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イ ン ダ ス トリアル エ ン ジ ニ ア リン グ の成 果 と現 状

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イ ン ダ ス トリアル エ ン ジ ニ ア リン グ の成 果 と現 状

000 北岡 正敏*

OnApplicationResultsandPresentSituationofIndustrialEngineering

MasatoshiKITAOKA*

1.緒 言

フ レデ リック ・W・ テ イ ラー の始 めた科 学 的管 理 法 ほ ど人 類 の歴 史 に大 き な足跡 をの こ した 技術 は ない(x)。彼 の考 えた科 学 的管 理 法(ScientificManagement)と そ の後 継 者 が 考 え た イ ンダ ス トリア ル エ ンジ ニ ア リン グ (以下IEと 省 略す る;IndustrialEngineering)は 世 界 を一 変 させ た。 こ こで あ げ るIEと は作業 研究 な どの狭 い範 囲 で な くシス テ ム を最適 化す るた め の管理 手 法 を含 んだ 広 い範 囲 を意 味す る。 あ らゆ る産業 分 野 でIEを 活 用 す る と、 労働 生産 性を 向上 で き る(1)。 た とえば 、 ト

ヨタは敗 戦後(1946年)、 従 業員 一 人 あ た りの生 産 台数 が1台 で あった 、それ が1960年 で15台 にな り、1980 年 で60台 に な り生 産性 は60倍 にな って い る(2)。これ まで 、近 代化 は 「技術 」 と 「資金 」 とがあ り、それ に 「制 度 を変革 」 す れ ば簡 単 に 実現 で き る と妄 信 して きた(3)。

そ れ が 間違 い で ある こ とは西 欧 を含 め て200年 間 で証 明 され た。 さ らに 、機械 化 とロボ ッ ト用 い た 自動化 を徹 底 すれ ば生産 性 は あが る と信 じた。 しか し、 トヨタ は 自 動 化や 機械 化 よ りも、 現場 で働 く人 の知 恵 と従 来 の機 械 でIEを 駆 使 した独 自の生 産 シ ステ ム を構 築 した。 そ し て 、GMも フォル クス ワー ゲ ン も トヨタ生産 システ ム に 対 して、生 産性 や効 率 面 で遅 れ を とっ た(3)(4)。現時 点 で は トヨタ生 産 シ ステ ム は最 良 の システ ムで あ る。IEの 分 野 で は、新 しい管 理 手法 はた えず進 化 してい く。 こ こ で は 、急激 な進 歩 を してい るIEの 歴 史 的な 経過 と現在 、 そ して次世 代 の 生産 シ ステ ム で適 用 され てい る知 能化 し たIEに つ い て検 討 す る。

士教 授 情 報 シ ス テ ム創 成 学 科 Professor,Dept.ofInformationSystemsCreation

2.マ ル クス主 義 とテ イ ラー の科 学 的管 理法

フ レデ リ ック ・W・ テ イ ラー ほ ど人 類 の歴 史 に大 きな 影響 を与 えた ア メ リカ人 は い ない(1)(5)。テイ ラー のは じ めた科 学 的管 理法 とそ の後 に発 展 したIEは 生産1生を大 幅 に上 げ 、人 々 の生活 を豊 か に し、社 会 を大 き く変革 さ せ た。 目本 や ヨー ロ ッパ はIEを 用 い るこ とで 、製造 業 に お け る労 働 生産性 を50倍 にあ げた(1)。多 くの知識 人 は 近代 社会 を作 った の はダ ー ウィ ン、 フ ロイ ド、マル ク ス で あ る と言 われ て き た。 しか し、世 界 的 に著 名 な社 会 学 者 で あ り経 営学 者 で あ りコンサル タ ン トで あ る ドラ ッ カ ー博 士 は、 マル クス は ソ ビエ トの崩壊 でそ の評 価 を な く した た め、 マル クスの か わ りにテ イ ラー を入 れ るべ き で あ る と述 べ て い る(1)(5).マル クス の死 の2年 前 にテ イ ラー の始 めた科 学 的管 理 法 は仕事 の革命 を始 めた。 これ ま で、 生産 性 の 向上 の原 因 に対 して、経 済 学者 は設 備 投 資 のお か げだ とい う。 しか し、 資本 主 義 の初期 の ヨm

ッパ で も明治 以来 の 日本 で も膨 大 な設備 投 資 を して きた。

しか し、一 人 当 た りの生 産性 は向上 してい な い。 ヨー ロ ッパ の先 進 国 で も19世 紀 、20世 紀 も同様 で あ る。 一 方 、技術 者 は 生産性 の向 上 が機 械 化 の おか げ だ とい う。

しか し、機 賊化 は ヨー ロ ッパ を中心 に200年 にわ た り 豊 富 に実 施 してい た。 と ころが 、労働 者 の 生産性 は増 大

しなか った。生 産量 は機 械 の能 力 だ け しか生 産 で きな い。

しか し、ア メ リカ のみ が一 人 当 た りの生 産性 が上昇 した。

そ の こ とを知 った ソ ビエ ト連 邦 を創 設 した レー ニ ンは、

社 会 主義 建 設 でテイ ラー の科 学的 管理 法 の 重要 性 を指 摘 した。 日本 で も明治 政 府 の指 導 の も と産 業 の近代 化 に よ る機 械 化 を、1945年 まで設 備 投 資 を増や した。 そ し て、機 械 化 を導入 して き たが 、生 産性 はほ とん ど向上 し てい ない 。一 方 、古 くか ら多 くの経済 学 者 は国 が豊 か に な る方 法 を解 説 して きた。 マル クス は 「資本 論 」 の 中で

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イ ン ダス ト リア ル エ ンジ ニ ア リ ン グの 成 果 と現 状 19

剰 余価 値 説 か ら人 々の 貧 しさの原 因 を説 明 した 。 日本 で もマル クス経 済 学者 は 、 なぜ人 々は豊 かに なれ な いか を 解 説 し、 日本 にお け る社 会 主義 の実現 こそ が豊 か に なれ る と紹 介 した(6)。そ の背 景 に は ロ シア革命 に よ る、ソ ビ エ ト社 会 主義 国 の建 設 と独 ソ戦 の 勝利 それ に5ヵ 年 計画 な どが あげ られ る。 しか し、 その 考 えが 間違 い で あ る こ

とが ソビエ トの崩 壊 で証 明 され た。 この よ うな 中 で、小 室 直樹 博 士 は ソ ビエ ト連 邦 の崩 壊 を その10年 前 か ら科 学 的 に予言 した(7)。ソ ビエ ト連 邦 とい う世界 の 最強 で最 先端 国が崩 壊 す る とは誰 も予想 が で きな か った。 そ れ を 政 治制 度 、官 僚 制 とノー メ ンク ラツー ラ、経 済 面 、軍事 シ ステ ムか ら科学 的 に説 明 し予 言 した。 さ らに 、 ソ ビェ ト連 邦 崩壊 後 の政 治 、経 済 の混 乱 状態 をア ノ ミー現象 か ら明確 に説 明 し、そ れ が現 実 にな っ てい る(7)(8)。

