 障 り」 とは 如 何 な る事 情で あ っ たの     か 。 と

べ , そ の

事情

を,

    

沙 論が

訳 された の は

玄奘 遷化

よ り約ニ ケ 月 前の こ

る。

   

『大

大 慈 恩 寺三蔵 法 師 伝 (巻

10

)』 (大

50

276b

c よ る と , 大 般 若 経六 百

   

巻の 訳 了

, 玄 奘は

だ気 力の 衰え を感 じ, 翌年正月 (

664

)に宝 積 経百二 十

   巻

た と こ ろ , 三

力の

えか ら死 期の 近

くを

   

知 り, 宝

積経

の 翻 訳に 堪 えぬ と断わ っ て い る。 こ の こ とか ら 見て, 五事 毘

   

沙論は , 玄 奘が その 没

直 前に翻 訳を開 始 した た め に未 完 に 終 っ て しま っ た       一

566

(7)

42

) 『五事毘婆沙 論』 の成立につ い て (

O

(池田)     もの と考 えて よ い と思われる。 と結 論づ て お られ る。

 

閲 蔵 知 津 』は 明 代の 立 で ある か ら資 料 と し て の 価 値につ い て は 研 究 者に よ っ て 見

相違

が ある か も

れ な い 。 し か し, 『五

沙 論 』 に欠

落部分

が あ る か 否か につ い て触れ て い

これ しか ない の で , そ の

意 味

か ら して も同

の コ メ ン トは

重な

材料

と な るの で る。

筆 者

伴戸

氏の

論文

す る ま で , 『聞 書』 はお ろか 『閲蔵 知

』 に つ い て も まっ た く意 識の 中に入 っ て い なか っ た の で , 氏 の ご指

と結 論 は極め て

鮮で あ り, か つ 有 意 義で あつ た 。 だ が, 筆 者 は先に

, 『五事 毘

沙 論 』の 原 典に関 して , 氏とは 異 な る 見 解を も っ て お り, 殊に 前 掲 の (

1

)の (a)の ケ ー 想 定 す場 合 に は , 氏の 結 論 とは 完 全 に抵 触して し ま うこ とにな るの で , 以 下に 『閲 蔵 知 津 』の 中の 「文 来 未尽」と い , ポ イ ン ト に なる

に つ い て

し詳 細に検 討して み る こ とに した い 。

V

  最初

に , 『閲 蔵 知

四十に記 されて い る 「五

毘 婆 沙 論』 に つ い て の 記 述 全 体を 引い て お こ

  

事 毘婆沙論

 

裴 鶸

        尊 者 法 救 造。 唐 大 慈 恩 寺 沙 門 釈 玄 奘 訳。

   

分別 色 品第一。 分 別心 品第二 。 分 別心 所 法 品

三。

     

釈二

尊者世 友

事論

_。

文 来未

尽 21) 。

 

まず 「文

来未

を, 漢 文の 基 本 形に戻 し て 考えて み る と, 「文 来 」 とい うこ に な り, こ れは 「主語 十述 語 」の 形で ある。 次に

文 来 未尽」の

未 」 を

りはず す と

  

尽。 と なる。 これ は , 「主語+述 語+補 語

の 形で あ り, 「文, 来 り尽 す 」 と 読み下 す もの で , そ の

全な形で

将 来

された こ と を い うもの で ある。 そして ,

   文

。尽。 で あるが, これ は , 「文 」が 主語, 「来 」は

語 , 「

尽」が補 語 と な る も の で , 厂

, 来る も未 だ 尽 さず 」 と読み下 す。 こ こ で , 補 語の

尽」は

文 来 」の 性 格を規 定 する もの に外な らない し た が っ て 「そ の 文は

将 来

さ れ た が, 完全 な も の で は ない

状 態を語っ て い る こ とに なる 。 そ し て, こ の

4

か らは

翻」

(8)

r

五事 毘婆沙 論 』の 立に つ い てω (池田) (

43

) を

き出 す こ は で きない 。 し た が っ て

文 来未

尽 」を ,

文は

全な形 で

た が,

訳 し尽 さず

意 昧

に 理

し た とする な らぽ , それ は

翻経

とい うこ と が既に先入 観と し て入 っ て い た た め に生 じた

釈 とい うこ とがで きるの で は ない だ ろ うか 。 もし

将来

されたが,全

は翻 訳 されて い な い

とい う

意 味

にす るな らば, どの よ うに

簡 略化す

る に して も, そ れは

文 来未

ン尽レ

翻」

現 するべ あ り, 「文 来 未 尽 」で は ない と

え られ る。 即ち, 「文 来 未 尽 」は 一 句 で あっ て , 「未 尽 」は

文 来 」 の 時の 状 態 を い い , 同 一

に お 言 及 もの で ある。 一

文 来 未尽 翻 」であれ ば,

」 と

尽翻 」 とは 二

全 く その 時 を 異にする もの で あっ て , 二 句 として

み,

し くは,     圭 述   (主) _述_亜

  

