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東南アジアの経済発展と労働市場 : 観察事実と農工間労働移動理論の誤謬 [Labour Market in South East Asian Economic Development : Faults of the Dualistic Development Model and Reality]

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東 南 ア ジア研 究 14巻1号 1976年6月

東南 アジアの経済発展 と労働市場*

一観 察事実 と農工 問労働移動理論 の誤

謬-鳥

彦*

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Thepurposeofthepresentpaperistoraiseanessentialcriticism onthedualistic development models of the IJewiS-Ranis typc. SpeciflCally, their well-known conclusionsthattherurallabourforcecanbesupplied"unlimitcdly"totheindustrial sectorisnotcorrectin therealsituation ofsouth-eastAsian societies.

First,muchoftheruralpopulationseemstomlgratefrom thevillagetothelarge towns,buttheirdestination isnot"modern industry" butHurban poverty." This urbanpovertylSCalled the "urban indigenoussector" inthepresentpaper.With the1970dataofThailand,theauthorhastriedtoidentifythreesectors,namely,rural,

urban indigenousand modern sectors. The urban indigenoussectorisdefined as having thefollowing fourcharacteristics.

(l) Itisalargetownwhichisabsorbingahugeamountofimmigrantsfrom the ruralsector.

(2) Geographicallyitincludesthemodern sector,

(3) Mostofthepopulation,thcrc,isengaged in "urban indigenousemI)loyment and self-employment."

(4) Theincome-expenditurestructureisaminimum subsistencestructure. UsingtheCharacteristicscitedabove,theauthorhasidentihedtheBangkok-Thon liuripopulationastheurbanindigenoussectorinThailand・ Thenetimmlgrationsinto

*

この研究 は,慶応大学産業研究所,経済発展プ ロジェク トの成果の一部である。同研究所の辻村江太郎 所長,小尾恵-郎教授の ご指導 に心か ら感謝す る。 この研究の途中で寅重な コメ ン トを下 さった川野重 任 (東大),市村真一 (京大),石川滋 (一楠大),水野浩一 (京大), 安場保吉 (京大), 山田三郎 (東 大),西川俊作 (慶応大),矢内原勝 (慶応大) の諸教授 と本誌の レフェ リーに心か ら感謝す る。 この 研究を行な うに際 しては,多 くの人 々の助力をいただいた。東南アジア諸国の調査に同行 して くれた桜 本光,清水雅彦, 吉岡完治,大井徳三の諸氏 に感謝す る。数回にわたるタイの調査ではいつ もどこ-で も一緒 に行 って くれた誠実な友人であり運転者であったサ クデ ィに心か らの感謝を送 る。人 口推計や分 析計算 は梅村三千夫,梅田善啓の両君の 二年間にわた る献身的な努力 に負 ってい る。繁雑なセ クレタ リ アル ・ワークと作表の一 切は高橋 褒紀子,小島敏代,高村啓子,城所和代,幸田伸枝,藤江明美の諸姉 の行 き届いた助力の賜である。 これ らの人 々に心か らの感謝を捧げ る。 さりなが ら, この小論の誤謬 は 全て筆者の

に帰すべ きものである。 ** 慶応大学経済学部

(2)

東 南 ア ジア研 究 14巻 1号 Iiangkok-ThomburihaveI-)eencgtimatcd.

Sccond,thereasonwhypeopleleavetheirvill(lgeisfardifferentfrom thatwhichis explainedby themodeloftheLewis-Ranistype. Peopleleavetheirvi一lagemnstly becausetheylosetheirland,Orlosetherighttocultivatetheland,and/Orbecause they havepushed outfrom dependenceon theland;in otherwords,they seldom leave theirvillage on】y becausethey areon theminimum Sul)sistencelevel. The presentauthorhascarriedoutseveralfieldsurveysinThailand. Inthepresentpaper someobservationsaboutSamkamphen,northernThailandareofferedtoexplainwhy peoplewant,anddonotwant,toleavetheruralsector.

I 研究の系譜 と開度点 筆者 は この小論で,従来の経済発展理論 (特 に二部門経済発展理論 とそれに基づ いた工業化 理論)がアジア諸国の経済発展 につ いて本質的な事実誤認 を して いた事 を指摘 したい。そ して, 東南 アジアの現 実をふ まえた発展理論 を再構成す るための一つの方向を提案 したい と思 う。 古典学派以来長 い間,低開発経済 の問題を主題 とす る事が少 なか った経済発展理 論は第2次 世界大戦の終了 を契機 と して

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年代半ばに復活 した。以 来

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年,様 々の経済発 展理論の研 究 とそれ らを理論的背景 とす る各国の開発計画 や国連,世 銀等の国際機 関 と先進諸国の援助努 力が行 なわれて きたが,未だに成果 を上 げていない。特 に,東南 アジア諸 国の経済発展 は,遅 遅 として進んでいない。 む しろ,「部分的な工業化」が進 めば進むほど, 貧困は深 ま り, 所得 格差 は拡大 してい るよ うにみえ る。 ところで,経済発展理論 の系譜 を振 り返 ってみ ると,経済発展 とは農業 に代表 される伝統的 経済 の中に近代工業が生 まれ拡大 してゆ く工業化の過程 と して捉 え られて きた。 この捉 え方 の 源流 はペテ ィーの経験法則

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年) にまで遡 る事がで きるが,産業革命期 に人類最初 の近代 工業が生 まれ育つ有様 を 目のあた りに見なか ら工業化の進行過程 をは じめて理論的に描 いたの は, アダム ・ス ミス とその後継者 リカー ドで あ った,1) まだ工場 の数 さえわずかで あ った時代 に書かれた彼 らの著作 が,今 日読 んで も生 き生 きと した工業化 のヴ ィジ ョンを展開 している事 に驚 きを禁 じ得 ないO その後の発展理 論 と実際の開発 ・援助の努力は,古典学派の この伝統 (工 業化の思想) を受 け継 いで きた。 一方,戦後の新古典派成長理論 は,欧米や 日本等 の一部の先進工業国の経済 の中に, 古典学 派が工業部門について想定 した成長の諸性質 を見 出 して, その説 明を精微化す る事 に専念 した。 これに対 して

A

・ル ウィスは, 低開発経済の発 展 は伝統的部門 (マルサス的均衡 の部門) か ら の無制限労働供給 を受 けつつ工業部門が成長す るところに本質があるとい うス ミス以来の農工

1)Adam Smi th,AnIngul'ryintotheNatureandCau∫e∫ofthelVeaZlhoftheNazion∫,1776,(New York: Radom Iiouse,1937);I)avid Ricardo,The Pn■nctj)Ze∫〆 Poh-1icaZEconomy a71d Taxatz'072,1817

(London:DentandSon,1937).

(3)

鳥居 :東南ア ジアの経済発展 と労働市場 二部門発展観 を再 提 出 した。2) ラニス とフェイは,ル ウィス理論を精微化 して 日本 とイ ン ドの デー タを用 いてテス トを行 な った。3) 二部 門経済発展理論の内容 について はよ く知 られてい るので, ここでは次の

4

点 を確認す る に とどめよ う。(i) 二部門経済発展理論 は,発展途上経済 を,マルサス的均衡原理が働 いてい る在来部門 (農業部門) と新古典派的均衡原理が働 いている先進部門 (工業部門) の二部門概 念で捉 え るデ ュア リズムの理論である。(ii)在来部門は,最低生存費水準 の一人 あた り所得 を 余儀 な くされてお り,先進部門に向 けて無制限労働供給 を行 な うと考 え られている。(

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)先進部 門は,後進部 門か らの無制 限労働供給 を受 けて,かな りの期間にわた って低賃金雇用 を享受す る ことがで き,それゆえに資本蓄積 とそれによる自己維持的成長が可能で あると考 え られ る。 (iv) 上記の(ii)と(iii)の帰結 と して,かな り急速 な農工問労働移動が起 こり, それによ って-人 当 た り国民所得 が増加 し,工業生産物 の販路 と しての国内市場が拡大す ると想定 して いる。 ル ウィス ・ラニス型の このよ うな理 論に対 して,在来部門を も新古典 派原理で説明す る事が で きるとい う見解 を示 したのは ジ ョルゲ ンソ ン4)で ある。 これを農家家計 主体均衡理論の図式 で表現す る試 みは

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5)によ って提示 され, 中嶋6),鳥居7),Lau ら8)に よ って精敵化 され実 測れ た。 これ らの二部門経済発展理論は幾つかの国につ いて実証 の試みが行 なわれたが, その多 くは 既 にクズネ ッツの意味にお ける 「近代経済成 長」 の局面を迎 えた後 の 日本 をアジアの典型 とみ たて るとい う誤 りを犯 して いた。その為 に, アジアの現実か らははるかに離れたフィクシ ョン にな っていた と言わざるを得 ない。ル ウ ィス ・ラニス型の理論が低開発社 会の現 実を見誤 って い るとい う指摘 は,早 くか ら, オー シマ9),ダスグブタ10),レイノルズ11)等 が提起 していたが, ほ とん ど省 み られず に今 に‖こ至 ってい る。経済発展理論が観察抜 きの抽象化 とモデル化 を進 め

2)ArthurW .Lewis,"EconomicDevelopmentwith Unlimited SuppliesofLabour,"Th M ancAc∫zer Schoolof Economl'cand SocialStudl'e∫,139-192,May,1954;"Unlii tm ed Labour:FurtherNotes,〟

MancAe∫terSchoo/,ト32,Jam.1958.

