高齢者介護施設の救急搬送義務 : 東京地裁平成二 五年五月二〇日判決を契機として
著者 橋口 賢一
雑誌名 同志社法學
巻 68
号 7
ページ 2831‑2860
発行年 2017‑02‑28
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000135
( )高齢者介護施設の救急搬送義務同志社法学 六八巻七号六八三二八三一
高 齢 者 介 護 施 設 の 救 急 搬 送 義 務
――東京地裁平成二五年五月二〇日判決を契機として――
橋 口 賢 一
第一章 問題の所在第二章 東京地裁平成二五年五月二〇日判決
第一節 事実の概要
第二節 東京地裁の判断第三章 従来の裁判例・学説の動向
第一節 従来の裁判例の動向
第二節 林潤裁判官の見解第四章 私見の展開
( )同志社法学 六八巻七号六八四高齢者介護施設の救急搬送義務二八三二
第一節 介護契約に基づく安全配慮義務
第二節 実態に即した介護水準
第三節 救急搬送義務が問題となる場面
第四節 隣接する二つの専門性︱︱﹁介護﹂と﹁医療﹂︱︱
第五節
五第章結語 ﹁自立﹂の考慮
第一章 問題の所在 高齢者に対して介護サービスを提供する施設(以下﹁介護施設﹂)で介護事故
)1
(が発生し利用者が損害を被った場合、利用者側から施設運営者に対して損害賠償を求める訴訟が提起されることがある。現在においては、そうした裁判例もそれら裁判例を分析する議論も一定数の蓄積が見られる )2
(。これら訴訟の大半においては、利用者が転倒・誤嚥した場合の介護施設側の監視義務違反の有無が争点となるが、それに加えて、救急搬送義務違反の有無が争点となることもある。介護契約の約款には、利用者の病状の急変が生じたり利用者が緊急事態に陥ったりした場合に医療機関に搬送する、または主治医等に連絡して対処する旨の条項が設けられていることが多い。これを受けて、搬送すべきであったのに搬送されなかった、またはより早期に搬送すべきであったという主張がされるわけである。地域において効率的かつ質の高い医療提供体制および地域包括ケアシステムの構築をヨリ促すための法改正もおこなわれ )3
(、今後は医療と介護の連携がますます強調されるようになる。そうであるならば、この義務違反を問う訴訟提起の増加も予想されるが、この義務に関する検討は未だほとんど手付かずと言ってよい。
( )高齢者介護施設の救急搬送義務同志社法学 六八巻七号六八五二八三三 介護事故を巡る学説においては、(裁)判例および学説の蓄積が断然ある医療事故に関する議論を参照することに賛同が得られている。これを救急搬送義務の場面で考えてみれば、転送義務の議論が参考になりそうである。もっとも、医療機関ではない一定数の介護施設が訴訟当事者になっていることを踏まえれば、こうした議論をそのまま介護事故にスライドさせることには慎重になるべきであるように思われる。たとえば、患者を救急搬送するべきかどうかの見極めには、多分に医療の専門家としての視点が必要な場合が存し、医療機関が転送する場面と、介護施設が救急搬送する場面とは区別せねばならないことが多いはずである。介護施設が主体である場合の特徴を踏まえて、転送義務の議論が参照されるべきではなかろうか )4
(。この検討は、﹁介護﹂と﹁医療﹂という二つの専門性の関係を検討することでもある。
以上のような問題意識から、本稿では、今後その義務違反を問う訴訟が増加すると予想される介護施設の救急搬送義務に着目して、この義務の判断においていかなる考慮が要請されるのかを検討したい。そして、本稿では、検討を進めるに当たって、とりわけ東京地判平成二五年五月二〇日(判時二二〇八号六七頁)に着目する。介護施設の救急搬送義務について判示した裁判例は他にもあるものの、本判決が比較的新しく、かつ示唆に富んだ言及をおこなっているからである )5
(。
検討の順序として、まずはこの東京地判平成二五年を詳細に検討する(第二章)。その後、従来の裁判例の動向や学説の指摘を押さえる(第三章)。そして最後に、私見を述べる(第四章)。
( )同志社法学 六八巻七号六八六高齢者介護施設の救急搬送義務二八三四
第二章 東京地裁平成二五年五月二〇日判決 第一節 事実の概要⑴ X(大正一一年生、女性)は、平成一三年頃から認知症の徴候が生じ始め、平成一六年当時は要支援状態であり、預金通帳の度重なる再発行などの行動や妄想が目立ち始めていた。息子A
)6
(は、介護負担を軽減すべく通所介護サービスの利用を検討するようになった。⑵ 平成一六年一〇月二八日、Xは、Yとの間で、Y運営のデイサービスセンター(以下﹁本件介護施設﹂)において、送迎、食事提供、入浴介助、機能訓練等の通所介護サービスの提供を受ける旨の通所介護契約を締結し(以下﹁本件契約﹂)、一一月一日よりサービス利用を開始した(サービス利用時間は、週二回の午前九時半から午後四時まで)。
本件契約においては、Yが、Xに対し、介護保険法令の趣旨に従って、可能な限り居宅においてその有する能力に応じて自立した生活を営むことができるよう通所介護を提供し、Xがそれに対する料金を支払うこと、Yが利用者の日常生活全般の状況および希望を踏まえて通所介護計画を作成し、それに沿ってサービスを提供すること、通所介護の提供をおこなっているときにXの病状の急変が生じた場合その他必要な場合には、YがAに連絡するとともに、速やかに主治の医師や歯科医師に連絡を取る等の必要な措置を講ずることなどが合意された。⑶ Xは、平成二一年三月一一日、認知症が進行し、﹁要介護1﹂の判定を受けた。Yは、通所介護計画を改めて策定した(サービス利用時間は、週三または四回の午前九時から午後四時までで、サービス内容はそのままであるが、具体的な留意点として、①Xはプライドが高く他者との交流が持ちにくいため、レクリエーション等への参加を促し、交流が図れるよう支援すること、②入浴時の洗髪は職員が介助するが、身体は自力で可能なため残存機能を活用すること、
