問題の所在 山辺習学・赤沼智善『教行信証講義』第二巻「信の巻・ 証の巻」 (無我山房、一九一四) には、次の如くある。 我等の久遠以来の自力の迷執は、一時の歓喜、随喜の 涙位で、洗われるものではない。我等は知らず知らず 是等の法悦を宗教の第一義と心得、自力の策励により て、此の感味を獲んとするようになる。其努力の進行 と、結果はどうなるかと云えば、各自の性能や、先天 的の能力の相違によりて、信仰が異るようになる。否 恐くば、鎮西流のように只終生戦々兢々として、如来 に哀願するような継子根性となるか、 或は、自己を忘 れて、直ちに超越的に、親のものは我ものという西山 流の生仏不二の駄々息子根性に陥るのである 。この両 者は際立てて両極端を示しているが、この中間にも、 多くの種類がある。 そしてその誤謬の本は、定散の自
《招待論文》
真宗教学史における他派理解と注釈態度
──光遠院恵空を基軸として──
親鸞仏教センター嘱託研究員中
村
玲
太
力根性を自覚せぬことに、起因しているのである 。一 分にても自力を執ずれば、他力金剛の真信は獲られぬ。 (三九~四〇頁) ここで言われる「自己を忘れて」ということに止まるの が、 果 た し て 證 空 (一 一 七 七 ~ 一 二 四 七) を 祖 と す る 西 山 流 の教義であるのか。この問題については本論最後に「離三 業」を検討する中で結論を示そう。さて、他宗派との境界 を明瞭にしていくことで自宗の骨格を明らかにする注釈態 度 は 歴 史 的 に 繰 り 返 さ れ て き た が、 上 述 の『教 行 信 証 講 義』 の よ う に、 親 鸞 (一 一 七 三 ~ 一 二 六 二) 『教 行 信 証』 へ の解釈でもそれは見えることである。近世真宗東派の講師 と し て 後 代 へ の 影 響 も 色 濃 い、 香 月 院 深 励 (一 七 四 九 ~ 一 八 一 七) も『広 文 類 会 読 記』 巻 八 に は、 「然 る に 今 黒 谷 の 門下其浄土門の他力に入りてつねに元祖の他力の御教化を 聞きながら、まだ十九・二十の窟内をのがるること能わず。 第十八願の横超他力をしらずにおる。 吾祖を以てみれば西 鎮 の 流 祖 も み な 定 散 自 利 の 心 に ま ど う て お る 」 (真 大 一 四、 三六頁) としている。 親鸞の言葉を了解するにあたり鎮西、西山両派ともに未 だ完全に自力からは脱していないと判ずるのは『教行信証 講義』でも深励においても同じであるが、東派の学究にお いて常に、特に西山義をそのように判定し批判の範疇とし て き た わ け で は な い。 初 代 講 師 と も 語 ら れ る 光 遠 院 恵 空 (一 六 四 四 ~ 一 七 二 一) は、 他 力 理 解 を 示 す の に 西 山 義 の 文 献を列挙し、さらにその典拠の一つとして『教行信証』を 並置している (詳細は本論参照) 。 恵 空 と 言 え ば、 『安 心 決 定 鈔』 を 西 山 義 の 典 籍 と 判 定 し た『安 心 決 定 鈔 翼 註』 (以 下、 『翼 註』 と 略 記) が 著 名 で あ る。 深 励 と 同 時 代 に 生 き た 皆 往 院 鳳 嶺 (一 七 四 八 ~ 一 八 一 六) は 『安 心 決 定 鈔 記』 (以 下、 『鈔 記』 と 略 記) 巻 一 で、 『安 心 決 定鈔』に対する現学寮の認識を以下のように述べている。 享保已前の学者は総べて一家相承の真撰とすれば真宗 の安心もみな此書に依りて勧む。享保已後の学者はこ の書に疑を立てて恐らくは当流相承の書ではあるまい という。 当山の学寮ではみな疑を立てて安心まえの証 文には引かぬようになりたり 。 (真大三一、九五頁) ( )1
鳳嶺はこの後に「恵空の翼註に来りて 始めて 0 0 0 此書の作者 実に未だ知らず、但し是れ西山の書物なり、当流の真撰に あ ら ず と 云 え り」 (真 大 三 一、 九 七 頁) と す る の で あ る か ら、 ここで言う享保已前・已後というのは、換言すれば恵空已 前・已後ということである。真宗の典籍 ではない 0 0 0 0 ことを理 由に、鳳嶺当時の学寮では『安心決定鈔』から安心を語る 者はいないとす る。しかし、恵空は西山の典籍であること を理由に即座にそこから学ぶことを却下するものではない。 西山と真宗の典籍を並置し、安心について西山義からその 理 解 を 示 す 部 分 も あ る の が 恵 空 で あ る (勿 論、 西 山 義 と の 相 違 を 示 す 箇 所 も あ る) 。 本 論 で 確 認 す る が、 鳳 嶺 も 恵 空 に そ のような注釈態度のあることは了解している。また、近年 の 恵 空『翼 註』 へ の 評 価 で あ る が、 大 桑 斉 は 大 掴 み に 「……決定鈔を逐一批判したのち、五カ条の根拠をあげて 決定鈔を真宗のものにあらずと論断したことは、大きな波 紋を投ずるものであっ た」と評している。大桑は「逐一批 判した」とするが、恵空は必ずしも批判だけではなく『安 心決定鈔』を是々非々に扱っている。この点を見落とすと 恵空以降の他派理解の変遷を検討することが難しくなると 考える。 宝暦期における真宗の聖教目録編纂の特殊性を検討した 引 野 亨 輔 は、 「そ の 一 大 特 徴 は「他 流」 = 浄 土 宗 諸 派 へ の 対抗心をあらわにした真宗の独自性アピールにこそ求め得 る。仏教諸宗の本山が分立する近世において、真宗は教義 上の類似性も多い浄土宗を過剰に意識しながら、談義本的 な世界を抑圧し、宗派間の境界線を確定していったのであ る」とする。こうした宝暦期の聖教目録編纂意識とは違う、 前史に当たるのが恵空であると考える。真宗教学史におけ る他派理解の変遷を考える第一歩として、恵空の他派理解 を明らかにするのが本論の目的である。鎮西義理解も真宗 教学史において重要な問題であるが、本論では、特筆すべ き恵空の他派理解を検討することを主眼とし、特に恵空の 西山義理解に光を当てたい。 ( )2 ( )3 ( )4
