沖縄民俗宗教の核 : 祝女(ノロ)イズムと巫女(ユタ )イズム
著者 櫻井 徳太郎
出版者 法政大学沖縄文化研究所
雑誌名 沖縄文化研究
巻 6
ページ 107‑147
発行年 1979‑06‑30
URL http://doi.org/10.15002/00013102
沖縄民俗宗教の核
ノ ロ ユ タ
||祝女イズムと亙女イズム||
本支
井
徳太郎
はじめに|問題提起|
私は︑復帰以前の沖縄に数回︑復帰後もまた数度おとずれまして︑沖縄における民俗文化の実
体・
本質︑沖縄の方々の心の根に直接触れたいという気持で民俗学の調査に当ってまいったわけでござい
ウ チ ナ Y チ ユ シ マ
γチ
ユ
ます︒何とかして沖縄人の心を理解したい︑何とかして島人自身になりたいと心がけたわけでござい
ヤマトy
チ ユ よ そ も の
ますけれども︑所詮大和人の他者でございますから︑盲者が巨大なる象を撫でるようなことになりま
して︑実際なかなかその本体をつかみえない︒したがってまた︑これから申し上げる中にも多くの誤
おりがあるかと存じます︒しかし本日は︑青蛇に怖じないという気持で卒直に皆様の前に大胆な仮設を
107
提供いたしまして︑忌悼のないご批判を仰ぎたいと存ずるしだいでございます︒
沖縄において民俗宗教のもっとも中核になるべきものは︑いうまでもなく部落・村落におきまして
ウ タ キ
もっとも神聖とされております御獄の信仰であることは今さら申し上げるまでもありません︒そして︑
108
この御獄の信仰をささえてまいりましたものは︑私があえて申し上げるまでもなく女性の司祭者カミ
γチュ︵神人︶であります︒これは一般にプリlスト
9 1 2 6
正しくはプリlステス
9 1 0 z
乙︑内地
g
沖縄の特色があるわけです︒その代表格は沖縄本島でノロ でいいますと神官・神主という語に相当しますが︑これがすべて女性によって担われているところに
ウチナ!グチ
︵祝
女︑
沖縄
語で
言い
ます
とヌ
ルあ
るい
はヌ
l
とであり︑宮古島や八重山方面ではツカサ︑
きます民俗宗教のもっとも根幹的な一つの核として︑ したがいまして︑沖縄にお
カミYチユノロやツカサを中心とした神人による機能を想
定することに異を唱える方はないでしょう︒それを本島の祝女に代表させてノロイズム︑あるいはヌ
ルイズムといった方がいいのかもしれませんけど︑そういうふうに呼ばせていただきたいと存じます︒ チカ!とよばれています︒
ノロ
たちによる御獄の祭記は︑部落・村落など共同体の宗教的シンボルである御獄を中心として行な
われるわけでありまして︑どちらかといえば公の祭りであり公の神事であります︒
これに対しましでもう一つ︑沖縄において忘れることのできないのは︑家だとか個人など私的な領
域にみられる信仰であります︒たとえば吉凶を判断したり︑運勢をみたり︑健康の祈願をしたり︑さ
hyYクチらにはガンスグトク・つまり先祖のお祭り︑さらにはお墓のこと︑あるいは洗骨︑そしてマプイアカ
シ︵
魂分
れ︶
︑
タマスウカピ︵魂︐W
かび︶などもろもろの口寄せをいたします︒そういうプライベート
な内的な信仰の領域を担っている一連のものがございます臼これは︑本島では主としてユタといわれ
ておりますが︑宮古諸島にまいりますと︑カンカカリャ︵神慰り﹀あるいはトキ・ムヌスなどといわ
れ︑八重山群島にまいりますとニゲlピトヮ︵願い人︶・カンピトゥ︵神人︶などといわれておりますu
ようするにプライベートな民間信仰の領域を管轄している民間宗教突修者でございます︒これを本
μ
のユタ︵民間亙女︶に代去させて︑ユタイズムと称させていただきます臼
けれどもここで大変重要なことは︑官古島の神還り︑つまりカンカカリャに代表されるように︑J仲
神の霊だとか︑死んだ人間の霊が乗移りまして︑
・ア
カシ
︶を
した
り︑
口寄せをする︑ そうした精孟になり代ってもろもろの判断︵ハンシ
ということでございますυこうした現象を学界では
一般
的にシ
ャマニズム︵
ω E 5 3 2 5 1
そして
溢媒
的行為をする人をシャlマン
3 Z B S
︶といっております︒と
いたしますとプリlステスにあたるノロ・ツカサと︑シャlマンにあたるユタ・カンカカリャ・ニゲ
沖縄民俗宗教の核
ーピトゥと︑この二つが︑私は︑沖縄における民俗宗教のなかで大変重要な役割を果していることに
かんがみて︑それが中心的な核を形成するものだと︑そういうふうに考えておるわけでございますυ
このうち第一のノロイズムにつきましては︑つまり御巌の祭一組およびそれを担いますところのノロ
については︑私があえて申すまでもなく沖縄学のもっとも重要な課題として︑これまでにも大変広く
︵i﹀かっ深く研究が進められ︑たくさんの著書論文が出されていますむしたがいまして︑人によりま
すと
︑
109
沖縄民俗宗教のすべてはこのノロイズムである︑御獄の祭耐である︑というふうにいってしまう方が
あります︒これに反して︑ユタなどは共に語るべきものではない︑これは迷信であり︑淫配邪教であ
110
り︑こういうものはプチ壊すべきであり︑葬るべきであるυそんなことが二
O
世紀後半の現代沖縄にあることじたい大変恥ずかしいυむしろ地下に押しこめてしまって︑なかったことにしようという︑
そういう意向がまた一方に強いわけでありますQはたしてそういう考え方が健全であるかどうか︑あ
るいは学問的に正しい立場であるかどうか︒この点に関して私は深い疑問を感じております︒そうい
う立場から﹃沖縄のシャマニズム﹄という本を出させていただいたわけでございます︒もちろんユタ
イズムのなかには唾棄すべき要素はたくさんありますQしかし︑唾棄すべき要素がたくさんあるから
といって︑実情を歪めたり研究の立場から外して主観的な価値詳価を下すとか︑学問の対象領域から
抹殺するなどということは︑実はあまりにも偏見であり︑あまりにも一方的であって古川ざるべきでは
ない
Qむしろ祝女とともに両日間相まって研究を進めるべきである︑という考えに立つのでありますu
調査研究の傾向
沖縄におけるユタイズムの研究はいろいろの点で制約がありましたUまずユタそれ白身が権力者に
よって弾圧されたという歴史的背景をもっておりますQ﹁ユタ征伐﹂とか︑﹁ユタ刈り﹂といわれ︑為
政者の粛清をうけてまいりましたので︑一肩身の狭い思いを抱いて生きてきたし︑また身分的にも大変
蔑視されているuそれに対して尚王朝では逆にノロを高く評価し︑それを王朝の宗教政策の重要な一
