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光前寺略縁起と早太郎伝説

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(1)

光前寺略縁起と早太郎伝説

著者 廣田 收

雑誌名 人文學

号 195

ページ 195‑238

発行年 2015‑03‑15

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014105

(2)

光 前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

廣 田

考 察 の前 提 か

つて 私は

︑院 政期 の﹃ 今昔 物語 集﹄

︵ 巻第 二六 第七

︶や 鎌倉 初期 の﹃ 宇治 拾遺 物語

﹄︵ 第一 一九 話︶ にお ける

﹁猿 神退 治﹂ の話 型を もつ 説!! の考 察に 関し て︑ 昔話

﹁猿 神退 治﹂ の採 録資 料収 集と 分析

︑な らび に︑ 岡山 県津 山市

︑静 岡県 磐田 市︑ 長野 県駒 ケ根 市な どを 訪れ

︑猿 神退 治の 伝承 の現 在に つい て︑ 少し ばか り調 べた こと があ る︒ その 成果 の一 端に つい ては

︑す でに まと めた こと があ る

︒ そ の要 点は

︑文 献説 話の 分析 にお いて

︑同 一説 話や 類似 説話 との 文献 上の 比較 だけ でな く︑ 口承 文芸 とし ての 昔話 を対 照さ せる とい う方 法を とっ たこ とで ある

︒私 はこ

れら

genre

の異 なる テキ スト を比 較す ると き に︑ 話型 を 手 がか り とし て

︑日 本 昔!!

︑① 主 人公 が 猿 神を 犬 と 刀 によ っ て 武!!! に 打倒 す る と い う 亞 型

sub-type

と︑

②主 人 公 が 猿 神の 唱え 言の 謎を 知!! で解 いて 霊犬 を探 し出 し︑ この 霊犬 の活 躍に よっ て猿 神を 打倒 する とい う亞 型と が併 存︑ 混在 す るこ と を 明 らか に し た︒ また

︑特 に 韓 国昔 話

︑中 国 昔 話の 話 型 では

︑① が 主流 を な す こ と が 明 白 と な っ た

︒同 時

― 195 ― 光

前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

(3)

に︑ 日本 説!! はこ の唱 え言 を持 たず

︑伝 説や 昔話 とは 物語 構成 の枠 組み が異 なる こと が確 認で きた とい える

︒ さ らに

︑古 代天 皇制 以!! の神 話と して 風土 記 神!! を対 照 さ せる と

︑﹁ 猿 神退 治

﹂の 話 型 をも つ 日 本の 文 献 説!!

﹃宇

治拾 遺物 語﹄ は︑ 人に 災厄 をも たら す神 格を 武力 的に 打倒 する ので はな く︑ 誓約 によ って 悪神 を制 御し

︑こ れと 宥和 する とい う神 話的 な枠 組み を承 け継 いで いる こと が分 かる

︒こ こに 伝承 の日 本的 な特 質が 認め られ る︑ とい うも ので ある

は じ めに

﹁猿 神退 治﹂ に関 する 研究 史に おい ては

︑早 く島 津久 基 氏 が義 犬 の 伝説 と し て﹁ 助勢 者 た る 犬が 猿 神 を斃 し て 自!!

! 絶 命し

︑義 犬塚 に祀 られ るの を常!!

﹂ とし

﹁そ の最 も代 表的 なも のは 義犬 早太 郎︵ 兵坊 太郎

︶の 伝説

﹂で ある

︵傍 点・ 廣田

︶と 紹介 して いる

︒こ の早 太郎 もし くは 兵坊 太郎 の名 が︑ 長野 県駒 ケ 根 市の 光 前 寺 に祭 ら れ てい る 霊 犬に 由来 する こと はよ く知 られ てい ると ころ であ る︒ また 個別

﹁猿 神退 治﹂ の昔!! に つい ては

︑永 田典 子氏 の詳 細な 考察

があ る︒ そ こで

︑本 稿で は︑ 寺社 縁起 とい う視

点か ら﹁ 猿神 退治

﹂を 捉え 直し たい

︒周 知の よう に︑ 岡山 県津 山で は︑ 中山 神社 の祭 神を めぐ って

︑悪 神の 打倒 と生 贄の 廃止 とい う枠 組み をも つ伝 承が

︑幾 重に も歴 史的 に生 成さ れて きた こと が明 らか であ る

︒ また 祭祀 の生 態か ら見 ると

︑津 山に おい て猿 神は

︑中 山 神 社の 神!!!! の 崖 に 祀ら れ て おり

︑在 地の 産神 とし ての 性格 が強 い︒ これ と﹃ 今昔 物語 集﹄ や﹃ 宇治 拾遺 物語

﹄な どの 説話 の語 る神 格と は直 接に は結!!!

光 前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

― 196 ―

(4)

!!!

︒ 一 方︑

﹁ 猿神 退治

﹂の 説!! では 主人 公で ある 男!! 刀と 犬 の 力を 借 り て邪 悪 な 神を 倒 す と いう 設 定 を基 本 と する

︒こ れに 対し て︑ 特に 霊犬 とし て活 躍す る早 太郎 を 主!!! と す る﹁ 早 太郎 伝!!

﹂ は︑ 長 野県 駒 ケ 根 では 光 前 寺の 縁!! に︑ 静岡 県磐 田で は矢 奈比 売神 社の 縁!! に組!!!!! て 伝 承 され て い る︒

﹃今 昔 物 語 集﹄ や﹃ 宇治 拾 遺 物語

﹄な ど の 説話 とは 異な り︑ 早太 郎伝 説で は犬 の活 躍と 悪神 の打 倒 が 中 心で

︑生 贄 の 廃止 は あ まり 焦 点 化 され る こ とが な い︒ た だ︑ 調べ るほ どに この 早太 郎の 伝説 は︑ 多く の異 伝の 存在 する こと が知 られ る︒ その 成立 と変 容を 歴史 的に 辿っ たと して も︑ 簡単 に整 理す るこ とは なか なか 困難 であ る︒ 例 えば

︑矢 奈比 売神 社︵ 見付 天神 社︶ の側 の伝 説と して

︑生 贄を 要求 する 存在 は果 たし て矢 奈比 売神 自!! であ るの か︑ 生贄 を献 ずる 場所 は果 たし て矢 奈比 売神!! で よい のか

︑こ こに も伝 説の 異同 は多 い︒ その こと はお そら く︑ この 伝説 の歴 史的 な生 成に 絡む 問題 であ るに ちが いな い︒ その 具体 的な 考察 につ いて はひ とま ず措 くこ とに した い︒ つ まり

︑ジ ャン ルの 異な りを 承知 で︑ 早太 郎を 主!!! と する 伝!! を﹁ 猿神 退治

﹂の 説話 や昔 話を 比較 する と︑ すぐ に気 付か れる こと は︑ 固有 名詞 の異 同や 有無 とい った 相違 もさ るこ とな がら

︑誰 が主 人公 なの かと いう

︑語 りの 視!! が異 なる こと であ る︒ つま り︑ 事態 を解 決す る決 定的 な力 を誰!! も って いる のか が異 なる こと であ る︒ そ こで 本稿 は︑ 縁!!! 説 話や 昔話 と比 べて どの よう な特 徴的 性格 をも つの

かと いう こと につ いて

︑早 太郎 伝説 にか かわ る光 前寺 略縁 起の 構成 と本 文の 分析 を通 して 検討 して みた いと 思う

︒ ち なみ に︑ 日本 昔!! の特 徴の ひと つ は︑

﹃ 今 昔物 語 集﹄ や﹃ 宇 治拾 遺 物 語﹄ など の 説 話 のみ な ら ず︑ 韓国 昔 話 や中 国昔 話な どと 比較 して も︑ 唱え 言が 重要 な役 割を 果た すこ とで ある

︒す なわ ち︑ 亞型 のひ とつ とし て︑ 唱え 言の 教え

― 197 ― 光

前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

(5)