3)G.RanisandJ・e・IIIFei

,

"A TheoryofEeonomicDevelopment,"Am-'ca71EconomicReview,Sept. 1961,pp.533--58;De7,elopme7ZtOFZ・ab" SurplusEconomy,TheoryandPoll'cy,YaleU・P・,1964. 4)Ⅰ)aleW .Jorgens()n,"TheI)evelopm entofDualEconomy,"EconomicJournal,June1961,pp.309-334.

5)A.K.Sen,"Peasentan(iI)ualisrn withorwithoutSurplusLalJour,"Jt"",la/a/ P,,h'/2'(・a/Er〟′luJt.y,

Vol.74,No.56,1966.

6)

嶋千尋 「農家の均衡理論

『大阪大学経済学』 7巻 2号,1957。

7)鳥居泰彦 「経済発展理論と労働供給主体の均衡図式

『経済学年報』,慶応大学経済学会,第 9巻,19650

8)I..J・Lau,W・Lin,P・A・Yot()poulos了`TheLine

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LogarithmicExpenditureSystem:AnApplicatio n toConsumption-1JeisureChoiceofAgriculturalHousehold in theProvinceofTaiwan,H Memo.107,

CentcrforResearchin E(,onornicGrowth,Stanford Universlty,1975.

9) lI.Oshima,"TheR;lniLq-FeiM。(leiol Economi c Development:Comment,"ノ1mm 'ra" Er〟n〝mic Review,June1963・

10)S.Dasgpta,``UnderdcvclopmcntandDualismr一一A N。te,"Er`7〝OmZ'{DevelopmentandCuZfLLraZChange,

Jan・1964・

ll)L.G.Reynolds,"Wa酢Sand Employmentin the Labour Surplus Economy,"Amm -can Economic ReTJieでeJ,March1965.

(4)

東南 アジア研 究 14巻1号 れば進 め るほ ど,現 実 の アジアの貧 困の底 にあ る経済的 メカニズムか ら離 れて, モデル の作成 それ 白体が 目的 と化 して い ったよ うに思 える。 トダ ロ12)は二部門経済発 展理 論 の農工二部 門概念 が アジア ・ア フ リカ諸 国に 現 実 にみ られ る都市貧 困の 巨大 な 人 口プール を説 明す る力を持 って いない事 を 批判 して

,

「都市 伝統部 門

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を含む三 部門概念 を示 した。 トダ ロの三部門モデルで は,農村部 門 の労働力は,所得格差 を主因 と して都市-流 出 し,都市伝統 部門に固有 の低位就業 を形成 し, 次 のステ ップ と して近代 産業 の雇用機会 にめ ぐり合 うのを待つ と考 えて い る。 そ して,近代 産 業へ の就業 は,一 定 の確率分布 で実現 す る と考 えて い る。 筆 者 は, トダ ロの 「都市 伝統部門

の概念 の提 案を高 く評価 す るが,農村 人 口が都市伝統部 門へ流 出す る理 由につ いて は,別 の大 きな要因が あ ると考 え ざるを得 ない。 また,都市伝統部 門に編入 された労働力が,近代 産業 の 労働 力 と して の資質 を均質 に備 えて い る とい う,経済理論 が常 に無意識 に仮定 して きた前提 に 立 って近代 産業- の就業 を確率 の問題 と して い る点 に も疑 問が あ る。 アジア, アフ リカの低開 発地域 で は全 ての労働 力が上記 の前提 を必ず しも満 た して いない ところに こそ問題 が あ り悩 み が ある。筆者 は, これ らの問題 を次節以下 で取 り上 げたい と思 う。 これ らの ほか に, ア ジア ・ア フ リカ諸 国の経済発 展 を産業構造 ・就業構造 か らみ る研究 は多 くの国 々につ いて行 なわれて い る。例 えば, ス コ-ヴ ィル 13)はア フガニ スタ ンの経済 は,人 口 過少 で あ り,大規 模工 業 は存在せず,伝統 的 な手工業が おだやか な活動 を続 けて い る状 態 を観 察 して, トダ ロの よ うな三部門 モデ ル は不要で ある こと, む しろラニス型 の二 部門モデルが応 用 で きる ことを述 べて い る。 また カル ドウェル 14)は, ガーナにお ける都 市- の人 口移 動 につ いて精細 な観察を行 な った。 ア ジア ・ア フ リカ諸国の低 開発 経済 の多様性 につ いて は,既 に, 工業化 の最初 の段階 で ス ミス と リカー ドが指摘 した ところで あ る。 この 多様 な国 々を一つのモ デルで記述 す る ことは必ず しも正 しい とはいえない。15) 以 上に簡 単 に レヴ ュー した発展理 論 の系譜 は,東南 アジアの低開発経済 の現 実 に照 らしてみ る時, 幾つか の重要 な事実誤 認 を して い るよ うに思 え る。 第 Ⅲ章 ではその誤 りと思 われ る点 を 要約す る。 これ らの指摘 は,東 南 ア ジア諸国 に関す る筆 者 の観察か ら出て い る0第

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U章以下 で は, それ らの観察 事実 を示す。観察 の一 部 は先進諸国なみ に公式統計 に よ って可能 で あ ったが, 東 南アジア諸国共通 の事情 と して, 実地 に確か め るよ りほか に方法 がない事柄 が あま りに多い。 筆者 が行 な って きた実地 調査 は調査方法, カバ レ ッジ等 において決 して充分 な ものではないが,

12)MichaelP・Todaro,HA ModelofLaborMigration and Urban Unemploymentin Lessi)eveloped Countrics,"American,EconomicRevie7LJ,March1969,pp.138-148.

13)JamesG.Scoville,"AfghanLaborMarkets:A ModelofInterdependence,"17ldu∫zn'aZReZali'on∫,1974.

14)JohnCICaldwell,AfricanRural一gノ'rbanMliration;TheMovementtoGhana'∫ToLeJn∫,Columt)iaU.P., New York,1969.

15)人口稀少のアフガニスタンやタンザニア,あるいは人口過密小国のシンガポールに同じモデルを適用す

るのは誤 りである。)

(5)

鳥居 :東南 アジアの経済発展 と労働市場 問題の所在 を指摘す る為 にあえて掲載 す る事に した。 もっとも, よ く行 なわれ る大掛 りな調査 が形式的 なカバ レッジとタ ビュレー シ ョンばか りを重視 して,村長や古老 にたずねれば的確 に わか る事 まで多勢 の村民 にア ンケー トして集計す るとい った画一的な方法 に こだわ る通例 を, 筆者 自身を も含 めて戒 めな ければな らない と思 う。 この小論では,東南 アジア諸 国の うち, タイに関す る観察結果 を報告す る。 い うまで もな く, ア ジアは多様であ って, タイの事例 を もって東南 アジア一般 を論ず る事 はで きない。特 に,シ ンガポールのよ うに工業 化に成功 しつつある小 国は同列に論ず る事 はで きない。 しか し,マ レ ー シア, フィ リピン, イ ン ドネ シア等 については,筆者 が次章以下で述べ るよ うな要素 が濃厚 で あるとみて い る。 アジア諸国では,近代 的な経済統計 や社会統計 はほ とん ど整 っていない。その為 に各国の社 会構造や経済構造 は,実際の ところほ とん ど解 っていない。 しか るに,従来 の発展理論 は,こ れ ら諸 国の経済 メカニズムや人 々の経済行動原理 を西欧や 日本 のそれ と同 じであるとみな して 展開 されて きた。その反面, アジアは ど多 くの実地調査が行 なわれた地域 ははかにはない。そ れ らが無 目的に行 なわれた とは思わないが,総合 的な実験計画 のひ とこま と しての確かな意味 を もって行 なわれた調査は少 なか ったのではあるまいか。 アジアの現実か らみて明 らか に事実 誤 認をおか して いた一群 の二部門発展理論 と工業化理論が,膨大 な実地調査 の側か ら何 の批判 も受 けず に用 い られて きたのは この為 ではなか ろ うか。 予備的な調査 を もとに,実験計画 と しての意味を持 った理論 を構成 して, それに基 づ いて体 系的に統計の整備 と調査を重ねて ゆ くのが有効 なアプ ローチで あ り, アジア諸国の経済構造 の 解 明の為 にいま一番必要 な作業である。筆者 は この小論で示す観察事実を もとに実験計画 と し て のモデルを作成す る必要があると考 えている。 この小論を, そのよ うに位 置づ けたい。大方の検討 と批判を仰 ぐ事がで きれば幸甚で ある。 [Ⅰ 従来の理輪の換静 と東南 アジ7の現実 筆 者の観察を もとに,従来 の二部門発展モデルお よび三部門発展 モデル に対す る疑問を要約 して述 べておきたい。 ラニス等 の二部 門モデル は,少 な くとも次 の三つの点で アジア諸 国の現 実 を説 明す る能 力を欠 いてい る疑 いが ある。 00o (1) 第一 の誤認 は,低開発 国の経済 を農工二部門で と らえて,農工問労働移動が容易に起 こ 0000 ると想定 した事 である。 東南 アジアでは,確かに農村か ら大量 の人 口が流 出 しているがそれ は oO00000000 0000000 工業 部門に吸収 されているのではないO それは都市在来部門に堆積 して urbanpovertyを形 成 してい る。工業部門-の人 口流入 は極 めて微少 で例外的である。都市在来部門への人 口流入 を見落 と して,徴少 な工業部門への流入 を一般 的現象であると誤認 した (または西欧社会 の工

(6)

東南 アジア研究 14巻1早 業化か ら類推 した) のは誤 りで ある。 この誤謬 の為 に,遅 々と して進むはずのない工業化 に夢 を託 した開発努 力を繰 り返す誤 ちをおか して きたのだ と考 え られ る。

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)