一、恵空『異執決疑編』について 1 「一念」と西山義 恵空が六五歳のときに撰述した『翼註』の検討に入る前 に、五二歳のときの撰述になる『異執決疑編』について確 認 す る。 『異 執 決 疑 編』 は 自 他 宗 内 の 異 義 に 対 抗 す る も の であるが、よく他派の典籍から真宗の教えを補説している。 こ れ に つ い て 順 に 確 認 し て い き た い が、 ま ず『異 執 決 疑 編』巻上には以下のようにある。 而るに近日、北陸道中に、一の誑法者有りて、妄語を 搆えて云わく、法然上人の七万遍念仏はこれただ外の 方便なり。内に実義有り。人未だこれを知らず。所謂、 心弥陀の本願を知らば、身必ず極楽浄土に往生するの 業、ここにおいて満足す。この上に何ぞ一念を過ぎて、 一遍と雖も、重ねて名号を唱うべきや。 而近日、北陸道中、有一誑法者、搆妄語云、法然上人 七万遍念仏是只外方便也。内有実義。人未知之。所謂、 心知弥陀本願、身必往生極楽浄土之業、於是満足。此 上何過一念、雖一遍、重可唱名号哉。 (真全五六、四頁) 近日に「北陸道中」で、法然の七万遍の念仏は「外の方 便」であって、内には「実義」があると騙るものがいると ある。その実義とは、心に弥陀の本願を知れば身は必ず浄 土に往生できるのであり、それ以上のことは不要である。 故にさらに称名念仏を重ねる必要はないというのである。 恵 空 は こ れ を「風 聞」 と す る が、 「而 近 日」 以 下 の 文 章 は、 西山派の者が真宗を批判したとされる『親鸞邪義決』に同 文 が 見 え る (真 全 五 九、 一 七 頁) 。 後 に も 確 認 す る が、 我 々 は信の上に「何もしなくともよい」という思想に対して恵 空は度々厳しい批判の言葉を向けている。このような恵空 の批判をどのように位置づけるべきかは、本稿の結びで検 討する。 さて、 『異執決疑編』巻上には、 「随いて一流の道俗を見 ( )5
るに、みな往生を信の一念に極め、報恩を行の一念に 創 はじ む (随 見 一 流 道 俗、 皆 極 往 生 於 信 一 念、 創 報 恩 於 行 一 念) 」 (真 全 五 六、 一 〇 頁) 」 と あ る。 こ れ は 恵 空 の「一 念」 に 対 す る 根 本 的な思想であると考えるが、特に「創報恩於行一念」とい う箇所は、信の上に「何もしなくともよい」という思想に 対する恵空の明確な立場が示されている。ただ、信の一念 に往生の業が成就することも強調するところであり、同じ く『異執決疑編』巻上に次の如くある。 然ればすなわち三経一論、ただ信心を以て正因と為し 得生を許す。その文その義これ明かなり。 また発起一 念に正因を成じ、相続の後を俟たざるの義、経釈顕然 なり。西山の諸家深くこの旨を伝う 。 然則三経一論、唯以信心為正因許得生。其文其義是明 也。又発起一念成正因、不俟相続之後之義、経釈顕然 矣。西山諸家深伝此旨。 (真全五六、一七頁) 一念に往生の業が成就するということは経典、釈論でも 明かであり、これを「西山の諸家」が深く伝えているとす る (恵 空 が こ の 箇 所 で 挙 げ る 西 山 義 の 典 籍 は、 西 山 義 の 西 谷・ 本 山・深草の諸派のものである) 。この後に僅かではあるが鎮西 義 に も 触 れ る の で あ り、 「西 山・ 諸 家」 と い う 並 列 の 関 係 であると見ることも不可能ではないが、挙げられるのは西 山と鎮西のみであり鎮西一家を「諸家」と表現したとは考 え難い。ただ「西山・諸家」という並列の関係であるとし ても、西山義を代表格として取り上げていることに違いは ない。 恵空がここではじめに挙げるのが了音『観経疏六角抄』 (西全六、二五〇頁) の雑想観を解釈した部分である。 雑 想 観 鈔〈西 谷 義〉 云、 〈了 音〉 観 経 説 相、 定 散 二 善、 十六観門、五部九巻の釈詞は、種々無尽なれども、何 れの方よりも心得知せんとする用事は、唯だ南無阿弥 陀仏の六字の名号、他力の功能を一つ顕す法門ども也。 然れば何と云法門からも念仏他力の功能を心得出して 決定往生の信心を一つ立てん為め也。是を平生の証得 往生と名く。この信心立ちぬる上は、知識の詞の下に
命終らば不唱一声不念一念往生する也。 (真全五六、一七頁) 信心一つで往生が確立される、という了音の立場が明快 に表れている箇所である。こうした箇所から「一念」の意 味を恵空は確かめているのである。 2 「報謝の念仏」と西山義 先 に 恵 空 は「創 報 恩 於 行 一 念」 と し て い た が、 「報 謝 の 念仏」ということも真宗では一つ大きく取り上げられる問 題 で あ る。 『安 心 決 定 鈔』 を 西 山 義 の 書 だ と す る 鳳 嶺 は、 『鈔 記』 巻 一 に、 「覚 如 上 人 は 仏 恩 報 謝 を 際 立 て て 勧 め 給 う そ れ が 此 書 に は な し」 (真 大 三 一、 九 九 頁) と し、 ま た こ のすぐ後に「覚如上人が当流の念仏は勧めずに西山の念仏 を 勧 め た ま う 筈 な し」 (同 上、 九 九 ~ 一 〇 〇 頁) と す る。 『安 心決定鈔』が覚如撰述だとする説を否定する段において、 真宗の念仏と西山の念仏とは違うことを主張するのである が、西山とは違う真宗の旗印として報謝の念仏が考えられ ていたことは間違いない。 恵空に戻ると、 『異執決疑編』巻上では、 「 西山に、亦報 謝の念仏と云る事あり 。行観秘鈔〈選択二行章下〉云、即 便往生とも云い、正定業とも云也。其の上に報謝の助業に 立 て て、 三 業 に 行 ず る 時 は、 口 業 に 数 遍 を 積 む べ し」 (真 全 五 六、 三 四 頁) と し て、 行 観『選 択 集 秘 抄』 巻 二 (浄 全 八、 三 六 二 頁) を 典 拠 と し て い る (證 空 に も あ る「報 謝」 に つ い て は 後 述 参 照) 。 こ の 後、 西 山 義 の 智 円、 さ ら に 鎮 西 の 良 栄 の 典籍を挙げて「然ば、西鎮共に報恩称名の義を存す。何ぞ 独 り 今 家 を 疑 ん や」 と す る。 「報 謝 の 念 仏 を 説 く 真 宗」 に 対して疑難が投げかけられていたのであるが、真宗だけで はなく西山・鎮西でも報謝の念仏を説いていると応答する のである。これが鳳嶺の認識とはまったく違うものである と 了 解 で き る と 思 う (報 謝 の 念 仏 を 覚 如 は「際 立 て」 た こ と が 特 徴 で あ り、 他 派 で も 説 か れ て い た と 鳳 嶺 が 認 識 し て い た と 解 釈 す る こ と は 可 能 で あ る が、 西 山 等 の 報 謝 の 念 仏 に 触 れ て 同 一 性 を 主張することなどないことに変わりはない) 。 なお、恵空は鎮西義も並べて紹介しているが、鎮西義と の 距 離 は 感 じ て い た よ う で あ り、 『異 執 決 疑 編』 巻 中 に ( )6