・ (文 ) 未 尽

。 と な る わ けで ある。

 

と こ で,

文 来 未尽」の 語は , 『

閲蔵

』の

型 句 と し て

数多

く用 い ら れ て い る が, その うち か ら 一 例を

い て , そ こ で の

意 味

察 して み よ う。 例え ば第

4

巻に,

   

(大 方

大 集 経 )

   

日密 分

 救

竜 品

   

, 趨二須 弥 山頂_。放レ光 救二 竜王苦一。大声 説二

法 印一。所 謂,無 常 ・苦 ・無      我 等。 文 来 未レ尽 22) 。 と記 されて お り, 「日密 分

の 品次を見る と以 下の 如 くで ある。

   

方等

経 一     二   一 二 一 二                 ロ ニ   ニ   +

 

+ + + 乙 三   三 三 三 る

 

に           れ           こ 日

密分 中護 法

一 日密 分 中四方 菩 薩 集品第二 一 日

密分 中

方 菩薩 集

二 之二 日密 分 中 分 別 品 第四之二 日

密分

中 救 竜 品

   

(品 名不 明 ) 品第三

    分

別 品

一     (品名不 明 )品第五 の 各 品が欠

して い た こ とが

られ るが, こ の 場

, 訳 者が

らかの 理 由で 訳 出 一

564

(9)

44

) 『五事毘婆沙論 』の につ い て (

O

(池田) しなか っ た とい うの で な く, 原 典 自体が 不完 全な もの で あっ た こ とが 類 推 され る の で あ る。 更 に 「救 竜 品」 に つ い て 見る と, 『閲 蔵 知 津 』 に,

   

大 声 説二諸 法 印_。所 謂 無 常

苦無 我

等 23) 。 とある。 こ の

(品) は法 印を説 い て 竜王 の 苦を救 うこ とを 説い た もの で あるが, 現 存 経 文を 見る と, 苦 と無 常の 二 法 印が説かれて い るだ け で , 無 我の 法 印を欠い て い る。 これ は , そ の 箇 所だ け翻訳 を しなか っ た とい うの で は な く, 将 来 さ れた 原

欠 落が あっ た と見 做 すの が 妥

とい え よ う24)。

 

こ の よ うに見て くる と, 『

閲蔵

』に おける

文 来未

の 句は, 「

完全

な もの が将 来され たが, 全 部は 翻 訳され て い な い 」 の 意で は な く,

者 智 旭は ,

文は 将

さ れ た が, 欠

部 分の ある もの で , 完 全な もの で は な い」 と い う意 味 で い て い る こ

れ る の で る。

NT

 

とこ で , もしそ うで ある ならば, 玄 奘は不 完 全 な manuscript を漢土 に 斎し た こ に なる。 即ち ,法 救 に よ っ て 「色 ・心 ・心所 ・心 不 相 応 ・無 為 」の 〈五

〉 全 体に 対 し て註 釈が施 され て い た 『五 事 毘 婆 沙 論 』は , 玄 奘が 入 手 する 以 前に , その 後 半 部 分わ れ て い た こ とに な る。 これ は, 先に

者が 一応 妥 当な線 と し て

結論

した (

3

)に 相 当する立場で ある 。   だ が , 果 して そ うで あろ うか 。 伴戸 氏は,     五 事の 最 も法 相の は 心所 法 と 心 不相 応 法で あ り, 何れ の 論 書に

  

於て もそれ らは広 く明か されて い るの が

で ある。 従っ て 阿 毘

達磨

精通

  

て い た翻 訳 者 玄

が, 不 完 全な原 典を招

し, 気 付かずに 訳 し始め た とは

  