( )高齢者介護施設の救急搬送義務同志社法学 六八巻七号六八七二八三五 ③着脱の際は、着替えやすいよう配慮することが確認されている)。併せて、Xは、Yとの間で、本件介護施設に附属する宿泊施設(以下﹁本件宿泊施設﹂)の利用契約を締結し、土曜日の通所の際には同施設に宿泊することになった。⑷ Xは、平成二一年一一月二九日午後四時頃、介護サービスを受けた後、本件宿泊施設に移動するための送迎車両(以下﹁本件車両﹂)に一旦自力で乗車したが、担当のB(当時の本件介護施設の管理者)およびC(看護師)が他の利用者の乗車介助をおこなっていたときに、自ら降車しようとして転倒した(以下﹁本件事故﹂)。Xは、右足の痛みを訴えたが、外傷等の異常所見は見られず、自力歩行が可能であったことなどから、医療機関の診察を受けることなく本件宿泊施設に宿泊した。
Bは、午後六時頃、Aに電話し、Xが転倒し歩行の際に痛みを訴えているが、外傷等の異常所見は見られないので様子を見るつもりである旨を伝えた。AはBの方針を了承した。その後、Xは、午後七時頃、トイレに立ったが、本件事故後からの腰等の痛みが継続している状態にあった。D(宿直担当者)は、このようなXの状態を確認し、午後九時半頃、Bにその旨を電話報告した。Dは、午後一一時頃、トイレに立ち腰の痛みを訴えてソファーに座っているXを確認したが、その後翌日の午前五時まで、Xの状態に異常を確認することはなかった。⑸ 翌日(一一月三○日)の朝、Bは、Xが前日に増して足の痛みを強く訴えたため、Aに状況報告し病院で診察を受けることを勧めた。Xは、午前一〇時頃に自宅に戻された後、E病院に搬送された。Xは、同病院で右大腿骨頸部骨折の診断を受け、その後F病院で人工骨頭置換手術を受けた。⑹ Xは、Y職員が転倒防止義務を怠ったため転倒して骨折等の傷害を負い、その上、同職員が速やかに医師の診療を受けさせる義務を怠ったため翌日まで受傷状態のまま放置され、肉体的精神的苦痛を被ったと主張して、Yに対し、債務不履行または不法行為に基づき、慰謝料等の支払を求めた。
( )同志社法学 六八巻七号六八八高齢者介護施設の救急搬送義務二八三六
第二節 東京地裁の判断(【一】)
本件における争点は、①Yの転倒防止義務違反の有無、②Yの速やかに医師の診療を受けさせる義務違反の有無、③損害額、の3つであった。本稿が注目するのはこのうちの②であるためこの部分については詳細に取り上げ、その他については要点のみにとどめる。
⑴ 転倒防止義務違反の有無 の令法準基置配員人るめ定 7) 以用利の々個、﹁はY、上主﹂るすと的目な能をとこる者の力と、ていつに険危な能可がにこ体る応て具じ的に予見す 介を踏まえて通所提護サービスを供す希望びたよ立し及生活を営むことができるうてに利用者の日常生活全般の状況自 ﹁件護従に旨趣の令法険保介契、ていておにY、は約っ本、いじ応に力能るす有そてお利に宅居り限な能可が者用の
(⋮を満たす態勢の下、必要な範囲において、利用者の安全を確保すべき義務を負っていると解するのが相当である。﹂
ア本件事故当時、Xは要介護1で、会話による意思疎通が可能であった上、自力歩行でき、日常生活上の動作も第三者の介助に依らず可能であったこと、イXが、無断でトイレに立つことも、本件介護施設や自宅で転倒することもなかったこと、ウ本件事故が、五名の利用者を二名で送迎するサービスをおこなっている状況下で、B・Cが他の利用者の乗車介護中のごく短時間の隙に、Xが不意に席を立ち降車しようとして転倒したものであることから、Xが﹁他の利用者の乗車を介助するごく短時間の隙に、不意に動き出して車外に降りようとしたこと﹂を、Y職員において﹁具体的に予見するのは困難﹂であり、また前記状況下で、Y職員がXから目を離したことが、﹁介護のあり方として相当な注意を欠くものであった﹂とも言えないとして、Yの義務違反を否定した。
( )高齢者介護施設の救急搬送義務同志社法学 六八巻七号六八九二八三七 ⑵ 速やかに医師の診療を受けさせる義務違反の有無
。﹂さ等に照らて判断しれべきものであるる あの違反がにるかどうやそよ容内の務義のそ、りいともつかてのは状のXや制体的物的人態Y約る本件契、が提とす前 に速やかの医師助言はを、がに合場たじ生常異に等体身け受要、務必るれさ解とのもう負を。義べるせさけ受を療診なき 体命、身を等のけ安全の生用Xるあで者利、はにYた切適とにでび及命生管Xに中護介、ののがも理すこる期待される 容、こうした内きの介護を引受からる所際設施泊件本はる宿す通に日曜土あに宿泊こでのたっさにとなるを護介てせす Yおり、⋮要、Xがれ介てはさ意合が旨るず講を置措な1護たの所、し判策てめ改を画計護介定通け定て受をことを受け とと急るす絡連に先絡連家緊は又族の者用利がYに、も絡、医に要必の等る取を連に師科速歯は又師医の治主にかやは ﹁﹄通てっ行を供提の護介所にる現、﹃はていおに約契件いと合じ場な要必他のそ合場た生きが変急の状病の者用利に本 アB・Cは転倒状況を見ていなかったため、Xが転倒するに至った原因や経過、痛めた可能性のある身体の部分を判断できない状況にあったこと、イその後、B・Cが、Xの右足のつけ根や腰に外傷等の異常を確認できなかった上、Xが、痛みを訴えつつも自力歩行できる状態であったため、そのままXを本件宿泊施設に宿泊させることにしたこと、ウBは、Aに本件事故に係る状況報告をするとともに、本件宿泊施設に宿泊させる方針を告げ了承を得たこと、エXは、その後も翌朝まで腰や右足の痛い状態が継続していたが、宿直担当者Dはそのことを認識しBに報告していたこと、オ翌朝Bは、Xが前日にも増して足の痛みを強く訴えていることをAに連絡し、Xは、その後搬送された病院で右大腿骨頸部骨折の診断を受けたこと、が認められる。
も状そ、やとこたっなと態る後ず生をみ痛に部腰はしの、なもな的続継、くなはでのるこす消解に間時短が状症のい足 ﹁及事件本がX、は)DびCに、B(Y、ばれよに上故以右たてっよに因原のから何じり生に部内の体身、し倒転よ
