﹁消費﹂
沖縄
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現代民俗学的研究
門田岳久
礼 ・ 宗 教 ﹁聖﹂ と管理体制の変化 。二〇〇〇 ︵平成一二︶ 、極めて多様化しており 、それぞれがそれぞれの仕方で 。メディアにおける聖地表象の影響を多 す。例えばある時期以来斎場御嶽に入るには二〇〇円を支払うことが必要となり、 ﹁拝 みの人﹂は申請に基づいて半額にする策が採られたが、新たなカテゴリーの人々をど う識別するかは現場管理者の難題であるとともに、この二〇〇円という金額が何に対 する対価なのかという問いを突きつける。 古典的な枠組みにおいて消費の民俗学的研究は、伝統社会における生活必需品の交 易と日常での使い方に関してもっぱら議論されてきたため、情報と産業によって欲求 を喚起されるような高度消費社会的な消費実践にはほとんど未対応の分野であったと 言える。しかし斎場御嶽に明らかなように、信仰・儀礼を含む既存の民俗学的対象の あらゆる領域が﹁商品﹂という形式を介して人々に経験される時代において、伝統社 会から ﹁離床﹂ した経済現象としてこれを扱うことは、 現代民俗学の重要な課題となっ ている。 ︻キーワード︼場所の消費、入場料、聖の多元化、スピリチュアリティ、御嶽信仰 he “C on su mpt ion ” of S ac re d P lac es a nd R itu als :A C on te m po ra ry E th nog ra ph ic St ud y o f R eli gio us T ou ris m us on S ēf ā U ta ki i n Ok in aw a ak ehisa❶
消
費
・
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礼
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宗
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1 -1. 消費社会研究と民俗学の課題 本論文は近年急激な観光地化のもとにある沖縄の聖地﹁斎場御嶽﹂を 舞台に、儀礼と信仰が消費されていく状況を民族誌的に描写するととも に、現代民俗学における消費文化の研究に資する基本的視座を見いだす ことを目的とする。斎場御嶽は二〇〇〇︵平成一二︶年に世界遺産登録 されたことで知名度が上がり、訪問者が急激に増加している。もともと 琉球王国や地元集落の儀礼が行われる場所として信仰対象となっていた 場所ではあるが、現在では訪問者の多くがいわゆる観光客とカテゴライ ズできる人々であり、この場所も一種の観光地として人気を博すことに なっている。ただ観光地化は聖域の環境悪化を招いていると指摘された り、地元の人々が考える宗教的な意味づけと、観光客の考える場所への 意味付けにもズレが生じたりするなど 、様々な変化をもたらしている 。 聖地の消費とも言いうるこの状況は、信仰・儀礼の展開を同時代の社会 状況とつなぎ合わせて考えようとする現代民俗学に対して、重要な知見 をもたらすと考えられる。 消費という観点からアプローチを行う以上、本論では儀礼や信仰を経 済との関係において考察する枠組みを必要とするが、まずは民俗学の経 済研究において消費という主題がどのように位置づけられてきたか簡単 に確認しておきたい。 周知の通り民俗学では﹁経済﹂の名の下に、生業・交通交易・消費生 活などの研究が行われてきた。この場合﹁経済伝承﹂とも言い換えられ るように、経済活動の中でもとりわけ前近代社会から実践されてきた諸 現象が議論の対象となっており、古典的な枠組みとしては次のようなも のである 。まず農山漁村における食料品や日用品の生産の様相や技術 ・ 道具などに関する研究、次に生産に携わる社会関係や集団の構造とその 宗教的特色に関する研究、そして経済伝承研究の中で研究蓄積としては 比較的大きくないものの、 市 や運搬といった生産品の交易に関する研究、 日常における衣食住を中心とした物質の消費のされ方、といった主題も 長く議論されてきた ︹和歌森編 一九七六︺ 。経済伝承研究という大枠に 位置づけられた場合の﹁消費﹂研究には二つの特色を指摘することがで きる。 第一には市場経済以前の消費に焦点を当て、市場交換を前提とした売 買の概念ではなく、モノの使用・消耗という意味に限定している点であ る。言い換えると、 生活必需品を ﹁揃えること﹂ ﹁使うこと﹂ が論点であり、 必需品以外のものも含めた商品に対する﹁欲求﹂はあまり議論されてこ なかった。それは経済伝承の研究が、文字通り経済現象の伝承的・伝統 的な側面の探求を目指してきたからで、経済人類学でいうところの﹁モ ラルエコノミー﹂ や ﹁社会に埋め込まれた経済﹂ ︹ポランニー 一九七五︺ 、 つまり伝統社会における互酬・再分配・交換を中心とする経済を対象化 しているということであり、他方で貨幣を用いた市場交換のような、社 会関係から﹁離床﹂した経済活動が民俗学の議論対象として正当な地位 を占めるには至っていない。 第二には経済伝承研究の枠組みにおいて 、︿ 生産↓交易↓消費﹀とい うモノの不可逆な流れが前提となっている点である。言い換えると、モ ノが作られ、それが売買を通じて日常生活に入り、家の営みの中で使わ れる、という﹁上流﹂から﹁下流﹂へと至るモノのフローである。消費 する人間は﹁上流﹂で生産されたモノを受けとめる﹁下流﹂の側に位置 づけられているが、この不可逆なフローチャートにおいては、消費する 人間がどのようなものを欲しがり、その欲求を作る側がどのように受け 止めるか、という逆方向の流れは想定されていない。J . ボ ードリヤールは一九七〇年代に一斉を風靡した書籍の中で 、 消 費とは ﹁分類と社会的差異化の過程﹂ ︹ボードリヤール 一九七九 六七︺ であると述べ、消費対象物は自己と他者を差異化する記号であり、こう した意味での記号的消費が、必需品の所有や使用を目的とした機能的消 費を凌駕していくことに現代の高度消費社会の特質を見たが、 ﹁必需品﹂ の生産と売買にこだわってきた民俗学の消費研究は、この意味での高度 消費社会を議論する枠組みを持っていないと言える 1 。市場交換における 経済現象は、いうまでもなく需要と供給のどちらが﹁上流﹂行程にある わけではなく、生産と消費は相互に規定しあう不可分な現象である。か つ人間の日常生活にそのいずれもが大きく関わっている時代において 、 経済現象を大きく二分した上で 、﹁ 伝統的﹂に見える側に安住できるか といえば合理的な理由は見つけにくい。 もちろん日本を含めた現在の社会において 、消費という人々の行為 や現象が消費社会論全盛の時代と変わらず存在しているわけではない 。 二〇世紀初頭のアメリカでのちにフォーディズムと呼ばれるようになる 大量生産大量消費型の消費社会が到来し、所得の向上や人々の趣味の多 様化に伴い、第二次世界大戦後、とりわけ一九七〇∼八〇年代の欧米や 日本では情報産業と結びついた多品種少量生産型の高度消費社会が到来 したと言われている。他方で新商品への欲望を喚起し、人々に﹁買わせ る﹂ことで回っていく消費社会は、当の消費者の側、とりわけ若年層の 格差拡大や﹁新たな貧困﹂の発生、趣味 ・ 趣 向の極度な細分化によって、 供給側から見れば﹁いかにして買ってもらうか﹂という点で近年明らか な行き詰まりを見せている。とはいえ我々の社会生活が有形無形に関わ らずモノを購買し消費するという基本形態を持っていること自体には変 わりはない。