近年の教育実践記録の分析(1) : 鈴木和夫の実践記録と竹内常一解説への批判
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(2) . 平成8年8月. 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第47巻 第1号 Se i l i i fEduca i lofHokka i do Un t )Vo J t t r on( c on1C ourna ve s yo .47 .1 , No. Au罫I t s , 1996. 近年の教育実践記録の分析 (工) --鈴木和夫の実践記録と竹内常一解説への批判--. 遠. 1. 藤. 芳. 信. はじめに. 1994年, 明治 図書, 竹 内常 - 解 説) があ る‐ 本 書 は, 鈴 木和 夫 著 『ギ ャ ン グエイ ジ と学 級 集 団 づ く り』 ( 1 )本 書 は 鈴 木 と竹 内 解 説 に よ れ ば 「(実 践 の 竹 内解 説 によ る と, 鈴 木 の 二 つ の 元 稿 がある と さ れ て いる‐ { ,. --遠藤) 記録」 となっているが, 鈴木自身が 「ここ数年間の中で実践したものを含めて構成したものであ る」 と 記 述 して いる の で, 鈴木 自 身 が自 己の 数年 間の 実 践 をあ ら ため て 「一 年 間の 記 録 と いう 体裁」 と して. 「まえがき」 ととのえたと見てよいだろう ( ) ‐ それゆえ, そう した数年間の実践を一年間の記録と して構成 したところに鈴木の実践の指導構想や指導理念等があらわれていると見てよいだろう‐ つまり, 本書は, 正 確には 「(実践の) 記録」 とともに鈴木本人の学級集団づくりの指導構想等を特に強くあらわしていると見 て よ い‐. 2 鈴木実践記録における学級集団の推移 本書においては, 登場する学級 (小学校第四学年) は鈴木が始めて担任したことになっ ている‐ ただし, その学級は三年生の時の学級がそのまま進級したのか, あるいはあらたに再編成されたものであるかに関し ては, 記録上からは不明である. 本書はその書名からもわかるよう に学級集団づくりをテーマにしたものであるが, まず, 鈴木の学級にお ける班の編成の主な画期を通して, 学級集団の推移を検討しよう. 鈴木の学級における班の編成は次のよう にす す め ら れて いる. ① 学級 びら き の 翌 日 に編成 (た だ し, こ れ は机 の並 びを 基準 に してつ く っ た 「グルー プ」 で 教 師 が編 成 , した‐ 計5個)-. ②4月中に教師が 「好きな者同士による班編成」 を提案して, 計7個の班を編成‐ 班長は男女各1名で計 14名‐ 記 録 による と 第一 次班 で ある‐. ③二学期の9月上旬に 「班長立候補による班編成」 がなされる‐ 計5個の班を編成‐ 班長は男女各1名で 計10名‐ 第二次班に担当するが, 誰の提案でどのような理由で, この班が編成されたかは不明である‐ ④11月末に子どもたちから班替えの要求が出て, 「班長立候補 による班編成」 がなされる. 立候補者数は 不明であるが, 計5個の班を編成‐ 班長は計5名‐ 第三次班に相当する. ⑤三学期の2月に 「班長立候補による班編成」 がなされる‐ 班替えの理由は不明だが, 立候補者数は12名 であり, 計5個の班を編成‐ 班長は計5名. 第四次班に相当するが, 本書の本文の終りに7行にわたっ て 記 述 さ れて いる だ けで, そ の 詳細 は不 明 であ る の で, 深 く 立 ち 入 っ た検 討 はで きな い‐ 189.
(3) . 遠 藤 芳 信. 以上の班編成の画期の中で, 鈴木は③の時期 (第二次班) における 「清掃事件」 (図工室の清掃をやっ て いなかっ たことを他の教師から叱られたこと等を契機にして, 班長会は清掃のとりくみかたを提案する‐ し か し, 否 決さ れ た か たち になる) を 背 景 に して, 「班 長 会 が 一 人歩 き でき る ま で にな っ た」 と 記 述 して いる (P. 105 )‐ しか し, 第一 に, 班 長 会の 一 人歩 き と いう 点 からみ れ ば, 記 録と して はあ ら わ れてい な いの で, 推 測 にな. ①の第四次班以降ではないだろうか‐ 鈴木実践における班長や班長会の性格は本稿で徐々に明 るが, それは( らかにするが, まず, ④の第三次班までは, 教師は, 班長会がいわ ば請け負い主義におちいることを助長さ せてきたと考えられる. ここで言う請け負い主義とは, 班長会における 一般の子どもに対する不信感と, 教 師によっ て班長会は 「ダメ」 な存在と思わされつ づけること等をからませつつ, 気負いが先行し, 諸とりく みにおいて班長会が常に中心者として居すわることの発想である. 班長会の請け負い主義は第三次班の三学 期にも継続してあらわれている. たとえば, 班長会原案として, 「三学期, がんばろう会」 が学級総会に提 出されている. 学級総会では, 議題の中心的テーマ・目的となるべき部分--誰が中心的に活躍するか等々 --が争点になっ た‐ 班長会原案は 「班長会のやる気を見せ, 先頭に立つこと」 と提案し, 四班は 「みんな がリーダーになれるようにする」 という修正案を提出し, 四班修正案が班長会によって受け入れられたかた ちになった‐ そこでの議論としては, たとえば, 修正案支持の子 どもたちからは 「班長会はむりしないほう がよ い」 「班 長 会 の こ と は, 班 長 会 でや れ ばい い ん だ‐ ね ら い は, み んな の こ と がなく ち ゃ」 等々 の 批判 が 出る. こ れ に対 して, 四月 当 初 か ら, 学 級 集 団 の 動 き に対 して 「ハ ス」 に かま え たり, 「ア ウ トロー 的」 な. 「 行動をとりがちであっ た男子のノブは (鈴木の記述‐ 第二次班以降, 班長になる) , おまえらさ, 班長会で こう しようぜ, という時, ちゃ んとやんのかよ」 「(第三次班発足の時には, 班長立候補の辞退を表明してい た第 一 のリ ー ダー の女 子 のカ ッ コ に対 して 慰留 を してい た他 の 子 ども たち が, 今 にな っ て突 然, 今後 はカ ッ コ にま かせる こ と なく 自 分 が班長 に立 候補 し, リ ー ダー と して が ん ばろう と 決意 して いる こ と は) 調 子 いい よ. 絶 対」 等々 と不 信 感 を述 べ て いる‐. 第二に, そもそも 「清掃事件」 は五班 (班長はノブとカッコ) のいわゆるサ ボりの問題であっ た‐ 鈴木は それを拡大し, 学級集団の全員の子どもが清掃をやりたくないととらえた‐ そして, 鈴木は, 五班およ び五 班以 外 の子 ども に対 して, ④ 「や り たく な い 人や 班 は掃 除をや らな い で, 遊 んで」 い てよ い こ と, ◎ 掃 除は 「や り たい ある い はや らなく ち ゃ と思 っ た 人」 がやる こ と を通告 (宣 言 ある い は提 案) して 実行 した‐ こ ,. の場合, 教師の通告等が どのように合意されたかは記録にはない. これに対して, 班長会は翌日, およそ (鈴 「 としたくない人に 木の整理による と) , ①全員掃除はしなければいけない‐ ②そのために, 掃除をしたい人 分ける‐ ③掃除をしたくない人を訓練して, 掃除をしたい人に変える‐ ④掃除をしたいと思ったら, テスト をする. ⑥合格したら, 掃除をさせる.」 を提案した (いわば, 前日の教師の通告とその処置に対する対案)- しかし, 他の子どもたちからの反感・反論をうけ, 結局, 事実上は否決されたかたちになる. 他方, 鈴木は, 掃除をすることの意義について議論することの重要性を述べて議論を打ち切る‐ そして, 班長会が掃除を全 員でしなけれ ばならないというこ とを考えたこと (そのことは鈴木によれば, 班長会は学級の生活について 自分たちで創る という決意を込めたということになる) を論拠にして, 上記のように 「班長会は一人歩きで きる ま で にな っ た」 と 述べ た‐ しか し, 掃 除をする こ と の意 義 の 理解 につ い て は クリ ア ー さ れた と しても,. 全員必らず掃除をすべきなのか, あるいはやりたい者ややらなくてはならないと考えている者だけが掃除を すべきなのか, ということはクリアーされていない. また, 鈴木が班長会はそう した決意を込めたと述べた が, そう した班長会の 「決意」 の表明をもって, 班長会の一人歩きを強調することはできない‐ もっ とも, 鈴木における 「班長会の一人歩き」 なるものを班長会のいわば独走ととらえた場合には, 他の子どもたちと の距離が開く だけであるから, 班長会対案が子 どもたちによって否決された事態と合致する. そうではなく, 190.