( )同志社法学 六八巻七号六九〇高齢者介護施設の救急搬送義務二八三八
のであることを認識したのであるから、遅くともDがXの痛みの状態を確認した同日午後七時ころまでには、医師に相談するなどして、その助言によりXの痛みの原因を確認し、医師の指示に基づき、その原因に応じた必要かつ適切な医療措置を受けさせるべき義務を負ったというべきである(一般的に、高齢者が転倒した際に骨折、捻挫、脱臼等の傷害を負う危険が高いことは知られており、骨折している場合には、速やかにその部分を固定して医療機関の治療を受けさせるべきであること、骨折をした場合でも患部を動かすことができる場合があることについては、高齢者の介護を担当する介護施設において当然に認識すべき知見であると解される。)。しかるに、Bは、Xが、痛みを訴えながらも自力で歩行することができたことや、X又はAから病院に連れて行くようにとの要望を受けなかったことから、このまま本件宿泊施設に宿泊させることに問題はないものと判断し、⋮DからXの状態についての必要な情報を得た上、医師に対してXの状態を説明してその指示を受けることは容易であったのにも関わらず、このような措置をとることもなく、翌朝まで、Xを本件宿泊施設に留め置いたことが認められるから、Yは、Xに対する本件契約に基づく前記義務⋮に違反したものと言わざるをえない(なお、Bは、看護師であるCが、Xを病院に連れて行くようにとの指示をしなかったことを証言するが、CはY側内部の人物であり、同人がその判断を誤ったことがYの責任を免ずべき理由とならないことは明らかである。また、X又はAが、Xを病院に連れて行くように要望しなかったとしても、Aは直接にXの状態を確認できる立場にはなかったものであるし、自らの健康状態を適切に判断できる能力があったことに疑問があるXの言動によって、Yの前記義務が解除されるものでもない。)。﹂
、をす診受を関機療、医し固)よ分部折骨(分部るいてじる定うきらにるれらめ認とのもたかでをがと指示の受けること てに関する助置言を受けにいれば、直ち、痛みを生な措要Xしの症状等について説明をたの上で、Xの痛みの原因や必 ﹁は腿を害傷の折骨部頸骨大、っ右てっよに故事件本負Xた本後のそや況状の故事件しも対に師医、が⋮Y、での、
( )高齢者介護施設の救急搬送義務同志社法学 六八巻七号六九一二八三九 Xが翌朝まで⋮適切な医療措置を受けることができなかったことによって生じた肉体的精神的苦痛について、Yは債務不履行による損害賠償義務を免れないというべきである。﹂
⑶ 損害額 Xが本件事故翌日には医療機関を受診して必要な措置を受けており、Yの債務不履行によって、治療内容・期間に影響を生じさせたり、認知症を進行させたとまで言えないことや、医療機関を受診するまでのXの状態等の事情を斟酌し、﹁その損害賠償額は二〇万円を下らないものと認められる(XのYに対する不法行為に基づく請求について検討しても、同額の損害額を超えるものではない。)﹂とした(確定)。
第三章 従来の裁判例・学説の動向
第一節 従来の裁判例の動向
本節では、介護施設の救急搬送義務について判示している裁判例を五件取り上げ、それぞれについて簡単なコメントを付する。なお、この義務の判断に先行する他の何らかの義務の判断を併せて取り上げたものもある。
【二】 東京地判平成一六年四月一九日(『医療訴訟ケースファイル2』一一六頁〔判例タイムズ社、二〇〇七〕)
Y運営の介護老人保健施設に入所していたAの体重が次第に減少し、その後医療機関に転院したものの重症肺炎に基づき死亡した事案において、﹁健康管理に配慮し体重減少を未然に防止すべき義務﹂の違反を否定した後に﹁適切な時
( )同志社法学 六八巻七号六九二高齢者介護施設の救急搬送義務二八四〇
期に転院させるべき義務﹂について判断がなされている。すなわち、﹁Y施設においては、医師及び看護師が常勤しているものの、夜間には、医師はおらず、看護師も入所者一二〇人に一人の割合で配置されるのみとなる。また、入所者の体調が変化した場合には、一般的な感冒薬や解熱剤を投与する程度の簡易な対応はできるものの﹂、﹁肺炎が重症化して病院における処置を必要とする場合や、敗血症が疑われる場合には、Y施設で対応することはできないのであって、かかる場合には入所者を速やかに病院に搬送すべきである﹂。その上で、問題とされた三時点における経過観察には合理性があったとして、義務違反を否定した。【コメント】体重減少未然防止義務違反を否定した上で転院義務の判断がされている。医師・看護師が常勤していることを確認しつつも、問題となった時点の配置状況(医師不在)を前提とした判断をしていることが注目される。また、﹁肺炎が重症化して病院における処置を必要とする場合や、敗血症が疑われる場合﹂に、Yの転院義務が認められるとしているが(本件はこのような場合ではなかったが)、これは、Y職員が利用者がいかなる状況にあるかについて、あ 4
る程度 444判断できることを前提にしていると言えるだろう。なお、本件では、施設長による面会回数の制限に違法性を認め、慰謝料が認容されている(二〇万円)。
【三】名古屋地判平成一七年六月二四日(賃社一四二八号五九頁)
Y運営のケアハウスに入居中のAが、急性硬膜下血腫を発症し緊急手術を受けたものの後遺症を負いその後死亡した事案である。まず自立型ケアハウスは、﹁医療スタッフが必要とされておらず、入居者の体調管理は自己管理とされ、入居者の通院は入居者本人またはその家族の対応によるとされていた﹂から、施設運営者は、﹁入居者の体調不良に際して、救急車を必要とする場合には救急車を要請し、そのような場合でなければ、入居者の家族に連絡して、入居者本