ると ころ を解!! し て霊 犬を 探し 当て

︑こ の霊 犬が 活躍 する とい う展 開の 重視 され る傾 向が 強い こと にあ る︒ ま た︑ 唱え 言と いう こ と か ら伝 説 を 見れ ば

︑井 出 道貞

﹃信 濃 奇 勝 録﹄

︵天 保 五︵ 一 八三 四

︶年

︑光 前 寺︶ には

︑す で に︑

﹁信 濃 の 早 太郎 今 夜 来る こ と なし や

﹂と い う 怪神 の 声 が組 み 込 まれ て い る

︒ こ れか ら す ると

︑こ の 有 名な 唱 え言 を含 む昔!! の 成立 と︑ 寺社 にま つわ る伝!! と の交 渉も 推測 され るが

︑本 稿で はこ の問 題も ひと まず 措く こと にし たい

1 長野 県 光 前寺 の 縁 起と 早 太 郎伝 説

│事 例 A

﹃略 縁 起

﹄の 場 合

│ 伝

説は

︑特 定の 集団 や地 域を 基盤 とし て祭 祀や 儀礼

︑遺 物や 遺跡 など の由!!!!! 機能 をも つた め︑ 語り の視 点が 限定 され ると ころ に昔 話と は異 なる 特徴 があ る︒ 例 えば

︑長 野県 駒ケ 根市 の光 前寺 に伝 わる 縁起 の中 の早 太郎 伝!! は︑ 静岡 県磐 田市 の見 付天 神社 から 乞わ れて 借り 出さ れた 光前 寺の 早太 郎が

︑み ごと 怪異 を平 らげ たと いう 枠組 みを もつ

︒そ のよ うな 早太 郎伝!! を 組み 込ん だ光 前寺 の縁!!

︑後 代に なる と早 太郎 が本 尊不 動明 王か ら授 けら れた もの であ るこ とを 説!! し︑ 磐田 市の 見付 天神 社︵ もし くは 見付 村︶ の側 から 奉納 され た大 般若 経が 光前 寺の 寺宝 とし て今 に伝 わる こと を︑ 寺の 側か ら説!! す ると いう 枠組 みを もつ に至 る︒ 光 前寺 の縁 起に つい ては

︑す でに 詳細 な報 告が ある

︒こ れを 簡単 に紹 介す ると

︑お よそ 次の よう であ る︒ 一 寺 伝本 系

光 前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

― 198 ―

(6)

1 開山 篇・ 尊応 篇

現存 せず

② 信濃 国光 前寺 略縁 起︵ 全︶

天保 一〇

︵一 八三 九︶ 年︑ 住職 真応 代︒ 3 信濃 国光 前寺 不動 尊略 縁起

天保 一〇 年︑ 福沢 憲治 撰︑ 住職 真応 代︒ 内容 は殆 ど② と同 じ︒ 4 光前 寺不 動尊 縁記

明治 二六 年︑ 福沢 憲治 撰︑ 原富 重謄 写︑ 住職 義道 代︒ 二 塔 頭本 系

① 光前 寺犬 不動 霊験 記

貞享 二︵ 一六 八五

︶年

︑義 応・ 豪弁 代︒ 2 不動 尊縁 起并 本聖 上人 伝

寛政 五︵ 一七 九三

︶年 か︒ 沙門 寂応

︒ 三 派 生本 系及 び折 衷本

① 仏薬 證明 犬不 動霊 験物 語

寛政 六年

︑堀 内禹

!

︑ 住職 寂応 代︒ 2 仏薬 證明 犬不 動因 縁物 語

寛政 年間 か︒ 所在 不明

︒ 3 宝積 山光 前寺 略縁 起

大正 九︵ 一九 二〇

︶年

︑吉 沢豊 道︑ 住職 豊道 代︒ 書写 年代 はい ずれ もが 江戸 時代 以降 のも ので ある が︑ この うち

︑代 表的 な事 例を ひと つ︑ まず 寺伝 本系 の②

﹃信 濃国 光前 寺略!!!

﹄︵ 以 下︑

﹃略 縁起

﹄と 呼ぶ

︶を 取り 上げ てみ よう

︒本 文は 次の とお りで ある

︒ 信濃

国光 前寺 略縁 起 抑 当山 は︑ 人皇 五十 六代

清 和天 皇の 御宇

︑貞 観二 庚辰 年開 山本 聖上 人の 草創 にし て︑ 中殿 に立 て給 ふ所 の本 尊不 動明 王は

︑比 叡山 第二 の僧 正慈 覚大 師の 御作 なり

︒奥 殿に まし ます 尊像 は︑ 世に 後ろ 向の 不動 尊と 称し て︑ 神変 不可

― 199 ― 光

前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

(7)

思議 の霊 仏な り︒ 此霊 像当 刹に 安置 し奉 るの 濫觴

︑開 山上 人の 来由 は︑ 人皇 五十 二代 嵯峨 天皇 の御 宇︑ 弘仁 三年 大職 冠 五代 の 孫

︑藤 原 魚名 公 の 御子 藤 成︑ 筑 紫に 下 り 給 ひ豊 前 の 国に 到 り︑ 国 の 守橘 の 吉 久が 許 に 暫時 駕 を 駐 め 給 ひ し

時︑ 吉久 が娘 と同 穴の 契あ りて 帰洛 の後

︑男 子を 出生 して 幼名 を小 多喜 丸と 称す

︒是 乃︑ 本聖 上人 なり

︒幼 より 聡明 怜悧 にし て一 を聞 て万 を知 り︑ 近く 見て 遠く 察し

︑其 英才 凡俗 の及 ぶ所 にあ らず

︒志 とな る成 長に 至て 深く 仏門 に心

よせ

︑朝 に勤 め夕 に修 し︑ 群籍 に眼 を曝 して 倦こ とな く婁 因奥 に臻 ると 雖︑ 猶其 根源 を究 め尽 んと て︑ 二つ には 父君

の恩 顔を 拝し 奉ら んが 為︑ 都に 登り 竟に 叡嶽 に入 て横 川の 真雅 上人 に依 て髪 を薙 衣を 染︑ 師に 事る こと 十有 余年

︑切 磋琢 磨の 志益 深く 精進 の信 少し も闕 るこ とな く︑ 功な り意 遂げ て後

︑円 仁僧 正慈 覚大 師に 謁し 灌頂 及び 顕密 の二 教を

受け

︑頗 其奥 旨を 究め

︑終 に三 学を 兼備 し齢 漸く 傾く に及 んで

︑東 国に 行脚 し錫 を信 濃の 山中 に留 め︑ 籠沢 の巌 窟に

草庵 を結 び︑ 秋月 に法 を観 じ︑ 春花 に道 を修 する こと 茲に 年あ り︑ 此地 をさ して 籠り が沢 とい へる も︑ 此上 人籠 りた まひ しよ り其 の名 とは なれ り︒ 或 夜上 人夢 見ら く︑ 草庵 を去 るこ と一 里余

︑駒 ケ嶽 の流 れ有 り︑ 号て 黒川 とい ふ︒ 流水 巌頂 に懸 りて 千丈 の瀧

︑眼 下に 堕つ

︒其 岸に 至て 瀧の 底を 臨ば

︑不 動の 尊影 光焔 を清 冷の 淵に 輝し

︑青 黒の 相を 水上 に現 し給 ふ︒ いま し告 て曰

く︑ 汝︑ 迦代 の迷 倒を 哀れ む志 最も 深し

︒故 に︑ 汝が 意願 を助 んが 為に

︑今 斯に 出現 す︒ 少し も嫌 疑な く速 に道 場を 開て

︑我 像を 置き 一切 衆生 の為 に懸 求せ ば所 求円 滑な らし めん と妙 音新 にし て霊 躯手 中に 入る と覚 へて 忽然 と夢 覚た り︒ 上人 歓喜 限な く暁 天に 出て 彼地 を求 るに 己に して 到得 たり

