東南アジアにおける労働集約型工業化論の成立
著者 杉原 薫
出版者 法政大学経済学部学会
雑誌名 経済志林
巻 73
号 4
ページ 163‑179
発行年 2006‑03‑03
URL http://doi.org/10.15002/00001950
1.はじめに
アーサー・ルイスの「無限労働供給」論文(Lewis 1954)の段階におけ る開発経済学では,不熟練労働の動員による経済発展の可能性は強調され たが,労働の質の向上による工業化のイメージは明確ではなかった。その 点は,ラニス,フェイなどの研究にも継承されている(Fei and Ranis 1964)。一般に,当時の経済成長論(Lewis 1955など)では,遊休労働力
の利用に加えて,制度,資本,貿易,政府による計画の役割や,技術進 歩,インフラ整備の戦略的重要性は強く意識されていたが,経済発展にと っての人的資本形成の必要性は,政策的な議論の焦点とはならなかった。
初等教育,中等教育の普及を図り,それに対応して良質の雇用の拡大をど う起こすか,そのための工業化,産業構造の高度化をどのように進めるか という問題関心は,ごく抽象的なものにとどまっていたように思われる。
それには歴史的な理由がある。19世紀中葉までの西ヨーロッパの経済発 展は,私的所有権の確立と,産業革命を担った技術革新によって可能とな った。けれども,リンダートによれば,そこでは「私的所有権ルート」と でも呼ぶべき,物的資本への投資にもとづく経済発展への一つのルートが 発見されたに過ぎず,人的資本の形成による発展はあまり見られなかっ た。義務教育はもちろんのこと,救貧法ですら,支配階級の利害にそぐわ
杉 原 薫
東南アジアにおける労働集約型
工業化論の成立
ないところでは実施されないことが多かった。これに対し,19世紀末以降 の欧米,日本では,義務教育が普及し,国家の徴収した税金の再配分を伴 う,本格的な人的資本の形成が行われるようになった。両大戦間期のアメ リカでは,中等教育も普及した。戦後,その傾向はさらに強まった。大衆 が政治に参加するようになり,教育や福祉の充実を要求し始めたこともあ るが,それだけではない。一国の識字率が高まるだけでなく,大衆の教育 水準が全体的に上がり,労働の質が向上することは,技術革新を進め,そ の国の「競争優位」を維持するという観点からも必要だと考えられるよう になった。そして,これが,従来のルートに加えて,人的資本への投資に もとづく経済発展のもう一つのルート, 人的資本ルート」を作り出した
(Lindert 2003, 2004)。
20世紀後半にこのルートの重要な担い手として登場したのは, 東アジ アの奇跡」を起こしたアジア諸国だった。東南アジアでも,1970年代以 降,工業化戦略と人的資本形成との関係をめぐって活発な議論が交わされ てきた。しかし,この地域は,植民地期に私的所有権制度がある程度導入 され,第一次産品輸出経済として発展したものの,第二次大戦後にいたる まで本格的な工業化の経験を持たなかった(杉原 2001)。人的資本への投 資も限られていた。そのような地域で,工業化戦略は,いかなる事例を参 照し,どのような議論を経て構築されたのか。
本稿では,1980年前後に時期を限定し,ASEAN 4(フィリピン,イン ドネシア,マレーシア,タイ)に焦点をしぼって, 人的資本ルート」に よる経済発展の構想がどのようにして形成されていったかを比較史的に整 理する。主として依拠するのは,ILOのARTEP(Asian Regional Pro- gramme for Employment Promotion.当時はバンコックに本拠があった)
の政策論的,実証的な研究であるが,必要に応じて背景となるアジアの経 済発展の動向や開発経済学の議論にも言及したい。
2.不熟練労働を利用した工業化
インドの工業化戦略とその反省
戦後独立を達成したアジア・アフリカ諸国にとって,政治的経済的自立 は大きな国家目標であった。とくに東南アジア諸国にとっては,植民地期 から一定の工業化の経験を持ち,非同盟主義のリーダーでもあったインド の工業化戦略の影響は,共産中国の社会主義国への影響と並んで,重要な 参照事例であった。
経済的自立の内容としては,重工業を核とする先端的な技術を内生化し た,本格的な工業化が想定されていた。インドの第二次五カ年計画(1956
