石井鶴三の彫刻
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(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部A) 第47巻 第1号. 平成8年8月. lo fHokka i do Un i i Journa i Se i l t t t on( onIA)Vo ver s c y ofEduca .47 .工 , No. Augus t , 1996. 石 井鶴三の彫刻. 桜. 1. 井. 雅. 文. はじめに 彫刻に対する今日的な概念の形成は, その主題が宗教的, 或は文学的なものから解放され, 彫刻に独自の. 価 値 を創 造 して いこう と した こ と に始 まる‐ 具 体 的 に は, A ・ ロ ダン (A・Rod ) が, 彫 刻 によ る 生 命 の 表 現 を 目 指 し, 彫 刻 によ っ て, 作 家 自 身 の i n 思 想 の 表現 を試み た こ と によ り, 始 まる と い っ て よ い. 以 後彫刻 は, その 主題 が作 家独 自 のも の と な り 作 ,. 家は自らの選んだ主題により, 彫刻の価値を追求するようになった. 彫刻には, 主題よりもより彫刻的であ る こ と が 要求 さ れる こ と にな っ た‐. 今日において, 彫刻という言葉が芸術学的な意味で用いられる場合, それは一つの独立した価値概念であ る. つ ま り 彫刻 そ れ 自 体の 存在 が一つ の価 値 と して 認 識さ れて いな け れ ばな らな い.. 彫刻に限らず, 一般に造形芸術を感覚の世界に展開されるものと考えれば, 作家の思索もその方法は概念 と公式によるものではなく, 現実的な形象を媒体として行われるものであるといえる. つまり彫刻家にとっ て は, 世界 は 概念 によ らず, 形 象 によ っ て成 り 立 つ もの である.. そう した考えからすれば, 彫刻について理論的な説明や解釈を加えることは, 彫刻本来の研究にとっては 不必要であるとも考えられる. しかし, 自分の彫刻観の形成にあたって影響を受けたさま ざまな事がらを, 言葉 によ っ て よ り 明確 に し, 体系 づ ける こ とも, さ ら に深く 彫 刻 を 理解する た め には 一 つ の 方 法 と して は ,. 肯定されうるものであると考える‐ 作品と, その内側に秘められた作家の思想を考えることにより, 彫刻の 一つ のあ り 方 を探 っ てみる と いう 研 究 方法 は考 え ら れる‐ その ため には ま ず残 さ れた作 品 と その 作家 の , ,. 概念を明確に知ることができる資料が必要である. 石井鶴三は, その作品と著作において単に造形の分野のみならず, 人間の生き方にまで問題を投 げかけて いる. そ の 制 作 は 一 貫 して 一 つ の 概 念 によ り 進 め ら れてお り, 表 裏 一 体 と な っ た作 品 と文 章 は 制 作 と作 家 ,. の概念との関係を知る上で貴重なものであると考えられる. 本稿は, 彼の彫刻観, 造形論, 方法論とその作品について考察し, 彫刻表現の一つの可能性を考えるもの で ある.. 2. 彫刻の本質. 彫刻という言葉は, 独立した一つ の価値概念である. したがって彫刻を研究すると言うことは それ自体 , の本質を探り, その価値を研究することである. つまり形を形として考え, 純粋 に形が我々に及ぼす影響或 は力 につ いて 考 え なく て は な らな い. そう い っ た意 味 で は, 彫 刻 が我々 に及 ぼす 何 らか の作用 は ま ず 生物 ,. 学的な意味において理解される現象であるとも考えられる. 137.
(3) . 桜 井 雅 文. 造形芸術における彫刻は, 絵画とともにその主要な分野を形成することになるが, 形而下の問題としては, その相違点は絵画の二次元性に対する彫刻の三次元性である. 彫刻とは三次元の, 立体の芸術である‐ すな わ ち彫刻 の 本 質を知る こ と は, 立 体 が我々 に及 ぼす 何 ら かの 影響或 は力 につ いて知る こ と である‐ この “影. 響或は力” とは芸術的な立場からこれを総括して言えば “感動” という言葉 に置き替えられる. すなわち彫 刻からあらゆる付属的な要素を排除して, それが彫刻である最後の条件, 或は, 唯一の条件は, それが立体 ならではの感動を我々に与えるか否かであると言える‐ つまり彫刻の本質とは, 立体が我々 に与える感動で ある. 石井鶴 三 は, その 彫刻 観 を次 のよう に述 べ ている.. 「彫刻とはどういう芸術であろうか その本質を一言で言え ば立体感動である 立体美の感動に出発し . , , ) こ の 感動 を 形態 化 して 彫塑 作 品 となる の である.」1 彼 の 体験 した “立 体感 動” と はい かなる も の であ っ た かは, 以 下のよう に述 べ ら れている.. 「家に飼ってある馬に近づいて少年の私は非常に感動した 馬の体を手で触ってみて不思議な感触に驚き . と一 種の喜 びの よう なも の を感 じた‐ あ の 長い, でこ ぼこ した顔 の 何 とも 言 え な い面 白い感 触, 首 の辺 り を 撫 でて か ら, 肩, 胸 の 辺り, そ れか ら腹 がふく れて ず っ とま た腰 のあ たり で しま っ て いく. あ の馬 の 体の不 思 議 な で こ ぼこ した 感触 が目 で み ても お も しろく 手 で触 っ て みる と なお さ らな んとも いえ な い‐ 子供 の 頃の こ と です か ら そ れが何 ん だかも とよ り わ か らな い‐ しか し後年 何 かと もの が わ か っ て きて顧 みる と, こ の - ) 種 の 少年 の 感動 は彫 刻 の崩 芽 だ っ た と思う.」2 ま たH ・リ ー ド (H・Read ) は, 彫刻 の 本 質 的価 値 につ い て 次の よう に述 べ て いる.. 「彫刻家が触覚的な価値 可触的 可秤量的 可査定的なマッスの価値の供述にほとんど盲目的に従う と , , , き彫刻芸術は, その最大限の, かつもっ とも独自の効 果を発揮する ということである‐ 目だけでは明かでな いが, 直接或は想像力によって触覚と圧力を感じるときには必ずえられる充全的なヴォリ ュウム, それが独 ) 自の 彫刻 的 な エモー シ ョ ンである.」3 こ の 彫刻 家 と評 論家 に は, 言 い方 の違 い こそ あ れ, 彫刻 の 本 質 にお いて, その 見 解 が一 致 して いる こ と は. 明かである‐ 我々は粘土をとっ て何か形を作る‐ 或は木を削り, 石を彫る‐ こう して様々な素材により形は 形成されるのであるが, それだけでは彫刻とは成り得ない. その中に立体的感動を具備するにいたり, 初め て 形 は彫刻 と して の価 値 を持つ の であ る‐. 3. 造形論と方法論. 具象彫刻は, 表現対象の描写を特徴とし, それらの持つ形, 質, 意味等を作品の内に取り入れるものであ る. 制作の礎を自然観察におく具象彫刻家において, 自然界の現象はすべて彫刻的要素として判読される. そこに存在するさま ざまな形体には多くの彫刻的本質が見い出される‐ しかし自然界の形体は, 彫刻的本質 を提示し, 彫刻の指標とはなりうるものではあるが, 彫刻ではない. 自然を自然として表現する限りにおい ては, それはまだ自然に対立してその存在を主張しうる 「芸術」 には至らないのである. 彫刻とは造形芸術 であり, 作家の造形意志により制作されたものでなければならない. そこに作家独自の造形論が生まれる. かくして, 作家は自然から一方的に 「美」 を享受する客体としての立場から, 自然の内に 「美」 を創造する 主体的な立場をとることになる‐ 対象はいかにあるべきか, という主張が存在の把握に関係するようになる のである. この主体と客体の立場は固定することなく, 「美」 を中心に入れ代わり, 制作という行為におい ては, もはや表裏一体となる. 主体的な美の創造を目的に対象を把握するとき, その観点を明確にするもの が造形論である. 138.