グローバル資本中心の市場経済に対する先進諸国の若年層 からの反発はアメリカや欧州で高まっているが、これからの経済がどう あるべきかという規範的議論とは別のレベルで、我々の日常生活の構成 要素となっている消費を捉える意義は変わっていない。 それを踏まえると民俗学が議論してきた生産中心の経済の捉え方が 、 現代社会の実相と大きくズレていることだけは確かである。生産よりも 消費に基軸のある社会を消費社会と呼ぶとして、それが人間の生活の一 種の基盤となり、民俗学が扱ってきた文化現象のコンテクストになって いる以上、既存の民俗学が有するいかなる﹁ジャンル﹂からでも消費を 論ずることは可能であるし、また必要なことでもある。しかしながら民 俗学において、こうした意味での消費の研究は極めて低調である。次に その要因を仮説的に二つ考えてみたい。 第一には消費という現象が持つ非人格性である。顔の見える社会関係 に埋め込まれるかたちで生産 ・交換されてきた伝統的な生業と異なり 、 消費という語感からは見ず知らずの店員と客が無言で売買する、といっ た匿名的な関係性が想起される。ショッピングモールで服を買おうとす るとき、売り手と買い手の関係は決して﹁顔馴染みでなければ取引しな い﹂というような個々人の人格に基づいたものである必要はなく、値札 にあるとおりの対価︵貨幣︶がきちんと支払われるならば誰と誰が交換 を行っても同じものであり、売買においていかなる関係性も問われるこ とはない。貨幣による等価交換を基礎とする消費は、こうした個々の非 人格的な関係性が膨大に積み重なることで社会現象として立ち現れる 。 ミクロにおいては個と個のやりとりではあるが、 そのやりとりは常に ﹁売 り上げ﹂とか﹁消費動向﹂といったマクロな文脈に置き換えられること で、売り手と買い手という集合的なカテゴリー同士の無機質な交わりへ と昇華される。消費は常にこうした非人格的かつ集合的な社会現象とし て捉えうる性質を有しており、市 場とは売り手と買い手のそれぞれが経 済的合理性を追求する場であると捉えられてきた。 こうした消費の非人格性や市場観は、小集団における対面的状況や相 互行為を主たる研究領域とし 2 、それに沿って参与観察や聞き書きという
方法を形成してきた民俗学にとって、手の余る主題であったことも確か である。同様に経済人類学においても近年まで、市場交換を扱う経済学 と、贈与交換やモラルエコノミーを扱う経済人類学という棲み分けがな されてきた ︹中川 二〇一四︺ 。そのため経済人類学で消費の研究がなさ れることはあっても、いわゆるバザール経済のエスノグラフィーなどが 好んで取り上げられることが多く、貨幣交換を伴いつつも経済合理性だ けでは切り取ることのできない人間同士の交渉やかけひきといった対面 的な関係が記述され、貨幣の交換にも文化や慣習の影響が見られること が明らかにされてきたのである ︹例えば小川 二〇一一︺ 。 第二は消費が非人格的・集合的な性質を有していることから想起され る、 文化に対する侵略的なイメージである。 ﹁大量生産大量消費﹂や﹁消 費される○○﹂といった日常で使用される用語は 、消費の概念が持つ ネガティブなイメージに裏付けられており、文化的固有性や地域的伝統 が、非人格的で合理的な市場・貨幣によって侵されていく、というニュ アンスを持って使用されている。消費が憂うべき事態か否かという価値 判断はさておき、社会学者の見田宗介が述べたように文化の浸食といっ たイメージが﹁消費﹂概念の原義に由来することは、重要な知見として 押さえておく必要がある ︹見田 一九九六 一 二九︺ 。 見田によれば 、消費 ︵ consumption ︶には相互に連続する二つの意 味が併存しているという 。①まず M.モ ースらが儀礼に関する民族学的 知見をもとに述べたように 、充溢し燃焼 ・消尽しきる意味合いがある ︵ Consumation ︶。これは ﹁生産﹂の対義語であり 、我々の日常語として は﹁使い捨て﹂や﹁浪費﹂といったネガティブなニュアンスを伴いなが ら使用される概念であるとも言え 、 持続可能性に対する持続不可能性 、 ﹁消費﹂を促す貨幣による伝統的価値の駆逐といった事例に現れ 、しば しば大文字の﹁他者﹂による浸食のイメージで語られる。対面的状況で の交換経済を主たる研究としてきた人類学においても、消費は文化に対 する浸食だとみなされてきた ︹ Miller 1996 ︺ 。 また見田によれば、② T.ヴェブレンや J.ボ ードリヤールなどが着目 したように 、商品の購買としての側面もある ︵ Consommation ︶。商品 ︵ Commodity ︶としてモノが扱われるようになることは 、本来そうでな かったものが経済的な価値ではかれることを意味するが、この側面とし ての消費は 、商品化 ︵ Commodification ︶の過程 ︵使用価値から交換価 値への転換︶である 。商品になるモノとはたんなる物質だけではなく 、 情報・景観・イメージそして人といった非物質がまるでモノのように取 り引きされる﹁物象化﹂の過程でもある。 見田の述べる消費の二面性は決して分断された二つの極ではなく、し ばしば②から①への移行が生じることで、連続的な性質を持ったものと して捉えることができる 。例えば ﹁消費される農村﹂ ︹日本村落研究学会 編 二〇〇五︺ や﹁ふるさと資源化﹂ ︹岩本編 二〇〇七︺ のように、もとも とは ﹁自然﹂ であった空間に市場価値が発生することで、 交換可能な ︵金 を出せばその経験を買えるような︶モノへと転化され、しばしば観光産 業や文化行政の開発により環境が一変し、観光客によってオーバーユー スされる、といったイメージである。 以上のように、対面的なフィールドワークを方法的前提として設計さ れている民俗学において、消費概念に付随する非人格的な匿名性・集合 性、近代貨幣での交換経済を主軸とした経済合理性、それによって浸食 される旧来の文化や生活というイメージは、消費という主題を取っ付き にくいものにするだけでなく、基本的に消費社会化は憂慮すべき事態で あるという価値判断を呼び起こすものであったと言って良い。先にも述 べたようにこの事情は民俗学だけでなく、日常生活における経済を扱う 経済人類学においても同様であり、社会関係から﹁離床﹂した市場経済 は経済学にまかせ、人類学は社会に埋め込まれた贈与交換や再配分を扱 うという棲み分けが長い間行われてきた。ただ、人類学者の中川理によ
れば、近年では一見経済合理性が高く非人格的に見える市場にも、人間 同士のやり取りや交渉、道徳的な使命といった﹁市場の文化﹂が見られ ることなどが 、旧来のバザール経済に関する研究のみならずストック マーケットや I T産業などに関する民族誌的研究や経済社会学によっ て明らかにされ、市場の存続を可能としている社会制度や人々のネット ワークに着目した研究がなされている ︹中川 二〇一四︺ 。専門分化の進 む経済学では K.ポランニー ︹一九七五︺ が行った ﹁社会に埋め込まれた 経済﹂の研究に類する視点は、主流派になることはないにせよ、それで も﹁新制度派経済学﹂と呼ばれる経済学によって、合理的経済人モデル の相対化と、経済取引における取引相手への信頼や組織の影響などに関 する研究 ︹菊澤 二〇〇六︺ が現れており 、市場交換と贈与交換 、あるい は経済学と経済人類学という明確な棲み分けもかつてほど明確なもので はなくなっている。 贈与交換・市場交換を含めた経済人類学の議論と、消費の議論とは連 続しており、基本的には経済活動の一環として消費を捉えるため、人類 学的消費研究は M.モ ースの ﹃ 贈与論﹄を下敷きにした経済研究の枠内 で行われてきた 3 。