3.生 産性 向上 のた め のIE

第二 次世 界 大戦 後 に ヨー ロ ッパ経 済 は完 全 に壊 滅 して い た。 ア メ リカ は経 済 的 に崩 壊 した ヨー ロ ッパ諸 国 の再 建 を援助 した。 中で も ヨー ロ ッパ諸 国の生 産性 の 向上 を 全 面的 に協 力 した。 生産 性 向上 とはテ イ ラー の始 めた科 学 的管 理法 を ヨー ロ ッパ に輸 出す るこ とで あ る。 この た め 、 ア メ リカ は ヨー ロ ッパ にIE技 術 者 を派 遣 した。 当 時 、科 学技 術 、文 化 な どあ らゆ る面 でア メ リカ よ りもは るか に先進 国 の西 側 ヨー ロ ッパ の経 営者 は、 ア メ リカ の 研 究 開発 、設備 投 資 、流 通 な どの方 法 や提 案 につ い て 聞 き入 れ な かっ た。 しか し、西 側 ヨー ロ ッパ の経 営者 は科 学 的管理 法 の み は進 ん で導入 を した。 西側 ヨー ロ ッパ の 経営 者 は他 の 国 の人 々 と同様 にア メ リカ経 済 の 巨大化 の 原 因が科 学 的 管理 法す なわ ち、IEで あ る こ とを確 信 した (5)。ヨー ロ ッパ 、南米 、イ ン ド、北 欧、 ア ジア諸 国 は ア メ リカ の産 業発 展 の原 動 力 はIEに あ るこ とを学 び 、企 業へ の導 入 と大学 にIE学 科 を創 設 した。 い ま で こそテ イ ラー の科 学 的 な手 法 は世界 で 受 け入れ られ て い るが、

1910年 ま でに テイ ラー の科 学 的管 理 法 は知 識 人や 労働 組 合 の抵 抗 にあ った。1911年 にア メ リカ では テイ ラー の 科 学 的管 理 法 が労働 者 や経 営 者 か ら批判 を浴 び て下 院の 特別 委員 会 で テイ ラー の論 文 「工場 管 理法 」(9)の調査 に 乗 り出 した 。 そ して 、1912年 に は下院 特別 委員 会 に お いて に テイ ラ0は 証 言 を した(10)。証 言録 の 中で 、テ イ ラー は言 う 「科 学 的管理 法 の本 質 とは何 か。 そ れ は企 業 で働 く工 員 た ちに完 全 な精 神 革命 を起 こ させ る こ とで あ る。 仕 事 に対 す る義 務、仲 間 に対 す る義 務 、使 用者 に 対 す る義 務 とい った 問題 につ い て 、徹 底 した精 神 革命 を 工員 自身 に起 こ させ る こ とで あ る」 と述 べ 、そ してIE の適 用 に よ り生 産性 が 向上 し、利 益 が 出て くる。 そ の利

益 の余剰 につ い て労働 者側 と経 営者 側 に たい して、余 剰 金 の分配 方 法 につ い て争 う必 要 の ない ほ ど、 余剰 金 を増 大 させ るこ とが で きる と述べ た。 お 互 い に争 うの をや め て 、同 じ方 向 に協力 して働 く よ うに な る。そ して、「工員 の賃 金 も経 営者 の利 益 も大 き く増 加 す る こ とを双 方 が認 識 す る よ うに な る」と述 べ て い る。敗 戦後 の1950年 代 か ら 目本 の 企業 はア メ リカ か ら最 新 のIEを 学び 、 それ を実 践 した。 そ して 、10年 後 に は 日本 独 自のIEを 開 発 した。1960か ら始 ま った 、 「カ イ ゼ ン活動 」と品質 管 理 に よ る 「TQC活 動」な どは代表 的 な もの で あ る。 こ れ らを集 大成 した 「トヨタ生 産 シス テ ム」 は世 界 の生 産 に 関す る考 え を大 き く変 えた。 新 しい シス テ ム には誤 解 と批判 が生 じる。1912年 のテ イ ラー と同 じく トヨタ 生 産 シ ステ ム も1977年 日本 共 産 党 と公 正取 引委 員 会 か ら衆議 院 で 批 判 され た(11)。 トヨタ の生 産 システ ム も 初 期 は い ろい ろな 問題 を かか え て えいた が ほ とん ど解 決 され て いた。 ところが 、 トヨタ生 産 シ ステ ム は人 間性 を 重 ん じ、 カ イゼ ンに よ る人 間 の可 能 性 を引 き 出 し、人 間 の相互 信 頼 を確 立 し、 従業 員 が安 定 した 生活 を保 障す る こ とを ア メ リカの カ リフ ォル ニヤ 州 で世 界最 大 の 自動 車 会 社GMと トヨタ との ジ ョイ ン ト工場 で 証 明 した(3)。 ト

ヨタ生産 システ ム は、 世界 最大 の 自動 車 メ ーカGM、 フ ォー ドを も驚 かせ た システ ム で あっ た。 それ までGMは

自社 の生 産 シ ステ ムが 世界 最大 と信 じ、 日本 の 自動 車 メ ー カ を馬鹿 に して いた。GMも フォー ドも経 営者 が官僚 化 して思 考 に柔 軟 性が か けて いた(4)。生 産 シ ステ ムは進 化 す るこ とを信 じなか っ た。生 産 シ ステ ム はカ イゼ ンに よ り永 久 に進 化 してい く(2)。

4.仕 事 の研 究 とテ イ ラー の科 学 的管 理 法

人類 の歴 史以 来 、 「仕 事 」を体 系的 に研 究 した のはテ イ ラ ー だ けで あ る。1750年 か ら1850年 ま で の農 学 、 工学 、 医学 の三 つ の技術 が農 業革命 、産 業革 命 、 医学革 命 を引 き起 こ した(1)。 これ ま で、 「仕 事 」 は所 与 の もの と考 え られ て きた。 「仕 事 を研 究す る」な ど とい うこ とは考 え ら れ な かつ た。 ア メ リカ で始 ま った 科学 的 管理 法 は第 二 次 世 界大 戦 の後 で あ らゆる 国に い きわ た った。19世 紀 の マル クス や リカ ー ドの よ うな経 済 学者 は、生 産 にお い て 労働 者 の個 人 差 は あ るが、 生産 性 に は影響 は無 い と考 え た。 そ こに は生産 性 とい う概 念 は無 か った。 現在 のケ イ ンズ学 派 や オー ス トリ学派 は計 量 モデ ル に おい て 、生 産 性 は外 生 変数 として処理 され 、数 式モ デ ル に は組 み 込 ま れ て い ない。 生産 性 は 単 な る労働 力 の量 と して しか と ら え られ て い ない。 た とえ ば、 ダ グ ラス の生産 関数 で は実 質GDPを 計 算す るの に全 要 素生 産性 、稼 働率 、 民間企

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20 神奈 川大学工学 研究所所 報 第29号

業資 本 ス トッ ク、所 定 内労働 時 間 、所 定外 労働 時間 、就 業者 を用 いて 計算 して い る。 しか し、 この式 に は働 く者 の個 人 の 能力 は無視 され て い る(12)。テ イ ラー 以 前 に仕 事 を研 究 した の はチ ャー ル ス ・バベ ッジ(1872‑1