(4) . 石井鶴三の彫刻. 色彩の科学から出発した印象派は, 対象を光線に照らし出されたイメージによって把握した. キュービズ ムは, 光線の科学よりも対象そのものを幾何学的な面の構成体として把握し, さらに未来派は, それらの運 動のイメージとして把握した. このように具象表現においては, 造形論の観点も, やはり対象をいかに把握 し再 現 する かと いう 目 的 によ り, 基 礎 づ け ら れてい な け れ ばな らな い.. また彫刻は, 必ず表現の媒体としての各種の素材を用いる. そこから各素材に適した方法論も必要になる. 彫刻においては, 作家の内にいかに対象を深く把握 し得る造形論が存在しても, それが作品において実証さ れていなければ, 何の価値も有することはできない. そこで理論を, 素材を通じて最も効果的に表現するた め に, 具 体的 に作 家 は素材 に対 して如 何 に対 処 すべ き か につ い て 考 え ら れなく て はな らな い 方 法 論 と は . ,. 造形論を作品に具体化しようとする作家の行動において, その手段に実戦的指標を提示する理論である.. 石井鶴三の造形論 石井鶴三の造形論のポイントは, 立体には内側から動かす実の動勢がはたらき, それが外側から虚の面に よ っ て 規制 さ れてお り, そ の 緊張 の 中 に自然 の 立 体 は存 在 する, と いう も の である‐ この 実 と虚 の 関係 は当 然不 可 分 で 同 時性 の も の であり, 立 体の 存 在 と は, この 実 と虚 の 関係 によ り 秩序 立 っ ている 彼 はこ の 実の . 「 動 勢 を 「内 の デ ッ サ ン」 , 虚 の 面 によ る 規 制 を 外 の デ ッ サ ン」 と 呼 ん で い た. こう した造 形 論 の核 心 は, 次 の 言葉 の 中 に 一 括 して述べ ら れて いる.. 「塑造においては何物もない空間に粘土を積んで彫刻をつくるので 最初につくられた心棒の動勢がその , 作を支配し, 木彫の如く最初 に素材を与えられたるものは, その素材に決定された外郭の面と動勢がその作 を支配するという結果になるので, これ誠に自然であります‐ 然らば塑造と木彫とは同じく彫刻でありながら,その精神において根本的に少しも違わないのであります . 心棒のもつ動勢は四方にその勢いを伸ばし, 遂にその外郭の動勢と一致するのであります これを反対に見 ‐ れ ば, 外郭 のも つ 動 勢 はこ れ を 内 に追 求す れ ば 遂 に心 棒 の動 勢 にお さま る の であ り ま す こ こ にお いて 知 , .. ることは, 塑造と木彫の仕事の性質から見ると相反するものの如くであるが 彫刻としてその精神において , は全く一つであるということであります. ただ, 塑造は内より外に及ぼすので内が主となり外が従となり , 木彫は外より内に及ぼすので外が主となり内が従となるので, この内主外従 外主内従の性質は塑造の作品 , と木彫の作品の各の特色となることはもとよりであります‐ こ こ に 塑 造 にお ける 心 棒 のこ と, 木彫 にお ける 外郭 の こ と を 申 した の は この 二 つ の こ と 即 ち彫 刻 の制 , ,. 作において最も大切なる根本要義を挙げたわけでありまして 彫刻の見方 或は彫刻的見方といったような , , も の は, 要 する にこ の 辺 の と こ ろ をも と に して発展 す る も の であ る と いう こ と を 申 した い から であ りま す .. さて, 私共彫刻道の修行を致しおる者は, あらゆる物事に対しても 自然彫刻的の見方を致します , . いい換えると立体的にこれを見れば, 先ず物事の根幹を見, その核心をつかむということになり木彫的にこ れを見れば, 先ず物事の外郭を捉えるということになる のであります. 核心をつかむことを得れば 外郭を , 捉えること容易なるべく, 外郭を捉え得れば, 核心おのずから掴み得べく これをもとと して追求すれば物 , 4 ) 事の真相を得ること安からずと思うのであります.」 この造形論の確立も, やはり自然の観察と芸術作品の鑑賞により成されたものである 例えば 「外の デッ . サ ン」 につ いて は ,. 「山 を見 て い て 感 じたこ と であ る が 個々 の 山 の 形態 はも ちろ んある け れ ども そ れら を包括 する 大 きな , , ) 5 面 がある. そ れを造 形 の法則 と称 している‐一 と いう 言 葉 や, 飛 鳥仏 (図1) につ いて の. 「面によってつくられる形態が基本形となり この中に観音像は少 しの無理なく ゆ たりと した動勢を , , っ 139.