( )高齢者介護施設の救急搬送義務同志社法学 六八巻七号六九三二八四一 人またはその家族による対応に委ねれば足り、自ら入居者を病院に搬送する義務までは負わない﹂とした。そして、﹁⋮事後的に観察すれば、体調不良のAを早期に病院に搬送する必要があったということはできる﹂が、午前一〇時三〇分頃、Aのバイタルチェックの結果に異常はみられず意識があったと認められ、急性硬膜下血腫を生じるような頭部外傷を疑わせるに足りる事故の存在も認められないことに照らすと、﹁医療機関でないYが、医療機関による治療を必要とする緊急事態であると判断することは困難であったというべきであり、さらに何らかの重篤な傷病の可能性を考慮して、Aを病院に搬送する必要があると判断することも困難であったというべき﹂とした。さらに、ア頻繁に経過観察していたこと、イ遅くとも午前一一時三〇分頃には、家族に対してAの体調不良の事実を伝え通院を勧めたこと、ウ調整の上、午後二時一七分にAを病院へ搬送したこと等の一連のYの対応は、﹁本件入居契約上の債務不履行﹂を構成しないとしてX(Aの遺族)の請求を棄却した。【コメント】自立支援型軽費老人ホームの特徴を踏まえ、救急車の要請を要する場合でなければ、施設側に救急搬送義務はないとしている。その上で、﹁事後的﹂には救急車の要請を要する場合ではあったが、問題となった時点を基点にすれば﹁医療機関でない﹂本件施設にその判断は困難であったとして義務の存在を否定していることは注目に値する。ここでは、Aの状態を観察していたのが看護師資格を有する者であったことも併せて押さえておかねばならない )8
(。結果として、経過観察をしながら家族に連絡をし、その後病院へ搬送したという一連の行為をもって、施設側の債務不履行を否定している。
【四】東京地判平成一九年五月二八日(判時一九九一号八一頁)
Y運営の特別養護老人ホームに入所していたAが、玉子丼を食べた際にかまぼこ片等を誤嚥して窒息し、三回目の急
( )同志社法学 六八巻七号六九四高齢者介護施設の救急搬送義務二八四二
変後に病院に搬送されたものの、約一年後に老衰を直接の原因として死亡した事案である。まずYは、Aに対して、﹁契約上、⋮入浴、排泄、食事等の介護等を提供するとともに、サービスの提供に当たって、契約者であるAの生命、身体、財産の安全・確保に配慮する義務を負い、また、Aの体調・健康状態からみて必要な場合には、医師又は看護職員と連携し、Aからの聴取・確認の上でサービスを実施すべき義務を負っていた﹂とした。その上で、アY職員らが、Aの食事摂取時には嚥下状態の観察を要する旨認識していたこと、イYに専門的な医療設備はなく、職員らは、医療に関する専門的な技術や知識を有しておらず、誤嚥が疑われる場合に応急処置として吸引処置を施したとしても、気道内の異物が完全に除去されたか否かを的確に判断することは困難であったこと、ウ救急隊員の到着時点でAは呼吸停止、心停止状態にあり、入院後も、意識はなく開眼もしない状態のまま推移したこと、エ二回目の急変後、Aは意識があり、高度の脳障害にまで陥っておらず、これまでの時点で救急隊員が到着していれば、意識障害の程度を軽減できた可能性が認められないわけではないこと等から、Y職員らは、Aに対し﹁吸引の処置を施した結果、容態が安定したように見えたとしても、引き続きAの状態を観察し、再度容態が急変した場合には、直ちに医療の専門家である嘱託医等に連絡して適切な処置を施すよう求めたり、あるいは一一九番通報をして救急車の出動を直ちに要請すべき義務を負っていた﹂が、介護職員らは、﹁二回目の急変後も、⋮常時Aのそばに付いて様子を見ていたわけでなく、他の入所者の介助をしながら様子をうかがうという程度であった﹂として、Yの過失を認め、X(Aの遺族)の請求を一部認容した(不法行為責任、三〇〇万円弱)。
【コメント】施設側に﹁医療﹂に関する専門的な設備・技術・知識がない以上、応急処置を施したとしても異物の完全除去を的確に判断できないことから、容態が安定しているように見えても容態の急変に備えた﹁常時﹂の﹁観察﹂が施設側に求められている。そしてこの﹁観察﹂によって利用者の容態急変を発見したとき、﹁嘱託医へ連絡して適切な処
( )高齢者介護施設の救急搬送義務同志社法学 六八巻七号六九五二八四三 置を施すよう求める義務﹂や﹁救急車を要請する義務﹂の遂行が求められるわけである。もっとも、本判決はむしろそこに至るまでの﹁観察﹂の程度を非難し過失を認定している )9
(。また、施設側の義務を契約に基づいて認めながらも、結論としては不法行為責任(七一五条責任)を認めていることも注目される。
【五】さいたま地判平成二二年三月一八日(判タ一三四四号一五三頁)
Y運営のグループホームにおいて認知症対応型共同生活介護を受けていたAが、嘔吐、下痢等の症状を呈した後に搬送先の病院で死亡した事案において、アAの状態(午後一〇時一〇分には声掛けに対し﹁大丈夫、大丈夫﹂と答え、午後一〇時四〇分には血圧や脈拍に異常はなく、午後一一時三〇分から翌朝までは入眠)を見たB(Y職員)が、再度看護師Cと連絡をとって指示を受け、当直D(Y職員)が指示に従って水分補給を継続的に試み、概ね三〇分間隔でAの状態を観察していたこと、イBがX(身元引受人)にAの状態を説明し、Xの意向をも確かめた上で、本件施設で経過観察することをもって、﹁本件契約上Yに課せられた注意義務を果たしている﹂として、﹁午後一〇時四〇分以降直ちに亡Aを医療機関に救急搬送すべき義務﹂を否定し、X(Aの遺族)の請求を棄却した。
【コメント】Xの主張する健康阻害事故の存在を否定した後、三時点における救急搬送義務の判断をした事案である。取り上げたのはこのうちの午後一〇時四〇分以降の救急搬送義務の判断であるが、そこでは、Aは結果的に搬送先の病院で亡くなっているものの、外部の看護師と連絡をとりその指示に従っていること、身元引受人の意向をも確認した上で三〇分間隔の経過観察をしていることをもって、義務の存在を否定している )₁₀
(。なお、控訴審である東京高判平成二二年九月三〇日(判タ一三四四号一五二頁)も同趣旨の判断をして控訴を棄却している。
( )同志社法学 六八巻七号六九六高齢者介護施設の救急搬送義務二八四四
