日本では英語読みからの トラバーチン
(Travertine) として呼び親しまれている 石材のトラベルティーノ(Travertino,伊語)
は 正 式に は ト ラ ベ ル テ ィ ー ノ ・ ロマ ー ノ
(Travertino Romano)と言う石材名で世界的 に有名である. このトラベルティーノの語源 は ラ ピ ス テ ィ ブ ル テ ィ ヌ ム (Lapis Tiburtinum) ティボリの石というラテン語 から由来しています.このティボリというの はイタリアの首都ローマの町から東におよそ 30km行ったところにある町の名前でティブル ティヌムはティボリの町の古い呼び名でもあ りました.
町の起源はあまり定かではありませんがロー マ帝国時代から既に景観の美しさや保養地と してヴィッラ(Villa,別荘)が競って造られ,
貴族達の避暑地としても持てはやされたこと から今でも多くのヴィッラを丘陵地帯に見る ことが出来ます,
現在のティボリは人口5万人程の町で,海 抜高度200mあまりの山の上に中心街があり 観光地としても広くその名を知られています.
その中の エステ家の別荘(16世紀) など は庭園にある噴水によりあまりにも有名でイ タリア式庭園の手本となりました.またそこ から6km程離れたところには ハドリアヌス 帝の別荘(2世紀) がありそのヴィッラの 壮大なスケールと構想は他の追随を許さない イタリア屈指の史跡といえます.こういった 歴史の一端を担ってきた史跡とトラベルティー ノの密接な関係は建築や彫刻を通した素材と しての関わりに尽きるといえます.それは石 材としての性格で花崗岩などと比べ圧倒的に 柔らかく加工がしやすい,全面的に均一なク リーム色をしていて同じような模様で大規模 な量をそろえる事が出来る.また石灰岩とし ては一定の強度も兼ね備えていることなどか ら古代より建築材料や彫刻に巾広く使用され てきました.堆積していった層に対して直角 に切った面では石灰分が沈澱して平行に堆積 しながら層の間に細かいたくさんの孔(穴)
が形成されているのがよく判り,他の石とは 違った特徴であるといえます(写真①②参照)
ただこれらの孔があることから小さな仕事に は不向きで、おもに大型のブロック材や板材 として現代の建築にも好んで使われています.
ハドリアヌス帝の別荘が位置する辺りはティ
―彫刻と建築における素材としての石灰華 (岩)―
鈴木 徹*・秋山 信茂**
Rome and Travertine ,
the Material of Sculptors and Architects
Toru SUZUKI, Nobushige AKIYAMA
* すずき とおる 文教大学教育学部
**あきやま のぶしげ ローマ日本文化会館館員, 彫刻家
ボリの町がある山からゆっくりと裾野が広が るように開けた平野地でトラベルティーノ・
ロマーノが露天掘りされているところで採石 場はいくつもあり地表から地中に向かって掘 り進められています.採石の歴史が古いこと は資源としてそれだけかなりの量の石材を排 出してきたことにもなります.現在でも採掘 が続けられていることから言い換えてみれば 採掘された分の石材で造られたものがいかに 多いであろうかが想像できます.
この様にローマの町が身近に石材の宝庫を 抱えていたことは今までの歴史の中で輝かし い史実をつくり続けてこられたことがトラベ ルティーノの存在に起因するところが大いに あると考えられます.町が栄えていくにつれ て人が集まり人口が増え,町が大きくなるの に合わせて建築材料である石材が採石され,
たくさん使われたりしたわけです.