(5) . 桜 井 雅 文. も っ てお さ ま っ て いる の である‐ こ の寸 分のす きも な い き びき びと した造 形力 を知 っ た 時, 私 は少 な か らず. 驚いたのである‐ 単純な面による基本形態を最初 に決定し, それをもとにして, 細部に仕事を進めていくと ) いう, 立 体造 形の 根 本を飛鳥 の仏 師 は心 得 て い て, 生 命 の こもる よ い作 品 をつく り 出 している.」6 という 言葉 か ら は, 「大 きな 面」 「単 純 な面 による 基 本 形態」 とい っ た表現 がみ ら れ, そ れが 「外の デ ッ サ ン」 の 考 え を確 立 する 基 にな っ たこ と が判 断さ れる. )も こ の 大 きな面 による 統 一 の重 要性 につ いて は橋 本平 八7. 「接触面の離れ易さも一つの彫刻の技巧である‐ 魚族の水中を遊泳し易さ‐ 人間の乃至鳥類の空中を走り 8 ) 「自分はある日胡桃の種子を観察し 易さ, 総て接触面から来る特異さ快適さも彫刻の一つの役割である.」 その内から彫刻的なある物を体得した‐ 胡桃の実の彫刻的な芸術的な点はその表面の起伏の複雑さと一つに ) はその果肉の離核し易い感じを表している 点である.」9 と述べ ている. 「離 れ易 さ」 「離核 し易 い感 じ」 と は, 接触 面 が複 雑 に入 り 組 んで 統一 を 欠い た 状態 から得 ら れる も の で はなく, 大 きな面 に よ っ て 統 一 さ れて いる こ とか ら生 じる もの である. こう い っ た面 による 規制 は, 作 品 にも しっ かり した量塊 感 を 与 える もの となる. ミケ ラ ン ジ ェ ロの 作 品 に はそう した量 塊 感 がある が, 彼 は山 の 頂 上 か ら底 ま で転 が しても壊 れな い作 品 だけ がよ い とい っ た. こ れも, あ ま り にも 複雑 す ぎたり, ばら ばら になりす ぎた作 品 か ら は望 め ない‐ つ ま り 「外の デ ッ サ ン」 と は, 作 品. に大きな統一を与え, 量塊感を生む面であると考えられる‐ 「内の デ ッ サ ン とは立 体 の内 か らの動 勢 である 」 . 「ゴシ ッ ク 以 来 ヨー ロ ッ パ の 彫刻 に は苔や 雑 草 が (す な わち 形 を全く 隠 して しまう あ らゆる 種類 の 表面 , の邪 魔物 が) 一面 に繁 茂 しす ぎて しま っ た‐ この は びこり を 除去 して, 今い ち どわ れわ れに形 を意識 さ せる の が, ブラ ンク ー シの特 別 な使 命 であ っ た. こ れを行う た め に, 彼 は非常 に単純 な 形 に集 中 し, い わ ば彼 の l) 彫刻 を- 気筒 に しておく こ と, 殆 ど高 貴 に過 ぎる ほ ど単 一 な形 を洗 練 し磨 き上 げる こ と が必 要 だ っ た.」o i )の 彫 刻 の )の 言 葉 に み ら れ る ブ ラ ン ク ー シ (Constantin Brancus こ の ヘ ン リ ー . ム ー ア (Henry Moore. -気 筒 性 は 「内の デ ッ サ ン」 に共通 する も の であ ろう‐ こう した 明確 な動 勢 は, 石 井 鶴三 の 「信 濃男 坐 像」. ) の腰から頭へ抜け 19 33 ) (図11 ( 1 931 ) (図9) の胴体から首, 頭へと力強く抜ける動勢や, 「少女坐像」 ( ) の 静 か にね じれた動 き な どに見 る こ と ができる. 彼 は, 制 1934 ) (図12 る 動 勢, ま た 「シ ュ ミ ー ズ の女」 (. 作においてこうした造形思考を積極的に表現しようと務めた. こうした態度による制作については, 土方定 一氏 も,. 「石井鶴三は 肉づけを最小限にとどめながら造形の骨格を暗示することで 対象の映像を強めようとす , , 1 ) る 風格 のある 肖 像, 人物 像 を示 して いる.」1 と述 べ て いる. こ の 「最小 限の 肉 づ け」 と は, そのま ま 石 井鶴 三の 造 形 論 と感 性 によ っ て 要約 さ れた 自然 で あり, 「内の デ ッ サ ン」 「外 の デ ッ サ ン」 によ り 再構 成 さ れた 映像 なの である‐ 造 形 論 の確 立 は, 作 家 が自 然 に対 して 主 体 的 な立 場 を持つ こ と を 意 味 する‐ 石 井鶴 三 にお い て は, 自 然 は 「内 の デ ッ サ ン」 「外 の デ ッ サ ン」 によ り 意 味 づ けら れ再 現さ れる の である.. 石井鶴三の方法論 前 述 のよう に 「内の デ ッ サ ン」 と 「外の デ ッ サ ン」 の 双方 を不 可 分同 時性 の も の と して 重 視 した 石井 にお いて は, 制 作 的 に は違 い のある 塑 造 ・木 彫 を, そ れ ぞ れ同様 に重視さ せる こ と に な っ た‐ 彼 は生涯 を通 じて. 双方を手掛けている. 具体的には彼の造形論は如何なる制作方法を必要としたか‐ まず塑造においては次の 言 葉 によ っ て知る こと ができる.. 「塑造をやる時 私 どもは先ず鉄棒 木片 針金 縄等をもって心棒を作ります. この心棒は粘土を支持 , , , , 140.