ただ消費研究では必ずしも人類学的経済研究で行われ てきた視点で包括できるわけではない。特に消費が市場を介した﹁意味 のやりとり﹂であるという点は重要な論点である。ここでいう意味とは 記号や表象と言い換えられる。前述のように、消費とは単に必要なモノ を売り買いする局面だけを指す概念ではなく 、買い手からいえば 、モ ノを欲望し、購買し、使用し、場合によっては廃棄する日常的な時間の 流れを伴う。また売り手︵供給側︶から見るとその流れは、モノの欲望 を喚起し、売り渡し、評価される流れである。日本の民俗学では阿南透 による消費に関するレビュー論文が一九九八年に ﹃日本民俗学﹄誌に 掲載されているが 、そこではこの概念が ﹁買い物﹂という局面に限定 され 、一連の時間的プロセスへの着目が欠落していた ︹阿南 一九九八 、 門田 二〇 一 〇 a︺。物質文化研究が示すように 、モノの消費とは単に ﹁ 買 う﹂ことにとどまらず、例えばモノに付随する利便性や記号を日常の中 で享受したり、また廃棄したりする過程を考慮することが不可欠となる ︹ Appadurai 1988 ︺ 。 併せて重要なのは、モノの消費は、売買や使用を通じて様々な社会関 係が形成されるということである 。ここにはもちろん生産者と消費者 の ﹁ 顔の見える﹂ ﹁名前の分かる﹂関係が含まれることは言うまでもな いが、それだけでなく、匿名の関係、生産や流通の過程で企業やメディ ア、場所といった人間を含む様々なアクターが結びつくことで消費は成 り立つ。消費とは異なる社会的文脈にあるものが結びつく、いわば社会 的プロセスとしての側面が強い。それは決して社会に埋め込まれた経済 だけの話ではなく、貨幣による市場交換においてもそうである。 ﹁買う﹂ という局面だけで捉えると消費は一個人による個人的行為であるが、よ り広いスコープで見れば消費は他者との関係性の構築の場面、イメージ や商品を作る側と受容する側との価値を巡る競合、といったきわめて社 会的な行為である。 こうした関係はほとんどの場合、企業や組織と消費者という、日常的 な社会関係のないアクター同士が消費という局面において初めて形成さ れる繋がりである 。 その繋がりが形成されるきっかけは ﹁欲望の喚起﹂ の機会に始まることが多い。つまり広告や情報を通じてイメージが作ら れ、それが送受信される局面である。見田宗介は現代社会の構造的特質 を高度な消費社会化による経済的利潤の創出に求めたが、何を消費する かという経済現象の根拠は、情報社会化によって生まれると述べた。必 要なもの ︵便益︶へのニーズだけでは余剰の需要を生み出せない一方 、 情報︵広告産業など︶が商品への記号的な価値を流布することができれ ば、余剰の需要も生み出すことができ、情報と消費によって資本主義は 永遠に回り続けるというのである ︹見田 前掲書︺ 。
消費を民俗学的に捉える際に重要な作業は 、 モノのやり取り ︵交換︶ の局面を含めた流れへの着目であると同時に、商品を創り、発信主体と なる側が、いかなる自己表象を行い、人々の欲求をいかにして生成して いるのか 、そして人々は表象されたイメージをどう受け止めているの かという、意味のやり取りの具体的な場面に着目することである。重要 なのは表象の送受信においては審美的基準が強く関わっていることであ る。見田が述べたように消費によって経済が回っていく資本主義社会に おいては、人々が必需品だけを買いそろえて満足しているだけでは新た な需要が喚起できず 、 G.バ タイユが ﹁呪われた部分﹂と呼んだ 、過剰 な消費を作り出していく必要に迫られる。それは人々が感じる ﹁美しい﹂ とか﹁楽しい﹂といった、購買に繋がる審美的な欲求を喚起する情報操 作で成り立つ以上 、消費におけるイメージの送受信とは 、 M.フェザー ストンが言うように審美的判断の駆け引きなのである ︹フェザーストン 一九九九︺ 。こうした審美的な判断を伴う自己表象をいわゆるコミュニ ティの問題に投射するならば、外部に発信し人を呼んでこようとする地 域が自分たちの地域や文化をどのようなものとして表象しているのか 、 また外部の目線をいかに内面化しているのかという、地域観光や﹁街お こし﹂の問題系にも繋がり 4 、生活の基盤であるコミュニティを常に議論 してきた民俗学においても不可避な主題となる。 1 -2. 宗教研究における消費概念 前述の通り、消費される対象は決してスーパーマーケットの店頭に並 べられている物質だけではなく 、サービスのような無形財にも限らな い。顧客が商品と直接その場で金銭を支払うようなモノ以外にも、消費 社会は様々なものを﹁商品﹂へと取り込んでいる。儀礼や信仰とはまさ にそうした拡大する高度消費社会の特性を表すかのような商品であると 言える。この主題からすぐに想起される題材は、例えば法外な値段で壷 を売りつける﹁霊感商法﹂のような、 新宗教団体における﹁聖の商業化﹂ ︹島薗・石井編 一九九六︺ であったり、高い戒名料や葬式代といった週刊 誌をにぎわせる寺院経営であったりするかもしれない。もちろんそれら も﹁消費される宗教﹂に迫るための題材ではあるが、こうしたある意味 分かりやすい商品化の事例以外にも、多くの儀礼や信仰が商品化されて いるのが現在の状況である。筆者は以前、現代巡礼とツーリズムの関係 を述べる中で 、四国遍路が戦後の旅行産業 ・交通産業と不可分になり 、 ﹁信仰﹂を目的としている巡礼者も広義のツーリズムと関わることでし か宗教経験を果たすことができなくなっていることを明らかにした ︹門 田 二〇一〇 b、 二〇一三︺ 。また本論で焦点をあてる沖縄の斎場御嶽でも、 二〇〇〇年に世界文化遺産に登録されて以降訪問者が急増し、現在では 様々なガイドブックにツーリスティックスポットとして取り上げられて いる ︹門田 二〇一二︺ 。こうした場面では必ずしも ﹁観光地﹂ ﹁観光客﹂ といった名づけがなされる訳ではなく、信仰の場所、功徳に預かる場所 という宗教的な用語で表現される場合が多い。しかしながら、そうした 宗教的な意味付けがなされている空間の隆盛は、観光産業やメディアと いった市場経済によって下支えされている。それこそまさに民俗学が看 過してきた、実際には商品として消費されているにも関わらず、あたか も古くから変わらず持続している﹁民俗﹂のように描いてしまう状況で ある。 儀礼や信仰と言った宗教の経済的側面に焦点を当てる研究が、往々に して﹁不道徳﹂の誹りを受けることで︵あるいは﹁誹り﹂の発生をあら かじめ過剰に警戒することで︶ 停滞してきたことは、 ﹁宗教とツーリズム﹂ 研究の中でしばしば指摘されることである ︹山中 二〇一二 四 ︺ 。しかし ながら規範としてどうあるべき かということと、現象として実際にどう ある かということは別の次元で議論されることであり、儀礼や信仰が現 象として今現在どういう状況にあるかを考える際に、消費という観点か