871)で あ る。彼 は英 国 の数 学 者で あ った。 有 名 な コ ン ピュー タの先 駆 とな る機 械 を開発 した。バベ ッジ は 「分 業 の原則 」 と して、 一人 で仕 事 をす る よ りも、分 業 した ほ うが 生産 性 は上 が る こ とを実 験 で示 した。 バベ ッジ の 示 した 考 え はテイ ラー とそ の弟 子 た ちが築 い た科 学 的管 理 法 の 基 礎 にな った。 テ イ ラー の始 めた 「仕 事 の研 究」

とは何 を した の だ ろ うか(13)(14)。1)テ イ ラー は仕 事 を個 々 の動 作 に分 析す る こ とを した。 そ して 、人 間 のお こな う作業 の動 作 に対 して 時 間 を測 定 す る。 次 に作 業 を 分解 して 、無駄 な作業 や 無理 な作業 を探す 。 人 間の お こ な う作 業 を分 解す る と、 ほん と うに必 要 な作 業(正 味作 業)と 無駄 な 作業 か ら構 成 され て い る。 作 業 の 中 には無 駄 な作 業 が多 い こ とをデ ー タ か ら明 らか にす る。2)無 駄 な作 業 を無 く して 、作 業 を実 施す る うえで ど う して も 必要 な作業 の み を と りあげ る。 そ して 、簡 単 な動 作 で短 い 時間 で で き るよ うな作 業 を新 た に設 計す る。3)作 業 に必 要 な道 具や 機 械 をつ く りなおす 。仕 事 を分解 す るこ とで、 これ まで、 数 千年 に わ た りお こな われ て きた仕 事 さえ もが 、そ の道 具や 機 械や 作 業方 法 が適 切 で ない こ と が 明 らか にな る。

この 単純 な方 法 は今 も全 世界 で適 用 され て い る。 テイ ラー の 方法 は簡 単 に 見 え る。 しか し、 あ らゆ る科 学や 工 学 の法則 も一 見、 単純 に表現 され てい る。 テ イ ラー は分 ける とい う西 欧 の分析 学 の方 法 を仕 事 に適 用 した。 テイ ラー の 考 えた手 法 は 多 くの協 力者 や 弟 子達 の 協力 を得 て 新 たな る発 展 を した。 テ イ ラー は仕 事 に 「知識 」 を適 用

した最初 の人 で あ る(1)(5)。

5.フ ォー ドの大 量 生産 方 式 か らの進化

テ イ ラー の後 に出 てIEそ の もの を大 き く変 えた の が ヘ ン リー ・フォ ー ドで あ る(4)(5)。彼 は流れ 作業 に よ る大 量生 産 シ ステ ム を構 築 した。フォー ドの考 えは 「仕事 の とこ ろ」に人 が往 き来 して は、歩 く時間 の ム ダが生 じる。

そ して 、作 業者 の とこ ろに仕 事 を運 ぶ とい う逆 の方 法 を 採 用 した。 これ が組 み 立 て ライ ンにな り、1913年 に フ ライ ホイ ール 磁気 発 電 組み 立 て に採用 した。 そ の後 、 コンベ ヤ を用 いて 自動 車 の流 れ作 業 に よる組 み立 て作 業 に発 展 した。 フォ ー ドの コンベ ヤ シス テ ムは シカ ゴの缶 詰 業 者 が牛 肉 を処理 す る とき に用 い る天 上 コンベ ヤ か ら

ヒン トを得 た こ とを述 べ て い る(15)。 これ まで 発 電機 の 組 み 立 て作 業時 間 は熟 練 工一 人 が部 品置 き場 か ら運 んで

きて 、1個 当た り平均20分 で あ った。 コンベ ヤ を用 い る と1個 あた り'13分10秒 に短 縮 され た。 さらにIE に よる カイゼ ンで5分 にな った 。1914年 には組 立 て ライ ン もで き、 従来 、1台 の生 産 時 間が5時 間50分 か ら2時 間38分 に短 縮 され 、 さ らに、改 善 され て1時 間 33分 に なった(4)(15)。フォ ー ドは科 学 的管 理 法 を徹 底 的 に利 用 して組 み 立て 作業 に適 用 した。 そ して、 一人 に 一 つ の作業 を割 り当て て組 み 立 て作 業 を成功 させ た

。 こ の よ うな流れ 作 業 で10数 年 に わた りT型 フ ォー ドを生 産 した。 生産 の習熟 効果 か ら価 格 は1910年 の950

ドル か ら1925年 には290ド ル に なっ た。 フォー ド は 「機 械 だ けで は大 量 生産 は で き ない。 大 量生 産 は機械 と人 の 両者 を得 て は じめ て可 能 に な る」 と述 べ て い る。

人 道 主義者 の フォ ー ドは企 業 の責任 、労働 者の給 与 の大 幅 向 上 、労働 時 間短 縮 、労 働者 の幸福 の追 求 とい ろい ろ な福祉 政策 を実 施 した。 フォ ー ドは黒 色 のT型 モデ ル の み を生産 す るこ とが国 民 の生活 向上 につ な が る と考 えた が、 国民 は豊 か に な り彼 の考 え とは逆 の方 向 に進 ん でい た。1927年 に フォ ー ドはGMに 販 売 台数 を抜 かれ た。

フォ ー ドの は じめ た流 れ生 産 シ ステ ム はそ の後 、 あ らゆ る産 業 で適用 され て きた。 フォー ドの死 後20年 後 に ト ヨタは独 自のIEを 展 開 した 「トヨタ生 産 シ ステ ム(リー ン生産)シ ステ ム」 を開発 した(11)(2)。トヨタ生 産 シ ステ ムはIEを 日本 で独 自に発 展 させ た もので 、テ イ ラー シ ステ ム 、 フォー ドシス テ ム につ いで トヨタ生 産 シ ステ ム が世 界 の3大 生 産 シ ステ ム の基 準 に なっ て い る。 ま た 1980年 代 か らフォ ー ド生産 の逆 を行 く、コンベ ヤ を用 い ないセ ル 生産 システ ムが個 別 生 産工場 で 利用 され て きた (ls)o

6.近 代 産業 の発 展 と 目本 にお け る企 業 発展 の原 因 日本 は敗 戦 の 中か ら急 激 な経 済 発展 を した。 経 済発展 の原 因 につ いて 経済 学 者 は傾 斜生 産 方式 で あ る とい われ るが 、そ の政 策 は 明治維 新 以 来 と られ た 手 法で あ る。 日 本 の経 済発 展 の原 動 力 に なっ た の は 「個別 企 業 」 の活躍 で あ る。 この点 に 関 して経 済 学者 の宮 崎 義一 博 士 は現代 資 本 主義 の基 本 単 位 は国民 経 済 でな く、 国 民経 済 を こ え て 活 動す る 「現 代企 業 」 に あ る と した(17)。 日本 経 済 発 展 の理 由 と して 、1)戦 争 で戦 っ た、 多 くの 日本 人 は 軍 人 と して機 械 技術 、電 気 技 術 な どの固 有技 術 を蓄 積 し た。..濫 は 工作機 械 を備 えた 大工 場 で あ り、工廠 や民 間 企 業 で の兵 器 生 産 は高度 な技術 を要求 され た。航 空 機 の 整備 、通信 な ど高度 な技 術 を取 得 した軍 人 が、 戦 後、復 員 して全 国 の工場 に就 職 して 、 日本 の産 業発 展 に貢 献 し た(2),(18)。2)1950年 代 に ア メ リカか ら科 学 的管 理 法