環としてとりあげてまいりましたので︑ユタの地位は相対的にますます低くなり︑いきおい地下へ沿
伏することになりましたυ
とこ
ろが
︑
にもかかわらず実際の家陸生活におけるユタの活躍︑
カ ン カ カ
リャの機能は︑私があえて申すまでもなく相当なものでございますυこれは一寸でも皆様の私的な家
庭の実状を考えていただければ︑すぐ諒解されるところでございましょうωどうしてそういう大事な
領域を︑学問研究の対象から外そうとしたのでしょうか︶これは︑私にとりまして全く解せないとこ
ろであり︑また大変遺憾なのでございますu
それでは沖縄の知識人がすべてこれに対して無関心であったかというと︑そうではないのでござい
ますQ沖縄学の開創者であり︑その学殖の高さにおいて今や日本はおろか世界に冠たる伊波普猷先生
は︑一九二ニ︵大正二︶年︑今から六五年前ということになりますが︑﹃琉球新報﹄に︑三月十一日か
ら二十日まで一
O
凶にわたり﹁ユタの歴史的研究﹂という題で論文を発表されています︒これは︑沖縄民俗宗教の核
また最近出されました﹃伊波普猷全集﹄の第九巻にものっておるので︑
皆様の目に届いたことと存じますυ趣旨はユタが沖縄における宗教史のうえで非常に前要であるとい ﹃沖縄県史﹄資料篇の九巻︑
うことを指摘し︑ノロと並んで十分に研究しなければならない︑という点を強調しているのでありま
111
す︒そういう伊波先生に大きな勇気を与えたのは日本民俗学の開創者であり︑私の恩師でもあります
柳田国男先生でございます白伊波先生は﹃沖縄毎日新聞﹄に︑大正元年つまり先の論文よりも一年先
に︑﹁古琉球の政教一致を論じて経世家の宗教に対する態度に及ぶ﹂と題する論文を掲げ︑ユタを軽J侃
112
柳田
先生
は︑
する世論の啓蒙に尽くしたわけです︒そして︑その抜刷を柳田先生にお送りしたわけでございます︶
ノロ研究と並んで是非とも解明しなくてはならないユタ研究は大変重大な問題であるQ
問題である︒しかし︑それは内地の人では不可能である︒機微に属することがらはどうしても同郷人
の沖縄の方々によって研究してもらわなくてはならない介君こそそれにふさわしい方であるという激
励の手紙を差上げたのでございますυそれに勇気をえて︑先ほど申し上げた論文を書かれたわけでご
ざい
ます
︒
その内容は走大なので簡単にご説明できませんけれども︑ユタのことなどは︑ばかばかしいと忠わ
れる方があるかもしれませんが︑このばかばかしいことが実際は沖純の社会に存在していることはい
なめない︒かの哲学者へ!ゲルは︑一切の現実なるものはことごとく理に合せる︒存在しているもの
は何等かの存在理由があるのだ︑というふうに申している︒だから︑ユタが存在していることは︑そ
れだけの理由があるのだuだからそれを研究しなければならないυしかも︑沖縄の人口は五
O
万人
︑
その内の半分は女子であるυその女子︑が斯くのごとく真剣に問題としているところのユ夕︑それを等
閑にしては可笑しいuそういう現況に限をそむけてはいけない︑そこを前提として進むべきだと強調
しているわけですυこの論文の中で皆様にご紹介したいのは︑次のような警え話を引いて論旨を述べ
ている倒処であります︒
子供を有ってゐない婦人が人形を弄ぶことがありますが︑
たと
へて
一一
一日
へば
︑子
供を
愛す
る心
は信
仰で
︑
ただ人形を棄てろ迷信を来てると叫ぶのは残酷でありま
すυ私共は人形や迷信に代るべき子供と信仰とを与へなければなりませぬυ私は迷信の打破には科
学思想を鼓吹するのが何よりも急務だと思って居ますが︑これと同時に宗教思想を伝播させる
のも
人形を愛する心は迷信であります︒
急務だらうと思ひます︒
この辺の所は特に女子教育の任に当て居られる教育家諸君に十二分に研究して貰ひたいのであり
ます
U
︵﹃
沖縄
賂史
﹄資
料篇
9五八二
i
一 二 頁 ︶
ユタには思いところもあるけれど.思い思いといったところで少しも解決にならない︒問題が解決さ
れるためには︑十分にそれを学問的に研究して︑どこが良いのか︑どこが拾てさるべきところなのか
生きているといえましょう︒今日の学界では︑ を判断しなければならない︒そのためにもユタ研究は無視してはならないといっているのでありますu伎の教俗民縄
h r
これは大変大事な忠告でございまして︑この忠告は現代にも︑現代の学界に対しましても︑そのまま
ノロイズムの研究が沖縄学の中核であるということ︑
﹂れは圧倒的な勢力を占めております︒そうして︑ユタイズムなどはとるべきものではないという主
張がございます︒だがしかし最近は︑若い層からだんだんとユタイズムの研究が進められていること
は大変あ
りが
たい
とこ
ろで
あり
ます
︵残
念な
がら
いち
いち
の氏
名や
論題
は省
かせ
て頂
きま
す︶
︒
けれども依
113
然としてヌルが主であり︑ユタは軽いものであるという傾向が強いのはいただけません︒
ヌル
ル﹂
ユタ
と同じ重さをもつものだ︑同じ起源であるなどという説を立てようものなら︑もっての外だという反
114
発があって︑両者は全く相容れざるもの︑両方の領域を分けて別流に考えねばならないのだという主
張が強いのであります︒しかしながら私は︑そのような主張を繰返すかぎりにおいてノロ研究も進展
しな
いし
︑
ユタ研究ももちろん進展しない︒今日︑壁につきあたったノロ研究とユタ研究をどうやっ
て乗り越えてゆくか︑そうしてこの沖縄学の発展に資することができるか︑ということを考えたとき
に︑私は第三の問題点︑第三の研究領域を提示しなければならないという念慮を押さえることができ
ないのでありますωそこで︑それはどのようなものなのか︑どうして可能であるか︑どういう方法論
的な根拠によってそれができるのであるか︑その素描を本日ここで申し述べたいのでござ
いま
す︒
新しい課題|第三の問題点
l
カミンチユ御山獄を中心とした神人の神役をずっと研究してまいりますと︑極めて強いシャiマニスティクな要
カミY
チユ
素の存在をみとめないわけにはゆきません︒もうすこし端的にいいますと︑特に最近では神人の中か
らどんどんとユタが創出されているという事実でございます︒また他方ユタの機能を十分追究してま
いりますと︑もちろん本来シャlマンでございましたから︑その機能がだんだんと拡大されて神役・
神人の機能の中に強く入りこんでいるυそういう領域のあることを見つけるわけでありますο
つま
り︑