‑1962年)は,そうした戦略の代表である。鉄道などのインフラの維持,
整備や,鉄鋼などの基幹産業の発展が強調され,資本財の供給が自立化す れば,それが消費財部門の発展を牽引し,経済全体の成長が可能になるも のとされた。また,UNCTADでも議論されたように,これまで先進国か ら輸入してきた工業品を,できるだけ早く自給できるようになることが目 標とされた。この,いわゆる輸入代替工業化論は,インドではとくに厳密 に解釈され,自国の近代工業が国際競争にさらされないような環境が形成 された。為替レートは高めに設定され,輸出競争力を犠牲にしても,必要 な工業品や資源だけを安く輸入しようとした(杉原 2003)。
しかし,一人当たりGDPの水準で見ると,すでに1960年代中葉にはイ ンドは,東アジアだけでなく,東南アジア諸国にも,大きな遅れをとりつ つあるのは明らかであった(表1参照)。重工業優先発展策で想定されて いたトリックル・ダウンが実現していない。農村には貧困と偽装失業が堆 積している。そうした関心から,失業の定義や計測をめぐって活発な議論 が行われ,いわゆる不完全就業(underemployment)の実態に統計的に せまる努力が続けられた。そして,第5次(1974‑1979年),第6次(1980
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‑1985年)の5カ年計画には,雇用の問題が計画のなかに明示的に導入さ れた。
にもかかわらず,第三世界での工業化を推進するためには,まず資本集 約的な工業を発展させなければならないという発想には基本的な変化がな かった。この点は,ILOにおいてベーシック・ニーズ戦略が提起され,世 界銀行のマクナマラ総裁も,援助の対象を貧困にしぼるという政策転換を 示唆した時,多くのインドの経済学者が,先進国と発展途上国の格差是正 の基本は,あくまで工業化における格差の是正にある,貧困の問題はイン ド型の工業化戦略の枠内で解決されなければならない,としたところに良 く示されている(例えばARTEP 1980,43‑54,参照)。さらに,先進国は 第三世界の工業化からくる競争を恐れ,援助を工業化ではなく,貧困の救 済に限定しようとしている,その意味でベーシック・ニーズ戦略は南北問 題を固定化するものだ,とも論じられた。そこでは,貿易の相互利益が事 実上否定されているだけでなく,追いつきの過程では資本財は独自で開発 するだけでなく,輸入したほうが効率的なこともあるはずだ,という論点 も否定されている。技術導入,多国籍企業の誘致についても否定的であ る。シンは,毛沢東の戦略と中国の達成を肯定的に参照しつつ,貧困の撲 滅と工業化とが矛盾しないことは証明済みであ る,と 論 じ た(Singh 1979)。
表1 アジア諸国の工業化指標,1985年
(出所)Maddison 2003,164‑65 and184‑85.World Bank 1987,206‑207.World Bank 1988,236‑37.
こうして,成長を主たる目標とする五カ年計画では,所得分配はそれに 勝る課題にはならなかった。インドにおけるベーシック・ニーズ戦略の歴 史をコメントしたK.N.ラージによれば,この問題に公的に言及した1962 年の文書は,たしかに貧困の撲滅を謳ってはいるが,同時にそれよりもは るかに強い調子で,まったく非現実的な高さの成長率の達成を主張してい た。ベーシック・ニーズへのコミットメントは,イングランドの救貧法の 歴史に似て,支配階級の都合で政策が変わる程度の,生半可なものにすぎ なかったとされた(ARTEP 1980, 13‑14)。
労働集約型工業の振興
1970年代末〜1980年代初頭のARTEPでは,雇用に関する研究が組織 的に行われた。輸出志向型の戦略の評価がNIESを意識していた(後述)
のとは対照的に,雇用の問題では南アジア諸国の経験が頻繁に参照され た。研究や会議の多くが東南アジアと南アジアの双方で行われ,しばしば 両地域の専門家が動員された。また,ARTEPが組織し,石川滋氏を交え て行われた,アジアの農業における労働吸収に関する研究は,インド,東 南アジア,中国,日本の歴史的比較を含み,雇用の創出に関する理解を大 きく進めた(Ishikawa 1978参照)。しかし,ここではARTEPが組織し た「労働集約型工業の発展」に関する共同研究に焦点をしぼろう。