第二 は,農村か らの人口流 出のメカニズ ムについての事実誤認で ある。 確かに東南 アジ アの農村 の貧困は, ラニス型理論が想定 した よ うに,最低生存費均衡 の論理で解釈す る事 もで きる。 しか し,農村人 口の離村現象 は,無制限労働供給理論が想定 した よ うに最低生存費均衡 のゆえに起 こるのではない。 (筆者 は この要因を完全 には否定 しないが, それは主 た る要因で はない。)農 民は, 土地 を耕作す る実質的な権 限を失 った時 に始 めて村 を離 れ る。 そ して,彼 らの流 出先 は,土地 を持たな くて も生存 を許 され るもう一つの 世界- 都市在来部門- であ る。 従来 の理論の誤謬 は,土地制度 のいかんにかかわ らず マルサ ス原理 に代表 され る古典派的 低所得均衡 のゆえに無制限労働供給 が起 こると考 えていた点 にある。 この点 は, トダ ロ16)等 の最近 の三部門理論 において も依然 と して変わ っていない。 (3) 第三 の誤謬 は,工業部門の役割 を過大視 し,工業化 が容易に進み得 ると想定 した点であ る。 しか し実際にはアジア諸 国では,工業の労働力人 口吸収能 力は,全 人 口に比較 して微 々た るもので ある。 その うえ, その小 さな工業部門が少 しばか り成長す る と,近代工業 に適格 な労 働力 (ガ- シェンクロン17)の言 うエ リジブル ・レイバ ー) はす ぐに枯渇 して しま うO 従来の 理論のい う無制限労働供給 は, この意味において も存在 しないので あ る。 (4) トダ ロ型 の三部門モデルが 「都市在来部 門」を識別 した功績 は大 きいが,都市在来部門 の労働力人 口がいつで も近代工業に就業す る資質 と意志 を持 ってお り,工 業部門の労働需要 に ミー トす る幸運を待 っていて,一定 の確率分布 に従 ってその機会 にめ ぐり会 うとい う想定は適 切でない。都市在来部 門人 口の大部分は, この部門独特 の都市在来的職業 に従事 し,農村部門 と同様の宿命観

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と低位就業 に甘 ん じて きた良い歴史を持 って いる。 これ らの人 々が,近代工業 の労働力 と しての資質 と強い就業の意志を持つ ような状況を作 る事を願 うのはよいが現実にはそ うでない事を重視 しな ければな らない。 それでは,東南 アジア諸国の経済構造 はい か な るものだ とみればよいか。労働市場構造 を中 心 に要約 してお きたい。

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東南 アジア諸国の就業構造 は,総人 口の90%前後の 「農村 部門

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と, 忠 速 な膨張 を続 けて総人 口の10%に達 しつつ ある 「都市在来部 門

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と, 人 口の1- 2%程度の 「近代部門

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とか らな って いる。

GNP

の シェアでみ ると東南 アジア各国では工業生産 の比率は1965年 の10% 台か ら75年の25-30%に急増 してい る が, その間,近代部門労働力の総 人 口に占める割合 は1

-2

% を維持 して きた。

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)

農村 部門は

,

「地 主」, 「小作」, 「自作」 の三種類の家計群 で構成 されている。 このほか

16)MichaelP.Todaro,op.ci/.

17)AlexanderGerschenkron,EconomicBack7L,ardne∫∫in Hi∫zl-'calPer.rpecziye,TheBelkn ap Pressof HarvardtJniverslty,1962.

(7)

鳥居 :東南アジアの経済発展 と労働市場 に 「自小作」等 の農家や,行 商,露店 商,手 間仕 事,祈頑 師等 さまざまの職業があ るが, ここ での議論では捨象 して考 えて よい。 これ らの タイプの農村 人 口は, その経済行動 を 「個人」ではな く 「家計」 を単位 と して観察 す るのが よい。理 由は二つ ある。第- に,相続 ない し継承 には多様な形態がみ られ るが,要す るに地主 は地主,小作 は小 作の家が受 け継がれ る。第二 に労働供給,所得稼得,消費支 出等 の 経済行動 は,ダ グ ラス法則18)が示す家計単位 の行動であ って個人単位の行動ではない。 (

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)地主 は,子弟 の一部 に高等教育 を受 けさせて近代部門に送 り込 む。 自作,小作 のほ とん どは子弟 の教育 は初等教育前半がや っとであ るo 自作,小作 の家計群か らは,一部が都市在来 部門に流出す るo 流 出巌は, これを受 け入 れ る都市 の側か らみ ると大量で あるが,農村 の側か らみ るとご く少 数で, その出身地域 も限 られて い る。 (iv)農村 か らの人 口流 出は, 単身離村 もあるが挙 家離村 がか な りあ る。 日本 の よ うな出稼 ぎ 型 の短期単身離村 は少 ない。い ったん離村 した者 は出身家計か ら独立 し,相互の送金 はあま り 行 なわれない。

(

Ⅴ)

人 々の離村理 由は

,

「土地 を耕作す る実質的 な権 限の喪失」である。 地 主による土地 の収 餐,小作権 の放棄,次男以下 の男子 の土地 または耕作 の権 限の入 手難等 で ある。 これを裏か ら言 えば,人 々は,かな りの低所得 の下で も,耕作す る事 を許 され る限 り農村 に とどま ってい る。 柚 農村 か ら流 出 した人 口は,都市在来部 門に流入す る。 都市在来部門には,最低生存費均 衡 が存在す る。 農村部門 との違 いは, 土地 に依存 しな くて も生 きる事がで き, 土地 を持 たな く て も居住す る場所があるとい う点であ る。 そ こでは,子供か ら高齢者 に至 るまで,家族全員 が 何 らかの所得機会 を見つ けて 自活す るタイのよ うな形態 もあれば, イ ン ドネ シアのよ うに家族 間,親戚 間の相互扶 助思想 が強 く,中心 とな って働 く者 とこれ に依存す る多勢 の家族 が いるケ ース もあ って, 国によ って一様ではないが,家計を 単位 と した最低生存費就業である事 に変 わ りはない。 仙 東南 アジアでは,近代 部門は,非常 に微小 な部門で しか ない。 多 くの場合,空間的には 都市在来部門 と同居 して い る。近代郡F判 ま,膨大 な農村人 口と都市在来 部門人 口に囲まれなが ら,近代産業 の労働力 と しての資質 を持 ったエ リジブル な労働 力が稀少で ある為 に,求人難 さ え起 こるO その ため賃金上昇 は一般的現象 とな って いる。 以 上が筆者 の観察の結果 か ら描かれ る東南 アジア諸国の状況 である。次章以下では, これ ら の基礎 とな った主要 な観察事実を説明す る。 Ⅲ タイ経済にお ける三部門 は じめに, タイを例 に とって

,

「農業 部門」

,

「都市在来部門

,

「近代部門」 の三部門の現状 18)P.H.Douglas,TAGTheoryoffVage∫,Kelley&Millm an,Inc・,New York,1957(6rstedition1934)・

(8)

東南 アジア研究 14巻1早 をみて お きたい。 タイの人 口と労働 力 は

Ta

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に要約 して示 した よ うに, 農村部 門, 都市在来部門, 近代 部 門に区別 で きる。 Tablel タイの人口と就業の構造 (1970年)- 鳥居推計-業 者 000万人以下) 就 業 者 -農 村 総 人 口- 1 1 一都 市 在 来 部 門 (1,000万人以上) 都市在来部門雇用者+-,- -(84万人) 都市在来部門一般就業身

(

2

3

27jl-金目 非 ‖ 「一 日 = _ ) (76万人) 就業者 (70 万人) 業 (30万人) 者< ・-就 業 者 (60万人)

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1

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人口

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人)

バンコク ・トンブ リ人口 (320万人) タイの総 人 口は

1

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7

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年 セ ンサ ス19)で

3

,

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万 人で あ るが, タイのセ ンサ スは同 じ年 の登録人 口か らみて も約

8%

の過小評価 で あ る。 この分 を補 正す る と,

1

9

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年 の総 人 口は

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万人 く らい とみ られ る。

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lに示 した よ うに, この うち

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万 人

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%) が農村部 門人 口

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0

万 人

(

6

.

1

%)

が都市在来部 門人 口

,9

0

万人

(

2

.

5

%)

が近代 部門人 口で あ るとい うのが筆 者 の推計 で ある。

Ta

bl

e

lは, 次 の第 Ⅳ章 で詳述 す るよ うに, まず都市在 来部 門人 口を識別 し,次 いで近代 部 門の人 口を推計 し,残 りを農村 部 門人 口とみ なす とい う順序 で推計 した結果 を要約 した もので あ る。 次章以 下 を読 む際 に も

Ta

.

bl

e

lをたびたび振 り返 って いただ きたいが, ここではまず, タイの経済 に と って近代 部門が微 々た る存在 にす ぎない こと, また都 市在来部 門が無視 で きな い大 きさで あ る こと, そ して農村 部門が圧倒的 な シェアで あ る ことを読み とって いただ きたいO

都 市在来部門 と してのバ ンコク ・トンプ リ

1

.

都 市在来部門の定義 この章 で は, タイの就業構 造 を前述 の

Tabl

e

lの よ うに判定 した理 由を述べ る。 まず都市 在来部 門の識別 の為 には, その性格 につ いて定義を してお く必要が あ る。 ここで は,次 の4項 目の性質 を備 えて い る部 門を都 市在来部 門 と認定す る ことにす る。 (1) 農村 か らの急速 な人 口流入 に よ って形 成 され る都市 で あ る こと。 (2) 付随 的条件 と して,地 理 的 に近代 産業 と同居 して い る こと。

19)PopulationandHou∫Z●ngCenSu∫,1970,NationalStatistical017ice,OIYiceofthePrimeMinister.