らアプローチすることはきわめて高い現代的意義を持つ。 こうした問題意識は、換言すれば﹁なぜ消費と宗教か﹂という疑問を 引き起こす。その関連の密度を証明するには、消費社会において宗教が いかなる役割をもったものであるかに関する宗教研究、とりわけ宗教社 会学の説明を若干参照しておく必要がある。まず宗教社会学では、宗教 の定義をめぐって実体的定義と機能的定義の二つの説明がなされてき た 。前者は超越的な力やそれを伝える教義や教団という実体的な集団 ・ 組織の存在によって宗教を定める定義であり、後者は集団ではなく、社 会における機能の種類によって宗教現象を定義づける説明である ︹岡本 二〇一二︺ 。後者の説明はしばしば現代の世俗社会に拡散した ﹁宗教的 なもの﹂を捉える際に使用されており、 例えば宗教とは﹁意味供給装置﹂ としての機能を有する体系だという説明が見られる。 ﹁意味﹂を供給する装置 、すなわち人が生きる上で遭遇するさまざま な ﹁出来事と体験に関する解釈の方法﹂ ︹マクガイア 二〇〇八 八七︺ を 与える機能 、あるいは N.ルーマン ︹一九九九 三一︺ が述べたように 、 理解不能な出来事や現象に規定︵説明︶を与える機能をもって宗教の説 明に代えるとすれば、消費社会におけるアイデンティティポリティクス のあり方と相似性を見いだすことができる。消費行為が自己と他者との 差異化を図ったり自己の内面的な充足を企図したりする行為だと考え ると、伝統社会における宗教の機能の一部を消費が代替していると捉え ることができるからである。むろん現代において﹁意味﹂を供給するの は教団や伝統的な制度宗教に限定されず、メディアや市場がそれに取っ て代わって、 ﹁宗教﹂ ﹁信仰﹂という名を冠することなく流通させている と捉えることができる 。例えば日本の宗教社会学では 、﹁カルト﹂やス ピリチュアリティといった ﹁教団抜き﹂の宗教的現象の延長上に 、 疑 似科学や嗜癖 ︵アディクション︶ 、通俗的な心理学 、 自己啓発 、ネット ワークビジネスなどを議論の射程に入れるようになった。小池靖や島薗 進が ﹁セラピー文化﹂と述べる消費文化は 、﹁ 心﹂が聖化する現代社会 において代替的な宗教現象として数えられるようになったのである ︹田 邉・島薗編 二〇〇二、小池 二〇〇七︺ 。例えば自己啓発の一種として収納 やモノの廃棄によって﹁人生が変わる﹂と謳う一連の﹁片づけ﹂術を考 察した牧野智和は 、 近年の自己啓発的片づけ術について 、﹁ 日々を営む 私的空間において、選ばれたモノによってアイデンティティを日々確認 し、モノの配置を整序して空間の透徹性を高め、好ましいモノで部屋を 充たし、ときには浄化の儀式を行い、祭壇を設けて自らを癒し清めると いった、 ﹃心﹄の聖化に志向した日常的儀礼の浮上﹂とまとめている ︹牧 野 二〇一五 二 六七︺ 。そして、このような思想の流布が自己啓発本とい うメディア市場で展開し 、 私的な部屋が ﹁実存的な聖なる空間﹂ ︹牧野 二〇一五 二 六六︺ として記号的に消費されていると述べている 。 この ことから、片づけ術を含む自己啓発商品をいわゆる﹁ポスト世俗化﹂論 的な状況として、つまり宗教制度から離れた﹁宗教的なもの﹂が市場に 拡散し、個人を主体としてそれが摂取されている状況として理解するこ とは十分に可能である。 この点から言えば、観光・ツーリズムと宗教の関わりも同じ図式を拡 大することで見えてくるだろう 。宗教とツーリズムとの関係は 、第一 義的にはルーラルツーリズムや文化観光における観光資源としての宗教 ︵祭り 、 儀礼など︶という点に分かりやすい形で顕在化する 。しかしよ り見えにくい形では、聖地・パワースポットなどの﹁場所の商品化﹂と 総称しうる 、観光資源に読み替えられる宗教的空間として現れる ︹岡本 二〇一五︺ 。ここで参照したいのは鈴木謙介による聖地巡礼論である。 鈴木はまず﹁観光﹂を﹁特定の空間にまつわる情報の創造と、その消 費から生じる一連の社会的営み﹂ ︹鈴木 二〇一三 一 八五︺ と定義した上 で、近年日本各地で盛んになっている、いわゆるアニメの聖地巡礼を含 む広義の聖地巡礼の構築=観光地化の事例を 、 共同的な ﹁空間の意味﹂
形成過程として以下のように述べている。 アニメ聖地巡礼であれ宗教的な聖地巡礼であれ、そこで焦点化す べきは、その文化現象としての行動・心理の側面ではなく、特定の 政治経済的な状況の中で、それと関わりながら人々が創発的に﹁聖 地﹂としてのアイデンティティを創造し、獲得していくというきわ めて社会学的な側面に他ならない。すなわち、人々の振る舞いが聖 地を作り、聖地が人々のアイデンティティを支え、それが現実の地 域を変化させるという過程において見いだされる﹁空間の意味﹂こ そが、多孔化によって分断された社会を上書きする要素となり得る のである ︹鈴木 二〇一三 一 九四︺ 。 もちろん﹁人々の振る舞い﹂は、常に統一的な﹁空間の意味﹂の共有 に帰結するわけではないのではないかという疑問は残るが、これをアニ メではなく﹁伝統的﹂な聖地に限定した場合でも、場所にまつわる儀礼 や信仰をめぐって、人々が意味を創出・獲得したり、自らの正統性を主 張しあったりすると言った、時に価値を巡るコンフリクトの発生をはら みながら動いている状況が見いだせる。肝心なのは﹁観光開発と文化保 護﹂という常に繰り返されてきた主題 、また ﹁ホストとゲストの対立﹂ という古典的な観光人類学的図式にとどまることなく、関係主体の多様 化、文化や宗教をめぐる志向性の錯綜の複雑性を読み解いていくことで はないだろうか。 本論は以上のような問題意識を背景に、消費を基軸とした価値におい て測られるとき 、儀礼や信仰 、 それらが埋め込まれた場所である聖地 、 といった諸現象の記述はいかに可能かということを議論していきたい 。 斎場御嶽の現在に目を向けると、これらの問題群を考えるためにふさわ しい状況を見て取ることができる 。 後述のようにそこは ﹁生きた信仰﹂ の根付く伝統的な聖地として世界遺産に登録され、事実多くの信仰を集 める一方で 、﹁本来の﹂巡礼者 ・参詣者を遥かに凌駕する数の観光客が 訪れており、聖域の保護と観光資源としての開発のコンフリクトが現実 問題として焦点化されている。そうした状況を読み解くには、単に観光 か信仰か、というよくある図式を超えた理解を要する。そこで以下では 斎場御嶽の現状を詳しく描写していきたい。
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斎場御嶽にみる場所の商品化
2 -1. 斎場御嶽の民族誌的概要 斎 場御嶽は沖縄本島南東部、太平洋に 突き出た島尻半島の南城市久 手堅 集落 に位置する御 嶽である。御嶽は沖縄地方 において祭祀の行われる聖的な空間・聖 域の総称であり、琉球王国時代には公的 な祭祀者である祝 女の制度と結びつき 、 集落の年中行事が行われてきた。 斎場御嶽も久手堅集落の御嶽なのだ が、琉球の創世神話を記した歴史書﹃中 山世鑑﹄ ︵一六五〇年︶などにおいて琉 球開闢の地の一つと位置付けられ、琉球 国王が定期的に参詣していたとされてい る 。 また国家的祝女制度の頂点に立つ 聞 得大君の即位式﹁御 新下り﹂が行われ る場所でもあり、一八七五︵明治八︶年 まで一〇回に亘って行われた記録があ 図 1 斎場御嶽の所在地(筆者作製)る 5 。つまり斎場御嶽は一集落の御嶽というよりは国家直轄の地であり 、 その史実を裏付けとして現在まで沖縄の﹁最高の聖地﹂として広く認知 されている 。王朝との結びつきをもっとも強く伝えるのが ﹁東 御廻り﹂ という巡礼行事である。これは国王が宮城のある首里を出発し、島尻半 島を東回りにいくつかの御嶽に参詣しつつ、最終的に斎場御嶽に至ると いう巡礼であった。王家による行事自体は一六三七年には途絶えていた とされるが、 それを模した門 中による東御廻りは現在でも行われている。 他の御嶽同様、かつては男子禁制であり、管理のために立ち入る場合は 着物の袖を右上にしたというが、現在そうした慣習はなく、誰もが参詣 可能な場所として開かれている。 ほとんどが森に囲まれた斎場御嶽は、聖域の中に拝 所と呼ばれるいく つかの祭祀場を有し、それぞれを結ぶ石畳の道がある。道は急峻と言う ほどではないが平坦でもない 。 拝所は切り立った巨大な岩盤と 、それ を屋根のように覆う鬱蒼とした木々に囲まれており 、その下で現在で も様々な祈願と儀礼が行われている 。