え難い 25)。 と述べ て お られ

筆 者

も全 く同

る。 た と え

気付

い て い た と して も, 不

全な原 典を その ま ま 訳 出し た と は えに くい の で る。 即 ち,進ん で 言 うな ら ば, 玄

は 自らが齎 し た manuscript を 不完 全な もの と考えて い な か っ た, と見 做 す こ とは で きな い か 。 確か に

本論 書

の 訳 出は

た り,

力 も 体

えて い た に

い ない 。 その 時

で ま だ訳 出され て い ない 写

は 幾 ら も残 っ て い た で あろ う。 そ れ らの

か ら

が 『五

』を選ん だ の は , こ の 論

が 短 い

) もの で あ っ た とい う理 由か らで は な い か。 本 論

の 訳 出 (

3

663

12

3

日〜

8

に は , 彼は, 『

照 神

地 経 』 一 巻 (同

12

(10)

『五 毘婆沙論』の成 立に つ い て  (池田) (45)

29

日) と 『呪五首 経 』一巻 (

徳 元

664

1

1

日) とい う短い 経 典を

した の みで 26) ,

664

2

5

日に

歿

し て い るの で ある。 玄

は , 『五 事 毘

』を もともと

受 」の 解 釈 まで し か ない 短 い 論 書と して 認め て い た の で は な い か。 そ の よ うな 箇 所で 了っ て い る こ とに, 特 に 異 和 感を もっ て い なか っ たの で はない か 。

 

こ こ で も う一度, 『閲蔵 知 津 』の 記

れ て , やは り

玄奘

無 為法」

所 ま で

釈された 『五

毘 婆 沙 論 』の 完 本

将 来

した が , 途 中で 訳 を 止 め た, とい う伴 戸 氏の 説を考えて み よ う。 その 場 合, もしそ うで あるな ら, 何 故, 訳 出を中 断 し た後, そ れ に戻 らず, 全 く別の

経典

を 二 つ も 訳

し たの だ ろ うか。 た とえわ

か で も翻訳気 力が彼に っ て い た な らば, 一

続行

し た に違い ない と思わ れ るの で ある。 た と え途 中で 斃 れた とし て も。   そ の よ うに考えて み る と, や は り玄 奘は , 『五 事 毘 婆 沙 論』 を, 彼が翻 訳 した よ うな形 態 の 論 書, 即ち現 存の 論 書の よ うな構 成の もの と して 疑 っ て い なか っ た, と 思 えて くるの で る。 し か し, もし そ うな らぽ, そ の よ うな

成の 論

と して 『五事 毘

沙論 』が

在 し て い る論拠 を 示す必要が あ ろ う。   『五事 毘 婆 沙 論 』 の 著 者 法 救は, 冒 頭に 本 論 書の 造 論の 目的 を陳べ た 後, そ れ に 続 けて 以 下の よ うに言 う。

   

問 已知 須F 造二五事 論一縁上 。此 復 為二何 名五 事 論一。

由三此 論 中 分二 別五事.一。是 故

   此論 得

二 五

事名

一。依 処

事 義無

。異。 阿 毘

磨 諸 大

師 威 作二

言一。

有二五

   種

_。 一 自性 事 。 二 所 縁 事。 三 繋 縛 事。 四所 囚 事。 五 摂 受 事。 当レ知二此 中 唯 自

   

性 事一。問 若爾何 故 説レ有二五 法_。答 事 之 与二法 義_亦 無レ異。 問 何 故 此 論

弁二五

   法

一。

後略)

989b

 

繰 り返 して言 うが , こ の

が 『

論 』に

す る 註釈

る こ とは,

者 自身が冒

い るの で る。 そ の よ うな

記述

に 続い て 上 掲の 文

が 書 か れて い の で ある。

 

と こ ろで , 今 日 〈五

論〉 と呼 んで よ い と考え られ る論

に は , 前 述の 如 く 27)    

1

. 『阿 毘 曇五法 行 経 』 (大 正

No

1557

   

2

. (a

「衆 事 分 阿 毘

論』 の 「五 法 品」 (大 正

No

1541

    

b

) 『品

足 論 』 「

(大正

No

. 

1542

   

3

. 『薩 婆

多 宗

論 』 (大正

No

. 