「苟に当家の飯を食せん人は、初心の修学より鎮家の人に 随学すべからず。鎮家の書を恒に珍仰すべからず。執情難 離 故 也」 (真 全 五 六、 七 六 頁) と あ る。 こ の よ う な 注 意 を 西 山義に向けることはない。 3 「励む」と西山義 恵空『異執決疑編』巻中には、称名念仏に関連して以下 のようにある。 聖人化土巻 に、要集を引て、勧励極重悪人唯称弥陀也 と云り。和讃には、如来大悲の恩をしり、称名念仏は げむべしと教え、蓮師は念仏勤行を凝し励ますと伝え 給えり。餘文不煩出。汝、励むの文無しと云う。爾ら ば還て可問。不励の文ありやと。 (真全五六、五六頁) 親 鸞『教 行 信 証』 化 身 土 巻 を 筆 頭 に、 「励 む」 と い う こ とが真宗にあることを強調している。ここで「汝」に問い かけているが、恵空『異執決疑編』には、自問自答形式と は 考 え 難 い 箇 所 が あ る。 例 え ば、 「答。 此 事 初 篇 一 念 義 の 下 に 釈 述 し 畢 ぬ。 何 ぞ 労 く 及 再 諮」 (真 全 五 六、 五 七 頁) と ある。すでに「初篇一念義」の箇所で論じたことをなぜ再 び問うのか、と恵空は応答するがこれは自問自答であれば まったく不要な問いである。また上述の箇所だけではなく 度 々「汝」 と 呼 び か け る 書 物 で あ り、 「 汝 が 家 0 0 0 に も、 日 課 所 作 の 数 を 不 定 人 有 べ し」 (同 上、 二 六 頁) と す る 箇 所 も あ る。 他 家 (他 宗 派) の 人 と の 実 際 に あ っ た 問 答 を 基 に し て 編纂されたのが『異執決疑編』であると推測される。 さ て、 「励 む」 と い う こ と が 真 宗 だ け の 問 題 で は な い と す る 恵 空 が 引 く の が、 證 空『鎮 勧 用 心』 (短 編、 一 四 九 頁) である。 鎮勧用心に如云急に励んも喜ばし、正行増進の故に。 懈り倦んも快し、正因円満の故に。 (真全五六、五六頁) 恵空は『鎮勧用心』の注釈書である『鎮勧用心述意鈔』 を著している。真宗における「励む」の意義を強調しなが
ら、その傍らで西山義に説かれる「励む」を顕彰していっ たのが恵空なのである。 4 『安心決定鈔』と西山義 ──他派に学ぶこと 恵 空 は『異 執 決 疑 編』 巻 上 で、 「機 法 一 体」 と い う 用 語 について以下のように論じている。 抑も今師の解釈を考えるに、本書等の中に未だ一体の 文義を見ず。和語・消息等また爾なり。ただ安心決定 鈔の一部のみ有りて、専らこの義を述す。 抑考今師解釈、本書等中未見一体之文義。和語・消息 等亦爾也。唯有安心決定鈔一部、専述此義。 (真全五六、三一頁) 親鸞の著述中に「機法一体」なる語は見当たらないが、 『安心決定鈔』にはあるとする。おそらくこの時点で恵空 は『安心決定鈔』を西山の書物だと判定はしていなかった と 考 え る。 『安 心 決 定 鈔』 が 真 宗 の 聖 教 だ と 考 え な け れ ば、 親鸞の書物と並べて「機法一体」の語の有無を問題にする こともないであろう。 恵空は結論としては、蓮如が『安心決定鈔』を用いるこ と に も 触 れ な が ら、 「然 れ ば す な わ ち 今 の 一 義、 た と い 祖 師の直説にあらずと雖も、試みにこれを習学せんに、何の 不 可 有 る や。 況 や 決 定 の 深 旨 を 顕 す も の を や (然 則 今 一 義、 縦 雖 不 祖 師 直 説、 試 習 学 之、 有 何 不 可 耶。 況 顕 決 定 深 旨 者 乎) 」 (同 上) と す る。 親 鸞 の 直 説 で な く と も 試 み に 習 学 す る こ とに何の問題もなく、まして『安心決定鈔』は「決定の深 旨」 を 開 顕 す る も の で あ り、 『安 心 決 定 鈔』 に 説 か れ る 「機法一体」に学ぶことを肯定していると言える。 で は、 『安 心 決 定 鈔』 が 真 宗 の 聖 教 で は な く、 西 山 の 聖 教 で あ る と し て も こ の よ う な 学 び は 成 立 す る の か。 『安 心 決定鈔』を西山の書物であると判定した『翼註』巻三「餘 論重義」には次の如くある。 問云。此鈔実に西山の書ならば、当流の人は不可用之
歟。 答云。是言何事ぞ 。如唯信鈔、或は用い或は不用。 依 事 縁 文。 今 亦 爾 な る べ し。 或 は 同、 或 は 異。 全 分 同・一分同あり。全分異・一分異あり。又相似の義あ て、実には同一に非るあり。別解異流の書を見るには、 恒に其の分別あるべし。 (真全四四、五〇七頁) 恵空からすれば他流の書は是々非々で接すればよいので あ り、 無 下 に 否 定 す べ き も の で も な い。 真 宗 の 立 場 か ら 「不用」の教説があるのは当然だとしても、他流でも用い る 教 説 が あ る こ と も 認 め て い る の で あ る。 『翼 註』 が 成 る 二 年 前 (六 三 歳 の と き) に、 證 空『鎮 勧 用 心』 の 解 説 書 で あ る『鎮 勧 用 心 述 意 鈔』 を 開 版 (さ ら に 七 二 歳 の 時 に 再 刊) しているのであり、ここからも西山の書物だから学ぶもの はない、という姿勢とは一線を画するものだと了解できる。 