また拝所の一つ三 庫理を囲む巨 石の隙間からは 、海を挟んで久高島を望むことができる 。この島はメ ディアではしばしば﹁神の島﹂と称され、神 女の就任儀礼イザイホーが 一九七八︵昭和五三︶年まで行われてきたことで知られている。 琉球王国の宗教祭祀上もっとも地位の高い御嶽として君臨した斎場御 嶽であるが、 近代以降、 徐々に認知度を低下させていたのも事実である。 聞得大君の御新下りも、廃藩置県直前の一八七五年を最後に執り行われ ていない。とりわけ沖縄戦を中心とした太平洋戦争期は斎場御嶽の荒廃 を進めたようだ。地元の郷土雑誌に目を通すと、鬱蒼としていた森も近 代に入ると精糖燃料や薪炭材のための伐採や沖縄戦の砲火で荒れ地とな り、参拝も下火になっていたという。他方で斎場御嶽は国内の文化財保 護制度下でも早くから保存政策がとられており 、一九五五 ︵昭和三〇︶ 年一月、前年に施行されたばかりの文化財保護法︵琉球政府︶に基づき ﹁史跡・名勝﹂に指定された。その理由は﹁琉球開びゃくの霊地﹂ ﹁此の おたけが天地の始めにできた由緒ある霊地で、国王及聞得大君の尊信の 地であり、又住民が﹃東巡﹄と言って信仰の最高峰である理由によって 指定した﹂とある ︹琉球政府文化財保護委員会 一九五五 二 四︺ 。続いて 一九七二︵昭和四七︶ 年の本土復帰と同時に、日本政府の文化財保護法 ﹁史跡﹂に移行されている。 一九九〇年代より地元行政の発掘・整備事業を経て再び着目されるよ うになり、二〇〇〇︵平成一二︶年に斎場御嶽など本島九箇所の遺産か ら構成される﹁琉球王国のグスク及び関連遺産群﹂として、世界遺産へ と登録された。斎場御嶽が登録された直接的な評価点は、御嶽という独 特の聖域で見られる信仰や儀礼が、琉球王国由来の文化的・宗教的独自 性を今に伝えているということであるが 、登録には学術的評価に加え 、 当時の政治・社会状況も後押ししていたと考えられる。沖縄の世界遺産 群は、一九九二年に日本が世界遺産条約に加盟したと同時に暫定リスト へと登録された 。この年は N H K大河ドラマ ﹁ 琉球の風﹂が放映され 沖縄ブームのあった年だが、政府は当初より沖縄の遺産群を世界遺産化 する企図を有していた。更に登録決定の二〇〇〇年は九州沖縄サミット が開かれ、首里城﹁守礼の門﹂を映す二〇〇〇円札が発行された年でも あった。当時の新聞には、世界遺産登録がサミットの﹁ご祝儀﹂だとす る論調も見える。このように遺産化は国策と連動を見せており、とりわ け普天間基地移転問題や反米軍基地の機運が再び高まっていた二〇〇〇 年前後の世相を鑑みると、沖縄における文化政策の国家的推進は一種の 沖縄振興策であったと見ることもできる。 他方 U N E S C Oの側からは、御嶽は世界遺産の新たな形態として期 待される存在だった。世界遺産︵文化遺産︶は本来、西欧の教会や城跡 等単体の建築物を保存するためのものであったが、 U N E S C Oでは遺 産概念を広げ、非西欧地域における自然と人為を媒介する遺産を﹁文化
的景観﹂の名によって含めようとしていた。例えばフィリピン・イフガ オの棚田などが典型例である ︹平田 二〇一〇︺ 。岩石と森ばかりでこれ といった建造物がないにも関わらず 、人々の崇敬を集める斎場御嶽は 、 U N E S C Oから見ればまさに人間の文化的営為が刻み込まれた自然で あり、グスクや御嶽など構成資産の多くが琉球独特のアニミスティック な信仰の形態を表し、 宗教的な場とそこで行われる儀礼行為及び慣習が、 今なお琉球の人々の間に文化的な伝統として生き続けていることを積 極的に評価しようとした ︹本中 二〇〇一 六 三 -六四︺ 。それは遺産概念 を拡大させ、非西欧に世界遺産政策を広めようとしていた U N E S C O にとってまさに新たな文化遺産としてふさわしい場所だったのである。 2 -2. 新たな意味づけと表層性 二〇〇〇年の世界遺産登録後、知名度が高まることで訪問者の増加を 見せていた斎場御嶽であるが、激増といってもよい本格的な訪問者の増 観光市場においてこれまで大きな存在ではなかった地域である 。﹁ ひめ ゆりの塔﹂や﹁摩文仁の丘﹂などのいわゆる南部戦跡は、確かにある時 期までは県外観光客が必ず巡るルートであった。特に本土からの沖縄旅 行の主目的が海浜リゾートに移る以前、北村毅が述べるように慰霊と激 戦地をめぐる﹁戦跡巡拝﹂は、沖縄観光の端緒として位置づけることが でき 、﹁ 本土﹂からの観光客が集中するエリアだった ︹北村 二〇〇九 6 ︺ 。 しかしながら本土復帰と一九七五 ︵ 昭和五〇︶年の沖縄海洋博覧会は 、 北部エリアを中心とする政府の沖縄振興策に主導されて行われ、人と資 本を南部から北部へと誘う大規模な事業であった。併せてこの時期には 航空会社などが主導で ﹁青い海 ・ 白い砂﹂ という今にも繋がる沖縄イメー ジが広告によって生み出され 、 多田治が言う ﹁キャンペーン的リアリ ティ ﹂ ︹多田 二〇〇七 一 五六︺ によって沖縄自身がその対外的イメージ を大きく変容させていく時代であったが、目立った海水浴場やリゾート ホテルのない南部は、こうしたリアリティから取り残されたエリアだっ たのである。 戦後を通じた﹁慰霊から海へ﹂ 、﹁南部から北部へ﹂という沖縄観光の 地政学的変化によって、大規模リゾート開発が行われなかった南部エリ 図 2 沖縄世界遺産入場者数[沖縄県 2014] 加は近年になってのこと である。図 2は統計が正 式 に 取 ら れ 始 め て 以 降 の 、 斎 場 御 嶽 を 含 む 沖 縄 世 界 遺 産 各 所 の 訪 問 者 推 移 に つ い て で あ る が 5 、 これを見ても明らか なように、急増の時期は 二〇一〇年以降に顕著と なっている。 斎場御嶽の位置する南 城市を含む沖縄本島南部 ︵ 主 に 那 覇 市 以 南 ︶ は 、 図 3 雑誌における斎場御嶽の表現 (『ことりっぷ沖縄』2013 年版) アは一部施設を除 いて相対的に観光 資源の乏しい地域 になっていた。こ うした状況におい て、斎場御嶽の世 界遺産登録は、 ﹁慰 霊﹂でも﹁海﹂で もない目的の観光 客を南部に周遊さ
せるきわめて重要な転換点となったと言える。さらにかつての団体旅行 と異なり、現在の沖縄観光の主要な人員構成は家族や友人同士を中心と した数名の小集団であり、移動手段もそれに適した安価な五人乗りレン タカーが主体となっている。移動のユニットと交通手段の変化は、地理 的に見て中心都市・那覇から一時間以内に位置する南城市に大きなアド バンテージをもたらし、半日程度の空きができた観光客が雑誌やガイド ブック、ネット上の情報を手がかりに極めて簡単に選べる選択肢となっ たのである。 ここから分かるように、世界遺産登録や交通の変化、旅のユニットの 変化といった外在的諸条件の変化は人々の行動にも大きな変化をもたら し、そのことが斎場御嶽の観光地化に強く作用していることは明らかで ある。しかしながら観光地化において世界遺産指定は斎場御嶽を訪れる べき価値のある目的地の一つとして知名度を高め、ツーリズムという土 俵に挙げるきっかけとなったことは確かだが、それはあくまで最初のス テップにおいてであり、それだけでは近年の訪問者数の爆発的拡大を説 明することは難しい。それは交通や旅の形態の変化についても言うこと ができ、いわゆる団体旅行から個人旅行への変化、レンタカー産業の隆 盛と低価格化は決して直近数年のことではない。むしろ直近の根本的な 変化をもたらした要因は別のところにあると考えられる。それは何か。 