︒見 る前 夜の 夢に 差ふ こと なく

︑高 山峩 々と 聳へ 千尋

の瀑 布を 穿て

︑落 漲る 水煙 の如 く又 霧を 欺く

︒滔 々た る激 浪奇 樹怪 石を 浸し

︑幽 徑苔 滑に して 依ん こと 難し

︒上 人心

中に 祈願 らく 所夢 差ふ こと なく

︑霊 躯我 が手 入給 へと 良観 念の 眼を 閉︑ 瀧水 に投 して 是を 尋る に水 に溺 るこ とな く果

光 前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

― 200 ―

(8)

して 九寸 三分 の霊 躯を 得た り︒ 是よ りし て此 瀧を 世人 不動 の瀧 とて 呼て

︑今 の世 に連 綿た り︒ それ より 上人 は尊 像を 守り

︑庵 に帰 り直 ちに 上洛 し円 仁僧 正に 依て 帝に 奏聞 を経 て後 一宇 を経 営し

︑得 る所 の霊 像を 奥殿 に安 置し

︑昔 年叡 岳に 有し 時授 かり し慈 覚大 師彫 し玉 ふ処 の不 動尊 を笈 に納 負ひ 奉り

︑平 時恭 敬せ し尊 像を 中殿 に安 置し

︑自 六童 子を 彫刻 して 左右 に置

︒猶 尊信 する こと 怠な し︒ 是貞 観二 年の 事に して 当刹 の草 創な り︒ 伝聞

︑漢 土の 天台 山の 形容 三の 峯有 て︑ 所謂 仏聾 華頂 唐渓 なり

︒即 天の 三台 に応 ずと かや

︒此 山も 亦駒 嶽の 三嶺 相連 て是 に近 し︒ 山嶽 の勝 景毫 端に

尽し 難し と雖

︑其 一二 を挙 るに 三峯 碧天 に聳 て衆 山に 秀︑ 他郷 にし て是 を望 ば比 する 峰な し︒ 半復 に居 て雷 霆を 聞け

ば︑ 脚下 に轟 く︒ 谿

"

巉巌 とし て俯 て雲 霓を 見︑ 緑陰 蓊鬱 とし て夏 日に 霜雪 を含 む︒ 翠屏 碌こ つと して 鳥獣 道を 失ひ

清流 数条 に散 じて

︑幾 許の 瀑布

︑玄 谷に 響き 緑彼 岸に 溢て 煩悩 の穢 をそ そぐ

︒四 面遼 郭と して

!

す こと なく 自然 の妙

有を 具す

︒あ あ当 刹の 奇勝 斯の 如く なる も明 王の 扶持 し給 ふ所 なれ ばい かん ぞ︑ 其然 なら ざら んや

︒茲 に当 山三 世の 長者 良海 僧都

︑開 山の 志を 継ぐ

︒本 尊を 尊崇 する こと 最厚 く︑ 三密 の修 行怠 るこ とな く貴 き上 人な るが

︑年 七十 余歳 に して 病 に 臥 し頼 な く なり に け るに

︑如 何 な る 宿業 に や 有け ん

︑魔 障 と 覚し く 眼 中常 な ら ず︑ 心身 悩 乱 し 悶 へ 苦 む 躰︑ 傍に 弟子 数多 侍し ける に︑ 痛ま しき 事に 思ひ 臨終 正念 の為

︑慈 救の 呪を 誦し て祈 りけ るに

︑其 中一 人頭 より 黒気 立 昇り 声 を 励 まし

︑猛 威 顕 れ見 へ け るが

︑暫 有 て 大 息突

︑黙 然 と して 居 た り けれ ば

︑衆 僧 其 子 細 を 問 ふ

︒此 僧 答 て 曰︑ 今数 千考 悪鬼

︑上 人の 枕上 に顕 れ︑ 往生 を妨 ると 見へ し︒ 故是 を救 ひ奉 んと 勇気 を励 し︑ 呪を 誦し

︑信 心骨 髄に 徹し て眼 を開 き見 れば

︑不 動明 王の 大智 の剱 を振 たま ひし かば

︑魔 気悉 退散 して

︑あ な心 安し と語 る︒ 上人 も是 より 眼色 本に 帰し 心身 治り

︑臨 終の 用意 も有 て目 出度 如法 に終 り玉 ふ︒ 是偏 に明 王の 冥助 にし て信 心の 懸求 によ る所

︑仰 べし 尊む べし

︑此 外当 山不 動明 王の 霊験 挙て 計へ 難し とい へど も︑ 事多 端な れば

︑し ばら く是 を略 し香 畢︒

― 201 ― 光

前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

(9)

以 上︑ 当山 古伝 記に より て其 要た るを 撰す る所 なり

其 より 後︑ 人皇 九十 四代

︑花 園院 の御 宇︑ 正和 年中 当 山 に 畜ふ 所 の 良犬 あ り て︑ 遠州 国 府 駅 天神 の 社 内に 於 て︑ 不思 議の 霊応 有て 怪異 を除 き長 く其 地の 禍を 去し によ り︑ 社僧 一実 坊弁 存︑ 一筆 を以 て大 般若 経六 百軸 を書 写し て 当山 に納 む︒ 此経 巻今 猶歴 然と して 府庫 に遺 れり

︒此 条別 に伝 記あ るが ゆへ に是 を省 き︑ 不載

︒ 中 古永 禄年 中︑ 甲斐 の国 主武 田大 膳大 夫晴 信入 道信 玄︑ 数多 の戦 場に 当山 不動 尊の 霊応 有に よつ て深 く尊 信し たま ひ︑ 数多 の田 禄を 布施 して 堂塔 経営 し︑ 僧侶 を供 養し

︑仏 殿楼 閣金 銀珠 玉を ちり ばめ 数十 の坊 舎瓦 をな らべ

︑一 山の 繁栄 此時 に至 て前 代に 一倍 せり

︒然 るに

︑天 正の 兵乱 に右 大臣 信長 公甲 州乱 入の 刻︑ 中将 信忠 の為 に放 火せ られ

︑あ あ惜 しむ べし 悲し むべ し︑ 金殿 玉楼 一塊 の烟 の中 に灰 塵と なり ぬ︒ 然り と雖 当山 の洪 福猶 いま だ尽 ず︒ 本尊 は黒 煙の 中を 出給 ひ遠 く不 動カ 瀧に 遷座 まし まし

︑府 庫も 亦焼 亡せ ざれ ば︑ 蔵む る所 の貞 観以 来の 古器 古伝

記︑ 宗祖 筆跡 の画 像︑ 和漢 の古 筆曼 陀羅 等武 田家 寄付 の重 器に 至る まで

︑一 種も 闕る こと なく

︑猶 今に 伝へ て赫 然た り︒ 然る に︑ 武田 家此 時武 運尽

︑勝 頼天 目山 に没 して 滅国 たる によ り当 宇の 再興 本に 複す るこ と能 はず

︒茲 に於 て当 山始 て衰 ふる とい

へど も︑ 当御 代に 於て も旧 跡の 霊場 猶す て玉 ふこ とな く若 許の 寺禄 を賜 り︑ 将檀 越の 力を 合せ 粉骨 して 竟に 往昔 に復

する 事を 得た り︒ 是全 く冥 応の 冥助 と謂 つべ し︒ され ば後 世の 今に 至る まで

︑遠 近の 老若 歩を 運ん で爰 に詣 来る こと

宛 市 の如 し︒ 病客 災害 の輩 は国 を隔

︑境 を越 来て

︑護 摩 加 持 を願 ふ 者 絶る 間 な し︒ 是応 験 の 著明 し き が故 な り と爾 云︒ 以 上寛 永二 十癸 未年

︑当 山学 頭伝 燈大 阿闍 梨

光 前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

― 202 ―

(10)