そういう両者がおたがいに触れ合っている第三の領域︑それこそ実は究明しなければならないのですυ
しかもこの領域はほとんど手つかずの状態である︒ですから︑それを解明することによって︑逆に
ユタの本体が分り︑またヌル・カミンチュの本体へより一層的確に迫ることができるということにな
るかと存じますυそこで本日は︑いろいろ例を申し上げて︑非常に細かいことにわたりますので恐縮
でございますけれども︑暫くご辛抱いただきたいのですQ実はこの問題を追求するフィールドとして
は那覇とか︑首里とか︑あるいは沖縄市︑名護市というような都市または都市化した地域は適当であ
りませんω本島でも山原・国頭地方︑あるいは伊是名・伊平屋・久米品・津堅・久高島といった離島
とか周辺諸地域に指向しなければならないのでありますQその中で持様に最もよく知られており︑ま
た内地の方でも沖縄の三大祭などといいまして︑宮古のウヤガン祭り︑八重山の豊年祭り︵ブlリi︶
と並ぶ︑大変有名なウンジャミ︵海神祭︶のことを申し上げてみたいのでありますQ
が︑その中でも古形を保っている一つに国頭村与那のウンジャミ祭がございますυ﹂れは︑去年︵
N i
縄民俗京教の伎ウン
ジャ
ミの
神役
国一頭地方のウンジャミはシヌグとともになお古風ゆたかに執行されております
九七七︶沖縄国際大学の平敷令治教授が指導いたしまして︑
調査した︑そのレポートが出ておりますυそれをご覧になると祭りの状況がよくわかります︒このウ 民俗学実沼参加の学生諸君が実に丹念に
ンジ
ャミ
は︑
﹃琉
球国
由来
記﹄
︵巻
十五
︑
一七
一一
二年
︶に
も触
れて
あり
ます
ので
︑
大変古いということが
115
よく分るわけです︒しかし︑歴史的な変遷︑とくにマキョや間切など集落の変遷により︑その組織や
11G
施行の方法は非常に変化してきていますQその変化した姿態の中から︑周辺諸地域のウンジャミと比
較しながら原始態に迫り原形を復元してまいりますと︑いろいろのことがわかってくるのです口
大体あの辺では謝敷・佐手・辺野喜・宇嘉・与那という五部落をウイヌシマといっておりますが︑
ウンジャミはそれら各部落の合同祭記という形になっておりまして︑旧盆明けの亥の日に行なわれる
ので
すが
︑
一九七七年は九月三日でございました︒その祭事をウイミ︵オリ
メつ まり
折目﹀といいまし
三目前︵当日から数える︶の西の日︵九月一日︶に︑ てこれが一番中心になるお祭りで︑本土でいいますと本祭りに当るものですuところが︑それよりも
タ カ カ ミ
Yチユ
ミタ
ベ
lつまり三日
m m
ベ︵タ
カベ
とは
︑神
人が
神を
お
迎え
する
時に
お祈
りを
する
呪鵡
の祝
詞︒
オモ
ロ・
ウム
イの
原形
と極めて近い関係にある﹀の時に︑本主題と関
係ふかいいろいろな行事が行なわれます︒これは本土における宵祭・前夜祭に当るお祭りです︒そし
てさらに︑本祭のウイミl
の次
の子
の日
︿つ
まり
九月
四日
︶に
︑
アトウイミ︵後折目︶つまり後祭りと
いうのが行なわれるわけでございます︒本土でみられる宵祭・本祭・後祭の三要素構成の祭問形態が
そのまま展開しているわけであります︒この中で私が本日非常に注目したいと思いますのは︑その宵
祭にあたるミタベlつまり三日ウタカベのことでございます︒アサギという神事を行なうところの祭
り小屋が祭場となります︒そこでは一番真中の正座にヌル︵祝女﹀が住わり︑その脇にワカヌル・ウッ
チガ
ミ︵
提神
﹀・
ムラ
ガミ
︵村
神
U・ ニ
iガミ︵根神﹀などの神女︑それからシルガミ︵勢頭神︶という男
カミYチユ性神役が並びます︒そうしてその年に新しく神女になる候補者がその末に坐して控えているわけでご
ざいます︒これらの神役は一晩そこで寵るのですが︑この休勢をクムイザi
︵寵
り賄
︶と
いい
ます
︒た
だそこで終夜ウタカベを明えウムイを謡って能っているわけでありまして︑今日では︑それ以外のた
いした行事がないのです︒けれども以前は白衣裳をつけ︑乗らし髪の新任の女性が太鼓に合わせてエ
カタナデーをするうちに神がのりうつるのです︒どうしても︑ヤlハイと掛け戸を立てたり︑
︑
p︑
7iノAa
神のセジをうけられないものは怖しくなって逃げ去ったということです︒こうした祭儀をアラハンサ
ガといっております︒アラハンというのは︑新しい神様︑サガは下る︑就任するということでありま
すから︑新任のカミンチュの就任式であったとは断言できるかと存じます︒いまでは︑神歌をうたっ
てヌルから新任のカミンチュへお盃を授けるというだけで︑概めて簡単でスタlティッグな行事とな
っております︒しかしながら︑初めから単なる盃を受けるだけの新任式であったかどうか︑まことに
スタ
iティックな非常に静かな儀式であったかといいますと︑そうではなくて︑久高島のイザイホI
︵イジャイホウ︶を似ばせる祭儀があったことをうかがわせる断片がのこっている点を見逃してはなり
アラハンサガは︑他の地方では別の言い方で呼ばれておりまして︑
アラ
ハ
γハミサガとかハンサガ
沖縄民俗宗教の核
ませんωもっと︑深い意味をもっ儀礼がそこに潜布しておったのではないかと思います︒
とか
︑
アラハンとかタムトグリというふうに表現を異にしておりますが︑とにかく新しい神様︵神様
117
とは
カミ
γチュのことをいう︶が新しく任命されるというか︑新しく出現するということの意味がある
︵4︶ わけであります︒
そういたしますとすぐ思いあたるのは︑イザイホlの神事でございましょう︒斎場
ウタキ御獄の真東にあたる久古川品で全島をあげて行なわれるところのイザイホlの神事です︒
118
久高島のイザイホlこれは申し上げるまでもなく午年の十二年目に一同廻ってまいりまして︑
A mf
年︵一九七八年は午年にあたる︶は正にその当り年で大変な人気をよんでいるようであります︒霜月十五
日から四日間行なわれるわけですが︑これは島の女性が少なくとも全部カミンチュになるための祭儀
であります︒つまり︑午年の三
O
歳から四一歳までの女性はことごとくこのイザイホ
lの神事に参加
し︑その儀礼を通過することによって部落祭記や家・一門の祭儀を司祭する資格が賦与されるわけで
す︒そうして︑カミンチュになりますと︑最初はナンチュという位につくのですが︑やがてナンチュ
からヤジクになり︑そうしてウンシャクという位をへて︑最後はタムトゥになる︒タムトゥになった
時はもう六
O
歳になっているというわけでして︑すべての神役を経過して退任するのが七
O