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イ ン ダス ト リア ル エ ンジ ニ ア リ ン グ の成 果 と現 状 21

の新 しいIE手 法(工 程 分 析 、 ワ ークサ ンプ リング、動 作 時 間分析 、運 搬 管理 手 法 、デ ミング博 士 の標 本調 査 法 、 統 計 的品質 管 理 、OR、,EE、VE,設 備 計 画,生産 在庫 管 理 、 信頼 性 工 学等)を 導 入 した。

3)日 本 に は江 戸 時代 か らの手 工 業技 術 が 盛 ん で そ の技 術 と管 理 の蓄積 が あっ た。さ らに、明治維 新 以 来 、三井 、 住友 、 古河 な どの財 閥 を 中心 に伝統 的 な産 業 運営 の 手法 を蓄積 して きた。 ま た 、 これ らを可能 に した の は国 民 の 中に江 戸 日馴ざい らい の 労働 に対 す る精神 的 に優 れ た価 値 観 を持 ってい た か らで あ る(19)(27)(28)。

なぜ 、 日本 だ けが 明治 維新 か ら産業 が急 激 に発 展 した の だ ろ うか。 明治 維 新 以前 に 、 中近東 、 ア ジア 、 ア フ リ カ諸 国の非 ヨー ロ ッパ諸 国 の 中で近 代化 に成 功 した の は 日本 だ けで あっ た。 日本 以外 の国 で体制 の改 革 と経済 の 近代 化 に 日本 よ りも早 く着手 した の はモ ロ ッコ、トル コ、

タイ 、 中国な どが あ るがすべ て 失敗 して い る。 中国 の近 代化 へ の志 向 は 日本 よ りも早 い(20)。1840年 の アヘ ン戦 争 の敗 戦 後 、ユ862年 か ら洋務 運 動 を始 め た(21)。

しか し、 「中体 西 用」 とい うハ ー ドは西 洋 の もの を用 い 、 内容 は 中国 文化 に固執 した(22)。 そ して 、 近代 的 な企 業 の運 営 が うま くいかず 失敗 し,軍事 面 で も清 仏 戦争 、日清 戦争 で敗 北 した。 そ の後 、 日本 の 明治維 新 をモデ ル に し た戊 粛維 新 を断行 した が失敗 した。 戊戌 維 新 は ロ シアの 改革 を参 考 に し、 日本 の明治 維 新 をモデ ル に した改革 で あ る(22)。 内容 は 中 国 の歴 史 そ の もの で あ る皇 帝 専制 か ら立 憲君 主制 に変 え る大 き な改革 で あ る。 しか し、西 太后 を 中心 に した保 守派 の勢 力 で 、時 の皇 帝 で あ る光 緒 帝 を幽 閉 して 失敗 に終 わ った(23)。 そ の後 、1900年 の 義 和 団事 件 で清 朝 は崩 壊 の危機 に面 した。1904年 の 目露 戦争 の 日本 の勝 利 は 中 国の政 策 を変 えた。 辛亥 革命 が起 こ り、混乱 が始 まっ た。そ して 、軍 閥 内戦 、国 民党 内戦 、 国共 内戦 とな っ た。そ して、社 会 主義 革命 で も三反 五反 、 反 右 派運 動 、 大躍 進 、文化 大 革命 と混乱 が 続 い て きた。

最後 に、郵 小 平 の改革 開放 政 策 で外 資導 入 に よ り経済 は 急 速 に発 展 して きた。 しか し、 中 国の近 代 化 は 日本 の援 助 な く しては 不可 能 で あ った。 と ころで 、 ドラ ッカー 博

士 は現代 史 にお け るもっ とも重 要 な事 件 は1)1857 年 の 「イ ン ド大 反乱 」(セ ポイ の 乱)と2)1867年 の

日本 の 「明治 維 新」 で あ る と指 摘 してい る(24)。 この指 摘 は非西 洋 文 明が 西洋 に立 ち向 か うた め の2っ の方法 を 示 して い る。 この2つ の重 要 な 事件 を歴 史 学 者 の誰 も気 づ か な か った。 歴 史 を見 るの に生産 技術 面 を考 慮 す る こ との 重 要 性 を ドラ ッカ ー 博 士 は指 摘 して い る(1)(24)。

「イ ン ド大 反乱(セ ポイ の乱)」はイ ン ド人 傭兵 の英 国人 支 配 に対 す る反 乱 で あつ た。この反 乱 は 「イ ン ド大反 乱 」、

「第 一次 イ ン ド独 立戦 争 」と も呼 ばれ 、1857年5月 に勃 発 した(25)。 この反 乱 は兵 力 の上 で イ ギ リス を圧 倒 し た反 乱軍 が敗 北 した。 反 乱 の 目的 はイ ン ドを統 一 してイ ギ リス か ら独 立 を達 成 し ょ うとす る運動 で あ った。 西 洋 化 を止 め よ うとす る戦 い で あ った。 しか し、 イ ン ドは敗 北 した。 それ は、イ ン ドはイ ギ リス の もつ 西洋 技術 の 基 本 で あ る鉄道 建設 、用 水路 、産 業 、科 学 、教 育 、農 業 、 医学 な どを導 入 しない と生 きてい けない こ とを悟 った か らで あ る。 そ して 、イ ン ドは英 国政府 の直接 統 治 に なっ た(25)。一 方 、西 洋 に対 して 逆 の考 えで 立 ち あが った の が 日本 の明治 維 新 で あ る。なぜ 明治維 新 は成 功 した の か、

それ につ い て ドラ ッカ ー博 士 はそ の理 由 を説 明 してい な い。 ア ジア諸 国 を植 民 地 に し、 アヘ ン戦 争 で清 国 に圧勝 した無 敵 の イ ギ リス艦 隊 を薩 摩藩 は一 藩 で戦 い勝 利 した。

戦 争 を機 会 に薩 摩藩 は英 国 と協 定 を結 び 、近 代 工業 技術 の基礎 を修得 した。 日本 には藩 を 中心 に した産 業技 術 力 が幕末 にはす で に芽 生 え てい た(19)(26)。