堅 者法 印尊 応録 置所 之伝

書依 而︑ 省略 而記 之 古 伝記 及其 書事 多端

而︑ 短紙 難尽

︑故 将鄙 俗之 為 見易

︑以 国字 其大 要誌 畢 維時 天保 十年 歳次 己亥 仲春 そ

こで

︑各 文

sentence

を構 成す る﹁ 主語

+述 語﹂ とい う単 位を 事 項 と呼 ぶ

︒こ の 事項 群 か ら 縁起 の 構 成を 見 る と︑ 次の よう であ る︒ ゴチ ック で示 した 部分 が︑ いわ ゆる 早太 郎伝 説︵ に対 応す る記 事︶ であ る︒ 当山 は︑ 貞観 二年 に本 聖上 人の 草創 した 寺で ある

︒ 慈覚 大師 が不 動明 王を 作し た︒ この 不動 明王 像を 当寺 に安 置し た由 来は

︑︵ 以 下の とお りで ある

︶ 嵯峨 天皇 の御 代に

︑藤 原魚 名の 御子 藤成 が︑ 筑紫 に下 った

︒ 藤成 は︑ 豊前 国守 橘吉 久の 娘と 婚す る︒ 橘吉 久の 娘が 男子 を産 む︒ 橘吉 久の 娘の 男子 は多 喜丸

︵と 呼ば れた

︶︒

︵ この 多喜 丸は

︑後 に本 聖上 人と なっ た︶

︒ 多喜 丸は

︑早 くか ら学 才に おい て優 れて いた

︒ 多喜 丸は

︑早 くか ら仏 門に 関心 を寄 せて いた

― 203 ― 光

前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

(11)

多喜 丸は

︑比 叡山 に上 り真 雅上 人の もと で出 家し た︒ 多喜 丸は

︑慈 覚大 師に 顕密 二教 を受 けた

︒ 多喜 丸は

︑東 国に 行脚 し信 濃国 に庵 を結 んだ

︒ 上人 は︑ 駒ケ 根の 黒川 に不 動明 王が 顕現 する 夢を 見た

︒ 不動 明王 は︑ 上人 に道 場を 開き

︑像 を据 える よう に夢 告し た︒ 上人 は︑ 果た して 不動 明王 の尊 像を 得た

︒ 上人 は︑ 尊像 を持 って 上京 し︑ 帝か ら堂 宇を 賜っ た︒

︵ これ が光 前寺 の草 創で ある

︶︒

︵ 伝聞 する とこ ろ︑ 光前 寺は 五台 山に 相当 する

︶︒

︵ 他郷 から 望め ば︑ 光前 寺は 煩悩 をそ そぐ 霊験 があ らた かで ある

︶︒ 三世 良海 僧都 は︑ 臨終 の折 に悪 鬼が 襲う

︵ 逸話

①︶ 不動 明王 は魔 気を 払い

︑良 海僧 都は 臨終 を遂 げた

︵ 不動 明王 の霊 験は 数多 い︶

︒ 花園 院の 御代

︑当 山の 良犬 がい た︒

︵ 逸話

②︶ 遠州 国見 付天 神社 社内 に︑ 怪異 があ った

︒ 良犬 が︑ その 禍を 取り 除い た︒

︵ その 御礼 に︶ 社僧 一実 坊弁 存は

︑大 般若 経を 書写 して 光前 寺に 奉納 した

光 前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

― 204 ―

(12)

永禄 年間

︑武 田信 玄は 不動 尊を 信仰 した

︵ 信玄 は︶ 布施

・供 養し て一 山は 繁栄 した

︒ 天正 年間

︑信 長の 兵乱 に信 忠が 放火 し︑ 本寺 は灰 塵に 帰し た︒

︵ 逸話

③︶

︵ 兵乱 に︶ 本尊 は不 動カ 瀧に 遷座 し︑ 草創 以来 の宝 物は 難を 逃れ た︒ 檀越 の力 によ り︵ 本寺 は︶ 復興 した

︒ これ は不 動明 王の 冥助 であ る︒ 以来

︑遠 近の 老若 が盛 んに 参詣 し︑ 加護 を蒙 った

︒ 太字

の部 分の 伝説 は︑ 光前 寺の

﹁良 犬﹂ が﹁ 不思 議の 霊応

﹂に よる

﹁怪 異を 除き

﹂え たこ とで

﹁其 地の 禍﹂ を取 り去 った 云々 とあ り︑ 怪異 なる もの の内 実が 必ず しも 人身 御供 とか 生贄 とか

︑村 人を 困ら せる 祭祀 だと かと いう ふう には 表現 され てい ない から

︑縁 起の 用い た素!! の 次元 では

︑所 謂猿 神退 治型 の話 型を 備え た伝 説で はな!!!! 可 能性 もあ る︒ た だこ うし てみ ると

︑﹃ 略 縁起

﹄は

︑説 話と して のふ く ら みを 備 え た主 要 な 逸話 が ほ ぼ 早太 郎 伝 説だ!! で︑ 単 純な 構成 をも つこ とが 明ら かに なる だろ う︒ つま り︑ テキ スト の仕 掛け とい うこ とか ら考 え直 せば

︑も しか する と本 尊不 動明 王の 験徳 を称 賛す るた!!!

︑災 厄を 除去 した 事例 とし て早 太郎 の怪 物退 治の 話型 は要!!!!! と捉 える こと がで きる

︒ さ らに 右の 事項 群か ら︑

﹃ 略縁 起﹄ を構 成す る基!!! な事 項を 取り 出す と︑ 次の よう であ る︒

― 205 ― 光

前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

(13)

藤原 魚名 の子 孫本 聖上 人は

︑不 動明 王の 尊像 を得 る︒ 本聖 上人 は︑ 嵯峨 帝か ら堂 宇を 賜る

︒︵ 光 前寺 の草 創︶

︒ 良海 僧都 は︑ 不動 明王 の加 護に より 往生 を遂 げる

︵ 不動 明王 の霊 験︶

︵ 以上 は古 伝記 によ る︶ 当山 の良 犬が

︑遠 州国 見付 天神 社社 内の 怪異 を除 いた

︒ 社僧 一実 坊弁 存は

︑大 般若 経を 書写 して 光前 寺に 奉納 した

︒ 永禄 年間

︑武 田信 玄の 信仰 によ り︑ 一山 は繁 栄し た︒ 天正 年間

︑信 長の 兵乱 に本 寺は 灰塵 に帰 した

︒ 檀越 の力 によ り復 興し た︒

︵ 不動 明王 の冥 助︶ この

﹃略 縁起

﹄の 奥書 によ ると

︑寛 永二

〇︵ 一六 四三

︶年

︑伝 燈大 阿闍 梨の 法印 尊応 が縁 起を 制作 した

︒そ のこ とを 天保 一〇

︵一 八三 九年

︶に おそ らく 寺僧 某が 書写 した 旨が 記さ れて いる

︒こ れに よる と︑ この 縁起 も唐 突に 一回 的に だけ 制作 され たの では なく

︑法 印尊 応が 記録 し伝 え置 いて きた とこ ろを まと め︑ さら に﹁ 古伝 記﹂ 及び 古伝 記の 記す こと 多岐 に及 ぶ事 柄を 整理 して

﹁大 要﹂ をま とめ たと いう こと にな るだ ろう

︒ も ちろ ん略 縁起 の文 体に は特 徴が ある

︒ひ とつ には

︑漢 詩文 的な 修辞 を駆 使し うる 教養 であ る︒ もう ひと つは

︑そ のよ うな 表現 から 透!!!!!!