(6) . 石井鶴三の彫刻. せしむる骨組みの用をなすものであるが, 外にもう一つ大切な役目をもっものであります. それは美術的に 見て, 彫刻の中心をなすところの動勢を捉えてあることになるのであります. たとえば 胸像を造るとする , と最 初 に た てる ところ の心 棒 はこ の胸 像 の根 幹 たる 動 勢 をつ く り 出 したこ と になる の であ っ て こ れ がこの ,. 胸像の彫刻としての第一歩を踏み出したことになるのであります. この心棒を中心として粘土をつけて行く の であ りま す が, どこ ま で も この心 棒 の もつ動 勢 を生 か しつ つ その動 勢 に支 配 さ れつつ 仕 事 を進め て行く , の であり ま す‐ 故 にこ の最 初 に心 棒 を つく る と いう こ と は, 彫刻 にお い て 塑造 にお いて な かな か大切 な , , 2 ) 問題 で, 最 も 心 を用 いな け れ ばなら ぬ 仕 事な の であ りま す.」1. こう した考えによっ て作られた心棒は, それ自体がすでに完成作品を思わせるほど神経が配られている . 「青年裸身心棒 (図2) にしても 「木曽馬心棒 (図3) にしても これだけ決定的な心棒からは よほど 」 」 , , 無 理な 肉付 けでも しな い 限り, 動 勢 がく ず れる こ と はま ず な い と い っ て よ い とく に 「木曽馬 心棒」 にお い .. ては, 足の部分などそれ自体で完成 しているように見えるほど入念に作られている. 塑造というよりも木心 乾漆に近い感覚を感じることができる. また 「天平式塑造心棒」 (図4) においては すでに完成作として , も差し支えないほどの独立した充実感が伺える. この写真を見たイ サム・ノグチはこれを激賞し , 「この ま ま で 発 表 す れ ば い いの です ジ ャ コメ ッ ティ に比べる べ き かも しれま せ ん 1 ) 3 , . ‐一 と述 べ た そう である‐ 石井鶴 三 と ジ ャ コメ ッ ティ の制 作 の 狙 い は異 なる であろう が 双方 の作 品 が共 に高 , い造 形性 を示 して いる と いう 点 にお い て は肯 ける. こ の最 初 に決定 さ れた心棒 が, 石 井 鶴 三の 塑 造 にあ っ て は最 も重 要 な 要素 であ っ た 「内 の デ ッ サ ン は 」 , . ま ず こう した心棒 によ っ て作 品 に 介入する. 心 棒 の動 勢 は モ デリ ン グによ っ て 量 を持 ち 「外 の デ ッ サ ン , 」 , 1 ) 4 の 内 に納 ま る の である. 基俊 太郎 氏 は, 石井 鶴 三の 心棒 をロ ダンと の比 較 にお い て次 の よう に述べ て いる ‐ 「ロ ダンの傑 作 「エ ヴ ァ の 足 首 の とこ ろ に 心棒 が露 出 して いる と い て 先 生 はおも しろ そう に話 さ れ っ , 」 た こ と があ っ た. ブロ ン ズ に な っ て いる 「エ ヴ ァ」 の 右足 首 の と ころ に は ベ ル ト状 の たぶ ん鉄心 であ ろう ,. か, 制作中に外部へはみ出たと思われるものがそのまま鋳込まれている それがこの作をそこなうことには . な っ て い な い し, ロ ダン自信, そ れを気 に した とも思 わ れない ロ ダンの造 形の 方法 に は心棒 と いう も の が . な か っ た. 鶴 三 の造 形 の方 法 はロ ダン以 後 なの である 様 山 や 光 太郎 は 「ロ ダン」 で はあ っ ても 決 して 「ロ . 5 ) ダン以 後」 で はな い‐一1 こ の 「ロ ダン以 後」 の 言葉 は ロ ダンの直接 感 覚 的な 対 象把 握 と 造 形 論 をも っ た 石 井鶴 三の 対象 把 握 を , ,. 対極的に考えているようで興味深い. 木彫 にお い て は 次 のよう に述べ て いる.. 「木彫の場合でみると 最初の仕事は 与えられる木材に鋸 手斧 璽等を用いて面を作ることでありま , , , , す. かくして幾つかの面をつくり, 作らんとする彫刻の外郭を決定します. この最初の仕事を単に木材の荒 ごなしと考えては間違いです. 彫刻の外郭を決定する重要なる仕事と考えなくては嘘です この最初に決定 . 1 6 ) された外郭のもつ面と動勢がその彫刻を最後まで支配するのであります 」 . こう した考 え は, 橋 本平 八 にお い て も 同様 に力 説 さ れて いる .. 「この立体に密度を附加する最初の状態を以て立体の活動的価値を発生する最初の線とな し其の線を限界 として立体をして活動的価値を有するものとなし立体にして立体にあらざる生命あるものと認む 1 7 ) .」 こ の よう に最 初 に素材 を与 え られた 木彫 にお い て は ま ず 木 取り によ っ て 「外の デ ッ サ ン が決定 さ れな 」 ,. ければならない. すなわち 「外のデッサン」 はすでに木取りの状態で作品に単純かつ明確な統一を約束する のである. 石井鶴三における 「外のデッサン」 は, 橋本平八の述べる 「立体に密度を附加する最初の状態 」 と一致する. この状態で 「立体の活動的価値を発生する最初の線となし一 とは 木取りが完成作品を包括す , る面とその作品の動勢とが一致し, かつその面が作品の効果として表現されなければならないことを意味す 141.
(7) . 桜 井 雅 文. る.. 「外の デ ッ サ ン」 を完 成 さ せる ため の大 き な面 による 木取り に は鋸 が用 い ら れた 具 体 的 な方 法 は 「島 崎 .. 8 )によって伺うことができる 藤村像 (-)」 の制作過程写真 (図5) 及 び制作日記1 ‐ 「大きなる鋸にてずばりずばりと切られゆき心地よし (中略) これにて基本形あらわれたり‐ 人の坐像 . ) 9 と見 ば見う べ し. いま は 未 だ建築 的造 形の域 にあ り と いう こ と が妥 当 なる べ し.」1. こう してできた基本形を, 建築的造形と述べているが, 木彫の木取りはそれ自体がすでに素材に立体感動 を植え付けるものでなくてはならないのである‐ この基本形の構成の中に対象の描写が施されていく. 制作 過程写真の②によっても判るように,対象は木取りされた基本形にぴったりと納まるように描写されている. こ れ ら の過 程 は, 0 ) 「画 によ り彫刻 を制作 する 平 面 にお ける 画 は又完 全なる 立 体への 舵 である 」2 ‐ と いう 橋 本平 八 の言葉 と一 致 して いる‐ こ のよう に石 井鶴 三, 橋 本平 八 の 双方 にお いて, 木彫 と は与 え ら. れた素材に直接描写を施し制作されるものであった. これに相対立する制作方法は, 塑像による原形を星取 り機を用いて木材に写す方法であるが, 前者においては木材は素材と して, その性質を含めて表現に結び付 けよう とする意味を持ち後者においては単に媒材としての意味しか持ち得ない. 木彫は刃物による割切った 形態の効果と, 彫るという行為のもつやり直しのきかない厳しさによって特長づけられ, 塑像は可塑性素材 のもつ不明確さと, 繰り返し形を追求できることによって特長づけられる. 星取り機による木彫の制作は, こう した双方の特長をたがいに殺し合うことになってしまい木彫本来の効果を考えた場合は,望ましくない‐ 1 )は 笹村 草家 人氏2 ,. 「先生は木彫を木彫の本道にかえした 木をどう扱っ たら本当の木像ができるかということを考えつめ試 ‐ み つ め て い っ たあ げく の 作 品 が藤 村 像 であ る‐ (中 略) こ の ごろ の 言 葉 で い え ば, 造 形 的 な 木 彫 の 扱 い 方, 2 2 ) つ ま り, 先 生 のいう 木 取り を, 昔 そ れ が木 彫の 一番 の根 本 だという 考 えの も と にお や り にな っ た.」 と述 べ て いる が, 「外 の デ ッ サ ン」 を 決定 し, そ の 中 に対 象 を見 つ め, 直接 彫 り 込 む 制 作 方 法 は, 木 彫 本 来 の効 果 を 生 み出 す 的確 な 方法 と い える であ ろう. 「外 の デ ッ サ ン」 は 木 取り によ っ て 表 れ, 制 作 の 進行 と. ともに虚の面となり完成作品に視覚的統一を与えるに至るのである.. 4 石井鶴三の作品について 19 ) 頃からである. 初めて奈良を訪れ, 古代 06 石井鶴三が推古仏から深い感銘を受けたのは, 明治41年 ( 彫刻に直に触れた彼は, 「私の彫刻が奈良を見てから-飛躍をしたような気がしたのはやはり錯覚であっ た らしい‐ だが, 目標を前よりも遥か遠方に進め得たことにはなっ た‐ (中略) これからが, 日本美術院の研 究所における私の血み どろの修行になるのである‐ (中略) その間に私の 彫刻は少しずつ進んだようであ ) る.」23. と述べ て いる よう に, 彼 の約60年 間 に及 ぶ制 作 活動 は, つ ね に 一 貫 して推古 仏 が目標 にな っ て いた と 言 っ て. も過言ではない‐ それは言い替えれば, 確立した造形論を如何に作品の内に発展させていくかということで あ っ た‐ 「内の デ ッ サ ン」 「外 の デ ッ サ ン」 の造 形 論 は, そ れら を対 象 か ら感 じ取る 鋭 い感 性 があ っ て こ そ,. 初めてその真価を発揮するものである. つまり, 制作活動によって経験を積み重ね, 感覚を磨くことが必要 となる. 他の作品を見る訓練と, 自らの作品における実践を通して, 作品はより高度な表現へと進む. 石井 鶴三の作品は, そう した発展の軌跡として考えることにより, いくつかに分類することが可能である. 実際 彼の作品群からは, 内容的な質の変化が感じられ, それがそのまま石井鶴三の研究歴であるとも考えること がで きる. 142.