7.日 本 人 の労働 観 と二宮 尊徳 の科学 的 管理 法

これ まで 、近代 化 は 「技 術 」 と 「資 金 」 とが あ り、 そ れ に 「制度 を変革 」 すれ ば簡 単 に実現 で き る と妄 信 して きた。 しか し、先 にあ げた よ うな理 由で3つ の条 件 をそ ろっ て も近代 化 は不 可能 であ る。 この こ とは戦後 、 多 く の国 で実 行 して失 敗 した。 そ こには 「労働 」 に対 す る価 値観 が大 き く作用 して い る。 ギ リシ ャ時 代 に は人 間活動 で一番 大切 な のが 、思 索(哲 学)を す る こ とで 、2番 目 が戦争 で 、 労働 は最 下位 で あった。 ラテ ンア メ リカ には 日本 で の 「勤 勉 の哲 学 」 は存在 しな い。 イ ン ドの階 級社 会 も ヨー ロ ッパ の貴族 社 会 で も 中国で も労働 は低 く見 ら れ て い る。 「労働 」、 す なわ ち働 くこ とを美 徳 とす る国 は プ ロテ ス タ ン ト諸 国 と 日本 だ け で ある(27)。 また 、 この よ うな国 々 か ら資本 主義 の原 理 が確 立 され経 済発 展 を し た。 小 室 直樹 博 士 は ソ ビエ トの崩壊 に と もな うロシア経 済 の再 建 は ロ シア人 の 労働価 値 観 が変 わ らない と不 可能 で ある と指摘 してい る。国 民の 思考 、す な わ ち 「労働 観 」 にそ の国 の経 済発 展 の基 本 が 隠 され てい る。 日本 の経 済 発展 に影響 した2つ の流 れ が あ る。 そ れ は 、現在 の 日本 人 の労働 観 を支 え る思想 で あ る(28)。

1)第 一 は 、鈴木 正 三 の思想 と石 田梅 岩 の石 門 心学 で あ る。 近 代化 に成功 す るか ど うかは 、マ ック ス ・ウエ0バ のい う 「資本 主義 の 精神 」 をその 国 民が 持っ か ど うか で あ る。 資本 主義 は 中国 に もイ ン ドに もイ ス ラ ム国 に も生 まれ る素養 は無 か った。 資 本 主義 は ヨー ロ ッパ の プ ロテ ス タン ト諸 国 に生 まれ た。 なぜ 、 東洋 の 日本 で資本 主 義 の精 神 が受 け入れ られ て近代 化 に成 功 した のだ ろ うか。

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22 神奈川大 学工学研 究所所報 第29号

山本 七平 は、 日本 の経 済発 展 は 、 日本 人 の労働観 か ら来 てい る こ とを指摘 した(28)。 そ の思 想 は鈴 木 正 三 のい う

「世俗 的行為 は宗教 的 行為 であ る」 とい う発 想 と石 田梅 岩 の石 門 心学 にあ る と指摘 した(28)。 山本 七 平 は鈴 木 正 三 の 思想 を 「労働 を宗 教 的 な救済 の方法 と見 、 これ に徹 す る者 ほ ど精 神 的 に健康 」 と規 定 してい る。 これ が 日本 人 の 「農 業観 ・労働 観 ・職 業 観 の基 礎 をな し、 同 時 に 日 本 的 資本 主義 の 基礎 とな って い る」 と述 べ てい る。 そ し て 、 「「成 仏 の方 法=仕 事」とい う発想 はお そ らく 日本独 特 の もので あ ろ う」と言 う。 「何 の事 業 も皆 仏行 な り」と い う発 想 は逆 に仕 事 をせ ず にな ま ける者 は地 獄 に落 ち る とい う考 えに通 じる。鈴 木 正 三 の考 え る仏教 は独 自の考 え を展 開 させ た もので 、神 道 も孔 子 ・老 子 も駆使 した独 創 的 な思想 で ある。 一方 の石 田梅岩 の 「石 門心 学」 は鈴 木 正三 の 思想 を継 承 し発 展 させ た もので あ る。石 田梅 岩 は宇宙 の秩 序 も人 間の秩 序 も同一 と し、正 三 の 、仏 教 と い う枠 を出 て、宇 宙 の本 源 に仕 事 の価 値 を求 めた。 正三 の仕 事 に対 す る考 え と禁 欲的 プ ロテ ス タ ン トに共通 な点 はひ たす ら仕 事 に励 む こ とで救 済 が得 られ る とす る。 こ の 思想 はマ ックス ウエバ ー の述 べ た資 本 主義 の精 神 と同

じ思想 で あ る。

2)第 二 は二 宮 尊徳(1787‑1856)の 報徳 思想(29)と そ の 実践 で あ る。 その 実践 手 法 は科 学的 管理 法 そ の もの で ある。 二宮 尊徳 は破 綻 した藩 や 農村 や 個人 の 家 の経 済状 態 を立 て直 し、荒 れ た土 地 の開墾 を し、赫IJ工 事 を した。

そ して独 自の 科学 的 管理 法 を用 い てテ イ ラー よ りも10 0年 前 にす で に農 業 の生 産 性を大 幅 に向上 させ た。 一方 で は天 保 の大 飢健 を予測 して飢 え と飢謹 か ら人hを 救 っ た人 道 と実 践 の人 で もあ った。彼 は飢鰹 の救 済 で も村 人 を3つ に分 けて 、そ の分類 にそ っ て救 済方 法 を変 え る と い う独 自の方 法 で43,900人 を餓 死 か ら救 った(30)。

ま た、藩 の財政 再 建 でい ろい ろな 開発答 申書(仕 法)を 著 して 、そ れ を実 践 してい る。 世界 で最 初 に科 学 的管 理 法 を体 系化 した人 で あ る。 彼 の 考 え は報 徳 思想 と して発 展 し,その手法 は 、農村 ばか りで な く企 業経 営 や あ らゆ る 産業 分 野 に大 きな貢 献 を した(31)。報 徳 思想 はい ろい ろ な分 野 の人 に大 きな影 響 を あた え た。 た とえ ば、現 在 の トヨタの創 設者 で あ る豊 田佐 吉 もそ の一 人 で あ る。 佐 吉 の生 まれ た 静 岡県湖 西 市 は報 徳 思想 の教 えが強 く残 って い る。 豊 田佐 吉の 生 き様 と経 営 思想 は ま さに報 徳 思想 そ の も ので あ る(32)。佐 吉 の思 想 や尊 徳 の 考 え は さ らに、

豊 田喜 一郎 を始 め、現 在 の トヨタ の経営 思想 に も大 きな 影 響 を与 えた。

二 宮尊 徳 の始 めた科 学 的 管 理 法 を整 理 す る と次 の よ う な方 法 があ げ られ る(29)(30)(31)。

1)現 在 のISOやJISの 元 祖 とな る標 準 化 を実 施 し て測 量器 の統 一 を した。 当時 の小 田原 藩 で は農 民 の年貢 米 を測 定す るの に升 が18種 類 もあ り農 民 はそ の た め余 分 に米 を納 めな けれ ば な らな か った。 この た め、升 を1 種類 に標 準 化 して農 民 か ら米 の計 量 の標 準 化 を した。 こ の結 果 、農 民 の年 貢 の公 平 な支 払 いが確 立 し人 々 に ゆ と