筆者は斎場御嶽周辺で二〇〇七∼〇八年に世界遺産登録の影響に関す る調査を行ってから、しばらく経過観測を行うのみで本格調査は休止し ていたが 7 、二〇一二︵平成二四︶年から勤務先の研究室で学生との共同 調査を再開した。二〇一〇年代前半における重要な社会的背景として明 記しておくべきは、 メディアにおける﹁聖地巡礼﹂や﹁パワースポット﹂ などと表現される、スピリチュアリズムの延長上に展開される宗教情報 の氾濫である。宗教的な故事のある場所や巡礼路が伝統的な巡礼者・祭 祀者の手を離れ 、メディア産業やツーリズムの文脈で新たな ﹁ 商品価 値﹂を有した情報商品 ・ 旅行商品として展開していったことについては、 岡本亮輔ら宗教社会学で研究が行われているが ︹岡本 二〇一一︺ 、沖縄 において斎場御嶽はまさにこうした新たな場所/宗教の表象に取り込ま れ、旅行ガイドブックにおいても二〇一〇年前後を境に﹁パワースポッ ト﹂などとして意味的に再編が行われたのである。 図 3に明らかなように 、﹁聖地﹂や ﹁パワースポット﹂とラベルづけ られた近年の雑誌やメディアにおける斎場御嶽の表象は枚挙に暇がな い 8 。そこに通底する特徴を一言でまとめるならば、斎場御嶽が埋め込ま れた固有の歴史的文脈と切り離された形での意味付けがなされているこ とである。もちろん並んだ文言には ﹁琉球王国の⋮﹂ ﹁深遠な⋮﹂ といっ た、過去からの連続性を喚起させる表現が使われてはいるものの、アマ ミキヨ、神女、御新下り、東御廻りなどといった現地の人がこの御嶽を 表現する際に切り離せないローカルな固有名詞が用いられることは少な い 。﹁神﹂や ﹁ 祈り﹂といった 、斎場御嶽や沖縄以外の聖地や信仰の形 態においても使用可能な一般名詞が用いられることで 、いわば互換性 ・ 一般性の高い ﹁伝統的宗教﹂ ﹁聖地イメージ﹂を喚起することに主眼が 置かれている。 こうした表層的な伝統性の装い、民俗学で言うところのまさにフォー クロリズム的状況は、斎場御嶽の観光地化ときわめて親和性の高い現象 である。詳しくは後述するが、当地への現在の訪問者の多くはこの御嶽 に埋め込まれた宗教的固有性を踏まえているとは言いがたく、この御嶽 を﹁聖地イメージ﹂に適う観光地として捉えており、フォークロリズム 的な表層性こそが観光消費の対象となっている。パワースポット、聖地 といった一般的な用語をもちいて斎場御嶽が表現されるのは、この聖地 がローカルな文脈をもった固有の存在から、他の場所とも入れ替え可能 な場所へと置換されつつある状況を伝えている。
2 -3. 儀礼の商品化とスピリチュアリティ ﹁聖地﹂イメージを核とした斎場御嶽の観光地化と前後して 、南城市 は斎場御嶽にまつわる様々な儀礼や歴史的故事を売りにするキャンペー ンを施行していった 。ここではその中でも ﹁ おきなわ E C Oスピリッ トライド &ウォーク i n南城﹂ ︵ 以下 E C Oスピリット︶という行政主 導の観光資源化策を見てみたい。 E C Oスピリットは南城市域を毎年二月に自転車サイクリングもし くはウォーキングで周回するスポーツイベントであり、二〇一二年の開 始以来 、 毎年約一四〇〇名を集めるイベントとして定着している ︵図 4参照︶ 。 このイベントは二〇一一 ︵ 平成二三︶年まで 、七回続いた ﹁東 御廻り国際ジョイアスロン i n南城﹂という同様の市民スポーツイ ベントが名称を改めたものだが、特色は斎場御嶽や久高島といった聖域 を周遊ルートの中心に据えていることで、スポーツや健康だけでなくス ピリチュアルな体験を参加者にもたらすことを標榜している点である 。 このイベントについて触れた塩月亮子は 、﹁ 伝統文化をもとにして 、 健 康とスピリチュアリティと観光を兼ね備えた新たな行事が作られてい る﹂と述べ 、﹁スピリチュアリティが 、琉球文化の伝統と融合し 、 聖地 を廻るという﹃琉球のスピリチュアリティ﹄を再創造している﹂とまと めている ︹塩月 二〇一二 四一四︺ 。 東御廻りとは、琉球の創造主アマミキヨ発祥の地である久高島、それ を遥拝する斎場御嶽に向かい、首里の王府から王が巡拝して廻った琉球 王国時代の行事であり、先にも述べたように現在でもそれを模した年中 行事として、門中によって執り行われている。斎場御嶽は世界遺産登録 にあたって 、 U N E S C Oの諮問機関 I C O M O S︵国際記念物遺跡会 議︶の 答申において ﹁生きた信仰﹂が見られる場所として評価された 。 そのことは既に廃れた文明の痕跡としての遺産ではなく、 ﹁生きた遺産﹂ ︵ Living Heritage ︶を世界遺産へと位置づけようとする一九九〇年代以 降の U N E S C Oの思想と合致する新しいタイプの文化遺産であった が、生きた信仰の事例として掲げられたのがこの東御廻りだったのであ る ︹門田 二〇〇八︺ 。 従って行政にとっても東御廻りは斎場御嶽の信仰の現前性を示すため に不可欠な儀礼であり 、市役所や観光協会の広報活動においても常に 大々的に位置づけられ、一般の訪問者にも巡拝を促すウェブサイトがも うけられるなど、観光資源としても重要な位置づけにある。南城市は公 図 4 「2015 おきなわ ECO スピリットライド&ウォーク in 南城市 」広告 (2015 年 1 月 23 日『沖縄タイムス』朝刊広告)
共団体としての経営戦略を策定する中でこうした聖地や儀礼に端を発す る、 スピリチュアリティを重要な資源として位置づけ、 また近年ではウェ ルネスツーリズムの目的地として整備するなど 、﹁ 健康﹂もまた地域計 画の重要タームとなっている ︹吉野 二〇一二︺ 。 E C Oスピリットが単 なるスポーツイベントではなく、また聖地をつなぐ巡礼路を巡る単なる 歴史イベントでもなく、その両者をつないだものとして明示されている 理由は、まさにこうした﹁儀礼の商品化﹂に至るまでの戦略的なプロセ スが反映されているからである。 加えて注意したいのは、こうした商品化過程において頻出する﹁スピ リチュアリティ﹂という用語の使用法である。先の塩月の論文において も﹁スピリチュアリティが、琉球文化の伝統と融合﹂と書かれていたよ うに、この用語は既存のローカルな宗教伝統や歴史とは異なる文脈で捉 えることのできる新しい現象、あるいはそれに対する名付けであると考 えられる。 E C Oスピリットにおいても、それが決して﹁信仰﹂や﹁宗 教﹂ ﹁祖先崇拝﹂といったタームを利用することなく 、かといって全く の世俗的イベント︵スポーツや健康一辺倒のイベント︶として表現され るわけでもない、その微妙なライン取りを果たすためにこの用語が用い られていることが分かる。 一九八〇年代以降の宗教学において 、﹁スピリチュアリティ ﹂概念は 既存の制度宗教外で展開する個人やネットワークに基盤をおいた、精神 的・非科学的な思考と実践の形態を表すために用いられるようになった ︹大谷 二〇〇四︺ 。それはポスト世俗化の宗教現象を示すために、 ﹁ 宗教﹂ とは名乗らず、また一般に﹁宗教﹂だとは思われていない現象を、拡散 した宗教の一様態として捉えるための概念であった 9 。現在南城市で散見 されるスピリチュアリティの語と、それが暗に対置していると思われる 旧来の概念との関係は、おそらく学術的な宗教研究における﹁宗教 ̶ ス ピリチュアリティ﹂という対概念と同様の構造である。つまり E C Oス ピリットに代表される﹁消費される儀礼﹂において、資源化・商品化さ れているのは沖縄の宗教伝統に基づく﹁信仰﹂や﹁儀礼﹂ではなく、そ のような固有の文脈から解き放たれた、あくまでイメージ なのである。 もちろんそこには、政教分離の観点から明らかに﹁宗教﹂的であると 思われる文言を地域開発策で使用できない行政の事情もあるだろう。し かしながら参加者を起点に考えれば、イベントに参加する多くの人々が 望んでいるのは伝統的な﹁儀礼﹂を通じた﹁信仰﹂の獲得ではなく、そ うした文脈への埋め込みを必要としない精神的 ・内面的な経験である 。 以前筆者は現代四国遍路のツーリズム化について述べた際に、多くのバ スツアーに参加する巡礼者が求めているのは弘法大師信仰や仏教徒とし ての信仰の追求ではなく、少しの苦痛と読経や勤行を通じた﹁それなり の宗教的経験﹂ であると述べた ︹門田 二〇一三 一 二三︺ 。 E C Oスピリッ トやツーリストとして東御廻りに参加する人々に求められているもの と、現代巡礼ツアーにおいて求められている宗教的経験に類似性が見い だせることは、南城市において強いて﹁スピリチュアリティ﹂の語が象 徴的に多用されていることからも明らかである。