歳の定めとなっています︒その一番最初のナンチュになる人︑これの新任式が実はイザイホ!なのでございま
す︒イザイホlの神事は︑秘儀︵シークレット・セレモニー︶でありますから︑我々男どもはもちろんは
シマンチユでありますが︑その婦人でも︑島人でなければ駄いることができない︒女性優先︵レデl
ファ
ース
ト︶
目です︒この神人の候補者たちは︑一か月前に御願立をいたし︑イザイガlで休浴をし白木綿のドジ
ン・カカンをつけ︑洗い髪のまま銑で神アシャギから入って行きます︒そしてイザイ山に新しくクパ
と薄で葺いた龍り小屋のイザイヤに三晩︑家族と別居別火で寵るわけでありますが︑ここでどういう
ことが行なわれているのか︑とんと報告もなければ何もわからない︒そして︑しかもそのことを祭り
や行事が終ってから出てきて口にいたしますと︑神の崇りを受けるとか︑径を受けるといい︑決して
口外しないのです︒ですからますますわからないのであります︒
しかしながら︑そこではタマガエのウプティシジ︵魂換の大神主︶をうけるとか︑
テイ
ルル
︵神
歌︶
を唱えている聞に神が乗移るとか︑いろいろと神還りのための神事が行なわれる模様であります︒神
がかりになりますと︑それこそフラlグァーやフリムンのごとく︑物狂いに陥る状況があるのだそうで
す︒神が乗移る時には皆そういう状況になるのでございますが︑それによって初めて神のセジ︵笠力︶
を頂いたカミンチュに成ることができるわけです︒官古の祖神︵ウヤガン︶祭りでも同様のことがみ
︵5﹀られますο島尻だとか狩俣なんかで行なわれるウヤガン祭におきましても︑まさしく神葱りをすると
ころにライトモチーフをおくわけです︒神霊が女性に懇くことによってカミンチュになる︑その儀式
であったということが分かるのでございます︒
ツカサのクライヨイ八重山では祝女に相当する神女を︑ツカサ・チカl
・チ
lカサなどと呼んで
沖縄民俗宗教の核
おりますが︑あそこでは︑新しく新任になるのをヤマダキといっているところが多いのです︒あるい
は︑クライヌヨイともいいます︒グライとは︑新しい位︑カミンチュのクライ︑そうしてヨイは︑祝
いでありまずから︑そういう司祭者のグライに即くことの祝儀ということになりましょう︒つまり就
119
任式・新任式という一
一一 一日葉でありますので実に祭儀の実質的内容を的確に示しております︒ヤマダキと
いう
のは
︑非
常に
古い
一一
一川葉であります︒ヤマとは︑八重山群島で御獄のことを指すのです︒またオン
ともいいます︒つまり御獄を抱くということであります︒それによって︑カンスデが起こる︑スデル
120
とは人間が生まれてくる︑神が生まれてくる︑すべて出現するということの沖縄語です︒つまり新し
い神様がスデルのだ︑新神が出現するということなのです︒
これらの儀礼を見てまいりますと︑まさにシャlマンの生誕と同じ現象に比定できます︒
シャ
iマ
ンの生成にあたってはまずカミガカリになります︒そして神の言葉を口走る託宣がみられます︒この
託宣がミセセルということになって︑やがてウムイ・オモイ・オモロということにもなるわけであり
ます︒そういうふうに考えてまいりますと︑一般的に今日では︑非常に儀礼が衰退してまいりました
ので本義をみることがむつかしくなりましたQけれどもそれらを復元しますと︑今いったように神が
乗移って︑神還りになります︑そして新しくそこに人でありながら人間ではない神が出現する︒その
神によっていろいろの指示︑がなされ︑人びとはその指示をうけて現世の暮らしを維持してゆく︒
ヤマ
ダキによって神がスデル意味はそこにあったと思われます︒
ということになりますと︑私は︑今日ではその色彩が薄くなったわけでありますけれども︑沖縄に
おけるカミンチュは︑ことごとく本来シャlマンであったか︑少くともシャlマン性をもっていたと
いえるかと存じます︒しかしそのことはご承知のように琉球王朝の神女統制の際史︑特に第二王朝尚
真王の時に︑開得大沼
とい
う︑
カミンチュを総統轄する中央集権的最高の神役を定めたことによって
大きく変化したと思います︒そうしてその下に︑それぞれ三平等ごとに各地のノロが支配される︑そ
オ オ ア ム ア ム シ ヲ レ オ オ
7 A V
ラ レ
してすべてのカミンチーが支配されるということ︑あるいは大阿母とか︑阿母志良礼・大阿母志良礼
というふうな名前で呼ばれる地方ごとの高級神女︑久米烏のごときはチンベi
︵君
南風
︶と
呼ば
れて
い
ますが︑そういうふうに特殊な名前をもっ宗教的権威者が国家的宗教組織のなかにくりこまれてゆく
わけですυようするに︑各間切に存在しているノロをはじめ各神女を︑政府の官制下に取込むことに
よって︑本来の神窓り性を形骸化したということは︑明らかにいえるのであります︒
このように骨抜きの神女では︑とうてい民衆の︑最も望んでいる宗教的ニ!ズは満たされないこと
になりましょう︒民衆のニlズとは何でしょうか︒まず何といっても︑共同体の将来のことです︒村
はやりの運命やこの世がどうなるか︑幸多きユガフウ︵世果陥︶が来るかどうか︑流行病気は来ないだろうか︑
ハゾ・/台風でやられやしないか︑そういうことが一番の関心となるわけであります︒そういう吉凶の判断・
ウYチ運勢をみることが︑大変大事でありますから︑当然その要求に応ずるものが必要となってくるわけで核のあります︒これは非常に大事なことで︑それを誰が担ったかということが問題になるわけであります︒議
そうすると私は︑それを担った一つとして︑部宮において今日なお健在のグデ︵つデ︶郎 J r一A
縄沖
コデ
の機
能
をあげないわけにはいきません口グデはあるいはクリと発音する所もあります︒ところによっては︑
ウクデ・ウクデンガ!といいますQまた伊平屋島の田名あたりではハンジュナといいます︒
ハン
ージ
ュ
121
ナとは神女達︑女性の神様述という表現であります︒今帰仁の勢理客などではハiミグといい︑神の
イ チ ム ゾ ム
γチユl子をさす表現となります︒こちら︵沖縄本島︶の方では一門・門中という一種の同族団︵ムトゥヤl
︿ 木
家﹀
とワ
カリ
ヤ
l八分家﹀との家連合集団︶があります︒そのムンチュ!の宗教的機能を司っているのが
122
グデであります︒
その
クデ
が︑
いつごろ出てきたかという起源はどうもはっきりわかりません︒
先ほどの伊波先生の﹁ユタの歴史的研究﹂の中では︑喜舎場朝賢先生の論文集である﹃東汀随筆﹄