(8) . 石井鶴三の彫刻. こう した 観点 による 作 品 の 特徴 づ けは 笹 村 草 家 人 基俊 太郎 の二 氏 によ っ て す で にそのいく つ か が指 , , ,. 摘されている. 笹村氏は, 石井鶴三の作品を前期 中期 後期のおよそ三段階に分類している 前期が終り , , ‐ , 「 中期の代表作は, 大正13年 ( 192 4 ) に上田で作られた 婦人像」 ( ) (図7) 1 92 4 後期の始ま りは 詳細に . , みれば問題は出るであろうが, とした上で 「石黒忠篤像」 ( 1950 ) (図16 ) とし, これを後期の代表的作風と して いる. ま た こ の 分類 によ っ て 「島崎藤 村 (二)」 ( 1951 ) (図18 ) は, 中期 末の 作 と して いる. 基氏 は ,. 「昭和2 1年 ( 60歳) に 「婦女頭」 を院展に発表した際, ある評論家が 「迫真力があり過ぎる」 といった意 味をなさない評論を新聞に出していたが, その辺に鶴三の制作期の訪れを予感させるものがあった そして . 4 ) 昭和25年 に は 「肖像」 (石 黒 忠 篤 氏) が 院展 に出 て いよ いよ 火山 の 鳴動 を感 じさせ た 2 , .」 と述 べ て お り, 「石黒 忠篤 像」 を制 作 にお ける 一 つ の 区切 り と みて いる 点 で は 共通 して いる ま た . ,. 「昭和31年 現代展 (第2回) に発表した 「『風 試作 ( 6 ) (図22 ) 昭和32年, 院展に発表 した 「『雷』 』 , 」 195 試作」 ( 1957 ) (図23 ) (とも に石膏直付け) は伏流が再び地上にわき出るがごとく 20年の歳月をく ぐって , 出 て きたも の である. 「雷」 の 方 は妙 に擬 人 的 な とこ ろ が気 になる が 「風」 は鋭 く 空 間を 斬 っ た清列 な もの ,. だ. 両手に高く雲をいただき, 山稜を飛び越す構成が空間を引き締めていた ついに形が空間を形成すると ‐ ) 5 ころ ま でき たの である.」2. と制作 における新たな段階の訪れを指摘 している‐ 笹 村, 基 の両 氏 にお い て は 明 確 な 理 由 が述 べ ら れて い な い が 両 氏 も 指 摘 した よう に 「石 黒忠 篤 像 を 」 , , 一 つ の 区切 り と みる の は妥 当 であ ろう 理 由と して は 同 じ型 の 肖 像 でも 「針塚 氏 ( 1 9 3 4 ) ( どと 図 1 3 ) な . 」 ,. 比較することによっ て明らかになると思うが 「針塚氏」 の方がまだモデルの自然描写 再現的な要素が作 , , 「 品を形づくっ ているのに対して, 石黒忠篤像」 は再現的な要素とともに そこに積極的に作者の主体性 , , つ まり 造 形 の 意志 が表 現 の内 に感 じら れる か らであ る 具 体 的 には この作 以 後塑 造 にお いても 「外 の デッ . ,. サン」 による面の規制が, 表現に明確 に表れてきている‐ 作品からは柱のような構造性が積極的に感じられ る. 笹村氏は 「婦人像」 を中期の代表作として挙げているが 筆者はこの作を中期の始まりと考えたい 理 , . 由は, 石井鶴三自身が, 「私 は そ の 頃彫刻 の立 体感 動 のう ち に量 の感 じ 物 のつ ま た た ぷ り と した あ の感 じを何 と か現 して っ , っ , み た い と 努力 した がな かな かう まく い かな い. こ れは物 物 性 には 内部 に む ず か しい構 造 があ っ て そ こ か ら , 外 に発 して い っ て 一 種 の美 しい不思 議 な感 動 を我々 に与 える の じゃ な い か ま ず こ の 内部の 構 造 を極 め て い . く こ と が だい じ じゃ な い か と感 じて勉 強 してお っ た の で 上田 の彫 塑 講習 第 一 回目 に は そう いう 試み を して , 2 6 ) お っ た の であ り ま す-」 と述 べ て いる よう に こ の作 か ら作 品 を形 づ く る 内 部 の構造 と い っ たも の に彼 の意 識 は向 いて お り 制 作 , ,. における新しい段階のおとずれと考えられるからである. 以 下, こう した前期 中期 後期 の大別 によ っ て 作 品 を 考 察する , , , . 前. 期. 石井鶴三の彫刻家としての最初の発表は明治44年 ( 「 1911 ) ) (図6) であ 1911 , 第五回文展の 荒川獄」 ( るが, この年を実質的な制作期の開始とみて, 前期の始まりとして考える この作品は その後の彼の作品 . , と は, 作 風 がま っ た く 異 な っ て いる こ こ にみ ら れる 流 動 的な タ ッ チ は ロ ダンに共 通する も の である こ . , .. れは, 当時ロダンに啓発された萩原守衛や高村光太郎らの帰国によって紹介された 彫刻の本質を生命を核 , とする量塊造形として考えるという立場によっ たからであろう 石井鶴三は 「荒川獄 制作以前に萩原守 . 」 , 衛 の 彫刻 に接 して いる が, その 時の こ と を ,. 「その年の文展に (第二回) その作 『文覚 の出品を見て 萩原というも のに小生の心は捉えられた 』 , .更 143.