アムジャードのまとめ(Amjad 1981)に従ってその成果を要約すると,
以下のようになる。1960年代中葉までの東南アジア諸国の工業化戦略で は,概して工業の手厚い保護,低い利子率,過大評価された為替レート,
財政的補助などが,資本集約型の大規模工業に有利に作用し,これが小規 模工業の参加をむずかしいものにしていた。これに対し,工業化をつうじ た成長ではなく,農村の発展をベースにした戦略が現在では新しい主流派 を形成しつつあり,労働集約型工業の促進,資本の不足に対処する経済環 境の創出,中小企業のより積極的な活用が強調されるようになった。
ここで労働集約型工業とは,主として不熟練・半熟練労働に依拠した,
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資本⎜労働比率が低い工業のことである。ただ,この定義では,生産効率 の悪い在来産業がすべて入ってしまう。それゆえ,労働⎜産出高比率,資 本⎜産出高比率,あるいは労働,資本の付加価値に対する比率などを調べ て,効率の良い工業を取り出し,そうしたタイプの工業を育成すべきであ る。
しかし,ASEAN 4の現実を見ると,人口の増加傾向が明白であるにも かかわらず,増大する労働力群は,農業のほか,都市のインフォーマル・
セクター,中東への出稼ぎ移民,インドネシアの外島への移民などによっ て吸収されており,工業への吸収はきわめて少ない。表2の労働力におけ る工業の比率は,表1の,製造業(工業よりも定義が狭い)の対GDP比 率よりもかなり小さい。その大きな理由は,資本集約型工業の優遇政策に ある。資本集約型工業の雇用吸収力が低いだけでなく,労働集約型工業の 発展が,不利な税制,金融,為替レートなどをつうじて政策的に阻害され てきたからである。
だが,1970年代に一部の諸国で輸入代替戦略から輸出志向型の戦略に政 策が転換し,これがある程度修正された。政策転換後のマレーシアでは,
自由貿易区に外国資本が導入され,輸出工業に対する税制上の優遇措置が 取られた。その結果,電気機械,履き物,衣料,繊維などの労働集約型工 業が成長した。また,タイでも,輸出工業に不利な政策がある程度修正さ れるとともに,外国資本が導入された。輸出を見ると,量的には加工食品 が多かったが,成長率では電気機械,衣料,繊維のほうが高くなった(以 上Amjad 1981, 1‑21)。インドネシアやフィリピンでは,この研究が出版 された時点では,なお明確な労働集約型工業化による輸出の急拡大は見ら れなかったが,やや遅れて同様の径路をたどったように思われる(インド ネシアでは石油・天然ガスの輸出増の影響による遅れが大きい。Paauw
1981参照)。貧困と戦うには,成長と雇用の創出を両立させなければなら
ない。低賃金の労働力を生かした工業を発展させ,しかも外貨を稼ぐこと ができれば,それによって経済全体の発展を助けることができる。実際,
表1に示したように,ASEAN 4は1985年には製造業のGDP比率で南ア ジアを凌駕しつつあった。しかも,第一次産品の加工だけでなく,繊維・
衣料のような伝統的な部門も,機械・輸送機器部門,化学部門も,製造業 のなかである程度の比重を占めるようになっていた。これが,後に「不熟 練労働を利用した工業化局面」(Ariff and Hall 1986)と呼ばれた段階の ASEAN 4の姿であった。
この研究のもう一つの焦点は,中小工業の役割にある(以下,Amjad 1981,22‑28による)。ASEAN 4の工業雇用の大部分は中小企業によるも
のであり,労働集約型工業化が全面化するには,一部の輸出工業だけでな く,中小企業一般に競争力が出てこなければならない。だが,現実には,
その労働生産性は,大企業に比べて,きわめて低かった。資本⎜労働比率 で見ると,中小企業はふつう大企業よりも低いと考えられるが,稼働率が 低い,国内で生産される,質が悪く高価な機械を使用しているなどの理由 で,大企業に比べて資本効率が悪く,統計を取ると,予想されるような結 果にはならないこともあった。つまり,資本⎜労働比率だけで考えると,
必ずしも中小企業のほうが雇用吸収的だとは言えないのである。したがっ て,問われるべき問題は,これが政策的なバイアスによるものか,政策転
表2 アジア諸国の労働力構成,1980年
(出所)World,Bank,1988,282‑83.