(9)

鳥居 :東南 ア ジアの経済 発展 と労働 市場 (3) そ こでの就業形態 は, アジアの都市貧 困に国有 の都市在来的職業であ る こと。 (4) その所得 ・支 出構造 が最低生存 費均衡 の状態 にあると認 め られ ること。 以下 では, この四つの基 準に照 らして, タイの都市在来部門を識別 して い くことにす る。

2.

流入人口で作 られた都市 まず,荊述 の(D,(2)の条件 についてみよ う。即 ち都市で ある事,人 口流入地 区である事,近 代工業 と同 じ所 にある事 の三点である。

1970年 セ ンサスでは都市 人 口 (municipalareapopulation)がわか る。 Table2はその抄録 で あ る。 ただ し,脚注 にあるよ うに, セ ンサスでい う都市 とは,柿 (Nakhon),町(M uang)以

外 に行政村 (Tambon)の一部を含んで いる。 つ ま り地 方 の ち ょっとした 集 落 ま で 都 市日印

(municipalarea)に入 れて いる。 (これだ け広 い概念でみて も東北 部や北部 の都市化率 は

3%

∼ 5% にす ぎない。南部の都市化率 は10% , 中央部では30%で ある。)

Table2では,北部, 東北部, 南部を合 わせて約130万人 ほ どの都市人 口がい ることにな る が これはむ しろ集落人 仁は 呼ぶべ きもので ある。 この3地 区の中で最大の都市 はChiang M a主

(人 口8万人) で, あ とは人 口 4万 ほどの町が数 カ所,他 はすべて都市 と呼ぶ に値 しない。 こ れ らは上記の基準(1), (2)か らみてむ しろ農村部門に格付 けるべ きもので あ る。 次 に, これ ら都市部人 口の中で,上記(1)の意味で都市在来部門 と呼ぶ に値す るのはバ ンコク ・トンブ 1)地区 の人 口で あ る事を述べ よ う。 中央部 の都市人 口は TablC2によれば約320万人 で あ る。 この320万 人の大部分 はバ ンコク市 と トンブ リ市 を中心 とす るグ レー タ一 ・バ ンコク 地区 の人 口であ る。 この地区では,後述 す るよ うに,周 囲の農村部門か らの急激 な人 口流入が み られ,人 々は, まさに都市在来産業 と呼ぶべ き産業 (職業) に従事 している。 そ して, タイ の近代 工業 はほ とん どこの地区に集中 して いる。 それゆえ, この地区を都市在来部門 と認定す る。

Table2 MunicipalandNon-munlCIPalPopulationbyRegions

Region

Population Munit、lpal ;Non-nlunlClpal

1 Percentage

1 Total i Municl})al FNon-municipal

∴ 二 三 子 r 三 _二三 二

Southern 454,992 3,816,682 ! 4,271,674 10・7 : 89.3

Thailand F 4,553,100 … 29,844・274 r 34・397,37畑 13・2 … 86・8

Source: Thehguresofmunicipalpopulationhavebeen taken from thePopuZalzlon a71dHou∫i7ZgCen∫u∫ 1970・ According tothe1970ccnsus,amunlCIPalareaisalegalunitestablishedlJytheRoyal DecreeortheMunicipalityA(:t1953・Thesearecategoriesofmunicipalareas,Nakhon(city), Muang(town)andTambon(Commune).

(10)

東南 ア ジア研究 14巻1E3・ 都市在来部門がバ ンコク ・トンブ リの よ うに- カ所 に限 られているのは タイだ けである。 ジ ャヮ島では ジ ャカル タ周辺 のほかに,バ ン ドン地区, ス ラバヤ地 区等 に,第 2,第 3の都市在 来部門が 出現 している し,マ レー シアで もクア ラル ンプル と周辺のペ タ リンジ ャヤ地区,北部 のペナ ン ・バ クワース地区,南部 のジ ョホール ・バル一地 区等 を都市在来 部門 とみなす ことが で きる。 タイは, いまの ところバ ンコク ・トンブ リ地区が唯一 のスポ ッ トにな って いる。 次に,バ ンコク ・トンブ リ地区が都市在来部門の特性で ある周囲の農村か らの人 口流入地区 の性格 を持 って いることを示 そ う。 Tab1C3はタイの地 区別 人口に 占める他 の地域 の出身者 の割合 を示 してい る。 この表でい う immi grantは過去のど こかの 時点で移入 した とい う意味であ って, 1970年の移 入者 とは限 ら ない ことに注意 されたい。東北 部,北部,南 部 に も

1

0

%

前後の移入者 があるが, これは筆者が 幾つかの地方都市で行 な った聞 き取 り調査によれば,村 と村 の間の婚姻,奉公,手伝 い等 の事 由による人 口移動で あ る。 また開拓村 を形成す るケース もあるよ うで ある。 これに対 して,バ ンコクでは住 民の35%, トンブ リでは46%が他 の地区か らの移 入者である。 この比率 はいわゆる 「一世」ベー スで ある。 移 入者 の移入後 の出産率や,非移入者 の中に含 ま れ る移入 者の子弟 の割合等を考慮す ると,

世, 二世を合 わせた移入者 は70% ∼ 90% に達す る とみ られ る。 これ らの流入人 口が どの程度の流入嵐で あるか, ど こか ら, どのよ うな理 由で流 入 した ものかについては後で推計結果 と調査結果を示す. ここでは,バ ンコク ・トンブ リ地区 が前記(i), (2)の意味で都市在来部 門の性格 を持 ってい る事 を確認 して先へ進 もう。

Table3 Immigrantsfrom OtherAreatoEachRegion(1970Census)

Regionor Changwat Population ≧ C entral N.rth。ast 豊 呂…三:冒

.

7

Z

.

t

喜,・喜;≡;芸三言 I

i

Northern .・7,488,683:3,750,610 鎧 sv?nnseLivuitns.irnn?nacEn.ther Province(ImI亘gration)

RateoflmmlgrantS

%

. . 1- p

■ ・ 慧 kBOukr」 2・芸 離 悪 40SS;2545; 11

3.

都市在来的職業 の プール 次に, バ ンコク ・トンブ リ地区が, 前 記の(3)の性格で あ る都市在来的職業のプール として の性格 を持 ってい る軍 を示 そ う。 この地 区の人 口の大部分 はアジアの大都市 に特有 の在来的職業 に依存 して暮 らしている。 こ の事 はバ ンコクの町を見た者の眼 には明 らかだが,統 計的 には把握 されていない。家計調 査や 12

(11)

鳥居 :東南 ア ジアの経済 発展 と労働 市場 就業調査 は若干行 なわれたが,彼 らの就業形態 も所得構造 もほ とん ど不明で ある。 ここでは,次 のよ うな事 が判明 してい る。 1970年 のバ ンコク ・トンブ リの人 口は前述 のよ う におよそ320万人で ある。 その うち90万人 は後述 の理 由によ って近代部門の人 口と考 え られ る。 残 りの約230万人 が都市在来 部門人 口で あるが, 彼 らの有業率が判 らない。 筆者が この地区の 労働者,零細 自営業者約50人 につ いて行 な った調査 では,有業率 は0.7くらい とみ られ る。そ れゆえ, 230万人 の うち70万人 (約30% )が非就業者,160万人 が就業者 とみ られ る。 (前掲の Table lを参照 されたい。) 次 に,就業者j60万人につ いて, その就業形態をみ よ う。 1970年セ ンサスによれば, この160 万人 の うち114万人が就業者 として把促 されてい る。 Table4がそれである。 これ らの114万 人は Table4のよ うに各種 の産業 に雇用 されてい る。 このセ ンサスベースの就業者 の うち, 一部が近代産業 の就業者で あ り,他 は都市在来部門の就業者で ある。 Table4のバ ンコク ・トンブ リの就業者114万人 の うち約50万人が労働力調査20)によ って雇 用者 と して把捉 されて いる。 Table5がそれであ る。 この50万人の中か ら近代部門の雇用者

Table4 EconomicallyActivePopulationllYearsofAgeandOverbyMajorIndustryGroup andWorkStatusinPhraNakhon-Thonburi,1970

1 1 r G",a.'uO;Industry / Otal Total

Ag

r

i

c

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r

e

,

∃own EmployerIAccount workStatus Employee Worker やovernmentlprivate Unpaied Family Worker Construction,Re -pair良 Demolition Electricity,Water & sani

t

a

ry Scrv. ll,087 1.. 1

8

5。.。』 Ices ;

Tr良Coansmmuniport,Stcoartチg10n・:e 78,145 6.9; 204r

0

.

0

恒 nknown ・o

%

141,343112.4;21,877】1.9 5.4】1,149≧0.1 1 92,965音8.2ぎ4,646 0・4F90,088

1

1

1

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8

124,4382.2:32,101 ActivitiesnotAde

-e

do

rUn

k

n

o

w

n

Source: 1970PopuZatz'on&Hou∫i71gCen∫u∫,NationalStatisticalO餓ce,0抗ceofthePrimeMinister・ 20)ReportoftheLabourForceSurvey,1970,NationalStatisticalO粍ce,oficfeofthePrimeMinister・

0.0 0.0 0.0 0.2 0.1 0.5 0.8 1

3

(12)

東 南 ア ジ ア研 究 14巻1Pj・

Table5 EmploymentLevelsinEstat,lishmentswith1orMoreWorkersbyIndustryand SizeofEstablishmentsinBangkok-ThonBuri(asof31stSeptember1970)

r T。tal . ト9W.rkers 10-99Worke

r

s1 100_-499Wm ke,sl.500∼ W。,kers Industry Manufacturing Constru(.tion Elcctrlelty,Gas, lVaterand SanitaryServi(・es Commerce Tmnsport, Stor;lgeand Communication Service establi

-shmentWorkers

28,

4

12 172,71 2 ! 26,456・84,4 0 1

1

,

8 14 39,09 4 120 25,210 22・ 24,007

1

18,64

8

日0

7

,

4

3

1

!17,172 50,077 1,395 37,565: 74

1

3

,

5

7

5

!