(4) . 近年の教育実践記録の分析 (1). 鈴木はむしろ, 「班長会の一人歩き」 なるものを」 学級集団づくりにおける教師の主導権から班長会が相対 的に自立したり,学級集団の主導権が教師から班長会に相対的に移行することを強調したかっ たのであろう‐ しかし, この場合には,班長会の自立や学級集団の主導権の教師から班長会への移行とは,班長会が修正案・ 対策案を含めて学級集団全体の支持をうけているこ とを前提・背景にして成立することである. しかし, 班 長会対案は否決されたかたちになり, 学級集団からは支持をうけなかったのである‐ 以上の鈴木の学級集団の中で, 班長会の一人歩きとは何なのか‐ むしろ, 班長会のはねあがりを意味し, ある い は 班長 会の 「決意」 と さ れたも の は, 教 師 によ っ て 追い 込 め ら れた班 長 会の 反動 と いう べ き 気負 い を. 意味している. 結局, この 「清掃事件」 では, 教師によっ て班長会は五班の失点をかかえこまざるをえなく なる よう な立 場 に 追い 込め ら れ たの である. そ して, こ のよう に追い 込 め ら れた こ と の裏 返 しや 反動 と して. 班長会の請け負い主義が浮上したことが特徴である‐この班長会の請け負い主義自体は克服されることなく, 「三学期 がんばろう会」 をめぐる学級総会にも反映されていく ‐ , 第三 に, いう ま でも な い が, 鈴 木 が 「班 長 会 が一 人歩 き」 で きる よう にな っ た と述 べ た以 降も, 事 実 上,. 学級集団は鈴木の思いとはことなり, 第三次班発足時におけるカッコの班長立候補辞退に対して慰留運動が 生じていることからわかるように, 特定個人の子どもに依存する学級集団や班長会であっ た‐ 以上のように鈴木実践記録における学級集団の推移を見た場合, 第二次班に生じた 「清掃事件」 は, 班長 会の自立や班長会への主導権の移行を意味するような画期にはならないものである‐. 3 班長会の自立と学級総会における主要な対立点 班長会の自立あるいは確立とは何か‐ それは, 班長会が学級集団全体の共同の利益・理想を実現するため に, 他の子どもたちからの支持をうけつつ, 教師の指導・権威・主導権から相対的に自立することである‐ この班長会の自立のすじみちの概略を学級総会における討議原案の提出・採決関係を中心にみた場合, およ そ, 教師の原案提出, 教師と班長会の原案の共同提出等をすすめつつ, しだいに, 班長・班長会.学級集団 全体の力量の成長を背景にして, 教師の原案に対して班長会の修正案・対案を提出・採決し, さらに, 班長 会の原案提出.採決 (教師の修正案等否決) , の形態をとることが重要な指標になる‐ また, 以上のような 学級集団の主導権が教師からしだいに班長会 (そして, さらにすべての子どもへ) への移行を支えるものと して, 班長会内部においても, 各班長が学級集団の共同の利益・理想等を深く理解・展望し, その実現に向 っ てリ ー ダー シ ッ プを競 い 合う こ と が重 要 な 指標 になる‐ そ して, や がて, 公 的な班長のポジショ ンを離れ. ても, そう したリーダーシッ プを私的に自覚的に発揮し, 競い合うような子 どもが拡大されていくことであ る-. 以上, 班長会の自立の意味を学級総会を中心に述べたが, 鈴木実践記録における学級総会と班長会との関 係を検討しよう. 鈴木実践記録においては, 学級総会に対して班長会は以下のよう に活動している‐ ( )第一次班で, (おそらく) 最初の班長会の原案提案 ( i )‐ 議長は不明だが (4月 の, 放課後 pp ‐ 26一27 の班 ごとの遊びかた (衣服が汚れる問題の処置方法) を学級総会に提案‐ 追加方針の提案を含めて, お そらく, 合意されたと推測される‐ ( i i )班長会は (4月 ? に) 「青 空 学 級」 を 班 ごと に 放 課 後 に 地 域 で 開く こ と の原 案 を 提 案 (pp‐ 28一31)‐ 班長会の説明不足 (任意参加に関して) があり, 一部 に反対意見の趣旨が発言され, 班長会はそれをう け入 れ, 合意 さ れた かたち にな っ て いる‐ 議 長 は不 明‐. 回班長会は5月に小運動会における全員リレーの作戦と練習計画の原案を提案 ( )‐ 班長会が PP ‐ 41一42 191.