﹁一 夜 孕 み﹂ の モテ ィ フ や︑

﹁依 る 神﹂ の モテ ィ フ で ある

︒す な わ ち﹁ 藤原 魚 名 公の 御子 藤成

︑筑 紫に 下り 給ひ 豊前 の国 に至 り︑ 国の 守橘 の吉 久が 許に 暫時 駕を 駐め 給ひ し時

︑吉 久が 娘と 同穴 の契 あり

光 前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

― 206 ―

(14)

て帰 洛の 後︑ 男子 を出 生﹂ した とい う

︒こ こ に﹁ 一 夜孕 み

﹂の モ ティ フ が 働い て い る︒ ま た︑

﹁上 人 心 中に 祈 願 らく

所夢 差ふ こと なく

︑霊 躯我 が手 入給 へと 良観 念の 眼を 閉︑ 瀧水 に投 して 是を 尋る に水 に溺 るこ とな く果 して 九寸 三分 の霊 躯を 得た り﹂ とい う︒ ここ に﹁ 依る 神﹂ のモ ティ フが 働い てい る︒ つま り︑ これ らの モテ ィフ は︑ 古縁 起の しば しば 採用 して いる 話型 を構 成す るも のだ から であ る︒ した がっ て︑ 漢詩 文的 な意 匠の 基層 に古 層の 伝承 が潜 んで いる とい える

︒こ のよ うな 考察 の詳 細に つい ては

︑別 の機 会に 譲り たい

︒ つ まり

︑こ の﹃ 略縁 起﹄ は︑

﹁ 古伝 記﹂ を古 層と して

︑﹁ 別に 伝記

﹂を 追補 し︑ 残さ れた 断片 的な 資料 を整 理し

︑古 記 録の 大 要 を 記し た

︑と い うこ と に なる

︒そ の 制 作 の目 的 は 縁起 の 内 部 から は 窺 い知 れ ず︑ 今 のと こ ろ 不 明 で あ る が︑ 機会 ある ごと に縁 起は 古い 縁起 を吸 収 し つ つ更 新 さ れ︑ 引き 継 が れて ゆ く と いえ る

︒す な わち

︑良 犬

︵早 太 郎︶ の活 躍と 寺宝 であ る大 般若 経の 由来

︑そ の後 の戦 乱の 記事 を付 加す ると いう 編年 体的 な構 成を とっ てい る︒ そ もそ も﹃ 略縁 起﹄ とは 本縁 起に 対す る呼 称で ある とい うこ とか らす れば

︑略 縁起 のも とと なっ た本!!! が︑ ここ にい う﹁ 古伝 記﹂ かど うか とい うこ とは しか し な が ら分 か ら ない

︒略 縁 起 とい っ て も︑ 板 本の 一 枚 もの か ら︑ 冊 子︑ 巻子 物と 書誌 の形 態は 多様 であ り︑ それ ぞれ 用途 が異 なる

︒一 般的 にみ れば

︑板 本の 一枚 もの は開 帳供 養な どの 折に 制作 され る消 耗品 であ り︑ 権威 付け られ た巻 子物 とは 異な るで あろ うし

︑冊 子に して も仮 綴じ の写 しで はま た享 受の 生態 が異 なる であ ろう

︒た だ︑ 戦国 時代 の荒 廃か ら寺 の再 建復 興を 果た して 寛永 年間 に開 帳や 法要 が行 われ るこ とは 妥当 なこ とで あり

︑編 年体 の形 式を 用い るこ とに 違和 感は ない

︒ 残 念な がら

︑霊 犬に よる 霊験 につ いて は簡 略に 記さ れて いる ばか りで

︑あ の唱 え言 は介 在し てい ない と読 める

― 207 ― 光

前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

(15)

2 長野 県 光 前寺 の 縁 起と 早 太 郎伝 説

│事 例 B

﹃霊 験 記

﹄の 場 合

│ も

う一 例︑ 書写 年代 の最 も古 いと 見 ら れ るも の で︑ 今 度は 塔 頭 本系 の

①﹃ 光前 寺 犬 不 動霊!!!

﹄︵ 以下

︑﹃ 霊 験 記﹄ と 呼ぶ

︶︵ 第 一 次 奥書 の 年 紀は 貞 享 二︵ 一六 八 五

︶年

︶を 取 り上 げ て みよ う

︒紙 幅 の都 合 上

︑本 文 は略 す が こ れ は 原!!! で ある

︒取 り出 せた 事項 は次 のよ うで ある

︒ 当山

の不 動尊 像は

︑慈 覚大 師の 制作 した もの であ る︒ 清和 天皇 の御 代に

︑本 聖上 人は 仏門 に入 った

︒ 本聖 上人 は顕 密二 教を 学ん だ︒ 本聖 上人 は夢 告に より

︑瀧 中か ら不 動尊 像を 得た

︒ 本聖 上人 は本 尊を 安置 して 一宇 を経 営し た︒

︵ 本山 は唐 の天 台山 を表 して いる

︒︶ 以後

︑衆 庶は 盛ん に本 寺を 参詣 して いる

︵ 光前 寺の 草創

︶ 疱を 患う 者が 不動 明王 に祈 願し て治 癒し た︒ 眼を 患う 者が 不動 明王 に祈 願し て治 癒し た︒

︵ 不動 明王 の霊 験︶ 本聖 上人 は夢 告に より

︑不 動明 王か ら霊 草と

︑西 方宝 国の 古仏 であ る犬 を授 かっ た︒

光 前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

― 208 ―

(16)

夢告 に︑ 霊草 は萬 病を 治癒 させ

︑霊 犬は 五神 通を 得る とい う︒ 本聖 上人 は︑ 霊草 を建 中丸 と名 付け た︒ 延慶 元年

︑遠 州天 満宮 に住 む怪 神を

︑当 山の 霊犬 が降 伏さ せた

︒ 天満 宮の 僧一 実坊 は︑ 当山 に大 般若 経を 奉納 した

︒ 霊犬 は犬 不動 尊と 讃称 され た︒ 一七

〇余 年後

︑天 火に より 堂舎 は灰 塵に 帰し た︒ 萬壽 二年

︑後 一条 天皇 の御 代︑ 再建 され た︒ これ も不 動明 王の 徳で ある

︵ 以上

︑貞 亨二 年の 奥書

★ 早太 郎の 伝説

︵以 下に 詳細 を再 掲し

︑検 討を 加え たい

﹁大 般若 経奉 納の 由来

﹂ 大般 若経 の意 趣は

︑妙 薬に より 悪病 を治 癒す るよ うに

︑般 若は 智恵 を得 る︒

﹁大 般若 経修 補の 意趣

﹂ その 後︑ 大般 若経 を修!! し た︒

︵ 以上

︑寛 政五 年︑ 天台 沙門 寂応 筆の 奥書

︶ 奥書

を信 ずれ ば︑ この

﹃霊 験記

﹄の 構成 は︑ 貞亨 二年 に書 写さ れた とさ れる 古記 に︑ 大般 若経 修補 の経 緯を 加え たも

― 209 ― 光

前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

(17)

ので ある

︒お そら く︑ 大般 若経 修!! を記 念し た法 要に 向け て制 作さ れた 縁起

であ る︒ なお

︑本 文は 略す が︑ 3﹃ 不動 尊縁 起・ 本聖 上人 伝﹄ には

︑寛 政五 年の 修補 の経 緯を 記し てい る︒ ま た︑

﹃ 仏薬 証明 犬不 動 霊 験 物語

﹄︵ 以 下︑

﹃ 霊験 物 語﹄ と 呼ぶ

︶に よ る と︑ 寛 政六

︵一 七 九 四︶ 年は

︑光 前 寺 の大 開帳 の年 であ り︑ 青島 常盤 氏に よる と︑ この

﹁大 開帳 から 八年 後の 亨和 二年

︵一 八〇 二︶

︑ 経蔵 を完 成さ せた 寂応 は︑ 見付 天神 に出 向き

︑出 開帳 勧進 を行 なっ てい る︒ この 年︑ 見付 天神 では 菅公 九百 年祭 りで あっ た﹂ とい う

﹃霊 験 物 語﹄ は︑ 寺の 施 薬﹁ 鍵 中丸

﹂の 効 能 を説 い た も ので

︑﹁ 嘉 永 か ら 安 政︑ 万 治 と

︑こ の 般 若 講 は 盛 ん で あ っ た﹂ と され る

︒ま た

︑一 実 坊は

︑磐 田 の 矢奈 比 売 神社

︑す な わ ち﹁ 天 神社 僧 の 実坊 弁 存﹂ の こ とと い わ れ て い る

︒ 中 島洋 治 氏 は︑

﹁ 寺の 施 薬﹂ と して 寺 が 健中 丸 の

﹁販 売 権を 分 与 した 家

﹂が

︑ひ と つ は

﹃仏 薬 証 明 犬 不 動 霊 験 物 語﹄ を書 いた 家︑ すな わち 堀内 禹

!