の中の一部分を引いて︑クデとはこういうものである︑と述べているだけであります︒大変重要な十
八世紀成立の辞典であります﹃混効験集﹄を見ても︑
﹂れ
はで
てこ
ない
︒
ところが︑﹁さしほ﹂とい
う項目がございまして︵外間守善編﹃混効験集l
校本
と研
究
l﹄
九一
一一
頁︶
︑そ
の中
でサ
シホ
は﹁
くて
︵ク
デ﹀
の事也又くて︵クデ︶とは詫女の事也今神人と云是なり﹂つまり詫︵託︶女というのは︑神還り
をして神のことばを託ーする︑ミセセルを発するところの神女である︒今のカミンチュというのはこ
れで
ある
︑
というふうに書いてあります︒オモロなどにはサシホ・サシボ・ムツキという語もありま
して︑これも同じことである︑ということであり主す︒サシホとかムツキという語︑がオモロなどに多
く出てくるわけですけれども︑そのコデのことは出ているかどうか私︑まだ調べていませんので︑後
で外間守善先生あたりにお伺いしたいのであります︒ただここで皆様に申し上げたいのは︑サシホと
はクデのことなり︑というふうに説明がついていることであります︒つまりクデといえば︑十八世紀
ウチナYチユ段階において︑場合にはそれ以前の沖縄人にとりましては︑それが何であるかという説明をしなくと
も︑ちゃんとわかるような誌であった︒つまり非常に一般化しておったということであります︒
ムンチユ1イチムンそのクデが︑門中・一門の神事を司る︑これは大変主要なのであります︒そこでいろいろ調べてま
いりますと︑私の司会を務めてくださいます琉大の比嘉政夫先生が︑大変立派な論文を書いておられ
︵6
︶ ナ カ
YダカリますQそれは︑玉城村の仲村渠というところで︵この仲村渠は︑百名からの分村だということですが︑これ
を詳しく分析するといろいろ問題が出てきます︶︑ようするに︑ナカムl
トという一種の門中がございま
して︑そのナカムlトの門中のカンタナ
︵神
棚︑
カミ
ウタ
ナと
も一
一一
−
Hう ︶
に香炉が置いてありまして︑そ
の香炉を支えている人︑その香炉に線香を上げて神事を行なうのがウグディンガである︑というので
ありますQこのウクディンガは︑大変重要な機能を果たすのでありますが︑ここで私は︑ヌルとどう
いう関係にあるかに視点をおいて論文の要旨を紹介したいと思いますQ
玉城︵間切︶は︑百名︑奥武︑仲村渠というそれぞれの部落が編入されておりますけれども︑
その
中でヌルが断然たる地位を獲得し威張っておるわけです︒そして間切の祭斑で御獄廻りをする時には︑
他の神女を引具し.民に乗って威風堂々と行くのだそうです口それを各門中のウクディンガたちは︑そ
るというわけですから︑両者における地位の格差は顕然たるものがあり︑敢えて説明するまでもなく
沖縄民俗宗教の核
れぞれの地域で作ちうけて迎える︒そして御礼の挨拶が終わるとノロの後に随従して行列のなかに入
実に明瞭でありますQ新しくウクディンガに任ずる時に︑どういう儀礼がいかなるプロセスで展開す
スデル状況は知るよしもないのですQあるいはすでに就任の儀礼は脱
落してしまったのかもわかりません︒ただ間切のウマチが行なわれる前の日に︑ノロがクパの葉を取 るかは記してありませんので︑
123
ってそれをウクディンガに渡すということが行なわれるとありますから︑それによってセジが与えら
れるのかもわかりません︒いずれにせよノロとウクディンガとの上下関係は明白であります︒ですか
124
ら︑ウクディンガは公的にはノロとは比較にならぬほど低い地位に位置づけられております︒けれど
も門中の私的な祭犯においては︑その果たすところの役割は非常に大きいものがあります︒これにつ
︵7︶ きましては東京都立大学の調査団が参りまして︑沢山の事実を報告しております︒もう時間がありま
せんので︑本日は︑省略させていただきたいのですが︑そのウグディンガについて極めて重要な指摘
を︑イザイホ!の神事の行なわれます久高島について︑ちょっと申し上げてみましょう︒
フム 刀
7久高島のウクリィンガ久高島は︑外間ヌルと久高ヌルというこ人のヌルが中心でありまして︑厳
然たる高いランクに位寵付けられております︒その下にこれを補助する提神・根神など国神と称する
カミンチュが若干おって︑島全体の公の祭記を担当する︒しかもこれは︑首里の琉球王朝と関係が非
常に深いので︑特にその位は高く位置付けられておるわけでございます︒ところがあの島には四つの
門中がございます︒その四つの門中ごとに一人づっのウグリィンガ︵ウクディソガ︑グデ︶がおります︒
その
一人
︑
シモ門中の間銘カメさん︑私が調査したのは昭和四五年でありまして︑その時七五歳です
から︑すでにタモトの役を下りた島きつての老カミンチュであったわけです︒このウクリィンガは︑
その烏を開いたといわれる外間一一ッチュ︵恨人︶つまり門中のウフムトゥ︵宗家︶の出身であります︒
何人かある姉妹の中でとくにウグリィンガに選びとられたのだけれど︑それはどうしてかというと︑
まずサlダカンマリであって︑そして良くカミダlリをすることが重要な条件となるわけですQ
その
中で必ずカミダlリを起こすものが出てくる︒それが任命されるのですυだから︑候補者は何人かい
るわけですが︑その中でカミダlリを起こす︑神滋りを起こす︑つまり別の言葉でいえば︑シャlマ
ン的な素質を多分に持っている人がこのウクリィンガになるという︑この事実であります︒
そのウクリィンガは︑門中のそれぞれの神事の司祭をする︒と同時に︑削人や家の祈願・ト山など
を行なうのですωたとえば︑結婚の話︑があるのだけれど︑はたして乗っていいのかどうか︒あるいは︑
家を建てるのだけれど今年建てたら良いのか︑来年建てたら良いのか判断に苦しむ場合がありますQ
ヤ ー
そうすると︑本島の婦人達がユタの家に駆け付けるように︑このウクリィンガのところに赴いてその
判断を仰ぐわけですQそれのみならず︑健康願い・先祖の祭紀・ガンスグトヮ・葬式・それからマプ
イワカシ︵魂分かし︶あるいはシンクチ︵洗骨︶というようなことに至るまで︑
つま
り木
品
にお
きま
し
︵8︶ ては︑正しくユタが行なっていることを︑ここではウクリィンガがやるのでありますQしかも久高島で伎のは︑いわゆるユタは一人もいないのですQそこでウクリィンガだけでは不安であるという人述は︑舟設
を漕いで海を渡り︑対岸の玉城︑知念あるいは馬天や那覇へ行きまして︑そこのユタにハンジを仰ぐ︑⁝山
包
U刊 拍
m v
. 出
T あるいはアカシをしてもらう︑というわけです︒つまり︑今日ウクリィンガが本島でやっているユタ