(5) . 遠 藤 芳 信. 責任者になるという部分等が反対され,他の子どもからの修正案をうけ入れることによって決定される. 議長は不明. ( i )6月上旬に, 夏休みの 「青空学校」 (校区内の町ごとに好きな者同士で学校をつくる) の教師原案に対 v して, 班長会は口頭でいわば 「修正案」 (班長立候補によっ て班長を選出し, その班長によっ て編成さ 「 ) れた班ごとに学校をつくる) を提案 ( PP . 52一58 . 班長会は他の子どもから反対をうけ, 口頭の 修 正案」 を引込めざるをえなくなり, 教師原案が採決される. 議長は女子のノンコ. ( v )二学期 (第二次班) に, 班長会は 「学級のみんなに遊びを/」(放課後に班長が中心になって遊 びを企画) の原案を提案 ( ) PP . 88一97 ‐ 他の子どもから反対が出され, 特に有志者で企画するという発言 (修正 案) が出て, 同修正案をうけ入れて採決される. 議長はノンコ‐ リニ学期の 「清掃事件」 (上述) で, 班長会は 「朝の会」 (実質的には総会的場面. 司会は不明) に全員掃 02一10 5 ) 除の対案を提案 ( PP .1 . 他の子どもたちから反対意見が出て, 受け入れられることなく, 否 決さ れた か たち になる. )‐ 原 案 にお ける 「班 卸 三学期 の 当初 に, 班 長 会 は 「三 学期, が ん ばろう 会」 の原 案を 提 案 (PP . 123一130. 長会のやる気を見せ, 先頭にたつこと」 という目標に反対意見が集中し, 修正案 「みんながリーダーに な れる よう にする一 等 を受 け入 れて 決定さ れる‐ 議 長 はノ ンコ.. 以上のような( i )から縞ば での学級総会指導の特質として以下の点がある. )ま では 班 長 会 VS 他 の子 ども の v 第 一 に, 鈴 木 は◎ の 「清掃 事件」 で 班 長 会 が 自立 した と 述べ て いる が, (. 構図になり, あたかも学級集団の自治的段階 (全国生活指導研究協議会常任委員会編 『学級集団づくり入門. 第二腕 1971年, 同 『新版 学級集団づくり入門 小学杉菊 1990年, いずれも明治図書, では 「前期的段 2 )の様相を示し 班長会が 「自立 したかたちで原案 ( i ) G )では修正案) を提案している. しかし,( 階」 ){ v 」 , を除き, いずれも他の子 どもからの反対意見や修正案を受け入れざるをえなくなり, 班長会は事実上はいわ ば敗北させられている. このようにみると, 学級総会における原案の提出・採決関係等の記録上では4月か らの鈴木の学級集団は自治的段階の様相を示している が, 実際は, 第三次班までは自治的段階に至る以前の 「寄り合い的段階」 ( 『第二 腕 『新版』) において 自治的段階の学級総会にかかわる原案提出者等の手法ら , しきも のの み が形式 的 に導 入 さ れたと み てよ い だろう‐ ま た, そ れらの手 法の 中で, 採 決を みる と, い わ ば. ( iX i )における合意の形態を延長したかたちですすめられ, 班長会原案に対する反対意見や修正案はそれ自体 i として採決の対象にならず, 班長会原案に吸収・合併されたかたちで (すなわち, 班長会の事実上の再提案) 採決・決定されていることが特徴である‐ この種の班長会の事実上の再提案に対する採決・ 決定は回までつ づくが, そのこと自体は班長会の原案作成に対する準備不足を意味することは当然であろう‐ それ故, その 解決は準備不足を指導することが重要になるが, 他方では対立点が明確化されず, 班長会が他の子どもによ っ て批判 さ れる 形勢 を示 しつ つ も, 批判 さ れき れない 状 況 をあ らわ している‐ そ して, 上 述 したよう に, 班. 長会は気負いが先行しつつ原案を提出するが, 結果としては疲労が蓄積されていく. 第二に, 学級総会における班長会の原案・修正案・対案が他の子どもたち から反対されたり, 修正案が出 )班 ロ )放課後の地域や学校外での遊び・勉強等にかかわる任意参加や,( ィ されたことをみると, その内容は,( 長会が主催者・責任主体者となるとりくみ, を論争点にするものであっ た‐ これらの中で, 班長会中心のと i )を除き, ほとんど退かさせられている. それはなぜなのか. りくみを強調する原案等は( ( i )~◎の班長会は, カッコが抜ける と不安が生ずるような班長会 (学級集団の段階) であるにもかかわら ず, 班長会はあたかも自立しているかのように4月当初から学級総会に単独で原案を提出している‐ また, 鈴木はそのことを許容している. ところで, 学級集団づくりの初期の段階 (寄り合い的段階) では, 学級集 192.
(6) . 近年の教育実践記録の分析 (1). 団の 全 体 に わた っ て子 ども たち の状 況を 分 析 し, 方 針 を立 てる こ と ができる の は 教 師で ある. そこ で は, 教. 師が学級集団の主導権を持ちつつ, 学級総会に原案を提出し, また, 班長会と共同提出することが重要であ る‐ そして, 学級集団が自治的段階に移行する ことを目ざし, 教師原案に対して, 班長会がしだいに集団全 体の支持をうけつつ修正案・対案を提出し, 教師原案を否決すること等を通して, 班長会に主導権が相対的 に移行していく ことが重要である. これらの過程で重要なのは, 上記の寄り合い的段階で, 学級総会に向け て教師と班長会が特に一緒になっ て原案を作成したり, その提出の準備をすることである‐ つまり, 何度も 述 べる こ と になる が, 教 師 と班 長 会 による 原 案 の 共 同作 成 ・共 同提 案 であり, そ の こ と によ っ て, 班 長 会 は. 原案や修正案の作成方法・ 学級集団の分析・学級集団の共同の利益や 理想の実現の方針と展望等々の政策 化, 等を初歩から学ぶことができるのである. ところが, 鈴木の実践記録においては, 途中で鈴木本人は自 ), 教 師 と 班 長 会 が一 緒 に な っ て 原 案 己の 教 師 と して の 指 導 を 「反省」 して いる よう で ある が (PP . 65一66 } 3 を作 成 し提 出する と いう こ と はな い の である‐ そ れはな ぜ なの か‐{ そ の 理 由や 背景 と して, お そ らく 以 下 の こ と が複 合 的 に考 え ら れる‐‐. ( )鈴木は班長会を, 学習指導要領の解説書等の類似書にみられるような, 学級会におけるいわば運営委員 1 会や企画委員会のように考え, そうした委員会等による学級会への議案の作成や提出のように位置づけたこ と であ る.. 2 ( )重複して述べるが, 鈴木は4月 以降の班長会をもともと教師の主導権から離れて自立していると把握し たことである (実態的には, カッコが班長会から抜ければ, 他の子どもたちや学級集団に不安が生ずるにも かかわらず) . ( 3 )鈴木は, 班長会自体を (本質的に) 「硬直化」 「官僚主義化」 するものと把握し, そう した班長会の本質 を他の子どもに実際的・早期に露呈させよう として, 教師と班長会による原案の共同提案でなく, 班長会の 原案の単独提案 (とその事実上の否決) が有効であると考え, 放置してきたことである. そこには, 班長会 は 「敗北」 しても, その 「硬直化」 「官僚主義化」 が露呈されることは活動の成果であると把握する, いわ ば一種の 「敗北主義」 の思想がある. ( 4 )鈴木は, そもそも, 学級集団づくりの初期の寄り合い的段階において, 学級総会に対する教師と班長会 の原案の共同提案をナンセンス と考えたことである‐ また, 自治的段階 (前期的段階) への移行の際の, 教 師原案に対しての, 他の子どもたちからの支持をうけつつ班長会が修正案や対案を提出し, 同修正案・対案 4 }こ の場 合 鈴 木 が 上 述 のよう に 教 師 と班長 会 が採 決さ れる こ と等 をナ ンセ ンス と 考え たこ と であ る- { , , ,. の原案の共同作成・共同提案をとらなかったことは,班長会は学級集団の中の一つの勢力にすぎないと考え, 班長会勢力 VS反班長会勢力の見取図を積極的に描こうとしたことが考えられる‐ 以 上 に対 して, 特 に( 3 )につ い て, 鈴 木の 学級 で はノ ブという 男 子 をか かえ て い た ため に, 班長 会の (本質. 的・必然的な?) 「硬直性一 等を批判したいがためであっ た, という解釈も出てくる‐ しかし, ノブは鈴木 によ れ ば, 「ハ ス」 にかま え た り, 「アウ トロ ー 的」 に行 動 しがち と記 述 さ れて いる が, ノ ブは班 長 会 自 体 を 不必 要 な も の と して は 考え て い な か っ た. そう したノ ブに対 して, カ ッ コ は第二 次 班発 足 に向 けて, 班長 立 候補 を 説得 する が, い わ ば, 班 長 会 勢力 の 「トッ プ」 による 反 班 長 会 勢力 の 「トッ プ」 に対 する 「ボス 交 渉」. 的性格がないわけではない‐ この第二次班以降, ノブは班長になっ ているが, 班長会目 ,身の学級総会に向け ( ) ← i )岡) ての構えは変らず ( v , 上述したように, 班長会の原案・対案の重要部分は支持されず, 引込め ざる をえないかたちが続いている. 班長会に (本質的・必然的に) 「硬直性」 等があるとすれば, 班長になっ た ノブ自身にも投影され, あるいは再生産されていると考えることができる‐. 193.