『鎮勧用心述意鈔』は批判的に證空の言葉を解説したもの でもなく、また教説の通じる範囲を西山義に限定するもの で も な く、 「今 鎮 勧 用 心 は、 決 定 往 生 の 津 要、 極 楽 宝 国 の 究 路 な り。 弁 ぜ ざ る べ か ら ず (今 鎮 勧 用 心 者、 決 定 往 生 之 津 要、 極 楽 宝 国 之 究 路。 不 可 不 弁) 」 (『鎮 勧 用 心 注 釈 書〔写 真 版〕 』 〔西 山 浄 土 宗 教 学 研 究 所、 二 〇 〇 六〕 、 七 二 ~ 七 三 頁) と す る も のである。 なお、恵空『異執決疑編』には上述の「機法一体」に関 連 し て「秘 事」 の あ っ た こ と を 伝 え て い る。 こ れ も『翼 註』の前提となる問題であり、最後に確認しておきたい。 以下、 『異執決疑編』巻中である。 或人云、機法一体なれば、生仏不二也 。我身すなわち 弥 陀 な れ ば、 外 に 礼 す べ か ら ず 外 に 不 可 称 と〈云 云〉 。 答。是は秘事と号する邪見愚癡高慢の誤り也。釈義可 俟下之八邪弁 決。 (真全五六、五三頁) 我身と弥陀との一体を「機法一体」として把握してそれ に「沈む」問題は『翼註』でさらに先鋭化されて論じられ ている。これについては後に検討する。 ( )7 ( )8
二、恵空『翼註』と鳳嶺『鈔記』に見る 注釈態度の相違 1 「信」と「知」 鳳嶺『鈔記』には以下のようにある。いずれも『鈔記』 巻三である。 翼註などが此鈔は西山の鈔としながら今家の文を引い て釈する 。評釈なども然なり。私は然らず。上来弁ず る如し。今家相承の釈を引いて此鈔を解したことはな し。 (真大三一、一七九頁) 此存覚上人の西山義を用い給うは上来弁ずる通り一代 の瑕瑾なり。 然し安心は違う 。 (同上、一九二頁) 存覚が西山義を一部採用していることについて「一代の 瑕瑾」とまで厳しい眼差しを向けており、恵空が「如唯信 鈔、或は用い或いは不用」とするのに比べると、鳳嶺が真 宗と西山とに隔たりのあることを主張することに苦心して いたのは明らかである。また存覚が西山義を一部採用して いたとしても、だからと言って西山と (存覚も説き示す) 真 宗の信心とが同じではないとしている。 鳳嶺が的確に指摘するように、恵空『翼註』は『安心決 定鈔』に真宗の典籍から解釈を施してい る。しかもそれが 信心の範疇にまで及ぶものである。これについて順に検討 し て い く が、 恵 空 が『安 心 決 定 鈔』 を 解 釈 す る に 当 た り 度々問題とするものがある。まず『安心決定鈔』には以下 のようにある。 十方衆生の往生の成就せしとき、仏も正覚をなるゆえ に、仏の正覚なりしとわれらが往生の成就せしとは同 時なり。仏のかたよりは往生を成ぜしかども、衆生が このことわりをしること不同なれば、すでに往生する ひともあり、いま往生するひともあり、当に往生すべ きひともあり。 (浄聖全五、一一一一~一一一二頁) ( )9
我々の往生と弥陀の成仏とが同時だとするいわゆる「往 生正覚倶時」の理を「知る」か否かが往生の分かれ目だと 説いている。我々が往生するまでは成仏しないと弥陀が誓 うのであれば、弥陀が成仏している以上、我々の往生も同 時に成就しているとする教説であるが、西山義の「往生正 覚倶時」説については旧 稿で論じた。ここでは「知る」と い う こ と に 注 目 す る と、 『翼 註』 巻 一 に は 以 下 の よ う に あ る。 此 理 ことわ り を 知 れ ば 則 ち 往 生 す。 し ら ね ば 往 生 せ ず と 云 也。知るは智慧なれば、本願帰命の正因には可非と聞 えたれども〈竹林鈔云、十劫正覚の昔より十方衆生の 上に此の理を成ぜるを垢障覆深の我等は不信知。猶徒 に流転の凡夫たりき。已上〉 今所云知ると云は和尚の 所謂信知也 。西山法語云、三心と云は意得る心也。意 得ると云は知る也。知ると云は聞く也。聞は知也。是 を心想といい、是を南無と云也。 (真全四四、四四〇頁) 恵空は『安心決定鈔』で言われる「知る」とは単に智慧 を 指 す も の で は な く、 「信 知」 の こ と で あ る こ と を「西 山 法 語」 (『西 山 善 慧 上 人 御 法 語』 、 短 編、 一 三 二 頁) か ら 論 じ て いる。なお恵空は典拠としていないが、證空『往生礼讃自 筆 鈔』 巻 一 に は、 「信 知、 ト イ ハ、 信、 ハ、 知、 ナ リ ト 顕 ハ ス 言 ナ リ。 知 リ ヌ ル 事 ハ 疑 ハ ズ、 必 ズ 信 ズ ル 故 ナ リ」 (西 叢 三、 七 頁) と あ る。 中 世 の 文 献 に お い て「知」 と 言 わ れ る も の は、 「信」 と 不 可 分 な も の を 指 し て い る 可 能 性 を考えるべきなのである。 さ て、 恵 空 は 西 山 の 文 献 を 列 挙 し た 後、 「 祖 師 は 覚 知 易 き為の一心と判じ 、西山は解了の為の三心と云り。然ば 今 い ま知ると云るは信心をうること也」と結論する。親鸞『浄 土 文 類 聚 鈔』 に、 「愚 鈍 の 衆 生、 覚 知 易 か ら し め ん が た め の故に、論主三を合して一としたまうか (愚鈍衆生、覚知為 令 易 故、 論 主 合 三 為 一 歟) 」 (浄 聖 全 二、 二 七 一 頁) と あ る の を 受 け る も の で あ ろ う (な お、 『教 行 信 証』 信 巻 の い わ ゆ る「三 一 問 答」 で は、 「愚 鈍 衆 生、 解 了 0 0 為 令 易 …」 〔浄 聖 全 二、 七 九 頁〕 と な っ て い る) 。 親 鸞 の 言 葉 か ら も「知」 と「信」 の 結 び つ く こ と を 証 し て い る。 「一 心」 と「三 心」 の 違 い は あ る が、 ( )10