【六】 東京地判平成二四年五月三〇日(LEX/DB25494121) グループホームを運営するYと短期入所生活介護契約を締結したXが、介護を受けていた際にベッドから転倒して頭部を受傷した事案において、まず、介護契約の付随義務として、YはXに対し、﹁その生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務﹂を信義則上負担するとした上で、その義務の内容・違反については、﹁本件介護契約の前提とするYの人的物的体制、Xの状態等に照らして現実的に判断すべき﹂とした。そして、転倒防止義務につき、﹁本件施設の職員体制及び設備を前提として、他の利用者への対応も必要な中で﹂義務を尽くしたとしてその違反を否定した。また、緊急搬送義務につき、アXに本件事故(午前六時二〇分頃)後意識があったこと、イYがXを経過観察していたところXが午前九時五五分になって吐き気を訴えたこと、ウXが午前一〇時一〇分に病院に搬送されたことから、﹁Yが本件事故後直ちにXを病院に救急搬送すべき状況にあったとはいえない﹂としてXの請求を棄却した。
【コメント】具体的な義務違反を判断する前に、Yが介護契約の付随義務として﹁生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務﹂を負い、その判断は﹁人的物的体制﹂や利用者の﹁状態﹂等に照らして﹁現実的に﹂すべきとし、実際、転倒防止義務に関してそのような判断がされている。また救急搬送義務に関しては、事故後に意識があったことをもって経過観察するにとどめたことにとどまらず、﹁吐き気﹂を訴えた段階で迅速に救急搬送したという事後の経過をも確認した上で、事故後すぐの時点での義務の存在を否定している。
第二節 林潤裁判官の見解
介護施設の救急搬送義務について、学説で言及されることはあまりないのが現状である。そうしたなか、この義務を含めて介護者の義務を体系化し、救急搬送義務についてもまとまった言及をしているのが林潤裁判官である )₁₁
(。
( )高齢者介護施設の救急搬送義務同志社法学 六八巻七号六九七二八四五 まず林裁判官は一般論として、医療水準に関して判示した最判平成七年六月九日(民集四九巻六号一四九九頁)を参考に、介護事故においても﹁﹃介護当時の介護の実践における介護水準﹄に照らして注意義務の内容・程度を認定判断することが相当﹂とする )₁₂
(。これは、介護老人福祉施設、介護老人保健施設、介護療養型医療施設などといった介護施設によって要求される指針が法令等により異なり、それにより介護の内容等も変わってくることを受けたものである。
そして、救急搬送義務についても、﹁介護施設の機能や性格によって、常勤する医師や看護職員の有無・数や手術室、処置室、臨床検査室等の医療設備の有無・内容にも差があるので、介護施設を一括りとして、医療機関への救急搬送義務を論じるのは相当ではない﹂とし、いかなる場合に義務が生じうるかについては、﹁被介護者に対して医療的処置を施す必要性・緊急性の程度と当該介護施設の人的体制や物的設備の状況などを総合的に勘案して決するほかはない﹂と言う )₁₃
(。
第四章 私見の展開 東京地判平成二五年(︻一︼)は介護施設の﹁速やかに医師の診療を受けさせる義務﹂違反を認めたが、その判断プロセスからいかなる示唆が得られるであろうか。以下、順を追って検討していきたい。
第一節 介護契約に基づく安全配慮義務
﹂期す。るいてし認確を待るわす対に設施護介の側者なち利体理管に切適を全安の等身、﹁、命生のXるあで者用利用た ︻療の﹂務義るせさけ受を診断の師医にかや速﹁は︼判一し約結締を約契泊宿びよお契す護介所通、てっ立先にるを
( )同志社法学 六八巻七号六九八高齢者介護施設の救急搬送義務二八四六
されることへの期待である。﹁速やかに医師の診療を受けさせる義務﹂はそれを一具体化したものとして示されている。
この期待は、義務として示されているわけではないが(先の転倒防止義務の判断において﹁安全を確保すべき義務﹂について言及したことも影響しているのかもしれない)、︻四︼(﹁契約者であるAの生命、身体、財産の安全・確保に配慮する義務﹂)や、︻六︼(﹁その生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務﹂)と同様、介護施設運営者の負う安全配慮義務を企図したものと言えるだろう。従来から転倒や誤嚥の事例における監視義務の争われた裁判例で、具体的な義務を論ずる前提としてこの安全配慮義務は確認されてきたが、︻一︼はその流れを受けたものと思われる )₁₄
(。
もっとも、︻一︼、︻四︼および︻六︼には相違が見られる。まず、︻一︼および︻四︼はこの義務を契約に基づくものとしているのに対し、︻六︼はこれを契約に付随するものとしている。こうした相違は、近時の議論に即して考えれば理解可能である )₁₅
(。すなわち、安全配慮義務論は﹁今日ではもはや保護義務論あるいは拡張された契約責任構成にとって代わられつつ﹂ある )₁₆
(。そして、その保護義務には三つのタイプが存在し、その一つが﹁完全性利益の保護が契約上で保障された給付利益を構成している場合﹂である )₁₇
(。︻一︼および︻四︼はこのような理解から、その後の医師との連携をも見据えて、介護サービスの提供を受ける利益と完全性利益の保護とが密接不可分であると考えたのであろう(契約書面に安全配慮義務を明示する条項が置かれていたことも一因であろう )₁₈
()。他方で、︻六︼は、契約規範を安易に完全性利益へと拡張すべきでないとの指摘を踏まえ、介護サービス提供を受ける利益と完全性利益の保護とを区別しているものの、なお両者の密接な関係性を意識しているように思われる(契約書面にこれを定める条項が置かれていなかったものと推測されそれも一因であろう)。なお、︻一︼は﹁不法行為に基づく請求について検討しても、同額の損害額を超えるものではない﹂として、﹁債務不履行に基づく請求﹂との相違を示唆している。これは医療事故における議論状況と対照的であるが、﹁不法行為に基づく請求﹂においては、完全性利益の保護に向けた注意義務が端的に問題とされること