換をすれば,中小企業のほうが雇用吸収的になるのか,ということであ る。この研究の執筆者の多くは,データの限界にもかかわらず,この問い に対してイエスと答えているように見える。
しかし,かりに中小企業のほうが雇用吸収的であっても,投入⎜産出高 比率があまりにも高ければ,成長と雇用を両立させたことにはならないだ ろう。限られたデータが示しているのは,ASEAN 4の中小企業の効率は きわめて悪い,ということである。それゆえ,もう一つの問題は,かりに 政策的バイアスが取り除かれ,中小企業のほうが大企業よりも雇用吸収的 になったとしても,中小企業は効率の面で本当に国際競争力を発揮するこ とができるのかどうか,ということであった。
アムジャードは,この二つの問題を提出した上で,日本のデータを参照 し,戦後の日本では,雇用吸収的で効率の良い中小企業が,大企業と競争 と補完の両面を持ちつつ共存し,工業化にきわめて重要な役割を果たし た,と論じた。シンガポールでは中小企業の比率は低かったので,日本を はじめとする東アジア諸国の経験が,本格的な労働集約型工業化の可能性 を示すものとして取り上げられたのである。
だが,そうだとしても,日本とASEAN 4との間に介在する大きな差 をどのようにして埋めるというのか。次に,NIES(韓国,台湾,香港,
シンガポール)の工業化戦略を検討した研究を見ることにしよう。
3.人的資源の開発
NIES の工業化戦略とその評価
ARTEPでは,前節で紹介した研究と並行して, 輸出主導型工業化
(export-led industrialisation)と経済発展」と題する共同研究が組織さ れたが,そこでも主たる論争の相手は,雇用の創出は貧困の削減のために は重要だが,輸出志向型の戦略は多国籍企業を利するのみで,経済的技術
的自立を目指す工業化戦略とは無縁だとする見解だった。マレーシアの輸 出加工区での電子産業のように,国内経済とあまり関係のないかたちで安 価な単純労働を提供する場合,本当に技術移転や国内の資本形成に結びつ いているのか。工業化というにはあまりにも「底が浅い」(shallow)の ではないか,というわけである。1970年代の二度の石油危機の際には,輸 出志向型の戦略は外的ショックに弱いという議論も多くの支持者を得た。
しかし,リーの要約(Lee 1981)によれば,NIESの工業化は,先進国 市場への工業品輸出を急速に拡大させただけでなく,それを,国内の所得 分配を悪化させることなしに高度成長に結びつけたという意味で, 質の 良い」成長だった。リーは,韓国で国内市場にトリックル・ダウンが起こ っている理由を,クルーガーなどが分析した,輸出の成長が分配に平等的 な方向に働くメカニズムの説明(Krueger 1980)だけで満足せず,その 前提条件として,韓国における土地改革の徹底性という初期条件の高さを 指摘している(Lee 1979)。
しかも,シンガポール,香港のような都市国家はともかく,韓国はフィ リピン,タイと,台湾はマレーシアと,ほぼ比較しうる人口規模であるか ら,それらの国が所得分配の悪化を伴わずに成長したということは,農村 の発展と,それにもとづく労働集約型工業の発展にも成功したことを意味 する。したがって,ASEAN 4のようなサイズの国でも,韓国と同様の条 件が何らかのかたちで満たされるならば,輸出志向型のほうが,経済的自 立重視型よりも,質の良い工業化につながる可能性がある。
伝統的な工業化戦略に対するもう一つの異議申し立ての理由は,先進国 における産業構造の変化にある。表3が示すように,1970年代以降,重工 業を中心とする従来の基幹産業は停滞し,マイクロ・エレクトロニクスの 技術をバネに,電子工業などの新しい工業が急速に成長した。新しい技術 は,従来の機械系の技術と融合して,繊維など従来の労働集約型工業に も,重工業にも取り入れられ,生産効率を高めた(周 1997)。また,教 育,医療,レジャーなどのさまざまな新しい消費・サービス活動がGDP 171
に対する比重を高めていたが,ここでもこの技術の貢献が目立った。
新しい型の工業は,必ずしも固定した場所での産業集積を必要とせず,
良質の低賃金労働を求めて,比較的簡単に国際移動することができる。大 量の資本や重厚なインフラを持たなくても,競争力のある労働力と一定の 情報の集積,商業・金融ネットワークがあれば,先進国における成長産業 の一部を発展途上国に移転することができる。もちろん,移転した先の条 件が(例えば賃金が上がったことによって)変化すれば,進出した企業は ただちに別の国に移動することもしばしばである。
こうした変化が発展途上国に要求しているのは,不熟練労働力から半熟 練,熟練労働力への段階的なシフトであろう。しかも,それが必要なのは 輸出加工区だけではない。やがて伝統的な農村工業ですら,教育を受けた 労働力を要求するようになりはじめるであろう(van Liemt 1992,12‑13)。
リーたちの研究は,ASEAN 4の将来に決して楽観的だったわけではない が,何が必要かという点については,このような認識をある程度共有して いたように思われる。
表3 先進国の産業部門別国内需要成長率,1972‑85年
(出所および注)van Liemt 1992,12.原データは,Commission of the Eur- opean Communiti International Trade of the European Community : A View of Certain Aspects of the Exter nal Trade of the Community, Directorate-General for Economic and Financial Affairs European Economy,No.39,Brussels,1989.