7. 6,214 Source: DepartmentofLabour,Reportof zheLabourForlcSurvey 1970.Nationi1lStatisticalO抗ce,

OfhceofthePrimeMinister.

と都市在来部門の雇用者 を区別 しよ う。Tat)le5で従業者規 模10人以 上の事業所を仮 りに近代 部 門 とみなす と,近代 産業雇用者 は30万 人 ほ どにな る。筆者 の調 査で は,バ ンコク地区 の製造 工場従業員 の扶養係数 は平 均3人程度 とみ られ るので,近代 部門の人 口は90万 人程 度 とみて よ い。 この中 には商家 の業主家族従業者等 も含 めて考 えて も大 きな違 いはないで あ ろ う。 近代 部門 の人 口 と就業者 は, おそ らく実際には もっと少 ないoTable5で従業員100人以 上の 製造業 の雇用 者をみ る と8万人弱で あ る。 このあた りが, 理論分析 において近代 的な企業行動 理 論 をあて はめ る ことがで きるとい う意味 の近代 部門なのではあるまいか。 また,Table5の 雇用者部分 につ いて タイ労働局が調べて い る年間求人数で み ると,バ ンコク ・トンブ リの1970 年,全 産業合計で14,437人 にす ぎない。 タイの近代部 門や工業が全人 口か らみて も,都市在来 部門 の人 口か らみて も, いかに小 さな もので あ るかがわか るで あ ろ う。 か くして,TablC4で就業者 と認定 された114万人 の うち約30万人 は近代 産業 の雇用者,84 万人が都市 在来産業 の雇用者で あ るとい う事 にな った。 筆者 は この84万人 を Tablel におい て 「都市在 来部門雇用者」 と呼んで おいた。 さきほ どの推計 に よれば,バ ンコク ・トンブ リ地 区 の在来的就業者総数 は

1

6

0

万 人で あ った か ら,都市 在来 産業雇用者84万人 を差 し引 くと,約76万人 が,雇用統 計 に もの らないよ うな正 体不 明の就業者 とい う事 にな る。 この グルー プ こそ都市 在来部門の中核 をなす人 々で あ る。 Tablelでは これを都 市在来部門 の 「一般就業者」 と呼んでおいた。 この人 々は,バ ンコク ・ トンブ リ人 口 (320万 人) の23%,労働力人 口 (170万人) の45% に も達 して, urban poverty の中心 をな して い る。 一般 就業者 の就業形態 に関す る調査 は全 くない。 しか し,バ ンコク ・トンブ リ市 内を見渡せ 14

(13)

鳥居 :東南 ア ジアの経済発展 と労働 市場 ば実 に様 々の職業 を営 んで い る事 がわか る。 その多 くは雇用者 ではないが,雇用者 もか な り含 まれて いるo

Ta

b

l

e6

は, タイ政府労 働局 の示唆 を得 なが ら作成 した都市在来 部門一般 就業者 の職 種 リス トで あ る。実際 には, この リス トに もの らない, もっと在 来的,伝統 的で零細 な職 業 が あ る ことは確実で ある。 このよ うに,バ ンコク ・トンブ リ地 区 は, 明 らか に前述 の条件(3) で あ る都市在来 的職業 のプール と して の性格 を持 って い る。 Table6 都市在来部門 「一般就業者」の職種 リス ト 1. 自 営 業 関 係 行商人,露店商,仏花売 り,タバコ売 り,果汁等の路上販売,路上修理屋

,水

上行商,家畜 解体,物乞い,祈商師,理髪師 2. 請 負 業 関 係 人力車 (三輪車)の賃借運転,サムロ (動力三輪車)の賃借運転,タクシーの賃借運転,物 品の請負運搬,請負露天商,請負掃除人 3. 雇 用 者 女中,奉公人,商店下働き

4.

最低生存 費所得 の世界 次 に,バ ンコク ・トンブ リ地 区が,前述 の条件(4)で あ る最低生存費所得 の状況 にあ る事 を見 よ う。バ ンコク ・トンブ リ地 区 の人 々の所得支 出構造 は, ほ とん ど調査 されて いない。特 に, 前述 の都市在来 部門雇用者84万人 と都市在来部 門一般就業 者76万人 に相 当す る部分 だ けを特別 に調 査 した もの な どは全 くない。 Fig.1(a)・(b)・(C)はか ろ うじて手掛 りらしい ものを教 えて くれ る。 Fig.1は, 1967年 に行 なわ れた家計調査21)か ら(a)「バ ンコク ・トンブ リ地 区」

,(

b

)

「東 北部 の町」, (C)「東北部 の村

の標本 につ いて,所得 消費曲線 を描 いた もので あ る。3枚 のグ ラフは,横軸 (所得 ),縦 軸 (支 也) の 日盛 りは共通 に して あ るか ら,三枚 の図 の大 きさの違 いは三地域 間の所得水準 に いか に ひどい格差 が あ るかを如実 に物語 って い る。 と ころで,バ ンコク ・トンブ リ地 区 の図(a)に注意 を集 中す る と,第 1階 層か ら第 m階層 は赤 字家計 で あ る事 が判 る。 即 ち,所得 だ けで は必要 な支 出をまか ない切れ ない人 々で あ る。 この 状態 は最低生存 費均衡 の一 つ の形態 とみ る ことがで きるo この家計 調査 は,各階層 の標本数 を 明示 していないので所得分布 が判 らない。従 って各階層 が全体 の何% を 占め るかが判 らない。 しか し,幸 い所得分布 につ いて は

NESDI

i の調査 が あ る。

,Ta

b

l

e7

がそれで ある。 この裏 を 用 いて Fig.1のバ ンコク ・トンブ リ地 区 の赤字家計 (Ⅰ, Ⅱ, Ⅲ階層) の ウエイ トをみ る と (年次が違 うので正確で はな いが),月額 2000バ ー ツ以 下 (年額 36,000バ ー ツ以 下) とみて, 全 体 の88.7%を 占め る事 にな る。バ ンコク ・トンブ リ地 区 の全 世帯 のおよそ88%が赤字家計 で

(14)

東 南 ア ジア研 究 14巻1号

(.000 2,000 5,000

(15)

烏Fh'・'.動 萄アジアの経済 発展 と労働 市場 Table7 タイの所得分布 (%)(1962/63年・1969/70年) 所 得 階 層 :所 得 階 層 バ ンコク (バ ー ツ) (バ ーツ) ]ト ン ブ 総 数 3,000以下 3,000- 5,999 6,000-ll,999 12,000-17,999 18,000-23,999 24,000-29,999 30,000-35,999 36,000-47,999 48,000-59,999 60,000以上 那 ● リ 1962/63年 :1969/70年 100.0 ≦ 100.0 ! 100.0 100.0 100.00 250- 499 500- 999 1,000-1,499 1,500-1,999 2,000-2,499 2,500-2,999 3,000-3,999 4,000-4,999 5,000 15・0 ! 18・7 . 21・6 20・8 31.7 34.2 ・ 16.2 19.5 17.4 14.7 3.4 5.7 10.3 5.8 1.2 2.4 5・5 ・ 2・7 ; 0・3 1・0 4.0 2.2 !・ 0.2 0.7 3.8 1.7 0.2 0.6 27.53 2.2 0.9 0.1 ・ 0.3 2.68 月間平均所得 】1,__5_19・ヲ7_;1・03_7・89 : 479・72 1 620・67

(出所)NEDB,Eco710micProgre∫sofThailand-GeneralZndicator∫,Oct・1968;UnitedNations,Economic Surz′eyQFA∫iaandtheFarEa∫1,1970,Bangkok,1971,pp.308--309.

ある とい うこの事実 は

,

「収支均衡点以 下の所得 で生活 してい る」 とい う意味で, 最低生存費 状況が成立 している事を推 論す る一つの手掛 りとな る。 この赤字 は

,

「貯蓄の引き出 し」 や 「社会保障

によ って埋 め合 わ されて いるのではない。 東南 アジア社会では, 「相互扶助」 と富者 の貧者 に対す る 「施 し

が, 伝統的に この赤字 を埋 め続 けて きた事を想起 しな ければな らない。 バ ンコク ・トンブ リの家計 の88%を占め る赤字家計 (I,Ⅱ, Ⅲ階層) は,Fig.1の 中段(b) 図,下段(C)図の農村 部の赤字家計 (Ⅰ, Ⅱ, Ⅲ, Ⅳ階層) と重ねてみ ると, その横軸上 の位 置 がほ とん ど同 じである事がわか る。 つ ま り,バ ンコク ・トンブ リ地区の赤字世帯 と東北 部農村 地帯 の赤字世帯 とは, その所得水準 はほ とん ど同 じなのである。 このよ うに,バ ンコク ・トンブ リ地区 の都市在来部門(88%)の人 々の大部分の所得水準 は,収 支均衡点以下 の所得水準で あ り,その絶 対水準 は,農村部 の赤字家計所得 と同水準 なので ある。