1556

) 一 

562

(11)

46

        

『五婆沙論につ い て

Pt

(池田) の

4

種 類

存在

る が, それ らの

々 が,

1

法」

2

a

) 「

五 法 」, (

b

五 事 」,

3

五 事」 とい う如 く, そ の 論

書 名

ま たは

名に 「五

pafica

−vastuka )

ある い は 「五 法 (

pafica

dharmaka

)」の 語を用い て い

 

こ こ で 「五

事」乃

」 とい の が,

1

. 色

2

. 心

3

. 心所

4

心 不 相 応 行

5

無為

「upa citta caitasika cittaviprayukta asarskrta の 五 種を

意味

する こ とは , 改め て い うま で もない こ とで ある。

 

しか るに , そ の よ うな 〈五 事 論 〉に註 釈を著わ す と 言 い な が ら 法 救は 先 に 引 い た文 中で め て不可 解 なこ を 述て い 。 即ち, 彼は , 「何ぞ名づ けて 五 事 論 と

すや。 答 う。 此 の論 (= 『五

論 』)の 中に 五事を分 別 す る に 由 る。

の 故に 此の 論, 五

」 と言い そ の

で 「

に 五 種

り」と して

   

1

. 自性 事

   

2

.所 縁

  

3

縛 事

   

4

.所 因 事

   

5

受事

5

種 類の

」 と して 列 挙 し て い るの で ある。 し か も その 直 後に , 「問 う。

し爾 らば, 何

に 五 法

り と説 くや。 答 う。 事は 之 れ 法の

亦異

な る こ と

し。

と述べ て い る。   した が っ て , 「五事 」 とい うの も 「五法 」 とい うの も 同 じこ と に な る 28) とし な が ら, その 「五 事 (= 五 法 )

を 上

5 種

と し て , 「色 ・ 心 ・ 心所 ・ 心不相

無為」

は どこ に

示 さな い の で る。 の み な ら

『五

婆 沙

論 』 全 体の 中 で も, どこ に も 「五事

と 「色 ・心 … …」 とを 結びつ けて は い な い 。

 

上述の うな context の

に 五 種 有 り

と言 えば , それ は

色 ・心 …」 の

」を指す の が 当然る。 そ こ に

「自

五 事 」を 示 し た の が,

何な る意図に よっ て の こ と か 問 わ れ ね ば な らな い 。 一 見して 両 者の 事 」に は ,

らの

応 関 係 も見 出せ な い の で ある 。

(12)

『五事毘婆沙論 』 の立に つ い て(

e

(池田) (

47

 

して 考え た場 合, 法 救は , 『五事 毘

婆沙

を 必 ず しも

色 ・ 心 ・心所…

の い わ ゆ 位 〉 との 対 応の 中で 著わ そ う と したの で な く, む し ろそれか ら

れ た形で論を 展開 し よ う と し た の では ない か と さ え 思 わ れ る の で ある。 「五

」と して

「自

性 事 」 以 下

を, 不

然 を 承 知の 上で

えて

示 したの で はない か 。 そ うする こ とに よ っ て, この

書は ,

色 ・心 ・ 心所…

に よ っ て

成 さ れ て い

論 』

構 造

か ら開 放 される こ とに な る。 櫃

 

以 上 の こ とは, か な り無理 な考え方か も知れ ない が , しか し, もしそれ を

め るな らば , そ れで は, 何故法 救が その よ うな執 筆上の 展 開を 試み た か が 説 明さ れ ね ばな るまい 。

 

稿

の 段階で は ,『五

沙 論 』の 著 者 と して の 法 救 (

Dharmatrata

定す る こ とは しな い が , い ずれ に して も, そ れは

沙の 四評 家」 の 一人 と し て の

か, 『

雑 阿

』の

著者

法救

か, ある い は そ れ 以

救か , い

れ か に絞 っ て 考 察 し て い くべ き もの で ある と考え られ る。 そして , も し 前の 二 者 の 法 救 との 関 連で 『五

毘 婆 沙 論』 の 著 者

して よい な ら ば , rough な言 い

るの を 承 知で,

えて 表

す るならば, こ の

両 老

はい

れ も い わ

ゆ る

譬喩

者 (

Dar

tantika

) 的, もし くは経量

Sautrantika

とい わ れ る

よ うな傾 向を 有 し た人

る と見 做 して よい われ る29)

問 題 に し て い る

『五

沙 論』 の

姿

, そ れに関 連 して

えて い かれ るべ き もの と考

え られる の で ある。

 