と同じような役割を果たしておったということは︑これはもう歴然たる民俗的事実なのであります︒
125
そういうウクリィンガに新任する場合でも︑神ダlリがなくてはならないυ神滋りをしなくてはなら
ない
ωそして︑そこに神様が怨くのでありますUしかも中には︑自分自身に滋く特殊な神を捜し求め
て発
見す
る︑
つまり自分のタカベル神を新しく創造するとレうことが行なわれるのであります︒それ
126 ましょう︒そのウクリィンガが︑ チッジノカミというのですυこれこそ正しくユタ的機能を完全に果たしているといえ
︵9︶ ということイザイホlの神事・御獄の神事に重要な役訓を果たす︑ をあちらでは︑
をヌルイズムのみに依ろうとする人迷は︑何と解釈するのでありましょうか︒そのことを私は敢えて
﹂こで問いたいのでござい主す︒
つまり︑私がここで申し上げましたことは︑ヌルは間切を単位とする訂制化された地方神女制の最
高地位にあるものではあるが︑尚王朝官僚体制下においては完全に在来のシャlマン的要素を喪失し
単なるカリスマ的権威を誇示するプリlステスになってしまったということである︒そしてヌル地を
VウYチ与えられ︑ヌル殿内を与えられ︑神事を施行すると︑部落から全部貢物がいくυ経済的には完全に保
障されているわけであります︒当然形式化され︑官僚化され︑そして宗教的には形骸化される︒この
形骸化された領域こそ︑宗教的に民衆が実は最も要望しているところなのですQ
かつて民衆︵
シマ
ン
チュ︶の要望を担いえたカミンチュであったればこそ存在意義があるのですωしかしすでに官制の中
に繰り入れられたノロには担う宗教力はありませんuまたそれだけの宗教的な主力を持つことはでき
ない
υただあるのは権威だけであるQカリスマ的権威を押売りしてや
って
いるだけです︒ちかご
ろは
それすらも怪しいものになっていますυこれに反し本当の宗教的機能︑民衆の根にある真の要望に応
えているのはウクディンガであり︑ノロよりも逢か低い位にあるカミンチュであるQ
その
こと
を︑
わ
れわれは銘記するべきではないでしょうかυこういう傾向は先島に参りますとさらに一層つのってく
るのでありまして︑これからしばらく先島のことを報告してみたいと思いますυ
宮古島の神役制まず宮古島でございますu
宮古諸島では各地の調査をいたしてまいり主したの で︑かなり多量なデーターを持つことができましたQそれを全部報告できませんので︑
︿
ω
︶ていただきたいと思います︒ 一つに限らせ伊良部島というのが平良市のすぐ手前に見えまして︑そこに佐良浜という大変大きな集落がござい
ますυそこは︑池間添︵東の方にあるので東盟ともいう︶と前里添︵西の方にあるので西里ともいう︶のニ
つの区域に分かれておりますQその両方からカミンチュが出ておるわけであり主すが︑それをツカサ
といっております︒あるいは︑カミンチュの中で一番中心的な役割を果たしますのでそれをオl
ンマ
あるいはウフンマ︵ンマというのは女性の意︶といっております︒そういうのが一人出ております︒そ
れから︑それを補佐するナカンマが一名νそうしてその下にカカリヤンマというのが一人おりますQ
カカリヤンマとは︑神滋る婦人という意味でありますから︑名称からしてすでに大変注意を引く役名
いろいろと祭場の清川仰をしたり︑あるいは神様に供える物を作ったり神酒を
ニガインマとは︑神願いをする女性という怠味で でありますυ
その
下に
︑
沖縄民俗宗教の怯
醸造したりするニガインマが控えているわけですυ
ありますωつまりここもまた︑村の婦人述は許︑神伴みをするニガインマになる資格をもち︑そのな
127
かから神滋りするカカリヤンマの出る可能性があったわけでありますυ
四七歳になりますと島の全部の女性が集まりまして︑クジ︵ユルフメ︑揺り議︶を引きますQ
グジを
128
引いて今申し上げた役割が当るわけでありますQこれらの神役に当った人がニガインマということに
なりますが︑その中で先輩格がアネンマ︑後輩格をオトンマといいますυアネ︵姉︶とかオト︵妹︶
は︑この世の人間関係をそのまま示す言葉で︑大変懐かしきを感ずる名称でございます︒つまり︑姉
株を持っているニガインマのアネンマ︑それから妹株を持っているオトンマというわけです︒島には
最高の拝所ウパルズという御獄がございますが︑そのウパルズ御獄の部落祭加の中心的役割を担うわ
けでございますQこれはもう申し上げるまでもないことでありますけれども︑御巌のほかにナナムイ
︵七森﹀あるいはウガンジュ︵御願所︶という聖所がありますが︑ナナムイ︑ウガン
はやりやまいジュで宗教儀礼を執行するのです︒たとえば部落の豊年を祈願する︑あるいは部落に流行病が蔓延し
た時にそれを神の力によって紋除してもらうQそういうニガイ︑キガンをする時に︑上述のカミンチ
ュが︑行列を作って御巌廻りを執行するわけでございますQさて︑そこで私がこれから申し上げたい そういうウタキ︑
のは︑このカミンチュの内でツカサ︑ナカンマ︵ツカサの補助神役︶という最高級の女性神役︑
﹂れ
は
祭司として祭和執行の中心的役割を担うのみで︑絶対に先ほどいったシャIマン的な機能を果たすこ
つまり︑占いをしたり︑個人の健康祈願を行なったり︑あるいはガンスグトゥつまりとはできないο
葬式
だと
か︑
タマスウカピ︵木品のマブイワカシ︶だとか︑シンクチ︵沈川町︶という死者儀礼にはタッ
チできないのでありますQ
カカリヤンマは二つの役訓を担うのです︒すなわち部落
の公共性をもっお祭りの時には︑もちろんツカサ︑ナカンマを補佐して神事に携わるのでありますけ
ヤlヌニガイ︵家の願い︒ャlキニガイともいう﹀︑あるいは学校を卒業したことを祝う︑入学試
力力
リヤ
ンマ
のシ
ャ
l
マン
性
とこ
ろが
︑
れど
も︑
験の合格を祈るというようなときに行なうクライアガリヌニガイ︵位い上りの願い﹀︑あるいはまた内
地や他島などへ就職その他で郷旦を離れるときに航海の安全を勝︑うトウヌブイ︵唐上り\そのほか家
のヤクバレl︵厄払い︶︑健康願い︑その他私的な家庭行事の宗教的機能すべてを担うわけであります︒
そういう私的な神願い︑つまり祈願・祈祷︑あるいは卜占︑時には口寄せなどのガンスグトゥにあた
って中心的役割を果たすのがカカリヤンマでありまして︑またそノシンマともいいます
︒あ
の発︑ちら
音ではムヌスンマとなっておりますが︑女性のムヌスルということですuこちらでいいますと﹁物知