(7) . 遠 藤 芳 信. 4 鈴木実践における班長会とは何か 以上のよう に検討してくると, 鈴木実践における班長会は何かという問題を解明する必要がある. (1) 班長会のリーダーと, 班長選出をめぐって 鈴木実 践 にお い て は, 名 実 とも に班 長 会 のリ ー ダー はカ ッ コ であ っ た. しか し, その 「名」 にお い て, カ. ッコがリーダーにふさわしい組織的活動上の手続きを踏んでいるかというと, 実践記録上は不明である. こ の問題は実践記録上では軽視・無視してよいという考え方もあるが, 本実践記録が鈴木のいわば指導構想の 性格をあわせもつことを考えれば, 重視して解明される必要がある. ま ず, 第一 次班 で は, カ ッ コ が班長 会を召 集 し, ある い は教 師 がカ ッ コ に班 長 会 を召 集 さ せ て いる‐ (P‐ 28 ). こ の 場 合, い ず れも 教 師 が原 案 等 を 出 してリ ー ドす る こ とな く, ま た, カ ッ コ は た ん に班 長 会 開 , 31. 催の連絡のみをしたのではない‐ ここで, 班長会の召集権者や班長会代表はどのようにして選出されたので あろうか. カッコは第二次班では班長会議長になっ ているが, 第一次班におけるカッコはなぜ班長会の代表 としてふるまっているのだろうか. カッコが班長会の代表として選出されたことの手続き関係は本記録には 記 述 さ れて い な い. カ ッ コ は た しか に本 人自 身 にお い て 班 長 会の代 表の 自覚 をも っ て い たこ とは いう ま でも. ない. しかし, 第一次班では上記のように班長会の代表の選出の手続き関係等は記述されていないので推測 に依らざるをえないが, 鈴木は, カッコの本人の個人的自覚をもって, カッコを班長会の代表として位置づ けたの で は な かろう か‐ そ れはそ れと してよ い の で はあ る が, 鈴 木のカ ッ コ の位 置 づ けに他 の 班長 た ち が 暗. 黙の了解のもとに従ったという構図が出てくる‐ これでは, 班長会内部において, 誰が学級集団の共同の利 益・理想の実現を目ざして最も奮闘するかということをめぐるリーダーシッ プ争い等は発生しにくい. つま り, 第一 次班 で は, カ ッ コ は何 と なく 班 長 会の代 表 に な り, 班 長 会 の代 表の よう にふ る ま っ て いる が, 班 長. 会の私物化傾向が助長されていないだろうか. 次に, 第二次班では班長立候補による班長の選出と班編成になっている‐ この場合, 班替えの要求・提案 が誰によっ てなされたのか, また, なぜ班長立候補制が支持されたかについては記述されていない‐ いわゆ る, 何となく班長立候補制に傾いたという実践記録である. 鈴木の本書の元稿1 985年と198 6年になっている‐ 1980年代中頃までの全生研実践の班替えは, 特定の班のみが劣りつづけて班活動に自信と展望を失った時等 のみならず, 学級集団 (各班) がどのように成長し (克服するところの解明を含めて) , どのような成果と 課題等があるかを学級総会で解明しつつ, 新しい課題に向って挑戦し, 積極的に前進するために班替えする という, 積極的な班替えの形態が解明・普及しつつあっ た‐ つまり, 学級集団の共同の利益・理想や誇り・ 確信・課題等を明らかにすることをふまえて, それぞれの子どもが自己の班編成の方針をかかげて班長に立 候補することである‐ 以上に対して, 鈴木実践では, 班替えは班長の定員等の実務的な手続き力編義論の重点 ) になっていたようである (第三次班. P. 108 ‐ さらに, 学級集団としての全体的な課題・目標・総括等は そ れ 自 体 と して 解 明さ れる の でな か っ た‐ こ の場 合, 第 二 次班 で は学 級 の 「ス ロ ー ガン」 は あ っ たよう であ. るが, それがどのような手続きで作成・合意されたかについては不明である‐ したがって, 第二次班発足に 向っ て, カ ッコがノブに班長立候補を個別に説得したことは,.学級集団の成長・前進・課題等を学級総会で 解明し, 合意すること等を背景に行われたことではなく, 上述したように, いわ ば 「ボス交渉」 的になされ たことになる. 鈴木実践では, 第三次班の発足の様子からみると, 班長立候補者個々人が提示した立候補の 方針・アッ ピールを寄せ集めて, その後の学級集団の目標や課題を決めていたようである‐ このような班替 えによれば, 第二次班発足直後に, カナという女子が 「クラス としてこんなことをする というのはなくても い い の です か?」 と 疑 問 をも つ の は当然 である‐ 194.