と︑

﹃ 仏薬 証明 犬不 動因 縁物 語﹄ を書 いた 気 賀 澤家 だ っ た とい う

︒こ の 気賀 澤 家 は︑ 明治 三〇 年に 光前 寺早 太郎 の墓 の玉 垣や 石灯 籠を 寄進 した 発起 人の 家で ある

︒こ の縁 起は

︑寺 の施 薬健 中丸 の販 売促 進を 企図 した もの でも あっ た︒ まさ に縁 起の 制作 され る現 実的 な目 的・ 意図 が予 想で きる

︒ こ のよ うに みる と︑

﹃ 霊験 記﹄ が︑ 前の

﹃略 縁起

﹄と 大 き く異 な る 点は

︑犬 が 不 動尊 か ら 霊 犬と し て もた ら さ れた もの だと いう ふう に︑ 明確 に意 味付 けが 加え られ てい るこ とで ある

︒な ぜ早 太郎 なの かと いう 必然 性が 強め られ てい ると いえ る︒ こ の中 で︑

★早 太郎 の伝

説の 部分 の本 文は

︑次 のよ うで ある

︒こ こ に は︑ 唱え 言 が 明 確に 記 さ れて い る

︒ 本 来な らば 原!!! の まま 掲げ て検 討す べき であ るが

︑今 便宜 的に

﹃光 前寺 縁起 の研 究﹄ の訓 読に 従っ てお きた い︒

光 前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

― 210 ―

(18)

そ れ︑ 以て 霊神 は崇 ぶべ し︒ 怪廟 は質 すべ し︒ 当 山大 般若 経の 濫觴 を奥 する に︑ 往古 遠州 府中 に天 満宮 の廟 あり

︒祭 祀に 至る 毎に

︑里 民先 ず其 の姿 貌端 正な る者 を択 び︑ 棺に 盛り

︑之 を廟 後に 置く

︒丑 時の 比に 廟社 頻り に震 動し

︑畏 るべ き怪 神両 参出 で来 て︑ 鼓舞 して 言う に︑

﹁ 信濃 国の 早太 郎今 夜無 きや 否や

﹂一 神答 へて 曰く

﹁な し﹂

︒時 に︑ 彼の 神︑ 棺を 毀し

︑児 を捉 へ︑ 廟に 入 る︒ 社主 潜 み て 之を 窺 ひ︑ 身 毛が 立 ち て懼 怖 し て 忍び ず

︑里 民 の悲 痛 云 ふ べ か ら ず

︒故 に

︑里 民 議 し て 云 ふ に︑

﹁ 怪し いか な︑ 神が 早太 郎の 有無 を訊 ねる こ と を︑ 早太 郎 を 深く 恐 れ るを 以 て な らん

︑早 太 郎 とは 是 何 者な

りや

︑社 主す なわ ち信 陽に 入り

︑遍 く之 を要 む︑ 遂に 当山 に至 り︑ たま たま 畜ふ 所の 郎犬

︑早 太郎 と呼 ぶを 聞き

て︑ 且駭 き︑ 且喜 び寺 主に 語り て︑ 委し き所 以を 以て 懇に 早太 郎を 賜ら んこ とを 乞う

︒寺 主こ れを 聴き て大 いに 歓ぶ

︒し こう して 曳き かへ り︑ すな わち 祭祀 に至 り︑ 彼の 良犬 を柩 に納 め︑ 之を 社後 に置 く︒ 時に 神の 問答

︑恒 の如 く︑ 柩を 毀し

︑ま さに 捉え んと する

︑早 太郎 ちょ う躍 して 吠え さけ び︑ 其の 勢尋 常な らず

︑両 三怪 神力 尽き て挑 み闘 ふと いえ ども

︑遂 に噛 み殺 され ると ころ とな る︒

明 旦里 民︑ 社主 と往 きて 之を 視る に

︑神 に は 非ら ず し て︑ 老狸 な り︒ 利 牙す る ど く︑ 眼 甚だ 懼 怖 すべ き な り︒ しこ うし て︑ 良犬 恙な し︒ ああ

︑良 犬実 にも つて 是神 明の 賜る 所に して

︑亦 良犬 すな わち 神の 権化 なら ん︒ 是 に於 いて 里民

︑社 主歓 喜踊 躍に 堪え ず︑ すな わち 謝恩 とし て大 般若 経奉 るべ く来 つて 当山 に納 む︑ 則ち 正和 五︵ 一三 一六

︶年 丙辰 卯月 八日 なり

︒寛 政五 丑年 に至 り︑ 凡そ 雪霜 四百 八十 有余 年前 のこ とな り︒ 則ち

︑彼 の社 僧一 実坊 弁存

︑自 ら書 写す るこ と凡 そ六 年︑ 其弟 淡路 阿闍 梨光 尤︑ 之を 供へ る所 のも のな り︒

― 211 ― 光

前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

(19)

ゴチ ック の部 分︑ 唱え 言が 昔話 の事 例の よう に律 文 に な って い!!! の は

︑︵ 素 材と し て の︶ 伝 説の 語 り が漢 文 訓 読体 に翻 訳さ れた ため かと 推測 され る︒

★早 太郎 の伝

説の 本文 から

︑主 要な 事項 を採 り出 すと 次の よう にな る︒ なお 主語 や目 的語 を欠 くと ころ は適 宜補 った

︵ 霊神 は崇 ぶべ し︒ 怪廟 は質 すべ し︶ 往古

︑遠 州府 中に 天満 宮の 廟が あっ た︒ 祭ご とに

︑里 民は 美し い者 を択 んだ

︒ 里民 は︑

︵ 娘を

︶棺 に入 れ︑ 廟後 に置 いた

︒ 丑時

︑廟 社が 震動 し︑ 怪神 が現 れて 鼓舞 した

︒ 怪神 は︑

﹁ 信濃 国の 早太 郎今 夜無 きや 否や

﹂と 問う た︒ 別の 神は

﹁な し﹂ と答 えた

︒ 神は

︑棺 を毀 して 児を 捉え

︑廟 に入 った

︒ 社主 は隠 れて 見て いた が︑ 怖く て動 けな かっ た︒ 里民 は︑ 怪神 が早 太郎 を怖 がっ てい たこ とを 知っ た︒ 社主 は︑ 早太 郎を 探し 求め た︒ 社主 は︑ 光前 寺に 至り

︑早 太郎 を見 つけ た︒ 社主 は︑ 寺主 に早 太郎 を賜 りた いと 願っ た︒

光 前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

― 212 ―

(20)