と こ ろで , チ ベ ッ トに お い て数 多 く著わ され た 仏 教 教理

説 書 で あ る

宗義

書 」 (

grub

 mtha ’) 文

ち , サ キ ャ 派 (

Sa

 skya  

pa

) に

する もの で あ る

gZhung

 

lugS

 

legs

 

Par

 

bshad

 

Pa

(=

SLL

を 見 出す

と がで る。 そ れ は 当 面の 問 題で あ る 「五

gzhi

 

lnga

, 

paficavastuka

)」 に関 し

て説い

で ある。

  

gsum

 

pa

 

gzhi

 

lnga

 rdzas  su  

grub

 

pa

 

dang

 ma  

grub

 

pa

i

 

tshul

  mi

  

mthun  

te

Bye

 

brag

 

tu

 smra  

ba

 ni

gzhi

 

lnga

 char  rdzas  su

dod

  

la

!mDo  sde  

pa

 ni 

gzugs

 

dang

 sems  

dang

 sems  

las

 

byung

 

ba

 

gsum

  

rdzas  su  

yod

 cing

mi  

ldan

 

pa

i

du

 

byed

 

dang

dus

 ma  

byas

 ni

  

rdzas  su mi ’

dod

 

de

 

1

…3°)

(13)

48

) 『五毘婆沙論』の につ い て(却 (池田)

 

3

5

つ の 基 礎 (= 五位 )が

体 と し て (

dravyatas

) 成立する もの と,

〔実 体 と し て〕 成立 し ない の の

は一

し な い の で っ て , 毘 婆 沙 師

Vaibhasika

)は

5

つ の 基

を等 し く

体 と して 主 張 す る が , 〔そ れに

て〕 経量 部 (

Sautrantika

)は, 色 (rUpa ) と 心 (citta ) と 心 所 (caitta ,

caitasika )の

3

つ は

体 と して 存 在 し, 〔心〕不 相応

(〔citta −〕 viprayu

kta

samskara

無 為

asamsk

ta

実体

と し

存在

しな い の で る。

 

こ の 一

は , 「宗 義の 観 点か らの 区 別 」 (

grub

 mtha

i

 sgo  nas  

dbye

 

ba

で 「声 聞の

2

つ の部 派の 主張の 認 識 」 (nyan  

thos

 

kyi

 sde  

pa

 

gnyis

dod

lugs

 ngos  

gzung

 

ba

段 を 設 けて , 毘

婆沙 師

Bye

 

brag

 

tu

 smra  

ba

Vaibha

§

ika

) と経 量 部 (mDo  sde  

pa

 

Sautrantika

) との 主 張の

い を 示す

3

目に み られる。

 

こ こ で 毘

沙 師 とい わ れの は, い うまで もな く

切有 部

Sarvastivadin

で ある。

は 一

有部

理 上 に よ っ て 分

して成立 し た

え られ て い るが, 「五 事 (い わゆる 〈五 位 〉)」に 関して, 実

と し て (

dravya

tas

) 認 め るか か に よ っ て 立場 の 相 違が ある こ と を示 し た文

は ,

め て

ある とい える。 こ の

SLL

古来

Sa

 skya  

pap

α

ita

 

Kun

 

dga

’ rgyal   mtshan (

1182

1251

)の

著作

と見 做 され て きた。 し か し

近その 伝 承を 否 定 する

力 な

が 示 される に 至 っ た3D 。 そ の 場 合 , 本

の 成 立は

Sa

 

pap

代 よ り幾 分 遅 くな る と思わ れ るが, それで もこ の 文 献が

Sa

 skya 派の 伝 承の 中に 置か れて い る こ とに

わ りはな い で あろ う。

 

い ま こ こ で 当 面の 問題 に し てて み る と,

部 が 「五 事 」の す べ て を 「実 体 と し て (

dravyatas

」 認

めて い るの に

して ,

は, その 中の

色 ・ 心 ・ 心 所

3

の み を 「

実体

と し て」 認め る と さ れて い る。 こ の 表

を 通し て み る限 り, 経 量 部 も 「五

」の

体系

その の を否 定 して い たの で は な く,ただ

実 体 とし て」 は 「不相

応 行」

無 為」

めな い とい うこ に な る32)。 それに し て も, 厂色 ・ 心 ・ 心所 」 の み が こ うして 認め られ た こ とと , 『五 事 毘 婆 沙 論』 が 「色・心 ・心所 」 の 三品 (三