(8) . 近年の教育実践記録の分析 (1). (2) 学級総会における班長会の役割 第一次班の学級総会で, 班長会は小運動会の全員リレーの作戦と練習計画の原案を提出する が, 修正案が 出されて班長会原案の重要部分を引込めざるをえなくなった. ここには, ①当該種目・ ジャンルに対する専 門的指導と知見を重視するいわばコーチ集団の結成と, そう したとりくみ全体を運営するいわばマネージャ ー集団の区別と関連に関する議論の混合があり, ②小運動会へのとりくみを通して学級集団をどのように成 長させるか, それぞれの子 どもに どのような力量等をつけさせるか, という指導目標が学級総会・班長会に おいて明確にされていないことの背景がある. つまり, 鈴木は班長会に小運動会の全員リレーの作戦と練習 計画を作っ たほうがよいと提起したにとどまり, 班長会が単独で請け負っ たことに起因する. 学級集団の初 期の寄り合的段階で, 学級集団の気分・感情等を把握し, 共同の利益・理想や課題等を展望し提案できるの は教師であるにもかかわらず, 鈴木はそれをしなかったのである‐ 学級総会に向けた教師と班長会の原案の 共同作成・提出の習 熟がないなかで, 班長会に対して, 学級集団の気分・感情を考慮しつつ原 案を作成・提 出さ せる こ と は無 理 で はな い だろう か‐ 小 運動 会の 二 日 前 に, コー チ 会 の ナ オ が, 足を痛 め て走 れな い トシ に暴力 を ふ るう 事 件 が発 生 して いる‐ こ の 時 に, 鈴 木 は ナ オ に対 して, 「お 前 一 人 じ ゃ 勝 て な い‐ み んな の 力 が一つ にな っ た 時, 勝 てる ん だよ な」 と な ぐさ め 的 に述 べ て いる が, こ の 鈴木 の 言葉 の 主 旨はと りく みの. 最初に学級集団全体・班長会にこそ提案されるべきだった‐ 結局, 班長会は自己がやっ てきたことに確信が持てない状況が生まれ, そのことが班長会自体の自己防衛 心を強めさせ, 「硬直化」 する構造が生産されたのである‐ 班長会は教師によっ ていわば飼い殺しされた状 態 に な り, 班 長 会 自 体 は竹 内 常 一 解 説 にお ける 「リ ー ダー サ ー ク ル」 で は なく, (私 的 な) 一 つ の 勢力 と し. て存在していたとみた方がよい‐ 鈴木実践における班長会がなぜ私的な-勢力 になっていくのか‐ 上記のナオの暴力事件で, 他の子 どもから批判されて泣いているナオに対して, 鈴木は 「お前がみんなの ) 先 頭 に立 っ て, や る 気 を 出 して が ん ばっ て たの は 事 実 は‐ す ご い こ と だ. そ れで い い じゃ んノ」 (P‐ 45 と述べ, 本 人の 先 頭 に立 つ がん ばり は他 の 子 ども と は 関係 な い こ と を強 調 している‐ 他 方, ノ ブは, リ エ が. 班長をおりたいと思っていた頃の班長会で 「そんなの, 自分でがんばればいいじゃん‐ なんで他のやつがや ) と 述べ んな い と す っ ごく 文句 言う だよ. 自 分 は 自 分 でさ, 他 のや つ は他 の や つ で い い じ ゃ ん!」 (P. 83 て いる. つ ま り, 教 師 とノ ブにも, がん ばり た い者 が が ん ばれ ばよ い という 発想 がある‐ 次 に, 後 に 「学 級. のみんなに遊 びを/」 という班長会の原案が準備されることになるが, 放課後に班長会が遊びをするという ことと班の仕事 (その内容は不明) にかかわる教師とノブとの会話がある (一方をすれば他方ができなくな 「 る こ と). そ こ で は, 教 師 「班 長 会 の み ん な も い っ しょ に遊 ん だ ら?」 , ノ ブ 班 の 仕 事 は どう な る の ?』 「 「 教 師 「や り た いや つ がや る ん じ ゃ な い?」 , と いう 会 話 が行 わ れ て い る‐ 他 方, 清 掃 , ノ ブ そ んな … …」 事 件」 にお い て は, 教 師 は五 班 に掃 除をや らなく とも よ い と 指示 した. こ れ に対 して, 他 の子 ども が 「五 班 だ けい い な」 「ずる いよ ノ」 と発 言する が, 教師 は 「あ あ, い い よ‐ や り たく な い 人や 班 は掃 除や らな い で, 遊 んでい れ ば」 と 述 べ てい る (P‐ 87 )‐ , 100. 鈴木の指導構想には, がんばりたい者ががん ばり, やりたい者がやれ ばよいという発想が流れている. こ れは本人個人における自主性・意欲性の尊重という面では, それ自体としては一般的に重要である‐ 鈴木は そこでとりくみ主体 における有志者性の意義を強調したかったと考えられるが, その有志者性があわせもつ 私的性の側面の強調として子 どもたち にうけとめられやすい. すなわち, 班長会内部のリーダーシッ プをめ ぐる競い合いや批判・反批判もなく, 学級集団の支持をうけつつ班長会が教師原案に対して修正案・対案等 を提出し採決されるこ ‐となどもないなかで, 本人のやる気は私的性に傾斜し, 班長会自体の私物化を助長さ せ てい る の で はな かろう か‐ こ のよう にみ てく る と, 鈴木 が, 第 一 次 班 の 班長 たち がい わゆる 「仕 切 る」 と いう こ と を 中心 に して 「し 195.
(9) . 遠 藤. 芳 信. だいに学級にその影響力を公に行使できるほどの力を持ちはじめていた」 とか, 第二次班におけるカ ッコ・ ヒトミを中心にして 「公的な枠組みに入らない層は許さないという硬直した姿勢を学級集団が持ちはじめて きた」 と記述 していることは誤解であろう (P‐ 38 ) ‐ それは, 班長個々人が班長会という公的機関を , 65 利用して自己のやる気・がんばりを表出・示威し自己満足することであっ て, 公的機関を私物化したという 「春駒」と「ソ ことである. たとえば, 第一次班のカッコとヒトミは班長会を動員して二学期の運動会の民舞( ー ラ ン節・ ) の 自 主 練 習 を 組織 して い た とさ れる. と ころ が, ナ オ と ブー と コ ウ の 三 人は 民 舞 の 自主 練習 を エス ケー プ した. こ れ に対 して, カ ッ コ とヒ トミ は事 前 にその 計画 を知 り, か つ, 実 際 に三 人が 抜 け出す の. を目撃しつつも見のがし, さらに他の班長たちが三人を追いかけ呼びとめようとしたにもかかわ, らず, 班長 た ち を 制 止 し, 後 に 「追 求」 しよう と 呼 びか け た と さ れる (P‐ 62一63 )‐ こ こ にお ける カ ッ コ と ヒ トミ の. 判断と行動は本人たちの私的な個人的な判断と行動であり, また, 班長会の統一的な了解事項でもなかっ た‐ カッコとヒトミが班長会という公的機関を私物化しようとしたものである. 子 どもたちは, 当初, 学級集団において, 何が公であり, 何が私であるかを明確に区別しているわけでは ない. また, 公の中にも, 行政的な公共 (官的公共) と, 子どもたち自身がつくる民主的な公共があること の 区別 を して いる わ けで はな い. こ れ に対 して, 学 級集 団 づ く りの初期 にお い て 教 師と班 長 会 が一 緒 にな っ. て原案を作成・提出し (採決され) , その後しだいに教師原案に対して班長会が他の子どもたちの支持のも とに修正案や対案を提出して採決されていくすじみちは, 教師 (官的公共) の主導権から自立した子どもた ちの民主的公共の世界が成立してくる指標の最重要部分を占めている. すなわち, 学級 (法定学級, 官的公 共の世界) の外の世界に (あるいは法定学級と並んで) , 相対的に自立した民主的公共の世界としての学級 集団が成立することを意味している. 以上に対して, 鈴木実践における班長会指導には班長会の私物化を助 長させる発想が強い‐. 5 鈴木実践記録に対する竹内常-解説への批判 鈴木実践記録に対する竹内常一解説がある‐ 竹内解説は, 鈴木実践記録の特徴として, およそ, ①子ども たちのなかにひろがりつつある 「階層分化」 (竹内解説によれば, 中流階層の上の中流リベラルの 「批判的」 リ ー ダー のカ ッ コ と, 中流 階層 の 下 や 低所 得層 ・ 庶 民層 の 「反 学 校 的」 なリ ー ダー のノ ブに代 表さ れる) に. 着目して学級集団づくりをすすめている, ②授業と学級集団づくりの両面において, 「参加に開かれた学習 と自治」 を組織し, 記録上は授業と学級集団づくり, 教科と教科外とが載然と区別されることなく, 相互媒 介的に発展している, ③小学四年というギャ ングエイジの特質に即して, 学級集団を一年間で前自治 (より あい) 的段階から自治的段階へと発展させ, 自治的段階の前期から後期への展望をつけていると同時に, 学 級・学校を越えた地域子ども集団をつくりだしている, と指摘している (P‐ 137 ) . 以上の竹内解説の指摘の中で, ①の個々の子どもたちの 「階層分化」 なるものについては全然推測されな いことではないが (また, 鈴木が内輪話等として竹内常一に語っ たこともありうるが) , 公刊された本書の 記録上においては特に明確に記述されていない‐ また, そもそも, 鈴木は, 竹内解説が指摘するような 「階 層分化」 なるものを, それぞれの家庭の経済的・文化的背景等に立ち入って意図的に明確化して記述した形 跡はない. そういう点で, 本稿では 「階層分化」 なるもの自体についてはさらに立ち入って検討することは しな い‐ しか し, 竹 内解 説 が 「庶 民層 の 『反 学校 的』 なリ ー ダー であ るノ ブ」 と 記述 して いる こ と は, 竹 内 本 人 の言 説 に固 執 した 誤解 である. ノ ブ (とそ の グルー プ) は 「ハ ス」 にかま え て いる と か, 「ア ウ トロー 的」. に行動しがちであると記述されているが (また, 第一次班までは班長会の原案・修正案に反対してきたが) , それらをもってノブを 「反学校的」 なリーダー (の資質・資格者) として規定することは正しくない‐ 196.