寺主 は︑ 歓ん で︵ 承諾 した

︶︒

︵ 寺主 は早 太郎 を連 れて 里に

︶帰 った

︵ 寺主 は︶ 祭に 至り

︑早 太郎 を柩 に納 めて

︑社 後に 置い た︒ 神は

︑柩 を毀 し︵ 児を

︶捉 えよ うと した

︒ 早太 郎は 怪神 と戦 う︒ 早太 郎は 怪神 を噛 み殺 した

︒ 明旦

︑里 民は 社主 と︵ 怪神 が︶ 老狸 であ るこ とを 知っ た︒

︵ 早太 郎に は怪 我は なか った

︶︒ 早太 郎は

︑神 の権 化で ある

︒ 里民

︑社 主は

︵正 和五 年に

︶大 般若 経を 光前 寺に 奉納 した

︒ 塔頭

本系

①﹃ 霊験 記﹄ は︑ 光前 寺側 の早 太郎 伝説 の︵ 年紀 の明 らか な縁 起の

︶中 では

︑唱 え言 の記 され てい る最 も古 い事 例で ある

︒そ して

︑里 民と 社主 が奉 納し た大 般若 経が

︑今 光前 寺に 伝わ ると いう のが

︑縁 起と して の枠 組み であ る︒ 一 方︑ 早太 郎が 倒し た怪 神の 正体 は老 狸で あっ たと いう

︒縁 起︵ に組 み込 まれ た伝 説︶ が昔 話と 異な るこ とは

︑話 型を 共有 して はい るも のの

︑霊 犬が な!! 霊犬 であ るの か︑ ある いは な!! 大般 若経 が伝 わる のか

︑を 説明 して いる こと にあ る︒

﹃ 霊験 記﹄ では

︑早 太郎 は不 動明 王か ら授 かっ た 霊 犬で あ る が︑ 地域 の 口!! で は 早 太 郎は 寺 の 本尊 た る 不動

― 213 ― 光

前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

(21)

明王 の化

身で あっ た

と され るこ とが 多い

︒ 3

長野 県 光 前寺 の 縁 起と 早 太 郎伝 説

│事 例 C

﹃霊 験 物 語﹄ の 場 合│ も

う 一 例︑ 参 考ま で に︑ 派 生本 系 及 び折 衷 本 に 分類 さ れ てい る

①﹃ 仏薬 証 明 犬 不 動 霊 験 物!!

﹄︵ 以 下﹃ 霊 験 物 語﹄ と略 す︶

︵ 寛政 六年

︶を みて おこ う︒ ただ し︑ これ は 長 文に 及 ぶ ので

︑首 結 の み本 文 を 記 し︑ 内容 は 段 落ご と の 題を 掲げ るだ けに とど めて おき たい

︵冒 頭文

︶真 実犬 不動 来到 の昔 を聴 に︑ 比叡 の山 下信 州 に 七堂 伽 藍 の霊 場

︑宝 積 山無 動 院 光 前敬 寺 の 本尊 大 聖 不動 明王 の遣 はし め給 ふ天 犬な り︒ 然る に︑ 霊験 普く 広弘 せん ため

︑当 山の 記録 を点 略す

なれ ば︑ 是正 敷本 尊衆 生済 度の 御誓 ひ世 に知 れる 所︑ 是を 写し 独吟 し︑ 一度 見聞 の輩

︑あ るい は覚 語︑ 且は 読聴 の人 々諸 共に 結縁

し︑ 現当 二世 扶助 の大 利益 を得 んや

︒夢 々疑 ひ有 べか らず

︒ 去 る寛 政六 年に 至り

︑当 寺始 まり より 代々 伝へ て六 十一 年の 開帳 あり

︒御 宝物 の楼 へ登 り︑ 古物 品々 拝見 する に説 僧︑ 一 人出 給 ひ て︑ 犬 不動 因 縁 物語 り

︑並 に 書写 宝 経 の 由来

︑本 尊 御 威光 流 布 の ため な れ ば と て

︑御 噺 御 座 候 侭 書 記︒

﹁本 尊来 歴の 発端

﹂︵ 以下

︑本 文を 略す

﹁第 二 上人 仏を 得給 ひ伽 藍建 立次 第﹂

光 前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

― 214 ―

(22)

﹁第 三 山の 謂上 人駒 を見 給ふ 事﹂

﹁上 人夢 中に 西方 の仏 勅を 蒙給 ふ事

﹁伽 藍建 立成 就し て入 仏供 養の 事﹂

﹁天 犬出 現并 に御 祈の 事﹂

﹁戸 隠の 学頭 正法 の功 力に 仍て 火防 の神 と成 給事

﹁遠 州国 府飢 喝の 難に 仍て 怪始 りの 事﹂

﹁遠 府騒 動し て改 めて 先例 言付 らる る事

﹁別 当一 実坊 鳳来 寺参 籠の 事﹂

﹁別 当信 濃路 へ至 り早 太郎 を尋 ねる 事﹂

﹁別 当光 前寺 にて 牲物 語な らび に天 犬遠 府へ 下る 事﹂

﹁早 太郎 遠府 の森 にて 怪獣 退治 の事

﹁書 写宝 経の 由来 并早 太郎 を祭 る事

﹁当 山破 脚し て泰 平の 後改 めて 御朱 印賜 る事

﹂︵ 以上

︑本 文を 略す

︵後 文︶

御心 信御 求の かた がた

︑利 益倍 々疑 いな きも のな り︒ よつ て仏 薬証 明犬 不動 霊験 物語 りか く記 しお わん ぬ︒ 当山 今も つて 古例 改め られ 児の 舞興 行あ り︒ その 古は 楽人 も御 召抱 候と や︑ 只今 は名 のみ にて 郡中 年寄 組頭 のう ちに て章 寿楽 の調 を伝 へき て祭 礼を なす

︒昔 は毎 年興

行︑ その 後は 三年

︑五 年︑ 当時 七歳 に至 りて 児の

舞あ り︒ はた また 下の 坊潰 され 候に より

︑北 村右 近の 子孫 百姓 上穂 村の 長と なり

︑小 泉の 家は 雑掌 の株 あり て表 向江 戸御 上下

︑そ の他

― 215 ― 光

前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

(23)

道中 御先 触︑ なに かど の儀 は︑ この 小泉 の印 形に て御 先触 候な り︒ 己

!

莽禹

"

写 之/ 宝積 山 光前 寺所 蔵 この

冒頭 文に

︑こ の﹃ 霊験 物語

﹄は

﹁一 度見 聞の 輩﹂ や﹁ 読聴 の人 々﹂ は﹁ 結縁

﹂す るこ とが でき

︑寛 政六 年の 開基

﹁ 六十 一 年 の 開帳

﹂に 寄 せ て︑

﹁御 宝 物 の楼

﹂に

﹁古 物 品 々

﹂を 開 帳 す る に あ た り︑

﹁説 僧

﹂が

﹁犬 不 動 因 縁 物 語 り﹂ を語 り︑

﹁ 書写 宝経 の由 来︑ 本 尊 御威 光 流 布﹂ を﹁ 御噺

﹂し た と ころ を そ の まま

﹁書 記

﹂し た もの だ

︑と い う︒ いわ ばこ の﹁ 説僧

﹂に よっ て演 出︑ 脚色 され たと ころ も大 きか った に違 いな い︒ ま た後 文に よる と︑

﹁ 児の 舞興 行﹂ が行 われ たと ある ので

︑説 教の

﹁御 噺﹂ の機 会で あっ たこ とも 推測 でき る︒ か くて

︑こ れま での 考察 を︑ 簡単 にま とめ ると 次の よう であ る︒

︵ 1︶ 天保 一〇 年の

﹃略 縁起

﹄は

﹁当 山古 伝記

﹂に 基づ き︑ 寺蹟 の概 要を 継承 し︑

﹁別 に伝 記﹂ のあ るも のを 参照

︑補 訂 して 編年 的に 縁起 を制 作し てい る︒ この 段階 では 早太 郎伝 説は

︑光 前寺 縁起 を構 成す るひ とつ の︑ そし て唯 一の 逸 話に とど まっ てい る︒

︵ 2︶

﹃霊 験記

﹄は 光前 寺本 尊の 霊験 を構 成し てい る︒ した がっ て早 太郎 は︑ 本尊 不動 明王 によ って 必然 的な もの とし て 強調 され

︑意 味付 けら れて いる

︵ 3︶

﹃霊 験物

語﹄ はす でに 存在 する 縁起 を吸 収し つつ

︑霊 犬を 主人 公と する 物語 とし て織 り直 され てい る︒ つ まり

︑こ の三 者の 関係 を時 代的 に辿 って みる だけ でも

︑寺 の開 基を 伝え る縁!! か ら︑ 不動 明王 によ って 授け られ た霊 犬の 活躍 と施 薬の 効能 を中 心と する 霊!!!