マンパワー政策
ASEAN 4は人的資源開発にどのように取り組んだのか。表4は,1985 年までに4カ国の初等教育がほぼ普遍化したこと,中等教育も大幅に改善 され,中国,インドの水準に並ぶか,それを大きく超えていたこと,さら に高等教育においても,フィリピンとタイはやはりインドの水準を大きく 超えていたことを示している。日本,NIESとのあいだにはなおはっきり した差があったが,これらの国が南アジアと似たレベルから出発したこと を考えれば,大きな達成だったと言えよう。
アムジャードが1980年代後半に組織したもう一つの研究「人的資源計画 アジアの経験」(Amjad 1987)は,各国の雇用計画と,それに応じた教育 政策の現状を紹介しつつ,取るべき方策を示唆している。労働集約型工業 化論に立ちながらも,工業吸収力には限界があるので,第三次産業におけ るスキル集約的な雇用の拡大を視野に入れるべきことが強調されている。
マンパワー政策の問題点としては,産業構造の変化にもとづく予測の困難 さをふまえ,人的資本投資の観点からの費用便益分析の是非がさまざまに 議論された。職業別の需要とそれに対応する学卒の供給を予測する試みが 一定の成果を上げた国もあった。とくに,高等教育よりも初等教育のほう が重要だとした研究は,例えばタイの政策に影響を与えたとされた。デー タや方法にはなお大きな問題があったけれども,多国籍企業の誘致を可能 にするような,直接の熟練労働力の養成とともに,急激な経済環境と需要 の質の変化に耐えうる,より一般的な教育水準の向上を,同時に進めよう とする方向で,議論が行われていたことが読み取れる。
ここでは,次の二つの点を指摘しておきたい。一つは,ここでの需要と 供給のマッチングのプロセスは,開発経済学にとっても新しい経験だった ということである。古典派,新古典派の経済学が想定していたのは,基本 的に「私的所有権ルート」のイメージだった。ルイスによれば,シュルツ
(Schlutz 1961)やベッカー(Becker 1993。同書第3章に収録された論文 173
の原型の初出は1962)などによる人的資本論,なかでも教育の投資効率の 計測を根拠にした政策論は,いくつかの基本的な問題を孕んでいる。第一 に,教育は,教育そのものに意味のある営為であり,教育政策を雇用との マッチングの問題に集約しても,有意な経済学的解答は得られない。第二 に,発展途上国では,初等教育には先進国以上に費用がかかるので,産業 構造の変化に応じて徐々に就学率を上げるのが良い。農業に雇用吸収の大 部分を依存しなければならない状況で初等教育を進めると,労働力が都市 に流出して,肝心の農業の生産性が上がらなくなる場合もある。また,高 等教育も,しばしば過剰供給が問題にあるのが現状だ,というのがルイス の認識だった(Lewis 1966,104‑10)。
しかし,ASEAN 4が直面していた課題は,低い教育水準から出発し,
労働集約型工業化を進めながら,それを急速に「人的資本集約型」の発展 につなぐことだった。しかも,需要の一部は︑つねに外部から来た。した がって,ルイスが想定しているような,いわば自立的な径路ではなく,変 化する需要との直接的なマッチングと,それを支える中長期的な人的資本 形成とを同時に進める必要があった。実際,この地域では賃金が上昇した
表4 アジア諸国の就学率統計,1985年
(出所および注)World Bank,1988,280‑81.初等教育の数字は,就学者数を初等教育年 齢人口(6‑11歳)で除したもの。留年者など,初等教育年齢を超える就学者を含むた め,100%を超える場合がある。中等教育は,12‑17歳を対象人口と考えて,同様に計算。
高等教育は,中等教育終了後に入学するすべての教育機関の就学者数を20‑24歳人口で除 したもの。Ibid.,303.*Tan and Mingat 1992,15.