い ず れ に せ よ 他 力 の 信 心 を 顕 す も の で あ り、 そ れ が「覚 知」 、「解了」と不可分であることを西山・真宗の両典籍か ら示すものである。 2 「他力」に対する解釈態度の相違 恵 空 は『翼 註』 巻 一 で、 先 の「知 る」 の 注 釈 に 続 け て 『安 心 決 定 鈔』 の 所 説 で あ る 往 生 の 不 同 に つ い て、 「不 同 は依宿善厚薄也。遅きも疾きも往生は此の理りを信ずるに 依 る 也。 加 我 之 心 力・ 行 力 往 生 す る に は 非 ず と 云 也」 (真 全四四、四四〇頁) と解釈する。往生は知るか否か、換言す れば他力の理を信ずるか否かがすべてであり、我々の「心 力」 「行 力」 を 加 え て 往 生 す る の で は な い と す る。 こ こ か ら他力の信心とは何か、その内実が語られていくわけであ るが、ここに西山義の典籍が累々引かれる。例えば以下の 通りである。 述成云、かかる疑の機、信心一つも無き機を本として、 摂取して正覚なり給える仏体にてましましけるよと思 いつく所を今の他力の信とは云也。いかにも此疑い、 さはぐ心を静めての上に、本願の体に心をかけて念仏 すという分は、尚機を本とする故に、真実の他力の信 にては無き也と。 又云衆生の方よりは何一つも用意す べき事なく、全分に仏の方より御したため候也と 。 (真全四四、四四二頁) 證 空『述 成』 (短 編、 八 二 頁、 八 三 ~ 八 四 頁) を 引 い て い る が、 『述 成』 は 他 力 理 解 を 示 す 際 に よ く 典 拠 と さ れ る も の で あ り、 『翼 註』 巻 三 に は、 『述 成』 (短 編、 八 五 頁) 、 そ し て 了 音『序 分 義 六 角 鈔』 (西 全 五、 一 一 四 頁) が 以 下 の よ う に引かれている。 述成云、自力なる時は、機の方より仏助けたまえと思 う義也。他力を心得て見れば、衆生を追ありき給いけ る。 〈乃 至〉 仏 の 方 よ り 衆 生 を 追 あ り き 給 い け る 上 は、 機の方よりとかく心得て仏の御心に相応せしめんなん と 思 う べ き 事 に は あ ら ず。 〈文〉 了 音 序 分 鈔 云、 人 皆 思えるは、以我心、仏の他力にて生ずと思う心を他力
を憑みたる他力の信と思えり。此義不爾。其故は、い かに他力を信じ仏の方を憑むとも我が心のはからいに て、憑み信ぜんは皆是れ自力の心也。 (真全四四、四九〇~四九一頁) こ う し た 西 山 義 の 他 力 理 解 と 並 置 し て『翼 註』 で は、 「祖 師 云、 獲 得 信 楽、 発 起 自 如 来 選 択 願 心」 (真 全 四 四、 四 九 一 頁) と し て『教 行 信 証』 信 巻 別 序 (浄 聖 全 二、 六 五 頁) の文を挙げている。他力の信を語る場面において恵空は特 に『述成』等と『教行信証』の差を設けていないが、鳳嶺 の態度とは大きな隔たりがある。鳳嶺『鈔記』には、巻一、 巻二に順に以下のようにある。 近来末学及び同行まで機を奪うて弥陀の方につけたが るが、西山の離三業に紛れてならぬ。信ずるも称える も計らい、申さうと思うてとなえるは自力ぢゃの、 信 心をえたと思うはえぬなどというて、弥陀の方へ付け てしまって他力と思う者多し 。 (真大三一、一〇七頁) 此文も述成〈六右〉に自力なるときは機の方より仏助 け候えと思う義なり。他力を心得て見れば仏の方より 衆生を追ありき給えるを知らず今日まで流転しけるな り、自力の人の安心は仏を衆生が追うてあるくという た と え あ り。 [……] 今 云 く、 此 鈔 の こ こ ろ で み れ ば、 御文の後生たすけたまえと、 御袖に ひ 〔ママ〕 とし とすがるは、 仏に 追従 0 0 申すになるなり 。 (同上、一六五頁) 鳳嶺『鈔記』巻一で「近来末学及び同行まで」と言われ るが、具体例として異義者とされた「加賀の任誓 」が挙げ られている。鳳嶺の言う「信心をえたと思うはえぬ」とい うのは、先の了音の言葉にも符合する的確な西山理解では あ る。また『述成』が言う「如来の方から追う」という思 想とは違い、蓮如『御文』は如来に「追従」することを説 く も の だ と す る。 こ う し た 鳳 嶺 の 問 題 意 識 に は、 『述 成』 と『教行信証』を同列に扱う恵空の注釈態度と明確な差が ある。 ( )11 ( )12
三、恵空『翼註』 「餘論重義」の問題 1 前提としての「機法一体」解釈について 恵空『翼註』には『安心決定鈔』本文の注釈を終えた後、 『安心決定鈔』の撰者の問題等、改めて論点をまとめて解 釈を重ねた「餘論重義」がある。この「餘論重義」は本文 の注釈と趣を異にするところもあり、最後にこの問題につ い て 順 に 検 討 し た い。 こ の 検 討 の 前 提 と し て、 「機 法 一 体」の解釈についてはじめに確認する。 恵 空『翼 註』 の 言 葉 を 借 り れ ば (真 全 四 四、 四 九 二 頁) 、 『安心決定鈔』は「長篇」を結んだ後に、さらに四箇条の 項 目 が 論 じ ら れ て い る。 こ の 第 一 条 目、 「自 力 他 力 日 輪 の 事」には次の如くある。 自力にて往生せんとおもうは、闇夜にわがまなこのち からにてものをみんとおもわんがごとし。さらにかな うべからず。日輪のひかりをまなこにうけとりて所縁 の境をてらしみる、これしかしながら日輪のちからな り。ただし、日のてらす因ありとも生盲のものはみる べからず、またまなこひらきたる縁ありとも闇夜には みるべからず。日とまなこと因縁和合してものをみる がごとし。帰命の念に本願の功徳をうけとりて往生の 大事をとぐべきものなり。帰命の心はまなこのごとし、 摂取のひかりは日のごとし。南無はすなわち帰命、こ れまなこなり。阿弥陀仏はすなわち他力弘願の法体、 これ日輪なり。 (浄聖全五、一一三二頁) この日輪の譬喩の意義を『翼註』巻三ではこのように解 釈する。 又上来の所述、 願行は法の方に成就して、機には信ひ とつも行ひとつも加うることなしといえば、機の方を ば、全分皆な捨てたり 。依之不法懈怠、邪見貢高の者 出来する歟。為破此誤、此章を書て決定上義也。謂彼 邪見の如くならば、日輪ばかりにて物を見てん。闇夜 も盲人も昧く迷うことなかるべしと云わん歟。日と眼