(9) . 桜 井 雅 文. に 翌 年 の 文 展 に 『北 条 虎 吉』 と 『労 働 者』 二 作 の 出 る に 及 ん で こ と ご と く 小 生 の 心 は 魅 せ ら れ て しま っ ) た‐一27. と 述べて いる こ と か らも, そ れ は理解 で きる‐. 「荒川獄」 の制作は 彼が 南アルプスを歩いたあと 山から受けた一種の不思議な感動を表現してみよ , , , うと試みられたものである. 立体感動を, 人体をモチーフとして表現しようとしたものと考えられる. 前期 にお いて は, ま だ彼 の造 形論 は確 立 してい な い が, す で に人体の 表 現も, い わ ゆる 「物 体模 造」 的な も の と は, その 意 識 が異 な っ て いた と い える. こう した 立 体 表現 を核 に, 以 後 彼 の彫刻 は, 彼 の造 形 論 によ っ て,. 意味付られ発展していくことになるが, 「荒川獄」 は, 「彫刻」 への開眼を示す記念的な作品であると考えら れる‐ 前期 は, や がて 造 形 論 によ っ て 形 づ く ら れていく 彼 の制 作 の, 序 と して 考 える こ と がで きる.. 中. 期. 中期の作品は, 前述の石井鶴三の言葉にもあったように, 内部の構造がしっ かりした量感の表現を狙いと ) ) (図9 1931 して いる‐ その ため に動 き はお さ え ら れ, いず れも 静的 なもの にな っ て いる. 「信 濃男 坐 像」 ( 「少 女像」 ( ) な どに見 ら れる よ ) (図12 1934 ) 「シ ュ ミー ズ の女」 ( 1933 ) (図11 ) (図10 ) 「少 女座 像」 ( 1932. うに, 具体的には, 作品が大きな直方体形によっ て包括されているのが特徴である‐ また内部の構造を意識 ) (図8) 19 29 した制作は, 人体においては, 骨格の表現をことのほか重視したように思われる. 「信濃男」 ( 「信濃男坐像」 ( ) など, その骨格のしっ かりとした表現からは, 形を ) (図14 1 937 ) (図9) 「職工」 ( 19 31 成 り立 たせる も の, 造 形の骨 組み と でも い っ たもの を, 彫刻 の 根 本 と して 考 えて いた こ と が伺 える‐ 作 品 は, ) (図11 ) 「シ ュ ミ ー ズ の女」 1933 台座 をも 含め て 一 つ の 構 築 体 と して 考 え ら れて い た ら しく, 「少女坐 像」 (. 2 ) な ど, しっ かりとした台座は, やはり全体を包括する直方体形の構成の中に, うまくとけ ) (図1 ( 1934 ) に見 ら れる, 一見 不 自 然 と思 わ れる よう な 両 腕 の切 り 方 に も, ) (図14 1937 こ ん で いる‐ ま た, 「職 工」 (. 台座とあわせて, 全体の構築性を意識した彼の制作意図を伺うことができる. ) 頃 か らである か ら, 大正13年 か らの 中期 にお い て は, 1906 彼 が推古 仏 に傾倒 して い っ たの が, 明 治41年 ( 「内 の デ ッ サ ン」 「外の デ ッ サ ン」 も 十 分 に意 識さ れて い た はず であ る. 大 正13年執 筆 の 「彫 刻 の話 - 木彫」 によ れ ば, 木彫 にお ける 面 の 決 定の 重 要性 を厳 しく 説い ている こ とか らも, そ れ は伺 う こ と がで きる‐ しか. しこの時期の作品は, まだ自然から受ける量感の再現的な要素が強く支配しているといえる. 対象の素直な 描写や人体の持つ自然な柔らかさが, そのまま生きてはいるが, 彼の造形論を強く主張するには至っ ていな し\. 後. 期. 石井鶴三の造形論が, 本格的に表現に表れるのは, 後期に入ってからである. 先に 「石黒忠篤像」 をその ) 19 52 )(図19 )(図1 ) と 「スポーツ青年」( 949 5 1 始まりとしたが, それに前後して作られた 「水泳者 (二)」( が, そ れま で の作 とは, モ デルの単 なる 描 写 で ない こ と を強く 感 じさ せる 点 にお い て, 異 な っ た作 風 を呈 し て いる‐ こ の細 い 人 体 は, ま さ に 「内の デ ッ サ ン」 の 強烈 な 意 識 によ っ て制 作 さ れたも の である こ と がう な. づける. 彼は, 最小限の肉付により造形の骨格を示したと言われたが, これらの作は, 後期の始めにあたっ て自らの造形論の強烈な再確認であるかのように思える. こうした作によって, 中期にみられた量感の生な 表現とは決別したといえる‐ こう した 区切 り の 後 で, 塑 像 にお ける 量感 も, 改め て 積 極的 に 「外の デ ッ サ ン」 によ っ て規 制 さ れる 新 し. い表現が生まれたと思える‐ 中期の作は, この否定により弁証法的に発展し, そこに後期の代表的表現はあ ) がそれで ) (図21 19 57 ) 「青年立像」 ( 195 4 ) (図20 ) 「供手立像」 ( ) (図17 1 950 る といえる. 「青年裸身」 ( 144.