ローマ帝国時代の建造物でトラベルティー ノとのつながりをすぐに想いおこすのはコロッ セオ(紀元1世紀)に他ならないでしょう
(写真③参照).西暦80年にできたこの古代建 築の傑作は当時の建設にあたった皇帝ヴェス パシアヌス帝とその息子で後に続くティトゥ ス帝の出身であるフラヴィウス家にちなんで
「フラヴィウスの円形闘技場(劇場)」と呼ば れていましたが,中世以降今呼ばれているよ うに巨大なという意味の「コロッセオ」と呼 ばれるようになりました.建物の北側で外周 がまだ残っている部分を見てみると当時の様 子をそのまま見ることが出来て,今の我々の 時代とは違って高層な建物があまり存在しな かった時のまさに想像を絶する建築物であっ たことを感じることができるでしょう.外か ら見た場合あまりの大きさに正確な建物の形 を把握することができませんが,コロッセオ の形は正円形ではなく長円形にできていて,
その大きさは長径で188m,短径で156mとなっ ていて,高さは52mあり,地上階にある80も のアーチは5万人近くの観客の出入り口とし
て各階の観客が一遍に動けるための複雑な仕 組みの階段に造られています.
外から見る外周は三つの古典的な柱の装飾 様式が各層ごと(一層目がドーリア式,二層 目がイオニア式,三層目がコリント式)にアー チを支える壁の骨組み部分の付け柱として使 われているのがよくわかります(写真④参照). 主に使われたトラベルティーノはそれだけで 10万立方メートルに及んでいて,ほとんどの 外周はトラベルティーノが使われています.
地上階以外各層のアーチには彫像が置かれ,
最上層の上には天幕を張るための支柱がたく さん取り付けられたりしていました.まさし く帝国の力を誇示するのにふさわしいスケー ルと神聖なる雰囲気をも兼ね備えた「コロッ セオ」が古代ローマ帝国を象徴する大建築で あるのは間違いなく,トラベルティーノ・ロ マーノの存在からもその運命を導かれたので はないかと感じます.
このように古代ローマ人が土木建築技術に 優れていたことはよく知られてコロッセオの 他にも水道橋や浴場,街道の舗装など高度な 技術で造られたものを見てみるとよく理解で きます.
さてコロッセオがこれだけたくさんのトラ ベルティーノなどの石材を使って造られてい た事は後の時代に建築物としては不幸な運命 をたどることになります.それというのも14 世紀に被った地震でたくさんの石が崩れ落ち るという被害を受け,その後崩れたそれらの 石で建物の修復をせず別の建築物の材料に使 われるという運命をたどることになるからで す.まさに町なかに建築材料調達の為の石切 り場といった状況になってしまいました.今 見る姿から想像しても外周の半分以上はなく なっていますから(写真⑤参照)相当な量の 石が崩れ落ちそして持ち出されてしまったこ とになります.
しかしこの持ち出されたトラベルティーノ の供給を受けたその恩恵にあずかったローマ
の建築物は数多く15,16世紀に代表するベネ ツィア宮殿,バルベリーニ宮殿,バチカン宮 殿などがありその中にはサン・ピエトロ寺院 も含まれていました.コロッセオが古代ロー マ帝国の象徴とはいえこの時代のローマに君 臨していたのは教皇庁キリスト教世界の永遠 の都市にふさわしい町の容貌を形づくること に心血を注いで町の整備・都市計画を強力に 推し進めていった時代ですから,古代ローマ を象徴する大建築の材料も教皇庁の意向に沿 うように石材が流用されていったのでした.
サン・ピエトロ寺院がある場所は初めロー マ帝国のコンスタンティヌス帝が建てたバジ リカ様式の大聖堂(4世紀)が建っていまし た.11世紀も経たルネッサンスの時代になっ てから老朽化が激しくなり大掛かりに手を加 えなければならなくなったことから,全く新 しい教会に建て替える話が持ち上がってきた のでした.現代の考え方から言っても,とて つもない大事業である寺院の建て替えは時代 の寵児とも言うべき人たちの出現で実現でき た運命的で歴史的な出会いがもたらした賜物 でありました.