)の み で っ て い る こ と とは ,

な る

偶然

の ・一

ろ う

 

SLL

は, チ ベ ツ ト に お ける

grub

 mtha ’ として はか な り

立で は

る が, そ れに し て も 『五事 毘

沙 論』 が著わ され た と思われる 時 代 とは, かれ こ れ

1000

近 くも隔た っ て い る わ けで あ る か ら, その 伝承 の 信憑 性につ い て は 確か に 疑 問

(14)

『五 毘婆沙論 』の 成立につ い て  (池田) (49) が な い わ けで は な い れ ど も, こ う し た伝 承 が 全 く

らの

もな く, 突

現 わ れる とは考えに くい 。

の と こ ろ

筆者

の こ う し た説を, チ ベ ッ トの

め た, 他の 資料に よっ て補 強で きない が 3呂) , しか し 恐 ら くい

れ か の 文

で , こ の 問 題は よ り

細に

わ れて い る の で は ない か と

えて い る 。   以上 の 点を単な る偶 然と見 做 すか 否か につ い て は, 筆 者 もい まだ 確 定 し た 見 解 を もっ て い る わ けで は ない 断 を 下 す に は あ ま りに も資料 が 乏 しす ぎるの で あ る ただ , 『五 事 毘

沙 論 』に は, すで に 別

稿

指 摘

した よ うに , 経 典 を 拠 り所 とし て 論 ずる

所が 異 常に 多 く, し か も, 「経 為量」 (sUtrapramapaka )の 語 も

4

回 用 い られ て お り, そ れ らの 特 徴を 経 量 部の もつ 傾 向と 結びつ ける こ とは , あな が ち 根 拠の い こ で は ない よ うに 考 え られる の で る。 そ うし た こ と か ら

て 『五 事 毘 婆 沙 論』 の 著 者 法 救は, これ ま で に も 法 救に つ い て よ くい われて きた よ うな,

喩者 的, あ る い は 経 量部 的な 傾 向を もっ て い る らしい , とい うこ とは い え る よ うに

わ れる の で ある。

 

こ こ で は ,論 書の 構 成上 の か らの み 検 討 し て み た が,

の と こ ろ

心所 法 」 も数 多 く存 在 す るの に, 何 故 「受 (vedana )

の ところ ま で で , 厂想 (samjfia )

「思 (cetana )34)

等は解 釈 され なか っ たの か , な ど とい う重 要な 問

未解

決 の ままで る。 「受 」 は確か に 経 量 部に とっ て 重 要な問 題を提 供 し て い る 35) , そ れ だ けで は解 決に は な ら な い 最 初に 述べ よ うに , い ずれ 『五事 毘 婆沙

』 の 内 容

検討

に よ っ て , 著 老の 問 題を

め た成 立の 事 情に つ い て 考 察 するつ もで ある の で 「受 」の 問 題 もその

に 論 ずる こ とに し たい 。        註

1

) 『五事 毘婆 沙 論』二 巻, 玄 奘 訳 (大正

28

989a

995b

。 サ ン ス ク リッ ト写 本の 断 片 が 今  西順吉氏に よっ て 刊行 さ れて い る

J

. 

Imanishi

Das

 

Paficavastukarn

 und  

die

 

Pafi

 cavastukavibha 串a (

Abhidharmatexte

 

in

 

Sanskrit

 aus  

den

 

Turfanfunden

1

 

G6ttingen

 1969 .

   また , 玄奘 訳か らの還 元梵 文 text が刊 行さ れて い る。 

S

. 

Bhattacharya

S

. 

Cha

 

ttopad

iyaya

Paficavastuka

 

Sastra

 and  vibh a, 

Visva

bharati

 

Annals

, voL  

X

 pp . 

i

−xiv ,

1

54

2

) 大 正

28

998a

1

Olb

No

1557

3

) 大正

26

692b

694b

No

1542

一 

558

(15)

(50 ) 〉 )   ) 456 『五沙 論成 立につ い て

e

)(池田) 大 正 26,

627a

−628c (

No

.1541 ) 大正 28,

995c

998a

No

1556

) 拙稿 「〈五 事 論 〉の成 立 と流布」高崎直道 博士 還暦 記念 論 集

r

イ ソ ド仏教 学 論 集』(

19

 

87

10

月)

PP

. 