( )高齢者介護施設の救急搬送義務同志社法学 六八巻七号六九九二八四七 になろう。
次に、︻一︼および︻六︼が﹁債務不履行に基づく請求﹂について判示するのに対し、︻四︼は上述の通り安全配慮義務を契約に基づいて認めながらも、﹁不法行為に基づく請求﹂について判示している。︻四︼は、転倒事例においては契約責任を認める傾向が強い一方で、誤嚥事例においては不法行為責任を認める傾向が強いという従来からの指摘に即したものであり、菊池教授も指摘するように﹁生命という被侵害利益の重大性﹂に鑑みての判断ではないかと思われる(︻一︼および︻六︼は転倒事例) )₁₉
(。
結局のところ、介護契約の構造をいかに理解し、施設運営者の債務である﹁介護サービスの提供﹂をいかに捉えるかがここでは問題となってこよう。本稿では、紙幅の都合からこれらの問題について真正面から取り組むことはできないが、後者については、第四節で若干言及する。
第二節 実態に即した介護水準
介護義務者の期待をXの生命・身体に異常が生じた場合に即し具体的な義務として提示した上で︻一︼は、①当該介護施設の人的物的体制、そして②利用者の状況を前提にした判断を志向している。①は、法令によって介護施設の人的物的体制に関する基準が定められていることを踏まえたものであり、②は、利用者の状況に応じて義務内容が変化していくことを踏まえたものと言えよう。
このうち①に関しては、医療水準に関して判示した最判平成七年六月九日を参照すべき旨の指摘をしていた林裁判官の見解が参考になる。医療水準とは、医師の臨床上の行動準則として位置付けられるものであるが )₂₀
(、同判決はこれを一律に捉えるべきではなく﹁当該医療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情﹂を考慮して相対的に設定
( )同志社法学 六八巻七号七〇〇高齢者介護施設の救急搬送義務二八四八
すべきとしたものである。これを介護に即していうならば、﹁当該介護施設の性格、所在地域の介護環境の特性等の諸般の事情﹂を考慮して相対的に介護の水準を設定すべきこととなるが、これはひとまず介護施設の法令上の位置付けを考慮することを意味していると言えるだろう。
前章までで取り上げた裁判例に登場する介護施設だけでも、デイサービスセンター(︻一︼)、介護老人保健施設(︻二︼)、ケアハウス(︻三︼)、特別養護老人ホーム(︻四︼)、グループホーム(︻五︼)、短期入所生活介護施設(︻六︼)と多彩である )₂₁
(。これら主体によって、契約内容も、根拠法も、人的物的に要求される基準もそれぞれ異なる。また地域差も存する。そして、当該施設の人的物的体制はこれらの基準にいわば制約される。介護契約は、﹁行政の関与を最小限にとどめ、国家の関与は制度の枠組みを作ることだけに限定したとしても、給付されるサービスの性質が、一定の制約を必然的に要請する﹂と指摘される所以である )₂₂
(。
このように多彩な介護施設の介護の水準を考えていくにあたっては、ひとまず﹁医療寄りの施設﹂と﹁そうでない施設﹂に大別すると見通しが立ちやすくなる )₂₃
(。介護保険施設で言うなら、︻二︼は、看護、医学的管理のもとでの介護および医療並びに日常生活上の世話をおこなうことを目的とする﹁介護老人保健施設﹂(介護保険法八条二七項)のため、﹁医療寄りの施設﹂に分類でき、︻四︼は、老人福祉法に基づき設置される特別養護老人ホームであって、入浴・排泄・食事等の介護その他の日常生活上の世話、機能訓練、健康管理、療養上の世話をおこなうことを目的とする﹁介護老人福祉施設﹂(介護保険法八条二六項)のため、﹁そうでない施設﹂に分類できよう。また、﹁入所施設﹂以外の介護保険施設である︻一︼や、介護保険施設以外の介護施設である︻三︼、︻四︼、︻五︼および︻六︼は、それぞれの目的を踏まえれば﹁そうでない施設﹂に分類できるだろう。
ここで﹁医療寄りの施設﹂に該当する場合、医療水準に基づいた判断が可能であるように思える。介護療養型医療施
( )高齢者介護施設の救急搬送義務同志社法学 六八巻七号七〇一二八四九 設(介護保険法旧八条二六項)のように病院または診療所をも兼ねている場合、それは妥当であろう )₂₄
(。しかし、この分類に該当するそれ以外の施設につき、裁判例は、法令上の基準のみによって形式的に判断しているわけではない。そして、このような傾向は、﹁そうでない施設﹂においても同様に見られるのである。
たとえば、医師が﹁常置﹂である場合に、それを前提に医師を基準とした判断をする裁判例がある一方で(特別養護老人ホームにおける事案である広島地判平成二六年三月四日︹判時二二七一号五五頁︺およびその控訴審である広島高判平成二七年五月二七日︹判時二二七一号四八頁︺)、︻二︼のように、医師・看護師の常勤を確認しながらも、夜間の医師のいない現実的な体制をもとに判断するものがある。また、看護師が常駐している介護老人保健施設における事案である大阪地判平成二四年三月二七日(判タ一三八四号二三六頁)においては、﹁本件施設で医療行為に従事する看護師に求められる注意義務の水準は、特に安全確保の面に関していえば、一般の医療機関における看護師が医療行為を行う際に求められる注意義務の水準と比較して、同程度のものと解するのが相当﹂とし、あくまで医療機関における﹁看護師﹂と同様の注意義務の水準をもとに判断している。
このように、﹁医療寄りの施設﹂だからといって、必ずしも医療水準に依拠した判断がされるわけではなく、また﹁そうでない施設﹂だからといって、必ずしも医療水準に依拠しない判断がされるわけでもない(あくまで一応の目安である)。介護施設に﹁常に﹂監視することを求める裁判例に対して(利用者側の状況や利益を重く見ての判断と推測される) )₂₅
(、実態を理解しないものであるとの批判が投げかけられてきたことも考えれば )₂₆