最終的に教会内部装飾を含めた完成を見る までには150年以上の歳月を費やし,多くの 教皇達と芸術家達が仕事に携わりました.そ の多くの芸術家の中でブラマンテ、ミケラン ジェロ,ベルニーニは特筆される大芸術家で その中でもルネッサンスのミケランジェロと バロックのベルニーニという彫刻家でもあり 建築家でもある二人の天才が時代を隔ててひ とつの建築事業に取り組んだことはとても興 味深いことだったといえます.
聖堂の基本プランはミケランジェロのもの で実現され聖堂前広場の整備をベルニーニが 担当して,最終的には今見るような姿に完成 されました.ファザードや広場の列柱(2000 年の聖年で修復された)などトラベルティー ノがふんだんに使われていて本来の建築美に 加えて素材の美しさも十分に味わうことが出
来ます(写真⑥⑦参照).それは白色という よりか,むしろクリーム色に近いトラベルティー ノがあたり一面に見える全ての建築物に採用 されていてとても眩しく見えます.ベルニー ニ自身が語っている『信者に差し出されたよ うな腕』である列柱に包まれて神の家が存在 する聖域に踏み込んだような気持ちになれる のはトラベルティーノの持つ石材としての性 格も起因しているのではないでしょうか.
驚くべき採石量のトラベルティーノは近代・
現代の建築にも使われ続けています.1942年 開催予定で進められたムッソリーニのローマ 万国博覧会計画はローマの中心から9㎞程南 に 位 置 す る 会 場 予 定 地 は 『 エ ウ ル 』
(Espozizione Universale di Romaの略称)
と呼ばれる新都市計画は第二次世界大戦のた め中止になりましたが,戦後その意志が引き 継がれて今見るような官公庁,オフィス街,
集合住宅などが建設されました.その中でも 現在,美術館,博物館になっている大きな施 設の建築物で外観にトラベルティーノを使っ ているものが多くあります.『四角いコロッ セオ』という別名があるようにこの労働文明 館 (Palazzodella Civilta´ del Lavoro、写 真⑧⑨⑩参照)は四角いビルの外観が全て21 6の同じ形のアーチだけで飾られていて壮観 な建物です.別名の通りコロッセオのアーチ に着想を得て作られているのがよくわかりま す.建築材料も同じトラベルティーノで統一 されていて地上階のアーチには彫刻も添えら れています。また建物の四隅には守り神のよ うな馬と人の巨大な彫刻が飾られていて,同 じく彫刻もトラベルティーノで作られていま す.
この様に彫刻、建築における素材としての トラベルティーノはコロッセオ,サン・ピエ トロ寺院,労働文明館と古代より現代まで幅 広くその時代の要望に答えて利用されてきま した,本来トラベルティーノの持つ石材とし ての性格が一致して需要と供給のバランスが
とれていました.2000年近く時が経っていな がら材料としての経年変化には驚くべき耐久 性を示していると言えます.外的作用で石塊 の一部が欠損したとしてもその部分だけを継 ぎ足すような象嵌(ぞうがん)作業で補修で きることは前にも述べているように同じよう な模様や色で石を揃えることができ加工のし やすさも助けて実現できることです,まさに 万能なトラベルティーノといえます.
しかし残念ながら現代では大気汚染からく る石材表面の腐食が激しく修復作業をしても わりと早いうちに元の黒く腐食した表面に戻っ てしまう事から考えてみても,我々の時代に なってから急速に自動車排気ガスなどでの地 球温暖化の問題も関わって,時代を象徴する モニュメントが瀕死の状態に陥っていると言っ ても言い過ぎではないでしょう.根本的な問 題解決を望まないと人類の遺産を失うことに もなるでしょう.
参考文献
GUIDAD'ITALIADELTOURING CLUB ITALIANO−「ROMA」
石鍋 真澄 『サン・ピエトロが立つかぎり』
吉川弘文館
石鍋 真澄 『ベルニーニ』 吉川弘文館
①
②
③
④ ⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