りと安 心感 を与 えた。

2)「 分 度 」とい う概念 を利用 して 、日常生 活 か ら困窮 し た農 村や 藩 の財 政 再建 に用 いた。 「分度 」とは科 学的 な管 理法 で い う、 「標 準生 産 量」で あ り 「標 準 作業 」や 「標 準 工程 」 の こ とで あ る。 分 度 の計 算 で は、藩 の建 て直 しに 過 去 の統 計 デ ー タ を収 集 した。相 馬 藩 で は188年 間 の デー タを収集 して、分 度 の計 算 を して い る。 有名 な分 度 に は 「為 幽 濫土 台帳 」8冊 が あ る。 そ こに は詳 細 な計画 が 作 業 手順 として記 述 して あ る。また個 人 の 生活 におい て 、 尊 徳 は 自己の能 力 を知 り、そ れ に応 じた生 活 の 限度 を設 けて農 村 の 生活 を基 準 に した分度 を適用 した。 「分 度 」の 利 用 に よ り、標 準 出来 高 が確 立 され 、農 民 と領 主 の分 配 が決 定 され る。 分度 の考 え は100年 後 に出 たテ イ ラー の 「標 準 作 業」、 「標 準 出 来高 」 と同 じ考 えで あ る。

3)「 仕法 」とは作 業計 画 手順 書 で あ り、工 程分 析表 に相 当 し、復興 計 画 書 で、現 在の作 業計 画 書 を確 立 して い る。

その た めに分 度 と一 体化 して利 用 して い る。 こ の仕 法 は 報 徳仕 法 と して財 政 的 に破 綻 した藩 や荒 廃 した農村 を立 て直 し、有 名 な相 馬藩 の再 建 でそ の有 効性 が検証 され た。

4)工 場 で利 用 され て い る標本 調 査 と同 じ思考 法 を18 44年 に椙 馬藩 の226力 村 に実 施 してい る。 そ して、

分 度 のデ ー タ に利 用 した。 農村 の復 旧に は長 い とき には 180年 の統 計 デー タを収集 し、 総計 分析 を は じめて い る。 そ して 、時 系列 デ ー タ と して 、平 均 値や レンジ を用 い て標 準 とな る収 入 を計 算 してい る。 このデ ー タか ら農 村 の生 産1生を予測 して い る。

5)品 質管 理 の原 点 とな る管 理 図 を適 用 して い る。 管 理 限界 に入 る ときは偶 然 の動 き と し、通 常 の 予算 を立て 、 管 理 限界 を大 き く出 る ときは収 入 を準備 金 と して次 の成 長 段 階の 予算 に してい る。

6)報 徳 の実 践 は 「至誠 、 勤 労 、分 度 、推 譲 」 の4つ を か か げて い る。 尊 徳 は人 間 が働 くの は 自分 のた めだ けで な く、 他 の生命 のた め に働 く と し、 「他 の恩 に報 い る」、

報徳 の精神 を説 いて い る。 テイ ラー が1912年 に下 院 特別 委 員会 で発 言 す る80年 前 の こ とで あ る。

8.IEの 威 力 を発 揮 した第 二 次世 界 大戦

IEが い か に有 効 で あ るか を示 したの が第 二次 世 界 大 戦 で あ る。 ア メ リカ はIE手 法 を駆 使 して戦争 遂 行 をお

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イ ン ダス トリア ル エ ンジ ニ ア リ ン グ の成 果 と現 状 23

こない 、完勝 した。1941年 当時 、 日本 には戦 争 を遂 行 す るた めの シ ステ ムが 米 国に 比べ て は るか に劣 っ てい た。 ま た 当時 の社 会 シス テ ムは あ らゆる面 で戦 争 を遂 行 で き るシ ステ ム にな って い なか つ た(8)。 有 名 な オペ レシ ョン ズ ・リサ ー チ に よ り ドイ ツ のUボ ー トや 神風 特 別 攻 撃 隊の攻 撃 を防 いで い る。 ア メ リカ は戦前 か ら大 学 で予備 士官 の養 成 をお こな って い る。 また そ の講座 を今 も持 っ てい る。 年 間1万 人 が教 育 を受 け てい た。 真珠 湾 攻 撃 に よ る開戦 ととも に20万 人 の予備 士 官 が動 員 で き た。 日本 で は大 学 や 旧制 の専 門 学校 、 中学 を出て 再度 、 予備 士 官学 校 に入 るこ とに なっ て いた。 そ して、 ア メ リ カ なみ の学 徒動 員 は 開戦 後 の2年 後 で あ る。 日本 も ドイ ツ も女性 の 動員 や 国家 総 動員 法 は アメ リカ 、イ ギ リス よ りず っ と後 に な った(8)(33)。 ア メ リカ に おい てIEは 兵 器 の生産 現 揚 か ら戦 闘場 面 、補 給、 教 育、 運用 、 ロジス テ ィ クス とあ らゆる場 面 で採 用 され た。 た とえ ば、4発 の ボ ーイ ン グ社 の 爆 撃機B29は27,000ポ ン ドの アル ミニ ウム 、1000ポ ン ドの銅 、60万 個 の りベ ッ ト を使 用 し、未 熟練 の 労働 者 が組 立作 業 に あた った 。 た と え ば航 空機 エ ンジ ンの組 み 立て 作業 に、 ほ とん ど読 み書 き ので き ない黒 人 女性 労働 者 が エ ンジ ン の複 雑な 図 面 を 読 み な が ら作業 に従事 した。 航 空機 のエ ンジ ン には80 以上 の 要素 動作 が 必要 で あ った。 熟 練 工 のい ない 中 でI

Eの 原 理 に よる タス ク分析 を利 用 して 高度 の作 業 を実 施 した。 そ して 、驚 異 的な 生産 量 を達 成 した 。B29の1 1名(10名 の場 合 も あ る)の 搭乗 員 は3カ 月 か ら6カ 月 の訓 練 で戦場 に出 た。B‑29の 生産 台 数 は3960 機 で、 搭乗 員 と航 空機 の整 備 技 術者 が 戦 場 にで るわ けで あ る。 この た め、 合計 で6万 名 以上 の人 がB29の 運 行 に従 事 した 。 ア メ リカは 生産 現場 の教育 に も、飛行 機 の 操 縦 か ら兵器 の運 用 まで にIEを 利 用 した 訓練 法 を適 用

した。 ア メ リカ は戦争 中に4発 爆 撃 機 を36,000機 生産 した が、 このた めの搭 乗 員 は30万 人 以上 にな る。

これ だ け の人数 を最初 か ら教 育 す るに はIEを 用 い た訓 練 法 を適 用 す る しか 方法 は なか っ た。 日本 語 に翻 訳 され た ア メ リカ空 軍1}29操 縦 マ ニ ユ アル(39)に は航 空機 に 対 して何 も知 らない素 人 が3カ 月か ら6カ 月 の訓練 で空 を飛 べ る よ うにIEの 動 作分 析 、時 間研 究 な どの タ ス ク 分 析 と図 と絵 を利 用 して わ か りや す く解 説 して あ る。 そ して、 実地 訓練 に もIE手 法 を適 用 した。 日本 には この よ うな シ ステ ム的 な思 考 は不 可 能で あ った 。 日本 で はパ イ ロ ッ ト2万 人 の養 成 計 画案 が あ った が計 画 だ けで 実現 で きな か った。1941年 に真珠 湾 攻撃 でア メ リカ が第 二次 世 界大 戦 に参 戦 した とき、 ア メ リカ は国 内 に軍需 用 の生 産施 設 は持 って いな かつ た。 しか し、 ア メ リカ には