V

バ ンコク ・トンプ リの人 口流入量 の推計 バ ンコク ・トンブ リ地 区 は, ひ と冒見 ただ けで,明 らかに周辺 部か ら急激 な人 口流入が起こ って い る。 また, Table3で見 たよ うに,外 部か らの移入者 が大部分を 占める地区で あ る。 しか しなが ら, その流入量 は,統計的には捉 え られていない。その為 に,人 口流入の要因に関 す る分析を行 な う場合 の大 きな障害 になる。 人 口流入量の推計は是非 とも必要であ る。 そ こで, バ ンコク ・トンブ リ地区の人 口流入量 (人 口学 の用語 では 「社会増加」)杏,1966-72年 の各年 について, 男女別,年齢別 に推計 し

(16)

東南 ア ジア研 究 14展 1号 た.推計の基礎デー タは極 めて少 な く,精度に も疑問の点 が多いOまた,筆 者が

いた推計方 法 も問題な しと しない。 しか し,第一次推計 と して掲載す る事 とす る。 推計方法 はほぼ次 の方法を とった。 (1)1960-72年 の各年 についてバ ンコク ・トンブ 1)地区の人 口を推計す る. (2) バ ンコク ・トンブ リの人 口の/生命表を作成 す る。 (実際には, タイ国全体 の生命表を推計 して これに替えた。) (3) 各年につ き, 前年 の男 女別年齢階級別人t二日こ生 命表の生存率を掛 けて, 白然増加人 口を推 計す る。 (4) (1)の人 口か ら(3)の 自然増加人 口を引いて1才以 上の年齢階級別社会増加人 口 (流入人 口) を推計す るO (5)

0

才人 口を推計 して補充す る。 ここでは以上 5段階 の推計作業 の詳細なデータは省略す るo Table8は,バ ンコク・トンブ リの男女別年 齢別人 口の推計結果で ある。 タイ政府 のLabour ForceSurvey 統計のバ ンコク ・トンブ リ人 口を基礎デー タとして補間推計 と補正 を行 な った Table8 バンコク ・トンブリ地区の人口推計 0-14 † 5211,732 20-24 86,496 1 30-34 76,744 35-39 66,780 40-49 82.468 50-59 64,448 60- 53,000 Female 11969 143,962 157,287 158,100 198,100 94,694; 95,945・ 122,600 118,200 1 81,360 97,388 106,400 92,400 72,998: 74,369 8 1,300 87,100 86,332 101,427; 111,000 131,000 72,546 70,186 76,700 85,500 57,856 49,893 54,600 61,400 1966 1967 1968 1969 0-14 472,078 499,616… 527,794 531,800: 536,800 18 11 1 117,070 102,820 125,260 108,400 112,110 116,100 88,345. 91,330 94,750 75,403㌢ 78,020・・ 80,790 62,464: 64,150 65,580 1970 1971 . 1972 11 583,593 606,560; 629,310 1 25-29 104,799. 110,864 114,660 128,200き 107,200 1 30-34 85,885 90,480: 90,452 100,700; 112,600 l 日 ニ ー_三 二十 ∴ 二 二三喜 一三二三一 L 60- 56,742 60,944! 64,797 72,500: 75,800 Total ;2,359,978i2,501,444 2,651,200・2,803,300.2,950,400 161,885; 166,980. 173,490 124,769 129,660: 133,950 112,496: 116,5301 120,980 1 118,485; 131,950! 127,370 81,127 85,470 89,570 1

(17)

(Male) QX(死 亡率) .064489 .018626 .025431 .016336 .010293 .011299 .013071 .015766 .019397 .027281 .034082 .048673 .066728 .084312 .122040 .156967 .231464 .296709 .4167.7 1.000000 (Female) .053447 .017579 .023004 .014113 .008920 .009175 .014000 .017484 .022287 .028267 .031059 .03366() .041907 .056608 .078350 .108318 .160503 .210961 .337104 1.000000 鳥居 :東南 ア ジアの経済 発展 と労働 市場 Table9 タイ人Hの生命表 (1960)推計結果 年 齢 階 級 9 3 5 2 6 4 6 0 3 8 0 1 3 9 7 5 5 6 0 8 .4 4 3 6 0 8 ワ山 4 2 3 2 5 9 6 4 3 3 7 1 5 4 7 3 4 9 9 1 3 6 2 7 7 8 7 6 6 7 5 4 6 6 1 2 1 1 1 1 2 2 3 4 5 7 8 0 0 0 4 1 1 1 1 5 1 2 1 1 l 1 2 2 2 3 4 5 6 9 9 2 4 1 2 5 4 9 3 9 5 1 6 9 5 4 0 7 1 8 0 7 2 3 3 4 6 3 8 9 1 3 1 9 5 1 4 7 1 6 4 3 7 7 2 3 6 1 2 7 8 2 5 8 3 5 6 1 1 3 8 0 9 5 7 59.19 62.26 62.43 61.02 56.99 52.55 48.12 43.72 39.38 35.10 31.01 27.01 23.26 19.73 16.30 13.20 10.17 7.46 4.53 1.00 62.96 65.51 65.67 64.18 60.06 55.58 51.07 46.75 42.54 38.45 34.49 30.51 26.48 22.52 18.71 15.08 ll.59 8.30 4.82 1.00 0 1 2- 4 5- 9 10-14 15-19 20-24 25-29 30-34 35-39 40-44 45-49 50-54 55-59 60-64 65-69 70-74 75-79 80-84 85-0 1 2- 4 5- 9 10-14 15-19 20-24 25-29 30-34 35-39 40-44 45-49 50-54 55-59 60-64 65-69 70-74 75-79 80-84

(18)

85-来由 ア ジア研 究 14巻1号 もので あ る。 Table9は,1960年 セ ンサ ス に基 づ いて推 計 した生命 表 で あ る。 (目下1970年 セ ンサ スに よ る生命表 を推計 中だが この稿 の時点 で は未 完 で あ る.) 推計法 はグ レー ヴ ィル法, リ- ド ・メ レル法等 を試 み たが, ここで は グ レー ヴ ィル法 の結果 を示 した022) Table8の人 口に Table9の生 命表 の死 亡率 を掛 ける ことに よ って 男女別 ・年 齢階 級別 の 白然増 加人 口を推 計 した。生 命表 が各 才別 で は ないので配 分方式 を とった。一 例 と して5- 9 才 を とる と,推 計式 は, ittl9=尋 '21:4

1

'

×

(1- 4×

×√3 +2 '5tr91'×(1-g5-9

×冒

xc

3 ただ し

,

2

(

5

t

l

9

:

7年 の5- 9才人 口

2i

:t

年 の 2'才人 口 g5-9: 5- 9才 の死 亡 率 {・3=

24

22

-4 ,3=

25

8

25

-

9

Table10 バ ンコク ・トンブ リ地区の自然増加人目推計 (Ma_1e) 1966 0-14才 2 527750・ 20-24 94924. 25-29 86915.1 30-34 81106. 35-39 .・ 66410・ 40-49 85820. 50-59 62049. 60- 41355. (Female) 0-14 . 478432・ 15-19 140388. 20-24 118205. 25…29 101669. 30-34 90236. 35-39 64358. 40-49 88523. 50-59 59495. 60- 45506. 2368311. 1967 1967 11 144930. 157673. 103604. 106988. 90942. 97319. 85539. 1()0109. 72141. 70688. 90435. 104059. 69323. 68506. 45308. 39643. 505835. 536108. 150656・ .; 165626・ 118498. 128267. 106085. 110485. 95157. 95904. 73117. 74626. 91726. 98479. 68665. 67970. 49309. 51993. 1969 1970 1971 1972 1 158451. 192822. 129148. 132568. 109332. 90217. 109393. 93246. 83167. 85242. 113864. 132681. 74877. 84051. 43375. 48721. 541336. 549131. 167628. 185468. 137376. 154605. 122940. 109244. 106882. 112180. 83282. 90765. 109650. 130165. 76134. 84941. 58185. 61169. 2508066. ; 2665290. 2814213. i 2961683. 616475. 638961. 1 162674. 168182. 117207. 106933. 111661. 111723. 89084. 92102. 121935. 126031. 74371. 76941. 48698. 50056. 594710. 617741. 169506. ; 174946. 1 125710. 130423. 90790. . 94101. 80491. 84238. 64714. 68083. 22)生命表の作成法については拙稿 r生命表作成のための電子計算プログラム - TLTシリーズについて -

『産業研究』第 5号,1968年 (慶応大学産業研究所)を参照。 20

(19)

鳥居 :東南 ア ジアの経済発展 と労働市場

自然増加人 口の推計 は

Tabl

e

lOに示 した。

Tabl

e8

の人 口か ら

Tabl

e

lOの 自然増加人 口を差 し引いて社会増 (流入人 口) を推計 した結果 が

Tabl

el

lで ある。

Tabl

e

llの推計 は過小 推計である。 第- に,人 口その もの

(

Tabl

e8

)

La

bourFor

c

e

Sur

v

e

y

を基 礎 に してい るために15%はど過小推計 である為で ある。第二に

Tabl

e9

の生命表 が

1

9

6

0

年生命表であるために死 亡率 が過大推計 にな ってい る可能性が高 い。 これ らの欠陥は早 晩改 めなければな らない と考えているが,バ ンコク ・トンブ リ地区の流入人 口の年 々の動 きを 追 うための第一次推計 と して,