り﹂に当るわけです︒易者のことをムヌシリといい立すね︒あるいはシムツクリ︵書物繰り︑すなわち
知識
人︑
易者
の意
︶と
か︑
サンジンソウ︵三世相︶などといいますが︑﹂れは男でありますけれど︑
そ 沖縄民俗示教の核
ういう女性のムヌス︑物知りであるという語義をもつかと存じますυところがカカリヤンマ︑
ムヌ
ス
ンマには︑自分が担当している家というのが固定して存在しているのですυちょうど内地の檀家のよ
うに︑家ごとにニガイにくるムヌスンマはちゃんと決っておりますu私の所でそういうニガイをして
もらいたい︑ガンスグトヮをしてもらいたいという時には︑きまっているモヌスンマのところへ頼み
129
にいきますQ
ときには両者の関係が世代を通じてつながっているケlスもみられます︒したがってそ ういう固定的関係になった時にカカリヤンマ︑ムヌスンマはまたヤlダスあるいはヤlジャスとよば
1:30
れることになります
ο
ヤl
ダス
︑
ヤlジャスというのは︑ヤl︵家︶のサス︵佐斗︑祭司︶ということ
で︑サスとは正に沖縄本島でいうカミンチュに当る意味をもっ言葉なのです
υこちらのカミンチュは︑
むこうでは大体においてサスといっていいのであります
Q
そのサスがとくにヤlジャスとよばれると ころに深い意味がありましょう
u
つまり家のそういうガンスグトヮとかウラナイとかいうものを専ら 学るというわけでございます
υ
しかもこれらのカミンチュが今ではクジびきによって選ばれますけれ ど︑昔はそうではなくて︑やっぱり神の乗りうつり︑つまり神還りによってきめられたものと忠われ
カンブリのフリはフレルという志味だと思います︒こちらでは
気遣いのことをフリムンとか︑あるいはフラグヮ!といいますから気が狂れるという現象をさすわけ ますそれをカンブリといいますが︑υ
ですυ尋常の人ではない︑
つまり神様がのりうつって神怒りになるということをこちらではカンプリ といっております
Q
そういう人述がカカリヤンマになるわけでありますから︑したがってまさしくシ ャlマンだということが明らかでございます
υ
今申し上げましたムヌスンマあるいはそノシンマといわれるものの宗教的機能は︑ヤ
i
ヌニ
ガイ
︑
あるいは個人の一一ガイという私的な領域を中心に展開しておりまして︑本品でユタが頻りに行なうマ
プイグミ︑
マブヤlグミに当る亙術もこころみます
Qそれをここではタマスツキ︵魂患け︶といってお
りますuまたあそこでは︑こちらのマブイアカシ︑死んでから七日目ごとに刻んで四九日目までのう
ちにやる死者供養のための京教儀礼でありますが︑死者の霊魂を呼びだしてきで︑それに成り代わっ
てクチヨセをするわけでございますυ天寿を全うして安らかな眠りについたものは兎も角︑治死した
り非業の死をとげたものは︑この世に何らかの思いをのこして冥界へ赴くわけです︒それをそのまま
にしておくとよくないQ死者が安らかにあの世へ行けないので遺族に陣りや以りを及ぼすという信仰
が強いのです︒そこで生前にその死者がこういうことをいい残して泣きたいと思っていたこと︑こう
いうふうなことをしたいと思っていたこと︑つまり心中に含んでおったことを全部吐き出させるとい
う形をとります︒それをユタなりカカリヤンマが死者に代って口語りまず
から
︑それをきく遺族はい
てもたつでもいられなくなり涙傍犯とくだり︑やがては号泣と化する慾岐場が現出することになりま
すuこれは皆様よくご存じのことですυ
︵H︶ そのことはかつて佐喜真興英氏なども報告してくださったことがありますので︑沖縄の古い世代の
{1j1泌氏俗示教の桟
文化人
・知
識人達はこの度俗について︑また大変な注意をもって眺めておったのであります︒それを
次の枇代︑最近の学界ではどうも無視しがちであるということの事怖を︑私どもはもう一度ここで反
省してみなくてはならないのではないでしょうかuとにかくそういうマプヤlグミに当るタマスツケ
きき
﹂し ま
つま り
脱出の霊魂を取り戻してもとの体に透ける先烏の亙俗は︑こちらと大体似たような形でありま
101 す︒たとえばマブイの落ちた所で小石を拾ってきて︑病人の着衣に入れて忠者の懐に抱かせるυある
いは頭にのせる︒そしてマブヤlゼン︵魂の膳︶を置き︑その上にマブヤlメシ︵魂の飯﹀を供えてウ
132 グソンをし︑あとでマブヤ
lメシを食べることによって病人は快復するであろうということの期待︑
その盛儀をこちらではマブヤ
lグミ︑あるいはマブイグミといい︑今でも盛んにみられます︒
また︑宮古島では個人が︑男であろうと女であろうと︵大体結婚後でありますけれど︶個人ごとに我
が身を守ってくれる神様を勧請し︑それをマブガンとかマウガンといいます
υ
そしてそのマブガンを 祭るマブ棚を家の一番座と二番庄の境に吊って毎日イチバナ・ミズなどを供え︑拝むのであります︒
そのマブガンを発見し︑
めいめいのマブガンを各自に勧請してくれる役訓を果たすのが︑先ほどいっ たムヌスンマのヤlジャスでございます︒そしてさらには︑死者儀礼とくに奈枇やグヮンスグトゥに
関しましでも︵今では平良市に一つ寺院がありますけれども︑辺地や離品にはお守や坊さんはございません﹀す
ベてムヌスンマが中心になって執行されるわけです︒祝祭の時には祝福のア
iグを謡い︑死や悲愁の
時には悲しみのアlグを唱えるのでございます
υそしてミマタヌウギャl︵
一 一 一
股のススキ︶で忠霊
や魔 ものや綴れを放う︒また死霊が他者に滋いて冥界へと誘引しないように放孟の諸儀礼を展開する︒こ
︵ ロ
﹀
れは大変興味があるのですけれども︑時間がありませんので割愛させていただきます︒そのマプガン も当の司祭者本人が死んでしまえば現世での守護神じたいの機能は必姿でなく︑使命は終りとなるの ですから︑それを棺箱とともにお基へ持っていって遺骸と共に埋めてやる︒そういう時のいろいろの
指凶をするのもまたムヌスンマでございます︒
大体死んでから三日目あるいは七日目に︑丁度こちらのマプイアカシに当る行事のカンス︵ピ︶トヮ パ カ
! ズ
︵神
人別
れ
Q
カン
と
は神と書きますけれど死者のことですο
パカ
lズは別れ︶が行なわれます︒
ここでは一般に死んだ人を全部カン︵神︶というのです︒木土では死者のことをホトケといいますけれ
ど︑こちらではんよてカミであります︒神と人との別れということです︒つまり現世にあるイチミハ生
身︶とあの世のグショウ︵徒住︶へ赴く死者と︑ここで別れるのだという儀式を行なうわけですが︑