(10) . 石井鶴三の彫刻. ある‐ こ の 三 点 の 作 は, 「内 の デ ッ サ ン」 と して 捉 え ら れた動 勢 が非 常 に明確 であ り, そ の点 は 中期 の も の と 共通する が, なお かつ そ れ が 「外 の デッ サ ン」 によ っ て 明確 に規制 さ れる こと により, 像 の輪 郭 は引 き締. まり, 強い精神性を表出している. 筆者は, 法輪寺の 「虚空蔵菩薩」 (図1 ) と 「供手立像」 の間に同等の精 神 性を 直感 したの である が, こ れは 一 つ には双 方の 構 成 が, 像 の前 後の垂 直 面 によ っ て 成さ れている こ と, 「内の デ ッ サ ン の -気筒 性 が 同 じく 共 通 して いる ため で はな い かと考 える こ の二つ の垂 直面 と 動 勢 の 一 . ,. -気筒性は, 像の直立した感じを強烈に印象づける. それは, 水平面に対立して一つの意志の表出となり得 るのである. 作品から感じる精神性とは, つまり, 作品に秩序を与えている法則を感覚によって理解したと き に感 じら れる も の ではある ま い か. こ の 二作 を秩序 立 て て いる 造 形 論 は, 一致 して いる と 考 え ら れる. 「内の デ ッ サ ン」 と 「外の デッ サ ン によ り 支 配さ れた量 は 二 者の 桔坑 状態 の 中 にあ り その こ と によ 」 , ,. り非常に緊張したものとなる. この三点には, そう した量が生きている. 笹村氏は 「石黒忠篤像」 を後期の 代表作としたが, 筆者は, この三点, 特に石井鶴三が目標とした推古仏に最も近づき得たと思える点におい て 「供手立像」 を後期の代表作とするのが妥当である と考える‐ 1956 ) (図22 ) 「雷 試作」 ( その 後 の 二作, 「風 試作」 ( 1957 ) (図23 ) では, 彼の 意 識 が量塊 感 の表 現 か ら, 量 による 空 間の 構 成 へ と 移 っ て い っ た と みる こ と がで き, さ ら にそ の 後 の作 で は, 「男 坐 像 (二)」 ( 1963 ). (図2 4 ) などのように, 面と面が強くぶつかり合う表現が特徴的である. 基氏 は, 「鶴 三 後半期 は石 膏 じか づ け が多 い その 理 由の 一 つ と して じかづ け だと制 作 中粘 土 の 時の よう に布 を . , か ける 必 要 がなく, した が っ て ア トリ エへ はいる 時, 無心 の状 態 で 自作 が目 にはいる と いう こ と であ っ た が, 8 ) そ れよ り も土 の モ デリ ン グを必 要 と しなく な っ て きた作 風 に注 目 しな け れ ばなる ま い.」2 と述べ て いる が, む しろ こ れは モ デリ ン グによる 不 明確 さ を内 包する 面 で はなく, カ ー ビ ン グによる 明確 な面 を意 識 する よう にな っ た と 考 える べ き で はな かろう か‐ こ れ らの作 では, 作 品 は塑 像 と いう より も 木彫. 的な表現を示している. こう して みる と, 石井 鶴 三の造 形 論 が, 作 品の内 に最 も効 果 的 に表 れて いる の は, 1950年代 であ っ たと み. てよい. 前期, 中期, 後期の分類においては後期の始めに, 彼の造形論は, その最も効果的な表現を見せた といえる. それは, 人体の表現を推古仏に見られる如く, 象徴的な世界にまで昇華させた.. 5. おわりに 石井鶴三は, 彫刻の他にも, 油彩, 水彩, 版画, 挿絵, さらには漫画と, 美術の広い領域に仕事を残し,. そ れら がみ な高 い水準 を誇 っ て いる. そう した 多 才さ にお いて も稀 な芸術 家 の 一 人である とい える. 今 回は. 彫刻に焦点を絞ったが, その才能が余すところなく発揮されているのはやはり彫刻である. 我国において, 自ら造形論を確立し制作を展開した彫刻家は極めて稀である. 明治, 大正, 昭和と長い活動期間において貫 かれた制作の方向性は最後まで変わることはなかった. 石井鶴三の彫刻は, その彫刻観, 造形論, 方法論に より, 高 い精神 性 を持 っ た彫 刻 表現 が可能 と なる こ と の 一 つ の 実 証 である.. 註 「石井鶴三文集n」 形象社 19 78 P9 6 「 2) 上田彫刻研究会五十年記念紙特別委員会編 73 P9 5 石井鶴三先生-信州上田と」 19. 1) 石井鶴三. 3) ハー バー ト.リ ー ド. 「彫刻 と はな に か 一. 日貿 出版 社 1981 P366. 145.
(11) . 桜 井 雅 文. 「石井鶴三文集工」 形象社 197 8 P34 2~P34 4 5) 相賀徹夫編集著作 「原色現代日本の美術 第13巻 彫刻」 小学館 198 9 P7 4 6) 石井鶴三 「石井鶴三文集ロ」 形象社 19 7 8 P31 1 4) 石井鶴三. 7) 橋本平八 ( 18 ) 木彫家, 元日本美術院同人 97~19 3 5 8) 橋本平八 「純粋彫刻論一 昭森社 19 4 2 P40 9) 橋本平八. 「純粋彫刻論一. 昭森社 19 4 2 p43. 1 0 ) ハー バー ト.リ ー ド 「彫刻 とは な に か一 11 ) 「日本近代彫刻の展開」 カタログ. 日貿 出 版社 1981 P202~204. 「石井鶴三文集工」 形象社 19 7 8 P342 1 ) 木曽教育会編 「木曽教育 四十八号」 木曽教育会 197 4 P1o 3 l. 2 ) 石井鶴三 1. 1 4 ) 基俊太郎, 東京芸術大学石井教室卒業生 15 ) 信濃教育会編 「信濃教育 1 3 P42 0 4 4号」 信濃教育会 197 ) 石井鶴三 「石井鶴三文集工」 形象社 19 16 7 8 P342 17 ) 橋本平八 「純粋彫刻論」 昭森社 19 4 2 p6 2 1 8 ) 「島崎藤村像制作日記」 木曽教育 郷土会館蔵のもの 9 1 ) 木曽教育会編 「木曽教育 四十八号」 木曽教育会 197 4 P8 2 0 ) 橋本平八 「純粋彫刻論一 昭森社 1 9 42 p8 3 2 1 ) 笹村草家人, 元東京芸術大学助教授 2 2 ) 木曽教育会編 「木曽教育 四十八号」 木曽教育会 197 4 PI1 4 ) 石井鶴三 「石井鶴三文集ロ」 形象社 1 2 3 9 78 P2 4 2 4 ) 信濃教育会編 「信濃教育 1 0 4 4号」 信濃教育会 1 97 3 P43 2 5 ) 信濃教育会編. 「信濃教育 10 44号」. 信濃教育会 1 97 3 P43 26 ) 上田彫刻研究会五十年記念紙特別委員会編 「石井鶴三先生一信州上田と」 ) 石井鶴三 「石井鶴三文集ロ」 形象社 1 27 97 8 P176 28 ) 信濃教育会編. 「信濃教育 1 0 4 4号」. 1973 P98. 信濃教育会 1 97 3 P4 3. 図版出典 ( 1 ) 大和古寺大観編集会編 「大和古寺大観-法輪寺・法起寺・中宮」 (岩波書店) 2 ( ) 上田彫刻研究会五十年記念紙特別委員会編 「石井鶴三先生-信州上田と」 1 97 3 ( 3 ) 筆者撮影 石井鶴三美術館蔵 石膏像は東京芸術大学芸術資料館蔵 ( ) 信濃教育会編 「信濃教育 10 4 4 4号」 信濃教育会 197 3 (完成作は東京芸術大学蔵) 「 ( 5 ) 木曽教育会編 木曽教育 四十八号」 木曽教育会 197 4 6 4( ( )~Qa ( 1 1 の◎図) 筆者撮影 石井鶴三美術館蔵 { k 切鈎 上田彫刻研究会五十年記念紙特別委員会編 「石井鶴三先生-信州上田と」 19 1 3 l ③( 1 7 3 東京芸術大学芸術資料館蔵 「 ( 1 ◎ 磯山美術館編集発行 石井鶴三作品集」 19 9 2 東京芸術大学芸術資料館蔵 ( 1 め 筆者撮影 東京芸術大学芸術資料館蔵 ◎ 茨城県近代美術館編 「没後20年記念石井鶴三のすべて」 ◎ 茨城県近代美術館編 「没後20年記念石井鶴三のすべて」. 毎日新聞社 1 長野県 99 4 長野県信濃美術館蔵 上田市立博物館蔵 毎日新聞社 1 4 上田市 99. (本学講師 函館校). 146.