と和合してこそ物をば見るべけれど、いかにも 機法二 つを さ 〔 爽 爽 〕 わさわ と立てて 、邪見と自力とを破して他力の 正義を決定する也。文に唱る六字といい、一声に成就 すと云えるは、眼たる機の方を不失也。 (真全四四、四九二頁) 恵空は、自力だけではなく「邪見」を破すことを重要視 し て い る が、 『異 執 決 疑 編』 で「是 は 秘 事 と 号 す る 邪 見 0 0 愚 癡高慢の誤り也」としていた問題意識を引き継ぐものであ る。 「機 法 一 体」 と し て、 我 々 と 弥 陀 と の「一 体」 が 強 調 さ れ る「秘 事」 も 存 在 し た 中、 『安 心 決 定 鈔』 の 日 輪 の 譬 喩は、日輪と眼どちらも揃ってはじめてものを見るのであ っ て (そ れ 自 体 を 確 か に「一 体」 と は 呼 び う る が) 、 日 輪 と 眼 の「二つ」あること──すなわち機と法の「二つ」あるこ とを強調したものであると恵空は解釈する。 さらに、恵空『異執決疑編』では「機法一体」とは「生 仏 一 体」 の こ と だ と し て、 「我 身 す な わ ち 弥 陀 な れ ば、 外 に礼すべからず外に不可称と」する主張のあったことが伝 え ら れ る が、 『翼 註』 で は「一 体」 に 捉 わ れ て 我 が 身 を 弥 陀と同等の存在だとする信を厳しく批判している。以下、 『安 心 決 定 鈔』 の「長 篇」 後 の 第 三 条 目 を 解 釈 し た『翼 註』巻三である。 一者深信の穢泥にこそ二者深信の蓮は生育すれと云意 也。凡夫出離の要法、他力不共の仏恩、この一章に至 極すべし。此法は常に高く清く、此身は常に濁り穢れ たり。一形必ず爾也。機法一体の義に沈みはてて、一 切の文義に背き、おのれと深信を失て広海に沈淪する ことなかれ。 (真全四四、五〇四頁) 恵空は「此身は常に濁り穢れたり」という機の自覚を忘 れ、 「機法一体」に沈み果てることを誡めている。
2 本文注釈箇所と「餘論重義」の相違 ──「離三業」の解釈 ① 「機法一体」解釈の変化 恵 空『翼 註』 「餘 論 重 義」 に は、 真 宗 と『安 心 決 定 鈔』 との違いについて以下のように端的に整理している。 鈔云、仏の願行の外には、機に信心一つも行一つも加 う る こ と は 無 き 也。 〈文〉 是 を 離 三 業 0 0 0 の 信 行 と 云 歟。 他力の談意、尤殊勝也。当流の勧めは、 機の上 に大信 大行を具す。他力より廻向成就して、己を忘れたる至 心信楽を 機の上に 決定し、不募善本徳本之功、大悲仏 恩の称名を機の上に念持す。 (真全四四、五〇六頁) ここで「離三業」と言われるのは證空『述成』に見える 言 葉 で あ り (次 節 参 照) 、「機 に 信 心 一 つ も 行 一 つ も 加 う る ことは無き」ということを西山義として押さえようとして いるのであろう。ただこれ自体は否定されるものではなく、 「他 力 の 談 意、 尤 殊 勝 也」 と 言 わ れ る (こ こ は 本 文 の 注 釈 態 度 と 相 違 は な い) 。 こ こ か ら 真 宗 の 肝 要 は 如 来 の 願 行 を「機 の上に」具す、決定することにあるとしている。 し か し、 恵 空 は『安 心 決 定 鈔』 「長 篇」 後 の 四 箇 条 の 解 釈 に お い て、 『安 心 決 定 鈔』 が 説 く 日 輪 の 譬 喩 か ら「機」 ──それは『安心決定鈔』で言うところの「帰命の心」を 忘 れ る こ と を 誡 め、 『安 心 決 定 鈔』 が 譬 喩 を 説 く 意 義 と し て「文に唱る六字といい、 一声に成就す 0 0 0 0 0 0 と云へるは、 眼た る機の方を不失也 」としていた。恵空の日輪の譬喩解釈か らむしろ『安心決定鈔』は機の上に信行を成就することを 勧めるものだと読むことができてしまうのではないだろう か。おそらく鳳嶺もこうした恵空の解釈を前提としている からだと考えられるが、 『安心決定鈔』 「長篇」後の四箇条 の 解 釈 は 趣 を 異 に す る と 論 じ て い る。 以 下、 『鈔 記』 巻 二 である。 然るに此鈔下の追説に至ると文が違うなり。下〈十五 右〉自力他力日輪の事とあり。彼下を見るべし。もの
を見るというは、因縁和合せねば見る事能わず。目が ありても闇に向へば見られぬなり。日輪が出るとみえ る。乃ち眼と日輪と和合して見るなり。帰命の一念は 眼、弥陀の光明は日輪。帰命の眼が弥陀の日輪と和合 し助かるとある。 これが実義とみえるなり。上巻とは 法門が違うなり 。 (真大三一、一三七頁) ただこのように解釈すると、真宗と『安心決定鈔』の違 い を 明 確 に は で き な い。 そ こ で 鳳 嶺 は、 「此 追 釈 は 本 文 と 違う。畢竟追釈は本章を助くる為めにあげたものとみえる。 ゆ え に 両 方 会 し て 此 の 決 定 鈔 の 安 心 を 捌 く べ き な り」 (真 大三一、一九五頁) としている。あくまで追釈は本章を助け るためのものであり、それを押さえた上で会通せよという の で あ る か ら、 『安 心 決 定 鈔』 本 文 を 根 本 に 据 え て 先 の 日 輪の譬喩も考えなければならないということであろう。か なり苦しい解釈だと言わざるを得ないが、それほど鳳嶺が 追釈の部分を意識していたことは間違いなく、そこに恵空 の解釈の影響も十分に考えられよう。 ただ、日輪の譬喩が機法の「二つ」あることに力点を置 くものだと見る見方は、恵空の慧眼とも言うべき解釈であ り、 「機 法 二 つ を さ わ さ わ と 立 て て、 邪 見 と 自 力 と を 破 し て」と言われるほど『安心決定鈔』が破邪のために自覚的 に「二つ」を強調しているとは言い難い。恵空は『安心決 定鈔』の撰者を確定する段において、日輪の譬喩をそのよ うに解釈することは難しいと判断し直して、真宗との差を 強調すべきだと考えを新たにしたのだと推測しておきたい。 ま た、 『安 心 決 定 鈔』 本 文 の 解 釈 と「餘 論 重 義」 の 成 立 は 段階を別にすると想定する必要はあり、真宗と他派との境 界線を明確にせんとする意識がすでに恵空の時点で芽生え 始めていた可能性は高いと考える。ただ、先に示した通り、 他 派 に 対 し て 是 々 非 々 で あ る べ き と い う 姿 勢 を 示 す の も 「餘論重義」であることは注意を要する。 ② 證空における「離三業」 な お 付 言 す れ ば、 「離 三 業」 に つ い て 證 空『述 成』 に 以 下のようにある。