(、介護施設毎に問題となった時点における実態に即した水準を設定していくのが妥当である。︻一︼の﹁具体的に予見﹂や、︻六︼の﹁現実に﹂という表現はこうした姿勢を顕著に示すものと理解できるだろう。
ここで介護施設毎に水準を設定すると言っても、﹁介護﹂という専門性をどのように評価するべきかという問題が解
( )同志社法学 六八巻七号七〇二高齢者介護施設の救急搬送義務二八五〇
決されねばならない。ただその前に、本稿の検討対象である救急搬送義務がどのような場面でどのように問題となるのかを踏まえておかねばならない。
第三節 救急搬送義務が問題となる場面
救急搬送義務は様々な局面で問題となりうる。本節では、この義務が問題となる場面を時系列で構造化してみることとしたい。
救急搬送義務が問題となる場合、︻一︼もそうであるように、先行する事故に係る義務違反の有無が争点となっていることが多い。それはやはり、こうした事故の存在によって医療機関へと搬送すべき事態に陥りやすいからだろう。もっとも、利用者が高齢者かつ要介護者等であることから、︻二︼、︻三︼および︻五︼のように、こうした事故が先行することなく緊急事態に陥ることも少なくはないはずである )₂₇
(。
いずれにせよ介護施設には監視義務が認められ(この義務の違反は、前節で述べたように施設毎に設定される水準により判断される。︻四︼はこの義務を怠った事例である)、その義務が遂行されれば次に緊急事態と﹁おぼしき﹂事態に直面することとなる。ここでは⒜緊急事態でない場合と⒝緊急事態である場合とに大別できるが、この区分は客観的に判断することが可能である。そしてその判断をするためには、事後の経過を見る必要がある。︻一︼を含む多くの裁判例において、医療機関に搬送され医療の専門的な診断・治療を経るまでの経過が確認されているのは、このような理由からと理解できる。
まず⒜に該当する場合、そもそも救急搬送義務は発生しないこととなる。緊急事態にあるから救急搬送されるべきなのであって、そうでなければ義務が発生しないのは言うまでもない。︻二︼、︻五︼および︻六︼はここに属するであろう。
( )高齢者介護施設の救急搬送義務同志社法学 六八巻七号七〇三二八五一 なお、前二者は、ある程度医療の知識に裏打ちされた判断が可能であった事例であり )₂₈
(、後者はそうでなかった事例である。
次に⒝に該当する場合は、さらに細分化する必要がある。すなわち、アその事態を判断し得た場合と、イその事態を判断し得なかった場合である。ここでアに該当する場合、緊急事態であると判断した上で医療機関へ時宜に適って搬送したならば義務を尽くしたことになるが、そうでなければ義務違反となる。具体的には、ⅰ判断し得たにもかかわらず判断しなかった場合(︻一︼はここに属する)のみならず、ⅱ緊急事態であると認識したものの、自らの施設で対処が可能でないにもかかわらず対処可能と判断した場合やⅲ緊急事態であると認識しながらも漫然とこれを放置した場合が想定されよう(時宜に遅れて搬送した場合を含む)。他方でイに該当する場合は、そもそも搬送義務は発生しなかったことになる。︻三︼がここに属するであろう。客観的には緊急事態であっても、当該施設の実態に即して考えればその判断が困難である以上、それが少なくとも法的に非難されることはない。ただ、︻三︼は、緊急事態の判断を可能にするような事後の事態を見逃さないための監視をはじめとして一連の介護行為がなされたかどうかが厳格に判断されている。少なくとも緊急事態か否かの判断が求められるような兆候が利用者に見られることから、それに備えた相応の義務が安全配慮義務に基づき認められていると理解できよう。
このアおよびイの区分は、当該介護施設の専門性に依拠して判断されることとなる。介護療養型医療施設の場合は上述した通り、医療水準に依拠すれば足りるが、それ以外の施設の場合は、監視や誤嚥の際の処置などの場面に比して、﹁医療﹂という専門性との関係性をヨリ強く意識せざるを得ない﹁介護﹂の専門性の評価が問題となってくる )₂₉
(。以下、節を変えて検討する。
( )同志社法学 六八巻七号七〇四高齢者介護施設の救急搬送義務二八五二
第四節 隣接する二つの専門性――「介護」と「医療」――
転送義務に関して判示した最判平成一五年一一月一一日(民集五七巻一〇号一四六六頁)で争点の一つとなったのは、開業医が高度な医療機関へ転送すべきと判断するタイミングであった )₃₀
(。最高裁はここで、患者の疾患を自己の技量・設備では適切に対応できないことを適切な時点で見極められなかったことを非難している。この判決に関しては、自己のもとで治療するか転送するかの前提となる﹁診断﹂の問題に他ならず、診療過誤一般の判断と同視できるとの指摘がある )₃₁
(。介護事故に目を転ずれば、医療施設と同視できない環境であるなら、そもそも﹁診断﹂を可能にする体制にない。前節のアとイの区分に係る判断を可能にする水準を分析していくにあたっては、出発点としてまずこのことを押さえておかねばならない。
てルが﹂スビーサなマ外ーォフンイたき﹁部れいち持を緯経うと化たし﹂化会社・ ₃₂) ﹁ら学さなが摘指な々様上説はててっ巡を性門専の﹂護れきずお、﹁本来介族の中で行わてたれさ占独務業は護介。家
(、業務独占の士業を対象として議論されてきた従来の専門家責任とは異なることもその背景にある )₃₃
(。
額田洋一弁護士は、介護職員の専門性を強調する。介護契約をも含む﹁福祉契約﹂の特性の一つとして、﹁福祉サービスの高度の公共性、サービス提供者の専門性﹂を挙げ、﹁福祉サービスの提供者は、利用者の生命・健康、生活を支えるという高い公共性を持つ業務に携わる者であり、それにふさわしい高度の倫理性が要求され、他方利用者からは厚い信頼が寄せられる。したがって、私法上も通常の契約当事者、一般事業者より高度の注意義務が要求される﹂とする )₃₄
(。
他方で、品田充儀教授は、介護職員の専門性に懐疑的である。すなわち、﹁医師および看護師の場合には、医師法ならびに医療法等において専門家としての個人の責任が明記され、そのための教育と位置付けがなされているが、介護の