❸
多元化する
﹁聖﹂
と管理体制の変化
3 -1. 訪問者の多様化 以上のようなスピリチュアリズムの余波という外的要因、また儀礼と 信仰の商品化という地元社会の取り組みを内的要因として、斎場御嶽に は以前よりもはるかに多くの訪問者が訪れるようになっている。では訪 問者の急増は御嶽に対していかなる負荷を及ぼしているのだろうか。一 言でいえば聖地としての文化遺産は危機状態に近づきつつあると認識さ れており、 前述した見田の消費概念を敷衍すれば、 ﹁商品化﹂ によって ﹁消尽・消滅﹂されつつあるといってよい状況にある。本章ではその様相を 訪問者の多様化、聖の多元化という観点で示すとともに、聖域の保護を 目的とした管理保護体制、とりわけ入場料の徴収に着目して議論を展開 する。 まず訪問者に関してであるが、これまで述べてきたように斎場御嶽が 観光地となり、訪問者が激増しているという表現からは、いわゆる﹁観 光客﹂が増加しているのだという理解に至る。確かに激増した訪問者の 多くは本土からの沖縄旅行の途上に立ち寄った人々であり、典型的には レンタカーを借り、三泊四日程度の旅程の中で空き時間を利用して立ち 寄った人々である。彼ら彼女らはガイドブックやネットで斎場御嶽の紹 介記事を見てやってきた人々で、斎場御嶽の歴史や慣習的文脈を必ずし も深く理解しているわけではないため、 後述するように聖域の荒廃や ﹁神 聖な雰囲気の阻害﹂を引き起こす要因ともなっている。しかし筆者らの 調査で明らかになったのは、増えているのはそのように﹁観光客﹂とし て容易に分類可能な、ある意味﹁分かりやすい﹂人々だけではない、と いうことである 。それは先に述べたスピリチュアリティに関心を持つ 人々の増加である。 現在斎場御嶽に訪問する人々は、門中やユタなど沖縄在住の宗教的な 慣習を熟知した人々 、 また県内観光客 、本土からの ﹁ 普通の﹂観光客 、 台湾などアジア諸国からの観光客 、修学旅行生などに加え 、﹁普通﹂と は少し異なりいわゆる物見遊山を楽しむだけでなく、斎場御嶽の宗教的 な雰囲気を経験したり、時には独自の祈りを捧げたりするためにやって くる人々が含まれるようになった。ボランティアの人々の言葉を借りれ ば﹁スピリチュアルな人﹂は観光地化の進む二〇一〇年代以前からもい なかったわけではないが、増加は近年の傾向である。つまり斎場御嶽へ の訪問者の増加といえば、単に量的な増加だけではなく、訪れる人々の タイプの増加=多様化でもあるのだ。 事例として筆者の研究室による共同調査 10 で出会った五〇歳代の女性の 語りを取り上げたい。この女性は鹿児島県から南城市に来て一ヶ月ほど 滞在していた︵二〇一四年七月︶ 。﹁斎場御嶽で神様を感じる﹂と述べる 彼女は、斎場御嶽へ八回目の訪問だという。 ︱︱斎場御嶽に来た経緯は? 一〇年近く前、夢に神様が下りてきた。三角の岩から光が来たよ うに見えた。 その後、 銀 行の待合室で偶然見た雑誌に斎場御嶽が載っ ていて 、夢とまるで同じで感動した 。夢に出てからずっと 、﹁いつ か参ります﹂と言っていた。 ︱︱三角岩の前で目を閉じていましたね。 お祓いを三回あげて 、﹁お参りができてありがとうございます﹂ と唱えていた。目を閉じていると、ブルー、赤、オレンジの光が見 える。 今日は真っ赤でした。 この前はオレンジ。 色んな色が見える。 三日月のようなものが現れたり、その上にきれいなオレンジの光が ある。三日月が見えたのは二度目だった。おととい夢に男性が出て きて、宿の人にも聞いたほど。斎場御嶽にいると光が下りてくるん です。鹿児島県の霧島神宮でもカラーの光が出る。他の場所では出 ない 11 。 以前から斎場御嶽や久高島では、新宗教団体の信徒集団が祈りのため に訪れることは決して珍しくなかった。そこに近年では制度宗教とは別 の文脈で、もっぱら個人的な世界観に基づいた実践を行う目的で訪れる 人が増加している。そうした人々の特徴として注目したいのは、引用文 中でも述べられているように雑誌などのメディア表象が強い力を有し 、 書かれているイメージを踏襲したり、自身の中で増幅させたりするかた ちで斎場御嶽を訪れていることである。 前述の女性は確かに﹁極端﹂な人であることは否めない。しかし彼女 が位置する線分の、より﹁中庸﹂の側には、例えば通常の﹁見て食べて
楽しむ﹂だけの観光実 践には興味がなく、む しろ内面的な体験を果 たしたり超常的な ﹁力﹂ を感受したりすること に旅の目的の重きを置 く人が多く存在する 。 観光と宗教的実践との 間に明確な境界線を引 くことが困難になり 、 観光という消費行動の 中にある種の宗教的実 践を組み込むような行 為が人々に拡大している現在、斎場御嶽では沖縄の既存の宗教伝統とは 無縁なところで 、﹁ 宗教的なもの﹂が生起している 。 こうした状況はま さに﹁聖の多元化﹂状況であるといえる。 このような状況をふまえて斎場御嶽を訪問している人々をここで便宜 的に分類するならば 、 図 5のようになる 。 分類は二つの軸に沿ってなさ れている 。 X軸 ︵横軸︶は斎場御嶽が埋め込まれている既存の宗教伝統 に対する理解度やコミットする度合いの高低をプラスマイナスで示して いる︵以下、 宗教伝統への理解度 と称する︶ 。 Y軸︵縦軸︶は斎場御嶽で 求める経験の質に関する指標で 、 訪問の動機に宗教的な経験を求めるか どうかの高低を示している︵以下、 宗教性への動機付け と称する︶ 。この 場合の ﹁宗教的な経験﹂には 、門中などの伝統的な信仰の形式 、ユタや そのクライアントの信仰 、 また近年のスピリチュアリティなど 、信仰の ﹁正統性﹂に関わらず内面的・精神的な経験を含むものとして措定する。 二つの軸を設定すると、宗教伝統への理解度、宗教性への動機付けの 図 5 斎場御嶽の訪問者分類図式 双方が++になる第一象限には、従来から斎場御嶽に巡拝に訪れていた 地元沖縄の人々︵地域の人々、門中、ユタやそのクライアントなど︶を 入れることができる。その目的や儀礼の実践の仕方は多様ながらも、い ずれも斎場御嶽の歴史性やそこに由来する御嶽としての地位の高さを理 解し、自らの信仰や年中行事のために訪れている。第二象限︵−+︶は 宗教伝統への理解は低いものの、宗教性への動機付けが高いカテゴリー である。斎場御嶽の﹁聖性﹂を強く意識しており、それに直接触れるこ とが主たる訪問の目的となる。先述の﹁スピリチュアルな人﹂とはこう した度合いの高い人々であるが、よりライトな層、すなわち雑誌メディ アに掲載された聖地としての情報を事前に有し、情報としての聖地を確 認 ・ 追体験することで得られるリアリティーを求める人々も含まれる 。 その特徴は先に述べた通りメディアに表象される﹁固有の文脈抜きの聖 地一般﹂の一つとして斎場御嶽を捉えることであり、場所に埋め込まれ た宗教的な固有性や歴史性に対する理解は相対的に高くない。第三象限 ︵− −︶は宗教伝統への理解度が低く、宗教性への動機付けも低いカテ ゴリーであり、端的に言えば﹁普通の観光客﹂をここに当てはめること ができる。ここでいう﹁普通の﹂とは、第二象限の人々のようにスピリ チュアリズムや御嶽の﹁聖性﹂に強い興味があるわけではなく、物見遊 山的に訪れる人々である。最後の第四象限︵+−︶は宗教伝統への理解 度は高い一方、宗教性への動機付けが低い人々であり、ボランティアや 文化財関係者、管理のために慣習的に訪れる地元集落の人々を含むこと ができる。 この分類はあくまでヒューリスティック ︵問題発見的︶ な図式であり、 言うまでもなく現実の訪問者が明確に、また固定的に分類可能なわけで はない。多様化する訪問者、多元化する聖の中で、このように便宜的に 整理されたカテゴリーは、後述するように各カテゴリーの人々が聖地を どのように捉え、いかなる態度で﹁消費﹂しているのかを明らかにする