巨大 な 自動 車 産業 が 存 在 して い た。 た とえ ば、GM(ゼ ネ ラル モ ー タ)が ニ ュー ジ ャジ州 リンデ ンの 自動車 組 立 工 場 で ビュイ ック、オー ル ズモ ビル な どを生 産 してい た。

第 二 次世 界戦 争 と ともに 、 この 工場 は戦 車や 戦 闘車 両 を 生 産す る工場 に簡 単 に改造 して多 量 の戦 車 が生産 され た。

ア メ リカ はIEの 基 本 で あ る量産化 を空 母 、航 空機 、 戦 車 な どの生 産 に適 用 した(34)。た とえ ばエ セ ックス 型 の 同 じ攻 撃型 空 母 を17隻 も建造 し、習 熟 効果 を もちい て 生 産性 を大幅 に向上 させ た 。 日本 には大 量生 産 の概 念 に 欠 け 、空母 の建 造 で も多 品種使 用 量 で効 率 の悪 い生 産 を した。 また 、ア メ リカ はIEの 基 本 で あ る、標 準 化 を航 空機 、空 母 、潜 水艦 、輸 送 船 、銃 器、兵器 の部 品 な どで 実 施 した(35)(36)。標 準 化 の考 え はア メ リカ の南 北 戦 争 か ら始 ま るが、 生産 の効 率 化 と運 用 それ に修 理 の 問題 か ら始 ま った(36)。 日本 に は同 じ工 場 で航 空機 を生 産 して も陸軍 と海 軍 で 交流 もな く対 立 のみ が あ り、部 品 の互換 性 が 無 か った(33)(35)。 この た め、航 空機 な どの修理 に混乱 が 起 きた。 ドイ ツ もテ イ ラー の科 学的 管理 法 を軍 事 訓練 に適 用 した。 しか し、 ドイ ツ は一 部 の産業 に しか 科 学 的管理 法 を適 用 しなか っ たた め 、生 産性 は上昇 しな か っ た。 中 で も、 ア メ リカ の ロジステ ィク スは ア ジア大 陸 、太 平洋 、 ア フ リカ大 陸 、 ヨー ロ ッパ 大陸 、大 西 洋 に ま た が る作 戦 を世 界 の歴 史 上 で始 め て 同 時進 行 させ た (37)(38)。 しか し、 日本 で も1910年 代 にTEの 重 要 性 を 知 り、そ の研 究 と実 践 を した のが 山下 興 家 、伍 堂卓 雄 、 上 野 陽 一で あ る。W下 は鉄 道省 と基幹 産 業 でIEを 採用 し生産 性 を向上 させ た。 伍 堂 は造船 でブ ロ ック工法 を考 え軍艦 の生産 納 期 の短縮 に成功 した。

9.GMと フォー ドに よ る生産 方式 か ら トヨタ生 産方 式 工業 生産 には個 別 生産 、 大量 生産 、 プ ロセ ス生 産 の3つ の 生産 システ ム が あ る(5)。ここで は大 量生 産 と し て 、 自動 車産 業 を と りあ げてIEの 考 えを検 討 す る。 ア メ リカの フォー ドの多量 生産 シ ステ ムはIEの 分 野 に 大 きな変 革 を した。 フォー ドの コ ンベ ヤ ライ ン に よる組 み 立 て方 式 は世 界 の産 業 に革命 を もた ら した。 未熟 練 工 を 採用 して 、テ イ ラー の作 業分 析 で 単純作 業 を繰 り返 した。

フォー ドの生 産 シ ステ ムは 生産 工程 を分割 し、繰 り返 し 作 業 に 同期 化 した。 これ は純 フ ォー ド方 式 とい われ 、 1900年 か ら1920年 ま でア メ リカ の 自動 車産 業 の主 流 で あっ た。次 の 時代 はGMや フォー ドは部 品 の共 有化 に よ るフ レキシ ブル 大量 生産 方 式 が主 流 に なっ て現在 にい た って い る。 この 方 式 は生産 が ス ムー ズ に行 くよ うに さま ざま な部 品 を緊 急 の代替 用 バ ッフ ァ在 庫 を用 い て 、工程 内 で の トラブ ルや 品質維 持 に利 用 して き た。 しか し、1

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24 神奈 川大学工 学研究所所 報 第29号

980年 代 にGMと フォ ー ドの 生産 シス テ ム は 日本 の トヨタに比 べ て 品質 と信 頼性 面 、 コス ト面 、 開発 期 間で 完全 に劣 って い る こ とが明確 にな った。 フォ ー ド生産 シ ステ ムの後 、 生産 シ ステ ム その もの を根 本 か ら変 えたの が トヨタ生 産 方式 で あ る。 トヨタ は1940年 か らフォ ー ド、GMに 遅れ て 自動 車 の生 産 を 開始 した 。 日本 の敗 戦 と ともに1940年 の後 半 にIE手 法 を導入 した。そ して 、 従来 の フォー ド方 式 と併 用 して 生産 を した。1950年 か ら各 種 のIE手 法 を導 入 して 、 カイ ゼ ン活 動 を実施 し た。 創 意 工夫 に よ るカイ ゼ ン活 動 は外 国車 と競 争 して勝 ち抜 くた めの 手段 で あ った。1950年 にはTQCを 導 入 して デ ミン グ賞 を受 賞 した。藤 本 に よれ ば トヨタは外 部 か らい ろい ろな技術 を導入 した が、不 完 全 な技 術移 転 とな り、 そ れ が新 しい シス テ ム が確 立 で きた とい う(2)。

い わ ゆ るカ ンバ ン方 式 、皿 に よ る在 庫 圧縮 、TQC,自 働 化 、平 準化 、段 取 時 間 の短縮 、 混流 生 産 、1個 流 し、多 能 工、多 工程 持 ち、少 人化 、ポ カ ヨケ,アン ドン、U型 レ イ ア ウ ト、TPMな どの手 法 が確 立 され た(2)。設 計 面で は敗 戦 時 に航 空機 産 業 か ら優 秀 な技 術者 が トヨタ に転 職 し、重量 級 プ ロダ ク トマネ ー ジ ャ制 を採 用 して成 功 した。

最 初 は 世 界 の 自動 車 企 業 の 中で ス パ 抜 けて 巨大 な 会 社 GMは トヨタ方 式 な どは 問題 に しな か った。GMの 凋 落 は 油断 そ の ものが企 業 の命 取 りに な る こ とを示 した(4)。