Tabl

e

llを採用す る。 Tablell バンコク ・トンブリ地区の社会増 (流入人口)推計 (Male) : 1966 lF 1967 15-19 8800. . 12356. 35-39 ・ 6587. 2227. 511. 10991. 10496. 862. 1968 -6243. 426. 15611. 16580. 6290. 5211. 6940. 8193. (Female) 0-14才 21183. ・ 21958. 3O-34 243. --4705. 1 35-39 6985. ・ 130. 1 40-49 -539. 3429. 50-59 10184. . -424. 1 60- 15437. 15487. Total 133132. 143132. 1 l l h136993932: .r l喜llo5…: 17135. -14091. 18024. 13742. 1732. . 8923. 7279. 17714. --15740. 15524. 4795. 5717. 315. 7173. 5217. -2210. 7420. 17849. -11680. 20506. 17614. 19957. 138008. 136185. 118101. 448. 4376. 634. 1038. 15451.1 16523. 11849. 11568. -2526. -1456. 3949. 3526. 1009. 998. 9818. -7377. 20755. 21486. 89459. 113382. VT 搬 村 の 原 因 バ ンコク ・トンブ リはタイの唯一 の都市在来部 門であるか ら,

Tabl

el

l の流入人 口は農村 部 門か ら都市在来部門-の人 口移動 にはかな らない。 この事 で は, この人 口移動 の実態 と要因 を分析す る。バ ンコク ・トンブ リ地 区- の人 口流入 の実態 と要因についての調査 はほ とん ど行 なわれて いない。筆者 は

,1

9

7

2年か ら

7

4

年 にか けて この地区 の調査を行 な ったが, その結果 を 要約す るとほぼ次のよ うな事が判 った。 21

(20)

東南 アジア研究 14巻1早 (1) バ ンコク ・トンブ リ地区への流入者 は大部分 が中央平原 と一部の東北部 の出身で,北部, 南 部の出身者 は少 ない。 (2) 中央平原 と東北部で は,典型的なモノカル チ ュアであ り

(

Fi

g・2

参照), 中央平原では地 主化が急激 に進んで い る。華僑 の地主 は農民 に米や土地 を低 当に前貸 しを して土地 の収奪 を 進めてい る。 彼 らは精米か ら流通 までを牛耳 っていて,米価の暴落時 には損失 は農民に転化 され る一方,米価高騰時 に も農民 の手取 りは一定に抑 え られ,一種 の最低生存費所得 が成立 している。

(

3

)

戦後奨励 された メイズの開墾畑 も

1

9

7

2

,7

3

年 の価格変動で華南の高利貸 しの収奪 に会 い多 くの開拓農民が離村 した。 (4) バ ンコク ・トンブ リに流入 した人 々は,経済的には出身家計 と独立す る。 彼 らは農繁期で も実家 の手伝 いをす るケースは少 ない。 Fi色.2 北部,中央部,南部の農業周期 (日 中央部平常(モ/カルテ1ア) 1 2 3 月 R 冒 CtJJ 日 日 [R r_J r 9 月 8 月 7 月 6 月 5 [R 4 . R H (2)アントン地 区 (先 萱 的 農業) ほ 日 日 月 rPJ c; I 9 円 ︰ 8 ロH 7 uH 6 [円 5 RH 4 . ︻円 「J nH (∠ [R -[円 (3)サ>カンペ ン地 区 (北 部 の伝 統 的 農業) 22 サ トウ キ ビ 田畑 1 田畑2 缶姻 1 田畑1 旧畑2 田畑3 I 2 3 4 5 6 7 8 9 10 日 12 月 月 日 月 日 日 月 月 日 月 日 月

RuralManpower,RuralInstitutionsandRuralEmploymentinThailand・ ManpowerPlannlng Division.

(21)

鳥居 :東南アジアの経済発展 と労働市場 以上 の観察 は,体系的 なア ンケー ト調査等 を行 な う事がで きなか ったので,全 て各地方での 聞 き取 り調査 の ノー トを もとに若干の集 計 ・整 理 を行 な った結果である。 (筆者 は この調査を 通 じて,村 の古老や村長に訊ねたほ うがよほどは っき りわか るよ うな事 まで も,調査票や ア ン ケー トで調べ る,多 くの "現地調査〝 に疑 い と反省 を持つ に至 った。) 離農者 の実態を知 る為 に, 中央平原部 (アユ タヤの少 し北), 南 部 (ア ン トン地 区), 北部 (サ ンカ ンペ ンの少 し北) の3地区を歩 いて,若干 の聞 き取 り調査を行 な ったが, ここでは, 北部 のサ ンカ ンペ ン付近 の フィール ドノー トを整理 してみたい。 なお, これ らの地区 の農業周 期 については, たまたま

NF

J

SDI

3資料で

Fi

g.2

のよ うな整理が行 なわれてい るので掲載す る。 北部のサ ンカ ンペ ン付近 では,約50名の人 々に質 問を したO この地区は上の要約(1)で も述べ た通 りバ ンコク ・トンブ リ-の離農者 が少 ない地 区であ るに もかかわ らず そのよ うな離村 の経 験者 の話 を探 す ことに力を注 いだため,

Tabl

e1

2

の離村経験 の分布は非常 に偏 った ものであ る。離村 して しま った人の話 は, 同義 にみ る通 り,

2

人 しか聞 く事ができなか った。また,か って離村 した経験が あるが今 は帰農 している人 に直接 め ぐり合 った り,間接的にその話を聞い たのは

1

1件であ った。町 に出た事 のない人 は

3

6

人について話 を聞 く軍 がで きた。

Tabl

e1

2

以 下 はその よ うに読 んでいただ きたい。

Tabl

e1

3

は, 上記のサ ンプ

ル4

9

名の うち

20

名について, その出身家計 を知 る事がで きたの で一覧表に した ものである。 離村者

2

釦 ま小作の出身,帰農者

1

1名中

8

名は小作の出身 である 事 が確か め られた。 自作農家 の出身者 は, この

2

0

名の中には一人 もいない。元来, このサ ンカ ンペ ン付近 の北部地帯 は,比較的安定 した 自作農 が多 く,小作農 (または農業 日雇 い的存在 の 者) で も離村 は少 ない。

Tabl

e1

4

は, 離村者については離村理 由を, 帰農 者については帰農理 由 と再 び町 に出る意 志 を,町 に出た事 のない者 についてはその理 由を訊 ねた結果 を一覧表に した ものであるo この 調査 は, あ らか じめ調 査票や統一規格 の質問を用意 したのではな く,人 々との話 し合 いの内容 Table12 サンカンペン付近の調査標本 一 家 の 主 人 非 世 帯 主 離 村 状 況 (北部) total 単 身 懐族 ぐるみ. l Ⅰ 町へ行ってしまった 1 Ⅱ 賢塁 島だ認 まある 3 男 j 女 合 計 F 単 身 座 身以外 ⊇単 射 潤 身以示 j 15 23 1 3 2 2 1 20 9 2 1 6 4 1 3

(22)

東南 アジア研究 14巻 1号 Table13 サンカンペン付近 の標本 の出身家計 闇 雲豪

姦 i

小 作 農 ま た は そ の家 族 ∃総 桐 轟 姦 轟 o孟 ∼諸 計 total 離 村 者 (町へ行ってしまった) を ノ- トした ものを集 計 した結果で ある。従 ってた とえば 「町の生活 にあ こがれて」のよ うに 空欄 にな っているのは,質問を して答がゼ ロだ ったわけでな く,他 の地 区 (南部, 中央部等) では答 があ ったが この地区では特 にそれ らしい答がなか った事を示 してい る。 また,横方向の 合 計が

Tabl

e1

2

に示 した調査サ ンプルの合計 を越 えて しま うのは,一人で何種類 もの理 由を あげた ものをそのまま列挙 した為で ある。 また,か っこ内の数字 は内数で ある。 これによ って み ると,離村理 由は

,

「村 にい られないわけが ある

「金 ・職 が欲 しい」 とい うので あるが, そ れを さ らにつ きつ めると 「土地 を耕す事がで きない

「村 では地 主が いるのでいやだ」 とい う 事 にな る。 帰農者 の うち 「再 び町に出 るつ もり」の者 に訊ね ると, 同様 に, 「村 にい られないわ けがあ り」その背景には 「土地 を耕す事 がで きない」

,

「村 の生活 は豊 凶がひ どい」

,

「村 には地主がい るのでいやだ」等 の理 由が ある。 それに対 して,同 じ帰農者 で も 「再 び町に出るつ もりはない

者 に訊ね る と, 「土地 は持 たないが小作で食べてゆける」, 「土地 を持 って いるので食べてゆけ る」 とい う答 が多 く, またその帰農の理 由 と しては 「親 兄弟 と一緒 に暮 らしたい」

,

「町へ行 っ て もや って ゆ く自信 が ない」

,

「村 にいればなん とかなる」

,

「教育を受 けていないか ら町では無 理」等 の答 があげ られている。 次 に 「町 に住 んだ ことはない」人 々の中で離村 を望んでい る (「町に住んでみたい」 と考 え て いる)人 々に訊ね る と, 上記 の離村者 の離村理 由 と全 く同 じで, 「村 にい られ ないわ けがあ り」

,

「土地 を耕す ことがで きない」

,

「村では地 主がい るのでいやだ」 とい う事情が背景にな っ ている事がわか る。 また, これ ら離村希望者 の答 の中には

,

「町にい る友人 と同 じよ うにな り たい」

,

「土地 はあるが家族 が多す ぎる」等 の答がわずかで はあるが混 ってい る点 が注 目を要す る。 これに対 して, 同 じ離村 の経験 の無 い者 で も

,

「町へ出 るつ もりはない」者 の答 は, 上記 の 帰農者 の答 と同 じで, 「土地 は持 たないが小作で食べてゆける」, 「土地 を持 って いるので食べ 24

(23)