ための補助線となる。 3 -2. 管理者の多様化 他方受け入れる側、つまり斎場御嶽の管理者側もまた、世界遺産登録 や自治体合併などを契機として大きく仕組みを変えている。 琉球王国時代にこの御嶽は王国の祭祀を司る聞 得大君をはじめとした 女子が入域を許された空間であり、男子禁制とされてきた。しかしなが ら国家祭祀の場であると同時に、地元の久 手堅・安 座真集落の年中行事 が行われる場でもあり、 初御願︵旧暦一月一日︶ 、 ウフジチュヌウュエー ︵旧暦四月一八日︶ 、五月ウマチー︵旧暦五月一五日︶などにはノロ代理、 字の役員などが入域して祭祀を行ってきたという ︹知念文化協会学術部 編 二〇〇六 一五四 ∼一五五︺ 。かつては安座間および久手堅の男性が 日常の管理にあたっていたが、こうした伝統的な管理体制は現在では大 きく変化し、図 6のようになっている。 ヨ浪漫の会である。この会は観光客に対して斎場御嶽や久高島をはじめ とした周辺地域の同行解説を有料で行うほか 、﹁緑の館 ・セーファ ﹂と 呼ばれる、斎場御嶽に敷設された学習施設︵入場者管理の施設を兼ねて いる︶における説明を行う 。また彼らは重要な任務として 、﹁ 守り﹂と いう御嶽の掃除や管理業務を担っている。 この図に分かるように、周辺集落の住民であっても個人の意思によっ て自由に御嶽へ関わることが可能なわけではない。集落の年中行事を除 けば、地域住民は観光協会に雇用されたり、ボランティアの一員として 加わったりすることで御嶽に関わることができるようになる。このよう な管理体制の厳格化・組織化や、それに伴う地域からの文化遺産の遊離 は当該地域に限ったことではなく、場合によっては地元住民と文化遺産 管理者とのコンフリクトを生じさせることにもなる ︹ Portera & Salazara 二〇〇五︺ 。管理者と地域社会との協力/対立という主題は稿を改めて 論じるが、本論で着目すべきは訪問者の量的な増加や﹁聖﹂の多元化状 況に対して、管理者側がいかにして対処をしているのかである。なぜな らそのことは、 訪問者が受容し、 経験し、 消費している斎場御嶽の儀礼 ・ 聖性・イメージと、管理者側の有するそれとのズレを明らかにすること に繋がるからである。 3 -3. 斎場御嶽表象の一元化と多元化 観光客や訪問者の増加、多様化が﹁聖﹂の多元化を示しているとすれ ば 、管理者側の組織化は 、 いわば多元化とは逆の 、﹁ 聖﹂の一元化を目 指したものだと言ってよい 。︿ U N E S C O -文化庁 ︱ 市 -ボランティ ア組織/観光協会﹀という階層的連続性のある組織を形づくっていくこ とは、 世界遺産登録時における評価を標準点として斎場御嶽を意味付け、 その意味づけに沿って外部に表象していく際の基準を、一つにまとめる という意味である。 ﹁世界遺産・斎場御嶽﹂として保存・活用すること、 図 6 斎場御嶽をとりまく関係主体 現在斎場御嶽を管轄するのは 南城市であり、具体的には教育 委員会・文化課が保存・活用に 関する技術的・学術的な指針を 定めている 。 市の管轄のもと 、 現場で日常的な管理にあたるの は二つの機関がある。一つは入 場者や駐車場の管理、そして観 光資源としてのマネージメント を指定管理者として行う南城市 観光協会であり、もう一つは市 の講習を受けた市民から成り立 つボランティア組織・アマミキ
あるいは ﹁売っていく﹂ ことにおいて、 場所の評価や意味付けが複数あっ てはならず、ましてや相反する表象が併存するわけにはいかない。管理 者側としては琉球王国の国家的祭祀に直結し、そのような琉球の精神文 化の粋が東御廻りに代表される儀礼によって現在まで伝承されていると いう表象を根幹に据えて 、一種のブランド化を図ることが務めとなる 。 筆者は二〇〇七︵平成一八︶年の調査に基づく論文の中で、斎場御嶽で 祈りを行うユタなどの民間宗教者が、管理者側の御嶽表象と齟齬を来す ことで結果的に﹁望ましくない信仰﹂に位置づけられていることを指摘 したが ︹門田 二〇〇八︺ 、その調査から一〇年近くが経過し 、事態はよ り複雑になっている 。つまり御嶽イメージを一元化したい管理者側と 、 訪問者の急増・多様化によって、ますます多元化する御嶽イメージの間 の、複雑な/複数的なズレが生じているのである。 管理者側の斎場御嶽の表象は、聖地を保存し、文化資源・観光資源と して活用していく際に明確なイメージを生み出す。しかし先に 述べたように訪問者側は様々な立場やポジションによってあら かじめイメージする斎場御嶽像は異なっている。年中行事を行 う門中や地域住民の有するイメージは管理者側が発するものと 大きく重なっていると考えられるが、他の訪問者はそうではな い 。 例えば筆者らの調査においても 、多くの ﹁観光客﹂ ︵第三 象限の人々︶は斎場御嶽に対する具体的な知識が乏しく、ぼん やりとした﹁聖地﹂というキーワードで捉えている程度の人が 多いことは把握できた 12 。そうした人々が消費する御嶽イメージ は 、先に掲げた旅行雑誌やメディアの発する 、沖縄の歴史的 ・ 文化的固有性から脱文脈化された聖地一般イメージを踏襲した ものであり、メディアの生成した記号としての﹁聖地﹂イメー ジをかなりの程度受動的に消費している。 他方先述のような ﹁ス ピリチュアルな人﹂ではイメージにより具体性があり、自らの 100m R331 ⋉भை ७شই॓ ਁಃॺॖঞ વଗ৬ை ⋎ऋ॒गॄअക ق௴ੈভك ਓை؞୫ൡ ૣක७থॱش ༡ഩ ⋋ঘॖথॳ क़ইॢشॖ ⋇१থॢشॖ ⋍೮ৃ ৃ ৃ ๘ ๘ ๘ ๘ ⋈ ⋊ ⋌ 宗教観・世界観に基づいて超常的な﹁力﹂を受け取ることができる場所 と認識している人がほとんどである。 そうした人々において斎場御嶽は、 別の場所と明確に差異化できる﹁特別な場所﹂という意味合いを持って いる。 このように﹁聖﹂の多元化は、訪問者において場所に対する重層的な 意味付けを引き起こすことになる。 互いに重なりあうことなく併存する、 斎場御嶽という場所についての複数の記号は、既に管理者側の一元的管 理の範囲を超え出ていることが明らかである 。 斎場御嶽という聖地は 、 南城市に存在する面積五四 ・ 九 haの空間であり 13 、その空間は地理的には 一つしか存在しない。 しかしその小空間に対する意味付けは複数存在し、 しかもそれぞれの意味付けは互いに交わることなく、矛盾を含みながら 併存しており 、﹁ 場所の政治﹂ ︹山崎 二〇一〇 五 五︺ と言うべき駆け引 きが顕在化している。消費という人間の集合的行為が、売り手の思うよ 図 7 斎場御嶽とその周辺図(筆者作製)