343

357

, 拙稿 (

1

))。

7

) 世 友 ・法救に 関する ま とま っ た論考と して は, 山 田龍 城 博士 の

r

大乗 仏 教成立論序説 丑    (

1959

3

月, 平 楽寺書店)の 中の第

3

章 「経 典 成立 に 関与 し た 人々 」 (pp .

391

416

  ある。

8

) 河村孝照 法救 造五事 毘婆沙 論につ い て の 検討 一 大 毘婆沙論 研 究の 一環 とし て一 」、    『印仏 研』

13

2

,pp .

140

144

    同, 「法 救 造五事毘婆 沙論 と大毘婆沙論」

r

阿毘達磨論書の 資料的研究』 (

1974

3

月,    日本 学 術振 興 会 )pp .

53

79

9

) 前 註 (1)の還 元 梵 文 text に は, 

Introduction

が附 さ れて い て, 示 唆に富ん だ 論 及   が見ら れ る (

lntroductory

, 

pp

。 

i

xiv ) 。     前田 至成 「五事毘婆沙論の系譜に つ い て印仏研

34

1

, 

pp

242

249

10

最 近, 伴戸昇空 氏に よっ て 厂五事毘婆沙論 一

b

」 (

A

R

1

』第

6

  号,

pp

1

38

.) と題す る論文が発表さ れ た。 これに は , 日本における 註釈書の紹介や,   資料の整理, 翻 訳事 清, 著 者 問 題, それに本論 書の 国訳 等 も附せ られて い て, 極め て有 ’

 

益で あ り, か つ 斬新な もの で ある。 本稿を執筆するに 当 た り, 種々 参 考に させ て いた だ   い た 。     なお,前註 (8)の 河村博士 , (

9

)の前 田氏, そし て 伴戸氏の 論 文で 取 り上げ ら れて   い る 『五 事 毘 婆沙 論 』 の 著者問題や

r

大 毘 婆沙 論』 との 成 立の 先 後 等に 関する筆 者 の 見   解は , 稿を 改め て論 究 する こ とに した い。

11

) 拙稿 「

r

五事毘婆 沙 論』 に関する覚 え 書」

r

曹 洞 宗 研 究 員研 究 紀 要』

19

号 ,pp .

30S

300

。、   (拙稿 (

2

)) 12

13

14

) ユ

5

16

17

) 才出稿 (

2

) 

pp

306

3050

拙稿 (1)註 (

2

)参照。 前 註 (

1

)参照。 「阿毘達磨 品 類足 論 解題」

r

国訳一切 経 』 (毘曇部

5

p

74

前 註 (

9

Introductory

, 

pp

. xiii−xiv .

1987

6

6

日に行な われた 印度学 仏 教 学 会, 第

38

回学 術大 会の第

4

部 会に お い て , 前田至 成 氏は 「五 事 毘婆沙 論再考 」 と題する発 表をされた が, そ の 際 筆 者の質問に 対し て , 本論 書は 無 為 法」に至 る ま で の 註釈に止 ま らず, さ らに種々 の 問題に ま で 拡 がっ て 書かれ て い た可 能 性も あ る 旨の お 説を 述べ ら れ た 。 し か し筆 者は , その よ うに は 考え ない の で い まの 目の 中に ま せ る こ とは しなか っ た。 当面の 問 題に 関わ るの で こ こ に 記させ て い た だい た。 口 頭発表で の 内容を註 記 し た こ と をお詫び致 します。

(16)

『五事毘婆沙論』の成 立に つ い て(k

51

18

) 

r

成 唯 識 論』 の よ うなケース は例 外 的で あ る。 桑山正進 ・ 袴 谷 憲 昭

r

玄 奘』(

1981

12

  

月, 大蔵 出版) 中の袴 谷氏執筆箇所 , 「玄 奘 訳の 特徴と訳 語の問 題」 「

r

成唯 識 論』をめ ぐ   っ て」pp .

300

309

309

318

 etc .参照。

19

r

品類足論』「弁五

26

692c

−693a , 

r

五事 毘 婆 沙論』 (大 正28, 989c −993a .   比較は じ玄 奘訳に よっ て 行 なっ た 。

20

21

22

23

24

25

26

27

28

)  伴 戸 前掲論 文, pp .