( )高齢者介護施設の救急搬送義務同志社法学 六八巻七号七〇五二八五三 現場における直接処遇職員についていえば、個人の責任規定はなく、また一定の資格制度はあるものの業務独占を保証するものでもない﹂。また、﹁介護福祉士についてみた場合、高齢者の心身機能への知識や危険性回避への判断能力において、一般人と異なる﹃専門的見地﹄といえるものがどの程度存在するかは疑問﹂とする )₃₅
(。
一見すると対立しているように見えるこれらの指摘をどのように受け止めるべきだろうか。額田弁護士の強調する介護の公共性をはじめとする介護契約の特徴に鑑みるならば、一般論として介護施設ないし介護事業者には高度な注意義務が認められると解すべきである )₃₆
(。しかしそれはあくまで、物的人的体制を踏まえて具体化されなければならないものである。懐疑的な論者の指摘は、このような一般論を否定するというよりはむしろ、個々の場面での具体的な注意義務の内実と一般論との隔りを直視し、こうした一般論の提示の意義を問うものではないか。しかしながら、この点に関してはもはや解釈論の域を超えると言わざるを得ない。
では具体的に救急事態の見極めにおいて、﹁介護﹂の専門性をどのように捉えて判断すべきだろうか。ここで︻一︼が﹁一般論としての知見﹂に加えて、﹁福祉施設なら当然に押さえておくべき知見﹂を提示していたことが参考になる。この知見は、介護の専門性に依拠した、医師に要求されるものでもない、福祉施設に要求される知見である。わざわざこのような知見が明示されたのは、緊急事態の見極めの可否を具体的に判断するにあたっての水準が必要だったからと言えるだろう。﹁医師でない﹂ことを強調するにもかかわらず、緊急事態の見極めを判断するための水準を明示しない︻三︼と対照的である。今後は、問題となっている事態において当該介護施設に対して要求できる知見は具体的に何かを探り、こうして明らかになった水準に基づいて緊急事態発見の可否が判断されるべきである。ちなみに、﹁緊急事態を判断し得た﹂と判断されるのは、介護施設側が救急搬送が必要である原因を具体的に特定できていた場合に限られない。介護施設側が何らかの原因により救急搬送が必要であると考えるべきであった場合もそうである(︻一︼の﹁身体の内部に
( )同志社法学 六八巻七号七〇六高齢者介護施設の救急搬送義務二八五四
生じた何らかの原因﹂および︻三︼の﹁何らかの重篤な疾病の可能性﹂という表現はこのような意味で理解すべきであろう)。医療の知識を要求できない施設においてはとりわけ後者が問題になると考えられ、そこでは介護施設のスタッフの知見によってどこまで﹁何らかの原因による救急搬送の必要性﹂という認識に至り得たかを検討することが求められよう。
もっとも、︻一︼は骨折の事案であったため、示された知見は介護施設に対して一律に要求されるものであったが、本来は介護施設の実態にヨリ即したものであることが望ましい。ヨリ複雑な判断が要請される場合、問題となる施設毎に人的物的体制が異なることからすれば、それを反映させた水準こそが設定されるべきではないだろうか(︻一︼のように看護師がいるなら、当然そのことも反映されると考えるべきである)。
第五節
「自立」の考慮
高齢者福祉においては、利用者自身の﹁自立﹂の考慮が求められる(老人福祉法一〇条の三や介護保険法一条など)。救急搬送が問題となる場合には、この点をどう考慮すべきだろうか。︻一︼ではこの点は先鋭化していないが、はっきりと問題化するのは、施設側が病院搬送すべきという方針を示したにもかかわらず、本人や家族がそれを拒絶する場合であろう。
まず、施設利用者自身が拒絶した場合、利用者が高齢者かつ要介護者であることが多いことを考えれば、利用者自身から拒絶の意思が示されたからといって即座にそれに従うことには慎重でなければならない。︻一︼のいう﹁自らの健康状態を適切に判断できる能力﹂がない場合は特にそうである。では、この能力が認められる場合はどうだろうか。トイレ内での転倒事例に関する横浜地判平成一七年三月二二日(判時一八九五号九一頁)は、漫然と利用者の意思(便器
( )高齢者介護施設の救急搬送義務同志社法学 六八巻七号七〇七二八五五 まで介助なくして一人で歩くこと)に従うことは許されず、施設側は介護を受けない場合の危険性とその危険を回避するための介護の必要性に関する専門的な見地からの説明のみならず説得する義務を負うと判断した。この判決を受けて、要介護者に対する﹁応答﹂から介護者の義務を考える﹁ケアの判断枠組み﹂を提唱する指摘もある )₃₇
(。救急搬送義務が問題となる場面では、利用者が緊急事態にあることが前提であることからすれば、そうした場合にまで利用者の意思を絶対的に尊重することが自立支援の理念に適うかどうかは果たして疑問である。︻一︼が転倒防止義務の文脈では利用者の自立について言及しているにもかかわらず、救急搬送義務の文脈ではそれについて一切言及していないことも示唆的である。仮に意思の尊重される場合があったとしても、横浜地判平成一七年のような説得がなされた上でのことと考えられ(こうした説得の場面でこそ﹁介護﹂の専門性の発揮が求められる)、拒絶の意思の尊重が許容される場面は非常に限定的であるように思われる。
家族が拒絶した場合についても同様の指摘ができる。約款には家族への連絡が明記され、︻一︼もそうであるように、実務上まずは家族への連絡がなされている。この場合も、家族の意思に即座に従うべきではないだろう。︻一︼も言うように、家族が﹁直接に﹂現状を確認できない場合がほとんどであって、やはりここでの意思の絶対的な尊重は自立支援の範疇ではないと考えられるからである。仮に意思が尊重される場面があるとしても非常に限定的であるように思われる。家族の意思はむしろ、施設側が緊急事態と考えていないにもかかわらず救急搬送を希望したときにこそ尊重されるべきであろう )₃₈
(。