(10) . 近年の教育実践記録の分析 (1). (1) 「反学校的」 なリーダーとは何か. 竹内解説は, ノ ブらのグループは中流階層の下または低所得層や庶民的な家庭に属し, 彼らの言動は 「中 流階層主導の学校秩序」 のもとでは否定・否認されるにちがいないと記述し, あたかも低所得層・庶民的な 家庭出身者が 「反学校的」 な存在者になる かのように解説する‐ ここで, 竹内解説はノブらの男子グループ を中流階層の下や低所得層に属 している と分類し記述するが, 本実践記録上においては何ら証明されていな いの である‐. また, 竹内解説の 「反学校的」 という記述は, ①ノブたち本人が自ら要求し, 意図的・自覚的にそのよう な立場や存在者としてあらわれたのか, ②低所得層・庶民層出身者は必然的にそのような立場や存在者とし てあらわれるのか, ③何者かの政策や攻撃によっ て (竹内解説の他の記述個所からみる と, 「競争的・権威 的秩序--会社主義・能力 主義一 等だろうか の, そのような立場や存在者としてのあらわれたのか, とい うことを明瞭にしていない‐ 筆者は上記の①②③がクリアーされたとしても, 竹内解説の 「反学校的」 とい う言説は何も積極的に語っ ていないことに等しいと考える‐ 「反学校的」 という記述に類似したものの卑近 な例としては, 公立学校 (特に小・中・高校) 離脱待望層の多くには, 「反学校的」 な気分・行動が含まれ て いる の で はな かろう か. つ ま り, 「反 学 校 的」 があ る と して も, そ れ は竹 内 解 説 が記 述 す る よう な 「低 所 得層」 「庶 民層」 に 限 ら れる も の で な く, 中流 階層 や 中流 階層 の 上 にこ そあ らわ れて いる の で は な い か と 考. えられる. それ故, 出身階層の相違をもっ て, 「反学校的」 であるか否かの分類をすることは適切ではない‐ (2) 「中流階層主導の学校秩序」 とは何か 〈1〉 竹内解説は 「中流階層主導の学校秩序」 云々と記述しているが, はたして, 現在の日本の学校 (鈴木の学 校・学級) において, 中流階層が学校秩序を自由につくり, 主導的に動かすというシステム等がつくりあげ られているだろうか‐ 竹内解説は今日の学校をめぐる学校秩序なるものの形成に際して, あたかも中流階層 の発言権・主導性が大きく許容・保障されているかのように描き出そうとしている‐ しかし, それは真実だ ろうか‐ 真実はむしろ逆で, 竹内解説が強調する中流階層なるものをふくむ国民.住民の教育や学校のあり かた等に関する諸要求 (予算・施設・設備等の充実, 教員定数改善, 学習指導要領の早期見直し, 情報公開, いじめ・体罰・不登校・学校ぎらい等をなくすこと, 校則等の簡略化, 等々) は文部省・教育行政機関等に よって無視.軽視・放置され (ひきのばされ) てきたのではないだろうか‐ そして, 文部省.財界等が自己 の諸々の教育政策を国民・住民に強制してきたのではないだろうか. 竹内解説は,学校秩序なるものを学校・学級における子どもたちの人的結合関係を基本にした秩序と考え, そう した秩序を 「階層分化」 といういわば大状況 (大情勢) に結びつけたところに特徴がある- そして, 「階層 分 化 の い わ ば必 然性 と して 一 方 で は諸 階層 の 要 求 (子 ども たち が どの よう な 要 求 をも て いる の 」 っ ,. か, それらの要求が学級集団の共同の利益・理想 にまで高められ, 実現されていくのかという みちすじや , 展 望 を 含 む) を 捨 象 す る こ と によ っ て, 「中流 階層 主 導」 の 学 校 秩序 の 形成 にス ト レー トに作用 して いく と. いう論理を組み立てたことである‐ このよう に見ると, 今日の学校秩序なるものに対する竹内解説の役割は 明瞭である. すなわち, 竹内解説は, ①今日の学校秩序なるものを 「中流階層主導」 のものと描き出すこと によっ て, 今日の学校・学級にお ける子 どもたちの諸々の苦悩等を, 本質的に中流階層が生み出したものと して当該の中流階層 (に属するとされる子どもたちや父母等) を批判 (攻撃) する立場にならざるをえない , ②他方, 今日の学校秩序 (子どもたちの人的結合関係を含む) を強力 に形成してきた文部省・財界等の教育 政策や教育行政等の責任を隠蔽し, あるいはそれらの政策・行政にあらわれた諸々の攻撃を (子どもたちの 苦悩を生みだすものとは無縁なものとして) 放置し美化せざるをえない, ③ 「階層分化」 が学校・教育の営 み等を決定するという立場に立つことによって, 国民・住民の教育要求 VS文部省・財界等の教育政策・行 197.