︑さ らに 犬の 早太 郎が あた かも 主人 公と なっ て活 躍す る霊!!!!

光 前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

― 216 ―

(24)

とい うふ うに 展開 して いる こと がみ てと れる

︒ 4

縁起 と 大 般若 経 の 奉納 の 根 拠 と

ころ で︑ 光前 寺側 の縁 起に おい て︑ もう ひと つ相 違点 があ る︒ 金剛 般若 経や 心経 と並 んで 大般 若経 は︑ 災厄 を除 く目 的で もっ て読 誦さ れる 経典 であ るが

︑早 太郎 が怪 神 を 退 治し た こ とと

︑大 般 若 経が 奉 納 さ れた こ と との 関 係 を︑ 縁起 がそ れぞ れど のよ うに 説明 して いる か︑ であ る︒ 例 えば

︑寺 伝本 系②

﹃略 縁起

﹄で は︑ 不 思議 の霊 応有 て怪 異を 除き 長く 其地 の禍!!!!!!! 社僧 一実 坊弁 存 一筆 を以 て大 般若 経六 百軸 を書 写し て当 山に 納む とあ る︒ この 限り では 大般 若経 を奉 納し た根 拠は 曖昧 であ る︒ また

︑霊 犬は 傷を 蒙っ てい ない

︒当 山の 飼育 する

﹁良 犬﹂ の活 躍に より 災禍 を取 り除 いた 功績 に対 する 謝意 を表 する ため に︑ 大般 若経 は書 写︑ 奉納 され てい ると 読め る︒ ち なみ に︑ 塔頭 本系

①﹃ 霊験

記﹄ では

︑ 怪 神を 降伏 して 諸人 の災 害を 救へ り︑

!

! 天満 宮の 一実 坊は 自ら 大般 若経 六百 巻を 書写 して 当山 の恩!!!!! と之 を奉 納す

︒ とい う︒ ここ では

︑明 確に 謝恩 とい う論 理が 働い てい る︒ 同じ く﹃ 霊験

記﹄ では

︑ し こう して 良犬 恙な し︑

︵ 略︶ 亦良 犬す なわ ち 神 の権 化 な らん

︑是 に 於 いて 里 民 社 主歓 喜 踊 躍に 堪 へ ず︑ すな

― 217 ― 光

前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

(25)

わち 謝!!!!! 大 般若 経奉 るべ く来 つて 当山 に納 む︑ と︑ これ も明 らか に﹁ 謝恩

﹂と 表現 され てい る︒ つ まり

︑昔 話で は祟 り神 を護 り神 に転 換さ せる 論理

が話 型を 構成 して いる が︑ 縁起 では 犬の 安否 とは あま り関!!!!

︑ また 怪神 と神 仏と の関!!!!!!

︑ 怪神 を打 倒し 災禍 を除 いて くれ たこ とに 対す る謝!! と して 大般 若経 が奉 納さ れる こと にな って いる

︒ さ らに

︑駒 ケ根 光前 寺側 の縁 起で は︑ 磐田 市見 付天 神社 側に 伝わ る文 献の 中で は比 較的 古い もの と考 えら れる

﹃見 付天 神記

﹄や 岩田 孝文 氏の 述記

︵参 考文 献参 照︶ とは 異な り︑ 早太 郎︵ 悉平 太郎

︶は 怪神 によ って 傷付 られ るこ とは なく

︑寺 へ無 事に 帰還 して いる

︒と ころ が︑ 磐田 の見 付天 神社 の縁 起で は早 太郎 は死 傷し て倒 れ︑ 駒ケ 根に 墓が 建造 され たこ とに なっ てい る︒ どち らか とい うと

︑磐 田の 側で は鎮!! の 意味 合い が強 く感 じら れる

︒ 5

駒ケ 根 光 前寺 で の 聞き 書 き 宝

積山 光前 寺は 天台 宗延 暦寺 派の 別格 本山

︑本 尊は 不動 明王

︒開 基は 清和 天皇 貞観 二︵ 八六

〇︶ 年と 伝え る︒ 青島 常盤 氏は

︑光 前寺 が﹁ 戦国 時代 には 豪族 の祈 願寺 とし て栄 えた が︑ 江戸 時代 にな ると 東叡 山寛 永寺 末の 信濃 天台 上位 五座 に列 する 朱印 高六 十石 の寺 とな り︑ 庶民 の祈 願寺 とし て信 仰を 集め た﹂ とい う

︒ 参 考ま でに

︑少 しば かり 聞書 した とこ ろを 記す

︒光 前寺 住職 吉澤 道人

氏に よる と︑ 現 在︑ 寺に 早太 郎が 祀ら れて いる のは

︑犬 が戻 って きた のを 葬っ たも ので

︑人 によ って は戻 る途 中で 亡く なっ

光 前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

― 218 ―

(26)

たと もい う︒ 昔 の人 は

﹁灰 坊 太郎

﹂と か

﹁兵 坊 太郎

﹂と 呼 ん でい た

︵磐 田 で は﹁ 悉平 太 郎﹂ と いう

︶︒ 火 を 焚く と き 横 に い た か ら と か

︑灰 ま み れ だ っ た か ら と も い う

︒私 は︑ 早 い を

﹁は げ し い

﹂と い う 意 味 だ と 考 え て い る

地 ︒ 元の 人も 早太 郎の 墓を 御参 りす るが

︑特 別に 信仰 して いる とい うこ とは ない

︒社 殿の 木像 は︑ 磐田 から 寄進 され たと いう

︒磐 田で は戦 時中

︑銅 像を 供出 した ので

︑そ の代 りと して 木像 を作 った

︒さ らに

︑昭 和三 七︑ 八年 ごろ 磐田 で作 り直 した とい う︒ か つて 磐田 から 光前 寺に 参詣 する 光前 寺講 があ った が︑ 今は 廃止 され た︒ なぜ 磐田 なの かと いう と︑ 犬が ここ を追 われ て天 龍川 を下 り︑ 磐田 に渡 った とも いう

︵ 以上

︑吉 澤道

人氏 談︶ とい う︒ この 限り では 聞書 によ って 縁起 の内 容を 覆す よう な伝 承は 認め られ ない

︒ま た︑ 駒ケ 根市 立博 物館 館長 の気 賀澤

進氏 によ ると

︑ 寺 は経 蔵と とも に何 度も 焼失 して いる ので

︑確 実な こと は分 から ない が︑ 菅江 真澄 の﹃ 伊那 の中 道﹄ に光 前寺 の記 事が 見え ない ので

︑大 般若 経の 奥付 の鎌 倉時 代の 年号 はあ ま り 信用 で き な い

︒ 中世 以 後︑ 光 前寺 は 武 家の 祈祷 寺で あっ た︒ 江戸 の文 化・ 文政 期に は大 般若 経の 存在 が確 認で きる

︒大 般若 経は 磐田 から の御 礼だ とい う説 もあ る︒ 伝説 は︑ 村起 こし のた めか と思 う︒ 住職 は︑ 早太 郎は ヤマ イヌ だと いう が︑ 寺伝 とし ては 早太 郎は 不動 明王 の化 身で ある

︒昔 話だ と単 なる 犬に なっ てし まう

︵ 以上

︑気 賀澤

進氏 談︶ とい う︒ もち ろん

﹃略 縁起

﹄や

﹃霊 験記

﹄の 伝え る年 紀や 出来 事と の間 には 小異 があ る︒ だが

︑問 題は 縁起 の成 立時 期の 正否 では なく

︑縁 起と いう もの はそ の都 度︑ 必要 あっ て制 作さ れた と考 える 方が 有効 だと いえ る︒

― 219 ― 光

前 寺 略 縁 起 と 早 太 郎 伝 説

参照

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