此の他力の慈悲を集めて我が本願とし、此の本願を五 劫の間思惟して、我が仏体衆生の行となるべき所を思 惟し玉えり。是れ離三業の行願という者なり。 偖 さ て離 三業を修行す というは、往生の行は仏体に成ずと云う。 是を聞き得て証得する所を即便往生という。 此の上に 仏恩報謝の為に五種正行を修行するなり 。故に往生礼 讃とも云う。 (短編、九九~一〇〇頁) 證 空 は 確 か に「離 三 業」 と い う が、 「離 三 業 を 修 行 す」 というところと併せて考えなければならない。ここで「五 種正行を修行す」というが、證空は『女院御書』で「され ば 真実の心の中よりいできたる三業の行 を、五種の正行と て、善導和尚も、目出度行とこそ所々に勧めましまし候い け れ」 (短 編、 二 三 七 頁) と し て い る。 罪 悪 を 信 知 し た 他 力 信 (=「真 実 の 心」 ) の 上 に 起 き る「三 業 の 行」 が 五 種 正 行 で あ る。 こ の「三 業 の 行」 も 自 力 で は な く、 『女 院 御 書』 に以下のようにある。 仏と行者と一つにして離ざる所を摂取不捨とは申なり。 しかれば仏の三業をはなれて行者の三業もなく、行者 の三業をはなれて仏の三業もましまさざるゆえなり 。 かくのごとく仏を念ずる念の中に、阿弥陀仏の覚体ま さしくいりて正覚を取たまえるなり。こゝをもちて彼 此三業不相捨離とは申なり。 仏と行者とはなれざる姿 を南無阿弥陀仏の六字の名号とは申侍るなり 。 (短編、二二二~二二三頁) 他力信心の上に顕れる三業は六字の名号なのである。證 空からすれば「自己の」善行だと言えるものなどないので あり、 『序分義自筆鈔』巻二に、 「此ノ善他力ニ乗ジテ成ズ ト心得レバ、彼ノ善モ其ノ謂同ジ。 善ニ勝劣ナク、功徳ニ 多 少 ヲ エ ラ バ ズ 」 (西 叢 一、 二 二 七 頁) と し て 善 行 の ヒ エ ラ ルキーを否定する所以もここにあるのではないかと考え る。 い ず れ に せ よ、 他 力 信 の 上 の (五 種 の) 正 行 を 六 字 の 名 号 と 呼 び う る の で あ れ ば、 「仏 恩 報 謝 の 為 に 五 種 正 行 を 修 行 す」とは「報謝の念仏」とも言い得る事態である。これが 恵空、特に鳳嶺の想定する「報謝の念仏」とは違うもので はあろうが、西山義でも他力信の上の行が「報謝」として ( )13
位 置 づ け ら れ て い た こ と は 特 筆 さ れ る。 ま た、 「離 三 業」 というタームから機の上に信・行が無いという結論にはな らないのである。 小結 以上、恵空の西山義理解を確認してきたが、西山義=学 ぶ必要はない、という態度ではなかったことが了解できた か と 考 え る。 た だ、 真 宗 西 派 で は 明 和 二 年 (一 七 六 五) に 成る『真宗法要』に『安心決定鈔』が編入されるのである が、東派では恵空が『安心決定鈔』を西山派の典籍とした ことの影響が極めて大きい。冒頭にも示したが、鳳嶺『鈔 記』 の 冒 頭 に は、 「享 保 已 後 の 学 者 は こ の 書 に 疑 を 立 て て 恐らくは当流相承の書ではあるまいという。当山の学寮で はみな疑を立てて安心まえの証文には引かぬようになりた り」とある。だが、近代になると鳳嶺のような態度とは一 線 を 画 す る も の も 現 わ れ て く る。 曽 我 量 深「 『安 心 決 定 鈔』 を 論 ず」 の 緒 論 (明 治 三 六 年〔一 九 〇 三〕 五 月 発 行『無 尽 燈』所収) には以下のようにある。 『安心決定鈔』の著者は古来覚如上人とも伝えられ、 或は善慧房証空とも伝えらる。蓋し其思想の内容一見 他の聖典と異にして、時に西山一派の思想を顕すもの なるが如く、加うるに文中一言の親鸞聖人に論究する ものなし、是れ証空上人の著作と称せらるゝ所以。さ れど吾人は斯る瑣々たる問題に就て論ずるを欲せず、 唯その絶対他力の教義を極点にまで鼓吹して、心霊究 竟の安住所を顕はして余蘊なきの点に於て、吾人は深 く推量して措かざるなり。 (『曽我量深選集』一、一七一頁) 依るべき──依らざるを得ない所与の聖典とも言うべき ものは確かに誰の上にもあるのであろう。当然、批判すべ き対象もある。しかし、他派の言説を知ろうともせず、〇 〇にしか学ぶものはないとなったとき、果たしてそこに自 我の偏執無きものか。自己に問うべきなのかもしれない。 この点、恵空の学究姿勢から考えさせられる課題は多い。 恵空だけではなく、他派との交渉の中で『教行信証』が 読み解かれてきたのであるが、その他派理解を窺うことで ( )14
『教行信証』注釈者の学究姿勢を知ることも可能なのであ る。これは『教行信証』がどのように読み継がれてきたの かを検討する上で鍵となる一つの観点であると考える。 さて、最後に恵空の思想的位置づけをめぐる問題につい て触れておきたい。大桑は恵空の異義者への批判を取り上 げてこのように論ずる。 民衆は、自己の仏との本来的一体性の信仰によって、 その主体性の思惟を基礎づけた。唯心弥陀思想とはこ の意味で民衆の主体性に権威の基盤を用意するもので あった。しかし教団は、それによる民衆の主体的行為 が、定まった方向性をもたない危険なものとみなし、 その主体的行為をひたすら弥陀へ向かってたのむとい う方向づけをあたえることによって規制し、収斂した のである。また往生決定=救済の確定後の信仰実践も、 民衆的本来成仏主義にもとづくものが、偶像を否定し、 石仏を橋にして踏みわたるというラディカリズムをお びてくることを恐れ、教団はこれを報謝の念仏一本に しぼりこんだのであ る。 恵空の思索を「教団教学」として捉える意義は確かにあ る。特に体制側が「自己の仏との本来的一体性の信仰」を 否定するときに作用する構造を念頭に置くことは必要であ ると考える。