Table14 サ ンカンペ ン付近の離村,帰農,定住の理 由 お jf : 親 裁 7 ・} 7 0) 薪 繋 冶 細 t 竣 車 胡 麻 町 の 生 活 は お 金 が か か る と 聞 い た 言 葉 が し ゃ べ れ な い か ら 町 で は 無 理 教 育 を う け て い な い か ら 町 で は 無 理 家 族 を 養 わ ね ば な ら ぬ 村 に い れ ば い つ で も な ん と か な る 町 へ 行 っ て も や っ て い け る 自 信 が な い 町 の 生 活 が 好 き だ 農 業 以 外 の 方 法 で 食 べ て ゆ け る 土 地 を も っ て い る の で 食 べ て ゆ け る 1,r ,3 3 1 6 2 1 j I (1)ち 1(3)I(3)r (6) 10 3 10 6 j6 (12);(2). 書 (10)(3)(10)(6) 土 地 を も た な い が 小 作 で 食 べ て ゆ け る 町 で よ い 配 偶 者 を み つ け る 村 で は 地 主 が い る の で い や だ 村 の 生 活 は 豊 凶 が ひ ど い 土 地 を 耕 や す こ と が で き な い 土 地 は あ る が 食 べ て 行 け な い を2。 2 Gip F JJ 1 1 lHtJH -luL U i(1) Ll_ nHl l 1 lⅦ t 、id l 1 ( ) l 1( 云 地 は あ る が 倭 懐 憾 新 風 f 妄 f i 云 ・ 贋 は し い " 村 に い ら れ な い わ け が あ る 1 1 .(1) 】 l

.Ⅰ

町へ行って しまった 離 村 理 由

jト1

永住 している Ⅰ-2 一時的に町にいる Ⅱ 町に住んだことはあるが今は村にいる ・1 ■2 (1) 離 村 理 由 と Ⅱ-1 再び町に出るつ もり 帰 農 理 由 Ⅱ-2 再び町に出るつ もりはない Ⅲ 町に住んだことはない 離 村 意 志 Ⅲ-1 住んでみたい (永住) と 定 着 意 志 Ⅲ-2 住んでみたい (季節出稼) ・Ⅲ-3 町へ行 くつ もりはない

(24)

東南 アジア研 究 14巻1号 て ゆける」

,

「農業以外 の方法で食べてゆける」等 が重要 な判 断条件 とな ってお り, さ らに

,

「村 にいればいつで もなん とかなる

「家族 を養わねばな らぬ」

,

「教育を受 けていないか ら町では 無理」

,

「言葉が しゃべ れないか ら町では無理」

,

「町の庄活 はお金がかか ると聞いた」等 の意識 が強い事がわか る。 このよ うに,北部の農村では,人 々は,土地 を耕す事がで きる限 り(自作で あれ小作で あれ) 村 に とどま ってい る。 また,Ⅳ-4節 の

Fi

g11

でみたよ うに人 々の多 くは, 収支均衡点以下 の 貧困状況 にあるに もかかわ らず

,

「村 にいればいつで も何 とかなる」ので ある。 これ と同 じ調査を, 中央平原部 (アユ タヤの北部),南部 (ア ン トン地区)で も行 な った。バ ンコク ・トンブ リ- の人口流入源 としては, これ らの地区 のほ うが重要 なので あるが,整理作 業 の都合で ここでは割愛す る。 ただ, これ ら地 区では, 北部 よ りは もっとは っき りと

,

「土地 を耕す ことがで きないが故 に離村 す る」 とい う結果 が抽て いるよ うにみえる事 を付 け加えてお きたい。 Ⅶ バ ンコク ・トンプ リの流入人 口の変 動要因 以 上の予備的観察をふまえて, バ ンコク ・トンブ リの都市在来部門-の人 口流入量 (Table llの推計量) を説明す る要因を統計的に と らえた結果 が次の回帰分析で ある。 (計 測 は,男女 別,年齢階級別 に行 な ったが, ここでは多数 の計測結果 の中か ら一部 を示す に止めるO) この分析 によ って,筆者が Ⅴ章 で推計 したバ ンコク ・トンブ リ地区への人 口流入が,農村部 門にお ける耕地面積 の変動 によって説明 され る事 が確か め られた よ うに思 う。 バ ンコク ・トンブ リへの人口移動要 因 (I) 男子合 計 に関す る人 口移動関数 Mm-266897.75-3.8414020A RICE-6.5313900A MATSE

(

4.

74

)

(

2.

80

)

(

1

.

46

)

R=0.8506 ♂=2.2309 S2=385812040 乙I=0.0613

M

m :男子流入人 口 A RICE :コメ作付面積 A MATSE :メイズ作付面積 (2) 女子 (15- 29才) の人 口移動 関数 26

(25)

鳥居 :東南 ア ジアの経済発展 と労働市場 Mf2-29105.771+0.37164039Mm2-2.3344731A MAISE (2.05) (2.47) (0.87) R=0.6941 ♂=1.7932 S 2二二173249100 〃=-=0.0924 J砺 :女子 [15-29才]移動量 Mm 曾 :男子 [15-29才]移動量 A MA王SE:メイズ作付面積 (1)式 にみ られ るよ うに, 男子 の農村か らの流 出は水 田 とメイズ畑 の耕地 面積 の変動 に よ って よ く説 明 され る。計測の対象期間である1966-72年 にはメイズ畑 の豊凶 と収奪が離農 の大 きな 原因 とな っていた ことがわか る。計 測期間に入 って いない1973年以後 に大量の農民が メイズの 開墾地 を失 って離村 した とみ られ る最 も重要 な局面 については,耕地面積で はな く自作地面積 の変化が大 きな要因 となるはずであるが, その統計 はいまの ところない。 男子 の年齢階級別 の 人 口移 動関数の計測結果 は ここでは省略す るが,若年層が再壮年層 の流入に随伴 して流入 して いる傾 向がみ られ る。 同 じことは(2)式 の女子 の計測結果 で もみ られ る。 ここでは,代 表的に, 女子 (15-29才) の人 口移 動の要因を(2)式 で示 した。(2)式では,同 じ 年代 の男子 の移 動 に随伴 して移動す る女子が37%程度 あることがわか る。 また,(1)式の男子 の 場合 には (-6.53)であ った メイズ耕地 面積 の係数 が (-2.33) と小 さ くな っている点 が注 目 に値す る。 結 語 筆者 は, この小論で報

した観察 と分析を通 じて,従来 の経済発展理論モデルに対す る疑問 を提 出 しよ うと した。特 に,ル ウィス ・ラニス型 モデルは,東南 アジア諸国でみ られ るよ うな 「都市在来部門

または 「都市貧 困

への人 口流入 を工業部門への人 口流入 と混同 していた (あ るいは無視 していた)。 また, 農村人 口が離村す る理 由につ いて, 巌 も基本的 な理 由で あ る 「土地 を耕す権利の喪失」 とい う要素 を見落 と していた と断ぜ ざるを得 ない。 人 々が意識す る しないにかかわ らず, この タイプの二部 門経済発展観 は,60年代,70年代 を 通 じて,工業化理論 と開発 と援助の様 々の努力の一 つの大 きな背 景 とな って いたO人 々は,低 開発諸 国の経済発 展は農業部門の人 口を工業部門に吸収す る事 によ って達成 され ると信 じて き た し, その事 の実現可能性 は,無制限労働供給理論や工業 の労働需要理 論に よ って保証 されて い ると暗黙裡 に考 えていた。 しか し,東南 アジアの諸 国では,伝統 的な二部門発展理論はほ とん ど無力 に近 い。我 われは

(26)

東南 アジア研究 14巻1号 いま,抽象 的な 「国」 や 「経済」 につ いてではな く,具体 的な一つ一つの国について,その国の 経済発展 とは何かを問い蔭 さなければな らない時点 に立 ってい る。 その際,我われに一番必要 な ことは, これ らの国 の人 々の経済行動を彼 らの主体的意図 と無 関係 で あ って も理論的に 「説 明」す れば よ しとす るのではな く,人 々が どの よ うな意識 と意図を持 って いるかを理解 しなが ら, その経済行動 のメカニズムを解 明す る串 ではあるまいか。 この小論 が問題提起 した離村理 由が 「土地耕作 の権 限

と関係があ るとい う事実 や,都市-の流入人 口が, そ こで新 しいアジア的な貧困社会 を形成 してい るとい う事実を,理 論モデルが 長 い間見落 として きた背景には,西欧社会 に適用 して成功 した経済合理性 の論法が, アジアで も応用可能 で あるとい う錯覚 があ るよ うに思 える。 また, この小論が, アジア諸国の経済発展 とは何か,工業化 とは何か, を考 え る為の新 たな問題提起 としての役割 を果 たす事がいささか で もで きれば幸甚で あ る。 28

Tabl e2 では,北部, 東北部, 南部を合 わせて約1 30万人 ほ どの都市人 口がい ることにな る が これはむ しろ集落人 仁は 呼ぶべ きもので ある 。 この 3 地 区の中で最大の都市 は Chi ang M a主
Tabl e 3 I mmi gr ant sf r om Ot he rAr e at oEac hRe gi on( 1 9 70Cens us )
Tabl e4 Ec o nomi c a l l yAc t i v ePopul at i o nl lYe a r sofAgeandOv e rbyMa j orI ndus t r yGr oup a ndWor kSt at usi nPhr aNa kho n‑ Tho nbu r i ,1 9 70
Tabl e5 Empl oyme ntLe ve l si nEs t at , l i s hme nt swi t h1orMor eWor ke r sbyI ndus t r yand Si z eofEs t abl i s hme nt si nBangkok‑ ThonBur i( asof31 s tSe pt e mbe r1 970)
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参照

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