し,1990年代初頭になると,マレーシア,タイでは労働力不足が問題とな った(Godfrey 1991)。ARTEPの研究の問題意識の独自性は,この急速 な変化への対応に焦点をあわせたところにあったように思われる。
もう一つは,初等,中等,高等教育への支出のバランスの問題である。
リンダートによれば, 私的所有権ルート」では,いわゆるエリート・バ イアスがかかることが多い。インドでは,植民地期以来,一貫して高等教 育が重視され,初等教育が軽視されてきたが,これは独立後,民主主義国 になっても長期にわたって変化がなかった(Lindert 2003, 333‑39. World Bank 1992)。これに対し,ASEAN 4の公的教育支出のバランスは,こ
の時期までに,比較的初等教育に厚く,より自然なピラミッド型になって いた(Tan and Mingat 1992,27)。政治体制のバラツキにもかかわらず,
この点で南アジアと東南アジアとの間にはっきりとした地域差が見られた ことは注目されてよい。
4.むすび
ASEAN 4は,タイムラッグを伴いつつ,いずれも不熟練労働を利用し た労働集約型工業化の局面を経験し,その後,全体としては,より人的資 本集約型の工業へ転換する方向に向かった。その転換を支えるために,人 的資源の開発,いわゆるマンパワー政策が採用され,初等教育,中等教育 も徐々に充実した。また,教育水準以外の生活,人権指標を含む「人間開 発指数」も大きく上昇した。1970年代から1980年代にかけての東南アジア 地域では,労働集約型工業化をバネとする経済発展が見られたと言えよ う。
それによって,従来日本とNIESに限定されていたアジアの高度成長 地域の範囲は,大きく広がった。1980年代には中国が,1990年代にはイン ドが,アジア太平洋経済圏に参入し,成長地域はさらに拡大したけれど も,1980年前後の段階では,まだ中国の政策転換(1978年)の影響は明瞭 175
ではなく,インドはソ連寄りのスタンスを維持していた。そうしたなか で,さまざまな所得水準の国をかかえた東南アジアの急速な工業化が,ア ジア域内の経済的相互依存を促進し,アジア的規模での持続的な高度成長 の一つの核を形成したのである。
ARTEPにおける東南アジアの労働集約型工業化論は,雇用創出を目的
として始まり,しだいに人的資源開発の視点を取り込んでいった。その試 みの意義は,各国の工業化過程における労働集約型工業の,成長と雇用へ の貢献だけに集約して論じられるべきではない。それとともに,工業化の 径路について,東南アジア地域の実情をふまえた,独自の理解を示したこ とが重要である。ARTEPの研究が全体として示した方向は,インド型の 工業化戦略でもなければ,NIESの輸出志向型工業化戦略の直接的適用で もなかった。とくに世界経済の構造変化を反映した,需要の変化と人的資 本形成の対応関係についての柔軟な理解は,労働集約型工業化を人的資本 集約型の経済発展につなげていくための,重要なポイントであった。それ によって,不熟練労働の動員による労働集約型工業の経過的,限定的な役 割も明確にされ,知識集約的な雇用との並進,共存についての理解も深ま ったと言えよう。ASEANの工業化は,インドとNIESの工業化が示し た可能性から学ぶとともに,新たな発展径路の可能性を示したように思わ れる。
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The Emergence of the Labor-intensive Industrialization Strategy in Southeast Asia
Kaoru SUGIHARA
《Abstract》
This paper discusses some aspects of the emergence of the strategies of industrialization in Southeast Asia during the 1970s and the 1980s in Asian comparative historical perspective.Major research projects were organised in this period under ARTEP (Asian Regional Team for Employment Promotion),a Bangkok-based research wing of the ILO,to address issues on employment generation, the development of labour-
intensive industry, export promotion and manpower policy. Several volumes and a large number of working papers were subsequently published, reflecting the views of leading economists and policy needs of the region.
The paper picks up some loosely agreed strategies that emerged from these studies, and compares them with the contemporary Indian and East Asian strategies.It suggests that their arguments contained some new insights into the developmental path taken by the region,success-
fully refuting the conventional strategies that aimed at economic growth, assigned the capital goods sector a leading role, and pursued import-substitution industrialization. A more flexible set of strategies,
promoting the growth of labor-intensive and export industries,respond- ing to the changing international environment of rapid industrial reloca- tion caused by the micro-electronics revolution, and improving the quality of labor through a better provision of mass and elite education,
emerged.It was important to them that a serious worsening of income inequality would be avoided.
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