そういう死者儀礼の中心となるのも︑このムヌスンマであります︒その他キガズンニガイ︵陀我人祈
願︶といいまして︑こちら︵沖縄本島︶でリュウグニガイ︵屯宮祈願︶というのと似ていましょうか︑
交通事故とか遭難とかで非業の死を遂げたものに対しましては︑プタを犠牲にして︵廿はウシを殺した
のだそうですが︶たいへん大規模な慰霊行事をやります︒そのキガズンニガイもまた︑このムヌスン
マが司祭者になるのです︒そして七日七日ごとのニガイすなわちハチナンカ・タlナンカ・ミl
ナン
V
カとつづき︑四十九日にいたりますけれども︑それも全てヤlジャスつまり家づきのムヌスンマが儀 Yジユウクユチ
一つの事例だけで断定することは不安であろうと思いますので︑もう一つ私が調査した来間島の話
沖縄民俗宗教の核
礼の執行者になるということにきめられております︒
をしたいのでありますが︑時間がありませんので割愛させていただきます︒拙著﹃日本のシャマニズ
︵ 日
vム﹄下巻でこのことに触れておりますし︑また沖縄全体につきましては若干﹃沖縄のシャマニズム﹄
︵川凶︶のなかで実例合挙げておhi〜ましたので︑ご関心あるお方はどうぞそれをご覧になっていただきたいと
1つJつ、a
存じます︒その外︑先ほど述べましたように宮古木向の北の方︑平良市の大浦・島尻・狩俣︑そして
134 南の方にまいりますと︑とくに私が注意して見たのは城辺町保良︑あるいは仲原というような所であ
りま
すが
︑ そういう所もすべて省かせていただきます
︒
八重山を落すわけにはいかないのでありま
カ ピ ラ
す︒八重山のことは司会をしてくださいます比嘉政夫先生が石川市の郊外川平湾に而しております川
石垣島神役の特色さらにもう少し先にまいりまして︑
平という所を大変詳細に調在して下さいました
Qこの報告は学会で古川く評価されておりますので︑皆
︵何日︶
様すでに十分にご存じのことと思います
Q
私もおくればせながらそちらに参りまして調査をさせて頂
ト
ノ グ V ク ピ サ 且
fヤt
−フ オ
!
?
ス サ
プ
きました︒それから石川市の校野城
︑それ からその近くの平得︑そして
官良
・大浜︑そして白保とい
︵ 川
︶
う所にも参りました︒これにつきましても十分に巾し上げる時間はありません︒
琉球大学で社会人知学教宅を主宰なさっております川町平名健爾先生が︑一九七二年から七四年にか
け六回も参りまして︑大変詳細な調査を実施されました
︒その報行が去年︵一九七八︶の六月に出版さ
︵げ
﹀
れております
Qこれは門様ご覧になっておられるかと存じますので今更申し上げるのもなんですが︑
社会人類学の調査報公として耐期的な成果と古川く評価されているのでございます︒
石垣市の東の方にある内保は︑すでにプlリi
︵豊
年代
小︶
︵M
などで紹介されておるところで︑以前は u m
八重山郡白保村といわれていた所です︒ここでは︑本応の御以に当るものをオン︑あるいはヤマと呼
んでおります︵さいきんはオミヤという人が多くなった︶︒
白保にはカチガラオン・マージャlオン・ア
スコオン・タパルオンという四つのオンつまり御獄がございます︒それを祭っておる部落祭組︑
オン
の祭配を司っているのは︑スカサ︵一般的にツカサという︒チカサ︑チlカサ︑チヵ︑あるいはスカサともい
われる︶と呼ばれているものでございます︒
これは︑村を開いたという伝説を持っている草分けの家 柄︑それをトクニムトゥ・トゥネムトクというわけでありますが︑まあ同族の総本家という所であり
ましょうか︑
そこの娘が代々そのツカサにつくことになっております︒娘が大きくなりますと︑当然 他所の家に嫁に参ります
︒
たとえ他家へ嫁ぎ生家を出て姓が変わっても︑依然としてツカサであるこ
みよ3じ
とに異常がないのでありまして︑名字が変ってもやはり自分の管轄しているオン︑つまり御獄の祭記
の時には︑かならず中心的役割を果たすのであります︒
チヤyチ八重山では一般に本家の長男︵嫡子・跡継︶は︑テズルビlあるいはカマγガなどといいまして︑
オ ン
御獄の聖所ウプや祭場となるナカピl
︑カンダナなどをおく小屋が台風で壊れたりしますとこれを修 繕したり︑祭砲に支障のないよう管理の役を主として担うものであります︒これは男の神役がやりま
し嫁に行ったツカサに子供が生まれましでも︑その子供にはツカサの役を継がせないのであります︒
トゥニムトクつまり総本家の長男が嫁を貰って娘ができると︑大休その長女にそのツカサ役を任命す るということであります︒したがって︑伯母さんから姪へ譲る伯母
H姪継承というのが大体の原則で
沖縄民俗宗教の核 すが︑祭耐の中心的機能を果たすのはツカサと称する今いった宗家の娘とくに長女であります︒しか
ありますQ
もちろんいろいろのバリエーションはありますけれども︑そういう体系を大体において取
135
っております︒
タカヌファの両面性﹂れは︑ご承知のように公の部落祭一刷︑つまり共同体の祭の中心になるわけ
136 でありますが︑それを補佐する女性神役の役柄がどうなっているかに問題があるわけです︒白保では
その下級神役にタカヌファ︵またパカヌファ︒それぞれのオンに属し︑オンの部落祭把ではスカサに随って
神事
に参
加し
︑
コンジンの芥炉をまつって私的な行事の司祭となる︒
﹂ち
らで
言
いま
すと
ニ
lガミ
︑
ムラ
カミ
︑
ウ
ッチ ガ
4な
どに
あた
る︶
という補佐役がおります︒白保のスカサは当然御獄祭加の主役を担うわけで すが︑その就任式にあたり神のセジをうけるための神窓りを経過するしないは余り問題となりません
︒
その有無にかかわらずちゃんと世襲的といって良いくらいに継承の系統が続いております︒ですから
スカサはプリlステス︵女性祭司︶でありますが︑ト占やハンジ︑
アカ
シ︑
口寄せ等には手を触れず︑
あくまでも公の部落の祭犯に従うだけであります︒つまりシャlマンの機能を果たしておりません︒
ところが︑その補佐役にあたるタカヌファ︑これは先程いいました神滋りの症状を起こして︑そして
万象の山い・判断をすることのできる人ハサンジンソウあるいはムナシ1
に当
る︶
に近い性格を有すると
いうふうにいわれています︒
ところが︑それと泥んで丁度沖縄本島のユタのように︑そういう役訓を果たしている家筋ではない
普通の家の女性でありましでも︑サlダカンマリでそして亙病に限り︑それを癒すために聖地拝所の
あちこち初復しているうちに神が現れて︑
シャ
iマンになるというケlスがあります︒こちらの例で