3

5

.  『昭和 法 宝 総 目 録 』

3

1233c

.  同,

4

IOSO

 a,,  同, 4 巻 1050 a.  その

r

閲蔵 知四十の 乗 論 蔵」の ところ で は , 

r

LY

阿毘曇論』 に も 「文来 未尽」の 語 が 見 られ (1231a ), また 『施設 論』の箇所に も 見 られ る (1231c)。 この う ち 『施 設 論』 は 明 らか に写 本 に欠落があっ た と考え られ る  伴 戸 前掲 論 文, p .

3

.  桑 山 ・袴 谷 『玄 奘』の 「訳 出仏 典 リス ト」

p

258

照。  前 註 (2)〜(

5

)参照。  拙稿 (

2

)p .

300

, 註 (

11

) 参照。 そこ で ご く簡 単に 触 れて おい た が, この 問題は 重要   な 点 を 含 む の で , 次の 稿で再度論ず る こ とに し たい 。

29

 山 田

p

391

416

。 宮本正尊 「譬喩者, 大 徳 法救, 童 受, 喩 鬘 論 の 研 究」

r

日本    仏教学協 会 年報 』第 1 年, pp .115 −192 。

30

 

Sa

 skNa  

pa

i

ゐ肋 , ,

bum

 vol .

5

Tokyo

 

1968

p .

65

 

Tha

 

134a6

bl

31

 

David

 

P

Jackson

Two

 grub  mtha , 

treatises

  of 

Sa

.skya  pandita − one  

lost

  and  one  

forged

 

The

 

Tibet

o%rnal ,

10

1983

No

1

, pp . 

3

13

J32) 経 量 部が有 部か ら分 裂 する こ とに なっ た主要な原 因は , 経 部の 心所法否 定 論 と心 相応   の否 定論で あっ た とい う 水野弘元 「心 ・ 心所 関 す る 有部 ・経 部等 論争」『宗教 研   究』新第

9

3

号, pp .

424

436

参 照 。    しか し, チ ベ ッ トに おける伝承 と, そ れ以前に訳 出さ れた 漢訳 仏 典に み られ る 経量 部   に関 する伝 承は, 必 ずし も 一 うで ある。 チ ベ ッ トの伝 承が後 代の もの だ か ら    か もしれ ない 。 ’

33

SLL

以 外の他のチ ベ ッ ト撰 述の grub  mtha ’

は, 例 えぽ

Blo

 gsal gr”

b

 mtha ’

 

経量 部 のな ど を 見て も, 有 部 と同様の 〈五 位 〉に よっ て論 述されて い る。

Cf

. 

MIMA

 

KI

 

Katsumi

Le

 chapitre マ

du

 

Blo

 

gsal

 

grub

 mtha ’ sur  

les

 

Sautrantika

, 

Pr6

  sentation  et 

6dition

 

Zinbun

, 

Number

 15 pp .175 −210 .

  

Cf

. 

ICang

 skya の

Grub

 

Pa

i

 mtha ’i rnam  

Par

 

b2hag

 

Pa

の 経 量部の章 (『東 大

  目録』

No

86

88

, 

Ka

 

72a5

98b3

)参照。

  

水野 弘 元博土 は , 有部がいわゆる 五 位のすべ てを実有で あ る とす るの に対し, 経量 部

(17)

52

r

沙 論』立 につ い てく

e

(池 田   は 心 不相 応 と無為 法は仮 有 とする と述べ い る (「無為法に つ い て」

r

印仏 研』10 −1,   pp .

10

11

)が, しか し, 博士 は また, 経量部は心所 法を も仮 法 と す る と述ぺ て お ら れ る   (「心 不相 応 法に つ い て

1r

沢 大学研究 紀 要』第 14号, pp ・47 −48)。この 説に従 う な ら ば.   経量 部が 心 不相 応 法 と無 為 法を 実体として成 立しない と主 張 す

SLL

の 立 場   とは な るこ とに な るの で , い まは註記するに止め た 。 しか し, こ の 点に つ い て は 検討   さ れ る余地 が あ る と思 わ れ る。

34

) 経 量 部で も, 「受 ・想 ・思 」の

3

種は心所 法と して 認め るものがあっ た。

Cf

.水野 前 掲   論 文,

p

434

35

) 加 藤 純章 「楽 受に関 する論 争 」『奥田慈応 先 生 喜 寿 記念 ・ 仏教 思 想 論 集』 (

1976

10

月 ,   平楽寺書店)

pp

897

909

参照

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