(11) . 遠 藤 芳 信. 政責任等の構図を, 中流階層 VS庶民層・低所得層の構図につくりかえることである.. (3)「中流階層主導の学校秩序」 とは何か 〈2〉 竹内解説は 「ノブは, 中流階層が主導権をとっている今日の学校秩序になじめない子 どもたちの中心とな っている」 「今日の学校教育が中流階層の上部分の子 どもたちのものとなっ ているために, 中流階層の下部 分ならびに低所得層の子 どもたちが必然的におちこぼされていく」 「中流階層 主導の学校秩序のもとでは否 定.否認させるにちがいないノブの言動」 等々と指摘する‐ そして, 竹内解説によれば, 鈴木の学級では, 中流階層 (の上部分はカ ッコに代表される とする) と低所得層・庶民層の 「反学校的」 グループ (その代表 はノブに代表されるとする) との対立関係が存在していたことになる‐ たしかに, 鈴木が 「ギクシャクして いた班長と班員との関係, 班長会と子どもたちとの関係 は何なのか」 と問おう としているように対立関係は あっ た‐ また, 本稿が分析したように, 班長会の原案・修正案は事実上は否決されるという傾向は, ノブが 班 長 会 に加 っ た後 の 三 学期 始 め ま で 続い て いる‐ しか し, 本稿 は上 記 の 「ギク シ ャ ク一 や 対 立 関係 は, カ ッ. コを代表とする班長・班長会による公的機関の私物化傾向に対しての, 他の子どもたちの批判や異議申し立 てでの反映である と考える‐ また, そうした私物化傾向は, 鈴木自身のいわ ば身から出たサ ビのような指導 結果に起因しているものである‐ 他方, 竹内解説は, 上記のように,「階層分化」 を本源としているととらえ, 中流階層 (の上部分の勢力) VS低所得層・庶民層の構図にもとづく対立関係の成立として描いている. しかし, 竹内解説が強調したいことは上記のような 「階層分化」 を本源とする子どもたちの対立関係のみ でない‐ 竹内解説は 「中流階層主導の学校秩序のもとで否認されるにちがいない」 とか 「反学的」 なリーダ ーのノブ (の言動) 等々と記述している. この場合, 鈴木の学級においては子どもたちの人的結合関係の実 際的・代表的な装置と して, 学級集団づくりにおける特に班長・班長会という指導システム (もちろん, 学 級集団づくりではこれらのシステムのみに尽きないが, 本稿ではこれまでの分析との関係で班長・班長会を とりあげる) が設けられていたのであるから, 竹内解説の 「中流階層主導の学校秩序」 なるものの現実的な あらわれは, 学級集団づくりにおける班長・班長会の指導システム自体になら ざるをえない‐ 鈴木学級に即 した場合, 「中流階層主導の学校秩序」 や 「反学校的」 云々を一般的・抽象的に指摘 したところで積極的な 意味を持たない. それ故, すくなく とも竹内解説における学校秩序なるものは, 学級集団づくりにおける班 長.班長会という指導システム自体を意味することになり(それ どころか,学級集団づくり自体を意味する) , 「 ということになる ) づ ( P 1 3 5 内解説による 所与の学校システム それらの学級集団 くりが竹 」 ‐ . つまり, 竹内解説が強調したいことは, 学級集団づくり (における班長・班長会) は 「階層分化」 を前に して意義を失ったにみならず, それらは 「中流階層主導の学校秩序」 の形成・作用 として機能しているとい うことであろう. 竹内解説は以上のことを明確に指摘する. すなわち, カッコとノブの連帯は 「所与の学校 システムを前提にして成立するはずはない」 と記述し, 両者の連帯はかれらの 「生活と学習の再共同化」 を )‐ こ こ で, 「生 活 と 学 習 の 再 共 同 化」 (あ る い は, つ う じて は じめ て 可 能 にな る と 強調 して いる (P. 135. 「共同化」 なるもの) とは何かということの不明瞭性を残しているが, 竹内解説は (鈴木実践記録において 「ィ 「 )参加に ロ )所与の学校システムのなかに閉ざされてきた学習と自治に代えて,( は) , その 再共同化」 を ( ィ ) )は遠藤) 35 開かれた学習 と自治を追求するという方向」 をとっ ている と明記する (P‐ 1 . つまり,( , ”Xロ のこれまでの 「学習と自治」 は本稿で検討してきた学級集団づくりにおける自治の部分を中心にするもので, )の 「参加に開かれた学習と自治」 とは, 鈴 ロ 所与の学校システムの中に含まれるということである. 他方,(. 木実践記録上では 「春探し--地域調査--班単位の青空教室の開設--夏休み地域子ども学校の開設-- ) (以下略÷÷遠藤)」 である とする (P. 135 ‐ しかし, 竹内解説が上記のように指摘したものは, 放課後 等の遊びと学習 に関する とりくみ領域の工夫や拡大であっ て, 全生研の 『第二 碗 『新 碗 等で解明してき 198.
(12) . 近年の教育実践記録の分析 (工). た指導システム等にもとづかなくとも成立するものである. また, 「参加」 云々も, 鈴木実践記録上では今 ) 5 日 の 所与 と しての 学校 シス テム を批判 あ る い は否 定 している も の でも な い‐(. 以上のよう に見てくると, 竹内解説における 「生活と学習の再共同化」 (再の意味は不明瞭だが) なるも の は, あ た かも 「中流 階層 主 導 の 学 校秩 序」 や 「所 与 の学 校 シス テム」 なる も の を 批判 ・ 否 定さ れる べ きも. のとして強調するが, ①学校・学級の管理・経営等における文部省・財界等の教育政策・行政等の責任と攻 撃を隠蔽化・美化し, ②学級集団づくりにおいては 『新 碗 の諸々の指導システム等 (指導技術を中心にし た) さえからも離れざるをえないだろう‐ これが, 筆者がかつて述べた 「生活指導の解体と集団づくりの放 6 ) 棄」 の - 内 容 である- (. (4) 鈴木実践は学級集団づくりの新しいすじみちを発展させているか? 竹内解説は, 鈴木実践は 『新版』 が提起した学級集団づくりの新しいすじみちをさらに発展させるものに ) なっ ている と記述している (P‐ 132 ‐ しかし, 本稿が分析したように, 鈴木実践の指導技術は (全生研の ものと一部交叉しているが) 新しいものでなく, むしろ古いタイプの系譜に位置づけられる‐ 班長に任期制 もなく, 当該班長や当該班の任期・編成がいつまで続くかわからないような実践記録である‐ そういう点で は 『新版』 以前である‐ 竹内解説は, 鈴木が学級集団づくりの早期から任意参加を導入していると指摘する が, こ れと て 新 しい も の で はな い‐. ところで, 竹内解説は鈴木の学級集団づくりが 「中央指令型の組織体をモデルとする集団像から解放され て, そ れ ぞれの 班ま たは グルー プ のイ ニ シアテ ィ ブを重 視する 集 団像 を追 求する も の にな っ て いる」 と記述. ) する (P. 138 . しかし, この竹内解説の記述は真実だろうか. 鈴木の学級集団づくりにおける集団像 (あ るいは竹内解説における集団像) が何をモデルにしているかは明確ではないが, 少なくとも, 竹内解説が「反 学校的」 な子どもと規定するノブが班長に加わっ た後も, 班長・班長会の私物化傾向は続いている‐ そして, これらの私物化傾向に対して他の子 どもたちが異議申し立てをしたのであるが, 鈴木実践における班長・班 長会の私物化傾向およびその集団像は何をモデルにしているのだろうか‐ それは竹内解説が強調するような 「中央指令型の組織体」 をモデルにすることによって生まれたのだろうか あるいは鈴木本人の何らかの集 . 団像とその指導構想から生まれたのであろうか‐ 筆者は後者の鈴木本人の集団像とその指導構想から生まれ たと考える‐ ともあれ, 竹内解説が鈴木実践は 『新版』 が提起した学級集団づくりの新しいすじみちをさらに発展させ るものになっていると記述したことをひきとれば, 発展させたのは, 班長・班長会の公的機関に対する私物 化傾向であるということができるだろう‐ 同時に, 竹内解説が強調する 「生活と学習の再共同化一 なるもの も, 以上のような班長.班長会の私物化傾向を内包しているということができるだろう‐. (注) ”学 ( 1 )鈴木和夫 「ノプを班長に」 全国生活指導研究協議会常任委員会編 『子どもの私的グループと班づくり』1 98 6年, 明治図書, 鈴木和夫 「 ” 校ごっこ --夏休み青空学校の実践J 『生活指導』 19 85年6月号, 明治図書‐ 鈴木和夫 ( 19 48年生まれ) は東京都練馬区立向山小学 校勤務とされている. { 2 )以下, 『学級集団づくり入門 第二 腕 を 『第二版靭, 『新版 学級集団づくり入門 小学 碗 を 『新 碗 と略記する. また, 全国生活 指導研究協議会を全生研と略記する. 3 )学級集団づくりにおける原案提出者関係 (とその採決のす じみち) 等にっいては, すでに坂本泰造 『学級の主人公は, ぼくらだ』 ( ( 197 6年, 明治図書) の実践等があり, 筆者も, 遠藤芳信他著 『集団づくりのための学級経営案 小学三・四年』 ( 198 3年, 明治図書) 「 『 づ に収録された加藤辰雄の学級総会原案サンプルを参考にして, 拙稿 学級集団 くりの理論的諸問題」 生活指導』 19 85年5月号, で 表示したことがある‐ 199.