誰しもがそのまま如来だとする教えは、すべ ての存在に上下の別はない、という主張にも直結するもの である。確かに、こうした思想が階層的な支配体制を構築 する側に忌避されたというのも理解できる。ただ、まさに 「自 己 の 仏 と の 本 来 的 一 体 性 の 信 仰」 を 否 定 し た 法 然 (一 一三三~一二一二) の登場を考えると き、本来的一体性に対 する疑義──現に孤独・苦しみの、汚濁の世界が在る中、 この自己を如来だと肯定するだけで救われたと言ってしま ってよいのかという疑問は切実なものである。体制側の思 想構造を分析することも重要であるが、切実な宗教的問い として恵空の批判を見る観点を閉ざすべきではないであろ う。両側面から我々は学ぶことができる。 凡例 一、本文中の書き下しは筆者による(引用文中〈 〉は割註 である) 。 一、原文で旧漢字・旧仮名遣いのものは、適宜、現代通例の標 ( )15 ( )16
記に改め、句読点・ルビを施した。また、本文中の傍点・ 傍線等は筆者による補足である。 一、出典所在は次のような略号を用いた。 西叢 …… 『西山叢書』 西全 …… 『西山全書』 短編 …… 『西山上人短編鈔物集』 真全 …… 『真宗全書』 真大 …… 『真宗大系』 浄聖全 …… 『浄土真宗聖典全書』 註 武 田 統 一『真 宗 教 學 史』 (平 楽 寺 書 店、 一 九 四 四) 所 収 の「大谷派學事史上に於ける疑問──講師嗣講職の創設に つ い て」 (一 〇 四 頁 以 下) で 指 摘 さ れ る よ う に、 恵 空 当 時 は学頭職が整備される前であり、恵空を学頭職整備以降の 「講師」概念をもってその初代とすることには問題がある。 た だ、 武 田 が 指 摘 す る よ う に、 「惠 敞 の 上 申 に 因 つ た も の であらうか。文政以降に出來た『三講者名簿』などには、 皆な彼を講師職拝命の最初の人であると載せてゐるのであ る」 (一 二 八 頁) の で あ り、 初 代 講 師 と し て 語 ら れ て き た 意義は押さえる必要がある。 妙 音 院 了 祥(一 七 八 八 ~ 一 八 四 二) は『正 信 念 仏 偈 聞 書』 に、 「七 十 余 り か ら 目 が 開 い て『安 心 決 定 鈔』 を き っ と当流の書でないと見きわめて『翼註』三巻を書かれた」 (『妙音院了祥述『正信念佛偈聞書』の研究』 〔同朋舎出版、 一 九 九 四〕 、 一 三 八 頁) と し て、 そ れ 以 前 の 恵 空 に お け る 西山義の影響を悪しき影響だと見ている。こうした論調か らでは、西山義だと判定したとしてもそこから学ぶものは ある、という恵空の認識を適切に扱うことはできないであ ろう。なお、この了祥の発言は、藤原智氏に教えられたも のである。 「近 世 真 宗 異 義 の 歴 史 的 性 格」 (『佛 教 研 究 論 集』 〔清 文 堂出版、一九七五〕 )、八二六頁。 『近世宗教世界における普遍と特殊──真宗信仰を素材 として』 (法藏館、二〇〇七) 、一一〇頁。 この『親鸞邪義決』に関しては、青柳英司氏の指摘を受 けて検討したものである。 『浄 土 宗 全 書』 に は、 「云 正 定 業、 云 即 便 往 生 也。 故 諸 仏咨嗟位云称也。如此安心証得上為仏恩報謝、行三業起行 名 助 業 也。 三 業 功 可 積 也」 (浄 全 八、 三 六 二 頁) と あ る。 恵空の引文との差は、恵空が意訳して文を変えたのか、そ れとも恵空手択本が現行の『選択集秘抄』とは違うもので あったのか現段階では不明である。恵空手択本の西山典籍 の研究は現行の西山典籍の系譜を考える上でも重要な問題 であるが、これに関しては今後の課題としたい。なお、特 に注のないものは恵空の引文と現行本との差がないもので ( )1 ( )2 ( )3 ( )4 ( )5 ( )6
ある。 恵 空 の 年 表 に 関 し て は、 経 隆 優「光 遠 院 恵 空 講 師 略 年 譜」 (『大 谷 大 学 真 宗 総 合 研 究 所 研 究 紀 要』 二 号〔一 九 八 五〕 )等参照。 こ こ で 言 わ れ る「八 邪 弁 決」 と は、 「信 行 異 論」 の 第 八 (真全五六、六六頁以下)のことである。 Yokoyama Wayne S. 「恵 空 の「安 心 決 定 少 翼 註」 の 研 究──解釈と部分的な英訳」 (『花園大学文学研究紀要』三 二 号〔二 〇 〇 〇〕 ) で、 鳳 嶺 は 恵 空 を 超 え る も の で は な い と す る が(二 三 二 頁) 、 そ の よ う な 把 握 の 仕 方 の み で は、 恵空と鳳嶺にある問題関心の違いに迫ることはできないと 考える。 拙 稿「 「機 法 一 体」 説 成 立 の 再 検 討 ── 證 空 に お け る 「往生正覚倶時」説を中心として」 (『真宗教学研究』三七 号〔二〇一六〕 )参照。 任 誓 に つ い て は、 大 桑 斉「 「異 義 者」 任 誓 の 思 想 史 的 位 置 ──「聞 名 歓 喜 讃」 を め ぐ っ て」 (『真 宗 研 究』 一 七 号 〔一九七二〕 )、 「「異義者」任誓伝の思想史的考察」 (『大谷 学報』五二・三号〔一九七二〕 )、 『寺檀の思想』 (教育社、 一九七九、一八〇頁以下)等に詳しい。 拙 稿「 「一 向 他 力」 の 主 張 と そ の 波 紋 ── 證 空・ 良 遍 と そ の 系 譜 に 着 目 し て」 (『現 代 と 親 鸞』 三 九 号〔二 〇 一 八〕 )参照。 この詳論に関しては、近日中に拙稿「天台本覚思想と證 空──「現生往生」思想の究明を射程に入れて」が公刊さ れる予定である。 本論とは違う観点で、證空における「報謝」と行に注目 するものとして、中西随功「證空における二尊教の意義」 (『印度學佛教學研究』四六・二号〔一九九八〕 )がある。 『寺檀の思想』 、二〇四~二〇五頁。 拙稿「法然とその直弟における「是心是仏」をめぐる問 題」 (『現代と親鸞』三二号〔二〇一六〕 )参照。 ( )7 ( )8 ( )9 ( )10 ( )11 ( )12 ( )13 ( )14 ( )15 ( )16