10.知 能 化 され たIEと 知 識 労働

ドラ ッカ ー は今 日、IEそ の もの が長 い停 滞 を続 けてい る と指摘 して い る(5)。IEは1890年 か ら1920年 にか け て独 創 的 な理論 家 が 出た。 そ の 後 、ナ ドラー の ワー クデ ザ ィ ン とい う手 法 は独 創 的 で あっ た。 しか し、そ の後 は 個別 の 手法 の開発 に集 中 してい る。 現在 は これ らの個 別 のIE手 法 を統 合化 す る こ とで 、新 ら しい知 識IEが で き て い る。 トヨタ生 産 シ ステ ム はそ の代表 例 で あ る。現 揚 レベ ル で のIEに よる 問題 解 決 に対 して 、藤本 は トヨタ で の問題 解 決方 には2段 階 問題解 決 モデ ル で処 理 してい る こ とを示 してい る(2)。問題 解 決 に利 用 され てい る手 法 は 作 業 研 究 、 動 作 分 析 、QC,VA,DE,カ イ ゼ ン 、 TQC,TPM,sue,統 計 手 法 な どの従 来 の手 法 で あ る。 これ ら手 法 は これ か らも現 場 で の問題 解 決 に利 用 され る。 と ころが 、 これ以 外 に今 後 、知 能化 され た高 度 のIE手 法 が他 のIE手 法 と併用 して 開発 され て い る。 そ して 、高 度 なIE手 法 が生 産分 野 に適 用 され て い る。 これ を知 識 IE手 法 と呼ぶ こ とにす る。広 いIEの 研 究 分野 の中 で一 部 の み を あげ る。

1)多 国 間 で のSCMの 展 開:

マ レー シア 、タイ 、中国 な ど との多 国間 に また が るネ

ッ トワー ク型SCMの 研 究 が各 種 モ デル の 開発 で よ り 計 算 が精 密 に な る。特 に海 外 で の生 産 に と もな う、部 品 調 達 、生産 システ ム 、輸 送シ ステ ム等 が 国 際 化 しIEと 情 報 シ ステ ム と結合 し、モ デル が知 能化 して くる。

2)工 程 管理 や 品質 管理 面 で の工 学手 法 の適 用:

田 口玄 一博 士 に よ るタ グチ メ ソ ド(品 質 工 学)と 直 交表 に よ る実 験 計画 法 が現 場 の問題 解 決 に広 く利 用 され る。

それ とあわ せ て各種 の高度 な統計 解 析法 が利 用 され る。

また 、現 場 で測 定 され た時 系列 デ ー タが オ ン ライ ンパ ラ メー タ推 定 とオ ン ライ ン制 御 管 理 図 に利 用 され 工程 管 理 とな る。品質管 理 の知 能化 と して、画 像 処理 、高 度 な 信 号 処理 手 法 の利 用 が 一般 的 に な る。デ ー タベ ー スの利 用 に よる信頼 性 解 析手 法 の一般 的 な活 用 が 実現 す る。

3)ロ ジ ステ ィ クス の ソフ トウエ ア技術 との結 合:

自動 化 シ ステ ム を構成 す るセ ンサ ー、 ア クチ エー タ 、 コ ン トロー ラ、 メカ ニ ズ ムのペ トリネ ッ トに よる 自動解 析 と レイ ア イ ウ ト計画 の3DCGに よる表 示。 また 、生 産 物流 の シ ミュ レー シ ョン解析 、 故 障の 自動 化診 断 な ど が 一般 化 す る。

4)人 工 知能 の一 般 化:

各種 の人 工知 能 を用 い た生 産 工程 の スケ ジ ュー リング手 法 の 開発 と運 用 の実 用化(11)。 スケ ジ ュー リング 問題 は NP問 題 と して数 学 的 に解 け ない 。 この た め新 しいエ キ スパー トシ ステ ム の開発 溺広 くい き わた る。 そ して、生 産 の現 場 で フ ァジィ 、 ニ ュm、GA手 法 と各種 人 工知 能 手法 が 問題 解決 に適用 され る。

5)人 間的側 面 の研 究:

トヨタ は作 業負 担 の 評価 にTVALを 採用 して い る(1)。

これ は ドラ ッカ ー博 士 の言 う仕 事 の生 理 的次 元 の問題 を 解 析す る もので あ る。 それ 以外 に心理 的 次元 、社 会 的次 元 、経 済 的次 元 、政 治 的次 元 での解 析 が 要求 され る。

しか し、 い く らIEの 手 法 が知 能化 高 度化 して、機 械 の完全 自動化 をはか っ て も生産 性 は伸 び ない こ とがGM, フォー ドで実 証 済み で あ る。や は り、基 本的 なIE手 法 に よ り現場 で働 く人 の 問題解 決 力 と トヨタ生産 シス テ ム を さ らに改 良 した新 しい シス テム がそ の企 業 の コス ト削 減 に つ な が る(40)(41)。ま た、 知識 労働 の生 産 性を い か

に上 げ るか の具体 的 な対 策 が必 要 に な る。

11.ま とめ

フ レデ リ ック ・W・ テ イ ラー の始 めた科 学 的 管 理 法 と そ の後継 者 が開発 したIEの 成 果 と現 状 にっ い て考 察 し て きた 。 日本 にお い て近 代 産業 に おい てIEの 残 した偉 大 な貢 献 は生 産 工場 に従 事 す る一部 の人 に しか認 識 され て い ない。 しか し、 ドラ ッカー 博 士 の指摘 した よ うに 、

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イ ン ダ ス トリ ア ル エ ン ジ ニ ア リ ン グ の 成 果 と現 状 25

テ イ ラー は人 々 の生 活 を豊 に し社 会 を大 き く変 革 させ た (1)(5)。IEは 生 産 問題 だ けで な く、 あ らゆ る分 野 にそ の 思想 がい き わた っ てい る。 そ の威 力 を見せ 付 け られ た の が 先 に あげ た第 二次 世界 大 戦 で あっ た。特 に、IEに よ る ア メ リカ の人 事考 課 は公 正 で あ る。 太 平洋 艦 隊 司令 官 の ニ ミ ッツ少 将 の就任 は20名 の抜擢 人 事 を公 正 にお こな っ た結 果 で あ る。 同 じよ うに 日本海 軍 を崩 壊 させ た ス プ ル ー ア ンス少 将や キ ンメル提 督 な どの抜擢 人 事 も 同様 で ある。 ア メ リカ 的 な生産 システ ム の考 えの根 底 にIEが あ る。残 念 なが ら 日本 がア メ リカ に対 等 また それ 以 上 に 生 産性 を維 持 してい る産 業 は 自動 車 、機 械 、電気 電 子産 業 な ど20%く らい で あ る。 そ の他 の分 野 では 生産 性 は は る かに低 い 。化 学 、 医薬 品産 業 、農 業 、土 木建 築 な ど の分 野 で は企 業規模 も小 さ く生 産性 も低 い。 特 に、 知識 労働 の生産 性 向 上が21世 紀 の課題 であ る。 最後 に 日本 に科 学 的管 理 法 を体 系的 に導入 した3名 の 中で 、上 野 陽 一 は能 率 の父 とい われ、 日本 の産 業界 の生 産 性 向上 に貢 献 し、産業 能 率 大学 を創 設 した。 上野 陽 一は昭 和10年 に横 浜 専 門学 校 にお い て、 「科 学 的管理 法 」 を講 義 した。

さ らに専 門学 校 の 中に 日本 で始 めてIEを 専 門 にす る学 科 を創設 した。そ の偉 大 な業 績 に心 か ら敬意 を表 したい。

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