(13) . 遠 藤 芳 信. 1 ( 4 )本書は注( )の鈴木の元稿二つを基本にしたものであるが, 「ノブを班長に」 という鈴木の元稿に関しては筆者もかつて同元稿収録書で 解説をしている. ところで, 本書は, 遠藤解説が同元稿収録書では意図不明としてやや批判的に指摘した実践部分を削除している. そ の削除は鈴木本人の自由と責任にまかせられるものであるが, 当該実践部分の削除には鈴木自身の指導構想があらわれているとみてよ いだろう. それは, 本書との接続関係では第二次班発足直後に相当する実践部分である. すなわち, 教師から 「合唱をつくるために --レク係を合唱係に--」 という原案が提出されたことにかかわる学級総会の実践部分である (レク係~レクリエーション係~の廃 止と, 合唱係の新設を主題. 注( 4 1 )の元稿収録書では, PP ) ‐ 88一9 . 鈴木の元稿の削除 (不掲織) の実践部分は指導の準備不足がある が, およそ二つの実践内容を含んでいる‐ 第一は, 学級総会に提出された上記の教師原案に対して, 班長たちが中心になって (班長会 が中心になったか否かは不明) 「みんなJ の対案 (修正案) を提出し, 教師原案を否決し対案を採決したことである‐ つまり, この学 級総会では, 教師VS班長 (および他の子ども) の構図があらわれるが, 本書においては鈴木はこの実践構図を捨てたということであ ろう. 上記の学級総会は, 班長たちが他の子どもたちと共に奮闘して教師原案を否決し, 自分たちの対案を採決した数少ない実践内容 を含むが, 鈴木は班長たちが他の子どもたちと共に力を合わせた学級総会を, 自己の指導構想上からは絶対に 「あってはならぬ」 特殊 あるいは偶然の出来事として消したかったのであろう. 第二に, 上記の学級総会の冒頭における鈴木の発言は次のようになっている. 「 S男 「レク係が今までやってきた楽しみがなくなる だろう‐ そのことも考えろよ」 Y男 「クイズ大会なんかできるの?」 , 鈴木 クイ 「 ズ大会? 班長会が原案をつくって, みんなで決めればやれます」 , ひとみ (班長) 班長会でつくるだろうけれど, 今までレク係がや 「 そういう楽しみをと 1 てきたことができません てしまいます っ っ 」 . すなわち, こ . , 鈴木 班長がやれば……」 (P. 9 , 下線は遠藤) こでの鈴木の発言は(いわば挑発的なものがあったとしても),本稿で分析した鈴木における班長会請け負い主義の助長を意味している. つまり, 班長会にクイズ大会企画等を請け負わせることによって, 他の子どもたちとの対立が深まることを期待するような意味が含ま れている. 以上のように鈴木の元稿の削除 (不掲縦) の実践部分を検討した場合, 本書の鈴木の指導構想として, 班長・班長会と他の 子どもたちとの間の対立・分断を一貫して強調する発想 (さらに教師がそれらの対立・分断を助長させ, そそのかす発想) が浮上する だろう. そして, 以上の対立.分断を, 「階層分化」 「中流階層主導の学校秩序」 「反学校的」 云々の用語をもって意義づけたのが, 後 述の竹内常一解説である. また, 竹内解説は, 以上のように鈴木によって班長・班長会と他の子どもたちとの間の対立・分断が故意に 一貫的に強調されたものを無批判的にひきとり, 「生活と学習の再共同化J なるものによって解かれていったとする議論を立てようと する. しかし, そのような議論は牽強付会であろう. )筆者自身は, 鈴木和夫本人の教師としての一般的な力量自体が高いことを否定していない. しかし, 鈴木は学級集団づくりの 『新 碗 ( 5 等の諸指導システムに依拠しない方がむしろスッキリとした実践ができたのではないか, と考えている. 0月号参照. 拙稿は 『新 碗 の 「生活指導の目的と方法」( PP 95年1 { 6職稿 「生活指導の解体と集団づくりの放棄のなかで」『生活指導』19 ‐ 19 95年6月17日) で述べたものの ) の部分にのみ言及したものであって, もともとは, 全生研北海道支部主催の連続学習講座 ( 3 0一46 中のわずかな一部を示したにすぎないものである. 拙稿に対して, 「雑」 「あらっ ぽい」 「内実を問わない一 等の指摘が出たが, 拙稿の 文章記述はいわば筆者の主張の 「永山の一角一 みたいなもので, それのみで思考を完了・停止させたものではない‐ 『新 陶 以降の全 生研運動を特に実践記録を中心に分析し総括するためには, 自己の言説偏執や特定の 「用語」 先行 (近年の全生研は, この種の 「言説」 「用語」 に関して簡潔に定義をすることなく浮遊させていることが多い) におちいることなく 教師の子どもに対する具体的な働きか , けや指導システム等をまず素直に分析することが必要であろう. 他方, 竹内解説はたとえば 「『反学校的』 なリーダーであるノブ」 と 規定する‐ 竹内解説の r反学校的」 の意味は上述したように不明瞭であるが, 一般的に, 「反学校的」 なリーダーなる子どもに対する 学校・学級での働きかけは困難といえる‐ この場合, 鈴木の学級において, 「反学校的」 なる子 どもに対する働きかけの責任や主体は 第一義的に教師本人にあるのか, それとも班長・班長会や他の子 どもにあるのか?後者に責任や主体があるとする場合, 班長・班長会 等は 「反学校的」 なる子どもに対する働きかけの理解・展望・力量・習熟等が教師以上に備わっていることが求められる‐ また, その こと力漕甫提とされる. しかし, それは (鈴木実践においても) 現実的だろうか. しかるに, 「反学校的」 なリーダーと規定されたノ プ に対して, 鈴木実践は9月上旬の第一次班までは班長会が単独の原案・修正案の学級総会提出を通して, その働きかけが行われている‐ これは, 鈴木において, 班長会が教師よりも力量等が高いと考えた結果でなく, 班長会に請け負わせた (押しつけた) 結果であろう‐ このように見てくると, 鈴木実践のノプに対する竹内解説の 「反学校的」 云々の記述・規定は, 教育実践の諸働きかけを分析したり, 教育実践を前進させるための有効な用語になりうるだろうか. 竹内解説がノ プを 「反学校的」 なリーダーと規定したことは, 結局, 実 践の事実関係の分析においてはレトリック以上の積極的な意味をもたないのである. また, 竹内解説は, カッコとノプの連帯は 「生活 と学習の再共同化」 なるものを通じて可能になったと記述しているが, 自己の言説に偏執した議論の飛躍である, (本 学 教授. 200. 函 館 校).
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