(12) . . . 石井鶴三の彫刻. - -. デー. - な に滋 も,. 一 「. 湾 h/』. \ . . . ノ¥ l t n. ー ノ ず. 1 l. . . . ′ 遵閑. . ih r .・ . “. . . ー ’ 桝- ---一 言 -- - - ”ムー ;● 図2 「青年裸身心棒」 ( ) 1950. 壱一戸メ 一 h,. 制作過程. . 図1 「虚空蔵菩薩」 飛鳥時代 木彫 175.4c m. ・. . 図3 「木曽馬心棒」 ( 1 ) 9 5 ュ. i. 」 -. 1r ・● .. -- 亀 - -醍 ーを だせ, .キ ,一 ÷ 礼遇- 一 」 j. . i 一 ● . 1・ ′ . ’ r r . r , . - ・r L r . .、 . ●・′ ・ L rノ′′ ‘r、. . ・ も・. ~ ・セ・ ・二 ) ,, 塗唖鳶し三三一 二 二 ・ きごさ一 三 ▲.. 図4 「天平式遡造心棒」. 完成作 34.5c m. 122.3cm. 山一 }、 , ,. 窄 . ( ノ ′ j , ′ 三一. - んr イ「. ドー デ ,燐;. 図5 「島崎藤村像(一)」制作課程 ①. , , ,・ ‐ .. ②. ′.
(13) . . 桜 井 雅 文. . . t \. = ・. ′ ~. . . 『′ { ヤー ‐ ー 旨い狛…韮f. . . 〕 - ′. L. . ′ ′ \ ・ - しY言V ‘ ÷ ,′ 罪, 一‐ rr一 - . - 帯 h- { -} ・i * に; J -ご請 : J ~ ー ニザ 、 --テ ル幸 三 烈 -ご卿単ニ ◆ . をき ‐ . 「′ ノ ▲ . : 二 - ミニ. ▲、 ▼ . ー .. .. .. ブ ・ど き ;. キ i マキ三 そ E こ , 、 . ドー幽 -. 1911 ) 図6 「荒川獄」 (. ) 1929 図8 「信濃男」 (. ) 1924 図7 「婦 人像」 ( ブロ ン ズ. . - ,一 .部r 、 , 二 ヒ 、 “t ‐ ど き ョ ,. 》ロ ン ズ ブ. 49‐ocm. 53‐ocm. . . やロ ン ズ、 20 9 フ . cm. . . l ー. 1 ) 1 9 3 図9 「信濃男坐像」 ( ー ・ロ ン ズ 59.5cm フ. 148. .- -. ) 2 1 9 3 図10「少女像」 ( ブロ ン ズ. 77.5cm. ジ ネ- . ミ 三 ー. . . “. o -ピー‐rl - 『. . . さもメ 三戸も;- : キ. ・. . . 請お 〆戸 「. . . 完成. ④. ) 9 3 3 1 1「少女坐像」 ( 図1 や 77 o や口 ン ス フ . cm.
(14) . . . 石井鶴三の彫刻. . . ′ 、 J. . ー. 稼ぐ ミミ , . ・ .. . 図12 「シ ュ ミー ズ の女」 ( 1934 ) ブロ ンズ. 1. ‐ ,、. L. こ ‐覇、 、 ; -ふ ,. . 三き爵 ー . も. ′- - て - - - -も .. \ 鮫・ ・ →,‐ ー. . . . . 一′ ル彰 でし「 . . -ノJ ・ 一 なミ. . 図13「針塚氏」 ( 1 9 3 4 ). 図14 「職工」 ( 1937 ). 石膏 56.5 c m. 73.5cm. ブロ ンズ. 71.oc m. . . ノ 書き夢 三等 ト. \ . ・. . ▲;ト ごキー 汚 辱 /ル ー . ー ≦ , ー -ノ. . ‘. ▲′ 鰭 ん き -. ′. 1. ・ ,一 一 一. 憲二*電 気- -,”. ・輔 導き 「 静観. ざ 妄評. . 図16「石黒忠篤像」 ( 1 9 5 ) 0 図15「水泳者 (二)」 ( 1 4 9 9 ). ブロ ンズ. 57.ocm. 石膏 69.oc m. 謝絶 .ノ. -′′ , 一} た 、 ノ; vヂ 」‐ 一. . L ‐ 、 .. 図17「青年裸像」 ( 1 ) 9 5 0 ブロ ンズ. 52.ocm. ◎ ぎき. 図18「島崎藤村像 (二)」 ( 1 1 ) 9 5 木彫 77.oc m. 図19 「ス ポー ツ青年」 ( 1952 ) 石膏 77.oc m. 母; . , -. . ノ. 149.
(15) . . 桜 井 雅 文. 1954 ) 図20 「供 手立像」 ( 、ロ ン ズ ブ. 72‐5cm. , ト 言 い〜 ギ上 . テ コ 一. 、 ト , 」. . . ,. - r. む き. ・た. r 、ノ ′. . . f( ~ L. 1957 ) 1 「青年立像」 ( 図2 ブロ ン ズ. 55.5cm. r r r. ー・ - -;\-- ニき〆′ ノー 旧〆 ミ - - -と〆 ÷. 1. , .・. マ ミー ミ ニ. . 二き んこぎ トミコ.. . 」ー. ~. - -凄も謎. . ,. . . . 150. 79‐ocm. ー. ブロ ン ズ. -;. 高評 L 、 ) 1956 図22 「風試作」 (. . 1. 野三 .才. “. 1 11. .. . ム ー …- . 装 偽 . ) 1957 図23 「雷試作」 ( ブロ ン ズ. 129‐ocm. ) 1963 図24 「男 坐像 (二)」 ( 石膏. 54‐ocm.
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